乱れた短い金髪が、扇を描くように地面に広がる。
真っ白な首筋までがべったりと血に汚れていた。
セブルスは顔面蒼白のまま、足元もおぼつかない様子でレイチェルの元に倒れるよう座り込んだ。
「レイ! しっかりしてくれ、頼む!目を開けろ! …レイチェル!!!」
悲痛な声で叫ぶセブルスを、シリウスは引き剥がした。
「やめろ、揺らすな! 今すぐ聖マンゴの癒者に連絡する!」
ここまで平静を失ったセブルスを初めて見て、思わずシリウスは拳を握りしめた。
どうして自分の大切な人は皆死んでいこうとするのか、と。
連絡を受けて、聖マンゴ魔法疾患傷害病院にはすぐリーマスも駆けつけた。
しかし、病室にはプリンス一家やフォウリー家の人々が来ていたため、リーマスとシリウスは病室に入ることを遠慮した。
リーマスはやつれた顔で、廊下にある硬いベンチのシリウスの隣りに腰を落とす。
「・・・容態は?」
「一命は取り留めた。 怪我の治療は終わったし、後は目を覚ませば退院できるみたいだぜ」
リーマスは深く息を吐き出した。最悪のことも覚悟していたのだろう。その顔には、僅かに安堵が広がった。
「ジェームズとリリーに続いて、レイチェルまで居なくなってしまうかと思ったよ。 聖マンゴに連絡したのは、君なんだね。 いざという時に頼りになるな、パッドフッド」
「・・・あんなに取り乱したシュリルは初めて見たんだよ。 逆にこっちは冷静になれた」
そう言ったものの、シリウスの唇の端は奇妙にまだ震えていた。多くのことが一気に起こりすぎて体がストレスを感じているのだろう。
何かを振り切るよう、シリウスは立ち上がった。
「どこに行くんだい?」
「帰るんだよ。 レイチェルの容態は落ち着いたらしいし。 これから、ハグリッドがハリーを連れてうちに来るんだ。 魔法省にも行って手続きしなきゃいけない」
「・・・そうか。ハリーを引き取ったら、君もいよいよパパか」
「まさか結婚するより先に、息子が出来るとは思わなかったよ」
漸くシリウスは、小さく笑った。
2人とも、敢えてピーターの話題には触れなかった。
「君ひとりでは何かと大変なことも多いだろう。 私も子育てのことは分からないけど、困ったことがあったら言ってくれ。 力になるよ」
穏やかなリーマスの言葉に、シリウスの目尻に涙が浮かぶ。彼も参ってるはずなのに、こういう時のリーマスの穏やかな声というのはとても効いた。
シリウスは慌ててガシガシと手の甲で目元を擦る。
「ありがとな! まあ、大丈夫だろ。 目が覚めたらレイチェルにも手伝ってもらうさ!」
シリウスは努めて明るく言ってみせた。
「うん、そうだね。彼女なら、きっと文句言いながら手伝ってくれるよ。」
「また連絡するよ。じゃあな、ムーニ・・・・・・」
シリウスは途中で口を噤み、寂しそうに笑った。
「いや、もう俺たちは…あの頃に戻れないんだよな。 じゃあな、
リーマスは一瞬、言葉を失った。
青春時代の宝物のようなそれは、あまりにも眩しかった。狼人間で友情なんて諦めていた彼には特に。家族から愛されず家を飛び出した彼にとっても特に。
当然のごとく絶対を信じていた友情は、今や昏い光を纏って自分たちを苛んでいた。
「確かに、ジェームズもリリーも死んだし・・・ピーターは捕まったよ」
リーマスは意を決したように、ピーターの名前を出すと、言葉を続ける。
「でも、僕もセブルスも君の親友だ。 レイチェルだってすぐに目を覚ます。それに、ハリーだってシャルだって生きている。 ねえ、シリウス。少しずつ、前を向こう」
自分にも言い聞かせるようなリーマスの言葉に、少しだけシリウスの表情は和らいだ。
2人は、レイチェルが目を覚ましたらホッグス・ヘッドで1杯引っ掛けようと約束して別れた。
しかし、いくら待てどもレイチェルは目を覚まさなかった。
目の前の女性の癒者が厳しい顔をしていることから、これからされる話がいい話ではないのはセブルスにも想像がついた。
「あの・・・妻の容態は?」
空気に耐えきれずセブルスが言葉を切り出すと、癒者はクイッと眼鏡を押し上げた。
「…芳しくありません。もう外傷はほぼ治癒していますが、どうやら爆発に巻き込まれた時、頭を強く打ったようですね」
癒者はカルテを眺めながら言葉を続ける。
その固く事務的な言葉は、セブルスに届くまで時間がかかった。
「呪文で負った傷なら治せますが・・・物理的に負ってしまった障害はどうにも。 正直なところ、彼女が目を覚まさない理由が、私たちにも不明なんです」
「つまり、レイは・・・妻はもう助からないと?」
「いいえ、目を覚ます可能性はあります。 しかし、それが明日なのか明後日なのか・・・はたまた10年後か、わかりません。 脳に関わる治療は、マグルの方が進んでいます。 マグル界のトップの医者に見せれば、万に一つの可能性はあるかもしれませんが・・・確証はできませんね」
セブルスは眩暈がして、思わずこめかみを押さえた。
言い換えれば、マグル界の医療のトップに見せても万に一つの可能性しかないなんて・・・そんなの絶望的じゃないか。
マグルの言葉で言えば、植物人間のようなものなのだろう。セブルスもマグル育ちなので、知識として何となくは知っていた。
しかし、まさかそれが自分の妻に起こるなんて。
「酷なことを言うようですが、希望を持ってください。 ミスター・プリンス、貴方の奥さんは死んでいません。 ある日、突然目が覚める可能性だってあるのです」
固い表情を最後まで崩さなかったその癒者は、どこか労しげにそう言った。
セブルスはぼんやりと霞がかかった頭のまま、部屋を出た。すると、そこではダンブルドアが待っていた。
「話は聞いたよ、セブルス。 ・・・どうするかね?君が望むなら、彼女をマグルの1番いい病院に入れよう。 無論、金額は全て騎士団が負担する」
セブルスは少し迷ったが、力無く首を振った。
「マグルの病院に入れるなんて、彼女の両親も私の両親も許さないでしょう。 それに、なかなか会えなくなってしまいます。聖マンゴならいつでも来れますから」
「・・・わかった。 君はこれから、どうするつもりかね?」
闇の時代が終わり、騎士団は解散となる。ちなみに騎士団の殆どの者は、魔法省の闇祓いに就職していた。
「私は・・・魔法薬の研究をしようと思います。 すぐに結果が出るものではありませんが、幸いなことにプリンス家の財産もありますし」
「ふむ、それは良い。 君の祖父エルヴィスも喜ぶじゃろう。・・・提案なのじゃがな、ホグワーツで教鞭をとる気はないかね? ホラスが退職してな、魔法薬を教えられる教師を探しているのじゃ」
ずっと主席だったセブルスの成績を知るダンブルドアは、期待を込めてセブルスに訊いた。
予想だにしない提案にセブルスは面食らったが、すぐに首を振った。
「・・・有難いお話ですが、今は魔法薬の研究に専念したいのです。 それに私は自分が教師に向いているとも思いませんし」
ダンブルドアは残念そうな顔を隠さなかった。そして、諦めきれないとばかりに言葉を続けた。
「それでもよいのじゃ。 魔法薬の研究を優先にしてよい。 副業として、やってみる気はないかね? 君が研究を優先したい時には代理を立てよう」
そこまで食い下がられ、セブルスは逡巡した。
「時が来たら君の娘も勿論じゃが、ハリー・ポッターが入学する。わしの本音を言うとな、見守ってくれる教師が欲しいのじゃ」
闇の帝王は、確かに消滅した。
だが、ダンブルドアによると再び戻ってくるという。
そこまで言われ、とうとうセブルスは頷いた。
「わかりました。 しかし、条件があります。私がプリンス家の者だということは伏せて頂きたい。 これは魔法薬の研究でも考えていたことなのですが、エルヴィス・プリンスの孫として評価されるのが嫌なのです」
祖父の七光りではなく、自分の実力で魔法薬の研究に携わりたい。
これは前々から思っていたことだった。
「あいわかった。・・・ふむ、それならセブルスが忙しい時の代理とスリザリンの寮監を兼任してくれる人はおらんかのぅ」
セブルスの頭に、1人思い浮かぶ人物がいた。
彼もまた学生時代は秀才で通っていたし、何より血筋も良いのでスリザリンの現生徒にも受け入れやすいだろう。
「・・・1人だけ思いつく人物がいます」
プリンス家本邸。
どこまでも沈みきった雰囲気のその家で、赤ん坊だけは変わらず、父の帰りを喜んだ。
「うー!」
セブルスはシャルロットを力強く抱きしめた。シャルロットはきょとんとしたまま、声も出さずに涙をこぼすセブルスを見つめている。
「…大丈夫だ、シャル。 おまえのことは何があっても私が守る」
シャルロットは父と同じ、闇夜を思わせるような真っ黒な瞳を瞬かせる。だが、まだ短いながらも生えてきた髪は、母譲りの美しい透明感のある金色だった。
「貴方にだけ辛い思いはさせませんよ、セブルス。レイチェルに代わって、私がシャルロットの母親代わりになりますとも」
目を真っ赤に泣き腫らしたダリアはそう言って、気丈にも微笑んで見せた。
「聖マンゴで一番良い癒者をつけさせる。 無論、部屋も一番良い個室を用意させるからな」
憤慨したように、エルヴィスもそう言った。
どうやらアブラクサス・マルフォイの伝があったらしく、この数時間後には聖マンゴで一番腕利きの癒者と、最上階で人目につかない広い個室が宛てがわれた。
ちなみに余談ではあるが、ルシウス・マルフォイからも直々にお見舞い用の大きすぎる花束と、セブルスのおかげでアズカバン行きをスムーズに逃れられた旨のお礼の手紙が届いた。
セブルスはシャルロットの柔らかな肌に頬ずりをした。
レイチェルが目を覚ますまで、絶対に自分たちがこの子を守るのだと強く心に誓う。
セブルスは流れる涙をそのままに、シャルロットの額に優しくキスを落とした。
同じく、こちらもまだ幼い赤ん坊が居るブラック邸。
右も左も分からない子育てに奮闘するシリウスの元に、少し疲れた顔をしたリーマスが訪れた。
酒を飲んだらしく、よろめきながら高そうな刺繍の施されたソファに体を埋めた。
「・・・また上手く行かなかったのか」
「あぁ。 そう簡単に人狼を雇ってくれる職場なんてないさ」
魔法省の闇祓いに就任したシリウスとは対照的に、リーマスはいつになっても職が定まらなかった。
自嘲的な笑いを浮かべるリーマスに、シリウスは水を差し出した。リーマスは礼を言うと、それを一気に飲み干した。
「しかし、君もせっかく家出したのにまたこの家に戻ってくるとはね」
「俺1人なら前住んでた小さいアパートで充分なんだが、ハリーが居るからな。 この子には何不自由させたくないんだ」
シリウスは愛おしげに、親友の忘れ形見のハリー・ポッター、否。ハリー・ブラックを見つめる。
正規な手続きを踏んで、無事に義父となったシリウスは再びこのグリモールド・プレイス12番地へと戻ってきた。
セブルスの口利きで、ホグワーツに就職したレギュラスは変わらずプリンス家の別邸に住んでいる。
シリウスは弟のことを許していないし、弟は闇の勢力に恐れをなして、こちらに慌てて寝返ったのだと信じている。
セブルスはおそらく自分の弟だからという理由で情けを掛けたのだろうが、シリウスはそんなものは不要だと考えている。
肉親の情は全くないし、彼もまたピーターと同様アズカバンに行くべき人物だと考えていた。
「んぅ・・・ひっく・・・!」
赤ん坊の愚図る声で、シリウスは物思いから抜け出した。
「旦那様、ミルクをお作りしますか?」
屋敷しもべ妖精のアンが、小走りでこちらにやってきたので、シリウスは頷いた。
レギュラスが生きているのをいいことにクリーチャーを向こうに押し付けると、シリウスはすぐに新しい屋敷しもべ妖精を雇った。
純血思想を持っていない屋敷しもべ妖精と初めてまともに接したシリウスは、屋敷しもべ妖精がいかに主人や家風に染まりやすいのかを知った。そして、少しだけクリーチャーに強く当たったことを反省した。
しかし、結果としてクリーチャーもレギュラスに懐いていたので、一番良い形に収まったとも言えるだろう。
ハリーはアンの手から美味しそうにミルクを飲んでいる。
稲妻形に刻まれた傷はまだ新しく、無垢な顔と対照的に痛々しい。
「・・・さて、私もそろそろ帰ろうかな」
酒気が抜けたらしいリーマスが、おもむろに立ち上がった。
「無理はするなよ、リーマス。 本当に困ったら、俺かセブルスを頼れ。 仕事を紹介出来ると思うからさ」
「ありがとう。 ただ、もう少し自力で頑張ってみるよ」
リーマスは少し吹っ切れたように、にっこり笑ってみせると暖炉の中へと消えて行った。
こうして忙しいながらも、暫し穏やかな日々が過ぎていく。
ある者は、子育てに追われ。
ある者は、魔法省で身を粉にして働き。
ある者は、魔法薬の研究で多大な成果を上げて。
ある者は、ホグワーツで教壇に立ち。
特に大きな事件もないまま、緩やかに時間は経っていった。
長い長いプロローグだった。(白目)
次回から賢者の石編、つまり原作軸に移ります。
ハリポタ原作も買ったし、読み直しながら並行して頑張って書いていきます。
9月12日、日刊ランキング入りしました!
いつも評価、感想とても励みになっております。ありがとうございます。