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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-02-20

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・数時間前に羽生結弦のアイスストーリー
 『RE_PRAY』の横浜での公演から帰ってきた。
 こぼれるくらい感じたものはあるのだが、
 まだことばにまとめるのは難しい。
 感じたこと思ったことの断片を、ランダムに記しておく。
 これはぼく自身が、いずれまたその先を考えるためのメモ。

・羽生結弦はひとりももらさぬようにとばかりに、
 あらゆる関係者への感謝をことばにしていた。
 そのことの本気さはとてもよく伝わってきた。
 ただ、そのたくさんの人たちのおかげでできた表現の
 ずっと「切っ先」で輝いていた男は羽生結弦だ。

・競技スポーツの世界で、採点という「客観に似た視点」が、
 スケートの愉快さ、おもしろさ、可能性を、
 狭めてしまうこともあったのかもしれない。
 その世界の競い合いからスピンアウトした羽生結弦は、
 「選手」と呼ばれていたとき以上に、表現しきっていた。

・羽生結弦が「ぜんそく」だったことは、
 まわりまわって、いまの彼の表現に大きな力を与えている。
 「息」を意識する、「息」についてことばで語る、
 「息」が生命の鼓動を見えるようにしてくれている。
 この「息」が止まることがあるのだと知りながら、
 止まる直前までの絶頂感を、彼は無意識で演出している。

・「なんでもない少年」だったことを羽生結弦は憶えている。
 その「なんでもない少年」が、
 あの「とんでもない時間」を生み出せる理由は、
 人びとの期待を燃料にして爆発させてきたからだ。
 人の期待とは強力な燃料でもあり危険物でもある。
 こころからの礼を尽くして取り扱わねばならない。

・神がいるのかいないのかは別にして、
 羽生結弦とは、なにか大きなものへの捧げ物である。
 地上の人間たちが、精一杯の丹精を込めて天に捧げる者。
 そうあってもいいと、本人が覚悟したのだろう。

・俗世間のぼくは思う、神さま、羽生結弦に、
 「なんでもない幸せ」を毎日のおやつ分くらい与え給えと。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
この日、彼からの「ありがとう」を何十回聞いただろうか。

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