様々な声を頂いたので、これまでの自分の体験とヤングケアラーの相談支援に取り組んできた立場からの考えを述べておきますね。考えの違うご意見なら当然受け止めますが、事実に基づかない誹謗中傷も多いので、それはやめてくださいね。
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そもそもヤングケアラーは全てが「親の介護をさせられている可哀想なこども」ではありません。親の通訳をしたり兄弟の面倒を見たり、様々なレイヤーがあります。必要としている支援の量・質も全く異なります。ケアが自分のアイデンティティの一部となっているケースが多いことも注意が必要です。あまり深く考察されない方も多いようなので簡単に申し上げると、ヤングケアラーの存在が問題なのではなく、ケアによって孤独感を深めたり、睡眠な勉学の時間が制限され、進学・就職の機会等が奪われている事が問題なのです。
「ヤングケアラー」という言葉の中に幅広いレイヤーが存在し、かつ操作的定義が曖昧な中で、介入が必要なケースを支援側が早期に発見する事と、本人が望んだ時に何の障壁もなく支援に繋がる仕組みを両立する必要があります。後者を実現するための大きな障壁の一つが相談をためらう「スティグマ」です。「ヤングケアラーは可哀想」「なくさないといけない存在」といった言葉は社会に対する問題提起としては有効でも、自らの存在意義が揺らいだり、可哀想な存在とは見なされたくないから助けを求めないという状況を生んでしまうという危険性があります。
国の指針で示されている地域包括支援センターや民生委員を活用する仕組みでは不十分です。我々が提言も行ってきた1人1台端末を活用した早期発見の仕組み、民生委員改革にも取り組む必要があります。
ヤングケアラーやビジネスケアラーは人間です。SNSの世界で政治批判や社会問題の論評を行なっている方に届くか分かりませんが、「ヤングケアラーはなくせば良い」という簡単な問題ではないのです。当事者や支援に携わる人の中でも様々な意見や哲学がありますので、正解はありませんが、私がヤングケアラーの現状を様々目にしてきた中で辿り着いた1つの考え方です。
引用
大空幸星 / OZORA Koki
@ozorakoki
ヤングケアラー支援がキャンプだけなら問題だが全体の一部。ケアから離れて自然と触れ合ったり、当事者間の交流機会を作ることは孤独を防ぐ意味でも重要。「ケアをしている可哀想な存在」という押し付けが声をあげづらくさせてきた。ヤングケアラーをなくそう思想は危険です。yomiuri.co.jp/politics/20240
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