ここはどこだろうなんて考えるまでもなかった。
目を覚ますと、そこは見慣れた保健室のベットだ。同時に昨日の記憶が全て甦り、ハリーの口からヒュッと短い呼吸が漏れた。
まだ微睡んでいたい。何も考えたくない。
瞼の裏にはセドリックが甦る。緑色の光--虚ろとなったセドリックの瞳。
それを無理矢理心の奥へと押しやった。
すぐ近くにシリウスが座っていた。腕を組み、ウトウトとしている。どうやら自分のために一晩ここで明かしてくれたようだ。
その時、こちらへ向かう足音がした。どうやら足音の主は2人らしい。
1人は間違いなくこの部屋の主、マダム・ポンフリーだ。そして、もう一人は驚くことに--。
「大臣! ここには病人がいるんです! どうか…」
「すまないがマダム。 至急の用事だ。 シリウス! 報告を」
シリウスはその声で弾かれたように立ち上がった。
こちらをチラリとシリウスが見たので、ハリーは眠った振りを続けた。
「闇祓いたちは負傷するも全員無事です。 セルウィン、トラバースなど一部の死喰い人は捕らえましたが逃亡大多数。 そして、先程も守護霊で伝達した通りです。 …あの人が復活した」
ファッジは目に見えて動揺した。ずり落ちた彼のトレードマークと言える山高帽を所在なさげに弄る。
「……今、ダンブルドアとも話してきたが…君たちはその…本気かね?」
「なんですって?」
「アー……シリウス。 君も本当に…その『例のあの人』が復活したと?」
「どういうことです?」
シリウスの眉がピクリと動く。
「考えてもみたまえ。 シリウス、今ここでそんなことを公表してみなさい。 今まで築き上げてきたものが全て消えてしまう」
シリウスは唖然と大臣を見つめている。彼らしくない呆けた表情だった。
「私が築き上げたこの平和な魔法界が! …それは国民も望まない事だ」
「保身のために真実を隠蔽するおつもりか!?」
シリウスはとうとう犬のように吠えた。
ここは保健室です!とマダム・ポンフリーが数回目となる至極真っ当な抗議をしているが、彼は構っていられなかった。
「…そんな言い方はしていないだろう。 もちろん死喰い人が……アー…騒ぎを起こしたことや闇祓いと交戦したことを伝えるとも」
「それだけが真実ではない! あの人は復活した! ルーファスもキングスリーもトンクスも目撃しているんだ!」
シリウスは最早最低限の敬意をかなぐり捨ててそう叫んだ。
「そうだ。 逆に言えば、まだ闇祓いたちしか目撃していない」
「いや、俺の息子も目撃している」
シリウスは唸った。
両者の視線が自分に向いたので、ハリーは冷や汗をかきながら狸寝入りに勤しんだ。
「だから何だと言うのだね? 君の息子が世間から大嘘つきだとバッシングされたいなら、勝手に行動すればいい。 リータ・スキーターという記者をもちろん君は知っているだろうね?」
「それは…脅しですか?」
そこには愛想がよくハリーのことも可愛がってくれた、人のいい大臣はいなかった。
「どう捉えてもらっても構わないよ。 ブラック家の財産だって無限ではない。 君だって『闇祓い局長』という地位は惜しかろう?」
その時、突然ダンブルドアとマクゴナガル、レギュラスが入ってきた。
「な、なんということを…!」
マクゴナガルの唇はわなわなと震え、拳は怒りに震えている。どうやら今までの会話は聞こえていたらしい。
「あなたはそんな…そんなくだらないことのために、シリウスやこの子の言うことを信じないと言うのですか…!」
ダンブルドアは落ち着いてはいたが、皺の1本1本に冷たい怒りが刻み込まれているようだった。
「どうしても見ない振りを続けると言うのじゃな?」
「アルバス、その話は終わったはずだ」
ファッジは取り付く島もなかった。
すると、黙っていたレギュラスがつかつかとファッジに迫り自身の左腕のローブを捲った。
薄目で様子を伺っていたハリーはハッと息を呑みそうになるのを必死に堪えた。視界の端でシリウスの体も何かに反応するように、ひくりと揺れた。
黒々とした髑髏から放たれた蛇の証。
「貴方も前の戦を知っているなら、この印の意味が分かりますね? 今まで反応しなかったこれが、この1年でこんなにも濃くなった。 それでも貴方は目を逸らすと言うのか」
ファッジはその印を見たら自分も呪いを受けてしまうと信じてるかのように、後ずさった。金魚のように口をパクパクとして言葉を絞り出す。
「何が言いたいのやら…私には分かりかねますな…」
「そうか。 君とは袂を分かつ時が来たということじゃな」
ダンブルドアは疲れきった声でそれだけ言った。
「お引き取りください」
マクゴナガルが毅然としてそう言うと、ファッジはマントの下から大きな巾着袋を取り出した。それを無造作にシリウスに渡す。
「君の息子の優勝賞金だよ。 とてもじゃないが表彰式なんて開く場合ではないのでね」
ファッジはそれだけ言うと、マントを翻しその場を後にした。
患者がいたのに…と尚もブツブツ言うマダム・ポンフリーをマクゴナガルが宥めている。
ダンブルドアは徐に、レギュラスに向き直った。
ハリーはダンブルドアの表情があまりにも痛々しかったので言葉を失った。
「君に…頼む時が来てしまった。 本当に良いのか?」
しかし、レギュラスは素っ気なく首を縦に振った。
「ええ。 そんな申し訳なさそうな顔は不要です。 貴方に恩義は感じていますが、それが全てで動くわけでは無い」
レギュラスが出ていくと、シリウスはその後を胡散臭そうに見つめた。
「あいつに何を命令したんです? 見たでしょう。 あの闇の印を。 それでも貴方は信用に値すると言うのか?」
「シリウス、儂がレギュラスを信用するかどうかは儂が決めることじゃよ」
ダンブルドアは微かに微笑んだまま、さてさて、とハリーに近付いた。
「まだ夜中じゃよ。 君はもう一度薬を飲んで休まないといかんのう」
シリウスは驚いたようだったが、この偉大な校長には自分の狸寝入りはバレバレだったらしい。
ハリーは考えたいことがたくさんあったが、大人しく薬を飲んだ。またしても暖かな眠りが襲ってきた。
起きた後に、クラウチ・ジュニアが吸魂鬼のキスを受けたことを知った。
セドリックのお別れ会は数日後に行われた。
皮肉なくらい初夏の空は晴れ渡って、どこまでも青が澄んでいた。
泣き崩れている生徒の多さが、それだけセドリックの人望を表していた。中でもジニーの憔悴っぷりは凄まじく、兄弟たちは気が気でないようだった。
そして、少し意外なことにネビルがジニーにずっと付き添っていた。彼もまた大切な人を闇に奪われた被害者だ。きっと感じるところがあるのだろう。
「ジニー…」
啜り泣く小さな妹分にたまらなくなって、ハリーは髪を撫でようと手を伸ばした。
「触らないでっ!!」
ジニーのヒステリックな声に、ハリーは思わずビクリと身を疎ませた。
ジニーの目は泣き腫らしてウサギのように真っ赤だった。
ハリーの唖然とした表情を見た瞬間それは後悔とせめぎ合い……やはり絶望には打ち勝てなかった。
「考えてしまうの! ハリーが…貴方が連れていかなければ…セドは死ななかったのにって!!」
「ジニー、おまえっ…なんてことを!!」
すぐに兄弟が止めた。
「わかってる! 今私すごく嫌な女だってわかってるっ! でもっ--!!」
ジニーは一層声を震わせしゃくりあげた。そばかすの上を止めどなく涙が伝った。
大好きな人を失った悲しみはどこへ遣ればいいのだろう。
ジニーだってその遣り場が怒りとしてハリーへぶつけることではないのは、本心では分かってるのだ。
「…わかったよ。 ロンたちも、ジニーのこと責めないであげて」
ダンブルドアが生徒にヴォルデモートの復活を告げた。その言葉さえどこか遠くに聞こえた。
ハリーは城の外へ出た。
そこには待ち伏せていたかのように幼馴染が立っていた。
「どうしたの、ドラコ?」
ドラコの顔はいつもよりずっと青白く、ここ数日でやつれたようだった。
「少し…話さないか」
彼の声もまた掠れていて細かった。
いつも幼馴染3人組が会う時そうするように、湖の畔へと何となく足を進めた。
城内を湿らす悲しみもいざ知らず、今日も大イカはゆらりと体を轟かす。
ドラコは今にも倒れてしまいそうだった。
ハリーは妙に嫌な予感がした。
「おい、本当に大丈夫か? 具合悪いんじゃ…」
「君は優しいな。 僕にわざと父上の話をしないのだろう?」
思わずハリーは固まってしまった。
ゆっくりと彼の灰青の瞳を見つめる。凪いだ水面のようなその瞳はどこまでも悲しかった。
「やっぱり、そうだったんだな」
ハリーの沈黙は彼の問いを肯定したも同然だった。
ドラコは諦観にも似た笑みを浮かべた。
その顔があまりにも寂しくて儚かったので、咄嗟にハリーはドラコの肩を掴んだ。そうしなければ、このまま彼が消えてしまうと錯覚した。
「ドラコ、前も言ったはずだ。 父親なんて関係ないだろ? 僕たちは僕たちだ」
しかし残酷なことにハリーのその言葉は、ドラコの地雷を踏み抜いてしまった。
「…ッ…君の父親は! シリウスおじ様は!!」
ドラコの顔が歪んだ。
「去年僕を助けてくれた! ペティグリューから守って、怪我した僕を背負って医務室へ連れて行ってくれた!」
ドラコは今にも泣きそうだった。
「それなのに! 僕の父上はっ--殺されそうになってる君を見捨てたんだ!」
遠くではセドリックの死を悼む泣き声がする。学校全体が静かな痛みに満ちていた。
「ドラコ--。それは…違う」
ハリーは喘ぐよう言葉を絞り出した。
何とかこの目の前の親友を止めないと二度と取り戻せなくなる、そんな心地だった。
「…違わないよ、ハリー。 僕にはもう君を親友と呼ぶ資格がない」
ドラコは、そっと自身の肩を掴むハリーの手を拒絶した。
「ドラコっ…」
「僕たちの友情はここまでだ。 …さよなら、ハリー」
そう言ってドラコは背を返した。
少しして城の方から状況を察知したシャルロットが駆けてきた。シャルロットはドラコの肩を抱く。離れているのに、彼の肩が震えているのがわかった。
シャルロットはハリーに何か掛ける言葉を見つけているようだったが、ハリーは首を振ってそれを制した。
ふらふらとした足取りでレイブンクローの寮へ向かった。ただルーナに会いたかった。
心の中にいくつも空いたこの穴を埋めてほしかった。
「目に見えることだけが、その人の気持ちじゃないと思うよ」
ルーナはやはりいつもと全く変わらない表情で声色でそれだけ言った。
ハリーは誰もいない裏庭で自分より小柄な体躯の少女の胸に埋まりながら、静かに泣いた。
大広間で皆と死を悼むことは自分には許されていないような気がした。
ルーナはそんな自分の感情を否定しなかった。理解しようともしなかった。
ただ寄り添ってくれた。それが一番有難かった。
今どんなに君のせいじゃないと言われても、それは気休めにしかならなかったから。
「セドリック、いい人だった。 あたしの靴を探してくれたことがあるの。 寮も違うのに、あたしと話したこともないのに」
ルーナは小さな声で歌を歌い始めた。
聞いた事のない外国の歌だった。
誰もいない裏庭でそれは空に吸い込まれていく。舌っ足らずでどこか幼い彼女の歌声は鎮魂歌のように。
自分が寝ている間に、ダンブルドアは大広間であまりハリーに詮索しないことそっとしておくことと諭したらしく、静かに過ごすことは出来た。
しかし、ダンブルドアの言葉を信じているのは半々と言ったところだろうか。ハリーは遠巻きで奇異の目で見られることに耐えなければならなかった。
だからこそ、ボーバトンが帰り、ダームストロングが帰り(ロンは結局クラムからサインを貰った)、やがて汽車に乗る日が来た時は心底ほっとした。
帰りの汽車は久しぶりに3人で静かに過ごした。
ロンもハーマイオニーも何も聞かず、呑気に夏休みの話をしてロンのつまらないギャグを聞いて爆発スナップをして遊んだ。
それが仮初の楽しさだというのは分かっていたけれど、ハリーにはその時間が必要だった。
「ハグリッド、無事に帰ってくるといいわねえ」
ダンブルドアの使命なのだと嬉しそうに旅立っていった大きい友人を思い浮かべた。
「ハグリッドもいい事言うよな。 来るもんは来る。 来た時に受けて立ちゃいいって」
ロンがあまりにもそっくりハグリッドの真似をしたので、2人は笑った。
「きっと、僕たち今年はまたすぐ会うことになるんじゃないかな」
駅に着くと、トランクを引っ張りながらロンは言った。
「多分ね。 パパが昔の仲間に片っ端からふくろう便出してるの見たよ。 きっとダンブルドアの組織があるんだろ」
「ああ、それパパとママから僕も聞いた事ある。 かっこいいよな、僕も入れてくれないかな」
「お言葉ですけど、学生の本分は勉強よ! 夏休みの宿題を終わらせてから言うことね」
9と4分の3番線に向かいながら、そんな軽口を叩き合った。
セドリックはもう帰ってこない。
ドラコとはもう元通りになれないのかもしれない。
ファッジはきっとハリーの周囲の人に不利益をもたらすだろう。
シャルロットとも疎遠になるかもしれない。
そして、ジニーはきっと自分のことを恨むだろう。
それらの傷口は未だに新しくズキズキとハリーを苛む。
でもロンとハーマイオニーは隣りに居てくれる。
他のコンパートメントで友達と過ごしていたルーナがまたねと自分に微笑んだ。
遠くでシリウスが手を振っているのが見えた。
ハリーは駆け足で、マグルの世界へと戻って行った。
皆様お久しぶりです。
あけましておめでとうございます…体調にはお気をつけください… (更新遅れてまじですんませんでした)
お詫びと言ってはなんですが、活動報告のところにハリーとドラコの出会いの短編を載せました。本編に入れようとして蛇足かなと思い直しボツにしたものなのですが、興味がある方はぜひどうぞ。もちろん読まなくても本編に差支えはないです!
炎のゴブレット編終了です。エタらないで完走します。多分。