『ヒーロー戦記』でもガルマは死んだ!なぜだ!
*いつものようにネタバレ注意!たぶんこれの続き。
「君の父上がいけないのだよ。」とか「坊やだからさ。」とか言ってしまえればそれで終了なんですが、実は『ヒーロー戦記』のシャアはこれらのセリフを言ってません。言ってない!なぜだ!というのが今回のお題でございます。
最初に、大変申し上げにくいのですが、私ガンダムにもトミノにも、つまりはシャアにもガルマにも赤くてツノが生えた3倍つおいメカにも何の思い入れもないのでございます。いわゆるガノタ、ちょっぷるな言葉で申し上げればファンダムな皆さんからすればヌルイもいいとこの傍観者なのでして、私のような者が何か申し上げてもどっか必ず間違ってるだろうなーと危惧する次第です。小説版とか後付け設定とか全然知らんし。んが、『ヒーロー戦記』研究において、ここは避けて通れないところです。あと何の思い入れもないからこそ書けることもあるかなとちょっと考え直してもみたり。まだ調査不足ではあるのですが、今書けるだけを書いてみます。おかしいところは直しますんで突っ込みヨロシク。
ファンの皆さんの間では、『ヒロ戦』のシャアはガルマを見殺しにしていない。が通説みたいなのです。当時、そーなの?と疑問だったんですよ。確かに『ヒロ戦』にはガルマが死んだ時の描写がないのですが、描写自体がないって事は、見殺しにしたのかしなかったのか自体が不明って事です。しかし皆さん「シャアはやってない」と断定的。そんなはっきり言い切れるのはなぜだ?と考えてみたんですが、たぶん皆さんシャアとガルマが大好きで、しかも『ヒロ戦』のテーマをちゃんと理解していたのだろうな、て結論です。
まず、この作品において、本来仮面ライダーV3なはずの人物が、なぜキャラクター的には怪傑ズバットとして登場しているのかを考えてみましょう。どちらも同じ俳優さんが演じてるからネタとして。もちろんそうですが、だったら「ズバットという名前のぶいすりゃー」でも良かったはずで、なぜ逆じゃなかったのか。まあ著作権許諾の関係で「ズバット」って名前を出すわけにはいかなかったし、V3とズバットならキャラ立ち的にはズバット圧勝だからではありますが、それだけが理由なのか。
そのうえ、「ズバット関係の著作権許諾は取ってませんが、似ている別人として出しちゃいました!てへ。」てのはスタッフが明言しているところです(イヤ、てへ。は言ってないから)。私みたいなシロウトが勝手二次創作クロスオーバー書くのと違って、制作会社がこれをやっちゃうのは時代が違うとは言え結構なリスクだろうに、それでもやるからには何か制作者側にそれなりの意図があったはずです。
それは、ズバットが、親友を殺されたことに怒り悲しんでいるから、なんでしょう。『ヒロ戦』でズバットもといV3が主にやってる事と言えば、日本一じゃないな惑星エルピス一の男は自分だと証明する、親友を殺した奴を探してまわってる、殺された親友を思うと涙が出てくるぜって内容の歌(すごい意訳。これはズバットが原作で実際に歌っていた歌なの?だとすると歌詞が必要な人はそこらへんを探せばあるんじゃないかな。そうじゃなかったとしても『ヒロ戦』プレイすれば歌詞出てくるよって、今さら無理だからそれ。)をギターかきならしながら歌ってる、の3つ。仮面ライダーとして戦うなんてのはその合間にやってる余技にすぎないのです。で、プレイヤーはこれを見て思うわけです。
・この人は大切な親友を殺されちゃって、悲しくて怒っててカタキ討ちをしようとしてるんだな。
プレイヤーに、親友が死ぬのは悲しいことだ、殺されたりしたら怒って当然だ、ましてや親友を殺すなんてよくないよ、と悟っていただきたかった。様々な小ネタの連続で見過ごされちゃいそうなのですが、この主張は『ヒロ戦』全体に通奏低音として常に流れ続けます。ズバ……、じゃなくてV3の、オン…、もとい個性的すぎる調子の歌も流れ続けます。この作品における仮面ライダーblackこと南光太郎の主張が、いくら悪者だからって親友を殺したくはない、自分が間違ったってわかったんなら生きて罪を償えばいい。であることは、ここ読んでるような方ならもうすでにご存知のことと思います。それを語るのにはV3はV3ではなくズバットでなければならなかったのです。制作者側は軽いノリで、それこそてへ。程度に語ってますけど、ストーリーの構成上これは必然だったはずです。
次に、もうスーファミ壊れてるし日本在住じゃないので今確認しようがないんですが、記憶を頼りに『ヒロ戦』のシャアとガルマの行動を見ていきます。
・主人公たちはシャアとガルマと戦闘になりかけるが誤解が解けて大事に至らず。
↓
・町の酒場に行くとシャアとガルマがカウンターで2人並んで飲んでいるのを見かける。
↓
・イベントをいくつか終えて再び酒場へ行くと、ガルマはいなくてシャアひとりだけ。シャアいわく
「ガルマは死んだよ。」
「最後までお坊ちゃんだったな。」
いつの間にか死んでるー!(ガビーン!)という展開でした。
コンパチはそれこそ原作見たことない小学生からのプレイヤーがいます。原作知らずにこれらのイベントを見たとすると、シャアとガルマに対してプレイヤーが想像することは、
・この2人は仲良しさんで、いつも一緒にいるんだなー。
↓
・えー、片方死んじゃったのか。ひとりはちょっとさびししいかも。
という辺りであろうかと。これが『ガンダム(ファースト)』を見ている人なら、
・あー、やっちゃったのねシャア。坊やだから。
と思うのが普通じゃないかと思うんですが、というか私はそう思ったんですが、そこがガンダムもシャアもガルマも大好きな大きいお友達の皆さんの一味違うところ。
・ガルマが死んだのは戦闘中の不慮の事故のせいとかで、シャアに見殺しにされたからじゃないと思うんだ!
と断定してしまうのです。つまり、大きいお友達的解釈では、たとえ何か事情があったとしても親友を殺せるような奴じゃないんですよ、『ヒロ戦』のシャアって。
原作でガルマが死ぬのはけっこう初期なうえに有名な「なぜだ!」演説がなかったことになるし各状況が変化しすぎるため、SRW本編でガルマを生き延びさせるのはなかなか難しいようです。現にSRWにシャアが出るときはシャア時代はスルーしてクワトロ時代から味方として出すのが普通ですからね。ガルマ自体を避けて通っているのが現実です。二度と取り返しがつかない事を含んでこそあのクワトロが存在してるわけだし。スパロボ補正にもやっぱし限界はあるわけですよ。
それでも『ヒロ戦』はそこどうにかならんのかと果敢に挑戦しています。まずは、殺された親友のために必死になっているズバットじゃないってV3を見せて、やっぱり親友は大切だと思わせる。んでシャアがガルマを殺したかどうかはこの作品内ではその場面の描写がない以上やっぱり不明なんですが、それでもシャアに「君の父上がいけないのだよ」とも「坊やだからさ」とも言わせないことで、もしかしたらこのシャアはガルマを見殺しにしてないのかも知れない、という仮定を成り立たせる余地を与える。ついでに、原作とはさっぱり性格の違う光太郎を見せることで、このシャアだって原作とは全然違う性格なのかも知れないぞ、と思わせる。でファーストを見て大好きになって『ヒロ戦』もやったお友達は、アニメの内容は変えようがないんだけどそれでも心のどこかで「できればガルマを殺せないシャアであって欲しかった」と思っちゃったのであり、その結果、はっきりと作品内で描写されてないにも関わらず「ここのシャアはガルマを殺してないよ!」と断定するに至ったと。そして、そう思わせることに成功したこの作品の仕掛けは大成功を収めたと言えるでしょう。ここまで見事なスパロボ補正も珍しいような。
ただやっぱり、私みたいに「そこをやっちゃうからこそシャア=アズナブルなんじゃね?」と思っちゃう人もいることも間違いないはず。そして、何の先入観も持たずにプレイした小さいお友達が持つであろう感情は「ガルマって人、死んじゃってかわいそう。シャアって人、ひとりになっちゃってさびしそう。」という、ガルマとシャアへ寄り添った感情なんじゃないでしょうか。これは私のような見てただけの視聴者よりは、『ガンダム』大好きな大きいお友達の皆さんの感情により近いはず。このへんは留意すべきところだと思います。
蛇足ですが、多様なプレイヤーごとに異なる解釈ができる脚本というのはある種の「自由度」を持ってる脚本なのかも知れないんですけど、ここの話ではそれ趣旨じゃないのでまた改めて。ゲームで言うところの自由度とは何であるのか?これは私の興味のわりと真ん中のほうにある話題なので、ここにもちょっとだけ書いておくー。
さて、ラストダンジョンにて光太郎に「生きろ!」と言われたギリアムのほうですが、もう疲れた、と言って光太郎の言葉を拒絶します。「生きることが好きさ」を間逆で行く人生なわけですね。
何でギリアムが死んじゃいたいほど疲れちゃったかと言えば、どうしても親友である光太郎たちを殺せないとわかってしまったからです。ゲーム内の描写で、アポロンとしては自分の組織を壊滅に追い込むであろうゼウスに手加減なんてしてるどころじゃない、今すぐ倒さなきゃならないと理解してはいるのに、感情が邪魔して部下たちには倒しても殺すなとしか命令できない。その結果やっぱり負けちゃう、という流れになってるのね。で光太郎のほうも、親友のギリアムを見殺しにするのは苦しいんだけど、親友に先立たれること、親友を自分の手にかけることはさらに苦しいと自分の経験上知っているので(それに思い至るのは『black』を見てて光太郎や信彦に思い入れがあるであろう大きいお友達の皆さんには簡単なことだけども、予備知識なしの小学一年生がそう思うのは比較的難しいことはわかりますよね。ズバットというヒントはあるにせよ。ていうか実は私が『black』まともに見たことなくてそこまでは知らなかったんだわ(こんなところで衝撃の告白!)。ただ個人的に『ヒロ戦』はずっと「ひっかかりがある」作品だったため、色々見たり調べたりした結果をここに書いてるんだと思ってください。)、光太郎たちを殺すくらいなら自分が死ぬというギリアムの決断を否定もできなかった、で、これ以上ギリアムを苦しめるくらいなら自分が親友殺しの罪を背負って一生苦しんだほうがましだと考えてしまったんだね。崩壊するヘリオス要塞からギリアムを残してゼウスのメンバーたちが脱出した後、マサキが「ホントにこれで良かったのか」と聞くんですが、良かったんだと言ってしまう光太郎。これまたとても「生きることが好きさ!」とは言えない決断だったのが何ともやるせない話です。
あとこれもスパロボ者には言うまでもないことかも知れませんが、マサキって親しい人や本当は殺したくない人を倒さなきゃならなくなりがちなキャラで、迷いながらも倒すんだけどやっぱりどこかで割り切れてない、だからこそこのセリフが出たと言えます。『ヒロ戦』のラストダンジョンに参加するキャラはマサキ、シュウ、シーブックの3パターンあるのですが、どうやらマサキが正史とされてるのは多分それが理由です。
ここであっと思いませんか。シャアが「ファンとしては親友を殺せない人物であって欲しかった」願望レベルにとどまるのに対し、ギリアムというのは「事実として親友を殺すことがどうしてもできなかった人物」なんです。ギリアムがこの作品の主人公たる所以です。セリフの上ではアポロンは「俺は急ぎすぎた」とか反省した逆シャアみたいなことを言ってるんで、それがこの作品のテーマと思ってる人が多いのかもしれません。でも実は、言葉にあえてしていないけど「俺の間違いは親友を殺そうとしたことだった」というところがギリアムの本音で、結果的にギリアムは親友たちを一人も殺してないんですな。シャアとは違って。
最後に少女にクマのぬいぐるみが送られてくるのは、ギリアムもしかして生き延びたのかもしれないという希望を持たせるのが趣旨に見えますが、ギリアムが自分の死を予感して生前に送っておいた(というか惑星エルピスを去る前にというのがSRWシリーズ的には正解かも知れないんですが。或いはあっちこっちと転移を終えてからまた帰って来たと言う説もあります。少なくとも『ヒロ戦』の段階ではまさか後日談作るとか考えてなかったはずなので、いつ送ったか不明、生死も不明というのが正しいでしょうか。)、つまり送り主はギリアム本人であるとの判断材料を与えるためというのが本旨かと。クマのぬいぐるみ・ヒューイと新しいぬいぐるみ(双葉降臨スタッフによれば名前はデューイ。本編中には名前の記述なし。)と少女と3人で仲良くしてねというギリアムのメッセージです。3人で、というところに、俺は去るけどゼウスの3人はいつまでも仲良くして欲しいっていう願いを重ねているわけです。自分がさっぱり勘定に入ってないところがギリアムらしすぎて哀れになってきますね。もしダンアムロ光太郎が送ったのだとすれば、全員で4人になるよう2匹のぬいぐるみを送るはずですよ、彼らはギリアムも含めて4人でチームだと思っているはずですから。というわけでこの少女を私は○○○○ちゃんと呼んでるのですが、ねずみの国関連は色々ヤバいので伏せ字にしておくー。だからタグは長いけど「クマのぬいぐるみの少女」にしてありますよ。
つまり小さいお友達向けの言葉で言えば、この作品のテーマは「お友達は大事にね!」です。それ以上でもそれ以下でもないことは、物語のしめくくりがV3が親友を思って歌う場面で終わることからも明らかです。
こういった脚本上の仕掛けは、セリフ回しうんぬんのレベルにとどまらず構成的な意味で、当時のキャラゲーとしては相当冒険的であり、作り手側も批判覚悟の上だったんじゃないかと。結果的には、この作品はお子様にも大きいお友達にも好評だったようです。二匹目のドジョウを狙ったのかその後『ヒロ戦』に似た作品がいくつか作られましたが、センスがないというか才能がないというか、気づかいの足りないところが見受けられる作品はやっぱり成功しませんでした。と言っても、当時その時その状況だったから実現できた奇跡的な部分もあったことも間違いないので、作ろうと思って作れるもんなら誰も苦労はしないってのもわかります。でも、純粋に受け手側にしてみれば、そりゃあ面白いゲームがやりたいに決まってますからね。ゲーム性に飛びぬけたところはなくても、今でもこの作品を悪く言う人が滅多にいないのも頷けます。こういうのはやっぱり、最初にやったもん勝ちな部分はあるんじゃないですかね。
ということで、ガルマは死んだ!なぜだ!スパロボ補正にも限界はあるからだ!でも、シャアは親友を見殺しにするような人じゃないって思いたいよね。今はいいのさ全てを忘れてしゃあしゃあしゃあ、だってこれ二次創作だから原作とは結果違くてもいいんじゃん。でもってギリアムはどうしても親友を殺せないヘタレっぷりがモエー。が本稿の結論でございました。ご静聴ありがとさんにござんす。
ヒロ戦談義はまだ続くよ!でも次いつ書けるかわかんないので、しばらくお待ちくださいー。
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