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信頼している人の悪い噂を聞いたとき【さとゆみの今日もコレカラ/第115回】

自分が好きな人や信頼している人の悪い噂聞くことって、まあまあ、ある。
話してくれる人には「悪口」というほどの意識もなくて「あの人には気をつけた方がいいですよ」くらいの善意で伝える「忠告」の場合も多い。

で、そういう時に何を考えるかというと、「分人」(by 平野啓一郎さん)の概念だ。

人の人格はひとつではない。
付き合う相手によって、その人が見せる人格は違っている。
それは、裏表があるのではなく、自分のどの側面を見せているかが違うだけである、ということ。

だから例えば、私が信頼している人をAさん、Aさんの悪口を言った人がBさんだったとして、
AさんはBさんに対しては「嫌な側面」で付き合っていて、私に対しては「いい側面」で付き合っているんだろうな、と思う。

言い換えると
Aさんは、私に対しては「いい人」であろうとしてくれたけれど、Bさんに対しては「いい人じゃなくてもいいや」という雑な扱いをしたのかもしれないと、考える。

だから、信頼している人の悪い噂を聞いたときは、「ああ、その人は、私に対しては、“いい人”な側面で付き合ってくれているんだなあ。ありがたいなあ」と考えることが多い。

これは逆のケースもある。
例えば、私にとっては威圧的な態度を取るCさん。でも、他の仕事相手にはものすっごく感じの良い人だったり、家に帰ったらめっちゃ素敵なパパだったり、ということもある。
その場合もやっぱりCさんは、私に対して「威圧的な態度を取る側面」で付き合うようになっただけであって、それはCさんの人格のいち側面でしかない。その態度を見せる相手として、私が選ばれちゃっただけだ。もしくは私がCさんの威圧的な側面を「引き出した」とも言える。

と、考えはじめると、嫌なことを言われても、あまり腹が立たない。
私の中の何が、この人の攻撃性を刺激してるんだろうと、じーっと観察していると、それなりに面白いなあと思う。

※この文章は毎朝7時に更新され24時間で消滅します。今日もコレカラよい一日を。

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【この記事をおすすめ】

芸術ならどんなものでもその傾向はあろうけれど、落語は特に受け手によってその脳内で描き出されるものが違い、またその違いを良しとする芸術なんじゃないか。

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