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【深夜の苦悩】能ある鷹、爪を隠しすぎて爪紛失笑【駄文2】

 僕は、満たされなかった。ずっと、"何か"を掴みそこねたまま同じ日々を過ごし、死んでいくのかと思っていた。僕はそれが怖かった。だからその"何か"を見つけるために僕が持っていないものをたくさん持っている、ヒトと関わることから始めた。まずはヒトに認められたことがなかったから、そこから始めようと思った。
 どうすればヒトに認められるか分からなかった(今思えば、分からなかったのではなく、そもそも何も特別なものを持っていなかっただけなのかもしれない)僕は、みんなが持っているものと同じもので勝負するしかなかった。だから、みんなが持っている【学力】を伸ばすことにした。

「僕には、何ができるのか。」
「僕は、本当に必要な存在なのだろうか。」

何度もそう感じた。何も分からないモノ、存在しているかも怪しいモノを見つけるという、すぐに終わるかもしれないし、一生終わらないかもしれない目的を果たす前に自分自身を壊すわけにはいかない。だから資本主義(≒能力主義)の社会の中で自分自身を壊さないようにするため、社会に認められることによって自分自身の姿を明瞭にしていくことにした。だからこそ、認められやすい【学力】にした。

 毎日毎日、学力を、社会における爪を研いだ。ただ、元々爪が鋭い人、爪を研ぐのが格別に上手い人はいくらでもいた。不安感や劣等感に煽られる毎日。やがて手段が目的になり、認めてもらうのに必死になった僕は、自分を認めてほしいと思うあまり、僕は周囲に自分の本当の力を、限界知られることを恐れた。だから、本当はすでに手にしていた爪を隠し始めた。能と爪を得てしまったが故に、隠すことを覚えてしまったのだ。
 元々の勉強する理由が認めてもらうためであったため、もはや本当の学力は関係ないということにやがて僕は気づいてしまった。だから僕は隠し続けた。その時は気づくことができなかったが、すでに脳ある鷹の爪はもうなくなっていたのかもしれない。僕の本当の学力は誰にも分からなかった。いや、正確には僕が分からないようにした。蓋を開けるまでシュレディンガーの猫が生きているのか死んでいるか分からず、生と死の2つの状態で同時に存在していることと同じように、僕が蓋を閉じている限りは僕の学力が観測されることはなかった。その時僕は、バカよりも頭が悪かったが、天才よりも頭が良かった。バカと天才の2つの状態で存在している状態だった。ただ、これは科学的な話ではなくあくまでヒトの感情や主観に依る話なので、"振る舞い"というスパイスを加えるだけであっという間に僕は天才になれた。
 どんなやり方だとしても僕は認められることが嬉しかった。ただ、僕の印象と本当の能力は乖離していく一方だった。そしてある時、印象という僕の偽りの学力は自分の限界を超え、追いつけなくなった僕は無能であることが周囲ヒトにバレてしまった。僕は恥を知った。ただ、周囲のヒトは何も変わらなかった。
 
 そこでずっと僕は間違えていたことに気づいた。僕は他人に認められていたのではなく、他人に認められるように演じている自分を、僕自身が認めていたということに。僕は認められたいという過程を通り、初めて社会に混ざろうとすることができたのかもしれない。今まで社会に馴染もうとしなかった僕にとってはそれが初めての成長だったのかもしれない。自分の認め方が、初めて分かった。
 自分を少し肯定できるようになった僕はその"何か"を掴めこそはしなかったが、少し成長できた。この少しずつの経験と成長を集め、すべての終わりにその"何か"の十人十色の答えを出す。それが人生なのかもしれない。生まれてから初めて、成長と人生の価値を知った僕は、自分にとって正しいと思える答えを出せるのだろうか、そんなことを思いながらもまた同じ日々を繰り返す。日常で経験を埋めてしまう。それが人間。そんな答えを出す者もいるのだろう。


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