2017/07/15
# 茨城県「水戸ミス梅むすめ失踪事件」1986.12.26
< 事件のあらまし >1986年(昭和61年)12月26日(金)15時過ぎ、茨城県水戸市内のデザイン会社勤務の会社員である大畠美智子さん(当時21歳)が退社後に行方不明となった。この日の大畠さんはすでにこのデザイン会社の退職が決まっており、最後の出社を済ませて「この後、用事がある」と告げて退社していた。大畠さんは1986年(昭和61年)度の「水戸の梅むすめ」(現・水戸の梅大使)に選出されていた。大畠さん失踪の約半年後に、茨城県内の当時15歳だった女子高生(根本直美さん)が行方不明となり、「常磐線沿線美女連続失踪事件」とも言われている。2017年現在、発見には至っていない失踪事件(未解決事件)である。
※「常磐線沿線美女連続失踪事件」は別で記事にする予定。
< 関係者/登場人物 >
【失踪者】大畠美智子さん
【勤務先上司】氏名年齢不明
< 行方不明者情報 >
【氏名】大畠美智子(おおはたみちこ)さん
【性別】女性
【生年月日】1965年(昭和40年)月日不明
【失踪時の年齢】21歳
【身長】157cm
【体重】40kg前後
【ヘアスタイル】肩下20cmほどのロングヘア
【住居】茨城県水戸市笠原町(いばらきけんみとしかさはらちょう)
【2017年(平成29年)現在】 52歳
【失踪時の服装】(上)ピンク色のブレザージャケット(下)白色のスカート、黒色のハイヒール
< 事件詳細 >
(時系列)
1. 大畠さんは、1986年(昭和61年)12月21日(日)水戸市内の県産業会館で開催された「水戸ミス梅むすめ」の審査会で、大畠さんを含む他9名の中に選考された。応募者179名からの選出であった。1987年(昭和62年)2月20日(金)から茨城県水戸市内の「偕楽園(かいらくえん)」でコンパニオンを務める予定であった。(大畠さんは友人たちと旅行の計画もしていたという)
↓
2. 1986年(昭和61年)12月26日(金)15時過ぎころ、大畠さんはすでに辞表を提出していたデザイン会社を退社した。その際、残りの給与15万ほどを受領した。大畠さんは「これから友人と会う約束がある」と言っており、定時より少し早い15時ころに退社していた。
↓
3. その後大畠さんは忽然と姿を消し、水戸警察署の調べによると大畠さんと会う約束をしていた友人は見つかっていない。
↓
4. 数日後、大畠さんが勤務していたデザイン会社から約15~20km離れた、茨城県笠間市にある標高201mの「朝房山(あさぼうやま)」の麓に位置する県道で、大畠さんの毛髪と血痕が付着した毛布が発見された。
※この県道は県道52号線ではないかと言われている。
↓
5. 当時、大畠さんの失踪について何か知っていると目されていたデザイン会社の元上司が疑われ、警察による取り調べを受けたが「証拠不十分」により検挙には至らなかった。
※この人物のアリバイは証明されている。
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6. 2000年10月、大畠さんに執拗に付き纏っていたと言われるデザイン会社の元上司がこの事件とは別件で逮捕されている。
※この元上司は5.の人物と同一人物である。
↓
7. 2017年現在、大畠さんの発見には至っていない。
(関連情報)
1. 大畠さんの失踪前に、何度か自家用車がパンクさせられる被害に遭っており警察に被害届を提出している。
※取材をしていた雑誌の報道による。
2. 大畠さんは当時付き合っていた男性はいなかった。
※取材をしていた雑誌の報道による。
3. 勤務していたデザイン会社の元上司がしつこく言い寄っていたという情報がある。
※取材をしていた雑誌の報道による。
4. 関与が疑われていた元上司が警察の取り調べを受けたが、証拠不十分で逮捕には至らなかった。
※取材をしていた雑誌の報道による。
5. 大畠さんのご両親は「失踪宣告」をしていなので現在も捜査中と思われる。
6. 茨城県には「北朝鮮による拉致の疑い」のある事案が3件ある。
※茨城県警のサイトに記載あり。
< 大畠さんの遺留品発見場所 >
茨城県にある朝房山の麓の県道で、大畠さんの毛髪や血痕が付着した毛布が発見されているが、失踪当時に着用していた衣服や靴などは発見されていない。
< 考察 >
(計画的な失踪のケース)
大畠さんが計画的に失踪したと仮定する。
当時、大畠さんが勤務していたデザイン会社は約1ヵ月ほど前に退職届を提出しており、上司もそれを受理していた。最終出社日(12月26日)も決まっており、その日は同僚への挨拶とまだ受け取っていない給与を受け取るために出社していた。この時に受け取った約15万円を失踪資金に充てたと考えることも出来ないことはない。
また、この日大畠さんは突然「用事がある」という理由で、定時より2時間ほど早い15:00過ぎには退社している。この早退については同僚も上司も事前に知らされておらず、大畠さんの個人的な理由によるものであった。計画的な失踪だとしても、計画に何かしら予期せぬ不都合が生じて、大畠さんは早退を余儀なくされたと考えることもできる。不自然な点としては以下のポイントがあげられる。
● ご両親の証言によれば、失踪するような兆候は一切見られなかったと証言している。
● 大畠さんはデザイン会社を退職した後、友人たちと旅行の計画を立てていた。
● 駆け落ちをするような男性と付き合っていたという事実もない。
● 自宅の身の回りの生活用品(衣類、靴、化粧品etc)は残されたままであった。
● 大畠さんの失踪後、戸籍や住民票の移動、預貯金の切り崩しはない。
● 親戚や友人宅に立ち寄ったという情報はない。
● 失踪してからの目撃情報がない。
上記の点から、計画的な失踪の可能性はほぼあり得ないように思えるが。。。
(事件に巻き込まれたケース)
大畠さんが何らかの事件に巻き込まれたと仮定する。
12月26日に当時勤務していたデザイン会社を退社後、忽然と姿を消していることから何らかの事件に巻き込まれた公算が高い。なぜならば、大畠さん失踪後、警察の捜査により茨城県笠間市の県道で大畠さんの毛髪と血痕が付着した「毛布」が発見されている。警察の発表では、事件に巻き込まれた可能性と失踪の両方から捜査を開始するとしていたものの、このような遺留品が発見された時点で「単なる個人的な失踪」とは考えにくい。重要参考人は証拠不十分で逮捕には至らず、ここから捜査は暗礁に乗り上げる。
< その他 >
● 大畠さんは1986年度(24代)の「水戸の梅むすめ」であった。
※2001年から名称が「水戸の梅大使」に変更された。
● かつて、西武ライオンズ/福岡ソフトバンクホークス/読売巨人軍/横浜DeNAベイスターズと渡り歩いた大投手の工藤公康氏の奥様(喬木雅子さん)も「元水戸の梅むすめ」である。
● 2017年(平成29年)の「水戸の梅大使」は初代から数えて、55代の水戸の梅大使である。
< 茨城県内の他の未解決事件 >
●茨城県美浦村・茨城大学女子大生女子大生殺害死体遺棄事件2004.1.30
●茨城県藤代町・根本直美さん失踪事件1987.6.20
< 茨城県内の北朝鮮による拉致の可能性を排除できない事案 >
1. 小林榮(こばやしさかえ)さん
1966年(昭和41年)8月21日(日)、「体の具合が悪いので医者に行く」と会社の同僚に言い残し、会社の寮を出た後、行方不明となる。
2. 松井綾子(まついあやこ)さん
1988年(平成10年)12月3日(木)、勤務先の同僚に「調子が悪いので休む」と連絡した まま、自宅アパートから姿を消し、行方不明となる。
3. 松岡伸矢(まつおかしんや)さん
1989年(平成元年)3月7日(火)、朝、徳島県貞光町(現つるぎ町)に帰省、行方不明となる。
< 参考文献/引用サイト一覧 >
(参考文献)
●勝又義直(2005)『DNA鑑定-その能力と限界-』名古屋大学出版会
(引用サイト)
●茨城県警察
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