他人の心なんて自分のものさしでは図れない
これはインターネットに住まう数年とここ数週間での、人間関係の捉え方の現状での結論的なことついて書いたもの。
特定の個人に向けたものではないため、邪推はしてほしくないし、これはTwitterでは書きづらい(内容が長いかつ重いため。)独り言をまとめただけと思って読んでほしい。
人と仲良くなればなるほど、その人の辛い部分や闇というか苦しんでいるところが見えてくる。(知った気になっているだけかもしれないが。)
仲良くなればなるほど、聞き役の自身の立場というのは情に寄り添って、中立的に見れなくなってしまう。
目を閉じて心や体を休める時も、真っ暗闇の中でそのことを思い出しては胸が締め付けれられてしまう。自分にとって他者の苦悩なのに、自分と重ねたり、どうにかしなきゃと気持ちが先行していく。
(色々と考えてしまうが、その問題の文脈を正確に理解できないことやその人たちの人となりを知った気になっているだけの視点では焼け石に水なのかもしれない。その人たちからしたら無意味、お節介なことだろう。)
どうして他人のことなのに自分がここまで苦しんでしまっているのだろうか。と自身を疑う。
心の底から友と呼べる関係であれば、親身に考え、その痛みにも耐えうることができるのかもしれない。
しかし、インターネット上での関係性。それを真に友と言えない、お互いの信頼関係がどれほどなのか言葉や文章を介したコミュニケーションだけでは図りきれないのだと感じる。
(お互いがお互いを友と認識しているか不確定な要素が多いネットならではの迷いかもしれない。もちろんリアルな人間関係にも言えることはあるだろうが。)
そんな気持ちになるくらいなら、適度な距離感を保つことで自分を守ること、他者を傷つけないことに繋がるのではないかという思いから、人との付き合いを厳選することにした。
この閉ざした心、氷ついた心はいつしか溶け開き、また心の底から笑い合えるようになりたい。
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