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第四部
103 バカンスの始まり

 日も落ち、帝都が薄暗闇に包まれた頃、クランハウスの前に一台の馬車が止まっていた。


 特に目立ったところのない馬二頭立ての箱型の馬車だ。

 クランで所有している物とは異なる証拠に、車体に足跡のシンボルがあしらわれていない。

 これならば、一見、《始まりの足跡》が使っているようには見えないだろう。


 本来業務外である馬車の手配を請け負ったエヴァが、僕に窺うような視線を向ける。


「目立たない方がいいと言っていたので……」


「うんうん、いい感じだね」


 さすがである。本来馬車というのは事前に予約しないと借りられない物だ。

 探索者協会保有の馬車ならばある程度の融通が利くが、目の前の馬車はそういった類のものでもない。

 まだ言い出してから一日も経っていないのに用意してみせるとは、エヴァの手腕が光っている。


「レンタルなので、壊したら弁償です。大した値段ではありませんが……」


「……壊さないよ」


「……そう言って今まで何回壊しました?」


 眼鏡の中で、ジト目がこちらを見上げている。

 仕方のない話だが、全く信用されていないらしい。僕は小さく咳払いして言った。


「壊したんじゃない。壊れたんだ」


 僕のせいじゃないよ。どうしようもなかったんだ。


 昔は馬車は頑丈なものだと思っていた。今ではその脆さはよく知っている。魔物や幻影の群れから襲撃を受ければ、たとえ金属の装甲で防御を固めた馬車でもひとたまりもないのだ。

 もちろん、わざとやっているわけでもなければ魔物の住処に突っ込んでいるわけでもないが、ハンターというのはとかく危険なお仕事なのであった。


 今では、僕はハンター向け馬車保険の加入すら拒否されている。不思議だね……。


 エヴァは、ごてごてと宝具で武装した僕をしげしげと眺め、事務的な口調で言う。


「…………なるべく早く帰ってきていただけると助かります」


「ああ、もちろんわかってるよ」


 エヴァはリィズがバカンス云々言っていたのを聞いていないのかもしれない。その視線に棘のような物は含まれていなかった。

 なるべく早く帰る。ああ、なるべく早く帰るとも。だが、いつ帰るかは言っていない。僕が帰還するのは最短でも『白剣の集い』が終わった後だ。


「『白剣の集い』っていつだっけ?」


「え? ……毎年同じ日ですが……ちょうど三週間後です」


 三週間後か……意外とあるな。これは長いバカンスになりそうだ。

 ルーク達を拾うだけでは時間が余るだろう。久しぶりに帝都の外を観光するのも悪くないかもしれない。


 結局、クランメンバーで同行してくれるメンバーは見つからなかった。法事が入っていたり結婚式が入っていたり調子が悪かったりで、まぁ急に声をかけた僕に非があるのだが、タイミングが悪すぎた。

 だが、考えようによっては人数が絞られたので良かったとも思える。馬車一台で済むからだ。


 そもそも、まだどこに向かうかすら決めていないが……行き当たりばったりで本当に申し訳ございません。


「クライさん、お待たせしました」


 その時、ふと道の向こうからシトリーが小走りでこちらに来るのが見えた。


 深い緑色のローブに、背負った大きな灰色の鞄。手には頑丈そうなトランクケースを持ち、一見ただの旅装にも見える。いつもハントの時に連れているキルキル君がいないのでインパクトが薄い。


 旅の準備――食料やポーション、宝物殿の情報収集や対策のための道具の準備は、いつもシトリーの役割だ。特にルークやリィズはちょこちょこ必要な物を忘れるので、そのサポートも請け負っていた。


 背負われた鞄は容量無限の時空鞄(マジック・バッグ)ではないはずだが、必要なものが何でもかんでも入っているとても不思議な鞄だ。後衛としての彼女の能力はまさしく、卓越している。


 懐かしさに目を細めていると、眼の前まで来たシトリーが軽く後ろを振り返ってみせた。


「クライさん、紹介します。新しい協力者です」


「……え?」


 いかにも悪人面をした大男が三人、ギロリと剣呑な目つきで僕を見下ろしていた。

 視界には入っていたが、シトリーの同行者だとは思ってもいなかった。三人とも僕よりも大柄で、髪の色や目の色はそれぞれ違うが総じて悪辣な見た目をしている。日に焼け浅黒くなった肌に無精髭、一人は頬に古傷があり、一人は剥き出しになった肩の大部分に入れ墨をしている。最後の一人は傷も入れ墨もないが、狐のような狡猾そうな目をしていた。

 共通して首に装着している金属製のチョーカーが異彩を放っている。


 もしも道を歩いていて遭遇したらすぐに避けるレベルだ。絶対に同じ馬車に乗りたくない。

 男三人は僕を見ても何も言わなかった。ただ重苦しい沈黙と威圧感。エヴァも眉を顰めている。


 シトリーがニコニコしながら言う。よくもまあいかにもな男三人に囲まれて笑顔でいられるものだ。


「えっと…………クロとシロとハイイロです」


「……それ、本名?」


「コードネームみたいなものですね」


 コードネーム……髪の色で分けているのだろうか?

 どういうつながりだかは知らないけど、御本人達は納得しているのかな?


 後ろの三人はその言葉に明らかに不服そうな表情をしていた。ぴしりと額に青筋が浮かび、ぎりりと歯を食いしばる音がする。脇に下ろした手もわなわなと震えている。どうして黙っているのだろうか。


 如才ないシトリーの事だ。問題はないのだろうが、念の為小声でシトリーちゃんに確認する。


「うーん……協力者って、納得はしてるの?」


「もちろんです。彼らには貸しがあるので」


 そうは見えないなあ。クロとシロとハイイロがこちらに向ける視線は敵に向ける類のものだ。殺意すら感じられる。

 何を貸したのかは知らないが、楽しいバカンスにつれていくような者には見えない。というか、できれば連れて行かないで欲しい。


「三人とも連れて行くの?」


「えっと……試用で連れて行こうと思っていたのですが――」


 シトリーがもう一度、後ろを振り返り三人を見上げると、名案を思いついたように手を叩いた。


「もしも、クライさんが気に入らないメンバーがいるならば、処分します。お姉ちゃんが来るまでには……なんとかなるかと」


 処分とは、随分物々しい言い方だな。


 三人はシトリーの部下なのだろう。シトリーの言葉に、三人の表情が一転、強張ったものに変わる。

 恐らく、仕事として雇われたのだろう。それが反故になるかもしれないとなれば顔色が変わるのも仕方のない事だ。


 嫌な仕事もしなくてはならない。生きるって大変だ。

 そして、非常に申し訳ない話だが、三人はいくらなんでも多すぎる。リィズとティノも来るのに、馬車がいっぱいだ。

 シトリーは薄い笑みを浮かべていた。


「遠慮しないで言ってください。恨みを買う心配はありません」


「そうだなぁ……」


 腕を組みながら、黒髪のクロを確認する。絞られた肉体は数多の戦場をくぐり抜けてきた歴戦の猛者に見える。

 クロが強張った表情のまま、初めて声をあげた。


「ク、クロだ。殺しには、自信がある」


 殺しって……その特技を使う機会はあるのでしょうか? まぁ、護衛能力は十分ありそうだが。


 続いて長い白髪を適当に後ろで縛っているシロを確認する。クロ程大柄ではないが、肩一面に入った入れ墨は明らかに一般人の入れるものではない。

 シロが乾いた声で言う。


「シ、シロだ。こ、こうしてお目にかかれて光栄だ。な、なんでもやろう」


「なんでも?」


「ッ……なんでもだッ!」


 ふむ……やる気十分、と。荷物持ちでも護衛でもやるということだろうか。意外と顔に似合わずいい人なのだろうか?


 最後の一人――灰色の髪をしたハイイロを見る。ハイイロはまるでこちらを見定めるような目つきを返してきた。


 三人ともシトリーのおすすめだけあって、非常に強そうだ。でもなぁ。冷静に考えてみるとリィズとティノがいれば護衛は十分じゃない? クランメンバーならばともかく、見知らぬ人がいると気が休まらないんだが?


 僕はシトリーに視線を戻し、中途半端な笑みを浮かべた。


「悪いけど、三人ともいいかな……」


「!!」


 シトリーが大きく目を見開く。唇を開きなにか言葉を出しかけるその寸前に、シロとクロがハイイロをぶん殴った。

 躊躇いのない一撃だった。まるで鈍器を思い切り振り下ろしたような凄まじい音がした。三人の中では一番細身だったハイイロが路面をバウンドし、ごろごろと通りの向こうまで吹き飛ぶ。


 いきなりの暴力に凍りつく僕の前で怒号が飛ぶ。青ざめたシロとクロが転がるハイイロを一切容赦なく蹴りつけていた。


「このッ! クソがッ! ひとまずッ! 大人しくしてるって、約束しただろッ! 死ねッ!」


「謝れッ! シトリー…………さんに、謝れッ! クソの役にも立たねえッ! プライドこじらせやがってッ! あぁッ!?」


 叩きつけられた頭蓋で路面に罅が入り、血が飛び散る。だが、シトリーは顔色一つ変えていない。

 エヴァが青ざめている。悪夢でも見ている気分だ。


 止める事もできず、どうしていいかわからず立ちすくむ僕の前で、シトリーが頬に手を当て、困ったような眼差しで言った。


「確かに一人くらい見せしめはあった方がいいとは思ってましたが、まさか三人全員、とは……」


「じょ……冗談だよ。ただの冗談」


 ああ、冗談だ。いいよ、ついてきていいよ。僕が我慢すればいいだけなんだ。僕が我慢するべきだったんだ。

 シトリーはほっと胸を撫で下ろすと、一方的に殴られているハイイロの方を見て言う。


「え……? なんだ、ただの冗談でしたか。よかった…………実は、躾がまだ途中なんです。可能な限り説得するので、少しうるさいのは許してください」


「うんうん、そうだね……」


 本当に大丈夫か? 

 二人の間に割っているシトリーを見て、激しい疑問がわくが、無理やり首を振って忘れる事にする。

 気にしても僕にはどうしようもないことだ。


「私じゃなくて、謝るならクライさんに謝ってくださいッ! 今の態度なら、いないほうがマシですッ!」


 もう日は沈んでいるが、辺りにはそれなりに人がいる。今は遠巻きに窺っているが、このままでは騎士団が呼ばれてしまうかもしれない。

 シトリーの鋭い叱責を背中に聞きながら、エヴァに笑いかける。


「…………楽しい楽しいバカンスだよ」


「…………は、はぁ。…………楽しんで来てくださいね」


 どうやらエヴァもさすがに付き合ってはくれないらしい。


 ずっとお家にいたい。


 心が折れかける僕の耳に、騒々しい声が入ってくる。


「いやぁッ! 許してください、お姉さまッ! 私は、ますたぁに、合わせる顔が、ありませんッ!」


「いいからッ! 来いって言ってるのッ! いつまでも凹んで――ティーが雑魚なことなんてッ! クライちゃんはちゃんと知ってんだからッ! 大丈夫だっつってんだろッ!?」


 悲鳴をあげるティノを引きずりながら歩いてくるリィズを見て、僕は無言で馬車の中に入り、何も見なかった事にして膝を抱えた。


 もうお家に帰りたい……。



§ § §




 なんとか状況を打開しなくてはならなかった。ゼブルディアでの《霧の雷竜(フォーリン・ミスト)》の立場は日に日に下落しつつある。

 本来ならばありえない事だ。レベル7の竜殺し。その称号は、『英雄』と言い換えてもいい。

 事実、アーノルド達は故郷のネブラヌベスではトップのハンターとして君臨していたのだ。


 全ての失敗は、この帝都のハンターのレベルの高さにあった。


 もともとレベルの高さは予想していたが、それでもある程度のラインには――帝都最強のハンターの一人に数えられるくらいにはなれると思っていた。

 強大な戦闘能力を持ち、宝物殿から富を持ち帰る高レベルのハンターは国にとって喉から手がでる程欲しい存在である。貴族に召し抱えられる事すら十分ありえる、それがレベル7なのだ。


 だが、今アーノルド達の立場は微妙なところにあった。

 国に入った途端に《嘆きの亡霊》と諍いを起こしたと思えば、続けて《魔杖(ヒドゥン・カース)》と対峙する。その様は多くのハンターと市民に見られている。


 トラブルばかり起こすハンターに取り入ろうとする者などいない。高レベルハンターの数が限られているのならばともかく、この国にはアーノルド以上のレベルのハンターが何人もいるのだ。


 だが何より問題なのは、アーノルド達が一切、力を誇示できていない点である。


 ハンターにとって『強さ』は最重要視されるファクターだ。トラブルばかり起こすハンター以上に、力のないハンターは無価値とされる。


 状況が悪かった。戦力差があった。そんなのは言い訳にもならない。

 今の立場を一変させるには、『やはり《霧の雷竜》はレベル7相当の実力を持っているんだ』と思わせるような功績が必要だ。それも、過去ではなく今現在の能力の証明として、なんとしてでも実力を見せつける必要があった。


 このままでは格上のハンターや探索者協会からの評価だけでなく、格下のハンターや一般市民からもナメられる事になるだろう。物理的に黙らせるにしても限界がある。


 一番手っ取り早い方法は、《霧の雷竜》凋落の発端となった《嘆きの亡霊》に一泡吹かせる事だ。


 《霧の雷竜》と《嘆きの亡霊》。そのパーティ間の戦力差は明確だ。メンバーの平均レベル一つ取ってみても、アーノルド達は《嘆きの亡霊》に大きく劣っている。


 だが、いい。勝てなくてもいい。戦いを挑み、その武勇を見せつけるだけでいいのだ。

 それだけで、《霧の雷竜》が腰抜けではないという証明になる。彼我の戦力差がはっきりしているという事実が好意的に働くのだ。


 そして、アーノルドにはそれができる自信がある。パーティとしての戦力差はあったとしても、アーノルド単体の能力だけで言うのならば《嘆きの亡霊》のメンバーに負けていない自信がある。


 一人ないし二人を撃破するのだ。更にその相手が《千変万化》であるのならばそれ以上の事はない。


 《霧の雷竜》の名を、《豪雷破閃》の名を帝都に轟かせるのだ。


 宿の訓練場。昼間の屈辱を晴らすかのように一心不乱に愛剣を振るっているアーノルドの下に、仲間の一人が駆け込んできた。


「アーノルドさん、大変です! 《足跡》の連中が話していたのを耳に挟んだんですが――《千変万化》が今日、帝都を出るらしいです。なんでも、バカンスで、いつ帰るかは不明だとか」


 昼間にあれだけ虚仮にしてくれた挙げ句、バカンスだと!?

 一瞬頭に血が上りかけるが、荒く呼気を漏らすに留め、短く命令した。


「…………追うぞ。用意させろ」

活動報告にて、二巻キャラデザ第四弾と一分挿絵を公開しております。

第四弾は、二巻ではWeb版と比べ活躍が大きく増されているあの方々です!

よろしければご確認くださいませ! 二巻発売は2019/01/30です!


/槻影


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