今回の能登半島地震では多くの店舗や事業所が被災し、事業継続をどうするのか、経営者が岐路に立たされています。「再建」か、それとも「廃業」か。葛藤を抱えながらも、営業再開に向け前を向く輪島市の老舗豆腐店を取材しました。

輪島市の山あいにある、町野町。先月1日の地震では、市街地や能登町へ続く道ががれきや土砂で塞がり、集落は一時孤立状態となりました。


「基礎の部分が壊れて扉が開かないんですけど…」

この町で60年以上続く、老舗の豆腐店「エステフーズ谷内」。工場の倒壊は免れたものの、豆腐を作るための機械のほとんどがなぎ倒されています。


谷内孝行さん
「地震で帰って来れず、その間中にあった物は痛んでしまった」「油が跳ねてベタベタだ…断水で洗えないからな」

3代目の谷内孝行さん。元日の地震当時は家族で金沢を訪れていて、自宅に戻って来られたのは発災から6日目のことでした。

谷内孝行さん
「生まれ育った町だし、住んでいる人の顔も分かるので。その人たちがどういう思いでその時過ごしているのかと考えると、胸が締めつけられる思いだった。輪島に帰ったら工場は潰れているだろうと…潰れていれば『廃業かな』と思っていた」

谷内さんの豆腐店のトレードマークは、ブルーの「移動販売車」。奥能登地域をくまなくまわる昔ながらの行商スタイルでの売り上げは全体のおよそ6割に上ります。


常連客(2022年当時)
「だいたい毎週買ってますよ。車はないしスーパーまで行けないから、来るの待ってる。豆腐なかったら、生きていけないよ」
「谷内さんのゴマ豆腐、美味しいですよ。大好きなんです」

思い入れのある町並みは、地震ですっかり変わり果てた姿に。工場で働くおよそ10人の従業員のうち、8人は2次避難などで輪島市を離れ、谷内さん一家も、現在は金沢市の親戚の家に身を寄せています(1月末時点)。さらに、この春3年生になる小学生の長女は、金沢の学校に転校させることに決めました。こうした状況で、店の営業再開は当面は叶わないと谷内さんはため息をもらします。


谷内孝行さん
「本当は今年、隣の畑の土地を買って地面舗装して増設する予定だったんです。作る量がだんだん増えてきたので。従業員が働きやすい環境を作って、もっと生産性を増やせればと思っていた」

谷内さんの友人
「まだ使えるものは使うんでしょ、大事に扱わないとね。」

この日、工場の片づけ作業を手伝おうと、新潟からやってきた布川哲さんと佐々木松太さん。布川さんは、谷内さんが通っていた陸上自衛隊少年工科学校時代の友人で、8年ぶりの再会です。


布川哲さん
「ゴミ袋や女性ナプキン、常備薬とか持ってきた。彼のSNSを見て『早いうちに手伝いに行くよ』と伝えた。元気でいてくれることが嬉しい。本当に何も変わらないね」

谷内孝行さん
「本当に嬉しい。辛い時に助けてくれる人がいて心強い」

2次避難などで町を離れたり、住む家を無くして避難生活を強いられている常連客が多くいる今、店を再開できたとしても売り上げが戻ってくることはないと話す谷内さん。それでも「もう一度この地で豆腐を届けたい」と前を向き続けます。


谷内孝行さん
「『いつまでも豆腐待ってるよ』というメッセージをいただいて。時間が掛かるかもしれないがもう一度豆腐を作りたい。家がなくなった人や、これから能登に戻ってこれるか不安を持っている人たちに、町野でもう一度踏ん張っている姿を見せたい」