剣豪との戦いから一夜明けてもなお、誰一人としてアジトに帰ってこなかった。
起きて早々どこか寂しげな風真は、大きくため息を吐く。
「うぐぅ、あのおじいちゃんから何か聞いておけばよかったでござるぅ……皆殿どこへ行ったでござるかぁぁぁ!!?」
昨日の戦闘で散らかしてしまったアジトで風真は箒を片手に握りしめ、帰ってくる様子のない総帥達に向けて叫ぶ。もちろん、そんな嘆きは届くはずもなく……。
しかし埃は風真の喉に届いたらしく、ゲホゲホと強く咳き込んだ。
掃除をしようにも、沙花叉が散らかすよりも散らかってしまった部屋だ。
割れたガラスに、コップは飲みかけだったらしく破片と一緒に床に零れている。さらには吹き飛んでバラバラになったよくわからない書類(主に鷹嶺や博衣のもの)や、ゲームソフトにコントローラー(主にラプラスや沙花叉のもの)、などなど……いろんなものが散乱しており、一人で片付けるには骨が折れる。
「うー…………掃除やめっ! 中断でござる! やはり総帥達の捜索が優先! 決して……決してっ! 一人で掃除するのが面倒だからとかではないでござる! うん!」
もう誰もアジトに潜入していないのに、一体誰に弁解しているのか。風真は間髪入れずに箒を放り投げると、愛刀のチャキ丸を携え、アジトを後にした。
……直後、holoXのパソコンに一通のメッセージが送られてきたが、既に外へ出てしまった風真が気付くことはなかった――。
『総帥が拐われたようなので今夜の焼肉パーティーは中止になりそうです。食いたかったら仕事しな! by,鷹嶺ルイ』
* * * *
「さて、と――」
ビルの屋上から
その瞳は黄金、あるいは琥珀のような赤みがかった黄色で、レティクル模様が浮き出ている。
その自慢の〝ホークアイ〟を活用し、敵の策略によって散り散りになってしまったらしいholoXメンバーの発見に専念していた。
青空は雲に覆われ始め、遠雷が響き渡っている。
雨に濡れたくはないと思いつつ、ちらりとアジトに目をやった。
「いろははアジト……って出てきちゃったか〜。メッセ飛ばしたけどちゃんと見てくれ
誰も聞いていないのにダジャレを挟みつつ、ホークアイで街を鳥瞰し続ける。
「総帥、あと沙花叉は未だ発見出来ず……全く、どこほっつき歩いてるんだか。……おっ、博士はっけーん!」
しかし、発見直後に鷹嶺の視界が一面白銀の世界に変わり果てる。
どうやらholoXの研究者、博衣こよりは交戦中のようだ――。
* * * *
「くっ……そ! なんだこれ冷てぇな!? 氷か!?」
「急に凍りやがったぞ!? テメェなにをしやがった!!」
足元が凍結し、身動きが取れずにいるゴロツキ達に、博衣は不敵な笑みを浮かべる。
「これこそが〝holoXのずのー〟であるこよの力! 《瞬間凍結薬》! この液体は外気に触れると空気中の水分を一瞬で凍らせてしまうのだ! ただし乾燥してると効果は薄いよ!」
そんなことを得意げに敵に話してしまう自称・holoXの頭脳は、指に研究者らしい試験管を挟み込み、凍りついたゴロツキ目掛けて投擲する。
ゴロツキの足元、凍った地面に試験管が落ちるとガラスは砕け、中の赤黒い液体がぶちまけられる。これは《液体爆薬》。博衣の手持ちで一番殺傷力の高い武器だ。
……一番殺傷力があるとはいえ、その爆発力はグレネードよりも低い。精々、真っ黒焦げになってアフロヘアーに早変わりし、体が吹っ飛び気絶する程度だ。打ちどころが悪ければそのままポックリ逝ってしまうだろう。
液体が外気に触れ、直後に閃光するとゴロツキ二人を吹き飛ばす。もちろん二人ともアフロだ。しかし、博衣はまだ安心出来なかった。
(敵、多すぎ……!)
とりあえず二人を戦闘不能にしたものの、後ろにはまだ筋肉ダルマに細身のナイフ使い、その他もろもろ、いかにもザコ敵といったような風貌の集団がこちらを睨んでいる。
ザコ敵とはいえその数ざっと二十人。一人で相手にするには多すぎるうえに、戦闘向きではない博衣にとって数で押されると反撃が難しい。
「女の子に寄って集って、恥ずかしくないんですかぁ!?」
「まず頭から潰せって上からの命令だ。お前、頭脳なんだろ? 頭が切れる奴は早めに潰しておくに限るってことだろーよ」
「くっ……ごもっともです! 自分が天才なのが憎い!」
「……お前喜んでないか?」
「喜んでないですよ、気のせいです」
敵に褒められた気がして、博衣は嬉しさが顔に出てきそうになるのを堪え、白衣の裏からオレンジ色の試験管を抜き取る。
手持ちの試験管は残り六本。液体爆薬が三本と、瞬間凍結薬が一本。そして身体強化薬が一本に、調合に失敗して出来たただのドロドロ液体が一本……とてもじゃないが二十人の敵をどうにか出来る装備じゃない。
(よりにもよってなんで失敗作なんて持ってるのこよ! 強化薬二重掛けとかすれば逃げられたかもしれないのにぃ! こんなローション、足止めにもならないよ! いっそ『ローションカーリングでもしよーぜー!』って誘ってみる?! あほかぁ!)
しかし、それでもやらなくてはこの場を切り抜けられない。
どうにか手持ちの六本……いや、内一本は使い物にならないだろう。五本でなんとか逃げ切らなければ。
「敵の全滅はまず99%不可能だけど、半数なら削れるかな……? みんなの助けは……まぁ多分同じ状況に陥ってるだろうから期待出来ないか……なら……」
「何ブツブツ言ってんだ! その尻尾ブツ切りして食っちまうぜぇ?」
ナイフをチラつかせ、アスファルトに靴を擦らせながら迫ってくるゴロツキ共を無視して、博衣こよりは空を見上げる。空は、黒い雲で充分に満たされていた。
すると博衣は苦悩の表情から、空と同じ色の笑顔に変わる。
「――五分で片付けてあげますね♪」
暗黒微笑でそう宣言し、たった一本しかない身体強化薬を口にする。
エナジードリンクのような味がほんのりと広がり、飲み込むとさっぱりとした後味と共に体がゾクリと震え上がる。毛が逆立ち、体がじわりじわりと熱くなっていくのを感じながら、博衣は上着をゴロツキに向かって投げつけた。
「もがっ――グヘェアッ!?」
そうして上着が覆いかぶさって藻掻くゴロツキの一人に、博衣は膝蹴りをかますのだった。
「こ、こいつ研究者なんじゃ……!?」
「はっはーん。研究者だから動けないとでも思ってましたかぁ? でも残念。こよは動けるタイプの研究者! アイムコヨーテなのです!」
続けて、両手を地につけると下半身を勢いよく起こし、思いっきり敵の顎を蹴りあげた。
そのままくるりと後転して体勢を立て直すと、ナイフを振り回すゴロツキの脇腹を突き、続けざまに二の腕の内側を殴り上げてナイフを落とさせ、頭部に回し蹴りを決める。
――だが、既に呼吸が乱れてきた。
身体強化薬の効果時間は三分。というのも、力を無理やり引き出すこの薬は一時的と言えど負荷が大きい。使用中は呼吸は荒くなり、効果時間を過ぎれば重めの筋肉痛が待っている。
(でも、それがむしろちょうどいい……!)
博衣は尚も、体術を用いて敵をなぎ倒していく。
ポツリ、ポツリと、博衣が繰り出す打撃に釣られるように雨粒がアスファルトを濡らし始めている。
「こいつホントに頭脳タイプか!?」
「相討ち覚悟であの爆発するやつ壊しに行くしか……!」
「でも迂闊に近付けねぇ! なんとか薬を無駄遣いさせ――――」
「それなら……ほいっ! どーぞです!」
そんなことを話しているゴロツキ三人に、博衣は言われた通りの液体爆薬をプレゼントする。
「「「ちょま」」」
断末魔は短く、閃光の後に三人仲良く吹っ飛んだ。
「街路樹も使わせてもらおうかな! とりゃ!」
傍にあった街路樹の根元を狙い、二本目の液体爆薬を投げる。
爆発し、木片と土が散る中で街路樹が倒れ、ゴロツキ達を押し潰した。これで半分以上は倒せたが、ちょうどその時、なんと身体強化薬の効果が切れてしまった。
「うっ、えぁぁぁぁぁ……」
一瞬のめまいに足がふらつき、力が入らなくなって思わず膝を折る。腕が重い。痺れるような痛みで思うように上がらない。
――リアルな演技をするより、実際にそうなった方が相手を騙せるだろう。
「急に大人しくなった……?」
「薬の効果が切れたんだ! チャンスだ!」
博衣が突然弱ったのを良いことに、ゴロツキ共はまとまって、一斉に襲い来る。
――そうだ。全員で来てくれれば助かる。
弱りきっていた博衣を慰めるかのように大粒の雨が降り始め、瞬く間に水溜まりができ、側溝が雨水で溢れかえった。
――博衣こよりの笑みはまだ消えていない。
「観念しろ、ピンクコヨーテ!!!」
それぞれが武器を振り上げた、その瞬間――白い息を吐いた。
「……? な、んだ……さむ――――」
一人が凍りつく。
連鎖するように、他のゴロツキも次々と凍ってゆく。
雨に打たれながらゆらりと立ち上がった博衣は、ニヤリと笑う。
「瞬間凍結薬は空気中の水分を凍らせる液体……雨が降れば、その効果は説明するまでもないっ!」
大雨による湿気で効果範囲が拡大する瞬間凍結薬でゴロツキ達を一斉に凍らせること――それが博衣こよりの狙いだった。
見事にほぼ全員がカチコチに凍ったが、まだ二人ばかり残ってしまっていた。
酷い筋肉痛で逃げることもままならない。残った液体爆薬を確実に当てられればいいのだが……。
「してやられたが……どうやら投げ方をミスっちまったようだなぁ!」
「ただでは地獄に送らねぇぞ!」
挑発するように拳を握りしめる二人を前に、博衣はふらついた足取りで近寄っていく。
しかし、なんとか立てている状態だ。反撃は難しく、この距離で液体爆薬を使えば自分自身も巻き込まれてしまう。だから――
「……この薬、失敗作なんです」
「あぁ?」
「調整を間違えてしまいまして、この粘液に触れると木も鉄もドロドロに溶かしてしまうんです。……もちろん、人体もドロドロに……」
そんなことを言うと、おもむろに失敗作の中身をぶちまける。ゴロツキ二人、そして自分にもかかってしまっていた。
「なっ!? テメェんなもんぶっかけるとか、正気か!? しかもテメェまで!」
「くそ! 道連れにする気かよ! は、早くこの粘っこいの流せ! 雨ん中だ、流せばまだ間に合うだろ!?」
「お、おう!!」
しばらくしたら自分の体が溶けてなくなることを告げられ、パニック状態に陥ったゴロツキ二人は、水溜まりの水を頭からかけて薬を落とそうとしていた。
そんな二人に、博衣はケラケラと笑いながらこう言うのだった。
「ウソです♪」
「「……は???」」
刹那、二人は笑いながら液体爆薬を投げた研究者を背景に、目の前で炸裂した液体爆薬によって吹き飛んだ。
アフロヘアーはローションまみれだった。
「当然こよなら本当にそんな薬作れちゃいますけど、holoXは財政難なんです。うちの幹部サマがお金出してくれたらな〜」
事前に瞬間凍結薬の効果を説明し、全く同じ効果を実際に見せることで自分の発言に信頼性を与えた。それにより、ゴロツキは博衣の切り札……その名も『ハッタリ』を信じきって、ただのローションを必死で洗い流そうとした。
パニックになった時の人の行動はいつも一方的だ。これならば距離を空け、狙いを定めて投げつけることも容易に出来る――というわけだ。
「おつこよでした〜っと。ここは片付けたし、早くみんなのところに……行か……ない、と……」
「――おっと、危ない」
副作用と、戦闘終了による安心感も相まって完全に力が抜け切り、その場に倒れようとした博衣だったが、駆けつけてきた鷹嶺がギリギリ、倒れる直前にキャッチして抱きかかえる。
「お疲れ様、こより。それにしても沙花叉の奴どこ行ったんだ……。いろは! こより頼んだ!」
「了解でござる! ……ふぁぁ、耳ふわぁでござるぅ……♪」
鷹嶺と合流していた風真は、博衣を受け取ると垂れ下がったケモ耳に頬擦りする。それを横目に、鷹嶺は表情を綻ばせるが、すぐに身を引き締めてホークアイを発動した――。