あなたはもう一人のわたしです。
覚醒剤の所持で逮捕をされた経歴を持ち、現在は風俗嬢の送迎の仕事をやっている男性T様にお会いした。覚醒剤の再犯率は高く、女性の場合は90%とも言われている。前科がつくと、刑務所を出ても普通に働くことができなくなる。コンビニも警備員もやることができず、結果、どうにかして子供を育てなければならない人は反社と呼ばれる人たちと関わるようになり、更生するどころかズブズブに嵌る。自己責任だと言われるのかもしれないが、誰にだって一歩間違えれば同じ状態になるリスクや脆さがある。一度過ちを犯した人間に対して、一般社会は驚くほど冷たい。悪だけが受け皿になる。この点において、悪は優しい。誰かを除外はしない。
新宿で泊まったカプセルホテルが大久保公園の真横にあり、あ、ここは立ちんぼの聖地じゃないかと思った。一般的にはホストに嵌った若い女子たちが公園前に立ち、話しかけてくるおじさんたちにスマホのメモ帳を見せて「これならいくら、これならいくら」と金額を提示する。相場はだいたい一時間一万円で、おじさんを相手にしているとメンタルがやられるから、市販薬を乱用する「トー横キッズ」になる。家がない女子も多く、風俗店に籍を置きながら、少ない服を着回して生きる。彼女たちの雰囲気は明るい。月収が百万円の女子は「もう、昼職には戻れない」と言った。百万あれば家も借りられるが、有り金は全部ホストに注ぎ込むらしい。
そう言う人々を見て「やめろ」と言うのは簡単だ。だが、私たちには、自分たちと違う世界を見たい願望がある。自分なら絶対にやらないと思いながら、裏社会に興味を持つ人は少なくない。スカートの中を覗き見すると捕まるが、他人の生活をインターネットや漫画で覗き見するだけなら、法律に問われることはない。だが、本質的には同じことだ。三組に一組が離婚をする社会において、こどもたちは結婚に理想を抱くことができなくなる。どうせ別れる。どうせダメになる。だったら今を楽しもうぜ。先のことなんて知らないよ。そんなことを言う人に対して「自分を大事にしろ」と言っても、虚しく響くだけだ。そう言う大人たちが、自分を大事にしているように見えない。夢や希望を持てと言うが、実際に追いかけているのは金だけで、大人に夢や希望があるように見えない。そんな人からそんなことを言われても説得力がない。
こうすれば愛される、こうすればモテる、こうすれば好かれる、こうすれば受け入れられる、そのようなテクニックはすべて「愛されるためのもの」であり、愛するためのものではない。嫌われたくない、傷つきたくないと言った思いも、同じだ。愛することではなく、愛されることに主軸が置かれている。愛されることばかりを考えていると、愛することができなくなる。愛される限りそこにいてもいいが、愛されていない自分は生きている価値もないということになる。愛する力が発動されることはなく、愛する技術が磨かれることもなく、愛を求めて彷徨う愛の乞食になる。理解を求めて彷徨う理解の乞食になる。そこにあるのは、期待と幻滅の世界だ。愛と期待は違う。愛は、期待をしない。愛は、愛する者も、愛される者も、お互いを自由にする。愛は真理に近く、愛は自由に近い。
何かを醜いと思う、その心が一番醜い。悪は、自分の外側ではなく、自分の内側にある。内側にある悪を認めると、外側にある悪も許せる。俺は違う。俺は他の人間と違う。自分は悪くない。自分は間違っていない。そう思っている間は、分離が進むだけだ。同じ人間だ。何かを美しいと思う時、その心が一番美しい。違いを見るな。同じを見ろ。自分と違う人間だと思うから、差異に傷つき、自分や他人を否定する。自分と同じ人間だと思うと、共通の喜びと、共通の悲しみに心を動かすことができる。悪を糾弾する心も、同じように悪である。正しさの中に悪がある。間違いの中に許しがある。罪を犯さずに生きてこられた者が、この世に一人でもいただろうか。間違いを犯さずに生きてこられた人間が、この世に一人でもいただろうか。自分を棚に上げると、不幸になる。全部、自分だ。 おおまかな予定
2月18日(日)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!