第2話 燃え残った一振りを

 懸盤かけばんの上に置いてある、イノシシの串焼きを無造作につかんだミツチはそれを三切れ纏めて頬張り、咀嚼した。品のかけらもない蛮族的な食べ方だが、ミツチ曰く「妾は貴族ではない」とのことである。実際、彼女は別段瑞穂国に爵位を持つわけではない。

 恵国——エルトゥーラ王国という土地と国交を持つようになり導入された(正確には元あったものと統合し、編成された)貴族制度は、特に大きな力を持つ妖怪や、術師に多く見られる爵位がそれにあたる。

 名門と呼ばれる一族の多くは、なんらかの爵位を持っているものだ。といっても、実質的な術師の実力とはほとんど無関係であり、妖術師・祓葬師として生きるなら飾りでしかない。

 とまれそういうわけでミツチは庶民の身分だが、格のある妖怪だ。ゆえに、燎真は自然と彼女にそういった振る舞いを期待してしまう。

 それと付随して着物を着てくださいという燎真の願いは一週間毎日、顔を合わす都度続いたがついぞ聞き届けられなかった。唯一の衣類は腰に巻いた布だけである。


 仕草といい服装といい、御神体というより場末の女山賊である。ミツチは肉を嚥下すると、大きな瓢箪から瑞穂酒みずほしゅを呷った。ツンとした酒精の香りが、ふわりと漂ってくる。

 燎真は空いた器を下げ、新しい川魚の串焼きを差し出す。網漁で捕まえた川魚だ。こんがりと焼け、香ばしい香りが立ち上っている。


「して、今日の御役目とやらはどうだった」


 時刻は午後八時。外はすっかり暗く、住民は家々に戻っている。

 燎真はミツチの目を見て、口を開いた。


「今日は狩りをした。弓は苦手だったから、網で魚と、罠にかかったイノシシをこう——短刀でシメて……」


 燎真は狩りの様子を語って聞かせた。

 川に入って仕掛けた網を引き上げたら一本歯の下駄が引っかかっていて、それが山に暮らす天狗見習いの履き物だったことや、イノシシを追い詰める際に梟狐きょうこの子供を見たことなど。

 ミツチは燎真の言葉に熱心に耳を傾けていた。

 程よく酔った彼女は、熱い息を吐いてふっと微笑んだ。


「お前も物好きよな。妾のような異形に、よくもまあ……」

「……妖怪なんだろ? 確かに、変化は苦手そうだけど」

「なるほどな。お前はそう判断したわけだ。よい……今はそれで」

「?」


 ミツチは川魚を串ごとつかんで、齧り付いた。新鮮なまま焼いてはらわたごと食うのが三珠村流だ。苦味のあるはらわたは、酒との相性がいいと村の連中からは好評で、よく小遣い目当ての小僧どもが釣竿片手に川へ行く。

 川のあたりの安全は、それこそ蛟龍(見習い)がいれば安全だろうし、あの辺には相撲自慢の河童もいる。いたずらをしたりしないこと、そしてきゅうりを備えてやれば尻子玉も抜かれないから、子供達も河童とはしょっちゅう相撲やらをしていた。それに、怪我に効く薬の作り方を教えてくれるし、溺れかけた子供を助けてくれるので、村人も河童にはよくしていた。


「お前は飲まんのか」

「下戸なんだよ。盃いっぱいで出来あがっちまう」


 妾に敬語は不要——それは、初日に言われたことだった。何度か敬語で接したが、その都度鋭い声色で「おい」と指摘されるのでやめた。以来一週間弱、ここ十日ほど、遠慮なく素で接している。


「ミツチは外に出たくないのか?」

「外か……聞く分には好きだ。だが、お前のいうとおり変化が下手だろう。滅多に見ぬだろうが、同族に何を言われるか……」

「龍の世界にもいじめなんてあるんだな」

「どこにだってあるわな。社会という仕組みの宿痾しゅくあのようなものだ」


 ぐい、と瓢箪を傾けた。人の胴体ほどもある瓢箪が、だぷんっと音を立てる。

 ふと、そのときミツチが顔を上げた。天井を、じっと見つめる。


「どうした?」

「外が騒がしい。……思念札しねんふだを持ってこい」


 燎真は言われた通り、座敷牢に置いてある箪笥たんすから思念札というお札を取り出した。言わんとすることを察していたので、妖力を込めて術を発動する。

 すると、外で飛び回っているカラスと視界が共有され、その光景が宙に浮かび上がった。


「なっ、なんだよこれ!」


 そこには、火を放たれ焼かれている三珠村の姿があった。真っ赤に燃える炎が夜空を染め上げ、黒煙が立ち上っている。

 カラスが火を放つ男に焦点をあてる——黒装束の、術師。火術を使い、あちこちに火を回している。妖術の違法使用——十中八九呪術師じゅじゅつしだろう。

 村の警ら隊が駆けつけ、応戦していた。激しい剣戟と、術の応酬。神社からも術師が出て、結界を張ったり攻撃を行っている。

 女子供は牛車やらにのせ、急いで脱出していた。

 これは——。


「い、行かなきゃ……!」

「よせ燎真」

「なっ……なんでだよ! 俺だって戦える、戦って……っ」

「今にも震え出しそうなお前が行っても無駄死にだ。妾とて人里では満足に術を使えん。あの連中ごと流してしまう」


 だからって——そう反駁はんばくしかけたが、ミツチはじっとこちらを見て、言った。


「安全な場所に偶然居合わせた。何かの縁だ。今はこらえろ。生き残るのもつとめの一つだろう」

「…………」

「それに敵の方が上手だ。この戦は負ける」


 ミツチははっきりと、そう断言した。

 燎真は己の無力感と、意気地のなさと、そしてどこまでも達観しているミツチに怒りを抱き——結局、その場で立ち尽くすのだった。

 投影される光景の中では次々村が蹂躙されていく。燎真はそれを見ていられなくて、目を背けた。

 ただミツチだけがじっとその有り様を睨んでいた。


×


 どれほど時間が経っただろう。なんどか響いた激しい音が止み、あたりに静寂が漂う。カラスは墜とされ、思念千里眼も途絶えていた。

 ミツチが立ち上がる。長い尾が揺れ、彼女は燎真が世話を始めて十日のうちで始めて、座敷牢から降りた。草履を履いて階段の方を睨む。


「出てみるぞ」

「……ああ」


 燎真は喉の奥から声を絞り出した。

 村がどうなっているかなどわかりきっている。けれどいつまでもここにはいられない。行動しなければ——燎真は覚悟を決めて、根を張ったように動かない足を持ち上げた。

 燎真は仮にも世話係だ。ミツチに変わって先頭に立ち、地下から伸びる階段を進んだ。跳ね上げ式の扉を上げようとして、上に何か覆い被さっているのか思うに上がらなく、舌打ちする。


「下がっててくれ」

「わかった」


 燎真はミツチを下がらせた。着物の内側に巻いた紐を腕に通し、そこにつけてある札入れから式符を一枚抜く。

 衝波札——衝撃波を飛ばす札だ。妖力を込めて、それで跳ね扉を打ち上げた。どがんと大きな音がして、扉が吹っ飛ぶ。

 顔を出してみると、倒れてきた棚が覆い被さっていたようだ。ミツチと共にその物置を出ると、社務所の屋根と壁が焼け落ちていた。


「…………っ」


 知っていた。わかっていた。あっけないほど突きつけられた焼け野原に、燎真は膝から崩れ落ちる。


「外道働きをしよる……これが……人妖ひとのすることか」


 ミツチの声は落ち着いていたが、そこには怒りと、そして憎悪のようなものが強く滲んでいた。

 燎真は煤を握り締め、祈るように額まで持ち上げた。どうにもできないそれを手放し、ぱらぱらと落とす。


「やつらは、なんだったんだ」

「わからぬ。妾が狙いかとも思ったが……それにしては強引だ。言っては悪いが妾に加護の力などさほどない。穏当に取引をすれば済むはずだ」

「呪術師が取引なんて……」

「するさ。悪賢いからな。それくらいの知恵は、一丁前に働く。……何か別の狙いがあったように思う」


 燎真は立ち上がった。

 一歩進み、生き残りはいないかあたりを探す。

 死体、人の形をした炭の塊、手のような黒ずんだもの、かち割られた頭を野晒しにした化け猫の少女——老若男女、種族を問わぬ虐殺。


 畜生——。

 殺してやる。


「りょう、ま……」


 掠れた声が聞こえた。燎真は、崩れた拝殿の方へ走る。


「神主様!」


 崩落した拝殿に下敷きにされている喜馬英二郎が、胸から上と左腕を出し、そこにいた。右目が潰れ、全身が赤く染まっている。どう考えても、生きているのがおかしい状態だ。


「燎真、無事で——ミツチ様は?」

「無事だよ。俺といましたから。……今、助けます」

「いい、内臓が……やられた。永くない。それより、本殿へ、行け」

「御神体なら、ミツチ——様では?」

「いや……御神刀にと奉納された、業物がある。……野盗に盗られる前に、お前に託す。……この、札を」


 神主の英二郎が、中指と薬指が折れ曲がっている左手で一枚の札を渡してきた。前腕の皮膚が切り裂かれ、抉れ、骨が露出している。


「それで、箱が開く……あの、呪術師の狙いは——」


 そこで、英二郎は大きく喀血した。

 そうして彼は、永遠に口を開くことは無くなった。


「くそ……! 畜生……!」


 燎真は札を握り締め、ありったけの怒号を上げた。

 夜空に、燎真の雄叫びが吸い込まれていく。屍肉を漁るカラスが寄ってくる——それさえも憎らしい。陰魔羅鬼おんもらきに成る前に、焼くなり埋めるなりして弔ってやりたい。でも、もうその死体すら——。

 燎真はせめてもと、英二郎の両目を閉ざした。七十数年、多くを見てきたその眼は、ついに悠久の眠りについた。


「逝ったか、英二郎。……いいやつほど死んでいく。儘ならぬ世だ」


 ミツチがそういって、両手を合わせて瞑目した。

 燎真は、今までのことを思い返し、あの世でも平穏に過ごせるよう、手を合わせた。双龍神に忠実だった神主だ。きっと、相応に報われている。

 代わりに、あの呪術師共は——この手で、


「燎真、何を預かった?」

「あ、ああ……御神刀の箱を開ける札だよ」

「そうか。神主の許可だ、もらっておけ」


 燎真は頷いて、拝殿の裏手にある本殿——御神体を祀る社へ向かった。

 呪術師も流石にそれは怖かったのか、本殿は燃え移った火が微かに屋根を焼いたくらいで、無事であった。貼ってあった防火札が火を防いだに違いない。

 燎真は石造の、両側を龍であしらった鳥居の前で一礼し、奥へ進んだ。


 本殿に入ると、古い木の匂いがした。鶯貼うぐいすばりの床を踏み鳴らし、祀られている木箱に札を貼り付ける。

 ぽう、と青白い光を発し、木箱がかこん、と音を立てて開いた。

 中には白木の鞘に、鍔のない一振りの太刀が納められている。

 恐る恐る握ると、白木の鞘は腐っていたのかあっけなく崩れたが、わずかに青く輝く金属で打たれた刀は、今にも妖力を放ちそうに爛々と煌めいていた。

 なかごに銘は——ない。なにも刻まれていない。無銘だ。ただ、目釘穴が空いているだけである。


「いただいていきます」


 無銘の刀を捧げ持ち、礼をする。

 燎真はゆっくりと顔をあげ、本殿から出た。

 ミツチの元に戻ると、彼女はどこからか収納用の箱を持ってきていた。多分、焼け残ったものだろう。


「入れておけ。武具は女心のように丁重に扱わねば、拗ねるぞ」

「知ってる」


 箱にしまい、それを抱えた。燎真はこれからどうすべきか——悩んだ。

 どうにかせねば、とは思うが、どうすれば——。


 そのときである。村の出入り口となっている山道の鳥居から、微かに光が揺れ動くのが見えた。

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アヤカシ・オーヴァドラヰヴ — 蛟の巫女と擬龍の戴冠 — 夢咲蕾花 @FoxHunter

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