私が撮影したアポロ11号。
大阪万博にて。1970年8月。
その年の10月。横浜、自宅前。
胸に着けているバッヂは学級委員
のバッヂだ。これは校章と違って
返さないとならないので手元には
無い。
全校学芸会の演劇シナリオを書い
たのがこの小4の時。翌年横浜の
通っていた小学校で採用されて
全校舞台劇の脚本となった。
核兵器廃絶と反戦平和がテーマ
で、ラストシーンは大国の核弾
道ミサイルの応報であたり一面
が真っ白になって全てが終わる、
という演劇だった。タイムスリ
ップ物。かなり後年、今井雅之
さんが書いた戯曲「ウインドオブ
ゴッド」がかなり近いテーマと
表現方法だった。
私の1970年の作は、タイムスリ
ップした主人公が各時代での圧
政をほしいままにする権力者と
それに苦しむ民衆の日常に直面
して、それまで何の不自由も感
じなかったいわばノンポリだっ
たのに、目の前の現実を見てい
やがおうにもいろいろと主人公
の少年が考え始める、という描
写を軸に描いていた。
だが、現代に戻って来た時、世界
は終わりの直前だった、という物
語。
小学校3年の時から小6まで毎年
選挙で学級委員に選出されてい
た。立候補した事は無い。他薦
による。
勉強が特段できた訳ではない。
だが、ずっと他薦による選挙で
選出された。紛争問題解決まと
め役(笑
私のクラスまとめ、生徒会まと
めの方針は、徹底的な議論を中
軸に据えたものだった。
それが時代にはマッチしたのだ
ろう。些細な問題も大きな問題
も、全員参加で徹底討論による
審議に基づいたまとめをした。
時に教師とも反発したが、生徒
全体の声を集約して生徒の反対
意見も討議を経て一つの意見に
まとめる役を遂行した。
それは、ある意味、水面下の
ロビー活動や根回し含めたネ
ゴシエーターのような事もや
った結果だった。汚れ役。
結果、小3から小6まで毎年各
学期で学級委員に任命された。
学校側、担任(特に戦前保守派)
は非常に嫌だったのではなかろ
うか。全く学校や教師の言い
なりの御用生徒ではなかった
から。
1972年小6秋の日光修学旅行。
別な小学校に転向後だが、横浜
とは別な土地の小学校でもやは
り学級委員章を着けている。
この時のスタジャンの親友Kと
の会話は、前日にバスの中から
みんなで見た中禅寺湖のジャンプ
する大きなトラウトについての
会話。私が自分の意見を述べて
いる。それに聞き入る親友K。
勉強は特段できない。
勉強特化優秀型でないのは、
スポーツ大好きだった奴の
世の中の定番だ。
小学生の時のスポーツは野球
(少年リーグ、投手)、バス
ケ(部活)、水泳(部活、横
浜市3位)、陸上、剣道(道場)、
柔道(道場)をやっていた。
あと、絵画教室に通って絵を
描き、カワイ音楽教室で鍵盤
楽器を習っていた。算盤塾は
性に合わないので即やめた。
小学生時代は運動三昧。
勉強などしやしない。
学校の勉強は好きではなかった
からだ。
通信簿はオール5ではなく、たま
に5並びでなく4が混じる事もあ
った。
勉強できる奴というのはオール
5だ。私はそれではない。
の会話は、前日にバスの中から
みんなで見た中禅寺湖のジャンプ
する大きなトラウトについての
会話。私が自分の意見を述べて
いる。それに聞き入る親友K。
勉強は特段できない。
勉強特化優秀型でないのは、
スポーツ大好きだった奴の
世の中の定番だ。
小学生の時のスポーツは野球
(少年リーグ、投手)、バス
ケ(部活)、水泳(部活、横
浜市3位)、陸上、剣道(道場)、
柔道(道場)をやっていた。
あと、絵画教室に通って絵を
描き、カワイ音楽教室で鍵盤
楽器を習っていた。算盤塾は
性に合わないので即やめた。
小学生時代は運動三昧。
勉強などしやしない。
学校の勉強は好きではなかった
からだ。
通信簿はオール5ではなく、たま
に5並びでなく4が混じる事もあ
った。
勉強できる奴というのはオール
5だ。私はそれではない。
そんな私にも一つだけ自慢では
ないが自分でも自覚している得
意なものがあった。
それは速力。徒競走の。
小学校から高校卒業まで、学年
で私より速い人間に出会った事
がない。陸上部も含めて。
中学高校は学年どころか全学年
でだ。
常にぶっちぎり。
小中はバスケ部だったが、足が
異様に速いので陸上部からも引
っ張られて、陸上部の強化訓練
に特別参加として投げ込まれて
大会に出場させられた。
1972年小6。
だが、上には上がいるもので、
小学生の時に関東の大会に出た
ら決勝には進めなかった。
つまり、日本一にはなれてい
ない。途中の下の方のローカル
大会でドボンだった。
種目は短距離と中距離だった。
だが、ローカルな駅伝大会では
学校代表選手として参加して区
間新記録を作って、5人抜きを
やった。
中2のはじめ時点では非公式超
短距離の50mは5秒8だった。
6秒フラットは毎回。
陸上部の選手よりも速かった。
生まれつき足は速かった。
これ、訓練はしたが、努力で
はなく生まれつき。
俊足か鈍足かは遺伝的なものだ。
自分の手柄ではない。先天的な
肉体的なものだ。
だが、この足の早さは後に大学
の時に逃げ足の早さで役立った(笑
というか、「いくさは走る事だ。
走れなくなった時は死ぬ時だ」
(七人の侍の七郎治の言)と
いうやつ。
あと、足だけでなく手も早かっ
た。二つの意味で(笑
アポロの時代。
それは、人類の進歩と調和の
時代だった。
小学生時代から世界の社会に
は裏があるのは知っていたが。
まあ、目の前、ベトナム行き
の戦車を積んだ貨物列車が横
須賀に向けてバンバン通ってい
たら、なんだろう?と思うよ
な。小学生でも。
誰が誰を殺しに行くのか、と。
そういう時代。
そうそう。日本の非核三原則
というのは真っ赤な嘘だから。
米空母が核搭載していないと
思う?(笑
小学生の子どもが考えても分か
るよ。
日本から出た米空母がそのまま
洋上に展開する。
どこで核兵器を搭載するのさ(笑
まあ、社会には表と裏がある。
公式発表の表だけを鵜呑みに信
じてるのは間抜けな迷える羊だ
ぜ。
そいつは小学生の時からおいら
は気づいていた。
「大人の嘘」として。
そして、「大本営発表」という
のは21世紀の現代でも続いてい
る。
間抜けになるのはやめようぜ。
人間がそこから脱却する方法
はある。
それはオートバイに乗る事(笑
見えるべきものが見えて来る。
命がかかっているから。