「最初は半年間だけ日本で稼いで帰るつもりだったの。親の借金を返済しなきゃいけなくて」
イタリアバンドのバンマスだった叔父から歌い手として誘われ来日したのが1967年のこと。
「17歳になって2カ月後だった。お給料は月10万円。大卒初任給が2~3万円の時代だから、超高給でしょ。ところが当時は外国人には簡単に部屋を貸してくれないわけ。ようやく見つけたのが六畳一間で家賃4万円」
今のように安いイタメシ屋さんもない。
「日本の食事も合わなくて、インスタントラーメンの麺にバターとチーズをからめて食べてました。とにかく滞在費がかかってお金がなかなかたまらなくて、もう半年だけ頑張りたい、と叔父に期間を延長してもらったわけ」
運命とは不思議なもの。その間に、日本人男性歌手とのデュオ企画が持ち上がる。
「ヒデと会った瞬間、ああっ! この人は私の旦那様になる! って感じた。頭の中で鐘がガンガンゴンゴン鳴り響いたから(笑)」
68年、ヒデとロザンナとしてデビュー。当初A面だった『何もいえないの』ではなく、B面だった『愛の奇跡』が突如九州・佐賀の有線から火がつき大ヒットとなる。
「全国キャンペーンが始まると、寝る暇がないほど忙しかった。最初の1年で20キロ痩せました。食事は合わない、言葉はしゃべれない。ただ、好きな彼と一緒にいられて嬉しかっただけ」
75年には結婚し、2男1女に恵まれる。
「出会ってから結婚までに6年半。私のほうから手握ったりして(笑)。日本の男性はシャイだからコッチからいかないとダメだと聞いたから、あの手この手で、なんとか無事結婚した感じ」
だが90年、47歳の若さで出門英さんは結腸がんで死去する。
「男として一番いいときだったから…後から思えば『腰が痛い』『お腹が痛い』と、前から言ってたんだけど。医者嫌いで…気づいたときにはリンパ節に転移して」
先月17日に23回忌の法要を済ませたばかりだ。
「親戚が大勢集まってくれて、湿っぽくなく和気あいあいとしたいい法要になりました。振り返ってみると、半年のつもりだったのに、ふと気がつけば45年(笑)。人生って面白い!」
■ロザンナ・ザンボン 1950年イタリア・ヴェネト州生まれ。68年ヒデとロザンナ結成。90年、夫の出門英さん死去後はソロ歌手、テレビタレントとして活躍中。
この18日には完全版とも言うべき47曲入り『ヒデとロザンナ ゴールデン☆ベストベスト』(コロムビア)が発売される。
イタリア料理にも造詣が深く、彼女の母親のレシピを取り入れたロザンナのオリジナルパスタソースも発売中だ。