渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ロングライド

2024年02月24日 | open

ハマ帰りのため暖機中。於広島
県福山市。学生の時、新車で通
学用セカンドバイクのカワサキ
AR50を買ったので、買ったその
日に神奈川県川崎市のバイク屋
から広島県まで弾丸で24時間以
内で走り抜いた。厳密には実走
行21時間。新車エンジンの慣ら
し運転を1日で終わらせるためだ。
真夏でもGジャンを着ている。
ハンドルは帰還時にはノーマル
ハンドルを逆着けで低くオフセ
ット装着。グローブはプロショ
ップ高井。メットはアライのス
ネル規格。

50原付はいよいよ来年から新車
が消滅する。
法規制も改変される。
人口減少を含むいろいろな諸問
題により、現代では原付に乗る
人間が激減した。
それと同時にある事に気づく。
最近の人は、長距離を乗らない。
二輪に乗っていてもロングライ
ドを避けるのだ。
私にはよく分からない。
自分基準で世間を見るのはよく
ないが、私自身は横浜から弾丸
で二輪で広島までとかは若い頃
はしょっちゅうだったし、今で
も日帰り750kmは二輪走行する。
四輪車で仕事で1日500kmを1週
間とかも四半世紀やっていたし、
車両での長距離走は何らいとわ
ない。
四輪車と二輪車は比較できない
が。
1989年式キャブ車のローバー
ミニでも東京新宿⇔広島間を何度
も往復している。ワンコ連れて。
そういうのはごく普通だ。

とにかく、現代の人たちは若者
でさえも距離を乗らないので、
私はそれに驚く。
私の時代(1970年代~1990年代)
では「ちょっと名古屋まで行こ
うか」とか東京二輪人たちはや
っていた。東京から山中湖など
は、本当にチョイ乗りだった。
それが普通だった時代を生きて
来たので、現代の現象に驚く。
今の時代、ロングライドをする
二輪乗りはごくごく僅かだ。
長い時間二輪に乗らなくて運転
が上手くなるのかなぁと感じる。
飛行機でも「飛行時間何時間」
というのが非常に重要なキャリ
アになるのに。
乗らないで上手くなる筈がない。
とにかく、乗って乗って乗りま
くる、というのを今の人たちは
あまりやらないみたい。

なんだろうなぁ。
よく分からない。
撞球でも、上手くなりたいなら、
私世代は「撞いて撞いて撞き
まくる」というのはごく当た
り前だったのになぁ。
現代の二輪に乗る人の感覚は
「楽して痩せたい」とか言っ
てるのと同じようにも思える。
楽して痩せようとする時点で
すでにアウトなんだけどね(笑
そりゃ無理だべ、と。

ただ、希求は脳への働きがある
ので「絶対に痩せる」という
意志は脳にそれなりの物質を
生成させる助力になるみたいよ。
医学的には。
二輪も「絶対に上手くなる」と
心に誓えば、脳はそれの方向に
働くみたい。
ただし、努力無くしては無理。
スポーツと同じ。
努力も研究も研鑽もしないスポ
ーツ選手はいない。
二輪は走らせる事自体がスポー
ツ的要素が非常に強い特殊な
乗り物だから、そのあたりの
アプローチはスポーツから学ぶ
事は多い。

結構、「どうでもいいのよ。別
段運転が上手くなくても。乗っ
て移動できて楽しいから」とい
う人たちが多いのではないか
なぁ。オートマ四輪での移動行
楽感覚と一緒で。
だとしたら、多分、免許取った
時の実力のまま。
それで一生が終わる。
二輪での走行による発見や出会
いや覚醒や感動も一切手にする
事無く終わる。
なんだか勿体ない。
コンマミリの操作操縦の違いで
激変する二輪特有の挙動に出会
わないまま時が過ぎるのなんて。
その出会いを得て、自分が跨る
二輪と一体化して前に進む。
二輪は四輪と違い前にしか進ま
ない。
その時、二輪の世界は一つまた
別な扉を開く。その進む先で
マシンだけでなく、多くの新た
な発見と出会いが待っている。
それを体験しないのは、とても
勿体ない。



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