糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの
02月20日の「今日のダーリン」
・数時間前に羽生結弦のアイスストーリー
『RE_PRAY』の横浜での公演から帰ってきた。
こぼれるくらい感じたものはあるのだが、
まだことばにまとめるのは難しい。
感じたこと思ったことの断片を、ランダムに記しておく。
これはぼく自身が、いずれまたその先を考えるためのメモ。
・羽生結弦はひとりももらさぬようにとばかりに、
あらゆる関係者への感謝をことばにしていた。
そのことの本気さはとてもよく伝わってきた。
ただ、そのたくさんの人たちのおかげでできた表現の
ずっと「切っ先」で輝いていた男は羽生結弦だ。
・競技スポーツの世界で、採点という「客観に似た視点」が、
スケートの愉快さ、おもしろさ、可能性を、
狭めてしまうこともあったのかもしれない。
その世界の競い合いからスピンアウトした羽生結弦は、
「選手」と呼ばれていたとき以上に、表現しきっていた。
・羽生結弦が「ぜんそく」だったことは、
まわりまわって、いまの彼の表現に大きな力を与えている。
「息」を意識する、「息」についてことばで語る、
「息」が生命の鼓動を見えるようにしてくれている。
この「息」が止まることがあるのだと知りながら、
止まる直前までの絶頂感を、彼は無意識で演出している。
・「なんでもない少年」だったことを羽生結弦は憶えている。
その「なんでもない少年」が、
あの「とんでもない時間」を生み出せる理由は、
人びとの期待を燃料にして爆発させてきたからだ。
人の期待とは強力な燃料でもあり危険物でもある。
こころからの礼を尽くして取り扱わねばならない。
・神がいるのかいないのかは別にして、
羽生結弦とは、なにか大きなものへの捧げ物である。
地上の人間たちが、精一杯の丹精を込めて天に捧げる者。
そうあってもいいと、本人が覚悟したのだろう。
・俗世間のぼくは思う、神さま、羽生結弦に、
「なんでもない幸せ」を毎日のおやつ分くらい与え給えと。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
この日、彼からの「ありがとう」を何十回聞いただろうか。
『RE_PRAY』の横浜での公演から帰ってきた。
こぼれるくらい感じたものはあるのだが、
まだことばにまとめるのは難しい。
感じたこと思ったことの断片を、ランダムに記しておく。
これはぼく自身が、いずれまたその先を考えるためのメモ。
・羽生結弦はひとりももらさぬようにとばかりに、
あらゆる関係者への感謝をことばにしていた。
そのことの本気さはとてもよく伝わってきた。
ただ、そのたくさんの人たちのおかげでできた表現の
ずっと「切っ先」で輝いていた男は羽生結弦だ。
・競技スポーツの世界で、採点という「客観に似た視点」が、
スケートの愉快さ、おもしろさ、可能性を、
狭めてしまうこともあったのかもしれない。
その世界の競い合いからスピンアウトした羽生結弦は、
「選手」と呼ばれていたとき以上に、表現しきっていた。
・羽生結弦が「ぜんそく」だったことは、
まわりまわって、いまの彼の表現に大きな力を与えている。
「息」を意識する、「息」についてことばで語る、
「息」が生命の鼓動を見えるようにしてくれている。
この「息」が止まることがあるのだと知りながら、
止まる直前までの絶頂感を、彼は無意識で演出している。
・「なんでもない少年」だったことを羽生結弦は憶えている。
その「なんでもない少年」が、
あの「とんでもない時間」を生み出せる理由は、
人びとの期待を燃料にして爆発させてきたからだ。
人の期待とは強力な燃料でもあり危険物でもある。
こころからの礼を尽くして取り扱わねばならない。
・神がいるのかいないのかは別にして、
羽生結弦とは、なにか大きなものへの捧げ物である。
地上の人間たちが、精一杯の丹精を込めて天に捧げる者。
そうあってもいいと、本人が覚悟したのだろう。
・俗世間のぼくは思う、神さま、羽生結弦に、
「なんでもない幸せ」を毎日のおやつ分くらい与え給えと。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
この日、彼からの「ありがとう」を何十回聞いただろうか。