この手の生地と色合いのバッグ
はカブや荒地走破系の二輪には
合うが、ストリート系やスポー
ツオートバイには全く合わない。
くそださくなる。本当にくそダ
サさい。芯からくっそださい。
ストリート系のオートバイでも
スクーターであっても、上掲系
のバッグは全く似合わない。
オリーブドラヴカラーとコット
ンサドルバッグはストリート系
二輪のモデルにマッチする小粋
さが無いからだ。装着した瞬間
にダサダサになる。タキシード
着て靴はゴム長みたいなように。
やはり、バッグ等はその二輪に
マッチする物を選びたいところ。
サイドとリアのバッグ類も洒脱
感は重要な二輪のビジュアル決
めの要素になってくる。
ビジュアル的なものと機能性を
融合させる事こそがダサさとは
無縁になる。
こうではなく、社外リヤトップ
ボックスなどにすると、たちま
ちクソダサに転じる。
それはほぼすべての二輪におい
て。軸線よりもかなり後ろの
上方に荷物置きを設置する事
自体が二輪車を舐めすぎだが、
見た目もとんでもなくダサい。
SSにさえ着けているケースも
あるが、それはその人なり。
アンタッチャブルが正解だ。
本人はとても格好良いと思い
込んでいるのだから。BE-BOP
の夕焼け番長編の転校生のよ
うに。そっとしとくのがいい。
ただ、ダサいもんはダサい。
ダサいのにカッコいいと思い
込んでそこから抜け出さない
のがこれまたダサさを促進さ
せている。
なお、リア積載は、後輪タイヤ
の上、リヤシートの上等に配す
る場合のバゲッジは運動性能も
さほど損なわないので大ありだ。
後輪から外れた後方で、かつ
かなり上部に置くキャリアボッ
クスは、二輪の運行上もとても
も危険。この物理的事実は二輪
車の特性上動かしがたい。
その事実現実は実用実走行面で
のファクターだが、ヴィジュア
ル的云々も格好悪いが、物理特
性とそれが合体した時、くそ
ダサさが確実に増幅する。
二輪車をただの直線運搬車両
に転落させるからだ。
全くもってスマートではない。
二輪の運動特性と独自挙動を駄
目にして、見た目もダサダサ。
クソダサの極致がトップボック
スだ。
そしてトップボックス設置者は
ほぼ全員が乗れていない、二輪
の操作操縦とは無縁の人たち。
乗れている人たちは積載位置を
リヤシート上方に持ってくる。
その場合は、例えカブに木箱を
詰もうが、買い物かごを積もう
が、全くダサくはならない。
走行上の実用性から乖離して
いないからだ。
カブに牛乳配達レトロ木箱な
どは、ダジャレ系のおとぼけ
センスさえ見せたりもする。
キックペダルに自転車のペダル
踏み部分を着けるのもそれに
類する「遊び系」として活き
て来る。
だが、剣さばきの流麗さと全く
同じで、真の実用性が重要な
要素として加味されると、そ
れは極めてダサさとは無縁に
なって行く。
道におけるその妙。
日本刀がそれを帯びる人を表す
のと全く同じで、二輪車は乗る
人を表す。
バイクがダサいのは、バイク
本体がダサい(場合もある)の
ではなく、それは乗る人なり
でどうにでもなるという絶対的
な定理が存在する。
キーポイントは人がどうか、だ。
そういうのは服装や着装様態と
同じで感覚と美的センスの問題
なので、野放図感覚だと光るも
のとは無縁になる。
また、多くの物を見て、勘所を
得て、よほど自覚的にセンスを
磨かないと、冴えないドボンの
ダサさまっしぐらになるのは必定。
決まっている人は、オートバイ
一つとっても、キラリとした
センスと淡々としたサラリとし
た洒脱感を持っている。