[時代の証言者]I LOVE マンガ 水野英子<3>大好きな「兄」が理解者
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兄(実際は叔父)の茂がいなかったら、私のマンガ家デビューはもっと遅くなっただろうと思います。
兄は家計を支えるため、15歳から旧国鉄の
私は手塚治虫先生の「漫画大学」に感激して、小学5年生の時からペンを使ってマンガを描き始めます。それを応援してくれたのが兄でした。兄も学校で美術部にいたことがあり、必要な画材を貸してくれたり、道具の使い方を教えてくれたりしました。
兄は文学青年で、ドストエフスキーなどのロシア文学を読んでいました。年の離れた妹(実際は
当時大流行していた西部劇やターザン映画に連れて行ってくれたのも兄でした。私のカウボーイ好き、馬好き、ターザン好きはこのあたりに端を発します。
祖母のミチは兄の母です。働き者で優しい人でしたが、何しろ明治生まれですから、まったく女の子らしくない私のことをひどく心配したようです。ある日、祖母が「英子はあのままで大丈夫なのか」と兄にこぼしているのを他の部屋で聞いてしまいました。すると兄は、「英子のことはほっとけ。悪いことしてるんじゃないんだから」と、祖母をなだめてくれたんです。
大好きなお兄ちゃんでした。見た目もなかなかハンサムで、理想の男性と言っていいくらいです。だから、後に結婚して家を出たときは、失恋したみたいにショックでしたよ。
《初期代表作「銀の花びら」では、血のつながらないピーターとリリー兄妹のロマンチックな絆が描かれる。ピーターには茂さんの面影が入っているのだろうか?》
ハハハ、どうかな。でも、兄が私のこともマンガのことも理解してくれたのは、本当に心強かった。
祖母も、私に「マンガをやめなさい」とは一度も言いませんでした。それどころか、私が「少女クラブ」の別冊ふろく「黄色いリボン」(1956年)で初めて徹夜した時、消しゴムかけを朝まで手伝ってくれたんです。私のアシスタント第一号は祖母なんですよ。2人で見た朝焼けはとてもきれいでした。
兄も少し手伝ってくれたけれど、祖母ほど根気が続かない。「お前よくこんなことやってるな」って2時間でダウン。ハハハ。2人がいてくれて、私は本当に幸せだったんです。(マンガ家)
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