【小山薫堂】普通じゃない家庭環境で自由に育つ

2018/9/9

36日目でベビーシッターに

子どものころの僕は、いわゆる普通の家庭に憧れていました。お父さんがサラリーマンで、お母さんが専業主婦みたいな。 
でも、母は美容師で朝から晩まで働いていたし、父はその美容院を経営する一方、貸金業、不動産業、貸衣装など手広く商売をしていたので、ふたりともものすごく忙しかった。家にはお手伝いさんもいたくらいです。
母と
それで僕は生後36日目からベビーシッターさんに預けられました。親戚筋ではなく、家の近所に住んでいた、長崎出身のおじいちゃんおばあちゃんのおうちにです。被爆手帳も持っていたんじゃなかったかな。
よく覚えているのはおふたりの家のトイレがくみ取り式で、車が来ると、バケツを持って手伝いに走っていったこと。汚物を吸うホースがカッコよくて、将来はバキュームカーの運転手になろうと思ったくらいです(笑)。
あと「おふくろの味」とよく言いますが、僕にとってはおばあちゃんがつくってくれたハム飯と、家のお手伝いさんがつくってくれたカレーライスがそれでした。
おふたりに面倒を見てもらったのは、小学校にあがるまで。幼いながらに、優しさ、愛を持って人に接することの素晴らしさをおふたりから受け取りました。
その後、おじいちゃんは小学生のときに亡くなり、おばあちゃんは僕が30歳になるころまでご存命でした。
一度、長崎の老人ホームにおばあちゃんを訪ねたことがあるんです。カメラを持参して、たくさん撮影して、思い出話をして……。