入社年度 | 2010年 |
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出身校 |
法政大学大学院 建設工学科 都市環境デザイン工学専攻 |
所属部門 |
開発事業部 事業推進室 |
仕事の内容 | 区画整理事業の立て直し支援、駅前活性化検討、公園設計等 |
【建築会社(設計事務所・ゼネコン)ではなく、建設コンサルタントを選んだ理由】
私は高校生の時に建築の本を読み、「建物」を作るという分野に興味を持ちました。その時はバルセロナのまちに興味を持ちました。バルセロナのまちは京都と同様に碁盤目のような作りになっています。
まちが出来た年代や背景が全く違う中で、どうして同じようなまちが出来るのか興味を持ちました。
その後、大学・大学院に進むと、建築の楽しさもわかり、就職をどうするか迷っていました。その時に日本で都市計画の第一人者と言われる方の講義があり、「都市計画と建築の違いはどう考える?」という質問があり、私は「建築は1つの家なら1人、1家族、多くて何十人を幸せにできる仕事で、都市計画は何万、何十万、何百万人の人が幸せにはできないかもしれないけど、地味だが、普通に使うことができ、人に役立つ仕事です」と答えました。その先生も私も同じ思いを持っていたらしく、「私も都市計画を始めたきっかけは同じでずっとこの仕事をしてきました。その気持ちを持ち続けるならまちづくりの仕事をした方がいい」とアドバイスをくれました。そのため、地味で目立たない仕事ですが、「普通に多くの人に役立つ」ためにこの仕事を選びました。
【東日本大震災の被災者のための住宅用地の整備を行っています】
私が入社1年目の3月に東日本大震災が起きました。翌年の12月に東日本大震災では被害が最大であった石巻市に転勤する事となりました。
石巻市では津波・地震被害に遭われた方の新たな住宅用地を整備する事となりました。大規模な「新たなまち」を作るには、一から計画、設計、整備と短期間で進めなければならなく、用地を確保する支援や被災者の方が希望する住宅用地や災害公営住宅の整備、商業用地の整備など様々なことを並行して進めなければなりませんでした。被災した方々が一日でも早く安心して住める場所を作るため、とても大変な業務でしたが、まちが少しずつ出来ていく様子は今でも忘れられません。
石巻市には3年半いましたが、その後東京に転勤となり、まちづくりを最後まで見届けることはできませんでした。
震災から7年経ちましたが、引き続き、東日本大震災の支援を行っており、熊本地震についても支援を行っております。被災者のためのまちづくりにも関わることができるとてもやりがいのある仕事です。
時間があるときに休みを使って石巻市へ行き、住んでいる人や公園で遊んでいる人を見たときに、最もやりがいを感じることが出来る瞬間だと思います。
【まちづくりが進まなく困っている人を支援。まちづくりを立て直すことを行っています】
皆さんが住んだり、買物したりする「まち」というものがどのようにできるかご存知でしょうか?大学で学んだ人は聞いたことがあるかもしれませんが、一つの方法として、土地区画整理事業という手法があります。
「まちづくり」は行政が行うと考えている人が多いと思いますが、ある一定の地域に土地を持っている人が集まり、組織化を図り、まちづくりを行うケースがあります。(行政が行う場合ももちろんあります。)
その中で1990年代頃、土地の価格が上昇し続けてた時期には(俗にいうバブル期)、自分の土地の価値が上がることを期待し、多くの地区でまちづくりが行われました。
その後、皆さんもご存知の通り、バブルがはじけ、土地の価格がどんどん下がり、一部のまちづくりでは事業が進まなくなり、借金を抱えてしまい、首が回らない地区が増えてきました。そういった地区に対して、まちづくりをどう進めるか、借金をどう返すか、事業を完了させるにはどうするかなど、地元の人と一緒に悩み、まちづくりの立て直しの仕事もしております。
昭和株式会社では新たなまちづくりだけでなく、事業が進まなくなった地区の支援も行っています。
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