設定、内容ともに『ゴジラ』のパクリ…『仮面ライダー』のスタッフが韓国で指導した幻の韓国映画の正体
日本文化の過度な流入を警戒していた映画『シン・仮面ライダー』(原作・石ノ森章太郎、脚本・監督・庵野秀明)の公開と前後し、『仮面ライダー』生誕の地である東映・生田スタジオのドラマを描いた書籍『「仮面」に魅せられた男たち』(牧村康正著、講談社)が刊行された。
『仮面ライダー』制作当時、邦画界は大映の倒産危機に揺れていた。その影響は『仮面ライダー』のスタッフ集めにも影を落とす。また『仮面ライダー』のスタッフは遠く韓国までおもむいて、特撮映画の指導を行っていたという。
前編に引き続き、『「仮面」に魅せられた男たち』より、当時のエピソードを再編集してお届けする。
「特撮をやりたかったわけではないんですよ」
エキス・プロの三上陸男も有作に巻き込まれたひとりである。
画家志望だった三上陸男は、18歳で本多猪四郎監督の『ゴジラ』(1954、東宝)に特撮美術のアルバイトで参加した。
以降、国内や海外で数々の作品にかかわっている。
三上のキャリアは、そのまま戦後の特撮美術史を物語っているといっても過言ではないだろう。
以下、三上の証言である。
「円谷英二さん、渡辺明さん、成田亨さん、みなさんよく存じあげています。『ゴジラ』ではその3人の下で働いていました。でもぼくは特撮をやりたかったわけではないんですよ。映画にはかかわりたかったけど、たまたま最初が『ゴジラ』だったんです。背景画から入ったので、しょせんは〝塗り屋〟と呼ばれていました。ミニチュアなんかの着色まで全部やっていましたんでね。
ぼくらが入ったころの東宝には最新技術というほどのものはなかった。ミニチュアを使ってゴジラを大きく見せるぐらいは誰でも思いつくことですよね。ただその場合、背景画がとても重要になってくるんです。屋外の絵が多いんですよね。街並みだとか雲だとか。自分の描いた絵がスクリーンに出ればわかりますけど、一向にうれしくはなかったですね」
いうまでもなく、円谷英二は特撮の神様、渡辺明は円谷の盟友にして東宝特撮の重鎮、成田亨は彫刻家にしてウルトラマンのデザイナーである。
三上にとって特撮美術が仕事の第一希望ではなかったにしても、十代でそうそうたる特撮のスペシャリストに接していたわけである。