渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

京浜工業地帯 ~東京・川崎・横浜~

2024年02月24日 | open



横浜市と同じ
く、川崎市は広
い。東京の区
がいくつも入る
程に広い。
横浜市なんてのは、人口だけ

でなく面積的にも異様に広い
市だけどさ。
地理的には場所によっては藤
沢市の南の位置まで横浜市。
横浜市の隣りが鎌倉で湘南海
岸のすぐそばまで横浜、とい
うような感じ。
川崎は川崎で、京浜地区と内

陸部では文化圏が違ったりす
る。
川崎市には川崎ナンバーあり。
横浜ナンバーは神奈川県の右

半分がほぼ横浜ナンバーであ
る程に広域。



いや、しかしだなぁ、吉川君。
足柄や箱根の山のほうまで湘
南ナンバーなのは、どうにも
解せない。
これ、実は地元保守系議員の
横やりで無理矢理湘南ナンバー
エリアになったという次第。
結果、湘南ナンバーがとんでも
ない広域に亘るナンバーになっ
た。
どこにでもあるね、そういう
のって。横浜ワンマン道路と
かさ。土建屋政治の時代は今
も日本では続いている。地元
道路整備と贈収賄ワンサカね。

21世紀の今でもそうした旧式
日本型政治が横行している。
やってる党はいつも同じだけ
どさ~(笑

世間一般でよく知られている川崎。
1960年代~1970年代前半の高度
経済成長期には四日市と同じ

公害が著しく、川崎市街地から
横浜の郊外に
転住する人たちも
多かった。

健康被害もひどく、まさに公害
は社会問題だった。
日本はずっと公害について野放し
の国だったからだ。


かつての半世紀ほど前の時代、
東京と川崎と横浜で青空が観
れる日は非常に少なかった。


京浜工業地帯だけでなく、周辺
部の郊外エリアまでも、晴れた
ら晴れたで光化学スモッグが発
生し、小学生たちは警報発令で
校舎内に避難した。空襲警報の
ように警報が発令されての一斉
避難。高度経済成長とはそうい
う時代だった。政府も企業も公
害対策は野放し。
一部の国民の犠牲の上に日本の
高度経済成長は成り立っていた。
国民が声を上げ始めて初めて政
府や企業は重い腰を上げて対策
を渋々やり始めた。
日本とはそういう国。
これは今でも続いている。
原発推進政策などは典型だ。
一部の国民に犠牲を強いて国
と企業
や他周辺が益を得よう
とする構造。

原発が安全ならば皇居内とか
東京大阪湾岸部とかに建設す
ればいい。核廃棄物は首相官
邸の邸内に備蓄とか。
代々木公園や新宿御苑あたり
敷地が広いからいいのではな
かろうか。
安全な物を埋めても問題は全
ないだろう。
原発処理水なども東京湾にどん
どん流せばいい。放射能汚染さ
れていないというのだから。
「汚染水」ではないのだから。
政府要人や推進企業用の飲用水

としても良いのではなかろうか。

公害が著しかった公道経済成長
期、教職員組合は人々に訴えか
ける力をまだ健全に持っていた。
私が横浜の小学生当時、道徳の
時間で
ある一つの映画作品を鑑
賞する授業が行な
われた。学校
当局側ではなく心ある
教師たち
の働きかけによって。

小学校に通う生徒たちに、何が
大切
なのかを教えるために。
その映画の主題歌がこれだった。
京浜工業地帯では晴れ渡る日が

殆ど無かった時代の事。
作詞は岩谷時子。
空がこんなに青いとは


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