ナッツリターン事件 当事者となり会社を訴えたチーフパーサーのその後
2014年に起きた、財閥会長の長女が大韓航空機のファーストクラスで難癖をつけ客室乗務員を怒鳴り散らし、さらに飛行機を戻し、その上司であるチーフパーサーを機内から降ろしたナッツリターン事件。
今回、そのチーフパーサー パク・チャンジンが当番組の取材に応じてくれた。被害にあった客室乗務員の取材、裁判資料、韓国メディアの報道をもとにこの事件を再現ドラマで紹介した。
1996年、客室乗務員として大韓航空に入社したパク・チャンジン。入社してわずか3か月、韓進グループの会長・つまり財閥のトップに君臨していたチョ・ヤンホが乗る便の担当となった。一族が乗る便に選ばれることは大変名誉なこと。すなわち出世への道なのだ。
そして財閥ファミリーの便に乗る前には当時、恒例の教育を受けなければならなかった。ワインの特性や機内の音楽ボリュームなど、会長が乗るまでの3日間、対応を熟知した責任者たちからの講習が続く。
フライト当日、パク・チャンジンはまだ新人なので会長とは会わないエコノミー席の担当であったのだが、機内で会長と遭遇。しかし初めて見る会長にすぐに気付かず。何も言わず会長は去っていってしまった。しかし搭乗後には特におとがめはなかった。
2013年、大韓航空は経営陣を一新しグループ会長チョ・ヤンホの長女チョ・ヒョナ、のちにナッツリターン事件を起こす彼女が大韓航空の副社長になった。チョ・ヒョナは客室乗務のトップに。さらに長男、二女含め会長の3人の子供たちが重役となり、まさに一族で固められた。
そしてパク・チャンジンは優秀な客室乗務員に成長しており、最年少でVIP対応の国際線客室乗務員に抜擢されると、チーフパーサーとして世界中を飛び回る日々を送っていた。
なおチョ・ヒョナが副社長になってからマニュアル変更の数が一気に増え、多い時で週に10個以上変わったこともあったという。そんな中アメリカ・ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港発仁川行きにチョ・ヒョナが搭乗することとなった。
当日、ある客室乗務員が水を用意した際に合わせてナッツを持ってきたが、その際に袋で提供した。チョ・ヒョナが「このようにサービスするのが正しいのか?」と聞くと、「マニュアルにそってサービスしております」と担当乗務員。「じゃあ、そのマニュアルを持ってこい」とチョ・ヒョナ。
担当乗務員は、すぐにチーフパーサーのパク・チャンジンに事情を伝えた。ナッツ提供の際のマニュアルは、お客様に食べるか聞き、食べると言われたお客様には袋から出し小さな器に入れてお出しすると最近変わったばかりだった。つまり、担当乗務員の行動は間違っていなかった。
最新のマニュアル変更はタブレットPCにしかないため、パク・チャンジンはタブレットを持って行った。「ファイルを持ってこい」と言われファイルにはない事を伝えるが、チョ・ヒョナは、「私がいつタブレットなんか持って来いって言った!」「お前、そこでマニュアルを探してろ」と言い放ち担当乗務員にマニュアルのページを探させた。さらに「飛行機を今すぐ止めろ!この飛行機は飛ばさせない!今すぐ機長に連絡しろ!」といい、この怒りの声は、後部座席の方まで聞こえたという。
パク・チャンジンが機長に事情を説明すると、もう一度きちんとご説明してみてはという答えが。改めて説明に向かうが、チョ・ヒョナの間違いを決定的にすると立場がなくなると思いタブレットは見せなかった。
担当乗務員に飛行機を降りるよう迫るチョ・ヒョナだが、ここで状況が一変。さっきはあえて見せなかったマニュアルの事項を別の乗務員が見せたのだ。提供の仕方が正しかったことを知ると「チーフをここに呼んできて!」「お前が最初からちゃんと答えられなくて、あの女性乗務員だけが怒られたじゃない。だから責任はお前にあるわよね」「だから、お前が降りろ!」と怒りの矛先はパク・チャンジンへ。
この時、ファーストクラスにいたもう1人の客は機内の様子を友人にメッセージで送っていた。
機体を戻す権限は航空法で機長のみにあるのだが機体は搭乗口に戻ることに。最終的にパク・チャンジン1人が降ろされ、チョ・ヒョナの怒りは収まった。11分遅れでの出発。ニューヨークに取り残されたパク・チャンジンは、翌日の便で韓国へ戻された。
翌日、韓国へ帰ったパク・チャンジンは本社に呼ばれた。そこにいたのは副社長、チョ・ヒョナの右腕と言われている常務だ。「今回、機体を戻すことになった経緯書を作成してください。国土交通部に出さなければいけないので」という。そしてチョ・ヒョナの常軌を逸した行動は経緯書に入れるなということだった。他の乗務員にも真実は口止めされ、嘘の経緯書が作られていく。
経緯書の内容は会社側の言い分に全て書き換えられた。「チーフパーサーの業務が未熟だったことで副社長から指導が入り、それに対して、私が機長と協議して自ら飛行機を降りました」というもの。すべての責任をチーフパーサーに押し付けたのだ。
しかしある新聞記者がネタ探しにネットの掲示板を見ていると、誰がアップしたのか定かではないが機内で起こったことが書き込まれていたことを発見。財閥がらみのスキャンダルだとすぐに記事にした。この理不尽な行動に他の韓国メディアも飛びつき報道されることに。
これらの報道に対し大韓航空側は、降りるよう指示したのはチョ・ヒョナだということは認めたが暴言や暴行は認めなかった。パク・チャンジンは国土交通部の事情聴取を受けたが、会社が作ったシナリオ通りの供述をした。
この時国土交通部の一部職員と大韓航空は癒着関係にあった。実は、大韓航空会長の妻は元国土交通部・次官の娘。大韓航空と国土交通部は、密接な関係があり元大韓航空の職員がたくさんおり、嘘の経緯書でも押し通せると思っていたのだ。
一方大韓航空は、ファーストクラスに乗っていた乗客に「大韓航空側からの謝罪は、十分受けたと、必ずお伝えいただけますか?」と電話をしたという。
しかしどんなに隠蔽工作を図ろうとしても、あの日乗っていた大勢の乗客たちを黙らせることはできず、韓国メディアも連日報道。飛行機を私的な感情でUターンさせるのは航空法違反だとさらに追及。するとチョ・ヒョナの父であり、韓進グループ会長であるチョ・ヤンホは「国土部と検察の調査結果に関係になく、チョ・ヒョナを大韓航空副社長職はもちろん、系列会社理事・取締役などすべての席から退かせることにしました」と、娘の退陣を表明せざるを得なくなった。
全ての肩書きを失ったチョ・ヒョナだったが素直に罪まで認めるつもりはなかった。チョ・ヒョナが法的にも問題にならないよう、何度も経緯書の改ざんは行われた。
パク・チャンジンは悩みに悩んだ結果、会社を辞めず財閥と戦うことを決めた。「書き直しの指示がありました」とテレビで隠蔽工作があったことを明らかにしたのだ。
その勇気ある行動に世論の批判も高まり、財閥と政府の癒着関係まで明かされ、チョ・ヒョナは、メディアの前に姿を現さざるを得なくなった。しかし改めて暴力や暴言は否定した。
その後韓国の検察が捜査に乗り出し、関係者が呼ばれ調べられた。ファーストクラスに乗っていた唯一の乗客がその時の行動を証言。今度は、この検察の調査で出頭したチョ・ヒョナはもう逃げられないと覚悟したのか多くのメディアの前で謝罪。
検察は、チョ・ヒョナの暴言・暴行の一部を確認したと発表。チョ・ヒョナに航路変更罪、暴行罪、強要罪、業務妨害罪の4つの容疑で逮捕状が請求された。チョ・ヒョナの右腕だった常務にもパク・チャンジンに偽りの陳述を強要し証拠を隠滅した件で逮捕状が。さらに大韓航空と癒着していた国土交通部の職員も、調査内容を大韓航空の常務に知らせた公務上秘密漏洩で逮捕状が請求された。チョ・ヒョナはナッツ姫と呼ばれるように。
さらに韓国内で驚きのことが起きる。財閥ファミリーを倒せと様々なことがリークされ始めた。まずは、チョ・ヒョナの母親、つまり財閥の会長夫人の専属運転手に対するパワハラ。
さらにはこんなことも。チョ・ヒョナについては携帯メッセージが検察の資料として公開されたのだがそこには、妹からの「今回の事件は必ず復讐して、姉の仇をとる」という文面が。これで、さらに激しい韓国国民の反感を買うことに。
一方、チョ・ヒョナの理不尽な行動の真実を話し会社に残って財閥と戦うパク・チャンジンについては、社内掲示板にありもしない悪口がいくつも書き込まれていた。さらに、国際線チーフパーサーから国内線の一般客室乗務員に降格させられた。
しかし、パク・チャンジンは、大韓航空とチョ・ヒョナに対し、損害賠償請求や降格処分取り消しを求め訴えた。
2017年12月、チョ・ヒョナの刑事事件の判決が出た。暴行、強要、業務妨害罪の3つの訴えは有罪判決となり懲役10か月、執行猶予2年が言い渡された。一方で航路変更罪に関しては、これまでの判例で航路の定義は空中を飛んでいる時だけではと議論になり、飛行場内の地上は航路にならないと判断され無罪になった。右腕だった元常務は懲役8か月、執行猶予2年に。癒着していた国土交通部の職員は無罪となった。また、大韓航空へは、飛行機を私的な理由で戻させたことで国土交通部からの行政処分も下り、27億9000万ウォンの罰金が課せられた。
チョ・ヒョナの刑が軽いのではと世間が騒ぐ中、2018年1月、ピョンチャンオリンピックの聖火ランナーに選ばれたチョ・ヤンホの後ろに姉妹の姿が。もう表舞台には出てこないと思われていたチョ・ヒョナが笑顔で走っていたのだ。さらに韓進グループのホテルの社長となり、経営陣に復活。
しかしこの人事に世間は黙っていなかった。さらに検察も韓進グループに対して捜査を続けていた。チョ・ヒョナ復帰の1か月後、2018年4月、チョ・ヒョナと母は、フィリピン人女性11人を大韓航空研修生だと国内に入国させ家事手伝いの不法雇用をしていることが発覚。
さらに、海外で購入した高級ブランド品や家具を大韓航空が輸入したように見せかけ嘘の申告をして関税を支払わず、200回以上密輸したとして関税法違反で家宅捜索。
そして匿名の掲示板に「韓進グループ会長の二女が広告制作の職員にヒステリーを起こしパワハラ」と暴露された。今度は妹についてのスキャンダルだ。自分の質問にきちんと答えられない職員に暴言を吐き、水をぶちまけたという。妹は水かけ姫と呼ばれるようになり、その後、パワハラを受けた会社が逆に大韓航空に謝罪をしたという情報も流れた。
チョ・ヒョナ、母に続き妹も謝罪に追い込まれ、これにより、姉のチョ・ヒョナと妹は経営陣から外された。
2度も失脚したチョ・ヒョナはプライベートでも夫に離婚訴訟を起こされる。夫は、日常的に暴力を受けたと証拠の写真も提出。一方、チョ・ヒョナは、離婚慰謝料や財産分与で優位に立つために虚偽の主張をしていると反論。
そんな中今度は、グループ会長である父 チョ・ヤンホが横領容疑などで検察が捜査を開始。
一方、客室乗務員として働きながら裁判を戦うパク・チャンジンの姿に同僚たちの意識は変わり、パク・チャンジンを応援するようになった。
そして、2018年12月、パク・チャンジンが起こした民事裁判に決着が。人事は覆らなかったが賠償請求は認められ、大韓航空側はパク・チャンジンに2000万ウォンを支払うことになった。彼は、韓国初のパワハラ訴訟での勝者となったのだ。そして大韓航空の社員たちも、財閥一族の経営の廃止を訴えデモを起こした。
2019年3月、大韓航空の株主総会でチョ・ヤンホは再任に必要な3分の2以上の支持を得られず、会長の座を退くことに。相次ぐ一族の不祥事の中、空席となった会長の座は長男が最有力と思われた。その1か月後、横領容疑などの捜査の中チョ・ヤンホは肺疾患で亡くなった。
するとチョ・ヒョナが、1番上である私の方が適任と立候補。姉 チョ・ヒョナと弟 チョ・ウォンテの後継者争いが勃発。チョ・ヒョナは大株主を仲間に引き入れ弟の退陣を要求。が、母と妹が弟を支持。株主総会でチョ・ヒョナの要求は否決。結果韓進グループ会長は、弟 チョ・ウォンテとなった。
一方、財閥一族の傲慢や理不尽を世間に公表したパク・チャンジンは2020年、大韓航空を退社し政界に進出。当選とはならなかったが、第三政党の正義党の党員として活動を始めパワハラで苦しむ人のために相談所を設立した。その名は「ナッツ」。「財閥の改革は依然として韓国社会の大きな課題です。現在韓国ではパワハラやいじめが起こった際職場内で解決するようになっていますが、そうではなく国家機関の中に新しい部署を作り問題に第三者が介入できるような環境を作りたいと考えています」と語る。
一方、チョ・ヒョナは4年7ヶ月に及ぶ離婚訴訟が決着、2人の子どもの親権は与えられたが、元夫に財産の一部、13億3000万ウォンを支払うことになった。
現在韓進財閥は、チョ・ヒョナに勝って会長になった弟 チョ・ウォンテが系列5社の代表取締役を退き、専門経営者を就任させ、一族が所有していた持株の大部分を大韓航空に無償贈与。一族経営をやめ、社会が要求する透明な経営を目指し、韓国・航空業界のトップ企業として世界的規模で事業も拡大し、韓国経済を支え、生まれ変わろうとしている。