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よろしく浸ってんじゃねえよ。

好きは意外と繊細で、簡単に嫌いに負けてしまう。だから、常に意識しないと消えてしまう。大事なことは反芻し続けること。悲観は気分。楽観は意思。嫌いに屈せず、好きで突破する。好きな人。好きな場所。好きな音楽。好きな映画。頭の中を、楽しいことでいっぱいにする。嫌いを反芻するのではなく、好きを反芻する。好きなものの中に自分がいる。好きな人に会うことは、好きな自分に会うことだ。好きな自分を迎えに行こう。好きな自分を取り戻しに行こう。まだ見たこともない自分が、其処にいる。

最近、47都道府県の狂人列伝を作成している。新潟なら良寛、鳥取なら素戔嗚尊、福岡なら伊藤野枝と言った具合で、全国各地に尊敬できる傑物を見出し、好きな人を通じてその土地を好きになる。嫌いに入り込む余地を与えず、自分の周囲を好きで固める。偏愛の卍固めで世界を締め落とす。この作業は存外楽しく、ひたすら自分の好きを見つめる作業は、脳味噌にも良く働く。嫌なことではなく、好きなことを探す。北海道ならウポポイ、群馬なら珍宝館、山口なら宮本常一記念館など、行きたい場所リストを作る。自他に向けられた否定的な眼差しは、世界を生きるに値しないものだと思い込ませる。自他に向けられた肯定的な眼差しは、心の深い部分に「この世界は生きるに値する素晴らしい場所だ」と刻む。それは、事実、その通りだ。世界は生きるに値する。そのことを、簡単に忘れてしまうからこそ、好きなことを反芻する。

一度や二度ではない。これでもかこれでもかと何度も何度も反芻する。頭の中にある間は、ただの情報に過ぎない。情報ではなく、血肉にする。真のミニマリストは血肉に変える。血肉に変えれば荷物も減る。自己啓発書を本棚に並べておくのではなく、自己啓発書の内容を実践して肉体に叩き込み、本は焚書にする。楽器と同じ。身体に覚えさせる。楽譜は不要。備えあれば憂いなしというのは真っ赤な嘘で、備えがあるから憂いになる。血肉にすれば、憂いなし。ないから悩むのではない。あるから悩むのだ。頭の中にある「いつかやりたい」を今すぐにやる。無謀でもやる。赤字でもやる。面倒臭くてもやる。嫌いに屈せず、好きで突破する。往年の漫画の主人公たちは「やるっきゃねえ」としか言わない。細かいことは言わない。やりたいなら、やれ。やって死ね。それしか言わない。

根明の人間と根暗の人間がいるのではない。最初は全員根明だった。嫌いに負けた人間が、根暗になり、声が小さくなり、猫背になり、好きなことよりも嫌いなことばかりを考え込むようになるだけだ。根明の人間にだって落ち込むことはある。落ち込むことは不可避である。問題は、その後の身の振り方だ。延々と被害者意識に包まれて悲劇のヒロインを気取るのか、一秒前はもはや前世と開き直って切り替えるのか。根明は「よろしく浸ってんじゃねえよ」と、自分自身をぶん殴る。悩みも不安も所詮自己愛。さすれば、自己愛をぶん殴るまでよと己を蹴っ飛ばし、蹴っ飛ばした勢いで遥か彼方に飛翔する。自分を愛するの真逆。自分の喉元にナイフを突きつけて「生きろ」と脅迫する。時には自分の体を掻き切り、噴き出す血を浴びせながら「これが生きるってことだよ」と血飛沫にも似たメッセージを放つ。それが根明の真骨頂だ。

長崎で瀕死の状態に置かれていたR様のケツを叩くため、ヘルパースケルターとして駆けつけた。R様の部屋は荒れていた。部屋の乱れは心の乱れ。一日三個捨てろ。十個とは言わない。一日三個、要らないものを捨てろ。楽しくなってきたらこっちのものだ。ないから悩むのではない。あるから悩むのだ。お前はモノを持ち過ぎた。原初、俺たちは元気だった。今よりも金もモノも持っていなかった若い頃、俺たちは今よりも元気だったはずだ。モノに囲まれると、モノの管理に気力を全部奪われる。夢を見ろ。いくつになっても、夢を見ていい。現実を見ている場合ではない。目を覚ませ。そして、夢を見ろ。体は踊りたがっている。心は遊びたがっている。俺は死んでも夢は死なない。生きるために、笑ってくれ。福岡で暇をしている。寝る場所がない。捨て過ぎるとこういうことになるので、要注意だ。生きるために、笑ってくれ。

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おおまかな予定

2月23日(金・祝日)福岡県福岡市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z

バッチ来い人類!うおおおおお〜!

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よろしく浸ってんじゃねえよ。|坂爪圭吾