勝手に元気になるものが愛。
死にたいと話す女性A様にお会いした。こんなことを言うと心配をかけてしまう、悲しませてしまう、嫌われてしまう、そんな風に思うと誰にも打ち明けられなかった思いがあるのだと、A様は泣きながら話した。身近な人間に打ち明けられないことを、私のように、ただ、通りすがっただけの人間に話せることがある。なぜ、こんなにもたくさんの人がいるのに、なぜ、こんなにもたくさんの孤独があるのだろう。安易に励ますでもなく、余計なアドバイスをするでもなく、同情するでもなく、慰めるでもなく、ただ、隣にいて話を聞いてくれる人の存在が、あちらこちらで渇望をされているのだと思う。
好きなことをやろう。明るいことを考えよう。恐れや不安ではなく、愛を基準に選択しよう。あちらこちらに正論は転がっていて、それができている自分は良く、それができていない自分はダメなのだと言うジャッジメントが、あちらこちらで行われている。明るく生きろ。前を見ろ。好きなことをやりなさい。こう言った言葉は、時に、暴力になる。好きなことをやることだけが、生きる目的ではない。普通の仕事だとしても、特にやりたいことではないとしても、家に帰り、今日、こんなことがあったんだよと笑って話せる誰かがいれば、ストレスは軽減する。何かしらの気づきを得て、よし、次に生かそうと前向きな気持ちになる。会話を抜きに、ただ「前向きになれ」と結論を与えられるだけでは、自分の心も体もボロ雑巾のようになる。
会話を抜きに結論だけを与えるやり方は、こどもに金やモノだけを与えて育てることと似ている。生きるために必要なものは与えられても、生きたいと思うために必要なエネルギーが枯渇する。お会いした方から「こんな重い話をしてごめんなさい」と謝られることが多い。私は、重いとか軽いとか思わない。ただ、そう言うことがあったんですねと、事実として認識する。だから、謝らないでくださいと思う。そこは全然気にしないでくださいと思う。たまに、私は「あなたは素敵な人ですね」と言う。多くの場合、褒めないでくださいと返される。褒めたつもりはない。感じたことを伝えただけだが、重い話をしてごめんなさいと謝られたり、褒めないでくださいと受取拒否をされることは多い。
会話が足りないのだと思う。俗な言葉を使えば「反省会が足りない」のだと思う。出来事にいいも悪いもない。解釈によって、苦しみが生まれる。語り合える誰かがいれば、あらゆる出来事はネタになる。そこから笑いや喜びや学びを抽出することができる。だが、私たちは、あまりにも一人で生き過ぎてしまっているために、本当の思いは内側に隠して、外側の表面の部分だけで会話をするようになってしまった。それは、会話というよりも、事務的なやり取りに近い。こどもと事務的なやり取りだけをしていたら、おそらく、こどもはグレてしまうだろう。自分の感情に蓋をして、愛情不足の自傷を重ねて、生きることに希望を抱かなくなるだろう。会話を続けることよりも、会話を終わらせる技術ばかりを、私たちは磨き過ぎた。そのままでは、心の一部はさみしいままだと、私は思う。
好きなことなんてやらなくていいから、一緒に反省会をしよう。これまでを無視してこれからを決めるのではなく、これまでの中に「これから」の蕾を見出そう。一人になるのが一番やばい。その相手だったら、いつでもなってやる。これまでがこれからを決めるのではなく、これからがこれまでを決めるのだ。過去が未来を決めるのではない。未来が、過去を変えるのだ。大事なのは、これまでじゃない。これからだ。この筋書きをどう変えて行くかだ。暗い部屋に一人でいても、良いアイデアなんて出ない。そのための他者であり、そのための俺だ。俺を使ってくれと言いたい。会える人はリアルで会おう。会えない人はラインで話そう。今日も明日も宿がない。腹が減っている。一緒に美味いメシを食おう。一緒に美味い酒を飲もう。最近、悪質な罠に嵌る機会が増えた。だがしかし、自分を公開することはやめない。騙されることも男の仕事と言いたい。一緒に反省会をしよう。繰り返すが、今日も明日も宿がない。漫画喫茶で眠るのは嫌だ。身体の節々が痛くて苦しい。 おおまかな予定
2月24日(土)福岡県福岡市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!