第百八十八章 決壊
間に合った!
皆さんよいお年を!
「こ、ここまでするか……」
意外にも準備よく鍵まで用意していたサザーンは、渋る俺を泥棒ホイホイ部屋に引っ張り込むと、ためらうことなく扉を閉めた。
確かにこの部屋は鍵がなければ外からも扉を開けられない。
籠城するにはうってつけの場所だろう。
だが、たかが映像を見るためにこんなやばい場所に入り込むとは思わなかった。
「ほら! はやくっ! はやくっ!」
呆れる俺を余所に、肝心のサザーンは映像を見るのが楽しみなあまり若干子供にもどっていた。
隣の床をバシバシと叩くサザーンの姿にため息をつきながらも、俺はサザーンに近づいていく。
どうせ実時間では一瞬で終わることだ。
ちゃちゃっと済ませてしまえばいいだろう。
サザーンが求めるままに隣に座るのもなんとなく癪だったので、サザーンの前に向き合うようにして腰を下ろした。
この部屋の床は全部豪華っぽいやわらかなカーペットが敷いてあるので、直に座っても問題はなさそうだ。
つらつらとそんなことを考えながら、隣からの熱い視線に急かされて鞄から石板を取り出す。
「じゃあ、サザーン」
「う、うん」
サザーンが石板の映像を見るには俺に触れている必要がある。
手を差し出しながら俺がうながすと、サザーンは俺の手を握る……直前で手を止めて、着ていたローブで自分の手を念入りに拭う。
そして、今さら何をためらっているのか、やけに怖々と俺の手を握った。
「準備はいいな?」
「……ぁ」
俺が訊くと、サザーンは一瞬だけ迷うようなそぶりを見せて視線を下に落としたものの、すぐに強気な顔をして返事をした。
「あ、当たり前だ!」
それを確認して、俺は石板に向かって手を伸ばし、「第二話」の文字に触れた。
――あれから、一年の月日が流れた。
とは言っても現実世界の話ではない。
物語世界での話だ。
第一話で故郷を魔物に滅ぼされたアレクスは冒険者として街を渡り歩き、第二話ではいっぱしの戦士となっていた。
第二話の物語は、アレクスと未来の仲間たちとの出会いを描いたものだった。
アレクスは偶然馬車が魔物に襲われている場面に出くわすのだが、その馬車に乗っていたのが光の王女シエルとその護衛たちで……、というよくある展開である。
第三話までは見たことがあるとはいえ、演出を一新し、音声をつけたこの映像はオリジナルとはもはや別物だ。
確かに以前見たはずの筋立てなのに、油断するとついつい物語に引き込まれる。
特に、アレクスと魔法剣士でもある光の王女シエル、そしてその護衛の二人、剣聖ルデンと魔術師ネームレスが一丸となって魔物のリーダーと戦った場面はなかなかに見ごたえがあった。
相手はアークデーモンというモンスターで、名前はリヒター。
ちなみにアークデーモンは猫耳猫終盤のダンジョンのボスモンスターで、魔王や邪神をのぞけば最高クラスのボスと言える。
デウス平原にブッチャーが出るのと大体同じくらいの事態だと考えていいだろう。
終始アレクスたちを圧倒していたが、アレクスの決死の一撃と、身を挺して彼をかばおうとしたシエルの行動に、「お前たちに興味が湧いた」とか何とか言って去っていった。
まあ、あれだ。
序盤でいきなり格上の敵が出てくるが、勝てないけど一矢報いた主人公の力を認めて不自然に帰っていく、という少年漫画によくある展開だと言える。
ゲームで見た時は映像しょっぼいし筋立ては陳腐だしどうしようもないなぁ、と思ったのだが、同じ内容でも面白く見れたのは、やはり改変されたこの映像記録がうまく作られているからだろう。
などと分析をしている間に第二話は終わって……。
「凄い凄い凄い凄い! み、見た?! 見たかソーマ?!」
「は? 見たって、何を?」
現実世界にもどってくると、サザーンが興奮した様子で俺に話しかけてきた。
俺と触れていたおかげで、どうやらサザーンも無事に石板の映像を見ることが出来たらしい。
それは喜ばしいことだとは思うが、ちょっとこのテンションにはついていけない。
「ネームレスの腕だよ! ほら! ほらこれ!
僕がしているのと同じ腕輪をしていただろ!」
「あー。そうだった……っけ?」
俺の頬にめり込ませるほどの勢いで腕輪を見せてくるサザーン。
名前は環魂の腕輪、だっただろうか。
そういえば、シエルのお供の優男風の魔術師が似たような腕輪をしていたような気がしなくもない。
「僕の一族の始祖はあの大魔術師ネームレスなんだ!!
まさかご先祖様の姿をこの目で見れるなんて!
僕は世界一の果報者だ!」
「そ、そうか。それは、よかったな……」
握ったままの俺の手をぶんぶんと振り回すサザーンにちょっと引く。
まあ尊敬する自分の祖先の活躍を見るのは楽しいかもしれないが、やっぱり喜びすぎじゃないだろうか。
「実は、この環魂の腕輪には魂を封じる力があるんだ。
今もこの腕輪の中には代々の当主の記憶が入っていて、そこにはあのネームレス様の記憶も少しだけ残っているんだ」
「なるほど。もしかして、お前が邪神大戦のことについて詳しいのも……」
俺が不用意にそんな質問をすると、サザーンはさらに俺の手を握る力を強め、身を乗り出して説明をし始めた。
「よく分かったな! この腕輪は凄いものだぞ。
この腕輪が二個あれば一族の歴史は変わったのではないかと言われる秘宝で、今でこそ単に当主の使命と記憶を断片的に保存しているだけだが、その力を全力で使うともっと凄いことが出来る。
そもそもだな! ネームレス様があの若さで筆頭魔術師になれたのもこの腕輪で先代の記憶を引き継いでいるからで、だからこそ代々のネームレスは名前を持たない不死身の魔術師としてネームレスの名前を……」
すっかり説明モードになってしまったサザーンの言葉を右から左に聞き流しながらも、俺は少し納得していた。
サザーンの先祖が邪神大戦の英雄なのだとしたら、こいつの家が由緒ある貴族という説もあながち間違っているとは言えない。
子供の頃から蝶よ花よ……というのは男だから違うかもしれないが、とにかく大切に育てられていたならワガママな奴になるのも納得だし、英雄である先祖に匹敵するような魔術の才能があれば、そいつに憧れるのも分からない話ではない。
「おいソーマ! 聞いてるのか?」
「聞いてる聞いてる。その腕輪が大事な物だってことだろ」
「ぐ、間違ってはいないが、しかし、そんな単純な話では……」
俺の適当な返しにサザーンは不満を抱いたようだが、先祖を見れた興奮が勝ったのか、それを呑み込んだ。
「と、とにかく、これは僕の命の次に、いや、もしかすると同じくらいに大切な物だ。
だからソーマ。もし僕が死んだら、この腕輪は僕の一族のところに届けてくれ。
故郷の場所はアレックズが知ってるから」
「お、おい。いきなり何を言ってるんだよ、お前は」
あのサザーンから、まさか自分が死んだ時のことが出てくるとは思わなかった。
俺は眉をひそめたが、サザーンはふん、と鼻を鳴らした。
「もちろん、僕は死ぬつもりなんてない。ただ一応、念のためだ」
「いや、だから……」
「まあ、貴様はすぐに元の世界に帰るのだろうから、関係ないだろうが、な」
何か言おうと思ったが、サザーンの少し寂しげにも聞こえるその言葉に、俺はそのタイミングを失ってしまった。
サザーンもそれから何を言うでもなく、しばらく黙っていたが、俺と視線を合わせないようにして、ぽつりぽつりと話し始めた。
「僕は故郷から飛び出したクチだが、元いた場所に帰りたいという気持ちは分からないでもない。
だから、その。……やっぱり迷惑、か?」
「え……?」
あまりに予想外の言葉に、俺の口から間抜けな声が漏れた。
「だから! お前はすぐに元の世界に帰りたいんだろ?
なのに僕が自分の知識欲のために引き留めているのは、やっぱり……」
「サザーン……」
正直、こいつがこんなに他人のことを考えられる奴だとは思わなかった。
……いや、違うか。
こいつももしかすると、変わったのかもしれない。
最初はゲームのNPCそのもののようだったリンゴが、感情を獲得したように。
戦うこと以外に無関心だったミツキが、人のことを思いやるようになったように。
サザーンもきっと、ゲームとは違う成長を遂げたということなのだろう。
そんな変化を見せたサザーンに、俺は、
「余計な気を回すなよ、馬鹿」
「いてっ!」
うつむいたままの仮面を、指で思い切り弾いた。
腕力数値のせいでかなりの威力が出たらしく、サザーンは割と本気で悶絶した。
「な、何するんだよ!」
抗議の声をあげるサザーンに、語りかける。
「あのな。そりゃあもちろん、俺も元の世界には帰らなきゃとは思ってるけどさ。
みんなにお別れだって言いたいし、一刻一秒を争うほど急いでる訳じゃない。
俺だって、邪神のことはちゃんと知っておきたいと思うしな」
「そう、なのか?」
「ああ。だって、そうじゃなきゃなんとなく……おさまりが悪い、だろ?」
もし、俺がこの世界にやってきてからの出来事を一つの物語だと考えるとしたら。
ゴールはきっと、俺と真希が元の世界に帰るところになるだろう。
だが、その物語を閉じるためにはやっぱり邪神のことは避けて通れないように思う。
ゲームでも邪神そのものについては詳しく触れられていなかった。
何も俺には、封印された邪神を倒したり、封印を強化したり、なんて面倒なことをするつもりはない。
だが、だからこそ。
邪神がどういうもので、一体どんな危険があるのか。
それを知らないままだと、俺はこの世界に未練を残してしまうような気がする。
「だからお前は、何にも気にしなくていい。
それに……こうやって二人で集まって同じものを見るっていうのも、なかなか楽しいしな」
「ソー、マ」
そんなに意外な言葉だったのだろうか。
まあ、サザーンと二人で一緒に何かをすることが楽しいなんて、半年前の自分には全く想像すらつかないことなのも確かだ。
サザーンは仮面の奥の目を真ん丸にして絶句して、それから仮面の下の口元をにやにやと緩ませた。
「そ、そうか。お前がそう言うなら、仕方ないな。
ふ、ふふん。特別に、貴様に僕と一緒にネームレス様の活躍を見守ることを許そう」
口調の尊大さとは裏腹に口元は緩みっぱなしだし、何かくねくねと動いていて気持ち悪い。
「活躍するのはネームレスだけじゃないからな。
あと、嬉しいのは分かったから、その内股気味に足をもじもじさせるのは気持ち悪いからやめろ」
「ち、違う。こ、これはその……」
「これは、何だよ」
狼狽するサザーンが少しだけ、少しだけほほえましく思えて、俺はわざと意地悪な口調で問いかける。
「だ、だから、その、これはぁ……」
サザーンも本気で困りながらも、そこには少しだけ、楽しんでいるような雰囲気がある。
なんとなくだが、サザーンともこうやって気安く、仲間だけが出せるような空気の中で会話出来るようになった気がする。
――だから、だろう。
俺は、完全に油断していた。
この隔離された空間は安全だと、誰も、ここにいる俺たちの邪魔は出来ないのだと、そう愚かにも信じていたのだ。
「た、ただ、その……ぇ?」
それは、あまりにも突然だった。
楽しげで、緩み切った二人の空気に、罰を与えるように。
「なに? これ……?」
――サザーンの左胸から、刃が生えた。
「な……!」
あまりの事態に、動けない。
目の前でとんでもない事態が起こっているはずなのに、理解が追いつかない。
それはまるで、熱したナイフでバターを切り裂くように。
あっさりと、あまりにもあっさりと、その刃がサザーンの胸から飛び出してくる。
「あ、ぅ、ぁ……」
サザーンが怯えた声を出し、それでも俺は動けない。
非現実的な光景の中、ナイフはその刃を全てサザーンの身体から通り抜けさせ、そこから柄が、それを握る手が飛び出してくる。
「サザーン!!」
ようやく金縛りが解けた俺が叫ぶ。
だが、それは遅きに失していた。
異常は止まらない。
ナイフは完全にサザーンの左胸を貫通。
そこからすらりと長い腕が現れ、さらにその上。
――うぞり。
のたくる蛇のような金色が、サザーンの身体から現れ出でる。
そのメデューサのようなうねる金色は、女の顔となって、俺を見て……。
――み ぃ つ け た !
「う、うわ――」
「ひゃぁあああああああああああああああああああああああ!!」
閉じられた部屋の中に、二人分の悲鳴が響き渡ったのだった。
「サザーン。湯加減はどうだー?」
脱衣所の隅から、浴室にいるサザーンに声をかけたが、返事はない。
(まあ、あんなことがあった後じゃ、無理もないか)
サザーンの身体から突き出てきたのは、『うわきものに死を!!』を発動させたレイラだった。
完全に油断していたが、あれを発動させたレイラは、途中にある障害物を貫通するのを忘れていた。
泥棒ホイホイの部屋から俺たちの楽しげな話し声を聞いたレイラは『うわきものに死を!!』を発動、隣の部屋から壁とサザーンの身体を貫通して俺のところまでやってきた、というのが真相らしい。
ただ、あれから正気を失ったレイラとの修羅場が訪れたかと言うと、そうでもない。
直後のサザーンのまさに身体を張った献身によって、レイラの怒りは収まったのだ。
今回の厄介事の原因もサザーンだが、今回の功労者もまたサザーンと言えよう。
――これからしばらくは、サザーンにうんと優しくしてやろう。
浴室から響く、ひっく、ひっくというすすり泣きを聞きながら、俺はめずらしく大らかな気持ちで日本地図の出来たカーペットを洗濯したのだった。
ポーションのがぶ飲みはダメ。ぜったい。
※なぜか誰にもツッコまれなかったんですが、最後の部分、布団→カーペットに変更