音割れポッターBBの知識だけでドラコ・マルフォイになってしまった (樫田)
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プロローグ
第一話 名ばかりの原作知識あり転生


 

 

 

 いつものように目覚めた朝、目を開けたら知らない場所で、知らない人の子どもになっていた。

 

 それだけでも腰を抜かすには十分なのに、そこに上乗せして明らかに周囲の様子がおかしい。父母が振るう杖、自由気ままに動く肖像画の人物、そこらを駆け回り世話を焼く少し不気味な妖精。それらに加えて少し前に忽然と姿を消したらしい、「例のあの人」とか呼ばれるテロリスト。

 ────辺りの様子を探って導かれた結論として、ここはかの高名な児童文学の金字塔、「ハリー・ポッター」の世界のようだった。そこに、時代も地域も違う場所で生きていた自我を持つ存在が、その場に生まれた赤子として扱われている……なるほど。つまり、僕はいわゆる「原作知識ありの異世界転生」をした。そういうことなのだろう。

 あまりこんな類の娯楽の分野に造詣が深いわけではないが、こういった展開はありふれたものだろう。転生者は未来に起こる出来事を既知のものとして、絶対的なアドバンテージを持って人生二周目ができるというのが、こういう設定の売りだと思う。……けれど、それはあくまで十分な原作知識があれば、という前提での話。この状況は明らかにそんな都合の良いものとは違っていた。

 

 つまるところ、僕の持っているハリー・ポッターの知識は「音割れポッターBB」だけだったのだ。

 

 ハリーポッターくらい金ローで何度もやっていただろうって? なにやら色々副題があってどれが一作目かも分からなかったし、そもそもテレビで見る機会もなかったんだ。原作は確か児童文学だったが、学校の図書室などで遠目に見てもやたらぶ厚く、鈍器みたいな外見で敬遠してしまったし。どんな世界的名作だろうと、どうしてもシリーズが長くなれば縁がなかった人間は参入しづらいものだ。スターウォーズとかガンダムとかマーベル作品とかね。大学に入ってからサブスクで映画を見るようになっても、ハリーポッターは見かけなかった覚えがある。僕が小学校に入ってちょっと経った頃を最後に新作の映画の広告を見ることはなくなったような気がするが、それも曖昧だ。

 

 朧げな記憶の中ではあるが、音割れポッターの元ネタとなったシーンは見たような覚えがある。適当にネットサーフィンをしていた頃に流し見したニコニコの無断転載だったか。ラスボスっぽい人と眼鏡をかけた主人公が、暗い陰気な墓場みたいな場所で、正直背景を知らない人間からしたら少しシュールな雰囲気の中、バチバチ閃光を飛ばして戦っている動画だ。

 だが、それが知っていることの全てだ。あの場面がハリー・ポッターの全何作のうちのどこで、どういうシーンなのかさえ、僕の知識に全くなかった。

 かろうじて映画館の前のポスターか何かで、眼鏡の主人公が三人組グループで出てきがちということ、チラチラ名前をネット上で見かけた「例のあの人」、もといヴォルデモートがラスボスらしいこと、SNSで流れてきたトレンドを汚染する性格診断か何かで4つの色分けされた寮があったことは覚えている。だが、そのすべてに「そうだったような」がつく有様だ。

 

 縁がなかったと言い訳せず、ちゃんと目を通しておくべきだったと後悔しても時すでに遅し。生まれ落ちてしまっては後の祭りだった。記憶に残る原作情報の約八割が音割れポッターという有様で、僕はこの未知なる世界に突っ込まれてしまったのだ。

 

 情けなくなるほどの情報量の無さは痛かったが、転生してすぐ親に何か変だと勘付かれたり、この物語の「本筋」らしき事件に巻き込まれて致命的な事態に陥ることはなかった。

 もとより語学はそこそこできたし、そもそも流暢に喋れたらおかしい年齢の幼児だったのが幸いした。今のところはなんとか怪しまれることもなく、平穏無事に日々を過ごすことができている。大体の世話はちょっと不気味な容姿の妖精さんに任されているが、頻繁に様子を見に来る父母共に厳しそうな感じでもない。むしろ、幼い我が子をベタベタに甘やかすタチのようだ。それはそれでなんだか居た堪れない気にもなったが、右も左も分からないまま、即刻過酷な世界に叩き出されるなんてことがなかったのは安心できた。……その上、どうやらこの家は凄まじく裕福なようである。

 やたらと高い天井に気後れするほど絢爛な調度品でなんとなく察してはいたが、新たな我が家となったのはえらく豪奢なお屋敷だった。詳しいわけではないが、この自然豊かな地に堂々と立つ城のような建築はいわゆるカントリーハウスというやつだろう。ということは我が一族は地主階級のお貴族様なんだろうか? 流石ハウス・オブ・ローズ現役の国イギリス、階級社会である。

 

 ただ、裕福だと喜んでばかりもいられない。家族のことを知る中で懸念事項も出てきた。

 我が家の姓はマルフォイ"Malfoy"というらしい。フランス語で「悪しき信仰」だ。元の世界でその姓を持ってたらどんな家系だよ、で済むのだが生憎この世はフィクションである。「例のあの人」だってvol de mort、フランス語で「死の飛翔」だ。「ハリー・ポッター」の作者がどんなネーミングセンスの持ち主だったか、今となっては知る由もないが……安直に考えるなら、創作物において悪人っぽい名前のやつは悪人である可能性が高いだろう。

 

 その上、僕に付けられた名前はドラコである。姓に合わせたフランス語風じゃないんだ……というのはさておき、こんなに力の入った勇壮な名前が付けられていて、それが物語上何の役割も与えられていない完璧なモブ……というのは少し考えづらいんじゃないだろうか。

 父はルシウス、母はナルシッサというこれまた妙に珍奇な名前なので、この世界の標準が「これ」の可能性も考えた。しかし、そもそもこの物語の主人公はハリーという、それなりにありふれた名前だ。そんな世界観で妙に凝った名前に何の意味もないと考えるのは少々楽観的すぎる。正直あまり性格が良いと言えなさそうな父がかなりのお偉いさんのようだということもあり、名前が暗示することに関しては嫌な予感しかしなかった。

 

 「例のあの人」が消えたという噂が流れているらしいので、もう原作が終わっているのかと、希望的観測を抱いたりもした。けれど、その会話の中でハリー・ポッターが僕と同い年だという話が出てきてしまった。ならば、物語の幕がそんなに早く閉じるわけがない。所業からして悪役筆頭のヴォルデモート卿は単に死んでないか、死者蘇生されるかのどちらかなのだろう。その後遺症であのおどろおどろしい青白ハゲになってしまうのかもしれない。……だとすれば少し可哀想だ。

 

 ……とにかく、この前世と比較してはるかに物騒で奇妙な世界の中で、どう立ち回るべきなのかを考えなければならない。

 音割れポッター周りの微かな情報を思い出すだけで、主人公が若くしてかなり厳しいバトルを強いられていたのは分かる。両親や、世話をしてくれる妖精がチラッとこぼす話を聞いても、ヴォルデモート卿は並外れて残忍な性格だったようだし、児童文学なのにも関わらず大いに生死に関わる出来事の多い世界観だということは察してしまった。今、この妖精さんによってピカピカに磨き上げられた子供部屋は平和だが、原作がこのあと始まるならば完璧な無関係ではいられないだろう。もちろん、フィクションである以上、主に主人公が切り開いていく、そしてそうあるべき物語ではあるのだろうが……。

 

 こちとらある日突然持っていた全てを失った身なのだ。少ししかないアドバンテージを掻き集めて、できる限り生き残ろうとするくらい、見逃してほしい。両親に怖気付くほどの愛を注がれながら、僕は自分の持てる力全てを使ってこの世界で生きていくことを決意した。

 

 

 



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賢者の石
第二話 ダイアゴン横丁


 

 

 

 この世界で自我を取り戻してから、十年を越える月日が流れた。異国だったということを除いても「ハリーポッター」の世界はカルチャーショックでいっぱいだ。初めのうちは戸惑うことばかりだったが、周囲の環境に恵まれたこともあり、僕はなんとか十一歳になることができた。……いや、ついに十一歳になってしまった、と言うべきだろうか。

 

 そう、今年はホグワーツ入学の年だ。

 

 この年……つまり、同学年であるハリー・ポッターと初めて会うときを迎えるまで、僕は得られる限りの知識をつけた。魔法の勉強を始め、主要な登場人物になりそうな人間の調査や、物語の鍵となりそうな魔法道具の探索などなど。正直、両親に怪しまれないかヒヤヒヤしていたが、これについては完璧に杞憂だった。父母は勉学に励む僕を称え、誉めそやし、幼い我が子が杖を持てないことに苛立ち、下らないルールで僕に杖を扱わせないなど魔法界の損失だと魔法省に詰めかけたらしい。とんだモンスター・ペアレントである。結局、イギリス唯一にして最高の魔法学校であるところのホグワーツのお偉いさんから諭された様だが……そのダンブルドア校長とやらに父は並々ならぬ敵愾心を持っているらしいことが分かってしまった。その名に(albus)を冠するダンブルドアは所謂「光」側の頭目らしい。そんな人に対してここまで表立って火花を散らして大丈夫なのか。ますます父のことが心配になってしまう。

 

 父母の憤慨をよそに、僕自身は杖を使えないことをそこまで気にしていなかった。……というより、僕はそもそも自分が魔法を使えるかどうかも確信できてはいなかった。結果として早々に魔力の兆候が現れたものの、それは運が良かっただけだと言える。自分に才能があるかどうかもわからない実践的な魔法の練習よりも、現状を正確に把握し今後の方針を決める知識の収集を優先するのが確実だろう。この点において、マルフォイ家嫡男という立場は素晴らしく有用だった。どうやらとんでもない有力者らしい父のおかげで、非魔法界でいうところの政府や議員の方々とは嫌でもお付き合いすることになったし、さらにその伝で過去の裁判記録や収監記録を自由に見られたのだ。これのおかげで、僕は入学前に過去の大戦について、公にされている情報の多くを仕入れることができた。

 その中で大量に伯父、伯母、母方の従兄弟などの名前をアズカバン──魔法界の牢獄に収監されている人間のリストに見つけたり、人脈と当時の動向から考えて、父がどう考えても「あの人」のシンパだっただろうという事実にぶち当たったりで落ち込みもした。しかし、どれも自分の名前から薄々予想はしていたことだ。この立場になってしまった以上、そういうものだと考えるしかない。

 

 また、魔法の知識という点でも僕の生まれは役に立った。それは父だけでなく、母方の家系についても言えることだった。母の生家はブラック家というのだが──ありふれていながらも不吉な名前だ──ブリテン魔法界一の名家らしく、素晴らしい魔法書や魔法道具の数々を所有していたのだった。どう見ても法に触れそうなものがゴロゴロ転がっていたが、これでも「あの人」が消えた後、家宅捜索があったというのだから驚きだ。

 ブラック家の男子はアズカバンで終身刑の身であるものが一人いるだけで、後は亡くなってしまっていたため、僕は祖父母や曽祖父母にいたく可愛がられた。そのおかげで大手を振って知識の収集に勤しむことができたのだ。散々利用しておいてなんだが、こんな甘やかし方をしていたら普通の子供はろくな育ち方をしないだろう。

 

 もちろん「あの人」の敵対陣営、すなわち主人公側のことについても知ろうとしたが、こちらはあまり上手くいかなかった。肝心要の主人公である、闇の帝王を倒したらしいハリー・ポッターについて、分からないことが多すぎたのだ。

 

 僕が何かでうっかり起こしたバタフライ・エフェクトによって主人公が死んでましたとなったらとんでもない、という危惧は常にあった。彼が乗り越えていくはずだった物語全てが水泡に帰して、僕の望まない方に世界が崩れ落ちていくことは避けなければならない。ハリー・ポッターの身の安全を確認するためにもどうにか居所を知ろうと試みたが、これはもう何に当たっても得られるものはなかった。父もその権力欲を遺憾無く発揮しハリー・ポッターの抱き込みを図っていたようだが、こちらと同様徒労に終わったらしい。父は直接「生き残った男の子」を自らの手で引き寄せるのを諦め、僕に対してホグワーツに入ったらハリー・ポッターと仲良くしなさいと耳にタコができるほど言い聞かせた。我が子を権力闘争の道具として利用するのに躊躇がないタイプかとも思ったが、父としては、本気で愛する息子のためを思っての諫言のようだった。複雑である。

 

 物語の先のことまで考えなければならない身として、僕は父の思惑に沿って主人公と仲良くするかどうか決めかねていた。ハリー・ポッターにとって、僕の立ち位置は両親の仇のお仲間の息子である。ネーミングの件もあるし、明らかに学校で仲良しこよしをするキャラクターの立場じゃない。かといって、彼を完全に放置して何か取り返しのつかないことになっても困るし、これから順調に物語が進めば、(ハリー・ポッターがバッドエンドで終わる物語でなければ!)滅ぶであろう陣営の側に付いて厄介なことになるのも遠慮したいところだ。派手に動きすぎて、おそらくはハッピーエンドの運命が変われば、僕の身の回りも凄惨なことになりかねないし、かといって傍観が正解かもわからない。

 

 動きたくても、動くための足場が分からない。手を出したくても、伸ばす先は完全な闇だ。……つまるところ情報が少なすぎるのだった。結局、学校に入ってしばらく様子を見るのが最善なのだろう。自分が関与しないところや、やむなく関与してしまったところでどう動くのかの筋を見て、そこから対応を考えるしかない。問題を先送りしただけな様な気もするが、この場合は臨機応変の構えが正解だ。……そう信じるしかなかった。

 

 

 

 色々考えていても、入学の日は刻一刻と近づいていた。今日は両親と学用品の買い出しだ。魔法使いにとって最も大事な杖は、僕にいの一番に与えたいと考えていた父が既に買ってきてくれており、ホグワーツの入学許可証が届いた日にプレゼントしてもらった。他のものについては、いつもは家に外商がやって来るのだが、学校指定の制服はダイアゴン横丁で指定のものを見繕わねばならないらしい。僕としては薬問屋や本屋を冷やかせるからありがたいし、ホグワーツに旅立つ前に親子で出かける良い機会ということで、揃ってショッピングをすることになった。

 先にそれぞれ時間のかかる必須の用事を済ませてしまおうという話になり、マダム・マルキンの洋装店の前で両親と別れて、僕は一人店の中へと向かった。

 

 店内はこの時期としては意外なことに客が少なくがらんとしており、僕の顔を見た店員にすぐ採寸台の上に立たせられた。巻き尺が体を飛び回っているので動き回るわけにも行かず、話し相手もおらず暇を持て余してしまう。ぼんやりと店の中を眺めていると、同じように店員に案内されて隣の台に見知らぬ黒髪の男の子がやって来た。彼もホグワーツの新入生なのだろうか? おどおどとした様子のその子は、一見しただけで生育環境が心配になる様相を呈している。セロハンテープか何かで折れたフレームを補強した眼鏡をかけ、シャツもズボンもくたびれきっている上にサイズは太った大人用のようだ。グリンゴッツにでも行ったのか、髪は強烈な扇風機に晒された後の様になっていて、少し伸びすぎた癖の強い前髪が目元にかかっている。ただでさえ細身な上に、服装のせいで古いバスタオルを無造作に被せられた子犬のような印象を受けた。

 

 着ている服の傾向からして非魔法界育ちらしいが、近くに保護者と思わしき人もいない。心細そうにキョロキョロと辺りを見回しながら一人でいる様子がどうにも気になった。こちらの両親に、(まことに失礼ながら)身なりがきちんとしていない、すなわち魔法族的ではない少年と仲良くしているところを見つかったら面倒なことになりそうだが……前世からの価値観で無視してしまうのは躊躇われる。

 手のかかる幼馴染二人のせいか、随分おせっかいになっているのかも知れないと内心自嘲しつつ、できるだけ怖がらせない様にそっと声をかけた。

 「こんにちは。君は新しいホグワーツ一年生?」

 「うん。あの、君も?」

 

 声をかけられた少年は少しびくつきながらも、嬉しそうに頷いた。思ったより臆病な性格ではないようだ。これはいちいちお節介を焼く必要もなかったかもしれない。しかし、自分から話しかけておいて切り上げるような無礼はしない。僕は努めて友好的に話を続けた。

 「そうだよ。ダイアゴン横丁は初めて?」

 僕の言葉に彼は少し目を丸くして少し首を傾げた。

 「なんで分かったの? 僕、どこか変だった?」

 「あんまり慣れてる感じじゃなかったし、格好が魔法界の人っぽくなかったからね」

 

 途端に少年は恥ずかしそうな顔になる。彼も自分の服装が不恰好だということや、初めて訪れた世界だということに不安を感じていたのだろう。

 「僕、やっぱり変かな? つい昨日まで、自分が魔法使いだって知らなかったんだ」

 話の向きが、マルフォイ家にとっては少し不穏なものになる。なんでもない顔をして、僕は確認しておきたかったことを彼に尋ねた。

 「君のご両親は魔法使いじゃないの?」

 「ううん、二人とも魔法使いだったんだって。でも小さいときに死んじゃって、魔法使いじゃない──マグルの親戚のとこで育てられたんだ」

 

 それは……服装から思わず彼がどんな環境で生きてきたのか推測できてしまった。頼るものもなく、子供をこのような様相でいさせることに躊躇のないマグルの家庭で育つとは、壮絶な人生だったことだろう。不躾な質問をしてしまった。

 しかし、不謹慎だが少し安心した。これで父から「穢れた血」と話していることで咎められることはなくなった。

 僕は安堵を隠し、「ご愁傷様様です」と言うに相応しい悲しげな顔を作った。

 「辛いことを聞いてしまって悪かったね」

 「いや、いいんだ。それより、魔法界のこと全然知らないから心配で……」

 少年は大きすぎるシャツの裾をいじりながら答えた。

 正直、気持ちはとてもよくわかる。転生したばかりの頃は、僕も不安で眠れないようなこともあった。それに、彼はマグル育ちだ。昔はその辺りの非魔法界で育った子たちの教育格差がどうなっているのか不思議に思って、乳母代わりの屋敷しもべ妖精や家庭教師に色々と質問をしたものだ。父母は「穢れた血」のことについて興味を持つ僕に良い気がしなかった様だが、「非魔法界で教育を受けた魔法族の根本的な教育格差と教育課程の分離の提案」つまり、純血とそれ以外の子は別の教育機関で教えるべきだと思った、などと嘯いたら納得してくれた。チョロいもんである。

 その時仕入れた知識を思い返しながら、僕は少年を安心させるために言葉を紡いだ。

 「毎年君と同じようにマグルに育てられた子も入学しているし、お家にいらっしゃったホグワーツの先生に教えてもらったことだけでも十分らしいね。学校に行けばみんな一斉に同じ内容を学び始めることになっているし、そんなに心配いらないと思うよ」

しかし、黒髪の少年はその言葉では安心できなかったようだった。

 「先生? 普通は学校の先生が来て何か説明するのかな。……僕のところは森番の人が来たんだ。それで……けっこう慌ただしくしてたから、ここまであんまりゆっくり話す時間もなかったよ」

 

 その言葉に、僕は思わず首を傾げた。何せ七年間の全寮制学校の入学案内だ。マグルのご家族を説得させるための説明がなかったと言うのは、かなり異例なことなんじゃないだろうか? しかも、ホグワーツの森番は良い噂を全く聞いたことがない。もちろん僕の周りが大いに反ダンブルドアであることを加味する必要はあるが……少なくとも、そういった生徒に関する重要な説明業務を任せられるような人間という印象は、伝聞から知れる範囲では無かった。人手が足りなかったのだろうか? どうやら学校の問題の皺寄せを食らったらしい目の前の少年がさらに不憫に思えてきた。

 

「魔法界のこと、一通り教えてもらえた?」

 僕の問いに彼は首を傾げて考え込んだ。

「……どうだろう? お金のこととか、魔法省のこととか、グリンゴッツのこととかは教えてもらったよ」

 一応、今日ダイアゴン横丁で買い物をするために最低限のことは教えてもらっているようだが、他のことについてはこれからのようだ。これは、僕が蓄えてきた知識を活かせるところなんじゃないだろうか? 頭の中で、彼がこれから魔法界で生きていくために参考になりそうなものを探しながら、僕は口を開いた。

 

「うーん、そうか……僕も魔法界以外のところに詳しいわけじゃないけど、ここは君のいたところとはかなり色々違う文化の場所だとは思う。まだ教科書を買ってないんだったら、本屋で簡単な本を読んでみると良いよ。

 そもそも魔法界は小さいところで、子供向けの本の数自体が少ないけど、『マグルへの対応』という本を読むといいかも。マグルと魔法使いのどこが違うのか、魔法使い目線で書かれてるから。あと、教科書リストはもう貰ってるかな?魔法史の教科書はいい本なんだけどホグワーツ七年分の内容だからちょっと重たいかもね。『魔法の物語』っていう入門書を軽く読んでおくと、魔法界がどんな成り立ちで、どんなところなのか分かりやすいと思うよ」

 

 自分の脳内を出力するのにいっぱいいっぱいになっていた僕は、少年が本の題名を懸命に誦じようとしているのに今更ながら気づいた。これは失礼なことをした。彼が伝えた本を見つけられるよう、ポケットに入っていた手帳を取り出してメモを書き、破って手渡した。

「お節介かもしれないけど、よかったら持っていって。ホグワーツに行ってみてしまえば友達に教えてもらえると思うけど……」

 ベラベラ喋りすぎてしまった自覚はある。本当にお節介かもしれないと思ったが、彼はメモを受け取るとパッと顔を輝かせた。

「ありがとう! 助かるよ、本当に。ちゃんと読んでみるね」

 

 少年はメモを入学許可証の封筒の中へと丁寧にしまい、ポケットにそっと入れた。ちょうどその時、マダム・マルキンが少年に採寸の終わりを告げた。邪魔になると思ったのか、少年は慌てて台から降りる。彼は出口を少し窺った後、僕の方へと振り返った。

 

「あの……僕、本当に何にも知らないんだけど……学校でうまくやれるかな?」

 ここまで話して来て、彼は素直な性格なのが見てとれた。僕はにっこり笑って頷く。

「大丈夫、きっと友達もたくさんできるよ」

 実際話していて好感のもてる少年だった。どこか……何か引っ掛かるところはあるが。それがなんなのか思い出せないけれど。

 少年は名残惜しそうに入り口の方を見て、またこちらに振り返る。

 

 「ハグリッドが待ってくれているから行かなきゃ」

 もう、別れる時間のようだ。僕は笑って彼に手を振った。

 「じゃあ、またホグワーツでね!」

 

 少年も頷いて手を振り、店の外に出て行った。

 

 程なくして僕も採寸を終えて通りに戻り、僕はようやく自分が何に引っかかっていたのか分かった。……両親が魔法使いの孤児、黒髪、眼鏡。額に傷があるらしいが、それは見えなかったとはいえ、かなりハリー・ポッターの特徴に一致してしまっているのではないか? 正直転生してからもう何年も経っていて、幼い日のハリー・ポッターを見分ける自信は全然ない──いや、でも、まさか魔法界の英雄が、あんな虐待されてますと顔に書いてある様な見窄らしい状態で、十年もの間放置されているわけがないだろう。ないよな? ないと言ってくれ。

 

 自分の迂闊な行動と不穏な予感に、僕は背筋に悪寒が走るのを感じた。

 

────────────

 

 「ねえハグリッド。ホグワーツの一年生は何クラスあるの?」

 

 マダム・マルキンの店を出た後、ハグリッドが買ってきてくれたアイスクリームを食べながら、ハリーは隣を歩くハグリッドにそれとなく尋ねた。

 「クラス? ホグワーツは4つの寮に分かれとって、それぞれで授業を受けるんだ。他の寮と一緒に授業を受けることもあるが──そうか、お前さんはなーんも知らんのだったな」

 ハグリッドの言葉に少し気落ちしながら、ハリーはそれでも話を続けた。

 「そうなんだ。さっき、採寸をしたときに隣にいた男の子が色々教えてくれたんだけど、その子とおんなじクラスになることはあるのかなって思って」

 「ほう、そうか。お前さんはきっとグリフィンドールだぞ、ハリー。ジェームズとリリーもそうだった……」

 さっきの親切な男の子と同じ寮だったらいい。ダドリーもいない場所で、あの子と同じ寮だったら、きっと今までとはまったく違う、ビクビクすることもない学校生活を送れるだろう……。

 ハグリッドの話を聞きながら、ハリーはこれからくるホグワーツでの生活がより待ち遠しくなっていることを感じた。

 



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第三話 ホグワーツ特急

 

 全く意図しない形でハリー・ポッターと仲良くしてしまったのではないかと、嫌な予感に悶々としながらも、ついに九月一日、ホグワーツ入学の日はやってきた。

 

 僕は親同士が知り合いということで幼い頃から付き合いのある、ビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルとホグワーツ特急に乗る約束をしていた。彼らと合流するため、待ち合わせ場所のキングズ・クロスのプラットホームへと向かう。ほとんど何事もなくホームに到着したが、ロンドン最大の駅の一つでマグルの人ごみの中を通ることは避けられなかった。母はただでさえ顰めっ面をしていることが多いのに、マグルが横を通り過ぎるたびにハンカチを口元に当てていたし、父は小うるさいハエの群体に顔から突っ込んだような渋面をしている。失礼な人たちである。

 

 ビンセントとグレゴリーは、父の友人の子という立場で知り合ったために、顔を合わせた当初から仲良くするべきという圧力の下交流していた同い年の子供たちだ。驚くべきことに、初めて会ったとき、彼らは七歳になっていたのに文字が一切読めなかった。二人の親たちが特別教育に関心がないものと思ったが、どうやらそういう風潮は魔法界全体にあるらしい。どうせホグワーツに入学することになるのだから、ということだそうだ。その割に、ホグワーツには国語教育がなく、卒業生にもちらほら識字が怪しい奴がいることについてはどう思っているのだろうか。……あまり気にしていないのかもしれない。貴族的な立ち位置の純血一家というのは、頭を一切働かせなくても暮らしていける財産を持っているものが多いのだ。彼らの価値観としても聡明さは美徳だが、勤勉を尊ぶ精神はどうにも希薄だった。

 

 ホグワーツという強固な伝統があるからなのか、魔法族の思考が十八世紀で止まっているからなのか知らないが、なんとも無責任なことだ。大人が自分を馬鹿なまま置いておくのはどうしようもないが、まだ幼い友人二人をそのまま放っておくのはありえない。僕は彼らを我が家に泊まらせてでも文字やその他の基本的な勉強を教え込んだ。そのために初めの頃は二人にいたく毛嫌いされてしまっていたが、徐々にそうでもなくなった。……そう信じたい。幸いなことに、彼らは大抵の場合食べ物で釣れるので、僕のポケットには自分は食べもしない飴がいつでも入っている。しかし、ホグワーツ入学直前になって最近は勉強での達成感も味わってくれているらしい。それは本当に喜ばしいことだった。

 

 出発時刻までだいぶ時間があるのに今生の別れのような雰囲気を醸し出す母と、ハリー・ポッターをはじめ権力者やその子息とは仲良くするようにと息巻く父をなんとか宥めて別れを告げ、僕ら三人は混み出す前にと、まだ閑散としているホグワーツ特急の先頭車両に乗り込んだ。父母にまた小言を言われないよう、ホームに面していないコンパートメントに入って窓側の席に腰を下ろす。前と隣に体格の良い二人が座ってくれたので、僕は車内の通路からもほとんど見えなくなった。

 

 席についてすぐ、グレゴリーが不安げに口を開いた。

 「ドラコ、やっぱりお父上からスリザリンに入るように言われたか?」

 彼の表情には新学期に向けて新入生が持つべき期待感がほとんどなかった。向かい合って座るビンセントも、少しうわついた様子で話を聞いている。どうやら、二人とも組分けについて随分と心配しているようだった。彼らの心情は簡単に想像できる。我らが純血主義を重んじる旧家一族たちはスリザリン以外に組み分けされること──特にグリフィンドール、次いでハッフルパフ──を不名誉だとみなしている人が多い。実際、僕の父もそのように言っていた。ただ、あの人から僕はかなり勤勉な子供だと思われていることもあり、()()()()レイブンクローは許容範囲だと言われたが。

 実のところ、僕自身も組み分けが思ったように行かないことをかなり心配していた。僕の立場のキャラクターがもし存在したのであれば、順当に行けばスリザリンになるだろうし、そうするつもりだが……不確定要素は多い。もちろん家系から言えばスリザリンに選ばれる可能性は高いが、例外がないわけではない。かといって他の三寮に適性があるとも思えない。出来るだけ物語の筋が分かるまでは妙な動きをしたくはないので是が非でもスリザリンに入りたいのだが……そもそも組み分けは思考の読める帽子が行うという話である。何そのオーパーツ。作り方教えてくれよ。……とにかく、生徒の意思がどれほど反映されるかは全く不明だった。

 似た特性や生まれの子供だけを固めて育てるシステムは、教育の観点からは特に大きなメリットがないし、その特徴が無駄に純化されていくだろうという点で歓迎されないと思うのだが……魔法族に教育学の観念は薄い。この世界はただでさえ人口が少ない上に、遠隔地との情報のやり取りも疎かなのだ。瞬時の移動手段はいくらでもある癖に学問の発展は個人に託され、知識の蓄積点は散在していた。そのためなのか、個人の才能に依存しない、社会によって要請される学問の発達は緩やかであり、そしてそれゆえに、古くからのコミュニティである純血一族も、未だに代替できない価値を持つ。狭いからこそ分断と格差を埋める意識が希薄なのだ、魔法界という場所は。

 何はともあれ、そんな世界で自分たちが頂点に位置していると信じている我らの両親たちは、スリザリンにあらずんば人にあらずの人々だ。自力ではどうにもならないかもしれないことを勝手に期待される子の方は、組み分けを前に胃を痛めることになる。……そして、それをひとたび自分たちが()()()()()()()()()()()その成功体験から、自らの子供に同じことを強いるようになる。とんだ悪循環だ。

 

 僕は二人を落ち着かせるため、なんでもないような口調を心がけて口を開いた。

 「言われたけど────まあ、入れなかったら入れなかったでしょうがないよ。君らのご両親だって、どの寮に入ろうと子供をほっぽりだすような外聞の悪いことはなさらないはずだよ」

 その言葉を聞き、彼らはひとまずそれ以上組み分けの話を切り上げた。

 それでも、ビンセントとグレゴリーはまだピリピリとした雰囲気を漂わせている。……それもそうだろう。実際、僕も彼らの家族なら絶縁宣言くらいしかねないのではという予想が頭をよぎっていた。

 スリザリン家系はこういうところが理不尽で、子どもを追い詰めるのだ。入学する前から親の期待に応えるというプレッシャーに晒され、スリザリンに入れればその性質を誇らねばならないし、入れなければ純血のグループからは爪弾きにされる。

 もっと時間を取って、子どもの意見をしっかり聞いた上でどこに所属するのか決める制度があればいいのだが。七年という長い間一つの寮に留まり続けるというのも交流の範囲が狭くなるし……。

 ここで、僕はふと先月から抱えていた懸念を思い出した。主人公である「生き残った男の子」は多分グリフィンドールに行くんだよな? 確か「音割れポッター」の元ネタでグリフィンドールカラーの赤い服を着ていたような気がするし、勇猛果敢なんて主人公にピッタリだ。……一方、スリザリンは狡猾(cunning)野心(ambition)、純血主義が特徴だと言われている。正直この寮だけあまりにも悪役っぽい資質を求められている。あのハリー・ポッターがどちらに入るかなど、一目瞭然のように思えた。

 

 そこまで考え、自分がつい先日取った軽率な行動が招くかもしれない未来をふと想像してしまった。

 

 もし、あのダイアゴン横丁で出会った男の子が本当にハリー・ポッターだとしたら。

 もし、ハリー・ポッターが罷り間違って、たまたま出会っただけの僕に好感を持ってしまっていたら。

 もし、僕が彼より先に組み分けされ、血迷った彼が後を追ってスリザリンに入ってしまったら。

 

 七年間という長い間、主人公を取り巻く人間関係は激変し、起こらないはずだった出来事が起き、起こるべき出来事が起こらなくなるだろう──それは、今の段階では絶対に避けるべきだ。まだ何が起こるか分からないのに、ホグワーツに入学して早々、物語の筋をめちゃくちゃにしたくない。彼が僕に好感を抱いているかもなど、自意識過剰かもしれない……しかし、あの哀れましい雰囲気と少しの励ましに顔を輝かせていた様子がどうにも気にかかる。

 

 そう考えていたところに、これまた知り合いのパンジー・パーキンソンがやって来た。なんでも、最後尾あたりにハリー・ポッターがいるとの噂を聞きつけたらしい。これ幸いと僕はあの少年が本当に主人公だったのか確かめに行くことにした。……そして杞憂ではなかった場合、後顧の憂いはきっちり断ちたい。一人で行くつもりだったのだが、グレゴリーとビンセントもついて来たがる。仲良くしてくれるのは嬉しいが、彼らの反応まで制御して上手くことを運べるだろうか? 内心不安に思いながらも、僕らはパンジーに荷物を見ておいてくれと頼み、通路を後ろへと進んでいった。

 

 

 

 パンジーに教えてもらったコンパートメントには、やはり洋裁店で出会った黒髪の男の子がいた。あの時は前に垂れていた前髪は無造作にかき上げられ、額にある稲妻のような傷跡がしっかりと見える。胃がずっしりと沈み込んだような心地がした。やはり僕はなんの方針もなく主人公と接点を持ってしまっていたのだった。これがもう始まっているかも知れない物語に与える影響は不可測なのに……完全に失敗してしまった。この手痛いミスは、果たして取り返しがつくのだろうか?

 

 しかし、僕の気分はハリー・ポッターの向かいに座っている少年を見て少し上向いた。あの特徴的な赤毛と、失礼ながらお下りらしい衣服、この場で主人公と仲良くなっている、つまり恐らくグリフィンドール側だろうという立場。彼はおそらくウィーズリー家の人間だ。そうであれば、あの少年が魔法界の「光」側で生まれ育った人間として、僕の家系について知り得ることを話してくれさえすればいい。父をはじめベラトリックス・レストレンジにシリウス・ブラック。僕の身内は大物死喰い人の展覧会だ。ハリー・ポッターだって、僕が自分の親の仇のシンパの血統だと分かれば、流石に好感度を下げてグリフィンドールに行ってくれるだろう。……そう、ハリー・ポッターがスリザリンに行きたいなどと思わない状況を作ればいい。

 

 ウィーズリー家の少年を適度につつき、ハリー・ポッターに僕やスリザリンに対して、少なくともあの日の邂逅を打ち消すような悪印象を持たせる。……それに巻き込まれるウィーズリー少年には申し訳ないが。下劣な覚悟を決めた僕はコンパートメントの扉を無遠慮に開け、中にずかずかと踏み入った。二人分の視線が勢いよくこちらに向けられる。黒髪の少年は僕を見て顔を輝かせた。……さすがに胸が痛むが背に腹は代えられない。

 僕に声をかけようとしたハリーを遮るように、傲慢な態度を作って口を開いた。

 「このコンパートメントにハリー・ポッターがいると聞いたけど、その額の傷、それじゃあ君がそうなのか? 僕はドラコ・マルフォイ。こっちはビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルだ」

 

 再度口を開こうとするハリーだったが、その前に赤毛の少年が嘲笑を隠すような咳払いをした。彼は僕の名が示す意味にちゃんと気づき、無礼に対して適切に反応してくれた。

 そちらに対し、僕は目を細めて唇の端を上げた。

 「僕の名前に何か文句でも? ああ、君は自己紹介しなくて結構。君のマグルフィリアのお父上は存じ上げているよ。鼠のようにたくさん子供がいると伺ったけど、その一人だろう?」

 あまりにも唐突な僕の豹変にハリーは呆気に取られてる。加えて、日頃の僕を知っている後ろの二人からも困惑した雰囲気を感じた。羞恥と罪悪感にこちらまで顔が赤くなりそうだが……頼む、大人しくしていてくれ。ここが正念場なんだ。

 一方、赤毛の少年の顔は抑えられることなくみるみる赤くなっていた。彼はこちらをきっと睨みつける。

 「君に家柄のことなんて言われたくない、マルフォイ」

 非常にストレートな指摘に、思わず心中で苦笑いしてしまった。おっしゃるとおりでしかない。それでも、僕は彼に対する不遜な態度を表し続けた。

 「ああ、なんて無礼な物言いだろう。育ちが知れると言うものだ、ウィーズリー。君の父上はマグルに薄っぺらな関心は抱いても、ご子息の躾にはさほど興味がなかったのかな。それともお父上に似た結果がこれなのかな?」

 その暴言に対し、ついに赤毛の少年は憤然と立ち上がった。彼は憤怒で顔を真っ赤に染め、脅すようにこちらに杖を突きつけてくる。

 「自分のコンパートメントに帰れ、今すぐに」

 彼の唸るような声に、僕は最後のひと押しとばかりに嘲笑を返した。

 「おやおや、呪いのかけ方だけは教わっていたのかな? ぜひ披露していただきたいものだが、言われずとも出ていくさ。学校で君と同じ場所に長く留まる恥辱がないことを願うよ」

 ウィーズリー少年は堪忍袋の緒が切れる寸前といった顔をしていたが、僕が扉に手をかけたのを見て杖を下げてくれた。

 ……これで天秤の釣り合いは取れた……もしくはグリフィンドールの側に傾いたはずだ。十一歳の罪もない少年をこき下ろしたことに内心自分への失望を覚えながら、僕はコンパートメントの外に出ようとした。しかし、突然隣で成り行きを見守っていたはずのグレゴリーが悲鳴を上げる。見れば、ずんぐりと太ったネズミがグレゴリーの指に噛み付いていた。

 僕は慌てて杖を取り出し、そのネズミを弾き飛ばした。赤毛の男の子が「スキャバーズ!」とペットの名前を叫ぶ。

 「ペットの管理くらいまともに出来ないのか、ウィーズリー!」

 僕は捨て台詞を吐き、グレゴリーの指を診ながらコンパートメントを後にした。

 

 僕らのコンパートメントに着いて、グレゴリーとビンセントは緊張してあんなことを言ったのか、体調でも悪かったのか、そんなにウィーズリーが嫌いなのかと次々と質問して来る。二人への言い訳まで考えなかった自分を呪いながら、僕はなんとかしらを切り通した。

 

 

 




クラッブとゴイル(映画第2作でドラコに字が読めたのかと問われる)に限らず、ダンブルドアは弟のアバーフォースの文字が読めていたか定かではないと言ったり(4巻24章)、ハグリットの誕生日ケーキがHAPPEE BIRTHDAEになっていたりと、魔法界では文盲ないし綴りが怪しいレベルの識字とされる場面がそれなりにありますね。


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第四話 組分け帽子

 

 ビンセントとグレゴリーを宥めているうちに、列車はどんどんハイランドの平原を走ってゆく。無理やり話を切り上げて制服に着替えると、すぐにホグズミード駅に到着した。

 

 勝手にホグワーツ城へと運ばれるらしい荷物を残し、ビンセントとグレゴリーと連れ立って夏の日差しが僅かに残るプラットホームに降りる。宵の冷たい風に首をすくめながらどこに向かうべきかこじんまりとした駅を見渡すと、一年生を呼ぶ大声が聞こえた。探すまでもなく、その声の主は目に飛び込んでくる。三メートルを優に超えそうな背、ただでさえ大きい身体をさらに巨大に見せる縮れて膨れた長い髪と髭。あれが噂に聞く森番のハグリッドだろう。なんでも三年生の時に退学になって以来数々の魔法生物がらみの問題を起こしながら、五十年近くもダンブルドアの縁故雇用でホグワーツに留まっているらしい。魔法界はおしまいである。

 事実はどうだか知らないが、確かにそんな噂が立ってもおかしくないくらい、偏見を掻き立てる恐ろしげな容貌だ。けれど、ハリーに笑いかける様子は親しみがあるとも言えるかもしれない。彼は一年生を集めながら、ハリーの名を呼んでにっこり笑って挨拶をしていた。

 一年生が揃ってハグリッドの方を向いてる時に声をかけるのはちょっと、いや、かなり無神経だったかもしれないが。

 

 ハリーの名前にヒソヒソと周りの子供が囁き合う中、僕らは駅から伸びる小道をホグワーツへ向けて歩き出した。うねうねと曲がる道を抜けた先、湖の向こう岸に城が見え子供たちから歓声が上がる。なるほど、闇の中に輝く石造りの城砦は物凄く見事だ。様々な時代の様式が混ざり大小の建物が組み合わさる城を見て、流石に感動を覚えた。

 スコットランドはこの時期かなり日没が遅いが、八時を過ぎて辺りは完全に真っ暗だ。僕は杖で一緒に来た二人とそばにいた一人の足元を照らしながら、新一年生を城へと運ぶボートに乗り込んだ。

 

 湖を渡ってホグワーツに着き、マクゴナガルという名前の教授(確かこの人は昔魔法省にいらっしゃったはずだ)から案内を受けた僕らは大広間へ入った。これから七年間を過ごす学校を前にして、周りの子たちの緊張も最高潮になってきている。

 僕もまた負けず劣らず緊張していた。なにしろ、これから行われる組分けが今後の運命を左右するのだ。もっとも、物語の内容を知らない以上、誰がどの寮に行くべきなのか根拠なく推測することしかできないのだから、心配してもどうしようもないのかもしれない。だからと言って、頭の中を嫌な予想が駆け巡るのは止められなかった。

 

 浮かぶ蝋燭に照らされて輝く大広間の奥には、全員に見えるよう椅子と、ひどく古ぼけた帽子が置いてあった。あれが組み分け帽子なのだろう。その帽子がそれぞれの寮の特徴を歌い上げる中、ふと横にいる二人の幼馴染のことを思い出す。視線を向けると、ビンセントとグレゴリーもカチコチに固まっていた。僕は彼らより精神的にはかなり年上なのに……自分のことに精一杯で二人を全く気にかけていなかった事実に、何だか情けなくなってくる。

 僕は二人の肩を叩き、こっそりと囁いた。

 「僕らはまことの友を得てるし、今までちゃんと勉強して狡猾さも養ってきているはずだろう? 大丈夫だよ」

 二人は全く気が晴れた様子はなかったが、それでも少し微笑んでくれた。

 

 

 そして組み分けが始まった。

 順番は名前のアルファベット順だったので、僕らの中ではビンセントが最初で、次がグレゴリー、最後が僕だ。肝心のハリー・ポッターはさらにその後になる。

 緊張している僕らをよそに、組み分けは予想していたよりずっと素早く進んだ。そりゃあ、一学年百人以上いるのだから早く進まないと子どもが起きているべきではない時間になるだろうが……こちらは心の準備ができていない。もう少し生徒とじっくり意見を交換して寮を決めて欲しいものだ。僕は魔法界の教育環境を憂いていた時よりも真剣にそう思った。

 

 そうして、右隣にいたビンセントが呼ばれた。彼の頭に乗せられた帽子は一瞬考え込み、高らかに叫ぶ。「──スリザリン!」

 

 僕もグレゴリーも拍手をした。他人に構っている余裕のない一年生の中では浮いている気がするが、こちらもそれを気にかけている余裕がない。それから少しして、グレゴリーも呼ばれた。「──スリザリン!」一人残された事実に、いよいよ胃が捩れる思いをしていた僕は、それでも力一杯拍手をした。

 

 それからまたしばらくして、何人かの組み分けが終わり、マクゴナガル教授がはっきりとした声で次の名前を呼んだ。

「マルフォイ、ドラコ!」

 

 余命宣告を受けたような気分だ。僕は何とか表情や姿勢を取り繕い、足が震えないようにしながら歩み出て、帽子を被った。

 

 途端に、先ほどまで寮について語っていた低い声が、頭の中にゆったりと響く。

「ほーう。なるほど、なるほど。君の家系はもっぱらスリザリンに行くのだが……どうやら君は、他の子供たちとは少し違った考え方を持っているようだ。いや、考え方というよりは……意識かな……」

 

 その言葉に、僕は思わず凍りついた。そうだよ、組み分け帽子は被った子供の性格を判断できる──つまり、頭の中が読める。ってことは、僕の記憶にある音割れポッターBBとかいうクソくだらない知識が────

 

 「なに、私は知り得たことをペラペラ喋ったりしない。君は────知識欲はある。ただそれは知識そのものに由来しているわけではないね? 勇気もそれなりにはある。ただ、勇気を持たねばならない場面そのものを避けがちだ。君の忍耐だが────」

 

 お前は全部中途半端だとでも言いたいのか? 話がどこに向かっているのか分からないが、もう僕は必死だった。頭の中で何とからならないのかと帽子に懇願する。

 

 ──スリザリンに行かせてください、お願いします! 親に殺されるんです! 未来が危ないかもしれないんです!

 

 帽子は聞いているのかいないのか、うわ言のように囁き続けた。

 

「フウム……なるほど。その忍耐は目的があればこそ発揮される。果て遠き目的のために雌伏し、手段を尽くすのならば君は────スリザリン!」

 

 僕は帽子が叫ぶのを聞き、ドッと力が抜けた。席を空けねばならないと思い立ち、震えを抑えながら椅子からどうにか立ち上がる。帽子をかぶっている間は永遠のように感じたが、どうやら一瞬の出来事だったらしい。

 何とか体面を取り繕いながら帽子を脱ぎ、背筋を伸ばしてスリザリンのテーブルへ向かった。グレゴリーとビンセントが拍手で迎えてくれるのが見える。────やった、スリザリンに入れたんだ。当たり障りのない結果になったんだ!

 思わず感動で咽び泣きそうになった。

 

 手前に座っていたビンセントの横に腰を下ろす。安堵感に深く息を吐いたが、組み分けされていない子ども達を見て、現実に少し戻ってきた。────まだ、ハリー・ポッターの組み分けが残っている。あの子が順当にグリフィンドールに入ってくれなければ、結局すべて、お釈迦なのだ。

 

 しかし、心配していたようなことは起こらなかった。少し時間が掛かりながらもハリー・ポッターは無事にグリフィンドールに入ってくれた。もう万々歳だ。思わず自寮の生徒でもないのに、拍手をしてしまった。明らかに周りに白けた目で見られていたが、ちょっと放って置いて欲しい。こっちは必死だったんだから。

 

 ついでに残った一年生に全員拍手していたら、組み分けが漸く終わった。長い戦いだった。最後だったブレーズ・ザビニを隣に座らせていると、マクゴナガル教授が道具を片付け、そこにダンブルドアが進み出てくる。あれがかの有名な、最も偉大な魔法使いか。先程はしげしげと見ている余裕がなかったが、魔法使いを絵に描いたような老人だ。

 彼は子どもたちの顔を見渡し、にっこりと微笑むと口を開いた。

 「おめでとう! ホグワーツの新入生、おめでとう! 歓迎会を始める前に、二言、三言、言わせていただきたい。

 では、いきますぞ。そーれ! わっしょい! こらしょい! どっこらしょい! 以上!」

 ……奇人である。まあ、この魔法界には、マグル基準での狂人などゴロゴロ転がっているが……これがあのヴォルデモート卿が恐れた今世紀最強の魔法使いというのだから、やっぱり魔法族は初対面の印象だけで判断してはならないのだろう。

 目の前に現れた料理をビンセントとグレゴリーの皿に取り分けながら、僕は他の教諭の顔ぶれを見渡した。存じ上げている方もいらっしゃるが、ほとんどの先生は初めてお目にかかる。おそらく彼らは主要登場人物になるだろう。出来るだけ直接交流する前に人となりを知っておきたいと思い、僕は近くの上級生にお願いして簡単に紹介をしてもらった。

 彼らの中には、何人か気になる人物がいた。一年しか持たないと噂の「闇の魔術に対する防衛術」は以前はマグル学を持っていたクィリナス・クィレル教授が担当なさるらしい。一年というジンクスには何か意味があるのだろうか? ……それにしても、教師にカリキュラムが一任されている魔法界でコロコロ担当が変わるのは、教育面において致命的な気がする。その辺りに対しては魔法使いの無駄な鷹揚さが発揮されてしまっていた。

 魔法薬学の担当はセブルス・スネイプ教授だ。彼は父と親しいらしい。……というか死喰い人仲間だった疑いがある。僕の父と学生時代から今に至るまでずっと縁があるというのは、そういうことだ。どうも社交嫌いな人のようだったが、母に招かれごく稀に我が家のパーティーにいらっしゃっていた。正直子ども好きには見えなかったからあまり喋りもしなかったが、スリザリンの寮監である以上、良い関係を築きたいものだ。

 

 和やかな雰囲気の中漸く食事が終わり、皿がパッと綺麗になった。満腹で眠たげになった子どもたちの前に再び校長が歩み出る。彼は先ほどと同様、優しいおじいちゃんそのものといった口調で話し出した。

 

 「エヘン──全員よく食べ、よく飲んだことじゃろうから、また二言、三言。新学期を迎えるにあたり、いくつかお知らせがある。一年生に注意しておくが、校内にある森は立ち入り禁止じゃ。これは上級生にも、何人かの生徒たちに特に注意しておく」

 ダンブルドアはそのまま注意事項について話し続けた。

 「管理人のフィルチさんから授業の合間に廊下で魔法を使わないようにという注意があった。

 今学期は二週目にクィディッチの予選がある。寮のチームに参加したい生徒はマダム・フーチに連絡するように。

 最後じゃが、とても痛い死に方をしたくない人は、今年いっぱい四階の右側の廊下に入ってはならんぞ」

 よくある全体注意と思って半ば聞き流していたが、最後のものはなかなかインパクトがあった。

 学校に生徒がとても痛い死に方をするような廊下を設置するな。それだけで学校は管理責任を放棄していると思ってしまうが……僕がおかしいのだろうか? 魔法族は場所にかけられた呪いをそういうものと思いがちだ。ここまで古い校舎ともなると建物にかけられた呪文の管理だけでも一苦労なのかもしれないが、子供の学舎である以上、不測の事態にも備えて欲しいものだ。まあ、そこまで危険ならまさか生徒がホイホイ入れるようにもなっていないだろう。

 

 魔法界あるあるの、みょうちきりんな歌がてんでばらばらなテンポやメロディーで歌われるのを聞きながら、僕はぼんやりと思索を巡らせた。その歌で涙を流しているダンブルドアは、はっきり言ってちょっと……いや、かなり怖かった。

 

 宴が終わり、幼馴染の二人とダンブルドアや他の先生方についておしゃべりしながら、僕らは監督生のジェマ・ファーレイに続いて、入りたいと切実に願っていた地下にある寮へと石造りの階段を降りていった。

 

 

──────────────

 

 

 塔のてっぺんにあるグリフィンドール寮のベッドの中で、ハリーは眠りにつく前に今日一日のことを思い返していた。結局、ヴォルデモートと同じ寮になりたくなくて──そして、両親と同じ寮に行きたくて、グリフィンドールに入るよう組み分け帽子にお願いした。しかし、あのダイアゴン横丁で出会ったドラコ・マルフォイという子はスリザリンに行ってしまった。

 

 特急での以前とまるで違う態度を見て、ロンの言うとおりの嫌な奴なのかと思いもした。しかし、それ以外で遠目に見た彼はやっぱり優しそうだったし、ハリーがグリフィンドールに選ばれたときも拍手してくれていた。……まあ、彼はそれ以外の子にも寮関係なく拍手をしていたが。

 

 ロンはハリーがドラコに感じたことを聞いて、いい顔をしなかった。せっかく同じ寮に出来た初めての友達を失いたくなかったので、ハリーはロンにもうドラコの話をしないことに決めた。けれど、帽子が歌っていた「まことの友」を得る機会は失ってしまったのかもしれない。ハリーは少し寂しさを感じ、それを誤魔化すように毛布の下へ潜り込んだ。

 

 

 

 

 

 



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第五話 スリザリン生の矜持

 

 

 

 組み分けの儀式から一夜が明け、早速一年生の授業が始まった。生まれ育った屋敷とは全く違う環境だ。僕らは新しい生活に順応するため、忙しく日々を過ごしていた。

 スリザリンに組み分けされたことは、その日のうちに手紙を書いて両親に報告した。二人も知らせを待ちかねていたのだろう。翌日の朝には両親揃ってのお褒めの言葉と山のような菓子類が届いた。あの二人は僕が一度でも何か食べ物を気に入った素振りを見せると、口実があればすぐそれを与える祖父母のような性質を持ってる。……申し訳ないが、実のところそこまで甘いものが好きなわけでもない。僕はそれを朝食の席で授業ごとに振り分け、予習復習をすればクラッブとゴイルにあげる約束をした。

 そのついでに、僕らは周囲に溶け込むため早々に呼び名を変えた。スリザリンの男子はもっぱら名字で呼び合うらしい。いちいち周囲に合わせるのも気恥ずかしい気がしたが、この段階で大勢の流れに逆らって良いことなど一つもない。この段階で出る杭になる必要はない。……それにしても、パブリックスクールのような習慣である。魔法界と非魔法界での意外な文化の繋がりだ。

 

 

 ホグワーツに慣れるといっても、生活の中の多くを占める授業はそこまで問題にならなかった。僕はもちろん、クラッブもゴイルも基礎の部分は頭に叩き込んで入学している。授業で当てられたりする程度だったら素晴らしくスムーズにこなせていた。二人とも知識があると言うことで友達もできていて、喜ばしい限りだ。

 

 一方、僕の人間関係は順風満帆とは言えなかった。懸念通り、組み分けでの振る舞いのせいで早速同い年のスリザリン生の中で少し浮いてしまったのだ。そうは言っても、流石にマルフォイ家の嫡男ということもあって露骨に避けられたり、嫌がらせを受けるなどということは一切ない。家同士の上下関係がある子たちからは子供にあるまじき媚びを頂いたし、そうじゃ無い子達もそれに倣って僕に接していた。なんとも不健全な関係性だ。けれど、それでもなおどうにも妙に扱いに困ったような態度を取られている気がする。

 僕は何とか過ちを取り返そうと、出来るだけ寮生に親切にしたが……やはり周りに溶け込めていない感覚は拭えなかった。考えてみれば、一人だけ精神的には明らかに年上なのだから無理もないのかも知れない。けれど無意味に目立っても仕方ないだろう。こんな状況に陥ってしまっては、内心自分のコミュニケーション能力に不安を覚えざるをえなかった。

 

 そんな小さな悩みはありつつも、様々な授業を受けるたびにそちらの魅力に意識を引かれるようになり、人間関係はさして気にならなくなっていた。既に学習する内容は知っていたが、やはり実演や授業を行う様子には感銘を受けるものがある。僕は変身術の授業を特別気に入った。入学許可証が届いてから家で色々魔法を試していた中でも変身術は興味深かった。物体を元素すら違う別のものに変容させることほど、魔法を実感できることもそうないだろう。

 気に入ったのは授業だけではない。ベテランの変身術教諭で、グリフィンドール寮監のミネルバ・マクゴナガル教授についても、この短期間でかなり好感を持つようになっていた。この人は今まで見てきた魔法使いと比べて珍しく厳格さを重んじ、公平で、感情に左右されない性格のようだった。短期間ではあるが、かつて魔法省の魔法法執行部に所属していたそうだし、ダンブルドア校長の右腕なのだから正義側の人なのだろう。おそらく物語はもう始まっているにも関わらず先の見通しが立たない中で、善人かつ理性的に見える人間の存在はなんとも有難かった。

 当然、僕は変身術の授業を張り切って受けるようになった。勉強する魔法自体、一年生のものでそこまで難しくはない。終了時間ギリギリでマッチ棒を完璧な針に変えたときマクゴナガル教授からお褒めをいただいた際には、彼女がグリフィンドールの寮監だということも忘れ、思わず満面の笑みを浮かべてしまった。

 

 

 その逆に、魔法史は最も失望した科目の一つだった。内容の酷さという面から言えば「闇の魔術に対する防衛術」もなかなか良い線を行っていたが……ハナから一年で教師がコロコロ変わる科目に期待などしていない。予想していたものと教えられているものの落差が一番大きかったという点で、魔法史は群を抜いていた。

 未来のための知識を収集していた際に、魔法界の歴史と歴史学についてはあらかた勉強していた。そこから、ホグワーツでどのような授業が行われているか、その問題点も含めて既に予想していたつもりだった。けれど、カスバート・ビンズ教授はそのすべての問題点を盛ってなお余るほど、歴史学の教師として不適格だった。元々魔法界は歴史について瑣末ばかり記憶してその背景を考えない傾向があるが、彼は正にそのタイプだ。完全に興味を失った生徒を前に、マイナーな人物の名前や当時のボタンの数といった枝葉末節ばかりを滔々と語っていた。それらの事項が何故覚えるべきなのか分からない子供たちにとって、彼の授業はさながら知らない言語の読経が如しだ。

 しかも、彼はゴーストになってから既に百年余りが経っているらしい。実体を持っていないことでの不便など数限りなくあるだろうに、業務に支障はきたしていないのだろうか? 歴史学に必須であろう本のページを捲れなくなって一世紀も経過しているような古生物を、現代の若人の前に出さないでいただきたいものだ。

 

 残念ながら、魔法史の授業時間はビンズ教授の授業をBGMにした、持ち込んだ本での自習時間となってしまった。僕の父はホグワーツ理事なのに、こんな化石を雇うことへ否はないのだろうか? 絶対子どものためにならないと思うのだが。ビンズ教授はゴーストゆえに年齢での退職もないだろうし……積極的に状況を変えるべきときはもう来ているだろうに。これも魔法族の教育に対する無関心の弊害ということなのだろうか。

 

 

 魔法史をやり過ごしたところでもう一つ、色々な意味で気になる科目も残っていた。

 いよいよ今日、金曜日の一限はグリフィンドールと合同での魔法薬学だ。僕が最も恐れる科目の日がついに来てしまった。理由は色々ある。父の友人で、ある程度こちらが体面を保つ必要があるセブルス・スネイプ教授の担当教科だということも勿論だが──それ以上に薬品の調合に対して、僕はマグル的価値観を拭い去ることができなかった。

 

 非魔法界において薬品とは専門知識を免許によって保証された人間が扱うものだ。勿論市販薬であれば素人が勝手に使えるが、それだって「作る」わけではない。責任ある人間が製造する。それが当たり前だ。

 ここではその常識は通用しない。十一歳の子どもに薬を調合させるのがスタンダードだ。魔法族は皆狂っているのだろうか? 今日はおでき用の外用薬だから、失敗しても即座に致命的なことにはなりづらいだろうが、内服薬は正直作りたくなさすぎる。まさか無闇矢鱈に試用するわけじゃないだろうが、残念ながらそういった規格や検査が魔法界では軽視されがちだという事実は前世を思い出してから数年で身に染みていた。

 一応魔法薬の無許可での調合を禁止する校則は確認したが……調合したことが明白でない場合、その校則は適用されない。罰は軽微な上に現場を押さえなければ言い逃れがいくらでもできてしまうシステムだ。毎年生徒の二、三人は密造薬で吹き飛んでいてもおかしくないと思うのは僕だけなのかと訝しみたくもなるが、ホグワーツの危機管理能力に期待するほうが間違っているのだろう。

 そもそも魔法使いの無謀さと放埒さは、ゴキブリのような生存力に裏付けられてしまっているのだ。非魔法界でこんな真似をするとすぐ重篤な怪我人が出て改善が求められるだろうが……魔法族は無駄に頑強で、それゆえに傷病を軽視する。ここはどうにも埋められない価値観の違いなんだろう。

 

 さて、臆病者な僕は、今日という日のためにかなり真剣に努力した。自分は勿論、ビンセントとグレゴリーが罷り間違って毒殺犯にも毒殺死体にもならないよう、体系と分析に中指を立てている魔法薬学になんとか齧り付いてその摩訶不思議な理論を頭に叩き込んだ。おかげで五年生くらいまでの内容なら完璧にこなせる自信がある。特に安全性という面で。

 スネイプ教授が生徒に死人を出したという話は聞いていないので、授業中はあまり心配しなくてもいいだろうが……それにしたって、用心しすぎることはないだろう。確かに魔法はリカバリー可能な範囲が極めて広いが、リカバリーされなければ致命的になる場合もあるのだから。

 

 

 問題の魔法薬学の教室は仄暗い地下にあった。そこで生徒を待ち構えていたスネイプ教授は、大広間で見たときと変わらずじめっとした雰囲気を放っている。冷え冷えとした教室も相俟って子どもにはかなり威圧感のある先生だ。そう考える僕自身、失礼ながら既に良い印象は持っていなかった。

 元死喰い人疑惑が濃厚な時点で大体予想が付いてはいたが、スネイプ教授は子どもと接する教師としては落第もいいところ……というのが入学してわずか数日の時点での印象だった。この短い間、僅かに見かけた振る舞いからも、彼は不公平で、残忍で、生徒を虐めることを楽しむ面があると分かってしまう。

 

 また、それで気づいたこともあった。───彼が、現在のホグワーツで異様なまでに深刻化したグリフィンドールとスリザリンの対立関係の一因だ。

 先の戦争の当事者である父母の世代がとりあえずは成熟した大人であることを加味しても、致命的なまでに寮間の軋轢を表に出すことはそうない……少なくとも公の場では。それなのに、学校でこれほどまでに子どもたちが反目しあっているのは、単に幼く親世代の影響を強く受けているという以外にも何かあるのでは、と以前から勘繰ってはいた。その原因としてスネイプ教授の影響は思わぬ発見だ。

 このスリザリン寮監は、堂々と、しかも不正に、スリザリンを贔屓する。それに対し、当然グリフィンドールは正義をもって立ち上がる。その余波で責め立てられたスリザリン生は寮監を批判するわけにも行かず、自己防衛に走りグリフィンドール生に対抗し、さらに対立と相互不理解は深まってゆく。このような悪循環は容易に想像できた。

 ……こんな悪影響極まりない教師を放置しないでほしい。このあまりに理不尽な寮監の存在を前にして、グリフィンドールの寮監でありながら一切生徒の贔屓をしないマクゴナガル教授の有り難さは、ますます染み渡るようだった。

 

 この授業でも当然、スネイプ教授は不当にスリザリンを贔屓するのだろうと考えてはいた。しかし、その標的がハリーに集中するのは予想していなかった。いや、予想してしかるべきだったのだろう。スネイプ教授は「主人公と仲の悪い寮の性悪寮監」なのだ。児童書の物語としてはありがちな展開なのだろう。

 

 授業が始まってすぐ、教授は今回学ぶ内容に一切触れないまま、ハリーに対して次々と難しすぎる問いを投げかけていった。明らかに答えられると思ってされている行為ではない。彼は十一歳の入学したばかりの少年を晒し上げるため、自身の立場を存分に利用していた。

 まだ魔法界に来て少ししか経っていない、右も左も分からない子どもに対し、遺憾なく性格の悪さを発揮する自寮寮監に情けなさで涙が出そうだ。教授はハリーの近くにいるグリフィンドールの女の子が意気揚々と手を挙げるのすら一瞥もせず黙殺し、詰問を続けた。

 高度な内容を意地悪く問いただされ、ハリーが心配になったが──それは杞憂だった。彼は自身に意味不明な悪意を向ける教授の目を見つめ、気丈に返事をしていた。ダイアゴン横丁で出会ったときは結構自分に自信のないところがあると思っていたのだが……主人公に相応しく強い子だったようだ。

 

 それを見て、僕も少し感化されてしまった。今のスネイプ教授の横暴をただ許せば、それはスリザリン全体の名誉を貶めるのを見過ごすことになるし、我が寮の未来のためにも、ここでできることはしておくべきだろう。それに、ハリー・ポッターがグリフィンドールに組み分けされた以上、スリザリンの中だったらある程度手を回せるだろうとも考えていたのだ。寮監に歯向かうため言い訳じみたことを考えながら、僕は心中で策を練った。

 

 何がなんでも答えたいとばかりに立って手を上げる女の子に対してスネイプ教授が酷薄に座るよう促したところで、僕も手を上げる。予想外の動きに、寮関係なく周囲の生徒たちからギョッとしたような視線が突き刺さった。教授もまた、僕が何をしようとしているのか分かっていないようだ。彼はわずかに訝しさを含んだ目でこちらを見据えていた。

 僕は彼に対し、へりくだった笑みを浮かべ口を開いた。

 「教授、よろしければ僕がお答えしても?」

 媚を全面に出した自分の行動に鳥肌が立つが、もう一歩を踏み出してしまった。あとは完遂あるのみだ。

 ハリーからも驚いたような視線を感じる。そちらに目線を向けないよう、僕は教授をまっすぐに見つめた。スネイプ教授はルシウス・マルフォイの息子がしゃしゃり出てきたのを見て、ハリーを貶められる機会が続くと考えたらしい。彼は酷薄な笑みを浮かべてこちらに対して鷹揚に頷いた。

 「構わん。答えてみたまえ」

 つい先ほどグリフィンドールの女の子を黙殺した時とは全く違う態度だった。

 「ありがとうございます」

 不快感を顔に出さないようにっこり笑って礼を言い、僕は自分の持ちうる知識を探った。

 

 「……アスフォデルとニガヨモギは強力な睡眠薬「生ける屍の水薬」の材料です。『()()魔法薬』に調合法が掲載されています。

ベゾアール石は山羊の胃に見られる結石で、汎用的な解毒作用があります。()()()()()()()()()()()()、私たちも扱いを知る必要があります。

モンクスフードとウルフスベーンは両方ともトリカブトのことを指し、強い毒性があるため、()()()()()()()()()()()()()()調合に用いることが求められます」

 こちらを凝視するハリーの視線に気づかないふりをしながら、記憶をどうにか掘り返して答えていく。

 このままでは、僕は自分の知識を誇示したいだけの、そしてハリーを晒し者にしたスネイプ教授に追従するだけの存在だ。しかし、それで終わるつもりはなかった。

 

 質問に答え終わり、スネイプ教授が何か口を挟む前に彼に対して僕ははっきりした口調で語りかける。

 「どれも高度なものですから、若輩の身で扱えはしないでしょうが……来年以降、調合に用いることもあるでしょう。ご教授を心よりお待ちしております」

 最後に、教授に対して釘を刺す言葉を付け足した。これくらいであれば、彼は僕がわざと言ったか確信はできない。

 これらは明らかに1年生には高度な内容で、僕らの教科書には載っていないものもあり、スネイプ教授は不当にハリーを質問責めにした。そのように、この教室の子たちの多くは理解できたはずだ。

 教授自身が僕の意図に気づくかは正直分からなかったが、彼は意地悪そうな笑みを崩さず──それでも、目つきがわずかに厳しくなったような気がした。人を傷つけることに躊躇がないのに、他者の感情の機微に対して聡いらしい。なかなか面倒な人だ。

 スネイプ教授は教室の中を見渡し、口調を変えずに話しかけた。

 「……英雄殿とは違い、驕ることなく予習に励むスリザリンに1点加点。諸君、なぜいまのを全部ノートに書き取らんのだ?」

 彼はいちいち余計なことを言わなくては気が済まないらしい。全く、勘弁してくれ。

 

 

 その後の授業中にも、教授はグリフィンドール生に対してイビリにイビリを重ねていた。その上、スリザリンには惜しみなく恩寵を与える。父のことがあるのか僕を重点的に。先ほどのささやかな達成感は雲散霧消してしまった。この調子では、生徒が少し口を挟んだところでスネイプ教授の悪影響を打ち消すことなどできないだろう。

 彼の贔屓は僕自身がスリザリンに埋没するには良いとは言え、普通に軽蔑してしまう。まったく、火と危険物を扱う子どもの注意力を削ぐような真似はしないでいただきたいものだ。教授は決して注意力散漫な方では無いのだろうが、生徒をいたぶることを好む嗜好は明らかに監督者としての職分を侵害していた。

 彼が僕の死ぬほどどうでも良いナメクジの茹で具合を見せびらかすのを横目に、僕は生徒の様子を観察する。そこで教授の話を聞かず、焦るように作業を進めているグリフィンドールの男の子が目に入った。彼は火にかかったままの鍋に山嵐の針を入れようとしている。

 ──それはまずい。僕は咄嗟に声をあげた。

 「そこの子、針を入れるな!」

 しかし、この対応はあまりいい結果をもたらさなかった。

 僕の大声に縮み上がったその子は、ポロッと鍋の中に手に持っていた物を入れてしまった。たちまち薬品は強烈な緑色の煙を放ち、音を上げて鍋を溶かし出す。

 辺りの生徒から悲鳴が上がる中、スネイプ教授は事態に気付いて目を釣り上げた。

 「離れろ、馬鹿者!」

 彼は大股でそちらに近づき、杖を振って薬品を消した。

 おどおどした男の子は制服の前に薬がついてしまったようで、ローブには大穴があき、泣きそうになっている。その態度は状況を悪化させてしまったようだ。スネイプ教授は明らかに非がある人間の傷口を抉るのが好きなようだ。彼はその子を詰めるのを散々楽しんだ後、その隣にいたハリーたちに向き直った。

 彼の顔には酷薄な表情が浮かんでいる。僕はそれを見て、次に彼が何をいうのか予想できてしまった。

 「君、ポッター、針を入れてはいけないとなぜ言わなかった? 彼が間違えば、自分の方がよく見えると考えたな? グリフィンドールは1点減点。加えて賢明にも注意を行なったミスター・マルフォイ、スリザリンに5点」

 やっぱりだ。自分が僕のナメクジなんかを生徒に見せびらかしていたことを、この短期間で都合よく忘れたらしい。ハリー・ポッターを虐めるためであれば、彼は自身の理論の破綻に目をつぶれる人物らしかった。

 

 教師としての監督責任を放り出した態度に、自分がそもそも別のことに目を向けさせていたことを棚上げした台詞、「先生」にあるまじき倫理の破綻を都合よくやってのける人間性。

 僕はスネイプ教授を心底軽蔑するようになった。

 

 

 

 授業後、さすがに憔悴した様子で出ていくハリーが心配になった。ホグワーツ特急での出来事があった後で親しげに声をかけるわけにもいかないが……我らが寮監のせいで彼はあんなことになっているのだ。思わず昼食へと大広間に向かう道は同じだからと言い訳じみたことを考えて、目の届く範囲で彼を追ってしまう。

 彼らは気づかないだろうと思っていたのに、ウィーズリーの少年がクルリとこちらを振り向き、視線が合ってしまった。たちまち彼の顔に不快感が広がる。彼はハリーを隠すように僕の方へと向き直った。

 「なんだよマルフォイ」

 どうしようもなく嫌われているようだ。彼にとって僕は一方的に喧嘩をふっかけてきた人間なのだから当たり前である。100%僕が悪い。

 組み分けも終わったしもう謝ってしまおうかとも思ったが、今妙に優しくしてスリザリン生の中で目立つのも良くない。僕は当たり障りのない態度でやり過ごすしかなかった。

 

 「……自意識過剰じゃないか」

 ため息混じりに目を細めてみると、ウィーズリー少年は少し顔を赤らめた。けれど、彼はそれで引いてくれない。少年は反抗心を露わにして、刺々しい口調で言葉を続けた。

 「あの嫌味なスネイプに贔屓にされて、そんなに嬉しいのか」

 その言葉には少し心を乱されるものがあった。彼の立場からすれば尤もな指摘だが、流石に先程まで寮監に内心荒れ狂っていた立場としては物申しておきたい。……どうせ小競り合いするくらいでちょうど良いのだから。

 僕は堂々と彼の指摘に反論した。

 「あんなの、こちらが頼んだわけじゃない。贔屓されずとも僕は一年生の魔法薬ぐらいちゃんと調合できる。君はどうなんだ、ウィーズリー」

 「随分と自信があるみたいだけど……どうせ、授業前からアイツに何を訊くか教えられていたんだろう?」

 ウィーズリー少年は怯まず、肩をすくめて返事をした。確かにスネイプ教授ならやりかねないが、生憎それは事実ではない。僕はまっすぐ彼の目を見つめ、口を開いた。

 「そんな八百長のような真似はしない。そんな手段を使わずとも、僕は自力でスリザリンの名に恥じない成績を残せる」

 それだけ言い捨てて、僕は会話を切り上げてクラッブとゴイルと共に大広間の中へ入るよう促した。再びウィーズリー少年と小競り合いを起こした今、流石にハリー・ポッターも怪訝な顔でこちらを見ているのを感じる。

 まあ、少し嫌われているくらいがちょうど良いのかもしれない。そんなふうに自分を慰めながら、僕ら三人はスリザリンのテーブルに腰を下ろした。

 

 

 

 この日はそれだけでは終わらなかった。

 夕食後、談話室に戻ると入学式の日に僕らを寮に案内した監督生──確か、ジェマ・ファーレイと言ったか。彼女がこちらに向かってまっすぐ歩いてきた。明らかに和やかな雰囲気ではない。彼女は傍にいた二人のもとから僕を連れ出し、人気のない寮の廊下まで連行した。

 彼女は眉を顰め、腕を組んで口を開く。

 「ねえ……マルフォイ。あなた、スネイプ先生に八百長だとか贔屓はいらないだとか言ったんですって?」

 そんなことは表に出していない。……そう思い口にしようとしたが、考えてみればウィーズリー少年との喧嘩で似たようなことは言った気がする。面と向かってではないが、そう受け取った生徒がいたのかも知れない。人の多い玄関ホールでのやりとりだったし、それが監督生である彼女の耳に入ってもおかしくないだろう。

 「直接そう申し上げたわけではないですが……事実として、スネイプ教授のお振舞いはスリザリンにとって不名誉ですよね? 彼の寮監という立場を盾にとって点数をいただいても、他寮生は誰も敬意など向けないでしょう。それどころか軽蔑の対象になるだけです。そんな状況に甘んじていても良いことなどないのではないですか?」

 良い機会だと思い、疑問に思っていたことを尋ねる。あの教師に向いていない寮監のことを自寮生たちはどう思っているのか。これは今後寮のあり方の、そして僕の行動の方向性を考えるにしても、知っておくべきことだ。

 ファーレイは一瞬信じられないものを見たような顔をした後、強く眉間に皺を寄せた。

 「……それはあなたがマルフォイだからできる振る舞いだわ」

 「どういう意味ですか?」

 意図を測りかねて首を傾げる僕に対し、彼女は深くため息をついた。

 「私の家族は昔っからスリザリンの家系じゃないの。それでも監督生にはなれたけど、あなたみたいな後ろ盾もなく、寮監の機嫌を損ねられないわ」

 一度言葉を切り、彼女は面倒くさそうに肩をすくめる。彼女の瞳には苛立ちと僅かな諦念が滲んでいた。

 「別にあなた一人がスネイプ教授といざこざを起こすのは構わないけれど……あなたが『マルフォイ』である以上、それに板挟みにされる子もいるでしょうね。

 ……スリザリンの仲間のことを思うんだったら、大人しくしていなさい」

 それだけ告げると彼女は踵を返し、僕をその場に残して談話室へと戻っていった。

 ……彼女の指摘は予想していた範囲の実情だったが、やはり実際に子どもの口から聞くと重たいものがある。寮監のやり方に反感を覚えても、寮生はそれに対して大っぴらに反旗を翻すことができない。ただでさえ理不尽な人間に対して、一度刃向かってしまえば今度はその矛先が自分に向けられるのだ。生徒に自浄作用を求めるのは無意味なだけでなく、無責任だった。

 暗雲の垂れ込めている状況だ。

 

 

 けれど、このまま放置していいものなのだろうか? グリフィンドールと敵対関係を持つということは、魔法界最大の庇護者であるダンブルドアの懐に入るのが難しいということでもある。ヴォルデモート卿が青白ハゲとして復活すれば、現在スネイプ教授に巻き取られてグリフィンドールバッシングに加担している生徒たちは闇の道を選ばざるを得なくなるだろう。僕の二人の幼馴染も含めて。

 それを黙って見過ごすなんて、ありえない。

 物語を動かさないように、ハリーと関係のないところで。出来る範囲で。少しずつ。やれることはやっておきたい。

 

 

 

「マクゴナガル教授、少しお時間よろしいでしょうか?」

 翌日の放課後、僕は一人、マクゴナガル教授の研究室を訪ねていた。スネイプ教授に対してなんらかの手を打つにあたり、最初に彼女を頼ることにしたのだ。

 敵対者であるグリフィンドール側の人間に真っ先に行くのは、争いを激化させる可能性があり悪手かとも思う。しかし、全く無関係で力のない第三者に協力を要請しても意味がない。副校長という立場であり、公平さを重んじる彼女は真っ先に味方につけておきたい立場だった。

 突然の他寮生の来訪にも関わらず、彼女は快く迎えてくれた。授業に真面目に取り組んだのが良かったのだろう。

 

 前触れなしの訪問者に対して彼女は書斎机に腰を落ち着け、真面目そのものの表情で口を開いた。

 「マルフォイ、どうかしましたか?」

 「実は、相談させていただきたいことがあって。入学早々変なことだと思われるかも知れませんが……スリザリンの寮監としての、スネイプ教授のことについてなんです」

 彼女の表情が訝しげなものに変わった。他寮の生徒が自寮の寮監について何か相談したいというのだ。そりゃあ話の流れも読めないだろう。

 僕は事情をわかってもらうため、慎重に話を続けた。

 「あの、マクゴナガル教授はスネイプ教授のことをどのようにお考えですか? ……主に公平さの観点で」

 その言葉に、教授は流石に僕が何を問題としているか気付いたようだ。しかし、彼女の顔の不可解さは未だに残っていた。

 「その事について私に相談しに来たスリザリン生はあなたが初めてです。マルフォイ」

 僕以外に一人の例外もいなかったのは意外だが、ファーレイの態度からもそう言った状況は読み取れていた。僕は彼女に相槌を返す。

 「他の寮生はいたのですね」

 「……ええ。けれど私は言わなくてはなりません。スネイプ教授を辞めさせることはできません。これはダンブルドア校長の決定です」

 いきなり話が過激な方向に飛躍した。他寮生ならあんな教師はホグワーツから出ていくべきだと考えるのは自然かも知れないが、そこまでやる気は一切ない。慌てて僕は否定の言葉を返した。

 「辞めさせるなんてとんでもない。そんな恐ろしいことは考えていません」

 その言葉を聞いて、マクゴナガル教授はますます表情の怪訝さを強くした。当たり前のことを言ったつもりだったが、いよいよ彼女は僕の真意を測りかねているようだった。

 

 彼女は椅子にしっかりと座り直し、こちらの話をより真剣に聞く姿勢を取った。

 「では、私にどうして欲しいのですか?」

 「具体的には考えかねている部分もあるのですが、最終的にはスネイプ教授に不公平な態度をやめていただきたいのです。彼の性格全てを改めることはできないでしょうが……せめて寮杯の点数だけでも。

 けれど、すぐそんなことを求めては角が立つでしょう? だから、今マクゴナガル教授に知っていて貰いたいのです。スリザリン生にとっても、彼の振る舞いは悪影響なのだと」

 「ただ事実を知る。それだけですか? 今だって私はスネイプ教授の行いがあなたたちに良いとは思っていませんよ」

 「でしたら、そのようにおっしゃって頂きたいのです。どこでも構いません。スネイプ教授の振る舞いは後輩であるスリザリンに不利益をもたらしているのだと。

 彼自身を説得しようとしていただければもうそれで大変ありがたいのですが、多くの人がいる前の方がいいかもしれません……その方が印象づけられるでしょう? 他の人々にもスリザリン生もまた被害者なのだと知らしめられますし……」

 スネイプ教授の教職者としての異常性を可視化し、スリザリン寮からそのイメージを切り離す。あんまり性格の良いやり方ではないが、本人に改める気がないなら周囲を変えるしか道はない。そのために、グリフィンドール寮監が()()()()()()()()()()スネイプ教授の言動を批判するというのは、必要なプロセスだ。

 ……そう思ったのだが、マクゴナガル教授には完全に僕の意図が伝わったわけではないようだ。彼女のこちらを見る目線が得体の知れない物を見るものに変わった。単にスネイプ教授が嫌いだからこんなことをしていると思われてはたまらない。

 僕は誤解を防ぐため、慌てて言葉を付け加えた。

 「マクゴナガル教授がどの寮生にも分け隔てなく公平だということは入学してすぐの僕にすらわかっています。あなたが言うなら、皆納得してくれると思うのです」

 「それは楽観的な考えだと思います。かつて彼が就任した時、その振る舞いに私が何もしなかったわけではないのです」

 こちらのマクゴナガル教授を称える言葉に対し、わずかに彼女の口ぶりに恥が滲んだ。

 

 もう現状に対して罪悪感を抱いてくれているのは好都合だ。僕はこれ幸いと攻勢をかけた。

 「勿論、教授に行動して頂いたとしても、徒労に終わるかも知れません。スネイプ教授は態度を改めず、彼に対する他寮の反感もまた変わらない、そういう展開もあり得るでしょう。

 けれど、スリザリン生はきっと知ることになります。環境に流されて悪に迎合したとしても、それを容易くしている状況を変えようとしてくれる人がいると。他でもない、スリザリン生のために。

 ……でしたら、今正しさの方向性を示した事実が、いつか彼らの心の中で何か……可能性を生むものになる。そうは思えませんか?」

 

 僕の言葉を聞いて、マクゴナガル教授はしばらくじっとこちらを見つめて何かを考えていた。先ほどまで彼女の顔にあった疑いの念は薄れている。代わりに少し目を輝かせ、彼女は口を開いた。

 「公平さに基づく名誉に価値を見ると宣言するスリザリン生を私は初めて見ました。

 ……あなたは組み分けでグリフィンドールを提案されなかったのですか?」

 彼女はその言葉で、自分の元に僕が来なかったことを惜しむ心情を表してくれた。その賛辞に対し、微笑みながらも首を振る。

「いいえ、僕にはスリザリンしかありませんでした。──それに、きっと今までもそういうスリザリン生はいたと思います。ただ、どうしたらいいか分からなかっただけで」

 その指摘に対し、彼女は目を閉じて頷いた。

 「……そうなのかもしれませんね」

 再び会話が途切れる。夕日の差し込む研究室の中、教授は深く息を吐いて時計を見た。

 

 「夕食が近くなってきました。もうお戻りなさい、マルフォイ。グリフィンドールの寮監として、あなたの信頼に応えると約束しましょう」

 その言葉に、僕は心の底から達成感と希望を感じ、にっこり笑って彼女に頭を下げた。

 

 

 

 



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第六話 飛行訓練

 

 

 

 翌週の木曜は、グリフィンドールと合同での飛行訓練があった。

 まだ「物語」に関してなんの情報も把握できていない以上、本筋を変えないためにもできるだけ主人公と接点を持ちたくないが……誰にも説明できない理由で授業をサボってまで避けるわけにはいかない。既に決まっていることを変えるのも問題になってしまうだろう。全く物語がどう進むか分からないため、動くも動かないも正解か分からないのは悩みどころだ。

 

 肝心の授業内容である箒の乗り方については、他の科目と同様あまり心配していなかった。クィディッチなどというシーカーの活躍に重点が全振りされた競技にはさっぱり関心が持てないが……残念なことに魔法界において僕のような人間は稀だ。当然、僕の父も標準的魔法使いとしてクィディッチを愛好している。彼は当たり前のように幼い頃から自分の息子を箒に乗せ、上手な箒乗りになることに期待をかけて憚らなかった。それゆえ、僕はすでにある程度箒に乗れた。

 

 魔法族育ちなら僕のような子供は珍しくないだろうが、そうでない子たちもそれなりにいた。

 純血出身としては異例なことに、クラッブとゴイルはホグワーツに来るまで箒に乗ったことがなかった。元より知っていたことではあるが、彼らの両親は子供の世話を基本的に屋敷しもべに任せて育児放棄気味なのだ。純血一族の闇を感じてしまう。

 二人以外にも箒未経験者らしき子はちらほらいた。けれど、それを口に出すのは躊躇われるようだった。この雰囲気の中ではそれもそうだろう。スリザリンでは一年生の誰も彼もがひっきりなしにどれだけ箒に乗ってきたか自慢している。ここまで来ると逆に恐怖心が透けて見える者もいるのだからなんというか……かわいそうだ。

 できるだけ安心させたくて、箒の乗り方について色々と喋ったが、かえって逆効果だったかも知れない。そもそも僕はそんなに箒に乗るのが得意じゃない。どうせ授業で訓練するのだからアマチュアが嘴を容れるもんじゃないということにようやく気付いたのは、当日の昼食だった。

 

 

 訓練場に向かうため、晩夏の陽光に照らされた道を二人と連れ立って校庭へ向かう。スリザリン生は生真面目に早々と場所に着いていた。「悪」の印象とは反して、意外とスリザリン生は守れる時にはルールを守る。……逆に、守らなくて良いと判断する範囲もかなり広いのがこの寮の特徴だった。

 

 しばらくするとグリフィンドール生とマダム・フーチもやって来る。緊張した面持ちが並ぶ中、いよいよ飛行訓練が始まった。

 マダム・フーチは前置きなく箒のそばに立つよう、生徒に厳しく命令を発した。箒を触る前に事前説明などはないのだろうか。古式ゆかしい体育会系といった雰囲気の先生である。

 生徒たちはおとなしく箒の脇に並び、先生の指示で「上がれ!」と叫ぶ。幸い僕の箒はすぐ手元に収まってくれたが、クラッブとゴイルは少し苦戦していた。この手順は前に屋敷で箒の乗り方を教えてもらった時にもやったことがある。けれど、僕は大人の魔法使いが箒に「上がれ」といちいち命令しているのは見たことがなかった。なんのためにやってるんだろう。体面?

 

 結局、全員の手に箒が飛び込んでくるのを先生は待たなかった。何人かは手で箒を拾い上げ、次の段階に進む。箒の跨り方と握り方だ。僕はフーチ先生に握り方を直されたのだが、反対側であからさまに嬉しそうな顔をするウィーズリー少年が嫌でも目に入ってきた。嫌われたものである。自業自得ながら、彼に対してはもっと上手くやれたかもしれないという後悔が付き纏った。

 

 いよいよ実際に箒に乗る段になった。早速二メートルというなかなか高い指示と、そこらで竦み上がっている子どもに嫌な予感がしたが、大人しく従う。

 マダム・フーチは子どもたちを見渡して首に下げた笛を持った。

 「笛を吹いたらですよ一──、二の──」

 三が口に出される前に、彼女はカウントをやめた。一段と怯え切っていたグリフィンドールの子が勢いよく飛び上がってしまったのだ。

 マダム・フーチは戻ってくるように地上から叫ぶが、恐慌状態に陥った子どもにそれを聞く余裕はない。彼は自分の箒を全く制御できなくなっているようだった。暴走する箒に怯えるばかりで、今にも柄が手から離れそうだ。流石に僕も杖を引っ張り出そうとしたが、時すでに遅し──少年は箒から放り出され、六メートルは超えているだろう高さから真っ逆さまに落ちてしまった。

 衝撃的な光景に、生徒から劈くような悲鳴が上がる。マダム・フーチは全くこんなことを予想していなかったかのように青ざめて、大慌てで少年の上に走り寄ってかがみ込んだ。もうちょっとこう、何かなかったのだろうか。それに、まさか死んでいないよな? あの高さから落ちて普通は無事なわけがない。

 

 ここで死人が出たら、「ハリー・ポッター」の世界観を本格的に心配しなければならなくなっていたが、どうやら少年は手首を折るだけで済んだようだ。フーチ先生は誰も動いてはいけないと厳命すると、その少年──ネビルと言うらしい。恐らくロングボトム家の嫡男だ──を連れ医務室に向かった。あんな事故の後で、意外にも彼は立って歩いていた。腰が抜けていてもおかしくないだろうに、強い子だ。

 

 

 あまりにも唐突な事故にしばらく生徒たちは呆気に取られていたが、時間が経ち徐々に落ち着きを取り戻した。グリフィンドール生とスリザリン生に分かれ、皆おしゃべりをし始める。墜落現場の周辺でわちゃわちゃと話していたグリフィンドール生の中で、ロン・ウィーズリーがロングボトム少年のポケットから落ちた玉のようなものを拾い上げ、ポケットにしまったのがチラリと見えた。

 

 一方僕は、自分の中に湧き上がる呆れと失望を持て余していた。

 魔法界には高さ制限のあるおもちゃの箒が存在する。それを使わない以上、マダム・フーチは何らかの落下防止措置を取っているものと思っていたが……どうやら彼女には期待しすぎていたようだ。

 そこまで若輩といった印象でもなかったが、新任で不慣れだったのだろうか? それとも魔法族は屋根の上の高さまで簡単に登れる道具の扱いを安全対策なしで教えるのが当たり前だと思っている愚か者ばかりなのだろうか? 今回は手首だったから良かったものの、首がへし折れていても全くおかしくなかったのに。

 ビンズ教授もスネイプ教授も教師としては落第だったが、マダム・フーチは論外だ。今回の一件はボロ箒に初心者生徒が組み合わされば容易に想像がつく事故だ。それなのになんの対策も講じず、生徒への最低限の命の保証さえできない事実を彼女はまざまざと披露した。

 

 失望が一周回って少し頭が冷えたような気がしてきたところで、もう好き勝手にする事にした。どうせ彼女はしばらく戻ってこない。だったら、せっかくの機会はしっかり活用させて貰う。

 僕はローブを脱いで、片方の袖をクラッブの箒の柄に、もう片方をゴイルのものに括り付けた。手綱のようになった裾を自分で掴み、二人の箒を制御できるようにする。彼らを箒にまたがらせ、先ほどとは違い落ちても安全な高さから箒に慣れさせることにした。足を二十センチほどだけ浮かすよう言い、裾を引いて箒が前に進む感覚を教え込ませる。

 言われるがまま箒を握る二人に、焦りを産まないようゆっくりと指導を続けた。

 「予想しない方向に飛んでいきそうだったらすぐに右足から下に落ちるんだ。躊躇してはいけない。流石に二人で持ち上げられたら僕も飛んでいくぞ」

 少し動いて足をつける、少し動いて足をつけるを繰り返していると、それを見つけたグリフィンドール生の方から非難の声が上がった。……流石に放っておいてはくれなかったか。

 

 声の主は、魔法薬学の授業で手を挙げていた賢そうな女の子だった。彼女は目を釣り上げてこちらを見る。

 「フーチ先生がおっしゃっていたでしょう? 動いてはダメだって!」

 彼女は随分と正義感が強いようだ。その指摘は、真面目で、正しく、僕にとって無価値だった。思わず顔に苦笑が滲んでしまう。

 「残念ながら、フーチ先生のやり方では次に誰かが飛んでいったって止められないだろう。僕はそれが僕の友人だと我慢ならないのでね。初授業にむざむざと醜態を晒した人間に文句を言わせるつもりもないよ」

 意図せず厳しい口調になってしまったが、少女はそれでもなお言い募る。

 「あなた、退学になってもいいの?」

 自寮でもない人間に対し、よくそこまで規範意識を求められるものだ。そのバイタリティには感嘆に値するところがあるが、残念ながら今の僕にはどうでも良いものだった。肩をすくめ、ネビル・ロングボトムが落ちたところを顎で指す。

 「あんな死人が出てもおかしくない杜撰な授業をしておいて、生徒を退学にするなんて笑わせる。もしマダム・フーチが本当にそのつもりなら、その前にあらゆる手段で彼女をこの学校の教師の座から引き摺り下ろして見せよう」

 まあ、僕がマダム・フーチの言うことを聞くつもりがないのは、実際のところ魔法界の慣例としてこの程度で退学になるわけがないと知っていたことが大きい。親戚にホグワーツ出身者がわんさかいる純血一族に一年生用の脅しなど通用しない。

 

 頑ななこちらに対し、栗色の髪の少女は少し怯んだようだ。……魔法界の適当さに対する苛立ちを理不尽にぶつけてしまったかも知れない。

 そこに言い争いを嗅ぎつけたウィーズリー少年がやってきた。彼はもう僕と喧嘩したくてたまらないようである。100%自業自得なので文句も言えないが、内心辟易してしまった。

 ただ、ここはスリザリン内で浮かないための対グリフィンドールヘイト値の稼ぎどころだし、実際のところ叱られて目立つのは面倒なので僕らが目立たない程度にみんなに箒に乗って欲しい。彼には悪いが、この口論の流れは絶好の機会だった。

 「さっきフーチ先生に箒の持ち方を直されていたくせに、よく人に教えられると思うな。お前に訓練されたってそこの二人は人の背丈くらいもまともに飛べるようにならないだろうさ!」

 おっしゃる通り僕は箒に乗るのが上手くない。痛いところを突いてくる。それでも僕は堂々と、そしてこの後の会話の筋書きを考えながら、彼の言葉に挑発を返した。

 「僕のことは好きに言えば良いが関係ない子を巻き込むのは止めろ。姦しい、口ばかりのウィーズリー」

 「君のほうこそ、クィディッチのことだってどうせ口先だけなんだろ!」

 「おやおやそんなに大言壮語で、本当にまともに箒に乗れるのかな? その割に、地面にしっかり両足がついているようだけど」

 ウィーズリー少年は易々と煽りに乗ってくれ、下で憤死しそうになっている少女をよそに、箒を掴み空へ舞い上がった。……自分で唆しておいて何だが、チョロすぎる。それを見て、グリフィンドール生の何人かは後へ続いた。大量にルールの違反者が出れば罰も有耶無耶になるだろうと思っての行動だったが、予想外に上手く行きすぎてしまった。勝手に飛び始めた子の中にはハリー・ポッターもいたのだ。勘弁してほしい。君はマグル育ちで箒に乗ったことなどないだろうに。

 

 

 その内楽しくなったのか、慣れてきた子どもは高いところまで行って飛び始める。馬鹿である。その馬鹿の中に主人公もいるのだから最悪だ。思わず、「そこまで高いところに行くと危ないぞ」と声をかけるが、ウィーズリー少年は負け惜しみだと思ったのか、全く話を聞かなかった。彼はただご満悦と言ったように笑い、更にハリー・ポッターと遊び始めるのだから始末に負えない。

 流石にウィーズリー少年は箒に乗り慣れている。あそこまで習熟しているなら落ちるようなことは滅多にないだろうが、絶対はない。さきほどは全く間に合わなかったクッション呪文を反復しながらポケットに突っ込んである杖に手を添え、彼らを監視した。

 

 下の方でも感化されて練習も盛んになってきた。スリザリンはそもそも飛べる子が多い。一方グリフィンドールの方がマグルに囲まれて育った子どもが多く、当然彼らは箒に親しみがない。クラッブとゴイルが自分で安全な高さから降りられるようになってきたので他の子と組むように言い、僕はグリフィンドール生に近づいた。すでに派手にやらかしている自覚はある。死なば諸共だ。

 先ほどまでの攻撃性を引っ込め、できるだけ感じ良く聞こえるよう、近くにいた子に話しかける。

 「初めのうちは飛ぶ一人と下に繋ぐ一人で組になった方が良いよ。さっきの飛んでいっちゃった子は飛んですぐ制御不能になったのが問題だったんだ。

 初めはちょっとだけ浮いて、コントロールできないと思ったらすぐ右足から落ちること。最初はみんなうまく飛べないものだから、寧ろ落ちる練習だと思ってやろう」

 後ろのスリザリン生から「グリフィンドールと仲良くして大丈夫なのか」という視線が突き刺さっているが、既に口実は用意している。……というか、実際彼らも箒に触ってくれたらマダム・フーチは全員を怒らなくてはならなくなるだろうし都合がいいのだ。

 

 グリフィンドール生の多くは遠巻きに僕を見ていたが、幸いなことに友達に置いて行かれた男の子が興味を隠しきれずやって来た。僕は自分が優しそうだと思う微笑みを浮かべ、彼のローブを借りて補助をする。そばにいた先ほどの真面目な女の子にもう片方の袖を差し出してみたが、そっぽを向かれてしまった。まあ、そうだよな。つくづく彼女は厳格だ。

 

 けれど、他のグリフィンドール生は彼女ほど規律に従順ではなかった。少しすれば地上組にも二人一組が大体出来上がり、図らずも彼女はあぶれてしまったようになる。少女の様子を見ていると、ディーンと名乗った傍らの男の子が彼女に聞こえないよう、僕に耳打ちした。

 「放っておいた方がいいよ。あの子、ハーマイオニーっていうんだけど、ずーっと知ってることをペラペラ喋ってて、鬱陶しがられてるんだ」

 それはまあ……気持ちは分かるが……。グリフィンドールでもハブとかあるんだな。どこか落胆を覚えながら、僕は監視と補助を再開した。

 

 地上での訓練は円滑に進む。上空組も、手を滑らせて落ちそうな子はいなかった。ウィーズリー少年もたまにこちらに侮蔑の目線をくれながらも、もう飛ぶことに夢中になっている。その調子で僕の無礼を忘れ去ってくれたら、大変ありがたいのだが。

 飛び回るうちに、ウィーズリー少年のポケットから何かが滑り落ちた。キラキラと輝くそれは、さっきのロングボトム少年の落とし物だ。それにすぐ近くを飛んでいたハリー・ポッターも気付く。彼はそれを重力に引かれるままにしてくれなかった。無謀なことに、彼はその玉を追って垂直に地面へと飛び始めたのだ。地面と激突せんばかりに急降下する姿に、周囲も異変を察知し悲鳴を上げる。──嘘だろ、勘弁してくれ! 慌てて僕は杖を構えた。

「アレスト・モメンタム──」

 しかし、呪文は必要無かった。彼は地面にぶつかる寸前で玉を掴み、見事に箒を水平に立て直したのだ。

 

 あまりのことに皆箒を降りて彼の様子を確認する中、ハリー・ポッターは誇らしげに玉を掲げる。彼は僕の視線に気づくとにっこり笑って口を開いた。

 「ドラコ、どう──」

 しかし彼が何を言おうとしていたか、最後まで聞くことは叶わなかった。ものすごい勢いでマクゴナガル教授が訓練場に入ってきたのだ。彼女は目を見開き、他の生徒に対してほとんど何も告げないままハリーを連れて行ってしまった。危険走行をさせてしまった発端は僕なので申し訳ない気もしたが……あまりにも無茶なことをしたのは事実だ。自分のことを棚にあげ、僕はハリーが少しばかり叱られることを願った。

 

 

 

 その日の夕の大広間で見かけたハリー・ポッターは、予想に反してなんだか輝かしい顔をしていた。話しかける理由もないので背後を通り過ぎようとしたが、彼はこちらを見つけるとなぜか元気よく声をかけてきた。

 「やあ、ドラコ!」

 「……やあ、ポッター」

 思わず馴れ馴れしいぞと口から出そうになるのを抑え、無難に挨拶を返す。そもそも最初にダイアゴン横丁でちょっかいをかけたのは僕なのだから。

 彼は妙に嬉しそうで、その対面に座っていたウィーズリー少年はあからさまに嬉しくなさそうだ。

 「あの、さっきの僕のダイブどうだった? 初めての割によく出来てたと思うんだけど……」

 呑気である。

 「そりゃ見事だったが、自分のところの寮監に叱られた後で元気だな、君は」

 僕の言葉に一瞬キョトンとしたポッターはすぐにまた喜色満面になった。

 「ううん、マクゴナガルは僕を叱らなかったよ。それどころか、僕をクィディッチのシーカーにしてくれたんだ!」

 なんだって? 耳に入った情報が一瞬整理できず、言葉を返せなかった。 

 「マクゴナガル教授が、君をクィディッチの選手にしたと? 一年生で、規則を破った君を?」

 明らかに欲しい言葉じゃなかっただろうハリーが気落ちした顔になったが、それを気にする余裕が無いほど僕には衝撃的な事実だった。それを見て友達を守ろうと優しいウィーズリー少年が噛み付いてくるが、その相手をする余裕もない。

 ぼんやりしていると代わりにクラッブとゴイルがウィーズリー少年と喧嘩を始めてしまった。夕食前の大広間でこの行動はすごく、かなり、目立つ。案の定いざこざを見つけることに定評のあるマクゴナガル教授が、すばやく上座からやってきた。

 「あなたたち、何をしているのですか?」

 「先生、マルフォイがハリーがクィディッチチームに入ったことに文句を言うんです」

 ウィーズリー少年の言葉に、マクゴナガル教授は一瞬言葉を詰まらせた。

 僕は彼女に向き直り、少々不躾な態度を隠せないまま問いかける。

 「一年生は箒の所持が禁止、クィディッチチームに所属するのは二年生以上と、規則によって決まっていたと思うのですが」

 僕に対し、マクゴナガル教授はキッパリと答える。

 「危険性を考慮しての規則です。その危険性がないと、保証されるのであれば────」

 「なるほど。今回は、あなたが特別にその保証をするんですね。マクゴナガル教授。公平な判断として」

 彼女は毅然とした態度を崩さなかったが、僕が何を言いたいのかは悟ったようだ。その顔には、わずかに意地を張ったような頑なさが滲んでいる。ここで食い下がったとしても、一度なされた決定を覆しはしないだろう。

 僕は思わずため息をつき、彼女に対して冷ややかに言葉を放った。

 「文句などありません。それがグリフィンドールの誇る正義によってなされた決定なのでしょう」

 嫌味に対し、マクゴナガル教授の顔はさらに固くなった。失礼な態度をとってしまったことに後悔する気持ちはあるが、彼女自身はそれを咎めるつもりはないようだ。いまだにウィーズリー少年とこそこそ口喧嘩をする幼馴染二人を回収して、僕は挨拶もせずスリザリンのテーブルへと素早く向かった。

 

 

 その晩、なぜかクラッブとゴイルは僕に何の用事かも告げず、執拗に寮を抜け出そうとしていた。彼らのベッドのカーテンを閉め切って石化呪文をかけながら、僕はぼんやりと今日あったことを考える。この前例は、どの程度スリザリン内でのマクゴナガル教授の評判を落とすのだろう、と。

 マクゴナガル教授だってルールを曲げたくなるほど好きなことの一つや二つはある。人間として自然な感情だ。ただそれだけのことなのに、ひどく失望を感じてしまう。──主人公陣営はいつでも完璧に正しくいてくれるわけじゃないというこの世界の現実に、ようやく僕は気づいたのだった。

 

 



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第七話 ハロウィーンの衝撃

 

 

 

 慌ただしく日々を過ごしているうちに、気づけば学校に入学してから1ヶ月以上が経っていた。残念ながら相変わらず僕は寮内で微妙に浮いたままだ。

 クラッブとゴイルがいつも僕と一緒にいてくれたからあまり気にしていなかったが、周囲との軋轢を感じてしまう出来事も少しずつ増えている。例の飛行訓練の後、上級生を含めた何人かに何故グリフィンドールにまで箒の乗り方を教えたのかと問い詰められもした。ジェマ・ファーレイの忠告を完全に無視してでしゃばった真似をした自覚はある。彼女には大いに心労をかけて申し訳ない。

 適当に「ダンブルドア下の学校教育の腐敗の可視化」だとか、「罰則にならないようグリフィンドールを巻き込んだ」だとか言い訳を並べればひとまずは納得してくれたが、グリフィンドールの真面目少女ことハーマイオニー・グレンジャーはマグル生まれの「穢れた血」だから、純血の名誉の為にも近付くのは控えるようにと釘を刺された。「控える」止まりで一切関わるな、でないところに彼らの僕に対する遠慮を感じる。ここで僕に強く言い切れないのが、純血家系至上主義の悲しいところだ。

 それにしても、グレンジャーは魔法使いの家系──超一流魔法薬師協会設立者であるヘクター・ダグワース=グレンジャーの関係者だと思っていた。マグル生まれだというのに、驚くべき魔法への造詣の深さだ。魔法界を知ってまだ数ヶ月だとは信じられない。僕も見習わなくてはならないだろう。

 

 話は戻って、寮内での人間関係について。僕の先生方への態度も、同級生から遠巻きにされる原因になっていたようだ。スネイプ教授に始まり、その次の週には直接ではないとは言えマダム・フーチ。さらにその翌日にマクゴナガル教授にも挑発的なことを言ってしまったのだから、さもありなんと言ったところだろう。

 子どもたちだって、先生の陰口など裏で湧き出でる泉のように言っているじゃないかと思うのだが……先生方から反論されないように理論武装した上で挑んでいるように見えるところが良くないらしい。そばで僕を見ていたクラッブが六割心配、四割呆れと言った様子で忠告してくれた。おまけに、いざこざがあった先生方は皆、大小程度の差はあれど厳格なイメージを持っている。ただでさえ彼らに口答えする人間は少ないので僕が目立ってしまうのは必然だった。

 詰まるところ、僕は怖そうな先生に片っ端から噛み付く人間のように見えるのだろう。同級生たちからの印象は、「家柄を盾に暴れ回る狂犬」といったところか。……先生方に反抗しているという点ではあながち間違っていないのが、どうにも手に負えないところだった。

 

 流石に反省して、僕はできるだけ寮内で親しみやすく感じられるよう同級生に接した。遜ることはないが、それでも最大限親切に。いざとなったとき、頼れる人間だと思われるように。

 今ここで仲良くなっておけば、いつ来るとも知れない青白ハゲの再臨に何か役に立つかもしれないし、ここの子達は放っておけば闇側につかざるを得なくなってしまう。できる限り、コミュニティを広く持ち、発言権を得る。社交が生業の純血一族としても放棄してはならない方針だった。

 

 

 そんなこんなで態度を少し改めたこともあり、十月は先月とは打って変わって穏やかに過ぎていった。まあ、スリザリン寮内では、という但し書きはつくが。

 

 飛行訓練の翌日、何故かウィーズリーとポッターに恨みがましげな目で見られたが心当たりはなかったし……しばらくそれを引きずっていたらしい彼らも、一週間ほど後に届いた細長い何か──恐らく箒だろう──に夢中になって僕のことはどうでも良くなってくれたようだ。

 その日の変身術の授業では、いつも以上にマクゴナガル教授が固い顔をしていた気がするが、もう知らん。しばらく大人しくすると決めたのだ。勝手にしてくれ。

 

 他の授業の内容もいよいよ導入を過ぎ、本格的になってきた。寮内で浮遊呪文の練習をしたり、ビンズ教授が虚無の川に放り投げた歴史の内容を物語的に再説明したりして、スリザリン全体の学力の底上げを図りながら、少しずつ寮生の支持の獲得を図る。

 絶対僕のことをうざったいと思っている子もいると思うのだが、皆表に出さず優しく接してくれている。我が純血家系に感謝である。

 

 グリフィンドールにも僕同様浮いている子がいたが、彼女──グレンジャーには当然のことながら純血家系の恩恵はなかった。それゆえ、彼女は多方面に存分にうざがられていた。その輪に加わっていないグリフィンドール生は、スネイプ教授のイビリに耐えかねているネビル・ロングボトムくらいのものなのだろう。彼は魔法薬学の授業でグレンジャーが命綱だと言わんばかりに縋りつきながら調合をしていた。

 ロングボトムも魔法薬をはじめ、あらゆる事が苦手なようなので、授業で組む相手としては他の子から敬遠されている。十一歳の子どもたちに性格が合わない同級生とまで仲良くしなさいというのは無茶だと思うが、グリフィンドールの世知辛い面を見たくない者としては、内心複雑である。

内心複雑である。

 

 とは言え、気がかりなことなどその程度だった。子ども同士の可愛らしい諍いにのほほんとできるほど、この平和な状態が当たり前だと思ってしまっていた。それがこの物語の中において完璧に誤りであることを、ハロウィーンの事件に出くわして僕はようやく気づいたのだ。

 

 

 ハロウィーンの夜、ホグワーツ城は浮足だった生徒たちでどこもかしこも騒がしかった。一日の授業を終えて賑やかな大広間でみんなと一緒にいつもより豪勢な食事を取る。子供が楽しそうな雰囲気は見ているだけで嬉しくなるな……とぼんやり辺りを見ていると、突然大広間にクィレル教授が駆け込んできた。彼の顔は蒼白で、一目見て尋常ではないことが起こったとわかる。

 「トロールが……地下室に……お知らせしなくてはと思って」

 それだけ告げて、クィレル教授はその場に崩れ落ちた。予想だにしなかった出来事に子どもたちはあっという間にパニックになる。場を収めるために校長がすぐさま爆竹をいくつか鳴らし、監督生に自寮へと生徒を引率するように命令した。

 

 僕は内心で、彼の対応に文句を言わざるを得なかった。なんでだよ。この場に止まれよ。スリザリンとハッフルパフは地下にあるんだぞ。僕が知らないだけで大広間から寮へ向かうまでの間は絶対に害されない魔法でも掛かっているとでも言うのだろうか。恐怖が忍び込む心中で、なんの解決にもならないことを考えることしかできなかった。

 

 まあ、結局僕らはトロールと遭遇する事なく寮に辿り着いたので、ぐちぐち言うのもやめておく。ただ、ダンブルドアが耄碌しているんじゃないかという懸念は消すことができなかった。頼みの綱なのだからもう少し揺るぎなくあってほしい。

 僕は漸く実感したのだ。ここは、あのハリーとヴォルデモート卿のバトルの過去なのだということを。ここでは命のやり取りが平気で行われるかも知れないのだ。

 

 物語がどう進むのかわからないが、確か何作にも分かれていたはずだ。主人公はまだ幼いが、一作一作にメインとなる事件があって然るべきで、これからそれがこのホグワーツで起きることは容易に想像できた。

 

 

 

 ハロウィーンの騒動の後、僕は図書館に篭り犯人の手がかりになりそうな情報を探した。

 こちらが何もしなくても物語は進むだろうが──というか、下手に手出ししたらもっと悪いことになるかもしれないが、目隠ししながらこの危険地帯を歩く真似はしたくない。少なくとも、誰が注意すべき人物なのかくらいは把握しておきたいところだ。僕は根っこのところではどうしてもアンチヴォルデモートなのだ。もしそれが闇の陣営にバレれば、同級生を気にしている余裕などなく消されかねない。そんな事態を避けるためにも、危うきに近付かないための策は必要だった。

 

 付け加えると、忌々しいことにこの世界には「開心術」なる人の考えを読み取る手段が存在した。生憎僕は閉心術のまともな訓練を受けた事がないし、もし開心術に長けた人に目をつけられようものなら一巻の終わりである。

 「音割れポッターBB」をしゃぶり尽くしている者として、この情報がその馬鹿馬鹿しい外柄に反して多くを教えてくれていることには気づいていた。だからこそ、絶対に誰にも悟られたくない。正直、ハリー・ポッター以外に絶対に正義陣営だと太鼓判を押せるのは、アルバス・ダンブルドアくらいのものなのだ。むしろ、この世界の価値観で言うと、ぽっと出のハリーの方がダンブルドアより信用できないかもしれない。しかし、僕には音割れBBがある──そう思ったところで、「闇落ち」という単語が頭をよぎったが、とりあえず考えないことにした。……児童書でその展開は重すぎるし、少なくとも今ではないと信じたい。

 

 

 とにかく、ハロウィーンの容疑者を考える上での焦点は「どんな人間がホグワーツに入れるのか」だ。一応この学校は城自体とダンブルドアによって万全の守りを与えられていることになっている。「ホグワーツの歴史」を始めとした書籍からはホグワーツの防衛は完璧だとか、ふんわりした情報しか出てこないため、実際にホグワーツで事件を起こした人間に狙いを絞って過去の新聞などを当たった。

 

 調査を行った結論として、犯人不明のものを除けば、直近で見つけられた事件は全て学校内部の人間による犯行だった。彼らは先生や生徒といった、許可を得てホグワーツ城に入ることができた人物だったのだ。参考になるレベルで実例があったのが少し泣けた。

 そこから順当に考えれば、この学校は闖入者を容易に許す作りはしていない。今回のトロール侵入の犯人も、前例と同様に生徒か教師だろう。本人の背景を完全に無視して対象を術者の手駒とする服従の呪文を考慮すると、対象は無限に拡散してしまうのが痛いところだったが……それにしたって校内の人間を使う必要がある。であれば、ハロウィーン周辺で不審な動きをしていた人物から考えるという普通の方法は、魔法界というかなり何でもありな場所でもある程度効果的なように思えた。

 

 とりあえず僕が目星をつけた容疑者は、クィレル教授とスネイプ教授だ。

 そこに森番のハグリッドも加えたいところだったが、彼はわざわざ城に招き入れたりせずとも自分が管理する森で好きなだけトロールと戯れられるだろうし、パーティの席に座りながらトロールを誘い込むような事ができる人ではない。完全に疑いが晴れる訳でもないが、第一容疑者からは外した。

 生徒から容疑者を考えるのはあまりにも人数が膨大すぎるが、トロールを扱えそうな学年でハリーと接点がある──すなわち伏線が張られていそうなのはパーシー・ウィーズリーとクィディッチチームのメンバーだけだ。彼らも「服従の呪文が使われている」と考えるなら準容疑者候補だが、傍から見ててそういう役をしそうなキャラクターがいるようには見えない。

 

 そこで、残った候補は先生方に絞られた。

 クィレル教授は行動を見るなら一番怪しい。「トロールが地下室に」って、なんであなたは宴会にも出ずにそんなところにいたんだという話だ。彼は過去のPTSDで尋常じゃなく臆病になっているから来なかったとも考えられるが……それにしたって城の管理人のアーガス・フィルチが先に見つけた方が自然だ。その上、発見者である以上、彼は報告の時間を調整できる。そこに何か意図がある可能性は否定できなかった。

 ただ、あまりにも怪しすぎて、逆に物語の悪役としては馬脚を露わしすぎなようにも思えてしまう。もし本当に彼がトロール事件の実行犯なら、彼を利用する第三者がいるという可能性も捨てきれない。

 

 もう一方のスネイプ教授は、そもそもそのキャラクター性が怪しすぎる。ただ性悪教師なだけでなく、彼には元死喰い人疑惑という大きすぎる懸念点があった。怪しすぎて物語だとブラフにすらなりそうだが、はっきり言って要注意人物である。オマケに、ハロウィーンの後からずっと足を引きずっている。どこで怪我をしたのか知らないが、今回の件と全くの無関係ではないだろう。

 

 ここまで考えても、残念なことに犯人の目的は想像ができなかった。一番物語の流れとしてあり得るのは、闇側の敵対者であり、ようやく魔法界に姿を現したハリー・ポッターを始末することだろうが──ヴォルデモート卿の生死が不明な今、誰がそれをしたいのだろうか? 偉大なるアルバス・ダンブルドアが目を光らせている間は校内でハリーに手を出すことなど出来なさそうだし、もしこの後サクッと暗殺できたなら今までやっていない理由が思いつかない。

 

 トロールの侵入というのも中々目的の掴みづらい手段だ。いくら大きいと言っても、知能の低い魔法生物の一匹ごとき、先生方に鎮圧されてしまうのは目に見えている。だから、それ自体が目的だった訳ではないだろう。あの騒動を利用して一体何をしたかったのか推測しなければならない。それゆえにクィレル教授が「あの時」に報告しに来たことに何かあるのだろうか、と思うのだが──非常時の対応の確認? 陽動? 警備体制の調整? 僕の知らない魔法の手順に「地下でトロールを這いずり回らせること」とかがあったらもうお手上げだ。

 

 

 物語の展開に関する手がかりを何一つつかめないまま、十一月に入り日々は過ぎていった。予想していたよりずっと「ハリー・ポッター」の物語の流れは一生徒にとって見え辛いものだったらしい。

 

 ……そういえば、あのハロウィーン以来、何故かグレンジャーはポッターとウィーズリーと仲良くなったようで、僕は勝手に少し安心した。

 

 聡明で真面目な女の子をハブにしない人物の方が、「闇堕ち」なんてしなさそうではないか。

 

 

 

 




ホグワーツレガシーをプレイしてみた感じ、スリザリン寮・ハッフルパフ寮と教室のある北西側の棟の地下室は繋がっていないので主人公の安全管理に関する愚痴を削除しようと思ったのですが、逆にプレイしていないとなぜ消えたか分からないかな、と思って残しました。原作小説だとハリーとロンは「ハッフルパフ寮生にまぎれ込」んでハーマイオニーのいるトイレに向かっていたので、同じ建物の地下階層らしいというのもあります。
ホグワーツレガシーの構造を参考にホグワーツ城の原作での描写を整理できるのはありがたいですね〜。


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第八話 クィディッチ

 

 

 ハロウィーンを過ぎてから、僕はクラッブ、ゴイルと離れて一人で図書館に詰めることが多くなった。二人も本は嫌いではないが、僕に付き合って長時間図書館にいるほどではない。勉強で利用している体を装ったために彼らは僕のガリ勉な様子に少し呆れていたが、深く突っ込むこともなくそれぞれで有益な時間を過ごしてくれているようだった。

 調べもののために他に割く時間が多く取れなくなっても、同級生に愛想良くしよう作戦は根強く続けていた。幸いなことに、僕は成績優秀で真面目な人間だと周囲に認知されてきているらしい。図書館通いの理由を問いただされることもなく、スリザリン生達とは良好な関係を築き始められていた……多分。

 ホグワーツの図書館は歴史にふさわしく立派なものだった。禁書の棚に配架されていて読めないものもあるが、そういった子どもに見せたくないような書物は我が家系の専売特許だ。ここで手に入らなくても、後でどうにかする手段はあるだろう。それにしても、知識を広く仕入れるに越したことはないが、新聞のバックナンバーのような資料系が豊富にあるのが何よりもありがたかった。

 

 

 十一月に入り、雨に雪が混ざり始めて来た頃にクィディッチの初戦はあった。対戦カードはグリフィンドール対スリザリン。この日に向けてただでさえ仲が良くない両方の生徒達は廊下で小競り合いを頻繁に起こしている。

 正直クィディッチには全く興味がないが、それを声高に言ってまた変わり者のレッテルを貼られるのは避けなければならない。気が進まないのを隠し、同級生と連れ立ってスコットランドの寒空の中、僕はスリザリン対グリフィンドールの試合へと向かった。

 

 元々スポーツ好きではないことを加味しても、僕にとってクィディッチは楽しめる競技ではなかった。ルールもそうだが、あんなイカれた高さで球を飛ばし合うスポーツが市民権を得ているなんて魔法界は狂っていると言いたくもなる。それでも大して(大して!)死人は出ないのだ。魔法族は心身ともに丈夫すぎる。

 それにしたってマグルの世界には球技だけでも数限りなくあるというのに、魔法界の娯楽は貧相なものだ。この人口の少なさ、文化圏の狭さが一番大きな理由なのだろうが、頼むから非魔法界から文化を輸入してほしい。サッカーとかの方が子どもの健康にも良さそうなのに。実際に自分の身体を動かす体育の授業がなくても健康に大きな影響がないところを見るに、やっぱり魔法族はマグルよりも丈夫なのだろうか。

 試合へ身が入らないまま、僕は観客席で縮み上がる子どもたちに持ってきたマントを被せ、観戦の姿勢をとった。

 

 

 

 空中で繰り広げられる攻防には今一つ集中できなかったが(飛び回る速度が早過ぎて誰が誰だかだ)、聞こえてくる実況は面白いものだった。グリフィンドールのリー・ジョーダンがスリザリンのプレイに口汚く罵りそうになるたびに制止するマクゴナガル教授の言葉が聞こえてくると、ハリーがシーカーになった時から積もっていた不信感が少しだけ溶けたような気がした。

 けれど、あの時抱えた懸念までもが消えたわけではない。「物語」という観点から考えるならば、この試合、スリザリンが負けそうだ。主人公を最年少シーカーにしてまで初戦で負けさせる意味はないだろう。そして、マクゴナガル教授の贔屓によってチームに入ったハリーが勝ってしまったならば、スリザリンはグリフィンドールに敵愾心を抱くことが容易に想像できる。もうこのあたりは、今の僕にはどうすることもできない。せめてスリザリンが自分達のせいだと思えるような負け方をするよう祈るしかなかった。

 

 そうしてぼんやりと試合を眺めていると、ふと周囲がざわめき出す。何かあったのだろうか?

 原因を見つけられないまま辺りを見回していると、隣に座っていたクラッブに脇を小突かれた。彼が指を指す方を見ると、そこには想像もしていなかった光景が存在した。他のチームメイトから少し高い位置にいる、一際小柄なグリフィンドール選手の箒が暴れ馬のように踊り狂っている。遠目からでも分かる。間違いなくそれはハリー・ポッターだった。

 

 嘘だろう? この大人の魔法使いが大量にいる場で、出場選手にちょっかいを出す愚か者がいるのか?

 その上、飛んでいる競技用箒そのものに作用する魔法をかけるのは至難の技だ、よほどの熟練した魔法使いが全く非合理的な場面でハリーに危害を加えようとしている事実に一瞬脳みそが回転を止める。

 

 我に返って慌ててクラッブから双眼鏡を借り、僕は客席を見渡した。

 呪文の主らしき人は────二人いた。やはり、例の容疑者たち、スネイプ教授とクィレル教授だ。どちらがこの公衆の面前でアホすぎる暗殺をやらかした愚か者なのかここからでは判別できない。けれど、同じようにハリーの箒を見つめ呪文を唱えていると言うことは、片方が反対呪文である可能性は消せなかった。迂闊にこちらから手を出してハズレを引けば、ハリーはたちまち地面に叩きつけられるだろう。

 勿論他の先生がクッション呪文を掛けてくれるだろうが──本当に大丈夫なのか? それでも僕が干渉すれば何が起こるか予想できない。焦る気持ちばかり募って双眼鏡で他の先生方を見つめるが、何か有効な対策をとっているようにも見えない。何をしているんだ? 頼むからしっかりしてくれ!

 

 こちらもそろそろ緊張に耐えきれなくなったところ、観客席の方に変化が起きた。双眼鏡の向こうのクィレル教授が誰かに薙ぎ倒され、スネイプ教授のローブの裾から火の手が上がったのだ。すぐにハリーの箒はコントロールを取り戻し、彼は再び試合に戻っていった。観客席も落ち着きを取り戻したようだ。試合を止めようという動きもない。犯人探しはいいのだろうか?

 

 ……それにしても、やっぱり僕が何もしなくても物語は上手く進むものなんだな……

 安堵で椅子から滑り落ちそうになったところをゴイルに支えてもらいながら、僕は深く息を吐いた。

 

 

 しかし、なぜ犯人はクィディッチピッチで呪いをかけたのだろう? あの観衆の面前で、どう見ても合理的じゃないのに。

 ハリーがスニッチを吐き出すのを見ながら、この事態に説明がつく理由を検討する。なぜ城内で不意打ちしなかったのかに思考を移し、ようやく思い当たるものがあった。

 そうか、クィディッチピッチは城壁の外だ。城の建設当初は当然存在しなかったはずだし、ホグワーツの守りの範疇に入っていなくてもおかしくはない。禁じられた森やホグズミードにまで呪文がかかっていないことの理由はそれくらいだろう。

 

 であればホグワーツ城内にいる間は主人公は安全だが──いよいよ、ハリーには外をウロウロして欲しくなくなってしまった。試合の後、森番の小屋に向かうハリーを眺めながら、僕は今度は不安で深くため息をついた。

 

 

 

 おまけに、寮に戻るとクラッブとゴイルにちょっと……いや、かなり呆れた顔でベッドに座らされた。

 クラッブは眉を顰め、への字にしていた口を開く。

 「お前、今日すごく目立ってたぞ。ただでさえまともに応援せずに席に座ってるのに、どっちの寮でも選手が落ちたら顔を顰めて。しまいにはハリー・ポッターへの態度だ。お前はハリー・ポッターのママじゃないんだぞ」

 彼の指摘は尤もだった。実際、ハリーが箒にしがみついている間、僕は周囲の目など気にせず慌てふためいていた自覚がある。

 「……直さないとだよなぁ」

 自分の迂闊さに脱力してしまう。折角スリザリンに溶け込もう作戦をやって来ていたのに……そこに、話を聞いていたのか同室のザビニがやって来た。

 

 「もう上級生には諦められているんじゃないか? ジェマ・ファーレイはお前を黙殺することに決めたようだぞ。それに、マルフォイが心配性のママになっちまうのはハリー・ポッターにだけじゃないだろ」

 ニヤニヤ笑いながら言われたが、悪意は感じない。クラッブとゴイルは少し憤慨したようだったが、それを見てザビニはまだ楽しそうにお前らを馬鹿にしているわけじゃないと言い訳した。

 そこでまた新たな声がかかる。

 「目立ちたくないって言うんだったらマントで包む相手に上級生が混じってないことを確認しろよ、マルフォイ」

 同様に話を聞いていたらしいノットだ。カーテンを開け、彼は半笑いで僕を見ている。ザビニはそれを聞いて大笑いし、その上級生がどう困惑していたかを真似始めた。

 ……気づいていなかったわけではない。だが、ここでようやく僕は自分が年上の子まで子供扱いしていたことに思い当たった。途端に僕は恥ずかしくなり、クラッブをどけてベッドのカーテンを締め切る。

 

 カーテンの外では、四人が僕の今までの奇妙な行動をネタに盛り上がり始めた。

 内心複雑だが、同室の子達は反感を持ったりしていないようだし、今のところはこれで世渡りをうまくやっていけていることにして欲しい。誰にでもなく言い訳しながら、僕は毛布を頭の上まで引っ張り上げた。

 

 

 



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第九話 ハリー・ポッターと賢者の石

 

 

 あのクィディッチの試合の後、何故かグリフィンドールの三人組をよく図書館で見かけるようになった。グレンジャーに感化されて、勉強に精を出すようになったのだろうか? 主人公が賢くなって困ることはないので、僕としては大歓迎だが……どうやらそれだけではないらしい。何度か出くわしたハリー・ポッターが、何故かこちらに声をかけてこようとしていたのだ。未だにダイアゴン横丁での好感が残っているとも思えないし、何か理由があるのだろう。しかも、その度にロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーがすごい形相で止めていた。ハリーにとっては僕に話したくて、グレンジャーとウィーズリーにとっては隠したいことがあるとしか思えないが、賢明な判断だ。彼らがいい友人関係を築けているようで何よりである。

 

 とはいえ、彼らを避けて図書館へ行くのを止めるつもりもなかった。折角新たな手掛かりが降ってきた以上、それを調べない手はない。

 ハリーを箒から叩き落とそうとした呪文の特定のために、僕もさらに図書館へ入り浸っていた。何なら、クリスマスは学校に残ろうかとすら考え始めていた。もちろん、父母が絶対に良い顔をしないと分かっていたので元より夢想に過ぎなかったが、更に絶対に帰省しなければならない用事ができた。

 

 ブラック家のアークタルス大伯父様が亡くなったのだ。

 

 これでブラックの姓を持つ男子は僕の祖父であるシグナスお祖父様と、獄中のシリウス・ブラックだけになってしまった。昨年曽祖父のポルクスお祖父様も亡くなってしまわれたし、ここ数年でブラック家は断絶寸前まで大きく数を減らしてしまった。確かにご高齢の方達ではあるが、享年七、八十歳というのは、魔法使いにしては少々短命にも思えてしまう。魔法界には百歳を超えてなお最強の名を恣にしている化け物や、六百年を超えて生き続ける化け物がいるのだ。ブラック家は近親で結婚しまくっているのが悪いのだろうか。

 

 女性ではカシオペア伯母様が残っているが、彼女も子どもがいない。このまま順調に行くとブラック家の血脈は絶えることになるだろう。冷たい言い方になってしまうが、僕のような根っから貴族という訳ではない人間にしてみれば、ブラックという名が消えること自体は仕方がないと受け入れられる。しかし、それによる影響には無視できないものがある。それは、彼らが所有する財産の相続にあった。

 シリウス以外のブラック家の方々がご存命であれば、僕も彼らの蒐集品を扱うことができる。けれど、相続はできない。ブラック家の財産は「ブラックの姓を持つ男子に引き継ぐ権利がある」と魔法契約がなされているのだ。

 このままだと家財の大半が無人の家屋で朽ちることになる。ブラック家の方々もそれを恐れ、母のナルシッサに様々な貴重品を生前贈与しているようだが、全ての所有権を移せる訳ではないらしい。財産そのものに契約の効果が及んでいて、どうしてもブラックを継ぐ人間にしか扱えない場合も多いのだ。このまま貴重な財産が腐り落ちるなんてあまりにも勿体無いが、せいぜい屋敷しもべに死後のことを任せるくらいしか方法がない。日々一族の終末を感じているブラック家の雰囲気はアークタルス大伯父様が亡くなる前から葬式そのものだった。

 

 僕がもっと小さい頃はブラック家の人々との交流も全く苦ではなかったが、ヴァルブルガ大伯母様が亡くなって以降どんどん重苦しくなる空気にはかなり気が滅入る。それでも、やはり甘やかしてくれた親戚が去ってゆくのは悲しいものだ。彼らが最も近親の子どもである僕に何か託すような目をするから尚更である。

 

 こうして、僕は帰った先で待ち受けるものになんとも重たい気持ちを抱く中、幼馴染二人とともに雪舞うホグズミード駅でホグワーツ特急に乗り込んだのだった。

 

 

 休暇は葬儀とその関係の付き合いで慌ただしく過ぎたが、そんな中でも少しはクリスマスらしいイベントもあった。

 クリスマスプレゼントにクラッブからは双眼鏡(単なるクィディッチ用じゃなく、自分が見たいと思ったものに印をつけてくれる一品だ。これで犯人がわかればいいのに!)、ゴイルからは調べ物用の他人に勝手に読まれない手帳を貰った。全く、得難い友人である。僕は彼らの苦手科目の参考書や防御呪文付きのマフラーを送ったので、普通に嫌がられていることだろう。

 ザビニやノット、パンジー、ミリセントともプレゼントを交換した。ここ一ヶ月ほどで彼らとの仲はだいぶ深まったように思う。僕のスリザリンに溶け込もう作戦は、かなり上々な出来なのではないだろうか。

 休暇は家の書物を当ってみる良い機会でもあった。けれども、成果の程は今一つだ。屋敷しもべ妖精に手伝ってもらいながら、呪いについてまた色々と調べたが、逆に候補が多過ぎて絞れなくなってしまった。僕が呪文の正体に見当がつけられなくても対策が講じられると信じたいが、次にグリフィンドールが戦う試合が心配である。

 

 

 結局、物語についての推理に進歩らしい進歩もないまま、ホグワーツへ戻る日が来てしまった。

 城について早々、休暇中借りていた本を返して新たに調べ物をするため図書館へ向かう。まだ新学期も始まっておらず、ほとんど生徒はいなかった。人気のない本棚の間を通り目的の本を探していると、小柄な少年が一人で調べ物をしているのが目に入ってくる。やはり、ハリー・ポッターだ。しかし、今日はいつもそばにいるグレンジャーとウィーズリーが見当たらない。ストッパー二人がいないことに不穏な予感がしたが、それは即座に的中した。彼は本棚の影に潜むように立っていた僕を目ざとく見つけ、真っ直ぐこちらへ向かって来たのだ。すぐさま隠れられるところを探したが、あいにくほぼ無人の図書館にそんな場所はない。最年少シーカーの俊敏さの前に、僕は敢えなく降参した。

 彼を見て足を止めた僕に対し、ハリーは控えめに微笑みながら口を開いた。

 「ねえ、ドラコ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど……ニコラス・フラメルって知ってる?」

 あまりにも唐突で、全く予想していなかった質問だ。思わず何故そんなことを聞いたのか考えず頷くと、ハリーの顔にみるみる満面の笑みが広がった。

 彼に促され、知っている程度のことを簡単に説明する。

 「錬金術の第一人者だよ。まだご存命だったと思うけど、もうだいぶ長いこと研究発表はされていないようだから最近はあんまり名前を聞かないかもね。ほら、『命の水』の元になる賢者の石(Pierre philosophale)を発明した────」

 僕はそこで言葉を切った。自分で口に出したのに、妙に「賢者の石」と言う言葉に引っかかったのだ。

 ハリーはこちらの様子には気付かず、僕の言葉に目を輝かせている。何やらとても嬉しそうだ。今貸し出されていないニコラス・フラメルについて載ってる本を見繕ってやりながらも、喉に小骨が刺さったような感覚は拭えない。僕は一体何を忘れてしまっているのだろう?

 

 本を抱えて晴れやかな顔をしていたハリーは、礼儀正しく礼を言った。彼はそのまま去ろうとしていたが、突然立ち止まり、少し不安げにこちらを振り返る。

 「ねえ、僕らがニコラス・フラメルのこと調べようとしてたって、スネイプに言わないでいてくれる?」

 これまた予想していないお願いだった。ハリーを止めていた友達二人ならともかく、こんな普通の調べ物をスネイプ教授に隠したい意味とはなんなのだろうか? 僕は正直に疑問を口に出した。

 「別にスネイプ教授と個人的に話すこともないから告げ口する機会もないけど、なんで? 授業とかで気になったこととかじゃないの?」

 ハリーは僕の質問に対し、少し言葉を詰まらせた。

 「えっと、そうだけど……でもスネイプって僕のこと嫌いでしょう? また変な言いがかりをつけられたくないんだ」

 そうしてハリーは再度礼を言い、図書館をさっさと出て行ってしまった。

 ……絶対に嘘である。そんなことがなくてもスネイプ教授はハリーに言いがかりをつける。ニコラス・フラメルは何かスネイプ教授にとって特別なことだったのだろうか?

 そこまで考え、ようやく自分が何に引っかかっていたのか思い当たった。

 

 ──「ハリー・ポッターと賢者の石」

 

 そうだ。この言葉だ。わずかにだが聞いたことがある。何作目かもわからない。しかし、朧げながら存在したような気がするタイトル。今この時進む物語がどのように名付けられているのか、僕はようやく気づいた。

 やはり僕の気付かないところで、物語は着々と進んでいたのである。

 

 その日の夕食、大広間で例の三人組はこちらをチラチラと見ながら話し込んでいた。僕がスリザリンだからスネイプ教授に密告して、それをネタにいびられると考えているのだろうか? いや、あの様子だと、彼らもスネイプ教授になんらかの疑いを持っていると言う方が正しいだろう。

 僕と同様、スネイプ教授がトロール事件に関わっているかもしれないという懸念を抱いていたのかも知れない──そこで、前のクィディッチの試合でクィレルを薙ぎ倒したのが、ぼうぼうとした栗毛の背の低い人物だったことを思い出した。彼女なら火を扱う呪文だってお茶の子さいさいだろうし、あれはハーマイオニー・グレンジャーだったのだろう。

 ハリーに考えなしに情報を渡してしまったことで、物語に狂いが生じてしまったかもと少し心配にもなった。けれど、ニコラス・フラメルの名前まで知り、ハーマイオニー・グレンジャーもそばにいるのならば、僕に聞かずともすぐ「賢者の石」にたどり着いていただろう。そもそも図書館のピンス女史に聞けば一発である。

 

 三人組の「スリザリン生がスネイプ教授に密告するかも知れない」という懸念はもっともだったが、僕はスネイプ教授とは本当に一線を引いていた。当たり前だ。彼に迎合していては僕の本当にやりたいことは出来ない。

 グリフィンドールとスリザリンの合同である魔法薬学で、スネイプ教授は相変わらず隙あらば僕を褒め、ハリーをこき下ろしていた。僕も初日以降は学習して、他の人の前で教授を決定的に貶めることは言っていない。しかし、授業中彼が贔屓やこき下ろしで監督責任を疎かにしようとするたび、周囲へのサポートに回っていた。場の雰囲気に敏感な人間は僕が暗にスネイプ教授の態度を問題だと思っていることに気づいていただろう。実際、寮監は僕の妙な扱いづらさに、徐々に態度が硬くなっていた。だが、僕は僕らの見解の相違が隠せなくなるまでは、知らないふりをすると決めていた。スネイプ教授にとっていい生徒でない自覚はあるが、彼がスリザリンの名誉を毀損しているのは事実だ。この状況を放置する気は一切なかった。

 一応、言質を取られないよう、慎重に立ち回っているつもりではある。そのためか、スリザリン内部で僕のスネイプ教授に対する態度は今のところ、問題にはなっていない。ザビニは僕が諦められていると言っていたが、ジェマ・ファーレイを始め立場の弱い上級生も僕に対し以前よりもずっと友好的に接してくれている……そう信じたい。

 

 

 それにしても賢者の石である。

 多くの人々が再現を試み叶わなかった錬金術の至宝にして、魔法界で最も貴重な財産の一つ。三人組はなぜこれを調べていたんだろう。まさか手に入れたいわけではないだろうに……いや、そもそもニコラス・フラメルの名前しかハリー・ポッターは知らなかったのだ。ならば、賢者の石は彼らの調べ物の発端ではないのかもしれない。

 しかし、なぜそんな片手落ちな情報しか持っていないのだろうか? 賢者の石が物語の本筋に関係がある……つまり、例のあの人が狙っていたとしても、それだけでは彼らにはなんの関係もない。ニコラス・フラメル氏はフランス在住だったはずだし、イギリスの、ことホグワーツに縁なんて……いや、ダンブルドアは共同研究者なんだったか? それで彼が賢者の石の欠片を持っている可能性に賭け、わざわざ力を失ったらしい闇の帝王がホグワーツにやって来るのはリスクが高すぎるように思うが……いかんせん推理しようにも、情報が足りない。

 ハリーに賢者の石に関する図書館の本はおおかた渡してしまったが、僕も容疑者絞り込みのために情報を得なくてはならない。また新聞で、賢者の石に関連しそうな記事を集めるしかないだろう。

 

 

 新学期が始まり、次のグリフィンドールの試合も近づいてきた。またハリーは災難に遭うのかと身構えていたが、幸いなことに対策は見える形で取られていた。

 なんと、次の試合はスネイプ教授が審判をするらしい。教師を一人、見張りに立たせるというわけだ。この任命にダンブルドアが関わっていないわけがないので、スネイプ教授は容疑者レースでかなり失速したのではないだろうか? まあ、それを言い出したら、そもそも元死喰い人をダンブルドアが自らの下に置いていること自体、なんらかの意味があったと考えるべきだったのだろう。

 僕は自寮が出ないクィディッチの観戦をしていても怪しまれないように、他の全ての試合を見に行っていた。全く好きではないスポーツを長々見るのは苦痛でしかないが、他の生徒との交流の機会にもなる。割り切るしかないだろう。

 冬空の下で応援するのに耐えかね、僕は早々に防寒魔法を覚えた。クラッブはまた揶揄われても知らんぞと呆れていたが、皆この寒さに耐えかねていたようでスリザリンだけでなく他寮の生徒に魔法をかけてやることもあった。

 

 グリフィンドール対ハッフルパフ戦も晴れて寒い日だった。客席につき、クリスマスプレゼントの双眼鏡で観客席のスネイプとクィレルに印をつけていると、観客席に予想していなかった人物が目に入る。ダンブルドアだ! やはり、城壁外でのハリーには目を光らせることにしたのだろうか。

 流石にこの状況でハリーに手を出す奴はいないだろう。手がかりにはならなかったが、主人公が目に見える形で守られているのはありがたい。試合自体も五分ほどで終わってくれた。グリフィンドールが勝ってしまったことに文句を漏らすスリザリンの子どもたちを宥めながら、僕は軽やかな気持ちで城に戻った。

 

 

 



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第十話 ドラゴンを飼う男

 

 

 二月のクィディッチの試合の後、しばらくは平穏に日々が過ぎていった。

 

 あれから僕は賢者の石に関係ありそうな事件を新聞なんかで片っぱしから調べたが、ホグワーツに結びつくものはなかった。強いて言うなら去年の七月の末、僕とハリーがダイアゴン横丁で出会った日のグリンゴッツの強盗事件がタイミング的にも話題性的にも疑わしい。しかし、もしそこで移送されたものが賢者の石だったとして、それを今ハリーたちが気にする理由が分からない。もう直接彼らに聞いてしまえばいいのかもしれないが、ハリーはスネイプ教授の監視がベッタリで、どうにもうかうかと近づくことができなかった。

 状況もわからないまま生半可に首を突っ込んで(異物)が本格的に事件に関わることになったら、それこそ物語は制御不能になってしまうかもしれない。先に一番問題の容疑者だけでも確定して、動くとしてもそれからだ。そう考えていたので、遠目に彼らを観察するだけにして僕はのほほんと日常を謳歌していた。

 ……だから、三人組と僕らの間で事件が起こったのは完全に偶然だった。

 

 

 ある朝、朝食を終えて大広間の外、大階段に続く廊下で偶然彼ら三人を見つけた。どうにも隅で何やらコソコソとしていたが、だからと言って露骨に避けて回れ右するのも変だ。何食わぬ顔でそのまま通り過ぎようとしたところ、偶然漏れ聞こえた言葉に思わず足を止めてしまった。

 「だって…………ドラゴンの卵が孵る……………………何度も見られると……………………」

 「…………また面倒なことに…………でも、ハグリッドがしていることが……………………」

 何だって? 話されている内容のとんでもなさに衝撃を受けていると、ハリーがパッと顔を上げこちらに気づいた。彼は慌てて話を続ける傍らのグレンジャーとウィーズリーを黙らせる。僕を見た彼らの顔色の変わり方は明らかに話を聞かれたのがまずいことだったと克明に告げていた。

 廊下に沈黙が落ちる。僕は何も言えず、ただ軽く会釈して廊下を階下へと通り抜けてしまった。

 

 ……いや、ドラゴン?

 そんな、まさか……いくらハグリッドが魔法生物好きだからといって、そんな危険なものに手を出すなどありえるだろうか? これにハリー・ポッターが絡んでいなかったら僕は一笑に付して忘れていただろう。けれど、主人公が、つまり物語中最強の問題発生因子が関係しているとなると、エピソードとしての実現可能性は跳ね上がってしまう。

 勘弁してほしい。魔法界の常識からしたって、子供の学舎に最強の危険生物を放つなんて常識外だろう。

 

 それでもしばらくは静観の姿勢を取った。事態を現実のものとして捉えるのに抵抗があったのかも知れない。しかし、彼らが忙しなく校庭の隅の小屋に通っていることや図書館でドラゴン関係の本を漁っているらしいことに気づいては、もう何もしないということも難しかった。このまま放置してドラゴンに主人公が吹き飛ばされましたなんてことがあったら何もかもお終いなのだ。朝食の席でウィーズリーの手が2倍に膨れ上がり、さらにその後の昼食の席では倒れそうになっているのを見て、僕は流石に状況の把握に動いた。

 その日の午後、スリザリンの授業がないときに僕はウィーズリーが運び込まれた医務室に向かった。マダム・ポンフリーにウィーズリーが持っているはずの図書館の本を借りたいと申し出ることで僕は彼のベッドのそばに行く権利を手に入れた。僕の顔を見たウィーズリーは露骨に嫌そうに眉を顰めたが、いつものような元気はその顔にはない。本当に体調が悪そうだ。やっぱりドラゴンにやられたのだろうか?

 僕が話し出す前に彼の方から口火は切られた。

 「なんだよ、マルフォイ」

 「君たち、最近コソコソ何やってるの? こんな怪我して、危ないことに首を突っ込んでるんじゃないよね」

 「君には関係ないだろ!」

 声を張り上げたウィーズリーはそれで眩暈がしたのか、枕にヨロヨロと頭を戻した。態度は頑なで何かを聞き出せる様子でもない。嫌われたものである。時間が経ったので僕の蛮行についてもう忘れていてくれることを願っていたが、期待は外れてしまった。

 

 なんとか懐柔できないか考えていたところで、大声を聞きつけたのか病棟の奥のオフィスからマダム・ポンフリーが飛んできてしまった。

 「ちょっとあなた、おしゃべりするために入る許可をあげたんじゃないですよ! 借りたい本はこれ? 用が済んだらさっさと出て行きなさい!」

 僕はベッドサイドにあった本を押し付けられると、瞬く間に医務室から叩き出された。

 

 そもそもウィーズリーに話を聞こうとしたのがよくなかったかもしれない。けれど、ハリーにはスネイプ教授がベッタリなのだ。ダンブルドアの下にいるということを加味したって本当に頼れる人物なのかは疑わしい。何かを嗅ぎ回っていると悟られていい段階にはないだろう。

 ただ、病棟に行ったことで得られたものはあった。ウィーズリーが持っていたのは案の定ドラゴンの飼育法に関する本だったのだ。最上の収穫はそれに挟み込まれた手紙だ。その差出人はチャーリー・ウィーズリー──確かアーサー・ウィーズリーの次男だ──と書いてある。これは土曜日の零時にホグワーツへ知り合いをよこしドラゴンを引き取る計画の手引きだった。

 

 もはや確定したと言って良いだろう。ルビウス・ハグリッドはホグワーツという守られるべき子どもの集う場で魔法使い殺しの危険生物を孵化させ、飼っている。ついでに学内に生徒の親族とはいえ見知らぬ人物を招き入れようとしている。僕は入学した当初にハグリッドに関する噂が本当だとしたら魔法界はおしまいだと思っていたが、その懸念が完璧に当たった形になってしまった。

 主人公とあんなにも仲良くしている人物がこんなにも危険人物であることなんてあって良いのだろうか? ハリー・ポッターを守ろうとしているであろう多くの人々の苦労を思うと泣けてしまう。僕はハグリッドが物語上の重要人物──つまりハリーの命を救う人物でないことを願いながら、ドラゴンの存在を告発することに決めた。この手紙がある以上、ドラゴンは早晩この学校を去ってくれるのだろうが、そもそもこんなことができる人物がこんなことをできる立場にいることが根本的な問題なのだ。残酷かも知れないが、彼の行ったことは学校を管理する人間としてあまりにも不適切であり、その現実は改善されるべきだろう。

 

 探知不可能拡大呪文などをかけられて飼育の証拠を隠されては始末に負えない。ハグリッドがドラゴンを塔に運びだす直前、最後にドラゴンの顔を見るだろう時間を狙ってマクゴナガル教授に密告することに僕は決めた。土曜になるまで、僕はハリーとグレンジャーがドラゴンの餌になっていないことを毎食確認しなければならなかった。

 

 当日、夜の十一時半過ぎ、僕は一人2階のマクゴナガル教授の研究室へと向かった。しかし、不運なことにそこに辿り着く前にマクゴナガル教授ご本人と出くわしてしまった。僕が訪ねていく形の方がスムーズに話が進んだだろうに、これでは夜間徘徊を見つかった形になってしまう。案の定、僕を見てたちまちマクゴナガル教授の顔はぐっと険しくなった。

 「マルフォイ、こんな真夜中に城をうろつくなんて、何をしているんです!」

 当たり前の反応すぎる。もうちょっと慎重に、かつ確実に動けばよかった……というか普通に日中にこの時間にハグリッドの小屋へ行くよう頼めばよかった。僕は馬鹿か。

 自分の迂闊さに愕然としながらも慌ててウィーズリーの手紙を取り出し、マクゴナガル教授に手渡した。

 「今、教授の研究室に向かっていたところなんです! 本当です! この手紙を見てください。

 ハグリッド氏はただドラゴンを飼っているばかりか、今夜城の警備を破りドラゴンを連れ出すつもりです! これから小屋に行けば、そのドラゴンがいるはずなんです!」

 

 教授は手紙を受け取って読んでくれたものの、疑いを全く薄れさせていなかった。

 「ドラゴン? そんな荒唐無稽な作り話が信じられますか? この手紙────教師を騙そうだなんて────」

 「時間を忘れて寮外に出たことは何の言い訳もできないとわかっています! けれど教授は、僕がハグリッド氏を貶めるためだけに、この夜中に出歩いたとお考えなんですか? 僕は────僕は、そんなに信用なりませんか?」

 自分の愚かさに情けなくなり、少し声が震えた。わずかにマクゴナガル教授の目が見開かれる。彼女は目を瞑り、大きく息を吐いた。

 

 「────スリザリンは夜中外を出歩いたことで10点減点です。これは暫定的な処置です。このような時に────いえ、罰則は後で言い渡しましょう。真偽はこれからあなたの前で確かめましょう。私に付いてきなさい」

 彼女はローブを翻すと階段を降り、ハグリッドの小屋へ真っ直ぐに歩き始めた。僕は慌ててその後を追った。

 

 静まり返った校庭を教授の杖灯りを頼りに小走りに歩く。……もし、もうドラゴンが運び出されていたらどうしよう? いや、そもそも本当にドラゴンなどいなかったら? ウィーズリーが僕を騙そうとしていたんじゃないのか? おそらくマクゴナガル教授はそう考えているから、僕に事実を見せるために小屋へと連れて行っているんだろう。

 嫌な予感だけが積もっていく。

 肌に刺さる沈黙に耐え、ようやく小屋の前まで着いた。……中から声が聞こえる。僕は自分の血の気が引いていく音を聞いた。ハグリッドだけじゃない────この声はハーマイオニー・グレンジャーとハリー・ポッターだ!

 

 思わず立ちすくんだ僕をよそに、マクゴナガル教授は小屋の鍵を無言呪文で開け、憤然と中に踏み入った。

 「あなたたち、何をしているのです!」

 この辺りの動物が全部逃げ出しかねない怒声だった。中で3人が目を見開くのが見える。教授は部屋を大股で横切り、置かれていた木箱へ杖を一振りして中を改めた。そこには、かなり大きい方の大型犬くらいの大きさの────これでもまだ生まれて間もないのだろう────真っ黒なドラゴンがいた。

 マクゴナガル教授の表情の変化は劇的だった。眦がぎゅっと吊り上がり、槍のような視線がハグリッドに注がれる。

 「ハグリッド────あなた────あなたは、こんな夜中に生徒を学校外に連れ出して、何をしているのですか? 生徒を見守るべき立場としてありえない愚行です! おまけにドラゴン────子供に何かあったらどうするつもりだったのですか。 一体どうやって責任をとろうと思っていたのですか? あなたを信頼してきたダンブルドア先生に一体どう申し開きをするつもりなのです! 今日ここでバレなければそれでいいと考えていたのですか? ────あまりに浅はかな振る舞いです────この、見下げ果てた愚か者が!!」

 ここまで怒った大人を僕は初めて見た。マクゴナガル教授は怒りのあまり全身を震わせ、拳をきつく握り、今にもハグリッドに痛烈なパンチを食らわせるのではないかさえと思えるほどだ。凄まじい迫力のせいか、ハグリッドがいつもよりずっと小さく見える。

 

 一息ついたマクゴナガル教授は、しかしその怒りのボルテージを全く下げないままハリーとグレンジャーの方に向き直った。

 「ポッター、グレンジャー!! 一体、なぜあなたたちはこんな馬鹿な真似をしたんですか? トロールの次はドラゴン────自分達であれば扱えるとでも思ったのですか。 呆れ果てたことです。ミス・グレンジャー、あなたはもう少し賢いと思っていました。ミスター・ポッター、グリフィンドールはあなたにとって、もっと価値のあるものではないのですか」

 二人は叱責に沈み込む。けれど、彼女は追及の手を緩めない。

 「この件にはウィーズリーも関わっていると考えていいのですね。隠し立ては許しませんよ」

 二人は返事もできないようだったが、肩をびくつかせたその反応は事実を雄弁に物語っていた。

 「50点。グリフィンドールから減点です」

 「50点?」

 「一人50点を3人です。ポッター」

 「先生……、お願いですから……」

 「そんな、ひどい……」

 「ポッター、処分がひどいかひどくないかは私が決めます。さあ、ハグリッド! そのドラゴンを連れて校長先生のところへ向かうのです、今すぐに! 皆さんは寮のベッドに戻りなさい。グリフィンドールの寮生をこんなに恥ずかしく思ったことはありません」

 彼女はきっぱりと言い渡すと、僕らを急き立て城へ向かわせた。

 マクゴナガル教授は彼女の後ろにいた僕のことについて何も言わなかったが、この状況自体がどこから情報が漏れたのかを雄弁に語っていた。ハリーとグレンジャーは学校に戻るまでの間一言も話さなかった。以前のような親しさは、僕らの間から綺麗さっぱり消えてしまったようだった。

 

 

 

 



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第十一話 禁じられた森

 

 

 ドラゴン事件の翌日になっても、僕の生活は全く変わらなかった。監督生に減点を受けたのは注意されるかもしれないと思ったが、僕はその何倍も授業で点数をもらっていたから何も言われることはなかった。そもそもスリザリン生は夜に出歩くことを躊躇しない子が多い。見つかったことは未熟さの証だが、それ自体の善悪は全く問題ではないのだ。僕が減点を受けたということ自体、ほとんどの寮生は知らなかったか知っていてもどうでもいいことだと考えただろう。

 一方、ハリー・ポッターの状況は真逆だった。彼はまさに針の筵というべき視線に晒されるようになってしまった。一晩で150点の減点など前代未聞だし、元からの人気もかえって災いしたのだろう。どこから漏れたのか噂はあっという間に広まり、自寮のみならずハッフルパフやレイブンクローまで彼を遠巻きにして大声で陰口を叩く始末だった。

 

 一夜明けた朝、大広間で病棟から退院したらしいロン・ウィーズリーが僕を見つけるや否や怒りで顔を真っ赤にしながらこちらに向かってきたが、スリザリンのテーブルにたどり着く前に残りの二人に取り押さえられ元の場所へと引っ張っていかれていた。その間、ハリーもグレンジャーも目を伏せて一度だってこちらを見ようとしなかった。二人の顔色は至極悪い。まだ朝になったばかりだというのに、周りの人の視線で一杯一杯になっている様子だった。

 

 もう、僕は本当にやらかしてしまったらしい。何もしなければ一夜の冒険で済んでいたかも知れなかったエピソードでしかなかったのかも知れないのに……軽率に告げ口を選んでしまったがために、初年度にして主人公の周りは敵ばかりだ。主人公の交友関係に影響が出る、なんて程度じゃ済まないだろう。この失敗はあまりにも手痛かった。

 事態をこのままにしておくわけにはいかない。その日の放課後、僕は授業が終わるとマクゴナガル教授のところへ飛んでいった。彼女との間にうっすらとあった軋轢も気にしている余裕はない。ただ自分の過ちを正すため、またしても来訪の理由を図りかねている教授を前にして僕は必死でハリーたちを擁護した。

 「教授、どうかお願いです。今からでもあの三人の処分を軽くしていただけませんか? あなたも彼ら……特にグレンジャーがドラゴンのことに好き好んで関わるような子供ではないとご存じのはずです。偶然ドラゴンのことを知ってしまって、見捨てることもできないままハグリッド氏を庇ってしまったのではないでしょうか? 入学してまだ1年も経っていない子どもが、仮にも職員の立場にある人間を密告するのは心理的な障壁があったはずです。公正の観点から情状酌量の余地を考慮していただきたいんです……」

 「それを踏まえての150点です。マルフォイ」

 マクゴナガル教授の口調は厳格そのもので、交渉の余地がないことが如実に表れていた。

 「そんな……僕のせいで、彼らは校内一の嫌われ者ですよ。出来かけた友達だって失ってしまったかもしれない。まだホグワーツに入って一年も経っていないのに!」

 思わず、懇願の声が大きくなってしまった。大声を出してしまったことで少し冷静になって教授の様子を窺う。教授の唇は相変わらず一文字に結ばれていた。しかし、その目は随分前に見たような輝きがのぞいているような気がした。

 生徒に怒鳴りつけられたというのに、マクゴナガル教授はなぜか口調を少し和らげ、しかし宥めるわけではないように僕に語りかけた。

 「であれば、あなたが彼らと友人になってはいかがでしょうか。 マルフォイ」

 「……今はそう言った話をしているわけではないと思います。冗談を楽しめる状況ではないのですが」

 「いいえ、あなたはそういう話をしているのですよ」

 教授は今度こそほんのわずかにだけ唇の端を上げ、話を切り上げた。

 「あなたも外を出歩いていたのですから、彼らと一緒に処罰を受けてみてはいかがですか。ミスター・フィルチにお伝えしておきます。そこで、彼らと話す機会もあるでしょう」

 

 

 

 数日後の夜十一時、僕らは罰則のため人気のない玄関ホールに集められた。いつもだったら夜中に出歩いた罰として夜中に出歩かせるようなダブルスタンダードはやめて欲しいとか、深夜に子供を起こしておく罰則の規定は悪用すれば容易に子供を虐待できてしまうのではないかとか、くだらないことを考える場面だが……憤怒に燃えるウィーズリーとしょげ切ったグレンジャー、硬い表情を崩さないハリーの前で他のことに思いを巡らせる余裕はない。重たい沈黙が支配する場で、僕はここに来てしまったことを後悔していた。

 管理人のフィルチ氏は、なんと城の外へ僕らを連れ出すようだった。流石に危ないのでは……と抗議しようとしたが、この雰囲気の中ウィーズリーに視線で黙れと告げられては口をつぐまざるを得ない。

 五月も終わりとはいえ夜の野外は肌寒い。相変わらず言葉もないまま、僕らは真っ暗な校庭を禁じられた森の方へと向かった。この罰則のことをダンブルドアはご存知なのだろうか? つまり、主人公の安全は保証されているのだろうか? いつもの心配性が頭を擡げるが、もう止める気力がない。よっぽど子供嫌いなのであろうフィルチ氏が脅すようなことばかりヒソヒソと話すのを流しながら、僕はただ地面をじっと見つめて歩いた。

 

 さらに悪いことに僕らは小屋の近くで止まり、そこにはやはりあの大男が立っていた。今回の元凶でもあるハグリッドは三人へ弱々しくも気さくに挨拶した後、僕を何か穢らわしいものを見るような目で一瞥してフィルチ氏と話し始めた。罰則はハグリッドが引率するようだ。予想していなかった状況に少し頭が痛くなってくる。マクゴナガル教授は今夜何をするのか知らなかったのかも知れない。四人でトイレ掃除とかならともかく、この状況では会話も何もないだろう……。

 フィルチ氏が城へ戻り、いよいよ僕らは森の中へと行くようだ。流石に状況を把握しておきたい。できるだけ高慢に聞こえない声を心掛けて、僕らを先導するハグリッドに問いかけた。

 「夜に禁じられた森に入ることはダンブルドア校長もご存知なのですか?」

 たちまちハグリッドの巨体が怒りで膨れ上がったのを感じ、僕は声を出したことを後悔した。

 「なんだ、ダンブルドア先生に脅しでもしたいのか? え? これがホグワーツのやり方だ。とろとろしてないで歩け! でなけりゃお前さんは退学だ。お前の父さんが、お前が追い出された方がマシだって言うんなら、さっさと城に戻って荷物をまとめろ! さあ!」

 彼は完全に怒り心頭だった。話し方を間違えた……というか、話しかけること自体が間違いだったようだ。僕はマクゴナガル教授にあのドラゴンがどんな処分のされ方をしたのか確認しておくべきだったと強く後悔した。そこに、意外なことに助け舟が出された。

 「ハグリッド……。もう、行きましょう」

 グレンジャーはハグリッドの隣に立つと、視界に僕が入らないよう、彼を引っ張って行った。もう何もいうまい。僕は黙ってその後に続いた。

 

 森の入り口につき、ハグリッドは僕らに向き直って説明を始めた。怪我をしたユニコーンの捜索を二手に分かれて行うのが罰則らしい。森に侵入できるような熟練の密猟者の仕業だった場合、僕らは成す術なく殺されるしかないような気がするのだが大丈夫なんだろうか。もうこの子達を連れて帰りたいが、そんなことを言い出したらハグリッドは今度こそ密告者をその辺の堆肥にするだろう。僕は大人しく彼の犬とハリーと一緒に木の根や岩で凸凹の森を歩き始めた。

 

 ハリーの視線を背中に感じながら、黙って獣道を辿る。しばらくして、沈黙に耐えきれなかったのかハリーが独り言のように話しかけてきた。

 「狼男がいるって本当かな?」

 想像していたより彼は僕に隔意を抱いているわけではないようだ。なんだか暢気な言葉に先ほどまで張り詰めていた神経が少し解れるのを感じる。

 「どうだろう。そうだとしたらすっごく問題になると思うけど、もしいたとしても大丈夫だよ。今日は完全な満月じゃないから。狼男は満月の夜だけ変身するんだ」

 「じゃあフィルチが言ってたことは嘘?」

 なんだか小さい弟にお化けなんかいないと慰めているような気分だ。僕は少し歩幅を小さくし、ハリーの隣に並んだ。

 「あの人は子どもを脅す悪癖があるみたいだね」

 そこで会話が途切れ、再び静寂が訪れた。それを破ったのも、ハリーだった。

 「……なんでマクゴナガル先生に告げ口したの? 放っておいてくれたらよかったのに」

 単純な言葉である分、少し返事に困った。言葉を選び、ハリーが納得できるような言い分を探す。

 「……そうした方が良かったのかもしれないけど、ドラゴンってとても危ないだろう? 今回はウィーズリーのお兄さんが引き取ってくれる予定だったようだけど、それはきっと運が良かったからじゃないかなって思うんだ。運が悪ければ、危険な怪物が危険なままで育って、誰か子どもを食べちゃうかもしれない……。ハグリッドがそういう管理を一人できっちりやれるすごい人だったら安全かもしれないけど、僕は彼のこと全然知らないから」

 ハリーは何か言おうとして、でも口を閉じた。その後、すごく小さな声で、「でも、普段は優しい人なんだよ……」と呟いていた。

 

 少し時間が空き、また彼が話し始める。

 「僕らのこと、捕まえようとしたわけじゃないんだよね?」

 「まさか君たちがいるなんて思わなかったよ。ウィーズリーの手紙には君たちのことは書いていなかったし、真夜中にドラゴンを運ぶなんて目立つこと、絶対城の人に見つかるだろうから。言い訳が利くハグリッドだけが小屋から受け渡しの塔に行くんだと考えていたんだ」

 「そっか……そうだよね」

 「実際、君たちなんであそこにいたの? 受け渡しの場に君達がいてどうこうすることなんてないだろうに」

 「僕らがドラゴンを運ぶ予定だったんだよ」

 「どうやって?」

 途端に口を滑らせたと言う顔になるハリーに思わず笑ってしまう。何かやりようがあったんだな。再び沈黙が落ちるが、もう暗い雰囲気は薄れていた。

 ハリーは話題を変えたかったのか、ユニコーンについて尋ね出した。

 「ユニコーンを襲っている奴は何がしたいんだろう?」

 「さあ……単なる獣かもしれない。けど、人間だったら危険だな。密猟者ってことだから。ちょっとでも人っぽい影が見えたらすぐ逃げるんだよ」

 「…………ユニコーンって獲ったら何かいいことあるの?」

 マグルに育てられたから仕方ないのかもしれないが、彼は結構質問魔だ。

 「角も尾の毛も魔法薬の授業で使っただろう? あれは高値で取引される。血も使えるには使えるけど────」

 話の途中で、不意にハリーが立ち止まった。

 「見て…………」

 彼の指差す方に目を凝らすと、少し離れたところに木のまばらな平地がある。そこには、月明かりを受けて白銀に輝くもの──ユニコーンが倒れていた。

 ユニコーンのもとに行こうとハリーが一歩踏み出した時、どこからか引きずるような物音が聞こえた。平地の端の草木が何かに触れ揺れる。

 

 そこには、フードで頭をすっぽり覆われた「何か」がいた。

 黒い影は滑るように地を這い、ユニコーンのそばに蹲る。硬直する僕らの前で、それはすすり上げる音を立てながら血を飲み始めた。あまりの恐怖に声すら出ない。しかし呆然としているわけにはいかない。この状況はどうにかしなければならない。気付かれないよう逃げる? 犬を連れて? 絶対物音を立ててしまう。それよりも助けを呼ばなくては──僕は震える手で構えていた杖をあげ、花火を打ち上げた。放たれた大きな音に、横を歩いていたハグリッドの犬が情けなく吠えて逃げ出していく。平地も赤い光に照らされ、ユニコーンのそばの姿がさらに克明になった。──おそらく人間。成人くらいだ──当然、花火をあげてしまえばこちらの位置はバレる。その影は頭をあげ、こちらに頭を向けた。フードの下から銀色のユニコーンの血がてらてらと不気味に光っている。影はするするとこちらに近づいてきたが、そこまで速度は速くない。走れば逃げ切れるだろうか?

 

 後ずさりしたところで、目の前のハリーが額を押さえうずくまっていることにようやく気がついた。慌てて彼のそばにかがみ込むが、その顔は苦痛に歪んでいる。いったいどうしたんだ? 無言呪文か!?

 そんなことをしている間にも背後からあれが近寄ってくる気配を感じる。逃げたい! 逃げたい! 逃げたい! でも、ハリーを置いていく訳にはいかない!

 今夜ハリーがここに来たのは僕が原因なんだ。彼はここでこんなものと出会う運命じゃなかったはずなんだ。ここで彼は死ぬべきじゃないんだ!!

 

 恐怖心で息がどんどん上がる。行動を起こさなきゃならないのに、何も選ぶことができない。

 

 杖を構えて戦うべきなのか? 絶対に勝てないのに? 僕の使える呪文なんて闇の魔法使いに傷一つつけられないだろうに? それでも、この足元の悪い中、ハリーを抱えて走って逃げるよりはマシなのか?

 

 でも、この影が本当に「例のあの人」だったら? ここで「例のあの人」本人に僕の考えがバレたら? 闇の陣営につかない人間だと判断されたら? 僕どころか両親だってこの先地獄を生きることになる。いや、生きていればまだいい。あの人が戻れば真っ先に消されるかも知れない────

 

 思考に集中し空気が吸い込めなくなり、視界がどんどん狭くなる。目の端に涙が滲むのを感じる。考えは頭の中をぐるぐる回るだけで八方塞がりだ。

 

 ハリーを何とか引っ張り起こそうとして足がもつれ、僕は彼の前に倒れ込んだ。もうどうすれば良いか言葉で考えることもできず、僕はただ無我夢中でハリーを自分の背中の後ろに押しやった。

 

 

 唐突に、視界の端から何かが飛び出した。その大きなものは蹄を鳴らしながら僕らの前に躍り出る。動きを止めた影にそれは突進し、あっさりと蹴散らした。地面に叩きつけられ、影は再び森の奥へ這うように消えていった。

 

 助かった……のか? 状況は飲み込めないが、ひとまず危機が去ったらしい事実にどっと力が抜けてしまった。いまだに息は整わないが、なんとか普段の思考と視界が戻ってくる。なんとか体を起こそうとする僕に向かってに影の方を窺っていた()()が振り返る。僕らを助けてくれた大きなものは、パロミノの美しいケンタウルスだった。

 「ケガはないかい?」僕らを引っ張り上げて立たせながらケンタウルスが声をかけた。それに、もう回復したのかハリーが返事をする。

 「ええ……、ありがとう……。あれはなんだったの?」

 ケンタウルスは答えなかったが、僕らを安全なところへ連れて行こうとしてくれた。けれど、その必要はなかった。花火を見たハグリッドたちがやってくる音が背後の森から聞こえてきていた。

 

 森の奥へ戻る前に、ハリーはケンタウルスにユニコーンの血の使い道を問いかけた。────そう、呪われた延命だ。ハリーはそれと闇の帝王の存在を結びつけたようだった。

 

 

 僕はただ傍で聞いていただけなのだが、その中で聞き捨てならないケンタウルスのセリフが耳に飛び込んできた。

 ────ホグワーツに賢者の石が隠されているだって?

 

 ユニコーンの血、ホグワーツに隠された賢者の石、そして闇の帝王本人の存在。推理に必要なピースを、僕は思いがけないところで手に入れたのだった。

 

 

 



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第十二話 アルバス・ダンブルドア(1)

 

 子供の犇く学校に賢者の石が隠され、校庭そばの森では不審者がユニコーンの生き血を啜っている。その上どんな手を使ったか知らないが、おそらく「例のあの人」が校内に忍び込んでいる。

 やっぱり魔法界はおしまいだ。無法すぎるだろう。

 しかも単なるシンパではなく本人だというのが最悪だ。もしスネイプ教授のような日常で僕の振る舞いを知っている人間がその手先だった場合、僕がスリザリンの寮風に従順な人間じゃないのは既にばれてしまっているということじゃないか。僕は入学した段階でもっと慎重になるべきだった。でも、ホグワーツに入学したその年に本体が出張ってくるとか予想する方が無理じゃないか? ……無理じゃないな。知らずのうちに僕は「ハリー・ポッター」の世界を随分と見くびっていたらしい。

 

 さらに言えば、ハリーに賢者の石のことを喋ったのはハグリッドだろう。星を見て予言を行うケンタウロスが知り得たならば、そのそばで生活している森番が知っていても何もおかしくない。それにしたって口が軽すぎる。三人組の持つグリフィンドールの勇敢さが彼らを賢者の石防衛に突き進ませているとはいえ、頼むからそもそもそんな状況に置かないで欲しい。

 

 いよいよハグリッドは主人公のそばにいて欲しくない危険人物であると明らかになってきた。しかし、彼を雇っているのはダンブルドアだというのが厄介だ。校長が事態を看過していることは問題がより複雑になることを告げている。

 今回のドラゴン事件が大ごとにならなかったのも、ハグリッドのところに魔法法執行部がつめかけていないのも、間違いなくダンブルドアが関わっている。果たしてダンブルドアはどのような思惑でこんな真似をしているのか。何か考えあってのことであればいいが、ただの耄碌だったとすれば最悪だ。

 僕はできる限り角が立たないハグリッドの追い出し方に頭を悩ませることになった。おそらく彼は根っからの悪人ではなく、主人公の友人ポジションに一時はいられる立場の人間なのだろう。追い詰めすぎて変な挙動を起こされても困る。今回盛大に問題を悪化させてしまったことで、主人公周りの人間関係に手を入れるのは慎重になるべきだと身に沁みて実感した。

 その一方で、僕は賢者の石そのものの守りについてはあまり心配していなかった。容疑者が何故いまだに排除されていないのか、ようやく予想がついたからだ。

 ユニコーンの血すら啜って命を繋ぐヴォルデモートは今とても虚弱だが、その反面、この10年間捕まらなかったことから見ても逃走技術に長けているのだろう。僕がドラゴンを輸送する瞬間を狙ったように、ダンブルドアもホグワーツに罠をかけ待っているのだ。ヴォルデモートが実体を取り、すぐさま逃げることのできない瞬間を。正直学校でやらんでくれとは言いたくなるが、校長職にある以上ダンブルドアの膝下はここ、ホグワーツ魔法魔術学校だ。ハグリッドのような人間がペラペラ内情を生徒にしゃべっているのは甚だ問題としか思えないが、彼が戦いの場をここに用意してしまった理由も一応は分かる。

 ハリーポッターシリーズの長さを考えれば、ダンブルドアはここで奴を取り逃すことになるのだろう。けれど少なくとも賢者の石自体を奪われるようなつもりは毛頭ないということだ。

 

 「賢者の石」を核とした物語の結末はうっすら見えてきた。グリフィンドールの三人組が何だかやつれているのを横目に、僕は少し肩の荷を下ろした。

 学年末は刻一刻と近づいている。六月のホグワーツでは試験に向けて準備する学生があちらこちらで額を突き合わせていた。僕もまた、初めての試験に向けて先生方の元に質問に行くことが増えた。

 

 気持ちよく晴れた放課後、いつものように二階の研究室へとマクゴナガル教授を尋ねる。ノックに応じて開いた扉の先、そこには予想もしていなかった人物──アルバス・ダンブルドアがいた。

 初夏の陽光に真っ白な髭を輝かせながら、初めて相対する校長は僕に向かってにっこりと笑いかけた。

 「こんにちは、ミスター・マルフォイ」

 「こんにちは、校長先生」

 内心かなりびっくりしていたのだが、先生に対する礼儀をオートでやってくれる自分の体には感謝した。校長もマクゴナガル教授に用があったのだろうか? 室内を見渡してみても当の本人は見当たらない。

 状況を測りかねている僕を前に、ダンブルドアはいかにも優しげなおじいちゃん、といった体で微笑むばかりだった。

 「僕はマクゴナガル教授に変身術について質問したかったのですが……」

 「そうじゃろうとも。しかし、今は不在にしていらっしゃるようじゃ。代わりにというわけではないが、このおいぼれに少し時間をもらえんかのう」

 なんだろう。やっぱりルシウス・マルフォイの息子は一回締めとくとかそんな感じだろうか?

 実のところ、突然目の前に現れた魔法界最強に僕は恐々としていたが、それでも尋ねたいことがいくつかあったのも事実だった。

 

 「はい。いえ、是非。

 きっと僕も……あなたにお話しすべきことがあるんだと思います」

 

 

 先に切り出したのは校長だった。彼は笑みを少し消し、真剣な雰囲気で口を開く。

 

 「君はこの度、ハグリッドのことで多大なる理不尽と謂れのない扱いに晒されたと思う。まずはそれを謝罪させていただきたい」

 僕の前で校長は深々と頭を下げた。思ってもみなかった角度からの言葉に対応を一瞬見失う。流石にドラゴン事件の存在については知っていただろうが、僕がそれに関わっていることまで聞いていたとは。そしてそれを自身の落ち度だと考えわざわざ対処しに出てくるとは。アルバス・ダンブルドアはこういった校内のいざこざは枝葉末節だと考えていると思っていた。半ば超越的な立場にいるはずの人にいきなり「誠実な学校の先生」のような態度を取られて僕は面食らってしまった。

 

 「……校長先生が直接関係なさったことではありません」

 「しかしわしの責任じゃ。君も分かっているとおり」

 校長は微笑んでいたが、悔悟の態度を崩さなかった。

 けれど、その言葉は僕が──ドラコ・マルフォイが今回の事件を以て校長の責任問題を問う可能性があると看破している、と言外に告げていた。

 

 「今、君は正当な権利と目的を持って、ハグリッドをホグワーツ理事のお父上に告発できる。わしの君への用とはそれじゃ。────お父上に、今回の件を黙っていてもらいたいのじゃ。せめて、今学年の間は」

 ダンブルドアの真摯な姿勢に反して、その提案は誠実さに欠けていた。

 元々、父に告げれば事態が荒れに荒れることは目に見えていたので、僕はもっと当たり障りのない手法を探そうと思っていたのだが────その言葉には不信感を覚えざるを得なかった。

 

 「……時間が経てば今回の事件の証拠は消え、僕の告発は信用してもらえなくなるでしょう。校長先生、子供に正しいことをするなとおっしゃっていることはお気付きですよね?」

 ダンブルドアはしっかりと頷く。そこに誤魔化しや侮りの色はない。

 話している内容とは裏腹に、目の前のただの一年生の子供に対して校長は随分と誠実な……いや、腹を割った態度を見せていた。

 

 「わしは君に理不尽を強いておる。代わりにはならないじゃろうが、学期末を終えればその時、君が望むなら、わしはあらゆる手で以ってハグリッドの愛する愛玩動物たちの不始末を証明するとこの杖に誓おう」

 何故この人はこんなにも僕に協力的なんだろう? 正直意図が見えずかなり恐ろしい。校長の不気味なまでに真摯な姿勢に僕は気圧されていた。

 

 「……ハグリッド氏を雇用し続けるのに納得できる説明があるのであれば、今学期末期までと言わず、いつまででも口をつぐみますよ。でも、今だって彼の扱う魔法生物が生徒を害する可能性はあるのでしょう? 自分の扱っているものの危険性に対し無理解なまま、ハグリッド氏を放置すれば同じことが繰り返されるのではないですか」

 「おお、確かにわしは君の視点からハグリッドを完全に擁護することはできぬかも知れぬ……。わしがハグリッドを見張り致命的なことが起こらないようにしておると、君に誓うことしかできぬ。事実、今までわしの目の届く範囲でハグリッドの友人が生徒を致命的に害したことはない」

 「……過去起こらなかったからといって、未来が約束されるわけではないでしょう」

 ダンブルドアは深く頷く。この人は、僕のあらゆる反論を織り込み済みで話を進めているのだろう。しかも、もともと今回の件の対処に困っていた僕には最初からメリットしかない。もう校長は僕の稚拙で迂遠な計画に代わり、確実にハグリッドの処分に協力すると約束してくれてしまったのだから。

 それでも納得できないことは残っている。そもそも何故ダンブルドアがこのような提案をし出したかだ。

 「……なぜ、今学年なのです?」

 「それは、わしが君にハグリッドのことを黙っていてくれるよう頼むために用意した、教えてあげられることのうちの一つじゃ」

 「一つ?」

 「最初に伝えるべきは────そうじゃな、クィレル先生とスネイプ先生、君がどちらに気をつけるべきかということじゃ」

 いよいよ僕は慄いていた。「物語」のことについてまでは察されていないだろうが、一応は平穏なこのホグワーツで僕が危機意識を持って生活していることがバレてしまっている。この人に内情を暴かれるような機会は一切なかったはずなのに、なぜそこまで読み取ったのだろうか?

 

 ダンブルドアは沈黙に僕の恐れを察知したのか、軽い口調で話を続けた。

 「君はこの一年、ちょっとばかり目を惹く存在じゃった。入学直後から見せる類い稀なる聡明さと、理論武装された反抗心。それに──わしは君をクィディッチ観戦のときに見かけたのじゃが──君は試合に足繁く通うのに、グリフィンドールとハッフルパフの試合の間、あまりにも選手に興味がなかったようじゃの」

 クィレル教授とスネイプ教授を観察していたのを見られていたのか。というか、そうだよな。学校内、つまり主人公のそばで目立つということは、物語に関わる敵味方両方の目に入るところで目立つということなのだ。

 自分の失態に気づき、思わず言葉を失う。そんな僕を優しげに見つめてダンブルドアは話を続けた。

 「スネイプ先生はわしが最も信用する人間の一人じゃ。彼がハリー・ポッターの命を真に害することはない。そう誓おう」

 「……『命を真に』は必要なのですね」

 言葉尻を捉える僕に、校長は少し悲しげに頷いた。

 「そうじゃのう。君の思う通り、彼は自他の心の傷を軽視する傾向にある」

 ダンブルドアをもってしてもスネイプ教授の矯正は叶わないという事実がその口調には現れていた。

 思わずため息が出そうになりながら、僕は話の続きを促す。 

 「それでは、クィレル教授が闇の帝王の配下なのですね?」

 ダンブルドアは僕の表情を具に確認するように目を細めた。

 「君は、クィレル先生がユニコーンの血を飲んだことの意味はわかっているのかね?」

 禁じられた森で遭遇したのはクィレル教授だったのか? てっきり闇の帝王その人だと思っていたのだが……教授の身体を通して復活しようとしているのだろうか。

 新しく入ってきた情報に意識がとられながら、僕は確信を持てないまでもダンブルドアの言葉に一応頷いた。

 「非常に弱っていて、呪われてでも力を取り戻したい。賢者の石を手に入れ、生命の再生を叶えるために────今この時も、血を飲み続けているかも知れない闇の帝王は少しずつでも力を取り戻しているのでは?」

 ダンブルドアは深く首肯する。

 「まさに。そして、わしはそれを待っておる。今、ヴォルデモートは霞のように弱く……それゆえ、掴もうとする手をすり抜けてゆきかねん。奴が十分な実体を持つとき──そのときを待つ必要があるのじゃ」

 「つまり、賢者の石を手に入れるときですか? 生命の水を飲むのなら、ヴォルデモートは体を持っていなければならないはずですから」

 「君はそこまで辿り着いておったのじゃな。……その通りじゃ」

 ダンブルドアは感嘆したように目を閉じた。なんだか居た堪れなくなり、僕はケンタウロスから聞いたので、と小さく呟きを返した。

 

 「でも、だったらやはりハグリッド氏は危険です。ハリーにペラペラと闇の帝王に関わってしまうような情報を────」

 そこまで喋り、ようやく今学年という不可解な期限が今までの話と結びついた。闇の帝王は力をつける。ダンブルドアはそれを待っている。それまで、危険な情報をばら撒くハグリッドを手放すわけにはいかない。闇の帝王が体を取り戻すまでに、その事実を知ってほしい人物がいるから────そういうことだ。

 

 「あなたは、彼の言葉でハリーが真実に近づけるようにした。そうなんですか?」

 

 ダンブルドアはようやくわずかに残っていた微笑みを顔から消し、深く頷いた。その目には優しさの代わりに厳格さが宿っていた。

 それでも理由がわからない。まだ一年生のハリーを千尋の谷に突き落として良いことなどあるだろうか?

 「そんな、一体どうして……危険です。ハリーが闇の帝王と鉢合わせるかも知れないんですよ」

 いや、むしろそれが狙いなのだろう。ダンブルドアは僕の言葉に一切揺らがなかった。

 「彼には守護がある。少なくとも今の霞のようなヴォルデモートがわしの手をすり抜けてハリーに危害を加えることはない」

 その保証には大いに反論したかったが、彼の誓いや言葉が重いのが憎い。普通だったら絶対に信用できないのに、彼の実績を知ってそれを疑うのは難しい。

 

 「彼は安全だから────安全な今だから、闇の帝王と対面しておくべきだとお考えなのですか?」

 「いつか、ハリーはどうしても敵と戦わねばならぬ……。魔法界を知った彼は、それが自らの敵の住む世界だということもまた知らねばならぬのじゃ」

 

 きっとそうなのだろう。彼はそれを乗り越える主人公だったのだろう。僕は多分、この世界の誰よりそれを確信している。僕は物語の全てを聞き、深く息を吐いた。そして、ゆっくり頷いた。

 

 ダンブルドアの瞳が輝いた。

 

 「わしは、君が理解してくれないかも知れぬことも当然予想していた」

 そうなったらどうしてたんだよ。その言葉から考えられる対処法は怖すぎるだろう。まさか本当にハグリッドを叩き出すつもりだったのか?

 それでも、僕は少し微笑みながら返す。

 「僕には知らないことが多すぎて────まだ判断できないんです。だから、今、ハリーが安全ならば、彼の安全を保証して下さっているあなたがそうおっしゃるのなら、今のところはそれに従います」

 この一年、僕はどこで物語が始まったかも分からないまま、大したこともできず日々を過ごしてしまった。半ば諦念ではある。しかし、ダンブルドアに任せるというのは残念ながら選べる限りでは確実性の高い選択肢だった。

 話は終わった。正直感情面では全く得心が行っていない部分が山ほどあるが────とりあえず、今のところはダンブルドアに従う。そう決めた。

 

 ところが、ダンブルドアは僕を見つめ続けた。少しの静寂があり、ようやく彼は口を開く。

 

 「最後に、一つ。君と話す中で、欲を出してしまった老人を許して欲しい」

 だから怖いんだよ。重々しい言い方をやめてほしい。

 「なんでしょう?」

 僕は内心恐々として聞いた。

 

 「君が、ハグリッドをわしの元から去るように仕向けぬようにしたい────そういう欲じゃ」

 話が読めず、無言で続きを促す。ダンブルドアは少し躊躇い、しかし言った。

 「ハグリッドは半巨人じゃ」

 

 再び言葉が途切れ、僕はようやく言葉を絞り出した。

 

 「巨人を───抱き込むためなのですか、次の戦いのために?」

 ダンブルドアは深く頷いた。彼の目には、煌々とした決意が宿っていた。

 

 返事はしなかった。しかし、それでダンブルドアには十分だったようだ。

 

 僕は、ダンブルドアが語るべきことを語り尽くしたことを悟った。席を辞そうとして、しかし聞いておかねばならないことに思い当たった。

 

 「いつから僕が……いえ、何故僕にそこまで語るのです? 僕は……そこまで信頼できる人間ではないと思うのですが」

 

 ダンブルドアの顔にこの部屋に入った時よりも親しげな微笑みが戻った。

 「それはのう、マクゴナガル先生からある話を聞いたからじゃよ」

 これまた予想だにしなかった切り口だった。目を丸くする僕に、ダンブルドアはどこか嬉しそうに頷きを返す。

 「マクゴナガル先生はわしが知る中で最も公正で信頼に足る人物の一人じゃ。今学年の初め、マクゴナガル先生はかつてわしに幾度となく忠告し、しかしもうずいぶん長くおっしゃられていなかったことを再び口に出された」

 心当たりは一つしかなかった。

 「スネイプ教授のことですか?」

 ダンブルドアはにっこりと笑った。

 

 「わしは結局、以前と同じ返事をすることしかできなかった。けれど、マクゴナガル先生はそこで終わらず、違う方法でことの対処に当たり始めたようじゃった。今までになかったことじゃ」

 それを聞いて僕はずっと張り詰めていた────いや諦めていた何かが戻ってきたように感じた。

 

 「じゃあマクゴナガル先生は────ずっと僕の申し上げたことを覚えていてくださっていたのですね」

 「わしという全くもって邪魔な存在があるにも関わらず、彼女は素晴らしい働きをしてくれておる」

 

 「スネイプ先生のことについても、ハグリッドのことについても。本当に責任があり、君たちに謝るべきなのはわしじゃ。わしが君たちに不誠実な仕打ちをしていることは否定できまい。

 じゃが、わしが心底信用に足らぬ人間であっても────マクゴナガル先生はわしとは全く違う人間であることを、覚えておいてほしい」

 

 僕はダンブルドアに深く頭を下げ、扉を開いて研究室の外へと足を踏み出した。

 

 

 



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第十三話 第一巻 完

 ────斯くして、賢者の石は守られた、らしい。

 

 僕がダンブルドアと話してから数日後、そんなニュースが学校を席巻していた。完全に出どころ不明なくせに妙に詳細で、しかし肝心のところをボカしてあるのが恐ろしい。情報元が一人しか思いつかんぞ。

 実はその日の朝、僕はダンブルドアの訪問を受けていた。律儀なことに校長はヴォルデモートを取り逃したこととグリフィンドール三人組の無事を伝えに来たのだ。僕はありがたくそのご報告をいただいたが、朝っぱらから誰もいないと思っていた洗面所にいきなり校長が現れるのは胃に悪すぎるから二度とやらないで欲しい。

 散々ダンブルドアに恐怖心を抱いておいて何だが、あの三人組の汚名が少しでも雪がれているようで僕は心底安堵していた。これでも収支はマイナスだろうが、ドラゴン事件の好感度急落が少しはマシになっただろう。

 

 何はともあれ、平和が戻ってきた。花は咲き、緑萌ゆる清々しい七月だ。しかし、これはせいぜい「第一巻 ハリー・ポッターと賢者の石 完」でしかないのだろう。ひょっとして毎年こんな感じで事件があるのか? 魔法界はおしまいである……と茶化したいところだが、ヴォルデモートがいまだ野放しなのだ。おしまいになりそうな綱渡りが続くのも、仕方がないことなのだろう。

 

 噂が流れ始めてから四日ほど経ち、学年度末パーティーの日がやって来た。

 その日の朝、僕は夏季休暇で返さなければならない本を抱えて図書館に行く途中、ハリー・ポッターに出くわした。……と言うより、彼は僕を見つけた途端一直線に駆け寄って来た。様子を見るに何故か探されていたらしい。なんだか不吉な予感がしつつ、元気よく僕を呼ぶ彼を無視することもできなかった。

 彼は前置きなく言葉を発した。

 「ねえ、休みの間、手紙送ってもいい?」

 唐突すぎる言葉に思わず思考が止まる。

 「えっ、だ、ダメ」

 「なんで?」

 「なんでって……ダンブルドア校長かマクゴナガル教授に何か言われたの?」

 思い当たる節はそこしかないが、全く違うらしい。かなり訝しげな目で見られた。けれど、勝手に話を流してくれたらしく、彼は自分の質問に戻る。

 「親がいるから?」

 返事ができないでいるうちに、彼は言葉を続けた。

 「ハーマイオニーが、君がたまに妙に刺々しくなるのは親御さんに話が回ったらまずいからじゃないかって。だから、魔法界に顔が広いお家のロンには特にキツく当たるんじゃないかって」

 なるほど、その推測のために今までの態度を水に流そうとしているのか。

 どちらかというと将来的に親の首根っこを掴むかも知れない青白ハゲを恐れているのだが……。恐ろしや、グレンジャー。ほとんど当たっている。

 僕が言葉に困っている傍で、ハリーはどこか満足げに首を振った。

 「じゃあもういいよ、手紙は送らない」

 セリフの割に彼はずいぶん嬉しそうだ。彼はこちらの返事も聞かぬまま、そのまま元気よく走って行ってしまった。

 

 急な展開に心臓が縮み上がったせいかどっと疲れた。僕はなんとか本を抱え直し、本来の目的を果たすべく図書館へよろよろと向かった。

 

 

 そうして、ついに学年度末パーティである。

 スリザリンカラーに彩られた大広間で、ダンブルドアが寮対抗杯の点数の状況を話し始める。

 どうしても残りの三寮は不満げで、我が寮は誇らしげだ。僕らの点数のかなりの部分は寮監の贔屓によるものだと思うのだが、それでいいのか? もっと誇り高くあってほしい。

 

 スリザリン寮が勝ち誇った態度でニヤニヤと笑う中、ダンブルドアはそこに制止をかけた。

 「よし、よし、スリザリン。よくやった。しかし、つい最近の出来事も勘定に入れなくてはなるまいて」

 そこからはあっという間だった。彼は、あの三人組がいかに素晴らしく賢者の石を守ったか暗に示しながら、50点、50点、60点とグリフィンドールに加点していった。

 まあある意味正当なのだが……僕は内心複雑だった。彼ら三人は確かに素晴らしい働きをしたのだろうし、ドラゴンの件についてのことがあるからこれでその汚名がようやく晴らせたと言えるのかも知れない。けれど。反動が強すぎてスリザリン生がサンドバッグになっている。彼らへの報酬として、嫌味なやつをぶっとばしてあげるなんて────本当に僕らは敵だと言われているようなものじゃないか。

 思わず俯き手をきつく握った。ダンブルドアはマクゴナガル教授じゃない。彼自身が言った言葉が蘇ってくる。

 

 ついにダンブルドアはネビル・ロングボトムにもオマケのように10点加点した。大広間が耳が痛くなるほどの歓声でいっぱいになる。ただ一つ、スリザリンのテーブルを除いて。喜びの声は悪き敵が正しく打ち倒されたことを謳っていた。

 

 スリザリン生の中には顔色を失っている子供もいた。もう早くパーティが終わってほしい。僕は落胆に顔を伏せながら願うことしかできない。

 

 しかし、ダンブルドアはまだ壇上で話があるようだった。徐々に再び生徒は静まりかえる。

 何が起こるか分からないという静寂の中、ダンブルドアは口を開いた。

 「そして……直近とは言えぬかも知れぬ。この一年、あらゆる手段を講じ、しかし目的のため、その手段を実に聡明に選んだ者がいた。

 ドラコ・マルフォイ。その偉大なる野心と目的への不屈の意志に、スリザリンへ10点を与えたい」

 

 大広間は水を打ったようだった。しかし、僕のすぐ隣で拍手が起こった。クラッブとゴイルだ。そこから波のように音は広がっていく。ザビニは明らかに僕を煽てるように拍手をしているが、笑っていたし、ノットもパンジーもミリセントも笑顔だ。

 他のテーブルからもちらほら音は聞こえた。グリフィンドールでは、ハリーが思いっきり手を叩いているのが見えた。明らかに先ほどより少ない。三つの寮の多くは不満げな顔だ。けれど、確かにどの寮からも拍手はあった。

 「したがって、飾りつけをちょいと変えねばならんのう」

 ダンブルドアが杖を振ると、緑と銀の垂れ幕に赤と金が混ざった。スリザリン生にはあのたぬきじじいに振り回されたことに怒りをあらわにする生徒もいた。失望が拭いきれない生徒だってどの寮にも大勢いた。けれども、先ほどよりもずっと絶望は無かった。僕らはもう排除されるべき敵ではなかった。

 

 「ところで、最後に一つ」

 まだ何かあるのか? 怒涛の展開に、僕はもうへたりこみそうなほど疲れ切っていた。

 「来年度から、得点の形式がちと変わる。その寮に最も加点した先生と、最も減点した先生の点数は半分になるものとして計算する。特別にお行儀が良かったり、悪かったりした場合には校長の権限でこの裁量には含まれないことに留意してもらいたい」

 それだけ告げると校長は自分の席へさっさと戻ってしまった。しばらくみんな何を言われたのか分からない様子だった。囁き合いがひろがっていったが、そのまま食事に移ったため、そこまで騒ぎは大きくならなかった。

 

 僕は恐る恐る前のテーブルを見て────信じられないくらい厳しい顔をしたスネイプ教授と目が合い、あわてて顔を背けたのだった。

 

 

 

 

 一夜明け、期末試験の成績が発表された。正直、僕は自分の立場にあぐらをかいていた。たかが一年生のクラスでトップを譲ることはないだろうと考えていたのだ。実際に僕は総合点では首位だったのだが────それは極めて不名誉な形でだった。

 

 科目ごとだと、魔法薬学、変身術、魔法史、闇の魔術に対する防衛術は僕が1位。薬草学、呪文学、天文学はハーマイオニー・グレンジャーが1位。僕はかなり魔法薬学で加点をもらった────ちょうどグレンジャーの総合点をギリギリ越えられるくらいの加点を。そのため、スリザリン以外の三寮にまたしても後ろ指を差される弱みを持つことになった。それでも実力だと胸を張って言えればよかったのだが……点数を発表された後にすれ違ったスネイプ教授は、こちらを見て今までお目にかかったことがないくらい歪んだ笑みを浮かべていた。僕は泣いた。

 

 「僕は八百長野郎だ……」

 「いい加減にして! スネイプ先生は点数のことでは人を不公平に扱ったりしてくれないって先輩方もおっしゃっていたでしょう! あの子に負けてたらあなた、お父上に申し訳が立たなかったんだから少しは喜びなさい!」

 僕らの中で一番成績が良くなかったパンジーが、ホグワーツ特急へ向かうために玄関ホールへの階段を登っていたところでついに爆発した。彼女だって平均よりはずっと上だったのだからそんなにピリピリしないでほしい。僕は自分がウジウジしていることを棚上げして思った。

 

 クラッブとゴイルは発表された直後こそ僕と同様に衝撃を受けていたが、段々と呆れの気持ちがまさってきたようだった。ぐちぐちと怨嗟の念をこぼす僕をよそに、夏休みのことについてあれやこれやと話すばかりだ。

 

 

 そんな風にだらだらと校門へ向かう中、後ろからよく覚えのある声が聞こえてきた。

 「あいつが贔屓でスネイプから点をもらってなかったら君が一番だったんだぜ────」

 「彼の点数が一番良かったのは変身術なのよ! マクゴナガル先生の公平な採点で私は負けたんだわ」

 もう勘弁してほしい。僕は思わず顔を隠したが、それを見過ごさない子がいた。ハリー・ポッターだ。彼はこちらを見つけるとなんの躊躇いもなく近寄ってきた。

 

 「なんでドラコはこんなに落ち込んでるの?」

 ハリーは僕だけじゃなく他のスリザリン生とも話せばセーフだと考え始めたようだ。そんな訳……あるのか?

 周囲の子供達は一瞬この無神経な英雄を周囲から叩き出そうかと逡巡したようだが、僕をからかう機会の方が魅力的だったらしい。

 

 「こいつは自分が全科目でぶっちぎりの一番だろうとたかを括っていたんだよ」ゴイルはため息混じりに言った。

 「スネイプ先生が総合一位にするために点を盛ったんじゃないかってヘコんでるのよ。馬鹿だわ」パンジーが苛立ちをむき出しにして答える。

 それを聞き、グレンジャーは僕の方に身を乗り出した。

 「ねえ、あなたの答案用紙を見せて頂戴。正答例は百点のものだもの。参考にならなくて……あなたがどんな答えを書いたのか見たいわ────」

 「もう放っておいてくれ!」

 たまりかねて僕は自分の回答用の束をグレンジャーに押し付けた。

 「そう言ってもあいつらに色々してやるからつけあがるんだ」

 その場で僕の答えを検分し始めたグレンジャーを引っ張っていくウィーズリーと、こちらに手を振って去っていくハリーを見ながら、クラッブは不満げに言った。

 

 ようやく少し静かになったところで、再び僕らの集団に近づく人がいた。それは監督生のジェマ・ファーレイだった。

 「マルフォイ、少しいいかしら?」

 疑問形でありながら有無を言わさない口調に、僕は血の気が引く思いがしながら、一年生の集団を離れる。……ついにこの一年好き勝手していた落とし前をつけさせられるのだろうか? しかし、心配に反してファーレイは怒っている様子ではなかった。

 校門へと続く校庭の隅で、彼女は振り返って微笑んだ。

 「お礼を言っておかないとと思って」

 ここ最近僕は予想外のことばかり言われている気がする。

 「……全く、心当たりがないのですが」

 「今年私たちはO.W.L.だったから、進路指導があったんだけど……マクゴナガル先生が魔法法執行部のお知り合いに紹介してくれるっておっしゃったの。あなたが先生に言ってくれたんでしょう?

 私だけじゃないわ。スリザリンの中で、あんまり…………伝がない上級生はマクゴナガル先生にお声がけしてもらったみたいなのよ。先生がそうおっしゃったわけじゃないけど、私はあなたが何かしたんじゃないかって思って」

 まったく、純血一族って本当にすごいものよね、と皮肉っぽいセリフに反して彼女は軽やかに笑った。

 

 「……僕は何もしていないですよ」

 「あら、そう? じゃあ、お礼して損しちゃったわ」

 彼女はそれでも僕をまっすぐ見つめていた。

 

 「……あの、僕の友達に僕は後で追いつくって言っておいてもらえませんか? ちょっと用事ができてしまって」

 彼女にお願いすると、僕は全速力で来た道を戻って廊下を駆け上がった。

 

 二階の研究室の扉をたたき、中からの入室の許可が聞こえるや否やドアを開ける。そこにはいつものようにマクゴナガル教授が書斎机に座っていた。僕を見て彼女は目を丸くしている。

 「どうしました? マルフォイ」

 うまく言葉が出てこない。けれど、なんとか口を動かす。

 「あの……この一年、本当にありがとうございました。僕の非礼をどうかお許しください」

 マクゴナガル教授は僕が見た中で一番優しそうに笑った。

 「お礼も謝罪も結構です。マルフォイ。来年度も、あなたが変身術で最高の成績を残すことを期待しています。さあ、もう行きなさい。ホグワーツ特急に乗り遅れますよ」

 

 

 またしても全力で走った僕はなんとか馬車の出発に間に合い、ゴイルの隣に潜り込んだ。大柄な幼馴染二人に圧迫されながら、それでも僕はこの一年の中で一番幸せな気持ちで帰路についたのだった。

 



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秘密の部屋
第十四話 ノクターン横丁の遭遇


 

 夏の盛りが過ぎ始めた八月中旬、僕はウィルトシャーの屋敷で長期休暇を満喫していた。

 

 ホグワーツだって十分住み心地はいいが、我が家にいることには数限りなくメリットがある。特にありがたいのが屋敷しもべ妖精に色々なことを手伝ってもらえることだ。夏季休暇の間、僕は以前は乳母として、そして今は僕付きの使用人として働いてくれている屋敷しもべ妖精のビンクに勉強面を含めて色々な事で助けてもらっていた。気心の知れた仲である彼女はある意味一番隠し事をせずに済む相手と言えるかも知れない。

 最も初めから僕らはこんな関係だったわけではない。ビンクが僕に仕えてくれるようになった当初、僕は彼女を完璧に持て余していた。

 ビンク本人が問題だったというより、マルフォイ家の屋敷しもべ妖精は皆そうだったのだが────ビンクは常に主人の逆鱗に触れることを恐れ、怯え、そのために主人の息子を全力で甘やかし、叱られないよう先回りして物事に当たっていたのだ。そもそも性根が上流階級じゃない僕にその扱いは過剰の域を優に超えていた。

 

 自制心なくこの屋敷しもべ妖精たちに食事を任せていたら僕の横幅は今の六倍にはなっていただろう。おまけに一挙手一投足を主人の代わりにやってしまおうとする。慣れてしまえば楽なのかも知れないが、他人を自分の手足以上にこき使うのに慣れていない人間からすれば邪魔にしかならない。

 こんな生き物に物心つく前から仕えられていたら、自尊心が肥大してとんでもなく嫌な人間になりそうだ。この環境に完全に倦んだ僕は少しずつビンクの振る舞いを普通の、人間の使用人のようにしようと試みた。

 

 ────勝手に自分に仕置きをするな! 君は僕のものなんだから、勝手に傷つけていい部分などどこにもない!

 

 ────なんで僕に物を教えようとしないの? 君は、自分の主人が知恵を得る機会を逃れさせたい屋敷しもべ妖精なの?

 

 ────僕のしたいこと全て代わりにやろうとするのは、主人の意思を遮るのが楽しいからなの? 君の主人が君のいないとこで何もできなければ良いと思っているの?

 

 ────諌言を避けるのは、主人がどこかよそで恥をかくのを見逃すことだ。君は僕に全てを捧げているはずなのに、自分の意見は捧げないのか?

 

 そんなことをずっと言っていたら、態度はかなり改善された。……その代わり、僕の言うことの五割を右から左へ流す、凄まじくお節介な屋敷しもべ妖精が爆誕した。

 

 「坊ちゃん、やっぱりビンクめは、その髪型はお変えになってみても良いと思うのです! お願いですから、前髪を上げさせていただけませんか? 本を読まれるときにも今よりずっと邪魔にならないと思うのです!」

 「だから、前髪がないと落ち着かないって前も言っただろう。今の髪型だって君が整えてくれたやつじゃないか」

 「ええ勿論ですとも。今だってお似合いになっていますとも! でも、坊ちゃんはずーっと同じ髪型であらせられるのです。少しは変化をつけた方が、旦那様も奥様もお喜びになられます!」

 

 …………とてもやかましい。読書とかしている時はちゃんと静かにしていてくれるからいいのだけど。

 勿論両親、特に父の前でこんな「差し出がましい」態度をとっていたら、このビンクは首を切られてしまってもおかしくない。だから、僕らは防音呪文をかけてもらった僕の部屋でだけこんなやりとりをしている。外では怯えきった屋敷しもべ妖精のままだ。でも、前の卑屈でビクビクしていたときよりずっと、ビンクは活発で有能になった。やっぱり身の安全が約束されていない状況下で十全に能力を発揮できないのは人間も屋敷しもべ妖精も同じなのだろう。

 父専用の屋敷しもべ妖精は虐げられているためか、疲れ切って覇気がなく、少し注意力散漫だった。中でもドビーという妖精は元の気質から合わないのか、父に特に辛く折檻されている。それで周囲の屋敷しもべから憐れまれているかというとそんなこともなく、むしろ遠巻きにすらされていた。

 

 理由はドビーの気質にあるのだろう。主人に「仕えたくない」と思うことのできる屋敷しもべ妖精は殆どいない。たとえその人間がどれだけ悪辣であっても、一度得た主人を手放したいと考えること自体が屋敷しもべ妖精には難しいのだ。その点、ドビーはかなり珍しく父への服従を嫌がる節を見せ、隷従のない自由に価値を見出しているらしい片鱗を見せていた。

 父は自分で気づいているのか知らないが、ドビーのそこを気に入っていた。ドビーが自分に対してほんのわずかに見せる反抗心のこもった目を踏み躙るのが好きなのである。とんだサディストだよ。これで加虐心を満たしているから家族にはかなり甘いのだろうか? それはそれでかなり怖い。

 

 ただでさえ近頃父は苛ついている。このところの魔法界の状況はマルフォイ家にとって追い風とは言えない。母方の家系の生き残りたちが皆ご病気になられ、魔法省では闇の道具関連の抜き打ち調査が盛んになっている。我が家の闇に属すると見做される多くの品が、近々父のコレクションを離れることになるだろう。父は単なる蒐集家で、それを使っているどころか使い方を確認しているところも見たことがないが……持っていて不味いものは不味い。歴史ある品々を手放さなければならないこと自体、父のプライドを大きく損ねていることだろう。

 

 一方、僕についてはおおむね満足されているようで何よりだった。昨年度の成績について、僕がマグル生まれの女の子とかなり競って一位だったというのには少し眉を顰められたが、ダンブルドアなどの依怙贔屓だろうと言うことで得心していた。依怙贔屓は我らがスリザリン寮監の方である。加えて、学期末の加点の件についてもダンブルドアの専制に抗ったと考えているようだ。幸いなことにスネイプ教授からも何か話が行っているような様子はないし、僕は品行方正な理想の息子像を父の中に確立できているようだ。こうも都合よく捉えてくれるのは本当に助かる。……ただ、ある見解の相違は徐々に明らかになっていた。

 

 「坊ちゃんはお忘れ物がないか確認なさっていません! さあ、確認なさってください!」

 「えっ、なんだろう…………。ああ、プレゼントのメモか」

 「その通りです! ご病身のシグナス様とカシオペア様のために坊ちゃんはダイアゴン横丁で贈り物を考えねばなりません! 坊ちゃんはものを忘れないためのメモをお忘れになります! それでは本末転倒でございます!」

 「分かってる……分かってるよ……。じゃあ、行ってきます」

 「行ってらっしゃいませ」

 

 ビンクが腰を折り絨毯に額がつかないぎりぎりのところまでお辞儀するのを後に(以前絨毯に頭をつけるのを止めるよう言った)、僕は付き添い姿現しのため父の部屋へ向かった。

 

 

 

 

 そして、ダイアゴン横丁。と思いきや、ノクターン横丁である。

 父は自分の表に出したくないツテを僕に教え始めることに決めたようだ。ありがたいような、ありがたくないような。実際いざという時にはとても役に立つだろうから、しっかり学ばねばならないところが尚更嫌だ。

 

 まず初めに向かうのはボージン・アンド・バークスという魔法道具専門の古物商だそうだ。ノクターン横丁には初めて来るが、通りには見たこともない怪しげな品を軒先に並べる店が連なっていた。魔法省は僕らみたいに地位があって厄介な人たちの前に、ここをターゲットに闇の品の洗い出しをしたほうがいいような気がするが、どうなんだろうか。実際調査されていたりするのだろうか?

 

 僕らはダイアゴン横丁よりずっと人が少ない通りを進み、一番大きな店に入った。戸についている錆びついたベルがガラガラと鳴り来訪を告げる。埃っぽい店内はいかにも闇の魔術といった品でいっぱいだ。どうして闇の品というのはこう見ただけで不味そうな雰囲気を醸し出しているのだろうか。もっと白とかを基調にしたらごまかしも利きそうなのに。そんなことを思いながら商品を眺めていると、父に欲しいものでもあるのかと尋ねられてしまった。あると言えばここのマグル殺しのネックレスとか買ってくれるんだろうか。絶対に要らないが。

 しかし、そう言いつつも父は僕に何か買い与える気はないようだった。彼はどこか嗜めるような、それでいて喜ばしげなような微笑みを浮かべる。

 

 「競技用の箒を買うのだから、ここでは何も買わん。いいね?」

 ……出たよ、これだ。僕と父の決定的な見解の相違。この夏僕が最も嫌だったのは。なんとか説得できないかと舌に張り付いていた言葉を唱える。

 「父上……僕は本当に、クィディッチに向いていないのです。勉学だって、ただでさえ今も僅差の学年一位なのですから、自習時間が取れなくなれば……ご期待の結果を残せないかも知れません」

 「何を言う。お前は優秀だ、ドラコ。魔法の家系でも何でもない小娘に、お前が敗れることなどない。たとえクィディッチ選手になろうとも」

 糠に釘である。僕の才能を過大評価しているところが本当に手に負えない。この休暇の間、僕は幾度となく箒は要らないしクィディッチもやらないと遠回しに告げてきたが、それで父の意見がわずかにも変わることはなかった。父は息子の謙虚さに酔いしれ僕を励ますばかりだ。一片の悪意なく愛情ゆえだからこそ、より扱いにくい。

 

 僕の必死の、しかしささやかな抵抗をよそに店の奥から店主のボージン氏が現れた。話は打ち切られ、大人同士でのやり取りが始まってしまう。もう説得は諦めるしかないのだろうか。

 

 やはり父は蒐集品をいくらか手放すようだった。抜き打ち調査で正体がバレてしまう程度の品ではあるが、それでも忌々しげだ。長年の天敵らしいアーサー・ウィーズリー氏へのこき下ろしが挟まりながら商談はつつがなく進んでいく。その間、話に交ざれない僕は手持ち無沙汰になってしまった。横で聞いているのも悪くはないが、知見を広めるちょうどいい機会だ。適当に店内を見て回って時間を潰すことにした。

 

 魔法への関心は必要に駆られてという面もあるが……どんな魔法がかけられているのか、知らないものを見て検分するのは楽しいものだ。特にこんな初めて見るような物ばかりであれば尚更。

 

 少し掃除の足りていない店内をゆっくりと歩く。絞首刑用の長いロープの束、豪華なオパールのネックレス────この大きな黒いキャビネット棚は何と二つの場所を繋ぐらしい。

 ええ、すごい。常設ポートキーみたいなものってことか? 魔法界の瞬間移動魔法とは思ったよりずっと制約が多いのだ。こう言う汎用的な道具は珍しい────でも対になるもう一個がなければどうしようもないんじゃないか? 

 そんなことを考えながら、何気なく扉の隙間を覗き込む。予想だにしなかったことに────何か、中にいた「もの」とバッチリ目が合った。思わず叫び声をあげそうになるが、何とか堪える。この特徴的な緑の目は────間違いない────何故ここにいるハリー・ポッター!

 慌てて父とバークス氏の方を振り返る。幸運なことに、彼らは話し込んでいて飛び上がった僕には気づいていないようだった。正直見なかったことにしたいが、こんな怪しい場所に主人公を置いておくわけにはいかない。できる限りさりげなく杖を抜き、声を潜めて中にいるハリーに目眩し呪文をかけた。この呪文独特の感触に息を呑む声が聞こえてきたが、こちとら余裕がない。ちょっとひやっとするくらい我慢してくれ。できるだけさりげなく戸棚を開け、静かにするよう囁いてハリー・ポッターを引っ張り出した。

 はっきり言って、僕の急場凌ぎの目眩し呪文は大変お粗末だった。色は何とか周囲に溶け込んでいるが、ハリーの形に沿って光がゆらゆらと曲がっている。幸いなことにボージン・アンド・バークスは薄暗かったし、大人二人は商談に集中しているが、一刻も早くこの場から離れなければすぐに見つかってしまうだろう。

 もうさっさと店から出るしかない。僕は父に親族への見舞いの品を見てくると早口で告げ、彼らがこちらを振り返る前にハリーを引っ掴んでノクターン横丁に飛び出した。

 

 僕の未熟な目眩し呪文は、通りを少し走ってすぐに切れてしまった。

 呪文が解けて姿が露わになったハリーは、最初にマダム・マルキンの洋裁店で出会った時よりもずっとまともな服を着ていて、けれど最初に出会った時よりずっと薄汚れている。しかし、どれだけ見窄らしくあろうとも「生き残った男の子」がこんなところにいたら、あっという間に騒ぎになってしまう。慌てて彼を通りの人から見えない樽の後ろに引っ張り込んだ。

 とりあえず何とかなったようだ。一息ついて、ようやく僕はハリーに向き直った。

 「君、何してるの? こんなところで。一人じゃ危ないだろう!」

 僕の小言にハリーは少し眉を顰める。確かに少し横柄な言い方だったかも知れないが……なんだ? 反抗期か?

 「君だって今お父さんから離れたじゃないか」

 「だから後でめちゃくちゃ怒られるよ……まったく」

 「理由も知らないのに、怒らないでよ」

 確かに、このハリーの煤と埃に汚れ、眼鏡のレンズにヒビが入っている、かなりひどい有様はなぜこうなったのか気になった。

 「じゃあ、どうしてあんなことになったのか説明してよ」と尋ねつつ、スコージファイとテルジオで少しでも身なりを整えていく。

 「ウワッ、何これ────煙突飛行っていうのを使ったんだけど、ダイアゴン横丁に行けなかったんだよ」

 「煙突飛行? マグルの保護者のところからは来なかったの?」

 「この夏の後半はロンのところに泊まったんだ────ちょっと、髪の毛まで撫で付けないでよ!」

 なるほど、初めて煙突飛行を行ったものの、使い方のコツが今ひとつ掴めず、降りれないままダイアゴン横丁の暖炉から何個か先に着いてしまったと。それは確かにハリーは悪くないかも知れない。この子は結構規則破りの常習犯なので、好奇心でここに来たんじゃないかと疑っていたのを内心反省した。

 

 「ねえ、君、なんで学校外で魔法を平気で使ってるの?」

 今度はハリーの方から質問された。1ヶ月以上ぶりのやり取りだ。

 「大人の魔法使いが近くにいて監督していることになっていれば、実は結構許されるんだよ。とくに両親とも古い家系の魔法使いだとね」

 「ええ、そんなの不公平だ」

 「そうだよ、魔法界というところは不公平なんだ。さぁ、身支度できたよ」

 ある程度マシな外見になったハリーに僕のマントを着せてフードを目深に被せ、大通りに出た。流石に有名人の顔を晒した状態でこんなところを連れ歩きたくない。

 

 「さあ、ウィーズリー家の方々はさぞご心配なさってるだろう。早く合流しないと」

 「でも、僕みんながダイアゴン横丁のどこに行ったか知らないよ」

 「だったらダイアゴン横丁まで連れて行く────必要もないな。ほら、素晴らしく目立つ目印があるぞ。あの人についていけばいい」

 ノクターン横丁の路地に、普通の人間の二倍ぐらいの背をした巨漢が見える。あれは間違いなくホグワーツの森番のハグリッドだ。昨年度、僕は彼と因縁を作ってしまったのであまり出くわしたくない相手だが、この場ではとてもありがたい。ハリーは一緒に来ないの?なんて言っているが、行くわけないだろ。ドラゴンのことを忘れたのか。

 

 それでも二の足を踏んでいるハリーの背を、ハグリッドの方へ軽く押す。

 「ほら、行っておいで。後で僕らもダイアゴン横丁に行くから、また会えるかも知れないし」

 

 彼は一瞬逡巡して、しかしハグリッドへついて行くことを決めたようだ。

 「じゃあ、後でね。ドラコ!」

 元気に手を振って、駆け出していく。

 

 相変わらず目に眩しい主人公であった。

 



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第十五話 乱闘

 

 ハリーと別れたあと、僕はアリバイ作りのためにダイアゴン横丁の雑貨店で見舞い品を見繕わなければならなかった。そういえば、父との待ち合わせ場所を決めていない。どうやって合流しようかと考えながら、とりあえずもともと行く予定だったフローリッツ・アンド・ブロッツ書店に向かう。その道の途中、幸いにも父の方から僕を見つけてくれた。

 案の定危ない真似はしないようにとお叱りをいただいてしまったが……けれど、よっぽどの危険性がない限り、父は僕の規則破りに寛容だ。そもそも僕が理のない行動はあまりしないというのもあるし、彼もまたスリザリンの流儀を受け継ぐ人間なのである。ルールとは自らに都合よく使うものなのだ。

 

 残念ながら、そのまま行き先はクィディッチ用具店に変更されてしまった。道すがら儚い抵抗を試みるもかなわず、僕は父がニンバス2001を──なぜか一本だけでなく一チーム分を──買うのを、為すすべなく見つめるしかなかった。

 ただ、余りにも僕が落胆を隠さなかったために父は大いに心配したようだ。何かスリザリンのクィディッチチームに心配事でもあるのか? と気遣わしげだ。どちらかと言うとクィディッチそのものが心配事なのだが、魔法使いに球技のゲームバランスと安全管理を説いても無駄である。適当に誤魔化し、僕らは本来の行き先へと足を向けた。

 

 フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店は多くの人でごった返していた。といっても、ただの新学期直前の混み合いというわけではなさそうだ。詰めかけている人のほとんどは老若の魔女たちだ。理由は探さずともすぐにわかった。吹き抜けにかかった「ギルデロイ・ロックハートのサイン会」と書いてあるケバケバしい横断幕は、店内を少し歩けばすぐに目に入ってきた。

 

 ギルデロイ・ロックハート氏の名前は聞き覚えがある。まだ二十代という若年の魔法使いながら数多くの冒険をこなし、しかもそれを読む人を惹きつける書物にしていたアイドル的著名人……のはずだ。

 活躍の割には研究の分野に出てこない人だし、僕はほとんど小説や随筆の類を読まないから正直彼の人となりは詳しく知らない。今年の「闇の魔術に対する防衛術」の教科書が何故かロックハート氏の著書で満載だったため流し読みはしたが、読みやすそうな冒険譚といった感じで、子どもたちの呪文の練習に役に立つかはかなり疑わしかった。その時点で今回の担当教諭の資質には不安を抱いていたが……まさか本人がハリー・ポッターと同じ日に同じ場所にいるとは。これは起こるべくして起こった偶然なのではないだろうか。

 

 書店の奥からはフラッシュを焚く音や、女性たちの嬌声、その中に途切れ途切れにロックハート氏の演説が聞こえてくる。このような有様ではゆっくり本を見繕うことはできないだろう。かき消されないよう、隣の父に少し大きな声で呼びかける。

 「父上、他のところを先に回りましょうか? こう人が多くては教科書を見るのも難しいでしょう」

 しかし、父は片方の唇の端を吊り上げ、何やら思案げに……言葉を選ばなければ、意地悪そうに笑った。

 「いや……、まあ少し待てドラコ」

 父は絶対こういう大衆的なイベントは好きじゃないだろうに、一体何を目論んでいるのだろう? ロックハート氏のことを社交場で話の種にでもするつもりなのだろうか。それにしたって、この催しは何だか品がないような気がするが……。

 仕方なく父に倣って、近場に陳列してある本に軽く目を通す。そのまま人が捌けるまで時間を潰そうとしたが、奥から大きく聞こえてきたロックハート氏の台詞には流石に注意せざるを得なかった。

 「────みなさん、ここに、大いなる喜びと、誇りを持って発表いたします。この九月から、私はホグワーツ魔法魔術学校にて、『闇の魔術に対する防衛術』の担当教授職をお引き受けすることになりました!────」

 

 ──そうか。やはり、彼が今年は「そう」なのか。

 ホグワーツの「闇の魔術に対する防衛術」教諭職は、着任すれば一年しか持たない職であると陰で悪名高い。前年度のクィリナス・クィレル教授は、ダンブルドアの手をすり抜けた闇の帝王に代わり取り残され、非業の死を遂げたらしい。なんとも恐ろしい末路だ。流石に二年連続「あの人」の配下というのは芸がない気がするが、ロックハート氏もまた碌な学期末の終え方をしない確率が高いだろう。

 その終え方に次の事件が関わっている可能性は大いにあるんじゃないだろうか。何にせよ、今年度の物語の流れを掴むためにも、彼は注意して見ておく必要がある。

 

 そんなことを考えていると、サイン会が終わって少しずつ人が奥から流れてきた。その中には何やらげっそりしたハリーを見つけた。妙に疲れた有様で、抱えていた本をそばにいた赤毛の女の子(多分、いや絶対にウィーズリー家だ)に力なく渡している。そこでこちらに気づいたようで、さっきノクターン横丁で会ったときよりもはるかに弱々しく手を振ってきた。

 あまり主人公を(元死喰い人)に近づけたくないのだが、この状況では仕方ない。今のところ父はハリーと仲良くすることを勧めているし、出会ってもすぐに何らかの問題に発展することはないだろう。そう考えながらも、できるだけ父の視線から遮るようにハリーの前へ立った。

 

 「どうしたの? 随分へろへろになってるけど」

 「ロックハートって人に捕まって、無理矢理ツーショットを撮られたんだ。人前にいきなり引っ張り出されるし……最悪だよ」

 「へぇ、君と一緒に写真を撮りたがるなんて……虚栄心が強いタイプなのかな」

 「絶対そうだ。あいつが今年から僕らの『闇の魔術に対する防衛術』になるなんて、絶対ろくなことにならないよ」

 「まあ、適当に顔と恩を売っておくぐらいの気持ちでいいんじゃないか? 広く人に知られてる人間ってだけでそれなりに利用価値があるかもしれないし」

 「そういうもの?……煤だらけの顔の写真じゃないことだけが救いだよ」

 

 何気ない会話をしていると、ハリーの隣の女の子の気遣わしげな視線が刺さる。僕が「マルフォイ」だということはバレてしまっているのだろうか? 声をかけるべきか迷っていたところ、人混みの中からロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーが現れた。二人とも人混みに揉まれて少しくたびれているが、特にグレンジャーの顔は元気そうに紅潮している。適当に挨拶をすると、ウィーズリーは一瞬どうすればいいか考えていたようだが、会釈と首を傾げる中間ぐらいの頭の動かし方をした。グレンジャーはこちらに気付くとまっすぐ近寄ってくる。

 「こんにちは! ねえ、さっき貴方ハリーを助けてくれたんですって? その時に魔法を使ったって聞いたんだけど」

 「合法だ!」

 去年の飛行術の授業が思い出される。責められるのかと思い、素早く弁護を図るがどうやらその意図はなかったらしい。彼女は首をすくめて話を続けた。

 「そうみたいね。だからそのことじゃなくて、透明になる呪文って────」

 しかし、グレンジャーが話を仕切る前に、奥からやってきた男性がこちらに向かって声をかけた。

 「ロン! 何してるんだ? ここはひどいもんだ。早く外に出よう」

 タイミングの悪いことに、その燃えるような赤毛の男性は紛れもなくアーサー・ウィーズリー氏だった。僕の後ろからこちらに近づいてきた父とちょうど出くわす形になる。二人の父親はお互いの姿を認めると、方や顔をこわばらせ、方や蔑んだような微笑みを浮かべた。父は抜き打ち調査の鬱憤を裡に冷酷そうな声で語り出す。

 

 「これは、これは、これは──アーサー・ウィーズリー」

 少し聞いただけでわかる。この態度は相手を煽り倒す構えだ。どうやら父はこの場でウィーズリー氏と舌戦を繰り広げるつもりらしい。やめてくれ。子どもの前なんだから……。

 案の定、父はそばにいた赤毛の女の子の古本を手に取り、魔法省にお勤めのウィーズリー氏の経済状況を貶し始めた。元は温和そうなウィーズリー氏の顔がみるみる硬くなっていく。

 早く終わってくれと願っていると、ふと父の視線が動く。その先には一組の夫妻がいた。格好と、髪や顔立ちから察するにマグルの──グレンジャー夫妻だろう。純血主義者にしたら格好の標的だ。これは酷いことになる。僕はもう店の外に出たかった。

 「ウィーズリー、こんな連中とつき合ってるようでは……君の家族はもう落ちるところまで落ちたと思っていたんですがね──」

 

 しかし父の愚行は、それを上回る蛮行によって中断された。マグルに対する侮蔑についに耐えかねたウィーズリー氏が、猛然と飛びかかったのだ。父の背が本棚に叩きつけられ、周囲から悲鳴が上がる。とんでもないことになってきてしまった。時すでに遅いが少しでも事態を収束させなければならない。

 「止まって──落ち着いてください、ウィーズリーさん!」

 二人の方へ駆け寄りウィーズリー氏の肩に手をかけるが、掴み合った二人はそれどころではなかったらしい。普通に弾き飛ばされ、本棚に強かにぶつかった。十二歳の身体未熟な子供は非力である。上から落ちてきた呪文集に頭を打たれながら、自信がなくても魔法を使うべきだったな……など現実逃避気味の思考を飛ばした。

 「おい、大丈夫かよ?」

 流石に事態の衝撃でいつもの態度を忘れたのか、ロン・ウィーズリーが僕を助け起こしてくれた。少しふらつきながらも礼を言って立ち上がる。再度二人を止めようとして見ると、ちょうど店にどうやって入ったのかわからないレベルの巨漢が僕らの父親を引き離しているところだった。

 

 ウィーズリー氏の唇は切れてしまっているし、父の顔には青痣ができている。殴り合いましたと言わんばかりの外見に、帰ったら母上が何とおっしゃるか考えるだけでも頭痛がした。

 僕はこの十年ちょっとで初めて大人のつかみ合いを見たのだが……これが魔法界のスタンダードな訳ないよな? いつもなら父は表面は上品なのに、ウィーズリー氏に対しては完全に仮面が剥がれている。先に手を出したのはあちらの方とはいえ、外聞が非常によろしくないだろうに。

 父はまだ掴んでいた本を捨て台詞と共に赤毛の女の子に返し、僕を連れて素早く店を後にした。

────────────

 

 騒然としていた店内は、マルフォイ氏とドラコがいなくなったことで少しずつ元の落ち着きを取り戻していた。ロンのおじさんのローブを直しながらハグリッドは唸る。

 「アーサー、あいつのことはほっとかんかい。骨の髄まで腐っとる。家族全員がそうだ」

 それを聞いてハーマイオニーは目を釣り上げた。

 「ねぇ、ハグリッド! さっきドラコはハリーを助けてくれたのよ! そろそろ、いろんな観点から彼を見ていい頃じゃない? ノーバートだって処分されていたわけじゃなかったんだもの」

 ハーマイオニーは腕を組んでハグリッドに言った。

 

 ハグリッドはドラゴン事件の後、ドラコに対して怒りと嫌悪を隠そうとしなかった。禁じられた森の罰則後、ドラコが僕を守ってくれたと聞いても、その態度はほとんど変わらなかった。ノーバートを亡った怒りと悲しみはハグリッドにとってそれほどまでに大きかったらしい。

 けれど僕が「隠れ穴」にいる間に、ロンのお兄さんのチャーリーから手紙が来たことで、事実が明らかになった。結局、ダンブルドアはノーバートを殺さずにチャーリーの元へ送ったというのだ。

 ホグワーツ城に来たチャーリーの友人は厳しいお叱りを受けたそうだが厳罰はなく、いまはノーバートはノーベルタという名前で(そう、あのドラゴンはメスだったんだ!)スクスク育っているらしい。

 

 さっき僕らに会ってからそれを聞いたハグリッドは、ドラコのことをどう考えていいかよくわからなくなったようだ。結局、当初の予定通りノーバートはルーマニアに行けたし、僕らも、紆余曲折あって最終的には罰則以上のものを得た。

 終わり方だけ見ればかなり上々だと思うんだけど、一度ついた印象はなかなか落ちないみたいだ。やっぱりハグリッドはルシウス・マルフォイとドラコを重ねて見ているようだった。

 

 思わずため息をついていると、横にロンが近づいてきて、こっそりと耳打ちをしてきた。

 「まあ……ハグリッドももう現実を見ていい頃だよな? 実際、ドラゴンを小屋で飼うなんてどうかしてるんだし」

 僕は驚いてロンを見る。ロンは僕ら三人の中で一番ドラコのことを嫌っていた。僕も、初めて二人が会った汽車でのことを思えば仕方ないように思っていたんだけど……知らない間に心境の変化があったらしい。ハグリッドが頑なだから、逆にロンは冷静になったのかもしれない。

 

 ロンとドラコの仲が良くなれば、新学期は前よりもずっと過ごしやすくなりそうだ。夏休み中にダーズリー家に襲来した屋敷しもべ妖精のドビーのことは気になるけれど……。

 僕はさらに強く、ホグワーツに帰りたくなっていた。

 

 

 



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第十六話 ターコイズ色の新学期

 

 

 フローリッツ・アンド・ブロッツ書店での乱闘から十日ほど経った九月一日。僕はスリザリンの仲間たちでぎゅうぎゅうのコンパートメントで、今年起こるだろう事件について考えを巡らせていた。

 

 ハリーはまだ音割れBBの元ネタ動画で見た姿より遥かに幼く、例の青白ハゲ……もとい闇の帝王と相対する日はまだ近くないのかもしれない。けれども、予想できないことは余りにも多い。そもそもあれが初対戦なのか、闇の帝王がいつ復活するのかも分からない。あの場面を切り抜ける力がハリーには備わっていると信じたいが、僕という異物が存在している以上、物語の筋書きを過信するのも禁物だ。

 結局のところ、五里霧中の状況下では警戒し続けるしかないのだ。現実の闇の帝王の動向に注意を払い、強大な力に対処すべく知識と経験を蓄える。今年何が待っているかも分からない今の僕にできることなんて、せいぜいそのくらいだろう。

 

 もっとも、がむしゃらに自分の能力を伸ばす以外にも考えられることはある。僕だけが持っている「知識」にもとづけば、「数巻の小説」という枠組みからわずかにでも流れを予想できる。これから起こるであろう何らかの事件が再び学年度末に収束すれば、去年の件と合わせて一学年一巻の仮説にかなり信憑性が出てくるだろう。

 もちろん推測に頼りきることはできないが……物語のクライマックスという一番主人公が危険に晒される可能性の高い時期を推測できるのはありがたい。それ以外の危険度の見積もりを誤らなければ、去年の禁じられた森の二の舞はある程度避けられるだろう。

 

 ……そんな呑気なことを考えていた僕に冷や水を浴びせたのは、僕らのコンパートメントにやってきたグレンジャーが告げた言葉だった。なんと、ホグワーツ特急の中にウィーズリーとハリーが見当たらないと言うのである。早い。早すぎる。まだ今学期も始まっていないのに。

 

 思わず血の気が引くが、まだ単に逸れただけという希望を捨てたくない。探す必要ある? と不満げなパンジーに謝りながらも僕らのコンパートメント内の皆で特急全部を見回った。結論として……見つからなかった。

 

 状況が理解できずコンパーメントの隅で黙り込む僕をよそに、他の子供たちはおしゃべりを続けている。

 「ウィーズリーはそそっかしいところがあるから、乗り込む前に忘れ物にでも気づいたんじゃないか? あの二人はいつもべったりだし、ポッターはそれに付き合ったんだろう」

 ゴイルは妙に彼らを心配している僕を気遣っているのだろう。普通の子が車内にいないのだったら十中八九その予想で正しいが、ことハリー・ポッターに限ればこの異変が平穏な日常の一幕で終わるとは考えづらい。

 「でも、乗り遅れただけだったら大したことにはならないだろうな。あいつらの家族が姿現しも使えないんだったら別だが、ホグズミードまではそれで来れるんだから」

 「姿現しが使えなくたって問題ないわ。キングズ・クロスから40分も歩けば『漏れ鍋』よ。そこでホグズミードまで煙突飛行で行けるわ」

 確かにそうなんだが……いや、そうか。ついこの間までフルー・パウダーを見たこともなかった様子のハリーならともかく、純魔法使いのロン・ウィーズリーも一緒なら、いくらでも他の方法は考えられるか。

 ……それでもなお学校にいなかった場合、僕は物語の舞台は元から校外だったのだと願うしかなくなる。

 「あいつらだけ先について、バカみたいに玄関ホール突っ立ってる様子が目に浮かぶな。全校生徒の前で遅刻しましたって張り出されるようなものだ」

 「新学期が始まってたら絶対減点なのに!」

 「まあ、そうでなくともマクゴナガル教授は遅刻についてはきついお叱りをするだろうから……」

 力なくつぶやく僕をよそに、ハリーたちが現れることはないままホグワーツ特急はホグズミード駅に到着した。

 

 結局、僕の心配はほとんど杞憂に終わった。ホグワーツに着いた僕らの耳に入ってきたのは、空飛ぶ車が校庭に墜落したという目撃情報と、それに乗っていたロン・ウィーズリーとハリー・ポッターが退校処分になったと言う噂だった。

 ……いや、彼らは何をやっているんだ? 一体どんな経緯があれば移動手段の中で隠密性も速度も最悪の類のものを選べるんだ? というか、十二歳の子供が車でロンドンからここ(ハイランド地方)に来たのか? ツッコミどころが多すぎて思わず思考が止まる。

 周囲も想像だにしなかったニュースに色めき立っている。ダンブルドアのお気に入りの少年たちが退校になるとは僕らの中の誰も思っていなかったが、事態は余りにもセンセーショナルだ。

 それにしても、信じられないほど考えなしの行為だ。誰も予想し得なかった展開にスリザリン新二年生の中で、ハーマイオニー・グレンジャーがそばにいない間、彼らは文字通り頭脳を失っているという結論に至ったのだった。

 

 

 僕が彼らを実際にこの目で見たのは翌日の朝の大広間だった。彼らは明らかに表情の固いグレンジャーと一緒に並んで朝食を食べていた。何やら細かい傷があるのが気になるが、ひとまず元気そうで何よりだ。性格がお世辞にも良いとは言えない僕の同級生たちは、早速グリフィンドールのテーブルにちょっかいを出しに行った。

 

 パンジーは今学年一になるんじゃないかと言うくらいウキウキしながら三人組に声をかけた。

 「ねえ、聞きたいんだけど、卵が先なの? 鶏が先なの? つまり……あんたたちは自分の頭がカラッポだって知ってたからグレンジャーにくっついてたの? それとも、グレンジャーにくっついてたから考えるのをやめちゃって、それで頭がカラッポになっちゃったの?」

 ウィーズリーはサッと顔を赤らめ怒りを露わにしたが、意外なことにハリーはかなり恥ずかしそうな様子だ。グレンジャーは言われても当たり前だと言わんばかりに二人を無視している。

 「パンジー、こいつらが学期に入る前だから減点されなくてがっかりしてたのはどこいったんだよ」

 ゴイルが知ってか知らずか水を差した。

 ウィーズリーは少し得意げな様子を見せたが、ハリーはさらに縮こまっていた。

 「ああ……、もし学期に入ってたら間違いなくお前らがダンブルドアの『裁量に含まれない』映えある第一例になっていただろうに……。残念だ」

 クラッブは冷ややかに言い放った。あの制度のターゲットはスリザリン……というかスネイプ教授だし、嫌味の一つも言いたかったのだろう。

 もっぱらのグリフィンドール生は今回の出来事を讃えるものだと思っているようで、二人に絡む僕らに対してよろしくない感情の視線が刺さってきている。そろそろ衆目が集まりすぎてきたので、僕は未だ皮肉を飛ばす子供たちを回収してスリザリンのテーブルに移った。

 

 さっさと朝食を食べたパンジーはまたグリフィンドールのところに出張って行こうとしていたが、直後にウィーズリーの手元で爆発した『吠えメール』がその機会を奪った。大音声で我が子を叱責するその手紙を遮って何か話せる人間はいないだろう。尤もその手紙の内容が内容だったので、パンジーは更なる皮肉の餌を与えられてしまった。

 

 正直空飛ぶ車を選んだ時点で庇える余地はほとんどないのだが……ハリーが少し心配になった。彼もなんだかんだグリフィンドールだから英雄譚の一つとして済ませるのだろうと思いきや、友人の母からの「吠えメール」は存分に羞恥心と罪悪感を運んできたらしい。

 

 一つ幸いな事に、昼に大広間で見かけたときにはグレンジャーはもう二人は十分罰を受けたと考えたらしく、いつものように親しげに話していた。ただ、彼女が午前中の変身術で作ったであろうコートボタンを見せびらかしているのは、今の二人の神経を逆撫でしているようだ。

 

 昼食を終えた三人が中庭に出ていくのが見える。流石にそろそろ何があったのか気になるので、仲間たちに一声かけて僕は彼らの後を追い、声をかけた。

 「やあ、朝は大賑わいだったね」

 「君のお仲間も原因のうちの一つだろ。パンジーの手綱をもっとしっかり握っておけよ!」

 ウィーズリーは顰めっ面だったが、去年とは何か違う態度だ。完全に無視するか、話を打ち切るように返されていた前よりはずっといい。

 「僕が言ったところで二人は絶対やめないよ。あの子たちはどれだけ痛烈な皮肉が言えるかの世界大会があったら間違いなく参加しようとするタイプだから。……ハリー? どうかした?」

 

 さっきは少し元気が出ていたように見えたのに、ハリーはまた葬式に参列しているような雰囲気を放っていた。

 「あの……本当にちゃんと考えてなかったんだ。 マグルの前で魔法を使っちゃいけないって知ってたんだけど、焦ってフクロウのこととかも思い出せなくって……」

 俯いたまま言い訳じみた言葉がポロポロと出てくる。何だかすごく深刻そうだ。まあ、実際にやらかしたことはかなり重大なんだが……ここまで自分のやったことを反省している彼を初めて見た。

 なんと声をかけたらいいか分からずにいると、ハリーが少し顔を上げる。

 「怒ってないの?」

 「いや、君たちが何をしたか知ったときは呆れの感情が強かったかな……。まあ、かなり心配したとは言っておくよ」

 「僕、君にすごく叱られるだろうと思ってた」

 どうやら彼の中で、僕は随分と厳しい委員長タイプになっていたらしい。僕は少し苦笑いを漏らして首を振った。

 「流石にここまでしょげきってる相手に追撃を喰らわせたいとは思わないよ。で、何であんなことしたの?」

 ハリーはようやく少し表情に明るさを取り戻して、キングズ・クロスについてからの経緯を話してくれた。

 

 「9と3/4番線に行けなかった? 何でだろう。キングズ・クロスにかけられている呪文はマグルに怪しまれないために結構厳重で、複雑なんだ。学校の生徒とかが悪戯なんかの軽い気持ちで締め出したりはできないはずだけど……」

 そう三人で話していると(グレンジャーは『バンパイアとバッチリ船旅』をすごく丁寧に読んでいた。そんなに得るものがあるだろうか?)、ハリーが何かに気付いたようにふと顔を上げた。彼の視線の先を追うと、薄茶色の髪をした小さな少年が、カメラをしっかりにぎってこちらを見つめていた。その子はハリーを見てパッと顔を赤くする。

 「ハリー、元気? 僕──僕、コリン・クリービーと言います」

 少年はおずおずと一歩近づいて、一息にそう言った。ハリーの脇にいる僕とウィーズリーのことは完全に視界に入っていない様子だ。

 彼はそのまま、熱っぽく早口で話し始めた。どうやらハリー・ポッターの熱烈なファンらしい。ハリーに、並んで写真を撮ってそこにサインをして欲しいと頼み始めた。ハリーはどう見ても嫌そうな感じで、けれど一年生を無下にするのにも躊躇われるようで対応に四苦八苦している。

 

 そろそろ理由をつけて図書館の方にでも連れて行こうかなと思っていると、今度は校舎から中南米の蛾のような人が出てくるのが見えた。目に鮮やかなローブを纏ったロックハート教授だ。……嫌な予感がする。

 教授もまた、ハリーを見つけると大股でこちらに近寄ってきた。そのままクリービー少年の意図を悟った彼はハリーの肩をガッシリ掴み、写真を撮らせようとし始めた。随分と強引なやり方だが、フローリッツ・アンド・ブロッツでもこんな真似をしたんだろうか? ハリーはいよいよ屈辱感を顔から隠さなくなっている。

 

 流石に可哀想になり、助け舟を出すことに決めた。僕は近くの草を毟って蛍光色の芋虫に変え(変身術を磨くのはホグワーツでの最大の趣味だ)、ハリーの肩を鷲掴みにしているロックハート教授の肩に擦りつけた。こちらに振り向こうとする彼に驚いたような口調を作って声をかける。

 「教授、毒虫が肩についていらっしゃいますよ」

 ロックハート教授は自分の肩の毒々しい芋虫を見てハリーから弾かれたように飛び退いた。彼がターコイズの派手なローブをバタバタと払っていると、次の授業の予鈴が鳴る。僕ら三人は、まだロックハートのそばにいるグレンジャーを残し、校舎への階段を全速力で駆け上がった。

 

 角を曲がり、中庭が見えなくなったところでようやく足を止める。

 「グレンジャーを、置いてきてよかったの?」

 「ハーマイオニーはあいつにぞっこんなんだ……。彼女、時間割のロックハートの授業を全部ハートで囲ってるんだぜ!」

 息を切らしながら問うと、ウィーズリーは憤慨をあらわにして答えた。

 「さっきはありがとう……でも、僕この後もロックハートの授業なんだ。最悪だよ」

 ハリーは再び肩を落とした。

 向かう教室が違うので、廊下で二人とは別れることになった。先ほどから悟っていたことではあるが、既にハリーとウィーズリーのロックハートへの好感度は下限に達しているらしい。

 

 その更に下があることを、僕はまだ知らなかった。

 

 

 



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第十七話 詐欺師・生贄・俳優

 

 

 ロックハートはハリーにとって悪夢のような教師であり、そして僕にとっても許し難い教授だった。

 

 初回の授業で解かねばならない小テスト──彼の経歴や好みなど、魔術の習得に全く関係ないクイズ集──を見たときは唖然とした。生徒に慣れてもらうための施策かとも思ったが……どうやら違うらしい。彼が薄っぺらい笑みを浮かべテストの束にケチをつけ始めたとき、僕はそのまま教室を出ていこうかとすら思った。教師個人に対する関心で教科の点数を付けようとするなど言語道断だ。「闇の魔術に対する防衛術」に関する能力を養うのに一ミリだって役に立たないじゃないか。

 

 その上、本格的に始まった授業の内容も最悪だった。僕が最も危惧していた通り、ロックハートは参考になりそうにもない冒険譚を授業中に読ませ、それだけでなく物語の一シーンを再現するのに全てのリソースを費やしていた。演習形式ならば、生徒に怪物を打ち倒す役をやらせればまだ言い訳ができただろう。しかし、彼は自身が舞台の中心に立つことに固執し、子供たちを自らを飾り立てる舞台装置としか考えていないようだった。

 

 さらに悪いことに、明らかにロックハートは無能だった。自ら書いた物語中の行動を取れるだろう能力がないという事実、それは彼が何らかの方法で虚偽の功績を得ている証左に他ならない。

 

 ……しかし、現在僕が持ちうる情報で彼を告発し、教壇から排除するのはほとんど不可能に思える。そもそも学校外での話でそこを探る捜査能力がない。さらに、彼は大いに注目を集めている人物であり、芸能方面でとはいえマーリン勲章まで授与されている。それなのに未だに事実が明らかになっていないのは、その隠蔽能力の高さを窺わせる。

 

 数々の大人の魔法使いより僕が優れているなどと自惚れるつもりはない。僕が今学年中に彼の犯罪を立証できる望みは限りなくゼロに近い。それゆえに、僕が彼を排除するためにはもう一つの穴、すなわち授業内容のお粗末さを標的にするしかない。

 

 喜んでいいのかは分からないが幸いなことに、スリザリン生はマグルの片親を持つロックハートに冷淡な人が多い。五年生以上であれば無能な教師の存在は進路に関わってくるというのもある。ロックハートの授業についての苦言を呈せば、皆喜んで今までの闇の魔術に対する防衛術の内容について教えてくれた。

 僕は特に問題とされる点をピックアップし──全ての学年に同じ教科書を指定しているのは、本当に一体どう言うことなのだろう? 一週間もあれば全部読めてしまう冒険譚で、七年使って何を教えると言うのだろうか?──ホグワーツ理事である父に送るための報告書にまとめ始めた。

 

 しかし、この行動が大局から見て正しい行動なのか、今ひとつ確信が持てない。毎回奴の授業が終わるたびにその懸念が吹き飛ぶほど、僕は怒りで頭がいっぱいになっていたのだが……去年のこともある。こんな年度初めで闇の魔術に対する防衛術の教諭(今年のキーキャラクター)を排除してしまって本当によいのだろうか?

 

 そんな悩みを抱えながら着々と手筈を整えていたある日。再び放課後のマクゴナガル教授の研究室で、僕は唐突にダンブルドア校長と出くわした。

 衝撃に思わず瞠目した僕を前に、彼はいつもと同様に、悪戯っぽい微笑みで研究室に迎え入れた。引き返すわけにもいかず秋の日差しが降り注ぐ部屋で校長と対峙する。どうやってこの人は僕がマクゴナガル教授の元を訪ねるのを察知し、ここにいられるのだろう。校内は姿現しできないはずなんだが。校長特権か? それとも、僕がマクゴナガル教授のもとに通いすぎなのか?

 心臓に悪いことしかしてくれない校長に内心ため息をつく。しかし、やはり以前会ったときと同じく、僕にとって都合の良い機会でもあった。

 

「またもや、最初に謝罪をしなければならないのう」

 以前よりも心なしか軽い口調で謝る校長に対し、失礼ながら少し目をすがめて見てしまう。

「ご自覚があるのなら、やめて下さいよ。マクゴナガル教授もおっしゃったと思うのですが、一年とはいえあんな不適格な教師、生徒が可哀想です」

 「無論その通りじゃ。そして、君も予想しているとおり、これには理由がある」

 黙ったまま話を促す。無礼かも知れないが、今の彼の振る舞いはそれに値すると思っていた。

 

 ダンブルドアは語り始めた。

 「実は、今年は別の先生をお呼びするつもりじゃった。去年の後じゃ。子供たちが『闇』に対抗する手段を学ぶ機会を一年も失うのは、わしとて望まぬ。しかし……準備が間に合わなかった」

 「であれば準備が整い次第、今年度中にでもその方をお呼びすべきだ……という指摘が来るのはご理解していらっしゃるのですよね」

 ダンブルドアは深く首肯した。

 

 「わしはその優れた教育者に一年間のすべてを教えてもらいたいのじゃ。ロックハート先生の残りの間ではなく」

 ロックハートで一年を棒に振ってでも、ホグワーツで丸一年教える価値がある教師とは一体何なのだろう? そこまで素晴らしい内容を教えられるのか、それともその人が一年教職に就くこと自体に意味があるのか。気にはなったが、前年度のハグリッドのような肝の冷えるネタばらしも勘弁したいので、僕はそこは追及しなかった。

 

 「『闇の魔術に対する防衛術』教諭の席にかかる呪いはどうにかできないのですか? ……できたら、もうされていますか」

 「その呪いをかけた者はあまりに強く、術者が死なねば解けぬじゃろう」

 ダンブルドアが抹殺できない人間など一人くらいしか思いつかないのだが、これまた今聞いてもどうしようもないことだ。勿論なぜそんな呪いが掛けられることになったのかは気になるが……。

 しかし、今の問題はロックハートだ。

 

 「なるほど……つまり、ロックハート教授がこの一年を教えるのはやむを得ない確定事項なのですね」

 「君が、その利発さとお父上の力を使えば彼を叩き出すのは容易であると分かっておる。ハグリッドと同様に。しかし、ああ……またもや同じ台詞じゃ。この一年間は、追い出すのを待って欲しい。その後、あの席に座るものが子供たちにとって安全かどうか────いや、ヴォルデモートの毒牙に掛かっておらぬか、わしには保証ができぬ」

 嫌なところを修正された。そこは安全かどうかでいってくれよ。今のロックハートも安全じゃないみたいじゃないか。

 ただ、ひとまずは納得できた。クィレル教授のように……いや、むしろ直接「あの人」が乗り込んで来なければダンブルドアも気づかない可能性がある、と。どうやったって主人公の周りで物語は進むのだから、ホグワーツでなんのイベントも起こらない訳はないのだが……ここでダンブルドアの限界を知らされるのは少々底冷えする思いだ。

 

 「ただ、『闇の魔術に対する防衛術』の席にかかっているのが呪いなのであれば、彼もまた良くない終わり方をしますよ。確かに見下げ果てた人間かも知れませんが、それは後味が悪いのではないですか」

 

 ダンブルドアは、初めて言葉を出すのに時間がかかった。まるで、言い淀んでいるような。僕には言いづらいことがあるような。その一瞬の葛藤に、僕は彼の意図を悟った。

 「──あなたは、その呪いでロックハート教授を……その、処分されるおつもりなんですか? それは────それは、やりすぎなのでは?」

 その指摘にダンブルドアの表情は崩れなかった。しかし、彼のまとう雰囲気は先ほどよりずっと取り繕った硬いものへと変わった。

 

 「ギルデロイが何をしたのか、君には大体予想がついておるな?」

 「ええ。そして、僕がそれを証明することはできないでしょう。著作の出来事が本当にあったことで、彼がその功績を真に持つ人々を黙らせられる力────恐らく、極めて限定的な力ですが────それを持つのであれば、僕がどうにかする余地があるとは思えません。けれど、あなたは違うのではないですか。あなたなら法の下、適切な処分を彼に下すことができる」

 「その通りじゃ。けれど、ギルデロイの罪を明るみにすれば、わしはまた別の犠牲を探さねばならぬじゃろう」

 

 ────ああ、そうか。

 「望んだ候補が使えなくなり、闇の帝王の息がかかっていなさそうなものの中から、最もダメになってもいい選択肢を選んだ────そういうことですか」

 ダンブルドアは頷いた。そこには取り繕いながらもわずかに見える悔悟の念があった。

 

 「蔑まれても仕方のないことじゃと思う。しかし、今わしにできたのはその程度だったのじゃ」

 「……僕に釈明されても困ります。あなたが出来ないのなら、他の誰にも出来なかったでしょう」

 しかしまあ────ままならないものだ。闇の帝王の悪影響というのは、回り回ってこんなところまで届くものなのか。改めて、その影響の届く範囲は人智を超えているとしか思えなかった。

 僕は再度、深くため息をついた。

 

 「一言言わせてもらえるなら、もう少し罪と実益のバランスが取れた人間を探して欲しかったところですが……そうですね。僕はどのような状況だったのか存じませんから」

 これは承諾の言葉だ。もう、ダンブルドアと語るべきことは終わった。お互い、そのことを悟っていた。

 

 「分かりました。この一年、僕はロックハート教授をホグワーツから叩き出さないことを誓いましょう」

 「君のわしの不始末への理解に感謝し、再び君に譲歩をしてもらったことを謝罪しよう」

 

 僕が背後の扉に向かうべく踵を返そうとしたとき、ダンブルドアはふとつぶやくように言葉を漏らした。

 「……わしは、君に軽蔑の視線を向けられるのだろうと思っていたのじゃが」

 「いえ、先ほど申し上げた通り、あなたはおそらく最善を考えた上でその選択をして、そして実際、その選択は人が取りうるものの中では限りなく正しいのでしょうし……

 あなたは僕に……十二歳の子供に対して欺瞞で済ませようとはしなかった。『ロックハート先生は悪人だから()()されても仕方ない』とは言わなかった。

 最善の結末を望み、ある人間の価値を小さく見積もるという悪を成したと、そう考えているとおっしゃった。……そうでしょう?」

 もし、ダンブルドアが素面でロックハートを切り捨てるのは正しい行為だと、その場凌ぎでも言ってしまえる人間だったのなら僕の落胆は計り知れなかっただろう。しかし、そうではなかった。僕に事情を語るダンブルドアには理解を求める切実さと、その選択肢を取るしかなかったことに対する後悔、それを子供に告げる羞恥があった。

 ならば、今のところは納得するしかない。僕に彼を軽蔑する資格はない。

 

 何か考え込んでしまったダンブルドアを置いて、僕は去年と同じくマクゴナガル教授の研究室を後にした。

 しかし、去年と違い、ここで終わるつもりは毛頭なかった。

 

 

 僕は報告書に添えていた手紙を書き直し、完成品をフクロウ便で父に送った。

 

「親愛なる父上へ

 

 新学期も本格的に始まり、新たな知識に胸躍る毎日です。けれど、一つだけ、お耳に入れたいことがあるのです。

 今年、新任で『闇の魔術に対する防衛術』の教諭になられたギルデロイ・ロックハート教授はどうやら教師としてのご経験が十分ではないようです。詳細は付記いたしました報告書にてご説明させていただいております。お手隙のときにご確認ください。

 そこでお願いなのですが、ロックハート教授を理事会で問題にあげて下さりませんか?────ただし、解任まで追い込むのは少し待っていただきたいのです。加えて、理事会で問題に出したのが僕だと公にならないよう、取り計らっていただきたいのです。

 僕の企図が十全に進めば、ただ彼を追い出すよりもずっとホグワーツの生徒にとって良い結果になると考えています。お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

愛を込めて ドラコ」

 

 僕は、ロックハートを取り込みにかかった。

 

 

 父は僕が予想していたより、はるかに迅速に動いてくれた。その週の終わりには理事会が開かれ、匿名の複数生徒より作成された報告書の内容が議題に上がった。そして厳重注意という形で、ギルデロイ・ロックハートはその授業のお粗末さを指摘されたのだった。

 

 ロックハートの振る舞いを腹に据えかねていたのか、マクゴナガル教授は朝食の、全校生徒の前の職員テーブルでその意見書を読み上げた。彼女もこういうところが結構グリフィンドール流だよなあ。それにより、ロックハートはただでさえ元から多くの生徒に揶揄されていた。そこに大義名分をいただいて、こき下ろしは一層過激化した。勿論彼を慕う女子生徒たちは未だ多く残っていたが……流石に賢明な生徒であれば授業のからっぽさにそろそろ気づき始める頃合いだった。その中に僕の学年で最も優秀な魔女が入っていないことには目を瞑っておく。

 

 ロックハートはそれでも気丈というか、気にしないように振る舞っていたようだった。しかし、本質的に他人の目を気にする彼は、授業のたびに向けられる好奇や軽蔑の視線にずっと耐えられる人間ではない。内容について揶揄われている時の目に宿る深い憤りは、徐々に隠せなくなっていた。

 

 耐えきれなくなってきたときが頃合いだ。

 ギルデロイ・ロックハートが周囲からの責苦に苛まれているある日の放課後、僕は他に誰もいない時を見計らって彼の研究室を訪ねた。

 教室と同様に彼の写真でいっぱいで、自己顕示欲が全面に出過ぎていっそ哀れにもなってくる部屋だ。ロックハートは男子生徒がやってきたのがそんなに嬉しいのか、いつもの愚かしいほどの虚栄を纏いながらも、僕を歓待してくれた。

 

 「さあ、掛けて。君は、実際珍しい生徒ですよ! その年頃の男の子はちょっとばかり、視野が狭くなりがちだ。偉大な人物が身近にいると、その栄光から逆に逃れようとしてしまう、哀れなことに。君は利口です。誰が敬意に値する人物なのか、よく分かっている!」

 この男を殴りつけないため自分の拳を制御するのには、かなりの精神を費やさねばならない。しかし、僕はなんとか深呼吸して心を落ち着け、ロックハートに相談をし始めた。

 

 「そうなんです。でも、先生。視野が狭い生徒たちにも、先生のご栄光を享受する機会が必要だと思いませんか?」

 「それは、どういうことなのかな? マルフォイ君」

 ロックハートは明らかに僕が何を言いたいのか分かっていなかったが、薄っぺらい世辞に気分を良くして話の続きを促してくれた。

 「つまり、僕にお手伝いさせていただきたいのです。皆にも受け入れやすい形で。

 先生はとても偉大な方ですが、教職のご経験はございませんよね? 勿論、あなたの無比の冒険に比べれば、その経験の有無など些事ではあります。しかし、眩しさゆえに栄光から目を背けるものにとって、慣れ親しんだ授業と言うのは安易に人を判断するに相応しい基準の一つなのです」

 ロックハートを持ちあげ、そこから下々の方に降りるという形で話を進める。彼のプライドを維持することがこの説得を成功させる上での最重要項目だった。

 

 「しかし私は────いえ、勿論、難易度を彼らのレベルに落とし、授業をすることはできるでしょう。けれど、それは私の生きた経験に覆いをかけてしまう」

 思わずゴチャゴチャ抜かすなと言いそうになるのをグッと堪え、媚びへつらった笑みを浮かべる。

 「であれば、そこの橋渡しをするためのお手伝いを、僕にさせて下さいませんか? 僕が指導案を作ります。ぜひそれを踏み台に授業をしてみてほしいのです」

 

 ロックハートの笑みが少し固まった。僕には、彼の頭の中で算盤が弾かれるのが見えるようだった。今授業が改善できなければ、再度理事会は彼について審議する。免職という最悪の事態も考えうる。それだけは避けねばならないと判断したのだろう。

 

 「────では、ええ、よろしい。手伝わせて差し上げましょう。……それで、指導案はいつ頂けますかね?」

 「既に、明日の二年生の分はご用意しています」

 

 斯くして、ギルデロイ・ロックハートは陥落した。

 

 

 勿論、指導案を全て用意することなど一人でできるわけがない。知識はともかく、実技で高学年のものなど僕は扱えない。だから、昨年大変迷惑をかけた監督生ジェマ・ファーレイに相談したのだ。彼女は今年六年生。忙しい上級生には変わりないが、O.W.L.もN.E.W.T.もない学年だった。

 「まあ、魔法法執行部を目指してるし、五、六年どちらかの分は作ることができると思うけど……でもそれ以上は無理よ。多すぎるわ」

 そして彼女のツテで、さらに色々な人を当たった。皆、あの最悪な授業を自分の手でマシにできると思うと、多少はやる気が出たようだった。ときにはレイブンクロー生にも協力を求め、結局各学年三、四人が集まって予習がわりに指導案を作ることになった。僕は一、二年生の担当の中の一人になった。

 

 「あのゴミ教師の尻拭いをしなくちゃならないと思うと反吐が出る」とクラッブがぼやいたが、彼はスリザリン二年生の中で僕の次に防衛術に長けているので、どうにか頼み込み協力してもらった。

 最初は子供たちの負担になりすぎることを懸念した。けれど実際僕らが授業するわけではないので、面倒は大いに残るものの予習の一形態として定着し、安定したクオリティを提供出来ていると思う。

 

 また思わぬ発見もあった。ロックハートはまともな指導案を用意すると、見事に授業をやってのけたのだ。役者は語るのが上手いということなんだろうか。

 勿論彼の虚栄心に基づくバカバカしい話が完全に無くなったわけではない。初めのうちの授業の半分はその下らない虚言に付き合わされることになった。

 しかし、理事会の注意の存在があったからか、明らかに指導案に則ってまともな授業をしている時のほうが敬意を集めていることに彼が気づいたのか、授業のあり方は一応洗練されていった。

 

 さらに、ロックハートはその傲慢さを大人しくさせないまでも、僕ら指導案を作っている生徒の言うことは一先ず聞くようになった。

 

 

 こうして、ひとまずのところ、僕はダンブルドアの尻拭いに成功したのだった。

 

 



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第十八話 穢れた血

 

 

 新学期が始まった後、スリザリン二年生によるハリーとウィーズリーへの揶揄いはしばらく続くと思われていた。しかし、他の話題がみんなの注目を掻っ攫っていった。というか、残念なことに僕の話題なのだが。

 

 もちろん話はシーズンも近づいたクィディッチについてだ。なんと、父はスリザリンのクィディッチチーム全員にニンバス2001を買い与え、僕をシーカーにするようにとキャプテンのマーカス・フリントに手紙を出したのである。親バカというレベルを超えている。もはや狂気の域だ。

 このまま父のコネでシーカーになるわけにはいかない。評判的にも、ポジション的にも。僕はフリントに、去年シーカーだったテレンス・ヒッグズがいかに素晴らしい選手であるか、僕がいかに劣った箒乗りであるかを懇々と語った。

 クィディッチは、ニンバス2001を全員が持ったところでシーカーが役立たずではおしまいの欠陥ゲームなのだ。何が悲しくて敗北の責任を肩に背負わねばならないのだろう。

 

 結局、シーカーはヒッグズが続投し、僕は補欠を含め四人いるチェイサーの中の一人になった。ヒッグズは辞退した僕に礼を言ってきたが、チェイサー候補だったであろう誰かは間違いなく正規チームから外れているのだ。何も正しいことはしていない。泣きたくなってくる。

 父には手紙を書き、実はずっとチェイサーになりたかったと伝えた。それで一発で納得してくれるのだから、選手にならないのも納得してほしいものだ。

 

 「どうせ僕は八百長一位だし、コネチェイサーだよ……」

 父からの返事が届いた日の夕食、僕は大広間で臍を曲げていた。

 また望まぬ悪名が一つ増えてしまった。これでもシーカーからチェイサーの補欠になっただけ頑張ったと思ってほしい。チームに入るためのテストは受けてないが。尤も、今回の件で得をするのは相手チームにヘボが一人増えた他の三寮だろうからまだマシか。少なくとも「スリザリン贔屓」ではないし。

 

 パンジーはいつものように僕を皮肉り倒した。彼女がからかってくれるお陰で、僕はスリザリン内で浮かずに済んでいるところが大いにある。今回も、フリントへの情けない懇願を真似して、僕がいかになりたくもない選手になったのかを喧伝しまくってくれている。

 グリフィンドールの三人組もこれは少し面白いと思ったようだった。ウィーズリーは僕に直接何か言うことはなかったが、周囲に混じって笑っていた。ハリーはシーカーというかっこいいポジションを避けたことが本当に信じられないと僕の正気を疑っていたし、グレンジャーは昨年度末に引き続き表向きにはコネで────いや、表向きも何もなくそうなのだが────地位を手に入れた僕を呆れ半分、愉快さ半分で茶化した。

 

 スリザリン側はそれに対し、今学期に入ってからハリーの後をつけ回しているグリフィンドール一年のカメラをいつも持っている少年を全力で真似することで対抗していた。その様子はまるでコスプレイヤーを取り巻くカメコの如くであった。子供である。

 しかし、恥ずかしがってその少年が寄り付かなくなったことをハリーは心から喜んでいた。彼は存外良い性格をしている。

 

 そう、グリフィンドールとスリザリンの新二年生は、他の学年と違って仲が良い───とまでは全く行かなくても、友好的な範囲の皮肉や冷やかしを投げ合う関係に収まりつつあった。お互い相手に友情を持っているわけではない。けれど、話してみればまあ面白いこともあるな、程度の極めて薄い好意で結びついたのだ。

 他学年はそうはいかない。去年の寮杯の件について、二年生は僕が点を獲得したこともあり、まあ、ダンブルドアはうざったいがいいか、くらいの気持ちになってくれていた。

 しかし、上級生の多くはダンブルドアを通して敵────グリフィンドールを改めて認識してしまった。前より悪くなったとまで言わずとも、学生にあるまじき対立関係が揺らぎなく続いているのは中々に悲しい。

 

 

 土曜日の朝、僕はフリントに呼ばれてクィディッチピッチへ向かった。いよいよ初練習である。チームになんの関係もないのに、いつものスリザリン組は全員僕を冷やかすために付いてきた。暇すぎるだろう。確かに学期が始まったところでそんなにやることもないのだが。

 

 ところが、そこには先客がいた。グリフィンドールチームだ。こういう衝突の場面で我々スリザリンに理があったことがない。案の定、我々の予約がスネイプ教授による横紙破りだったことが判明した。

 しかし、スリザリンは重複で許可を出せるような緩いルールがある状況で、自身の利益にならない結果で満足することは決してない。頼むから半分ずつ使うとかで落とし所を見つけてくれ。願いも虚しく、使用権をめぐって両者は揉めに揉めだした。

 

 フリントは嫌味な表情を浮かべ、グリフィンドールのキャプテンのオリバー・ウッドをすがめ見た。

 「僕らも新人チェイサーの訓練をしなきゃならないんでね、許可の証拠がないなら出ていってもらおうか」

 ウッドは眉を顰めてスリザリンチームを見渡す。

 「新しいチェイサーだって? どこに?」

 後ろに隠れていたかったのだが、ヒッグズにつつき出されて僕はグリフィンドールの方へ出た。対峙する相手からの好奇の視線が突き刺さる。当然その中にいるハリーは、なんか面倒なことになっちゃったね、みたいな顔をしている。呑気か。

 

 「ルシウス・マルフォイの息子じゃないか」

 ウィーズリーの双子の片方が、しかめっ面をして言った。その台詞からは書店での騒動が思い出される。そういえば、あの場にはホグワーツに在籍する全てのウィーズリーがいたのだった。確かこの双子は乱闘を煽っていたし、当然マルフォイに対していい印象は持っていないだろう。

 

 「ドラコの父親を持ち出すとは、偶然の一致だな」

 フリントは得意げに笑って言った。現在、このスリザリンチームにおいて父は空前絶後のパトロンなのだ。他のチームメイトもニヤリと口角を上げる。そんなあからさまに財力を誇らないでくれ。一応この子たちは上流階級出身だろうに。

 「その方がスリザリン・チームにくださった、ありがたい贈り物を見せてやろうじゃないか」

 そう言ってチームメイトはニンバス2001をグリフィンドールに見せつけた。流石のグリフィンドールもあまりに潤沢な金の使い方に呆気に取られたようだった。分かるよ。フリントはいかにこの箒が素晴らしいのか、相手方の箒を比較して貶しながら滔々と語る。僕としては、だいぶ居た堪れない状況だった。

 

 どうやらハリーも友人を連れてきていたようで、様子を見かねたウィーズリーとグレンジャーもピッチ内にやってくる。

 「どうしたんだ? なんで練習しないんだよ。それに、スリザリンはなんでここにいるんだ?」

 ウィーズリーが話しかけたことで、再び2001の賞賛が始まる。そこに口を挟んだのはグレンジャーだった。

 

 「あら、でもグリフィンドールの選手はお金で選ばれたりしてないわ!」

 ウィーズリーとハリーは僕の数日前の醜態を思い出したのかニヤリと笑った。側で見ていたパンジーが吹き出すのが見える。人ごとだと思って楽しそうである。しかし、彼ら以外は違った。

 

 僕への侮辱とも取れる言葉を聞き、周りのスリザリンの上級生の雰囲気は一気に硬くなった。ヒッグズが一歩前に出てグレンジャーを睨みつける。

 「誰もおまえの意見なんか求めてない。生まれ損ないの『穢れた血』め」

 

 途端にグリフィンドール側から罵声が上がる。一番血の気が多いウィーズリーの双子がヒッグズに飛びかかろうとしたため、僕はそこに割って入らなければならなかった。

 

 ロン・ウィーズリーは心底頭にきたようで、「ヒッグズ、思い知れ!」と叫び、何やら呪いをかけようとしていた。しかし、彼の杖は今折れかけていた上に、呪文自体が高度なものだ。案の定上手くかかることはなく、逆に杖から放たれた閃光はウィーズリーの腹に直撃した。

 

 すぐさま心配したグリフィンドール生でウィーズリーの周囲は囲まれたが、隙間に彼の口からナメクジが飛び出すのが見えた。あれは辛い。

 ヒッグズとフリントは酷く愉快そうで、笑い転げていた。僕は何もできず、ウィーズリーをハリーとグレンジャーが脇から抱え、例の森番の小屋に連れて行くのをただ呆然と眺めていた。

 

 僕の様子に気づいたヒッグズは笑いのあまり出た涙を拭いながら、僕の肩に手をかけた。

「『穢れた血』の言うことなんて気にする必要はない。そうだろう?」

 彼は慰めているつもりなのだろう。しかし、僕はその言葉に無理やり作った曖昧な笑みしか返せなかった。

 入学以来考えるのを避け続けたことは、しかし今、よくない形で目の前に突きつけられてしまった。スリザリンと他寮を隔つ、最も根本的な問題────純血主義の問題が。

 

 

 

 

 あの「穢れた血」事件の日以来、僕と三人組は話す機会を失っていた。彼らも授業が本格化する中忙しそうだったというのもあるし、僕が慣れないクィディッチや、ロックハートのお世話なんかに、てんてこ舞いだったというのもある。

 

 もう一つ、他にさらに優先して取り組まなければならないこともあった。今年の事件の兆候の捜査だ。去年僕が事態に気づいたのはハロウィーンパーティのトロールの一件でだった。しかしハリーから聞いた話だと、七月にはすでに賢者の石を保管していたグリンゴッツの強盗事件という形でヴォルデモートの暗躍は始まっていたらしい。

 確かにそんな記事を見た覚えはあるが、僕はそもそも学期末ギリギリまで賢者の石がホグワーツにあることにすら気付いていなかった。他の紙面に上がった事件から特筆して関連性を見出すのは、ほとんど不可能だっただろう。

 

 故に、今年こそは先んじて何が起こるか予想を立てておきたかったのが……これは空振りに終わっていた。正確に言えば、微当たりが大量にあって到底処理できていなかった。そもそも魔法界はトンチキなのだ。怪しいものなど数限りなくあり、そしてそのどれもが深刻そうではなかった。最大の手がかりになるはずだったロックハート(闇の魔術に対する防衛術教諭)も今のところは何も事件の兆候を見せていない。

 

 尤も、これらは「穢れた血」の件のあと、彼らに何も言いにいかなかったことの言い訳な部分が大いにある。僕は結局、「穢れた血」と吐き捨てられたグレンジャーにも、跳ね返った呪文で苦しんでいたウィーズリーにも何もしなかった。ロックハートの件もあって寮内の先輩方との和を乱したくなかったし、それに────あの場で何かを言ったところで根本的な解決にはならないと、そう諦めてしまっていたのだった。

 それが恥ずかしくて、僕は彼らに顔向けできない。僕はやっぱり、どこまでもグリフィンドールではない。

 

 そんな風に過ごしているとあっという間にハロウィーンパーティの日がやってきた。この日はハリーのご両親の命日でもある。夜の大広間で、彼を気にしてグリフィンドールのテーブルを見てみたが、三人組がまるまるいなかった。去年のハロウィーンはトロールの襲撃があったし、彼らの不在は少し不吉だ。少し逡巡して、しかし、これはいい機会なのではないか心を決める。彼らを探すため、僕は食事を手早く済ませて席を立った。

 

 心当たりなどどこにもないが、取り敢えず大広間前の玄関ホールに出た。しかし、なんとそこでちょうど下階から階段を登る三人組に出くわした。

 しかもハリーは僕を見て、「ちょっと、付いてきて!」とだけ言い階段を駆け上がっていってしまった。何事なんだ、一体。

 理由を聞かされていないのか、後を追うウィーズリーとグレンジャーも完全に困惑している。

 慌てて跡を追いつつ、僕はウィーズリーに「どうしたんだ?」と尋ねた。

 「わかんない。なんか声が聞こえるとか言って」

 ウィーズリーは息を切らしながら答えた。

 

 二階でハリーが急に立ち止まり静かにするよう促すので、そこで一旦会話は止まった。ハリーは何やら耳をそば立てて何かを聞いている。一瞬間が空いた後、彼は「誰かを殺すつもりだ!」と叫ぶと、再び階段を駆け上がり始めた。僕には声らしきものは聞こえていない。ハッキリ言ってめちゃくちゃ不気味だし、もし本当に殺人を試みている人間がいるなら絶対に近づくべきではない。

 

 止める間も無く三階にたどり着くと、ハリーは再び何かを求めて辺りを探し回り始めた。だいぶ長いこと走った挙句、ようやく彼は立ち止まった。

 「ハリー、これは一体どういうこと?」

 困惑を全く隠さず、上がりきった息を隠さずウィーズリーが問う。

 「僕には何も聞こえなかった────」

 しかし、それをグレンジャーが遮った。

 

 「見て!」

 

 向こうの壁に何かが光っていた。暗がりでハッキリとは見えない。僕は手にしていた杖に光を灯した。

 そこには赤い何かで文字が書かれていた。

 

 秘密の部屋は開かれたり 継承者の敵よ、気をつけよ

 

 そして、その下には微動だにしないフィルチ氏の飼い猫がぶら下がっていた。

 

 僕らは動けなかった。遠くから足音が聞こえる。パーティが終わったのだ。談話室に向かう生徒がやって来る。その場から立ち去る間もなく、僕らは大勢に見つかり、そして明白な容疑者として疑いの目を向けられることになったのだった。

 

 

 



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第十九話 純血主義、或いは理想郷の条件

 

 

 僕らはミセス・ノリスを石化させた犯人として、その場に到着したフィルチ氏にものすごい勢いで詰め寄られた。こちらの話を一切聞かない様子に如何ともしがたかったが、しかし、そこにすぐ救いの手が現れた。ダンブルドアだ。

 

 事情聴取のため、僕らは一番近いロックハートの部屋へ向かうことになった。この不気味な事件の後で最も不適格な部屋だと言えるだろう。扉を開いた瞬間から目に入ってくるバカバカしい彼の写真の中、大勢の先生に囲まれて椅子に座る。この状況の中、僕を含めて子供たちは疲れ切っていた。

 

 ダンブルドアとマクゴナガル教授がミセス・ノリスを検分する中、僕らを殺さんばかりに睨みつけるフィルチ氏、僕らが窮地に陥ったのがそんなに嬉しいのか笑みを抑えきれていないスネイプ教授、虚栄心が爆発し愚にもつかない見解を並べ立てながら部屋を飛び回るロックハートと、事態はなかなか常軌を逸した様相を呈している。もっとどうでもいいことについて話されているのだったら愉快とすら思えたかもしれない。しかし、状況は思わしくなかった。

 

 しばらく検査が続いたのち、ダンブルドアはフィルチ氏にミセス・ノリスは死んでおらず、ただ石になっているだけだと告げた。フィルチ氏は安堵の表情を浮かべているが……この場で呪いを解けないのだから、安易な石化呪文ではないだろう。

 

 壁に書かれていた内容が内容だ。第一容疑者はスリザリン生である僕だろうと思っていたのだが……フィルチ氏はハリーに強い疑いを持っていた。彼はスクイブで、ハリーがそれを知って猫を石に変えたというのである。

 

 フィルチ氏がスクイブだなんて、彼がモップでそこらを掃除していることからも一目瞭然な気がするが、そこのところどう思っているのだろうか。そもそも、そこらへんの労働は屋敷しもべがいることから考えると絶対に彼にやってもらう必要などないのだが、一体どういう決まりで彼は働いているのだろうか。趣味? スクイブの雇用促進のための施策の一環? 魔法界にそんな大層な思想はないと思うが……ダンブルドアの計らいだろうか。

 疲れ切って、この場に絶対相応しくないことばかり頭に浮かぶ。黙り込む僕をよそに議論は加熱していた。

 

 スネイプ教授がその場にいることで、更にハリーへの追撃が始まった。三人組が言うには、彼らは地下で行われた「絶命日パーティ」なるものに出席し(死ぬほど陰気そうだ)、そのまま寮に帰ろうとしていた、ということらしい。後者は嘘だと僕は知っていたが大人しく黙っていた。今、ハリーが他の人には聞こえない声が聞こえていたらしいんです、なんて言えば三人組の信用を損ねるだけでなく、ロックハートやスネイプ教授がホグワーツ中にハリーの狂気を吹聴するのは目に見えている。告げる必要があればダンブルドアに報告すればいい。

 

 スリザリンの寮は地下にあるので、僕が他の棟の三階にいたのは明らかにおかしいのだが、ハリーがヘイトを買いすぎて今のところ見逃されている。尤も、問い詰められたとしてもハロウィーンパーティの終わり近くまで僕は大広間にいたのでアリバイはある。後半については彼らと帰り道の途中まで喋っていた、とかそういう言い訳をするしかないのだが。

 

 スネイプ教授はなおもハリーを貶めようと試みていたが、クィディッチ禁止を軽率に持ち出したために、逆鱗に触れられたマクゴナガル教授の猛反発を受けることになった。相変わらず、感情で詰めの甘さを露呈する人である。

 

 フィルチ氏も何か罰則を受けさせねば気が済まぬと抗議したが、ダンブルドアがそれを制した。

 「スプラウト先生が、最近やっとマンドレイクを手に入れられてな。十分に成長したら、すぐにもミセス・ノリスを蘇生させる薬を作らせましょうぞ」

 

 その言葉は僕に衝撃を与えるのに十分なほど現状を伝えてしまっていた。マンドレイクは汎用的な薬草で、手に入れるのに困難があるわけではない。だから、マンドレイクが育つまで待たなければならない理由は、マンドレイクそのものではなく薬の方にある。

 

 魔法界の薬物を含めた呪文とは、単に効果が強いという意味での強力さと、その呪文が如何に的確に効くかという強力さの二つで測ることができる。例えば「闇の魔術に対する防衛術」の職にかかる呪いなんかが最たる例だろう。役職の名前を変えようが、その在り方を変えようが、呪いが抽象的な本質を見抜き、対象に効果を与える────それは極めて高度な技術だ。

 

 そして、作るのが極めて複雑なマンドレイク回復薬もこれにあたる。その薬は、十分に育ったマンドレイクを限られた時間で収穫し、非合理的に思えるほど複雑な手法で処理し、厳密な手順に則って調合し、一定の効果期間内に服用しなければならない。しかも、その効果はマンドレイクが育った地に依存する。────つまり、他のところからマンドレイクや、その薬を持ってきて解決する問題ではない。

 

 そこまで複雑で強力なマンドレイク回復薬は、やはりその対象の本質を見抜き作用するが……それはつまり、ダンブルドアが、六ヶ月以上も材料の成長を待たねばならないこの薬以上に、手軽に事態を解決する手法を発見できなかったことを意味する。それどころか、もしかしたらダンブルドアがこの事態の原因に確たる候補を見出せていない可能性すら浮かんできたのだ。

 

 僕は、今回の事件が前回よりもはるかに制御不能な形で動き出していることを悟り、半ば途方に暮れた。

 

 

 ようやく取り調べが終わり、僕らは真っ直ぐそれぞれの寮に戻るようにと厳命されてロックハートのふざけた部屋から解放された。三人組はその言葉を全く聞いていなかったようだ。ありがたいことではあるが、少し離れた教室に僕を引っ張り込んで、今まであったことを話してくれた。……といっても、先ほど聞いたこと以上の情報は大して無い。

 

 ハリーは「声」のことを話さなかったのが良かったか悩んでいた。僕は絶対にダンブルドアに話したほうがいい────というか明日にでも勝手に言おうと思っていたのだが、ウィーズリーは絶対に頭がおかしいと思われると止めていた。まあ、ダンブルドア以外に言うのは僕も躊躇うだろう。

 しかし、彼にだけ聞こえる声とはいったい何だ? 闇の帝王絡みのことではあるのだろうが、確証に至る証拠が全くない。正直、いつの間にか呪われていて幻聴が聞こえているというのが一番安直な発想だが、ダンブルドアの監視の目がある以上、その可能性も薄い。

 ……それにしても、なぜその声はハリーをあの場所へ導いたのだろう? そもそも本当に人を殺したわけではなかったが、犯行現場に人を呼び寄せるような真似をしたのはなぜだ?

 

 そこで、彼らは「部屋は開かれたり」の部分について疑問を持ったようだ。全く気は進まないが、僕が「穢れた血」について話したかったことの端緒としてはピッタリのものではあった。

 

 「それはサラザール・スリザリンの秘密の部屋のことだと思う」

 そうして、僕はスリザリンと純血主義について語り始めた。

 

 

────────────────────────────────────

 

 さて、長い話になる。歴史のお話だ。

 

 これから話すことは、ビンズ先生による魔法史の授業とは見る側面が違う。ガーゴイルのストライキだの、狼人間の行動規範だの、ゴブリンの反乱だのといった人間ではない魔法生物の話はしない。それに、悪人エメリックや極悪人エグバートのような名高い、しかし一瞬しか歴史に登場しない人物も扱わない。

 僕が語るのは魔法族の歴史だ。多くの無名な、しかしその時生きた魔法使いたちがどのような歴史の流れに乗ってきたのかについての物語だ。

 

 まず、一つ簡単なものからいこう。僕の祖先の話だ。

 

 マルフォイ家のイングランドにおける開祖はアルマン・マルフォイという。彼は元々フランスのノルマンディーの出身で、ウィリアム一世とともに十一世紀にこのブリテンにやって来た。

 それ以前、フランスでどのように生きていたのかについては殆ど史料が残っていないが、僕らの姓「悪しき信仰」はマグル────いや、キリスト教徒によって迫害された名残だろうと考えられている。戒めというんだろうか……。その向けられた悪意を忘れぬように、姓に刻んだ、というのがそれっぽい説明だ。

 

 とにかく、十世紀には、まだ今のような「国際魔法使い機密保持法」は影も形もなかった。アルマンは当然、僭越を承知で言えばアーサー王に対するマーリンのようにウィリアム一世に付き従っていた。

 国王が純然たるマグルだったかどうかは分かっていない。ただ、「手当て」のような奇跡を起こすと考えられていたのは、彼らの血に魔法族が混じっていたのではないかと僕は考えている。それほどまでに、魔法使いとマグルとの間に垣根はなかった。

 

 当時はマグルと魔法使いは一緒になって一つの勢力を形成するのが当たり前だった。これはその敵対者も同様だ。

 ウィリアム一世が征服を始める前のブリテンは七王国時代で、そこでも同様に集団とはマグルと魔法使いの混合体だった。人々は魔法使い 対 魔法使いや、マグル 対 魔法使いでもなくもっと混沌とした対立軸で戦った。

 

 それらを背景にホグワーツは建った。今でこそ、子どもを集めて教育するなんてマグルの世界ですら一般的だ。けれど、当時は全く違う。今よりずっと学校に通うのは不便で、しかも「ブリテン島とアイルランドのすべての魔法使いの子ども」は、その混沌とした対立軸の中で生まれてくる存在だった。

 

 今だって闇の帝王の崇拝者とそれ以外の対立があると思うかもしれない。しかし、僕らは何となくイギリス人としてまとまっていて、体制は闇の帝王を悪と断定している。

 当時はそこの観点が違う。国々はその時代の重さの違いこそあれ、別の勢力であり、盛衰は勝敗によって決まる。ホグワーツとは、潜在的どころか顕在化した敵の末裔同士を同じ学舎に入れる試みだったんだ。

 

 何故、そんなことを四人の創設者たちは試みたのだろう? 勿論それは、魔法族の子どもを守り、育てるためだ。

 

 マグルと魔法使いが混ざり合って暮らしていたといっても、それらは全く同じ種族になるわけではない。そこには不理解と蔑視、軋轢、差別が必ず生まれた。今よりずっと野蛮な形で。

 アルマンのように、上手にマグルと関係を築いた家系は良かっただろう。でも、そうではない魔法使いの家の子どもは安全ではなかった。

 

 故に、魔法族の未来を守るという理想のもと、魔法族という絆を辿ってグリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、そしてスリザリンが集い、子どもを守る城砦を作り上げたんだ。今でこそ土に埋もれてしまっている部分もあるけれど、僕らの学校は城壁に囲まれている。戦いに備え、守るために。

 

 そして、組み分けだ。ブリテン島とアイルランドに生きる、すべての若き魔法使いを識別するという空前絶後の魔法により集められた子どもたちを、彼らは自らが求む性質を見出すこれまた無比の技術を持つ帽子によって、四つの寮に振り分けさせた。……ここまではいいね。

 

 君たちは、寮の求める資質を聞いてこんなことを思ったことはなかった? スリザリンの求める「純血」というのは、他の三寮と比較して、あまりにも……浮いていると。ほとんどの寮の資質は人格的特徴なのに、何故これほどまでに即物的で、生まれによってしか変えられえぬものなのかと。

 

 まさに、ホグワーツが作られた時代に読み解く鍵はある。最早、想像してくれたら分かるかも知れない。

 

 スリザリンはこう考えた。純血であれば、魔法族の絆に従うだろう。半純血も、かろうじて許すことができる。しかし、マグル生まれは……違う。彼らは、生来魔法族に帰属意識を持たない。マグル生まれとは、自らの生まれた集団に従い、聖域であるホグワーツで下界の争いを再現し、魔法族を裏切りかねない獅子身中の虫なのだと。

 

 彼は、初めは自分の寮生が純血であることだけで満足した。いや、せざるを得なかった。子供の峻別をよしとしない三人の前では。しかし、恐れはどうやっても消えなかった。彼は純粋に魔法族だけの、争いのない理想郷を求めていた。()()()魔法族だけの学校が作られれば、戦争は無くなるのだと信じていたんだ。

 

 皮肉なことに、他三人の方がスリザリンよりずっと大きな野望を抱いていた。生まれで選ばずとも、生徒同士の殺し合いのない学校が作れるのだと。

 

 スリザリンは最後までそれを信じられず、グリフィンドールに敗れ、ホグワーツを去った。

 しかし、彼はいつか必ずこの学校にやって来る自らの子孫たちに向けて、()()()を実現するための術を残した。

 

 それは、彼が望まなかったマグル生まれの魔法使いたちを鏖殺する怪物だ。「秘密の部屋」と呼ばれる場所に、彼の後継者が呼び覚ます時まで眠ると言われている。

 

 これが、サラザール・スリザリンの物語だ。

 

 

 



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第二十話 純血主義、或いは取り残されたものの正義

 

 

 スリザリンと秘密の部屋については、ひとまず話したかったことを語り終えた。どこか張り詰めていたものを緩め、深く息を吐く。

 三人とも、長くて面白くもない話だっただろうに、とてもよく聞いてくれた。ウィーズリーですら真面目に耳を傾けていた。特にハリーは何か考え込んでいるようだった。

 

 少し沈黙が挟まり、ウィーズリーは空気を明るくするように言葉を放った。

 「まあ、昔の話だな。今、純血主義なんてちゃんちゃらおかしいよ」

 まるで遠く過ぎ去った昔話が終わったように、その場の雰囲気が軽くなる。グレンジャーやハリーも少し微笑みを浮かべていた。

 

 残念だが、話はまだ終わっていない。気は進まないが、この場の空気に水を差すべく僕は口を開いた。

 「それでも、僕は純血主義を否定しない……今はまだ」

 

 三人からの鋭い視線が突き刺さる。一番大きく反応したのはグレンジャーだ。……当たり前だ。僕は今彼女に、君が排斥されることを否定しないと告げたのだから。

 彼女は信じられないものを見る目で僕を睥睨した。

 「なぜ? だって、純血主義は理に適ってないじゃない。今はいっぱいマグルの血が入っている魔法使いがいるし……あなただって分かってると思うけど、別に私たちは劣ってないわ!」

 僕は深く頷く。しかし、その観点は僕の見解には関係がなかった。

 「その通りだ。けれど、僕は純血主義が()()()からこんなことを言っているわけじゃない」

 曖昧な物言いに、三人の顔に困惑が浮かぶ。

 「じゃあ、家族のせいなのか? 君の嫌味な親父が純血主義者だから、そう言わざるを得ないのか?」

 ウィーズリーは、僕自身が話を煙に巻きたいだけの欺瞞に満ちた純血主義者だという可能性を考えていないようだ。ここまで信じてもらえていたことに驚き、思わず口元に微笑みを浮かべてしまう。けれど、彼の期待は裏切らねばならない。それでもこの話は伝えたいものだった。

 

 「父の影響がないとは言わない。でも、それは一番の理由じゃない。これも話すとまた少し長くなるんだけど……いいだろうか」

 正直なところ、僕は三人が憤慨して帰ってしまうことも考えていた。長い時間をかけて、信頼を築きながら伝えていくべきことだろうとも。しかし、彼らは明らかに疑念を滲ませながらも、僕が喋る言葉に耳を傾けてくれていた。

 僕は再び語り出した。

 

 「今までの魔法界には、残念なことに統計学に興味がある人がいなかったから、この見解を証明してくれるものはない。けれど、僕が思うに────魔法族とマグルの結婚は多くの場合上手くいかない」

 「全部がそうじゃないわ」

 グレンジャーが即座に正しく反論する。

 「勿論その通り。イルヴァーモーニーの創始者イゾルト・セイアの夫ジェームズ・スチュワードを始め、魔法族の配偶者と手を取り素晴らしい功績を魔法界に残したマグルは存在する。

 けれどそれは、全体のほんの一握りだ。残酷なことを言えば、それらの事例は個人の優秀さを伝えるものでしかない。

 君たちの身の回りにいる例はどうかな? ……いや、そもそも君たちはマグルと魔法使いの家庭がどう営まれているのか、詳しく聞いたことはあるのかな。もしかしたら、血筋で人を見る習慣のある純血主義者の方が、この歪みを見つけやすいのかもしれない」

 「……それは偏見を持っているから、そういうパターンを探して自分の考えを補強しようとするからじゃないの?」

 「否定はしない。けれど今の、この狭い魔法界で、異種族婚の失敗を背景に持つ人間を無視するのは不可能だ。

 多くの場合、魔法の奇跡に惹かれたマグルと、世間離れした────軽率な魔法族の結婚はその始まりから歪みを内包している」

 マグルに友好的な家系に育ったウィーズリーは大きく鼻を鳴らす。けれど、僕はそのまま言葉を続ける。

 

 「マグルは、どこまでいっても魔法使いにはなれない。この事実は絶望と断絶を生む。始めのうちは、触れるだけで良かった魔法の栄光に対する羨望を、過ぎる月日の中で狂おしいものに変えていってしまう。

 それに耐えられないマグルは肥大してゆく葛藤を裡に積もらせてゆくが……それでも、その感情を外に漏らすことは許されない。魔法族の秘匿のため、つまり機密保持法のために。抑圧された思いの矛先は自然に内に、つまり家族に向かう」

 話を聞くハリーの表情に少し複雑そうな表情が宿る。……彼はマグルの叔父叔母の家で虐待的な扱いを受けているらしい。婚姻ではなく親族の関係だが、ハリー自身という魔法に関するものを手放せなかったマグルの家庭でも似たような現象が起こっていてもおかしくない。

 

 「軽挙な魔法使いは徐々に気づく。配偶者は自分の両親や今まで出会ってきた友とは違うことを。マグルとは魔法族より遥かに脆く、繊細で、しかし群れの力を持つ存在であることを。

 愛したものが、今までの人生で関わってこなかった、弱く、無知で、しかし理解できないほどに発達した別の社会を持つ生き物である事実。そして、それに起因する疎外感。

 けれど、その苦悩を誰かと分かち合うことなどできるだろうか? たとえ純血主義者ではなかったとしても、マグルと結婚する人間は()()()()()として見られる。魔法族で平穏に育った魔法使いにとって非魔法族を結婚相手にすることは、その平穏さを手放す愚行だ。

 ……魔法を使えないスクイブに対する扱いの方が、目に見えやすいかもしれない。先ほどのフィルチ氏の様子を覚えているよね。自身の()()を知られたことに対する羞恥と激昂は、魔法族が魔法を使えない相手に持つ価値観を反映している」

 ウィーズリーは少しだけ視線を下に外した。長く続く家系は必ずどこかしらにスクイブを抱えることになる。そして、僕は寡聞にしてウィーズリー出身のスクイブが魔法界で平穏に生活していると聞いたことはない。身近にいない魔法使いじゃないもの(マグル)は愛玩できても、自らの内に生まれた魔法使いじゃないもの(スクイブ)を同等と見做すことができないのは……残念ながら理解できる思考ではある。

 

 「こうして、将来を誓ったはずの二人は、その婚姻関係にお互いが生まれ育った世界から切り離されてゆく。その隔絶を根本から補う術を、魔法界も非魔法界も用意していない。これは全てを誰かのせいにできるものじゃない。構造的な問題なんだ。

 ……そして、最大の苦しみを抱えるのはその結ばれた二人などではない。

 そのまま歪を抱え続けるもの。離婚するもの。そもそも、正体を隠し結婚したために一生を自らの生まれた種族ではない存在として生きるもの。────そういった人間のもとで生まれた子どもたちは、結婚の結果を押し付けられて育つんだ」

 

 僕は、話を咀嚼している様子のハリーに向かって声をかける。

 「無礼を承知で言うけれど、ある意味では君もその一例かも知れない。ハリー。もし、君のお母上が魔法族の生まれだったら? 君が孤独に、自分が魔法使いであることも知らず、十年間も虐げられて育つ可能性はずっと低かっただろう。

 君は奇跡的に心優しく、正義感にあふれた少年だ。しかし、同じ環境でそんな風に育つことのできる資質を持った人間が一体どれだけいるのだろうか?」

 

 僕はグレンジャーに向きなおり問いかけた。

 「グレンジャー、君は極めて聡明で善を愛する少女だが、君がそのようになれたこと自体恵まれたものであるとは思わないか?

 君のご両親は彼らが理解できない────いや、知覚することもできない異形の力を君が持っていても、それごと愛してくれる方々だ。けれど、それは類い稀なる幸運だったと一度も思ったことがないか? マグルの学校で、君の優秀さや、ひょっとしたら魔力の片鱗を見て君を蔑んだ人々の気質を、家族が持たなかった奇跡は誰でも得られるものだと思うか?」

 

 ハリーと違い、グレンジャーは僕の言葉に返事をした。

 「────確かに、それは幸運だったと思う。でも、それと純血主義とがどう関係するっていうの?」

 きっと、グレンジャーは僕の結論に辿り着きつつある。彼女の声はわずかに震えていた。

 

 愉快ではない話をしてしまい、申し訳ない気持ちになるが、それでも僕は僕は三人のためではなく、僕を含めた同胞のために話を続けた。

 

 「この数世紀、非魔法族は森を開き、道を引き、人口は何倍にも膨れ上がった。我々魔法族はそれでも魔法を使って身を隠すことはできているが……以前よりずっと、マグルは身近な存在になった。『血迷う』ものは増え、彼らの子どもたちはその歪みの中、精神を捻じ曲げられて育ってきた。

 そんな子どもたちが、どうしてマグルを愛し、受け入れるという姿()()に賛同できるんだ? 彼らにとって、マグルとの交わりを推奨するのは────孤独な世界で、歪んだ家庭を維持しろと嘯くのとほとんど同義なんだ」

 

 時代の流れに反して、魔法族のマグルに対する認識は大して進化していない。未だマグルに対して『記憶を消す』なんて即物的で、ずっと彼らと付き合っていかなければならない魔法使いには何の解決もならない手法しか取らないままでいるほどだ。そんな無理解の中、漠然とマグルとの友愛を歌う人間の無責任さは……魔法界と非魔法界の狭間に産み落とされた人々の苦しみを一片たりとも癒さない。

 

 ……そして、その正義の不完全に苦しむ人間は別の正義を求めるようになる。

 彼らの生の苦しみを当然に存在するものとして肯定し、蔑む権威。マグルと交わらぬことを善とする正義────純血主義を」

 空気は冷たく静まりかえっている。僕は窓の方に視線を向け、最後の言葉を紡いだ。

 

 「勿論、僕の父を含め多くの客観的に純血だとされている純血主義者はその思考を辿っていない。漠然とした既得権益の保護と、根拠のない優越感に酔いしれるために純血主義を使う。しかし、そんな理不尽が蔓延る原因はやはりあるんだ。

 ……あの闇の帝王ですら、純血ではなかったという噂があった。

 純血でなく、きっと純血一族の力などなくても全てを破壊できたであろう彼が、それでも血を讃えるようになった影には一体何があったのか、僕は知らない。でも、想像はできる気がする」

 

 

 こうして話は終わった。

 しばらく、誰も喋らなかった。そして、再び口を開いたのはやはりグレンジャーだった。

 

 「それでも、あなたは! マグル生まれの魔法使いを排除するのが正しいって思っているわけじゃないんでしょう? だったら、どうすべきだと思っているの?」 

 

 こんな、グレンジャーにとって辛いだけの話を僕がしても、それでも彼女は僕を信じてくれているのだった。

 

 「僕らはまだ子どもで、この世界の制度を根本から変えるにはあまりにも無力だ。でも、今できることはある。

 ────断絶の先にいる対立者を一方的に否定しないこと。なんでそう思ったのか、どうしてそう考えたのか。相手に寄り添って想像すること。自分の願いと一致するところを全力で探すこと。敵ではなく────味方になるかも知れない存在として考えること」

 

 口にしてみても綺麗事だ。けれど、綺麗事を言うことにもまた価値がある。

 

 「難しいことだと思う。僕だってほとんどできてない。でも覚えていたい考え方だと、思う。

 

 強大な敵に立ち向かい、討ち果たさんとする君たちの勇気は過酷な状況で比類なき価値を発揮する。けれど、そうじゃない時。まだ、時間があって、相手も自分たちも追い詰められ切っていないとき。そのときはどうか勇気を納め、狡猾さをもって争いを避けることを────考えてみてほしい」

 

 いつか、闇の帝王のもとに絡め取られるかも知れない友人や家族のことを思いながら、僕は話を終えたのだった。

 

 

 

────────────────

 

 ドラコの話は重たかったし、正直よくわからないこともたくさんあった。ロンも僕と同じ感じだったけれど、ハーマイオニーは口を結んで何かに耐えるような表情をしていた。

 ドラコも深刻そうな顔をしていたけど、ふと何かを思い出したように顔を上げてロンに話しかけた。

 「そういえば、ウィーズリー。君、夏休み中にも車を飛ばして、ハリーを監禁されているマグルの家から助けにいったんだよね」

 「なんだよ? もうこれ以上難しい話が入る状態に見える?」とロンが返す。

 ドラコはちょっと笑いながら首を振った。

 

 「まあ……僕らスリザリン生ならそのやり方は絶対しないが……そもそもこの一年が終わったらハリーはその家に帰らなきゃいけないのに、ちょっと派手な手段すぎると思うし」

 言葉に反してドラコは嬉しそうに続けた。

 「でも、そこだと思うんだ。あんな偉そうなことを言っておきながら、僕の迂遠なやり方では、ハリーがそのマグルの家で苦しめられているのをすぐに助けることはできない。正直、魔法の車を飛ばすリスクというのは二ヶ月少しのために払いたいコストの量を超えていると……考えてしまう自分がいる」

 ロンは話の方向が見えず、訝しげに僕とハーマイオニーの顔を見た。

 

 「だから……後先考えず、勇気を持って、『今』苦しむ人を助けることができるのは、やっぱりグリフィンドールの美点なんだろうね」

 

 ロンの顔にじわじわと赤みが広がっていく。何度か口をパクパクと動かし、けれどまっすぐドラコを見て、胸を張って言った。

 「なんだ、知らなかったの? 僕らは勇猛果敢なグリフィンドールなんだよ」

 

 

 



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第二十一話 狂ったブラッジャー

 

 石になったミセス・ノリスに出くわした日、ただでさえ解放された時刻は遅かった。僕の長話によって足止めを食らった結果、時計の針が天辺をだいぶ過ぎた頃に僕らはそれぞれの寮に戻った。どうせ近くのロックハートの部屋にダンブルドアを含めた先生方がいたんだし、危険はないだろうとたかを括った行動だったが……逆に言えば先生方にとっ捕まる危険は大いにある。僕もグリフィンドール組も見つからずに戻れたが、かなり迂闊な振る舞いだっただろう。

 

 しかも、話に熱中し過ぎていて頭から抜けていたが、今回の敵はマグル生まれ殺しの怪物かも知れないのだ。うっかりで出くわしたら目も当てられない。でも、じゃあなんで猫を? 直接スクイブのフィルチ氏に行けよ、と思わないでもない。……僕は子どもを理由なく脅したり傷つけたりしようとするフィルチ氏のことがあまり好きではない。もちろん、最初の死者が出なくてよかったとは思うが。

 事態をより分からなくしているのが、猫は死んでいないと言うことだ。ダンブルドアがマンドレイク回復薬を使おうとしている以上、その石化の原因は「ものすごく強い魔法」というだけで数限りなく考えられてしまう。

 

 ダンブルドアが特定できていなさそうな以上、こちらでもできる限りの調査はするが……正体を掴める気が全然しない。しかし、できるだけ迅速に動かねば、いよいよマグル生まれが殺されかねない。楽観的仮説として、フィルチ氏に復讐をしたいだけのひどく悪趣味なイタズラという線もあるが、そう考えられるほどあの石化は簡単な呪いじゃない。

 正直、手詰まりだった。

 

 意外なことに、僕を含めあの場の四人は即座に事件の容疑者として、周りの生徒から見られることはなかった。これは理由がわからず不気味に思っていたのだが、原因は意外なほど簡単なことだった。そもそもスリザリン以外の三寮は、「秘密の部屋」のことを知らない者がほとんどだったのだ。魔法族の歴史の軽視は深刻だ……と言いたいところだが、「部屋」の存在は史実というより伝説に近い。実際、今まで開かれたことはないらしいのだから。

 

 そして、「秘密の部屋」の物語がどこかのクラスでビンズ教授によって語られると、噂はあっという間に広まった。もちろん標的は僕だ。ハロウィーンパーティの日、僕は大広間にはスリザリン生と、その後はグリフィンドール三人組と一緒にいたアリバイがあるのだが、流言を流布する連中はそんな論理的思考を持っていない。去年の学年末にダンブルドアから点を与えられたことで一気に有名になってしまっていたのも無駄な注目に拍車をかけた。結果、僕はスリザリン以外の三寮の多くの生徒から危険人物扱いを受けることになった。

 非常に不本意だが、状況が僕を一番怪しいと言っている。仕方ない。

 

 スリザリン内でも僕はなかなかな扱いを受けた。主にパンジーとザビニから。彼らは僕のことを人間と猫の区別もつかないスリザリンの後継者だと囃し立て、大いにからかい倒していた。一ミリも僕のことを継承者だと思っていないのに熱が入りすぎだろう。そもそも、マルフォイ家はスリザリン家系ではあれどもスリザリン直系であるゴーントとの血縁はなかった。ただ、マグル生まれの死を願うようなことは二年生の誰も言わなかったのは、僕も少しは影響力を持てていると自惚れたい。

 逆に言えば、僕らより上の学年にはそういう子が珍しくなかった。特にこの間の「穢れた血」事件でグレンジャーを目の敵にしているヒッグズは、練習のたびに怪物が最初に手にかけるのはグレンジャーがいいと嘯いていた。彼は僕のことを思ってそれを言っているのだから、全く扱いに困る。よく喋って、からかいあいをする仲なんですよ、と言ってもどこ吹く風だ。

 

 純血主義者の中にも「家系にマグルがいるものとは絶対に結婚しないが、マグルの血が入った魔法使いも魔法界の維持に必要である」という比較すると理性的な立場があるにはある。しかし、親世代は青白ハゲの、我々世代はスネイプ寮監が用意した舞台によるグリフィンドールとの抗争を経て、特に学生という野蛮さがある程度の力を持つ場所では過激思想が尊ばれていた。

 大人になったら「穢れた血」なんて大っぴらには口に出さない、というようなある程度のコーティングしないと恥ずかしいとされる。しかし、集団で敵対構造を作っている場において半端者は裏切り者である。

 

 そんな状況下で再びグリフィンドール三人組とは少し疎遠になった。以前と違い蟠りがあるわけではないが、彼らはどうしてもグリフィンドールだし、僕と喋っている時間もなさそうだった。どうせ事件のことを調べ回っているのだろう。今年こそ大分危険そうなので大人しくしていてもらいたいが、絶対にそうはいかないだろうというのはこの一年ちょっとで既に実感していた。ただでさえ魔法使いの子供というのは危険に対して鈍感なのに、そこに主人公補正が乗っかっているのだからもう手に負えない。

 

 そうして十一月も半ばになり、嫌なシーズンがやってきてしまった。今日は待ちに待ってないスリザリン対グリフィンドールのクィディッチ初戦の日だ。

 

 僕はフリントに、チェイサーの四人の中で僕が一番クアッフルを扱うのが下手だし、箒に乗るのも上手くないと訴え、試合に出さないよう懇願した。終いにはもう少し上手くなってから出ないとブラッジャーに叩き落とされ、父がお怒りになるかも知れないとまで言った。しかし、現実は非情だった。

 「マルフォイ氏のこともある。今回はピュシーが補欠に回るから。お前は出るんだ」だそうだ。

 ピュシーに一緒に抗議するよう頼みに行ったが、彼は僕の方が小柄で取り回しがいいだなんだと理由をつけて遠慮してしまった。こんなところで遺恨を残したくないのに、最悪だ。

 

 こうして土曜日の朝、僕は未だかつてないくらい落ち切った気分でクィディッチピッチに向かった。天気すら僕の気分を反映しているような曇り空だ。スリザリンの観客席には、パンジーがミリセントと一緒に作った灰色の猫が四隅に踊る「スリザリンの怪物は常に勝利する」という馬鹿げた横断幕が掛かっている。神聖なるは常に勝利する(Sactiomnia Vincet Semper)がマルフォイ家の家訓なのだが、それをもじったらしい。状況を楽しみすぎだろう。今日の僕の最大の敵かも知れない。

 

 「秘密の部屋」の噂のこともあって、ハリーを除いたグリフィンドールチームからの視線は痛い。逆に、僕に向かって小さく手を振っているハリーはよくそれでチームから浮いていないなと少し感心する。やっぱり最年少天才シーカー様は違うのだろうか、という少し卑屈なことを考えてしまう。

 けれど、ハリーも緊張しているようだ。ニンバス2001を全員が持っているというのは、サッカーでいきなり相手チームの足がサイボーグになったようなものである。そりゃあ、勝てるか不安にもなるというものだろう。しかしこのスポーツはサッカーではないので、シーカーの活躍次第でいくらでもどうにかなる。心の中で頑張れと応援した。

 

 そして、いよいよ試合が始まった。僕は仲間のチェイサーの動きについて行くので一杯一杯だ。グリフィンドールの双子にブラッジャーで狙われたら、即座に叩き落とされるだろうとヒヤヒヤしていたのだが……しかし、僕らの方にブラッジャーはほとんど飛んでこなかった。なんでそんなことになっているのか全くわからないまま、気付けばスリザリンは60対0でリードしている。

 ようやく試合の空気に慣れて何かがおかしいと感じ始めたとき、グリフィンドールがタイムアウトをとった。そこで僕はヒッグズに、ブラッジャーの一つがハリーだけを目掛けて飛んでいるのだと教えてもらったのだ。

 

 とんでもない話である。いや、元よりブラッジャーなんていう鉄の塊が人を叩き落とそうとする中、木の棒で飛ぶスポーツ自体がとんでもないのだが。そうじゃなくて、また去年と同様魔法道具に呪いがかけられ、ハリーが狙われている。お客様の中にダンブルドアはいらっしゃいませんか! と思い観客席を見上げるが、やはりいない。いたらそもそもこんなことになっていないだろう。

 しかし、幸いなことに試合は止まっている。このままマダム・フーチが無効試合として処理してくれることだろう────と考えていたが、僕は魔法族のクィディッチに対する愚かさを完全に舐めていた。

 

 マダム・フーチはそもそも問題が何か気づいていなかった。他の教員からも試合中止の申し入れは来なかった。グリフィンドールチームは没収試合でスリザリンの勝利という形になることを恐れ、試合を続行した。

 

 ハリーを含めグリフィンドールチームは狂っているし、マダム・フーチは救いようのない無能だ。いつもだったらマクゴナガル教授に縋るのだが、彼女はことクィディッチに関しては全く頼りにならない。特に試合が始まってしまった後では。

 僕は泣きたくなった。

 

 スリザリンの立場で試合放棄を勧められもしないまま、再開のホイッスルが鳴り響いた。

 

 先ほどまでハリーの護衛に回っていたウィーズリーの双子が、クアッフル争奪戦にブラッジャーを打ち込んでくるようになったが、それでも一個はハリーの後を追い続けている。ハリーはブラッジャーに重さで強い慣性が働いているのを利用して躱している。────物理法則を一切無視した物体に働く慣性ってなんだよ、ふざけるな────あんな速度で移動されては地上からは到底助けることができないだろう。

 僕は上空のハリーに注意して飛んだ。それでも、────僕も魔法界に毒されている────クィディッチの道具である以上、本当に致命的なことにはならないと思うが、鉄球が首をへし折る可能性がある中でそんな希望的観測に縋っていていいのだろうか?

 

 しかし、僕が取れる手段は少ない。ファウルになることを承知で魔法をかけに行ったとしても、あの速さだ。まともに当たるかどうかもわからないし、そもそも魔法道具にきっちり呪いをかけるためにはよっぽど上等に呪文を使わなければならない。

 使う呪文だって問題だ。迂闊に爆発させたりしてなお呪文の効果が切れなければ、無数の鉄の破片となったブラッジャーがハリーを襲うだろう。悪夢だ。

 

 ただでさえクィディッチの試合中で、割ける意識など殆どないのに考えなければいけないことはあまりにも多かった。

 消失呪文────五年生の変身術の内容だ────しかも、箒に乗りながら、飛び回るブラッジャーに当てないといけない────しかも、魔法道具だから高い練度で────どう考えたって、無理に見える────でも、本当にハリーが危険そうならやるしかない。

 

 そんなことを考えていると、何故か上空でハリーが不意にスピードを緩める。案の定そこを狙ってブラッジャーが強襲し、ハリーの右腕をすごい勢いで叩き折った。ああ、もうダメだ、限界だ。

 

 僕はクワッフルを抱えたジョンソンを追う箒の向きを変え、ハリーの方にローブから引っ張り出した杖を構えた。

 

 「エバネスコ!!」

 

 杖から放たれた閃光は辛うじてブラッジャーを捉え────そしてブラッジャーは綺麗さっぱり消え失せた。ああ、ファウルをしてしまった。退場かも知れない。スリザリンチームは敵チームのエースを守ろうとした僕を心底軽蔑するだろう。絶対、僕の方が正しいのに。

 

 しかし、そうはならなかった。マダム・フーチがホイッスルを鳴らす前に、試合が終わった。スピードを緩めたときに、ハリーは既にスニッチを獲っていたのだ。ハリーはそのまま下に落ちるように飛んでいった。

 

 なんとかハリーに追走し、地面に激突しないように掬い上げる。ニンバス2001最高。腕は本当に痛そうだ。反対側に折れている。ハリーは足を地面につけるや否や、スニッチを握りしめたまま倒れ込んでしまった。もうクィディッチをやめてくれ。

 

 慌てて地面に体を横たえて腕以外は大丈夫か確認していると、いきなり僕を押しのけてハリーへとかがみ込んできた人がいた。けばけばしい色彩で即座に分かる。ロックハートだ。何やら張り切った様子に、今まで生きてきた中で最も不吉な予感がした。

 

 「ハリー、心配するな。私が君の腕を治してやろう」

 ロックハートはどこから湧いてくるかも分からない自信のままに袖を捲っている。僕と同じく嫌な予感がしているのか、ハリーは弱々しくロックハートの手を拒んでいる。

 「ロックハート教授、待ってください。マダム・ポンフリーのところへ運びましょう。彼女は専門家です────」

 周囲にグリフィンドールチームが集まってくる。なんでカメラ小僧はこの場にもういるんだ。遠くからマダム・フーチやマクゴナガル教授がやってくるのが見えるが……しかし、間に合わなかった。

 

 ロックハートが稚拙に杖を振り回してかけた呪文で、ハリーの腕は奇妙に力を失い体に垂れ下がった。そこには、人間の進化の中で重力に合わせて組み上げられてきた形が一切ない。つまるところ、ハリーの腕からは完全に骨が抜き取られてしまったのだった。

 僕はしばし呆然とし、そして腹の底から湧き上がる激憤をロックハートにぶつけようとした。しかし、僕の怒りは僕より遥かに激烈に憤怒をあらわにした人の存在でかき消された。それは、やはりマクゴナガル教授だった。

 

 「ギルデロイ────ロックハート! あなたは何をしたのですか! この能無しの大馬鹿者! ああ、骨を消失させるなんて────ホグワーツの在学生だってここまでの不始末は滅多にありません! ウッド、ポッターを医務室に連れて行きなさい────その杖の先で何が起こるか少しだって考える頭を持っていないのに────自分の能力を見誤り生徒に危害を加えるなど、教師としてあるまじき行為です!」

 

 僕は去年ハグリッドにマクゴナガル教授が怒るところを見て、もう二度とこんな彼女を見ることはないだろうと思っていたが、それは完全に間違っていた。()()()()()()()()()()の腕の骨を抜くという行為は彼女の逆鱗を二つむしり取ってしまった。

 

 叱責の苛烈さのあまり、僕は自分が叱られているわけでもないのに、根が生えたようにそこに突っ立っていた。突然、マクゴナガル教授はこちらを向く。思わず身が縮こまる。ロックハートへの怒りを抑えるために決然とした口調ではあったが、彼女は僕に向かってできるだけ穏やかに言った。

 

 「マルフォイ────素晴らしい消失呪文でした。あなたは、常に私の期待を超えた結果を見せてくれています。スリザリンに十点、差し上げましょう」

 

 明らかにこの場の状況はいいものではなかったが、僕はとりあえず少しの報いを得たのだった。

 

 結局ハリーを無傷で守りきれなかったし、あの状況でロックハートは僕に隔意を持ってしまったかも知れない。けれど、危惧していたよりスリザリンチームは僕に寛容だった。ハリーは僕がブラッジャーを消すか消さないかのところでスニッチを獲ったし、彼がロックハートによって骨抜きにされたのが物笑いの種になったからだ。さらに、マクゴナガルがロックハートを叱りつけ僕に点を与えたのも良かった。フリントには呼び出されて小言を頂いたが、それはもうしょうがないだろう。ヒッグズだってスニッチを見逃したのだ。

 

 何にせよ、もうクィディッチはやりたくない。心からそう思った。

 

 



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第二十二話 決闘クラブ

 

 

 僕が大事なことを忘れていたのに気づいたのは、クィディッチの試合が終わった翌日だった。ハリーが誰にも聞こえない声を聞いていると、ダンブルドアに伝えていなかったのだ。

 迂闊としか言いようがないが、他に気を取られていることが多すぎた。純血主義の件とか、後継者疑惑の件とか……他にも色々。ハリーの命を狙うブラッジャーを前にして、ようやく思い出した。

 ちょうどいい機会だから他にも報告したいことをまとめたが……考えてみれば、僕はダンブルドアに自分から会いに行ったことがない。安易にフクロウ便などを使って、他の誰かに彼と繋がりがあると知られるのも、父との関係や後々のことを考えれば危険だ。

 

 仕方なく、僕は最も信頼できる人物、つまりマクゴナガル教授を頼ることにした。日曜の朝にダンブルドアに伝えることがある場合はどうすればいいか尋ねるため、彼女の居室でもある研究室へと向かう。

 去年度の六月からこの半年足らずでマクゴナガル教授は二回も校長に部屋を僕のせいで提供している。本当に心苦しかったのだが、彼女は前日の消失呪文の出来事のせいか、快く連絡係をしてくれた。しかし、ハリーのことがあったとはいえクィディッチで自寮が勝利したとは思えないほど、マクゴナガル教授は張り詰めた様子だった。

 

 

 それが何故なのか知ることができたのは翌日になってから。朝食の席の噂話によると、土曜の深夜にグリフィンドールのカメラ小僧ことコリン・クリービーが石化して発見されたというのだ。ついに人間の被害者が出てしまった。噂はあっという間に広まり、そしてやはり僕に疑いの目が向いた。

 

 ただでさえ、クィディッチの試合でブラッジャーがグリフィンドールのハリーを叩き落とそうとしたのだ。事情を知らない人からすれば、僕はハリーを殺し損ねた腹いせにクリービーを石化させたように見えるだろう。

 しかも僕の友人たちは新学期が始まってすぐの頃、派手にクリービーを──正確にはクリービーに付き纏われていたハリーを──からかっている。クリービーが石化した時間帯、僕はフリントに詰められていたのだが……寮の外にいる人は知る由もない。すっかり僕は他寮の生徒から遠巻きにされるようになってしまった。去年、僕があれだけ腐心したスリザリンへの敵視の解消は、図らずしも僕自身によって阻害され始めていた。

 

 

 グリフィンドールの二年生や僕のことを直接知っている他寮生は、意外にも擁護派に回ってくれているようだった。三人組はともかく、他の生徒たちは信じられる要素もないだろうにと思っていたが……授業で交流のあった子達からは、ある程度信頼を獲得していたらしい。ありがたい事だ。

 上級生はそうもいかなかった。僕は丸め込みやすい下級生に取り入り、陰で純血主義者のスリザリンを率いる悪魔のように言われていた。どう考えてもそんな器ではないはずなのだが、実際に染まりやすい下級生と仲良くしようキャンペーンをやっていたのは事実なので何も言えない。でも、僕はまだ二年生なのだが。邪悪すぎる十二歳だと思われてしまっている。

 

 それ故に、僕はいよいよ三人組と話せなくなった。特にハリーの警護は厳重だ。グリフィンドールのクィディッチチームの上級生はがっちりと自チームのシーカーの脇を固め、僕が近づくとサッと影に隠すといった始末だった。その度ハリーが抗議する声が聞こえてきたが、彼らは頑なだし、クィディッチに狂っているものに何を言っても無駄だ。

 マクゴナガル先生があの時、ハリーを守るための消失呪文に加点してくれたから大丈夫だろう、というのは楽観的すぎる予測だった。僕は先生方を手玉にとって自分から疑いを逸らしている……らしい。確かに先生方に媚びを売ったり手を回しているのは事実ではあるが……中途半端にかすっているのが本当に厄介だ。

 魔法薬学ではハリーと一緒だったが、スネイプ教授は僕らが、というよりかはグリフィンドール生が授業中に話そうものなら、容赦なく罰則を課しただろう。

 

 冷静に考えて、僕がスリザリンの継承者ならば不名誉な噂を吹聴するパンジーを野放しになんて絶対にしないと思うのだが、皆その辺りはどうも良く見えていないらしい。

 

 学校内は緊張感が色濃く広がっていた。まだ入学して三ヶ月しかたっていない一年生たちは固まって動くようになり、どう見ても効果のない護身グッズがそこかしこで取引されている。勿論僕らスリザリン生は襲撃に怯える必要はないが、紛いものを放置しておくわけにもいかない。こういう品に妙な呪いがかけられている可能性を一々潰さなくてはならないのは、本当に面倒だった。

 

 

 僕の継承者の調査は全く手応えがないなりには行われていた。観察する限り、スリザリン生の中に怪しい動きをしているものは今のところいない。そもそも最初の一件はハロウィーン・パーティーの真っ只中に起こっている。スリザリン二百人程度の中で、僕を含めて一連の事件のどちらかにはアリバイがあるものがほとんどだった。高度な服従の呪文をかけられているとか、その場にいなくても犯行が行えるという線もあったが、そういった可能性を考え始めるとまたもや選択肢が増えすぎる。とりあえずは後回しにするしかない。

 

 スリザリンの血統と言えばゴーント家なので、それが最大の手がかりになるかとも思ったが……生憎と、ことはそう簡単には運ばなかった。最後の男子のゴーントだったモーフィン・ゴーントは獄中死しているし、メローピー・ゴーントは七十年近くも前に行方不明だ。もしメローピーの縁だったとしても、今からそれを辿ることは不可能だろう。闇の帝王は蛇語を話せたというし、やっぱり彼に関連しているのだろうが……そもそも彼の人は出生不明だ。調べようがない。

 

 怪物の正体もいまだにさっぱり分からない。前の事件から増えた情報が「人間も石化させられる」だけなのだ。人が殺せるという伝承は嘘なのか、殺せるものと石化させられるものの二体いるのか、継承者自身が僕らの知り得ない方法で高度な石化呪文をかけているのか、考えようと思えばいくらでも考えられてしまう。現場検証に行くべきかも知れないが、僕がクリービーのことを知ったのは事件からだいぶ経った後だったし、犯人は犯行現場に舞い戻ると言われてしまえば行動範囲がさらに狭まりかねない。おまけに二つの事件の場所に共通点らしきものは見当たらない。

 

 生徒の犠牲者が出たことで、もう一つ新しく生まれた懸念点があった。学校で起きている事態は全く外部で報道されていないのだが、それをいつまで抑えていられるか、ということだ。これはダンブルドアの手によるものだろうが、父を筆頭に有力者の反ダンブルドア勢力が勘付けば、間違いなく校長排斥の口実になる。

 普通だったら校内の暴力事件を揉み消す校長なんて、とっとと辞任しろと言いたいところだ。しかし、敵による攻撃があるからといってダンブルドアに責任を取らせ、校長職を去らせていてはホグワーツはおしまいである。ダンブルドアこそが最も強固な守りである以上、彼がホグワーツを去るのが敵の狙いであることも十分考えられるのだ。

 

 

 昨年より明らかにこれから先が予測できない事態に、僕は今年はクリスマス休暇をホグワーツで過ごそうと考えていた。

 十月と十一月にシグナスお祖父様とカシオペア伯母様が相次いで亡くなってしまい(それがダンブルドアに報告を忘れた理由でもあった)、今年はもう二回も家には帰っている。父と母もブラック家の財産の処分できる範囲での処分(多くが彼らの遺体が屋敷から運び出された後、そのまま屋敷と共に封じられた)に忙しそうだし、今年は帰ってもしょうがないだろう。

 

 考えることが多すぎて頭がパンクしそうになりながら日々を過ごしていたが、それ以外に気を配らなくていいわけではないのが辛いところだ。

 休暇前最後の魔法薬学では、あろうことか「膨れ薬」を調合していた大鍋に花火を投げ入れる悪戯をした大馬鹿者がいたために、僕らも被害を被った。僕は気疲れや何やらで後方腕組み監督者面をしていなかったことを大いに後悔した。スネイプ教授は相変わらずハリーによる犯行だと決めてかかっているし、本当に疲れる。真面目に犯人を探してほしい。

 

 

 そんな何とも疲労感の漂う木曜日、「決闘クラブ」が大広間で開催された。

 

 僕は告知される前から、この催しの発案者が誰なのか知っていた。ロックハートだ。僕自身が聞いたわけではないが、スリザリンの四年生が授業案を手渡しに行ったとき、得意げに話していたらしい。

 この頃彼の授業は本当に安定してきていたため、欲が出たんだろうか。僕はクリービーの件以来、寮外での僕の扱いを見かねていたクラッブに配達の役割を代わってもらっていたため、授業外のロックハートに会っていなかった。

 

 正直最初のロックハートが考えたものだったなら絶対に参加しなかっただろう。しかし、この二ヶ月で彼がどれだけ指導者として腕をあげたか気になったし、他寮も来るということはハリー達と話せるチャンスかも知れない。あの後「声」を聞いたか尋ねたいのもあり、僕はスリザリンのみんなと一緒に大広間へ向かった。

 

 

 

 生徒で混み合う大広間の中、ロックハートはいつも通り大袈裟で、ナルシズムに満ち満ちた様子でクラブを始めた。驚いたことに、彼はスネイプ教授を助手にしたのだそうだ。僕はスネイプ教授の決闘の腕前を全く知らなかったが、大人しくこき使われる助手の立場に甘んじるとは到底思えない。またしても良くない予感がし始めていた。

 相も変わらず、ロックハートはまるで空気を読む神経を全て脊椎から抜いてしまったかのようだ。衆目の前で明らかに復讐心に燃えているスネイプ教授を煽りながら説明を続ける様子は、見ているこちらの肝が冷える。対照的な雰囲気を纏う二人が模範演技をし、僕の悪い予感は当たった。

 

 どう考えてもただの魔法薬学教授とは思えない手際で、スネイプ教授はロックハートを武装解除した。彼は何とか大きく吹き飛ばされはしなかったものの、杖を弾かれた側から舞台の下によろめき落ちる。お可哀想に……と憐れむ僕をよそに、鼻持ちならない教師がしてやられたことでその場は大きく盛り上がった。

 

 その後フラフラになったロックハートは、スネイプ教授が使った「エクスペリアームス」を練習するように言うと生徒を組にし始めた。そこで、僕は何故かスネイプ教授によってハリーと組む幸運を与えられたのだった。

 

 勿論人前で言えるような内容だけだが、お互いに呪文を掛け合いながら僕らは少しだけ話ができた。ハリーはブラッジャーの件以来ずっと言えていなかったとお礼を伝えてくれた。ここ数日疲れ切っていた僕の荒んだ心に沁みる気遣いだ。

 彼は初めて武装解除呪文を使うのに、数回試すともう僕より上手に杖を飛ばし始めた。

 僕がポケットに入れていた飴を蛙にして、それにハリーが武装解除を当てる遊びをしていると、スネイプ教授がストップの合図を出す。グリフィンドールとスリザリンの上級生で組まされていたところ同士はかなり荒れていたようだ。レスリングのような様相を見せているところすらある。野蛮である。

 

 その後、手本を見せると言うことになったのだが、ロックハートによって僕らの組は壇上に引っ張り上げられてしまった。彼はみんなの前でハリーを指導するところを見せたかったらしい。つくづく卑しい男である。

 僕は何故かスネイプ教授に「サーペンソーティア」で蛇を出せと指示された。今の僕の状況でそれをやれば完璧にスリザリンの継承者っぽいのだが、それはわかっているのだろうか? 高度な呪文を使わせることで、スネイプ教授はどうやってもハリーに一泡吹かせたいらしい。

 

 ハリーは先ほど飴の蛙にやっていたように出来れば、別に蛇にだって対処できるだろう。そんな至って安易な気持ちで僕は蛇を出した。

 そして、それは完璧に間違った選択だった。

 

 ハリーが何かする前になぜかロックハートは中央に躍り出て、僕の蛇を吹っ飛ばした。舞台から飛んだ蛇は地面に叩きつけられ、警戒態勢をとる。威嚇の矛先は一番近くにいたハッフルパフのフィンチ-フレッチリーに向いてしまった。

 慌てて蛇を消そうと杖をあげるが、その前に蛇は動きを止めた。

 ────蛇を制止したのはハリーだった。ハリーがシューシューという音を口から放つと、蛇はそれに従うようにとぐろを巻き、ハリーを見上げた。

 

 大広間はただ静まりかえっていた。

 

 

 



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第二十三話 スネイプ教授の忠告

 

 

 全校生徒に蛇語を披露してしまった決闘クラブの後、ハリーは華々しく「誰がスリザリンの継承者でしょうか」レースのトップに躍り出た。彼は全く知らなかったようだが、パーセルタングとはそれだけスリザリン的素質の一つだと考えられている。闇の帝王が蛇語を話せたという話もあいまって、蛇語使いの持つイメージはよろしくない。

 その後の展開も最悪だった。事件から数日も経たないうちに、ハリーは当のフィンチ-フレッチリーと「ほとんど首無しニック」というゴーストが石化させられている場に、一人で居合わせてしまったのだ。怪しく見えてしまってもしょうがない。……それでも、僕にかかった後継者の疑いが晴れたわけではない。

 

 今一番有力視されているのは、僕とハリーは共謀して事件を起こしているという説だった。今まで流れていた僕についての荒唐無稽な噂は、そのままハリーの手伝いだったというふうに流用された。

 僕が疑わしい理由の一つに、ブラッジャーでハリーの腕をへし折ったからというのがあったはずなのだが……噂を吹聴する人間というのは自分の発言に無責任なのか、三日くらいしか記憶を保持できないのかのどちらかだ。

 

 しかしなるほど、それらしい考察でもあった。僕らが隠れてマグル生まれを襲っているなら、多くの生徒が詰めかけた「決闘クラブ」で蛇語のお披露目会なんて正気を失った真似するはずがない、という点を除けば。もし僕がフィンチ-フレッチリーを本気で狙っていたのだったら、絶対に先に警戒されるようなことはしない。

 それとも僕らはそこまで救いようのない馬鹿だと思われているのだろうか……と訝しんでいたところで、九月の初めにハリーが何をやらかしたのか思い出す。残念ながら、あの「空飛ぶ車」事件でハリー達に貼られたレッテルに「目立ちたがりや」があるのは間違いない。

 

 残念なことに、二年生の僕らの顔が利く範囲も、僕らの人となりを知る人の範囲も広くない。元々言わせておけの姿勢ではあったが、いよいよ噂をどうにかするのは不可能だった。

 

 僕があれこれ言われる分には構わないが、ハリーにとってはドラゴン事件の再演である。こうもいろいろな視線に晒されるのは、物語の主人公だから仕方ないのかもしれない。しかし、彼は入学して以来関わりまくっている「事件」と名の付く騒動は望んで引き起こしたものではない。「車」とドラゴンについては……知らん。少しは主人公贔屓の考え方をさせてくれ。今回も僕が関わってしまった結果のようにも思ったが、指示を出したのはスネイプ教授で僕でなくてもこの結果になっただろうし、ハリーが蛇語について知識を持っていなければ遅かれ早かれこんな状況に陥っていたことだろう。僕のせいではない。……きっと。おそらくは。

 

 この一ヶ月少しでだって、僕は周囲の噂に辟易していたのだ。僕より遥かに名前が知られているハリーは本当に大変だ。しかも、彼は周囲に多くのスリザリン生の理解者がいるわけでもない。勿論グレンジャーとウィーズリーはいるが、下手をすれば同寮のマグル生まれの生徒にすら陰口を叩かれているだろう。二年目で改めて彼がこの先ホグワーツで見舞われる困難を思い、ため息をついた。

 

 グリフィンドール生と言えば、もう一つ新たに沸いた懸念事項がある。

 パンジーは流石にクリービーの事件から一ヶ月も経っていたことがあって、僕を出汁にするのに飽きていた。そんな中ハリーという絶好の餌を与えられ、ここしばらく見たことがないほど有頂天になって彼を茶化し倒していた。

 

 そこに何故かウィーズリーの双子が参戦したのである。

 

 この四年生の二人組は、以前は僕からハリーをガードしていた生徒の中にいたのだが、「決闘クラブ」以降その護衛はやる気を少しなくしたようだった。(オリバー・ウッドは相変わらず僕をマークしていた。せめてクィディッチピッチだけにしてくれ。)フィンチ-フレッチリーの事件の後、いよいよ周囲に疑われ出したハリーを、彼らはなんとスリザリンの継承者として公の場で煽り始めた。パンジーは彼らとともに僕らを揶揄い、ふざけ、そしてどちらが真の継承者なのかで口論した。

 

 「道を開けろ、公衆の面前で自らの正体を明かしたスリザリンの後継者様御一行のお通りだ!」

 「おお、生徒達に高らかにそのスリザリンの力を披露なさったハリー・ポッター……偉大なるハリー様はご聡明にもスリザリンにスケープゴートをお立てになっていたのだ……マルフォイに杖型甘草あめを蛇に変えさせ、自らの召使いをお作りになっているのだ……」

 「いいや、違う! 賢明なるドラコ・マルフォイは蛇語を操るハリー・ポッターを駆使し、『秘密の部屋』をお開きになったのだ……マルフォイ様は生徒を狙おうとしたがご近眼で、猫しかお捕まえになれなんだ。少しはまともな眼鏡をかけているポッターに生徒を狙うよう指示されたのだ!」

 

 いい加減にしてくれ。ハリーが嫌がっていたら止めさせようと思っていたが、彼はその四人が僕らを明らかに本物だと思っていないことが嬉しいらしい。健気なのか図太いのかどっちなんだ。出くわすたびに僕らの不名誉な噂の小型拡声器になる四人のおかげで、僕らは校内で目立ち切っていた。

 

 

 しかし、数日で僕らの周囲は静かになった。クリスマス休暇が始まったのだ。スリザリンで学校に残ったのは僕一人だ。クラッブとゴイルはこんな事件が起きている学校に僕を一人残すことを心配していたが、それでも僕は純血である。クリービーもフィンチ-フレッチリーもマグル生まれだったし、次狙われる人間もその流れが続くと考えられる。勿論僕が純血犠牲者の最初の一人でなければ、というのはあるのだが。結局いつものスリザリン組は僕を残し全員それぞれの家に帰っていった。

 学校に残ったのは僕とハリー、グレンジャー、ウィーズリー兄弟だけだった。ウィーズリー兄弟は夏に父同士が乱闘した同士ではあったが、紆余曲折の結果打ち解けてこれているのは僥倖だ。

 

 パーシー・ウィーズリーとジニー・ウィーズリーには、この休暇で初めてまともに顔を合わせた。意外なことにパーシーの方は比較的僕に好意的で、そしてジニーは多くの一年生と同様に僕に怯えきっていた。彼女はハリーが好きだそうで、俗説の一つ「マルフォイがハリーを操っている」説を信じている一人なのかも知れない。僕はこの可哀想な一年生をあまり脅かしたくなかった。

 

 

 

 休暇は穏やかに過ぎていった……と言いたいところだったが、なかなかそうもいかなかった。

 今年の事件について、時間があるうちに調査を続けなければならない。ハリーが蛇語を話せるということは、彼にしか聞こえない声は蛇の一種だった可能性が浮かび上がってくる。でも、「猫、人間、ゴーストを石化させる」「姿の見えない」「蛇」の怪物というのは僕の知識にはなかった。フィンチ-フレッチリーとクリービーの事件から容疑者を推測することもできない。……僕は役立たずだった。

 

 しかも休暇に入った翌日、僕はスネイプ教授に呼び出された。

 事件に関して言えば、彼が僕に蛇を出させたこともあって正直かなり怪しく思える。だが、去年のダンブルドアの「最も信用する人間の一人」という言葉を信じるなら、やはり容疑者からは外さなくてはならない。

 尤も、話の内容は事件に全く関係なかった。

 

 冬に長居するには底冷えしすぎる地下の研究室で、スネイプ教授は眉間に真っ直ぐ縦ジワを刻んで僕を出迎えた。その手には何やら便箋が握られている。

 「君のお父上から吾輩に届いた手紙だ。クリスマス休暇に一人で過ごすことになった君のことをご心配なさっているとのことだ」

 おお、父上……。お願いだから、我が子が学校に残るからといって、寮監にベビーシッターを依頼するような真似はなさらないでくれ……。

 しかし、そんなことを伝えてくるということは、父はスネイプ教授と僕の微妙な関係を知らないということでいいのだろうか。それとも、それがあっても言付けをするほど父と教授は親しいのだろうか。

 恥ずかしさのあまり、もうさっさと寮に帰りたかったのだが、スネイプ教授はまだ僕に話があるようだった。というより、様子を見るに父からの手紙は僕を呼び出す口実に過ぎなかったようだ。

 悶絶しているこっちをよそに、彼は話を続ける。

 

 「そろそろポッターに軽率に近付くのをやめたまえ。今、君について流布されている多くの噂は、ポッターに関わるのをやめればそのうち消えることだろう」

 ある程度予想していた内容ではある。しかし、初めての忠告だった。

 

 「つまり、汚名はハリー・ポッターに押し付けて僕は平穏な日常を過ごせと、そういうことですか」

 スネイプ教授は教育者とは思えないほど蔑みを前面に出した笑みを口角に貼り付けた。

 「英雄的な言葉だ。しかし、その周囲を顧みず、無神経にポッターなどという不逞の輩と関わり、あまつさえ奴を庇おうとする行為は君になんの利ももたらさん」

 つくづく残念なお言葉だった。理由によっては僕は教授の命令に従ってもよかったのだが、()()()()だからというのは納得できない。

 

 「見解の相違ですね。僕はハリーを始めグリフィンドール生と仲良くすることは利があると考えています」

 訝しげな表情を浮かべた教授を見据え、尋ねる。

 「教授は何故そうもハリー・ポッターを目の敵にするのですか?」

 教授相手に明らかに出過ぎた態度を取ってしまっていることは分かっている。死喰い人の疑いがある人相手にだって、聞かせていい発言ではない。けれど、この人はダンブルドアが信用していた人でもある。今のうちに彼の心情を分析する手がかりを得ておくことは、きっと無駄ではない。

 

 教授は一瞬逡巡したが、意外なほど流暢に答えた。

 「ポッターは父親にそっくりだ。規則を破り、それを鼻にかけ、深夜に校内を徘徊する……。どうしようもない目立ちたがり屋の愚か者だ」

 なるほど。ハリーと初対面であんなに因縁をつけていたのは、ハリー自身ではなく彼のお父上のせいなのか。しかしそれはあまりにも理不尽だ。許し難いほどに。

 

 「教授がご存知でないのなら、僭越ながらお教えして差し上げますが……ハリーのご両親は亡くなっているのですよ。

 実の親の背を見て育つ機会を失った彼が、遺伝形質だけでその……目立ちたがりのお父上とそっくりになるなんて、何故そんなふうに思われるのですか」

 僕の皮肉な口調に、見るからに彼の顔が険しくなる。しかし、それでも擁護を続ける。

 

 「目立ちたがりとおっしゃいますが、去年のグリフィンドールの大量失点は彼に全責任があるわけではありません。マクゴナガル教授からお聞きになっていらっしゃいませんか? 空飛ぶ車については確かに軽率な振る舞いでしたが、それだって彼がマグル育ちで魔法界の常識を知らずに育ったことに起因しています。彼に全ての原因や責任があるわけではない」

 明らかに生徒の領分を超えた発言だと自覚していたが、僕は止まらなかった。理性なく子供の性質を断定する教師は害悪だ。

 スネイプ教授はこれで僕に見切りをつけてくれるだろうと思っていたが違った。僕の言葉の中に彼は見過ごせないことがあったようだった。

 

 「君はもう少し頭が良いと思っていた……マルフォイ。スリザリンに相応しく人を見抜く才能があるものとばかり。そうでないなら大人しく年長の教師の言うことに従うのが賢明だ」

 「教師に阿って子どもに言いがかりをつけるのが、人を見抜く才能の証左だと仰られるのであればそうですね。残念ながら僕に才能はないようです」

 彼の気持ちを推し量る必要もなく、スネイプ教授はかなり怒り始めている。しかし僕も怒っていた。

 

 何故彼はこんなにも頑ななんだろう? 魔法薬学の分野で見せる分析的な思考はどうしてハリーには発揮されないのだろう? この人は何に固執してグリフィンドールとスリザリンを対立させたいのだろう? いや、一体なぜそれが当たり前だと信じてしまっているのだろう?

 

 そこで僕はようやく思い当たる。

 この人もかつては「生徒」だったのだ。ホグワーツでは父の後輩だったはずだし、戦争の最も過酷なときにスリザリンに所属した人なのだ。

 

 僕は実際を見たわけではないから、想像でしかない。けれど、そこで価値観を培った人がその対立構造で物事を見ようとするのは当然だ。寧ろ、理性的であるほど自身の周囲に抗えない性質を意識するだろうし、それから目をそらしたいなら、対立構造が普遍的なものだと証明するのが最も理にかなっていて簡単だろう。

 

 僕の怒りはすっかり萎んでしまった。しかし、だからといって彼に伝えたいことがなくなったわけでもなかった。

 厳しい目でこちらを睥睨するスネイプ教授に、僕は今度は懇願するために話し始めた。

 

 「分かっていただけると思うのですが……ある寮に組み分けされることも、された後にその中の雰囲気に従って自分の性質を変えてしまうのも、一人の人間だけでは抗いがたいものです。

 お願いです、教授。もし、闇の帝王が戻ってくるのなら。その時闇の道に自分が進むしかないと、子どもに思いこませるようなことをしないでください。その過酷さが蔓延する時代を教授は僕などよりずっとよくご存知だと思います」

 

 スネイプ教授の目は厳しかった。しかし、先程のようなハリーに関する苛立ちとは違う厳しさだった。

 「では君は……『穢れた血』などという言葉を吐く、ご友人のことを君は許せるのかね。それでもなおその子どもに手を差し伸べろと、そう言うのか」

 

 なんだか論点がずれた。教授がそういった言葉遣いに厳しいのも、それを断罪する立場として語るのもかなり意外だ。僕は内心驚きながらも、自分なりの論理を話し続ける。

 

 「僕が言われた側でもないのに許す権利なんてないでしょう。でも、その責任が口に出してしまった子供に全て背負わされる訳ではない。

 『穢れた血』なんて言葉を軽々に使うことを否定する倫理を作り上げてこなかった教育者と、許容される風潮を作り上げてきた保護者の責任が問われた後に、初めて彼ら自身の罪がどこにあるのかという話ができる。そうではないですか?」

 魔法界の教育者にこの理論はちょっと先進的すぎるかも知れないが、だからと言ってその後進性を批判しなくていいわけではないだろう。

 

 「言っている内容は酷いことです。マグル生まれに対して許されるはずもない。けれど、今ここでその全ての責任を子供に求めていては根本的な解決にならないでしょう。

 ただ何が悪いのかその子が理解できないままで責め立てていては、寧ろその責め立てる価値観を否定する方に流れてしまう。それはあまりに残念なことではないですか」

 

 僕が語るにつれ、教授の顔からは表情が無くなっていた。何が地雷だったんだ。理由に全く見当がつかない故に、今までで一番恐ろしいとすら感じる。

 しばらく彼は何も答えなかった。僕の耳に聞こえるのは、調合中の薬の立てる音だけだ。

 

 「君は何一つ分かっていない」

 ようやく教授はそれだけ言うと、僕を研究所から追い出した。

 

 

 



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第二十四話 看過

 

 

 スネイプ教授と一対一の緊迫感あふれる会話は心臓に悪い。朝っぱらから疲れ切った僕は、昼食をグリフィンドールのテーブルで取ることにした。どうせウィーズリー家とハリー、グレンジャーしかいないのだ。他の生徒の目を気にする必要もないし、一人ぼっちでスリザリンの席に座るのもなんだか気まずい。それに、彼らとまともに話すのは本当に久しぶりだ。三人とも「決闘クラブ」からどんな様子で過ごしているか確認しておきたかった。

 

 人の少ない大広間の雰囲気は存外和やかだった。相変わらず「後継者」のネタを気に入っている双子にからかわれながらの昼食が終わり、他のウィーズリー兄妹がいなくなったところで「秘密の部屋」について話すことにする。やはり三人組も彼らなりに事件の調査を進めていたらしい。

 

 しかし、僕は全く予想していなかったことで、彼らとの話し合いを早々に切り上げることになった。

 話の流れの中で、僕は何気なくハリーに言った。

 「しかし、石化以外でキングズ・クロスの締め出しもブラッジャーもまだ犯人の目星が全く立っていない。君が危険に晒されているのはこの辺りだから、そこから考える必要もあるんだけど」

 

 ハリーもまた何気なく返事を返した。

 「ああ! その犯人のことならもう大丈夫。誰だか分かったから。言ってなかったっけ?」

 

 思わず目を丸くしてハリーを見る。秘密の部屋の関連じゃなかったのか? キングズ・クロスのゲートだの、ブラッジャーだのに呪文をかけるだなんて手の込んだことをしておいて?

 困惑する僕をよそにハリーが告げた言葉は、それまで考えていた全てを吹き飛ばした。

 

「二つとも、ドビーっていう屋敷しもべ妖精がやったことだったんだ。僕を何かから守るためにホグワーツから追い出したかったんだって。

 それで、ドビーがこの間骨を抜かれたときに医務室に来て言ってたんだ。秘密の部屋は前にも開けられたって」

 

 その言葉は、僕に今回の犯人を悟らせるのに十分だった。

 

 

 

 一番初めに頭に浮かんだのは、ダンブルドアに知りうる全てを話すことだった。

 ハリーの発言に半ば茫然自失状態だった僕は、それでもなんとか訝しげな彼との話を切り上げて真っ直ぐマクゴナガル教授のもとへ向かった。いきなり血相を変えた生徒がやってきて教授も驚いていたが、「なんとしてでも、今すぐ校長先生だけにお話ししなければならないことがある」としか言うことはできなかった。本当に足元に縋り付かんばかりにお願いした結果、僕はどこにあるかも知らなかったダンブルドアの校長室に案内されることになった。

 なんでガーゴイル像なんかの裏に校長室の入り口を隠すのだろう。学校の代表者にはすぐ会えるようにしてほしい。

 

 校長室はクリスマスだからなのか、これから話す内容に反して温かく居心地の良い雰囲気に包まれていた。本当にありがたいことに、部屋の中にはちゃんとダンブルドアがいる。机の上に入室の合言葉だったレモン・キャンデーが置いてあるのを、僕はマクゴナガル先生が訝しげに退室していく間、その視線を意識しないためにじっと見つめていた。

 

 ダンブルドアは掛けていた椅子から立ち上がり、いつもの微笑みを浮かべてこちらへと歩み寄った。

 「どうしたのかね? ドラコ」

 その温和な口調は、今の僕には辛いものがあった。向けられている優しさが身を斬る様に痛い。

 一瞬、息を詰めたあと、慚愧の念を振り払って僕は堰を切った様に話し始めた。

 

 「父────ルシウス・マルフォイです。今回の事件の発端は。

 父の屋敷しもべ妖精のドビーは、最初のフィルチ氏の猫の件が起こる前に、既に今年ホグワーツで何か起こると知っていました。だから学期の初日にハリーをキングズ・クロスから締め出したんです。つい先ほどハリー本人から教えてもらいました。

 そして何かを知っていても、それを詳細にハリーに話すことはできなかったそうです。()()()()()()()()()()()だからでしょう。

 ドビーの主人は……父は、おそらくあなたを失脚させるために……どうやってやったのか分からないですが、『秘密の部屋』を開けた。スリザリンの怪物が解き放たれ、マグル生まれから犠牲者が出ることで責任を追求し、あなたがホグワーツから排除されるのを狙って」

 先を告げるのに躊躇い、一度言葉を切る。

 今までこの世界で生きていた中で、ずっと目を逸らしてきたことを──仕方がないと看過してきたことを告白せねばならない。

 

 「そして────ああ、本当にこんなことは認めたくないのですが────、父はマグル生まれが死のうがどうでもいいと考えるタイプです。今回、犠牲者が石化で済んでいる理由がわからない。恐らくそれを父は企図していない。

 もし石化が意図された結果なら、他の誰か────『秘密の部屋』を開ける何かが、父の計画に介入してそれを行なっていることになる」

 

 少しだけ間をあけ、僕は今度はダンブルドアに質問をした。

 「ダンブルドア先生、今回の真犯人は闇の帝王だとお考えですか?」

 「左様じゃ」

 「であれば、父はそれを知りません。いや、それが闇の帝王の暗躍を許すものだと気づいていない。彼はいまだに僕とハリー・ポッターが仲良くするのを望んでいる。ハリー・ポッターという権威が今後も残ると、彼は確信していた」

 

 再び部屋に静寂が落ちた。ダンブルドアの顔には哀憐の情が浮かんでいた。

 僕は彼に、もう大丈夫だと言って欲しかった。犯人の一人が判明した以上、これで事件が解決できると保証して欲しかった。しかし、ダンブルドアは二の句を継がなかった。

 

 僕は、先ほどから抑えられない震えの混じる声で、ダンブルドアに懇願した。

 「父に真実を吐かせてください。誰かが死ぬ前に」

 「すまぬが、その頼みは聞けぬ」

 ダンブルドアは僕の目をまっすぐに見て、決然と言い切った。

 

 ここまでで既に予想していた、しかし最も恐れていたことを告げられてしまった。

 ああ、やはりそうか。去年と同じなのか。血の気が引き、足元がおぼつかなくなってくる。それでも僕はダンブルドアに問いかけた。

 

 「人死が出るかもしれなくても、為さねばならないことがあるとおっしゃるのですか。もう一度、ヴォルデモート卿を罠にかけなければならないのですか?」

 ダンブルドアは視線を逸らさず、去年と同じようにしっかりと頷いた。その目にはロックハートの時よりずっと深い悔悟の念があった。

 

 そして、ようやくダンブルドアは語り出した。

 「わしが後手に回ってしまったことは隠しようがない。しかし、分かってほしいのじゃが、今回の事件、これにあやつが介入できたことこそが最大の問題なのじゃ。この機会でそれを見極められなければ、取り返しがつかぬ」

 「どうやって、を絶対に突き止めねばならないということですか?」

 「その通りじゃ。今、ヴォルデモート卿の本体はアルバニアにいる。ホグワーツに手を出しうるのは間違いなくあやつ自身ではないが、しかし、それでも『秘密の部屋』は開けられた」

 

 「別の、部屋を開けられるものがいるとはお考えにならないのですか? 後継者の条件は闇の帝王そのものではなくスリザリンに帰属するのですから」

 縋る様な気持ちで聞いた質問は、しかし当然のようにダンブルドアはすでに考えていたものだったようだ。

 

 「『秘密の部屋』が前回開かれたとき、わしは既にホグワーツにおった。前の事件の犯人はヴォルデモートじゃったとわしは確信しておる。

 そして、ルシウスは知っておるかどうか分からぬが、ルシウスによって忍びこまされたものもまたヴォルデモートに関するものじゃろう。君のお父上が今回、『部屋』を開けるために遣わせたものが真にスリザリンに由来していると考えているなら、それはかつてヴォルデモートの蒐集物だったことは疑いようもない。ヴォルデモートは、自身が下げ渡す以外に、臣下が自身の祖先に由来するものを所持することは許さなかったじゃろうからのう」

 「確信しておる」「じゃろう」。絶対ではない。それでも、最悪の事態を────ヴォルデモートが本懐を遂げるのを阻止するためには、この推測に従わなくてはならない。ダンブルドアはそれを言外に告げていた。

 

 もはや言うべき言葉が見つからない僕に、それでもダンブルドアは話し続ける。

 「そして、君はもうこのあとは事件を解決するために動いてはならぬ。ヴォルデモートがどの様な形で糸を引いているのか、わしにもいまだ見当がつかぬ。相手の出方を窺えぬ以上、お父上と関わりがある君が手を出せば悟られてしまう危険は無くせまい」

 

 言っていることの理屈は分かる。彼が考えられる犠牲と、それによって得られる成果を怜悧に測っていることも分かる。僕はそれでも、ダンブルドアに今すぐ動いて欲しかった。

 

 「しかし、父があなたの排除を望んでいる以上────いや、闇の帝王の狙いもまたそれなのですよね? あなたを追い出した学校で、彼は何かをしようとしている。────でも、それでは闇の帝王がいよいよ姿を現すときに、あなたはその場にいられない! 他の人間に対処を任せることになってしまう!

 ───まさか、また『生き残った男の子』を闇の帝王と対峙させるおつもりですか? まだ二年生のハリーを頼って、そんな勝算の低い賭けをするのですか?」

 

 この指摘は流石に一分の理があると思ったが、ダンブルドアは僕の詰問に一切揺らいだ様子を見せなかった。

 

 「以前君には語らなかったことじゃが、ハリーに宿るヴォルデモートに対する護りは、わしによるものではない。わしがおらずとも、彼であればヴォルデモートに対抗できる」

 

 そんな、馬鹿な。ハリーが本当に危機に陥ったときにダンブルドアが駆けつけることができた去年度とは全く状況が違う。たった十二歳の少年が、最大の庇護抜きでいまだダンブルドアさえ正体を掴めていない()()と戦えると言うのか?

 「分が悪すぎます。それでは闇の帝王以外なら彼を傷つけられてしまうということです。闇の帝王だって、去年の経験でそれは分かっているはずだ」

 それでもダンブルドアは引く姿勢を見せなかった。彼は既に計画を敷き、僕程度が捻り出した考えは検討されきっている。

 そして────これはハリー・ポッターの物語なのだ。きっと、彼こそが最も闇の帝王の目論みを打ち砕く資質を備えうる人間だ。この世の誰よりも僕はそれを知ってしまっている。

 

 僕はダンブルドアを説得する正当な手札を失った。後に残っているのはただ「父を自業自得の殺人犯にしたくない」というワガママだけだ。何かできることを必死で探すが、これ以上何を言っても現実をマシにすることはないだろうという絶望的な確信だけが淀んだ心に染み込んでいく。

 

 「分かっています。それでも、賭けるしかないのですね。ホグワーツの守りを貫き、あなたに全く感知されることのないまま『部屋』を開き、生徒たちを傷つけてみせ、しかしなおその正体を表さないことができる方法が不明なのであれば……僕らは今後も極めて不利な状況に陥ることになるから。出るかもしれない今回の生徒の犠牲は、事件の真相が分からなくなってしまった次回の犠牲に代えられる」

 

 ダンブルドアは悲しげに首肯し、しかし厳格に僕へ最後の命令を告げた。

 「わしが学校を去ってから、マンドレイク回復薬ができるまでの間。奴はその間のどこかで必ず行動を起こす。無論わしもそのときになれば出来うる限り迅速にホグワーツに戻るが────全ての生徒の安全は保証できぬ。そして、君はその間、絶対に動いてはならぬ」

 

 

 

 そして、五月。ハーマイオニー・グレンジャーとペネロピー・クリアウォーターが襲われた。

 ダンブルドアは理事会によって停職され、学校を去った。

 

 僕は、何もできなかった。

 

 

 

 

 



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落とし穴

 

 

 僕はクリスマス以来、少しずつ「秘密の部屋」やそれを探す3人組から距離を取り日々を過ごしていた。流石に休暇の間はあの子達がよく目に入って大変気になったが、その後は僕はスリザリンに埋没し、いつも通りの日常に戻った。

 3人組のポリジュース薬密造が発覚したり(彼らは僕に隠そうともしていなかった。隠してくれ。全部捨てさせるぞ)と彼らが事件を追っている様子はそれでも聞こえてきたが、僕はダンブルドアに従い続けた。

 

 やらなければならないことが色々あるのは助かった。本当に好きではないがクィディッチも、「これから父が原因で生徒が死ぬかもしれない」という事実を忘れさせてくれるなら大歓迎だ。

 

 

 変身術にも打ち込んだ。マクゴナガル教授は流石に長いこと僕と接しているので、校長室に行った後からおかしな様子になったと気づいていらっしゃるようだった。しかし、彼女は何も聞かず僕に色々なことをやらせてくれた。

 ひょっとしたらダンブルドアから何か言われたのだろうか。もしそうだとしたら、僕の子守りを押し付けられているようで申し訳ない限りだ。マクゴナガル教授の監督がある場では、僕は自分の髪の毛の色を変える練習をすることを許可してもらえた。

 

 

 ロックハートの指導案も、僕の絶好の現実逃避先だった。

 彼は近頃、指導案以外にも防衛術の授業についての知識を求めるようになっていた。流石に僕らもそれに対応している余力はないので、参考になりそうな本をリストアップしたものを渡す形式になっていたが、どうやら質問などにも対応できるようにしたいと思い始めたらしい。

 その上、あの決闘クラブの後、以前は大体生徒に任せていた実技の手本を少しずつ自分でやるようになっていた。

 最初期はホグワーツで一体何を学んだと思うような酷い有様だったが、勘を取り戻したのか、ここのところ3年生あたりまでは問題なく手本をできるようになってきてる。

 

 正直全部最初からやってくれやと思わざるを得ないくらい当たり前のことだ。けれど、ロックハートを知るものにしては目を疑う進歩だった。

 

 2月の放課後、僕は指導案を手にロックハートの研究室を訪れていた。ロックハートはその数日前にバレンタインデーで盛大に学校を荒らし、少しの間忘れられていた軽蔑の目を再び人々から向けられていた。

 

 いつも通り軽く中身を説明し部屋を出ようとすると、彼は僕を呼び止めた。

 「君は────スリザリンのスネイプ教授のお気に入りだったね。スネイプ教授は、何か高名な────いや、勿論私に及ぶことはないですがね! それでもまあ、魔法薬学にはちょっぴり長けておいでだ。彼の狭い分野の中で、何か功績のあることを君は知りませんかね?」

 まさかこの人は次の標的をスネイプ教授にすることにしたのか? いくら何か策を持っているとはいえ流石に分が悪い気がするのだが、それでもいけるもんなんだろうか。だとしたら、結構危険人物である。

 

 そんなことを思いつつ、僕は適当に宥めるために口を開いた。

 「別にスネイプ教授はロックハート教授よりはるかに人気もないですし、お気になさることはないと思いますが。彼を信奉しているのは魔法薬学に命を捧げている生徒か、スリザリン生だけでしょう」

 そう言われてロックハートは少し落ち着いたようだったが、それでもなお彼は粘った。

 

 「しかし、あー……そう、やはりだね、最も優れた教授として、少しは『栄光に目を背けるもの』たちが何を良いと思うのか、知っておかねばならない。そうだろう?」

 この人も大概大変そうだ。常に自分が褒め称えられている状況じゃないと気が休まらないのだから、もはや一種の病気だろう。

 

 僕は半ば呆れながら、少しいつもの誉めそやしを忘れて言った。

 「別に、全ての生徒の絶対の一番である必要などないのではありませんか? ここの学生にとってはあなたは否応なく唯一の防衛術教師なのですし」

 何故かこの言葉はロックハートの何かに効果覿面だったらしい。彼はいつものキラキラした胡散臭い笑顔を一瞬顔から無くし、僕を見ていた。

 

 なんだか不気味な感じを覚えながら、僕は取り繕うように続けた。

 「勿論以前の教授方と内心比べられたりはするでしょうが、だからといって今あなたが教えていることが無価値になるわけではないでしょう? ロックハート教授が先週5年生の授業で教えた妨害呪文、最近寮内で流行っていて迷惑なくらいですよ」

 

 実際、流れ弾がゴイルに当たって大いに揉めたので迷惑ではある。しかし、彼の授業がちゃんと生徒に浸透している証左でもあった。

 ロックハートは未だに黙りこくっている。流石に怖くなってくる。僕はダンブルドアが「安全」と言う言葉を修正したことをそろそろ本当に心配しだした。

 

 「それに、あなたは生徒をこき下ろしたりしませんから。今のあなたは、授業で子どもの相手をする人間としてはスネイプ教授よりはるかに適任だと思いますよ」

 これは本当に心からそう思っている。というか、僕はスネイプ教授より子どもに対する扱いがなっていない人間はいないと考えてる。

 

 ロックハートは、どこかここではないところを見るような目をしていた。そして、彼はゆっくりと瞬きすると、いつもと同じ、キラキラした笑顔を浮かべた。

 

 「そろそろ遅くなる。この危険なときだ。私が大広間に引率するから夕食に行きたまえ」

 ただそう言って、彼は僕と共に廊下に出た。

 

 結局、彼は大広間に着くまで大した話はしなかったし、翌日朝食で見かけた時は、いつもの調子に戻っていた。だが、どこか常に纏っていた必死さに似たものが薄れているように、僕は思ったのだった。

 

 

 

 ダンブルドアが学校からいなくなってから生徒たちが教師に引率されるようになったのはありがたかった。しかし、いつも全員を見られるわけではない。2クラス合同のときは当たり前だが手が足りていないし、結局6時より前は図書館などに行ってしまう子もいた。

 初めはその中にマグル生まれの子はほとんどいなかったが、マンドレイク薬の完成する日が近づくと特に高学年は監視の目が緩んでいた。ペネロピー・クリアウォーターは6年生だったのだから、学年での区別などなんの意味もないのに。

 スリザリン生にはほぼ監視がなかった。いや、正確には疑いの目はあったが、被害者の傾向がスリザリン生は安全だと告げていた。

 

 僕はいつ最悪の事態が来るか恐れ、待っていた。

 

 しかし、僕の想像力はやっぱりいつも足りていなかった。

 

 マンドレイク回復薬の完成が近づいてきたある日、僕は午前中の空き時間を他のスリザリン生と同様に図書館で過ごしていた。そこで完成させる予定だった指導案を鞄の中に入れ忘れたことに気づき、クラッブに謝ってスリザリンの地下牢へ向かった。

 

 一人で。

 

 角を曲がり足を進めようとした先には、赤毛の小さな女の子が立っていた。

 

 彼女もまた一人だった。

 

 

 廊下にただ1人立っている彼女を訝しむ間もなく、「それ」は僕に語りかけた。ジニー・ウィーズリーの声で、しかし彼女とは全く違う嘲るような口調だった。

 

 「クリスマスにルシウスの屋敷しもべの名を聞いた後、すぐにダンブルドアのところに行ったのは間違いだったな。ドラコ・マルフォイ」

 

 見ていたのか。あの時。ジニー・ウィーズリーの身体を使って。

 

 僕はその場に凍りついた。

 

 ああ……僕は馬鹿だ。父が何を使っているのか分からない? 何をが分からなくても誰にだったらある程度予想ができただろうに。

 

 ポケットから杖を引っ張り出そうとしたが、もう遅い。

 

 「インペリオ」

 

 廊下に呪文を唱える声が小さく響いた。

 少女は冷酷な笑みを浮かべて僕に言い放った。

 「ダンブルドアの虫は潰しておかねば。そうだろう?」

 

 僕を歩かせどこかに向かう間、「それ」は低い声で囁いた。

 

 「この娘は君のことを僕に教えてくれたよ。ハリー・ポッターが話す君のことを。下級生相手にハリー・ポッターは随分君を庇ったらしいな? 

 純血マルフォイ家の嫡男で、暴走したブラッジャーから彼を救った。随分と、お優しいことじゃないか」

 

 3階の女子トイレに入り、「それ」が手洗い台の蛇口に話しかけるのを、ぼくはただぼんやりと見ていることしかできなかった。手洗い台が動き沈み込んだ後にはパイプの入り口が人が通れるほどの穴となって現れた。

 

 パイプ、主のない声、蛇語。何もかも遅すぎるのに、久しぶりに事件について考えている自分に思わず心の中で嘲笑した。

 「それ」は穴を覗き込み、しかし即座にそれには入らず少し考えていた。

 

 「……ああ、丁度いいかもしれない。この小娘で君を殺すより、君でこの小娘を殺す方が面白そうだ」

 

 途端に穴の傍に立っていたジニー・ウィーズリーがその場に崩れ落ちる。

 

 先ほどからの、夢の中のような感覚が一瞬消え、しかし次の瞬間さらに激しい流れのようなもので思考が遮られていった。

 

 そんな────あいつは何もするそぶりも見せなかったのに────

 

 どんどん意識が薄れてゆく。僕の手がジニーの落とした薄い本のようなものを拾い上げ、杖で彼女を狙うのが水面を通した先のように感じられる。上半身から徐々に制御が利かなくなり、手はしっかりと杖を握って離さない。

 

 しかし、最後のほんの一瞬、突然僕の身体は耳を押さえるようにかがみ込んだ。

 

 わずかに体の制御が戻る。

 ここから事態を変える方法は一つだけあった。

 

 最後の力を振り絞り、僕は開きっぱなしになっていた穴から下へ、崩れるように転がり落ちた。

 

 



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秘密の部屋

 

 

 ジニーが連れ去られた。

 最早できることがなくなった僕とロンは探索に行くことになったロックハートの元へ、秘密の部屋のことについて知っているすべてのことを話しに向かった。

 

 夕闇の中、研究室へ向かう。僕がノックするとドアが半分ほど開き、今までになく取り繕いきれていない笑顔をしたロックハートが顔を出した。

 「……ポッター君、ウィーズリー君、放送は聞いたでしょう? この時間に二人きりで外に出歩くのは危険ですね」

 僕らは必死に役に立つことを話せると言い、中に入れてもらった。ハロウィーンの日に来たのと同様、大量の写真が飾られていたが、机の上には以前と違い色々な本が置かれている。

 

 僕らは早速本題に切り出した。

 「先生は秘密の部屋へ向かわれるのですよね? 僕ら、怪物の正体も分かってるんです!」

 でも、ロックハートは全く喜ぶ様子を見せなかった。ロンと僕の心の中に、嫌な予感が湧いてくる。

 ロックハートはほとんど笑顔を消して言った。

 「私は秘密の部屋の場所を知らない。私が行っても────何の役にも立たないだろう」

 「僕の妹はどうなるんですか?」ロンが愕然として言う。

 「気の毒なことだが、私にはどうすることもできない」

 「本に書いてあるように、あんなに色々なことをなさった先生が逃げるんですか?」

 僕は先生に言い募る。

 「ハリー……本に書いてあることを鵜呑みにしてはいけないね」

 「じゃあ、先生がやったんじゃないんですか? 他の人がやった仕事を、自分の手柄になさったんですか?」

 僕は信じられない気持ちだった。

 

 ロックハートはついに笑みを顔から拭い去った。

 「ああ……そこまで悟られては、しょうがない。私の秘密をそこら中でペラペラ喋られてはたまりませんからね」

 彼は杖をこちらに向けようとしたが、僕はそれよりも早く構えて彼を武装解除した。丸腰になり、青ざめるロックハートに杖を突きつけ、僕らは「嘆きのマートル」のトイレへ向かった。

 

 

 

 トイレには、ジニーが倒れていた。慌ててロンが駆け寄る。

 「ジニー! しっかりしろ!」

 僕もそばにしゃがみ込んだ。顔は青白く、生気がない。それでもロンが肩を掴んで揺さぶると、ジニーは瞼を振るわせ、目を開けた。

 「ああ、ジニー、良かった!」

 僕らは安堵の息を吐く。しかし、ジニーは起き上がることもできないまま、涙を流し始めた。引きつれた途切れ途切れの声で彼女は言う。

 「あ、あたし────あたしがやったの。体が勝手に動いて────杖で操ってここまで来たの────ドラコ・マルフォイを……」

 思っても見ない言葉が出てきて、僕とロンは顔を見合わせる。

 「どういうこと? マルフォイがここにいたの?」

 「分からない────ダンブルドアの虫だって────それで、そこの手洗い台をあたしが開けて────でも、代わりにマルフォイが……」

 そこまで言うとジニーはぐったりと気を失ってしまった。ロンはジニーを再び揺さぶるが、身体はだらんと倒れたままだ。

 僕は安堵感が拭い去られ、自分の血の気が引いていくのを感じた。事件は終わりじゃない。────ジニーの代わりにドラコが秘密の部屋へ連れて行かれた。

 そばで突っ立っていたロックハートを押しのけ、ジニーの言った手洗い台に近寄る。その銅製の蛇口の脇には、引っ掻いたような小さなヘビの形が彫ってあった。

 僕は必死に何か蛇語を話そうとした。今まで蛇語がしゃべれたのは、本物の蛇に向かっている間だけだ。少し試行錯誤して、ようやく「開け」と言うと口からシューシューという掠れた音が出た。

 

 そして、手洗い台は動き始め、大きなパイプの入り口が現れた。────バジリスクの通っていた、秘密の部屋の入り口だ。

 「ロン、医務室へジニーを連れて行って他の先生を呼んで。僕はここから下に降りる」

 「一人なんて無茶だ!」それでもロンはジニーを心配そうに抱いて離せない。

 「いいや、一人じゃない」

 僕はロックハートを見る。怖いのか、顔を固くしているロックハートに杖を突きつける。

 

 「先に降りるんだ」

 ロックハートを穴の淵に立たせる。それでも降りるのを躊躇っているので杖で突くと、彼は身をブルリと震わせ大きくため息を吐き、足を踏み出して下に滑り落ちていった。

 最後にロンの顔を見て頷き、僕も後に続いて下に滑り降りた。

 

 途方もなく長い間パイプを降り、そこにあったトンネルをロックハートを前に立たせながら進む。途中には大量の小さなネズミの骨や巨大な蛇の抜け殻があった。バジリスクのものだろう。ロックハートは物音が立つたびに震え上がっていたが、それでも僕の先を歩かせ続けた。

 張り詰めた雰囲気の中、どこまでこのトンネルは続くのだろうと思うほど長く歩いて、ついに行き止まりが目の前にあらわれた。

 その壁には二匹のヘビが絡み合った彫刻が施してあり、ヘビの目には輝く大粒のエメラルドが嵌め込んである。

 僕はロックハートを横に立たせ、手洗い台にやったように「開け」と言った。

 壁が二つに裂け、絡み合っていたヘビが分かれ、両側の壁が、スルスルと滑るように見えなくなった。僕は先に待ち受けるものを思い恐怖に震えながら、それでも部屋の中へ足を踏み入れた。

 

 

 細長く廊下のように伸びる部屋の奥、部屋の天井に届くほど高い長い顎鬚を持つ老魔法使いの像の足元に、ホワイトブロンドの少年が横たわっていた。

 

 「ドラコ!」僕は小声で叫び、そばに駆け寄って膝をつく。

 「起きて……しっかりして!」

 さっきのジニーと同じように、顔に血の気は全く無く目は硬く閉ざされている。揺さぶってみても、ピクリとも反応してくれない。

 何とか起きないか声をかけ続けているところに、物静かな声が響く。

 「そいつは目を覚ましはしない」

 声の方に膝をついたまま振り返ると────そこには、ぼんやりとした輪郭の、しかし紛れもなくトム・リドルがいた。彼は、ドラコに駆け寄ったときその場に置いた僕の杖を持ち、弄んでいる。僕はそこでようやくロックハートがこの部屋にいないことに気づいた。

 

 自分を記憶だと言うトム・リドルは語りだす。ジニーを操り事件を起こしたこと。50年前ハグリッドを陥れたこと。そして、今の彼の狙いは僕であることを。

 

 目に赤い光を宿して彼は明かす。彼が自らにつけたヴォルデモートという名を。

 「この名前はホグワーツ在学中にすでに使っていた。もちろん親しい友人にしか明かしていないが。汚らわしいマグルの父親の姓を、僕がいつまでも使うと思うかい? 

 母方の血筋にサラザール・スリザリンその人の血が流れているこの僕が? 汚らしい、俗なマグルの名前を、僕が生まれる前に、母が魔女だというだけで捨てたやつの名前を、僕がそのまま使うと思うかい?

 ハリー、ノーだ。僕は自分の名前を自分でつけた。ある日必ずや、魔法界のすべてが口にすることを恐れる名前を。その日が来ることを僕は知っていた。僕が世界一偉大な魔法使いになるその日が!」

 

 正体を知り、呆然とした心の中に憎しみが燃えるように広がる。それと同時に、ドラコが以前言っていたことを思い出した。「正義の不完全さに苦しむ純血主義」───彼の想像は当たっていた。

 

 「違うな」

 僕は怒りと、少しだけ悲しい気持ちを抑え静かに言った。

 「何が?」

 リドルはうっすらと嘲笑をうかべ、返事を返す。

 「君は世界一偉大な魔法使いじゃない。君をがっかりさせて気の毒だけど、世界一偉大な魔法使いはアルバス・ダンブルドアだ」

 僕は彼の目をまっすぐ見上げ、言い切った。

 

 微笑が消え、リドルの顔は醜く歪んだ。

 「ダンブルドアは記憶に過ぎない僕に追放され、奴が残した策ももはや摘み取られた!」

 僕にはリドルの言うことが何のことかわからなかったが、忌々しげに彼は続ける。

 「スリザリンに間諜を忍び込ませていたようだが……そいつも此処で終わりだ。心に仕掛けをしていたって、読まなければ何の意味もない。奴の虫は僕の力となり、息絶える」

 リドルの憎らしげな視線はまっすぐドラコを捉えていた。

 

 そこに、フォークスと組み分け帽子が舞い降りた。ダンブルドアが送ったのだろうか? しかし、これはリドルと戦うのに何の役に立つようにも見えない。

 リドルはダンブルドアの送ったものを嬉々として嘲った。

 僕はできるだけ時間を稼ごうと、リドルと話し続ける。しかし、僕にかかった母の護りについて聞いたのを最後に彼は蛇語で像に語りかけた。

 

 「スリザリンよ。ホグワーツ四強の中で最強の者よ。我に話したまえ」

 

 

 

 

 

 



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詐欺師・生贄・教師

 

 

 穴に真っ逆さまに落ち、意識は薄れてゆく。それでも僕は安堵していた。

 

 少なくとも予想していた最悪の事態は避けられた。いや、考えていた中でもかなりいい結末に辿り着いたんじゃないだろうか。

 

 操られていたジニー・ウィーズリーは守れた。どのマグル生まれの子も死んでいない。僕の父は他の生徒を殺すことにならなかった。上々だ。

 

 ジニーがあの場で目を覚ませば、スリザリンの秘密の部屋がどこにあるのか大体の目星は付くだろう。戻ってきたダンブルドアがハリーに蛇語でここを開けさせれば、僕に取り憑いているコレは遅かれ早かれ見つかる。

 しかもわざわざ僕に取り憑くために近寄ってきたということは自由自在に逃げられるわけではないということだ。この後僕がどうなろうと、コレはダンブルドアによって始末されるだろう。ハリー・ポッターがむざむざと危険に晒されるまでもない。

 

 それに、僕が死ねばスリザリンの純血が殺されたことになる。それは純血主義者たちにある程度の訴求力を持つ。

 元死喰い人であれば、その多くが仲間内の粛清を経験しているからこんなことでは心を動かされないだろう。しかし子どもたちに闇の帝王は必ずしも純血の味方ではないと知らしめる意味はある。

 スリザリン対他寮の構造がわずかにでも揺らぐことで、僕の友人たちが自分の道を選べるようになることを信じたい。

 そう願いながら僕は意識を失った。

 

 

 

 幸運なことに僕は再び目を覚ました。

 

 知らない、暗くて不気味な廊下のような部屋だった。大きく息を吸い、力の入らない身体をなんとか起こす。床には巨大な蛇のような怪物────バジリスクだ────が倒れている。

 

 僕の思い描いていた予想とは異なり、その前には血に染まったボロボロのローブを着たハリー・ポッターが、不死鳥と共に立っていた。

 

 ああ、彼はダンブルドアの望み通り、やってのけた。僕という人死を出す前に、ヴォルデモートを倒したのだ。

 

 「ハリー、大丈夫?」

 自分で思ったよりもずっと掠れた弱々しい声が口から出た。

 こちらを振り返った彼は、僕の名を呼びながら走り寄る。

 「ドラコ! 君こそ大丈夫?」

 僕は首肯する。彼は血まみれだったが、どうやらほとんど返り血らしい。疲れ切ってはいるがどこにも致命的な怪我はしていないようだった。いや、不死鳥がいることを見るにこれは傷が残っていないと言った方が正しそうだ。なるほど、これがダンブルドアの奥の手か。これでハリーはある程度傷ついても戦える。嫌な予想に内心冷や汗をかきながらも、ひとまず安堵する。

 

 「ここは秘密の部屋だよね? 敵は、倒せたの?」僕は一応確認した。

 「そうだよ。ドラコ、ヴォルデモートだったんだ。ヴォルデモートがジニーを操ってたんだ!」

 「どうやって……」

 ハリーは僕に手に持っていた、何か本のようなものを見せる。それはトイレでジニーが持っていた、そしてそのあとは僕に持たされていたものだった。中央には焼けこげたような穴が空いている。

 

 「この日記に、ヴォルデモートの子供の頃の記憶が封じ込められていたんだ。バジリスクの牙でそれを刺したから倒せたんだよ」

 「日記に……」

 僕はそれを手に取りしげしげと眺めた。

 つくづく闇の帝王は凄まじい魔法使いだ。人一人を少なくともハロウィーンからの半年間操り続け、しかも察知もされない魔法を、どう見てもただの日記にかけるとは。やっぱり最恐の魔法使いは隠蔽にも優れているものなのだな。

 しかし、記憶? それだけでそんな高度なことができるものなのだろうか…………

 

 ぼんやりと考える中、僕はようやく大事なことを忘れていたのに気づいた。なんだかんだ僕も余裕がない。

 

 僕は日記から顔を上げてハリーに言った。

 「ハリー、助けてくれてありがとう。君は本当に頑張ったね」

 一瞬面食らったハリーは、しかしここしばらく見ていなかったほど晴れやかな顔で、「こういうのは珍しいね」と嬉しそうに返した。

 

 

 話をしている間に、手足の感覚がほとんど戻ってきた。起き上がり、ハリーは大丈夫だと言うが一応彼の怪我の確認をしていると(せっかく不死鳥がいるんだから全部治しておきたい)、部屋に恐る恐る歩くような足音が響く。振り返ってみると、そこにはロックハートがいた。バジリスクの死骸と僕らを信じられないものを見るように凝視している。

 「え〜……では……怪物は倒したんですね? それは結構、大変結構! 素晴らしい働きです」

 彼は何故か焦っているようで、貼り付けたような笑みで大袈裟に拍手をしている。

 なぜ彼がここにいるのだろうか? この場にいる理由が最も思いつかない人間だ。まさか危険性を認知せず、いつものようにでしゃばってきたのだろうか?

 ハリーの方を見てみれば、彼はロックハートを軽蔑に満ちた顔で睨みつけていた。

 

 「どこに行ってたんですか」ハリーの声は固い。

 「いや、部屋の外で調査を、ちょっとね」

 「嘘だ。ドラコ、この人は他の人のしたことを、自分の手柄にしてたんだ。信じちゃだめだ。ここまで連れてきたのに、逃げたんだ!」

 想像するに、ハリーはロックハートの正体を暴いた上でここに連行したようだった。なかなか哀れましいことをしてやっている。しかし、ようやく僕は危機感を抱き始めた。

 

 この状況は少し、いやかなり不味いかもしれない。他に誰もおらず目撃者は僕ら3人。秘密の部屋の怪物を倒したと言う栄光。しかも僕ら二人ともロックハートの正体を知ってしまった。内心焦りながら僕はポケットの中に自分の杖を探したが、そこには飴しか入っていなかった。

 

 探すために視線を滑らすと、ロックハートの足元に僕の杖は落ちていた。それを僕が見つめたのを彼は察知し、バタバタと拾い上げる。ああ、もう。恨むぞダンブルドア!

 ため息を押し殺して僕はロックハートを見つめる。

 ハリーも彼が僕の杖を取ったのに気づいた。ハリーがこれまた足元から杖を拾い上げようとしているのを横目に、僕はロックハートの前に歩いて行く。予想外のことに息を呑む音が後ろから聞こえる。

 「逃げたけれど、僕らが心配になってお戻りになってくださったんですね。ロックハート教授」

 僅かに後ずさる彼の前に辿り着き、正面から向き合う。

 

 「教授、その杖は僕が落としたものです。拾っていただきありがとうございます」

 僕は彼の目を見つめ、ただ手を出した。

 ロックハートは明らかに逡巡していた。目には様々な感情が走っている。緊張感の滲む沈黙がその場を支配した。

 

 しかし、しばらくして彼は諦めたように笑い、僕の手に杖を落とした。

 「……ありがとうございます」

 「どういたしまして。まあ、私は教師ですから。生徒の落とし物は届けなければね」

 

 ……どうにかなってくれたらしい。まあ、後ろでハリーが杖を構えているというのも大いにあるだろうが。ロックハートとはいえ、ここまで彼を連れて来れるとはハリーは僕の知らないところで成長していたらしい。

 

 とにかく、ロックハートは栄光ではなく教師という自分を選んだようだった。

 

 

 

 そして僕らは不死鳥の導きに従い、秘密の部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 



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可能性の細い糸の先

 

 不死鳥が導く場所に向かう間、僕は途中でロックハート教授は逃げようとするのではないかと思っていた。しかし予想に反して、彼は杖を向けずとも従順に僕らの横を歩いてくれた。

 

 不死鳥の先導でたどり着いたのはマクゴナガル教授の研究室だった。実家のような安心感という言葉がふと頭をよぎる。この2年、僕はそれこそ実家のように頻繁にここを訪れているのだ。マクゴナガル教授に会いに。たまにダンブルドアにも。安心するのも当たり前だった。

 

 ハリーがノックして扉を開けると、やはりそこにはマクゴナガル教授とダンブルドア、そして何故かスネイプ教授がいた。いや、これは僕とハリーの寮監と校長という組み合わせか。

 ダンブルドアは僕らを見て、こちらを安心させる温かな雰囲気でにっこりと笑う。マクゴナガル教授はすごい音を立てて椅子から立ち上がったが、言うべき言葉が見つからないようだった。胸に手を当て、逡巡したのち深呼吸をして冷静さを取り戻そうとしている。スネイプ教授はハリーを見て一瞬安堵と落胆が混ざったような顔をした後、僕を完璧に無視してロックハートに視線を向け、意地悪そうな嘲笑を浮かべた。

 

 ダンブルドアは僕とハリーにゆっくり頷くと、ロックハート教授に向き直った。最も偉大な魔法使いの冴え冴えとした視線に耐えられなくなったロックハート教授が口を開く。

 

 「お、お戻りになったんですね。ダンブルドア。それは実に……喜ばしい!」

 「ギルデロイ、先ほど医務室に妹を連れてくれたミスター・ウィーズリーが、君の知られざる罪を教えてくれた。最早、隠しておくことはできぬ。闇祓い局が来るのを、スネイプ教授と共に待ってもらいたい」

 ダンブルドアは僕らに向けていた暖かさをほとんどロックハートに向けず、淡々と告げた。冷淡な言葉だった。

 ロックハート教授は一瞬萎んだ風船のように肩を落とし、しかし次の瞬間胸を張ってダンブルドアに笑いかけた。

 「……まあ、そうでしょうね。しかしダンブルドア! あなたはいずれ後悔することになりますよ。 この私という得難い教師を失ったことをね!」

 ロックハート教授はすごい。普通この状況でそんな虚勢を張れるものだろうか? その胆力をもっと早くもっと違った方向で活かしてくれていたらよかったのに。

 

 進み出てきたスネイプ教授は性格の悪い笑みを隠さず、杖を一振りしてロックハート教授を縛り上げる。彼は無造作に縄の結び目を掴むと、半ば引きずるようにしてロックハート教授を連れていこうとした。

  足をほとんど動かそうとしていないロックハート教授にスネイプ教授が万感の思いがこもった嫌味をつらつらと立板に水を流すように紡ぐ。

 「しかしまあ、全く嘘八百をずらずらと並べ立てて、よくそこまで面の皮が厚くいられたものですな? 肥大し切った虚栄心で自分の考える脳を押し出してしまっているとは思っていたが、まさかここまで救いようがないとは」

 言われるだけの侮辱をロックハート教授はしてきている。でも、僕は思わずスネイプ教授を遮って言った。

 「ロックハート教授、今までお世話になりました」

 横にいたハリーがすごい勢いで僕の方を向いた。どうかしていると彼が思うのも分かるが、ここまで付き合いがあると見下げ果てた相手にでも情が湧くというものだ。ハリーは逡巡し、意外なことに少し頭を下げた。

 ロックハート教授は目を丸くして僕とハリーを見た。彼は一瞬だけあの輝かしい笑顔を作ろうとして、しかし結局失敗した中途半端な顔で部屋から出された。スネイプ教授は浮かべていた笑みを消し、いつか彼の研究室で見た恐ろしい無表情で僕を一瞥すると力強く扉を閉めた。

 

 ようやく、僕らが話すときが来た。

 「一体、何が起こったんですか? どうやってあなた方は部屋から無事に戻ってきたというのですか?」

 マクゴナガル教授は震えを押さえ込もうとして失敗した声で言った。それを聞き、ハリーは教授の机に「組分け帽子」とルビーのちりばめられた剣、それにリドルの日記の残骸を置くと、彼が通ってきた冒険の道について語り始めた。

 ……正直耳を塞ぎたくなるくらい危険なことをやらかし続けていた話だった。しかも、それを聞いていたら絶対にもっと早く事件は解決していた。特に日記のことは。

 その上、ハリーは明らかに僕の前では言いたくなさそうに、しかし話の中で飛ばすこともできないと言った感じで、今アズカバンにいるハグリッドの可愛いお友達が秘密の森に大挙しており、そこで情報を得たが命からがら逃げ出したことを明かした。

 僕は去年ダンブルドアの言うことに従って彼を追い出さなかったのを少し後悔した。

 

 ハリーの話を聞いたダンブルドアがトム・リドルの正体について補足を加え、ようやく全てが終わったと僕は思った。それは間違っていた。ハリーはダンブルドアに問う。

 「リドルは僕にドラコがダンブルドアの策だったって言ってたんです。あれはどういうことなんですか?」

 まあ、リドルもそれくらい言いもするだろう。それ以外のことについてペラペラ喋らなかったことだけでもありがたい。しかし困った。僕らの関係は説明するには奇妙すぎるし、まだ幼いハリーに君を最後の手段にして釣りをしていました、なんて言うわけには行かない。ハリーは流石に真実を知れば感情的には受け入れ難いだろうし、僕も今すべてをハリーに知られたいわけではない。

 僕はダンブルドアをすがる様に見た。ダンブルドアはハリーに向かって鷹揚に頷いた。

 「ミスター・マルフォイはこの数ヶ月間、わしの願いでスリザリンの中に怪しい人がいないか探してくれていたのじゃ。クリスマス、彼は彼の身近な人が犯人かも知れぬとわしに伝えにきてくれた。すぐさまその人を捕まえたいところじゃったが、なかなか難しい。そこでミスター・マルフォイは相手に知られぬ様、密かに動いてくれたのじゃ」

 動いたのではなく動かなかったのだが。嘘と真実の混ぜ方がいやらしい。しかし、今はその巧みさがありがたかった。

 

 ハリーは納得してくれたようだが、「なんで言ってくれなかったの」という視線が突き刺さる。ごめんって。本当に僕が彼らとちゃんと意見交換しておいた方が良かったのだから反省するしかない。

 

 ダンブルドアが事件の解決を関係各所に知らせるようマクゴナガル教授にお願いし、部屋は僕ら3人だけとなった。僕らはダンブルドアに促され椅子に座る。ダンブルドアは不死鳥とルビーの嵌った剣について、ハリーに語りたいことがあるようだった。

 不死鳥はダンブルドアのものだった。彼に真の信頼を示したもののところに現れるのだという。ええ、もう少し制限を緩くしておいてほしい。ハリーのところに来なかったら彼は死んでしまっていただろう。本当に奇跡の様な線を通ってこの結末は導かれたらしい。

 

 話が一度途切れた。再び切り出したのはハリーだった。

 「ダンブルドア先生……。僕がリドルに似ているって彼が言ったんです。不思議に似通っているって、そう言ったんです……」

 ダンブルドアはそれを聞き、ハリーがどう思ったかを尋ねる。

 「僕、あいつに似ているとは思いません! だって、僕はグリフィンドール生です────」

 勢いよく喋り始めたハリーは、しかしそこで僕の方を見て、一度考え込んだ。

 「『組分け帽子』が言ったんです。僕が、僕がスリザリンでうまくやっていけただろうにって。みんなは、しばらくの間、僕をスリザリンの継承者だと思っていました。……僕が蛇語が話せるから……」

 去年の組み分けでそんなことがあったのか。組み分け帽子もその前に列車でロン・ウィーズリーを煽った僕もファインプレーだ。

 

 ハリーは何故かとダンブルドアに問う。ダンブルドアは静かにそれに応えた。

 「君はたしかに蛇語を話せる。なぜなら、ヴォルデモート卿が蛇語を話せるからじゃ。わしの考えがだいたい当たっているなら、ヴォルデモートがきみにその傷を負わせたあの夜、自分の力の一部をきみに移してしまった。もちろん、そうしようと思ってしたことではないが……」

 ヴォルデモート卿の一部? 随分抽象的なことを言ってくれているが、僕は内心穏やかではない。去年ダンブルドアは闇の帝王が実体を持っていないと言っていた。しかも、彼の死体は今でも見つかっていない。

 何らかの力によって破壊され、身体も失った闇の帝王がハリーに残していった蛇語を話す能力を与える一部とは、精神的なものなのではないだろうか? 人間の精神的な、心や魂と呼ばれるものは分裂可能で、しかも何かに宿りうるものなのだろうか?

 僕は日記のことを思い出していた。精神を分けて何かに入れる方法が存在するのなら、あの日記がどうやって動いていたのかある程度説明がつく。しかし、それではハリーもまた……。

 

 考え込む僕をよそに二人の話は続く。どうやら今年、ハリーはスリザリンに入るべきだったのではないかとずっと心配していた様だった。まあ、実際向いているところもあると思う。けれど彼の持つ優しさを基盤にした果断さはやっぱりグリフィンドールにふさわしい。

 

 ダンブルドアは暫し言葉を切り、考え込んでいる様だった。短い沈黙の後、彼はハリーに話し始める。

 「君がグリフィンドールに属するという証拠が欲しいなら、ハリー、これをもっとよーく見てみるとよい」

 そう言って取り上げた剣にはグリフィンドールの名が刻まれていた。

 「真にグリフィンドールに相応しい勇気を発揮したものだけが、帽子から、思いもかけないこの剣を取り出してみせることができるのじゃよ、ハリー」

 グリフィンドールの剣。杖ではなく。魔法を使わずに戦う道具。それがグリフィンドールが自らの意思を継ぐものに残した遺産だった。

 

 しばらく間があき、再びダンブルドアはハリーに語りかけた。

 「しかし、どの寮に所属しようとそれが君の全てを決めてしまうわけでも、それだけで君を強くしてくれるわけでもない。今夜君が示した素晴らしい勇気はまさしく君自身によって生まれ、君の友人を救ったのだということを覚えていてほしい」

 「ハリー、自分が本当に何者かを示すのは、持っている能力やどこに振り分けられたかではなく、その中で自分がどのような選択をするかということなんじゃよ」

 ダンブルドアは誇らしげに、しかしほんの僅かだけ、どこか哀しみを滲ませて言った。

 

 

 話は終わった。僕らは医務室で治療を受けるため部屋の入り口に向かい────しかし開こうとしたドアは反対側から勢いよく開けられた。そこには僕の父がいた。

 いつもは上品に整えられている髪は額にバラバラと落ち、ローブは慌てて着込んだかの様に肩からズレている。足元にはドビーがいた。

 父は部屋の中にいたダンブルドアを見て、そして僕を見るやいなや顔を歪ませ、強い力で抱きしめた。今、僕は魔法で綺麗にする余裕もなくパイプやトンネルでついた汚れでドロドロだったのだが、それを気にすることもできない様だった。

 「ああ────ドラコ────、それではあなたが? あなたが私の息子を助けてくださったのですか? ダンブルドア」

 父の声は安堵に震えている。

 「いいや違う。ここにいるポッター少年のお陰じゃ」

 押し除けられたハリー(ドビーを見て目を丸くしていた)をダンブルドアは手で示す。しかし、父はそれを見ている余裕もない。

 「ああ、何故お前が────純血のお前が襲われるはずなかったのに────怪我はしていないのか、どこにも痛いところはないか────何故────」

 「ヴォルデモート卿じゃ」

 ダンブルドアの厳格な声が背後から響いた。

 「今回、ヴォルデモート卿は、ほかの者を使って行動した。この日記を利用してのう。なるほど、巧みな計画じゃ。もしこのハリーがこの日記を見つけておらなかったら、これに取り憑かれてしまったものがその責を負うことになっていたじゃろう」

 父は驚愕して僕を見る。

 「そんな────ドラコに、闇の帝王が? あの人はもういないはずだ────でも何故?」

 「ドラコは今宵、この1年間操られ続けていたものを救い、代わって自分が秘密の部屋へ連れ出されるよう仕向けた。比類なく、勇敢な行いじゃ」

 部屋に沈黙が落ちた。僕には父の方しか視界になく、他の3人の表情は見えなかった。再び口を開いたのはダンブルドアだった。

 

 「君もかつて嫌というほど目の当たりにしてきたことじゃと思う、ルシウス。ヴォルデモート卿は君らの誇り、君らの血を真に尊ぶことはない。あやつにとって尊いものは奴自身だけであり、奴の前に転がり出ざるを得ないものがどのような人間であるかなど気にもかけぬ」

 先ほどと同様に厳格で、しかし誠実さを込めた言い方だった。父はそれでも頑なだった。絞り出す様に父は言葉を吐いた。

 「────いいえ、貴方にはお分かりにならない。我々は自らを守らねばならない」

 「なれば、今夜の出来事は守るための道を考えるには十分役に立つ事件だったことじゃろう」

 

 ようやく父は僕を抱いていた手を緩めた。見上げると、そこには苦渋に満ちた表情をした父がいた。

 「あなたの言葉は軽い。ダンブルドア。あなたは我々の信頼を勝ち取ろうとしてこなかった」

 「ああ、君の言うとおりじゃ。しかし、厚顔にも今、その準備をしたいと言えば、君はわしを信じてくれるかね」

 「今更────」

 

 行き場のない怒りと困惑で父の顔が歪んだ。音にならない言葉で何度か口を開こうとしていたが、結局返事は出て来なかった。父は唇を真一文字に結んで乱暴に会釈をすると、僕とドビーを連れて憤然と校長室を出ていった。

 

 その後を追ってきたのはハリーだった。

 「マルフォイさん、僕、あなたに差し上げるものがあります」

 彼はそう言って、父にリドルの日記を差し出した。父はそれを受け取り、顔を歪める。

 「何故私に────」

 「あなたがフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店でこれをジニーの大鍋に入れたからです」

 父の顔には驚きと怒りが浮かび上がった。彼は日記をドビーに放り、僕の肩を再び抱いてハリーに背を向けた。

 「何を根拠に言っているか分からんが、医務室に行かねばならない。我々は失礼する」

 少し歩き、僕はドビーがついてきていないことに気付いた。後ろを振り返るとドビーは日記を開き、固まっている。そこには、黒い靴下が挟まっていた。

 

 「ご主人様がドビーめに靴下を片方くださった。ご主人様が、これをドビーにくださった」

 ドビーは驚愕と歓喜に声を震わせて言った。

 「なんだと?」

 父も振り返り、吐き捨てるように言う。「いま、何と言った?」

 「ドビーが靴下の片方をいただいた。ご主人様が投げてよこした。ドビーが受け取った。だからドビーは――ドビーは自由だ!」

 破裂した様に歓喜でドビーは声を上げた。

 

 父はしばらくその場に立ちすくみ、しかし、「どこへでも行くがいい、役立たずが」と吐き捨てて僕を抱える様にして医務室へと向かっていった。

 

 その後、遅れてやって来たハリーとジニーの付き添いでその場にいたロンは、校外者が追い出された医務室で今までのことを語り合った。もちろん僕には彼らに言えないことが沢山あったけど、それでも久々に晴れやかな気持ちだった。

 僕は父があの場で絶対にブチ切れると思っていたんだけど、と二人に話した。君を巻き込んじゃって流石に反省してるんじゃないの? とは、ウィーズリーの言である。

 語り、再び礼を言い、健康な二人が宴会に行くため医務室を出て行くときに僕は少しだけいつもの調子に戻って言った。

 

 「とにかく、今年君たちは一年を通して学んだわけだね? どう言う原理で動いてるのか分からない魔法道具を軽率に使っちゃいけないって」

 「でも、魔法自体どういう原理で動いてるかよく分からないじゃないか」ハリーは答えた。

 「屁理屈言わないの!」僕は笑った。

 

 



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アルバス・ダンブルドア(2)

 

 

 夜、僕はみんなが宴から部屋に戻ってきた頃スリザリン寮に戻った。検査だけでここまでかかるのだから、何をされたか分析できないというのは厄介だ。石化が解ける場に居合わせたので、起きたグレンジャーに会うことができたのは僥倖だった。僕はグリフィンドールの2人から話を聞くよう、彼女に事件のことを本当に簡単にしか説明しなかった。けれど、それを聞いたグレンジャーは自分が残した情報を元に2人が見事に事件を解決したことをとても嬉しそうに、そして誇らしそうにしていた。

 僕が消えたということは寮内では噂になっていたが、先生方から何か御触れがあったわけではなかった様だ。最後の被害者はジニー・ウィーズリーであり、ロン・ウィーズリーとハリー・ポッターが秘密の部屋の場所を突き止め、事件を終わらせた。それが公式の発表だった。

 

 僕が消えたのに真っ先に気付いたクラッブを始め、みんなには随分心配をかけてしまった。状況から見れば僕が継承者に見えてもおかしくないだろうに。そう言うと、みんなは顔を見合わせて笑った。

 「まあ……自分に怯えてる他寮の一年生にすらあれやこれやと気にかけるのを止めないのに、マグル生まれ殺しの継承者になれると思っているんだったら思い上がりね」

 パンジーは自分が僕の最大の容疑喧伝家だったのを完全に棚上げして言った。

 実際、その噂は流れた。しかし退院し、おそらく本来のものであろう活発さを取り戻したジニー・ウィーズリーと僕が廊下で挨拶する程度の仲であると知れると、皆興味をそこまで持ち続けるのは難しかった。

 

 表向き、と言うよりは実際に功労者となったロン・ウィーズリーとハリーには「ホグワーツ特別功労賞」とそれぞれに200点ずつが与えられ、グリフィンドールが今学期の寮対抗杯で優勝するのは確実になった。正直僕はあんな危ない真似をした2人を公衆の前で手放しで褒め称えるのは教育者・保護者の態度としていかがなものかと思う。けれど、ハリーの汚名はやはりそれでしか雪がれ難いものだったのかも知れない。

 そもそも今年のスリザリンは去年からの制度で点が伸び悩んでいたので、他の2寮と共にチッうぜーな、くらいの雰囲気で収まった。スネイプ寮監が1/2になることを加味して加点減点をしなかったことに僕は心から安堵した。

 

 そう言えば、ロックハート教授がとても迅速に収監されていったことには驚いた。何だかんだダンブルドアは彼の犯罪の証拠を集めていたらしい。今回ロックハートが致命的な結末を迎えることはなかったが、それで野放しになってしまうのも彼は懸念していたのだろう。相変わらず根回しがしっかりしている。僕はこの一年大切に育ててきた観葉植物が無くなったようで少し寂しかった。

 幸いなことに、彼の巧みな忘却術による被害者の多くは回復可能だそうだ。彼自身が周到に、違和感のないよう記憶を操っていたが故に致命的な精神の破壊に至っていなかったらしい。しかし、そうでないものもいた、ということは忘れるべきではない。魔法で犯した罪が魔法で全て消えるわけではないのだ。

 

 

 

 

 秘密の部屋への旅から命からがら帰還した翌日、僕はまたマクゴナガル教授の部屋を訪れていた。僕の浮ついた気分のせいか、研究室にはいつもより眩しく午後の光に満ちている。そこにはやはりアルバス・ダンブルドアが待っていた。

 「こんにちは、ドラコ」

 「こんにちは、校長先生」

 こうやってダンブルドアと普通に挨拶ができることが嬉しい。彼が今回僕にさせざるを得なかったことを思えば、例え事件が終わっても以前のような関係ではいられないだろうと考えていたのだ。ハリーのおかげで、取り返しがつかなくなる前に秘密の部屋は閉じられた。ハリー・ポッターは主人公に相応しい勇気と機転で、僕らにはどうしようもなかった状況を書き換えてくれた。

 得られるとは全く思っていなかった、最高の素晴らしいハッピーエンドだ。

 

 ダンブルドアが本題に入る前に、僕は言いたかったことを一つだけ伝えておくことにした。

 「ダンブルドア先生。いくら事件が綺麗に解決したからといって、それに浮かれて期末試験を失くすのはいかがかと思います。試験はただ子どもたちの嫌なものランキング上位にあるだけのなんの役にも立たない代物というわけではないのですから」

 

 そう、僕は今日になって知ったのだが、昨日の事件の解決を祝って開かれた宴会で期末試験のキャンセルが発表されたのだ。今朝部屋に来るよう伝えてくれたマクゴナガル教授に僕はそれを教えてもらった。すぐさま抗議しようと口を開きかけたが、僕に言葉を告げたマクゴナガル教授はどう見てもそれがいいと思っている顔ではなかったので、口を噤まざるをえなかった。

 僕の言葉を聞いたダンブルドアはこの言葉を予想していなかったのか、不意を突かれたようだった。しかし、すぐさま緊張が緩み、悪戯っぽい微笑みを浮かべて僕を見る。

 「ああ、マクゴナガル教授も全く同じことをおっしゃっていた。しかし、もう発表してしまったからには、撤回しては子どもたちをがっかりさせることになってしまうの?」

 こいつ。調子に乗る方向が教師にあってはならない領域だろう。それに真面目に怒れない僕もなんだかんだ同罪だ。

 

 「子供にテストは罰だという先入観を刷り込まないようにしてください。一年の振り返りがないのは大きな損失なのですから」僕は覇気のない声で一応進言した。ダンブルドアは真摯に、しかし明らかに喜色を隠さず僕に頷く。

 「……前から思っていましたが、あなたは戦士を訓練することには無比の才を持っているのに、多くの普通な子供たちを教育するのには明らかに向いていないですよね。いや、その才能のせいですか」

 ちょっとした憎まれ口を叩いただけのつもりだったが、この言葉にダンブルドアは動きを止めた。顔にはまだ微笑みが残っていたが、先ほどまでの温かな雰囲気は少し薄れている。しかし、無礼な僕に怒っているわけではないようだった。

 「肝に銘じておこう。さて、それでは今回何が起きたか、君の話も聞かねばならぬのう」

 

 そして僕は語り出した。といっても、僕が言わなければならなかったのはせいぜいジニーを操るトム・リドルに突かれてトイレまで連行されたときのことぐらいだった。ハリーの語ったものと比べて随分短く僕は話し終えた。

 それでもダンブルドアは真剣に、具に聴き入っていた。

 

 話の終わり、僕はダンブルドアへのお願いを口にした。

 「ハリーにもう少し冷静に行動するように言ってはもらえませんか? 今回はたまたま万事うまくいきましたが、確実にスリザリンの継承者を仕留めるんだったら子どもの1人捨て置いておくべきだったんです。あなたが到着するのを待ち、そこから彼に秘密の部屋への入り口を開いてもらう。それが最も確実な手順だったでしょう。証拠であるものが消えてしまう可能性があったので、一刻も早く行動すべきだったとは思いますが……」

 しかし、ダンブルドアは僕の言葉を手で制した。

 「わしはハリーに、わしのような人間になってもらいたいとは思っておらん。彼はそもそもそうはならんじゃろうし、それが良い結果をもたらすとも考えていない」

 言いたいことはわかるが、感情の滲んだ判断だと思う。ダンブルドアはこの件について僕と議論するつもりはないようだ。効果があると思ってしたお願いでもなかったので、話を流すことに異議はない。けれど、今までダンブルドアと話してきた中で最も説明が足りず、そしてそれに彼が気付いているのかが分からない言葉だった。

 

 ようやく僕の語りたいことは尽きた。

 

 そして、ダンブルドアは深く頭を下げた。

 来るかもしれないと思っていたがやっぱりだ。僕はこの苦労に塗れた人に頭を下げられるのが嫌いだった。

 「やめて下さい。今回僕は間抜けに秘密の部屋に引っ張って行かれただけです。別にジニー・ウィーズリーのことを庇えると思っていたわけでもないですし。そもそも発端は僕の父なわけですし……」

 「いや。今年、君は本当に多くのところでわしを救った。それもわしが全く予期していなかった方法で」

 ダンブルドアの声には頑なな響きがある。顔を上げた彼の瞳には、予想していなかった悲壮な色が宿っていた。

 

 「……今年、敵はスリザリンの継承者じゃった。あやつは記憶に過ぎぬものでありながら少女を誑かし、偉大とすら言える蛮行をやってのけた。しかし、今年スリザリン寮に最も利した存在は間違いなく────君じゃ」

 僕は反論しようとして、言うべき言葉を忘れた。ダンブルドアの目が日を反射し光る。それは、紛れもなく涙だった。

 

 「わしは、トム・リドルこそ最もスリザリンの優れた点を得た存在だと思っておった。あやつの強大さ、そして、残忍さ。血を重んじ、人間の価値をそこに見出す思想。

 …………老いたことを言い訳にすることもできぬ。わしは老いる前から、それらをスリザリンの重要な特徴だと思っていたのじゃから。けれど、わしの考えは間違っていた。今年、君はそれを体現してみせた」

 ダンブルドアの声は震えていなかった。何かに罰を下す裁判官のように固く、はっきりとした口調で語り続ける。

 

 「思慮深き狡猾さ。自身の目的を達成し、それに飽き足らず多くのものの────自身と反する思想を持つものの願いすら連れていかんとする尽きることなき野心。たとえ自らが非力でも人々を導く同胞愛。嗚呼、なるほど。わしのスリザリンへの────隠せまい。軽蔑心は、わし自身の心が生み出した敵に対するものだったのじゃ。その愚かな思い込みがなければ、救われたものがどれだけいたことか」

 

 ダンブルドアがなぜそこまで僕を過大評価し、彼自身を卑下するのか、さっぱり心当たりがない。入学式で、馬鹿馬鹿しい校歌に涙を流しているダンブルドアを見たときのことを不意に思い出した。想像もつかない彼の長い生の苦難が滲み出ているような感じを覚え、やはり僕は少し恐れを抱いていた。

 彼は強く椅子の肘掛けを握っていた。身を苛む悔悟の念に深く苦しんでいるようだった。

 

 「それが、あなたの呵責なき善行に必要だったのではありませんか。それで助けられた人が大勢いるのは、何よりあなたが一番ご存知でしょうに」

 ダンブルドアは僕の言葉を否定することはなかった。しかし、受け入れているようにも見えなかった。

 「この見下げ果てた、独りよがりのおいぼれに────なお、君は敬意を向けてくれるのじゃな」

 ようやくダンブルドアの声が少し嗄れた。

 だから、自分を下げるのをやめてくれ。ダンブルドア。ほとんどの人間は彼ほど偉大な人間にそんなことを言われたら、自虐風当てこすりかと疑うだろう。

 しかし、ダンブルドアが話し始めてからずっと目に涙を浮かべていることに気づいては、言葉を適当に返す気にもならなかった。僕はできるだけ、自分が何を言いたいのか丁寧に頭を整理しながら、口を開いた。

 

 「多くの孤独は───きっと、その人のせいではないのです。校長先生」

 

 ダンブルドアは答えなかった。ただ、僅かに俯いた彼の頬を涙が一筋伝い、髭から滴り落ちた。

 

 

 しばらく部屋に静寂が満ちた。再び顔を上げたダンブルドアの瞳にはもう涙が流れた跡もなかった。彼は先ほどまでよりもしっかりとした声で再び話し始めた。

 

 

 

 「君に、閉心術を覚えてほしい」

 思ってもみない申し出だった。

 「それは僕も習得したいと思っていたことですが……けれど、なぜ?」

 

 ダンブルドアは決然とした口調で説明を始めた。

 「君はヴォルデモートが知れば、真っ先にその持ち主を殺したがる情報の一歩手前まで辿り着いてしまっておる。そして、それを知っていることを悟られれば、こちらは取り返しの付かぬ痛手を負うことになる」

 「今すぐにとは言わぬ。しかし、時間がどれだけ残っているか分からぬのじゃ。去年ヴォルデモートを取り逃がしたことで、奴はわしの前に現れることなく肉体を得る方法を探しておることじゃろう。最早ヴォルデモートの復活は避けられぬ運命になりつつある」

 

 その情報とはハリーや日記のことだろうか。考えを整理したいが、焦りで上手くまとまらない。何とも返事をし難い状況に、それでも僕は現状を把握しようと問いかけた。

 

 「あの……校長先生は僕に開心術をかけられたことはありますか?」

 

 






音割れBB系のmadについては4作目ラストのものだけを想定しています。というか最終作のBBがあることを寡聞にして知りませんでした。ですので、ニワトコの杖など5〜7作目で登場するものの情報は一切主人公の頭の中にはありません。もちろん彼がそれを知る由もありません。


追記
流石にちゃんと確認しないとと思い、再生回数順にニコニコの「音割れポッターBB」で検索した動画を視聴してきました。主人公すら確実に覚えているわけではないのですが、正確な知識にご関心があれば、上20件くらいは見たと考えていただけると幸いです。





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第二巻 完

 

 

 

 実は、僕のいわゆる「前世」の記憶というのは、もうほとんど頭の中に残っていなかった。この世界で目覚めてから、まるで身体の発育に合わせた幼児期健忘のように、あったはずの多くの思い出が失われていった。初めの頃はかつて経験したものの残滓が消えていくことに、それこそその歳の子どものように泣くこともあったが……今となっては元は何を覚えていて、何を覚えていなかったかも確かではない。

 けれど、それで悩むことはあまりなかった。成す術のないものに縋っても仕方がないし、前世の記憶の中で魔法界でやっていくために使えるものはごくわずかだ。僕は今の世界を生きるため、「音割れポッターBB」を始めとした「ハリー・ポッターシリーズ」関連の記憶に焦点を絞り、反復して脳に焼き付かせていた。それこそ機会があれば頭の中で誦じていたほどだ。それでも怪しくなってしまった部分は大いにあるのだが、命綱として今まである程度の効力を持ってきてくれていると思う。

 

 それゆえに、ダンブルドアの「閉心術を覚えてほしい」という申し出は、裏の意味を読み取ろうとしてしまうものだった。今回の「秘密の部屋事件」に関わったからというだけでなく、校長は何らかの機会に僕の頭の中の「記憶」を見たから、そう勧めたのではないか? そんな思いを裏に、恐る恐る尋ねる。

 

 「あの……校長先生は僕に開心術をかけられたことはありますか?」

 

 ダンブルドアは僕の問いかけを聞き、信じられないほどあっさりと、しかし真面目に頷いた。想定外だ。僕は彼が事実を認めるとしても、もうちょっと勿体ぶると思っていた。衝撃に二の句を継げないでいると、ダンブルドアは少しかぶりを振って言葉を続けた。

 

 「君が誤解をすることはないと思うが、開心術とは望んだ通りに人の心のうちを暴けるものではないし、矢鱈と使って利のあるものでもない。わしが許される理由もなく人の心を覗き見る人間だと思われれば、先の大戦、ヴォルデモートは遥かに迅速に味方を増やしたことじゃろう」

 「分かっています。じゃあ、やっぱり僕は怪しかったのですね」

 ようやく少し驚きが収まり、僕は力を抜いて笑った。ダンブルドアが開心術を使ったことより、僕が使われる立場にあったことの方が問題だ。僕の思いを知ってか知らずか、ダンブルドアは薄く微笑み、首肯した。

 「君自身の問題ではない。君が知っているかどうかは知らぬが、君の父上は数年前、魔法省に特例でまだ幼い息子に杖を持たせるよう要求した。わしがまだヴォルデモートの足跡を完璧には追えていなかった頃じゃ。恥ずべきことではあるが、わしは並外れて早熟なスリザリン家系の人間を疑う傾向にあった。特にその頃は」

 闇の帝王がいなくなったとて、彼が残したものは山ほどあったことだろう。ダンブルドアの懸念は尤もだった。トム・リドルの日記に僕が取り憑かれたままホグワーツ入り、なんてことも可能性としてはあったのだから。

 

 「言い訳でしかないが、それでも、()()()()()()わしはそのような手は取らなかったじゃろう。しかし、君が入学したその年、ヴォルデモートは配下を使ってこのホグワーツにやって来た。奴を捕まえる絶好の機会でもあり、奴が何かをこの学校に仕掛ける絶好の機会でもあった。わしは、あやつの持っている手段を出来うる限り確認せねばならなかった。

 しかし、それで奴にこちらの動きを悟られるのもまた、絶対に避けねばならぬ。わしに開心術を使ってできることは、誰にも気付かれぬと確信できるほど薄く人の心を見ることだけじゃった」

 相変わらず僕らの知らないところで苦心に苦心を重ねていらっしゃることに思わず嘆息した。僕がダンブルドアの立場だったらストレスで禿げていたことだろう。

 

 「誓って言うが、必要最低限、そのものの立場が明確になる場面でのみじゃ。わしは、怪しいと感じた生徒に開心術を使うた。しかし、君は例外じゃった。わしは入学式で、組み分けに臨む君の心中をヴォルデモートですら気付かぬと思えるほど薄く攫った」

 いよいよ核心に近づいてきた。ダンブルドアは僕の頭の中に何を見たのだろう。何だか嫌な予感がしてきていた。

 ダンブルドアは初めて見るような苦笑を浮かべ、先を続けた。

 

 「……君の心中は、その一瞬ではわしには理解できなかった。期待していた新入生らしい不安も、ヴォルデモートの気配を感じる思考も感じ取れはしなかった。

 轟音。ただそれだけじゃ。そして君はスリザリンに組み分けされた」

 なるほど。よりにもよってそこだったのか。僕の顔は羞恥のあまり真っ赤になっていることだろう。

 今日という日ほど自分が持っていて、しかも命綱にしていた情報を恥ずかしく思ったことはない。ああ、どうして神は「音割れポッターBB」なんて馬鹿馬鹿しいのじゃなくて、もっとまともな情報を掴んでいる人間を転生させてくれなかったのだろう。そのせいで僕は入学式に校長先生に音爆弾を仕掛けてしまっていたのだ。その上、それが何やら攻性防壁になってダンブルドアをブロックしてしまったというのだから笑い話にもならない。

 

 「……さぞお疑いになられたことでしょう。紛らわしい真似をして、本当に申し訳ありませんでした」

 しかし、ダンブルドアは鷹揚に笑った。

 「それについては否定できぬが、そもそもわしの見当が外れていたのが問題だったのじゃ。そのあと君はスネイプ先生の不公平を指摘し、マクゴナガル先生にそれを改善する手助けを求め、フーチ先生の……杜撰な安全管理に歯向かって見せた。

 その後クィレルとスネイプ先生に注目していたようだったのは気に掛かったが、禁じられた森での君の振る舞いは、もし君がヴォルデモートの手のものだとすれば理解し難いものじゃ」

 良いように言ってくれているが、その程度のことを根拠にしていいものなのだろうか。僕は身に染みる恥ずかしさの八つ当たりで、ダンブルドアを問い糺した。

 

 「僕が言うのもなんですが、それでも信用なさるべきではないのでは?」

 「そうかのう? ヴォルデモートの手のものがそこまでわしに目をつけられそうな、しかもヴォルデモートを一切利さないことをするとは思えぬ。その上、わしが君にヴォルデモートを誘き出す策を語ろうと、奴は行動を起こさなんだ。それであれば、十分じゃろう」

 それは……確かにその通りかもしれない。けれど、危ない賭けだ。僕は思わずダンブルドアを半目で見つめた。それでも彼は楽しげな表情を崩さなかった。

 

 「昨年と今年で君はヴォルデモートの力の源について多くを知った。それを奴に悟られぬよう策を施さねばならぬ。他に知られて良い情報ではないが故に閉心術の練習はわしに心を開かれる形となる。君にそれを受け入れてもらいたい」

 もちろん構わない。しかし僕の方から説明しなくてはならないこともある。頷く前に、心を決めて僕はダンブルドアに語り出した。

 

 「ダンブルドア……僕はあなたに語らなければならないことがあります。

 あなたが入学式のときに僕の心から拾い上げた轟音。あれはその直前のショッキングな出来事でも、心の侵入者に対する対策でもありません。あれこそが、僕がこの世界で生きる中で最も頼りにしている予言のようなものなのです」

 恥ずかしい限りだが。

 

 そして僕は語った。この世界を物語として存在していたように知っていること。しかしその詳細をほとんど知らないこと。まともに知っているのが、面白半分、と言うより全部面白で作られた映像の一場面の音量を最大限まで上げたものだということ。それがヴォルデモートとハリーが戦う場面であったこと。

 本当にこんな与太話をダンブルドアにさせないでくれ。でも真実だからどうしようもない。僕はあまりの恥ずかしさに涙目になりながらも全てを伝えた。

 

 ダンブルドアはこの下らない話を、しかし真剣そのもので聞いてくれた。魔法界の人間であれば予言があるから、ある程度許容してくれる部分もあるだろうと思っていたがこの馬鹿馬鹿しさの前に真面目な顔を保っていられる精神力は驚嘆に値する。

 いや、しかし確かに内容は真面目なのだ。いつか復活した闇の帝王とハリーが戦う。それに更に信憑性を与えるのだから。

 

 話し終えた僕に、ダンブルドアは微笑んだ。

 「わしを信じてくれてありがとう。ドラコ。得難い情報じゃった」

 

 ダンブルドアは、やっぱり偉大だ。

 その後に告げられた言葉に、僕はようやく少し笑った。

 

 「しかし……それではわしは君に訓練を施す間、なんらかの手を打たねばならぬのう? 老いて耳が遠くなったと言っても、あれを何度も食らっては、流石に寿命が縮んでしまうことじゃろう」

 

 

 そして「今年」の事件は幕を閉じた。

 

 

 あの後、僕らは早速開心の際にダンブルドアの聴覚を保護する策はないか調べて実践した。「マフリアート」のような耳塞ぎ程度ではどうにもならなかったので、最終的にダンブルドアの聴覚神経を遮断するという方法で対処することになった。そんな魔法あるんだ。怖いよ。

 開心されるということは、僕がぼやかして説明しなかった「前世」的なところも見られたということなのだが、ダンブルドアは動じなかった。そういった超越的な世界があるというよりは僕の「前世」が狂人視点で描かれていたという方がよっぽど納得しやすいのもあるかもしれない。

 

 とにかく、僕は第一回目の訓練を受け、なかなかに疲弊して寮に戻った。夏休みの間は見てもらうことができないので、自習用にも最初の感覚を叩き込む、といった意味合いが強かっただろう。しかし、自分1人で万事どうにかなる類の魔法ではない。本格的な実践は来年度になってからになる。

 今回トム・リドルはダンブルドアに会いに行ったことから僕に目をつけた。今後もそのような目立つ真似はすべきでないということで、九月からは表向きはマクゴナガル教授に会いに行っているという形で定期的に閉心術を教わることになった。

 ダンブルドアが居ないときはカムフラージュとしてマクゴナガル教授の元で勉強を見てもらったり、お手伝いをしたりしなさいとのことだ。僕にとっては願ってもないことだが、相変わらずお世話になりっぱなしである。しかし、マクゴナガル教授は僕の変身術の技術を伸ばす機会を喜んでくださっているようだ。本当に頭が上がらない。

 

 

 今年も去年と同様、学期末に事件が終息した。2つしかない例を元に断定するのは余りにも時期尚早だが、やはり一つの目安として考えてしまっても良いだろう。夏休みを事件の始まりとして、六月末頃に事態がクライマックスを迎える。正直全ての日で気を張っておくことはなかなか難しいのだが、ポイントごとに注意していきたい。僕は去年も自分が似たようなことを思っていたのを完全に忘れて、決意を新たにした。

 

 

 ダンブルドアにあんなことを言っておきながら、僕は今年学期末試験がないことに少し安堵していた。去年のことがあったからである。勿論五月からハーマイオニー・グレンジャーはベッドの住人になっていたのだから、僕の方にアドバンテージがあった。しかしそういう問題ではない。スネイプ教授が今度こそ決定的な形で僕の名誉を貶めるのではないか、という懸念は彼が稀に僕にあの無表情を向けるたびに強くなっていった。

 スネイプ教授に差し出がましい口を利いたことを謝ろうかと思ったこともあった。しかし、彼のグリフィンドールやハリーに対する態度を見るたびに、僕の真摯さは力を無くしていった。いつか、もっと決定的に僕が悪い場面が来たらそのとき謝ることにしよう。そうやって僕は問題を棚上げにした。

 

 

 「秘密の部屋」事件が終わり、スリザリンの少なくない上級生が見下げ果てたことに残念がる中、僕ら2年生はようやく他寮の生徒たちと授業外にも話す機会が戻り、残った少ない学校生活の間彼らとの交流を楽しんだ。

 ジニー・ウィーズリーは兄のロンを連れて、あの後僕に謝罪とお礼をしに来た。流石に自分の父親が原因の事件でそんなことをされては立つ瀬がないのだが、それでも彼女はトイレでの僕の行動に感謝しているようだった。事件の詳細は秘されているため公に僕がジニーを救った、なんて話は出来ないが、それでも事情を知るウィーズリー兄弟と僕は以前とは見違えるように親しくなった。

 それでも、父は父だ。彼らには僕が「こういう」人間だということはあんまり吹聴しないでほしいとお願いした。パーシーを始め、ロン、ジニーは真剣に頷いていたが、フレッドとジョージは明らかに僕の言葉を曲解しようとしていた。

 

 僕のからかい方を考えるため、パンジーとザビニがウィーズリーの双子と信じられない勢いで仲良くなっていくのを、僕は指を咥えて見ているしかなかった。

 

 まあ、この一年スリザリンも、他の寮も緊迫感の中で過ごしてきたのだ。これくらいのことは許容範囲だろう……。

 僕は来年度奴らがどれだけ増長しているか完全に考えないようにして思った。

 

 

 何はともあれ、今年一年も乗り切れた。家に帰って父が僕にどんな目を向けるか、心配ではないと言えば嘘になる。けれどあの人はやっぱり息子を愛していて、そこが僕が父を自分と切り離しきれないところなのだ。案ずるより産むが易し、という結果になると期待している。

 

 またもやスリザリン生でぎゅうぎゅうのコンパートメントで、久しぶりにビンクに用意してもらったお茶を飲みながら本を読むことを想像し、僕は家に帰ることを楽しみにしている自分に気付いたのだった。

 

 

 

 

 

 



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アズカバンの囚人
第三十一話 アズカバンの脱獄犯


 

 

 

 八月も半ばを過ぎ、どこか緊迫感の漂うウィルトシャーの屋敷で、僕はビンクと共に普段通り変身術や闇の魔術に対する防衛術なんかの勉強をしながら日々を過ごしていた。

 

 ホグワーツから戻ってからも、父は「秘密の部屋」の件で僕を厳しく叱責するようなことはなかった。マクゴナガル教授の研究室での様子から想像はしていたが、父はずいぶんと無鉄砲なことをした息子に怒りを抱いたりはしなかったらしい。ホグワーツ特急が到着したキングズ・クロスで、心配のあまり少しお痩せになった恐慌状態の母を宥めながら僕らを抱きしめ、あまり危ない真似はしないように、と諌めてそれで終わりだ。あの日から後ろめたそうにこちらから目を背ける姿を見るに、父は僕に責められることを恐れておられるようですらあった。

 この妙な空気は厄介だ。僕は一度、父と腹を割って純血主義や今後の方針についての話をしておきたかった。闇の帝王が復活する前に。父はどうしたって主要な純血一族で、その中でも最大の権力者なのだ。()が戻ってきたとき、向こう側に付かねば極めて危険な状況になるのは目に見えている。しかし、それでも父がかつての「死喰い人」たちのように────勿論、父はそうだったのだろうが────罪なき人を虐げる人間になっては欲しくなかった。主人公たちによって打ち倒されるだけの「悪」になってほしくなかった。

 

 結局、僕は去年のクリスマスから身に刻み込まれていた慚愧の念を、もう味わいたくなかったのだ。そうならないためにも、少しでも策を講じておきたかった。しかし、父との距離を測りかねてグズグズしているうちに、それどころではない事態が起こってしまった。

 

 アズカバンからシリウス・ブラックが脱獄したのだ。

 

 

 彼は僕の母、ナルシッサ・マルフォイの従兄弟であり、純血一族であるブラック家最後の男子だ。去年ブラックの屋敷にいらっしゃった方々が相次いで亡くなり、彼らの財宝の多くがその屋敷と共に僕らに手が出せないよう封じられたが、それも彼がアズカバンに収容されていたことが一因だ。

 

 十二年前、闇の帝王が去ったと囁かれだした直後、シリウス・ブラックは魔法使い一人とマグル十二人を殺害し、現行犯で逮捕されたそうだ。通常であれば罪状について裁判が行われるところだが、魔法界は救いようがないほど人権意識が希薄であり、そして当時の魔法省にそれらの手続きをこなすキャパシティがなかったことで、彼は公判の手続きを取られることなく、そのままアズカバンへ投獄された。

 再審請求はなかったのかと疑問に思われるかもしれない。しかし、シリウス・ブラックが牢から出ることを望まない人間は多かった。

 ブラック家は当時まだ人数が残っていたためか、彼らの権力を使って最後の()()()()嫡子を救い出そうとしなかった。司法の側もそうだ。ブラック家の長男が無罪であることなどが判明しようものなら、魔法省は大批判を浴びることになる。加えて、アズカバンの外にいた元死喰い人たちは、強固な思想を持つかつての仲間が自由の身になることを望まなかった。

 斯くして、シリウス・ブラックはアズカバンの中で忘れ去られた。

 

 シリウス・ブラックはその立場からストーリー上重要な人物かもしれない、と考えたことはあった。しかし、彼とそれなりに近い血筋でありながら、僕はその人物像というのをあまり想像することができていなかった。彼の母であるヴァルブルガ大伯母上は生前幾度か交流があったが、彼女に直接話を聞いても、どうにも彼の印象ははっきりした像を結ばない。

 彼女は僕の母であるナルシッサが高貴なる血筋と産んだ僕を愛し、僕を引き合いに出して自分の「愚かな」息子であるシリウスを蔑んでいた。晩年の狂乱の中にあっても、頑なにシリウス・ブラックの家への忠誠心の欠如を非難することでしか、彼女は自分の長男への執着を示すことができなかった。

 

 シリウス・ブラックは比較的幼い頃から家の方針、つまり純血思想に正面切って歯向かっていたらしい。言うまでもなく他の「血を裏切るもの」と同様、ブラック家の家系図からは抹消されていた。寮もブラック家としては異例中の異例でグリフィンドールに組み分けされ、同じくグリフィンドールだったハリーの父、ジェームズ・ポッターと親友となったそうだ。そしてまだホグワーツ在学中に家を飛び出しポッター家に身を寄せた。そこまで聞けば、良くも、そして僕のような人間から見れば悪くも、彼が本当にグリフィンドールに似合う破天荒な勇気の持ち主だと思うだろう。

 しかし彼は実のところ闇の帝王の忠実なしもべで、主人が去った後にあのような虐殺事件を起こしたことになっている。闇の帝王の偉大さに触れて改心でもしてしまったのか? それとも初めから闇に惹かれる人間だったのか?

 彼の人物像は常識からすると分析が困難であり、それ故に闇の帝王の影響力の恐ろしさを物語る一事例として、僕の脳には仕舞われていた。

 

 しかし、その彼が脱獄した。今まで一度も脱獄者の出たことのない不落の牢獄から。この三年生の学期前に。

 

 「一年」の始まりがここまで分かりやすく表れたことは、未だかつてなかった。今までの傾向を見るに、この事件の最後には闇の帝王自身、ないし彼に関する何かが黒幕となる可能性は大きかったが、それも断定はできない。せっかく「秘密の部屋」を解決したところだというのに、僕はこの前代未聞の犯罪者相手に再び頭を悩ませることになったのだった。

 シリウス・ブラックの脱獄に恐々としたのは僕だけではない。もちろん多くの罪なき魔法族たちもそうだったし、「罪ある」魔法族もそうだった。闇の帝王が去った後、仲間を裏切り光の陣営に阿った人々は最たるものだ。父を始めとした元死喰い人たちは、闇の帝王と同様に残酷で、同胞を傷つけることを厭わない腹心の者たちを恐れていた。

 父はシリウス・ブラックの捜査がどう進んでいるかを知るために日々魔法省に詰めかけていたし、母は屋敷しもべ妖精たちと共に屋敷の守りを点検し、社交の場でご婦人方とどのように各家庭で身を守るのか話し合われていた。忙しい両親が屋敷を空けることが多くなり、僕はこの夏のほとんどを一人で過ごすことになったのだ。

 

 去年ブラック家の方々が亡くなっていたのも、色々な憶測を呼んだ。ブラックが遠隔でアズカバンから呪いを仕掛けていた、という荒唐無稽なものから、彼がそれを知ったから自らの財産を引き取りに来たのだ、というある程度説得力のあるものまで。それゆえに、やはり我が家は警戒を強いられていた。

 僕も一人での外出はしないように、ときつく言いつけられた。父か母、それが無理であればビンクを連れて出かけなければならない。けれど、僕はそこまで外に出ることに乗り気ではなかったからこれは苦にならなかった。

 去年の軽率な行動を後悔した僕は、涼しいウィルトシャーの敷地の草原で散歩する程度で十分満足していた。母は痛ましそうにしていたし、父はやはり後ろめたいようだったが、僕は生まれ育ったこの地が結構好きだ。あまり気にしないでほしいところだった。

 

 そんなある日、思わぬところでダイアゴン横丁に行かなければならない用事ができてしまった。今年は屋敷に全ての学用品が届けられる予定だったのだが、その中の一つ、今年の新たな選択科目である魔法生物飼育学の指定教科書が事件の原因だった。ちなみに、僕は魔法生物飼育学と占い学、古代ルーン文字学を選択した。本当は魔法族の意識を見るという意味でもマグル学を取りたかったのだけれど、そんなことをすれば各方面に角が立つというレベルではなかっただろう。

 とにかく、その愚かしい「怪物的な怪物の本」という教科書が同梱されていた他の哀れな教科書を食べてしまったため、新学期も近づいていたその日の午後、僕はビンクに連れられてダイアゴン横丁へ行かざるを得なくなったのだった。

 

 ダイアゴン横丁で誰か友人に会えるのではないかな、という期待はあった。例年とは違い、スリザリンの子たちだって、この状況では易々と外で会うわけには行かない。元々計画していた訪問ではなかったので完全にダメ元だったのだが、しかし僕はハリー・ポッターに出会うという幸運をその場で授けられたのだった。

 

 ダイアゴン横丁の人通りの多い広場の隅で見つけたハリーは、やはりいつものように学期末から少し痩せて、それでも元気そうだった。フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーのテラス席で、横にサンデーを置いて何やら書き物をしている。よく集中しているようだったが、僕の視線に気付き顔を上げ嬉しそうに手を振った。僕も笑顔で彼に歩み寄る。

 

 「久しぶり、ハリー」

 「ドラコ! 久しぶり。……その子は?」

 ハリーの視線は僕の足元のビンクに寄せられ、少し怪訝な目つきに変わった。ここで思い出したが、そういえば去年ハリーは今や我が家のものではなくなった屋敷しもべ妖精の蛮行によって死の一歩手前の目に遭わせられていたのだった。

 その事実は我が家で大きく取り沙汰された。主に屋敷しもべ妖精たちの間で。ドビーは確かに反抗的なところがある妖精だったが、だからといって父が手放すとも思われていなかった。他の妖精たちは自分たちも解雇されるのではないかと恐々としたようだ。実際は父がクビにしたくてしたわけではなかったのだが……父の家庭内での名誉のため、あの日の父とドビー、そしてハリーのやりとりについて僕は何も言わなかった。

 ビンクは僕が漏らしたドビーのハリーへの仕打ちを聞き、さながら心配性のおばあちゃんのように怒っていた。勿論、屋敷しもべ妖精の矜持を汚していると考えたというのもあったのだろう。その日一日、彼女の仕事はいつも以上に力が入っていた。

 

 しかし、ハリーはうちの屋敷しもべ妖精のサンプルをドビーしか知らない。いや、下手したら屋敷しもべ自体、ドビーしか見たことがない可能性すらある。彼が抱いているであろう懸念に思い当たり、僕は慌ててビンクを紹介した。

 「彼女はビンク。僕付きの屋敷しもべで、僕が小さい時からずっとお世話をしてきてくれているんだ。こんな言い方は良くないけど、君をいきなりブラッジャーで暗殺しようとしたりは絶対にしない妖精だから安心してほしい」

 「お初にお目にかかります、ハリー・ポッター様! 坊ちゃんから貴方様のことは伺っております。昨年はドビーめが大変なご迷惑をおかけいたしましたこと、私めからも謝罪させて下さいませ」

 ビンクは石畳につかないくらいのギリギリでお辞儀をする。ハリーはそれを聞き、少し目を丸くして言った。

 「ドビーみたいなのが、普通の屋敷しもべ妖精だと思ってた」

 そんなわけないだろう。ハリーの生育環境を思えば失礼なことではあるが、僕はその言葉に思わず笑ってしまった。

 

 僕もアイスクリームを買ってきてハリーの隣に座ると(流石にビンクは隣に座ってくれない。僕もそれを求めたことはない)、彼にこの夏どう過ごしていたのかを聞くことにした。

 

 ハリーは手元の溶けかけたアイスを少しいじりながら答える。

 「僕、ダイアゴン横丁で君やロンやハーマイオニーに会えないかってずっと待ってたんだよ」

 「ハリーはいつからダイアゴン横丁に? 君のマグルの親戚は良く許可したね」

 その言葉を聞きハリーはさっと表情を変えた。それは、去年僕に空飛ぶ車で登校したことを怒られるのではないか、という恐れを抱いていた顔に似て、しかしどこか反抗的な印象を受ける顔つきだった。

 「聞きたいなら教えるけど……絶対最後まで聞いて。できれば怒らないで」

 眉を顰めながら嫌々彼は言う。あまりにも直截な要求の表現に僕は思わず少し笑ってしまった。なんだか叱られるかもしれないことを告白する子どものようだ。ハリーが気を悪くしないよう真面目な顔を作り、居住まいを正す。

 「分かった。何があったか最初から最後まで聞くよ」

 

 そして、彼は話し出した。二週間と少し前、伯父の姉に虐待的な扱いを受け、彼女を思わず膨らませてしまったこと。そのまま家を出てナイトバスを偶然呼んだこと。ダイアゴン横丁では何故かコーネリウス・ファッジ魔法大臣が待ち受けていたこと。処罰はなく、その後ずっと「漏れ鍋」に泊まっていること。

 それなりに長くなった経緯を話し終え、それでも何も言おうとしない僕に、彼は雲行きの怪しさを感じたようで、不安げな顔になっていった。

 それでも僕は、彼を落ち着ける言葉を吐く余裕がなかった。僕は久々に取り繕えないほど激怒していた。その彼の「伯父の姉」とやらに。

 

 

 実は僕はハリーの伯母家族についてはそこまで憎み切ることができていなかった。事情をちゃんと知っているわけではないが、完璧にマグルの、しかもハリーと同じ歳の子どもがいる家族に彼が預けられたのはかなりの負担だっただろう。

 だからと言ってその人たちの虐待は絶対に許されるわけではないし、感情的にも嫌悪を抱く。しかし、そんな軽蔑すべき人間たちがいる場所にハリーを預けざるを得なかった状況に問題がある。そう心情の整理をつけていた。

 

 しかしその「伯父の姉」は違う。

 身寄りもない、数年に一度会うかどうかの、自分が世話をしているわけでもない子どもに向かって、事実ですらない、本人にはどうしようもない親のことをあげつらっていたぶる人間に、一体どんな慈悲をかけろというんだろう?

 

 だから、邪悪なマグルの中にまともな魔法使いがいるのは嫌なんだ。

 奴らはマグル世界に伝手のない魔法使いを好きなだけ嘲弄することができるのに、こちらはマグルに対して「倫理的観点から」まともに刑罰を受けさせることもできない。どうせ魔法について何もかも忘れさせなければいけない相手に、魔法使いは何もしない。

 

 勿論分かっている。そのような人間は一部だということは。しかし、魔法使いという性質自体がそういったマグルの卑劣で残酷な面を引き出しやすいのもまた事実だった。

 

 僕はそれをどうすることもできていないし、グリフィンドール的な救出をできる訳でもないということを思い出すことで、どうにか自分の罪悪感を煽って怒りを落ち着ける。深く深呼吸して頭の火照りを冷ましていると、ようやく視界が広がっていよいよ肩を落とし始めたハリーが目に入った。

 彼を安心させたくて、微笑みをどうにか顔に取り繕って僕は声をかける。

 

 「ハリー、辛かったね。君が無事で良かった」

 ハリーが勢いよく顔を上げる。信じられないといった様子だ。そんなに僕の台詞は意外だっただろうか? そんなに厳格なタイプの人間に見えないように振る舞っていたつもりなんだが。

 「君は怒ると思ってた。危ないことするなって。……魔法大臣だってそうだったんだ。伯父さんたちは僕を愛してるからって。ああいう大人はよく知ってる。家族っていうものは愛しあうものだからって問題は何もないみたいに言って……でも、結局は面倒ごとがいやなだけなんだ」

 

 ハリーの声が少し震えている。それを聞いて僕はまた嘲りたい気持ちになった。マグルをちっちゃくて可愛いお人形だと思っている、愚かで自分を騙すのが大の得意なコーネリウス・ファッジ。父のような権力者に阿るだけで魔法大臣になった蒙昧の輩。奴みたいな遅鈍な人間が魔法大臣でいる限り、マグルの中で生きる子どもの魔法使いは救われないだろう。

 だがその怒りをここでぶちまけても仕方がない。僕は大人への信頼を裏切られた彼を安心させたかったが、それは叶わなかった。僕もどうしようもなく子どもで、彼の安全を保障し守れる立場ではないのだ。

 その点で言えばこの状況の責任の多くはアルバス・ダンブルドアにあった。けれど、彼が何を思ってハリーをこんな残酷な場所に置くのを良しとしているか、僕は知らない。知らなくても何か理由があるのではないかと思考を巡らす程度には、僕はダンブルドアがハリーに向ける守護の精神を信じていた。

 

 俯く彼に、それでもできるだけ誠実に語りかける。

 「僕は……君が君の伯母さんにどれだけ憎しみを持っていても、絶対に怒らない。否定しない。君が居たくもない場所に居るだけで、君を虐める人間にそこまで優しくなれないよ。

 勿論、君にとって利にならないからという理由で、そいつら相手に魔法を使うのを諌めるかもしれない。でもそれは君が悪いんじゃない。君が魔法を使わなきゃいけない状況に追い込む環境が悪いんだ」

 ハリーは僕の言うことに何も言わず、俯いたまま聞いている。彼の手元にあった羊皮紙に涙の粒が落ちるのが見えたが、僕は彼が再び話し出すまで黙っていた。僕が買ったアイスクリームがカップの中で溶け、オレンジ色と水色がマーブル模様に混ざり切るまで僕らは何も口に出さなかった、

 

 ようやく顔を上げ、彼は眼鏡を外して着ていたシャツの裾で目元を拭う。そして、できるだけいつもの口調を作って言った。

 「でも、何で魔法省は僕を罰しなかったんだろう? 去年はドビーが魔法を使っただけで警告だったのに」

 もう、湿っぽい話は続けたくないのだろう。彼の気持ちを汲んで、僕もいつもの調子で彼の問いに答える。

 「魔法省……と言うよりは魔法界か。ここはさながら前近代で、条文はあっても不当に緩められた法解釈と縁故が重要なんだ。つまり、法律はとても緩い基準で扱われる。

 こんなこと言いたくはないが、僕の父のような権力者は容易に自分の罪をもみ消すことができるし、そういう人たちに睨まれれば不当に重い量刑を科される。

 今回君は制度の利点を得る側だった。そして、君の立場としては大抵そうなるだろうけど、この先どんな形で理不尽に巻き込まれないかは分からない。一応頭に入れておいた方がいいかもね。それにこんな時期だし」

 「こんな時期ってなに?」

 ハリーの疑問に僕は一瞬何を言われているのか分からなかった。首を傾げる僕に、ハリーは続きを促した。

 

 「なにも何も……シリウス・ブラックのことだよ。魔法大臣から聞かなかった?」

 「何か事情があるみたいだけど、教えてくれなかった」

 何が起きているのかは学校に行ったら嫌でも耳に入るだろうに、一体何を考えているのだろうか、あのタヌキは。今の間だけハリーの目を塞いでいたら、シリウス・ブラックが存在する事実も無くなるとでも思っているのだろうか。

 僕は魔法大臣のあまりにパターナリスティックで考え無しの態度にため息が溢れる。仕方がないのでハリーにシリウス・ブラックのことを掻い摘んで説明した。

 「で、君という闇の帝王シンパの人間が狙うターゲットNo.1を安易に出歩かせるわけにも行かないってわけ」

 ハリーはそれで一応は納得したが、不服そうだった。なんだ、監視の目があることが不満なのか? 僕はこの状態の彼に何を言っても無駄という経験則に則り、話題を彼がやっていた魔法史のレポートに変えた。

 

 それから僕らはしばらく彼の魔法史の宿題をビンズ先生をこき下ろしながら進め、ようやくそろそろ書店に行かなければ、帰るのが親に心配される時間になってから別れた。

 

 「またホグワーツ特急で!」

 彼はスリザリンで満載になるであろう、僕のコンパートメントに突撃してくるつもりなのだろうか。それでも僕は笑って手を振り、フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーを後にした。

 

 

 



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第三十二話 吸魂鬼

 

 

 ダイアゴン横丁での別れの言葉に反して、ハリーは新学期のホグワーツへ向かう特急内で、すぐに僕のコンパートメントにやってくることはなかった。学校まで道のりがあと半分ほどになったところで、わずかな不安が胸をよぎる。ハリーが普通の子だったなら、友人と話し込んでいるのかな、で済む。けれど、そもそも彼は「ハリー・ポッター」だし、去年には「空飛ぶ車」という巨大な前科があった。

 みんな身体も大きくなって、いよいよスリザリン新三年生達のコンパートメントは破裂しそうになってきている。しかし、今年はパンジーとザビニは早々に何処かへと消えた。あの悪戯っ子たちのことだ、目を離していてはろくなことがないかもしれない。

 残った子たちに軽く声をかけ、僕はグリフィンドールの三人組とパンジーたちを見に行くことにした。尤も、彼らが顔を見せに来ないと言うだけの理由で探し回ったとあっては、流石にどんな揶揄われ方をするか分からない。怪訝な顔をしているクラッブとゴイルにも理由は告げなかった。

 

 幸いなことにパンジーとザビニはすぐに同じ車両のコンパートメントで見つかった。去年随分と仲良くなったウィーズリーの双子とリー・ジョーダンと、何やら座席の上にかがみ込んで作業していたのだ。扉をノックして中を覗き込んでみると、彼らの手元にはバッジのようなものがたくさんあった。

 「フレッド、ジョージ、ジョーダン、久しぶり。パンジーとザビニは何をしているんだ?」

 彼らは顔を挙げると、嬉しそうに僕にそのバッジを見せた。それは首席(Head Boy)のバッジにそっくりだったが、Head Toy だのBread Boyだの微妙につづりが違っている。双子の内、手前にいた方が僕に話をし始めた。

 「うちのパースが不名誉あることに首席なんていうものに選ばれちまってね」

 「そうなの? おめでとう」

 「おい、マルフォイ! 言葉に気をつけろよ。パースに聞かれてみろ。奴の長ったらしい自慢話をスリザリンの地下牢に逃げ込むまで聞かされる羽目になるぞ」

 それで兄に嫌気が差して悪戯を企てていると。呆れを全く隠さない僕に、パンジーとザビニはバッジに夢中になったまま、魔法で何をしているのか説明してくれた。

 「このバッジに呪文をかけてるの。付ける前は普通のに見えるんだけど、付けている人が見ていないときだけ文字が変わるのよ」

 「休暇中にただ奴のバッジをいじってもすぐ気付いて、僕らに直させてきてね。改良が必要だったのさ。グリフィンドールの奴の部屋にこれをばら撒くつもりだよ」

 

 そのためだけにこの量のバッジを用意し、下級生まで巻き込んで呪文をかけているのか。視線に反応する呪文とは小規模でも隠蔽に優れているが、使い所がおかしいだろう。この双子は才気は溢れているのに、その矛先はどうも残念なのだった。宥めるつもりはなかったが、少し小言っぽい口ぶりになってしまう。

 「呪文はすごいけど、君達のお兄様に向ける敵愾心の強さは一体どうしたの? ちょっと固すぎるところもあるけど、面倒見のいい人じゃないか」

 「あれは面倒見がいいんじゃなくて、自分の立場を下級生に見せびらかしたいだけだ。この夏ホグワーツからバッジが届いてから、奴がどれだけそれを人の目に入れることに力を注いでいたことか!」

 「高慢ちきな奴さ。いきなり我が家に魔法大臣が爆誕したのかと思ったぜ」

 双子のうちのどちらかは比較的穏やかなタチだと思っていたが、今は両方とも同じくらいうんざりしているようだ。そっくりな顔立ちで腕組みをしている二人はよっぽど鬱憤が溜まっているようだった。

 

 こうなってしまっては止めても無駄だろうし……パーシー・ウィーズリーには悪いがそもそも止める気もそんなにない。僕はパンジーとザビニに「危ない呪文は使わないようにね」とだけ言うと、五人のいるコンパートメントを後にした。

 

 

 

 肝心の三人組は、初めて僕らがこの汽車で出会ったときのように、列車の最後尾辺りにいた。コンパートメントの窓から黒、赤、栗色の頭が見える。ふと二年前のことが思い出される。ハリーの組み分けのためとはいえ、あのときのロンへの自分の振る舞いを思い出し恥ずかしくなってきた。一応精神年齢的にはそれなりの年のはずなんだが、まだ「黒歴史」を生産する余地はあったらしい。僕は胸に湧き上がる羞恥の念を無視して、閉じられていた扉をノックした。そこで、ようやく僕は窓際にしなだれかかっていたローブの山かと思っていた塊が、眠り込んでいる男性だということに気づいた。彼らは三人きりではなかったらしい。

 何やら話し込んでいた三人組が顔を上げる。去年までとは違い、三人とも僕を見て笑顔を見せ、中に入れてくれた。

 「こんにちは、ハリー、ロン、ハーマイオニー」

 ホグワーツ在学中のウィーズリー家全員と面識を持った今、「ウィーズリー」と呼んでロンだけを振り返らせるのはほとんど不可能だった。ハリーは最初からハリーだったし、それでハーマイオニーだけ名字で呼ぶ、と言うのも変なので僕は彼らを名前で呼ぶことにしていた。

 招かれるままコンパートメントに入り扉を閉めたところで、ハリーが身を乗り出す。

 「ドラコ! 僕ら君に聞きたいことがあるんだ」

 僕の所に来なかったのは三人で話し合っていたことがあるかららしい。僕は通路側のハーマイオニーの隣、ハリーの前に座らされる。口を開こうとしたところで、元々そこに座ってた猫が僕の膝の上に登ってきた。オレンジ色で、小さな虎の顔面を潰したような何とも個性的な顔立ちだ。随分と人馴れしているのか、そのまま我が物顔で僕の足の上に座り込んできた。

 「この子誰の子? 随分大きい猫だね」

 「私の子よ。クルックシャンクスって言うの。かわいいでしょう?」

 ハーマイオニーはニッコリと笑ってその猫を撫でたが、ロンは目を吊り上げた。

 「そいつのせいでスキャバーズは怯えきってるんだ!」

 見れば、ロンのポケットは奇妙に膨らみ震えている。ペットのネズミが入っているのだろう。あの大きなネズミは一年生のときの時点でかなり老いた印象だったが、まだ生きていたのか……ネズミはせいぜい数年しか生きないと思っていた。動物愛護の精神に欠けている僕の前で、少しだけロンとハーマイオニーの口論があった後、ハーマイオニーが本題を切り出した。

 

 「シリウス・ブラックが脱獄したのは、ハリーを狙うためだって、あなた知っていたのよね?」

 随分唐突だが、まあそんなところだとは思っていた。

 「知っていたというよりは、脱獄前後の状況からしてそれが怪しいんじゃないかっていう推測の話だったんだけど。それがどうかしたの?」

 「ハリーが僕の父さんから言われたんだ。シリウス・ブラックがハリーを狙ってるから、こちらから探すような真似はするなって」

 なるほど、魔法省はもう何か確信できるような証拠を掴んでいたのか。それで、ホグワーツ周辺に熱心に防御策を施したと。父から教えられていた、今年の学校にやって来る忌々しい存在のことがふと頭をよぎった。

 

 「ブラックは『あいつはホグワーツにいる』って寝言で言っていたらしいんだけど」

 「へぇ……でもそれだけが魔法省が動いた理由かな。僕の近辺はこっちが狙いなんじゃないかって恐々としていたようだよ」

 三人組が僕に不思議そうな顔を向ける。彼らは僕の「背景」をもうあまり意識していないらしかった。肩をすくめて話を続ける。

 「シリウス・ブラックは僕の親戚だ。母方の従伯父にあたるな」

 「ええっ、マジかよ! ブラックが親戚だなんて!」

 「なかなか驚いてくれているが、僕の父が誰なのかお忘れのようだな。それにロン、君だって僕より近くはなくとも血縁のはずだ」

 魔法界の純血一族なんて大体三代遡れば縁が見つかる。ロンはあまりそういったことを気にする家庭ではなかったようだが、血の維持に全力を注いでいる家系では死活問題だ。

 ロンは何故かこちらをジロジロと見つめてきた。

 「君、中身が父親に似てなさすぎるよ」

 「……もうちょっと上手く褒めてくれ」

 

 結局こちらもシリウス・ブラックについて追加の情報──ハリーの父とブラックが親友だったこと──を出さないまま、僕らはブラックや新しい選択科目、ホグズミードの訪問など尽きない話題に花を咲かせた。ホグズミードは保護者の許可制で、ハリーはやはりサインを貰えていない。ハリーは行けないだろうことにがっかりするだけでなく、何やら抜け道を探そうとしていた。尤も、ハーマイオニーと僕は流石に今は危険すぎるからやめておきなさい、という立場だ。早々に僕らの前で悪巧みはやめてしまった。泳がせたほうが、かえってよかったかもしれない。

 

 ホグワーツ特急は夜の迫る雨空の湿地帯を進む。到着予定の少し前、そろそろ自分のコンパートメントに戻ろうかと思い始めたとき、突然汽車がスピードを落とした。不思議に思う僕らの中で、一番ドアに近い所に座っていた僕とハリーは立ち上がり、通路の様子を窺う。しかし、僕らと同じく状況が分かっていない子ども達が顔を突き出しているだけで、何かおかしなところがある訳でもない。

 そのとき汽車が急にブレーキをかけた。体がぐんと横に引かれる。僕はなんとか踏ん張り倒れなかったが、コンパートメントの外からは悲鳴や荷物が落ちる重たい音が聞こえた。何やら不穏な状況の中、明かりが一斉に消え辺りは急に闇に包まれる。本来あるだろう日の光は分厚い雨雲に完全に遮られ、窓からは夜のような薄灯りだけが、コンパートメントにぼんやりと差し込んできていた。

 手元もおぼろげにしか見えないが、自分の上着から杖を引っ張り出し、ルーモスで光を灯す。こんなことは初めてだ。まだホグワーツに通い始めて三年目だけれど。小さな杖灯りに照らされた三人組も不安そうな顔をしている。僕とハリーは足元を照らし、自分の座席に戻った。

 「故障しちゃったのかな」

 「さあ?……」

 「分からないけど、暗いのは厄介だ。みんな、自分の杖で灯りをつけてくれる? ちょっと上げてる腕が疲れてきた」

 この状況の原因が普通のことだといいのだが。去年もこの日は事件があったし、これがシリウス・ブラックの襲撃ではないと言い切ることはできない。僕は三人を無駄に怖がらせたくはなかったので自分の推測を言うことはなかったが、いざという時の為に彼らに杖を手に持たせておいた。

 

 窓際のロンが結露した窓を拭き、外を窺う。誰かが乗り込んでくるようだ。まさか白昼……いや、暗くはあるが、ここまで堂々とお尋ね者がハリーを狙ってやって来ることなどあるだろうか? 内心には恐怖心が忍び込んできた。

 廊下にはまだ異変らしい異変はないようだ。ハーマイオニーが僕の代わりにコンパートメントを照らす中、他のところから不安になった子が僕らの元にやってきた。それはネビル・ロングボトムだった。扉を開けた彼は、僕の顔を見て一瞬このコンパートメントに入るのに躊躇したようだったが──僕の伯母は彼の両親を拷問し、発狂させている──、それでもこちらをできるだけ視界に入れないようにして、グリフィンドールの三人に問いかけた。

 「ごめん、何がどうなったか分かる?」

 「分からないんだ」

 「私、運転士の所に行って、何事なのか聞いてくるわ」

 しかし、ハーマイオニーがロングボトムと入れ替わりで外に出ようとしたとき、再び来訪者がやって来た。ロンの妹、ジニー・ウィーズリーだ。

 「ロン、何が起きたか知ってる?」

 「分からない。今ハーマイオニーがそれを聞きに出て行く所だったんだ」

 「もう他の生徒が聞きに行ってるかもしれないね」

 「パーシーは前の方のコンパートメントにいるのよね?」

 「まだ動かないのかな?」

 

 そう僕らが口々に喋る中、「静かに!」という嗄れた声が僕らの後ろから放たれた。先ほど僕がローブの山だと勘違いした男性だ。彼は目を覚まし、やつれた顔で、しかしどこか険しい目つきで僕らを見ていた。今までずっとここにいたのだし、大丈夫だとは思うが、この状況下ではなかなか恐ろしげな風貌だ。何やら寒気を感じる僕をよそに、彼はすっと立ちあがった

 「動かないで」

 彼はそう言うと、手に魔法の火を灯した。席に座る僕らの前を通り、入り口に近づいていく。しかし、男性がたどり着く前に扉はゆっくりと開かれた。

 

 そこには頭をすっぽり覆う擦り切れた布を被った、大きな背の真っ黒な何かが立っていた。これは本でしか知らない。実際に見たことはなかった。しかし、そこから放たれる底冷えする冷気で分かる。それは、紛れもなく吸魂鬼だった。

 ああ、なるほど。吸魂鬼がシリウス・ブラック捜索のため汽車を止めて乗り込んできたのか。恐怖が心の奥底から這い上がり、正常な思考力が弱まっていくのを感じながら、それでも僕は安堵した。この出来事はシリウス・ブラックによる襲撃ではない。少なくとも、事態は魔法省のコントロールの下にある。

 

 しかし、子どものこんな近くに────そう思う間もなく、僕の前に座っていたハリーが奇妙に固まった。そのまま身体の力が抜け、座席から崩れるようにして床へ落ちていく。慌てて彼が地面に激突しないように抱え上げる。なんとか席に引き上げようと試みるが、すっかり気を失ってしまっているのか、身体はずっしりと重たい。

 何故? 吸魂鬼の影響か? ハリーの状況が分からず内心恐慌状態の僕の後ろを通り、あの男性が吸魂鬼の前に立った。

 

 「シリウス・ブラックをマントの下に匿っている者は誰もいない。去れ」

 威圧的な低い声だった。それでも吸魂鬼は動かず、僕らの方を────どこを見ているのか本当は分からないのだが────じっと見ている。男性は杖を構え、守護霊の呪文を唱えた。輝く銀色の靄で出来た何かが彼の杖から吹き出し、個室の中を駆ける。少し温度を取り戻したコンパートメントから、吸魂鬼は音も立てず去っていった。

 

 そのとき、不意に車内に明かりが戻った。床が揺れ、汽車が再び動き出したことが分かる。

 思わず安堵のため息が出る。僕は腕に抱え込んでいたハリーをネビルの助けで何とか元の席に座らせた。力がないため上半身はすぐに横に倒れてしまったが、気絶しているだけのようだ。ハーマイオニーが彼の頭のそばにかがみ込み、軽く頬を叩いて呼びかける。ハリーはすぐに目を覚ました。

 「大丈夫かい?」ロンが恐々尋ねる。

 「ああ……。何が起こったの? どこに行ったんだ──あいつは? 誰が叫んだの?」

 他のところからの叫び声なんて聞こえなかった。一体ハリーは何を聞いたんだろう? 僕らは思わず顔を見合わせる。そこに、いつの間にか自分の席に戻っていたあの男性が何かを割るような音が響いた。彼は手に巨大な板チョコを持っていた。それをみんなに配り始めたところで、ハリーが僕の方を見て質問をする。

 「あれは何だったの?」

 「吸魂鬼。魔法界の牢獄であるアズカバンの看守で、シリウス・ブラック捜査のため、魔法省によって学校に配備される予定だったはずだ」

 多分状況に対処したこの男性の方がはるかに事情を分かっているのだが、それでもいつものやり取りをすることを僕は優先した。男性はそれを訂正することなく、チョコレートの包み紙をポケットに押し込みながら僕らを見ていた。

 「食べなさい。元気になる。わたしは運転士と話してこなければ。失礼……」

 それだけ言うと、彼はゆらりとコンパートメントから出て行った。あの風体と技量。一体誰なのか、すごく気になる。しかし、他の子達がハリーに気絶しているあいだの状況を説明し始めたので、僕は大人しく席に戻り、チョコレートを齧った。甘いものはそこまで好きではないが、憂鬱なことにこの一年食べる機会がそれなりにありそうだ。他のみんなは話すのに気を取られて手にチョコレートを持ったままだった。

 そこに再び男性が戻ってきた。このコンパートメントを通り過ぎようとして、足を止めチョコレートを食べるよう促す。彼はハリーに体調を聞くと、再び通路を歩いて行った。

 

 「僕、ほかの子のことも気になるから自分のコンパートメントに戻るね」

 自分に渡されたチョコレートを食べ終わった僕はみんなに軽く挨拶をして、コンパートメントの外に出た。

 

 

 



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第三十三話 魔法生物飼育学

 

 

 

 吸魂鬼の襲来の後、戻ったコンパートメントで他のスリザリン生と合流した僕は、そのままホグズミード駅からホグワーツへの馬車へ乗り込んだ。相変わらず雨は強く、馬車の窓の外は稲光が走っている。倒れてしまったハリーのことは気になったが、向こうに僕が居てどうなることでもない。ぬかるんだ道に揺れる馬車の中で、スリザリンの子達は吸魂鬼に出くわさなかったか僕を心配してくれた。

 ホグワーツの正門について、ようやくザビニとパンジーも僕らの元に戻ってきた。見上げたことに、あの恐ろしい吸魂鬼をどれだけバカバカしく飾り立てることができるか、グリフィンドールの悪戯三人組とハンカチを使って議論していたらしい。肝が太すぎるだろう。何を作るつもりなんだ。

 他の吸魂鬼が苦手な人を脅かさないように、と注意する前にそれを察知したザビニは、手元にあるものをさっと隠すと、「あれに怯えている奴らが、吸魂鬼なんか怖くないって言えるようにするための発明なんだぞ?」と僕の指摘を封じた。

 「頼むからスリザリンの名に相応しい悪戯にしてよ」

 「分かってるさ。心配性だな。まあ、期待しておけって」

 本当に分かっているのだろうか。果てしなく不安だ。

 

 しかし、あの悪戯っ子達のことを気にかけている余裕は、その後の新学期パーティで吹き飛んだ。

 いつも通り終わった組み分けの後、ダンブルドアが壇上に上がる。ぐるりと生徒を見渡した後、いつもの笑顔で彼は口を開いた。

 「今学期から嬉しいことに、新任の先生を二人お迎えすることになった。

 まず、ルーピン先生。ありがたいことに、空席になっている『闇の魔術に対する防衛術』の担当をお引き受けくださった」

 

 紹介を受けて立ちあがったのは、コンパートメントで出会った、あのやつれた男性だった。彼のあまり良いと言えない見なりのためか、拍手はまばらにしか起こらない。あのコンパートメントに居合わせたグリフィンドールの五人と僕だけが、しっかりと彼に歓迎の意を込めて手を叩いていた。

 彼こそが去年、僕がロックハートのお世話をしなければならなかった原因の一端だ。あのダンブルドアがなんとしても一年全てを教えさせたがっていた人材。あれだけしっかりした守護霊を作り出すのだから、それこそ実力の程はすでにある程度窺えるというものだ。まあ魔法の実力と教える能力はイコールではないが、と我らが寮監の険しい顔を見て思うものの、今年こそは何も背負わずに防衛術の授業を受けられそうで、僕は少し胸を躍らせていた。

 しかし、その儚い喜びは、ダンブルドアの次の紹介によって完全にどこかに行ってしまった。

 

 「もう一人、新任の先生がいる」

 ダンブルドアは拍手が止むのを待って話し続ける。

 「ケトルバーン先生は『魔法生物飼育学』の先生じゃったが、残念ながら前年度末をもって退職なさることになった」

この時点で、あまりの嫌な予感に僕はダンブルドアの顔を凝視していた。「怪物的な怪物の本」────まさか────頼む、どうかそうはしないでくれ、ダンブルドア────

 

 「そこで後任じゃが、うれしいことに、ほかならぬルビウス・ハグリッドが、現職の森番役に加えて教鞭を取ってくださることになった」

 

 ああ、嘘だろう。アルバス・ダンブルドア。一昨年はドラゴンを学校に持ち込み、去年は五十年以上アクロマンチュラを禁じられた森で大繁殖させていたことが判明した人間を、あろうことか「魔法生物飼育学」の教師にするつもりなのか。魔法生物を飼育する上で絶対にやってはいけないことをやり続けている────、いや、絶対に飼育してはいけない魔法生物を飼育し続けている人間を。

 あまりの絶望感に周囲の拍手の音が遠く感じる。グリフィンドールのテーブルであの三人組が全力で手を叩いているのが見えるが、正気なんだろうか? ハグリッドに一番酷い目に遭わされているのは、間違いなく彼らである。

 確かに去年度、彼は五十年前の退校処分が不当なものであったと、つまり、彼は「秘密の部屋」を開けた犯人ではなかったと証明された。しかし、それに比肩しかねないことはしているのである。禁じられた森の中だから発覚していないだけで、「秘密の部屋」にいたバジリスクより、彼のお友達のアクロマンチュラの胃に入った人間の方が多いのではないだろうか? 本当に勘弁してほしい。

 

 思わず縋るようにマクゴナガル教授の方を見てしまったが、視線に気づいた彼女は見たことがないくらい眉間に皺を寄せながら目を瞑り、わずかに首を振った。おしまいである。

 ダンブルドアに顔を向けると、彼もまたこちらを見ていた。あの忌々しい悪戯っぽい笑みで、だ。僕はダンブルドアが心を読んでくれていないかな、と願いながら心中に考えつく限りの罵詈雑言を吐き出した。

 

 

 

 翌朝、スリザリンのテーブルでみんなと朝食をとっていると、グリフィンドールの三人組が入り口からまっすぐこちらにやってくるのが見えた。彼らは集団の一番端に座っていた僕のところにやってきて、あろうことかそのまま腰を落ち着けた。

 

 「お前ら何してるんだよ? 3年生にもなって迷子か?」

 クラッブが自分の隣に座ったロンに怪訝な目を向ける。

 「違うわ。私たちドラコに話があるの」

 ハーマイオニーがピシャリと言う。話しながら朝食を食べるつもりなのか、彼女はそのまま目の前のトーストに手を伸ばしていた。目立つというレベルじゃないのだが、動く気は無いようだ。流石グリフィンドール。勇気がある。どうにもならないと静観してトマトを口に運ぶ僕に、三人組は視線を向けた。

 「アー、僕たち、君にお願いがあって。頼むから今日の午後の『魔法生物飼育学』、ハグリッドを脅かすようなことをしないでほしいんだ」

 ロンがビーンズを皿に掬いながら言った。酷い言いようだが、僕とハグリッドの間にある確執を考えれば、仕方ないだろう。

 「流石に一回はちゃんと授業を受けるつもりだったけど。そもそも、僕は授業の真っ只中、生徒の前で先生を吊し上げるような真似はしたことないじゃないか」

 「君、ハグリッド相手だったらしかねないもの。今までのこともあるし」

 そう言うハリーをジロリとすがめ見る。分かってるんだったら、君らだって両手をあげて祝っている場合じゃないだろうに。

 首をすくめたハリーの代わりに、ハーマイオニーが事情を説明する。

 「昨日のパーティのあと、ハグリッドと話したんだけど……とっても緊張しているようだったの。初回の授業がメチャクチャになったら、彼がいい先生か悪い先生かも分からないままになってしまうでしょう?」

 言わんとしていることは分かる。ドラゴンを孵せたこともあるし、ハグリッドは動物の知識という点においては優れているのだろう。しかし、安全管理という観点から限りなく怪しい臭いしかしない。そもそも「魔法生物飼育学」で、生徒が最初に学ばなければならないのは、自分の身をどうやって守るかではないか? それが教えられなさそうな人間に素養があるとは思えない。僕が、スネイプ教授を子どもの扱いという観点から教師として論外だと考えていても「教授」と呼んでいるのは、彼が深い魔法薬学の知識と、授業中に死人を出さない程度の責任感を持っているからだ。

 特に返事を返さずにいると、三人は大事なことは話し終えたと考えたようだ。そのままスリザリンのテーブルで朝ごはんを食べ、時間割を確認し、次がここから遠い棟のてっぺんでの「占い学」だということで、さっさと席を立っていった。

 

 「だからつけ上がるって言っただろ」

 クラッブは慌ただしく大広間を出ていく三人の背中を見て、少しだけ苛立たしげに呟く。しかし、とても目立つと思っていたのは案外間違いかも知れなかった。昨日に引き続きパンジーとザビニはグリフィンドールの双子たちの方へ出張しているし、去年のロックハートの指導案で手伝ってもらった高学年のレイブンクロー生もスリザリンのテーブルにちらほらいて、科目のことについて話している。

 僕のスリザリンイメージアップ作戦は、しかし僕の意図していなかったところで少しずつ進行しているようだった。

 

 

 

 午前の授業も昼食も終わり、いよいよ「魔法生物飼育学」に向かうことになって、僕らスリザリン生と三人組は再び合流した。ビンクによって叩きのめされ、縛り上げられた「怪物的な怪物の本」が鞄の中でピクピクしているのが気持ち悪い。森のはずれに行く道すがら、三人は再び僕の説得を試みていた。

 「お願いだから今回だけは静観してて。次はよくなっているかもしれないじゃない?」

 「次回もそれを言わないんだったらいいけど」

 「まあ、ハグリッドだって慣れてくれば、少しはまともな先生になるかもしれないぜ? 今はまあ……ウン、望み薄でもさ」

 ロンも期待はしていないらしい。というか、ドラゴンやアクロマンチュラのことがあったのに楽天的でいる方が無理な話だ。なんだかんだ、三人の中では魔法界出身のロンが一番僕と価値観が近いのだった。

 

 彼らに囲まれてやんややんやと言われながら、ふと三人のうち二人の様子がおかしいことに気がついた。ずっと僕を挟んで話をしていたから気付くのが遅れたが、どうもロンとハーマイオニーが口をきこうとしていないようだ。特に考えもなしに思ったことを口に出す。

 「ロン、ハーマイオニー、さっきからどうしたの?」

 ハリーが瞬時によせ、という目で僕を見たが、遅かった。途端に二人の顔つきが険しくなり、矢継ぎ早に訴えが飛んだ。

 「占い学って、とっても適当で、当てにならない学問だわ! 見たら死ぬ死神犬ですって? なんてバカバカしい」

 「馬鹿にするなよ! ハーマイオニーは、トレローニーに才能がないって言われたのが気に食わないんだ。死神犬が本当にいたんだったら、ハリー、君は気をつけないといけないよ!」

 

 双方から飛び交う話を聞くに、今日の午前に彼らが受けた占い学の授業で、シビル・トレローニー教授は紅茶占いでハリーのカップに死神犬がいると言い、彼の死を予言したらしい。ハーマイオニーはその後の変身術で、マクゴナガル教授がトレローニー教授は毎年一人の生徒の死を予言していると話すのを聞き、占い学を見限ったそうだ。

 一方、魔法界の迷信に浸ってきたロンの反応は異なった。彼はハリーがマグルの親戚の家の近所で死神犬らしきものを見かけたと聞いて、心底心配しているらしかった。

 正直言って、バカバカしい。ロンには悪いが、根っこはマグル的な僕はハーマイオニー派だ。トレローニー教授の「占い」らしきことは全部バーナム効果の範囲で説明できてしまいそうだし、黒い犬なんてこのペットの多いブリテン島にはいくらでもいるだろう。しかし、ロンのような迷信深い子にそれを今言ったところで譲るとも思えない。

 「そう。ハーマイオニーはハリーに元気を出して欲しくて、ロンはハリーのことを心配しているんだね」

 それだけ言って、僕はスリザリン組の方へ戻った。残念ながら今の僕は些細な揉め事に付き合っている場合ではなかった。

 

 

 秋の珍しい晴天の下、小屋の外で生徒を待っていたハグリッドは、浮足だった様子で生徒を迎えた。授業はここで行うのではないらしい。彼は子どもたちを五分ほど歩いた放牧場のようなところに連れていった。

 改めてハグリッドがこちらに向き直り、口を開く。

 「さーて、イッチ番先にやるこたぁ、教科書を開くこった──」

 「教科書の開き方が分かりません。先生」

 ハグリッドの言葉に、僕は食い気味で質問してしまった。三人組が僕に向かって必死で首を振っているのが見えるが、これは許容範囲内だろう。

 僕を見て一瞬だけわずかに顔を顰めたハグリッドは、周りの生徒が次々といろいろなやり方で拘束された教科書を取り出すのを見て、目を丸くした。

 「だ、だーれも教科書をまだ開けなんだのか?」

 クラス全員が揃って頷く。予習命のハーマイオニーですら、この本を自分の机の上に解き放つのは断念したらしかった。

 「おまえさんたち、撫ぜりゃーよかったんだ」

 随分と残念そうなハグリッドは、こんなことは当たり前のことなのに、とでも言いたげだ。まあ版元に問い合わせれば扱い方は分かっただろうが……僕をはじめ、子どもたちはそこまでやる気はなかったらしい。

 「次から、教科書リストに扱い方を記載しておくと便利かもしれませんね、先生」

 できるだけ冷ややかになりすぎないよう抑えて話したためか、ハグリッドは特に刺々しく返事をしてこなかった。代わりにガックリと肩を落としている。

 「お……俺はこいつらが愉快なやつらだと思ったんだが」

 ハグリッドはどこかすがるように、隣に立っていたハーマイオニーに向けて言った。ハーマイオニーはなんとも言えない曖昧な微笑みで頷いている。今甘やかすと碌なことにならんぞ。

 

 うなだれたまま、ハグリッドは今回扱う魔法生物を連れるため、教科書の背を撫でる生徒の群れから離れた。三人組が再びこちらに寄ってくる。

 「ドラコ、やめてよ────」

 「僕はまだ何もしていないじゃないか!」

 「これが初回なのよ! 上手くやらせてあげたいの。成功体験は大事でしょう?」

 なんだ、誉め育てでもするつもりか? 彼は僕らの教師であって、生徒ではないのだが。同胞愛はスリザリンの特性だと言われているが、僕に言わせればグリフィンドールも相当なものだった。

 

 そこに、生徒の一部から甲高い声が上がった。

 見れば、向こうからハグリッドが鎖に繋がれたヒッポグリフを十数頭連れてやって来ていた。生徒達は勇壮なその姿に目を奪われている。

 

 一方、僕はといえば、内心感心していた。礼儀という手順を踏めば安全だが、そうでないなら危険な動物。外見も恐ろしいが美しく、希少価値もある。教師の言うことを聞かなければならないという授業の基本を初回できっちり示すのには、それなりに良い例なのではないだろうか。……きちんと手綱をとれるのであれば。生徒七十人弱に対して、十数頭のヒッポグリフは監視の目を行き届かせるには少々多すぎるように思える。

 近くで見るようにと言われ、僕と三人組だけが柵のそばに寄った。他の子は怯えたように遠巻きに覗いている。ハグリッドはヒッポグリフについて理路整然とは言えないが要点を押さえた説明をしていった。

 座学が終わり、実践の段になった。誰もやりたがらないのではないかと思ったが、ハリーは自ら進み出ていった。彼の友の授業を成功させたいという思いは、本当に健気なところがある。ハリーは見事にヒッポグリフに礼を示し、嘴を撫でさせてもらうことに成功した。僕らも拍手をする。それだけでなく背中にまで乗せてもらい────どう見ても楽しんでいる感じではなかったが────飛び、無事着陸した。見事な模範例だ。

 僕のハグリッドへの見解は、いよいよ少しだけ改められてきていた。気位の高いこの動物を鎖に繋ぎ、見せ物にして、あまつさえ初対面の子どもを背中に乗せるほど、彼はヒッポグリフたちと信頼関係を築き上げている。僕の中の彼の印象が危険生物愛好家から、危険なものを含めた生物愛好家に変わった瞬間だった。

 

 しかし、一頭ずつヒッポグリフを放し始めたところで、再び心配が心中をよぎる。失礼な真似をする子が少しでも出てしまった場合、彼は即座に対応できるのだろうか? 十頭を超えるヒッポグリフ全てのそばにいることはできない。生徒の自業自得だと言えるかもしれないが、僕はそれを含めて監督責任を果たしてほしかった。この授業が始まってから、僕のハグリッドへの要求のハードルは上がっていた。

 

 しかし、その場を壊したのは生徒の非礼などではなかった。柵の中でグループになってヒッポグリフと交流し、それぞれ撫でさせてもらったり背に乗せてもらったりと徐々に全体の注意が疎かになっていく中、事件は起きた。

 ある生徒を乗せたヒッポグリフが下に置いてあった鞄を踏みつけ────その中に入っていた「怪物的な怪物の本」が飛び出して地面を暴れ回ったのだ。そのヒッポグリフは足を本に強く噛みつかれ、蹄を上げて背に乗っていた生徒を振り落とした。騒動は辺りに一気に広がり、パニックになった生徒がヒッポグリフを疎かにすることでヒッポグリフが気を害するという悪循環が瞬く間にあちこちで起こる。僕は一緒にヒッポグリフと対面していたクラッブとゴイルを柵の外に追い出した。

 

 「離れろ! 全員柵の外に出るんだ!」

 なんとか数頭を宥めているハグリッドからも号令がかかる。柵の中はめちゃくちゃだった。入り口に向かった生徒は、蜘蛛の子を散らすようにして外に逃げていった。

 

 残念ながら僕の懸念は当たってしまった。ハグリッドは「魔法生物飼育学」という実践での危険性が高い授業を持つには、少々注意力が足りていなかった。

 「このまま放置しても彼のためにも良くないと思うよ」

 中で格闘しているハグリッドを肩を落としながら眺めている三人組に、僕は万感の思いを込めて言ったのだった。

 

 



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第三十四話 改革の第一歩

 

 

 あの後、何人か軽傷を負って医務室に行かなければならない生徒を除き、僕らは授業時間が終わる前に城へと戻ることになった。スリザリン生とグリフィンドール生が口々に今起こったことを話す声が校庭に響く。当然ながら、特にスリザリンではハグリッドについて文句を言う声が大きかった。もちろん、グリフィンドールの三人組は違う。彼らは待ちに待った授業を台無しにしてしまった友人を心配していた。

 「ああ、ハグリッド大丈夫かしら? こんなことになってしまって」

 「去年、君らが膨れ薬を地下牢中に撒き散らしたときより遥かに被害は少ない。致命的に大きな問題にはならないよ」

 思わず嫌味が口をついた。去年のクリスマス前に彼らがポリジュース薬の材料を盗むため起こした騒動は、当然ポリジュース薬を作っていたと僕が知ったとき連鎖的にばれていた。僕はあの時内心スネイプ教授に文句を言っていた自分が心の底からバカバカしくなり、その原因となった彼らを大いに問い詰めた。

 

 三人組は肩をすくませたが、発覚したときだって僕は怒鳴りつけるような真似はしなかった。すぐに気を取り直したようで話は続く。

 ハリーは僕に向かって少し不思議そうに言った。

 「でも、君はもっと怒るかと思ってたよ。一、二年生のときと全然違うじゃないか」

 「あれは期待を裏切られたから感情の制御ができなかった、というのが大きいから。ハグリッドに関してはいくらでも想像は出来たことだ。むしろ、この騒動を止められなくて残念だ」

 実際、あのハグリッドの授業なんだから、怪我人が出るとか、魔法動物が脱走するとか、もっと酷いことになる可能性も最初から予期していた。それでも、授業が軌道に乗ったように見えてつい気を抜いた結果がこれだった。

 「おったまげー……正直メチャクチャ上から目線だよな、君って」

 「そうもなる。同じ目線で怒っていたら、脳の血管が何本あっても足りないよ」

 僕は去年のロックハートのことを思い出していた。まともな授業を受けるためには、また彼のように尻拭いをしなければならなそうだ。しかし、ロックハートは最初のうちは授業の内容を全て用意しなければならなかったのに対し、要所を押さえれば、ハグリッドをどうにかするのは簡単なような気がしていた。もっとも、彼が僕の意見なんか聞き入れないだろう、と言うのが最大の難点なのだが。

 

 そうこうする内に玄関ホールに辿り着き、僕らはそれぞれの談話室に戻った。しかし、その日はそれで終わらなかった。夕食の後、あの三人組は大広間に顔を出さないハグリッドへさらに心配を募らせ、真っ暗な校庭を通って彼のところに行くことにしたらしい。その上、なぜか僕まで引っ張って連れて行こうとしたのだ。

 「なんで? 僕が?」

 「君、去年ロックハートの授業をどうにかしてたんでしょ? ハグリッドを助けるのも手伝ってほしいんだ」

 「いや、それにしても、ハリー、君この時間から────」

 「それはさっきハーマイオニーにも言われたよ! ちょっと出るだけだよ。大丈夫」

 人の話を聞くつもりがないのだろうか。僕を拉致しようとしている三人組に対しすごい顔をしているクラッブに、先に戻っていてくれと告げる。そのまま僕は両脇をハリーとハーマイオニーに固められながら連行された。今回は三人の中でロンが一番冷静なようだ。彼の顔にも「正気か?」と言う言葉が張り付いている。

 「お忘れではないかと思うが、僕らは君たちと違って()()()じゃないんだよ。ハグリッドは僕の言うことなんか、絶対聞かないと思うけど」

 「やってみないと分からないじゃない! 私たちも説得するわ」

 ハーマイオニーはそれができると信じているようだ。ハグリッドは一度思い込んだら一直線のタイプに見えるが、本当に行けると思っているのだろうか?

 「そもそも、僕に授業が改善できるか分からないじゃないか」

 「君がどうにかできなきゃ他に打つ手がないよ」

 ハリーは謎の信頼を僕に向けている。自分たちでどうにかするという選択肢はないのか。

 

 

 

 そうこうするうちに小屋に辿り着いてしまった。ハリーが扉をノックすると、中から「入ってくれ」という地響きにも似た呻き声が聞こえる。僕は彼が僕のことを視認して、許しをもらうまで中に入るつもりはなかった。下手すれば顔を見た瞬間に叩き出されかねない。しかし、ハーマイオニーが後ろから強めに突くので、仕方なしにロンの後に続いて敷居を跨いだ。

 ハグリッドは相当深酒しているようだった。巨体から濃厚な酒気が漂い、手元にはバケツほどの大きさの錫製のジョッキが置いてある。彼は三人を見とめた後、僕を見て少し目を丸くし、それでも何か文句を言う元気もないのか項垂れた。

 「こんばんは、ハグリッド教授」

 一応礼儀なので挨拶をしたが、僕の「教授」と言う言葉に彼はみるみる目に涙を溜めた。

 「はっ、もう教授じゃなくなるだろう。一日しか持たねえ先生なんざ、これまでいなかっただろう」

 予想以上に気落ちしている。なんと声をかけたらいいか測りかねている僕をよそに、三人組はハグリッドのそばに近寄って慰め始めた。

 「まだクビになったわけじゃないんでしょう?」

 「まーだだ。しかし、理事に知らせが行くかも知れん……」

 「それはないですよ。確かにスリザリン生も何人か怪我をしましたが……あの程度で理事会が対応していては、フーチ先生はもう二十回は解雇されているでしょう」

 それを聞いてハグリッドがしゃくり上げる。

 「お前さんは親に言わねえのか。え? マルフォイ。俺をクビにするにゃピッタリの事件だっただろう」

 ハグリッドはもうすっかり自信を失ってしまったようだ。しかし、それはそれで僕にとっては好都合だった。弱っている人間ほど付け込みやすいものもない。この願っても無い好機、存分に活用しなければスリザリンの名折れだろう。この場の最も有効な使い道を考えながらハグリッドの前に立ち、彼に視線を合わせる。普通だったらかがみ込んでいる場面だ。彼は座っていてもなお視線が僕より高い。

 

 「そんなことはないですよ。最後こそ事故が起きてしまいましたが、素晴らしい授業だったと思います」

 「ふん、煽ててるんか? お前は何をしにきたんだ、え?」

 ハグリッドはテーブルクロスのようなハンカチで涙を拭いながらこちらを怪訝そうに見ている。言葉面こそ訝しげだが、声には以前のような棘はない。いきなりハグリッドとの交流に前のめりになった僕を、三人組は奇妙なものを見るような目で見ていた。彼らを完全に無視し、それでも僕はできるだけ真摯に聞こえるよう、声色を作って話し続ける。

 「あなたが育てているヒッポグリフは素晴らしかったです。生育状況だけじゃない。信頼関係も強固に構築されていたことが見て取れました。あなたが座学で披露された知識だって、実際の経験に裏打ちされた貴重なものでした。きっと、一頭一頭大事に育てられたのでしょう?」

 半ば適当に言った言葉だったが、魔法生物に命をかけているハグリッドにはそれなりに効いたようだ。眉間のしわが取れ、再び握り拳大の涙をぼたぼたと流し始めた。

 「……でも俺はどうせダメだ……一回目の授業であんなことを起こしちまっては……」

 「これで諦めてしまうのはもったいないですよ。それに、こんな事故なんて次からは簡単に防げるではありませんか」

 「そんな、どうやるっていうんだ」

 考える頭がないのか? という辛辣な言葉が頭をよぎってしまうが、ここでそんな侮辱をしても何の意味もない。そのまま優しく聞こえるように話し続ける。

 「そうですね……例えば、教科書を含めて動物を刺激しそうなものは持ち込ませない。動物の危険度に応じて頭数の制限など対応を変える。危険なのであれば、あなたが必ず子どもを守れるような状況を作る。それだけです。

 今回の事件は生徒の荷物を全て柵の外に置かせて、ヒッポグリフは二、三頭、あなたがすぐ手を伸ばせる数にしておけば大丈夫だったではありませんか」

 

 ハグリッドは僕の話を真面目に聞くようになってくれていた。幸いなことに三人組も口を挟まない。さて、ここからが勝負だ。

 「もし宜しければ、どのあたりに気をつければ事故が起きづらいか、書いてまとめたものをお渡ししましょうか?」

 「……何でお前さんがそんなことをしようとするんだ」

 差し出された飴に、疑念が湧いてきているらしい。今までのことを考えれば、それはそうだろう。

 「僕のスリザリンの友人たちも、あなたの授業を選択しています。折角望んで魔法生物飼育学を学んでいるのに、それが危険だったり不十分だったりしたら残念なことではないですか。あなたのためだけじゃなく、僕の友人のためにもお手伝いさせてほしいんです」

 あなたが心配なんですなんて言っても、まだ信じられるほどの信頼は僕らの間にはない。実際、ハグリッドのためではないし、これはほぼ十割本音だった。

 

 それでもハグリッドはまだ疑いの念を抱いているようだ。いや……自信がないのか。どうやら少し、投げやりになっているらしい。

 「俺を叩き出して、他の先生を探させればいいだろう。その方がおまえさんにはずーっとええはずだ」

 それができたらそうしている、という思いを完璧に心の底にしまい込み、元気づけるように言葉を続けた。

 「ダンブルドア校長にですか? 彼もご多忙ですし、後任に来る人があなたより良い先生であるかどうかも分からない。そもそも、まだ誰もあなたに辞めろなんて言っていないのですから。起きてもいないことを嘆くよりは、今ここで安全のための指針を決めておいた方が実りがあるとは思われませんか?」

 彼は泣くのをやめてじっとこちらを見ている。大分納得してきてくれている。あと少しだ。

 

 「……お前が出してきたモンがいいかどうか、俺には分からん」

 「もちろん、僕も自分の決めた基準が完璧であるなんて思いません。危機管理マニュアルの叩き台のようなものを作りますから、それを他の先生────マクゴナガル教授なんていかがでしょう。きちんと使えるかどうか見ていただいて、そのルールを守って授業を進めて行く。そういうのはどうですか?

 ルールを変えるときはまた他の先生方か、責任ある方に見ていただくということで」

 

 僕ではなく先生のチェックが入るということで彼も納得いったのか、ようやく頷いてくれた。心の中で凱歌が流れる。酒が入っている中での承諾というのが心配なところだが、ここまで彼に有利に見える内容だったら呑んでくれるだろう。実際、授業を進めるには役に立つだろうし。

 「それでは、明日の朝には手引き書の草案を持ってきます。マクゴナガル教授にご確認いただくのは放課後になりますが、それまでは、どう授業形態を整えればいいか考えていただけますか? ダンブルドア校長もあなたが失敗を乗り越え、同じ轍を踏まないように策を練って教鞭を取っていると知ればお喜びになるでしょう」

 校長の名を聞いて、ハグリッドの目に熱意のようなものが宿った。

 「ああ……そうだな。ダンブルドア先生が俺に託して下すった仕事だ。しっかりせんとな」

 ────勝った。

 こうして、僕は魔法生物飼育学の危機管理マニュアルを作成する権利を手に入れたのだった。

 

 その後、ハグリッドは頭をハッキリさせると言って、外の水の入った樽に頭を突っ込みだした。酔いが醒めてハリーがいることの意味にようやく気付いたのか、僕らはあっという間に小屋から叩き出される。しかし、彼に先導されて玄関ホールに着いたとき、「じゃあ、マルフォイ、すまんが明日頼むぞ」と言っていたので大丈夫だろう。

 

 三人が小屋を出た時から随分微妙な顔で僕を見ていたことを、僕はやはり完全に無視していたのだが、とうとうロンが別れ際に口に出した。

 「君って……本当に根っからのスリザリンだよな」

 「褒め方が上手になったじゃないか、ロン」

 僕はその日最高の笑顔で返した。

 

 

 

 翌日、僕は早速ハグリッドに原案を渡した。生徒の服装規程、持ち物規定、魔法省分類に基づいた魔法動物の危険度の判定、それに基づいた頭数制限、監督範囲の明確化とそれ以外での生徒の魔法生物との接触の防止、などなど。

 正直、ただでさえ書面に弱そうなハグリッドに文字を流し込むような真似をすれば、あっという間にパンクするのは目に見えている。慣れない最初のうちは、管理の易しい魔法省分類XX以下のものにするよう進言した。ついでにハーマイオニーに助言を求めるようにも言っておく。元はと言えば彼女たちの案件である。

 

 好都合なことに、その日の放課後はマクゴナガル教授の研究室でダンブルドアとの閉心術の二回目の訓練だった。僕は早めに彼女の元へ行き、手引き書の原案を確認してもらった。書類の最後まですぐに読み終えたマクゴナガル教授は、始業二日目にして早速僕がこんな真似をしていることに流石に驚きを露わにしていた。

 「問題ないと思います。……しかし、何故あなたが?」

 「ここで、安全管理について有効な対策を打ち出した実績ができて、それが理事会の耳にも入れば……僭越ですが、他の授業にも口出しできるかも知れないでしょう? そうすれば合法的に指導法を改革するチャンスが手に入るかも知れません。

 それに、教師が変わるごとに完全にやり方の蓄積が無くなるのは大きな損失です。今回はマニュアルですが、他にも色々要領を決められるようになれば、ホグワーツの教育はもっと安定して良いものになりますよ」

 

 僕の言葉に、マクゴナガル教授は目を瞑った。流石に出過ぎた真似だっただろうか。僕は思わず首を縮める。

 「何故とは、どういう経緯で、ということだったのですが……いえ、結構。素晴らしい働きです、マルフォイ。あなたと話していると私は一教師として力不足を感じざるを得ません」

 マクゴナガル教授の顔には微笑みが浮かんでいた。今までになく誇らしげな笑顔だ。どうやら、僕は彼女の期待を超えることができたようだった。

 

 「ミネルバ、やはり問題なかったじゃろう?」

 後ろからの声に振り返ると、そこにはやはりダンブルドアがいた。いつの間に入ってきたんだ、この無責任おじいちゃんは。

 僕はマクゴナガル教授に代わって答える。

 「ええ、ダンブルドア校長。どうせあなたは僕が抗議すれば、ハグリッドは放し飼いになっている方が危険だとか、教師として子どものための動物を扱っている方が安全だとか、彼の名誉を高めておくことは有用だとか、僕の反論しづらい事で言いくるめるんでしょう? だから先に手を打ちました。

 その代わり! 安全管理マニュアルの導入を始めとした諸改革についてはあなたのサインと後援をいただきますからね!」

 実のところ、昨日までハグリッドをどうにかできるとは思っていなかったのだが……僕はあたかも計画通りという顔をして言い切った。

 きっと、まだ拙い閉心術ではこちらの考えなど透けているだろう。僕の横柄な態度に、それでもダンブルドアはにっこりと笑って頷いた。

 

 



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第三十五話 恐れるもの

 

 

 

 マクゴナガル教授に手引き書のチェックをしてもらった翌日の朝、僕は再びハグリッドの元を訪れた。彼に問題なかったと伝え、マクゴナガル教授と、ついでにダンブルドアから書いてもらった認可証も渡す。

 「慣れるまではルールだ何だとまどろっこしく思われるかも知れませんが、最初のうちこそ肝心です。ダンブルドア校長もあなたに期待していらっしゃるようでしたし、是非信頼に報いることができるように尽力なさって下さい」

 「ああ、分かっちょる。ダンブルドア先生もお認めなすったんだ。やってみせるさ」

 彼は校長のサインを見て、自分を奮い立たせているようだった。

 もちろんハグリッドのことだ。徐々にマニュアルを軽視していく可能性は存分に残っていたが、そこまで救いようがない能無しだったなら、もう本人相手だけでは打つ手がない。せいぜい監査と称して生徒に聞き取り調査でもして、危険な真似をしていないか確認するしかないだろう。

 マニュアルの本格的な整備・生徒アンケート・カリキュラム引き継ぎの制度化。学期が始まって数日にしてやることが多すぎるのだが、僕は焦らず時間をかけてできる範囲で取り組んでいくことに決めた。そもそも僕程度の人間が一人で作った制度なんて穴だらけになるに決まっているので、他の先生方や監督生、たまには父のコネクションを頼って外部の方に意見や助力を求める必要がある。そのためには人脈を広げる長い時間が必要だ。

 まだ改革は始まったばかりだ。千里の道も一歩から。それこそ他の先生方などから反感が出ないように、制度化のメリットを広く知ってもらいたい。何ならその先生達が自主的にマニュアルやカリキュラムを作ってくれるほどに。そのためにも時間はしっかりと使うべきだ。

 しかし、何はともあれ僕の魔法界改革の野望は、確実に一歩を踏み出したのだった。

 

 今回の僕のそれなりに上々な動きに、それでも良い顔をしない人間がいた。クラッブである。僕はハグリッドの小屋から帰ってきた後、マニュアル作りのために深夜の図書館に忍び込んだ。勝手に本を持ち出すわけにもいかないので、昨年よりだいぶ上達した目眩し呪文をかけ続け、見回りの目を避けて資料を集めるのはなかなか骨が折れた。なんとかかろうじて書面を形にして寮に戻ったころには日の出も近くなっていた。丸一日徹夜してしまい、その次の日にも睡眠不足が解消されず魔法史で轟沈していた僕に、クラッブは流石に苦言を呈したのである。

 

 「ドラコ、お前あの三人組に助けてくれと言われたら、片っ端から尻を拭っていくつもりか? それで自分のことが疎かになっていたらどうしようもないだろう」

 名前呼びの幼馴染モードだ。彼も大概僕に対して世話焼きである。それでも、僕は欠伸を噛み殺しながら答える。

 「別に全部助けてあげるわけじゃないよ……ずっと溜めてた宿題の手伝いとか、僕に得がないことだったら絶対手を出さないし」

 「でも、去年もそうだったが、今回もやってることに対して報酬が全くないだろう。いや、ロックハートのときは僕らはかなり頻繁に点数を貰っていたし、宿題も免除だったからまだ良かった。ルビウス・ハグリッドはそうなるとは思えんぞ」

 まあ、クラッブの言うことはある意味では尤もである。僕が手伝ったからといって、この後ハグリッドがスリザリン全体に対して何かしてくれる目は薄い。最大の利点である魔法界改革なんて、遠大すぎて賛同が得られる話ではない。その上、ダンブルドアがハグリッドを抱え込んでいる理由を知っているからこそ、僕は今回の作業にメリットを見出している部分もある。だから今回は僕以外にリターンを用意できず、他の生徒を引き込むわけにもいかなかった。

 

 話を聞いていたゴイルも同意する。

 「ダンブルドアもダンブルドアだよ。教師の尻拭いを生徒にさせておいて、何にもなしとはスリザリン嫌いが透けて見える」

 「ああ……それは断ったんだ」

 実際には昨日の放課後、ウキウキのダンブルドアは僕に五十点を与えようとしていた。マクゴナガル教授も賛成していたが、僕はそれを固辞した。

 「は? 何でだよ?」

 それを聞いていたザビニが流石に口を挟んでくる。

 「貰っても、寮杯以外にいいことがないから」

 理解不能だという感じで、周囲のスリザリン生から揃って呆れた目を向けられてしまった。その反応になるのは分かるが、僕の言い分も聞いてほしい。

 「点数を貰わなかったからって責めないでよ。僕は普段の授業で一番加点されてるんだから。……だってそうだろう? 点数を貰ったから何かしたと思われたら、僕に利益を提示できないと自分で思っている人が相談しに来てくれなくなるじゃないか」

「じゃあ何、慈善事業をたくさんやりたいから何も貰わないってわけ? 聖人にでもなったつもり?」

 パンジーはいよいよ狂人が隣に座っていることに気付いたように振る舞い始めている。失礼な。

 「というより、その慈善事業で恩を売っておきたいから、かな。今、子どもたちや学校の先生なんかに「この人は助けてくれる良い人なんだ」って思ってもらえれば、将来僕が誰かと敵対したとき、少なくとも数としては力になってくれる可能性が高い。勿論そんな敵対構造にならないのが一番だけど、対立を回避するのにも名声は役に立つ。

 まあ、これは楽観的な見方だけど、贈与の関係を構築しておけば、自ずと相手は何を求めているか教えてくれる。その情報自体が、人と関わる中では重要な手がかりになる」

 流石にこれを聞いて、何でそんなことまで考えているんだとはなりながらも、古くからの純血一族の子はある程度理解してくれたようだ。我々は社交、人との繋がりが生業の大きな部分を成している。僕らの周囲に限った話ではない。今小さな駒に見える人だって、結局は使い所なのだ。種を蒔いておいて困ることはない。

 

 他から差し伸べられる利益に易々と頭を垂れず、庇護下にいる臣民の利益を知り、そのために集団に奉仕する。 それが貴族────純血一族の責務だ。

 ……まあ、生徒達は臣民ではないし、魔法界の貴族はどうもオブリージュに無関心だが。そのような徳を見せねば、人々も庇護下にも入ってくれないというものだ。

 それに、ダンブルドアとの仲を疑われるような真似はもう二度としたくない。彼に軽んじられているとは言わないまでも、渡り合おうとしている人間、くらいの立場で見られていたいのもある。

 

 「……自分の本当にやるべきことと、バランスは取れ。身体に負担はかけるな。自分を粗末にしてまで誰にでも何でもすると思われれば、感謝の念は薄れる」

 クラッブは優しいし、正論だ。僕は神妙に頷いておいた。

 

 

 

 後で伝え聞いたところによると、レイブンクローとハッフルパフ三年生の魔法生物飼育学は、そのままヒッポグリフを使って取り扱いはマニュアルに則って行なったらしい。流石に昨日の今日で扱う動物を変えるのも難しいだろう。無事授業を終えられたようで何よりだが、ここからどうハグリッドが自分で流れを作っていくかが鍵になる。これ以上僕がクラッブに怒られないためにも、ハグリッドには頑張ってもらいたいものだ。

 

 

 一方、その職にかけられた呪いのせいでそういったマニュアルや知識の蓄積が最も求められるであろう「闇の魔術に対する防衛術」について、僕はあまり心配していなかった。もちろん去年のダンブルドアの言葉もあったし、他学年からの噂を耳に挟んだところ評判は上々のようだったからだ。

 今回、スリザリン三年生は学年で一番最初に「防衛術」授業を受けるクラスだった。生徒が待ち受ける教室に入ってきたルーピン教授は、相変わらず何もかもがくたびれている。しかし、ホグワーツに来てから彼はだいぶ顔色……というか健康状態が良くなったようだった。あそこまでやつれるなんて、この職に就く前は一体どんな状況に身を置いていたのか、かなり気になるところだ。

 

 なぜか授業は教室で行わないらしく、僕らはルーピン教授に率いられて職員室に向かう。他の子たちはまだ評判を耳にしていないのか、正直ボロっちいルーピン教授を侮っていた。

 「ねえ、あの人先生になる前は何をしていたんだろう?」

 ゴイルが僕に囁く。

 「どう見ても防衛術で稼げてたって感じではないよな?」

 「静かに。聞こえそうなところで失礼なことを言わない」

 僕は基本的に、生徒が教師について何を言おうとマクゴナガル教授以外のことについては完璧に看過していた。言われて当然のやつが多すぎる。しかし、わざわざ先生からの反感を買う必要はなかった。狡猾ならば無用な諍いは避けるべきだ。

 

 慣れっこなのか、教授は囁きを全く意に介さず足を進めた。職員室で僕らを待っていたのは、先生方が着替え用のローブを入れる古い洋箪笥────その中に入っているまね妖怪(ボガート)だった。

 教授は僕らにどんな怪物か質問する。そこにゴイルが手を上げて答える。要点を押さえた説明にルーピン教授が満足そうに頷く中、僕は非常に焦っていた。

 

 ボガートは形態模写妖怪、すなわち姿を変える怪物だ。そしてその対象は、相対する人間の最も恐れるものだった。

 何を隠そう、僕のボガートはジニー・ウィーズリーの姿をしている可能性が極めて高かった。もちろん本当の彼女自身ではない。それは彼女を操っているトム・リドル、即ち闇の帝王だ。

 去年、トム・リドルに二階の女子トイレに連行されたときほど、人生で恐ろしかったことはない。操られている彼女も僕も死ぬかも知れなかったし、闇の帝王の抜け目の無さや強大さを味わったあの数分は思い出すこともしたくなかった。惜しむらくは、トム・リドルの本当の姿を見なかったことだ。僕の中で、闇の帝王の最も具体的なイメージはどうしてもジニー・ウィーズリーの姿をしていた。

 

 でも、ほかの生徒はそんなこと分からない。万が一この懸念が当たりボガートを退治することになれば、ジニー・ウィーズリーを馬鹿げた格好にする必要がある。それは、絶対に不味い。年下の十二歳の女の子を一番怖いものにしておいて、その上笑いものにするなんて、僕の罪悪感が火を吹くどころでは済まない。この話が外に漏れれば、事情を知らないロン以外のウィーズリー兄弟だって黙っていないだろう。しかし、このトンチキ魔法世界で他に心底怖いものが思いつけるほど、僕の神経は繊細ではなかった。

 

 状況の打破の仕方について考え込む僕をよそに、生徒は列になってどんどんとボガートに挑んでいく。わあ、みんなすごい。いつもだったら一人一人に拍手しているところだ。しかし今の僕にそんな余裕は一ミリもない。いい策が一つも思いつかないまま、列は縮んでいく。

 前の子が恐れていたレシフォールドが趣味の悪い黄色の花柄のテーブルクロスに変わり、ついに僕の番が来てしまった。

 

 ゴテゴテしたレースをひらひらと靡かせていたレシフォールドが、パチン!と音を立て、姿を変えた。

 

 そこに立っていたのは父だった。

 キングズ・クロスで別れたときよりもずっと顔色が悪く、やつれている。ローブについている黒いシミは血だろうか? いつもは不敵な笑みを浮かべている顔からはごっそりと表情が抜け落ちていた。彼はわずかに震える手で杖を取り、こちらに向かって構えている。

 

 ああ、なるほど。冷えていく頭の中で思う。確かにそうだ。それは、僕が去年のクリスマスからずっと恐れていたものだ。

 ────それは、闇の帝王の下に戻り、人を殺めざるを得なくなった父だった。

 

 「リ、リディクラス────」

 あまりにも想定外の、しかし効果覿面の「最も恐れるもの」に僕の脳は脳は機能を止めてしまった。何も考えずに呪文を唱えることしかできない。当然、それはボガートには効かず、父の姿がさらに不吉な影を背負ったようになるだけだった。

 

 「ドラコ、もう一回だ!」

 僕の恐慌状態に気付いているのかいないのか、ルーピン教授は続けるよう促す。当たり前だ。はたから見れば僕はただ父を怖がっているだけという風にしか映らないだろう。

 おかしな姿、おかしな姿。必死に頭の中をひっくり返す。

 

 「リディクラス」

 僕は願うように再度杖を振った。

 父が元気そうに、そして今よりも若くなる。彼は慌てていて、黄緑色のエプロンを着てクリームのついた泡立て器を持ったままのビンクを、両脇から持ち上げるように抱えていた。

 僕がずっと小さかった頃だ。もう何が思い出せなくなったかすら忘れたが、前世の記憶が無くなっていることに隠れて泣いていた僕を見つけ、慌てて僕がとてもなついていた乳母代わりのビンクを連れてきたときの姿だ。

 

 僕が小さく笑うと、ルーピン教授は次の生徒に前に出るよう促した。震える足を何とか動かして列の後ろに回る。

 明らかに顔色が悪くなっているであろう僕を心配する周囲の視線をよそに、僕は列の後ろでボガートに挑む子どもたちをただぼんやりと見ていた。

 

 

 「闇の魔術に対する防衛術」の後、僕にあれはどういうことだったのか尋ねるスリザリン生はいなかった。純血一族であれば、皆多かれ少なかれ僕の父がどの様な人であるか知っている。子煩悩で普段体面を崩さない父のやつれた姿で何かを察した子もいるだろう。それでも、僕の明らかに憔悴したところを見て無理にそれを聞き出そうという子はいなかった。ありがたい限りだ。

 しかしこの事実を忘れたところで、現実が何か変わるわけではない。依然として、僕の恐怖は闇の帝王が戻れば現実のものとなる可能性が高い。学校という、まだ未来に希望を抱いた子どもたちの中ではそれをつい忘れてしまう。

 

 僕だって完全に父を光側に付かせる望みを失ったわけではない。むしろ、ここから何ができるか、という段階だと思っている。しかし闇の帝王の強大な力の前で、大事なものを守ることができないと父が考えれば、彼は容易に闇の帝王の配下に戻るだろうというのは目に見えていた。僕がどれだけ懇願しようと関係ない。父はそれでも母と僕のために身を守る選択をする人間だ。対抗勢力がどれだけ死のうとそれは変わらない。父はそれほど身内を深く愛し、それ以外に対して冷酷になれる。去年の事件はまさにそれが表出したものだった。

 あと、どれくらいで闇の帝王は戻るのだろうか。そのとき僕は父を安心させられるほどこの世界を変えられているだろうか。その日、考えても答えが出るわけではない問いが頭から離れることはなかった。

 

 

 そんな小さな事件はありつつも、日常は普段通り過ぎていった。三人組のグリフィンドールとは魔法薬学の授業も一緒なので、今年は何もしなくても顔を合わせる回数が多い。地下牢へ行くところで出くわした三人はハグリッドに手引き書の件について話を聞いたのか、笑顔で駆け寄ってきた。彼らを見ていると、僕はこちらに飛びつく愛くるしい大きな子犬を連想する様になっている。

 「ドラコ、本当にありがとう! ハグリッドは今落ち着いて授業できているみたいだよ」

 ハリーは特に嬉しそうだ。彼はヒッポグリフと最初に実演をやってみせたり、ハグリッドが上手く教師をやることに執心していたから尚更なのだろう。

 「それでも、このまま放っておいて大丈夫な保証はない。君たちもちょくちょく彼の様子を見てやるんだよ」

 ハーマイオニーは真面目な顔で頷いているが、後の二人はどうも気楽そうだ。何か起こってからじゃ遅いのだから、しっかりして欲しいものである。

 

 スネイプ教授の態度は相変わらず……というより、少し悪化していた。彼は本当は「闇の魔術に対する防衛術」教諭を志望しているそうなのだが、今年その座をルーピン教授に奪われたことが心底気に入らないらしい。その魔法薬の知識があって他に行きたいとは、もったいないと僕なんかは思うが、そういう問題でもないのだろう。今年度に入ってから、その鬱憤をぶつけるようにグリフィンドールへの嫌がらせは少し過激になっていた。

 去年のロックハートはそりゃあ先生として不適格だったから、彼の不満もある程度は理解できた。しかし、ルーピン教授は僕らにとって初めて補助輪なしで真っ当な授業を行える「防衛術」教師だ。彼がルーピン教授の何が気に食わないのか、僕は今ひとつ計りかねていた。

 最も、ルーピン教授に対する僕の期待が完璧に応えられていたわけではなかった。彼はただの教師としては文句がないが、ダンブルドアのあそこまでの言いように納得がいくとは流石に言えなかったのである。今後、主人公たちを大幅強化してくれるとかであれば腑にも落ちるのだが、どうなのだろうか。それとも、教師として以外にも彼には何かあるのだろうか。

 

 とにかく、その日の魔法薬学の授業中もスネイプ教授は絶好調に性悪だった。教授は彼に縮み上がっていたロングボトムの「縮み薬」の完成品を、最後にロングボトムのペットのトレバーに飲ませると宣言したのだ。もちろん、ロングボトムがうまく調合できないだろうことを見込んで。ハーマイオニーが自分に手伝わせるよう手をあげていたが、当然の様に却下されていた。

 僕は激怒した。いや、ロングボトムにペットをこんな危険地帯に連れてくるなと言いたい気持ちは大いにあるのだが。流石に彼が僕に対し怯えているとか言っている場合ではない。僕は自分の薬を一緒に作業していたザビニに任せ、ロングボトムのそばに近づいた。スネイプ教授が他のテーブルに行くところを見計らい、彼に囁く。

 「大鍋を火にかけたまま作業すると、反応が進みすぎちゃうよ」

 彼が肩を跳ねさせ、僕のことを恐々見る。

 「お願い、信じて。僕は自寮の寮監が生徒のペットを虐待しているところなんて見たくないんだ」

 彼の目にはそれでも怯えが滲んでいたが、それでも小さく頷き大鍋を横に置いた。

 

 その後はスネイプ教授を監視しながら、視線が外れるたびにネビルに何をすべきか指示を出した。どちらかというと彼を落ち着かせる方に手がかかったが、なんとか最後の煮込みの工程までたどり着いたのを確認し、その場を離れる。ふと視線を感じてそちらに目をやると、ハーマイオニーがこっちを心配そうに見ていた。僕が大丈夫だ、という風に頷くと彼女は少し微笑む。けれど、なんだかいつもより弱々しい雰囲気がした。

 

 みんな調合が終わり、教授のデスクの近くに集められる。スネイプ教授はその昏い瞳をギラつかせながら生徒たちに語りかけた。

 「ロングボトムのヒキガエルがどうなるか、よく見たまえ。なんとか『縮み薬』ができ上がっていれば、ヒキガエルはおたまじゃくしになる。もし、作り方を間違えていれば──我輩は間違いなくこっちのほうだと思うが──ヒキガエルは毒にやられるはずだ」

 よくもまあ、自分は今から生徒のヒキガエルを毒殺するつもりだなんて公衆の面前で言えるものだ。自分の指導力に少しも恥じるところがないとでも思っているのだろうか。頼むからこれ以上軽蔑させないでほしい。

 そして薬を口に突っ込まれたトレバーは────見事におたまじゃくしに変身した。グリフィンドールは当然拍手喝采、僕が拍手したのに釣られたスリザリンも手を叩いていた。スネイプ教授はポケットに入っていた薬でトレバーを元に戻し、僕らへ向き直る。

 「グリフィンドール五点減点。手伝ってもらうなと言ったはずだ。ロングボトム」

 さっと僕らの笑顔が拭い去られる。ああ、くそ。この性悪教師が。しかし、思わぬところから反論が上がった。

 「先生、先生はグレンジャーには手伝うなとおっしゃられていましたが、他の生徒には何もおっしゃられていません」

 声をあげたのはミリセントだった。信じられない。彼女は僕らスリザリンの中でもあまり喋る方ではない。クラス中の視線が一気に彼女に集まる。スネイプ教授は驚きを表情に出すことはなかったが、明らかにその目には怒りが宿っていた。

 「当然、普段の授業から吾輩は他の生徒にいちいち口を挟まないようにと申し上げている。それは言わずとも今回も同じだ、ブルストロード。全員今すぐ荷物を片付け、教室から出ていけ。今すぐにだ!」

 僕らは怒声に叩き出されるようにして鞄に道具を突っ込み、教室の外へと駆け出した。

 

 「ミリセント、どうしたの? あんたスネイプ教授にあんなに真っ向から刃向かうなんて」パンジーが扉の外に出たそばから尋ねる。

 「だって、今回はドラコがしたことに減点されたのよ。私たちにではないけれど……それに私はスネイプ先生に嫌われても気にしないわ。あの人を頼らなきゃいけないほどブルストロード家は弱くないし、点数の制度だってあるしね」

 だとしても肝が太すぎる。僕は内心本当に驚いていたし、正直あの性悪教師に目をつけられやしないかミリセントが心配だった。けれど、僕らを追い抜いていくグリフィンドール生たちがミリセントに向かって口笛を鳴らしたり、「かっこいいぞ!」と野次り、それを受けてミリセントが嬉しそうに笑うのを見て、水を差す気持ちも無くなってしまった。スリザリンの誇りが回復されるのを見て、嬉しくなってしまうのは仕方がないことだろう。

 

 大広間への階段を登る途中で、僕は近くにいたロングボトムに声を掛ける。

 「さっきはごめんね、ロングボトム。僕のせいで減点されちゃった」

 またもや大きく肩を跳ねさせた彼は、しかし先ほどまでのように怯えきっているわけではなかった。

 「いや、君がいなかったらトレバーは死んじゃってたかも知れないし……」

 ロングボトムはそこで言葉を切ったが、まだ何か話すことがあるのかもじもじとしている。なんだ? 僕は黙って彼の言葉の続きを待つ。

 「あの……ずっと君にビクビクしてごめん。君が悪いわけじゃないんだ……でも……いや、ごめん」

 想像もしていなかった言葉に驚く。何が言いたいのか理解できた後、僕の顔はどんどん緩んでいった。それを見てネビルもおずおずと笑う。

 「いいんだ。だってまだこの学校に入って二年とちょっとしか経ってないんだよ? これからなんだから……」

 

 

 未来には避けられそうにもない闇が待ち受けている。それでも、今この場では先を照らす光の源が生まれつつあるんだと、僕は信じたかった。

 

 

 

 

 

 



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第三十六話 三度目のハロウィーン

 

 

 十月も下旬に入り、ハロウィーンが近づいてきていた。その日はホグズミード行きが解禁されることもあって、三年生以上の生徒は皆浮き足立っている。

 一方僕はというと、またこの日に何か起こるのではないかと内心恐々としていた。一年目はトロール、二年目はフィルチ氏の猫が石化されたのがハロウィーンだったのだ。「ハリー・ポッター」ではお約束のイベントになっていると予想してしまっても仕方がないだろう。

 

 もちろん、例年と同じ道を完全に辿るのであれば、ここで致命的な何かが起きるわけではない。けれども、言うなればこの日起きる出来事は、学校で起きる一連の事件の嚆矢なのだ。憂鬱な気持ちにもなるというものだろう。

 

 それでは僕がシリウス・ブラックについて猛烈に警戒できているかというと、実はそこまででもなかった。一年目のクィレルはダンブルドアの監視下だったし、二年目は「日記」という飛び道具的犯行だった。つまり、校長が警戒している「人物」が易々と校内に入り込む事態は未だに起きていないのである。ハリーが命に関わる危険に晒されるにしても、もう少し先のことになるだろう。……というか、経験的には一番最初のクィディッチの試合が最も怪しい。例年通り、対戦相手はスリザリンなので、ここはある程度カバーできるはず、ということで僕は状況を甘く見ていた。恥ずかしながら、いつまでもそこかしこに注意し続けられるほど、こちらも歴戦の猛者ではない。

 だから、問題なのは城の外で事件が起こり、そこで本当に闇の帝王に直接関係した何かが始まることだった。今までだってクィディッチピッチや禁じられた森はかなりの無法地帯だったのだ。この日がホグズミード行きと被っていることがただの偶然とは到底考えられない。しかも、ブラックはアズカバンから徐々に目撃地点をホグワーツに近づけているらしい。その近くに闇の帝王がいましたなんてことになれば本当に洒落にならない。

 

 当然、僕はそれを閉心術訓練の合間にダンブルドアに相談していた。どうやら僕は閉心術の才能があるらしく、かなり早々に訓練の頻度は下がっていた。その貴重な時間の中で僕は闇の帝王に動きはないかダンブルドアに逐一確認していたのである。しかし、返事はノーだった。

 「今のところ、奴が動いている気配はない。だからと言って気を抜くこともできぬ。シリウス・ブラックが我々も未だ見破れぬ方法を使ってアズカバンを脱獄したのは事実なのじゃから」

 ダンブルドアは諭すように言う。僕はそれに質問を重ねた。

 「といっても、僕は吸魂鬼を出し抜くために何が必要なのか殆ど知らないんです。杖を持っていなかったのだから、守護霊の呪文ではないんですよね? 去年のように「日記」に似たものが差し入れされていたとしても、それで檻を潜り抜けられるわけではないですし」

 ダンブルドアは神妙に頷く。

 「わしもまだ選択肢を絞り込めているわけではない。しかし、そのどれであったとしても危険性には変わりない。君はハリーを身を挺して守ろうなどと考えず、自分自身のことを気にかけてほしい」

 ダンブルドアは僕を相当自己犠牲的な人間だと思っているらしかった。買い被りである。それにしてもハリーには悪いが、彼が城の外、ホグズミードに行く許可を得ていないのはそれなりに安心できることだった。

 

 

 ハロウィーンの朝、僕は朝からあの悪戯好きたちが作った吸魂鬼のミニチュアに叩き起こされ、一人で早めに朝食の席に向かっていた。ザビニとパンジーが考案したそれは、レシフォールドのボガートから着想を得たらしく、ケバケバしいショッキングピンクのフリルで彩られている。

 幸いなことに下級生はそれで元気が出た子もいたようだが、制御の呪文が上手くいっていないのか、ザビニと同室の人間は度々それが勢い余って突撃してくるのに耐えねばならなかった。子どもを喜ばせるという実績を挙げているぶん、文句を言いづらいのが厄介だ。

 

 朝日の差し込む玄関ホールで、グリフィンドールの三人組に出くわした。普段通り挨拶をするが、ホグズミードに行けないハリーはやはり少し元気がない。流石に周囲に哀れみの目を向けられたくないのか取り繕いはしているようだが、一人残らなければいけないというのは辛いものだ。そうぼんやりと思っていると、当たり前のように僕はグリフィンドールのテーブルへ連れて行かれた。

 しかし、もう僕も最近はそこまで周囲の目を気にしていなかった。スリザリンの上級生も最高学年になったジェマがある程度抑えてくれているし、レイブンクローとの交流もある。この間のミリセントの勇気ある発言で三年生以下のスリザリンに対しグリフィンドールは柔らかくなってきているし、パンジーとザビニが親しくなったウィーズリーの双子の影響も大きい。

 勿論それらを良く思っていない生徒など山のようにいるだろうが、僕が卒業する頃には寮間の不仲はほとんど無くせるんじゃないだろうか。極めて楽観的ではあるが、そんな未来を描けるほどには状況は改善されていた。

 

 当たり前だがグリフィンドールのテーブルがホグズミードの話で持ちきりだ。少し気遣いもあって、僕はハリーと今度のクィディッチの試合について話すことにした。

 去年は五月以降の試合が「秘密の部屋」事件でキャンセルされたため、どのチームも優勝を逃すことになった。ハリーは一年生のときも「賢者の石」事件で決勝戦の出場を逃してしまったし、卒業してしまうキャプテンのオリバー・ウッドのためにも、今年こそ頑張りたいらしい。

 一方、僕もチェイサーとしてあからさまにコネと見破られない程度の実力は付けていた。去年の現実逃避の賜物である。正直もう辞めたくて仕方ないのだが、中途半端に選手として頑張ってしまったせいで今更抜けるわけにもいかないという間抜けな状況だった。

 

 そのままクィディッチの話で朝食は終わると思っていたが、話題を変えたのはハリーだった。僕の方に視線を向けず、手元のオートミールに目をやりながら彼は口を開く。

 「ドラコはホグズミード行くの?」

 「今回は誘われたし、クラッブとゴイルと回るつもりだけど」

 何気なく返事をしてしまって気付いた。これは……行かないで欲しかったのか? 普通はみんな行くのだから、そもそも行くかどうか聞くこと自体に何か意味があると思ったほうがいい。

 見れば案の定、ハリーは肩を落としていた。流石に心が痛くなってくる。ブラックの件もあって、僕の家も母はホグズミードに行くのにあまりいい顔はしなかった。それでも、父は僕が仲間外れになることを危惧してサインをした許可証を渡してくれた。

 実際、これ以上ハリーのためにクラッブやゴイルを疎かにすればそれこそ僕も彼も良い目では見られない。子どもの相手だと思われるかもしれないが、ここで信用を失うのは痛すぎる。

 

 「……ハリー、今のうちの辛抱だよ。きっと一年もすれば事態は良くなる」

 この一年で事件が終わるだろうと予想しているからこう言ったが(ホグズミードという面白い場所を作中に出しておきながら、主人公に行かせないなどあり得るだろうか?)、何の根拠もない薄っぺらな慰めだと自分で思う。

 ハリーはやはりそれで気が晴れたわけではないようで、手元のかぼちゃジュースをじっと見ている。

 「ドラコは……僕が何か方法を見つけて、ホグズミードに行ったら怒る?」

 これは、また答えたくない質問だ。けれど、流石に無責任なことは言えなかった。

 「もし、その方法が吸魂鬼やシリウス・ブラックから絶対に、どんなときでも君を守ってくれるのなら、いいと思う。でも、そうでないなら君は色々な人の生徒を守ろうという思いを踏みにじることになる。……ごめんね、一番辛いのはハリーなのに、こんなことしか言えなくて」

 ハリーは気にしていないようなふりをして、それでもどこか失望を滲ませて首を振った。本当に申し訳ない気持ちになってくる。……それにしてもそんな方法に心当たりがあるのだろうか? 絶対にやって欲しくないのだが。頼むから大人しくしていてくれ。

 

 

 しばらくして、僕は起きてきたクラッブとゴイルの元に戻り、そのまま三人でホグズミードに向かった。何だかんだと楽しめはしたが、やはり学校に残して来てしまったハリーのことは気にかかった。城の中であればダンブルドアに守られているとは思うが、何にせよ今日はハロウィーンなのだ。

 結局、僕は二人にしっかり付き合いつつもかなり早足で城に戻ったのだった。

 幸いなことに、ハロウィーンパーティの席で見たハリーは元気そうだった。聞けばルーピン教授と色々話していたらしい。これは……良いのではないだろうか。ルーピン教授に主人公の大幅強化をしてくれるのだろうかと学期始めに考えていたことを思い出す。

 

 

 しかし、今日はまだ事件が起きていない。今夜はきっとここからだ。

 だが、その予想は当たりつつも、僕はその「事件」に驚愕することになった。

 

 パーティーも終わって談話室に足を踏み入れたところで、スネイプ教授が血相を変えて寮に入ってきた。生徒の無事を確認した後、彼は事情を全員に伝えた。

 ────ハロウィーンパーティの裏で、シリウス・ブラックがグリフィンドール寮に侵入するため、入り口の肖像画を襲撃した。

 

 

 どこにブラックが潜んでいるかわからない状況で、生徒を寮に戻すわけにはいかない。子供たちは城内の捜索のため大広間に集められ、そのままそこに寝袋を敷いて眠ることになった。大広間の天井に映し出される夜空を眺めながら、僕は考える。

 今回の事件、閉心術の練習の際に聞いたことから考えるなら、明らかにダンブルドアは事が起こることを予想していなかった。なのにシリウス・ブラックは見事城内に侵入し、肖像画を引き裂いてみせた。前回の生徒が操られていたのとはわけが違う。紛れもなくブラックという犯人が特定できていて、尚且つ実体もあった上でこの事件は起きたのだ。

 さらに、ブラックの行動も不可解だった。彼はホグワーツ出身者で、今日はハロウィーンパーティがあることだって知っていたはずだ。なのに生徒のいないグリフィンドール寮を狙った。ハリーを狙いたいのだったら完全に的外れなことをしている。

 勿論アズカバンの中で狂気に侵され、もはや日付もわからなくなっていた可能性はある。しかし、そのような判断力の衰えた人間がダンブルドアの目を潜り抜けて、このホグワーツに入り込めるものなのだろうか? そういえば、一年生の時、ロンの兄チャーリーの友人は城に許可なく箒でやって来れたようだが……ひょっとして内部のものの手引きがあれば、城の守りは破られてしまうものなのだろうか?

 

 去年と同じく、今の段階で分かることなど殆どない。しかし、もはや城内ですらハリーは安全ではないかも知れない。

 相変わらずこの日のストレスは尋常じゃないものがある。僕はため息を大きく吐き出し、なんとか眠りにつくため寝袋に潜り込んだ。

 

 



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第三十七話 嵐のクィディッチ第一試合

 

 

 結局、朝になってもブラックが城内で発見されることはなかった。夜通し続いていた捜索は打ち切られ、生徒たちは大広間からそれぞれの寮に戻された。ダンブルドアが大丈夫と判断したのであれば、今のところはそうなのだと信じるしかない。しかし、侵入経路が判明していない以上、再びブラックが襲撃をかけてくる可能性は大いに残っている。僕にできることは限られているけれど、そろそろ難しいから今は無理だなんて弱音を吐かず、自分でかけられる感知・防衛系の呪文を真面目に覚えるべきなのかもしれない。

 

 ひとまずハロウィーンが終われば、次の懸念事項であるスリザリン対グリフィンドール戦が刻々と近づいてくる。今年はやけに嵐が多くて天気が悪く、練習をするにも一苦労の状況だ。その上、城壁外のクィディッチピッチは学校を警備している吸魂鬼との距離が近い。上空を飛んでいると遠くに見える不吉な影に、精神的な疲労は溜まりつつあった。

 

 

 おまけに他にも気にしなければならないことができた。ルーピン教授、正確に言えば、その彼に絡み続けるスネイプ教授について、である。

 

 ルーピン教授はクィディッチの試合の前日、体調を崩したということで休んでいた。その彼に代わって授業を受け持ったスネイプ教授はあろうことか、それまでの授業を完全に無視して、さらに学年も無視して、その日に担当した全クラスで人狼について講義したのである。

 いい加減にしてほしい。折角ダンブルドアが一年ちゃんとやらせたいと考えている教師の立場を、わざわざ危うくするような真似はしないでくれ。

 

 ──そう、僕は少し前には既に、ルーピン教授が人狼なのではないかという疑いを持っていた。今回の満月の日にスネイプ教授がこのような振る舞いをしたことで、その疑惑はほとんど確定となったが、その前からヒントは色々あった。最も有力だったのは、これまたスネイプ教授からのものだった。

  魔法薬学の教室の彼のデスク周りには、いつも調合中の薬品がいくつか置いてあるが、そのうちの一つが脱狼薬だったのである。勿論僕は事前情報一切なしで薬の液面だけ見て、咄嗟にそれが何か判断できるほど聡くはない。ただ、あの性悪魔法薬教授はご丁寧に材料を調合に使う順番に並べていらっしゃったのだ。もう完成しているならそんな必要はないだろうに。クソ野郎である。

 

 スネイプ教授が事実に気づいた生徒によるルーピン教授の告発を望んでいるなら申し訳ないが、僕にはそれをするつもりは全くなかった。そもそも脱狼薬で無力化できているのであれば危険性は殆どないし、その「人狼」という特性こそ、ダンブルドアがルーピン教授を厚遇したい一因だということを察してしまったからだ。

 

 ダンブルドアがハグリッドを重用する理由と同様に、ルーピン教授は先の戦いに備えた大局を動かすための重要な手駒なのだろう。

 

 そもそもダンブルドアは以前より人狼の権利保護にかなり力を注いでいたと聞く。もちろん人道的な意味もあるのだろうが、目的は決してそれだけではない。人狼は迫害されているが故に、居場所を求めて闇の陣営に付きやすく、それを防止するためにも彼らの待遇改善は必要なのだ。

 単にルーピン教授に協力の「報酬」として「防衛術」の職を与えるだけが目的ではない。彼が立派にその勤めを果たせば、この事実はダンブルドアの人狼擁護の主張の礎になってくれる。数多いる人狼の中、彼一人の例で全ての視線が変わるわけではない。それでも、ルーピン教授から教わり彼の人となりを知った生徒たちの中には、将来人狼保護の後援者となってくれる者も現れるだろう。

 

 ハグリッドもそうだが、迫害されているマイノリティをホグワーツの教師にすることは額面以上の影響力を持つ。いつか彼らがそれぞれの立場を明かし、その権利を他の魔法使いと同等のところまで引き上げようとするには、これ以上ないほど効果的な策だと言えるだろう。こういった未来のための地道な根回しは、僕も好むところだった。

 

 それだけにスネイプ教授の挙動は許し難い。彼が脱狼薬を調合しているということは、先生方にはルーピン教授の特性は周知されているのだろう。

 確かに脱狼薬という手間のかかる薬品を、自分が気に食わない人物に対して調合させられていることには同情する。けれど、単なる子どもっぽい反感でダンブルドアが積み上げている平和への策が台無しになるかもしれないと考えると、スネイプ教授に対する苛立ちは募っていった。それとも、彼は何か己の振る舞いを肯定できるような理由でもあると言うのだろうか?

 ボガートがスネイプ教授に変身し、それを笑いものにしてしまったネビルに対して更に辛く当たるようになったスネイプ教授を見ながら、この状況は何とかならないかという思いは募っていった。

 

 

 

 そうこうしている内にスリザリン対グリフィンドール戦はやってきた。天候は最悪。雷光が時たまピッチを明るく照らし、横殴りの雨風の中、ただ立っているのも大変だ。スリザリンチームは僕によって防寒・防水呪文を全身にかけられていたが、この調子ではグリフィンドールは寒さに凍え切っているだろう。

 こんな天気でも試合はキャンセルにならない上に、観客たちは平気で応援に来ているというのだから、魔法使いたちのクィディッチへの愛はつくづく常軌を逸している。ありがたくないことに、今回もチェイサーに選抜されてしまった僕はため息を吐く。しかし、ハリーを一番よく監視できるのがこのポジションであることも間違いない。毎年この初戦で酷い目に遭っている彼に何かが起こることは、ハロウィーンのジンクスが成立した今、ほとんど確定したようなものだった。

 

 嵐の中、フーチ先生が何を言っているかもほとんど聞こえてこない状況で試合は始まった。この視界の悪い中、シーカーはスニッチなど見つけられるのだろうか? 僕はクアッフルを追いかけながらもたびたびハリーに視線を移す。案の定、上空を飛ぶどちらのチームのシーカーも動きを見せず、試合は今までになく長引きつつあった。

 

 グリフィンドールが五十点リードしたところでタイムアウトが向こうから取られる。今のところ、ハリーに何か変なことが起きている様子はなかった。僕は再びチームメイトに効果が弱まってきた呪文を掛け直しながらあたりを見渡す。ひょっとして、今回は何もないのだろうか? ハロウィーンは恒例でも、こっちはそうじゃなかった、という可能性はゼロではない。

 

 しかし、残念ながらその予想は外れた。試合が再開してからしばらくして、いよいよ事件は起こった。不意にグリフィンドールのキーパーがハリーに向かって叫ぶ切羽つまった声が耳に入ってくる。僕もそちらに視線をやると、ヒッグズがスニッチを見つけたのか急加速し、それを見たハリーが相手とスニッチを挟むようにして飛んでいる状況だった。

 勝敗を決する盛り上がるはずの場面で、いきなり観客席が水を打ったように静まり返る。いったいなんだ? ハリーには何も起きていない。寒気を感じながら下を見ると、そこには百人余りの黒いマントをたなびかせた人影が犇めいていた。────吸魂鬼がクィディッチピッチに侵入したのだ。

 

 これはまずい。脳裏にホグワーツ特急での出来事がよぎった。ハリーは吸魂鬼の影響を受けやすい。慌てて箒の方向を変えるが、既に上空では彼の身体は箒から滑り落ちるところだった。

 ニンバス2001、頼む、間に合ってくれ────真っ逆さまに吸魂鬼のいる地面へ落ちていくハリーに何とか追いすがり、並走する。彼の箒はどこかに飛んでいってしまった。気を失っている人一人の落下を受け止め、吸魂鬼の屯するピッチからすばやく離れなければならない。そんなこと、僕の箒さばきでできるのか? いや、やるしかない。

 できるだけ勢いを殺すようにしてハリーを両手で抱えることには成功したが、案の定止まり切れない。何とか地面から上がるため箒の先を上げようと試みるが、完璧に成功することはなかった。僕らの乗った箒は地を削るような角度でクィディッチピッチに突っ込んだ。

 

 箒の柄が最初に地面に突き刺さったおかげで、僕とハリーは直接叩きつけられるようなことにはならなかった。その勢いのまま、ハリーを抱え頭からごろごろと地面を転がる。顔から行っていたら首が折れているところだ。やっぱりクィディッチって危険すぎるスポーツだ。

 ようやく転がり切ったところで、抱えこんでいたハリーの様子を確認する。見える範囲で大きな怪我は見つからず、ひとまず安堵の息が漏れた。しかし、ぼけっとしている暇はない。周囲には信じられない量の吸魂鬼がいるのだ。ハリーの前に身を起こし、濡れて絡まるローブからなんとか杖を引っ張り出す。守護霊を呼び出すのに必要なのは、幸せな記憶だ。過去を遡り、思い出す。暗く湿った秘密の部屋。ハリーがボロボロになりながらも生きて、僕を迎えに来てくれた姿。

 「エクス────エクスペクト・パトローナム!」

 杖の先から輝く靄が吹き出し、盾のようにして僕らと吸魂鬼を隔てた。一応練習しておいて良かった。難しすぎるから覚えるつもりはなかったのだが、ビンクが使えるようになっておくべきだと猛烈に主張したのだ。少しは体に温かみが残る。

 ただ、当たり前だが全員どころかこの周辺の吸魂鬼さえ撤退させきることはできない。吸魂鬼は自分たちのもとに落ちてきたご馳走に、徐々に集まってきてしまってすらいた。このままじゃジリ貧だ。

 少しずつ指先を冷気が這い上がる。凍えそうになりながら、なんとか杖を構えなおしたところで、何か光る銀白色の空を舞うものがこちらに突っ込んできた。その後ろにいたのはアルバス・ダンブルドアだ。ああ、助かった。もう大丈夫だ。

 ダンブルドアの強力な守護霊が吸魂鬼たちを蹴散らしていく中、僕も安堵でその場に崩れ落ちたのだった。

 

 

 

 振り返ってみれば、今までのクィディッチ第一試合の中で、ハリーは一番軽傷だった。スニッチを飲み込むことも、腕の骨を抜き取られることもない。しかし、今回彼は取り返しのつかないものを失ってしまった。あの後乗り手なしで飛んでいったハリーのニンバスは「暴れ柳」に突き刺さり、粉々にされてしまったのだ。僕には色々思うところのある箒だったが、彼にとっては無二の相棒だっただろう。

 試合にスリザリンが勝ったこともあり、落ち込み切っているハリーに安易に話しかけるのは躊躇われた。それでも一緒に運ばれた病棟で声をかけたが、返事は全て上の空だ。今回はオリバー・ウッドが僕に礼を言いにきてはいたが、彼も試合に負けたショックのせいか、かなり虚ろな目をしていた。

 僕が先に寮に戻るときにも、ハリーは塞ぎきってベッドのカーテンを閉めてしまっていた。

 こちらとしては彼が無事だったことを喜びたいが、今はかける言葉もない。今年のハリーは例年よりずっと心にくる災難続きのようだった。

 

 

 



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第三十八話 スネイプ教授の激昂

 

 

 クィディッチの試合からしばらく経ち、ようやくハリーは完全にとは言わないまでも、少しずつ立ち直ってきたようだ。理由を聞いてみると、年始以降にルーピン教授から守護霊の呪文を教えてもらう約束をしたらしい。自分の弱点に立ち向かう術を手に入れられそうになると元気になる、というのは僕の好きなグリフィンドールの特性だった。

 

 一方僕の方はというと、万事上手くいっているというわけではなかった。ブラックの侵入経路がいまだにさっぱり割れていないというのもあったが、学校生活にも悩みの種はある。中でも、スネイプ教授の授業で、スリザリン生までもがポツポツと反論するようになってきたことに起因する一連の流れが一番気がかりな問題だった。

 

 グリフィンドールとスリザリンの魔法薬学の合同授業では、スリザリンの今までにない態度に苛ついた教授が更にグリフィンドールに当たり、そしてそれにスリザリンが口を挟み……という悪循環が生まれつつあった。

 僕はどうしても根が臆病なタチなので、スネイプ教授をどうにかするにしてももっと穏便に行きたいと考えていた。ああいう頑固な人は、表立って恥をかかせるやり方では絶対に自分の意見を変えないというのもある。しかし、「共通の敵」らしきものを持つという今までにない体験の前に、グリフィンドールとスリザリンの三年生はどんどん距離を近づけていた。

 

 そもそも僕の周囲にいる子達は良家の子女が殆どだったのも悪い。いわゆる「聖二十八一族」のブルストロード家やノット家、グリーングラス家、パーキンソン家、それに数えられなくても、ブラック家と婚姻することが許された程度には名のある家のクラッブ家、などなど。純血であることは裕福であることとイコールではないが、僕らの学年に限って言うなら、概ねその範囲は一致していた。

 

 そうすると、一年生のころにジェマが僕に忠告したような力の不均衡は殆ど問題にならなかった。いや、皆その事実に漸く気づいたとばかりに、以前のような絶対服従の姿勢を放棄していた。しかも、ジェマ本人もこの傾向に拍車をかけていた。彼女は卒業後の進路を考えるにあたって、大いにマクゴナガル教授の手を借りているのだという。つまり、グリフィンドール寮監の庇護を受けた人間が、今年のスリザリンの最上級の監督生なのだ。今までよりずっとスネイプ教授に反抗しやすい下地は、知らぬ間にできてしまっていた。

 もちろん、それだけでいきなり寮監に対して無礼になるということはない。けれど今までは仲間内だけで発揮されていた公正の精神が、スネイプ教授の前でよりにもよってグリフィンドールに向けられることになったのである。

 

 十三歳の子どもたちに与えられた「正義感」という飴は、例え僕らがスリザリンであってもそれなりに効いてしまった。特にロングボトムへの当たりのキツさは純血一族の軽視だとすら考える人間も出てきている。グリフィンドール生は僕らが表立って言わなければ根底の「純血主義」思考など知ったことではない。ロングボトムを軸とした表面的な連帯のもと、さらに両者は仲を深めていった。

 

 この状況の中僕はというと、流石に行き過ぎるとまずいことには早々に気付いていた。一応スリザリン生たちに調子に乗って寮監に対して過度に失礼な真似はしないように、と釘を刺したが、スネイプ教授は無礼でない範囲の進言ですら頻繁にできてしまう程度には理不尽な人間だ。もはや止めようがない。

 僕のずっと望んでいたグリフィンドール・スリザリンの宥和は、しかしスネイプ教授を爪弾きにするという諸手を上げて喜びにくいやり方で、加速度的に進んでしまっていた。

 

 正直、スネイプ教授の自業自得だと思う。だからといって、ダンブルドアの信用に足る存在であるこの人を追い詰めすぎるのは色々な面で不味すぎるし、その結果彼がどのような反応を見せるか予測がつかない。しかし、子どもたちを納得させるような理由を僕は用意できない。完全に手詰まりだ。

 

 さらに、そして一番悪いことに、僕はスネイプ教授のルーピン教授に対する扱いをどうにかしたい、という出過ぎた野望さえ抱いてしまっていたのだ。

 

 

 

 月末の対レイブンクロー戦が近づいてきていたある日、僕はスネイプ教授に魔法薬学の授業後、残るよう言われた。こちらとしては願ってもないチャンスだ。みんなが教室から出ていく中、こっそりと扉にマフリアートをかける。誰にもこの話は聞かれたくない。

 スネイプ教授の話自体は宿題のレポートに付記していた質問のことだった。彼は本当に魔法薬学の知識を与えるという点では良い先生なのだ。教授による説明が終わったところで、僕はさり気なさを装って口を開いた。

 「この薬、ここに出しっぱなしで調合されているのはなぜですか? 複雑な手順の薬品ですし、子どもたちの不手際で不純物が混ざるかも知れません」

 この話の切り出し方は完璧に失敗だった。スネイプ教授の反応は劇的だった。彼はギッと僕を睨み、冷え切った笑みが口元に浮かぶ。

 「君に指図される筋合いはない、マルフォイ。吾輩は君の心配など無くても完璧にこの薬を調合し、そして生徒への危険を抑え込むことができる。この薬が指す危険性を見過ごす君と違ってな」

 ここまで、僕はスネイプ教授にできる限り阿って話をするつもりだった。しかし僕は、この人に「そういうこと」を──まるで僕が他人のことを考えていないかのようなことを言われるのが、本当に、本当に嫌だった。僕からすれば、グリフィンドールとスリザリンを対立させ、子どもたちが進みかねない闇の道を舗装するこの人こそが最も生徒の危険性を見過ごしている人だったのだから

 ────無意識のうちに自分が抱えていた罪悪感に蓋をし、僕はカッとなって反論する。

 

 「お言葉ですが、もし危険性があるとすれば、それはあなたが調合を間違うとき、という可能性が一番大きいのでは?」

 僕の反抗的な言葉に、それでもスネイプ教授は内心を見透かしたように嘲笑う。

 「どうも反論の筋が弱いな、マルフォイ。君は自分が利口だと思っているようだが、それは現実が見えていないからに過ぎん。人狼の取り返しのつかない危険性を適切に把握していれば、奴を教職につけ続けることなど生徒のためにはありえんと理解できるはずだ」

 いよいよ僕は怒りで頭がいっぱいになっていた。

 この人は脱狼薬を調合できるのだから、それがどれだけ人狼を、望まないまま人を傷つける怪物に変貌してしまう人間を救うのか分かるはずだ。脱狼薬が適切に処方され、人々の差別の心が無くなれば、この人狼という存在が生む辛苦は完全に消えるわけではなくても多くが癒やされるだろうに。それを知りながら差別を煽り、嘲笑う。僕の目指す未来にとっては有害そのものな態度だ。

 この場ではスネイプ教授は完全に僕の敵だった。

 どこか冷えた頭を使い、僕はいつぶりだか分からないほど悪意をこめ、この人の主張を叩き潰すためだけに言葉を吐いた。

 

 「そうお考えなのであれば、魔法省に手紙でも送られてはいかがですか? こんな()()()()()生徒に縋るような、遠回りな真似をなさらずに。あなたが心の底から生徒の安全をお思いになるのなら、躊躇なさることはないでしょう。

 ああ、でもそうはなさらないのですね? いや、できないのか。校長に止められているから!」

 スネイプ教授の額に青筋が走るのが見える。それでも口元に嘲笑を貼り付けたまま、僕は言葉を続けた。

 「結局のところ、あなたはダンブルドアを自力で説得することもできず、彼に表立って歯向かう訳にもいかないから、迂遠で姑息な方法で、誰かが代わりに自分の気に入らない相手に手を下すのを待っているだけの────卑怯な臆病者だ」

 

 僕の言葉を聞き、スネイプ教授の顔が憤怒に歪む。明らかに一線を越えた挑発に、彼は理性を失っているように見えた。

 次の瞬間、彼は僕のシャツの襟を掴み、壁に押しつけてきた。眼前に見える目は血走り、ギラギラと憎悪に燃えている。

 「貴様に────何も知らない貴様に何が分かる」

 地の底から響くような恐ろしい声だ。しかし、なお僕はスネイプ教授の瞳から目を離さなかった。

 普段だったらとっくに我に返って謝罪しているところだ。それでも僕は自分の中の怒りを消さない。それほど、僕の心中はこの人の思想をへし折りたいという気持ちで満たされていた。

 

 再び挑発的に言葉を吐く。

 「分かりませんよ。知りませんから。何か僕でも理解できる理由があるのであれば、教えてください」

 彼はわずかに躊躇し、しかし勢いをつけて吐き捨てるように言った。

 「リーマス・ルーピンは、シリウス・ブラックの親友だった。ルーピンはかつて人狼の集団のスパイとしてダンブルドアの元におり、同じくダンブルドアの元にいたブラックは秘密の守人になりながらポッター夫妻を売った。奴らはずっと親友だ、今も!」

 

 完全に不意をつかれた形になった。内通者────それは、ハロウィーン以来ずっと存在を怪しんでいたものだった。

 予想もしていなかった容疑者の存在に、思わず言葉を失う。言葉を返さない僕に、スネイプ教授は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。しかし、それでは納得できないことがある。僕は何とか気を取り戻し、震えを抑えて声を発した。

 

 「────それでも、ルーピン教授が裏切っている証拠をあなたはお持ちでない。だから、彼を辞めさせるようダンブルドアを説得できていないし、未だにその薬を調合されているのですから。

 ……お願いですから、まだ確定していない話を前提に、一人の人間の人生を破滅に向かわせないでください」

 

 スネイプ教授はいよいよ僕を殺すのではないだろうか────それぐらい彼は心の底から怒り狂っているようだった。このまま襟を掴む手で首を絞められてもおかしくない。そう思ってしまうほどの気迫だった。

 しかし、スネイプ教授が僕に何かする前にこの二人きりの空間は破られた。

 

 不意に扉が開く音がし、後ろから声が響く。

 「何をしてるのですか! あなた達は!」

 そこに立っていたのはマクゴナガル教授だった。彼女はこの異様な場面に慄き、それでもこちらに向かって迷いなく歩いてくる。

 身体に安堵が広がっていくと同時に、頭にのぼっていた血も引いていった。まずい。スネイプ教授を挑発し、あまつさえ胸ぐらを掴ませてしまった。

 「マルフォイ、貴方に変身術のことで用があったのです。ゴイルは貴方がスネイプ先生の元に残っていると。スネイプ先生、これはどういうことですか」

 僕はもうどうしたら良いか完全に方針を失っていた。いや、全く愚かなことに、そもそもこの口論に方針などなかった。取り繕う言葉だけが口から流れていく。

 「違うんです、教授。僕がスネイプ教授を挑発するようなことを言ってしまったから────」

 上っ面の言い訳を、スネイプ教授の低い声が遮った。パッと襟を手放した教授はこちらに背を向ける。

 「マクゴナガル先生、それに用があるのなら別の場所で話していただきたい。今すぐ」

 「────分かりました。マルフォイ、話は私の研究室で伺います」

 そうして、マクゴナガル教授と僕は地下牢を後にした。

 

 

 ああ、完全にやってしまった。頭に血が上って、思ってもいないこと────いや、思ってはいたのだが────言うつもりのないことまで言ってしまった。どうしよう。スネイプ教授がここから僕を許すためには、一体何をすれば良いんだろう。考えなしな自分の行動に、泣きたい気分が込み上げてきた。

 

 二階の研究室に着くと、マクゴナガル教授は僕を座らせ、杖を振ってサンドイッチと紅茶を出してくれた。そういえば今は昼休みだ。有無を言わさず「食べなさい」と言われたので一口齧る。しかし、こんな出来事の後では全く食欲はなかった。

 

 「食べながらで結構ですから、何があったか話しなさい」

 マクゴナガル教授は僕を落ち着かせるように言う。積み上げてきた信頼もあって、彼女は僕がことの原因だとは考えていないらしい。今はその優しさが辛かった。

 隠すこともないので、僕は一部始終をマクゴナガル教授に話した。最近のスリザリン三年生の動きから、ルーピン教授に対する嫌疑まで。マクゴナガル教授は頷きつつ、全てを黙って聞いてくれた。

 話し終え、彼女の顔を窺う。僕に失望したり怒っている感じではなかった。ただ、少し悲しそうだった。

 「今回、確かにスネイプ先生を挑発した貴方の態度は、罰則を受けても仕方ないものだったかもしれません。しかしマルフォイ、ルーピン教授に関して貴方の思うことが間違っているわけではないのです。けれど……」

 そこで彼女は一度言葉を切り、僕をじっと見つめる。

 「……スネイプ教授の態度は、貴方が純血の名家出身で、学年一位の成績で、三年生にして既に優秀なチェイサーであることも一因かも知れませんね」

 全く予想していなかった言葉だった。前後の文脈に乗っているようにも見えない。

 「それは……何か関係あるのですか?」

 僕は恐る恐るマクゴナガル教授に訊ねる。マクゴナガル教授は深くため息をつき、僕に答えた。

 「そう思うでしょう。スネイプ先生が今までどんな人生を歩んで来たのか知らなければ。

 今回、貴方がスネイプ先生に言ったことが、完全に間違いであるとは私も思いません。しかし、正しいからというだけで全てが納得してもらえるほど人間は簡単にできていないということは、覚えておいた方が良いでしょう」

 

 彼女のやり切れなさが滲む言葉に、僕はただ頷くことしかできなかった。

 

 

 



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失敗と報い

 

 

 

 今回の事態は、完璧に僕の悪癖が表出した形になった。理性的に考える能力がありそうな、子どもを守る立場にある人間が、自分の職務を放棄している様に対して強烈な義憤を感じてしまうという悪癖だ。何が「正義感という飴」だ。一番自分の正義感を制御できていなかったのは僕だというのに。

 

 あの後、「純血一族で、成績一位の、チェイサー」という存在について少し考えてみた。記憶を掘り返してみれば、当てはまる対象に心当たりがあった。去年スネイプ教授がその人とハリーを重ねて見ていると自供した存在────ジェームズ・ポッターだ。

 彼はチェイサーだったと以前ハリーが言っていたし、確かポッター夫妻は主席のカップルだったはずだ。ポッター家は聖二十八一族に数えられてはいなくとも、ブラック家と婚姻関係にある純血一族だったし、ハリーの祖父にあたるフリーモント・ポッターは魔法薬学者で裕福だ。

 そのジェームズ・ポッターと僕に重なる部分があるから、スネイプ教授は僕の意見を激しく拒絶するのだとマクゴナガル教授は考えたのだろう。

 つまり、スネイプ教授は学生時代にジェームズ・ポッターと確執があり、その親友がシリウス・ブラックとリーマス・ルーピンだった。そう想像がつく。

 

 僕らの世代はグリフィンドールと仲が良すぎて想像しづらい。けれど、上級生の様子を見て、確かに僕は一年生のときに思ったのだ。この二つの寮の敵対関係はどちらが悪いというよりは、構造的なものなのだと。

 

 僕には想像することしかできないが、それこそ闇の帝王の絶頂期には家庭の圧力で死喰い人にならざるをえなかった人間なんて山のようにいたのだろう。ホグワーツの中だってそうだ。反対するような声を上げるどころか、ただそれらと距離を置くことすら難しかったはずだ。

 しかも当時から校長はダンブルドアだ。そこではグリフィンドールは明らかに正義側のものとして考えられていたはずだ。

 そんな環境の中で育ち、スネイプ教授は今その構造を再生産しようとしている。彼にはおそらくそれ以外の選択肢がもとより存在しなかったのだろう。彼がここまで頑なに僕の言うことを聞いてくれないのは、僕のような存在が彼の常識の世界には存在しえなかったはずだからではないのか。

 

 実際、それは事実なのだから。ただ僕の立場に生まれ育つだけでは、前世というベースがあった僕とは全く違う人間になるだろう。

 でも……それでは、どうすればいいんだ? どうすればスネイプ教授は彼の人格に根差した確執を捨てて、いや、捨てなくても、今の罪なきグリフィンドールに対して敵対するのをやめてくれるんだ? 彼の何十年もの間、堅固に築き続けた価値観を、僕程度がどうやって崩せるというんだ?

 

 これは本当に手詰まりになってしまった気分だった。最善策はすでに潰えている。取り入って内側から変えようとしても、僕は既に今まで見たことがないくらい彼を激昂させてしまったのだから。失敗としか言いようがない。感情に支配されて、目先の攻撃欲を優先してしまった。

 

 この学校に入学してから、ここまで自分のせいで状況を悪くしてしまったのは初めてな気がする。…………いや、一年目のドラゴンの件とかもあったが…………それにしても、ここまで盛大に、しかも無意味にやらかしてしまったのは初めてだった。

 

 その上、誰に相談して解決するというものではないというのが辛い。周囲の生徒に話してしまえば、僕を庇って火に油だろうし、グリフィンドール側のマクゴナガル教授やダンブルドアにだって手を出してどうにかなることではない。父に言って力関係をチラつかせれば、残っているかも分からないスネイプ教授からの信頼は地に落ちる。

 

 ああ、本当にやってしまった。軽挙妄動は僕だ。

 心の底から泣きたくなった。

 

 

 それ以降、僕は必死にスネイプ教授の機嫌を損ねないよう努めた。他のスリザリン生の反抗的な態度を押さえることは出来なかったが、僕は授業中一切彼の理不尽に反論しなかったし、ルーピン教授を大っぴらに称賛するのもやめた。

 自分でやっていてこれはかなり辛かった。折角僕が闇の道に行かないでくれと先導して取っていた行動に僕自身が反するのだから。幸いにして、スリザリンだけでなくグリフィンドールすらもそれを見咎めることはなかったが、運が良かっただけのように思う。もしスネイプ教授がこちらの思惑に気付き、授業中に僕を試すようなことをすれば一巻の終わりなのだ。

 

 しかし、あれ以来スネイプ教授は授業中に僕を無視するようになっていた。正確には、今まで頻繁に行われていた僕を出汁にしたスリザリン贔屓を止めた。

 他の生徒もそれに気付いて、明らかに何かおかしいと思ったようだ。けれど、僕は死んでも理由を言うつもりはなかったし、スネイプ教授だって言わないだろう。結局スリザリンの反抗的態度への報復行動だという噂が囁かれていた。それについては、なんとかスリザリン内の反目は沈静化させたのだから、もう……許してほしい。

 「よりにもよってマルフォイに対して仕掛けてきたんだぞ?」

 「多分違うよ……今まで僕はずっとスリザリンの誇りに相応しい態度を取ってくれって示してたんだから、それに折れてくれたんじゃないかな……」

 こんな感じだ。本当に疲れる。

 

 ダンブルドアとの閉心術教室がほとんど必要なくなった今も、マクゴナガル教授のところに通い続けているのはスネイプ教授の気に障ることかも知れなかった。

 けれど、今僕の息抜きになっているのは変身術だけなのだ。頼むから見逃してほしい。僕は陽が出ている時すら目眩し呪文をかけてマクゴナガル教授の研究室に行くようになった。

 

 

 あれから、ルーピン教授のことについても色々考えた。けれど、そもそも2年次にロックハートを採らなければならなかった理由として「闇の帝王と繋がりのない保証」がある。シリウス・ブラックの親友だったという危険性の高い立場でダンブルドアの目を潜り抜けられるとは、僕は到底思えなかった。

 だから、結局のところブラックがどうやって侵入してきたかは分からずじまいだし、スネイプ教授を説得する目を自分で完全に消してしまった。それが僕が今回得た結果だった。

 

 

 子どもたちの前では事態がバレてはまずいため、落ち込んでいるところを完璧に取り繕っていた。しかし、大人の前ではそうもいかなかった。意外なことに、それに気付いたものの一人はルビウス・ハグリッドだった。

 彼のための安全管理マニュアルはあれから何度か専門家の意見を聞いて改訂が加えられ、より彼が従いやすく、理解しやすく、安全性を確保できるものに変わっていた。僕は逐一それを渡して説明していたのだが、そこで元気がないことに気付かれたのである。

 いつの間にか小屋に招かれて説明や、授業についての議論をするようになっていた。クリスマス休暇前、来年に向けて最後の確認をしていた中での出来事だった。

 

 「お前さん、最近ちいっと疲れてるんじゃねえか? スリザリンはクィディッチでレイブンクローに負けちまったらしいし……練習のしすぎか? それとも、ハーマイオニーみたいに科目を取りすぎてるんじゃねえだろうな?」

 彼は人におべっかを使えるタイプではない。心の底から、かつてあれだけ敵対的だった相手が心配してくれている。その事実に、僕は思わず泣いてしまった。

 

 確かに彼の言う通りだったのだ。

 増えた科目は予習の分があるとは言えども宿題の手間がなくなるわけではないし、クィディッチもいよいよスタメンとして参加しなくてはならない。

 この安全管理マニュアルや付随する制度だって放置するわけにはいかなかったし、何よりブラックの侵入経路は不明。ハリーの安全は確保できないままで、僕の一番成し遂げたかったスリザリンと他寮の対立関係の解消はスネイプ教授という犠牲を出して進みつつある。

 自分でも気付かないうちにやらなければならないことやストレスは山積みだった。

 

 いきなり声もなく涙を流す僕に、明らかにハグリッドは動揺し切っている。しかし、それを気にかける余裕もなかった。

 彼は驚きのあまり小屋を揺らして立ち上がったが、どうすれば良いのかわからず辺りをしばらくウロウロとしていた。僕もだんだんと気持ちが落ち着き、恥ずかしくなってきた頃、彼はあのテーブルクロスのようなハンカチを僕に向かって差し出した。

 受け取ったハンカチは本当に子どもの上半身を覆えるほど大きい。思わずちょっとだけ笑った僕に彼は優しく声をかけた。

 「何があったかは知んねえが……お前さんは大丈夫だ。俺もずっとお前さんを勘違いしちょった……ノーバートのことがあったからな。でも、お前さんは本当に友達が心配で、そういうことをするやつだっていまは知っちょる。

 お前さんはいい奴だ。俺にだって分かる。困ったことがあったら、友達に話してみたらええ。お前さんの言うことを無下にするやつなんて、きっとおらん。大丈夫だ……」

 その言葉にまた泣きそうになる。けれど、なんとか抑えて彼に心から礼を言い、その場を後にした。

 

 正直、今相談して大丈夫だと思えるほど、僕と同じことを考えてくれると確信している生徒はいない。スネイプ教授を庇い、あまつさえ考えを変えてもらうなんて僕だってほとんど不可能だと思う。

 けれど、他のことではもう少し他人を頼ることを覚えてもいいのかもしれない。そう思えるぐらいには、今回の件は僕の心を救ってくれた。

 

 

 



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尽きない謎

 

 

 クリスマス休暇は飛ぶように過ぎていった。家の状況は相変わらず。父は僕が話を持ちかけようとしても、自分の用件で終わらせるか、忙しいと魔法省に行ってしまうかだった。父なりに僕が通うホグワーツにブラックが現れたことを心配しての行動だとは思うが、なんだか虚しくなってしまう。

 そうは言いつつも、僕の方に話し合いに向かう熱が入っていないのもまた事実だ。僕はこの休暇を本当に休暇として過ごすつもりだった。タスク管理がなっていない現状で、何を優先し何を後回しにするか今一度考えるいい機会にしたかったのだ。

 

 

 スネイプ教授のことは一旦忘れることにした。失敗してしまったのは確かだが、やらかす前にも彼に対して説得の目があったかと言われると怪しい。ならば、ずっと落ち込んでいるのは無為に精神をすり減らすだけだ。結局、彼が僕への怒りを忘れてくれるのをゆっくり待ちつつ、態度で誠意を見せていくしかないのだから。

 

 マニュアルや要領類については、作成のための手順が一応整ったためそれをまとめて理事会に送った。他の授業に反映されるかは理事会次第になってしまうが、そもそもここが動いてくれなければどうしようもない。生徒アンケートはまだシステムの概要もできていなかったが、そもそも今学年中に運用し始めることは難しい。これで、こちらの問題も一時的に僕の手を離れることになった。

 

 

 残るはシリウス・ブラックについて。今までは彼が学校に侵入した経路について闇雲に調べて来たが、ここまで梨の礫なのだったらとりあえず横に置いておいた方が良いことなのかもしれない。今までの事件だって「賢者の石」や「日記」といった物語のキーアイテムが舞台に────つまり、ハリーたちの前に姿を現すのはクリスマス以降だった。こんな楽観的なことではいざというときに致命的な見過ごしをやらかしそうだが、ひとまずここは待ちの姿勢で行くしかない。

 

 

 加えて、魔法的な証拠でなく、人間関係という面から今回の事件を紐解く鍵を僕は手に入れていた。図らずしも、スネイプ教授の口から。

 

 今まで得ることができた情報を整理すれば、このようになる。

 

 かつてジェームズ・ポッターとシリウス・ブラック、そしてリーマス・ルーピンは親友だった。スネイプ教授と凄まじい因縁を残すほどにグリフィンドール内で結束していた三人は、当然卒業後も闇の帝王に対抗してそれぞれのやり方で戦っていた。

 そんな中、ジェームズ・ポッターが闇の帝王に狙われ、身を隠すことになる。彼が見つからないように「忠誠の呪文」がかけられ、その「秘密の守人」にはシリウス・ブラックが就いた。

 シリウス・ブラックはそれを裏切った。闇の帝王はポッター家を襲撃し、夫妻を殺害することには成功した。しかし、ハリーに対してかけた死の呪いが母の「愛の護り」によって跳ね返り、彼は肉体を失った。

 

 闇の帝王が姿を消した後、シリウス・ブラックはマグル12人と魔法使い一人を吹き飛ばし、アズカバンに抵抗なく収容された…………何故?

 

 

 どうにも腑に落ちないところがいくつかある。一番わかりやすいのは最後だ。

 ポッター夫妻を裏切ったところまでなら、当時の闇の帝王の強大さを鑑みれば頷ける。けれど、もし彼が裏切り者なのだとしたら13人もの人命を奪う意図とは何だったのだろうか。単なる狂気? ダンブルドアの膝下で親友を裏切るという冷徹な手腕を見せた人間が?

 

 確かに僕の伯母のベラトリックスも、闇の帝王が消えた後にロングボトム夫妻を拷問するという犯罪を起こしている。しかし、それは主人の跡を追うためだったはずだ。忠誠心が高く、頭も良い死喰い人が単なる自爆テロを起こした理由は窺えない。

 

 では彼の忠誠心が高くなければどうだろう。つまり……脅されて仕方なく闇の帝王に従っていた場合。その場合もやはり理解できない。嫌な言い方だが、2人を間接的に死なせるより13人爆殺するほうが遥かに罪は重くなる。それなのに彼は現場から逃げなかった。アズカバンに入る度胸はあるのに、他に恐れることがあったのだろうか?

 

 

 疑問点は他にもある。闇の帝王は本当にジェームズ・ポッターを襲うことが主目的だったのか、というところだ。それを考える手がかりは、「秘密の部屋」の説明でハリーが口にしていた、リリー・ポッターがハリーにかけた「愛の護り」にあった。

 

 愛の護りはそう簡単に成功する魔法ではない。

 こんな言い方はしたくないが、リリー・ポッターですら知ることのできる呪文でヴォルデモート卿が簡単に倒せるなら、とっくの昔に殺人犯はこの世からいなくなっている。

 あれは断頭台に並んでいる2人の内の片方が、自分の順番を先にするよう処刑人に懇願する程度で発動する訳ではないのだ。

 必要なのは平等な生命の交換。「その場では死ぬ運命にない」ものが「死の運命にある」ものを「守るために」自らの命を捧げ、ようやく必要な代償を払うことができる。  

 

 つまり、あの夜リリー・ポッターはハリーを守ろうとしなければ死ぬ運命になかった。

 

 これは闇の帝王の襲来という観点から見れば明らかに異常だ。彼は理由がなくても人を殺すことを躊躇わない。あの場にいた自分の敵対者を全員殺さないのは不自然だ。

 

 それでは、闇の帝王は何故、リリー・ポッターを殺さない運命にあったのか。

 リリー・ポッターが極めて強い魔女だった……という可能性もなくはない。けれど、彼の強大さの前にその線は限りなく薄く見える。しかも抵抗により戦闘が発生すれば、彼女の死の確率は跳ね上がる。それでは呪文は失敗してしまう。

 

 であれば、それ以外の人間────例えば、アルバス・ダンブルドアが闇の帝王の攻撃に対してリリー・ポッターに守護を施していたのだろうか?

 これはジェームズ・ポッターが無為に殺されたであろう観点から考えにくい。しかもその守護がハリーにまで個別に及んでいたら、「護り」は発動しないのだ。ダンブルドアが講じていた守護の最たるものは「忠誠の呪文」という場所に掛かるものだったと考えてしまって良いのではないだろうか。

 

 後は闇の帝王自身がリリー・ポッターを殺せるが、なんらかの理由でそのつもりがなかった、という線だけになる。これもまた彼の残虐性を知る人間にとっては信じ難い話だ。けれど、可能性が低くても最も「護り」を発動する条件を満たすものだった。

 

 この仮説に立てば、闇の帝王の狙いはリリー・ポッターではなかったことになる。では、ジェームズ・ポッターとハリー・ポッターのどちらがその目的だったのか。

 これは確たる根拠のあることは言えない。ジェームズが先だったのは単に位置の問題で、両方殺すつもりだった可能性もある。

 しかし、わざわざ「死の運命にない」ものを手に掛けてまで、ただの赤子であるハリーを狙ったのは何故なのか。それを考慮するならやはりハリー・ポッターこそが闇の帝王の標的だったと考えるのが妥当だ。

 

 しかし、何故? 確かにハリーは運動神経に長け、呪文の才能もある。このまま成長すれば立派な魔法使いになるだろう。でも、そんな人間はこの魔法界に山ほどいるのだ。ハリーだけが狙われた原因とは絶対にそんなものではない。

 

 シリウス・ブラックをアルバス・ダンブルドアの元にいながら裏切らせた理由は、この異常な執着にあるのではないか? 

 しかし、それが分かったからといって、シリウス・ブラックの爆殺事件の不可解さが消えるわけでもないのが、何とも悩ましいところだった。

 

 今考えられるのはここまでだ。あとは座して次の事件を待つしかない。

 

 

 そうしてホグワーツに帰った途端、僕は休暇中に起きていた出来事を憤然としたハリーとロンから伝えられた。

 

 朝食の席でスリザリンのテーブルにやって来た二人によると、ハリーに差出人不明でファイアボルトが贈られ、それをハーマイオニーがマクゴナガル教授に密告し、呪いがかかっていないか確認するため没収されたらしい。

 

 明らかに憤慨する二人を前に、それでも僕は言った。

 「僕もシリウス・ブラックから贈られたものだと思う。……でも、絶対こうなるって読めるはずなのに何でファイアボルトなんかにしたんだろう?」 

 

 ファイアボルト。最新鋭の世界最速の箒。これは……メチャクチャ高価だ。父だって僕が強請らなければ自分から買おうとはしないだろう。呪いとして贈るにしたって、コストパフォーマンスというものがあるだろうと思ってしまうほどだ。

 そんなものをヒョイと買える財産を持つ人間など、魔法界では限られている。しかもメッセージなし。ハリーに取り入りたい訳でもないということだ。

 贈り主はブラック家の財産を全て継いだシリウス・ブラック以外に考えられるだろうか? グリンゴッツを経由してなら、機密を保持してハリーにファイアボルトを贈ることも不可能ではないだろう。しかし、そんな危険な真似をしてまで、この手段を取る意味が分からない。

 

 しかもこの贈り主はハリーが箒を失ったことを知っている。つまり、シリウス・ブラックはまだホグワーツにいる可能性が極めて高い。

 

 ハリーを殺せそうな位置にずっといると考えられる人間が、全く理に適っていない行動を取り、明らかに遠回りな方法でハリーを害そうとしている。

 正直あまりにも意味不明すぎて、僕は混乱してしまっていた。

 

 僕の内心をよそに、ハリーとロンは明らかに不機嫌な顔になる。これだからクィディッチ狂は…………。

 

 慌てて二人を宥める。

 「いや、ハーマイオニーが告げ口しなくても遅かれ早かれマクゴナガル教授の耳に入っていたと思うよ?

 グリフィンドールのクィディッチチームを一番気にかけてるのはマクゴナガル教授なんだから。万が一ちょっと乗ってみて何も起きなかったとしても、絶対に理由を付けて呪いの検査を受けさせられていたんじゃないかな」

 予想はしていたが二人ともそんな正論では納得してくれない。特にロンは今年度の頭からハーマイオニーが飼っている猫のクルックシャンクスがスキャバーズを襲うのでずっとピリピリしていたのだ。ハーマイオニーも結構意固地なところがあって謝らないから、二人の仲はだいぶ悪くなっていた。

 

 内心ため息を吐きながら二人に言う。

 「キャプテンのフリントにスリザリンとグリフィンドールの練習が被っていないときはニンバス2001を貸してもいいか聞いてみるよ。僕らのチームとしても君らが次レイブンクローに勝ってくれたらありがたいわけだし」

 ようやく二人は苛立ちをある程度抑え、納得してくれたようだった。まあ、僕はフリントがそれを許可するとは全く思っていなかったが、二人の気持ちが落ち着きさえすれば良い。

 僕はどうしても、クィディッチなどという危険競技に対する情熱に共感することができなかったのだ。

 

 

 そして、やはりフリントが許可を出すことはなかった。

 ハーマイオニーと二人の関係がマシになることもなく、一月は過ぎて行こうとしていた。

 

 

 

 



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追い詰められた優等生

 

 

 

 一月の下旬の放課後、僕はハグリッドの小屋をまた訪れようとしていた。授業アンケートを作るときに、彼が生徒に聞きたいことも盛り込みたかったのだ。以前のように一方的な監視の目的だけでなく、教師側にとっても益のある形にしたいと思ってのことだった。

 

 森の方へ向かうため校庭に出たとき、僕は自分の前にハーマイオニーがいることに気付いた。彼女もハグリッドの小屋へ向かっているようだ。

 休暇が終わってから、僕はハーマイオニーと殆ど話をしていなかった。彼女はとても勉強で忙しそうだったし、僕のところに来ることもなかったからである。僕がロンとハリーとクィディッチの話をしているところを見て、ファイアボルトが没収されたことに腹を立てていると思ったのかもしれない。

 兎に角、精神的に張り詰めた彼女を放っておいている状態は僕にとっても気がかりなことだった。これは気掛かりを解消するにはいい機会のように思えた。

 

 追いつくように走り、声をかける。

 「ハーマイオニー、君もハグリッドのところに行くの? 良かったら一緒に行かない?」

 振り向いたハーマイオニーは明らかにやつれていた。目の下のクマは濃いし、髪もいつも以上にボサボサだ。背負っている鞄は見るからに重そうで、そのために前傾になってさらに肩を落とした印象になっていた。

 「私────私、いや、いいわ。一緒に行きましょう」

 なんだか断りたいような雰囲気を醸し出していたが、それを拾い上げることなく僕は彼女の隣に並んだ。彼女はそのまま話を続ける。

 「私、ハグリッドのところに授業で扱う動物の意見を持って行ってるの────去年、あなたにお願いしちゃったでしょう? そのまま投げっぱなしは悪いもの」

 おお、流石ハーマイオニー。正直三人組はアレの存在を完全に頭から消していたと思っていた。責任感の強い彼女は覚えていて、自分なりに手伝いを続けていたらしい。

 

 彼女の心遣いの嬉しさと、そんな彼女を放置していた罪悪感が心に湧いてきた。

 「ありがとう! ハグリッドも嬉しかったんじゃないかな。僕も安全管理マニュアル以外にも何かできないかと思ってたんだ。今は授業アンケートをどう作ろうかと思ってたんだけど────」

 

 そこで僕は話を切った。いや、切らざるを得なかった。

 なんと、僕の言葉を聞いたハーマイオニーがその場でワッと泣き出したのだ。あまりにも唐突な出来事に思わず怯み、僕はその場に立ち止まる。彼女はそれに気付いたかも分からないが、顔を覆って嗚咽を漏らし続けていた。

 彼女がこんなことになっている理由はさっぱり分からない。しかし、僕は何とか冷静に振る舞おうとする。この場面はまずいかもしれない。どう見ても僕が泣かせているようにしか見えないし、実際事実だ。

 

 何とか彼女を宥めすかし、肩に手を添えてハグリッドの小屋に押し込んだ。いきなり飛び込んできた人間に、ハグリッドは目を丸くしてこちらを見やる。

 「何だあ、ノックもせんで……マルフォイ、それにハーマイオニー? お前、ハーマイオニーはどうしたんだ」

 流石の彼も訝しげだ。僕は半ばしどろもどろになって答える。

 「それが、僕にも……校庭で泣かせたまんまにするわけにも行かないから……」

 ハグリッドはキッチンに引っ込んで、サラダボウルのようなティーカップに温かい紅茶を淹れてくれた。それを前にハーマイオニーが落ち着くのを待とうとしたが、その前に彼女が嗚咽混じりに話し始めた。

 

 「私────わ、私、全然上手くできない────授業のことも────あなたは、マクゴナガル先生の特別な課題だってちゃんとやって、それで魔法薬学だって、防衛術だって、い、良い成績を取れてるのに────

 ハグリッドのことも────私は、何を教えたら良いかくらいしか、か、考えられないのに────あなたは、い、色んな子どもにできそうにないことをひ、一人でやって────

 ファイアボルトのこ、ことだって────あなたはロンとハリーに、ち、忠告しても目の敵になんて、されないわ────

 わ、私はクィディッチもやってないのに────ま、マクゴナガル先生にせ、折角────期待を──期待を、かけて貰って────」

 そこで彼女は再び顔を覆い、ワッと泣き出す。

 僕はただ慄くことしかできなかった。

 

 ハーマイオニーが明らかに重複した授業をとっているのには気付いていた。それを可能にするのが逆転時計だけであるということも。しかし、まさかそんなに負担がかかって、厳格に扱うことが求められるものを、たかが子どもの授業に貸し出すわけがないとも思っていた。

 どうやら僕の読みは甘かったようだ。ハーマイオニーは明らかに許容範囲を超過して時間遡行を行なっている。彼女は憔悴しすぎだ。

 しかし、僕が「君には限界だからやめた方がいいよ」なんてここで言ってもハーマイオニーを止められないというのも目に見えていた。傲慢な言い方になるが、彼女は今僕のようになれないと泣いているのだから。

 だから、別のアプローチで仕掛けるしかない。僕は彼女の座っている椅子の背もたれに手をかけ、ゆっくり話しかける。

 

 「……僕も、結構限界だったよ。ね、ハグリッド?」

 ハグリッドに視線をやり、同意を促す。彼も気付き、大きく頷いた。

 「おお、そうとも。クリスマス前だったかな。ハーマイオニー、今お前さんが座ってる席でマルフォイも泣いちょったわ」

 そこまで言えとは言っていない。恥ずかしすぎるだろう。

 

 しかし、その事実はハーマイオニーの悲嘆を一時忘れさせるには十分だったようだ。彼女は顔を上げ目を丸くする。

 「────あ、あなたもなの?」

 自分の顔が赤くなっているのを感じるが、頷いて言う。

 「気にかけないといけないことが沢山あって、一杯一杯になったんだ。ハグリッドが慰めてくれて、休暇もあったから何とか今取り繕えているけど。君はハリーのために帰らなかったんだろ? 大変だったね」

 その言葉を聞き、再びハーマイオニーの瞳に涙が溜まる。しかし、僕はそのまま話を続けた。

 「勉強が大変だったら、補えるとこは補いあえば良いよ。君は僕より呪文学も薬草学もしっかり勉強してるんだから……ねっハグリッド」

 僕はもう捨て鉢になってきていた。どう慰めるべきかの正解が分からない。そこで、自分も癒されたハグリッドの人に寄り添う力に縋ることにしたのだ。

 「そうだとも。ハーマイオニー、お前さんは俺なんかのために、今も頑張ろうとしてるんだろう? 優しい子だ。

 ロンとハリーはちいっとクィディッチに夢中になり過ぎてるが、頭が冷えりゃあ、お前さんがハリーのことを思ってしてたんだってことくらい分かるさ。

 マクゴナガル先生だって、頑張ってるお前さんに期待外れなんて言いなさるわけがねえ。心配せんでも、案外どうにかなるもんだ」

 流石ハグリッドだ。彼のこの安定感は一体どこから来るのだろうか。体の大きさ?

 ハーマイオニーはそれで再び腕に顔を埋めてしまったが、さっきのような悲痛な泣き方ではない。ハグリッドはその巨大な手をハーマイオニーの肩に置き、力加減を間違えないよう優しくさすっていた。

 

 しばらくして、落ち着いたハーマイオニーと紅茶を飲み、僕らはハグリッドに連れられて城に戻ることになった。その途中、ハーマイオニーが僕におずおずと切り出す。

 「……ねえ、さっき言ってたこと────勉強の教え合い、してくれる? 私、最近授業が頭に入ってこないことがあるのよ……」

 正直、本当にやるつもりはなかった、と言うより、そのつもりで言ったわけではなかった。てっきり彼女は同じ寮の上級生なんかに頼るかと思っていたのだ。しかし、この状況で嫌ですなんて言えるほど、僕の心臓は冷たくも強くない。

 最終的に週に一度ほど、誰かに見つからないようにハグリッドの小屋に集まって勉強や、ハグリッドの授業の改善会議をすることになった。

 ハグリッドは本当に心が広い。僕はこの2ヶ月ほどですっかり彼のことが好きになっていた。相変わらず危険人物ではあるのだが、そこは僕に何とかできる部分だ……と信じたい。少なくとも、彼の信頼を得ていた方がその危険性を抑え込めるのもまた事実だ。

 

 

 二月に入り、ファイアボルトが返却された。これで三人組の仲が元通りになる……と、思いきや、その日の夜にスキャバーズがクルックシャンクスに食べられてしまったらしい。正確にはスキャバーズが血痕を残して消え、そこにオレンジ色の毛が落ちていた、ということだ。ハリーはともかくロンは怒り狂っているし、ハーマイオニーはロンの前では頑ななままだった。けれど、彼女はハグリッドと僕の前ではすっかり落ち込み切ってしまっていた。

 

 一方、僕は返却されたファイアボルトのことで頭がいっぱいになっていた。

 もちろんその箒がクィディッチにとってどれだけ素晴らしいか、とかそんな話ではない。

 なんとファイアボルトには呪いが一切かかっていなかったのである。僕は絶対にハリーを害するためにブラックが贈ったものだと予想していたので、これにはいよいよ参ってしまった。状況は明らかにブラックが贈り主だと告げているのに、ブラックはハリーを害そうともしない。自分が贈り主だと伝えてもいないから彼のメリットは本当に皆無だ。

 

 ブラックは本当にハリーを殺したいのか? むしろハリーが喜ぶところを見たがっているようにすら思えてくる…………この二年の事件と比較して、あまりにも敵対的ではないブラックの行動に、僕は敵意を保ち続けるのが難しくなってきていた。

 

 だから、ブラックのことを最初に知った時のことを思い出した。裁判なしで、冤罪の可能性はなかったのか、と。彼がポッター夫妻の「秘密の守人」だったことは、普通に考えるなら秘されていただろう。だから、本当は別の人間がやっていて、そっちが裏切っていた可能性はゼロではない。しかし、じゃあ彼は何故抵抗もせずアズカバンに引っ張っていかれたんだ? 何故今になって脱獄し、ハリーの元にやって来たんだ?

 

 しかし、以前と同様、考えたところで見当がつくわけでもない。だから、次の事件を待とう。そう思った直後、それはやって来た。

 クィディッチのグリフィンドール対レイブンクロー戦の夜、シリウス・ブラックはネビル・ロングボトムの落とした合言葉のメモを拾い、グリフィンドール寮への侵入に成功した。

 

 しかし、またしても彼は誰も傷つけなかった。明らかにロンは殺せたはずなのに。

 

 いよいよ、ブラックの冤罪説を真剣に考えるべき時が来たようだと、僕は思ったのだった。

 

 

 

 



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ルーピン教授の感謝

 

 

 

 シリウス・ブラック冤罪説は、状況証拠だけ見ればかなり考える価値がある。しかし、それではブラックが一体何をしにホグワーツまでやって来たのかが分からなくなる。

 この謎を解く手がかりを持っていそうな人に、僕は一人だけ心当たりがあった。リーマス・ルーピン教授だ。

 

 スネイプ教授がシリウス・ブラックとの内通を疑う程、彼らは在学中は親しかったのだから、「秘密の守人」が別の人間だった可能性を考えるには今一番情報を持っている人だろう。更に、シリウス・ブラックが冤罪だったとしたら、いったい何が狙いでこんな真似をしているのかも想像できる可能性がある。

 もちろん、スネイプ教授自身も事情に通じているかもしれないが、彼にブラックは冤罪なのでは? なんて言った日には、いよいよ僕は殺されかねない。

 だから、僕はルーピン教授と話をする機会を待っていた。

 そして、その機は向こうからやってきたのである。

 

 ブラックのグリフィンドール寮襲撃から数日経ったある日、僕は放課後にルーピン教授の元に来てほしいというメモを受け取った。手渡してくれたのは変身術の授業後のマクゴナガル教授だ。

 相変わらず彼女に伝書梟のような真似をさせてしまっている。平身低頭で謝る僕に、マクゴナガル教授は首を振った。

 「いいえ、私がルーピン先生にあなたの話をしたのです。スネイプ先生はあなたとルーピン先生が仲良くしているのをお喜びにならないでしょうから、お得意の目眩し呪文をかけて行くのをお勧めします」

 それを分かっていて、何故僕を呼ぶんだろう。理由を尋ねたかったが、「ここですべき話ではない」と言われてしまった。ルーピン教授が人に聞かれたくない話など一つぐらいしか思い浮かばない。そのことを僕が知っているのが不安なのかも知れない。なんにせよ、彼と話ができるのは僕としても待ち望んでいたことだった。

 

 放課後、ルーピン教授の研究室には無事に辿りつくことができた。扉のそばに誰も立っていないことを確認し、そろそろとノックをする。中から優しげな「入ってくれ」という声が聞こえたので、遠慮なく扉を開け、部屋に足を踏み入れた。

 去年のロックハートは自分の写真や絵ばかり飾っていて、一体なんの部屋だという様相だった室内は、実践用の怪物の水槽や本でいっぱいだった。「闇の魔術に対する防衛術」の研究室らしい、良い雰囲気の部屋だ。急いでドアを閉め、呪文を解く。ルーピン教授は突然現れても驚くことなく、微笑んでこちらを見ていた。

 「失礼な真似をして申し訳ありません」

 「いや、いいんだ。君がそういうことをしなくてはならなくなったのは、どうやら私のせいらしいからね」

 「いや、僕がスネイプ教授を挑発してしまったのが悪いので。お気になさらず」

 そこで一度会話が途切れる。ルーピン教授は手を口元に当て、何か言い淀んでいる。僕を呼んだのに、今何を話すか整理しているようだった。それでも何か伝えたいことは分かる。僕は彼が口を開くのをただ待った。

 

 「私はマクゴナガル先生に君のことを聞いて……正直に言うと驚いたよ。この学校に赴任する前は、最も私の正体を知られてはいけないのは、間違いなくスリザリン生だろうと思っていたからね」

 そう考える気持ちは分かるし、今だって上級生はそうだ。生まれを重視する純血主義は、半人間を好まない。その上、元々純血の魔法使いだったとしても人狼はその危険性から半人間の下に置かれる。僕は頷いた。

 「そのお考えは間違っていないと思います」

 「でも、君はそうじゃなかったね。マルフォイ家の君は」

 大人にこう面と向かって、マルフォイ家っぽくないね、と言われたのは初めてな気がする。流石に少しだけ眉を顰めると、ルーピン教授は申し訳なさそうに笑い、話を続ける。

 「君のお父上は私が入学したときスリザリンの監督生だったんだ。当時から私はこの体質だったが、彼は絶対に私の存在を認めないだろうと、学年が離れていても確信できるほどだった」

 「……想像できます」

 父がどれだけ亜人に不寛容なのかは僕も身に染みて知っている。当時のルーピン教授の肩身の狭さを思うと悲しくなった。

 

 ルーピン教授は浮かべていた笑みを少しだけ消し、僕をじっと見た。

 「だから、気になったんだ。君は何故、私を庇うのかな? この危険人物の私を」

 

 「それは違います」

 思わず反射的に反論してしまった。スネイプ教授のときにもう考えなしで話をするのは止めようと決意したのに。僕は自分のペースにない会話に本当に弱い。

 話すのを止め、僕を見つめる教授に慌てて言葉を紡ぐ。

 「ルーピン教授は今危険ではありません。……薬を飲んでいらっしゃるのですから。もし、薬が無くても、あなた自身が危険人物だという言い方は……僕は好みません。それは望まぬ疾病のためであって、あなたの本質という訳ではないと、思います」

 

 僕の言葉を聞き、ルーピン教授は目を瞑り、椅子に深くもたれ掛かった。大きく息を吐いた後、彼は答える。

 「失礼を承知で言うけれど、君のような人間がスリザリンの純血一族から生まれたという事実が本当に奇跡のように感じる。

 名家でなくても魔法使いの家系であれば、人狼の恐ろしさは教え込まれて育つだろうし、スリザリンなら尚更だろう」

 

 この人は、恐らく自分の病気が他の誰かに露見しないようにするため、サンプルを集めたいだけなのだろう。

 しかし、それ故に今まで出会った誰よりも、僕の前世の存在に肉薄していた。僕自身意識していなかったが、人狼に対して差別意識を持たない姿勢というのは、どうやらとても目立つらしい。まさか真相のところまで辿り着くとは僕も考えていないが、これ以上ルーピン教授に妙だと思われる真似もしたくない。

 

 目的が見えない会話であるが故に、墓穴を掘りまくっている気すらしてくる。適当に怪しまれなさそうなことを言って、この話題は切り上げてしまいたかった。

 

 「それでも……今は奇跡のようでも、これからはそうではないと思います。

 脱狼薬がある、というのも勿論あります。しかし、それだけではない。

 貴方がこの一年で教えた子供たちが、いつか貴方が人狼であると公表し、自分たちの立場を変えようとするとき、きっと貴方の力になる。

 ダンブルドアはそうお考えになって貴方を防衛術の教師になさったのだと、思われませんか」

 

 それでも僕の口は勝手にルーピン教授を励ますために動いてしまう。彼は言葉を聞いて、やはり目を瞑り、何か考え込んでいるようだった。

 

 「……スネイプ先生については悪かったね。いきなりとても怒られて驚いただろう」

 その話の方向転換はとても有り難かった。早速食いつき、僕の本来の目的の方へ話題を進めようとする。

 「いえ……ルーピン教授は昔はシリウス・ブラックと親しくされていたんですよね。ブラックと、ハリーのお父上、そして貴方の三人で」

 ルーピン教授は昔を懐かしむように微笑み、頷く。

 「ああ。もう一人、ピーター・ペティグリューという子がいてね。僕らは四人で本当に色々なことをしたものだよ」

 

 ピーター・ペティグリュー。意外な、しかし僕が取り落としてきた人物の名前だった。シリウス・ブラックが殺した十三人の一人。犠牲者の中で唯一の魔法使いだ。

 心臓が早鐘を打つ。もし、ペティグリューが本当は「秘密の守人」だったとしたら? ペティグリューが亡くなっていなかったとしたら?────

 

 恐る恐るルーピン教授の顔色を窺うが、今は機嫌が良さそうだ(というか、彼が怒ったところを僕は見たことがない)。これはチャンスだった。

 

 「……お気に障ったらごめんなさい。ルーピン教授は、シリウス・ブラックが絶対にポッター夫妻の「秘密の守人」だったと確信していらっしゃいますか?」

 「……それは、どういうことかな」

 ルーピン教授があからさまに訝しげな顔を向ける。しかし、怒っている様子ではない。まだ突っ込んで聞いても大丈夫だろう。

 「この半年ほどの間、ブラックは目撃者を大量に出しながら、それでもハリーをすぐにでも殺せそうなところに忍び込み続けていました。しかし、彼は何もしなかった。本当に彼はハリーを殺したり傷つけたりしたいのか、確信が持てなくなるほどに。

 だから、もし、ブラックが「秘密の守人」ではなく、他の人間がそうだったのなら。例えば殺されたピーター・ペティグリューがそうだったのなら。

 友人を裏切ったペティグリューを手にかけ、満足したシリウス・ブラックは自らの冤罪を証明しようともしないまま、アズカバンへ送られた────そんな推理も出来てしまうのではないですか?」

 

 ルーピン教授は話の途中から瞬きもせずに僕を見ていた。彼は考えながら、絞り出すようにして言葉を紡ぐ。

 「────確かに、君の推理はかつて私が知っていたシリウス・ブラックの人柄と一致する。ある一点を除いて。

 もし、本当に私の知るシリウスなら、罪のないマグルを十二人も殺したりはしない」

 「では、それはブラックの手によるものではなかったとしたら? ピーター・ペティグリューがブラックに追い詰められ、自爆したんだとしたら、ルーピン教授にとって腑に落ちる話になりますか?」

 

 沈黙が落ちる。彼は記憶の中の友人の姿を必死で思い返しているようだった。

 「いや、ピーターは自死が出来るようなタイプではなかった。むしろその場から逃げるような────」

 そこで、ルーピン教授は唐突に愕然として言葉を切った。再び会話が途切れた。痺れを切らした僕は恐る恐る尋ねる。

 「何か、お心当たりがあるんですか? ピーター・ペティグリューが逃走するやり方に」

 ルーピン教授はしばらく沈黙し、答えたときには明らかに何か取り繕った様子だった。

 「いや、色々考えられるが、どれもあり得そうにない。しかし、君の意見は確かに考えさせられるところがあったよ」

 彼は話を終わらせようとしていた。椅子から立ち上がり、僕の方へいつもの微笑みで近づいて来る。そして、右手を僕の方に差し出した。僕もそれを受け入れ握手をする。

 

 最後の話の終わらせ方はどう見ても何か隠している様子だったが、僕はルーピン教授自身を怪しむことはなかった。彼は僕の手を握りながら、心から嬉しそうに言った。

 

 「今日は来てくれてありがとう。君と話が出来て、本当に良かった」

 

 

 

 



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第四十三話 疑わしい月

 

 

 その週の土曜、恒例のホグズミード行きの日がやって来た。

 

 僕は今度こそホグズミードに行く気はなかった。ハリーを一人で学校に残しているのがずっと気がかりだったし、彼がどのくらい守護霊の呪文を扱えるようになったのかも見ておきたい。なにより、いつも一緒にホグズミードを回っているクラッブとゴイルが、ここ最近忙しくて疲れていた僕を心配してくれている。このタイミングなら、学校に残っても怪しまれることはないだろう。

 そのことは、金曜日の放課後にハグリッドの小屋で会ったハーマイオニーにも話していた。なんの気なしの世間話だったのだが、話を聞いた彼女はたちまち何か思い詰めたような顔になった。

 「……四階の大階段を登ったところに、隻眼の魔女の像があるのは知ってる? そこで明日、みんながホグズミードから帰って来る少し前くらいに待ってて欲しいの。

 何も聞かないで。言えないの。でも、あなたなら何が起こったのか分かると思う」

 

 唐突なお願いに面食らってしまう。内容が妙に曖昧で意味深すぎる。パンジーなんかに言われていたら、イタズラを疑って行かないところだ。しかし、ハーマイオニーがそんな真似するはずないし、何か理由があるのだろう。そう思って僕は彼女の言葉に従うことにした。

 

 土曜日の朝、僕はハーマイオニーに言われた時間まではハリーと一緒にいようと考えた。朝食が終わった後、玄関ホールからロンと別れ寮に戻るハリーを追いかける。しかし、彼はよっぽど急いで談話室に戻ったのか、僕が追いつく前にさっさと上階に上がっていってしまった。

 考えてみれば、ホグズミード行きがあろうとハリーの知り合いの下級生は寮にいるのだ。僕のやっていることは完全なお節介だったかも知れない。周囲を軽く見て回ったが見つからず、三階でなぜかスネイプ教授に見咎められたところで、諦めて地下のスリザリン寮に帰ることにした。最近、と言ってもあの口論からもう二ヶ月以上になるが、教授の僕を見張る視線は厳しい。

 

 その日の午前は溜まっていた宿題や事務処理のたぐいを終わらせることに費やした。そろそろハーマイオニーの言う「みんながホグズミードから帰って来る少し前」と言えそうな時間だ。改めて考えてみると漠然としているし、範囲が広すぎる。けれど約束してしまったものは仕方ない。長い時間待つのも覚悟して、暇つぶしに魔法薬学の書きかけのレポートと携帯式の羽根ペンを持っていくことにする。スネイプ教授に出くわさないことを祈りつつ、四階の像の前に向かった。

 その場について、近くにあったベンチに腰を下ろす。ここからなら像の辺りも見えるし、レポートも書ける。丁度いい場所だ。僕は集中しすぎないよう意識しながら、課題の続きに取り組み始めた。

 

 しばらくして、何かが視界の端に映ったような気がして顔を上げる。そこにはいつの間にやって来たのか、息を切らしたハリーがつっ立っていた。僕の方を見てずいぶん驚いた顔をしている。まあ、こんな変なところで宿題やってる奴がいたらビビるわな。そう思いながら僕はハリーに声をかけた。

 「こんにちは、ハリー。今日は談話室にいたの?」

 「ドラコ、どうしてここに?」

 僕の言葉を聞いて彼は肩を跳ねさせる。なんだ? いくらなんでも驚きすぎだろう。しかも、よく見れば彼の足元は土で汚れている。明らかに様子がおかしい。わけを尋ねようとしたが、その前に会話は後ろから遮られた。

 

 「ポッター! マルフォイ! ここで何をしている」

 これまたいつの間にやってきたのか、スネイプ教授がハリーの後ろに立っていた。僕とハリーが喋っているところを見てしまった以上、さぞご機嫌麗しくないだろうと覚悟したが、彼はなんだか上機嫌だ。一方のハリーはさっきの慌てっぷりは消え、何かしらを切るような雰囲気を醸し出している。

 僕の知らないところで何かが起こっている。それは分かるのだが、状況が全く理解できない。

 廊下で話していただけの僕らを、なぜか、スネイプ教授は彼の研究室まで連行し、なぜか、ハリーはそうなることを予期していたらしかった。何かやらかしたのか? 今更去年の膨れ薬事件の真相が露呈したとかではないと祈りたい。

 

 研究室につくと僕らは椅子に座らされ、尋問の構えになった。僕は今スネイプ教授の気に触ることを一切したくないからともかく、ハリーは何故ここまで従順なんだろう。諦めているという雰囲気でもないが、逃げられるとも思っていないようだ。

 

 しかし、その答えはすぐに分かった。スネイプ教授がハリーに対し、ねっとりとした口調で語り出す。

 「ポッター、スリザリンのとある上級生がたったいま、我輩に奇妙な話をしてくれた。その話によれば、ホグズミードで『叫びの屋敷』まで歩いていたところ、ウィーズリーに出会ったそうだ。──一人でいたらしい。

 彼によれば、ウィーズリーは一人で宙に向かって喋っていたと。まるでそこに誰かがいたように。ポッター、君の名前を呼びながら」

 「えっ」

 僕は思わず声を出し、勢いよく横のハリーを見た。ハリーは僕の方を見ることなく、スネイプ教授に対し、その上級生はマダム・ポンフリーのところに行った方がいいと嘯いている。それは無理がある。ロンが幻覚を見ている、の方がスネイプ教授を説得するには都合が良いだろう。

 

 しかし、ああ、なるほど。そういうことか。ハーマイオニーはハリーが城を抜け出し、ホグズミードから帰ってくるときにどこを通るのか知っていて、注意してくれることを期待してその場に僕を置いておいた。そういうことだろう。

 でも、ハリーを告発し切ってしまうとまずい────手段かな。それが僕に知られるといよいよハリーかハーマイオニーはまずい立場に立たされることになる。だから、僕が偶然、彼らのやっていることの一部を知り、それを諌めるようになるのが最善だと考えたのだろう。

 非常に紛らわしい迂遠な手法だが、今、彼女はロンととても仲が拗れてしまっている。そこでハリーを「ドラゴン」の前科がある僕に完全に売るような真似はできなかった。そんなところだろう。

 

 僕をよそに、スネイプ教授とハリーのやりとりはどんどんヒートアップして行く。スネイプ教授はハリーを挑発してボロを出させようとしているし、ハリーはそれに対し頑なに抵抗している。

 どうやら今回の件に僕は本当に無関係なようだし、もう寮に帰りたいのだが。いつもだったらスネイプ教授を制止する場面だが、流石にブラックの襲撃から一週間しか経っていない状況で、城の外をフラフラしていました、というハリーを擁護するのは難しい。

 

 スネイプ教授の挑発は、ついにハリーのお父上の話にまで及んだ。彼はネチネチと執拗にジェームズ・ポッターを侮辱する。相変わらずやり方が汚い。親を知ることができずに育った子どもによくそんな酷いことが言えるものだ。呆れの視線を向ける僕は完全に視界の外のようで、スネイプ教授の鼻先はハリーの方だけを向いている。

 

 「君の父親も規則を歯牙にもかけなかった。規則なぞ、つまらん輩のもので、クィディッチ杯の優勝者のものではないと。はなはだしい思い上がりの……」

 「黙れ!」

 

 遂にハリーがキレた。この恐ろしすぎる状況に、心の底からこの場から逃がしてほしいと願う。頼むから僕がいないところでやって欲しい。しかし、ハリーは止まらない。

 「我輩に向かって、なんと言ったのかね。ポッター?」

 「黙れって言ったんだ、父さんのことで。

 僕は本当のことを知ってるんだ。いいですか? 父さんはあなたの命を救ったんだ! ダンブルドアが教えてくれた! 父さんがいなきゃ、あなたはここにこうしていることさえできなかったんだ!」

 突然飛び出してきた名前に思わず瞼を閉じてしまった。おお、ダンブルドア。何故そんなことをハリーに吹き込んだのですか。それがハリーにとって心の支えになるだろうとお思いになったのですか。

 確かにその方向の励ましは、孤児を慰めるのには間違ってないかもしれない。しかし、今のスネイプ教授の血の気の引ききった憤怒の表情の前では、その心配りを感謝する気にはなれなかった。

 怒りが一周回って冷えた囁き声でスネイプ教授は言葉を続けた。

 「それで、校長は、君の父親がどういう状況で我輩の命を救ったのかも教えてくれたのかね? それとも、校長は、詳細なる話が、大切なポッターの繊細なお耳にはあまりに不快だと思し召したかな?」

 話の雲行きが怪しくなってきた。スネイプ教授はハリーが本当の事情を知らないと踏んだのか、歪んだ笑みを浮かべ反論し始めた。

 「君が間違った父親像を抱いたままこの場を立ち去ると思うと、ポッター、虫唾が走る。我輩が許さん。

 輝かしい英雄的行為でも想像していたのかね?ならばご訂正申し上げよう。──君の聖人君子の父上は、友人と一緒に我輩に大いに楽しい悪戯を仕掛けてくださった。それが我輩を死に至らしめるようなものだったが、君の父親が土壇場で弱気になった。君の父親の行為のどこが勇敢なものか。我輩の命を救うと同時に、自分の命運も救ったわけだ。あの悪戯が成功していたら、あいつはホグワーツを追放されていたはずだ」

 ハリーの顔に怯みが広がる。スネイプ教授は彼の瞳を確認するように覗き込んだ。

 僕は益々ダンブルドアを恨んだ。校長はスネイプ教授が納得するような形ではなく、一部を切り取り、ハリーに都合が良いように事を教えたのだろう。そんなの今の彼のためにだってなってないじゃないか。中途半端に事実を教えると、手痛いしっぺ返しを喰らうのはハリーなのだ。

 

 突然、スネイプ教授が吐き捨てるように声を上げた。

 「ポケットを引っくり返したまえ、ポッター!マルフォイ、お前も持っているものを出せ。今すぐにだ!」

 隣にいたハリーが固まった。どう考えても何かまずいものを持っていたようにしか見えないが、流石にここから庇う手段はない。僕は彼をよそに、大人しく手に持っていたレポートの束とポケットに入っていた携帯羽根ペンを机の上に出した。

 スネイプ教授がまるで闇の代物かと言わんばかりにそれを検分しているのを前に、ハリーはノロノロとポケットからゾンコの店の悪戯グッズの買物袋と、余った羊皮紙のようなものを取り出す。以前ロンにもらったのをずっと持っていたと嘯いているが、いよいよハリーがホグズミードに行っていたことは確定的だ。可哀想だが、ここはお叱りを受けてもらうしかないだろう。

 案の定スネイプ教授は羊皮紙の切れ端に目を付け、それを暖炉に投げ捨てようとする。ハリーはそれを止めようと声を上げるが、何かあると言ってしまっているも同義だった。

 

 スネイプ教授はその羊皮紙が城を抜け出した証拠になるだろうと目をつけ、杖で突きながら正体を暴こうと試行錯誤を始めた。しかし──スネイプ教授の機嫌を損ねたくない僕にとっては最悪なことに──その羊皮紙に現れた文字はスネイプ教授を侮辱し始めたのだった。

 

 羊皮紙にするするとインクが滲み、言葉を綴ってゆく。

 ──私、ミスター・ムーニーからスネイプ教授にご挨拶申し上げる。他人事に対する異常なお節介はお控えくださるよう、切にお願いいたす次第。

 ──私、ミスター・プロングズもミスター・ムーニーに同意し、さらに、申し上げる。スネイプ教授はろくでもない、いやなやつだ。

 ──私、ミスター・パッドフットは、かくも愚かしき者が教授になれたことに、驚きの意を記すものである。

 ──私、ミスター・ワームテールがスネイプ教授にお別れを申し上げ、その薄汚いどろどろ頭を洗うようご忠告申し上げる。

 

 眼前で起きる出来事の、あまりの恐ろしさにハリーですら固く目を瞑っていた。頼むからもう帰らせて欲しい。僕は何度目か分からないほど、心中で強く願った。

 しかし、スネイプ教授は僕らに激昂することはなかった。その代わり、なぜか彼は暖炉からルーピン教授を呼び出し始めた。全く無関係なように思えるが、一体何を考えているんだ?

 暖炉から出てきたルーピン教授はいつものように穏やかな態度だが、今はそれすらもスネイプ教授の怒りに油を注いでいるように感じる。展開に付いて行けていない僕らをよそに、二人の先生はこの羊皮紙について議論──そう呼ぶには少々スネイプ教授は頭に血が上りすぎだが──を始めた。

 

 「この羊皮紙にはまさに『闇の魔術』が詰め込まれている。ルーピン、君の専門分野だと拝察するが。ポッターがどこでこんな物を手に入れたと思うかね?」

 「『闇の魔術』が詰まっている? セブルス、本当にそう思うのかい? 私が見るところ、無理に読もうとする者を侮辱するだけの羊皮紙にすぎないように見えるが。子どもだましだが、けっして危険じゃないだろう?ハリーは悪戯専門店で手に入れたのだと思うよ──」

 「そうかね? 悪戯専門店でこんな物をポッターに売ると、そう言うのかね? むしろ、()()()()()()()()入手した可能性が高いとは思わんのか?」

 制作者? 何故スネイプ教授はそれが重要だと考えているのだろう。そこで、僕は先ほど羊皮紙に浮かんだあまりにも恐ろしい文字列を思い出した。

 ── 私、ミスター・パッドフットは、かくも愚かしき者が教授になれたことに、驚きの意を記すものである──

 これは、スネイプ教授が教師になる前から知っていたものの言葉だ。

 スネイプ教授が、なぜかホグワーツを抜け出す手段だと確信しているらしい羊皮紙。スネイプ教授を以前から知っていた羊皮紙の制作者四人組。スネイプ教授が、それをルーピン教授に問い詰めている。そう、スネイプ教授がブラックを手引きしたのではないかと考えていたルーピン教授に。

 僕の頭の中で、ほとんど答えは導き出されつつあった。そこに、ロンが飛び込んできて──あまりにも良いタイミングすぎる。まるで()()に頼まれたかのようだ──その羊皮紙はハリーに自分があげたのだと庇い始めた。

 

 ルーピン教授はその羊皮紙を回収すると、話を切り上げようとした。

 「ハリー、ロン、ドラコ、一緒においで。吸血鬼のレポートについて話があるんだ。セブルス、失礼するよ」

 数分前なら天の助けだと思っただろう。しかし、僕はそれについて行かなかった。

 「すみません、ルーピン教授、僕、魔法薬学のレポートについてスネイプ教授にお聞きしたいことがあって」

 スネイプ教授を含め全員が僕の意図を図りかねた顔をしている。しかし、スネイプ教授のそばを離れることを優先したのだろう。僕を無理に連れて行こうとせず、ルーピン教授と二人は部屋を出て行った。

 

 

 研究室には僕ら二人だけが残った。スネイプ教授はルーピン教授たちが自分の手元から逃げおおせたことに明らかに激怒している。不快そうな態度をむき出しにしていた。

 「何の用だね、マルフォイ。このレポートについてなら、特に問題はないと言っておくが」

 あの一瞬で中身を検分したのか。早すぎる。ぼんやりとそう思いながら、僕は口が動くままにスネイプ教授に尋ねた。

 「ルーピン教授は、あの羊皮紙の制作者……いえ、ムーニー(Moony)なのですか?」

 彼は言葉を止め、僕をじっと見つめた。居た堪れなくなった僕は言葉を紡ぎ続ける。

 「あなたは、ルーピン教授があの羊皮紙で城を抜け出す方法を知っていて、それを使ってシリウス・ブラックを手引きしたとお考えだったのですね」

 スネイプ教授は返事も頷きもしなかった。しかし、彼が推理を馬鹿にし始めないだけで、僕には十分だった。

 ああ、確かにそれは──怪しすぎる。ハリーが易々と城を抜け出せるのであれば、シリウス・ブラックが城に入ることもまた可能なのかもしれない。しかも、それを証拠がなくてダンブルドアに証明できないのだったら。だとすれば、やっぱり僕の以前の振る舞いは本当に「何も知らない」発言だったことだろう。

 だからと言ってルーピン教授へのあの行動が許されるとは思わない。ダンブルドアもそこまで踏まえた上で行動していると思う。けれど──

 

 「あの、僕──以前のこと、本当にすみませんでした。ハリーが城を抜け出すことも、その方法があるかもしれないことも、考えられていませんでした」

 あまりにも、自分の視野の狭さが情けなくなり、僕はただ項垂れて頭を下げた。

 

 研究室には沈黙が落ちた。ここで彼と話をしたのは一昨年のクリスマス休暇ぶりだ。その時も僕は「何も分かっていない」とスネイプ教授に言われた。以前も今も、やっぱり僕はスネイプ教授のことを全然理解できていない。

 

 スネイプ教授の顔を見れないまま俯いていると、彼が意外なほど落ち着いた声で言葉を発した。

 「……今回、君はポッターと共にホグズミードに行かなかったのかね」

 顔を挙げると、スネイプ教授は僕のレポートを見ていた。流石に魔法薬学のレポートを引っ提げてホグズミードに行く人間はそういないだろう。格好だって明らかにこの二月の寒空の中、外に出るためのものではない。どうやら、スネイプ教授は僕がハリーと一緒に外へ出ていたとは考えていないようだった。

 なんと言ったらいいか分からず、とりあえず「はい」と言っておく。それを聞きスネイプ教授は口の端を上げる。

 「では君は、ポッターらの企みを露ほども知らないのに、我輩にあんな口を利いていたと? 友人の本性も知れず、哀れなことですな」

 性格が悪すぎる。僕がハリーたちの中に入れていないのがそんなに嬉しいのか? それでも、この状況でそれに反論する気にもならない。僕はただ大人しく頷き、「申し訳ありません」と言うしかなかった。

 

 いよいよスネイプ教授は嬉しそうだった。この人、僕のことが嫌いすぎるだろう。あのルーピン教授達の件の後にここまで上機嫌になれるのだから、相当なものである。

 しかし、ここではもう大人しくして無害な人間という顔をしておくのが一番良い気がする。僕は出来るだけ自然に、鍛えてきた閉心術の技能すら活かして「ハリー達から仲間外れにされていたんです。悲しいです」という雰囲気を醸し出した。

 僕としてはスネイプ教授に確かめたかったことを確認できた──返答をもらったわけではないが、態度からしてほとんど当たっていると思っていいだろう──ので、もう解放してもらいたいのだが、ここから出る口実も見当たらない。

 これからどれだけの間いびられるのだろう。あまりにも嫌な予感に、泣きたい気分だった。

 

 しかし、僕の予想は外れた。スネイプ教授は二ヶ月少しの間、彼の機嫌を損ねるのを恐れて質問できなかった範囲について僕から聞き出し、その解説をした後関連する書籍のメモを添えて僕を研究室から解放した。

 

 何が起きたかよく分からない。絶対に酷いことになると思っていた。

 ひょっとして、スネイプ教授は僕を許してくれたのだろうか。たかがハリー達の企みを知らなかっただけで?

 

 今回僕はスネイプ教授の心中を理解できていないことを心底思い知ったのだが、それを踏まえてなお不可解な彼の行動に、改めて僕は「苦手な人」のレッテルを貼ったのだった。

 

 

 



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仲裁

 

 

 

 スネイプ教授の研究室から解放された後、僕はグリフィンドールの三人組とそろそろちゃんと話をしなければならないと考えていた。

 三年生になって直ぐの頃からこのいがみ合いは続いている。このまま放置してどうにかなるとは思えなくなってきたのだ。

 

 僕に対してあんな迂遠な方法を取るしかないほどハーマイオニーは追い詰められているのに、それでもなおロンに謝ることはできていない。今回の発端は一応スキャバーズの死で、咎はハーマイオニーの方にある。普段の彼女ならもう少し冷静な態度で自分の非を認められただろうが、今の彼女にその余裕はないのだ。

 喧嘩した直後ならまだ謝りやすかったかもしれないが、ロンには子どもらしく残酷なところがあるのが事態をややこしくしている。詳しく聞いた訳ではないが、お互いもう引っ込みが付かなくなってきているのだろう。

 

 これ以上静観していても、何かきっかけがないと仲直りできるとは到底思えない。三人組が修復不可能なレベルまで仲違いしてしまうのはどう考えても問題がある。

 かと言って、僕が説得して上手く行くかどうかは五分五分だ。今までにどれだけロンとハーマイオニーに対して信頼を稼いでこれたかに掛かっている。出来るだけ慎重に、二人のどちらにも敵対者だと見做されないように、角を立てないようにやるしかない。

 まあ、それは多分僕の得意とするところだ。なんとかするしかない。そう、一人気合いを入れたのだった。

 

 

 二人のうち、僕が先に相手をすることに決めたのはロンだった。今回ロンは根本的な非こそないものの、彼の態度がハーマイオニーを頑なにしている面が大きい。ここでロンに一歩引いて貰えばハーマイオニーの心的余裕を引き出せる可能性が高いのだ。

 ハリーは一応ロン側に付いていたが、ファイアボルトの件が解決したこともあって二人の喧嘩にうんざりしているようだというのもある。彼がロンのサポートに回る態度を取りながらもハーマイオニーとの仲直りを望めば、問題を解決する希望はグッと上がる。

 

 正直子どもの喧嘩になんでここまで気を回さなきゃならんのだという気持ちになってくる。しかし、おそらく彼らは主人公三人組なのだ。今ここでどうにかしておかず後々後悔することになるのは避けたい。

 そうして月曜日の放課後、ロングボトムに伝言を頼んだ僕は、ロンとハリーを空き教室に呼び出したのだった。

 

 

 その場に来たロンは早速それなりに怒っていた。

 「ハーマイオニーは君に告げ口したんだろ!」

 ああ、そりゃあそう思うよな。実際殆どその通りなのだし。しかし、ここでそれを認めてしまっては色々詰んでしまう。後からバラして謝ればどうとでもなるだろうと信じて僕は嘘をつくことにした。

 

 「違うよ。あの子が何か気にしているようだったから僕が無理を言って口を割らせたんだ。それでも像の前で待ってみろとしか言ってくれなかったから、そうしたってわけ。

 僕のせいでスネイプに目をつけられたかも知れない。巻き込んで悪かったね」

 

 先んじて謝ることで怒りを消すよう試みる。その上、スネイプに目をつけられたのはロンとハリーの落ち度だ。僕に対する罪悪感で一旦鎮火してくれることを願う。

 一応、二人とも納得してくれたようだ。特にハリーは城を抜け出したのを本当に反省しているのか、かなり大人しい。一方ロンは僕がハーマイオニー側に付いていることを危惧し、いまだに苛立ちが滲み出ている。

 内心本当に面倒臭いと思いながらも、なんとか本題の二人の喧嘩について、ロンの言い分を聞き出した。

 

 やはりロンはクルックシャンクスを庇い続けるハーマイオニーに怒っていて、彼女が謝らない限り自分は絶対に譲らないと決めてしまっているようだ。しかし、逆に言うならハーマイオニーが謝れる状況を作れば話は早い。僕は説得の道筋を考えながら、口を開いた。

 

 「そうだね。ペットの管理ができなかったハーマイオニーが悪いと言える」

 僕から同意を得て、ロンは満足げだ。いい調子である。僕はそのまま喋り続けた。

 「ロン、僕と初めてあったときのこと覚えてる?」

 いきなり話が飛んで彼の表情に不可解さが現れる。

 「ホグワーツ特急のときのこと? あのとき君、かなーり嫌なやつだったよ」

 あまりにストレートな言葉だ。僕は思わず少し笑いながら続きを話す。

 「だよね。その件については本当にごめん。だから、僕は君がいつの間にか許してくれて、とても嬉しかったんだ。僕は謝りもしなかったのに。

 ロンは僕のことをどうして受け入れてくれたの?」

 彼は記憶を辿るような表情になる。 

 「そりゃまあ、君は……色々あっただろ? 禁じられた森でハリーを庇ったり、ハグリッドのことだってハリーは僕らを告発しようとした訳じゃないって言ってたし……」

 「でも、僕は直接君に何かしたわけじゃなかったよね。それなのに許してくれて、君が作る楽しい雰囲気の場所に居させてくれた。僕は本当に嬉しかったよ」

 相変わらず話の筋が見えず困惑しているようだったが、ロンの顔に照れが浮かぶ。このまま機嫌良く行ってほしい。口を挟ませず、僕は続けた。

 

 「君たち三人は僕とよりもずっと一緒にいて、色々なことをしてきたと思う。それでも、もうハーマイオニーは僕よりも信じられない? 僕よりもどうでもいい子になってしまった?」

 ロンは先程までよりはずっと怒っていない。けれど、やはり譲歩するにはまだ足りないようだった。

 「でも、あいつ謝りもしないんだぜ」

 拗ねたように彼は言う。僕はそれを聞き、出来るだけ同意していることが伝わるように深く頷く。

 「そうだね。一度自分が正しいと思ったことについてハーマイオニーはとても頑なだ。

 今、彼女あまりにも色々抱え込んで、いっぱいいっぱいになって、いつもより更に意固地になってるしね。ハーマイオニーがハグリッドの授業改善を手伝ってくれていること、知ってた?」

 忽ちロンとハリーの顔に驚きと罪悪感が浮かぶ。やっぱりこの二人はあの件について忘れていたのだろう。まあ、表向きは授業は問題なく行っていたのだ。それを維持するのにどんな労力が掛かっているか考えが及ばないのは当然なのだろう。

 しかし、この引け目はチャンスだ。僕は畳み掛ける。

 「あの子はどうにも責任感が強いから、君たちのことも、ハグリッドのことも、放っておけないんだ。これは彼女の良くないところかな?」

 ロンを見つめ、答えを求める。彼の感情的な部分は徐々に形を潜めていた。

 ロンは少し言葉を探し、僕に答えた。

 「全部が全部悪いってわけじゃないことは僕も知ってるよ。でも、やっぱりスキャバーズのことは悪いと思って欲しいんだ」

 やはりそこは譲らないだろう。けれど、もう目的達成は目前だ。喜色を隠して僕は神妙に頷く。

 「そうだね。ハーマイオニーがクルックシャンクスに入れ込んでいなかったら、もう彼女はとっくに謝っていただろう。今、彼女はどうにも、いつもより素直になれていないから。

 ロンがいると僕は本当に楽しい気分になる。きっとハーマイオニーもそうなんじゃないかな。だから、今君と仲違いしてしまってあんなにピリピリしてる。違うかな?」

 僕とハーマイオニーの比較、ハグリッドを忘れていた罪悪感、ロンの「ムードメーカー」という立場の優位性。これが僕の持ってきていた手札だ。手は尽くした。あとは天命を待つしかない。

 ロンの答えをじっと待つ。彼はしばらく思いを巡らせた後、ようやく仕方ないな、という感じで頷いた。心の中で大きく息を吐く。よし、一番厳しいところはどうにかなった。最後の仕上げだ。

 「ありがとう。今回は君は悪くないのに。

 僕がハーマイオニーにそのことは謝れないかどうか聞いてみるよ。もし、彼女が謝ってくれたら、またいつもみたいに接することはできそう?」

 ここでロンが許容してくれればいい。そう思っていたが、彼の回答は僕の予想を超えていた。

 「オーケー。分かった。まあ、今回は僕もキツく言っちゃったし、先に謝ってあげてもいいよ」

 思っても見ない最高の答えだった。ありがたい。僕はようやく喜びを隠さず微笑んだ。ロンはそれを見て流石に恥ずかしそうな顔になる。自分の喧嘩で恥じる感性があるんだったら最初からここまで拗らせないでくれ。頼むから。しかし、そんなことは口に出さず、僕は殊勝な態度を貫いた。

 「部外者なのに色々口出しして悪いね」

 「まあ、部外者ってほど部外者でもないんじゃない、君は」

 ロンは照れを隠すように言う。嬉しいことを言ってくれるじゃないか。

 なんとかこの問題の最初にして最大の関門を突破できたようで、僕は心の底から安堵した。

 

 

 結局、この後僕がすることは殆どなかった、一応ロンとハーマイオニーの話し合いの場には付き合ったが、ロンが自分も悪かったと告げた途端ハーマイオニーは泣き出してクルックシャンクスのことを謝ったのだ。

 ロンが態度を緩めればこうなるとは思っていたが、予想以上にハーマイオニーにも自責の念があったようである。

 

 ロンとハリーもハーマイオニーと一緒にハグリッドの授業改善に参加すると約束し、この半年以上続いていた二人のいがみ合いは決着を見たのだった。

 

 それにしても、お調子者だが敵対者には残酷なところがあるロンと、生真面目でルールについては正義感を振り翳してしまうハーマイオニー。この二人はこれから先も事あるごとに意見を対立させそうだ。

 

 その度にこんな説得をする羽目にならないといいのだが。

 僕は嫌な予感に内心憂鬱になるのだった。

 

 

 

 



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パトローナス

 

 

 

 三人組が仲直りしてから、彼らが僕の元に詰めかけてくる回数は減った。ロンとハリーはハーマイオニーとの勉強会にもたまに来るようになっていたが、ハグリッドの授業改善のためというのが大きいらしい。スリザリンはクィディッチの試合ももうなかったし、色々と肩の荷が降りた気分だ。

 しかし、実は全然そうではない、というところが悩みどころだ。やはりブラックについて大きな進歩はない。

 あれから「謎の羊皮紙」についてハリー達から情報を聞き出そうとしてはみた。しかし、彼らはそれがバレたら僕が告げ口にでも行くと思っているのか、庇い合いの精神を妙なところで発揮してしまった。ルーピン教授が本当にブラックの内通者と思っているわけではないが……ダンブルドアが疑っていないのに、僕に疑える余地があるとも思えない。こちらについては、これ以上どう掘ればいいか見当がついていなかった。

 

 ブラック冤罪説も完全に手詰まりだった。あれからペティグリューが生き残っている可能性を考えるため、当時の事件の概要を洗い直した。「指一本」だけが彼の遺体だったそうだ。確かに、自分でそれを切り落として周囲を爆発させ、姿眩ましした……というのはこの情報からは否定できない。

 しかし、だからと言ってブラックの行動全てに説明が付くわけでもない。何故当時そのままアズカバンに引っ張っていかれたのか。何故今になって脱獄したのか。何故ホグワーツに潜入し、それでいて未だにハリーに危害を加えようとしていないのか。

 去年はクリスマス頃には、一昨年は5月頃には事件の犯人の目星はついていた。主にダンブルドアの説明によって。今年は未だに「ラスボス」が何なのかすら判然としない。これから闇の帝王が出張って来たとして、あまりにも伏線が撒かれていない登場だ。物語でそんな真似するんだろうか? それとも僕の知らないところで既に伏線はあったのだろうか?

 そう悶々とする中、僕はハリーが受けていたルーピン教授の守護霊の呪文練習に誘われたのだった。

 

 

 グリフィンドールはクィディッチ決勝戦が1ヶ月後に迫っている。ハリーはまた吸魂鬼が現れたら堪らないのに、未だに守護霊を出せず焦っているらしい。僕が初戦で彼が気絶している間にパトローナスを使っていたと誰かから聞き出し、僕が参考にならないかと考えた、というわけだそうだ。

 ルーピン教授も僕が来ることに賛成したらしい。随分と好かれたものだ。

 午後八時とはなかなか遅い時間だが……ハリーは一月からこれにルーピン教授と取り組んでいる。僕が知らない呪いの手順とかでない限り、もう危険性は考えなくていいだろう。僕としてもハリーがずっと取り組んでいる守護霊の呪文を軽視する気になれなかったので、結局、ありがたく参加させてもらうことにした。

 

 訓練の場所である「魔法史」の教室に到着して、これからどう練習するのかルーピン教授に尋ねる。帰ってきたのは意外な答えだった。

 「ハリーと練習しているときはボガートを使っているんだよ。彼のボガートは吸魂鬼に変身するからね。前にハリーが立ってくれれば、君もボガート相手に練習できると思う」

 ハリーのボガートが吸魂鬼とは初耳だ。恐怖すること自体を恐れるなんて、僕が想像していた以上に彼は勇ましい人間だ。しかもボガートは吸魂鬼の特性まで再現できるのか。サラッと恐ろしい怪物である。

 

 早速ハリーに前に立ってもらって、ルーピン教授は大きなトランクの蓋を開けた。辺りに底冷えする冷気が満ち、マント姿の黒い影がずるりと滑り出る。僕は杖を構え、呪文を唱えた。

 「エクスペクト・パトローナム」

 杖先から噴き出す輝く靄が僕とハリーの前に広がり、ボガートから守る盾となる。気力がガリガリとすり減っていくのを感じる。これ以上は持たない──そう思ったときルーピン教授は真似妖怪の前に飛び出し、杖で怪物を箱に詰めた。

 座り込みたくなるのを耐え、上がる息を押さえ込みながら二人に語りかける。

 「あんまり──参考にはならなかったんじゃないですか? 動物の形は取れていないし、持続力もない。精々吸魂鬼に直接狙われていないとき、影響を軽減してその場を通り抜けられる程度です」

 しかし、ルーピン教授は笑顔で首を振った。

 「いいや、ドラコ。君の歳にしては、とてもしっかりした守護霊だった。強いて言えば、ちょっと疲れすぎかもしれないね」

 そんなものだろうか。ハリーの方を見ると、彼も僕の守護霊は十分強力だったと考えているようだ。確かに、実際奴らから狙われる──犯罪者や、ハリーのような特異体質でなければこれで及第点だろうとは僕も考えていた。

 

 それから一度ハリーが挑むところを見た。正直僕の守護霊と大差ないと思う。やっぱり参考にはなってないのではないだろうか。そう思う僕をよそに、しばらく休憩、ということになった。

 行儀悪く机に腰掛ける僕の隣にハリーも座り、ルーピン教授から頂いたチョコをかじる。彼はしばらく何か考え込んでいたようだが、ふと僕の方を向き口を開いた。

 「ところで、守護霊を作るとき、君はどんな幸せな記憶を思い出してるの?」

 「……それ、聞く?」

 いや、聞かれるだろうなとは予想していたが……それにしたって、本人に面と向かって直接言うには恥ずかしい。けれど、僕もこの記憶が本当に守護霊の呪文に適しているのか、今ひとつ確信しきれていない部分はあった。仕方なく嫌々口を開く。

 「君が秘密の部屋に助けに来てくれたときのことだよ。あれは本当に嬉しかった」

 

 案の定ハリーはひどく驚いた顔をした。どこか気まずいような沈黙が落ちる。勘弁してくれ。先に居た堪れなくなった僕は、言い訳をつらつらと紡いだ。

 「いや、だって僕は父が原因で死ぬところだったんだよ? 父は僕を間接的に殺すことにならなかったし、僕も助かった。まさか君が──まだ12歳だった君があの怪物を倒せるだなんて流石に予想してなかったし、ダンブルドアだって間に合わないだろうと思ってたんだ。やっぱりすごく驚いたし、嬉しかったよ」

 ハリーは相変わらず照れているようだが、少し気を取り直して僕に答えた。

 「そう──そういうものかな。でも、死ぬほど追い詰められた後の状況ってそんなに幸せ? どちらかと言うと安心とかじゃない?」

 そうだろうか? 僕ら二人は意見を求め、ルーピン教授の方を見る。ルーピン教授は僕が喋っている内容の不穏さに少し訝しげだったが、それでも微笑みながら口を開いた。

 「そうだね。一番幸せだった想い出を、渾身の力で思いつめなければ守護霊の呪文は完全には発動しない。ドラコ、君の記憶は──思い詰めるには、ちょっと周囲にマイナスな要素が多すぎる気がするよ。もっと無条件に、絶対的な幸福のイメージでないと集中するのにも力が要るだろう」

 「吸魂鬼の絶望感に打ち勝てるほど、心に侵されがたい核を作るような記憶、ということですか?」

 「そう言えるかもしれないね」

 なるほど。いや、でもそれはしかし……

 「……そうなると自分の心の核になるほど幸せな記憶……信念にすらなる記憶って大分難しくはありませんか?」

 ルーピン教授はやはり頷いた。

 「精神が本当に成熟した魔法使いなら、そこまで集中しなくても反復による慣れや精神力である程度どうにかなったりする。しかし最初、守護霊を作り出す感覚を得るためにはやはりそういった記憶が求められるそうだ」

 

 再び僕とハリーは黙り込む。しばらくして、また僕が口を開いた。

 「ハリーの幸せな記憶って何を使っていたの?」

 「グリフィンドールが寮対抗杯に優勝した時とか……初めて箒に乗った時とか……自分が魔法使いだと知った時とかかな」

 なんというか……健康優良児に見せて闇が深そうなものが混ざっているのがハリーらしい。それを元に再び考える。

 「それらが十分じゃないとすると……そうだな、例えば、君の自分が魔法使いだと知ったときの記憶。確かに幸福なものだろうけど、それが未来まで幸福であると確信できるような……吸魂鬼が運ぶ絶望を晴らすようなものではないのが問題なのかも」

 ハリーも考えて僕に答えた。

 「そうすると本当にそんな幸福な記憶はないってことになっちゃわない?」

 「そうだね……」

 いや、本当にそうだ。守護霊の呪文とはこんなにも感情的な面で強固に固めていかなければならないなんて、予想以上に厳しいと思わざるを得ない。

 「将来も、これがあれば絶望はしない、という信念を生む記憶……」

 僕が呟くのにハリーが何か気づいたようだ。

 「……信念だけじゃダメなのかな? わざわざ記憶を引っ張り出してくるより早そうだけど」

 ……それは確かにそうかも知れない。けれど、そんな信念を作るためには幸福な記憶が普通は必要。そういうことなのではないか? 顔を見合わせる僕らに、ルーピン教授は訓練の再開を告げた。

 

 

 再び僕が先に挑む。ハリーに前に立ってもらい、ルーピン教授がトランクを開けた。

 

 僕は、先ほどの仮説を試してみることにした。僕の中にある、最も揺るぎのない信念を引き出し、それに集中する。

 

 僕の譲れない信念。

 僕がそう思い続けなければ、途絶えてしまうかもしれない、そんな信念。

 

 ────誰も望まない悪の道には進ませない。父のことを思い出す。クラッブとゴイルのことを思い出す。悪の道に引き込まれてしまいそうな、僕が愛する人々を思い出す。彼らが胸を張って生きられる未来を作りたい。いや、作る。絶対に────

 そのためなら、絶望なんてしない。

 

 僕の杖先から銀白色に強く輝く影が飛び出した。輪郭は覚束ないが────四足歩行の獣? それは暖かい温もりを放ちながらボガートを退けて僕の元へ歩み寄り、杖から力を抜くとふっと消えた。

 集中し周りが見えなくなっていた僕の耳に、拍手の音が届く。顔を上げると、ボガートをしまったルーピン教授とハリーが笑顔で手を叩いていた。本当に完璧な守護霊ではなかったとはいえ、二人ともこれを成功と考えたようだ。

 「いいぞ! やったね、ドラコ」

 ルーピン教授は本当に嬉しそうだ。あんまり僕らは縁がないのに、ここまで喜んでくれるとは。

 

 少し落ち着いたところで、ハリーは僕に尋ねた。

 「どうやったの? やっぱり信念だけで良かったの?」

 僕が頷くと、彼は「どんな信念?」と問う。彼は相変わらず根掘り葉掘り聞いて来る。流石にこれは全部ペラペラ喋るわけにはいかないので、少し曖昧な形で答えた。

 「どんな未来が待っていても、誰にも誰かを傷つけさせないぞ、ってとこかな」

 流石にハリーも怪訝な顔になる。

 「……かっこいいけど、何でそんなことを?」

 いや、何でだろうね。これ以上内心を説明してやる気にもならないので、話題をハリーのことに変えさせてもらう。

 

 「ハリーの信念……いや、信じたいことでも良いかな。それは何かある?」

 途端に彼は真剣な表情になり、考え込む。少しだけ経って、ハリーは考えながら言葉を口にした。

 「今は……吸魂鬼に、恐怖に自分が負けないって信じたい」

 これは僕の予想を超えていた。何というか、彼は本当に心の底から勇敢なのだろう。自分が恐怖すること自体を恐れ、それを打ち倒せると信じたいとは。勇ましくあるということ自体が、彼のアイデンティティなのかも知れない。

 

 彼の言葉に、僕は思わず微笑んだ。

 「なら、大丈夫だよ。君は僕が今まで見てきた中で一番勇敢な子だ。僕が言うなら間違いないだろう?」

 めちゃくちゃ自意識過剰な台詞だと言うのは分かっている。けれど、今はハッタリでもハリーに自分自身のことを信じて欲しかった。

 ハリーも少し笑い、けれどしっかりと頷く。

 

 そうして、ハリーは吸魂鬼となりトランクから飛び出してきたボガートに向き合った。

 「エクスペクト・パトローナム!」

 ハリーの杖から大きな銀白色の角を持った動物──牡鹿が現れた。それはボガートを吹き飛ばすと優雅に辺りを駆け回り、ハリーの前で立ち止まった。ハリーがそれに触れようと手を伸ばす。首を撫でようとしたところで、守護霊は宙に溶けるように消えた。

 

 僕は力の限り拍手をした。ルーピン教授もだ。しかし、彼は何も言葉を口にしなかった。よく見ると、ルーピン教授の目には涙が光っていた。

 

 「ハリー、よくやった。────君の守護霊。君のお父さんの守護霊も牡鹿だった。君は本当に、ジェームズの勇敢なところを受け継いでいるんだね」

 ハリーは何と答えたらいいか分からないようだった。けれど、心の底から嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 その後、ハリーが今の感覚を忘れないように連続してボガートに挑んだ。どうやらコツを掴んだらしく、安定して力強い守護霊を出せている。これで万が一再びクィディッチピッチに吸魂鬼が現れるようなことがあっても大丈夫だろう。

 

 最後に一度、僕にも順番が回ってきた。ボガートが現れる中、僕も信念に集中する。けれど、先ほどよりも心は軽かった。

 

 ハリーが自分を信じられるなら、僕もまた未来を信じられる。

 

 僕の杖の先から銀白色に耀く大きなものが飛び出した。

 ブラッドハウンドに似た、しかし淡い毛色の、大きな優しそうな犬だった。

 辺りをゆったりと駆け、教室に温もりが満ちていく。

 

 守護霊は僕が杖を下ろすと宙に溶けるように消えた。

 

 



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ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズ

 それから、何事もなく3ヶ月近くが過ぎた。

 

 いや、もちろん全く何事もなかったわけではない。クィディッチ対抗戦でグリフィンドールが優勝したのにキレたフリントを必死で宥めたり、いよいよウィーズリーの双子との悪戯に歯止めが掛からなくなってきたパンジーとザビニの尻拭いをするのに奔走したり、ジェマからマクゴナガル教授に頼ってばっかりじゃなくてお前も口利きをしろと言われた顔見知りの上級生に父の知り合いを紹介したり、生徒アンケートの最終稿が完成し期末テスト時に配布していただけるよう先生方にお願いしたり、集計のための魔法をかけた表を作成したり……

 

 しかし、それこそ学生生活にギリギリ納まるようなことだけだ。ブラックについてはこの3ヶ月、何も起きていない。

 痺れを切らしてダンブルドアに問い質したりもしたのだが、彼は基本的に闇の帝王の監視にリソースを割いており、そちらで動きがないとしか言えないらしい。少なくとも、いきなり闇の帝王が出張ってくることを心配する必要がないのは有り難い。だが、今のままでは本当に物語の最終盤の事件が起こるのを座して待つしかなくなってくる。

 

 焦りは募るが、今年こそちゃんと行われる期末試験を前にして、僕も他のことに割く余裕がなくなってきていた。

 

 期末試験といえば、ハグリッドは三年生の試験の一部でヒッポグリフの扱いを見ると発表していた。なぜ一番最初に失敗したものを……と思ったが、彼曰く、だからこそ、らしい。あれから数回、三年生はヒッポグリフの食性や習性を学ぶ授業を受けていた。生徒の振り返りとしても、ハグリッドの振り返りとしても上々、ということだそうだ。

 失礼な言い方になるが、彼も自分で「生徒を教える」ことについて色々考えるようになってきていた。ただ、自分の愛するものを押し付けるのではなく、どう伝え、どう学ぶ場を設けるか。そういった教職自体の面白さに目覚めてきているようだ。

 正直に言って、本当に嬉しい。ハグリッドの動物の知識と器の広いところに、教師としての自覚が備われば、かなり最強の先生だ。もちろん、危険生物好きは全く変わっていないので、そこのところは本当にちゃんと制御しないとダメなのだが。だが、その制御についても、何故そうしなければならないのか、という理由を含めて彼は理解できてきている気がする。

 僕はハグリッドに来年はマンティコアとファイア・クラブを掛け合わせたものを飼育してみたいと言われたのを全力で反対したことを無視してそう思った。ダンブルドアから許可を得た上で魔法省に届け出て、許可されたら取り扱う。ただしマニュアルに絶対準拠して。という条件は飲ませたが、まさか本当に交配させたりしないと信じたい。

 

 僕とグリフィンドールの三人組は、ハグリッドの協力者として試験が終わったら小屋を訪れて一緒にアンケートを確認すると約束した。僕としてもここ一年力を注いできたことの集大成だ。客観的に見て、ハグリッドの授業はある程度の水準を維持していたと思うが、さて結果はどのようなものだろうか。楽しみだ。

 

 

 そうして期末試験期間はやってきた。どの科目も、自分なりの及第点は取れたと思う。特に魔法薬学についてはスネイプ教授の機嫌を絶対に損ねたくないため、前2年と比較しても心血を注いで完成度を高めた。

 スネイプ教授に謝罪したあの件以降も、彼は僕への態度を大きく変えたりはしなかった。ただ、無視のようなことはしなくなった。スリザリン生の一員として、贔屓をこめて扱う。そんな感じだ。

 一方、喜ばしいことに、スネイプ教授はロングボトムへのイビリの頻度を減らしていた。心底に純血主義を持っているスリザリン生が一番反発していたのはそこだったから、というのはあるかもしれない。

 だが、それでグリフィンドール全体への敵対的な姿勢が無くなったかというと、そうでもなかった。ロングボトムから減った分はハリーに行ってしまったようだ。ハリーは基本的にスネイプ教授に対しても毅然とした態度を取れるから、見ている側としては百歩譲って安心できる。

 僕はスネイプ教授の異様に幼稚な敵味方識別に、徐々に気付きつつあった。グリフィンドール対スリザリンが根底というよりは、教授ご自身対ハリーのお父上ジェームズ・ポッターなのだ。彼はハリーとお父上の区別がついていないため、僕がハリーに対して疎遠だったり冷淡だったりすれば、自分側だと思って機嫌が良くなる。そんな感じだ。

 幼児じゃないんだから……と言いたくなる。しかし、ここまでスクスク育った成人男性の根本的な価値観を急に変えるのは殆ど不可能に見えた。結局、僕はハリーに平謝りしてスネイプ教授の前で親しげにしないようにお願いした。

 彼については味方だと思ってもらった後に、どうにかしていきたいものだ。

 

 そして試験が始まった。魔法生物飼育学と魔法薬学は図らずも同じ日に行われた。

 

 ハグリッドの方は、柵の中にいるヒッポグリフに生徒が順番に対面する形で行われた。実技をやっているとき以外は筆記で他の生物についての知識を問われる。

 生徒が名前を呼ばれ、2頭のヒッポグリフの前に一人ずつ出ていき、お辞儀をして顔を撫でさせてもらうのを僕は画板の試験用紙に書き込みをしながらチラチラ見ていた。ハグリッドは2頭の間に立ち、事故が起きないようヒッポグリフの手綱を握っている。

 僕の番になった。荷物を全て置き柵の中に入っていくと、ハグリッドはニッコリと笑う。彼は僕に声をかけはしなかったが、応援されたように感じて少し心が暖かくなる。僕はきっちり礼を尽くして、首を垂れるヒッポグリフの嘴に触らせてもらうことに成功した。ハグリッドは嬉しそうに頷き、「行ってええぞ」と声をかけてくれた。

 

 試験終わりに、三分だけ時間をとって授業アンケートが行われた。先生方との協議の結果この形式になったのだ。そもそも授業アンケート自体やらせないぜと言うプライド激高人間がちょこちょこいたため、残念ながら科目ごとにいちいち時間を設ける形式になっている。見てろ、今に全体で実施するようにしてやるから。

 筆記試験に添えられていたアンケート用紙は普段の授業の様子について、何項目かの5段階評価と意見を書くところがある。僕は意見欄に「本当にいい授業だと思う。マンティコアとファイア・クラブの交配だけは考え直して欲しい」と書きこんで羽根ペンを置いた。

 

 午後の魔法薬学も実技があった。「混乱薬」の調合だ。僕の近くで試験に取り組んでいたロングボトムは、スネイプ教授のイビリが減ってから以前よりずっと落ち着いて調合できるようになっている。彼が仕上げの段階でパッと嬉しそうな顔になったのを見て、僕は関係もないのにちょっとだけ得意な気分になった。

 その後ろでハリーが何か失敗したらしくスネイプ教授の視線を独り占めしているのも良かったのかもしれない……スネイプ教授の忌々しさというのは健在だった。

 

 占い学を最後に、ようやく全ての科目が終わった。まあ、概ね良くできたんじゃないだろうか。占い学を除いて。僕は水晶玉を叩き割ってしまいたいという気持ちを試験中抑え込むので精一杯だった。

 この科目は本当に体系と再現性というものが欠如している。僕は、占い学がさも自分も学問ですみたいな顔をして時間割表に留まっているのにこれ以上耐えられそうになかったので、来年は受講しないことに決めた。ハーマイオニーはイースターの頃にはもう占い学をやめていたので、彼女の方が賢明だったと言えるだろう。

 

 

 ハグリッドの小屋には夕食の後、迎えに来てもらって行くことになっていた。この時期のスコットランドは日が沈むのが遅い。七時を過ぎても、外にはまだ夕陽が煌々と輝いていた。僕ら五人は連れ立って校庭を歩いていく。六月の暮れの風が心地良かった。試験はどうだったとお互いに報告し合っていると、ハリーはトレローニーが最後「変な感じ」になったと言う。あの教授はまた生徒を怯えさせることを楽しんでいたのだろうか。見下げ果てた人間だ。そんな話をする内に小屋に辿り着いた。

 

 ハグリッドはテストの採点自体は大体終わらせたらしい。アンケートの集計も自動で行われるので、僕らはもっぱら意見の方を見る予定だった。

 お茶を用意するハグリッドを各々が手伝う中、ハーマイオニーがミルクピッチャーを覗き込み、突然悲鳴を上げた。

 「ロン! し──信じられないわ──スキャバーズよ!」

 彼女の言葉に、ハグリッド以外の三人が振り向く。ロンは呆気にとられた様子でハーマイオニーを見た。

 「何を言ってるんだい?」

 僕らの目の前で、ハーマイオニーはミルクピッチャーをテーブルの上にひっくり返す。そこにはガラスを引っ掻くような耳障りな声を上げながら、隠れ場所に戻ろうとバタバタ暴れる貧相なネズミがいた。ロンはそれがスキャバーズだと認識すると、驚きに声を上げた。

 「スキャバーズ! こんなところで、いったい何してるんだ?」

 いや、生きていたのか、このネズミは。クルックシャンクスが殺したと思ってハーマイオニーに謝らせちゃったじゃないか。いや、それにしてもペットの管理責任とかはあると思うが……内心罪悪感を感じている僕をよそに、ロンはどこかに逃げようとするスキャバーズを引っ掴み、保護しようとする。それでもこのネズミは主人のことが分からないのか、ロンの手の中でもがき続けていた。

 

 ふとハグリッドが窓の外を見て立ち上がった。外を窺う彼の表情に焦りが広がっていく。

 「ありゃあ……マクゴナガル先生だ」

 僕らは顔を見合わせた。教師となったハグリッドがいるんだから大丈夫だろう、と僕は思っていたが、他の三人はそうでなかったらしい。確かに、特にハリーがいるのは不味かったかもしれない。その上この状況は2年前のドラゴン事件を彷彿とさせた。

 「おまえさんら、裏口から出ろ。ここにいることがばれりゃあまた大量に減点されるかも分からん」

 と言っても校庭を横切る時に見咎められてはどうしようもないのでは? と思う僕をよそに、ハリーは制服の腹から何かを取り出した。銀鼠色のとても柔らかく滑らかな布だ。それをハリーが身体に纏うと、忽ちそこが透明になった。

 「え──透明マント? 君、そんなもの持っていたの?」

 驚愕する僕をよそに、三人はそのマントに潜り込む。

 「君だけ置いていく訳にもいかない。早く入ってよ!」

 正直僕だけなら、マクゴナガル教授相手であればいくらでも融通が利きそうではあったが──透明マントについて尋ねたい気持ちが勝った。マントの端をかぶり、とても狭いところに四人で固まりながら、僕らはハグリッドの小屋を後にした。

 

 

 マクゴナガル教授に声が届かなくなっただろうところまで離れ、僕は口を開く。

 「じゃあ、君たちはこれを使って──ドラゴンを運ぼうとしたり、ホグズミードを闊歩していたってわけ?」

 それにハリーが答える。

 「別に最初はそこまで隠したい訳じゃなかったんだ。でも、言う機会もなかったし……怒ってる?」

 いや怒ってはいないが……心中に呆れが広がる。しかも、この透明マントはよくある目眩し呪文による模造品ではなさそうだ。見るからに隠蔽力が高い。何でこんなものを持っているんだ。これを見てから気になっていたことを僕はハリーに尋ねた。

 「君が透明マントを持ってるってダンブルドア校長はご存知なの?」

 「ご存じも何も、僕に渡してくれたのはダンブルドアだよ。一年生のクリスマスにくれたんだ。本当は僕の父さんのものだったらしいんだけど、預かってたんだって」

 おお、ダンブルドア。何故そんなことをなさったのですか──この一年幾度となく心中に湧いてきたことを再び思う。いや、こんなに便利な道具であれば今までのハリーの冒険にも、さぞ役に立ったことだろう。しかし、彼の行動可能範囲を広げるこの道具が本当にいいものなのか、僕は納得しかねていた。

 透明マントについて話している僕らに対し、ロンとハーマイオニーは後ろで逃げようとしているスキャバーズに悪戦苦闘している。このネズミはいよいよ気が狂ったようだった。ロンの手を引っ掻き、噛み、押し込められたポケットから出ようと身体をのたくらせていた。

 

 ふとハーマイオニーが動きを止め、息を呑んで校庭の隅を指差す。そこには小さな顔が潰れた虎のような猫──クルックシャンクスがいた。透明マントを被っているのに、音で判断しているのだろうか? その猫は体を低くし、ジリジリとこちらに近づいてくる。

 「ああ、クルックシャンクス、ダメ。あっちに行きなさい。行きなさいったら!」

 隣でハーマイオニーが呻く。しかし、猫は止まらない。

 「スキャバーズ──ダメだ!」

 とうとうネズミはロンの手から抜け出した。地面に転げ落ちると、迷うことなく真っ直ぐに校庭を駆け抜けて行く。猫はその後を飛ぶように追っていった。

 ロンはスキャバーズを追ってマントを脱ぎ捨て、夕陽がほとんど落ちた校庭を駆けていった。残された僕らは顔を見合わせ、慌てて後を追った。僕は徐々に嫌な予感がしてきていた。

 ──これはただの日常的なアクシデントなのか? それとも、何か今年のクライマックスに繋がる出来事なのか?

 僕はポケットの中の杖を引っ掴み二人の後を走った。

 

 既に夕闇が辺りを包み始めている。常夜灯の概念が希薄な魔法界の校庭はひどく視界が悪い。それでも僕らは何とかロンを見失わず、地面に覆い被さるようにしてスキャバーズを捉えた彼に追いついた。ロンがポケットにネズミを詰めている間、僕らはクルックシャンクスを追い払う。城に戻るため、マントの下に四人が入り込もうとした。

 

 しかし、そこで事件は終わらなかった。

 

 暗闇から、大きな影が躍り出た。

 ハリーの胸を蹴り飛ばし着地したそれは、熊のように大きい、薄灰色の目をした犬だった。ハリーに覆い被さるそれに、どう引き剥がせばいいかと僕は僅かに足を止める。その瞬間、再び犬はハリーを足蹴に疾駆し、ロンと僕の方に突っ込んできた。何か呪文を唱えようとするが間に合わず、ロンが腕に深々と噛みつかれる。

 「ロン!」

 何とか引き剥がそうと僕とハリーは犬に掴みかかるが、まるで羽虫が止まっただけのようにその犬は僕らを振り払う。犬はそのままどこかへとロンを引きずっていこうとした。

 

 そのとき、視界の外から強烈な打撃を肩に喰らった。僕はロンと犬の方に吹き飛ばされるようによろめき、倒れ込む。顔が木の根のようなものに強かに打ち付けられた。これは──暴れ柳だ。視界の悪さのせいで気付かない内に、僕らは暴れ柳の枝が届くところまで来てしまっていたのだ。

 

 黒い犬はロンの腕を咥えたまま木の根元に潜り込んだ。そこには隙間があったのか、みるみる二人の姿は消えていく。

 慌ててハリーとハーマイオニーの方を振り返るが、二人は暴れ柳に吹き飛ばされてしまったようだった。僕もこの根元でぼけっとしていたらまずい──枝を掻い潜って戻ることはできない。ロンを放っておくこともできない。僕は黒い犬が消えたところを手探りで探し、根の隙間に体を滑り込ませた。

 

 そこには、かがみ込んでようやく通れるほどのトンネルがあった。土の中に掘られ、岩が露出して足元は悪い。曲がりくねった先にロンの足が消えていくのが見えた。慌ててそちらへ中腰で走るが、ロンを咥えている犬の方がはるかに速いようだ。もっと走りやすいようにして、後を追う。

 

 トンネルは予想していたよりずっと長かった。曲がり角が多く、どの方向に進んでいるのは定かではない。しかし、これは──ホグズミード? 必死に走る中で徐々に頭は冷静になって来ていた。

 ハリーがホグズミードに行けたのもこんな抜け道があったからなのだろうか? まさか暴れ柳の下から? それとももっといい道があるのだろうか?

 ──いや、大事なことはそんなことではない。この抜け道──学校を抜け出す方法をスネイプ教授は「四人組」の一人であるルーピン教授が知っていると疑っていた。ジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック、リーマス・ルーピン、ピーター・ペティグリュー。ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズ──

 

 ふとハリーの守護霊を思い出した。父と同じ。牡鹿。角を持つもの。プロングズ────ああ、そんな。

 頭に電流が走ったような気がした。人狼、ネズミ、犬、牡鹿。

Moony(月に縁あるもの)

Wormtail(芋虫の尾を持つもの)

Padfoot(足に肉球を持つもの)

Prongs(枝分かれしたもの) ──角を持つもの

 

 彼らは、動物もどき(アニメーガス)だ。

 

 あの犬──シリウス・ブラック──はペティグリューを追ってきた。そして──ルーピン教授は彼らが動物もどきであることを知りながら、それをアルバス・ダンブルドアに告げなかった。学校の守りがどのような穴を抱えているか知りながら。

 

 ただでさえ駆け足で乱れた心臓が早鐘を打つ。

 分からない───ブラックは冤罪なのか? それともルーピン教授と手を組んで何かを企んでいるのか?

 

 ここに来て僕はまだどちらも確信に至る情報を手に入れられていなかった。

 

 混乱する頭を抱えながら、それでも僕はトンネルの湿った土を足裏に感じながら、彼らの───二人の後を追った。

 

 

 



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第四十七話 ネズミの正体

 

 

 どれだけの間走ったのだろう? 時間感覚がどうにも掴めないが、三十分ほどだろうか。途中何度も折り返そうと考えたが、ロンが手遅れになってしまうのが何より恐ろしかった。ハリーとハーマイオニーが暴れ柳を前にしてボケっとしているとも思えないし、彼らが誰かを呼んでくれていることを信じるしかない。不安をなんとか振り払い、僕はただ手足を土で汚しながら真っ暗な通路を駆けた。

 ここで僕が助けにいったところで、どうなるとも思えない。けれど、最悪のパターン──ブラックは闇の帝王のしもべであり、ルーピン教授はそれを幇助しており、ペティグリューは──なんだ? 記憶喪失にでもなってずっとネズミのままだったとか? いや、兎に角その場合、ロンが危ない。せめて、ロンの腕を咥えた犬が、何処に向かったか知ることができれば。そうすれば、ハリーとハーマイオニー以上に早く助けを呼べるかもしれない。

 

 

 真っ暗なトンネルが少し上りに入ったところで僕は二本の足で立ち上がった。通路の先は何処かの家の床下に続いているようだ。突き当たりに上へと続く梯子が見え、杖を再びポケットから引っ張り出して手に取り構える。梯子を恐る恐る上り、頭を半分ほどのぞかせて中の様子を窺った。

 随分と埃の溜まった、打ち捨てられてから随分経つのが分かる部屋だった。何かが暴れ回ってそのままのように、壁紙や家具は破壊されており、窓という窓には板が打ち付けられている。

 これでは、ここからすぐに出て助けを呼ぶことはできない。しかし、戻るかどうか考える間もなく、僕は選択肢を失った。背後から飛んできた呪文が僕の杖を吹き飛ばしたのだ。

 

 

 振り向くと、そこには驚愕に目を見開くロンと、ボロ切れのような囚人服を身に纏った、長く伸びた黒い髪、落ちくぼんだ灰色の目の男──シリウス・ブラックがいた。暗い部屋で隙間から覗く月明かりに照らされた彼の瞳は、ギラギラと狂気を帯びた輝きを放っている。彼の異様な姿に、さっと自分の血の気が引いていく音が聞こえる気がした。

 思わず息を呑む僕に、ブラックは長いこと喋っていなかったような掠れた声で語りかける。

 「声を出すな。この少年を抱えて、私の前を歩け」

 直ぐに殺されることはなかった──そう思いたいが、彼が信じられる人間かどうか、判断するに足る根拠は未だにゼロだ。ロンの杖を持ったブラックは僕を小突き、前の方へ歩かせた。

 ロンは腕だけでなく足まで怪我してしまったようだ。膝から下が妙な形に折れ曲がっているし、歯形から流れる血が痛々しい。大丈夫か聞きたいが、ブラックの眼前で喋ることは叶わない。せめて痛みに荒い息をしているロンを安心させるように微笑み、彼の肩を担ぎ上げた。

 

 「この部屋から出て──階段を登って、開いているドアの部屋に入れ」

 再びブラックは命令する。僕はただ従順に言うことに従った。通路につながっていた部屋の外は玄関ホールのようになっている。屋内の構造を見て、僕はようやくここがホグズミードの「叫びの屋敷」であることに思い当たった。

 階段を上がって入った部屋はもとは寝室だったらしい。朽ち果て切った部屋と同様にすっかりボロボロになった天蓋ベッドが置かれている。ブラックの指示に従い、僕はロンを床に下ろした。

 

 日も落ちて暗い部屋に沈黙が落ちる。緊張のせいか、自分の耳の奥を流れる血の音が聞こえるようだった。時間を稼がねば──いや、この人が本当は「どちら」なのか確かめなければ。しかし、どうやって? 彼の狙いを探るには何を確かめればいい? そこで、ロンがしっかりと抑えている膨らんだポケットが目に入ってきた。スキャバーズが動物もどきなら、ワームテールはまだここにいる。

 何にせよ、この人は今すぐ僕らを殺そうとしているわけではない。一か八かだが──意を決して僕は口を開いた。

 

 「ミスター・ブラック、あなたは──ロンやハリーを傷付けたいわけではないのですよね?」

 不意に言葉を発した僕にロンが怯えて目を見開く。ブラックも訝しげに僕をすがめ見た。話を聞いたのか聞いていないのか、彼はまじまじと僕を検分し、僕の胸元の、緑色のネクタイに目を留めた。

 「お前はスリザリン生だな。何故ハリーと一緒にいた? あの子に──悪戯でもしてやろうと思っていたのか?」

 ブラックは僕のネクタイを掴み引き寄せる。間近に彼の落ち窪んだ目が光る。──しかし、この反応は希望があるかも知れない。僕は再び言葉を紡ぐ。

 「違います。僕らは友達です──」

 

 しかし、ブラックは僕の言葉の続きを聞かず、吠えるように嘲笑った。

 「友達! お前の名字を言ってみろ。いや、言わなくてもわかるかもしれない──お前はそっくりだ。ルシウス・マルフォイ。穢らわしい、あの臆病者に!」

 ブラックは僕のネクタイを引き、ベッドの柱に僕の背中を打ちつけた。なんだかすごく記憶に覚えがある。スネイプ教授にもそういえば似たようなことをされたのだった。

 いや、そんなことを考えている場合ではない。この反応はまずいかもしれない。臆病者──彼がもし、忠実な闇の帝王の僕なら、父のようなアズカバン行きを免れた死喰い人のことは良く思っていないだろう。それを意味しているなら非常に危険だ。

 

 次の手を打ちかねたところで、ブラックの背後からロンの声が飛んだ。

 「やめろ! ドラコに手を出すな!」

 ああ、ロン。流石グリフィンドール。彼にそこまで友情を感じてもらえてたことに、場違いながら感動してしまう。この緊迫しきった状況が受け入れ難すぎて、先ほどから妙に僕は浮ついていた。

 ロンの言葉を聞き、ブラックは少し首元を掴み上げる手を緩めた。

 「なるほど……ドラコ。ドラコ・マルフォイ。ナルシッサの子がそんな名前だったな……馬鹿馬鹿しい。ドラゴン。見上げた名前だ……それで、お前はどうやってグリフィンドール生の中に潜り込んだんだ?」

 スリザリン生に対する敵意が高すぎる。しかし、先ほどからその嫌悪はロンやハリーに対しては向けられていないようだった。これは、かなり良い傾向だと言っていいのではないだろうか。

 

 僕は一歩踏み込むことにした。慎重に、告げるべき言葉を頭の中で紡ぐ。僕の立場を曖昧にしながら、彼の立場を確定させなければならない。

 「ムーニーは、あなたがこうしていることをご存知なのですか?」

 ブラックのやつれきった顔に瞬く間に驚きが広る。

 「お前は──知っているのか? 彼が自分から話したのか?」

 それには答えない。しかし、その反応を見るにそこまで密にやり取りをしていた感じではない。一番説明不能な動きをしているルーピン教授と、ブラックが密接に繋がっていた線はやや薄れた。

 

 とにかく、少しは緊張が緩んだ。息を整え、僕は決定的になるかもしれない質問を放った。

 「ワームテールが本当の犯人だったのですか?」

 ブラックの変化は劇的だった。彼は雷に打たれたように固まった。しばらく沈黙が続いた後、彼は掠れた声で囁いた。

 「何故気づいた。誰も奴を疑おうとはしなかったのに」

 ブラックが僕という、すぐにでも殺せる相手に演技をしているのでなければ、これで十三人爆殺事件についてはほとんど答えが出たようなものだ。思わず心の中でため息が漏れる。本当に時間がかかってしまったが、なんとか真相の一部にはたどり着けたのだ。

 「あなたは、ハロウィーンからずっとハリーを殺せそうなところにいたのに、それらしき行動を起こさなかった。いや、ハロウィーンからではないのですね? ハリーがマグルの家の近くで見たと言っていた死神犬(グリム)、あれは貴方だったのでは?」

 ブラックはようやく僕のネクタイから手を離す。あまりにも突然真相を暴き出した子どもが、どんな真意を持っているのか測りかねているようだった。

 「それだけで真実に気付いたと? あまりに根拠がない。そもそもワームテールは死んだと考えられていたのに」

 本当にその通りだ。僕の推理は希薄な証拠を「物語」という枠に無理やり収めたパッチワークだ。実際、ブラックのことを本当に信じきれているわけでもない。しかし、僕はそれでも微笑みを無理やり作って言った。

 「おっしゃる通りです。事実、彼の正体に気付いたのは、ついさっきですから。でも……そうですね。貴方が贈ったファイアボルトを、ハリーはとても喜んでいましたよ」

 ブラックはそれを聞き、考え込み始めた。少しして、何かに思い当たったようだった。

 「箒から落ちたハリーを助けてくれたスリザリン生──あれは君か」

 僕はおずおずと頷く。ようやく、ブラックの纏っていた僕への敵意が薄れた瞬間だった。

 

 「ドラコ、何の話をしてるんだ? 君、ブラックと知り合いだったのか?」

 ロンは明らかに状況について行けていないようだった。そりゃあそうだ。僕なら自分の友人が殺人犯とペラペラ喋り始めたら正気を疑う。

 「違うよ、ロン。ただ、前からこの人が冤罪だったんじゃないかって疑っていただけだ」

 「冤罪?」

 ここでこれ以上長々と説明していても無駄だろう。僕はロンの元にかがみ込み、ブラックを見上げる。

 「ミスター・ブラック、それではワームテールをダンブルドアの元に連れて行きましょう。彼を引き渡せば、再審も可能なはずです。あなたの無実が証明される」

 すんなりと頷いてくれると予想していたが、それは間違いだった。ワームテールの名前を聞き、ブラックは再び瞳に狂気を宿した。

「いいや、そいつは殺す。今ここで」

 ──は? 待ってくれ、なんでそうなる? ペティグリューを殺してしまえばこの人の無実を証明するのは難しくなる。ネズミの死体だけでは何が起きたか十分に分からないじゃないか。

 思わず僕は言葉を失う。こちらを説得するつもりはないのか、ブラックも二の句を継がず、場には沈黙が落ちる。静かになった部屋に、不意に下から物音が響いた。誰だ? ハリーとハーマイオニーが呼んだ助けがもう来たのか?

 「静かに」

 ブラックは僕とロンに再び杖を向け、廊下から見えないよう、扉の後ろに身を隠した。誰が来たのだろう。頼むから落ち着いて話ができる人であってくれ──スネイプ教授だけは絶対にやめてくれ。ついでに相変わらず行動に説明がつかないルーピン教授も嫌だ──

 しかし、部屋に踏み入ってきたのは大人の魔法使いではなかった。ドアを蹴り開けて入ってきたのは──ハリーとハーマイオニー本人だった。

 ああ、なんて無謀なんだ。なぜ助けを呼びに行かなかったんだ。いや、どうやって暴れ柳を潜り抜けてきたんだ。僕とロンを見つけて走り寄る二人に、潜んでいたブラックは杖を向けて武装解除した。

 

 

 振り返り、ブラックを見るハリーは明らかに憤怒に燃えていた。彼は自分の父がブラックに裏切られたと考えられていることを、知ってしまっているようだ。これはまずい。この猪突猛進型グリフィンドールが満載の空間で、これから事がどう転ぶのか、予想がつかない。僕は冷や汗が自分の額を伝うのを感じた。

 

 ブラックはどこか嬉しそうだった。僕は彼がただ親友の息子に会えて喜んでいるのだろうと分かるが、この場では狂気の連続殺人鬼の笑みにしか見えない。

 ハリーに対し、先ほどよりもずっと親しげで優しい声で語りかける。

 「君なら友を助けにくると思った。君の父親もわたしのためにそうしたに違いない。君は勇敢だ。先生の助けを求めなかった。ありがたい……そのほうがずっと事は楽だ……」

 何でさっきからそんなに煽るような、誤解を生む言い回ししかできんのだ。頼むよ、本当に。案の定ハリーは激昂し、ブラックに掴み掛かろうとする。僕ら三人は慌てて彼を押さえた。

 僕は懇願するように言った。

 「お願いです、ミスター・ブラック……いえ、シリウス。回りくどい言い方をしないでください。この場面ではすれ違いが命取りになりかねません」

 三人組はやはり僕を怪訝な目で見る。ハリーは僕に対しても怒りを滲ませ始めた。

 「ドラコ──君はブラックの味方なの?」

 気持ちは分かるが落ち着いてくれ。僕は疑念を生まないよう即座に否定した。

 「違う。ところでハリー、君は、君のお父上がどんなふうに裏切られたのか知ってる?」

 「なんでそんなこと……」

 「いいから!」

 取り敢えずハリー自身にある程度、事実に思い当たってもらった方が話が早い。僕は必死に説得を試みた。ハリーは憎悪の籠った目でブラックを睨みつけながら、それでも僕の問いに答えてくれた。

 「……秘密の守人? それがブラックで、なのに父さんたちの情報を売ったって……」

 「ああ、そうだ。けれど、秘密の守人が誰か、なんて普通は公にしないんだよ。その人が狙われたら、秘密がバレてしまうんだから。シリウス・ブラックが秘密の守人だと思われていたのは、君のお父上の一番の友人だったこと、お父上が死んだ後ブラックが十三人虐殺事件を起こしたこと。これらが結びついて推測されたことに過ぎない」

 「両方事実だ!」

 ハリーはやはり頑なだ。当然だろう。友人が突然自分の両親の仇を弁護し始めているのだから。しかし、僕はそれでも言葉を紡ぎ続ける、

 「何故そう言い切れる? 僕らは誰も、事件の場に実際に居合わせたわけではない」

 「……何が言いたいの?」

 僕の意図があまりに不明瞭なせいか、僅かにハリーの怒りが鎮まる。けれど、ここで間違った手を打てば一気に爆発しそうだ。頼むから最後まで持ってくれ。僕はそう願いながら結論を口にした。

 

 「もし、殺人を犯したのが違う人だったら──虐殺事件で殺されたはずのピーター・ペティグリューが生きていたら。君のお父上を裏切った犯人も、また違う人間かもしれない。そう言いたいんだ」

 

 いよいよハリーの顔に浮かぶ怪訝さは如実になってきた。しかし、僕の言うことに憤りを感じる様子ではないのが非常にありがたい。今まで培ってきた信頼がここに来て結実しているようだった。

 「ペティグリューは死んだんだ」

 「ああ、ずっとそう思われていた。しかし違う! 奴は今ここにいる!」

 ハリーの言葉に、ブラックが弾けるように答える。流石に親の仇だと思っているブラックが口を出すとハリーの顔が険しくなる。黙っていて欲しい。

 

 「狂ってる……」

 ブラックと、もしかしたら僕の様子も見てロンは呻くように声を漏らした。それはもう仕方ないだろう。僅かながらに場の雰囲気は落ち着いた。僕はいよいよ確実な証拠を場に出してもらうことに決めた。

 「いいや、狂っているかどうかはまだ分からない。僕は、こう思っている。ペティグリューが動物もどきとして生き延びていたのではないかと。

 ……ロン、スキャバーズをこちらに渡して」

 

 ロンは必死に抵抗した。ペットが動物もどきの人間だなんて言われて、いきなり信じられる奴はいないだろう。けれど、今は彼を安心させている余裕はなかった。

 「この状況でこちらの言うことが信じられないのは分かる! だけれど、本当にそうかどうかは確かめるしかないんだ!

 お願いだ、傷つけたいわけじゃない。ただのネズミならこれでは傷つかない。今だけは僕を信じて」

 床に座り込むロンの前にひざまずく僕に、ついに彼は折れた。暴れ狂うネズミの尻尾を掴み、ロンはそれを僕に手渡した。

 僕も尻尾を掴んだまま、ブラックへ向き合う。

 「まだ殺さないでください。あなたの無実が証明できなくなる。姿を戻す、それだけにしてください」

 

 スキャバーズをロンから引き剥がすのを見て、ブラックはいよいよ僕のことを信用し始めたようだった。彼は僕の隣に並び、手元のネズミを覗き込む。

 「君は動物もどきを元に戻す術を知っているか」

 彼にそう尋ねられ、僕は頷く。すると、彼は僕に杖を返した。

 「いいか、逃すなよ。私が三つ数えたら呪文をかけるんだ。一、二の……三!」

 

 合図とともに、僕とブラックは手から垂れ下がるネズミに呪文を唱えた。青白い閃光が部屋を照らし──再び部屋に暗闇が戻ったとき、ネズミは膨らむ風船のようにブクブクとその姿を変えた。

 

 そこには小柄な、萎び切ったナスのような体格の男がいた。どこかネズミのときの雰囲気を面構えに残した、醜い男だった。顔を見たことはない。しかし、ブラックの表情が事実を物語っていた。──この男こそが、ピーター・ペティグリューだ。

 その男は辺りを見渡すと、手足に力を込めるような動きを見せた──変身の兆候だ。しかし、僕もブラックも杖を構えていた。

 「ステューピファイ!」

 「インカーセラス!」

 失神した男はその場に倒れ込み、縄できつく縛り上げられた。僕とブラックは顔を見合わせる。

 三人組の方を見てみると、全員余りのことに言葉を失っているようだった。

 

 

 そのとき、再びバタバタと大きな足音が階下から響いた。僕らは思わず動きを止める。

 

 そこに飛び込んできたのは──シリウス・ブラックの無罪がほとんど確実になった今、最も行動原理が不明な男。リーマス・ルーピンだった。

 

 

 



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第四十八話 短絡と混沌

 

 

 部屋に飛び込んできたルーピン教授は、まず杖を構える僕らを見て、そして床に崩れ落ちているペティグリューを見て、再びシリウスに目をやった。

 

 彼は喉から言葉を絞り出すように話した。

 「ああ、やっぱり──じゃあ、シリウス、君ではなかったんだな」

 シリウスはその言葉を聞き、喜色を顔に滲ませた。

 「リーマス……すまない。君に入れ替わりのことを言っていなかったこと……」

 隣のシリウスがルーピン教授に歩み寄っていく。それを見て僕は声をあげた。

 「待ってください! ルーピン教授を信じてはいけない!」

 

 全員の怪訝そうな視線が刺さる。三人組はもはや眼前で何が起こっているのかすら分からないだろう。

 僕だって、ルーピン教授が何でこんなことになっているのか分からない。彼の狙いは何だったんだ? 本当は人狼の扱いに絶望していて、消極的に闇の帝王の復活を望んでいたとか? アルバス・ダンブルドアの膝下でハリーの側に控え、いつでも行動できるように待ち構えていたのか?

 

 とにかく、僕は現状をみんなに伝えるため、言葉を続けた。

 「ルーピン教授は、ずっと前から貴方たち二人が動物もどきだと知っていたのでしょう? シリウス、彼が貴方のことを裏切り者だと考えていたのなら、動物もどきのことをダンブルドアが知らないのはおかしい。それが分かっていたのなら、今年貴方はずっと困ったことになっていたはずだ。

 貴方が無実だと前から信じていたのなら、それもまたおかしい。ルーピン教授はシリウス・ブラックが犯人だと考えていると公に言っており、ペティグリューの生存を匂わせることはおろか、貴方を弁護することさえなかったのだから。どちらの場合にしても、ルーピン教授の行動はハリーにも貴方にも利していない。彼は僕らの味方ではない」

 

 僕の糾弾を聞き、ルーピン教授の顔が悲痛に歪んだ。彼は口を開くが、何と言ったらいいか言葉をしばし彷徨わせる。

 「違うんだ……ドラコ、頼む。信じてくれ。私は本当につい最近まで、シリウスが犯人だと思っていた。ああ、確かにそれでも私はダンブルドアに、シリウスが動物もどきだと告げなかった。しかし、それは私が臆病だったからだ」

 原因が臆病だった、それだけ? この場で宣う言い訳にしてはあまりにも粗末だ。杖を構えたまま、僕は詰問を続ける。

 「シリウスが犯人だと思っていた? 親友を死に追いやった人間が、犬の姿でホグワーツを跋扈できると知っていて、それを看過できる臆病さとは何なのですか? 貴方のお考えでは、ハリーはいつ殺されていてもおかしくなかったのに、それを見逃すほどの理由がどこにあると言うのですか」

 更に言い募る言葉は、ルーピン教授にというよりは、こちらを見ているシリウスに向けていた。シリウスが油断してノックアウトされたりしては大変だ。彼は今この中で唯一僕が頼れる大人なのだから。万が一にもルーピン教授がペティグリューを連れて逃げた日には取り返しがつかないし、僕は絶対にルーピン教授には敵わない。状況を理解するとともに、徐々にシリウスの顔から親友と再会できた喜びが消えていった。

 

 矢継ぎ早の詰問を前に、ルーピン教授はひどく苦しそうに答える。

 「君の言う通りだ。けれど、出来なかった。それを話してしまえば、私がずっとダンブルドアを裏切っていたことを告白してしまうことになる」

 今裏切っていることではなく、ずっと裏切っていたこと? だとしたら益々怪しいじゃないか。しかし、ルーピン教授だけでなくシリウスにも心当たりがあるようだ。彼の警戒がわずかに緩んでしまう。僕はルーピン教授に杖を向けたまま、シリウスに問いかけた。

 「その裏切りは僕らにも納得ができるようなものなのですか? それがバレたくないから黙っている、それが十分理由になるような」

 「学生時代のことなのか? リーマス」

 シリウスも僕の言葉を追い、ルーピン教授に尋ねる。彼は慚愧の念を滲ませながら頷いた。

 

 「頼む、私の話を聞いてくれ。私は今は絶対にシリウスと君たちの味方だ」

 短絡的に考えるなら、この人を昏倒させて、シリウスとペティグリューをとっととホグワーツに連れて行きたい。けれど、シリウスはルーピン教授の話を僕らに聞かせたいようだった。おそらく僕らの最高戦力が教授側に立っている今、状況を理解するためにも説明してもらうほうが得策なのかもしれない。

 三人組の顔を見る。全員困惑して、どう返事をしたらいいか測りかねているようだ。こうなっては仕方がない。僕はルーピン教授に対して杖を向けたまま頷いた。

 

 「この話をするためには……まず、私がホグワーツに入学する前から人狼だった、ということを話さなければならない」

 三人組の顔に驚きが広がった。ロンは明らかに恐怖を感じている。しかし、ハーマイオニーは理解を示すように頷いた。やはり彼女も気付いていたのだ。

 「ドラコ、以前君とも話したね。ダンブルドアは、私が教師になることで人狼自体の地位を向上できると考えているのではないかと。それが、迫害を受ける私たちにとってどれだけ素晴らしい、想像することもできないような救いの手なのか。きっと、本当に人狼になったものにしか実感することはできない」

 「それならなぜ、大恩あるダンブルドアを裏切るような真似をなさったんですか」

 あの苦労人の校長のことが思い出されてしまい、僕はつい冷淡に返す。しかし、ルーピン教授はそれをただ受け入れた。

 「昔の私はそれほどまでに愚かだったからだ。──いや、今もかな。そもそも人狼にホグワーツへの入学を許可すること自体、一生かかっても返しきれない恩を受けている。しかし、学生の頃の私は浅はかだった。目先の欲に溺れてしまった」

 「リーマス、お前は悪くない」

 シリウスが慰めるように口を挟む。しかし、ルーピン教授は力なく首を振った。

 「シリウス──いいんだ、これは事実だ。昔は今と違って脱狼薬が無かった。月に一度、人狼は完全な怪物に成り果てるしかなかったんだ。そんな私のために、ダンブルドアはこの廃墟を用意し、学校へと続く通路を作ってくださった。入り口に暴れ柳を植えてね。変身した私の元に、誰も迷い込むことがないように。

 しかし、私は折角ダンブルドアが講じてくださった安全策を蔑ろにした」

 シリウスはやはり納得できていないようだが、ルーピン教授はそのまま話を続けた。

 「私の得難い三人の友人達は、私が人狼であることに気付くと、動物もどきになり、満月の夜、私のそばに寄り添うことを考えてくれたんだ。人間以外の動物なら、万が一噛まれることがあっても人狼になることはないからね。そして五年生になった頃、ようやく三人は術を習得した。ジェームズは牡鹿に、シリウスは犬に。そして──ピーターはネズミに。

 私はこの屋敷で一人自分を傷つけて夜を過ごすのをやめた。三人と共に校庭や森を駆け、一晩中冒険をした。若く、浅はかな私は時たま罪悪感を覚えることはあっても──それを都合よく忘れた。なんと無責任で愚かな行為だろう。誰かを噛んでしまってもおかしくなかった。私は……ずっと前からダンブルドアの信頼を裏切っていたのだ」

 「……それで、その過去が判明することを恐れて、貴方はシリウス・ブラックが動物もどきだとダンブルドアに告げなかったと? 若い頃の火遊びが露見することの方が、貴方が殺人鬼だと思っていた男が野に放たれていることよりも重大だったのですか?」

 正直、あまりにも論理的ではない言い訳なせいで、逆に真実なのではないかと思えてきた。もしこれが僕を説得するための嘘なのだとしたら、説得力がなさすぎる。

 

 ルーピン教授はもう目を瞑っていた。それは、自分の身を苛む罪悪感に耐えかねている姿のようだった。

 「私のおぞましい自己保身は否定できない。しかし、ダンブルドアが私を見限れば──君の言っていたような人狼の希望が潰えることになる。

 私自身が破滅するだけでなく、私と同じ境遇のものに差し伸べられるはずだった救いの道が絶たれることになる。そんなことには、とても耐えられない」

 ルーピン教授は懺悔を終えるようにうつむき、語り終えた。部屋に沈黙が落ちる。

 本当は、いけしゃあしゃあと言い訳を言うなと言いたかった。ダンブルドアを裏切っておいて、都合のいいことを言うなと言いたかった。ダンブルドアの信頼に報いることができなかったお前の責任だと、言いたかった。

 けれど、ルーピン教授の表情に浮かぶ辛苦に、僕は矛を収めざるを得なかった。僕は身をもって人狼の苦しみを知っている訳ではなかったのだから。

 

 「分かりました──今のところは、信じます。でも、お願いですから変な真似はしないでください。

 シリウス、念のため、ハリーとハーマイオニーに杖を返して下さい。ルーピン教授が何かしたときのために」

 

 

 「もう、いいか」

 シリウスの声が暗い部屋に響いた。彼はハリーとハーマイオニーに杖を返しながら、埃っぽい床に力無く横たわるペティグリューの頭を足で軽く転がしていた。

 待て、「もう」ってなんだ? まさか、まだシリウスはペティグリューを殺す気を失っていないのか?

 「ちょっと待って下さい。まさか、まだペティグリューを殺すおつもりなのですか?」

 シリウスは返事をしなかったが、ロンの杖を持つ手をペティグリューの方に構えた。ルーピン教授もそれに追従する。

 僕は慌ててペティグリューと彼らの間に身体を滑り込ませた。

 「待って! 待って下さい。今ここで彼を殺しても、何にもならない」

 僕の言葉に、シリウスが吠えた。

 「いいや、私はもう十分待った! このネズミは十二年間も友を裏切り、一人のうのうとしていたんだ! 報いを受けるべきだ!」

 「まっとうな報いの受けさせ方があると言っているんです! お願いですからやめて下さい────」

 

 その瞬間、シリウスが構えていた杖が吹き飛んだ。入り口の方に振り返ったルーピン教授もまた、武装解除される。

 

 

 そこには──今この場に最も来てほしくない人間ランキング第一位、セブルス・スネイプ教授が立っていた。

 

 ああ、まずすぎる。この状況では、スネイプ教授の宿敵シリウス・ブラックとルーピン教授は僕に杖を向けているようにしか見えなかっただろう。奥で棒立ちのグリフィンドール三人組と、ペティグリューはいるが──果たしてそこから真実までたどり着いてくれるか? この場面を見て、スネイプ教授が正しい答えを導き出し、シリウスとルーピン教授を解放してくれると思えるほど、僕は彼を信用していなかった。

 そして、案の定予想は的中した。

 

 「ピーター・ペティグリュー──なるほど──ブラック、ルーピン。貴様らは三人がかりで此奴らを連れ出し、手にかけようとしていたと」

 思わず目を瞑って天を見上げた。ああ、本当にこの人はどうしようもない。

 「違うんです、スネイプ教授。お願いです……」

 僕の懇願する囁き声は、シリウスの嘲り笑いによってかき消された。

 「相変わらず救えないほど愚かだな、スニベルス。ペティグリューを見てなお、ことを理解できないとは」

 「何が理解できていないと言うのかな? ブラック。どうせ貴様らは闇の帝王が消えた後仲間割れでもして、片方はアズカバンに入ることになったのだろう──そして脱獄してきた貴様らは再び手を組み、かつてのように傲慢にホグワーツを彷徨いていたと、そういうわけだ──」

 「セブルス、頼むから話を聞いてくれ──」

 

 もうメチャクチャだ。スネイプ教授はシリウス、ルーピン教授、ペティグリューがグルだったことを前提に話を進めているし、シリウスは煽るばかりで説得をするつもりもない。辛うじてルーピン教授だけが仲裁を試みていたが、この場に至っては焼け石に水だった。

 いつものスネイプ教授だったら流石にここまで謎めいた状況で、ここまで独断的な真似はしないだろう。それでも、彼はかつての宿敵三人に正義の名の下に引導を渡すことへ、狂気的なほど執着しているように見えた。

 いよいよ話が煮詰まって来て、スネイプ教授は校庭に三人を引き連れて行き、そこで吸魂鬼にキスを──つまり全員処刑させると言い出す。

 頼むから学生時代の恨みだけで、今本当に犯罪者かどうかもわからない人間を三人も殺そうとしないでくれ、本当に──

 

 僕の願いも虚しく、大人達は口を挟む余地を与えてくれない。ハリーもスネイプ教授を説得しようとしたが、火に油だった。自分が助けているはずの子どもに反論されたスネイプ教授は、いよいよ脳の血管が切れてしまうのではないかという勢いで激昂する。その血の気の引いた顔つきは、もうほとんど正気を失っているようにさえ見えた。

 

 どうすればいい? こちらの話をもう聞いてくれないだろうスネイプ教授に対して、僕は何ができる? 言葉を口にすることもできず、僕はその場に棒立ちになるしかなかった。

 

 答えを示したのはハリー達だった。スネイプ教授の前に立ちはだかり、シリウスを庇おうとする彼を、教授は押し除けようとした。

 「エクスペリアームス!」

 三人分の声が重なった。破裂するような音が響き、スネイプ教授は宙を舞って壁に激突し、そのまま下に崩れ落ちた。

 

 ──流石、グリフィンドール。スネイプ教授に対して実力行使という選択肢は僕にはない。けれど、今は三人の決断力に心の底から感謝した。

 

 

 流石に子ども達に手を下させてしまったことにシリウスとルーピン教授が悔悟の念を示す中、床に横たわっていた人間がもぞもぞと動いた。

 

 この状況の一番の原因────ピーター・ペティグリューが目を覚ましたのだ。

 

 



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第四十九話 臆病者のネズミ、語る

 

 

 

 足元でピーター・ペティグリューが蠢いたことに気付いたシリウスは、すぐにスネイプ教授の手から杖をもぎ取り構えた。ルーピン教授もその後に続く。

 幸いなことに、スネイプ教授が吹き飛ばされた音で起こされても、まだペティグリューの意識はハッキリしていないようだった。彼はようやく目を開け、辺りを見回し、状況を把握した。

 

 「おはよう、ピーター。しばらくだったね」

 普段からは想像もできないほど酷薄な口調でルーピン教授は挨拶した。その声色に気づいているのか、ペティグリューの顔には怯えが浮かんでいる。

 「シ、シリウス……リ、リーマス……友よ……なつかしの友よ……」

 ペティグリューはネズミの声帯がまだ喉に残っているかのような震えた声で語りかける。この状況でその台詞が言えるとは中々に面の皮が厚い。案の定、シリウスの顔は憤怒に染まった。

 「よくもまあ──」

 そのまま死の呪いでもかけんばかりのシリウスの腕を、ルーピン教授が軽く押さえる。教授はまだ、ペティグリューから聞き出したいことがあるようだった。

 

 しかし、それに答えたのは殆どシリウスだった。ハーマイオニーのどうやってアズカバンから脱獄したのか、という問いや、ペティグリューはなぜずっと潜伏していたのか、何故ハリーの側にずっといながら危害を加えなかったのかなど。ペティグリューに関する問いでありながら、シリウスはその全てに答えた。

 

 彼の話は説得力があった。

 ペティグリューはポッター夫妻の秘密の守人になり、彼らを闇の帝王に売り渡したが、それによって帝王自身が破滅した。

 ペティグリューは彼が裏切ったと気付いたシリウスに追い詰められたが、指一本を切り落として辺りを爆破することで、自身の死を偽装し、罪をシリウスに被せた。

 その後、闇の帝王の失踪の責任を自分に求められることを恐れて死喰い人達から逃げ、ウィーズリー家のペットとなった。ホグワーツに入学したハリーの近くにいることで、闇の帝王が力を取り戻したというニュースが耳に入れば真っ先に彼を殺し、主人の元に馳せ参ずるつもりだった。

 なるほど、理に適っている。しかし、シリウスの想像した部分が多いのもまた事実だ。

 シリウスが滔々と語る間、ペティグリューは言い逃れの余地を探しているようだったが、言葉は溢れたそばからシリウスによって叩き潰されていった。

 

 シリウスは語り終え、ハリーに向き直った。

 「信じてくれ、ハリー。私は決してジェームズやリリーを裏切ったことはない。裏切るくらいなら、私が死ぬほうがましだ」

 そして──ハリーは頷いた。シリウスの顔に報いを得た喜びが広がってゆく。ペティグリューは震え上がり、ネズミの叫びに似た金切り声をあげた。

 

 これ以上罪を否認しても無駄だと悟ったのか、ペティグリューはその場にいる人に順々に命乞いをしていく。誰も、それに応えなかった。──僕以外は。

 僕はペティグリューの味方であるふうに見えないよう、出来るだけペティグリューを無視してシリウスに訴えた。

 「──待って下さい。彼はホグワーツまで連れていくべきです。何度も言いますが、シリウス、貴方の無実がかかってるんです」

 しかし、シリウスは頑なだった。

 「いいや、ダメだ。奴がここで逃げれば何もかもが無駄だ」

 僕の言うことを聞き入れるつもりはないのが、ひしひしと伝わってくる。けれど、諦めるわけにはいかなかった。

 「怒りで本当に求めるものを見失ってはいけない。失った時間が取り戻せないことは分かっています。けれど、貴方にはこの先の人生がまだ残ってる! 無実が証明できなければあなたに待っているのは処刑です。ハリーを……貴方の親友の子を守るために生きることはできないのですか?」

 シリウスは一瞬怯んだようだった。けれど、ルーピン教授は僕の言葉を聞いて冷ややかに言った。

 「君は、ハリーの前で両親の死の原因になった人間を庇うのか?」

 ルーピン教授はまだ冷静だと思っていたのに──彼だって臆病風に吹かれてダンブルドアを裏切っていたのに。絶望的な思いが喉元に込み上げた。

 

 思わずハリーの方を振り返る。彼は床で雁字搦めになっているペティグリューを見て、何か考え込んでいた。シリウスとルーピン教授も、ハリーの方を見た。

 ハリーは一度ちらりと僕を見て、シリウスとルーピン教授に対して、静かに言った。

 「ペティグリューのことは許せない。絶対に罰は受けてもらう。──けど、なんで両親を裏切ったのか。それを聞いてから決めても、まだ、遅くないと思う」

 それは、敵ですらある相手を知ろうとする意志だった。彼は──覚えていてくれたのだろうか? 以前僕が言った、僕でさえ守れていない信条のことを。

 シリウスとルーピン教授は明らかに納得しきっていない。けれど、ハリーの考えを尊重しようとしているようだった。

 

 「嘘はつかないで。ちゃんと、話して」

 ハリーはペティグリューをまっすぐに見つめて言う。

 ペティグリューはしばらく甲高い声で何かを呻いた後、ガックリと肩を落とし、絞り出すように語り出した。

 

 

────────────────

 

 ……どこから話せばいいか分からない。いつから、私がこんな望みもしない、命のやり取りの場に放り込まれたのか。もしかしたら最初からだったのかもしれない。このホグワーツこそがそうだったのかもしれない。

 

 私たちの時代のホグワーツでは、今よりはるかにグリフィンドールとスリザリンの仲は険悪だった。戦争の時代だ。二つの寮は殺し合いの関係者で、根っからの敵同士だった。グリフィンドールに組み分けされてしまった私もまた、その中に入らざるをえなかった。

 

 学校の中でスリザリン生にいじめられず平和に過ごすには、強いグリフィンドール生の陰に隠れるしかなかった。私にとっては、それがジェームズとシリウス、リーマスだった。幸い、リーマスが私をジェームズとシリウスの輪の中に入れてくれた。私たちは仲を深め、スリザリン生とイタズラと呼ぶには過ぎたやり取りをしながら七年間を過ごした。

 

 卒業するときになって──私は恐ろしくなった。私たちとやり合っていたスリザリン生の多くは、闇の帝王の下に馳せ参ずるだろう。そうすれば、私は彼らに簡単に殺されてしまうだろう。彼らと敵対してきたことを後悔したが、もう遅かった。

 

 怯える私を見て、ジェームズとシリウスは私を不死鳥の騎士団──ダンブルドアの私兵団に誘った。私はこれだって嫌だった! 騎士団に入れば、私たちはいよいよ「あの人」の敵だ。常に命を狙われ、いつ終わるとも知れない戦いに身を投じることになる。けれど、シリウス、君はそんな私の恐怖をただ笑うだけだった。私のいつもの臆病だと、真に受けることはなかった。

 

 

 結局、私は騎士団に入った。自分の身を守るためには、それ以外方法はなかった。

 

 

 卒業して、しばらくは平和だった。しかし、リリーが妊娠した頃だろうか? 本当に突然──闇の帝王が私の前に現れた。

 

 

 闇の帝王は尋ねた。取るに足らないようなことだった。──三日前、チャリングクロスロードで私と一緒にいた者は誰かと。まさか──まさか、それが重要な情報だなんて私は知らなかった。言っても害にもならないものだと。それに、闇の帝王は、言わなければ母もろとも私を殺すと脅した。

 

 私は言った。言うしかなかった。その後、その人── キャラドック・ディアボーンは消え、彼と一緒にいたはずのベンジー・フェンウィックは肉片となって見つかった。私は裏切り者になった。

 

 そのときに、ダンブルドアに告白すべきだったか? いや、あの人は私を許さなかっただろう。あの人は、確かに多くの人を救い、守ったが、すべての人間にそれができるわけではなかった。特に──臆病風に吹かれた裏切り者に寛容じゃなかった。

 

 ダンブルドアは闇の帝王と違って、私を殺しはしなかっただろうって? ああそうだろうとも。でも、あの戦争の下にいたものにしか分かるまい。

 ダンブルドアは裏切り者とその家族を、他の守るべきものより優先なさることは決してない。彼の庇護下に入れてもらえないということは、闇の帝王の前にただ打ち捨てられるということだ。そうなってしまえば、一度目をつけられてしまった私たちは死ぬしかない。

 

 裏切り者の命を保証してくださるほどには、ダンブルドアは偉大ではなかった。

 

 私は情報を流し続けた。止める機会など、どこにあったのだろう? いつなら、私は今まで自分が売ってきた仲間の犠牲を無視して、自分と母の命を捨てる決心ができただろう?

 シリウス──君には分からない。自分から捨てられるような家族しか持たず、勇敢な闘う人々だけを友とする君には。

 

 

 そして──闇の帝王は私に、ジェームズたちの元へ、あのお方が向かえるよう手筈を整えろと命令された。

 

 

 私は秘密の守人は、シリウス、君になると思っていた。みんながそう思っていた。だから、私はジェームズを本当に闇の帝王の前に差し出すことにはならないだろう。そう思っていた。

 

 しかし──君は得意げに言った。自分は戦いに出るから、いや、出たいから──ジェームズの守人になることはできない。もしものために、私を、戦うことを拒む臆病者の私を、秘密の守人にすべきだと。

 

 

 私は言った。何度も君に言った。私にするべきではないと。

 君は聞かなかった。いつだってそうだ。君は私の意見なんて聞き入れやしなかった。君は自分が臆病だと感じる意見の価値を全く認めなかった。どうせ私が狙われることなどないのだからと、私を軽んじた。不死鳥の騎士団に入ったときと同じく、君は私の臆病さを笑い飛ばし、ジェームズを説得した。

 

 闇の帝王はいつも通り私の隠れ家にやって来た。

 そして、私はジェームズを売った。

 

 

────────────────

 

 みをふるわせながらペティグリューは語り終えた。途中から本当にペティグリューを殺そうとしていたシリウスをルーピン教授が押さえつけていた。シリウスの怒りに満ちた荒い息遣いだけが部屋に響いていた。

 

 



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第五十話 変身

 

 

 ペティグリューが語り終えた後、場を動かしたのはシリウスだった。彼はルーピン教授を振り切り、進み出てペティグリューに杖を向ける。怯えて身体を跳ねさせるペティグリューの前に、僕は再び身体を滑り込ませた。

 「待って下さい。殺さないで下さい!」

 ルーピン教授は逃走しないよう、回り込んでペティグリューに杖を向ける。しかし、彼はもう殺意を失っているようだった。自分の臆病さに負けていたのは、彼もまた同じだからだろう。

 

 シリウスはもう本当にペティグリューを殺そうと決めてしまったようだった。憤怒のあまり、杖を構える手はわずかに震えている。十二年間無実の罪を着せられ続けた彼からすれば、ペティグリューの話は責任転嫁の言い訳でしかない。

 「どけ、ドラコ・マルフォイ。君はハリーを助けたかもしれないが、まだ私は信用しきれたわけではない。君を吹き飛ばしてそいつを殺してもいいんだぞ」

 シリウスは先ほどまで僕に向けていた親しみを完全に失ったらしい。怒りのあまり落ち着き払ったようにも聞こえる声が恐ろしい。

 

 それでも僕は引かなかった。

 

 ペティグリューを殺させてしまえば、僕は僕の父を殺させる理論を看過することになる。弱さゆえに、闇に落ちるしかない人間を救う正当性を失う。それだけは出来ない。

 

 一歩も引かない僕を前にして、シリウスは嘲るように言葉を吐く。

 「君はそいつの話を信じるのか? ────いや、信じたとしても、そいつに許される余地などない。そいつは我々を裏切り、自分の身だけ守って陰でのうのうとしていた、悍ましい、見下げ果てた悪党だ」

 そうかも知れない。でも、ここで折れるつもりはなかった。僕はペティグリューの傍に跪きながらシリウスに問いかけた。

 「ピーター・ペティグリューは特別な悪だと思われますか? ──僕はそうは思いません。彼ほど弱い人間なんて山ほどいるんです。僕自身そうかもしれない。

 例え究極的な場面で、一度は裏切りに手を染めざるを得なかったとしても、戻って来れる。そんなふうに、光側の陣営が思わせられなかったことが、全てではなくとも、こんな悲劇の一因だ。そう、言えるのではないですか」

 シリウスは僕の言葉を聞き、目をギラギラと輝かせながら静かに嘲笑した。

 「甘い話だ。君は何も分かっていない。一度の裏切りを許せば二度、三度……それでは我々は疲弊していくだけだ」

 実際、そうだったのだろう。けれど、その厳格さが求められたのは今の話ではない。そんなこと、過去に囚われざるを得なかったシリウス・ブラックには言えるはずもないけれど。

 それでも僕は言葉を探し、紡いだ。

 「……分かっています。これが理想論だってことは。

 けれど、更正の余地がなければ、人々は常に白と黒のどちらかに立ち続けなければならない。ほとんどの人間はそこまで強くない。結局巡り巡って闇の陣営を増やしてしまう。違いますか」

 シリウスは殺意に目を血走らせ、僕の腕の下でキーキーと呻くペティグリューを睨め付ける。

 「だから何だ? 闇の陣営を減らすために裏切り者に慈悲を与えろと? こいつのしたことは許されることではない。多くの仲間をヴォルデモートに売り渡し、無関係なマグルを十二人殺した。落とし前をつけさせねばならない」

 僕は少しでもシリウスに敵対していないことを示したくて、深く頷く。

 「その通りです。それでも、その罰は私刑でされるべきではない。そうしてしまえば、他の弱い人間は益々貴方たちを信頼できなくなる。追い詰められた人間がどんな行動を取るかは、それこそペティグリューを見れば分かることでしょう」

 シリウスは半狂乱だった。彼は腕を振り、自分の胸を掻きむしる。

 「では、我々の気持ちは何処にやればいい? 不当に命を奪われた犠牲者の気持ちは? 親友を殺され、十二年間牢に繋がれた私の気持ちはどうすればいい? お前は当事者ではないからそんなことが言えるんだ!」

 そうだ。僕は当事者じゃない。当事者になりたくない。だから、ペティグリューを追い詰めさせたくない。

 「そうかもしれません。でも、その復讐心の正当性は示されなければならない! 正しさの価値を示さねばならない! そうでなければ弱い人間は易きに、悪に流されてしまう!」

 僕はシリウスを見上げて懇願した。シリウスは一瞬言葉を失い、しかし、再び軽蔑の笑みを浮かべ、吠えた。

 「魔法省はそれを許すかな? 保身で腐敗した魔法使い達の牙城が。私というブラック家の長男を十二年間も不当に牢に閉じ込めていたことを、そして自分たちがその間違いを正そうともしていなかったことを、やすやすと認めるだろうか? 認めたとしても、あいつらのやり方はいい加減だ。正しさの価値など知らん顔だ。奴らはお前のような甘ったれた考えを持っていないぞ、ドラコ・マルフォイ!」

 これも、その通りだ。魔法省は僕の父をはじめとした法の価値を認めない人間の手によって腐っている。それでも、僕は説得を諦めなかった。

 「そう……ですね。そうかもしれない。けれど、それは諦める理由にはならない。

 ペティグリューの情状を酌量し、それを踏まえて下される刑罰。それが成されることに力を注ぐことだけが、ペティグリューを生んでしまった魔法界の不完全さを癒せる。そう思ってはいただけませんか」

 

 シリウスは笑みを顔から消した。譲歩の姿勢を見せなかった今、もはや彼は僕と話す価値を見失ったようだった。彼は僕の肩を掴み、ペティグリューから引き剥がそうとする。痩せ衰えた人間とは思えないほど凄まじい力だった。けれど、僕はその場から動こうとしなかった。

 「もういい。十分だ。さあ、どけ。ここで終わらせる。──いいからどけ、どくんだ!」

 「やめて!」

 シリウスが吠え、右手の杖を僕の眼前に突きつけた瞬間、ハリーが叫んだ。彼は膝をつく僕の前に立ち、シリウスと向かい合う、

 シリウスは驚愕を隠さずハリーに言い募った。

 「ハリー、君は許せるのか? ペティグリュー──この腐り切った卑怯者を」

 ハリーは首を振った。

 「違う。ペティグリューを許したわけじゃない。でも、殺したいとも思わない。

 こいつを城まで連れていこう。僕たちの手で吸魂鬼に引き渡すんだ。こいつは裁判を受けて、アズカバンに行けばいい……殺すことだけはやめて」

 「ハリー!」僕とシリウスのやり取りに口を挟まなかったペティグリューが、歓喜の声を上げた。

 「君は──ありがとう──こんなわたしに──ありがとう──」

 ハリーはそんなペティグリューを、ゴミを見るような冷え切った目で睥睨した。

 「おまえのために止めたんじゃない。僕の父さんは、親友が──おまえみたいなもののために──殺人者になるのを望まないと思っただけだ」

 

 

 誰も、継ぐ言葉を見つけられなかった。暗い、埃っぽい部屋にペティグリューのゼイゼイと喘ぐ音だけが聞こえた。

 ついにシリウスは杖を下ろした。彼の顔には怒りではなく、悲哀が浮かんでいた。

 「ハリー、君だけが決める権利を持つ。しかし、考えてくれ……こいつのやったことを……」

 シリウスはまだ納得していない。しかし、彼はハリーのことを最大の被害者だと、この件の顛末を決めるべき人間だと考えているようだった。

 シリウス・ブラックは本当に友人のために僕に対して激昂していたのだろう。友達思いの冤罪に苦しんでいた人間に対して言い募ってしまったことに、仕方がないと内心で言い訳しながらも僕の胸は痛んだ。

 それでもハリーは意見を変えなかった。

 「こいつはアズカバンに行けばいいんだ。あそこがふさわしい者がいるとしたら、こいつしかいない」

 

 ようやく、話は決したようだった。先ほどからペティグリューを監視していたルーピン教授がその場を仕切り始める。

 「それでは、ピーターを城に連れていく。しかし、彼が変身して逃げようとすれば、やはり殺す。いいね、ハリー?」

 僕は彼を気絶させて連れて行きたかった。けれど、シリウスとルーピン教授はペティグリューを殺す余地を残したいようだった。ハリーはそれに頷く。

 

 僕らはロンの手当てをして、城に戻る支度を整えた。ルーピン教授がペティグリューを縛る縄を引き、シリウスがスネイプ教授を魔法で吊り下げる。僕はペティグリューの後ろをロンに肩を貸しながらついて行った。僕ら八人は狭いトンネルの通路を一列になって歩いて行った。

 後ろでハリーとシリウスが話し込んでいる。シリウスはハリーの後見人にされていたらしい。二人で一緒に暮らさないかと提案している声が聞こえる。けれど、ダンブルドアはハリーがマグルの親戚の家から動くことをどうお思いになるだろうか。彼があの虐待一家からハリーを連れ出さなかったことには何か意味がありそうなものだが。

 

 あまりに緊迫した場面に目に入っていなかったが、一番前をクルックシャンクスが誇らしげに歩いていた。あの猫も動物もどきじゃないのか? シリウスに手を貸していたとすれば賢すぎるだろう。

 疲れ切ってまともに物が考えられなくなった僕に、前を行くルーピン教授がおずおずと語りかけた。

 

 「すまなかったね、ドラコ。──君に、疑念を抱かせるような真似をして」

 「いいえ。僕に人狼であることの苦しみは理解しきれないと思いますから。でも、もう全てダンブルドアに話して下さい。彼が貴方にどう接するようになるか、僕には分かりません。けれど、仕返しに貴方の素性を暴露するようなことは絶対にないと、貴方もお分かりだと思います」

 「ああ、そうだな……私もまた、臆病さゆえに道を間違えた」

 僕からルーピン教授の顔は見えなかったが、彼の声には悔恨が浮かんでいた。

 「僕の気のせいではないと思いたいのですが、去年ダンブルドアは自らの敵に対する苛烈さを、ある程度後悔していたようでした。本当に敵なわけではない貴方のことだって、勿論彼は許してくださると僕は思います」

 「そうかな。ダンブルドアは二年も前から私をこの職に就けると約束してくださっていた。去年はそのための根回しに奔走して下さって。なのに、私はシリウスが脱走したと知っても何も言わなかった……私が早く言っていれば、ひょっとしたらもっと早く真実が明らかになっていたかも知れない……」

 当然の後悔だ。けれど、僕はルーピン教授を責めるつもりはもうなかった。

 「その場合、シリウスは自らの無実を証明できないまま連れていかれたかも知れない。それに、貴方をそこまで追い詰めた、人狼への不理解が蔓延るこの世界にだって原因はあるんです」

 ルーピン教授は振り返らなかった。

 「……ドラコ、君みたいな人ばかりの世界だったら、私やピーターのような人間は生まれなかっただろうね。君が、この先もそのままでいられることを願っている。心から」

 そう言いながらも、彼の口ぶりには何処か諦念が滲んでいた。それでも、僕は自分の心に落ちた影を振り払うように口を開いた。

 「……そのつもりです」

 ルーピン教授はそれには答えず、そのまま黙って歩き続けた。僕もロンと二、三言葉を交わした程度で、そのまま口をつぐむ。トンネルに沈黙が降りた。

 

 僕らが暴れ柳の下につくまで、誰も、何も話さなかった。

 

 

 

 ようやく辿り着いた校庭は真っ暗だった。変わらずルーピン教授がペティグリューの綱を引き、僕とロンがその後に続く。さらにその後をハーマイオニー、ハリー、シリウスが歩き、最後にスネイプ教授が浮かんでいた。

 

 ふと辺りが明るくなった。雲の切れ間から月が、欠けることなく輝く満月が見えた。

 僕はずっと疑問に思えていなかったことにようやく気づいた。ハリーとハーマイオニーが助けを呼んだのではないのだったら、何故ルーピン教授は、いや、スネイプ教授は僕らを追えたんだ? おそらく薬だ────脱狼薬。あれをルーピン教授に渡そうとして、後をつけたんだ。

 

 ああ、では、そんな。

 

 僕の眼前で、ルーピン教授の身体は硬直しはじめた。徐々に手足が震え出し、形を変える。

 「逃げろ!」

 後ろからシリウスの声が響く。彼は僕らを庇うようにルーピン教授に近寄った。しかし、僕はロンに肩を貸したままだった。担いでは逃げられないが、このまま置いていくわけにはいかない。

 僕らが動けずにいる間に、ペティグリューは地面にへばりつき、一瞬ネズミに戻り、また人に戻った。────ルーピン教授の杖を構えて。

 破裂音が響き、僕とロン、クルックシャンクスは吹き飛ばされた。呪文が直撃したロンは身体から力を抜き、僕の上でぐったりとしている。

 「エクスペリアームス!」

 ハリーがペティグリューを武装解除したが、もう遅かった。彼がネズミに変身して、校庭を駆けていくのが見える。なんとかロンの下から這い出ると、黒い犬と狼人間が組み付き合い、戦っていた。

 「シリウス、あいつが逃げた。ペティグリューが変身した!」

 ハリーが叫ぶ。シリウスはこちらを振り向くが、狼人間との戦いに気を取られていては追うこともできない。それだけじゃない。このままでは、僕らの中の誰かが噛まれてもおかしくない。

 

 ────僕はこの事態を解決する方法に一つだけ心当たりがあった。

 

 ロンから少し離れて杖を構え、花火をルーピン教授に放つ。鼻面を強かに打った狼人間は、僕を見据えて唸る。犬の姿をしたシリウスだけでなく、ハリーとハーマイオニーもこちらを振り返った。

 再び呪文を放つ。今度は縄が狼人間に絡みつく。けれど、たちまちそれは引きちぎられつつあった。

 

 

 「ハリー、ハーマイオニー、ロンを連れて逃げるんだ! 早く! シリウスはペティグリューを追うんだ!」

 

 「でも、君を置いていけない────」

 「僕は大丈夫。絶対に! 助けを呼んで。いいから行くんだ!」

 

 それ以上僕は言葉を継ぐことができなかった。狼人間は僕を見据え、縄を解くと踊りかかる。僕はすんでのところでかわし、再び縄を放った。ジリジリとみんなから距離を引き剥がす。何度も食ってくれる手ではないだろうが、今は三人から引き剥がせればそれでいい。

 

 ペティグリューが逃げた方とは逆の方へ狼人間を誘い出してしまった僕に、シリウスは一瞬逡巡し、しかし、それでもネズミを追った。

 

 僕は三人の方に狼人間が顔を向けるたびに花火を放ち、縄を仕掛ける。ようやく森の中に辿り着き、いよいよ狼人間は僕一人に対峙した。狙いを僕だけに絞った狼人間をいなせ続けるほどの体力はない。僕は絶体絶命だった。────このままでは。

 

 

 さっきトンネルでシリウスを追った時のことを思い出す。あのときだってできた。

 大丈夫だ。これは僕の一番尊敬する先生がこの一年指導して下さったことなんだから。やれるはずだ。いや、やるしかない。今夜、ルーピン教授には誰も傷つけさせない。

 

 

 ────そして、僕は白い犬に姿を変えた。

 

 

 

 

 



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第五十一話 沈む満月

 

 四本の足で地面に踏ん張り、ルーピン教授と向き合う。僕の動物もどきの姿は、守護霊とまったく同じだ。ブラッドハウンドに似た、短く白い毛並みを持つ犬。幸いなことに体格はそれなりに大きいが、熊にすら見えるシリウスほどではない。この大きさでは、到底狼人間を抑え込み続けることはできないだろう。けれど、この場では囮になれれば十分だった。

 

 

 ダンブルドアとの閉心術の訓練が早々に頻度を減らした後、隠れ蓑となってくれていたマクゴナガル教授は僕に動物もどきになるよう勧めた。彼女は二年生のときから七年生レベルの身体変身術の練習を僕に許可していたが、そこで僕が動物もどきになれる実力を持っているかどうか確認していたらしい。

 はっきり言って全く出来る気がしなかった僕は及び腰だった。それでも、マクゴナガル教授は危険を最小限にするよう自分が全て指導するし、ワガドゥーの生徒ならもっと若年で取り組み始めるから若すぎるわけではない、と熱を込めて語った。彼女の変身術の指導者だったダンブルドアが大賛成したこともあり、僕は今年多くの労力を動物もどきになることに費やした。

 それでも魔法の手順に天気など運の要素が大きく絡むために、動物もどきになる儀式は何度も失敗した。お陰でこの一年間のほとんどの間、僕の上顎にはマンドレイクの葉が張り付いていた。儀式の最後に必要な稲妻が空に光ったのは、期末試験の直前だ。そこで僕はようやくこの変身を習得したのだった。

 

 当然ながら僕のスキルは、杖なしで即座に変身できるような熟練者並みには至っていない。けれど、今この場では、人狼の感染の危険がない動物の姿になれればそれでいい。もし、動物もどきの姿が虫とかだったらルーピン教授を止めることはできなかっただろう。僕は自分の運に心から感謝した。

 

 

 ルーピン教授は突如白い犬に変身した僕をじっと見つめる。しかし、やはり獲物は人間が好みなようで、三人組を残してきた方に興味を戻し、森から出ていこうとしてしまう。それは予想できていた。僕は足をしならせて彼に飛びかかり、それなりに頑丈な顎で腿にしっかりと噛みついた。許して下さい、ルーピン教授。緊急事態なんです。

 

 狼人間は痛みに呻き、拳で僕の頭を殴りつける。人「狼」って言うくせに、平気で手を使ってくるのずるいよな。鈍く重い嫌な音が額から鳴るが、それでも僕は口を離さなかった。

 噛み付いた脚が振り回され、身体のあちこちが地面に叩きつけられる。それでもなお食いつく犬に、ルーピン教授はついに爪を立てて引き剥がそうとした。背中に切れ味の悪いナイフで切り裂かれたような痛みを感じる。耐えかねて思わず口を離すと、自由になった足で腹を勢いよく蹴飛ばされた。

 

 僕は枯れ葉をあたりに撒き散らしながら、ゴロゴロと地面を転げた。急所への重い一撃に思わず意識が朦朧とする。戦闘開始直後にして、既に結構な重傷だ。このまま……五時間? 六時間? とにかく、いくらスコットランドの日の出がこの時期早くても、夜明けまでは絶対に持たない。けれど、助けが来るまで気が引ければいい。幸いなことに、ルーピン教授は目障りな白い毛玉の対処に専念すると決めたようだ。彼は森の外へ出ようとするのを止め、僕に狙いを定めて飛びかかってきた。僕はなんとか足に力を込め、彼の鼻先を掠めてかわす。

 流石に首や腹を噛まれれば、動物に変身している間なら人狼にならないとはいえ、命が危ない。取り敢えず距離を取るため、僕は一目散に森の奥へと走った。ありがたいことにルーピン教授は唸り声を上げながら僕を追いかけてくれる。そのまま距離をとって交わし続けたかったが、足は彼の方が速いらしい。途中で追いつかれ、再び脇腹に強烈な爪付きの打撃を喰らって僕は吹き飛ばされた。

 

 さっきは手を使ってずるいと思ったが、口と手のリーチの違いのお陰で噛みつきをあんまり使ってこないのは大変にありがたいのではないだろうか。元々勝ち目なんてあると思ってなかったとはいえ、あまりにもボロ雑巾のように簡単に吹き飛ばされて、さっきから思考が現実逃避気味だ。おまけに口を使うときは隙が大きくなる。叩きつけられた木の根本から体を起こし、再びルーピン教授の顎の下をなんとかすり抜ける。本当にいつまでやればいいんだ、これ。

 先ほどは苛立ちを見せていた狼人間は、徐々に狩りを楽しみ始めたようだ。再び逃げ出した僕の後を追い、少し痛ぶってはまた離す、という行動をとり始めた。

 

 

 白々とした月明かりが木の葉の間から地面に落ちる森を無我夢中で駆ける。ルーピン教授と追いかけっこを始めてどれだけ経っただろう? たかだか四、五分にも、二、三時間にも感じる。しかし、まだ空は全く白み始めていないし、月だって西の空に落ちているように見えない。

 あの後、シリウスはペティグリューを捕まえられただろうか? ハリーとハーマイオニーはロン────あと、そういえばスネイプ教授もいたな。とにかく、彼らを連れて、無事助けを呼びにいけただろうか? 早く救援が来ないと、僕はルーピン教授に弄ばれて死ぬことになりそうだ。

 それは不味すぎる。本当は人狼だったルーピン教授が生徒を不注意で殺しました、なんてことがあってはいよいよ狼人間の風評も、アルバス・ダンブルドアの名声もおしまいだ。

 

 再び気持ちを奮い立たせて、振りかぶられているルーピン教授の腕の下を潜り抜ける。しかし、ぬかるみに前足を取られ、僕はその場に横様に倒れてしまった。狼人間はその隙を見逃さない。彼は僕の後ろ足に深々と噛みついた。激痛が腿の辺りに走る。なんとか逃れようと踠くが、牙がさらに深く肉に沈み込むだけだった。

 

 ────噛みちぎられる。

 

 痛みと絶望感に身体の力が抜けそうになったそのとき、森の中に爆発音が響いた。狼人間の横っ面に強い衝撃が走り、顎の力が緩む。僕はなんとか身を捩り、自分の足を狼人間の口から引き抜いた。

 

 

 そこに立っていたのは、マクゴナガル教授とダンブルドアだった。ダンブルドアは再び呪文を放ち、それに当たったルーピン教授はその場にどさっと音を立てて倒れる。ダンブルドアはさらに縄できつく狼人間を縛り上げた。

 ああ、助かった。安堵のあまり、僕はその場に崩れ落ちた。

 

 「ミネルバ、ドラコをポピーのところに連れてゆくのじゃ」

 ルーピン教授から目を離さずダンブルドアはマクゴナガル教授に指示する。マクゴナガル教授は普段シワ一つなく整えられているローブが泥に濡れるのも気にしていないようで、僕の傍に膝をついた。

 「マルフォイ、なんてことを……変身を解いてはいけません。ここまで傷が深くては元に戻ったときに致命傷になるかもしれない───」

 こんなに悲痛そうな顔をしたマクゴナガル教授は初めて見た。僕は毎年マクゴナガル教授の新しい表情を見ている気がするが、今までで一番見たくなかったと思う顔だ。マクゴナガル教授が呼び出した担架に乗せられ、病棟に連れて行かれる間、少しでも傷を癒そうと彼女は僕に治癒呪文をかけ続けてくれた。

 

 

 ルーピン教授はどうなるのだろうか? 薬を飲み忘れて変身して、狼人間にすることはなかったとはいえ、生徒に重傷を負わせてしまった。本当はルーピン教授の弁明をするため、人間の姿に戻りたい。けれど、こんなに辛そうな顔をするマクゴナガル教授の前で、これ以上彼女の心労を増やす気にはなれなかったし、そもそも身体全体が痛すぎて口を開けるのも一苦労だった。

 

 

 病棟に着くと、そこにはグリフィンドールの三人組がいた。マダム・ポンフリーにマクゴナガル教授が声をかける中、彼らの様子を盗み見る。ロンはベッドに横になっているが、ハリーとハーマイオニーは元気なようだ。しかし、三人とも不安そうな顔をしている。ペティグリューはどうなったのだろうか?

 

 ハリーはマクゴナガル教授が入り口から入ってきたのに気づくとパッと立ち上がり、声をかけようとする。しかし、マクゴナガル教授は何か言われる前に硬い口調でそれを封じた。

 「今は質問は許しません。後にしなさい」

 そこで、ようやく彼らはボロ雑巾のようになっているだろう僕に目をやる。流石に気付かれるだろうか? 残念ながら、説明してあげる余力は一切ない。

 

 マクゴナガル教授は事務室に一番近いベッドに担架ごと僕を置いた。扉からこちらに来たマダム・ポンフリーがベッドのそばに立つと同時にカーテンを閉め切り、マフリアートをかける。これはありがたい。三人組に余計な心労をかけたくない。

 マクゴナガル教授はマダム・ポンフリーに向き直り、震えが混じる声で囁いた。

 「ポピー……狼人間に襲われました……動物もどきの生徒です。応急処置はしましたが……」

 僕の様子を見て、マダム・ポンフリーは目を見開き、一瞬動きを止めた。しかし、すぐ気を取り直してテキパキと僕の身体を調べていく。絶対向こうは気にしていないとはいえ、自分が真っ裸かつ見えていない状態で他人にじっくり見られるのはとても恥ずかしい。すぐに検査は終わったようで、マダム・ポンフリーは懐から取り出した液体を僕の傷に塗りつけ始めた。

 「大丈夫よ、ミネルバ。傷は深いけど、全部治るわ。足の咬傷と背中の裂傷は痕が残ってしまうでしょうけど、他はハナハッカですぐに無くなるわ」

 それは有難い。僕は思わず体を動かそうとして、マダム・ポンフリーに「動かないで!」と叱責された。

 「ミネルバ、睡眠薬を持ってきてちょうだい。この子、ひどく疲れているようだし、フラフラして傷を悪くしても良くないわ」

 人間用の薬って、動物もどきに効くんだろうか? そう疑問に思う僕をよそに、マダム・ポンフリーはマクゴナガル教授が持ってきた紫色の水薬をシリンジに入れ、僕の口に突っ込んだ。薬の味を気にしている間もなく、周囲が溶けるようにぼやけ、僕はそのまま眠りに落ちた。

 

 

 

 目を覚ますと、病棟は朝日に包まれていた。

 ベッドから起き上がり、自分の身体を確かめる。まだ変身は解けていない。普段より動かし辛い頭をなんとか下に向けて身体を見ると、胴体と左後脚に包帯が巻かれているようだった。

 流石にそろそろ人間に戻りたいのだが、だめだろうか。三本の足でベッドからそろそろと降りる。床に伏せて、カーテンの下から病棟の様子を窺うと、ロンがいたベッドにはカーテンがかかっていた。ハリーとハーマイオニーはもう寮に戻ったのだろうか?

 カーテンの下を潜り抜け、あちこち痛む身体に耐えて事務室の方へ向かう。扉の前で小さく吠えると、中からマダム・ポンフリーが出てきてくれた。

 「あなた────まだ絶対安静です! ベッドに戻りなさい!」

 彼女に追い立てられるようにして渋々寝ていた場所に戻る。僕の恨みがましげな目に気付いたのか、僕がベッドに上がるのに手こずっているのを見た彼女は「戻ってよろしい」と言って包帯を解いてくれた。

 意識を集中させ、人間の姿を思い描く。目を開くと、僕はその場に二本足で立っていた。ちゃんと元に戻れたのだ。

 制服が土でドロドロなことに気づいたマダム・ポンフリーは目を釣り上げてローブをひっぺがし、体全体に消毒・洗浄呪文をかけ始める。地味に傷に響いたが大人しく呪文をかけられ、再び傷に包帯を巻かれた後、僕はされるがままにベッドに押し込まれた。

 久しぶりに喋る機能を得た僕はマダム・ポンフリーに向かって口を開こうとする。しかし厳しい目で睨まれ、犬から戻ったのを忘れて首を垂れた。僕をしばらく睥睨して、彼女は言った。

 「あとでダンブルドアがいらっしゃるそうですから、話はそこでお願いします」

 それは事情を話すにも聞くにも願ってもないことだが……ルーピン教授は大丈夫なのだろうか? 僕はベッドに横になっても眠ることもできず、天井をじっと見つめた。

 

 

 マダム・ポンフリーが事務室に戻ってからしばらくして、僕のベッドのカーテンを開ける人間がいた。ロンだ。彼は僕をまじまじと見つめ、口を開く。

 「やっぱり、昨日運び込まれてたワンちゃんって君だったのか。めちゃくちゃでかい死にかけのモップかと思ったよ」

 第一声がそれか。あんまりにもあんまりな言い様に、僕は思わずニヤリと笑った。

 「ルーピン教授はなかなか手強くてね。僕もそれなりにしてやったんだぜ?」

 嘘だ。結局、最初に脚に噛み付いた以外なんの反撃もできなかった。しかし、その言葉で不安そうな顔をしていたロンも笑顔になった。

 

 僕はずっと聴きたかったことをロンに尋ねた。

 「ペティグリューはどうなった?」

 ロンは僕の言葉に、少し眉を顰めて肩をすくめた。

 「分からないんだ。僕も気絶しちゃったからよく知らないんだけど、あの後ハリーはブラックとペティグリューを追っかけて行ったんだって。そこで吸魂鬼に襲われて、なんとかハリーが守護霊を出して切り抜けたらしいんだけど。その間にペティグリューは逃げて、ブラックもそれを追いかけてそれっきり」

 「そうか……」

 ネズミという隠匿性の高い動物もどきだ。一度人から離れたところに潜伏されては、見つけるのは難しいだろう。僕はまんまとシリウスの無実の証拠を逃してしまった。肩を落とす僕を見て、気遣わしげな視線を向けながらもロンはそのまま話し続ける。

 「その後はスネイプが起きて、僕とハリーを城に連れ帰ったんだって。先に戻って助けを呼んだハーマイオニーは病棟にいたってハリーが。僕が起きたら信じられないくらいスネイプはキレてるし、ダンブルドアが呼んだ魔法大臣はいるし、大変だったよ」

 あまりに想像が容易なスネイプ教授の激昂に、思わず僕は力無く笑った。目が覚めたら自分の宿敵三人──いや、二人か。それらがまんまと逃げおおせたと知って、彼はどれだけ怒り狂ったのだろう。ロンも少し引き気味だ。

 「ファッジは事件を揉み消したがってたけど、スネイプまでペティグリューを見たとなれば全員に口封じするのは無理だと思ったんだろうな。ペティグリューは一応指名手配されるらしい。ダンブルドアがシリウスの指名手配は取り消されないけど、生け捕りでの命令が出されるだろうって」

 ああ、そうか。完全に忘れていたが、スネイプ教授も人間の姿のペティグリューを見ていたのだった。ペティグリューを引っ張り出し、無実を完璧に証明することはできなかったが、真相に疑念を挟ませることはできたのか。

 「……良かった、のかな」

 曖昧に尋ねる僕に、ロンは大きな声で励ましてくれた。

 「君はメチャクチャ良くやっただろ! ルーピンをずっと相手してたんだろ? ハリーとハーマイオニーは心配のあまり死ぬんじゃないかって感じだったよ。まあ、正直今も大分ひどい有様だけど……」

 その次の言葉を聞くことは叶わなかった。ロンの声を聞きつけたマダム・ポンフリーが憤然と事務室から出てきたのだ。

 「何をしているんですか! 絶対安静と言ったはずですが!? ウィーズリー、あなたは足に問題がないんだったら、もう出て行きなさい。今すぐ!!」

 

 

 ロンはマダム・ポンフリーに病棟から叩き出されてしまった。辺りに静寂が戻る。

 シリウスの無罪を完璧に証明することはできなかった。僕にできることはいくらでもあったように思う。あのとき、怯えずにちゃんとペティグリューの動きを封じるよう進言していたら。ルーピン教授が脱狼薬を飲み忘れているともっと早く気づけていたら。ルーピン教授が変身したときにペティグリューを失神させられていたら。目を閉じると後悔ばかり浮かんできてしまう。

けれど、一つだけ。ペティグリューを殺しておくべきだった、という後悔だけは、僕は心から締め出した。それは、絶対に違うと信じたい。いや、違う。……………………

 

 

 

 いつの間にか微睡んでいた僕に、カーテンの外から声がかかった。返事をした僕のベッドの脇に立ったのは、やはりアルバス・ダンブルドアだった。

 そばに立つ校長を見て、一気に目が覚めた。彼は珍しく話を始める前から全く微笑んでいなかった。まだ朝の早い時間の、暖かい色をした朝日に照らされた彼の顔は、部屋の雰囲気にそぐわない重々しさを醸し出している。

 

 彼が僕に何か語りかける前に、僕は尋ねた。

 「ダンブルドア校長、ルーピン教授はどうされていますか?」

 「昨晩、わしが拘束し、そのまま森で日の出を迎えた。つい先ほど、正気に戻られた」

 ルーピン教授はどうなるのか。尋ねようとした言葉は、勢いよく扉を開ける音で遮られた。静かだった病棟に荒々しい足音が響く。憤然と入ってきたのは、真っ黒なマントをたなびかせ、殺気立ったスネイプ教授だった。

 

 僕とダンブルドアを見てこちらに歩いてくるスネイプ教授は、冷たい怒りに燃える目で、しかし口元に歪んだ笑みを浮かべていた。

 「ダンブルドア、私は何度も何度も進言いたしました。そして、実際に被害者が出ました。もう────私の口がついうっかり、滑ってしまっても仕方はありませんな?」

 一瞬何を言っているのか分からず、僕はダンブルドアを見る。彼は厳しい顔をしたまま、何も言わなかった。スネイプ教授はそれで満足したのか、さらに笑みを深める。待て、何を口を滑らして言うというんだ。ルーピン教授のことか? それは……それは絶対にだめだ。

 

 僕はベッドから身を乗り出してスネイプ教授に語りかける。

 「スネイプ教授、待ってください。被害者はいません。僕は狼人間になってません」

 僕の反論を聞いた瞬間、スネイプ教授は以前の口論のときのような憤激をあらわにした。彼は目を剥き、声を張り上げる。

 「お前は自分がどういう状況か分かっていない! その傷は一体誰につけられたと思っているのだ? この、どうしようもない聖人気取りの愚か者が!」

 ものすごい剣幕だ。たとえこの先スネイプ教授が一生こちらに心を開いてくれることが無くなろうと、折れるつもりはなかった。今までで初めてじゃないかというくらいに強く、スネイプ教授に向かって怒鳴った。

 「分かっています!」

 スネイプ教授は僕の様子を見て、一瞬だけ動きを止めた。すぐさま彼の怒りが高まっていくのを感じながら、それでも僕はどうにかして反論を絞り出した。

 

 「確かに傷は酷く見えるかも知れませんが、ホグワーツではこんなの日常茶飯事でしょう? 今回は、ルーピン教授が人狼で、人間に対しては殺してしまったり、感染させてしまったりする危険性があるのが問題だっただけです。僕はそのどちらでもない……すぐに治るんですから……」

 言葉を口に出す中で、自分でも直ぐにこの主張の苦しさが分かってしまう。偶然による被害の軽減はルーピン教授の罪を帳消しにしない。問題なのは、被害の可能性を生んだルーピン教授の危機管理の甘さにあるのだから。勢いを失っていく僕に、スネイプ教授は再び笑みを取り戻しながら反論しようとする。

 

 けれど、まだ。それでも、諦められない。僕は今度はダンブルドアに懇願するように語りかけた。

 「ダンブルドア校長、原因は呪いです。『闇の魔術に対する防衛術』の職にかけられた……一年でその職についた教師はホグワーツを去らざるを得なくなる。だからルーピン教授は脱狼薬を飲むのを忘れてしまっただけなんです……」

 ダンブルドアの表情に、隠しきれない苦痛のような色が広がる。彼は首を振り、僕の願いを退けた。

 「君は、他の生徒が君と同じように傷つけられても、ルーピン先生が学校に留まることを懇願したじゃろうか。いいや、違うじゃろう。君なら、そもそもそのようなことが起きぬよう、策を講じるべき立場にあった人間の責任を問うじゃろう。ことが起こる可能性を看過した時点で、わしとルーピン先生の落ち度は明白じゃ」

 背中の傷が燃えるように疼く。痛みのせいか、僕の息は荒くなってきていた。ダンブルドアがこの態度をとっている以上、もう話の行先は決まってしまっていた。心はもう絶望感から逃れられなかった。それでも、頭を動かして言葉を紡ぐ。

 「違います……いや、そうだとしても、呪いがどのような結果を生むのか、誰にも予測できなかったのでは……」

 ダンブルドアは自分が手痛い反論を受けているかのようだった。それでも、彼は固い声色で僕の主張を否定した。

 「いいや、予測できたとも、間違いなく。そしてルーピン先生とわしはその可能性を甘く見て、今回の事態を引き起こした」

 ああ、そんな、こんな結末が欲しくて森の中戦った訳じゃないのに。僕は呻くようにダンブルドアに言いすがった。

 「でも僕の怪我は軽いです。治らないものじゃない。それだけで────たかが、この程度でルーピン教授の人生を滅茶苦茶にして良いわけがない! 彼だって好きで人狼に変身しているわけじゃないんです!」

 「ドラコ、もうやめてくれ」

 

 病棟の入り口にはルーピン教授が立っていた。いつも通り、酷くやつれた様子で、今はそれに加えてズボンの左腿に血が滲んでいる。僕がつけてしまった傷だ。ルーピン教授はベッドのそばにまで来ると、僕らに向かって疲れ切った顔で微笑んだ。

 「今回の件は、全て私の責任だ。私は折角、この二度とない機会を与えてもらいながら、軽率さでそれを棒に振ってしまった。どうしようもなく不注意で、教師になるべき人間ではなかった」

 僕は反論したかったが、スネイプ教授がそれを許さなかった。

 「では、ルーピン。貴様の許可も得たということでいいな? 貴様の秘密が日の下に晒されるだけのことをした自覚はあると」

 ルーピン教授は悲しげな微笑みで頷いた。

 待て。それでいいわけがあるか。もはやどうにもできない部分があるのは分かっていたが、それでも、僕はスネイプ教授に哀願した。

 「おねがいです。スネイプ教授、どうか、ルーピン教授が人狼だとばらすときに、彼によって僕が傷つけられたとは言わないでください。それが知られたら、めんどうなことになるのは僕です。流れる噂を、どうにかしなければならないのは僕です。去年の石化事件だって、一人の被害くらいまでなら揉み消せたんです。僕の傷は夏休みが始まるまでには癒えます」

 スネイプ教授は僕を全く理解できない生物のように見た。しかし、ダンブルドアがまっすぐスネイプ教授を見る視線に、忌々しげにため息を吐いた。

 「マルフォイが巻き込まれたという件を除き────よろしいですな、ダンブルドア」

 ダンブルドアは今度こそ頷いた。見る間にスネイプ教授の顔に喜色が広がっていく。彼は僕の方を見ることもなくマントを翻し、来た時よりも落ち着いた足取りで病棟から出て行った。

 

 ああ、駄目だった。僕はルーピン教授の持っていた希望を守れなかった。せっかく彼は教師になって、普通の人生を手に入れるチャンスがあったのに。黙りこくった僕のベッドの足元にルーピン教授は近寄り、じっと僕を見つめた。

 「君は……何もかもを自分の責任だと思いすぎだね。私のことも……ピーターのことも。シリウスやセブルスの手前、はっきりと表に出さないようにしていたようだけれど、君は本当のところ、私たちに罪があると思っているように見えなかったよ」

 優しい、疲れ切った声色だった。僕は何も返事ができなかった。

 「自分の落ち度がはっきり分かっている人間にとって、その優しさは本当に辛い。君が私を庇えば庇うほど、自分にはそんな価値がないと身に沁みて分かってしまう」

 「そんな……そんなことを言わないでください。貴方を追い詰めるようなつもりはなかったんです」

 絞り出した声に、ルーピン教授の声色が優しげに変わる。

 「責めているわけじゃないんだ。悪いのは私だし、私は今回君を傷つけただけじゃなく、君に助けられた。君のおかげで私は……君以外の人を傷つけずに済んだ」

 俯いたまま顔を上げない僕のそばに、ルーピン教授はしゃがみ込んだ。

 「私にこんなことを言う権利なんてない。だけど、私は、本当に心から、君が自分に無関係な人にすら優しさを向ける心を持ったままでいることを願っている。だから、もうこんな危ないことはやめて、自分を大事にしてほしい」

 ルーピン教授が本当に僕のことを気遣っているのは分かる。それでも、僕は力無くそれに反論した。

 「だったら、あの場でどうすればよかったんですか。僕は自分にできることがあったのに。誰かがあなたに立ち向かわなかったら、ハリーたちが噛まれていたかも知れない。それを黙って見過ごせって言うんですか」

 彼はまっすぐ僕の目を見て頷いた。

 「そうだね。だから、本当は私には君に何も言う権利はない。でも、君の前に危険が迫っているとき、君のことを大切に思っている人間のことを思い出して欲しいんだ」

 「……じゃあ、せめて、謝らないでください。僕が何か出来たって思わせて下さい」

 

 ルーピン教授は目を伏せ、それでも再び僕の顔を見て微笑んだ。

 「私に君以外の誰も傷つけさせないでくれて、ありがとう」

 

 「ダンブルドア、これから荷物をまとめます。昼過ぎには発つつもりです。──今回は、申し訳ありませんでした」

 ダンブルドアは無表情だった。彼はただ頷き、ルーピン教授が病棟から出ていくのを見送った。

 

 僕は酷く疲れ切っていた。起きた時には鈍っていた傷の痛みが再び体全体に染み渡っている。

 ダンブルドアは僕に向き直った。

 「君にはまた助けられてしまった。しかし、この礼も謝罪も後にさせておくれ。今は傷を癒すのじゃ」

 それに頷く元気もなかった。僕はただ傷に当たらないようベッドに倒れ、目を閉じた。

 

 

 

 

 



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見舞いと報労

 

 

 

 あの後、僕は表向きには「期末試験後に浮かれて高レベルの変身術で失敗し、医務室で治療を受けている」ということになった。変身術は安易に使うと事故が起こりやすいし、本当に変身術を使ってその事故が起きたように見せるのも容易いからだ。

 マダム・ポンフリーは良い顔をしなかった──というか隙あらば見舞い人を追い出そうとしていた──が、証人作りのため面会を謝絶しないように取り計らってもらった。僕が拵えた鱗まみれの顔を晒すことで、ルーピン教授に遭遇したと公然に言う人間はいなかった。来年度、満月の夜に夕食に出ているのを見れば、今疑念を持っていた人間がいたとしても問題ないだろう。

 

 ルーピン教授がホグワーツを去った日の夕方近く、ハリー達がやってきた。やっぱりとても心配をかけてしまったようだ。ハリーとハーマイオニーは僕の命に別状がなさそうなのを見て、あからさまに安堵の表情を浮かべた。

 ペティグリューが逃げたことや、ルーピン教授が辞職したことにも、彼らは責任を感じていた。特にハリーは。僕は何も言えなかった。彼らに全て責任を与えてあげることも、僕が全て責任を引き受けることもできない。

 

 落ち込んだ雰囲気を変えたのはロンだった。昼頃にハグリッドに会ったらしい。そこで昨日結局放り出してきてしまったアンケートのことについて話したそうだ。

 「ハグリッドはアンケートの点数で魔法史と数占いに勝ったぜ! まあ、『授業内容についての説明の分かりやすさ』はこれからってところだけど……魔法生物飼育学で誰がそんなところ気にする?」

 いや、大事だろう。ハーマイオニーも明らかに物言いたげな顔をしていた。彼女の場合は数占いが好きだというのもあるだろう。ロンはそれに気付かず続ける。

 「スネイプはすっごく面白くなさそうだったな。アンケートの許可を出してないやつは、自分が評価されるのにビビってるってスリザリン生にすら思われてる。スネイプもそうだけど、トレローニーとか……まあ、間違ってないよな?」

 スネイプ教授は、ルーピン教授のことで良くなった機嫌に早速水を差されたらしい。

 昨日までの僕だったら、彼がヘソを曲げることを心配していただろう。けれど、今はなんだかどうでも良くなっていた。彼がまた憎悪を振り撒き始めるまで放置する気は毛頭ないが、スネイプ教授に対して今持てる感情の中に、慈悲も憐憫もない。だったら、何も思わないようにする方がマシだった。

 「でも、これで先生方も来年は全体でアンケートを取るようになるんじゃないかしら? フリットウィック先生なんかとっても喜んでらしたわ。みんな『元気が出る呪文』とかが好きで、氷結呪文なんかはつまらないと感じがちだって分かったって。来年度は氷結呪文の授業でアイスクリームを作るとか、もうちょっと工夫されるそうよ」

 ハーマイオニーが補足したことに、ロンが声を上げた。

 「えーっ、それ、今年もやってくれたら良かったのに! 四年生の方の授業でもフリットウィックは何か新しいことしてくれるかな?」

 こういうとき、ロンがいてくれるのは本当に救われる。彼の剽軽さで一人ベッドで考え込んでいたときよりずっと心が軽くなった。三人組は他の生徒がホグズミードから帰ってくる頃合いになって、寮に戻って行った。

 

 

 三人組のすぐ後に、クラッブとゴイルがマクゴナガル教授から話を聞きつけてやってきた。クラッブは明らかに僕がここまで派手な失敗をしたことを怪しんでいた。しかし、僕が何もいうつもりはないと理解したら引いてくれるのが、僕がつい甘えてしまう彼の良いところだった。

 ゴイルはロングボトムから渡されたと、見舞いの花を持って来ていた。彼らがいつの間に仲良くなっていたか知らなかったが、ゴイル曰く自分も僕に魔法薬学を教えてもらったからほっとけなかったらしい。

 ロングボトム本人は流石に病棟までやってくることはなかったが、彼がくれたサンザシの花は──僕の杖の材質を知っていたのだろうか?──僕がスネイプ教授に歯向かってでも彼の手助けをしたことを肯定してくれているようで、大きな慰めになった。

 クラッブとゴイルと話し終わるところにやって来たザビニとパンジーとウィーズリーの双子が、僕の腕の鱗を採取し始めた辺りでマダム・ポンフリーの堪忍袋の緒が切れ、その日の面会は打ち切りになった。何に使うつもりだったんだろう。嫌な予感がする。僕は奴らに関してはいつもそう思っている気がする。

 

 それから学期末パーティまでの一週間、僕は病棟に缶詰になった。マダム・ポンフリーは早々に退院させて欲しいという要望だけは絶対に叶えてくれようとしなかった。ゴチャゴチャ言っていると面会謝絶にされそうだったので、僕は大人しくベッドの住人になった。

 僕の変身術の失敗が気になるのか、かなり大勢がお見舞いに来た。

 

 翌朝、一番にやって来たのはハグリッドだった。彼は初めはひどく心配そうにしていたが、僕が元気だと分かると忽ち笑顔になって何かを伝えたいのかソワソワし出した。

 「例の……ほら、来年の教材なんだが、魔法省からの許可が下りたぞ!」

 嘘だろう。驚愕を全く隠していない僕に気づいているのか分からないが、ハグリッドはそのまま、僕の膝三つ分ほどある羊皮紙の束を取り出して説明を続けた。

 「いやー、色々準備せにゃあならんが、親がどんな奴らかとか、掛け合わせるやり方とか、それぞれの特徴がどう出るかを見ることにしたんだ。

 どんなふうに成長するか、分からんところもあるからな。アンケートでニーズルを見てみたいと書いとるやつもおったからそれも扱ってやりたいし……とりあえず観察だけだ! 他の生きもんと並行してな。

 飼育作業は七年の希望者だけだな。それだったらマニュアル通りにいけるだろう」

 ハグリッドの勉強机サイズの授業案は読みやすい文字とは言えないものの、計画がきっちり立てられており、安全管理マニュアルに則って作られていた。

 これなら、いい授業だと言えるのではないだろうか。ハグリッドの脅威の品種改良──改良?能力や遺伝がどのようにして起こるのか学べる。正直僕ですらかなり興味を惹かれてしまう内容だった。

 「この授業案、一人で作ったの?」

 誰かの手を借りたんだとしたら、いつの間になんだろう。まさかダンブルドアが?

 けれど、僕の予想は裏切られた。

 「おお、流石に試験も近いのにお前さんらに手伝ってもらうわけにもいかんだろう。この一年でどんなふうに授業を作っていきゃあいいか、少しは分かっちょったしな。こう、文字に起こしておくと説明するときにも迷わんでええ。いっつもは無理だが……」

 「すごい、本当にすごいよ。ハグリッド」

 僕は心の底から嬉しかった。思わずハグリッドの方に身を乗り出して彼の巨大な胴を抱きしめる。この、インクを消した跡だらけの、よれた羊皮紙にはハグリッドの努力が現れていた。

 彼は文字を書くことだって得意じゃない。綴りだって怪しいし、そもそもペンのサイズが手に合っていない。ホグワーツを三年で辞めさせられて、授業というものにだって生徒の四年生以上の方が馴染みがあると言える。

 それなのに、彼は今年僕らが手助けしていたことの意味を自分なりに考えて、自分の力で「先生」になったのだ。

 

 ハグリッドの毛羽だったベストに顔を埋めて泣きそうになる顔を隠す僕の背中を、彼は優しく、傷に響かないほど優しく撫でた。

 「お前さんらのおかげだ……俺も初めの頃よりずっと自分が良い先生になれてると思う。子どもらも楽しそうだ。あのとき、俺の小屋に来て、そのあと色々気を回してくれて、ありがとうな」

 

 その日の午後にはジニー・ウィーズリーを筆頭に縁のある下級生がゾロゾロとやって来た。彼女が兄から渡されたと僕に渡した蛙チョコレートが、何故か増殖を始めベッドの上が満杯になったところで、マダム・ポンフリーによって全員が叩き出された。

 僕はかなりウィーズリー家が好きになっていた。

 

 

 退院一日前にやって来た意外な人は、ジェマ・ファーレイだった。僕は今年は彼女と殆ど縁がなかったので、かなり驚いた。ジェマは七年生。これでホグワーツは卒業だった。

 「私、闇祓いになることになったわ。だから、一応報告にって思って」

 ジェマは凛々しく笑った。彼女は初めて話したとき──僕に、スネイプ教授に歯向かわないよう忠告したときより、ずっと自信に溢れた女性になっていた。

 お祝いを言う僕に、彼女はちょっとだけ考え込んで、口を開いた。

 「ねえ、私、今年はスリザリン以外三寮の五、六年生にも『闇の魔術に対する防衛術』をちょこっと教えてあげたりしていたのよ。知ってた?」

 全然知らなかった。目を丸くする僕に、彼女は少し得意げに続ける。

 「去年の努力の賜物ね。ロックハートはろくでなしだったけど、おかげで防衛術に関しては私、パーシー・ウィーズリーにだって負けてないのよ。

 ウィーズリーの人望がなくて助かったわ。彼、N.E.W.T.で追い込まれて下の学年に当たり散らしてたらしいから……マクゴナガル先生の研究室で、六年生のグリフィンドールの監督生に相談されたのよ」

 僕は本当に心の底から驚いていた。確かに、今年に入ってから妙にグリフィンドールの上級生からの目が優しいと思っていた。フレッドとジョージの影響が大きいのかと思っていたが、それだけではなかったのだ。

 ジェマは僕に悪戯っぽく、皮肉を込めて微笑み言う。

 「グリフィンドールの上級生がスリザリンとそこまで険悪じゃなくなったのは、貴方以外にも色々やってた人間がいるからなのよ。

 お礼はいらないわ。貴方のためじゃなくて、私たちスリザリンのためだもの。無駄に敵を作るのは「狡猾」じゃないって、教えたのは貴方かも知れないけど、私たちだって考える頭くらい持ってるのよ」

 「……うん、本当にそうだね」

 それしか言えなかった僕に、彼女は手を振って病棟を出て行った。

 

 

 学期末パーティの日の朝、ようやく僕は退院を許された。あの日の夜に聞いた通り、制服を着ていて見える場所の傷は全て消えた。背中と脇腹、太ももにはまだ赤みがしっかりと残る傷跡があるが、誰かに見られそうになったとしても問題ない。僕は変身術の達人なのだから。

 自信過剰なことを考え、他の思い出したくないことを頭から振り払いながら、僕は鏡に映る傷跡を消す練習を少しだけした。

 

 その日の昼過ぎ、僕はマクゴナガル教授の研究室に呼び出された。

 

 

 



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マクゴナガル教授の矜持

 

 学期末にマクゴナガル教授の研究室でダンブルドアと会うのは、それが意図したにしろ、そうでないにしろ三度目だった。

 しかし、今回は今までとは違うことがあった。ダンブルドアだけでなく、部屋の主人であるマクゴナガル教授も中にいらっしゃったのだ。ダンブルドアと向かい合って立っていた彼女は、ノックして僕が入って来たのに対し、勢いよく振り返った。一週間前の満月の夜と同じような、悲痛な表情をしていた。

 僕は想像していなかった状況に思わず怯んだ。それでも、いつもの調子を守ることを優先して、できるだけ普通に挨拶した。

 「こんにちは、マクゴナガル教授、ダンブルドア校長────あの、どうなさったのですか?」

 答えたのはマクゴナガル教授だった。彼女は口を引き結んで一瞬言葉に詰まり、考え込むようなそぶりを見せた。けれど、事情を語ることを決めたようだ。皺が寄るのも気にせずローブの胸元を握りながら、彼女は震えを抑えたような声で言葉を発した。

 「マルフォイ────ダンブルドア校長は、あなたの動物もどきの申請をしない方が良いとお考えだそうです」

 僕は思わず目を丸くした。しかし、予想していたわけではなかったが、そこまで驚くべきことではなかった。

 ダンブルドアは闇の帝王が近々復活することを知っているのだから、僕を信用しているのなら────というか、前年の事などで信用せざるを得ない部分はあるのだが────僕がどちら側に付かざるを得なくなるにせよ、この能力の露見は避けるべきだと考えるだろう。

 ダンブルドア側だったら敵に知られぬスパイにする。敵側だったらスパイに使われぬよう能力を秘匿する。合理的だ。

 

 僕が理解を示すように頷くと、マクゴナガル教授は目を見開き、唇を戦慄かせた。劇的な彼女の表情の変化に、僕は叱責されてしまうのかと首をすくめた。法律を破るような真似を生徒がするなんて、マクゴナガル教授は良い顔をしないだろう。

 しかし、彼女の矛先はダンブルドアへと向かった。

 マクゴナガル教授はダンブルドアに向かって、怒りと悲しみに満ちた声色で責め立てた。

 「アルバス────この子はまだ14歳になったばかりです! それを────それを、間諜にするおつもりですか? 

 ただでさえ今年一年あなたはこの子を────ええ、言いましょう。使い潰した! この子なら言わずとも自分の意図を汲んで駆けずり回るとご存じで────あなたは────」

 ダンブルドアはマクゴナガル教授の言葉を遮った。

 「わしはドラコを間諜にするつもりはない」

 マクゴナガル教授の主張を受け入れる気が全く窺えない、断固とした口調だった。ダンブルドアは医務室で会った時と同じように、一切微笑んでいなかった。

 この状態のダンブルドアの説得は無理だろうと感じる。しかし、マクゴナガル教授はそれでも全く怯まなかった。

 

 「しかし、この子はそれが他人にとって良いことだと思えば、貴方の命令などなくてもそうします! 自分の命も顧みないで! 今年で分かったはずです!

 貴方はそれをお分かりになっていながら、それを見過ごそうとしている! お分かりになっていながら、私に───私が、この子に動物もどきになるよう指導するのを看過なさったのですか?」

 口にしながら気付いたように、マクゴナガル教授は途中から愕然とした表情になった。

 僕が動物もどきで何になるかなんて、ハリーと守護霊の練習をするまでは予想できなかったのだから、それはない────そう言いたかったが、今僕がダンブルドアを庇うような真似をしたら、ここまで感情を露わにしたマクゴナガル教授がどんな反応をするのか想像もできない。僕はただ黙って成り行きを見守った。

 

 ダンブルドアはマクゴナガル教授の指摘に、それでも揺るぎない姿勢を崩さなかった。

 「違うと言って、ミネルバ、君は信じてくれるじゃろうか? しかし、一つだけ言わせて欲しい。ドラコが動物もどきになってしまった以上、この子がこの能力を使って危険に身を晒すのを止めることは難しい。

 この子は賢く、愚かな我々の過ちを正すのに奔走することを止められぬ。その時、他の人間を出し抜く手をもっていることが、この子の身を守ることになるとわしは信じておる」

 それでもマクゴナガル教授は全く説得された様子を見せなかった。彼女はいよいよ憤怒を漲らせながら反論する。

 「そんな状況に置くこと自体が誤りなのではないですか? アルバス! 我々は教職です。子どもを守る義務があります! 

 今回私たちはこの子の能力に甘えて、自らの責務を蔑ろにしました。であれば、私たちがやるべきことは責務を全うするよう努めることです! この子が私たちの尻拭いをする手段を増やすことではありません!」

 ダンブルドアに歩み寄ったマクゴナガル教授の目には涙が光っていた。頭を殴られたような衝撃を感じる。そんな、彼女にそんな気持ちになって欲しかったわけではないのに……僕がやりたいことをやりたいようにやっていただけなのに……自分に言われたものでもないのに、今までの誰からの叱責よりも辛さが胸を切り裂いた。

 

 思わず俯いた僕の頭の上で、黙ってマクゴナガル教授の話を聞いていたダンブルドアが重々しく口を開いた。

 「ミネルバ、ヴォルデモート卿が近々復活する」

 部屋に水を打ったような静けさが満ちる。まさか────僕の「記憶」のことをマクゴナガル教授に伝えるのだろうか? ハリーは本当に成長した。闇の帝王と戦う、あの姿にとても近くなった────それを警告するために?

 

 しかし、僕の予想は外れた。ダンブルドアは少し沈黙した後、話を続けた。

 「トレローニー先生が予言をなさった。それをハリーが聞いた。

 『闇の帝王は、友もなく孤独に、朋輩に打ち棄てられて横たわっている。その召使いは十二年間鎖につながれていた。今夜、真夜中になる前、その召使いは自由の身となり、ご主人様の下に馳せ参ずるであろう。闇の帝王は、召使いの手を借り、再び立ち上がるであろう』

 ……ヴォルデモート卿は戻って来る。また、あの戦いの時代が訪れる。そのとき、ドラコの動物もどきがどれだけ役に立つのかは、貴方が一番良くご存知かと思う」

 予言? まさか、ハリーが言っていたトレローニー教授が「変になった」というのはこのことなんだろうか? 魔法界に信憑性が高い予言が存在することは知っていたが、まさか当代にそれを行える人間が────それもトレローニー教授が────いるとは思っていなかった。ダンブルドアがそれを信じている以上ある程度確かなんだろうが──いや、なんでダンブルドアはそれを信じているんだ?

 

 マクゴナガル教授が言葉を失ったままでいるのをよそに、ダンブルドアは言葉を続ける。

 「ミネルバ、貴方の動物もどきは猫だった。隠密性に優れ、たとえ姿を知られていても見破られ辛い。前回、我々もそれにずいぶん助けられた。

 しかし、ドラコはちと目立つ。毛色が白いし、大きいしのう。であれば、スパイではなく、いざという時に逃げる手段として、彼に命綱を持たせておくべきじゃ」

 そうなのだ。本当はもっと目立たない、それこそ虫とかネズミとかが良かったのだが、犬だった。幸いにして、今年は多少それが役に立つ形になったが、今後はそうもいかないだろう。猫とは違い、街角なんかを飼い主もいない、でっかい真っ白な犬がフラフラ歩いていたらとても目立ってしまう。

 

 僕も同意を示そうと思わず口を挟んでしまった。

 「マクゴナガル教授、僕もそうした方がいいと思います──」

 マクゴナガル教授はまだ涙の引き切っていない目で僕をキッと睨んだ。僕はすぐさま口を閉じた。

 「ええ、マルフォイ。貴方はもちろんそう言うでしょうとも! アルバス! 私のこの教職にあった三十八年を懸けて言いますが、この子は自分が逃げるためだけに、この能力を使うことは絶対にない!」

 そんなことはないと言いたかった。実際、「自分が逃げられる」というメリットがそれに併発するデメリットより大きければ絶対にそうするだろう。けれど、今の悲しみと怒りに打ち震えるマクゴナガル教授にそれを言って説得するのは、ほとんど不可能に思えた。

 ダンブルドアはマクゴナガル教授に対して首肯する。

 「そうじゃろう。しかし、それだけが彼の心を守る」

 マクゴナガル教授はそれに対しては返事をしなかった。再び部屋に沈黙が落ちる。僕はかなりいたたまれない気持ちになっていた。先生二人が僕のことについて、それぞれ僕のために口論すると言うのは本当に居心地が悪い。それも、二人とも僕を責めたりは全くしないのだから尚更だった。

 

 しばらくして、静寂を破ったのはマクゴナガル教授だった。彼女は僕の方に向き直り、やはり悲痛な口調で言葉を発した。

 「────マルフォイ、約束しなさい。もう二度と、自分の命が危険に晒されると分かっていながら、他人のために動物もどきになることはないと。もし貴方がそのような真似をしたと私の耳に入れば、私はホグワーツの教師を辞めます」

 前者も後者も中々受け入れがたい内容だった。僕は思わず意見しようと口を開いたが、マクゴナガル教授はそれを阻止するように言葉を被せた。

 「約束しなさい!」

 選択肢はないようだ。ここでいいえと言えば彼女は動物もどきの申請をしてしまうだろう。僕は頷くしかなかった。

 「……分かりました。でも、マクゴナガル教授がお辞めになる必要は──」

 今度も僕の言葉は遮られた。マクゴナガル教授は少しだけ先ほどまでよりもしっかりした口調で言う。

 「今回貴方が被った被害を考えれば、今すぐにでも取るべき行動かも知れません。それに────他人のことを思う貴方には一番いい脅しかと思います。貴方は私がこの学校を去る損失を高く評価してくれているでしょうから」

 僕をまっすぐ見つめる彼女の目に、反論することはできなかった。それに、彼女が学校からいなくなるなんて考えたくもなかった。

 

 

 「ミネルバ、すまぬ。また、席を外していただいても構わぬかのう?」

 ダンブルドアは先ほどまでよりも柔らかい声でマクゴナガル教授に頼む。マクゴナガル教授は全く気に食わないと言った顔でダンブルドアを睨んだ。

 「構いますとも。けれど──ええ、いいでしょう。アルバス、貴方がマルフォイに危険な真似をさせたと分かっても私は教職を辞します。それはご理解ください」

 ダンブルドアは深々と頷いた。

 「肝に銘じよう」

  マクゴナガル教授は本当に僕が一番尊敬する先生だ。彼女にここまでさせてしまったことが悔やまれる。彼女は教職としての矜持をダンブルドアに示し、自分の研究室を後にした。

 



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アルバス・ダンブルドア(3)

 

 

 マクゴナガル教授が部屋を去り、ダンブルドアは僕に向き直る。やはり、常の暖かさが消えた、感情が窺えない顔だった。

 彼は重々しく口を開く。

 「まずは謝罪をさせて欲しい」

 今まで何度か聞いていた言葉だ。しかし、今回は僕も反論することなく頷いた。

 「流石に今回は……受け入れます。ルーピン教授のことは、貴方にどうにかできたことだと思いますから。でも、これで終わりにしてください。分かっていることを確認しあっても無駄ですし、僕も辛くなってくるので」

 ダンブルドアは、やっと悲しげな色を瞳に宿した。僕はそれを無視して今後の話を進めようとする。

 「他の方を頼れなかったのですか? 人狼の管理について法整備を進めたがっている方とか。僕より貴方の方が遥かに広い人脈をお持ちのはずです」

 ダンブルドアは痛いところを突かれたとばかりに、顔を歪めた。その表情に浮かんでいたのは、慙愧の念だった。

 「口にするにも恥ずかしいことではあるが、君は魔法界の良識を良き方に見積もりすぎておる。

 先の戦争でフェンリール・グレイバックを始めとした多くの狼人間が闇の側に付き、良識あるものであればあるほど、その脅威を心痛することになった。故にわしとルーピン教授は今回学校外の人間の手を借りるわけには行かなかった。

 学校内での理解を得るのにすら時間をかけ……しかし、わしはヴォルデモートによる呪いを甘く見たことで、今回全てを台無しにしてしもうた」

 僕は少し恥を覚えた。ダンブルドアに手を打てなかったのか聞いて、これを感じることは珍しくない気がする。彼は基本的に僕より遥かに大局を知っていて、その中での最善を選び取ろうとしているのだから。

 それを誤魔化すようにダンブルドアに言う。

 「なら……それこそ僕にお申し付けくだされば良かったのでは? おっしゃる前にできなかった落ち度がありながらと思われるかもしれませんが……」

 ダンブルドアは強くかぶりを振った。

 「いいや、君に頼りすぎたこと自体がわしの最大の過ちじゃ。もし今回の計画が上手くいき、ルーピン先生が未来その正体を明かして我々の側に立つことになれば、君の彼に対する尽力は間違いなく露見する。そのとき、君の立場を取り繕うことはもはやできぬじゃろう」

 冷や水をかけられたような気分になった。いや、確かに今までだって僕は自身の思考が大っぴらになることは避けていた。けれど、もうすぐ闇の帝王は復活するのだ。なのに────

 「……取り繕う必要があるとお考えなのですか? つまり……マルフォイ家は闇の帝王側に付くことになるだろうと?」

 声の震えを抑えてダンブルドアに尋ねる。彼はもうこちらを見ていなかった。窓の方に顔を向け、しかし何にも注視していないようだ。彼はそのまま、答えた。

 「君一人なら、わしはいくらでも庇うことができよう。しかし、ルシウスは……難しい」

 これには、我慢ができなかった。二年生のクリスマス休暇の時と同様、僕はダンブルドアを責めるように言い募った。

 「何故です。去年貴方はおっしゃっていたではないですか! ──準備なさると。信頼を勝ち取れるよう、そうおっしゃっていた!」

 ダンブルドアは窓の外を見たままだった。

 「準備しておる。しかし、ヴォルデモートがそれを待たず復活することはもはや明白じゃ」

 「明白なものですか──彼の復活などという大きな出来事であれば、この三年の例から考えれば、早くても来年の今頃! 一巻の締めくくりとして事は起こるはずです! まだ一年ある!」

 ダンブルドアはついに窓の外を見るのを止めた。彼は、やはり恥ずべきことを言っているという表情を隠さず、疲れを滲ませた声で僕に告げる。

 「繰り返しになるが、君は魔法界の良識を過大評価しておる。

 確かに、君が三年でこの学校に起こしてきた変化は目覚ましいものじゃ。ヴォルデモート────いや、グリンデルバルドの頃から見ても、ここまで築き上げられてきた確執から子どもたちが解放されたことはない。

 けれど、それは相手が子どもだったからじゃ。事実、君はこの一年でスネイプ先生の頑なな心を僅かたりとも変える事はできなかった」

 反論しようとして、ダンブルドアに手で制された。実際何を言えばいいか思いついていた訳でもなく、僕はそのまま黙り込む。

 「君には言えぬじゃろう。その人の罪を、その人が生きる場所に求める君が、『たまたま、スネイプ先生が悪人だっただけ』などということは。

 その通りじゃ。あの時代、多くの人間が望むと望まざると手を汚すことを強いられ、そしてその罪は多くの拭い去れぬ遺恨を残した。無論、まだ罪を犯しておらぬものにまで、その責を問う人間ばかりではない。

 去年、君に対してモリー・ウィーズリーとアーサー・ウィーズリーがどれだけ感謝を示していたか、知っておろうか? しかしそれは、君が子どもだからじゃ。モリーは君が優しい子だと知っていたとしても、自らの兄弟を殺し、そのままなんの責めも受けることなくのうのうと暮らす死喰い人たちの一員を、心から許すことはないじゃろう」

 気付いていたことではあった。僕の影響が全ての場所に届く訳ではないと。だからこそ、僕はあれほどスネイプ教授に心を砕いて、少しでもその影響の範囲を広げようとしたのだから。

 

 それでも、諦められない。僕はどうにか口を開き、反論を紡ぎ出した。

 「でも……過去が変えられなくとも……父を抱き込めれば、純血一族の多くを抱き込めます……未来の争いが少なくなるかも知れないとは……お考えではないのですか?」

 ダンブルドアは僕の想像通りの反論をした。

 「その場合、わしはウィーズリー家やプルウェット家、ロングボトム家を始めとする、先の大戦でこちらに立った多くの人間の信頼を失うことじゃろう。ヴォルデモートが戻ったとき、我々は戦う手段を大きく減らすことになる」

 

 

 それでも……それでも、何か道はあるはずだ。自分の頭の中を引っ掻き回して言葉を探す。

 「父が……父が純血主義を諦めるよう……せめて、マグル生まれの差別を止めるよう説得します……そうすれば、理解は得られる……違いますか?」

 殆ど自分ですら今から一年では無理だと思えることだ。けれど、今はそう言うしかない。そうしてすがる僕に、ダンブルドアは悲痛な表情で告げる。

 「それをしてしまえぬのが問題なのじゃ」

 予想していた父が意見を変えないだろう、という指摘ではなかった。だからこそ、僕は彼の言葉から不吉なものを感じ取った。

 

 「何故です?」

 懇願ではなく呵責を声に滲ませた僕の問いに、ダンブルドアは僕から目を逸らした。

 「三たび言おう。君は魔法界の良識の程を見誤っておる。

 ルシウスが我々の側に回ったとき、ヴォルデモートの陣営を除いて最もこちらに反発するのは誰だか、分かるかね?」

 

 「…………誰なんです?」

 

 「コーネリウス・ファッジじゃよ」

 予想外の人間の名前だった。いや、確かに彼は権力の座にいるものではあるが、しかし────

 「魔法大臣は、貴方が父の支援を得て権力を握り、彼を追い落とすとお考えなのですか? そんな────馬鹿馬鹿しい────」

 「そう、君に取っては馬鹿馬鹿しい限りじゃろう。しかし、事実じゃ。既にファッジはわしの吸魂鬼の扱いについて、不満を漏らし、わしを邪魔者だと思うようになっておる。

 もしルシウスを抱き込むことに成功したとして、コーネリウスがわしへの反感を募らせれば、ことはより厄介になる。ヴォルデモートが隠れて復活した場合、魔法省は我々の敵対者としてヴォルデモートの元に背後を晒すじゃろう」

 

 けれど、コーネリウス・ファッジが問題になるのは、彼が魔法大臣なんて言う分不相応な職についているからなのだ。僕はそんな理由で諦めるわけにはいかなかった。

「じゃあ────じゃあ、事はもっと簡単です。貴方が魔法大臣になればいい。そうして、闇の帝王と戦う準備をすればいい」

 ダンブルドアは額に手を当て、目元を覆った。

 「それはできぬ」

 弱々しい声だった。それがこちらの勢いを取り戻させてしまった。僕はダンブルドアになおも言い募る。

 「何故です! 確かに貴方は今年失態を犯したかも知れない。それでも、貴方は偉大だと思われている魔法使いです! 幾らでも選挙に勝つことなどできるでしょう!」

 「できぬのじゃ」

 ダンブルドアらしくない返答の仕方だった。

 「理由を教えてください! 闇の帝王に対して取りうる最大の策を講じず、犠牲が足元に積み上がることを看過する理由を!」

 

 「わしにはできぬ……」

 顔から手を離したダンブルドアの目に涙はなかった。けれど、僕は彼の声が泣いているかのように震えるのを聞いた。

 「わしは、権力を持った自分を信用できぬ。

 たとえヴォルデモートを退けたとして、そのときわしが奴以上に悪しき支配者にならぬと言えるじゃろうか? 誰もわしを止められぬ……。

 わしは今以上に敵に対して残酷になるじゃろう。短絡的に、それらを除けばわしの好む人間がより幸せになれる存在を除くじゃろう。

 誰にも歯止めはかけられぬ。わしはその良識を持ったものたちこそを言いくるめ、自らの配下に従えることに長けておる。今抑えられている無能力な者への蔑みを、誰にも悟られることなく現実の鉄槌としてわしは下すじゃろう」

 その声に滲んでいたのは恐怖であり、悔恨であり、懺悔だった。去年、同じ時期にここで話をしたときのことを思い出す。そんな弱音はやめて欲しかった。

 僕はこの弱った人になお言い募る罪悪感を何とか抑え込み、言葉を紡ぐ。

 「…………それを、ご自覚なさっているなら問題ないはずではないですか」

 項垂れていた顔を上げたダンブルドアは、いつもよりずっと若く見えた。しかし、顔に現れたそれは、若々しさではなく、未熟さだった。

 「試すようなことはしない。私はもうこの権力欲で妹を失っているのだから」

 ダンブルドアの目には涙が光っていた。

 

 僕もダンブルドアも言葉を続けることができなかった。しばらく、部屋に沈黙が落ち、再びダンブルドアは口を開く。

 「……もし君が、もう少し早く生まれていたならば。何もかも違ったのかも知れない」

 そんな「もしも」はいらない。慰めにならない評価はいらない。僕は気圧されていた心をなんとか取り戻し、反論を紡いだ。

 「僕はそれが買い被りにならないよう努力します。貴方を止められる力を得るよう努力します。だから────」

 ダンブルドアは僕の声を遮り、言った。

 「一年では……間に合わない。私は君を抑え込める。簡単に」

 

 

 「父だけでも、どうにかすることはできないのですか?」

 僕は殆どダンブルドアへの説得の気力を失っていた。父だけ助かることは、僕が一番望んでいたことではなかった。

 それを感じ取ったのか、ダンブルドアは少し調子を戻しながら、悲しげに言う。

 「君も分かっておるじゃろうが、ブラック家がほぼ滅亡した今、マルフォイ家は純血一族の中でも最有力であり、また、お母上のナルシッサの姉ベラトリックスは裏切り者を絶対に許さぬじゃろう。

 そして、そうなってしまっては、わしはヴォルデモートを打ち砕くために必要な策に回すべき手を割いて、君たちに差し伸べなければならぬ」

 「ルシウスがヴォルデモートに下ったとしても、今までの背信により罰せられることも、すぐに矢面に立って手を汚させられることもないじゃろう。

 ルシウスの最大の力である他者を取り込む能力を毀損したいとヴォルデモートは考えぬじゃろうし、忠誠心あるものがアズカバンにいる今、復活してから奴が頼らざるを得ぬのはその背信者たちじゃ」

 

 「では、僕はどうすればいいのですか? 指を咥えて父が闇の帝王の下に降るのを見ていろと?」

 思わず皮肉な言葉が漏れる。ああ、この人を責めたい訳ではないのに。それでもダンブルドアは僕に反感を覚える様子を見せず、今までよりしっかりした声で話を続けた。

 「君の『記憶』や、わしの知り得ることから言って、次の戦いは長くは続かぬ。

 ヴォルデモートが復活してから戦いが長引けば長引くほど、我々の勝ち目は薄くなってゆく。我々の手の内は明かされ、恐怖が人々をあやつの元へ導くからじゃ。そうなる前に戦争が終わるとすれば……四、五年以内。そこまで、君は出来る限り渦中に身を置かぬようにするのじゃ」

 いきなり楽観的な予測が出た。確かに、僕も一年一巻ならそんなに長々とした話にならないだろうとは考えていた。しかし、最終巻だけ十年分ありますみたいな可能性はゼロにできないのだ。

 

 だから、彼の予想は僕の「記憶」だけに基づいた訳ではない。先ほどダンブルドアがマクゴナガル教授に語ったことを思い出し、僕は問いかける。

 「予言ですか? 貴方がトレローニー教授を信じるに至った予言。それが戦いはいつ終わるのか告げていたのですか?」

 ダンブルドアは頷きはしなかったが、肯定するように眼を閉じ、開けた。

 「君ならそこまで辿り着くと思っておった。閉心術の訓練は正解だったのう。

 しかし、それは戦いがいつ終わるか読んでいる訳ではない。それが示し、現実に表れている今の状況を読む限り、という話じゃ」

 つまり、その理由を僕が聞けばさらに危険を抱え込むことになるから話せないと。理解を示し頷く僕に、ダンブルドアは続ける。

 「ヴォルデモートは人の価値を過小に見積もる悪癖がある。学生でいるうちは、君がどれだけ優れて見えようと、仲間に引き込む価値を見出すとは思えぬ。奴にその見地が薄いからこそ、わしは今も昔も変わらず、ホグワーツにいるという面もあるのじゃから。

 君は、君自身が罪に手を汚さぬことに専念して、この時代が終わるのを待つべきじゃ。君の狡猾さは危機的な状況では余りに迂遠で遅鈍じゃ。闇が退いた後、世を導くときまで耐えるのが得策だと言えよう」

 

 ダンブルドアが僕のことを思って、今この言葉を口にしているのは伝わってきた。しかし、それは全く受け入れ難いものだった。僕はダンブルドアに確かめるように言った。

 「あなたは僕に家族を見捨てろと言っている。彼らが悪行を犯すのを、黙って見ていろと言っている」

 思わず固い口調になった僕に、それでもダンブルドアは説得するよう言葉を続けた。

 「言ったように、ルシウスはすぐに言い逃れできぬほど罪を犯す訳ではない」

 ダンブルドアが言うなら、そうなのだろう。それでも、僕は父だけを救いたい訳ではないのだ。それでは、父をずっと守る理論を作り上げられる訳ではないのだから。

 

 僕はどこか凪いだ心でダンブルドアの目をまっすぐに見つめた。

 「僕は────僕にはできることが残っていると思う。それが何かは、まだ分からないけれど。でも今、何もできなさそうだからと言って、一度抱えた野望を捨てたりしません」

  ダンブルドアはかぶりを振る。

 「ヴォルデモートが復活するのには、間に合わぬ」

 そうなのだろう。けれど、僕はそれでもダンブルドアに微笑んで見せた。

 「ヴォルデモートが戻るから、何だと言うのです? 彼の下でだって僕は自分に出来ることを探します」

 

 「…………君一人なら守れる」

 

 「僕だけ守って頂くことに、正義も意義もない」

 

 「……私と君の繋がりをヴォルデモートに知られれば、今までの前提は崩れる」

 ダンブルドアはだから、僕にこちらに来いとでも言っているようだった。けれど、僕は彼がそれを漏らすことはしないと確信していた。

 「分かっています。もう、僕から貴方にお伺いすることはないでしょう。貴方から何か聞く必要もない。僕は貴方がより多くの人々の幸せのために動いていると信じていますから」

 ダンブルドアは僕が信頼を示すときほど、痛みを感じるような顔をする。自分が救えなかったと思っている人間から信頼を向けられるのに罪悪感を覚えるほど彼は優しいのに、自分を信じられないダンブルドアが痛ましかった。

 正直なところ、絶望感が心に這い上がってくるのは無視できない。けれど、それが受け入れるしかないものであると僕はもう悟っていた。だったら、絶望して何もしないでいるなんてことは、ありえない選択だった。

 「心配しないでください、ダンブルドア校長。マクゴナガル教授に怒られちゃいましたから、危ないことはしません」

 笑顔で話を締め括ろうとする僕に、ダンブルドアは項垂れ、口を開く。

 「何と言えば君に許してもらえるじゃろうか」

 

 

 「去年と同じことを返します。

 多くの孤独はその人のせいではない。貴方が自分を信じられないほどに孤独なのも、そうです」

 

 そして、僕はダンブルドアを残して研究室を去った。

 



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第三巻 完

 

 

 あれだけ格好を付けてダンブルドアの下を去っておいて、僕は見通せない未来にやっぱり怯えていた。もう、彼の庇護下に、仮初でも安住することは出来ないのだから。けれど、振り返ってみればもっと早く気付くべきだったとも思う。去年の父の愚かな企みが人死を出して成功していれば、この決別はもっと早く訪れていただろう。

 闇の帝王は復活する。父が闇の陣営に付いてしまうこと込みで、動き方を考えないといけない。実際に魔法界が戦火に包まれるのは、つまり、死喰い人達が表立って人を殺し始めるのはいつになるだろう。

 ダンブルドアは、魔法省がダンブルドアの側に付かなければ、闇の帝王には早々に自分の復活を知らしめる利がないと考えていた。……それでも当然だが、時間はそこまで残されている訳ではないのだろう。どちらの陣営にも血を流させたくないのなら、その間に闇の陣営側が人を殺さないことによって得る利益を提示しなくてはならない。

 この状況下で、子どもの僕はどうしようもなく無力だった。でも、これからはダンブルドアの意思に沿って動く必要はない。彼の計画内の穴埋めの域を越えれば、今までより出来ることは増えるだろう。

 一歩間違えればダンブルドアの、いや、この物語の筋書きを台無しにしてしまうかも知れない。それでも、自分が野望を抱くことを止められないのにはとうに気付いていた。

 

 ならば、寂寥にいつまでも駆られていても仕方ない。ダンブルドアが捨てざるを得なかった人々を守る道は完全になくなってしまった訳ではないと、僕は信じているのだから。

 

 

 

 ダンブルドアとの会話の後、学校の生活はなんだか現実味が感じられなかった。もうすでに戦争に突入しているとすら感じている僕に、変わりのない日常というのは半ば夢想的だ。それでも、例年通り学期末は締め括られていく。

 

 今年度の寮杯はスリザリンが獲得した。正直なところ、グリフィンドールがクィディッチで優勝していたので厳しいかと思っていた。しかし、僕らが入学してから、スリザリンは着実に勉学の面で功績を重ねていた。僕だって、ダンブルドアからは受け取らずとも、他の先生からなら点数を貰う。「制度」の事もあって、スリザリンは他の寮を出し抜いた卑屈な悦びではなく、矜持を持ってこの勝利を祝った。

 他寮の態度も二年前とは違っていた。学期末パーティの席は、あの三寮が共通の敵対者を打ち負かせなかった敗北の雰囲気ではなく、ごく普通の悔しさや諦め、負け惜しみ、後はほんの少しの祝福で満ちていた。

 

 

 成績も発表された。流石に今年はハーマイオニーに勝てないだろう──それに、取ってる科目が違うから合計点の話になり辛いし、もう父上はあんまりお気になさらないだろう──と思っていたのだが、予想は外れた。

 彼女と重複している科目は、というか彼女は占い学を除いて全ての科目を取っていたのだが、必修科目と魔法生物飼育学、古代ルーン文字学だった。魔法生物飼育学はハグリッドが真っ当なことに100点満点で採点したため同点、古代ルーン文字学は僕が僅かに上回った。

 あとの科目の勝敗は一年生の時と変わらず。強いて言うなら魔法薬学の点数が下がり、変身術と防衛術の点数が上がった。ハーマイオニーは防衛術の実技でポカをやらかしたらしい。

 それもあって僕は「ハーマイオニーと被っている科目の総合でなら一位」というありがたいんだかそうじゃないんだかな称号を得た。僕は占い学でかなり悪い点を取ったし、彼女の方が数占いやマグル学も取ってるんだから別に誇れはしない。それに、八百長と言う人間がもはやいなくても、魔法薬学で一位を貰っているのは恐ろしかった。

 

 

 帰路に就くホグワーツ特急の、僕のコンパートメントはいつもよりずっと空いていた。ザビニとパンジーはこちらに荷物を置いたらさっさとウィーズリーの双子の方にとんずらしたし、ミリセントはレイブンクローの女の子達と夏休みに遊ぶ計画を立てに行ってしまった。ゴイルすらロングボトムの魔法薬学のテストを見に行ってしまったので、残ったのは僕とノット、クラッブだけだ。

 あんまりワイワイと話す気分ではなかったので、少しありがたい。ノットとクラッブが窓際でチェスをしているのを横目に、僕は今年結局殆ど手をつけられなかった授業引き継ぎのための要領を作成していた。ダンブルドアを迂闊に頼れなくなった以上、今年のように後援を貰うことはしないほうが良いだろうが……どう使おうか。

 

 何にも身が入らない僕のコンパートメントを、突然誰かがノックした。ハーマイオニーとロンだった。クラッブはやっぱりあまりいい顔をしなかったが、彼もそろそろ諦めの境地だ。ルーピン教授の件が露見していたらいよいよまずいことになっていたかも知れないので、そう言う意味でもスネイプ教授が折れてくれて助かった。

 扉を開けたハーマイオニーが僕に声をかける。

 「ねえ────貴方の答案、やっぱり、見せてくれない? 出来れば私たちのコンパートメントで」

 言い訳としては悪くないが、喋り方で他に用があると言っているのがバレバレだ。思わず少し笑って、クラッブに謝って僕は二人に連れられ、その場を後にした。

 通路でロンは僕に尋ねる。

 「ねえ、君、フレッドとジョージがパンジー達と何してるか知ってる? あいつら、最近ずっと顔を突き合わせて何かコソコソやってるんだ」

 「さあ、知らない。人の鱗をひっぺがして飲み薬か何かに使えないか考えてたみたいだけど、あれはただの変身術だから無駄だったろうね」

 正直少しは知っていた。ザビニが「だまし杖」や「ひっかけ菓子」といった何やら怪しげな悪戯グッズを同寮に売りつけようとしていたところを捕まえたのだ。しかし、どれもひどい怪我を負わせたりしないし、「菓子」は自分たちで試している「らしい」ということを言っていたので、取り敢えず管理を徹底することを約束させて解放した。無害で面白いものであれば、僕も歓迎だ。あれは間違いなくウィーズリーの双子が後ろにいるのだろう。

 

 彼らのコンパートメントではハリーが待っていた。彼は羊皮紙を握りしめじっと見つめており、異様に小さいフクロウがピヨピヨと辺りを飛んでいる。中に入って扉を閉じると、彼は僕に手元の封筒のようなものを見せた。

 「シリウスから僕に手紙が来たんだ! ホグズミードの許可証が入ってた。これで、僕も来年はみんなと一緒に遊びに行けるよ。

 魔法省もペティグリューの疑惑で吸魂鬼を要所に配備しなくなったから、前よりずっと楽に移動できてるって」

 けれど、ペティグリューを捕まえない限りシリウスの無実が完全に証明されることはない。彼の喜びに水を差したくないからそれを口に出すことはなかったが、僕の気持ちは少し沈んだ。

 「あと……貴方の『動物もどき』のこと、ダンブルドア校長に口止めされたの。「例のあの人」が戻ってくるかも知れないから申請しないだなんて──バレたらどうするつもりなのかしら?」

 ハーマイオニーは不安そうだ。もっともな懸念である。それでも、そこにそれ以上追求されたくなくて僕は誤魔化すように笑った。

 「ダンブルドアは僕らのことを考えて仰ってる。マクゴナガル教授も折れてたし、まあ僕がほとんど使わなければ、大丈夫だろう」

 ロンは少し呆れ顔だ。

 「君、たまに異常なほど大胆だよな」

 そう見えるものだろうか。肩をすくめる僕に、ハリーが何かを差し出した。

 「シリウスから君に手紙だよ。他の人がいる前で開けたらまずいだろう?」

 本題はそれだったのか。僕は三人からの視線が集まる中、封筒を開けた。

 

 

 「私の従姉の息子殿へ

 

 まずは、ムーニーのことについてお礼を言いたい。情報が入ってきているわけではないが、君が惨殺されたというニュースが新聞を賑わせていないということは、上手くやってくれたのだろう。ありがとう。

 

 私は初め、君がハリーを救ったスリザリン生と分かったとき、君は私のように家の家風にそぐわない者として生きてきたのだろうと思った。けれど、ワームテールを庇う君は明らかに私とは違った。正直に言って理解できないと思ったよ。けれど、その優しさを今後もハリーに向けてくれていると嬉しい。君は勇敢で人を守る能力に優れている。

 

 もし、私の無実が証明されて、君がその家を出たいと思うなら、私はいつでも君の支援者になる。容易く来るとは思えない未来だが、私の叔父も私にそうしてくれたし、私もそのようにありたいと考えている。君がこの申し出で不愉快になってしまったら申し訳ないが、万が一のことを考えておきたくてね。

 

 パッドフット」

 

 シリウス・ブラックを頼る日が来るとは思えないし、彼にそんな気を回させてしまうのも申し訳ない。それでも、ダンブルドアの手を離れざるを得なくなった今、闇の帝王側ではない親族が僕の身を案じていることに、僅かだけ心強さを感じてしまった。

 

 「じゃあ、もしペティグリューが捕まって、君がルシウス・マルフォイに愛想を尽かしたら、君と僕とは後見人が同じ同士になるってこと?」

 横から覗き込んでいたハリーが言う。

 僕はその未来を選ぶつもりは全くなかったが、やはりハリーの夢に水を差すのは躊躇われた。曖昧に笑う僕に、横からロンが茶化す。

 

 「その場合、ハリーは散歩が大変そうだな……大型犬二頭か」

 僕は持っていた手紙でロンの頭をぶった。みんな笑っていた。

 

 そうして、ホグワーツ三年目は幕を閉じた。

 



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炎のゴブレット
クィディッチ・ワールドカップ


 

 

 ホグワーツ4年目の夏休みは、去年よりずっと重苦しい気分で過ぎていった。近い将来に待つ、闇の帝王の復活を知る僕の中では、という但し書きは付くが。

 

 戦争を前にして僕は、マグル生まれやダンブルドア側を直接傷つける原因になる父の思想を、少しでも改めたかった。しかし、その試みは今までも取り組んで来たものだった上に、成果はかなり微々たるものだと言わざるを得ない。僕が十数年で父の考えを改められていたら、そもそも「秘密の部屋」事件など起きていなかっただろう。

 父は僕の進言に対し、人倫に則り融和的で尊いものだという姿勢は見せた。しかし、それだけだ。彼はそれを現実の行動に反映させることはなく、実情の見えていない14歳の子どもの思考だと真面目に受け取りはしなかった。

 確かに、そういった面があるのは事実だ。もし父が僕の考えに完璧に基づいて社交の場で振る舞うようなことがあれば、純血一族の代表格としてのマルフォイ家の価値は失墜し、手にできていたはずの発言権すら失ってしまうことだろう。身内に対してすら内心を隠しながら、議論を暗に僕の望みに沿わせてくれるほど、父からの理解を得るのは困難だった。

 

 その上、闇の帝王が戻ればそのそばに侍ることになる父は、忠誠の確認のために心を覗かれる可能性がある。ダンブルドアに追従するような意見や未来への危機感を父に開帳しすぎて、親子共々墓穴を掘るような事態に陥るのは避けなければならない。しかし、その慎重な姿勢では父を説得し切ることはできない。正直言って詰みだ。

 今の僕にできるのは、精々父が死喰い人の実働隊に組み込まれないよう、祈ることだけだった。

 

 

 

 僕の気持ちとは裏腹に、イギリス魔法界は二つの国際的なイベントの開催を目前にして沸き立っていた。一つは、クィディッチ・ワールドカップ。もう一つは三大魔法学校対抗試合だ。後者はまだ発表されていない情報ではあるが、魔法省の上層や国際的なイベントに関わる人々であれば、既に耳にしている人が殆どだろう。

 

 両方とも大きな行事だが、ワールドカップは別格だ。十万人もの魔法使いが、全世界からイギリスに群れを成してやってくる。そもそも魔法界は人口がメチャクチャ少ないので、冗談抜きでイギリス魔法界の人間のほとんどが、ワールドカップを直接に観戦することになる。

 たかがクィディッチなんぞのために……と、かつての僕なら思っていただろう。今だって思っている。しかし、娯楽に乏しい魔法族のクィディッチ愛というのは、僕の方が間違ってるのかもしれないと思わせるほどの迫力がある。マグルに感知されることを避けて、二週間前から現地に入ってキャンプ場で開催を待たないといけない観客もいるのに、試合さえも数日に亘る可能性があるという狂いっぷりだ。二十日近く仕事を休む可能性を容易に許容するところが、魔法界クオリティである。

 

 マルフォイ家は人数も少ないし、良いチケットをファッジ魔法大臣に融通してもらったので、試合開始直前に姿現しで現地入り、という形でも良かった。というか、僕はそうして欲しかった。

 しかし、体面や社交を軽んじては純血一族の名折れだ。我が家は一日前に現地入りし、無駄に立派な城のようなテントを屋敷しもべ妖精に張らせた。テントの前には父のペットの孔雀まで繋がれている。魔法族の中でも古い家柄なのに、父の趣味が妙に成金みたいなのは一体何故なんだ。

 

 僕も学校の友人たちと出店を冷やかしたりできたので、完全に無為な時間というわけではなかった。しかし、このキャンプ場がどのように運営されているのかを目の当たりにした時は、流石にこのイベントが心底嫌になってしまった。

 

 

 繰り返しになるが、魔法族は人数が少ない。10万人を一時的にでも収容する施設などイギリス魔法省は持っていない。そこで、臨時かつ簡易的な宿泊施設として考えられるのが、魔法のテントを使ったキャンプだ。

 けれど、魔法族には「キャンプ場でキャンプをする」という文化はない。自然の中で戯れたければそこらへんで野宿でもしてろ、というのが可能なのが魔法使いである。故に、魔法族には多人数が集うキャンプサイト運営のノウハウはないのだが、それが今回僕を心底不愉快にさせた出来事の原因となった。

 

 

 魔法省はキャンプサイト管理を、そのままその場にいたマグルの管理人に任せることにしたのである。

 

 

 今回のワールドカップ開催に際して、父を始めとする反マグル派は、開催地周辺から全てのマグルを追い出し、なんなら以降もその他の用途地として開発すべきだと主張した。

 けれど、マグルを魔法使いの事情でその場を去らせるのは、一時的であっても「非人道的」であるという理屈で、その提案は却下された。マグルのキャンプ場管理者は、機密保持法を頭に留めて置けない愚かな魔法使いたちのやらかしを忘れてもらうために、頭に大量の忘却呪文を喰らい、キャンプサイト運営の仕事を続けさせられている。

 

 実際のところ、ただでさえマグル避けや魔法使いの移動の調整に人員を割いており、これ以上キャンプ場の管理者の手配に人手を回したくない魔法ゲーム・スポーツ部や国際魔法協力部の怠慢が、こんな非人道的な事態を招いたのだろう。

 現場に来てみれば、そのマグルに呪文をかけ続ける人間を配備しなくてはならないという点でも、本末転倒な拙策だ。

 

 連中は忘却呪文さえ掛けていれば、忘れさせた記憶がその人にとってどれだけ大事であろうと、マグルの人権を保護できていると考える浅慮の偽善者だし、ほとんどの魔法族は概ねその意見に同意するだろう。

 あのマグル保護の最前線を走っているウィーズリー氏とて同じだ。美しいパターナリスティックな「マグル保護法」が望まれようとも、彼らがマグルを同じ心を持つ人間だと見做しているわけではない。

 人の思考の根拠であり、意思決定の判例となる「記憶」を叩き潰すことに対し、マグル権利保護論者は、魔法族の存在を明かすべきではないという正論を掲げ、正当化する。

 もし、本当にマグルが魔法族と同じ人権を持つと考えているなら、致命的なダブルスタンダードだ。

 

 魔法使いとマグルは同種の生物ではない。魔法使いはマグルの世界を軽んじ、必要であれば他国の首相に錯乱の呪文を掛けることも、全く厭わない。その現実が示す意味を本当に踏まえた上で、なおマグルへの愛を掲げている人物を、僕はダンブルドアを含めて知らない。

 どうしようもなく未開な僕ら魔法族が、マグルに対して本当に誠実であろうとするなら、最初に取るべき策は無策に親交を深めることなどでは断じてない。

 二つの世界を隔離し、魔法界の人権意識を根本的に更新し、「人の記憶を消したり操ったりするのは悪いことです」という当然の事実をマグルにまで適用する。さらに、それがルールとして徹底されているとマグルが信じられるほどに制度化した果てに、ようやく我々は非魔法族と議論の席につく正当性を得る。

 

 そして、誰もそこまでしようとはしない。ほとんどの魔法使いにとって、マグルは愛玩される可愛い「何も知らない」隣人でしかない。元マグルの僕としては歯痒いことだが、この価値観を根本的に変えようとしても、魔法族は自分達に対してすら人権意識が希薄だ。それこそ何十年というスパンで、実行力を伴った改革を行う必要があるだろう。

 

 それまでは、この反吐が出る状況を看過するしかない。

 僕は魔法省の役人にオブリビエイトをかけられているロバーツという名の管理人に対し、内心で謝罪しながらその場を後にした。

 

 

 正直、このグロテスクな現実に気分が萎えてしまい、僕は帰りたい気持ちでいっぱいになっていた。けれど、今回はコーネリウス・ファッジ魔法大臣からの招待だ。ダンブルドアに対して感情的に反目する、鴻鵠の志を知らない燕雀である彼に取り入っておけば、ダンブルドアを陰ながら支援することも可能かもしれない。そのチャンスをみすみす捨てるわけにはいかなかった。

 僕はテントの中の自分の部屋(マルフォイ家のテントの中はタウンハウスのような豪勢さだ)でビンクにぐちぐちと魔法省への不平を漏らしながら、試合が始まるのを待った。

 

 

 

 翌日の夕方、いよいよ試合開始を目前にして周囲も盛り上がっていた。特設スタジアムのある森まで、人が列を成して歩いていくのが見える。僕ら一家はある程度人足が落ち着いたところでスタジアムまで姿現しした。空中で行われる競技にふさわしく、ピッチを取り囲む観客席は高層ビルのように高く空へ聳えている。その割に幅は薄く、「マグル的価値観」で言えば今にも折れそうで恐ろしい。最上階の貴賓席へ向かうため、長い階段を僕らは登って行った。

 

 

 招待されたボックス席の前方は、既にある程度埋まっていた。後ろからでも分かる、燃えるような赤毛の一団はウィーズリー家だ。ハリーとハーマイオニーまでいる。失礼な話だが、アーサー・ウィーズリー氏がこんな大人数のチケットを用意できている事実に、僕は内心意外さを感じてしまった。

 

 丁度僕らの前に席に来たらしいコーネリウス・ファッジが隣の魔法使いと何やらごちゃごちゃと話している。僕らが来たのに気づいたのか、彼はこちらを振り返って笑顔を浮かべた。

 「ああ、ルシウスのご到着だ! いや、待っていたよ」

 父はゆったりとファッジのところへ歩いて行き、握手をする。

 「ああ、ファッジ。お元気ですかな? 妻のナルシッサとは初めてでしたな? 息子のドラコもまだでしたか?」

 ファッジは微笑みを浮かべ、僕らに挨拶をした。

 「これはこれは、お初にお目にかかります」

 「お会いできて光栄です。ファッジ魔法大臣」

 ファッジと話す僕らに気付いた、前の席のグリフィンドール三人組が振り返る。ハリーとロンは僕に向かって手を振ろうとしていたが、僕の父の存在を認めたハーマイオニーから鋭い肘鉄を喰らって撃沈していた。かわいそうだが、ハーマイオニーの気遣いはありがたい。僕は周囲の大人にばれないように、彼らに対して小さく微笑んだ。

 

 

 僕らに対し温かく歓迎してくれたファッジは、隣にいた魔法使いを手で示した。

 「ご紹介いたしましょう。こちらはオブランスク大臣──オバロンスクだったかな──ミスター、ええと──とにかく、ブルガリア魔法大臣閣下です。どうせ私の言っていることは一言もわかっとらんのですから、まあ、気にせずに」

 他国の元首に対して、なんて無礼な人間なんだ。英語が分からないからといって、最低限の礼節は持つべきだろう。頭痛がしてくる。隣にいるオブランスク大臣も心なしか不機嫌そうな顔だ。

 幸い、ブルガリア語は南スラヴ系の言語を一気に習得した際に、簡単には勉強していた。僕は自分の稚拙さに怯える心に蓋をして、ブルガリア魔法大臣に彼らの言葉で挨拶をした。

 「Добър вечер, Ваше превъзходителство, министър на магията. За мен е чест да се запозная с вас.」

 オブランスク大臣は少し目を丸くした。しかし、隣のファッジの方が食いつきが良かった。

 「おお、ルシウス、貴方のご子息はブルガリア語がお出来になるのか? それは結構! オブランスク大臣との間にすわってくれ……」

 こいつは一国を代表する魔法大臣としての自覚がないのか。言葉が分からなくて困り果てているからって、他国元首の対応を十四歳の子どもに任せるなんて、無責任にも程がある。常ならば絶対に断っていた。

 しかし、今は僕の稚拙なブルガリア語でファッジの機嫌が取れるなら、大いに結構なことだ。オブランスク大臣には申し訳ないが、僕のゴマスリに付き合っていただくしかない。僕はできるだけ丁寧なブルガリア語で、再度彼に話しかけた。

 

 「申し訳ありません。ファッジ大臣がブルガリア語が少しでもできる人間がいいだろうとお考えで……お隣、よろしいですか?」

 横に恐る恐る腰を下ろそうとした僕を、オブランスク大臣はじっと見つめる。少し間があり、彼は先程までよりもはるかにゆっくりとした、聞き取りやすいブルガリア語で話し出した。

 「構いませんよ。私の名前がオブランスクかオバロンスクかなどと言っている人間に、隣に座り続けられるのは不愉快でしたから」

 僕はギョッとしてしまった。この人──英語が分かってるじゃないか! 僕の右隣から、ファッジが「それで……オブランスク大臣は何とおっしゃってるのかな? 先程からガアガアと言うばかりで敵わなくってね」などとほざいている。頼むから黙っていてくれ。

 血の気がどんどん引いていく中、僕は何とか笑顔を取り繕ってファッジに返事をする。

 「すみません、同時通訳はしたことがなくて……」

 オブランスク大臣がそれを遮って言う。

 「何も言わなくて結構ですよ。ファッジ大臣は『ガアガア言うばかり』の私から解放されて安心なさるでしょう」

 背中に冷や汗が流れていく。怖いよ。めちゃくちゃ怒ってるじゃん。僕はクィディッチ・ワールドカップに来たことを、かなり後悔し始めていた。

 

 僕がアタフタしているうちに、ファッジはピッチの方に夢中になってしまった。試合前のパフォーマンスのために入場してきたブルガリアのマスコットはヴィーラだったのだ。男性には強力な誘惑をもたらすが、閉心のテクニックを使えばそこまで影響を受けることはない。しかし、それは横のオブランスク大臣も同じだった。ヴィーラに熱狂する男性とそれを眉を顰めて見る女性の中で、僕らだけが異様な雰囲気を放っていた。

 なんて凄まじい空間に放り込まれてしまったんだろう。自国の魔法大臣が死ぬほど無礼を働いた後の他国の魔法大臣と、ほとんど一対一で話さなければならない。拷問かな? ファッジが全く気づいていない重苦しい沈黙の中、僕は恐る恐るオブランスク大臣に話しかけた。

「あの……僭越ながら、ご自身でファッジ大臣とお話しになった方がよろしいのでは……」

 彼はそれを聞き、皮肉げに笑った。

 「こちらの言葉を知る価値を認めていない人間に、どのような言葉をかけろと言うのでしょうね?」

 「…………大変失礼致しました」

 もう、縮こまらざるを得ない。クソファッジ、何でこんな状況になるまで通訳を用意しなかったんだ。無能無能とは思っていたがここまで能無しだとは。父は何でこんな無礼な愚物の後援などしているのだろう? 無礼な愚物で御し易いからか?

 冷や汗をかいて謝罪する僕に、オブランスク大臣は少しだけ態度を和らげてくれた。

 「謝らなくて結構。君が悪いわけではない」

 確かに、僕にどうすることもできない問題ではあるのだが……しかし、この非礼の投げ売りの中で平然としていられるほど、僕は厚顔ではなかった。

 「いえ、折角の外交の場を潰す人間を魔法大臣に据えていることを、イギリス魔法界の一人として、謝罪させてください」

 

 オブランスク大臣はまだかなり軽蔑の滲む微笑みを顔に浮かべていたが、一応鷹揚に頷いてくれた。

 「…………そうですね。我々としては、少々失望したと言わざるを得ないでしょう。勿論こちらも通訳を用意すべきではあったのですが、この席にご招待いただいたのは私だけでね。貴賓席を追加して欲しかったのですが、断られてしまったようだ」

 「……お恥ずかしい限りです」

 「いえ、あなた方の内輪でも席のやり取りには色々とあるのでしょう。前に座っているのは、ハリー・ポッターですね?」

 先程このボックス席に到着したとき、ファッジがオブランスク大臣にハリーを紹介しているのは見えた。相変わらず子供を利用する気に満ち溢れた下劣な人間だ。

 それにしても、ハリー達はかなり大人数のご一行だ。初めて顔を見る人もいる。ウィーズリー家のホグワーツを卒業した兄達だろう。赤毛の八人にハーマイオニーとハリーを合わせて、十人もいる。……まさか、ハリーを招待するためだけに、わざわざこの貴賓席のチケットを用意したわけではないよな? ……だとすれば、貴賓席の不足の原因は、完全にイギリス魔法省側の身勝手な都合であることは明らかだった。

 

 「彼は、マグル製品不正使用取締局局長のウィーズリー氏を経由して、招待を受けたのでしょう。ファッジ大臣やバグマン氏は、それで大人数のウィーズリー家に加えて、更にチケットを融通なさったのかも知れません。

 ……国内の見栄の張り合いで、外国からの客人を閑却したことを、どうかお許しください」

 もう勘弁して欲しいものだ。コーネリウス・ファッジ、どうか今すぐバグマン氏と共に辞職してくれ。

 縮み上がる僕に、オブランスク大臣は愉快そうな視線を向けた。

 「繰り返しになりますが、君のせいではない。自分の手にない事柄の責任を負おうとするのは傲慢です。

 ……ファッジ大臣はハリー・ポッターまで駆り出して、人気取りに必死のようですね? シリウス・ブラックの件ですか」

 彼は少しずつ機嫌を直してくれていた。本当にありがたい。僕はようやく世間話程度の雰囲気で彼に話した。

 「それもあると思います。どうやら……冤罪であった可能性がとても高いという話なので。ペティグリューの生存が分かった今では……」

 さりげなくシリウスの無実をアピールしておく。外国の魔法省が直接口出しすることはないだろうが、シリウスを即処刑しづらい風潮は作っておくに越したことはない。

 

 僕の言葉に、オブランスク大臣は肩をすくめた。

 「十三年前のイギリス魔法界の騒乱は酷いものでしたからね。

 まあ、君のような若い子にしてみれば、そのとき手を差し伸べなかった諸外国の我々には何も言われたくない、そう思うのではないですか?」

 魔法大臣という地位の割に、中々はっきりとものを仰る方だ。僕は思わず苦笑して答える。

 「いえ……イギリス魔法界だって、他国でそういったことが起ころうと、手を差し伸べるとは思えませんから」

 

 オブランスク大臣はふっと笑い、ピッチの方に目をやった。

 「……そうですね。君はクィディッチには興味がないのかな?」

 気がつけば、すでに試合は始まっていた。僕は慌てて大臣に謝る。

 「失礼しました。折角のご観覧の機会に……」

 彼は僕の言葉を手で制した。

 「私のことは気遣わなくて結構。もとより試合を見るためだけに来ているわけではありません」

 やっぱり外交目的もあったんだなあ。だったら、イベントの前後に会談の席を用意したらいいのにと言いたくなるが、恐らくその機会を踏みにじったのはファッジだ。開催地の準備にてんやわんやでそこまで気が回らなかったのなら、やっぱり魔法大臣の器ではないと言わざるを得ない。

 できるだけこの貴賓の機嫌を損ねないよう、言葉を返した。

 「……クィディッチを全く見たいと思わないわけではありませんが……、どうしてブルガリア魔法大臣とこのようにして話せる機会より価値があると思えましょうか?」

 オブランスク大臣は大きく息を吐いた。

 「そうですね。私達もまた、良い外交の機会だと考えていました。せめてバーテミウス・クラウチ氏がいらっしゃっていれば、少しは得るものがあったのだろうが……残念です」

 

 確かに、国際魔法協力部部長のクラウチ氏がこの場には最も適当な人員と言えるだろう。近くに一つ空いた席があり、その隣には怯え切った屋敷しもべ妖精が座っている。クラウチ氏は席取りを妖精にやらせ、自分はどこかに行ってしまったらしい。僕はこの状況から自分を救い上げる蜘蛛の糸を見出し、オブランスク大臣に尋ねた。

 「クラウチ氏を探してきましょうか? といっても、彼の屋敷しもべ妖精に頼む、ということにはなりそうですが」

 しかし、大臣は無情にも提案を断った。

 「いいえ……彼は多忙だそうなのでね。

 この席に穴を空けた以上、クラウチ氏も実りある話を私としたいとは考えていないのでしょう。であれば、期待はしないほうがいい。我々はせっかくの機会を浪費したくはない」

 大臣はすっかりイギリス魔法省に失望し切っているようだった。怖すぎる。僕はもう泣きたかった。

 

 

 一度言葉を切ったオブランスク大臣は、僕の顔を再びじっと見た。

 「君はルシウス・マルフォイ氏のご子息なのですね?」

 この場を僕と話す席にしてしまうつもりなのだろうか? 恐れ多いことだが、父の権力を考えれば全く理解できない話ではない。と言っても、僕はまだ十四歳なのだが。

 「はい。といっても、それだけの子どもでしかありませんが」僕は謙遜を交えながら相手の出方を伺った。

 「いいや、君もわかっているだろうが、ここで将来マルフォイ家を継ぐ君と面識を持てるのは、収穫と言えます。ついでに、君はずいぶん責任感の強い子のようだ。未来のために恩を売っておく相手としては、悪くありません」

 「多大なるご評価、痛み入ります」

 ファッジとの落差でずいぶん好意的な印象を頂けたようだ。ありがたいような、肝が冷えるような、何とも言い難い状況だ。

 

 

 オブランスク大臣はピッチの方に目をやりながら、話を続けた。

 「どうですか? 君から見て、今のイギリス魔法界は」

 ただの世間話のようだが、彼のこちらに対しての印象を確かめ、ある程度都合よく曲げるには丁度いい質問だった。僕は慎重に言葉を選び、意見を紡いでいく。

 「ファッジ大臣は……決して完全な無能というわけではありません。けれど、私の父やアルバス・ダンブルドアといった権威に縋ることを覚え過ぎたのかも知れません。

 ブラック脱走のような緊急時の際にも吸魂鬼を駆り出すばかりで、脱走方法の調査などの有効な策を取る冷静さは欠けていたと言わざるを得ません」

 ファッジをちらりと見て、オブランスク大臣はため息をつき笑った。

「そのようですね。任期が終いに近付くと、延命にばかり気が行ってしまって、目の前の事態に対処できなくなる政治家は珍しくありません」

 僕も思わず苦笑してしまったが、できるだけ真面目な口調で話を続ける。

 「彼のような人間が有事のときに魔法大臣のままでは、イギリス魔法界は窮地に立たされることになるでしょう」

 

 

 

 僕らの視線に気付いたのか、オブランスク大臣側ではない隣に座っていたファッジがこちらを伺い始めた。

 「えー、ドラコ、ブルガリア魔法大臣は何を言っておられるのかね?」

 妙なところで勘が鋭い奴だ。僕はオブランスク大臣の方に振り返り、何を言うべきか伺った。彼はまた皮肉げに笑った。

 「適当に別のことについてだと言っておいて下さい。私はクィディッチを見ますので」

 オブランスク大臣はすっかりファッジに愛想を尽かしたようだ。まさか僕に丸投げするなんて。

 

 

 けれど、これはいい機会だ。僕がファッジに取り入っておけば、ダンブルドアに敵対しているポーズを見せながら、ダンブルドアを支援できる。勿論学校内の事だけにはなるだろうが……幸いなことに、14歳のガキと言えどルシウス・マルフォイの息子に対して、ファッジはある程度寛容な姿勢だ。ここで反ダンブルドアの味方として、ホグワーツに在籍する発言力がそれなりにある人間だと見てもらえることができれば、そんなに美味しいことはない。

 僕は気持ちを切り替えて、ファッジに出来るだけ好印象を与えるように微笑んだ。

 

 「学校のことについて、色々お話しさせていただきました。ファッジ大臣は、去年度のホグワーツでの授業アンケートの実施のこと、お耳になさいましたか?」

 ファッジは記憶をどうにか掘り起こそうとしているようだ。

 「あー、確か、そんな話があったような……どうせ、ダンブルドアが何かやり始めたのだろう?」

 彼はやっぱり詳しくは知らなかったらしい。まあ、ホグワーツ内でだけの話だし、当然だろう。

 しかし、これは好都合だった。ダンブルドアと僕が敵対しているように見せれば、この人はきっと僕のアイデアを実施するための後押しをしてくれる。実際にはダンブルドアは僕のやることに賛成しているわけなのだから、改革のためにはかなり理想的な状況が作れるはずだ。

 ダンブルドア、貴方を悪役に仕立て上げることをお許しください。

 僕は心の中で彼に謝罪しながら、ファッジに対して困ったような微笑みを向けた。

 「いえ、あれの発案は僕だったのです。本当は全体で実施したかったのですが、一部の先生方の反対に遭ってしまい、ダンブルドアも、それならば無理だと……」

 ギリギリ事実だ。正確には、成果が出る来年もう一回チャレンジしてみようという話だったのだが、それを言わなければ、まるでダンブルドアが僕の意見を潰したがっているように聞こえるだろう。

 ファッジの顔には、自分に対して上から目線で話をする人間の欠点を見つけられた悦びが見る間に広がった。そう仕向けておいてなんだが、全く卑しい人間だ。

 

 彼はこの餌にどう飛びかかろうと考えているのか、少し考えながら言葉を紡ぐ。

 「それは……けしからん。生徒が折角学校を良くしようとしているのに、ダンブルドアときたら……」

 この機を逃すわけにはいかない。僕は追い討ちをかけた。

 「今年度こそ、全体で実施したいのです。

 あと、『闇の魔術に対する防衛術』の教師がコロコロ変わっている問題もあるではないですか。実は一昨年の、詐欺師であることが判明したロックハートの授業は、生徒が手伝っている部分も多かったのです。

 僕も、その一人でした。だから、思っていたんです。少しは何か指針を作って授業内容を決めるべきだと。ダンブルドアは越権だと思うかもしれませんが……」

 ファッジは今にも涎を垂らしそうな顔をしている。事実だけを話しているつもりだが、この愚物にダンブルドアを責める口実を与えている現実に、僕は心の痛みを隠しきれなくなってきた。

 

 「君の言う通りだ! ダンブルドアはけしからん……」

 僕はファッジの言うことを聞きたくなくて、失礼にならない程度に話を切り上げさせ、自分の意見を語った。

 「でも、彼を表立って批判したら問題になるでしょう? だから、僕に科目で教える内容の要領の提案をさせていただきたいのです。

 もちろん、僕はまだ四年生ですから……全ての科目どころか、防衛術だけだって全学年は難しいでしょう。それに、いきなりこれでやれ、といった命令も先生方から反発されてしまうでしょう。せめて、今までどのような教育がなされてきたのか、過去何年か分調査し、より良い教育のあり方を考える機会でもご提供できたらと思いまして……」

 

 流石にいきなりの提案に、ファッジは顎に手を当てて考え込んでいる。もう少し、美味しい餌が必要なのだろう。

 僕は再び媚びるように微笑み、彼にまともな思考を取り戻させないように話を進める。

 「閣下、これは、どうも過小評価されがちな貴方の手腕を示す、絶好の機会にもなると思うのです。ホグワーツはどうしても旧態依然としたところがありますから……より先進的な魔法省の態度を示すというのは、価値があるとお思いになりませんか?」

 「フム……じゃあ、ルシウスだけでなく、私の方からもホグワーツの理事会に掛け合おうか。いつ頃、その調査書をあげられるかね?」

 「新学期に入りましたら、十月になるまでにお送りいたします。閣下、僕はホグワーツに入ってから貴方ほど懐の広い大人に初めて会ったかもしれません」

 暗にダンブルドアよりも寛大だと言う僕の言葉に、ファッジは気をよくしてくれた。全く、ダンブルドアへの対抗心でここまで乗せられやすくなるなんて、つくづく上に立たせておきたくない人間だ。

 僕は悦に入っているファッジに見えないよう、呆れて目をぐるりと回した。

 

 ふと前を見ると、ハーマイオニーが笑いを噛み殺しながらこちらを向いているのが見えた。聞こえていたのだろうか?

 隣のロンは「相変わらず何かやってるよ」と言わんばかりの顔だ。僕だって自分の尊厳と矜持をかなり削ってこの愚物に阿っているのだ。ほっといてくれ。

 彼らからの視線を無視し、僕は再びファッジに対してゴマスリを始めた。

 

 試合は心配していたよりはるかに短く終わった。アイルランドの勝利。ブルガリアは、シーカーのクラムがスニッチを獲ったものの、クアッフルでの点差はひっくり返せなかった。

 チェイサーの身としては、珍しく自分のポジションがまともな意味を持った試合に、ほんの少しだけ喜ぶ気持ちが湧く。まあ、僕は試合をほとんど見ていなかったのだが。

 オブランスク大臣が英語が理解できることを明かしたために怒ったファッジの声を右から左へ流しながら、僕は貴賓席に入ってきた選手たちをぼんやりと見ていた。

 

 ボックス席から次々に出ていく人の中、僕も両親のところに戻ろうとしたとき、オブランスク大臣が声をかけてきた。

 彼は相変わらず少し恐ろしい雰囲気を纏わせながら、それでも僕に向かって微笑み、ブルガリア語で話す。

 「ファッジ大臣については期待外れだったと言わざるを得ませんが、君との会話は有益でした。将来、君のような人間がイギリス魔法界を代表する存在として、我々の前に現れることを期待しています」

 多大すぎる期待だ。けれど、謙遜を抑えて僕は微笑んだ。

 「光栄です」

 相変わらず何を話しているんだと言う視線を向けているファッジを躱し、僕は下へと続く階段を降りた。

 

 

 



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闇の印

 

 

 

 試合が終わってテントに戻り、僕はビンクと共にダラダラしていた。母は先に屋敷に帰ってしまったし、父は友人と酒盛りだそうだ。暇である。こういうとき、ウィーズリー家はさぞ賑やかなんだろうな、と一人っ子の僕としては羨ましく思う。明日の朝、幼馴染二人とダイアゴン横丁に直接キャンプ場から行く約束をしていたので残ったが、僕も帰って良かったかもしれない。

 

 

 何となく眠る気にもなれずお茶を飲んでいると、外がにわかに騒がしくなった。何事かと思い様子を窺うと、遠くに魔法使いの一団が行進しているのが見える。嫌な予感がして、クィディッチ観戦のために持ってきていた、クラッブから貰った双眼鏡を引っ張り出した。目を凝らして暴動の中心を覗き込む。彼らの頭上には何か、大きな塊が四つほど浮かべられている。────マグルのキャンプ管理人一家だ。

 良識ある魔法使いたちはその集団から離れるために逃げ惑い、差別主義者たちは下卑た笑い声を上げながら列に加わっていく。集団は目の前のテントを杖で吹き飛ばしながら、仲間を増やし、こちら──純血一族のテントが張られた場所とは反対の方向に行進を続ける。

 その集団の核の人間は、特徴的な黒いフードを被り、仮面をつけていた。あれは死喰い人の格好だ。ということは……

 

 いまだに帰ってきていない父があの列に加わっている可能性はかなり高い。僕は思わずその場に崩れ落ちそうになった。

 ああ、父上…………なんて下劣な…………

 情けなさで泣きそうだ。勘弁してくれ。

 

 父が何を考えてこんな真似をしているのかは、何となく予想がつく。この世界中から魔法使いが集まっている場で、マグル絡みの事件を起こすことでマグル排除の口実を作りたいのだろう。魔法使いがマグルと接近して良いことなどないのだと、マグル擁護の観点すら内包して主張するための前例。

 どうせ非魔法族に「ちょっと悪戯」した程度で、父が暴行致傷で捕まることなど絶対にないのだから、マグルは虐め得だとでも思っているのだろう。

 これだけ魔法族がいれば、その中にはマグルに対して偏見と差別意識を持つ人間が大量にいる。今あの行進に加わっている人間だけではない。逃げて行く人々の中にだって、「マグルを魔法使い達の中に放り込むからああなるのだ」と考える人間は少なくないだろう。稚拙な公正世界仮説だ。

 

 今すぐ父を止めに行きたいが、あの死喰い人たちの中に突っ込んでいってロバーツ一家を助け出したりしようものなら、僕の立場は修復不可能になる。父のろくでなしさと自分の無力さに、ひどい頭痛がしてきた。

 ただ、幸運なことにあたりにはまだ魔法省の役人がウヨウヨいるはずだ。暴動の主犯たちを鎮圧するのは彼らがやってくれるだろう。

 

 だが……これが今年の最初の「イベント」なのか? この突発的で、今後ホグワーツに関わりそうもない事件が? 一年目のグリンゴッツ破り、二年目の父とハリーの書店での対面、三年目のシリウスの脱獄。後から関連性に気付いたものの方が多いが、全てその年のクライマックスに関わる出来事だった。

 父がまた何か企んでいる可能性はゼロではない……しかし、二年前のことがあった以上、ホグワーツで再びことを起こす真似をするほど軽挙な人ではないはずだ……そう思いたい。

 もし、今回の事件が父以外のところでハリー・ポッターの物語に関わるのなら、彼らを守るためにも、今後の方針を考える手がかりを得るためにも、ハリーたちの状況が分かるところにいたい。

 けれど、今年の「何か」がクィレル教授のように闇の帝王に直接通じている場合、敵対の姿勢を悟られるわけにもいかない。

 

 しかし、ここで指を咥えて見ていることが最善だとは思えなかった。

 

 死喰い人に目をつけられない、純血の魔法使いのためにもなるような行為なら出来るはずだ。せめて避難誘導でも手伝えないか、そこでハリー達を見つけられないかと、僕はテントにビンクを残し、人々が逃げてゆく姿現しのための森に向かって走った。

 

 

 

 森の中は外国の魔法使いで溢れていた。言葉も分からない中で一緒に来た人を見失ってしまったらしい人も多くいる。この場の状況が分かっている複数言語が使える人間は多少は役に立つだろう。

 

 迷子になったフランス人の子どもの保護者を見つけ、次に手助けが必要な人を探す。そこに、後ろから声をかけられた。

 「ドラコ! 君、何してるの?」

 振り向いてみると、幸運なことにグリフィンドールの三人組だ。彼らは走ってきたのか、息を切らしてこちらを見ていた。あれだけ沢山いた兄達は、彼らの周囲には一人もいない。

 周囲の騒がしさに負けないよう、僕は少し大きな声で返事をした。

 「外国人の避難誘導! 君たちこそ、保護者はどうしたの?」

 「逸れちゃったんだ。フレッドとジョージを見なかった?」ロンが答える。

 「見ていない。イギリスの魔法使いの一団はもう少し奥の方にいたような気がするけど」

 

 僕の言葉に、三人組は先に進もうと考えたようだ。一度僕を通り過ぎたところで、ハリーがこちらを振り返った。

 「君もここでフラフラして、あの連中に目をつけられたら危ないんじゃない? 一緒に行こうよ」

 本当に優しい子だ。しかし、今はその気遣いが胸に突き刺さる。思わず、言葉に詰まってしまった。

 「……いや、僕は大丈夫だ……と、思う……」

 歯切れの悪い言葉に、ハリーとハーマイオニーは顔を見合わせた。ロンはすぐに事情に勘付いたようで、険しい顔を僕に向ける。

 「ドラコ、まさか……あの中に君のパパがいるって言わないよな?」

 そりゃあ、アーサー・ウィーズリーの息子なら思い当たるよなあ。ド直球の質問に一瞬、答えに窮してしまった。三人とも怪訝な顔でこちらを見ている。

 

 「…………知らない…………僕を置いてどこかにお出かけになったから…………」

 僕はロンの目を見ることができないまま、弱々しく言葉を返した。

 僕らの間にしばらく重たい沈黙が落ちる。事情に思い当たったハリーとハーマイオニーが厳しい顔をして僕に詰め寄った。

 「ねえ、君! 本当にペティグリューをとっ捕まえてシリウスの所に行くことを考えた方がいいよ!」

 「お父様に育ててもらった恩があると思っているのかもしれないけれど、それに縛られるのはあなたにとって良くないわ!」

 それができたら苦労はしていないんだ……僕は罪悪感のあまり反論もできず、三人組から顔を逸らして項垂れた。

 

 

 なんとか気を取り直し、彼らに逃げるよう促す。一緒に行きたい気持ちもあるが、ここで合流してしまっては言い逃れが難しい。

 「君たちと一緒にいるところを、連中に見られると厄介だ。ほら、森の奥に行って」

 ロンは僕の言葉を聞いて、何か思いついたようだ。

 「君も一緒に来たらいいじゃないか! ほら、あのワンちゃんになってさ」

 ……正直魅力的な提案だ。僕は誰にも姿を見られることなくハリー・ポッター達を見守ることができる。いや、でも、今ここで犬の姿を公衆の面前に晒していいのだろうか? 人のままでハリー達といるのと、犬になってハリー達といるの、どちらが最悪の場合、致命的なミスになるだろう? マクゴナガル教授との約束もあるし…………

 ぐるぐると考え込む僕を知ってか知らずか、ハーマイオニーはキッパリとした口調で言う。

 「ダメ。あなたのそれはできるだけ使わない方がいいわ。法律違反だもの。フードを被ったら誰か分からないわよ」

 そう言うとハーマイオニーは僕の頭にフードを被せる。流石、彼女は冷静だ。ただ、この格好は正直ちょっと怪しく見える気がする。僕の物言いたげな様子を無視して、ハリーとハーマイオニーは僕の袖を引っ張って歩き出した。

 

 気がつけば三人と一緒に行く流れになってしまった。僕らは小鬼やヴィーラの集団を追い越し、さらに森の奥へと向かう。歩き続けて行くうちにあたりの人が減り、僕ら四人だけになった。

 結局、その場で誰かが来るのを待つことになり、僕らは道近くの空き地に座り込む。

 

 「みんな無事だといいけど」ハーマイオニーは心配そうだ。

 「大丈夫さ」ロンが軽く答える。

 「父もそこまで大事にしたくはないだろうから、少なくとも魔法使いに致命的な被害は出ないと思う……」

 僕の弱々しい言葉を最後に、その場に沈黙が落ちた。

 

 ロンは暇つぶしに、ポケットに入れていたビクトール・クラムの人形を地面で歩かせ始めた。

 ハリーもそれを目で追いながら口を開く。

 「ロンのパパがドラコの父親を捕まえたらどうなるかな。おじさんは、ルシウス・マルフォイの尻尾をつかみたいって、いつもそう言ってた」

 魔法省がそれほど有能だったら話はずっと簡単になっていただろう。僕は苦々しい思いで言葉を返す。

 「あんまり当てにならないな……今までだって捕まえられてないんだから。父も逃げられると思ってやってるんだろうし」 

 

 

 話を聞いていたハーマイオニーが僕の方をじっと見つめた。

 「ねえ、ドラコ。あなたはペティグリューのことも擁護してたけど、あんなことをしているかもしれないあなたのお父様も、庇えると思っているの?」

 答えるにしても痛い質問が来てしまった。ハーマイオニーは真剣そのものといった様子だ。あの吊り下げられた可哀想なマグルを見て、僕の「正しさ」の瑕疵は明らかだと言える。まだ本当に父が犯人かは分からない……という不誠実な躱し方は出来ないだろう。

 

 僕はなけなしの真摯さを振り絞って、ハーマイオニーの目を見た。

 「……はっきり言おうか。今父がやっていることは絶対に許されないと言う立場をとった上で────弁護の余地はあると思っている」

 ハーマイオニーは悲しみと不理解に眉を顰める。しかし、彼女は即座に僕を非難することはなかった。

 この状況に対し、僕はなんだか懐かしさを感じていた。二年ほど前、ミセス・ノリスが石化された夜も、僕は彼女達に自分が看過する悪の話をした。

 「……その理由は、マグルやマグル生まれの魔法使いからしたら『知ったことではない』話でしかない。彼らを迫害する免罪符など、あってはならないことは理解している……それでも父を擁護する、僕の話を聞いてくれる?」

 気づけばロンとハリーもフィギュアを目で追うのをやめて、こちらを見ていた。確認するように三人の顔を見回すと、ハーマイオニーは真面目に、ロンは肩をすくめて、ハリーは分からないなりに真剣な様子で頷いた。

 

 

 

 僕は一度目を閉じ、息を吐いて、口を開いた。

 「闇の帝王が勢力を伸ばしたとき、最初に危険に晒されたのは誰だと思う?」

 三人が顔を見合わせる。

 「そりゃあ……マグルやマグル生まれの魔法使いだろう?」ロンがなんとなく自信なさげに答えた。

 僕もそれに頷きを返す。

 「本質的にはその通りだ。しかし、迫害するためにマグル関係の人々を一番最初に狙うのは非効率的だ。数が多い相手に対しては、弾圧者も数を用意しなければならないのだから。

 そもそも、旧家出身の純血ではない闇の帝王が純血主義を標榜するためには、純血一族の支援を手に入れる必要があったはずだ。

 そして、そのために取られた手段はおそらく恐怖だ」

 それを聞き、ロンが少し嫌悪感をのぞかせて反論する。

 「脅されて仕方なく『例のあの人』の陣営に入ったから悪くないって言いたいのか?」

 半ば僕の意図を捉えてしまっている。けれど、その直截な表現では彼らは納得しないだろうことは明白だし、そこまでシンプルな話をしているつもりもなかった。

 

 僕はロンに対して少しだけ苦い笑いを向け、彼の質問に答えることを回避してさらに話を続ける。

 「闇の帝王は意外なことに、潜在的な敵対者には寛容だった。……ハリー、君のお父上と、そしてお母上すら闇の帝王から勧誘を受けたことがあるらしい。グリフィンドール出身の主席二名、しかも片方はマグル生まれの人間ですら、だ」

 ハリーは目を丸くしていたが、ロンはあまり驚いた様子ではなかった。「血を裏切るもの」であるウィーズリー家はともかく、プルウェットやロングボトムも勧誘を受けたはずだし、それを聞いたことがあるのだろう。

 彼らが言葉を返さないのを良いことに、僕はそのまま続ける。

 「しかし、身内には酷く厳しかった。彼は恐怖で支配することを好み、粛清で配下のものを縛りつけた。ベラトリックス・レストレンジ────僕の伯母をはじめとした、過激で残忍な闇の帝王の信奉者もそれに追従した。だからこそ、父のような、ある意味軟弱な人間は闇の帝王が姿を消したとき、彼の復権を望まなかった」

 「昔、貴方のお父様が『あの人』に虐げられていたことは、今の行動を肯定する理由にはならないわ」

 ハーマイオニーの指摘に、僕は頷きを返す。

 「その通りだ。だから、僕は父の罪を消すためではなく、父を理解してもらうために弁護をしている」

 僕はペティグリューのことを思い出していた。彼は自分の事情を自ら語ったが、僕も似たようなものだと言える。

 あのときのシリウスのように、彼ら、特にハーマイオニーは怒る権利がある。しかし、三人は僕の話の続きを待ってくれた。

 

 「……最初に彼が力をつけたとき、グリンデルバルドが失墜してから、十年ほどしか経っていなかった。マグルを魔法族が従えるべき下等な生物と見做し、彼らとの血縁を忌む純血主義の隆盛と凋落……その中で、多くの純血一族が道を誤り、『正義』の陣営と敵対した。

 その直後にあって、多くの純血一族はダンブルドアには助けてもらえない。たとえ純血一族の人間が内心どう思っていようと…………それだけのことをマグル差別主義者はした、そう言えるだろう。けれど、そのレッテルこそが離反者が生まれる可能性を摘んでいった。

 そして、後はお決まりの諦観、恭順。純血一族の善性に期待するなら、わずかな抵抗と挫折。

 僕の父、ルシウス・マルフォイはその中で生まれ、育った。彼が光の側に進む可能性は……普通に生まれ育った人間より、はるかに低かった」

 「……だから、あなたのお父様は許されるべきだと?」

 ハーマイオニーはこの程度の背景説明で折れてはくれない。当然だろう。僕は今、明確に彼女の敵対者に対して弁護を行なっているのだから。

 僕は力無く首を振った。

 「いいや、そうは言わない。けれど、そもそも僕の父を断罪できるほどの力と倫理観。その両方を今の魔法界は持っていないし────もし、それらが揃って、被害者が僕の父の罪を訴えるならば、僕だけは彼の側に立って話をしたい」

 

 「認めなければならない。純血一族は闇の帝王の強大さに両手をあげて服従の姿勢をとった者が多いだろうと。そして、マルフォイ家が────僕の祖父、アブラクサスがそちらの人間だった可能性は極めて高いと。

 けれど、それだけでは僕は父を見捨てられない。闇の帝王の存在という状況下にあっては、ある程度の情状酌量を僕はしてしまうし────父を破滅させるには、あまりにも僕は彼を愛しすぎている」

 その場に沈黙が落ちる。皆何を言ったらいいのか、分からない様子だった。この子達は優しい子だ。父親が大事だと言う友人に向かって、頭ごなしに否定することができないほどには。

 

 静寂を破ったのはハーマイオニーだった。彼女は迷いを瞳に滲ませながらも、僕をまっすぐ見て口を開いた。

 「……本当に正しいことをしたいなら、そしてお父様のためを思うなら。あなたはお父様が許されない倫理というのを、魔法界に打ち立てるべきよ」

 あまりにも正しすぎる指摘だ。けれど、それは今まで幾度となく僕の中でも思い当たってきたことで、そして却下されてきたことでもあった。僕は少しだけ微笑んで、なんとか言うべき言葉を探した。

 「その通りだ。けれど、それが最善かどうかは……僕には分からない。それだけで、僕の周囲の人間が本当の意味で、正しく救われるとは……思えない。

 なんて言ったらいいのかな…………誰も置いて行きたくないんだ。

 父の排除を肯定する理論も、実際に排除する方法もいくらでもあると思う。けれど、父が自分から、今までやってきたことは間違いかもしれない、これから自分の罪を償うことができるかもしれないって思ってくれた方が……誰にとってもハッピーエンドなんじゃないかな?

 父を使えば他の純血主義者の態度を変えることもできるかもしれない……そうしたら、断絶と排斥よりも早く、遺恨を残さず、犠牲を生まず事を運べるかもしれない…………

 希望的観測が過ぎるとは分かっているけど、その可能性を手放したくないんだ」

 ハーマイオニーはもう僕の方を見ていなかった。抱え込んだ膝頭を見ながら、それでも彼女は僕に言葉を投げた。

 「……でも、あなたはお父様の意見をまだ、少しも変えられてないわ。あの暴動を見る限り」

 さっきから痛いところしか突かれていない。それでも、僕は何とか彼女の顔を見て答える。

 「うん…………だから、僕は父が意見を変えるまでに虐げる人々の数が、その先救われる人々の数より少なくなるように努力する。その道を選んだ」

 「……それは、今虐げられている人たちを見捨てると言っているのと同じじゃない?」

 「……そうだね」

 僕はもう何も言い返せなかった。ロンとハリーが気まずそうに顔を見合わせている。ハーマイオニーはほとんど自分の膝に突っ伏していた。

 

 沈黙を破ったのは、やはりハーマイオニーだった。

 「貴方とこういうことを話すのは苦手だわ……」

 彼女はようやく顔を上げていた。泣いてはいなかったが、表情には苦々しさが現れている。

 前もこんな感じだったな。僕はつくづく彼女を救えない。自分自身の限界を痛感しながら、僕は彼女に問いかけた。

 「僕が優柔不断の偽善者だって知って失望した?」

 ハーマイオニーは少しだけ間を開けて、しかし先ほどまでとは違ったキッパリとした口調で答えた。

 「違うわ。貴方が、単に身内だからというだけではなく、本当に他人のために色々しているのは知っているもの。

 それを知っているのに、貴方を責めたくなる自分が嫌になるからよ」

 

 正直、責めてくれた方がまだ気楽な面があったかもしれない。けれど、ハーマイオニーが僕への信頼を示してくれた言葉に、少しだけ救われてしまった。

 

 

 

 またしばらく辺りは静かになった。遠くの方に人が喋っているような声がたまに聞こえるが、僕らの方まではやって来ない。四人でロンのクラム人形をぼんやり見ていると、突然誰かが、この空地に向かってよろよろとやってくる音がした。

 近くまでやってきて止まった足音に、ハリーが声をかける。

 「誰かいますか? ……どなたですか?」

 足音の主はハリーには返事を返さなかった。代わりに、低く、しばらく喋っていなかったような声が、呪文を唱えた。

 「モースモードル!」

 

 僕の心臓は凍りついた。────闇の印の呪文だ。呪文の主は、キャンプ場にいるようなちょっと騒ぎを起こしたいだけの半端者ではない────いや、そうだとしても、過激派の死喰い人だ。

 

 あたりを見まわし、印の出所を探す。他の人たちも事態に気付いたようで、ロンとハーマイオニーはハリーを引っ張ってこの場から去らせようとしている。ハリーは────知らないのか? あの印がなんなのか。唯一状況を飲み込めていないようで、目を白黒させていた。

 

 しかし────まずい。声の主が誰であろうと、僕が四人と一緒にいるところを見られたかも知れない。足音をわざわざ立てたのでなければ、さっきの話は聞かれていないだろうが────僕はフードを深く被り、周囲を杖で照らした。しかし、誰も見当たらない。

 

 三人の後ろを警戒しながら続こうとしたが、突然音を立てて魔法使い達が現れた。姿現しで犯人を捕まえるため、印の下へとやってきたのだろう。この状況は────僕らが容疑者だと思われているのか?

 僕らが誰かも確認されることなく、その場の二十人ほどの魔法使いたちは杖を構えた。

 避けようと思ったところで、僕はハリーに引っ掴まれて地面に伏せさせられた。その瞬間、頭上を幾条もの赤い閃光が走る。失神呪文だ。光は互いに交錯し、ぶつかりあい、あたりに散らばった。

 

 呪文が飛び交う中、叫び声がその場を裂いた。

 「やめろ! やめてくれ! 私の息子だ!」

 アーサー・ウィーズリー氏だ。すごい剣幕でこちらに近づいてきた彼に、僕らを取り囲んでいた魔法使い達は杖を下ろす。

 助かった……のか? 三人組はともかく、フードを被っている元死喰い人の息子の僕は変わらず怪しい人物No.1のままかもしれない。僕は慌ててフードを外し、無害な子供ですという顔をした。

 

 騒然とするその場に、犯人を捕まえようという決意に燃えているらしい人物がやってきた。バーテミウス・クラウチだ。他の魔法使い達は子供が闇の印を作ったとは全く考えていないようだが、クラウチ氏だけは妄執的に僕らを睨め付けた。

 正直、僕は絶対に自分が容疑者として引っ張られると思った。クラウチ氏のかつての様子を知れば、誰だってそう思うだろう。

 

 しかし、そうはならなかった。近くで失神呪文を喰らったクラウチ氏の屋敷しもべ妖精が発見され、その上その妖精がハリーの落とした杖を持っており、さらにその杖に直前呪文をかけたところ、闇の印を出したのに使われたことが明らかになったからだ。

 

 結局、その屋敷しもべ妖精は闇の印を作り出すのに使われた後、ハリーの杖を拾ったのだろうという話になった。クラウチ氏は自分に嫌疑をかけるような真似をしたその妖精、ウィンキーをその場で「洋服に値する」、つまりクビだと宣告した。ウィンキーの嘆き悲しみようは見ているこちらまで辛くなってくるが、クラウチ氏には誰も、何も言えないだろう。

 しかし僕の考えをよそに、勇敢にもハーマイオニーは毅然とクラウチ氏を非難した。正義感もそうだが、もう慣れきってしまっている僕らとは違い、彼女はそもそも屋敷しもべ妖精自体との接触の経験が希薄なのだろう。良識を持ったマグル生まれの人間から屋敷しもべの存在がどう映るかはおして知るべしである。

 

 僕らはその場から解放され、三人組はウィーズリー氏に連れられて自分のテントへと帰って行く。その場で別れようとすると、ウィーズリー氏から声をかけられた。

 「君も一人では危ない。途中まで一緒に戻ろう」

 ルシウス・マルフォイの息子に対して優しすぎるだろう。……いや、これは僕を疑っているのかな? 何にせよ、断る口実も見つからないので、僕は大人しく彼らの後についていくことにした。

 

 「パパ、でも、ドラコの父親はアレだぜ?」ロンが軽く茶化して言う。不謹慎ながら、僕も思わずふっと笑ってしまった。しかし、ウィーズリー氏は真剣そのもので言葉を返す。

 「キャンプ場の死喰い人達は闇の印を見て逃げてしまった。ルシウス・マルフォイの息子だということはもはや安全を意味しないかも知れない」

 懸念はもっともだ。しかし、三人組、特にロンとハリーはどうもその辺りについての知識が薄いようだった。

 「なぜ逃げてしまったんだろう?」ハリーが誰となく尋ねる。僕はいつものように答えた。

 「シリウス・ブラックのときと同じだよ。身内を売ることでアズカバン投獄を免れた死喰い人達は、闇の帝王の忠実な部下を恐れている。少なくとも、今夜森から闇の印を打ち上げた人間は、行進に加わっていなかった。はしゃいでた人間は、印の主人が復讐に来る可能性だって頭をよぎったんじゃないかな」

 僕とハリーが会話しているのを隣で歩きながら見ていたウィーズリー氏は、思わず漏れたといった感じで僕に尋ねた。

 「……君が、闇の印を作り出したわけではないんだね」

 当然の懸念に、しかしハリーはショックを受けたようだった。

 「絶対違います! そもそもドラコはずっと僕らといましたし、呪文もかけてません!」

 ハリーの剣幕に驚くウィーズリー氏に少し悪い気持ちになる。僕は少し苦笑して口を開いた。

 「いや、今夜の状況では疑われて全くおかしくないと思います。……でも、ハリー。ありがとう」

 この彼らに信頼を向けてもらっている状況が将来的にいいのかどうか、正直よく分からない。けれど、僕の安易な心はどうしても喜びを感じてしまうのだった。

 

 

 我が家のテントが近づいたところで、僕は四人と別れた。まだ空は白み始めていないが、もう朝が近い。

 無鉄砲に飛び出していったことをビンクにお説教されている中、青ざめた父が僕の名前を大声で呼びながらテントに入ってきた。

 マグル一家を晒し上げていただろう父は、息子が無事であるのを見つけて心から安堵した様子で、震える手で僕をその胸に固く抱きしめた。

 

 

 



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四年目の新学期

 

 

 クィディッチ・ワールドカップでの死喰い人騒動は怪我人ゼロ、しかし逮捕者もゼロという結果に終わったと報道された。

 正直なところ、ここで父がアズカバンにでも入ってくれていたら動きやすくなる部分もあった。かわいそうだがはっきり言って自業自得だし、闇の帝王の下で殺人をさせられるよりはマシなはずだ。しかし、魔法省がそんな能力を持っているはずもなく、父は事件後も自邸で悠々自適の生活をおくっていた。

 

 それにしても、あの闇の印を打ち上げたのが誰なのか判明していないことは気がかりだ。今年最初のイベントは父ではなく、あの男の伏線だったと考えるべきだろう。

 犯人の人物像は判然としない。闇の帝王に忠実な死喰い人ではあるのだろうが、だったら何故アズカバンにいないんだ? シリウスが本当に死喰い人だったら真っ先に疑いが向くところだ。その関連で言うとペティグリューが候補者になるが…………性格的にも目的を想像してみても有り得ないだろう。折角シリウスから逃げおおせたところなのに、ペティグリューにとっての利がなさすぎる。

 父の周辺にいる元死喰い人たちも、父が僕を傷つけられる可能性を考慮した以上、とりあえずは除外だ。とすると……自分はのうのうとアズカバン行きを免れながら、同じ境遇にある人間を憎むダブスタ人間か、それこそペティグリューのようにずっと潜伏して生きて来たにも関わらず、ワールドカップというド派手な舞台で花火を打ち上げる狂気の忠義者か……といったところか。

 両方とも行動に一貫性がなく、しっくりこない。ただ、死喰い人は仲間同士でもお互いを知らないことはざらだったようだし、僕が調べて来た死喰い人容疑者リストに載っていない、どちらかの性格を持つ人間が存在する可能性は大いにある。それに、僕が知らないだけで、ワールドカップの場でなくてはならなかった合理的な事情がある可能性はゼロではない。

 どうやって今まで闇の帝王への忠誠を隠したまま生きてこられたのか? 何故クィディッチ・ワールドカップという場で闇の印を打ち上げたのか? その両方を説明できる人間を地道に探していくしかない。

 

 また、次に来る事件を予想するには、今年のホグワーツでは三大魔法学校対抗戦があるというのも考えなくてはならない。企画を立てた人間の中にダンブルドアがいるが、彼はこれにハリーが巻き込まれるだろうことは許容しているのだろうか?

 今までの傾向を考えるなら、ホグワーツで大々的に開催されるこのイベントに、主人公が全く関与しないだなんて有り得ない。むしろ、「物語の納得度」を考えるならハリーの参加はほとんど決まってしまったとすら言えるだろう。

 一応、年齢制限は設けられている上に、ダンブルドアも目を光らせてはいるんだろうが……ハリーは結構無鉄砲だし、この世界はその年に出た「面白そうな」情報はその年に使ってしまうだろう。去年、ホグズミードは来年以降に行けるだろうから大丈夫と思っていたら、ハリーにまんまと出し抜かれたことを僕は少し根に持っていた。

 

 本当にハリーの前から全ての危機を取り除きたいなら、僕は絶対に彼が選ばれないように工作すべきなのだろう。しかし、おそらく原作通りである場面を致命的に破壊して、後の動きの予想がつかなくなることは避けたいし、試合という形でハリーの危機に陥るポイントがはっきり出てくれるのは正直なところ、かなり助かる。

 

 今までの三年間で、ハリーが本格的に害されようとした出来事の傾向が少しずつ見えてきていた。

 一年目は、クィディッチピッチでの箒への呪いと、禁じられた森でのクィレルとの遭遇、学年末のヴォルデモートとの対決。

 二年目は、呪いをかけられたブラッジャー、禁じられた森でのアクロマンチュラ、学年末のトム・リドルとの対決。

 三年目はクィディッチピッチに乱入した吸魂鬼に、校庭でのルーピン教授の変身。

 二年目の校内で起こっていた石化事件と三年目のシリウスによる襲撃という「本当にハリーを傷つけるわけではなかった出来事」を除けば、全て城の外で起こった事件か、六、七月の闇の帝王との対決で全てだ。

 ここからハリーに関しては、学期末を除いて城の中にいれば概ね問題ないと言える。ダンブルドアや彼の母の守護が働いてくれるのか、城の中のハリーを傷つけるものはほとんどいない。

 

 対抗戦の課題は、過去のものを参考にすると室内では行われない。故に、事件はそこで起こると考えられる。

 

 しかし……今年闇の帝王は復活するのだろうか? だとすれば、学期末に行われる課題が途端にきな臭くなってくる。流石にダンブルドアも警戒を強めているだろうが……彼が最強ではあっても全能ではないということは流石にこの三年で身に染みていた。

 ペティグリューだけでなく、あの「忠義者」がヴォルデモート復活のため動いているとすると、僕も学校で迂闊な身の振り方はできない。ダンブルドアだって敵のホグワーツへの侵入を警戒しているだろうが、「動物もどき」という穴が去年明らかになってしまった。二年目に警戒を怠って何が起きたか考えれば、慎重になるに越したことはない。

 ヴォルデモート帰還を阻止できれば最高だが、そうならなかった場合、やはり僕は自身の墓穴を掘る可能性が高くなってしまうのだから。

 

 しかも、僕の推理はこの三年だけを「物語」という枠に当てはめて考えたものにすぎない。枠が正確にどんな形をしているか知らない以上、常に自分の予想を検証し続ける必要がある。もう恒例になって来たが、やはり今年も気が抜けないのだ。

 

 最終的に、僕の行動方針は、闇の帝王に目をつけられない動きで、ハリーの課題の達成を助けながら、裏で動いている「忠義者」の正体を探る、ということになるだろう。……矛盾しそうな部分がかなりあるが、仕方ない。闇の帝王が戻ったとしても、ハリーと仲がいいのは父がかつてそうしろと言っていたから……という線で言い逃れができると信じたい。

 

 

 

 

 ワールドカップから一週間が経ち、九月一日がやって来た。

 ホグワーツへ向かう汽車の僕がいるコンパートメントは、例年と同様に混み合っている。しかし、面子はいつものスリザリン生だけではなかった。

 相変わらずパンジーとザビニはウィーズリーの双子のところだし、ミリセントとゴイルは隣のコンパートメントでハーマイオニーとネビルと何やら話し込んでいる。去年からここは対スネイプ教授という共通の目的のもと、妙な絆で繋がれつつあった。

 代わりに、ロンとハリーが僕、クラッブ、ノットのいるコンパートメントにやって来た。クラッブはハリーを見て顔を顰めたが、ハリーの方が僕の周囲にいる人間に嫌われてはまずいと悟ってくれたのか、仲良くしようとしてくれている。

 効果があったかは……知らない。クラッブは結構頑ななところがある。彼はスリザリン生にしては正義感が強いから、一度先入観を捨てたら仲良くなれそうなのに。

 クラッブと何とか話をしようとしているハリーをよそに、ロンはノットとチェスを始めてしまった。哀れ、ハリー・ポッター。僕は心中で合掌した。この二人が仲良くなってくれれば僕が目立たなくなりそうだし、実際ありがたいのだ。ぜひ頑張ってほしい。

 

 いろいろ話題を捻り出していたハリーが、ふと僕らスリザリン生に尋ねた。

 「ねえ、今年ホグワーツで何かあるみたいなんだけど、君たち心当たりある? ドレスローブを用意させられたりさ。ウィーズリーおじさんもロンのお兄さんたちも知ってるみたいなんだけど」

 僕らは顔を見合わせた。みんな、心当たりがあるはずだ。話しかけられていたクラッブが答える。

 「三大魔法学校対抗試合のことだろう。北欧とフランスからボーバトンとダームストラングが来る。今夜の宴でダンブルドアが発表するんじゃないか?」

 ハリーは何のことか知らないようだったが、ロンは心当たりがあったようだった。僕らが対抗試合のことを説明するにつれて、ハリーも見る間に興味津々と言った顔に変わった。

 ロンは浮き足だったような顔で、しかし少し不満そうだった。

 「僕のパパも言ってくれたらよかったのに」

 「ルールと子供のサプライズを守るいいお父様じゃないか」僕は思わず苦笑して言う。ロンはそれでも納得した感じではなかった。

 「君、別に言うべきじゃなかったって思ってないだろ」

 僕は肩をすくめた。どうせあと数時間で発表されることなんだし、アーサー・ウィーズリー氏のような直接は関係のない人間まで話がいっているのに、隠してもしょうがないだろう。

 それにしても、ロンとハリーは随分と対抗試合に浮き足立っているようだ。やっぱりグリフィンドールは自分の勇敢さを見せたいと思うものなのだろうか?

 僕はハリーが参加するだろうことを予想しながらも、彼らに釘を刺した。

 「今回から成人してないと参加できないようになったし、僕らは見てるだけだよ」

 途端に二人の顔に不満が広がっていく。ここで当たり前だと思わないあたりがやっぱりグリフィンドールなのかも知れない。

 クラッブも呆れ顔で口を開いた。

 「お前ら……十七歳以上の高学年より自分たちが優れていて、代表に選ばれるかも知れないと思ってるんだったら、思い上がりもいいところだぞ」

  僕も頷いたが、二人はそれで納得しないようだった。しばらくブツクサ言っていた後に、ハリーがクラッブに向けて口を開く。

 「でも、ドラコなら年齢制限がなければ選ばれるかも知れないじゃない?」

 随分と高く評価されたものだ。しかし、クラッブは否定せずに満足げに頷いていた。おい、身内贔屓が過ぎるぞ。流石に口を挟まざるを得ない。

 「それはない。七年生には勝てないよ」

 そう言う僕に、クラッブとハリーは眉を顰めた。

 更なる同意を求め、僕は窓際の二人に目をやった。しかし、元からノットは対抗試合の話に全く興味がなかったし、ハリーの隣にいたロンはもう出場できないと分かって興味を失ったのか、チェスに戻っていた。

 

 ハリーは相変わらず熱心に言葉を口にする。

 「君がこの学年で一番呪文や呪いができるってみんな知ってるよ」

 ハリーの中の僕は一、二年生のときの印象が強いのだろう。実際あの年頃の子どもにしては色々できたと思うが、年々年齢が実力に追いつきつつある。

 僕は肩をすくめて返した。

 「成績の話だろう。ハーマイオニーだってほとんど負けてないじゃないか」

 「でも、ハーマイオニーはあんまり機敏って感じじゃないだろう? 君はチェイサーだし、いい線いくんじゃないか?」

 ハリーは僕を煽てるとクラッブが少しだけ機嫌を良くすることに気づいたらしい。涙ぐましい努力だ。

 「いや、変身術だけで競うとかだったら可能性はあるかも知れないけど……他で勝てない。それこそ、フリントやハッフルパフのセドリック・ディゴリーなんかの、クィディッチチームのエースやキャプテンが選ばれるんじゃないか?」

 「フリントはない!」

 ハリーは嫌そうな顔をして言った。まあ、そりゃあハリーはフリントが嫌いだよな。クラッブも実はクィディッチのことで僕をなじるフリントが好きではないので、その後は二人してスリザリンのクィディッチチーム上級生をこき下ろしていた。やっぱり仲良くなるのに、共通の敵って大事なんだな。

 

 その後は他国の学校がどんなところかという話に話題が移った。非魔法界以上に他国との交流が薄い中、さらに情報が秘匿される魔法学校の状況は伝聞などでしか窺い知れない。いつか各国の教育ノウハウを結集させる会議などを設けたいものだ。

 

 

 

 嵐が強まる中、ホグズミード駅に着き、ホグワーツの玄関ホールまでやって来たところで僕らはようやくそれぞれの寮に別れた。スリザリンのテーブルにやって来たハーマイオニーとネビルと一緒にいたはずのミリセントとゴイルは何だか疲れている。クラッブが訝しげに尋ねた。

 「どうしたんだ?」

 ミリセントは大きくため息をついてテーブルに腰を下ろしながら答えた。

 「ハーマイオニーが屋敷しもべ妖精の扱いについて根掘り葉掘り聞いて来たの。もう、しつこいったら!」

 ゴイルも肩を落として頷く。

 「ワールドカップの事件でクラウチ氏の屋敷しもべの扱いを見て、ひどいって思ったらしい。

 ロングボトムだってちょっと理解できないって雰囲気だったのに、あの子、マジで聞く耳持たずって感じだったよ。あれは突っ走って何かやらかしそうだな……」

 何というか、ここですら流石ハーマイオニーだ。今までになく彼女は自らの正義感に燃えているようだった。

 「でも、ホグワーツだって屋敷しもべがいっぱいいるのに、全く頼らずにっていうのは無理よね?」

 ミリセントはどこか心配げだ。

 組み分け後の夕食のときに、僕らはこっそりハーマイオニーの様子を窺った。彼女はグリフィンドールのゴーストと何か話した後、目の前の自分の皿を遠くに押しやった。屋敷しもべ妖精が作ってると気づいて、断食しようと思ったのだろうか?

 僕らは顔を見合わせて、結局自分たちの食事を始めた。

 

 

 

 皿からデザートが消え、ダンブルドアの話が始まった。

 僕は大広間に入った時から今年の『闇の魔術に対する防衛術』の教師を探していたが、新顔は見当たらなかった。まさか元からいる先生の誰かに任せることにしたのだろうか? 去年のルーピン教授のことがあって、僕は破滅を迎えると殆ど決まった防衛術教師職の存在に怯えていた。

 

 しかし、新しい教師はやって来た。ダンブルドアの話を遮り大広間に入って来た男は、天井で光る稲妻に照らされてひどく恐ろしい風体をしていた。義足に、傷跡で覆われた顔に、ぐるぐると動く義眼。実際に顔を合わせたことがあるわけではないが、それは間違いなくマッドアイ──アラスター・ムーディだった。

 その引退した闇祓いの男は、今までの防衛術教師の中で、ダンブルドアがどのような経緯で頼んだのか、最も初見で想像がつく人選だった。

 

 去年のことがあって、ダンブルドアもいよいよ何も知らない人間に防衛術を担当させる訳にはいかないと考えたのだろう。だから、相手は事情を知った上で、なおその運命を受け入れる覚悟があるものでないといけない。しかし、闇の帝王の復活が迫っている。校内の守りを固めるという点でも、少しでもまともな教師を用意する必要がある。

 歴戦の闇祓いであるマッドアイ・ムーディなら、引退したと言えどもその技量には疑いがない。その上、引退しているからこそ、そして先の戦争を知り、闇の帝王復活の危機感を共有できる人間であるからこそ、この一年で犠牲になることを了承してくれる人間でもあったのだろう。

 

 なるほど、感動的な話だ。……しかし、スリザリン生としては少し不安を覚えるのも事実だった。アラスター・ムーディは僕の父をはじめとした、アズカバン行きを逃れた死喰い人をよく思っていないだろう。それでスリザリン生に当たり散らされたりしたら、僕らはたまったものではない。

 内心複雑な心境で僕は壇上のダンブルドアの顔を見上げた。もう去年のハグリッドの件のように、ダンブルドアがこちらを見ることはないだろうと思っていた。しかし、ほんの一瞬だけ、どこか悲しげに彼が僕の目を見たような気がした。

 

 ……僕も大概ダンブルドアに絆されてしまっている。今年一年、アラスター・ムーディが円滑に職務を全うするようにし、かつスリザリン生を守る。僕がダンブルドアのためにできるのはそれだけだろう。彼がハリーや魔法界を守るのに専念するためにも、後顧の憂いは絶っておきたい。

 ほとんど例年のホグワーツ教師の尻拭いだ。けれど、きっとムーディは教師としての能力はありそうだし、どうにかなる……と信じたい。

 

 三大対抗試合の説明を────よりにもよってハロウィーンの日に学校代表選手三人の選考が行われるらしい。これはハリーの出場は決まったな────ダンブルドアがしてゆく中、僕は今年やるべきことを頭の中で整理していった。

 

 

 

 ムーディ教授の初授業は学期二日目の午前中だった。一日目は────午前にハグリッドの授業がある! 僕は彼が何を用意しているのか知りたくて、先にあった「呪文学」の授業が終わると走ってハグリッドの小屋に向かった。

 「おお、ドラコ! 来たな!」

 ハグリッドはニッコリ笑って僕を出迎えてくれた。足元には木箱が二つ、檻が一つ置いてある。

 「どう? 授業の準備は」

 僕が息を切らして尋ねると、ハグリッドは嬉しそうに、その中身を見せた。

 「マンティコアと火蟹、それを掛け合わせた『尻尾爆発スクリュート』の幼体だ」

 尻尾爆発スクリュート? 新種に自分で名前をつけたのだろうか。ネーミングセンスは正直微妙だ。…………いや、問題はそこではない。僕は頑丈そうな檻の中にいる、子猫に蠍の尻尾と赤ん坊の顔を貼り付けたような動物を覗き込んだ。

 「幼体とはいえマンティコアを授業で扱う許可が降りたの?」

 ハグリッドは少し誇らしげに頷いた。

 「ああ、マニュアルではこの危険度の動物は取り扱っちゃなんねえって話だったんだが、魔法省の役人が幼体であればXXXXのルールに則って、子どもに見せて構わんと言いよった。

 可愛いもんだろう。……けども、お前さんもあんまり近付きすぎるな。刺されると痛いじゃ済まんぞ」

 そりゃあそうだろう。しかし……彼は本当に魔法生物の危険度を分かってきているようだ。僕は喜びのあまり、思わずハグリッドの手を握った。彼も嬉しそうだった。

 

 他の子達もやって来て、二つの木箱の中身が見せられた。片方は火蟹の幼体で、もう片方は尻尾爆発スクリュートの幼体だ。

 尻尾爆発スクリュートは……正直言って、本当に気持ち悪い外見をしていた。マンティコアと火蟹という、脊椎動物と無脊椎動物の子どもが一体どうなるのか────そもそも、その二種の間で子どもができること自体狂ってると思うが────僕はさっぱり予想がついていなかったのだが、確かに両者の特徴を備えていた。

 どうやら外骨格は形成されなかったらしい。胴体は青白く、生のエビやカニを彷彿とさせる肉がヌメヌメとした粘液に覆われている。頭らしいところは見当たらないが、それがモゾモゾと動く方向の部分にうっすらと人間の顔に似た模様があるのが心底不気味だ。後ろの細長い尻尾のようなところからは、火蟹の火とマンティコアの毒が合わさった結果だろうか? 時たま小さな爆発音を立てて火花が起き、その衝撃でスクリュートは移動していた。────ほんとうに、ほんとうに気持ち悪い。

 

 生徒たちは皆スクリュートの悍ましさに慄いていた。しかし、ハグリッドがマンティコアの檻を自分の前に持って来て、三種の中で最も安全な火蟹の赤ちゃんを配り、比較しての観察をさせ始めると、動揺は少しずつ収まっていった。

 

 魔法族生まれの子ならマンティコアの危険性は知っている。かなり珍しい危険生物に、みんな結構興味津々だった。特にグリフィンドール生は。勇敢すぎる。

 ハグリッドがひっくり返したスクリュートの腹側を恐る恐る眺め、自分の手元にある火蟹と見比べながら、ゴイルが囁く。

 「マンティコアなんて、どうやって連れて来たんだろう? 魔法省やダンブルドアがそこまでハグリッドを信用したなんて、驚きだな」

 「彼の努力の成果だよ」

 僕はちょっぴり誇らしい気持ちで答えた。

 

 マンティコアの実物は最初の一回だけで、今後は三週間に一度ほど火蟹とスクリュートの比較観察を行うらしい。スクリュートはXXXXX分類だと仮定して、相変わらず僕らには触らせないそうだ。スクリュートは正直めちゃくちゃ気持ち悪いが、火蟹だけでも結構人気のある動物だし、かなり良い授業なんじゃないだろうか。みんな、これからもスクリュートを触らなくていいと分かり少しほっとしたようだった。

 

 僕が授業終わりにハグリッドに感想を言いに行くと、まだ何人かの子どもたちがマンティコアを見ていた。ハグリッドは彼らが近寄らないよう、檻の前に立って監視している。

 「まあ……悪くない始まりなんじゃねえか? え?」

 僕がやって来たことに気づいたハグリッドは、嬉しそうに笑いかけてくれた。僕もニッコリと笑い、頷いた。

 

 

 

 



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マッド-アイ・ムーディの初授業

 

 

 

 ハグリッドの授業があった日の夕方、僕らは玄関ホールにいた。いつものことだが、夕食時は混み合って大広間の入り口に列ができる。僕らスリザリン生は偶然前にいたグリフィンドール三人組といっしょに並んだ。

 ハグリッドの授業がどうだったとか、占い学が最悪だったとか何気ない話をしていると、輪に加わらず新聞を読んでいたゴイルが突然パッと顔を上げてロンを見た。

 「……何だよ?」ロンは訝しげにゴイルに尋ねる。

 「ああ……いや……」ゴイルは何と言ったらいいか決めかねているようだった。しかし、彼が今読んでいる新聞に原因があるのは明白だ。

 僕らは揃って新聞を覗き込んだ。

 

 

 ゴイルが見ていた紙面には「魔法省、またまた失態」という見出しがデカデカと書かれている。ざっと内容に目を通してみると、「『マグル製品不正使用取締局』のアーノルド・ウィーズリーの失態」という文字が目に入って来た。

 

 流し読みしたところ、新学期の日にマッド-アイが何かを侵入者だと思って撃退するためにゴミ箱を暴れまわらせ、その事態の収拾にウィーズリー氏が派遣されたらしい。その結果、マグルの警察を含めた何人かの記憶修正を行う羽目になった……とのことだ。

 ちゃんと事実を整理して読めば、ウィーズリー氏は別に職務上必要なこと以外していないことが見て取れるのだが、記者のリータ・スキーターは二年前の空飛ぶ車所有事件を引っ張り出して記事を書いていた。彼の失態だということにしたいのが見え見えだ。

 あらかた読み終えた僕らは顔を見合わせた。ハリーとロンは二年前のやらかしを再び引っ張り出してこられて、ひどく恥ずかしそうな顔をしている。

 「お前の父親はアーサー・ウィーズリーじゃなかったか?」別人だから大丈夫と思っているわけではなさそうだが、ゴイルは慰めるようにロンに言った。

 「この特派員のリータ・スキーター、書いていることが適当だわ! 名前を間違って書いているって分かったら、どうせ信用は落ちるわよ」ハーマイオニーも気遣わしげに言う。

 「そうか? ゴシップ好きの馬鹿どもは事実なんて気にしちゃいない。書かせれば書かせるだけ面倒は増えるぞ」

 クラッブは手厳しく反論した。ロンは弱々しくクラッブを睨む。しかし、二年生のときのハリーと僕の「スリザリンの後継者疑惑」を思い返してみれば、魔法界の人間は情報を精査することにあまり関心がないことは明白だった。

 

 「この事件、ホグワーツに行く前日の早朝に起きたらしいが、知っていたのか?」ノットがロンに尋ねる。しかし、それに答えたのはハリーだった。

 「ホグワーツに行く日の朝、おじさんは急いで出かけていってたな……確かに、マッド-アイが何かしたって言っていた気がする」

 「じゃあ、アーサー・ウィーズリーはマッド-アイが新学期初日に捕まらないために色々手を回して、それでこんな記事を書かれてしまったという訳だ」

 クラッブは呆れ顔だ。そもそも、僕ら元死喰い人の子供たちは闇祓いを好きになる余地があまりないから先入観もあるだろう。しかし、苛烈なパラノイアだというマッド-アイの評判はそれなりに有名だった。ロンも紙面をじっくり眺めながら言う。

 「正直、マッド-アイって教師として大丈夫なのかな? ダンブルドアも大概だよ。一年目は『例のあの人』付きターバン男、二年目は詐欺師、三年目は狼人間と来てコレだぜ?」

 流石に苦笑いしてしまった。僕は事情を知っているから仕方ないと思っているが、他の子たちはそうではないだろう。ダンブルドアの体裁を思い、僕は口を開いた。

 「まあ……マッド-アイも何か事情があったのかも知れないよ」

 僕の言葉に、ロンはぐりぐりと目を動かして呆れたように声を上げる。

 「君、お人好しすぎるよ! 何でマッド-アイを庇うんだよ? 実際、噂は聞こえて来てるぞ! イカれてるって……」

 三人組は去年僕が「闇の魔術に対する防衛術」教師に半殺しにされたことを知っているので、それなりに厳しい意見が出た。ルーピン教授にお世話になって恩を感じているだろうハリーは口を挟めずにいるが、ハーマイオニーですらかなりダンブルドアの意図を計りかねている雰囲気だ。しかも、今回はマッド-アイのせいでウィーズリー氏が困った状況に陥ってしまった面もあるし、擁護はちょっと軽率だったかもしれない。

 

 クラッブも加わって防衛術教師についてやんややんやと話していると、僕らの背後から低い声が響いた。 

 「喧嘩か? え?」

 予想外の言葉に、僕らは一瞬固まった。

 声の主は話題の人物、マッド-アイ・ムーディだった。彼の目は明らかにスリザリン生──その中でも僕を捉えている。やっぱりマッド-アイとしては元死喰い人の息子は受け入れ難いのだろうか? 確かにのんびりおしゃべり、という雰囲気ではなかったかもしれないが、僕らは寮に分かれて言い合いどころか、赤と緑がぐちゃぐちゃになって列に並んでいた。

 マッド-アイの考えを察してスリザリン生が表情を固くする中、グリフィンドール生の方がマッド-アイに返事をした。

 「違います。僕ら、新聞を読んでいただけです」ロンが恐ろしい外見のマッド-アイに少し怯えながらも答える。

 しかし、それでもマッド-アイは僕から目を離さなかった。

 「ほう、やはりグリフィンドール生に取り入っているのか…………マルフォイ、何を企んでいる?」

 僕らの世代がいるホグワーツを見たことがない人間としては、合理的な態度だ。4年前までのグリフィンドールとスリザリンの上級生が玄関ホールで顔を突き合わせていたならば、まず間違いなくいざこざの兆候と言えただろう。しかし、子どもたちにとってはそんな事知ったことではない。特にグリフィンドールの三人組からしたら、マッド-アイ・ムーディはロンの父に迷惑をかけた上、友人に難癖をつけるエキセントリックな教師になってしまっていた。

 「ドラコは僕らに取り入ってなんかいません」

 ハリーが硬い口調で答える。しかし、それは火に油を注いでしまっただけのようだ。ムーディ教授はいよいよ僕にだけ詰め寄り、ギョロギョロ動く目で見聞するように全身を眺めている。しかし、本当に何もしていない以上、疑惑に取り憑かれた彼の納得する形で場を収めるのは不可能に見える。どうするべきなんだ、これは? 僕は内心困り果てていた。

 そこに、救いの手が現れた。

 

 「ムーディ先生、何をしているのですか?」

 後ろから声をかけて来たのは、マクゴナガル教授だった。彼女は腕一杯に本を抱えて、大理石の階段を降りてくる。新学期に入ってから初めて間近に見るマクゴナガル教授に、僕は内心浮き立つような気分になるが、彼女は見るからに険しい顔をしている。僕は自分の顔に現れそうになった笑顔を引っ込めた。

 彼女はカツカツと早足で歩いてくると、僕とムーディ教授の間に割って入り、厳しい目で彼を見る。

 「ダンブルドア校長が仰ったはずです。寮や、その子自身のことでない部分で扱いを変えてはならないと」

 ダンブルドアは流石に偏執病の元闇祓いをほったらかしにしているわけではなかったようだ。しかし、その言葉の効果のほどは怪しかった。ムーディ教授は相変わらず僕から目を離していない。

 「マクゴナガル先生、わしは当然の懸念を向けているだけだ……こいつの親父殿をあなたも知っているだろう」

 しかし、マクゴナガル教授はその続きを言わせなかった。彼女は怒りを滲ませて声を上げた。

 「ムーディ! 口が過ぎます! ……ほら、もうあなた達は大広間へ入りなさい!」

 僕らはマクゴナガル教授に叩き出されるように大広間への扉に飛び込んだ。

 

 流れで一塊になってグリフィンドールのテーブルに向かう中、ハリーが訝しげに後ろを振り返る。

 「あの人、何であんなに君たちに厳しいんだろう?」 

「アラスター・ムーディは以前の戦争のときにアズカバンの独房の半分は埋めたという人だ。当然、僕の父のような人だって捕まえたかっただろうが、逃げおおせられた。今だって尻尾を掴もうとウズウズしているはずだ」

 「でも────それは君たちとは関係ないよ!」

 僕の答えにハリーは憤慨しているようだった。クラッブが肩をすくめて返す。

 「一年生の時のグリフィンドールとスリザリンの関係を思い返してみろ。というか、いまだに上級生の中には呪いをかけ合いたくて仕方ない奴らもいるだろうさ。そんな雰囲気じゃないからやりづらいってだけで……」

 もはやどのテーブルに座って食事しようと見咎められることはなかったが、全員が全員それを快く思ってくれているほど、僕やその周囲が影響力を持っているわけではなかった。

 

 

 

 結局そのままグリフィンドールのテーブルで夕食をとることになった。席についた途端、ハーマイオニーが猛烈な勢いで食べ始めた。隣に座っていたミリセントが目を丸くする。

 「ハーマイオニー、あなた、断食してるのかと思っていたわ。そんな早く食べたら喉に詰まらせるわよ!」

 ハーマイオニーはその言葉にジロリと視線を返した。そのまま口いっぱいに詰まっていたマッシュポテトを飲み込もうとしている。

 「まさか、今夜も図書室に行くんじゃないだろうね?」

 ハリーが尋ねる。「今夜も」? 彼女は新学期が始まって一日目にしてもう図書館に通い詰めているのだろうか? 僕らが事情を飲み込めないでいると、ハーマイオニーはモゴモゴと返事をした。

 「行かなきゃ。やること、たくさんあるもの」

 「だって、言ってたじゃないか。ベクトル先生は──」

 「学校の勉強じゃないの」

 ハリーの言葉にピシャリと返すと、ハーマイオニーはそのまま食事を続け、僕らが料理を取り分けている間に席を立った。

 「君たちにも言ってない用事なのか?」

 猛然と大広間を出ていくハーマイオニーの背を見ながら呟いたゴイルの言葉に、ハリーとロンは肩をすくめた。

 

 

 

 ハーマイオニーが座っていた席の端はすぐ埋まった。ウィーズリーの双子とリー・ジョーダン、パンジー、ザビニだ。フレッドはこちらに朗らかに笑い、声をかけた。

 「ムーディ! なんとクールじゃないか?」

 僕らは顔を見合わせた。さっきのムーディ教授の態度は、「クール」と形容するにはいささか独断的で頑迷な印象だ。

 「どこがクールなんだよ?」ロンが兄の言葉に賛成しかねると言った様子で返事をした。

 「奴さんの授業を受けてみろ…………何だ? そんなにムーディにビビっちまったのか?」

 僕らの事情を知る由もないフレッドは、単にムーディ教授が、非常に恐ろしげな外見だから弟たちに歓迎されていないのかと思っているようだ。その言葉に、ノットが黙っていられないとばかりに口を開いた。

 「違う。ムーディはついさっき玄関ホールで話してただけの僕ら……スリザリン生に難癖をつけてきたんだ」

 ジョージはそれを聞いて得心したようだった。

 「……まあ、確かに歴戦の闇祓いって感じだったからな。それも、偏見、偏執、へんてこって感じだ」

 それにしても、どう「クール」だったんだろうか? この双子はそう易々と教師に懐くタイプではない。僕は彼の最初の授業を受ける前に、少し探りを入れることにした。

 「で、そんなにいい授業だったの? 教えてよ。ムーディ教授の名誉挽回のためにもさ」

 「勿体ぶらないでってさっきから言ってるのに!」それでも内容を匂わせるだけにしようとするフレッドを、彼の前に座っていたパンジーは苛立たしげに睨みつける。それでようやくフレッドは肩をそびやかして答えた。

「……しょうがないな。『許されざる呪文』だ。ムーディはクモを使って実演してみせたのさ」

 話を聞いていた周囲に驚きが広がる。……確かに、非常に有用な授業だろうが、よく許可が降りたものだ。ハグリッドのマンティコアといい、今年は危険に対する授業内容が多いのはダンブルドアの意向なのだろうか?

 目を丸くしていたゴイルが僕らの顔を見回して尋ねる。

 「……正直、イカれてるって説に拍車をかけるだけじゃないか?」

 まあ、今魔法界に危機が迫っていることを知らない人間の反応としては至極真っ当だ。グリフィンドール生の反応はスリザリン生よりも好意的ではある。グリフィンドール生は勇敢ゆえに危険を好む傾向がある。

 「すっごく有益な授業ではあるだろう……多分」若干引き気味のスリザリン生に、僕はフォローするように声をかける。ロンは鞄から時間割を取り出し、いつ自分がその授業を受けられるのか確認を始めた。

「グリフィンドールは木曜までムーディの授業はないよ! そっちは?」

 「明日の二個目」残念そうなロンに対し、ミリセントが険しい顔で返した。

 「まあ……能天気に楽しみだとは言い辛いな」

 僕は心の中でクラッブの意見に同意した。

 

 

 

 翌日、わずかに緊張感が漂う中、スリザリン生は「闇の魔術に対する防衛術」の教室に向かった。ムーディ教授が僕らだけ授業を放棄したり、延々と親族の罪状を読み上げ続ける可能性はゼロではない。ダンブルドアの制止が働いていることを僕は必死で祈った。

 

 しかし、概ね僕の心配は杞憂に終わった。かなり意外なことに、ムーディ教授はダンブルドアの忠告を受け入れたようだ。許されざる呪文を教えること自体の異常さに目を瞑れば、彼はかなり真っ当に授業を行った。もちろん、紹介している呪文────特に服従の呪文の実演のあたりでは僕やクラッブ、ゴイルをジロリと見る視線を隠すことはなかった。僕らの親はこの呪文を掛けられていたということで無罪になっている。当然の反応で、僕としては許容範囲だった。

 

 

 しかし、授業の終わり、昼休みで大広間に向かう僕をムーディ教授は呼び止め、教室に残るよう告げた。たちまちスリザリン生の中に険しい雰囲気が広がるが──僕としては、これは彼の人となりを知る好機だ。大人しく昼食を食べに行くよう彼らに合図する。クラッブがミリセントに腕を掴まれて出て行ったのを最後に、教室にはムーディ教授と僕の二人きりになった。

 

 改めて見て、恐ろしい外見の人だ。下級生なんか怯えてしまうんじゃないだろうか。そう、呑気に構えている僕を睥睨して、ムーディ教授は口を開いた。

 「……お前は随分マクゴナガル先生に取り入っているようだな。

 ダンブルドアはアズカバンを逃れた死喰い人の子どもに厳しく当たるのはならんと言った…………甘い! 全く、ぬるすぎる。毅然とした態度を、示さねば。ええ?」

 僕が残されたのはマクゴナガル教授が僕を庇う姿勢を見せたからのようだ。ダンブルドアに譲歩してスリザリン全体は見逃すが、要注意人物には唾をつけておきたい。そんなところだろうか。

 しかし、口ぶりからして僕とダンブルドアの繋がりを知っている風ではないところに少しの安心と不安を感じる。僕としては「忠義者」の存在がある以上、元闇祓いと言えども大勢に事情を知られるのは歓迎できない。一方で、それはダンブルドアの助けを借りられない状況をいっそう克明にする事実でもあった。

 

 内心を隠し、僕は「特別なところのないスリザリンの優等生」らしい言葉を口にする。

 「……失礼ながら、実際に死喰い人なわけでもない子どもに『毅然とした態度』をとって、利益になるのでしょうか? 今、ホグワーツではグリフィンドールもスリザリンもそれなりに仲良くやれていると思いますが」

 僕の言葉にムーディ教授は嘲るように笑った。

 「ハッ! お前の魂胆は見えている……わしの目は騙せんぞ! 他の寮の生徒に手を出してみろ、お前の父親を後悔させてやる」

 嫌われたものだ。まあ、彼にしてみればルシウス・マルフォイなど今相手にする可能性がある人間の中では最大の敵だろう。僕はムーディ教授と穏和にやりとりする方法に目星を付けながらも、話の流れに沿って言葉を紡いだ。

 「わざわざ他の寮と敵対する価値がどこにあるでしょう? ただでさえ、スリザリン生は目の敵にされやすいのに。僕らは出来るだけ友好的にやって来たつもりです」

 「それで、え? お前の親父殿のやっていることをわしが知らんとでも思ったか? クィディッチ・ワールドカップ、アレをやったのが誰かなんて、ちっと頭がある奴なら分かる。

 ドラコ・マルフォイ、お前の父親だ。わしの手をすり抜けた卑怯な下衆よ……」

 痛いところを突かれてしまった。僕は父のしていることを黙認しているようなところがあるので、罪悪感が胸に湧いてくる。しかし、それでも僕は誠実そうな態度を崩さず話を続けた。

 

 「父や、僕らの上の世代のしたことが許されるだなんて思っていません。けれど、それを子供に当たっても改められることはないのではないでしょうか。

 貴方のご懸念は……理があるところもあると思います。けれど、一度今のスリザリン生がどのような子供たちなのか、見極めてからとる態度をお決めになっても遅くないのではないですか?」

 「そう言う割にお前の父親はスリザリンと他の寮の仲を裂こうとしているんじゃないか? 奴のはそういう振る舞いだ。え? ルシウス・マルフォイの愛息子よ……」

 徐々にムーディ教授の態度が見えて来た。彼はやはりルシウス・マルフォイの息子ということで僕に目をつけ、その僕がグリフィンドール側の人間の懐に潜り込んでいるのが気に食わないわけだ。

 だったら、僕が「ルシウス・マルフォイの息子」であることに被害を被っている側の人間であるように振る舞うのが一番穏当だ。

 父上、貴方を悪役に仕立て上げることをお許しください。

 僕はファッジに対してダンブルドアを悪様に言ったときより、はるかに罪悪感なく心の中で父に謝った。

 

 僕はムーディ教授の言葉に悲しむように目を伏せた。

 「父は……確かに成績優秀な誇れる息子のことを愛してはいますが……僕の言うことを真面目に取り合ってくれる訳ではありません。言い訳だとお思いになるでしょうが……」

 これでいきなりムーディ教授の態度が変わるわけではないだろう。最悪、さらに疑念を深められるかもしれない。それでもルシウス・マルフォイに対して隔意がある可能性を考慮してもらえれば大分話が楽になる。

 しかし、ムーディ教授は僕の言葉を聞いて嘲笑を顔から消した。

 「……父親が愚かで苦労していると、そう言いたいのか?」

 相変わらず疑いの言葉ではあるが、態度は先ほどまでよりずっと僕のことを真面目に取り合っているようだ。これは……いい調子かもしれない。僕は心の中でギリギリ嘘にならない父と僕の不仲要素をかき集め始めた。

 「僕は父の期待に応えているつもりですが……その分父が僕の言うことを真面目に取り合ってくれるわけではないのです。

 実は僕はクィディッチをするのが全く得意ではなかったんですが……彼はクィディッチができる息子が好きなんです。箒をチームにプレゼントして、キャプテンが僕をチームに入れるのを断れないようにしたんです。

 僕がスリザリンのチームでチェイサーをやっているのはそのせいなんです。僕より上手いスリザリン生だっているんですけどね。流石に二年生から選手をやっていたので同学年の子達より練習量はありますけど……」

 ……やりすぎだろうか? 今までずっと我慢して来たことを吐き出したようには振る舞ったが、いきなりの自分語りに逆に怪しまれたかも知れない。悲しげに俯きながら、チラリとムーディ教授の顔を盗み見る。ムーディ教授は表情を変えていなかった。よく言えば先ほどまでの僕の話を取り合ってくれない態度ではなかったが……分からない。もうちょっと感情を表に出して欲しいものだ。

 

 僕が自分のやったことの良し悪しを判別しかねていたが、ムーディ教授が大きく息を吐いたので思わず肩を跳ねさせた。失敗だったか? やっぱり普通に下手に出続ける作戦で行くべきだったか?

 

 しかし、心配は杞憂に終わった。ムーディ教授は先ほどまでよりも誠実な口調で、僕に話しかけた。

 「お前はホグワーツの教育改革に意欲的だとダンブルドアから聞いた。前任のリーマス・ルーピンも前年学んだ内容を送ってきたが、そこにもお前の名前があった。去年、コロコロ変わる『闇の魔術に対する防衛術』教師のためにカリキュラムを作りたがっていたようだと。

 今年の口出しはならん。しかし、それ以降にできることであれば、多少は手を貸してやらんこともない」

 それだけ言うと、ムーディ教授は僕に行っていいと告げた。

 

 一人大広間に向かいながら、僕は思考を巡らせる。 

 正直……かなり意外だ。彼が死喰い人の子に親と不仲なことを匂わせるだけで慈悲をかけるタイプだとは思っていなかった。

 父との不和を聞いて態度が柔らかくなったのは確実だが、何が決定打になったんだ? こちらがしっかりと予測を立てた上で用意した話でないと、どうも相手の感情の動きに予想がつかない。話の流れとしてはクィディッチか? それとも、父と僕の違いか? いや、父に対する嫌悪のおかげで、それで苦労している息子という立場だったら共感を寄せられる。そういうことだろうか?

 

 穏やかなときの方がムーディ教授は感情が読みづらくて苦手だ。幸い、禁じられた呪文を教えていることとかなりエキセントリックなことを除けば、彼は良さそうな先生だ。今後は対面して何かする機会が余りないことを、僕は心中で祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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ハリーの悪夢

 

 

 いまいち手応えがはっきりしない結果に終わりはしたが、ムーディ教授の態度が初授業の段階で改善されたのは僥倖だった。解決に時間がかかる可能性があった懸念が消えてくれて、他のことに手を回す余裕ができるのは本当にありがたい。三大魔法学校対抗戦開始まで日があるとは言え、その間にやりたいことは山ほどあるのだから。

 

 喫緊の用事はファッジに送る予定になっていた昨年までの『防衛術』の実態調査だ。

 ロックハート教授の年についてはそもそも作る側にいたため、何かに使うだろうかと指導案の写しを全学年分取っていた。家からビンクに送って貰えば、要約は作らなければならないとはいえ、ほとんどそのまま使えるだろう。

 しかし、クィレル教授とルーピン教授についてはそうもいかない。ワールドカップから帰って来てすぐ後、クィレル教授の方は既に何人かの卒業生に援助を求める手紙を送っていた。しかし、十月に入るまでに全学年の内容を三年分全ては厳しいかも知れないという嫌な予感が胸中に湧いてくる。クィレル教授は授業の中身がスカスカだったからまだマシなのだが、ルーピン教授の実践形式指導を全学年分、文字に起こして報告書にまとめるのは手間なのだ。意外なところで実技主義による障害が出て来てしまった。

 

 しかし、こちらは思わぬ方向から解決を見た。救いの手を差し伸べたのは、またしてもアラスター・ムーディ、その人だった。

 

 僕は追加で必要になるかもしれない可能性を考えて、授業中にムーディ教授がどのような指導を行なっているかメモを取っていた。それを目敏く──彼の義眼は視力が利く範囲であれば何でも見通すようだ──見つけた彼は、再び僕を授業後に残らせ、理由を聞き出した。

 敵対行動と見做されては敵わないと、事情をあらかた話した僕に、彼は研究室から羊皮紙の束を持って来た。それは去年ルーピン教授が何を生徒たちに教えていたのか、丁寧にまとめられた資料だった。ルーピン教授は後任者のため、昨年度の授業内容をムーディ教授に送っていたらしい。やっぱり教育者としてのルーピン教授は最高だぜ。

 結果として言うなら、ムーディ教授はそれに倣うことは全くなかったのだが……しかし、ルーピン教授が見せた教師としての責任感ある態度は巡り巡って僕の助けとなった。

 

 ダンブルドアの頭の上を飛び越してファッジに送るという行為に懸念を示される可能性も考えたが、こちらは杞憂に終わった。ムーディ教授はダンブルドアの「甘い」姿勢を変える機会だと捉えていると僕に告げた。今ですら「服従の呪文」を生徒にかけることを許可されているらしいのに、これ以上どう厳しくすると言うのだろう? 彼が耐性をつけるという名目で、磔の呪文の実践をし始めないことを僕は切に願った。

 正直、ここまで協力的になられると逆に怖い部分もある。しかし、彼は闇祓いの後進育成にも力を入れていたそうだし、僕が想像している以上に教育の意義を重く考えている人物であるようだった。

 仕方がないとは言え、ダンブルドアは策士能力値が教育者能力値を食ってしまっているし、ムーディ教授の協力があれば出来ることも増える。────彼がやっている授業内容は、魔法省的に全く受け入れ難いものだという懸念点を除けば。

 

 僕はファッジにムーディ教授の指導内容を教えるのは来年にしようと密かに決意した。

 

 

 

 

 土曜の昼近く、僕はファッジに送る報告書のための調べ物を終えて図書館から寮に一人で戻っていた。誰もいない廊下をメモ書きに目を通しながら歩く。すると突然、僕は見えない手によって、近くの小部屋に引っ張り込まれた。

 一瞬で血の気が引いていく。この状況は、トム・リドルに拉致されたときにとても似ている。まさか、もう墓穴を掘ったのか? いつ? どこで? まだ新学期が始まって一週間も経ってないのに?

 しかし、その手の主は慣れ親しんだ人だった。何もないところから姿を現したのは、グリフィンドールの三人組だったのだ。

 

 流石にこの強引な行為に僕は声を荒らげる。

 「ちょっと────本当にやめてよ! びっくりするじゃないか!」

 三人組は僕の剣幕にちょっぴり怯んだが、さっさと謝ると本題に入ろうとした。……勘弁してくれ。寿命が縮んだぞ。それにしても、よく僕を待ち伏せできたものだ。一人でいるところを狙ったんだろうが、何故だろう?

 その答えは彼らが話したい内容にあった。

 

 最初に僕に用事を切り出したのはハリーだった。

 「あの────シリウスが、こっちに帰って来ちゃってるかもしれないんだ。それで、君なら魔法省が何か勘付いたとか知らないかなって思って」

 なるほど。確かに、この内容を他のスリザリン生がいるところで話すわけにはいかない。

 しかし、まだ三大魔法学校対抗戦も始まっていないのに──つまりハリーが目に見えて危険に晒され始めたわけでもないのに、シリウスが危険を冒してホグワーツを再び訪れようとしている理由がわからない。

 「何故? ホグワーツの吸魂鬼の監視をやめさせるためにわざわざ遠くで目撃されるようなことをしていたんだろう?」

 

 僕の問いに、ハリーは事情を説明し出した。

 夏休み、ハリーは闇の帝王がマグルの老人を殺す夢を見て、そのときに傷跡の痛みを感じたそうだ。それを相談する手紙をシリウスに送ったのだが、二週間近く経った昨夜、ようやく返事が来たらしい。

 見せてもらったシリウスからの返事には、すぐ北に向けて出発することと、次またそのようなことがあったらダンブルドアに相談するようにというアドバイスが書いてあった。

 これは確かにハリーにとっては大きな心配事だ。自分が少し泣き言を言ったせいで後見人が危険を顧みず飛んできてしまうとあれば、罪悪感にも駆られてしまうだろう。

 

 「……今のところ、ペティグリューなしで捕まっても魔法省は即処刑できない。それに、去年シリウスが姿を見られたのは全てペティグリューを探しているときだった。

 絶対に大丈夫とは言い切れないが、彼もそう簡単には捕まらないはずだし、ダンブルドアも手助けしてくれているだろう」僕はなんとかハリーの慰めになるような事を探した。

 

 ダンブルドアはシリウスとペティグリューが動物もどきだと公表しなかった。ペティグリューは正体が割れても隠れることに困らないのに比べて、シリウスは格段に見つかりやすくなってしまうからだろう。幸か不幸か、スネイプ教授はシリウスとペティグリュー両者の変身シーンを見なかったし、彼は僕を含めて三人の動物もどきの存在を秘匿されている。

 ……まあ、後から気づいたのだが、スネイプ教授にしてみれば、僕がどうやって数時間もの間ルーピン教授の相手をしていたのか全く不明になっているはずだ。勘付かれるかもしれないと思ったが、そもそも変身した動物もどき相手に狼人間の感染が起きないこと自体、広く知られている話ではない。僕だってルーピン教授に教えられるまでは知らなかったのだから。

 それゆえに、二ヶ月前のスネイプ教授の僕に対するキレっぷりも頷けるというものだ。彼からしてみたら、僕は完全にラッキーで死ななかっただけなのに犯人を庇う狂人である。

 

 

 しかし、ハリーの話の中には一つ、シリウスの帰還以上に気がかりなことがあった。

 彼が今までも傷跡に痛みを感じることがあるという話は聞いたことがあったが、夢で闇の帝王の現況を覗いたというのは初耳だ。二年前の学期末、マクゴナガル教授の研究室でダンブルドアがハリーに語ったことを思い出す。ハリーがヴォルデモートの力の一部を引き継いだという話。それは、心や魂といった精神的なものなのではないか、というのが僕の仮説だった。

 「夢」はその説をかなり強力に裏付ける。ハリーと闇の帝王の間には、闇の帝王が自身の死の呪いの反射によって肉体のみが滅ぼされた際、なんらかの精神的繋がりを得た。そして──その精神の分裂というのは、トム・リドルの日記の不可解な動力源としても考えられるのではないか。そういう推理が成り立つのではないだろうか。

 だとすれば、状況は極めて悪い。ハリーが闇の帝王の今を覗きうるということは、逆もまた然りである可能性は否定できないのだ。しかも、それは日記帳にも言えることだ。

 

 日記帳は、そしてハリーは僕の事情をどこまで知り得ただろう?

 ハリーに対する僕の態度は、ある程度言い訳が利くだろうと今までは考えていた。……思い返してみても、相手が闇の帝王だとハリーが気づいている段階で、僕が決定的に敵対の姿勢を見せたことは一度もないはずだ。僕はダンブルドアの命で彼に多くの事情を伏せて動いて来たのだから。

 ルーピン教授やペティグリューの件を知られてしまっているのは大きな痛手だが、まだ「自分の味方として取り込むため」のような、口先での誤魔化しが利く。そもそも夢の中にペティグリューまで出て来たそうなので、ここはもうバレてしまっていると考えていた方がいいだろう。

 

 問題は日記帳だ。あれは一部らしいとはいえ、僕の心を覗いた。ダンブルドアのところに駆け込んだのも知られているし、ジニー・ウィーズリーを命懸けで庇ったのも知っている。

 楽観視するなら、「夢」が見られたのは、ハリーが闇の帝王との繋がりを何らかの原因で強めたからかもしれない。つまり、過去の出来事については情報が行っていない可能性はある。しかし……過信はできない。

 もはやダンブルドアを頼れない以上、この件を闇の帝王に詰められないように事情を捏造する必要が出て来てしまった……行けるだろうか? 例えば、トム・リドルがヴォルデモート卿だとは気づかなかったとか……どうだろう。実際に闇の帝王の前に立ってみないと、彼がどれだけ慈悲深いかは分からない……

 

 その上、さらにハリーに僕の事情を知られるわけにはいかなくなった。僕が実際はダンブルドアの支援者であることや、「記憶」について知られてしまったら、何もかもおしまいだ。「忠義者」の存在もあるが、これからは本当に闇の帝王の目を意識して行動するべきだろう。

 

 

 過去最大級の懸念事項が降って湧いてきてしまった僕をよそに、ハリーはシリウスの件を随分と心配しているようだった。

 シリウスみたいな重要キャラが、主人公と全く関係ないところであっさりとっ捕まるわけがないから大丈夫だろうと、僕はタカを括っているが、彼はそんなことを知る由もない。目撃情報が入ったらすぐに連絡することと、ファッジにそれとなくシリウスを丁重に扱うように進言することを約束し、何とかハリーの気を落ち着かせた。

 

 

 やらなければならないこともあるし、さっさと寮に帰りたかったのだが、彼らはまだ僕に用事があるようだった。

 次の用件を切り出したのはハーマイオニーだった。

 ロンとハリーが何故か顔を顰める中、彼女は僕にしっかりと向き合い、口を開いた。

 「しもべ妖精福祉振興協会に入って欲しいの」

 「しも──え、なんだって?」

 予想外すぎて聞き返す僕に、ハーマイオニーは腕を組んで答える。

 「しもべ妖精福祉振興協会(Society for the Promotion of Elfish Welfare)! 略してS.P.E.W.────」

 「反吐(spew)だよ」

 呆れ顔で口を挟んだロンを、ハーマイオニーはぎろりと睨みつけた。

 「…………なるほど」

 ハーマイオニーはクラウチ氏の屋敷しもべ妖精の扱いにとても怒っていたので、動機は分かる。しかし、彼女がここまで積極的に他種族の擁護者になるのは少し意外だった。

 一応返事を返した僕に、彼女は話を続ける。

 「短期的目標は、屋敷しもべ妖精の正当な報酬と労働条件を確保すること。長期的目標は、杖の使用禁止に関する法律改正や、しもべ妖精代表を一人、『魔法生物規制管理部』に参加させることよ!」

 ……この時点で僕はこの活動に参加する熱意をほとんど失ってしまった。……いや、尊い志だとは思う。しかし、これは……

 僕はできるだけハーマイオニーを刺激しないように尋ねる。

 「……ちなみに、どうやって活動するつもりなんだ?」

 彼女は手に持っていた箱を側の机に置き、中身を僕に見せた。

 「ビラ撒きキャンペーンよ。入会費二シックルで、このバッジを買ってもらう。その売り上げを資金にするの」

 ハーマイオニーの期待に満ちた目が僕に向けられる。しかし、それに応えられないことは明白だった。

 彼女の目標と手段は良識があり、とても正しく、それ故に悲しいほど無価値だった。

 

 

 ロンとハリーの呆れた様子を全く見ずに微笑むハーマイオニーに、僕は恐る恐る返事をした。

 「何から言えばいいかな……いや、ハーマイオニー、君は僕から何を聞きたい?

 結論として言えば、僕は君のやり方で屋敷しもべ妖精の待遇を改善できるとは思えないんだけど」

 ハーマイオニーの顔から笑顔が消える。訝しげに彼女は言葉を返した。

 「……何で私のやり方だったらダメだと思うの?」

 そこに気づいていないということは、彼女は本当に屋敷しもべ妖精の実情をしっかり調査したわけではないのだろう。図書館に通い詰めていたのはこの活動のための調べ物だったのだろうが、やはり「教科書通り」のやり方では、特にこの屋敷しもべ妖精の労働問題は解決を見ない。

 出来るだけハーマイオニーの気に障らないように、僕は言葉を探す。

 「まず一つは、今の段階では短期・長期両方の目的を利益だと考える存在がいないからだよ」

 「屋敷しもべ妖精のためになるわ!」

 ハーマイオニーは既に実情をある程度知っているだろうロンなどから指摘を受けたのだろうか、素早く僕の言葉に反論した。これは手強そうだ。

 

 「それはそうかもしれないけど、現状のしもべ妖精はそういう捉え方をしてくれない。最初にこの目的を提示してしまったら、彼らは君を敵だと見做すだろう。

 分かりやすいのが『正当な報酬』かな。それを与えようとすると屋敷しもべ妖精は酷い侮辱を受けたと考えてしまうんだ。屋敷しもべ妖精の矜持とは、奉仕を目的とした奉仕にある。彼らは見返りなく主人に献身することが生きる目的であり、それに報酬を求めることは不純な考えだとして軽蔑する」

 「だからと言って、あの子たちを無償で人権を無視してこき使っていいわけじゃないでしょう?」

 自分が正しいと確信したハーマイオニーは頑なだった。明らかに彼女に正義があるはずなのに、周囲の人間に全く理解されなかったというのも拍車をかけているかもしれない。これは僕ではなく、「本人」から話を聞いてもらった方が話が早そうだ。幸い、僕はまさにぴったりの相手と今日の午後約束があった。

 「その理念の立派さは、しもべ妖精がその理念を理解してくれることとはほとんど無関係なんだよ。この……S.P.E.W.について、屋敷しもべ妖精から意見は貰った?」

 一応確認してみると、ハーマイオニーは首を振った。

 なぜ当事者から話を聞く前に目標を決めてしまったんだ。弱い立場の者のために義憤を感じられるのは美徳だが、彼女の猪突猛進グリフィンドールなところがもろに出てしまっている。僕は内心苦笑いしながらも、出来るだけ誠実にハーマイオニーに語りかけた。

 「じゃあ、実態調査として一回会ってみると活動のためになるかもしれないね。多分ホグワーツの子たちは君の話を聞いた途端逃げ出すと思う。今日の昼、うちの屋敷しもべ妖精が学校に来るから一緒においで」

 ハーマイオニーは「うちの屋敷しもべ妖精」の段階で眉を跳ねさせたが、ハリーが口を挟んでくれたため、追及は避けられた。

 「その子ってあの、ビンク?」

 「そうだよ。家の書類整理を任せてて、学校内で会う約束をしていたんだ。流石に、自分の家の屋敷しもべ妖精をホグワーツ校内にいきなり『姿現し』させるのはちょっと失礼だから、マクゴナガル教授に許可は取っているよ」

 険しい顔で腕組みをしたハーマイオニーは、僕をジロリと睨んだ。

 「……あなたの屋敷しもべ妖精は、ちゃんとお話しできる子なのかしら。つまり、奴隷制のもとで働かせられているせいで、主人の不利益になるようなことは言わないとか、そんなことはない?」

 当然の懸念とはいえ、あまりにも相手の自由意志の存在を軽んじる言葉に、今度こそ僕は少し笑ってしまった。

 

 「ビンクは僕が知っているどの屋敷しもべ妖精よりも思慮深い。ハーマイオニーの聞きたいことにも答えてくれると思うよ」

 

 

 



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屋敷しもべ妖精のあり方

 

 

 

 僕らは午後、再び空き教室で待ち合わせをした。ロンとハリーはS.P.E.W.に興味がなさそうだから来ないだろうと思っていたのだが、僕付きのビンクを見てみたかったらしい。二人ともハーマイオニーの熱意に引き気味ではあるものの、三人揃ってやって来た。

 

 待ち合わせの時間になり、バチンと大きな音を立ててビンクが教室に現れる。大量の羊皮紙をまとめた冊子をいくつも抱えているのに、難なく正確に姿現しできるのが屋敷しもべ妖精の凄いところだ。

 僕以外の人間がいることに気づいたビンクは目を丸くして、慌てて頭を下げる。屋敷しもべ妖精らしくぺこぺこする彼女にハーマイオニーはあまり嬉しそうではない。何とか衝突を避けて穏やかに全員への紹介を済ませ、僕は本題に入ることにした。

 「ビンク、今日はいつもみたいに、父の目を気にせず話して欲しいんだ。いいかな?」

 ビンクが僕の意図を図りかねた顔をする。しかし、僕が事態を了承しているのを見て、彼女はその疑念を流したように頷いた。

 「坊ちゃんがそうおっしゃるなら、そのようにいたしましょう」

 

 

 

 僕は先にハーマイオニーの用事を済ませようと考えていたのだが、ビンクは持っていた冊子を机に並べ始めた。ぴょこぴょこ机の上を飛び移りながら、中身の説明をしていく。

 「──では、坊ちゃん、こちら二年目の指導案の写しと、送られて来た一年目の五年生、六年生、七年生の授業内容のまとめです。全て同形式に整理し直したものも用意しましたから、ファッジ大臣にお送りになる際にお使い下さい」

 ビンクは去年僕が書類仕事に忙殺されていたと知って、夏休みの間に秘書のようなことまでしてくれるようになっていた。今回もそのままの流れで家に資料を置いて来て整理を任せていたのだが、彼女は僕がお願いしたことを超えて色々手を回してくれていたようだ。

 「形式整理までやってくれたの? 手間をかけさせてしまって悪いね」

 ビンクは僕の言葉に、胸を張って答える。

 「こういったものは見やすさが大事なのです! こちらはファッジ大臣閣下にお願いする立場なのですから、閣下が見たくないとお思いになるようなものをお渡しすべきではありません。三年目の内容もいただいたのでしょう? ご自身でまとめられそうですか?」

 「余裕がなかったら、そのまま送っちゃおうと思ってたんだけど……」

 ビンクの目つきが厳しくなる。僕は首を縮こまらせた。

 「……そうだね。中身に目を通して概要と分析、結論は僕が書くから、詳細な指導内容の整理はビンクにお願いしたいな。他に書式関連で気をつけた方がいいこと、あるかな?」

 ビンクは自分が持ってきた書類を眺めながら腕を組んで少し考え込む。

 「……体裁を考えるのであれば、活字にしてしまった方が良いかもしれませんね。9月末日までに製本が間に合う業者を探しますから、そこから締切を決めて形式揃えの作業を進めましょう。まだ一年目の二から四年生のものは集まっていないのですよね? どなたにお頼みしたのか名簿を下さればこちらで管理いたします」

 相変わらずビンクは最高の屋敷しもべ妖精だ。頼れすぎてしまって怖いくらいだ。

 

 僕は仕事がかなり少なくなったことに内心晴れやかな気持ちになってビンクにお礼を言った。

 「本当に助かるよ。ありがとう。負担にはなってないかな?」

 「ビンクめは問題ありませんとも!

 坊ちゃんは睡眠をおろそかになさっていませんか? 食事はちゃんと栄養のあるものを召し上がっておられますか? あれやこれやと仕事をするためにも体が第一でございますよ!」

 本当に僕が命令した通り二人でいる時の調子で話すビンクに、いい加減に恥ずかしくなってくる。僕はさっさとこの話を切り上げにかかった。

 「分かっているよ。大丈夫、ありがとう」

  ビンクは腰に手を当てて僕の目を見つめる。

 「次に去年のように疲労を溜められていたと知ったら、いよいよビンクはホグワーツに押しかけますからね! マクゴナガル様であれば許可は取れそうだと、ビンクは考えておりますよ!」

 やめてくれ……自分だけ身の回りの世話をさせるために屋敷しもべを学校に呼んだなんて噂が立てば、周囲にどんな目で見られるか分かったものではない。威力の高い脅しに僕は思わず項垂れた。

 

 

 気がつけば、グリフィンドール三人は僕らを新種の虫でも観察するかのような顔で見ていた。

 ……考えてみれば、ビンクは結構例外的な屋敷しもべ妖精だ。参考にならない可能性もあるのだろうか? 懸念はあるけれど、とりあえず話し合いをしてもらうしかない。僕らは一つの机の周りに椅子を寄せ、視線を合わせるためにビンクは机の上に座った。

 僕から話をビンクに切り出す。

 「えっと……こちらのミス・グレンジャーは屋敷しもべ妖精の立場を改善すべく活動したいと考えているんだ。そこで、君の意見があればより良く物事を進められるんじゃないかって」

 気を取り直したハーマイオニーはS.P.E.W.について、僕にしたようにビンクに話す。やはり「正当な報酬」のあたりでビンクの眉の端がヒクヒクと動いたが、彼女は黙って全ての説明を聞いた。

 

 「……それで、ビンクさん。あなたはS.P.E.W.について、どう思う?」

 ビンクは失礼にならないようにハーマイオニーの顔を見ながら、どこからともなく羊皮紙と羽ペンを取り出した。

 「グレンジャーお嬢様はどのような目的でしもべ妖精に権利を持たせたいのですか? いえ、どうしてそのようにお考えになられたのですか?」

 経緯を問う言葉に、ハーマイオニーはクラウチ氏とウィンキーやドビーの話を掻い摘んで説明した。

 ビンクは羊皮紙にメモを書き付けながら真面目に話を聞いている。僕という偏屈な主人を持っている彼女は第一に事情を知ることを大事だと考えていた。

 あらかた全容を掴み、ビンクはハーマイオニーにニッコリと微笑んだ。

 「なるほど! それでは、目標の設定を少し工夫なさる必要があるかも知れませんね。現在の屋敷しもべ妖精は主人への奉仕という在り方を変えたいとは思っていませんから」

 ハーマイオニーは僕とほとんど同じ返事をしたビンクに対し、表情を固くして尋ねる。

 「……あなたも、屋敷しもべ妖精は奴隷のように働かせられるのが好きだって言うの?」

 ビンクは丁寧な物腰を一切崩さず、ハーマイオニーに朗らかに答える。

 「滅相もございません。屋敷しもべ妖精にも感情はございます。粗雑に扱われましたら悲しみますし、忠誠も薄れます。しかし、だからと言って忠誠を向ける相手がいないことの方が耐えられないのでございます」

 「……でも、それじゃあ屋敷しもべ妖精は主人に逆らえないままだわ! あなたたちは自分の待遇を改善させる権利を持とうとしなければならないわ。主人に縛られないで意見を持つ必要があるのよ」

 

 議論が平行線を辿りそうな予感に、僕は少し心配になってくる。しかし、それでもビンクは落ち着いたまま言葉を返した。 

「お嬢様、確かに私どもは自分の意図しないところで縛られているように見えるでしょう。私も色々と考えるようになって初めて気づいたのですが、私どもにしてみれば、縛られていないことに価値を見出すのは理解が難しいように思います」

 ハーマイオニーはビンクの言葉の意味を測りかねているようだ。僕も、屋敷しもべ妖精の口から彼らの哲学を聞くのは初めてなので、思わず聞き入ってしまう。

 ビンクはハーマイオニーに対し、丁寧な態度を崩さず問いかけた。

 「失礼ながら、お嬢様。あなた様は何のために生きていらっしゃいますか?

 すぐさまこの問いに答えられないとしたら、それはなんと恐ろしいことだろうとビンクは愚考いたします」

 予想だにしていなかった言葉に僕を含め皆面食らったような顔になる。ビンクは理解が追いつき切っていない僕らをよそに、話を続けた。

 「ビンクは坊ちゃんを主人と定め、坊ちゃんの命に絶対に従うのが至上の目的と弁えております。坊ちゃんはそれだけは絶対にいけないとおっしゃいましたが、自分の身を捧げることが坊ちゃんのお役に立てるとすれば、なんと嬉しいことでしょう」

 流石に顔を顰めた僕の方を宥めるように見て、ビンクは続ける。

 「屋敷しもべ妖精は無為な時間に、つまり、仕える者がいない時間に耐えられないのです。絶対の命令を下す主人が私どもには必要なのです。私どもの代わりに考え、物事の方向を決める存在が」

 

 ハーマイオニーは本当に理解に苦しんでいるようだ。彼女は絞り出すようにビンクに問いかける。

 「……でも、それじゃあ、あなたたちの待遇改善なんて無理だって言うの?」

 ビンクは首を振った。

 「ビンクはそうは考えておりません。僭越ながら、坊ちゃんのやり方をご参考になさると言うのはいかがでしょうか?」

 いきなり話がこちらに向き、僕は思わず姿勢をただした。ビンクは僕の方に机の上を歩いてきて、誇らしげに三人組の方に向き直った。

 

 「ビンクが坊ちゃん付きになってしばらくの間、坊ちゃんは何とかビンクに……そうですね、『まともな待遇』を与えようと一生懸命になっておられました。けれども、グレンジャー様、貴方様のやり方とは違う方向で、でございます」

 確かにそうだったのだが、僕はハナからそれを屋敷しもべ妖精が受け入れることはないだろうと考えてビンクには何も言っていなかった。僕は目を丸くしてビンクに問いかける。

 「……気づいていたの?」

 ビンクはニッコリ笑って答えた。

 「勿論でございますとも。ビンクは坊ちゃんがつかまり立ちをする前からお側にいたのですから」

 

 ビンクは再びハーマイオニーの方に向き直り、滔々と語り出す。

 「しかし、坊ちゃんはお給金をお与えになろうとはいたしませんでした。屋敷しもべ妖精のそばでお育ちになったのですから、ビンクがそれを絶対に受け取らないとお分かりだったのでしょう。

 代わりに、主人であるご自分のためという口実でビンクの待遇や隷従の在り方をお変えになりました。

 主人の財産に傷をつけてはならないとして、許可のない自分へのお仕置きや徹夜での労働を禁じられました。主人のためにならないからと言って、身の回りのことを全てやるのをお止めになられましたし、逆に罰に怯えて何かしようとしないこともダメだとおっしゃられました。

 何より、主人のために、自分でものを考え、行動するようにと命じられました」

 ロンとハリーはどこか腑に落ちたような顔をした。ハーマイオニーは口を引き結んで話を聞いている。

 

 ビンクはさらに続けた。

 「坊ちゃんは……屋敷しもべの主人として、とても変わったお方です。殆どの魔法使いは私どもを便利な家事手伝い以上には考えません。そして、屋敷しもべ妖精はそれで全く問題ありません。その命令こそ私どもに必要なものなのですから。

 しかし、坊ちゃんは違いました。坊ちゃんは、ビンクに自分で考えることをお求めになりました。主人のために何が良いことなのか考え、場合によってはビンクが──何と恐れ多いことでしょう、坊ちゃんにものを教えるように、と命じられたのです」

 

 「ビンクは、ルシウス様に仕えていたときより、ずっと自分の頭を使うようになりました。色々と考えることで、ビンクはより良く坊ちゃんに仕えることができるようになりました……やろうと思ったこともなかったことができるようになりました。

 今、グレンジャー様のお話に筋道立ててお返事できるのも、そのためにございます」

 

 「……そうだったんだ」

 僕の言葉に、ハリーが怪訝そうな顔を向ける。

 「気づいていなかったの?」

 彼の言葉に僕は肩をすくめた。

 「いや、元からビンクは考えられる妖精だったけど、僕に仕えるまでは頭を使う必要がなかったというだけな気がするな」

 ビンクは僕らのやりとりを聞いて笑う。

 「どちらでもビンクにとっては同じことでございますよ、坊ちゃん」

 

 

 ビンクはハーマイオニーに向き直り、しっかりと目を見て言った。

 「さて、ビンクは他の屋敷しもべ妖精と比べても、魔法使いの方々のご意見を理解している自負がございます。ビンクのご主人様はドラコ坊ちゃんなのですから。

 その上で申し上げましょう。お嬢様、貴方様の目的や手段は、今の屋敷しもべ妖精に受け入れられることはございません。もし、ドビーのような屋敷しもべ妖精を私どもの中に作り出したいのなら、その下地を作ることから始めねばなりません」

 僕もビンクの言葉に頷き、話を進める。

 「そのためには主人の意識を変える方から始めるのが穏当だろうね。直接屋敷しもべに働きかければ、財産の略取だと捉えられるだろう。

 そうだな……屋敷しもべを心がある存在や、暴力を振るってはいけない存在と見做させたいのであれば、そういう立場の仕事のなかで、今の主人たちが与えても問題ないと考えるものを探したらいいんじゃないかな?

 例えば……屋敷しもべ妖精に子どもの初等教育を任せるというのはどうだろう。しもべ妖精の『人格』の価値が出てくるし、魔法使いのためになるという点で良さそうだけど」

 ビンクは顎に手を当てて首を捻った。

 「悪い案ではありませんが、少々飛躍しすぎでございますね。今突然それを言い出して、屋敷しもべに任せたい方々は少ないかと存じます。

 個々の家庭内でそういった実績を重ねるか、それこそ今まで小さい頃に教育を受ける環境にないお子様に魔法省付きの屋敷しもべ妖精をあてがう形などにしないと。そうでなければ反目する方々が出てきかねません」

 確かにその通りだ。であれば、もう少し価値観を慣らしていくところに焦点を当てなければならない。

 「だったら、それこそ秘書業務なんかも屋敷しもべ妖精はできるんだって並行して宣伝して行ったほうが話が早いかもしれないな。そこで頭脳労働に酷使される可能性が残ってしまうのが痛いところだが……」

 考えこむ僕に、ビンクが言葉を返す。

 「ある程度実績を挙げれば、しもべ妖精の扱い方という観点から権威を持てるかもしれません。魔法使いの方々と同様、身体的な躾より、言葉による指導の方が有効だという話のような損得の見方であれば、完全にしもべ妖精をモノだと考えている方でも比較的には受け入れやすいことでしょう」

 

 流石ビンクだ。僕は出てきた意見をまとめる。

 「じゃあ、最終目標は屋敷しもべ妖精の待遇改善として、中期目標は雇用者側に屋敷しもべ妖精を丁寧に扱うメリットを認識させることと、妖精側に自分を客観視できるほどの思考の余地を持たせること。

 短期目標は雇用者・被雇用者それぞれに対して、間接的に効果がある屋敷しもべ妖精の『有益な使役方法』を実践し、普及させること……という感じになるのかな?

 待遇を改善していく中で屋敷しもべ妖精の価値観を広げ、自らの心身を大事にする価値観を持たせることを目指す。これでどうだろう」

 ここでようやく僕はビンクと意見を出すのに夢中で、ハーマイオニーを完全に置き去りにして話を進めていることに気がついた。結局彼女の了承を取らないまま方針を考えてしまっている。ハーマイオニーは眉根を寄せて黙り込んでいた。何か考えているのは分かるが、彼女が僕らの見解にどう感じているのかは窺い知れない。

 僕は恐る恐る彼女に言葉を掛ける。

 「……どうかな? 悪くない考えだと思うんだけど」

 「……それしかないのかしら。つまり……時間がかかりすぎるんじゃない?」

 そこを指摘されるとは予想していなかった。彼女のビラ配りの方が時間がかかるとは言わないまでも、事態解決までの目処が立っていないと思っていたのだが。

 

 それでも、僕は彼女の言葉に頷いた。

 「迂遠ではあるね。でも、地道に敵対的な立場の人間を生まないようにことを成せば、遥かに衝突が少なく、そして揺り戻しもなく目的は達成できると思うんだ。

 僕は安易に敵を作り出しかねないS.P.E.W.のバッジはつけないし、公に屋敷しもべ妖精の権利を提唱することは絶対にしない。それどころか、相手に良く思われるためだったら屋敷しもべ妖精を蔑むようなことすら言うだろう。

 それでも良ければ、手が空いたときに屋敷しもべ妖精を頭脳労働に従事させるよう働きかけるよ。どうかな?」

 

 

 

 ハーマイオニーは答えを保留した。まあ、目的設定の甘さはともかく、彼女のやり方も一つの手ではあるのだろう。問題とは提起されねば無視されてしまうのだから。

 僕は屋敷しもべ妖精が完全にプレーンな環境で育った場合、あの強固な主人への服従が身につくのかは知らないし、ハーマイオニーと同様、人間と似た感情を持つ生物が粗雑に扱われているのを見るのも好きじゃない。それでも狼人間やその他亜人への差別を積極的に無くそうとしていないのと同様に、状況を看過してしまっている。

 だから、彼女がそういった活動をしてくれるのは、実のところ嬉しいのだ。やり方を間違えればさらに状況を悪くしかねない問題であるところは心配だが、是非狡猾に頑張って欲しいものだ。

 

 

 ビンクは三人組に深々とお辞儀すると、僕の膝にひっしと抱きついた後手を振って姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 



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三大魔法学校対抗試合の幕開け

 

 

 

 その後、しばらくの間ハーマイオニーはS.P.E.W.についての話をしに来なかった。ひょっとしたらもう諦めてしまったのだろうかと残念に思っていたのだが、それは杞憂だった。数週間ほど経ったある日、彼女は再びロンとハリーと共に僕のもとへやって来た。

 「あの件だけど、しもべ妖精の従者能力の発展への関心振興協会(The Society for the Promotion of Elfish Notice to the Development of the Stewardship)っていう名前に変えることにしたの。

 屋敷しもべ妖精を雑に扱っちゃいけないというところは変えないわ。でも、目的をもっと受け入れられやすいものにしなきゃいけないっていうことは分かった。だから、雇用関係を変えるというよりは、身体的な罰の禁止のような屋敷しもべ妖精が円滑に働ける雇用のあり方を提唱していくの。これから屋敷しもべ妖精に色々聞き込みをして、具体的なことについては決めていくつもりよ。会費2シックル。ビラ配りも続けるわ!」

 ハーマイオニーは以前よりも遥かに熱に浮かされた様子ではなく、しかし強い意志は変わらないまま、僕に変更点を説明した。ハリーは押し切られたのだろうか、カバンの自分の体で隠れる側にバッジをつけていた。

 ロンは相変わらず理解しきれないといった顔をしているが、もう止めようとは思っていないらしい。

「まあ、反吐(S.P.E.W.)よりは出資(S.P.E.N.D.S.)の方がマシだよな?」

 略称にハーマイオニーの最終目的が滲み出ているが、ロンの言う通り字面は遥かに良くなった。僕はバッジは受け取らなかったし、名簿にも名前を書かせなかったが、会費については払っておいた。最初に想像していたより、彼女の野望はずっと早く実現するかもしれない。

 

 それに、今回ハーマイオニーの意見をきっかけに思いついた、屋敷しもべ妖精を初等教育に従事させるというアイデアは非常に魅力的だった。元々マグルを親に持つ魔法使いの子ども達や、魔法使いが親でも教育に熱心でない子ども達の扱いは気になっていたのだ。いきなり学校を作るのは無理でも、屋敷しもべ妖精と言う人手を使って彼らの実態を調べる事ができれば……魔法界にとって本当に素晴らしいことなのではないだろうか?

 僕は降って湧いた発想に、新たな野望を抱き始めた。

 

 

 

 それにしても、この二ヶ月近くは随分と平和な日々が流れていっている。メインイベントらしきものが始まっていない以上、何かを疑うのも難しいということが一番大きな理由かもしれない。ここまで学校内のことに気を回さずに過ごせているのは一年生の頃以来だ。

 とても寂しくはあるが変身術に関しては免許皆伝をいただいてしまったし、去年あれだけ悩みの種だったスネイプ教授ですら、元闇祓いで死喰い人が大嫌いなムーディ教授が学校を闊歩しているせいか、いつもより遥かに大人しかった。ハグリッドは去年の蓄積もあって安定して質の高い授業をしてくれているし、クィディッチの試合もないので寮間の対立だって例年よりもずっとマシだ。

 ムーディ教授の過激な授業とファッジに送る資料作成はあるが、それでも僕はのんびりと日常を謳歌していた。

 

 

 ムーディ教授はいよいよ生徒に「服従の呪文」への対抗を学ばせ始めた。僕はトム・リドルのことを思い出すのであまりこの授業を楽しみにしていなかったし、他の生徒も大歓迎という様子ではない。しかし、有用さについては言うまでもない。ここで子ども達が服従の呪文への耐性をつければ、僕としても望ましいことだ。

 当然だが、みんな初めは全く抵抗できなかったし、ほとんどは今でも呪文に抗いきることはできていない。スリザリンの4年生の中ではクラッブが一番先に「服従の呪文」を破ってみせた。僕は抵抗方法は閉心術に似ていると聞いていたので心中で試していたのだが、効果はいまひとつだった。術中に意識を保つことはできるのだが、身体の支配を取り戻せないのだ。最終的に守護霊の呪文のように意思を強く持つ方が重要だと気づき、ようやく命令に抗えるようになった。

 まあ、見ようによっては便利なのかも知れない。服従の呪文をかけられた際、支配のスイッチを好きに切り替えられれば、術者に見破られることなく何かすることもできるだろう。

 

 ムーディ教授は僕とクラッブに手本になれと言って、みんなの前でひっきりなしに服従の呪文をかけた。あの気味の悪い恍惚感を何度も味わわせられるのは精神的によろしくない。しばらくの間、『闇の魔術に対する防衛術』の後僕ら二人はへとへとになって教室を出ることになった。

 

 

 

 ファッジ大臣への報告書もつつがなく完成し、送付できた。ビンクの尽力もあって、見た目にも立派なものができたと思う。実は彼が時間が経つことで熱意をなくしていることを懸念し、一ヶ月弱という短期間で資料を上げたかったのだ。送った後にも未だ心配は残っていたのだが、ファッジは僕の要望通り、カリキュラム作りにゴーサインを出してくれた。

 それまでに数度手紙をやり取りしたのだが、その中でファッジの人柄も見えてきた。彼は僕が想像していたより遥かに善性の強い人間だった。極めて保守的で短絡的、視野が狭い上に現実逃避に陥りやすく、容易に自分で自分を騙す人間ではあるのだが、良くも悪くも「悪」に対する嫌悪感はしっかり持っている。これはとても手玉に取りやすい。父は言うまでもないが、かつてはダンブルドアにとってもそれなりに扱いやすい駒だったことだろう。

 

 彼はちょっと表現を工夫すれば僕の意図通りに動いてくれた。直接顔を合わせずとも言いくるめられる権力者なんて美味しいことこの上ない。十月中旬の段階で、ファッジ大臣は今年度の全体授業アンケートの実施を理事会で承認させ、魔法試験局のトフティ教授に僕への支援の話を通してくれた。その上、父の知人のマーチバンクス教授もカリキュラムへのアドバイスを約束してくれた。ムーディ教授の授業を含めたこの四年間を下敷きにすれば、来年度は『闇の魔術に対する防衛術』の指導要領を試験的に運用できるだろう。

 完璧だ。ここまで事が順調に進んだのは明らかにファッジ大臣と、彼の提案を受け入れる側に立ってくれたダンブルドアのおかげだ。この科目を第一歩として、全体に指導要領制度を提案し、より良いカリキュラムについての議論を活性化させたい。僕の野望はどんどん大きくなっていっていた。

 

 

 

 そうこうしている内に十月も終わりに近づいた。今日はいよいよボーバトンとダームストラングの生徒が学校にやって来る日だ。それは同時に、ハリーを無理矢理代表選手にねじ込む何かが今日明日のうちに起こると言うことでもあった。

 今に至るまで、僕はそれを阻止しようとするかどうかすら決めかねていた。選出基準は未だに公表されていないのだが、もしダンブルドアが関わっているのであれば、そもそもハリーが選ばれること自体が計画通りだと言う可能性がある。もちろん、彼は闇の帝王の復活に備えて国外との交流を盛んにしたいだけにも思えるし、ハリーを対抗試合に参加させる大きなメリットは僕から見えてこない。しかし、知り得ないところで闇の帝王絡みの策略が動いている線は消せなかった。

 それにダンブルドアがハリーを単なる競技で死なせるなんて、実際にダンブルドアを知っている僕からしても、「物語」の彼の役割としてもあり得なさそうだ。故にそこで入るだろう横槍にこそ警戒せねばならない。その横槍こそを、ダンブルドアは待っているのかも知れない。

 久々に憂鬱な気分になりながら、僕は他のスリザリン生とともに城の前で他校生がやって来るのを待った。

 

 

 ダームストラングは湖から帆船で、ボーバトンは空から馬車でやって来た。両校ともに、学校の名声を高めんと勇壮な訪問だ。

 

 実は、ダームストラングの校長は僕が「忠義者」候補者だと考えていた人だった。校長──イゴール・カルカロフは元死喰い人だ。かつて彼は、イギリス生まれの魔法使いでもないくせに、わざわざブリテンにやって来て闇の帝王の配下に加わった。闇の帝王が姿を消した後は父のような責任能力なしで無罪になった訳ではなく、しっかり罪状をつけられた上で知り得た仲間の死喰い人を売ることで放免になった。それからたかが十三年でダームストラングという大陸有数の魔法学校の長になったのだ。

 彼に限らず、三大魔法学校対抗試合の関係者は──この国の魔法使いでは当たり前のことではあるが──死喰い人と関係を持っていたものがほとんどだ。ルドビッチ・バグマンはオーガスタス・ルックウッドに情報を流した罪で一度裁判にかけられているし、バーテミウス・クラウチの息子、バーテミウス・クラウチ・ジュニアは僕の伯母と共にロングボトム夫妻を拷問した罪で獄中死している。

 彼ら以外にも今年学校には大量の部外者がやって来る。容疑者候補は例年より膨大になっていくだろう。

 僕は到着した客人達に目を走らせる。ボーバトンの校長は──随分体が大きい。僕はハグリッドのことを思い出した。ひょっとしてダンブルドアは彼女に会うことも目的だったのだろうか? であれば、彼はいよいよ本格的に戦争への準備を整えたいと考えているのだろう。

 

 ぼんやりと考えに没頭しながら大広間に戻る。周囲の子供達は珍しい訪問者に随分と盛り上がっていた。ボーバトンとダームストラングの生徒達が各々好き好きの場所に座っていく中で、僕らのところにもダームストラングの男子生徒がやって来たようだ。僕の隣に座っていたゴイルが後ろを振り向いて席を空ける。

 なぜ四年生ばかり固まったこの位置に、十七歳以上しかいない他校生がやって来たのだろう──僕の疑問はその隣に座ったダームストラング生の顔を見てかき消されてしまった。────その人は、ビクトール・クラムだったのだ。

 

 あまりの驚きに、僕は一瞬固まってしまった。若いとは聞いていたが、本当にまだ学生だったのか。ブルガリア出身の彼がダームストラング生だったなんて、僕が予想していたよりかの学校は東にあるのかも知れない。

 衝撃のあまり意識が明後日の方向に行っている間でも、僕の体は自動で海外の来客に恥ずかしくない態度をとってくれた。

 「遠方より遥々よくお越しくださいました。お目にかかれて光栄です、ミスター・クラム。こちらはグレゴリー・ゴイル、僕はドラコ・マルフォイと申します」

 僕の差し出した手を握り、ビクトール・クラムは無愛想なりに僅かに微笑んだ。相変わらず彼がここに来た理由は不明なままだったが、それはゴイルとも握手する中で自分で説明してくれた。

 「ワールドカップの後、オブランスク大臣が君の話をしていました。ホグワーツに行くのであれば、きっと頼りになるけれど、失礼のないようにと」

 「恐縮です」

 妙なところで人脈が繋がってしまった。それにしても、学校の中にいる身としては三、四歳も年上の人間に、周囲をよそに突然親しげにされると面食らってしまう。しかも彼も僕もブルガリア語で話すせいで周りが話について行けていない。他のダームストラング生も近くに座ってくれたので、僕はなんとか状況を他の子達が自己紹介をする場へと持ち込んだ。

 

 皆、つい二ヶ月前のクィディッチ・ワールドカップで大活躍したヒーローに大盛り上がりだ。客人の無礼になりかねないあたりで切り上げさせ、全員を席に着かせる。しかし、それは再びビクトール・クラムと話をせざるを得ない状況に置かれることを意味した。

 僕としては隣のゴイル──次のスリザリンのシーカーに僕は彼を推していた──と話をして欲しかったのだが、悲しいかな、クラムは何故か僕の方に興味を示してしまっている。こういう、初対面の人間に好かれることに慣れていそうな人は苦手だ。普段接する子たちと違いすぎて、どう扱えばいいのか測りかねる。

 結局、僕は当たり障りのないことを話題にした。彼の故郷ブルガリアの様子や、ダームストラングでの生活、逆にこちらはホグワーツの一年の様子など。幸い彼は僕だけと話したいといった様子でもなかったので、英語で話すようにお願いすれば自然と周りの子も会話に加わった。クラムにばかり注目して他のダームストラング生を疎かにしているのではないかと都度あたりを確認していたが、幸いそのような不届きものもおらず、僕らは無事ダームストラング生との初対面を終えた。

 

 

 食事が終わり、ダンブルドアが前に進み出る。彼は三大魔法学校対抗試合について、説明を始めた。もちろん、代表選手の選考方法についても。

 それは「炎のゴブレット」と呼ばれる魔法道具だった。名前を入れた人間の資質を見極め、一校につき一人ふさわしい人間を選ぶらしい。ダンブルドアが「年齢線」を周囲に引き、未成年の申請を防ぐ手筈になっているそうだ。

 ……これでは、ダンブルドアが意図してハリーを選ばせたいのかどうか、分からない。あまり使いたい手ではなかったのだが、僕はこれを確認しないわけにはいかなかった。去年に誰にも知られない方法を色々と試した結果、僕はメモ用紙を羽虫に変身させ、時間で切れる目眩し呪文をかけてマクゴナガル教授の下に送ることで、ダンブルドアに連絡しようと考えていた。そもそも僕が変身させるところを見られなければ気づかれようがないし、文言を工夫すれば、たとえ羽虫の正体を見破られたとしても問題ない。僕は早速この方法を使うことに決めた。

 

 

 予想していたとはいえ、久々に心に暗雲が立ち込める。宴会が終わり、僕はさっさと人気のないところに行きたかったのだが、クラムを取り巻く子どもたちの中からいち早く離脱するのは怪しいような気がする。結局、僕はカルカロフがクラムを回収しにやって来るまでその場に留まった。

 

 図らずともそこで僕はカルカロフの人となりの一部を知る機会を得た。しかし、はっきり言って期待はずれだった。彼はクラムを人前で贔屓することに躊躇いがなく、他の生徒を露骨に冷遇した。ハリーを公衆の面前で無遠慮に見つめ、ムーディ教授が嫌悪感を全身から漲らせて現れるまで、それをやめなかった。

 カルカロフは権威を好み、それ以外のものを軽視する。他人からどう見られているかを気にする矜持はなく、生徒であるクラムに阿ることを厭わない。全体的に挙動は軽率であり、一見して信念は見えてこない。

 あまりにも小物かつ内面が分かりやすすぎる振る舞いに、僕はすでに彼を容疑者から外したくなっていた。「忠義者」も矛盾した人物像が浮かんでいたが、それにしたって酷すぎる。しかし、もしこれが作られた姿なら恐るべき演技力だ。変わらず注意してみる必要があるだろう。

 

 

 僕はカルカロフを怯えさせるためか玄関ホールから出ていくムーディ教授を見送り、近場のトイレに駆け込んでメモを書いた。

「一年目のように、彼はあなたの下にいると言えますか?」

 ……これで伝わるだろうか? しかし、ゆっくりして人混みから外れ、目立ってもいけない。僕はメモをポケットに突っ込んでその中で変身させ、玄関ホールの生徒の群れに紛れてそれを放した。

 

 返事は予想以上に迅速に返ってきた。寮の部屋に戻ると、そこには既に僕の作ったものとは少し形が違う羽虫がベッドサイドに止まっていた。

 僕が触れた瞬間、羽虫の体が開いて一枚のメモになる。そこには特徴的な細長い文字で一言だけが書かれていた。

 

 「いいえ(No)

 

 

 翌日、三校の代表者が選ばれた後、ハリー・ポッターの名前が炎のゴブレットから吐き出された。

 

 

 



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ハリーとロンの仲違い

 

 

 

 僕が何か行動を起こす余地なく、ハリーは代表選手に選ばれてしまった。

 

 一応ハリー自身が名前を入れようとしたりしていないか、様子を窺っていたのだが、そんな感じでもない。

 彼は追い込まれると無茶苦茶なことを────学校に遅刻するからと空飛ぶ車で登校したり、詐欺師を小突きながら大量殺人兵器がいる部屋にやってきたり、熊ほどの大きさの犬に拉致された友人を助けも呼ばずに追いかけたり、後見人が危険そうだからといって吸魂鬼の群れに突っ込んで行ったり────するが、普段はまあまあ大人しい。…………思い返してみて、大人しいと形容するのは無理があるように思えて来てしまったが、とにかく、他人に乗せられたり、他人に危険が迫っていたりしなければそれなりに大人しい。言うなれば、受動的無鉄砲である。

 

 しかし、相変わらずほとんどのホグワーツ生はそんなこと、知ったことではないといった様子だ。生徒の多くはハリーは目立ちたがりで、どうにかしてゴブレットに自分の名前を入れたのだと考えているらしい。皆、ダンブルドアを舐め腐りすぎだ。たかが四年生の魔法使い如きが、あの魔法界最強を出し抜けるわけがない。しかし、多くの子どもにとってハリーは蛇語を扱う「生き残った男の子」だった。彼を身近に知る人間以外の認識は仕方ないのかも知れない。

 グリフィンドールは愚かにも、身内から代表選手が出たことを無責任に祝い、ハッフルパフはもう一人の代表選手、セドリック・ディゴリーの名誉を毀損したハリーを蔑んだ。レイブンクローはひどい目立ちたがりの「生き残った男の子」を嘲り、スリザリンは────反応が分かれた。レイブンクローの態度に追従するものも多かったが、四年生以下を中心とした彼の人となりを知る子供たちは僕同様ハリー「如き」がダンブルドアを欺けるわけがない、という意見で一致した。

 

 ハリーをここから辞退させる方法も考えた。常識的な手段を考えるのであれば、父やファッジ大臣にでも訴えかけて外交上の大問題やダンブルドアの不手際として扱わせ、ハリーを代表選手から引き摺り下ろすというのが正攻法だ。しかし、どうやら炎のゴブレットは同時に魔法契約を結ばせるものらしく、一年間試合に拘束されることは決定事項だそうだ。ふざけるな。なぜ魔法族の契約ごとというのは、契約する前の合意の重要性と拘束力を全く釣り合わせようとしないのだろう? せっかく魔法があるのだったら理解と意思決定の重要性ぐらい認識してくれ。

 

 おまけに、競技は一人で挑むものだ。本来は周囲の手を借りてはいけないことになっており、それは準備期間も同様だ。課題中はハリーは孤立無援で危機に挑まないといけない。課題内容はともかく、入るであろう横槍に対しても誰かが助けに行くわけには行かないのだ。

 

 

 さらに、新たな懸念事項が生まれた。ダンブルドアはおそらく誰がハリーを代表選手に選出させたのか、まだ尻尾を掴めていない。────つまり、何かが学校の中に紛れ込んでしまっている。予想はしていたことではあるが、例年ホグワーツは侵入者を許しすぎだ。動物もどきが人間向けの防衛措置を潜り抜けてしまうことは去年分かったが、同じ手をダンブルドアが食うとも思えない。

 そして、その何かの正体は、またしても皆目見当が付かない。まさかペティグリューではないだろうし、今年の今までの流れで考えれば、謎の潜伏能力を見せる「忠義者」の存在があるのだが……確証は持てない。もしここでホグワーツに忍び込む事が初めから決まっていたのだとすれば、益々ワールドカップであんなに目立つ真似をした理由が分からないのだ。

 逆に考えれば、ワールドカップであんな真似をした「から」ホグワーツに来たと考えることもできるが…………ダンブルドアの目を掻い潜るため、世界中の魔法使いが集まる場で大騒ぎをしなければならない事情とは、いったいなんなんだ? 注目を浴びることこそが必要だったのか?

 

 これまた恒例の犯人探しだが、僕は学期末までにこれを解決できた試しがない。今回もやれるだけはやるが…………そもそもこの「物語」はどんでん返しが多すぎるのだ。クィレル教授の後頭部に闇の帝王がこびりついていたり、闇の帝王の日記が人を操ったり、死んだと思われていた人間が動物もどきとして潜伏していたり。それこそ、人気になるのも頷ける面白いストーリーではあったかもしれないが、それを推理させられるこちらとしてはたまったもんじゃない。

 

 

 折角ダンブルドアに確認を取ったのに、結局は後手に回ってしまった。これから僕は競技のルールに引っかからないように、どこに潜んでいるかも分からない「忠義者」を含む敵対者たちに注意しながら、ハリーの支援をやっていかなければならない。僕は久々に頭痛を覚えた。

 

 

 

 代表選手発表の翌日、朝食にハリーは見当たらなかった。彼もいい加減好奇の眼差しには食傷気味というレベルじゃないだろうし、合理的な対応と言えるだろう。

 代わりに、何故かロンがスリザリンのテーブルにやって来た。クラム目当てだろうか? 彼は船の方で朝食をとっているようだが……親友が大変なときに、随分薄情なことだ。内心訝しむ僕をよそに、ロンは一番端に座っていた僕の隣に腰掛けた。

 「おはよう。今日は一人?」僕はいつものように挨拶をする。

 ロンは小さく返事を返すと、むっつりと黙り込んでトーストにバターを塗り始めた。彼の不可解な態度に僕の頭の中にはクエスチョンマークが飛び交う。ロンはなぜこんなに不機嫌なのだろう? 早速いつものように命の危機に晒され始めた親友をよそに、何をしているのだろう?

 事情を測りかね、なんと声をかけていいか分からない僕に、ロンはようやく口を開いた。

 「君……ハリーがどうやってゴブレットに名前を入れたか、知ってる?」

 ここで、僕はようやくロンの単独行動のわけを悟った。そうか、ロンはハリーが彼まで出し抜いて代表選手に選ばれたと思っているのか。そんなわけないだろうと言いたくなるが、スリザリンの一部を除き、愚かなことにホグワーツ生はハリーが自分で名前を入れたと信じ込んでいる。ハリーを一番近くで見て来たであろうロンがそんなことを考えているのは本当に残念だが、この年頃の男子としては別に突出して変わった考え方というわけではないのだ。

 しかし、これは面倒くさい。主人公の親友ポジションとしては人間らしすぎるぞ、ロン・ウィーズリー。

 

 内心で呆れている僕をよそに、呆れを思いっきり外に出す人間がいた。僕の前に座って朝食をとっていたクラッブだ。

 「ウィーズリー、お前がそんなに馬鹿だとは思っていなかったぞ。ハリー・ポッター如きがダンブルドアを出し抜けるわけがないだろう」

 ロンの顔がみるみる赤くなっていく。ああ、なんでそれをそんなに直截な表現で言ってしまうんだ、ビンセント。

 僕は今すぐロンが怒って席を立ってしまうのではないかと思っていたが、彼はそのまま座ってクラッブに反論した。

 「別に────確かにハリーだけだったら無理だろうけど、ドラコなら知ってて、それを教えたかもしれないじゃないか」

 内心この答えは意外だった。じゃあ、ロンはハリーが一人で彼を出し抜いたわけではない可能性は考えているわけだ。

 ロンを観察している僕に代わって、ゴイルがロンの疑惑に答えた。

 「それはないよ。マルフォイはそんなこと相談したら、馬鹿なこと言ってないで変身術の宿題をしろって言うに決まってるじゃないか。

 もし炎のゴブレットの穴を見つけていたとしても、先に先生のところに教えに行っちゃうよ」

 流石に幼馴染だということもあって、ゴイルは完璧に僕の行動を予測できていた。しかし、ロンはなおも食い下がった。

 「でも、じゃあ、マルフォイも知らない方法でハリーがゴブレットに名前を入れた可能性はあるだろう?」

 「ない。ポッターの脳みそなんてお前とほとんど同じだ、ウィーズリー」クラッブはバッサリと言い捨てた。

 僕はいよいよロンがキレることを覚悟した。しかし、何故かロンはクラッブの言葉に気を良くしたようだった。状況を読みきれない僕をよそに、みんな朝食を済ませ、各々日曜の午前中を過ごすために席を立ち始める。ロンはそれでもグリフィンドールに戻ろうとせず、ノットにチェスをしないか誘っていた。それどころか、彼はハリーについて嬉しそうに話すグリフィンドール生が近くを通り過ぎるたびに、面白くなさそうな顔をしていた。

 

 

 ようやくロンの心情が見えてきた。彼はハリーが英雄のように持ち上げられているのが気に食わないのだろう。ハリーの間近で一番彼が普通の男の子だと知っているからこそかも知れない。もともとロンは嫉妬心が強い印象があるし、自分が誰かに注目されるのも大好きだ。去年、グリフィンドール寮でロンがシリウスに襲撃された際の様子を、彼がどれだけ周囲に語りたがっていたのか、僕も実際に体感していた。

 

 なるほど、確かにそれであればロンの行動は納得できる。しかし、いや……面倒な…………

 去年のハーマイオニーとの喧嘩のときは、まだロンの非は薄かった。しかし、今回はハリーに対して明らかにロン側の事情で因縁をつけてしまっている。ロンだって流石にそれを全く自覚していないわけではないだろうし、自分が悪いと分かって、なお突っ張る人間を第三者が懐柔するのは難しい。

 しかも、この性格の問題は根本的に直すのが非常に難しい。大元は自己肯定感が希薄なことに起因するのだろうが、それを育ててハリーと仲直りさせるのにどれだけ時間がかかるのだろう? ロンだって何もかもがダメなわけではない。実際、ハリーと成績は似たり寄ったりだ。ただ、周囲にいる比較対象が悪いのだろう。首席、クィディッチのエース、首席、悪戯名人のビーターという兄に、最年少シーカーの「生き残った男の子」、学年次席の女の子が親友だ。普通な人間が周りにほとんどいない。妹のジニーですら可愛い女の子だと学年では人気らしいし、劣等感が刺激されすぎる環境だ。

 これは、しばらくスリザリン生の中にいた方がかえっていいのかも知れない。うちの子たちも優秀だが、ゴイルやノットは目立つタイプじゃないし、ロンの荒んだ心を宥めて冷静に戻すにはいい環境だろう。頭が冷えてきたら、僕が謝るよう促せばいい。

 

 …………それに、ロンには悪いが今はハリーの方が心配だ。こういう周囲の態度が回り回ってロンの劣等感を刺激するのだと分かりつつも、ノットとロンをその場に残し、僕は人目を避けてハリーを探しに大広間の外へと出た。

 

 

 

 ハリーとハーマイオニーは湖の近くにいた。人目を気にしながら何かしているようだったが、シリウスに事態を知らせるための手紙を書いていたらしい。

 彼らのもとに走り寄る僕を見て、ハリーは眉を顰めた。挨拶をする間もなく、彼は素早く僕に言葉を掛ける。

 「君まで僕が炎のゴブレットに名前を入れたか疑ってるんじゃないよね?」

 ハリーがロンの態度に気づいていないはずはないだろう。いや、むしろ既に口論した後かも知れない。だとすれば、ハリーが周囲に刺々しくなってしまうのも頷ける。僕は安心させようと落ち着いた口調で答えた。

 「君が入れたわけではないのは分かっている。だから、問題はこれからどうやって課題をこなしていくかだ。

 課題そのもので本当に命の危険に晒されることはないだろうが、君を嵌めた人間が何を企んでいるか分からないからね」

 ハリーとハーマイオニーは露骨にホッとした顔をした。しかし、ハリーはすぐにまた苛立ちを顔に滲ませた。

 「ロンはそう思わなかったみたいだ。僕の言うことを聞こうともしないで────」

 ここでロンを庇ってしまえば火に油だろう。僕はとにかくハリーの話を聞いて心を落ち着かせるのに時間を使った。結局、その後ふくろう小屋に行くまで、僕とハーマイオニーはハリーを宥めることになった。

 

 それぞれの寮に戻るときになって、ようやくハリーは不安そうな顔をする。

 「ねえ、課題ってとても危険なんだろう? どうやって切り抜けたらいいのか、僕、見当もつかないよ」

 当然の心配だ。僕としてはそれ以外の介入を気にしたいところだが、ハリーにしてみれば彼が乗り越えなければならないものなのだから、同じことだろう。

 

 

 第一の課題は三週間後の火曜日だ。それまでにハリーに安全策を徹底的に叩き込む必要がある。僕は作っていた「闇の魔術に対する防衛術」の指導要領から実践的に使える呪文をリストアップすることに決めた。

 

 

 



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ふざけたバッジ

 

 

 

 ホグワーツの日常は、再びハリーにとって居た堪れないものになってしまった。

 ハッフルパフとレイブンクローさえ避けていればいいだろうという僕の考えは甘かった。どうやら彼を無駄に持ち上げるグリフィンドールの居心地もよくないらしい。落ち着ける場所を求めた末に、ハリーまでスリザリン生のところに来るようになった。その結果、スリザリンのテーブルでそれぞれやって来たロンとハリーが顔を合わせて気まずい雰囲気になる、ということが繰り返された。

 ハリーはたまにロンが謝ってこないだろうかと期待する視線を向けるのだが、ロンは頑なだ。流石のハリーも自分から歩み寄る気はないらしく、彼らは顔を合わせれば無視を決め込み、どちらが先にグリフィンドールに戻るのか張り合っているようですらあった。

 

 ロンは主にゴイルとノットのところに、ハリーは僕とクラッブのところに来ることが多かった。この完璧に無関係な諍いに巻き込まれて、クラッブの堪忍袋の緒は切れる直前だ。それでも、最近多少は親しくなったハリーが面倒なことに巻き込まれてしまったことに対し、面倒見の良さを見せてくれるのだから、優しい子である。

 ゴイルは逆にロンを自分たちの輪に快く入れてあげていた。ミリセントやノット、たまにネビルといった落ち着いた子達の中で、ロンも普段より大人しく日々を過ごしているようだ。

 

 ……正直、僕が想像していたより遥かに容易くスリザリン生は二人を受け入れたし、両者共にかなり上手くやれている。しっかり者でなんだかんだ頼り甲斐があるクラッブは、少し世間知らずで呑気なところがあるハリーとは相性がいい。他人の話を最後まで聞ける子であるゴイルは、ロンのちょっと視野の狭いところに対して問題なく付き合える。

 もうこのままでいいのでは?とすら思えてくるが、こんなところで主人公と親友が疎遠になって大丈夫なのだろうか。それに、スリザリン生がいない間二人の間を取り持っているハーマイオニーも可哀想だ。

 一刻も早くロンに謝って欲しいのだが、彼の態度を軟化させる糸口はいまだに全く見えてこなかった。

 

 

 

 さらに、面倒ごとは思わぬところから転がり込んできた。

 代表選手の発表から二週間ほど経ち、少しは事態が落ち着いたかといった日だった。その日の朝、朝食のために大広間に上がると、なぜかグリフィンドールとスリザリンのテーブル両方に人集りができていた。

 人の輪から出てきた子達は何やらバッジのようなものをローブに留めている。スリザリン側からやってきて一番近くを通ったハッフルパフ生の胸に光る赤いバッジをよく見てみると、そこには稲妻のようなマークと、「今のところ、まだ生きている男の子(The boy who still lives for now)」という文字が輝いていた。

 

 僕は犯人を決めつけることを躊躇わなかった。

 「ザビニ! パンジー! 何をしているんだ!」

 声を荒らげながら人混みに割って入ると、案の定、パンジーとザビニがその中心にはいた。彼らの前のテーブルの上には、色とりどりのバッジが並べられている。ダームストラングの制服と同じえんじ色のバッジには「出しゃばりシーカー(The seeker for attention)」、ボーバトンのライトブルーのバッジには「ゴブレット誑し(The flirt with a goblet)」、ハッフルパフの黄色のバッジには「顔だけバブちゃん(The Hot Milksop)」と書いてある。国際問題の四文字が高速で僕の頭の中を流れていった。

 二人は僕が怒鳴り込んでいることは了承済みだったのか、落ち着き払って僕に微笑んだ。そんな──そんな子に育てた覚えはないんだが──

 久々に感情のリミットを外し、僕は大声を上げた。

 「二人とも、何を考えている! 人を貶すバッジを配るなんて言語道断だ」

 怒り心頭の僕に、それでもザビニはニヤッと笑い、バッジ手に取って口を開いた。

 「配ってない。一個2シックルだよ」

 こいつらはいつも僕の想像の斜め下を行く。僕はさらに激昂してザビニに詰め寄った。

 「売っているだと? なお悪いだろう!

 あなたたちは買っているのか? これを?」

 黄色いバッジを掴み振り返った僕に、周りの生徒の多くは縮こまる。しかし、他寮の上級生の一部は平然としたままだった。

 僕の手からバッジをむしり取りながらパンジーが口を挟む。

 「からかってないわ。応援用よ。それに、誰のことだかは書いていないわ」

 パンジーの言葉は火に油を注いだだけだった。僕はさらに口調を強くする。

 「そういう真似が卑劣だと言っているんだ────」

 騒ぎを聞きつけたのか、グリフィンドールのテーブルから双子がやってきた。彼らの抱えている箱にはこの品性下劣なバッジが大量に詰まっている。予想はしていたが、やはりグルか。

 

 フレッドは僕の肩に手を置いて朗らかに笑った。

 「やあドラコ。いい出来だろ?」

 「フレッド、いくらなんでも下品だぞ。しかも、君の寮の下級生を馬鹿にするような文言で」

 フレッドは周囲のざわめきにかき消されるほど小さな声で僕に耳打ちする。

 「ここだけの話、ハリーのフレーズは本人が考えたんだぞ」

 ああ、なんてことを────というか、ハリーは他の代表選手の分まで作られると知って言葉を決めたのか? 違う気がする。どうせこのアホ四人組がからかい始めるんだから、先行して手を打たざるを得なかったとか、そんなところだろう。

 僕からしたら度が過ぎている仕打ちに、思わず二の句が継げなくなる。

 

 そのとき、不意に人混みが割れた。そこに立っていたのは、ビクトール・クラムだった。

 彼は机の上のえんじ色のバッジをしっかり視界に納めてしまった。勘弁してくれ。僕は素早く肩を組んでいたフレッドの後頭部を掴み、一緒に頭を下げさせる。

 「ビクトール、申し訳ありません。我が校の人間が無作法を……」

 しかし、彼は笑顔でこそないものの、全く気を害した様子ではなかった。

 「いいえ、ヴぉくは気にしません。こういった類のもの、よくスタジアム前の露天商は売っています。だから、慣れている。今回も、どうせ他のところが売り出すでしょう」

 そんな、あなたが慣れていても他の選手は良くないでしょうに。僕は再び言葉を失ってしまった。

 

 僕が反論する前に、もう一人の代表選手が僕らの輪に加わってきた。フラー・デラクールだ。周囲の男子生徒の何人かがふらつく中、ミス・デラクールは水色のバッジを手にして堂々と微笑んだ。

 「わたーしも構いませーん。『ゴブレット誑し』? わたーしが代表選手に相応しーいと、次の課題で証明できまーす……」

 二人の言葉に、パンジーは勝ち誇ったように僕に微笑んだ。まさか、これを狙ってバッジの文言を考えたのだろうか? だとしたら、こんなところで狡猾さを使わないでほしい。不名誉にも程があるだろう。

 

 ビクトール・クラムとフラー・デラクールがその場を後にして僕の怒りの勢いが削がれたこともあり、周囲の人混みは徐々にはけていった。

 ジョージが僕に優しげに声を掛ける。

 「後でセドリックにも、このフレーズで大丈夫か聞いといてやるよ」

 僕は思わず大きくため息をつく。

 「すでに売られている上に、選手の3/4が許可している段階で断れるわけがないじゃないか。そのやり方は卑怯だぞ」

 事実上、販売を止める口実を失った僕にフレッドは愉快そうだ。

 「発案者はパンジーだぜ? おかげでいい売り上げになったよ」

 僕は四人に対して疲れきりながらも口を開く。

 「せめて、まともなバッジも作ってくれ。中傷しかホグワーツの人間はできないと思われないようにしなさい」

 僕の譲歩に、フレッドとジョージは喜びが滲み出ている神妙な顔で頷いた。一方、パンジーは口を尖らせる。

 「そんな面白くないもの、絶対大して売れないわよ」

 パンジーの態度に、僕は表情を消した。

 「売れるかどうかじゃないんだよ。いいか、次に親しくもない誰かを貶すような真似をしたら、あらゆる手段でもって君たちの企みを潰すからね」

 今度こそ四人は真面目な顔で頭を縦に振った。

 

 

 その日の午後の魔法薬学の授業でハリーに確認を取ったところ、やはり彼は他の三人のものまで作られているとは知らなかったらしい。たちまち顔色を失って僕に謝ってくる様は可哀想ですらあった。その後ハリーは「杖調べ」のために途中で抜けてしまったので、授業後に話すことは叶わなかった。あまり気にしていないといいのだが。

 

 

 その日の夕食の後、僕はセドリック・ディゴリーを探していた。四人の前でああは言ったものの、やっぱり彼が嫌がっているなら僕がバッジを回収してしまおうと思ったのだ。こんなスリザリンの面汚しな真似を放っておくわけにはいかない。

 

 ハッフルパフの談話室に友人と一緒に戻って行こうとするセドリックを、僕はなんとか捕まえた。こう、ごちゃごちゃまとまられると用件を話すのですら一苦労だ。

 「すみません。今日の『杖調べ』のことで確認事項があるそうなので、スネイプ教授のところに一緒に来ていただけますか?」

 こういうときスネイプ教授は便利だ。僕らの寮監だし、誰も彼のところなんかについて行きたいとは思わないし、「せんせー、昨日なんでセドリック呼んだんすか?」みたいなことを聞かれない人間No.1だ。

 

 セドリックは怪訝な顔をしながらも、僕の後について地下牢に来てくれた。人通りのない廊下まで来たところで、僕は彼に向きなおる。

 「ごめんなさい、スネイプ教授のことは嘘なんです。あなたに聞きたいことがあるんです。あの……バッジの件、聞きました?」

 彼は僕の奇怪な行動の理由が分かり、腑に落ちたような顔になる。僕は彼の表情を肯定と受け止め、話を続けた。

 「もし、断りづらくて許可したなら教えてください。僕がどうにか回収しますので」

 セドリックは苦笑を浮かべて首を横に振った。

 「いや……いいよ。僕も気にしていない」

 まあ、そう言うだろうとは思っていた。彼は七年生だし、代表選手に立候補し、実際に選ばれる人間は三個下にお願いしてまで自分を揶揄うグッズを回収させることには恥を覚えるだろう。「そうですか……」と少し落胆と安堵を滲ませる僕を、彼はじっと見つめ、口を開いた。

 

 「君はハリーが代表選手に選ばれたこと、どう思ってるの?」

 予想外の質問だった。そもそも、僕はセドリック・ディゴリーのことをクィディッチピッチか人伝でしか知らないので、彼の意図を瞬時に察せはしない。ただ、彼が世間話をしたいと思う程度に僕に何らかの興味を抱いているのは意外だった。

 状況を測りかねる中、僕は口を開く。

 「また妙なことに巻き込まれて、かわいそうだな、とは思っていますが……」

 セドリックは少し笑って否定した。

 「いや、そうじゃなくて……スリザリンの七年生は、君が十七歳以上だったら絶対に選ばれただろうって言ってるよ」

 なんだそれは。自分が知らないところで展開されていたらしい身内贔屓全開の言葉に、思わず呆れてしまう。

「意味のない仮定ですし、たとえ成人していたとしても僕は選手になろうとは思いませんよ」

 ため息混じりに答えた言葉に、セドリックは首を傾げる。

 「選手になれない、じゃなくてなろうと思わない、なんだね」

 少し傲慢な言葉だっただろうか? 正直、この学年の中で自分が優れていないと言う方が無理があるとは思っている。ただ、やっぱり対抗試合に僕が向いているとは到底思えなかった。

 自分の言葉を訂正せずに、僕はそのままセドリックに答える。

 「ただでさえコネだなんだで目立つことが多いんです。これ以上不相応な注目を集めていいことなんか何一つないですよ」

 セドリックは先ほどまでの柔和な雰囲気を少し潜ませて、僕に微笑んだ。

 「学年首位で、スリザリンのクィディッチ・チームの次期キャプテンなのに?」

 彼は僕を煽てて何がしたいんだ? 僕は内心疑問符を浮かべながらも、セドリックの問いに答えた。

 「……成績は、『ガリ勉だから』で見逃して貰えます。クィディッチなんてそれこそコネの賜物ですし、そもそも次のキャプテンはモンタギューかウルクハートですよ。

 ……事実であっても立場に乗っかって驕れば、僕をよく思わない人間は必ず今以上に出てくる。そうじゃないですか?」

 セドリックは相変わらず笑顔のまま、言葉を返した。

 「そうかもね。でも、今のような聖人みたいな態度だって、君の周りによく思っていない人はいるんじゃない?」

 その言葉で、僕はようやく彼がどんな考えで今話しているのか、見当がついてきた。

 周りの人がこう思うのではないか、というセリフは大抵の場合その人自身が思っていることを反映している。スリザリン生に持ち上げられていたのがきっかけなのか、セドリックはあまり僕のことをよく思っていないらしい。しかもその理由が「聖人みたいな態度」と来た。

 彼としては、僕にハリーを貶して欲しかったのかもしれない。ドラコ・マルフォイがハリー・ポッターより劣っているわけがないのに、ハリーが選ばれたのは不正だと言って欲しかったのかもしれない。その感情の裏には僕への嫌悪感だけでなく、ハリーへの反感もあったことだろう。

 

 なんとも気の毒なことだ。今回の事態は、勿論ハリーは悪くない。しかし、セドリックだって巻き込まれた側だ。自分の晴れ舞台の場がよく分からん下級生にケチをつけられて、平然としていられる人間は少ないだろう。

 

 セドリックへどう慰めていいか分からないまま、僕はただ彼の言葉に答えるために口を開いた。

 「聖人みたいな態度をとったつもりはないんですが……

 そうであっても、結局は直接接してもらって、僕が聖人でもなんでもない、ただの人間だとわかってもらうしかないんです。名声は強い武器かもしれませんが、僕はもっと小回りのきくやり方の方が好きなんです」

 彼の求める答えではなかったかも知れない。それでもセドリックは相変わらず微笑んでいた。

 「じゃあ、君はハリーが代表に選ばれたこと、なんとも思ってないんだね」

 僕からハリーへの嫉妬を感じ取れなかった残念さと同時に、僕がハリーの実力を認めていないことに対する昏い悦びを感じられる言葉だった。

 ……正直、ハリーに対してそんな風に思われているのは非常に面白くない。しかし、ここで彼の劣等感を突いて得るメリットはゼロだ。

 

 僕は眉を下げて、少し声色を弱々しくしてセドリックに語りかけた。

 「なんとも思っていないというか……心配なんです。やっぱり、他の正式な代表選手とは経験が全然違うでしょう?

 セドリック、あなたのような心技体揃った人と真っ向勝負で戦うのは難しいと思うんです。手加減して欲しいというわけじゃないんですけど、もし余裕があったら、ハリーを気にかけていただけるとありがたいです」

 彼は少し微笑みを消し、僕を見つめた後頷いた。

 「……そうだね。出来れば、そうしてみるよ」

 

 

 こういう人の注目を集める舞台が用意されてしまうと、あらゆるところで劣等感が剥き出しになってしまうものなのかも知れない。

 ハッフルパフ寮に戻っていくセドリックの背中を見ながら僕はぼんやりとそう思った。

 

 

 

 

 

 



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悪戯専門店の夢

 

 

 

 セドリックと別れた後、僕はスリザリンの談話室でザビニとパンジーを探していた。一応、人前で次はないと釘を刺したが、あの子達が本当に僕の言ったことについて納得しているとは考えていない。気は進まないが再発防止のためにも、一度しっかり話を聞いておいた方がいいだろう。

 

 僕は二人を発見すると、有無を言わさず人通りのない寮の廊下に連れ出した。大広間ではヘラヘラしていた二人だが、僕が珍しく問題を深刻に捉えていると気付いたのか、徐々に顔から笑顔が消えていく。

 ……正直、人を叱るのは得意ではない。それこそ朝だったら短絡的な怒りの感情でどうにかなったのだが。

 それでも、パンジーとザビニは僕から怒られ慣れてしまっている。多少は真面目に捉えてもらうためにも、出来るだけ冷淡な印象を取り繕って僕は話し出した。

 

 「事情があるなら先に言って欲しいな。先に伝えておくと、あの文言は特定の誰かを示したものではないとか、そういうその場しのぎの表面だけを取り繕う言葉に価値はないよ。事態を軽視していたなら、素直にそう言ってほしい」

 僕の言葉に、二人はさらに体を緊張させる。先にパンジーが俯きながら口を開いた。

 「……ポッターからは先に了承を取ったし、残りの三人もいいと言うと思っていたんだもの」

 僕は思わず目を細める。パンジーは首を縮こまらせた。

 「他人に了承を取るとき、断りづらい状況に追い込むのはいいだろう。対等な交渉なのであればね。

 しかし、その了承が相手に明らかに益がないのに押し通すのは単なる脅迫だし、反感を生む。そのデメリットを計算に入れても、今回の事件を起こすのは得だと考えたのには理由があるの?」

 「……買うやつも沢山いたし、実際いい利益がでたよ」ザビニは僕の後ろの壁に目をやりながら答えた。明らかにこちらが欲しい答えではないと分かっている様子だ。

 ため息をなんとか堪え、僕は話を続ける。

 「百歩譲って配るだけならまだ良かった。いつものように、ふざけていただけという言い訳が利くからね。

 しかし、なんで売ってしまったんだ? これは人に対する悪意と金銭を交換する行為だぞ。そこまで考えていなかった? それとも、考えた上でやった?」

 

 いよいよパンジーとザビニは口を閉じた。パンジーは完全に下を向いてしまったし、ザビニが後ろに回した手がモゾモゾと動いているのが見える。……大分厳しい言い方をしてしまっているかも知れない。僕は少しだけ口調を柔らかくして話を続けた。

 「僕は君たちを罰したり、痛めつけるためにこんな話をしているんじゃないってことは分かっているよね? 次、クラムやデラクールに限らず、致命的な敵を作りかねない状況を避けたいから、どういう経緯でこうなったのか知りたいだけなんだよ。

 言い換えようか。今回こんなことをするきっかけになった事情があるなら、教えてくれ。それで、次はどうしたらいいのか、一緒に考えよう」

 

 しばらく、二人とも黙っていた。

 パンジーが少しだけ顔を上げて、わずかに涙の気配を感じる声で小さく言う。

 「……お金が必要だったのよ」

 なぜ? 君たち、お金に困るような家庭の子じゃないだろう。正直突っ込みを入れたいが、僕はなんとか堪え、頷くことで続きを促した。

 パンジーは涙を堪えながら事情を説明し始めた。

 「あたしたち、というか、フレッドとジョージが悪戯専門店みたいなことを始めたのは知ってるでしょ? 順調にやってきたけど、フレッドとジョージがあの人たちのお金を全部ギャンブルに使っちゃったの。

 負けたわけじゃないわ……ワールドカップであのバグマンって人相手に大勝ちしたんですって。でも、そのお金がレプラコーンの金貨で……分かるでしょ?」

 「次の日確認したら消えてたんだね」僕はできるだけ優しい声で返した。

 パンジーは手で涙を拭って頷く。少ししゃくり上げているパンジーに代わって、ザビニが後を引き継いだ。

 「それで、僕とパンジーはこっちがお金を出すって言ったんだ。でも、二人は下級生に恵んでもらうような真似はしたくないって。

 だから、僕とパンジーは三大魔法学校対抗試合に便乗してお金稼ぎをしたらいいんじゃないかって。バッジなら僕たちでも作れるし、元手もフレッドとジョージが嫌がるほどはかからない」

 ザビニに代わって、パンジーがなんとか声を絞り出して続きを話す。

 「いつもの調子で作ったの。ほら、横断幕とか……ドラコをいじるようなものだと思って。少し工夫したら、代表選手は文句を言えないでしょうし……」

 段々話を聞いているこちらの側に罪悪感が湧いてきた。この子たちがやったことに変わりはない。けれど、親しくしている上級生の夢がお金がないということで潰れて欲しくなくて、後先考えずに突っ走ったことが見えてきてしまったのだ。パンジーとザビニはグリフィンドールに感化されすぎだし、スリザリンの同胞愛の中に双子を完璧に入れてしまっていた。

 

 それでも、なんとか体面を取り繕って二人に問う。

 「……じゃあ、今はもう何がいけないかは分かっているね?」

 二人は少し間を開け、口を開いた。

 「今度からは敵を作らないかどうか、ちゃんと考えるよ」

 「人を揶揄うときは、相手を考えるわ」

 ここで、もう人をからかうようなことはしません、にならないのがスリザリンクオリティだ。けれど、僕としてはなんの問題もない。

 僕は二人の言葉に頷いて少し微笑み、口調を普段のものに戻して話しかけた。

 「……代表選手たちに、あったら嬉しいグッズのアイデアがないか聞いてみるのはどうかな。君らは何%かマージンを彼らに渡してそのグッズを作る。それを今回の謝罪がわりに受け取ってもらう。

 売れるかどうかは知らない。だけど、これからも代表選手をダシにして商売を続けたいんだったら、絶対に彼らを敵に回すべきじゃないってことは分かってるよね?」

 パンジーがようやく僕の顔をちゃんと見た。ザビニも少し目を見開いている。

 「いいの?」

 「うん。その代わり、騙し討ちみたいな形で彼らをからかうバッジを作ったことは、自分の口で謝るんだ。

 そんな軽薄な真似はもう二度としないと誓った上で、三大魔法学校対抗試合を盛り上げるために協力してくれないか、ちゃんとお願いしなさい。僕も一緒に行くから。いいね?」

 

 二人は顔を見合わせ、恐る恐る頷いた。

 

 

 

 翌朝、僕はパンジーとザビニを連れてダームストラングの帆船を最初に訪れた。周囲のダームストラング生からの視線が刺さりまくる中事情を話し頭を下げる二人に、クラムは少し驚いた顔をしていた。

 彼はグッズについては特に要望を出してこなかったが、追加で何かを作ることは了承してくれた。正直、代表選手にとってはほとんどメリットがない提案だと思うのだが、懐が広い。学生のやることだと思ってくれたのだろうか?

 お金周りの交渉は僕が口を挟んでもどうしようもないので、悪戯専門店側任せだ。ただ、不和を生まないために全代表選手一律にしろとは言っておいた。クラムがメチャクチャ高くなりそうだが、流石にそこは僕の知ったことではない。

 

 

 次に訪れたボーバトンの馬車では、フラー・デラクールが少し刺々しく出迎えてくれた。彼女は謝罪にはほとんど興味を示さなかったが、グッズについては「わたーしの髪の色を取り入れるといーいですね。なんなら、顔写真を使いまーすか?」と言っていた。凄まじく強い女である。

 

 僕は今回の件について、一番被害を受けたのはフラー・デラクールだと考えていた。クラム、セドリック、ハリーはそれぞれダームストラング、ハッフルパフ、グリフィンドールというサポーターがいるのに、彼女はそうではないからである。

 ボーバトン生はダームストラングと違い、全員代表選手に選ばれるつもりでホグワーツを訪れており、それゆえに彼女は同郷の人間たち全員の支持を得ているわけではなかった。

 実際、「ゴブレット誑し」のバッジをボーバトンの女生徒がつけているところを僕はすでに目にしていたし、バッジの揶揄か応援か絶妙な塩梅が彼女の精神を蝕んでいてもおかしくないと考えていたのだ。

 しかし、フラー・デラクールは本心か虚勢かまでは分からないものの、完璧にバッジの卑劣さを無視した。僕は内心で拍手をせざるを得なかった。

 

 

 次の代表選手は、スリザリンのテーブルに朝食に来たハリーだった。

 彼はザビニとパンジーが真摯に謝っているところを見て、目を見開いて驚いていた。グッズについては「やめてよ──目立ちたくないのに!」と嫌そうな顔をしたが、フレッドとジョージのためだと言うと、すんなり乗り気になってくれた。相変わらず、スリザリンでもないのに同胞愛の強い子である。

 ハリーは出来るだけ自分は巻き込まれたのだということをアピールするフレーズをグッズに書いて欲しいと悪戯専門店組に頼むと、「今のところ、まだ生きている男の子」バッジをカバンに付けて次の授業に出て行った。なんだかんだ豪胆なところがある男だ。

 

 

 最後はセドリックだった。

 彼は昨日の今日で再びスリザリン生に拉致され驚いていたが、謝罪については極めて寛容に受け入れてくれた。グッズについては、「ハッフルパフを押し出してくれると嬉しい」らしい。セドリックは僕のことを聖人みたいと形容したが、彼の方がハッフルパフらしく公明正大だ。

 ただ、セドリックにとってあまり気持ちのいいものではない僕が話し合いの場にいて良いことはない。二人がより意見を聞き出そうとした段階で、僕はその場を後にした。

 

 

 

 一人大広間に戻るときに、僕は両脇を突然二人の人間に挟み込まれた。フレッドとジョージだった。

 

 フレッドが僕の肩に手を回しながら口を開く。

 「昨日のうちにザビニとパンジーからメモが届いたよ。四方に頭下げて回ったんだって?」

 ジョージが続く。

 「僕らにも責任はあるのに、仲間はずれはひどいぜ。ザビニとパンジーだけが悪いわけじゃないって分かってるよな?」

 僕は頷いた。

 「今回はうちの子たちが発案だったみたいだからね。でも、人脈を広げるという点では君達にも同行してもらった方が良かったかな?」

 フレッドは僕が怒っているわけではないことを悟ったのか、ニヤッと笑った。

 「まあ、商談が上手くいけば次もあるだろうさ……で、バグマンとのこと、二人はゲロっちまったんだって?」

 そういえば、発端はそもそもそこだった。バグマンとかいうクズが学生から金を巻き上げたのが原因なのだ。

 「そもそも隠してたの?」僕は首を傾げる。

 ジョージは肩をすくめて返事をした。

 「今、俺たちは取り立て中でね。あんま知られても良い顔されないだろ?」

 そういうことを気にするタイプだとは思っていなかった。僕は内心意外さを感じながらも返事をする。

 「自分のお金で賭けをしているんだし、そもそも不正をしたのはバグマンだからいいんじゃない? まあ、言いふらすのにも言いふらさないのにもメリットはあると思うけど。

 だけど、君たちの夢を楽しみにしている下級生もいるって覚えておいてよ」

 僕の言葉に、フレッドはにっこり笑った。

 「分かっているさ」

 

 

 



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第一の課題

 

 

 あれから四人組は僕がお願いした通り、普通の「○○を応援しよう」と書いてある真っ当なバッジや、各選手の望んだグッズを売り出し始めていた。法律的に色々大丈夫なんだろうかと思っていたが、フレッドとジョージはその辺りしっかりしている、というのはパンジーとザビニの談だ。ロイヤリティについても交渉ができたらしいし、彼らは商才があるようだ。

 

 しかし、ハリーのグッズについては何とも作りづらい状況ができてしまった。あのインチキ記者のリータ・スキーターが、信じられないくらい捏造に満ちた記事を「日刊予言者新聞」に載せたのだ。

 スキーターは読者の悍ましい好奇心を醜悪な手段で掻き立て、それを貪る悪魔のような人間だった。おまけに自分の興味の外にいる人間に対し、信じられないほど無神経でもあった。その日の新聞でハリーについて、四面に渡って書き綴られたスキーターの妄想とは対照的に、他の代表選手は──なんとクラムまでも──それぞれ一行のみしか名前は出てこず、セドリックに至っては触れられすらしなかった。

 当然それを良く思わない人間は出てくるし、スキーターに便乗してハリーをこき下ろすような真似は、ハリーも僕も許さない。結果、ジョークとしてのハリー関連のグッズは慎重に扱わざるを得なくなった。

 

 それにしても、スキーターという人間はなんと不愉快な存在なのだろう。

 十四歳の初対面の少年の言葉をでっち上げ、世間にばら撒く厚顔無恥な記者に対して、僕は慈悲の心を持つ気に全くなれなかった。それに、スキーターのような短絡的で、他人からそこまで重要視されない益──今回であれば、軽蔑すべき「ジャーナリスト精神」──のために、敵を作るのに全く抵抗がない人間というのは厄介だ。利益を提示して抱き込むにしても長期的に味方に繋ぎ止めておくことが難しい。それこそ脅迫でも何でもしたくなってしまう。

 

 しかし、この女が跋扈できてしまう魔法使いのメディア界自体も問題だ。

 人口が少ないせいで主要紙が「日刊予言者新聞」だけなのに、それすらこの程度の倫理観でデタラメ記事を垂れ流すことに全く躊躇していないのだから。全くもって許し難い。報道という行為自体が、適切に制御されなければ野次馬精神と紙一重なのは分かる。しかし、それにしてもジャーナリズム倫理の概念が希薄すぎる。

 メディアの力を考えれば、是非とも自分の勢力下に置いておきたいとは思う。しかし、愚かで悪辣な報道従事者というのは、ゴシップ趣味を「ジャーナリズム」という大義名分でコーティングし、その場その場で自分に都合の良い正義を作り出す。

 相手の理論に基づいて説得を試みることを基本方針とする僕にとって、こういった一貫性のない人間を相手にするのは最も苦手とすることだった。それこそ万策尽きたら暴力や脅迫の出番、ということになってしまう。しかし、こういう後先考えない動物的な人間には、それが一番効果的な場合がままあるのもまた事実だった。

 

 

 第一の課題が近づき、学校で見られる応援の勢いもいよいよ熱を帯びてきた。

 何が乗り越えるべきものとして用意されているかは当日になってみないと分からない。僕とハーマイオニーはできるだけ応用が利きやすく、簡単に習得できる呪文をハリーに覚えさせようとしていたが、ハリーは緊張のせいか呪文学の授業で扱っている「呼び寄せ呪文」で手一杯になってしまっていた。

 ……僕自身忘れがちであるのだが、普通はそんなにポンポン呪文を習得できない。ハーマイオニーは天才だし、僕は周囲より精神年齢のアドバンテージがあるので修練の時間をそこまで苦にしない。しかし、ハリーは「守護霊の呪文」という例外を除けば「同級生の中では良い方」の枠を出ていなかった。おまけに課題が何なのか分からないため、どうしても山を張って対策を練ることになる。僕が真っ先に覚えさせた「盾の呪文」だって、ハリーの習熟度でどこまで通用するのかはかなり怪しいところだ。

 せめて何と対峙することになるかさえ分かっていれば小手先でできることもあるだろうに。

 

 

 

 課題を二日後に控えた日曜日の朝、僕はハーマイオニーと共に、ハリーによって校庭に引っ張り出された。ここ数日ずっと彼は落ち着かない様子だったのだが、今日は表情にさらに深刻さを増した。

 盗み聞きされないように散歩しながら話を聞いたところによると、昨夜ハリーはハグリッドに連れ出されて秘密の森で次の課題に使うものを見せられたらしい。────暴れ狂うドラゴンを。

 その後シリウスと暖炉を使って話し、元死喰い人のカルカロフについて忠告されたらしい。

 

 シリウスの懸念はもっともだが、彼らは表立ってダンブルドアによって城に入る許可を得ている。

 「……今回の三大魔法学校対抗試合の関係者に、死喰い人に関係する人間が数人いるのは事実だ。ただ、ダンブルドアはそれを見越して彼らを招いているはずではあるんだ」

 「でも、ダンブルドアはクィレルやロックハートだって城に招き入れたよ」ハリーは眉を下げて答える。

 それはその通りなんだが……まさかダンブルドアは知っていて呼んだんだよ、なんて言えない。僕は曖昧に笑うしかなかった。

 

 

 「それにしてもドラゴンか」

 のんびりと言うと、ハリーは目を剥いて僕を見た。

 「何でそんなに平然としてるの? ハグリッドがドラゴンを隠してるって知ったときはすぐさまマクゴナガル先生に告げ口しにいってたじゃないか」

 まあ、確かに「魔法使い殺し」の超危険生物ではあるのだが、それにしたってダンブルドアが学生用の課題に使ってもいいと判断したものだ。僕はできるだけハリーを落ち着かせようと口を開いた。

 「だって、四頭もここに引き連れてこられるほど万全の対策なんだろ? 君の話でもすぐに取り押さえられるよう、何人ものドラゴン使いが控えているってことだったし。だったら、代表選手が八つ裂きにされる前に取り押さえるよう手配されているさ」

 ハリーは僕の言葉に眉を顰める。見かねたのか、ハーマイオニーが横から口を挟んだ。

 「ドラコ、あなた感覚がズレすぎよ。安全そうだからってハリーを放り出すなんて無責任だわ」

 別に放り出したつもりではないのだが……まあ、「横槍」の存在を考えるに、ハリーがドラゴンをいなせるようになった方が良いのは事実だ。それでも僕は一応二人に釘を刺した。

 「そもそも先に課題を知ってる時点で不正だし、その知識でさらに助言を求めるのはズルじゃない?」

 二人は黙ってしまった。ハリーは出たくて出ているわけではないんだから、という言い訳が利きそうなものだが、二人とも根が真面目だ。少し可哀想に思い、僕はわずかに微笑んで言葉を続けた。

 「……仕方ない。助言はしないよ。君が自分で考えるんだ」

 

 

 湖のそばに腰を下ろしたところで、僕は再び口を開いた。

 「まず、大まかに行こうか。ドラゴンにどう対策する?」

 ハリーは怪訝な顔で答える。

 「それが思いつかないから聞いているんじゃないか」

 「なぜ思いつかない」僕はさらに質問を重ねる。

 「なぜって……」

 「たとえば、火蟹の赤ちゃんに対して策を練りなさい、だったら君にもできるよね。なぜドラゴンはできないんだ」

 ハリーは僕の意図を図りかねると言った様子で首をふった。

 「だって、ドラゴンはとても強いじゃないか」

 「どう強い? なぜ対策ができないほど強いと考えるんだ?」僕はそれでも質問を続ける。

 しかし、それに答えたのはハーマイオニーだった。

 「ドラゴンの皮膚はほとんどの呪文を弾くわ。大人の魔法使いでも何人も一斉に呪いをかけないと──」

 僕はハーマイオニーに厳しい目で人差し指を向ける。ハーマイオニーはパッと口をつぐんだ。

 「先にハリーに考えさせなさい。──それで、他には?」

 

 向き直った僕に、ハリーは腕組みして考える。

 「ドラゴンは──とっても大きいし、力も強そうだった。火を吐くし、棘がいっぱいついているやつもいた」

 僕はハリーに頷く。

 「なるほどね。じゃあ、その『強い部分』の弱点を考えていこう。最初は皮膚についてだな。ほとんどの呪文を弾いてしまう。その通りだ」

 「じゃあ、もう打つ手がないじゃないか」僕の言葉に、ハリーは肩を落とした。

 僕は笑って首を振る。

 「本当に? ドラゴンは肌に呪文を当ててもあまり意味がない。しかし、それは本当にドラゴンにあらゆる呪文が効かないことを意味するのだろうか?」

 それでも僕がどんな返事を求めているか今ひとつピンときていないハリーに、僕は質問を変えた。

 「ハリー、もし君の肌が全ての呪いを弾いたとして、それで君は無敵かな?」

 ハリーは顎に手を当てて考え込み、しばらくしてから口を開いた。

 「……肌じゃないところは無敵じゃないかな? 目とか、耳とか鼻の穴? あと口もかな」

 少し不安そうなハリーに、僕は笑顔で頷く。ハリーの顔がパッと明るくなった。

 「じゃあ、そのうちどれを狙ったらいいと思う?」僕は更にハリーの考えを深めさせる。

 「……目かな? ドラゴンの目が見えなくなったら、だいぶ有利そうだし」

 「いい選択だと思う。他の部位を痛めつけるのにも、それなりにメリットはあるけどね」

 ある程度役に立つだろう答えが出たが、ハリーはそれでも不安そうだ。彼の知っている呪いの中に、目にピンポイントに効果があるものはないのかもしれない。

 

 僕は更に彼の対応策を増やすため、質問を続ける。

 「しかし、それだけで他の『大きい』『力が強い』『火を吐く』『棘』といったドラゴンの武器を抑え込めるわけではない。ドラゴン相手に何をやらされるかは分かっている?」

 ハリーは首を振った。

 「ううん。ただ、戦うんじゃなくて出し抜かせるんじゃないかってチャーリーが」

 「じゃあ、単に目を封じる以外の策も練っておくべきだろう」

 話を進めようとする僕に、ハリーは首を傾げる。

 「でも、他のところはどうしようもなさそうじゃない? だって、それこそ呪文を使わないと、縮ませたりはできないよね?」

 「相手を変えることができないなら、他のところに変えられる部分がないか探すんだ。たとえば周囲や自分。今回はどんなステージで課題をやらされるか分からないから、自分に何ができるかを先に考えた方がいいかもね」

 そう言い、僕は杖で自分の腕を叩き、翼に変えてみせた。実は身体の一部の動物変身は動物もどきより難易度が低い。

 

 ハリーは半目で僕を見る。

 「……僕にできないって分かって言ってるよね?」

 「変身術は無理だろうね。だから、他のやり方を考えなくちゃ」僕は笑って答えた。

 「あっ!」

 ハーマイオニーが突然声をあげる。彼女は何か気づいたようだ。一体どの手を思いついたんだろう? 僕の視線を受けて彼女は口を手で塞いだが、ハリーはハーマイオニーに声をかける。

 「ハーマイオニー、何か思いついたの?」

 ハーマイオニーはためらいながらも、なんとか直接の答えにならない言葉を探していた。

 「ハリー、あれよ。あなたの一番得意なこと!」

 「えっ……クィディッチ? でも、箒は持ち込めないよ! 僕らは杖だけしか持っていっちゃいけないんだ」

 なるほど、箒か。確かにハリーにはバッチリだし、うってつけの呪文を僕らはたった今授業で学んでいるところだった。結論をハリーに導き出させるために、僕も口をひらく。

 「ハリー、考えるんだ。君にも今から頑張れば絶対にできる解決法。その答えはすぐそこにある」

 

 ハリーは下を向いて考えを口に出しながら推理し始めた。

 「杖で箒を出せれば……いや、違う。今から頑張れば覚えられる呪文、『呼び寄せ呪文』だ! それでファイアボルトを呼べばいいんだ!」

 僕とハーマイオニーはにっこり笑って頷いた。

 

 

 

 翌日の昼休み、大広間にはハリーはいなかった。一人で昼食にやってきたハーマイオニーが周囲を気にしながら僕に耳打ちした。

 「今、ハリーは呼び寄せ呪文を練習しているわ。もう殆ど問題なく『呼び寄せ』できるようになったの!

 本当は『結膜炎の呪い』も覚えておいた方がいいかと思ったんだけど、普通の四年生は勉強していないし、課題を知っていると思われちゃ良くないでしょ? だから、とりあえずアクシオを完璧にしておくことにしたのよ」

 上々だ。僕は満足して頷く。

 「いい選択だ。欲張ってどちらも実戦レベルになりませんでした、じゃ本末転倒だからね」

 

 ハーマイオニーは僕の隣の席に座ってトマトをフォークに突き刺しながら、小さな声で囁く。

 「でも、あんな回りくどいやり方しなくっても、すぐ教えてあげたらよかったのに!」

 僕は肩をすくめた。

 「これからハリーは他の課題にも立ち向かっていかなければならないんだ。自分で考える癖をつけないと苦労することになるよ。

 もちろん君は手伝うつもりなんだろうけど、いつでも僕らが役に立つかは分からないからね」

 不意に会話が途切れた。見てみると、ハーマイオニーは顔の前にフォークを持ってきたまま、口をへの字にしている。僕が首を傾げると、彼女は眉を顰め、しかし笑みを浮かべて口を開いた。

 「……あなたは全く悪くないんだけど、あなたを見ていると、とっても惨めな気分になるわ!」

 「去年も似たようなこと言ってなかった?」僕はニヤッと笑って答える。

 「もう!」ハーマイオニーは空いていた手で僕の背中をパチンと叩いた。

 

 

 その日の夕方、ハリーは晴れ晴れと、と言わないまでも少し嬉しそうな様子で玄関ホールにやってきた。グリフィンドールのテーブルで彼の激励が行われるそうなので、今日の夕食は別々だ。

 ハリーは僕を見つけると駆け寄り、周囲を見渡した後練習の進捗を教えてくれた。先ほど校庭で寮から教科書を呼び寄せられるか試したらしい。結果は成功だったそうだ。明日もきっと大丈夫だろう。

 ひとしきり訓練の成果を聞いたところで、ふと彼は思い出したように口を開いた。

 「今日の朝ムーディ先生に、セドリックに課題はドラゴンだって伝えていたところを見つかっちゃったんだ。怒られなかったけど、僕が何をするつもりなのか聞き出されたよ」

 ムーディ教授は、こういう人を出し抜く行為をよしとするタイプなのか……結構意外だ。僕はハリーに問いかける。

 「まさか、僕とハーマイオニーが色々口出ししたことは言ってないよね?」

 「当たり前じゃないか! 自分で考えましたって言ったよ。それに、ドラコは本当にそうしたんだし。つまり……僕に自分で考えさせたよね?」ハリーは確認するように僕に聞く。

 「そうだけど……」

 そこに、話題の人物、ムーディ教授がやってきた。彼は僕らの前に来ると、いつもより遥かに小さい声で、「マルフォイ、夕食後、わしの研究室に来い」と告げた。──明らかに、僕がハリーの課題に関与したのがバレている。僕は自分の血の気が引いていくのを感じた。

 ハリーが僕を庇おうと何か言う前に、ムーディ教授は大広間へと入って行ってしまった。

 僕らは顔を見合わせる。

 「多分……怒るんじゃないと思うけど。僕も叱られなかったし」

 「だといいんだけどね……」

 僕が知らない間に彼の逆鱗に触れてしまったのだろうか? いや、そもそも死喰い人の息子が「生き残った男の子」に取り入るため、特別仲良くしようとしていると捉えられている可能性だってある。僕は流石に堪えきれず、ため息をついた。

 

 

 

 しかし、ムーディ教授は僕を絞めるために呼び出したわけではなかったようだ。研究室を訪れた僕に対し、彼はわずかに口の端をあげて出迎えた。

 しかし、それでも椅子に座らされ、尋問の態勢がとられる。

 彼は軽く腰を折り、僕の顔を覗き込んだ。

 「お前がポッターにアドバイスしたんだな? え?」

 「ドラゴンについてどうしたらいいのか聞かれはしましたが、直接どうしろと言ったわけではないです」

 僕の言葉にムーディー教授は少し皮肉っぽく笑う。

 「ポッターはセドリックにドラゴンの攻略法についてベラベラと喋っておったぞ。自分もドラコ・マルフォイ、お前に考えさせられたと言ってな」

 ハリー……どうして周囲に十分注意してからセドリックに話してくれなかったんだ……いや、この熟練の闇祓いに身を隠されては僕でも気づけないかも知れない。……しかし、ハリー自身が不利になる情報を、誰が見ているとも知れない場所で話さないようキツく言おう。僕は内心決意した。

 しかも親切にセドリックに僕のことを色々言ってしまったのか。また変なことになってないといいのだが。

 

 僕の沈黙をムーディ教授の威圧感によるものだと思ったのか、彼は態度を更に和らげ口をひらく。

 「お前が他の生徒のためにあちこち駆けずり回っているのは知っている。今回もその一環だったのだろう?」

 ……これは、僕が何か企んでハリーに近づいているわけではないと認識してくれているのだろうか? 僕は内心図りかねながら頷いた。

 ムーディ教授は少し忌々しそうに視線を僕から外した。

 「どうせカルカロフやマクシームはこちらを出し抜こうとするのだ。連中がドラゴンを見にいったことはお前も知っているだろう? ダンブルドアは高潔だが……現実が見えておらん。『油断大敵』!」

 「では……ムーディ教授、あなたは僕にハリー・ポッターのサポートをするようにとおっしゃるのですか?」

 僕の言葉にムーディ教授はハッと笑った。

 「お前は言われずともそうせざるを得ない気質の人間に見えるが? お前の同級生のバッジのことでずいぶんあちこちに頭を下げたそうじゃないか」

 この短期間でずいぶんと高い評価をいただいたらしい。同じホグワーツの代表選手なのであれば、セドリックにも目をかけてあげて欲しいものなのだが。しかし、彼は正当な代表選手だし、僕程度がわざわざ口を出さずとも一人で課題をこなせそうだ。

 

 結局、ムーディ教授は暗にハリーの手伝いをしろと告げるだけ告げて僕を寮に返した。まあ、ダンブルドアが今年わざわざ呼んだ人でもある。学校内の懸念事項に対して色々気を回すように言われていると考えれば、筋の通った行動ではあるかも知れない。

 

 

 

 翌日の第一の課題、ハリーは見事に箒を呼び寄せてハンガリー・ホーンテイルを手玉にとって見せた。ドラゴンから「金の卵」を奪うと言う課題で、彼は四人の代表選手の中で一番素早くドラゴンの懐から卵を掻っ攫った。

 城に戻る道すがら、僕はグリフィンドール生に囲まれている彼を遠巻きに眺める。こちらに気づいたハリーはとびきりの笑顔で手を振った。久々に、目に眩しい主人公の顔だ。

 

 不正に選ばれた代表選手をよく思っていなかった人間も、彼の活躍を見て態度を改めたものが多いようだ。僕としてはそれとこれとは別だろうと思うのだが。

 

 僕の予想していた通り、代表選手は四人全員大した怪我もなく無事に課題を終えた。しかし、これは安全対策が上手くいったというよりは彼らの実力によるものだろう。

 

 一つ嬉しいこととして、ロンがハリーに謝ったことがあった。あの課題を見て、ロンにどのような心境の変化があったのか分からない。危険な課題に親友が放り込まれているのを見て、自分の幼稚な態度が恥ずかしくなったのだろうか? それとも、喝采を浴びる親友を見て、嫉妬で離れるより近くにいた方が得だと考えたのだろうか?

 できれば前者であって欲しい。ロンが友情以外の考えでハリーのそばにいようと思うなら、これからも軋轢が生じるのは目に見えているのだから。

 基本的に損得勘定で人間関係を捉えている自分を棚にあげ、僕はそう思った。

 

 次の課題は三ヶ月後の二月二十四日だ。例年クリスマスには何か今後に関連するイベントが起こるとはいえ、しばらく気を抜くことができると言えるだろう。

 しかし、一つどうしても引っかかることがあった。第一の課題中、ハリーの周りで何か起きる気配が全くなかったのである。僕はそれこそ例年のクィディッチ第一試合のような展開を予想していた。真っ当な競技に横槍が入り、ハリーは危うく難を逃れるというパターンだ。

 今回はドラゴンそれ自体が極めて危険であるという点に目を瞑れば、何も起きなかったと言ってしまって過言ではない。僕は「忠義者」たちの明確な手がかりを得ることができなかったのだ。

 何もしなかったこと自体が手がかりだと考えることもできる。つまり、今回の潜伏者はハリーを第一の課題で害する気はなかったという見方だ。しかし、結局は彼を代表選手にさせることで何かをしたいのだという事実は残る。強いていうなら、犯人は今までの三年間の潜伏者より慎重に動いているらしい、ということなら考えられるかもしれない。

 

 なんにせよ、やっぱり僕はこの時点で推理を前進させることはできなかった。

 

 

 試合の翌日、僕は一人でいるところをセドリックに捕まえられた。人気のない3階の廊下で、意図しているかどうか知らないが壁を背にさせられ、僕は逃げるに逃げられない状況に置かれた。セドリックは人当たりの良い笑みを浮かべている。こういう頑張って優等生をやっているタイプは、何を考えているか読み取りづらくて苦手だ。

 彼は微笑みを崩さないまま口を開いた。

 「ハリーから君がくれたらしいアドバイスを色々聞いてね。お礼を言いたくて」

 口調は丁寧だが、絶対ありがたいと思っていないだろう。怖いよ。

 僕はなんとか表情を取り繕ってセドリックに笑いかけた。

 「……それを言うならハリーにですよ。あなたは相手がドラゴンだとわかればそれで十分だったのでは? そもそも僕はハリーに具体的な対策を助言したわけではないですし」

 「そうかな? ドラゴンの攻略法をどう考えたらいいか、君が教えてくれたってハリーは言っていたけど」

 ハリー・ポッター……裏表なく、人の手柄を自分のものにすることを厭う男の子よ……今は彼のそのまっすぐさが恨めしかった。セドリックは本当に善良な代表選手の態度を崩していなかったが、わざわざこんな話をしにきた時点で何かあるのは見えている。

 返事をしかねている僕を無視して、セドリックは言葉を続けた。

 「君だったら、あのドラゴンにどう対処していたかな? 参考までに教えて欲しいんだ」

 なんの参考だよ。もう戦わんだろ。

 正直、「何にも思いつきませーん」とでも言ってその場を後にしたかったのだが、彼は僕の前に立って行く手を塞ぎ、慇懃に答えを待っている。僕はため息を押し殺し、ハリーとハーマイオニーの会話を思い出しながら返事をした。

 「……一番パッと思いつくのは『結膜炎の呪い』ですよね。魔法の効きにくい表皮を持つ魔法生物には定番の策ですし」

 「他には?」

 まだ聞くか。勘弁してくれ。

 「ドラゴンは口内が高温になる都合上嗅覚が弱いので、目眩し呪文も使えたかもしれませんね。あとは変身術とか……」

 「変身術をどう使うつもりだったの?」もはや質問攻めである。それなのに外面は全く変わっていないのだから、こちらは怖気付くしかない。

 「それこそ飛べるような身体変身や、ローブを元にして鳥の囮を大量に作るとかですかね。競技場に何があるか分からないので、その場のものを使う策は……」

 そこまで言って、僕はセドリックがどうやってドラゴンを出し抜いたか思い出し、口をつぐんだ。彼はその場にある岩を犬に変えたのだ。今の僕のセリフは「お前は考えなしだった」と指摘しているように受け取られてしまっても仕方ない。

 彼はいまだに笑みを浮かべたままだが──心なしか、本当に心なしか酷薄な雰囲気を醸し出し始めた気がする。ああ、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです。しかし、ここで謝った方が彼のプライドを傷つけるだろう。

 

 僕はなんとかその場を取り繕おうと口を開く。

 「……でも、もしもの話でしかないですよ。実際あの場に引っ張り出されたら、うまくやれるとは思えません」

 セドリックはわずかに身を引き、肩をすくめた。

 「……君は謙虚だね」

 こんな机上の空論を真剣に取らないでほしい。できれば、下級生がイキってんな、くらいの余裕を持って欲しい。それでも、今不当な代表選手であるハリーが一位の成績で課題を通過し、正当な選手として追い詰められてしまっているだろうセドリックを、そのまま放置しておくのは気が引けた。

 嘘はつきたくない。彼を慰めるための嘘だったと知られれば、自尊心を決定的に折ることになるだろう。

 

 僕は今度こそ言葉を慎重に選びながら口を開く。

 「僕は単に弱いだけですよ。あなたみたいに多くの人間の期待を背負おうと思えるほど、強い心を持っていない」

 セドリックは少し目を細め、首をわずかに傾けた。

 「それは……『人の目を気にしてしまう』というだけじゃないのかな?」

 僕は首を振って微笑んだ。

 「気にできるのも才能だと思います。僕は自己中心的なので……自分が良ければいいんですから」

 セドリックは今度こそ微笑みを消した。しかし、彼はそれ以上何かを追及してくることはなかった。その隙をついて、僕は彼を残しその場を後にする。

 

 ハーマイオニーは僕に甘えがあるから深刻なことにならないが、年上で僕に対抗心を持つ人間は扱いに困る。セドリックが今の話で僕を見限ってくれることを切に願いながら、僕はスリザリン寮へと帰った。

 

 



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パートナー探し

 

 

 

 十二月に入り、ホグワーツは雪と霜に覆われた。

 

 僕は第一の課題が終わったので、しばらく平穏が続くかとのんびり構えていたのだが、早速気になる問題が浮上し始めていた。

 リータ・スキーターがハグリッドの周囲をかぎまわり始めたのである。どうやら、ハリーがスキーターに対してつれない態度でインタビューを断ったために、その報復としてハリーの醜聞を身近な人間から引っ張り出そうとしているらしい。

 僕としては、ハリーはスキーターに一方的に餌を提供できる立場にいるのだから、もう少し上手く丸め込んでくれればよかったのに……と、つい思ってしまう。しかし、十四歳の少年が自分の発言を捏造して新聞に書き立てる人間を懐柔しようと考えるのは無理があるだろうし、そもそもスキーターとかいう厚顔無恥の下劣記者が悪い。

 ハグリッドは彼自身が半巨人であるというだけでなく、一年目のドラゴン騒動に二年目のアクロマンチュラ飼育の発覚と、叩けば埃が出てしまう人間の筆頭だ。今でこそ人気教師の一角であるとはいえ、それらの事実が公に引っ張り出されれば、何が起こるか分からない。

 僕は、スキーターがハグリッドの身辺を調査する中で禁じられた森に鼻を突っ込み、アクロマンチュラのおやつになる可能性に思い当たっても、特に防護策を施そうとは考えなかった。

 

 

 

 僕のスキーターに関する心配をよそに、学校内にはうわついた空気が流れ始めた。ユール・ボールの開催が告知されたのである。皆パーティに出るためのパートナーを見つける必要があるため、あちらこちらで気になっている子に声をかけようと必死な生徒が見られるようになった。

 

 一方、僕はと言えば────初動を完全に失敗した。

 

 

 告知があった日の夜、いつものように大広間で夕食をスリザリン生たちと食べる中、当然パーティーの話になった。僕らは家の問題で誘える人間が限られるし、スリザリン内で大体が完結するだろう。僕も体裁を考えればフケるという選択肢はない。

 そして、僕は「当然」一番近くにいた純血の女子であるパンジーに声をかけた。

 「パンジー、他に誰か行きたい人がいないなら、僕と行かない?」

 僕らの周囲が一瞬にして静まり返った。これは──こんな人前でお願いすべきではなかったかもしれない。自分の迂闊な行動を後悔している僕に対し、パンジーは驚愕と嫌悪を顔に滲ませて答えた。

 「え、絶対にイヤだけど」

 パンジーの声は冷え切っていた。断られることを予想していなかった訳ではないが……考えていたより、遥かに拒絶が前面に出た返事だった。そうか、そんなに嫌か。反抗期?

 内心傷つきつつ、僕はその隣のミリセントに視線を移す。

 「……ミリセント、君はどうかな?」

 ミリセントは自分の皿から一切視線を逸らさず口を開いた。

 「私、もうパートナーがいるの」

 彼女もいつもと全く違う硬い口調だ。えっ、そんな、早すぎる。一体誰だ? 周囲を軽く見渡すと、ゴイルがちょっと照れた様子でミリセントを見ている。……そうか、仲がいいのはいいことだ……しかし、これは……

 パンジーもミリセントも普段からは考えられないほど冷淡な態度だ。二人とも僕の一番親しい女の子なのに……

 僕はいよいよ普段のグループの外にいるスリザリンの女の子に声をかけようとした。

 「ダフネ────」

 彼女は僕の視線に気づくや否や、サッと食事を切り上げ、席を立って大広間を出て行った。信じられない。申し込む前に拒絶されてしまった。

 ようやくあたりのおしゃべりは徐々に復活してきたが、僕の心には冷たい風が吹いていた。クラッブに慰めてもらおうと横を見ると、彼まで何やら固い顔をしていた。

 いや……確かに軽率だったかもしれない。スリザリンの談話室でパートナーを募った方が、まだマシだっただろう。でも、そんなつれない態度を取ることないじゃないか。僕は内心涙を流していた。これで、僕らの学年の聖28族の女子全員に僕は断られたことになってしまった。

 

 こうして、「同学年のスリザリン生の適当な純血の名家の女の子にパートナーになってもらおう」作戦は早々に破綻した。

 

 

 

 「流石に傷つくな」

 トーストにバターを塗りながら僕は肩を落とす。

 「……100%、自業自得ね」

 次の日の朝、地下の厨房のテーブルで僕と二人で朝食をとったハーマイオニーは深々とため息をついた。

 彼女はフレッドとジョージから厨房への入り方を教えてもらい、屋敷しもべ妖精の実態調査のために度々ここを訪れている。僕もハーマイオニーが何をしているのか気になったので、たまに朝食をハリーとロンとも一緒にここで食べるようになっていた。今日は土曜日のため、二人ともまだ朝寝を決め込んでいるらしい。

 

 ハーマイオニーの言葉に僕はさらにがっくりきてしまった。そんなに……嫌われるようなことをしたつもりはないのだが……やっぱり、風紀委員のような真似をしていると、内心よく思われないのだろうか?

 落ち込む僕を、ハーマイオニーはとても面白そうに眺めている。君、そんな人の不幸を喜ぶ子じゃないだろう。

 半目で彼女を睨む僕に、それでもハーマイオニーは愉快そうな口調を隠さず口を開いた。

 「あのね……別にあなたが嫌われているわけじゃないのよ? むしろ逆ね。同じ学年の子で、あなたが良い人だって知らない子はいないんじゃないかしら?

 でも、それがダメなのよ」

 なぜそれがいけないというのだ。訝しみながらも口にトーストを入れてしまい返事ができず首を傾げるしかできない僕に、ハーマイオニーは話を続ける。

 「だって、あなたは誰にでも優しいでしょう? 最初はあなたの態度でくらっと来ちゃったとしても、徐々に自分はそう言う相手だと見られてないんだなって分かっちゃうのよ」

 

 「でも、それだったら友達としてパートナーになってくれればいいじゃないか」

 ようやくしゃべれるようになって反論する僕に、ハーマイオニーは少し呆れを滲ませた。

 「分かってないわね。せっかくこんな機会なんだから、自分のことを恋愛面で好きになってくれそうな相手と一緒に行きたいに決まってるじゃない」

 ……そうか、恋愛ごとのイベントなんだな、ユール・ボールは。ようやく僕は、自分が家での社交場のノリをそのまま引きずって、体面さえしっかりできていればそれで良いと考えていたことに気づいた。

 

 「そういうものか……」

 しみじみと言う僕に、ハーマイオニーはやれやれ、と言った様子で肩をすくませた。

 「そういうものよ。

 ……あなた、もともと自分が他人にどう思われているかよく分かっていないところがあったけど、その上恋愛について疎すぎるわね」

 僕の立場が相手からどう思われるかは細やかに分析しているつもりなのだが……この状況を読みきれなかった時点で、僕はハーマイオニーの意見に異を唱える自信を失ってしまった。

 思わず肩を落としながら、僕は皿の上の焼きトマトを突き刺す。

 「パートナー、どうしようかな。年が同じ以上の純血のスリザリン生と一緒に行きたかったんだけど。こんなところで、角を立てるような真似したくないし」

 ハーマイオニーは呆れを通り越して眉に皺を寄せた。

 「その台詞は女の敵すぎるわね。安心しなさい。どうせ嫌ってほど申し込みが来るわ」

 「……さっき言ってたことと矛盾してない?」

 首を傾げる僕に、ハーマイオニーはフンと鼻で笑った。

 「だから『徐々に』って言ったでしょう? まだあなたの人柄全部を分かっていない子で、あなたに優しくされたことがある女の子が山ほどいるわ。特に下級生なんか、すごいでしょうね。

 だから、パンジーやミリセントはあなたに冷たく返事したのよ。その子達に目の敵にされたらたまったものじゃないでしょう?」

 「……そういうもの?」

 「そういうものよ」

 それはそれで面倒な……人の好意を無碍にするような真似はしたくないのだが。どうやって断るのか色々と考えなくてはならない可能性に、僕は憂鬱な気分を抑えられなかった。

 もっと機械的にペアリングすればそれでいいと思っていたんだが。

 

 「こういう恋情が絡むイベントって予想以上に面倒なものなんだな……じゃあ、パートナーが見つからない子に斡旋事業、みたいなことも軽率にしない方がいいのかな」

 なんの気なしに言った言葉に、ハーマイオニーはいよいよ怖い顔をして僕を睨んだ。

 「そんなことしようとしていたの? やめなさい。変な恨みを買いかねないわよ」

 すごい迫力だ。僕は思わず視線を横にずらし、言い訳を紡いだ。

 「でも、僕みたいに恋愛に興味ないけど、世間体があってパーティーに行かざるを得ない人間には便利だと思うんだよ。それこそ、ハリーやロンとかも自分から積極的にパートナーを誘いに行けるタイプじゃないだろう?」

 返事はすぐ返ってこなかった。ハーマイオニーの方に目をやると、彼女は俯いて自分の皿の上のビーンズを見つめていた。

 「……ええ、そうね」

 ようやくハーマイオニーは返事をしたが、さっきまでと雰囲気が全然違う。この空気の意味を察かねている僕に、先に彼女の方が沈黙を破った。

 「ねえ、あなた……ハリーとロンが誰を誘おうと思っているか知ってる?」

 随分真剣な口調だ。

 「いや、全然知らないけど。君なら、本人たちに直接聞けば……」

 そこで流石の僕も黙った。俯いても見えている彼女の耳が見る間に赤くなったのだ。これは……そういうことなのか? 思わず僕はカトラリーを置いて居住まいを正した。

 「……どっちのことが知りたいの?」

 おずおずと聞いた僕の肩に、ハーマイオニーの手が飛んだ。最近彼女は結構容赦がない。

 「ごめん、ごめんって!」

 慌てて謝った僕に、ハーマイオニーは目を釣り上げながらも自分の椅子に座り直してくれた。

 

 また、しばらく沈黙が続いた後、ハーマイオニーが口を開く。

 「ハリーはチョウのことをずっと目で追ってるわ。レイブンクローのシーカーのチョウ・チャン」

 つまり、ハリーではないと。ということは……ロン!?

 思わず僕は目を見開いてハーマイオニーを見る。彼女は再び視線を下に戻してしまっていた。

 正直、ハーマイオニーが好きになる相手として、なかなか考えられない人選のように思えてしまう。去年の大喧嘩もそうだが、彼女とロンは小さな小競り合いが多い。ロンはハーマイオニーの優秀さを認めたくないのか、彼女を小馬鹿にするような発言をしょっちゅうしていたし、ハーマイオニーだってそれには反発していたはずだ。その上、ロンは嫉妬により命の危機に瀕している親友を無視するという、あまりにも大きな欠点を晒したばかりだった。

 

 驚きのあまり言葉を失っている僕を見て、ハーマイオニーは眉を顰めて取り繕うように言葉を発した。

 「あなたも知ってると思うけど……悪いところばかりじゃないわ」

 「いや、それはそうなんだけど……」

 なんとも言い難い心情が顔に現れているだろう僕を見て、ハーマイオニーはボソボソと喋りだす。

 「……私ってあんまり人に好かれないでしょう?

 いいわ、別に慰めようとしなくて。成績が良ければ妬まれるし、ルールを守らせようとすれば規則の大切さを分かっていない人たちに疎まれるのは当然だもの」

 口を開こうとした僕を、ハーマイオニーは視線で制する。

 「でも、ロンってそういう人たちの中にいて、私をその輪の中に入れてくれるのよ。彼自身明るいし、面白いし……そういうとき、とっても救われた気持ちになるのって、当たり前じゃない?」

 だからそのロンが好きだと。なるほど……理屈は理解できる。

 「まあ……分かるよ。僕らみたいな人から『真面目タイプ』だと思われがちな人間にとって、彼みたいな、いるだけでその場を明るくしてくれる人間は正反対だからこそ貴重だよね」

 ハーマイオニーは頬を染めて頷いた。

 

 「じゃあ、ロンに気になっている人がいるか聞いてみようか?」

 僕が今度こそ親切心で言った言葉に、やはりハーマイオニーは眉を吊り上げて首を振った。

 「あなたは何もしないで。あなたが恋愛感情に対する理解がなさすぎることは、今回の件で嫌というほど分かったから」

 そんなにか。しょぼくれる僕を見て、ようやく彼女は少し微笑み、朝食の続きを食べ始めた。

 

 

 

 ハーマイオニーの言っていたことは当たった。

 その日の午前中のうちから、スリザリンだけでなく一度か二度話したことがある程度の女の子たちが、ひっきりなしに僕のところにやってきてた。大抵の場合グループで僕を捕まえ、ユール・ボールのパートナーは決まっているか聞くのだ。

 幸い、多くの子がストレートに「一緒にパーティーに行ってください」とは言わなかった。なので、僕と同じか年上のスリザリン生と行くつもりだと話すことで、ほとんどの申し出を切り抜けられた。

 

 その中にはジニー・ウィーズリーまでいた。彼女は同い年のグリフィンドール生と徒党を組んでやって来て、その内の一人が僕に声をかけるのを友達とキャアキャア言いながら見ていた。

 流石に耐えかねて、僕は去り際に彼女に「頼むから僕に声をかけても無駄だと同い年の子に言ってくれ」と頼んだ。

 ジニーは面白そうに「でも、あなた本当にみんなに親切だから、四年生以上がパートナーになってくれないとパーティーに出られない子にとっては頼みやすいのよ」と笑っていた。どうやら僕は下級生にとってはうってつけの「ユール・ボール行きチケット」になってしまったらしかった。

 

 

 

 スリザリンの下級生にも僕がユール・ボールの相手をどうするつもりなのか聞いてくる子はいた。ほとんどは決定的に僕に申し込む前に、相手が事情を察して去ってくれたのだが、そうではない場合もあった。ダフネの妹のアストリア・グリーングラスがその一人だ。

 彼女は去年入学してきたところの二年生だ。体が弱いらしかったので、確かに色々と世話をすることはあった。しかし、その時点の僕にとっては、「庇護すべきスリザリンの後輩の一人」としての認識しかなかった。

 

 流石に追いかけ回されるのにうんざりして、僕は「目眩し呪文」をかけて校内を一人で歩くことが多くなっていたのだが、それをアストリアは待ち構え、寮に入るところを捕まえたのである。突然自分の腕を掴んだ年下の女の子に驚く僕をよそに、彼女は人目につかない寮の廊下に僕を引っ張っていく。少し歩いて振り返ったアストリアの後ろの壁際には、心配そうな顔をしたダフネがいた。

 

 アストリアは行動の大胆さに反して、ちょっと緊張したように口を開く。

 「あの……私……あなたとユール・ボールのパーティに行ってあげてもいいわ」

 ……は?

 今までの子達とは全く方向性の違う言葉に僕は思わず言葉を失った。控えめな態度と話している言葉が乖離している。視線をずらすと、アストリアの背後のダフネは顔を覆ってしまっている。

 「えっと……それは……どういう……」

 状況を飲み込めず、頭に疑問符を浮かべている僕に気づいていないのか、彼女は頬を染めながら話し続ける。

 「あなた、私に色々してくれたでしょう? 医務室に連れて行ってくれたり、寒くないようにって保温魔法をかけてくれたり。だから……お礼に、パートナーになってあげてもいいわ」

 なん……何? 目の前の現実についていけない。後ろのダフネも、床に崩れ落ちそうになっているのが見える。

 何故か僕に対しパートナーになる許可を出すアストリア。そもそもアストリアにパートナーになってほしいと思っていない僕。おそらく事情を理解してしまっているダフネ。すごい状況だ。

 

 なんとかアストリアに恥をかかさずにこの場を切り抜ける方法を、僕は頭を高速で回して考えた。

 「あの……ありがとう。でも、見返りが欲しくてそういうことをしていた訳じゃないから」

 アストリアは怪訝な顔をして首を傾げる。

 「違うの? 私のことが気になるから、そういうことをしていたんじゃないの?」

 違うが? もし僕に全く関係のない話だったら、笑ってしまっていたかもしれない。しかし、この不幸な勘違いをした後輩の女の子を傷つけるのは、なんとしてでも避けたかった。

 僕は神妙な顔を崩さず返事をする。

 「いや……うん。そういう訳ではないんだ。でも、気を遣ってくれてありがとうね。僕はスリザリンの上級生の誰かと行こうと思ってるから。いや、申し出は本当にありがとう。それじゃあ」

 居た堪れなくなり、僕はアストリアを残して素早くその場を後にした。彼女は追ってこなかったが、ダフネは僕が男子寮に逃げ込む前に追いついてきた。

 

 

 ダフネは笑いたいようなホッとしたような複雑な顔をしている。彼女は妹がこちらにきていないことを振り返って確認し、口を開いた。

 「あの……うまく断ってくれて、ありがとう。びっくりしたでしょう?」

 流石に否定はできない。僕は頷いてダフネに言葉を返す。

 「……どうしてあんなことになったの?」

 僕の質問に彼女はため息をついて答えた。

 「あの子、体が弱くて、それにとっても可愛い顔をしてるでしょう? 親はそりゃあ可愛がるわよね。それで、あんな感じになっちゃったのよ。

 私、言ったのよ? ドラコは誰にでもあんな感じで、あなたが可愛いから親切にしているんじゃないのよって。でも、聞く耳持たないのよ」

 なるほど? その割には、少し親切にしてもらっただけで人のことを好きになっている。案外、自己肯定感が低いんじゃないか?

 僕は内心の考えを表に出さず、ダフネに対して口を開いた。

 「まあ……自分に自信があるのはいいんじゃない? それに、僕は自己主張できる子の方が付き合いやすくて好きだよ」

 ダフネは先程までの雰囲気を顔から拭い去り、目を吊り上げた。

 「いい加減にして! そういうことを言ってるからこうなるのよ!」

 ここ最近、僕は同級生の女の子に叱られてばかりだ。

 肩を落とす僕を残し、ダフネは談話室の方に早足で去って行ってしまった。

 

 

 

 アストリアの一件を経て、僕はさっさとパートナーを決めた方がいいんじゃないかと考えを改めた。最初は、ユール・ボールの前日にまだパートナーが決まっていない適当なスリザリン生を誘おうと思っていたが、この状況が余計な憶測を招いている事実はもはや無視できない。

 しかし、今度は誰を誘うかが問題になる。次誘ってきたスリザリンの上級生にしようと心を決めたもの、悲しいかな、僕の正体が割れているのか、なかなかお誘いは来なかった。

 

 そんなこんなで僕は下級生から隠れる毎日を過ごす羽目になった。もう断るのも面倒なのだ。もともと得意な呪文ではあったのだが、ここ数日で僕の「目眩し呪文」はエキスパートの域に近づきつつあった。

 

 その日の午後、最後の授業が終わり、僕はクラッブとゴイルに断って姿を消す。足音を呪文で消すのは面倒なので、遠回りして人通りの少ない廊下をそろそろと歩く。そこに、二人分の足音がやってきてしまった。

 思わず足を止めて、近くにあった鎧の陰に隠れる。うまく周囲の風景と同化できているとは思うが、物陰にいた方がばれづらいだろう。

 

 しかし、そこにやって来たのは下級生ではなく、パンジーとフレッドだった。思わず息を吐いて二人に声をかけようとしたが、その前に話し出したパンジーの雰囲気に、僕は固まった。

 パンジーはひどく悲しそうな顔をしていた。

 「──ごめんなさい。やっぱり、無理そうだわ。

 パパはあたしがスリザリンの純血以外と行くなんて、考えたくないって」

 彼女の言葉に、僕はこの空気の意味を察した。

 フレッドは優しく、パンジーに気を遣わせないように肩をすくめた。

 「まあ、分かってたさ。気にするなよ? 俺だって他に当てがない訳じゃないんだから」

 彼の軽い、しかし温かい言葉にパンジーは俯く。

 「ええ、そうね……」

 そのまま黙ってしまったパンジーを見て、フレッドは軽く彼女の肩を叩き微笑んだ。

 「マジで気にするなよ? ……しょうがないさ、学生のうちは……」

 

 しばらくして、フレッドがグリフィンドール寮へと階段を登って行ったところで、ようやく僕は「目眩し呪文」を解いた。鎧の影から突然姿を現した人間に、パンジーは驚いて飛び退く。

 潜んでいた不届きものが僕だと気づき、彼女は思いっきり顔を顰めた。

 「聞いてたの?」

 パンジーの厳しい口調に、僕は思わず一歩下がる。

 「……ごめん、でも僕がいたところに君たちが来たんだ」

 「でも、盗み聞きしたんでしょう?」

 彼女の眼光は鋭い。確かに、その場に彼らがやって来たところで術を解けばよかったかもしれない……僕はうなだれることしかできなかった。

 「……ごめんなさい」

 

 パンジーはしばらく顰めっ面で腕を組んでいたが、深くため息をつくと口を開く。

 「……誰にも言わないで」

 「言わないよ」

 僕の言葉に、パンジーは少し俯いた。

 「……そうでしょうね。あなたが言わないって、分かってるわ」

 幸いなことに、僕はそのあたりの信頼はちゃんとパンジーの中で築くことができているようだった。彼女はようやく雰囲気を少しだけ柔らかくした。

 

 再び廊下に沈黙が落ちる。僕はパンジーになんと声をかけたらいいかわからないでいた。

 パーキンソン家は聖28族だし、「血を裏切るもの」のウィーズリー家と仲良くしてるのは普段だってよく思われていなかったのかもしれない。ユール・ボールのパートナーにフレッドを選んだ日には、親の厳しさによっては勘当されてしまうだろう。自分が今は仕方がないと従っている因習で苦しむ女の子を前にして、僕はいうべき言葉を見つけられなかった。

 黙り込む僕をちらりと見てパンジーは口を開く。

 「……何も聞かないのね」

 「言いたくないんだったら、聞かないよ」

 僕の言葉に、パンジーは再び俯いた。

 

 気まずい沈黙が落ちる。それでも、僕はなんとかパンジーにいつものような元気さを取り戻して欲しかった。

 「ねえ、パンジー、もしよければ僕とユール・ボールに行ってくれない? ……嫌じゃなければだけど。

 それで……僕は途中でダンスは飽きちゃうかもしれない。そのあと、君が誰と踊っても……あんまり皆気にしないんじゃないかな?」

 根本的な解決ではない。けれど、正式なパートナーでないなら、親からの追及を避けることもできるだろう。これが今の僕にできる精一杯だった。

 パンジーは目を見開いて僕の顔を見る。少しして、彼女は大きく息を吐いたあと微笑んだ。

 「……いいわよ。どうせ、一番行きたい人は断っちゃったもの。

 あーあ、あたしって優しいわね。あなたみたいな爆弾と一緒にダンスしてあげるっていうんだから」

 すごい言い様だ。それでも、僕はにっこり笑って彼女にお礼を言った。

 

 

 



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パートナー選び

 

 

 

 翌日、早速パンジーは「僕に跪いて頼まれたので、仕方なくパートナーになった」と学校中に吹聴し始めた。

 確かに、これ以上誘いを受けないという目的を考えれば有り難くはあるのだが……決定的に僕の尊厳が毀損されているように思うのは気のせいだろうか。それでも、ミリセントとダフネが、パンジーに驚愕と畏怖の眼差しを向けた後、「絶対にやめておいた方がいい」と説得を試みているのを見た後では、パンジーの振る舞いに文句を言う気にはならなかった。

 フレッドはパンジーから事情を聞いたらしい。彼からは朝食の席で肩にキツい一撃と「ありがとうな」という囁きをいただいた。僕としても彼のような人気者に恩を売っておくのは悪くない。ニッコリ笑って頷く僕の前髪をぐしゃぐしゃに掻き回して彼はグリフィンドールのテーブルに戻って行った。

 噂は早々に回ってくれたらしく、ホグワーツ生で僕にパートナーがいるかと聞いてくる子はほとんどいなくなった。いたとしても、もうパートナーがいると断れるので気楽なものだ。ここで僕はようやく、他人のことにまで目を配る余裕ができた。

 

 クリスマスまで十日を切り、のんびりパートナーを考えていた子たちもいよいよ尻に火がつき始めたようだ。といっても、スリザリンはやはり他寮より圧倒的に早くペアが決まっていたので、高みの見物を決め込んでいた。

 

 しかし、僕のユール・ボールの苦難はまだ終わらなかった。

 

 水曜日の朝、大広間のスリザリンのテーブルに、珍しくビクトール・クラムがやってきた。他のダームストラング生は、彼らの学校の校風──校長の影響による純血主義──もあって良くスリザリンのテーブルで食事をとっていたのだが、クラムはカルカロフのお気に入りであるせいか、あまり帆船から出ているところを見かけない。一番頻繁に彼を目にしたのは図書館ではないだろうか?

 クラムはいつものむっつりとした顔で僕の隣の席に腰を下ろした。挨拶を交わした後、彼はそのまま目の前にある朝食にも手をつけず黙ったままだ。どうしたのだろう? 少し気になり、僕は声をかけた。

 「こちらにあるポテト、召し上がりますか?」

 彼は首を横に振った。相変わらず愛想のない態度だ。

 話しかけられたくないと判断し、僕は自分の食事を再開したのだが、彼はこちらをチラリと見て口を開いた。

 「あー……君に聞きたいことがあって。君とたまに一緒にいるグリフィンドールの女の子、分かるかな?」

 彼はブルガリア語でこちらに話しかけた。近くにダームストラングの生徒もいないし、周りに聞かれたくないのだろう。この時点で僕は不穏な空気を感じ取っていた、というより、この話がどこに帰着するのか半ば察していたのだが、話を切り上げるわけにもいかなかった。

 「……よく図書館で本を読んでいる、真面目そうな女の子のことですか?」

 僕の言葉にクラムは頷く。……これは……

 「君、彼女と一緒にユール・ボールに行くわけではないんだよね?」

 ……やっぱりそうか。

 「違います。僕はもう別にパートナーがいますよ」

 内心の複雑な思いを隠して、僕はにこやかに答えた。

 クラムとハーマイオニー……接点なんてあったか? と首を傾げたくなったが、そういえば彼は頻繁に図書館に来ていた。卵が先か鶏が先か知らないが、そこで彼女を見て惹かれた、ということなのだろう。

 

 もし事情を全く知らなければ、誘ってみればいいんじゃないですか? とでも平気で言えただろう。生憎僕はハーマイオニーの思いを知ってしまった。しかし、それでも「無理だと思いますよ」なんて、彼女の断りなく言うのも両者に対して失礼だ。

 

 考え込む僕をよそに、クラムはグリフィンドールのテーブルの方を振り返り何かを確認している。

 「あの……彼女と良く一緒にいるハリー・ポッターや、赤毛の男の子は申し込んだりしていないかな?」

 そりゃあ気になるだろうなあ。クラムがホグワーツに来てからハリーとハーマイオニーはずっと二人で対抗試合に向けて色々策を練っていたし、第一の課題が終わってからは仲直りしたロンもそこに加わる。どちらかとユール・ボールに行くことは当然とすら言えるかもしれない。

 しかし、直接三人の誰かが言っていたわけではないのだが、彼らの中の誰にもまだパートナーはいないようだった。ここ数日僕は誰かに隙を見せないために逃げ回っていたし、状況がどうなっているのか知る機会がなかったのである。

 心情的にも、持っている情報的にも、なんとも答えかねる質問に、僕は曖昧な答えを返すしかなかった。

 「さあ……ちゃんと聞いたわけではないですが……まだのような……でも、普段から仲がいいですからね……」

 クラムはいつもより不安げな顔をして僕に礼を言うと、朝食もとらず席を立って行った。

 

 どうなんだろうな、これは。僕としてはロンがハーマイオニーを恋愛対象として見ているようには思えなかったので、二人が友人以外としてペアになるのは難しいのではないかと考えていた。ロンが別の人をパートナーに、と望んでいるのであれば、これは別に忌避する事態でもないのかもしれない。

 

 それにしても……恋愛感情は人の理性を弱めるから厄介だ。普段その人なら絶対しない挙動を平気で誘発する。

 客観的には軽く、主観的には重い問題の煩わしさに、僕は心中で深くため息をついた。

 

 

 

 そして、その日の夜、僕は寮に戻るところでハーマイオニーに捕まった。誰もいない空き教室で、彼女は嬉しいような、恥ずかしいような、怒っているような、複雑な顔をして口を開いた。

 「私──ビクトール・クラムからの誘いを受けたわ」

 なぜ僕に報告する。思わずそう考えてしまったが、ハーマイオニーの事情もクラムの事情も聞いておいて、ほっぽり出すのも何か違うと思い、僕は彼女の話をちゃんと聞くことにした。

 「……なんで? ロンはよかったの?」

 僕の言葉にハーマイオニーは口を引き結ぶ。

 「だって──あの人、私のことなんてまるで目に入ってないのよ? 顔が良ければいいって感じだわ。フラー・デラクールが近くにいるときの顔、見たことある?」

 「そ、そう……」

 ハーマイオニーの剣幕に、僕は思わず気圧されてしまった。

 確かにロンは、容姿の良い女の子にコロッと行くタイプだ。僕はワールドカップでヴィーラの影響を一番受けていた彼の様子を思い出した。この年頃の男子としては普通だと思うが、それでハーマイオニーを雑に扱ったりしているのは良くないと言えるかもしれない。

 

 なんと返事したら良いか測りかねている僕に、ハーマイオニーは何かもじもじとしていたが、意を決したように口を開いた。

 「ねえ、あの……あなた、歯の呪いってかけられる?」

 いきなり話が読めなくなった。

 「何がしたいの?」

 首を傾げて聞く僕に、ハーマイオニーは顔を赤らめながら、ボソボソと言葉を紡いだ。

 「歯の呪いで前歯を伸ばして……それをマダム・ポンフリーに直してもらえば、今より縮めることもできるんじゃないかって……」

 なんと、自分の容姿を気にして、僕に呪いをかけさせてまでそれをどうにかしたいと考えているらしい。

 「そんなことわざわざする必要ある?」

 理解できないという感情を隠さない僕に、ハーマイオニーは赤い顔のまま、ヤケになったように答えた。

 「ユール・ボールみたいなイベントには、できるだけまともな顔で行きたいって思うのって、当たり前じゃない?」

 「でも、今のままでも十分かわいい──」

 ハーマイオニーの手の平が僕の頬を打った。本気で叩かれたわけではないが、それなりの衝撃が顔の側面に走る。あまりに唐突な平手打ちに、僕は思わず少し横によろけた。

 

 なんとか気を取り直して、ハーマイオニーに向き直る。

 「いきなり人を殴るのは良くない!」

 僕の抗議の声をハーマイオニーは冷たい視線で却下した。

 「……それ、父親みたいな心情で言ってるつもり? あなた、本当に刺されないように気をつけることね」

 あまりにも冷え切った声色に、僕は反論を飲み込んでしまった。そんな、「月夜ばかりと思うなよ」みたいな脅迫を喰らうぐらいのことを言ったつもりではなかったんだが。

 それでも、僕はハーマイオニーに呪いをかけるのは気が進まなかった。

 「でも、クラムは別に着飾っていなくても、君のことが気になって誘ったんだろう?」

 ハーマイオニーは音が聞こえるのではないかというくらい鋭い目つきで僕を睨んだ。

 「そういう問題じゃないのよ。つべこべ言わないで。やってくれるの? くれないの?」

 それは、今まで僕が聞いた彼女の言葉の中で、一番凄みのある口調だった。

 

 結局僕は脅迫に負け、僕は医務室の前の廊下までハーマイオニーと一緒に行って彼女の歯に呪いをかけた。

 

 

 

 いよいよクリスマスまで一週間を切った学期末最終日、僕は昼食の席でロンとハリーに捕まえられた。最近、こんなことばっかりだ。彼ら二人は今日中にパートナーを捕まえることを決意したらしい。ハリーはチョウ・チャンに声をかけると決めているらしいが、ロンは誰が良いとすら決まっていないらしかった。

 「一緒に行きたい相手も決めずにパートナー探し?」

 それこそハーマイオニーの良いところなんていっぱい知っているんだから、さっさとそこに気づいて申し込めばこんなことにならなかったのに。特定多数の中からだったら誰でも良いと思っていた自分のことを完全に棚上げして言う僕を、ロンは眉を寄せて睨みつけた。

 「うるさいな。君はパンジーに土下座して頼んだんだろ?」

 噂はしっかりグリフィンドールまで届いているらしかった。まあ……いいさ。それで平穏が買えるなら。僕は心の中で負け惜しみを言った。

 「そんなこと言って、君も誰かの足元にひざまずく羽目になっても知らないぞ」

 

 八つ当たりで言った言葉だったが、それは半分現実のものとなってしまった。

 

 その日の夕方、人の多い玄関ホールでのことだった。たまたま一緒になり、周囲には多くのスリザリン生とグリフィンドール生──そしてボーバトンの生徒がいた。

 その中にはフラー・デラクールとセドリックがいた。二人は代表選手同士仲良く話していて──フラーが自然に髪を靡かせたときだった。突然、隣にいたロンはそちらの方へフラフラと歩いて行き、大きな声で彼女に話しかけた。

 確かにロンはひざまずきはしなかった、しかし、フラーに対して妙に恭しく、天にも昇るような口調でダンスパーティへ一緒に行く申し込みをしたのだった。

 「完全にやらかしたって感じだな」僕の隣にいたクラッブが呆れと愉快さを隠さず僕に耳打ちした。

 

 あまりにも異様な光景に、周囲からの視線が集まる。フラーは突然目の前に現れた闖入者に、蔑みを僅かに滲ませた一瞥を投げかけていた。

 その視線にロンは我に返ったようだ。彼はハッとした顔になって辺りを見渡すと、瞬く間にグリフィンドールの寮へと続く階段へ走っていってしまった。

 

 周囲の視線はもう一人の当事者に集まったが、フラーは何もなかったかのようにセドリックの方へ向き直り会話を続けた。徐々に観衆も興味をなくし、大広間へと向かっていく。

 

 「なんでロンはあんな真似しちゃったのかしら?」

 ミリセントは心配そうにロンが走っていった階段の方を見た。

 「流石お調子者の代名詞、ロン・ウィーズリー。期待を裏切らないよな?」ザビニは心底愉快そうに笑っている。

 僕らスリザリン生の集団はよく知るグリフィンドール生による公に晒された醜態に食いつき、その場でおしゃべりをしだした。それにしても、おそらく自分の意図しないところでこんな真似をしてしまったロンも、ロンによって好奇の視線に晒されることになったフラーも気の毒だ。

 「かわいそうに……当てられちゃったんだろうね。彼女、多分ヴィーラか何かの血筋なんだ」

 僕の同情に同意するスリザリン生はミリセントくらいのものだった。

 

 

 翌日、僕はハリーから彼自身はグリフィンドールのパーバティ・パチルと、ロンはその双子の姉妹のパドマとユール・ボールに行くことになったと教えてもらった。

 それぞれにパートナーが決まり、何もかも一件落着、となればよかったのだが…………ハリーは彼の先を越してチョウをパートナーにしたセドリックに妬いてるし、ロンはハーマイオニーのパートナーに異常な関心を向けている。

 ロンはともかく、ハリーは普段人に敵対心なんて滅多に向けないというのに、チョウのこととなると彼はどうもいつもと様子が変わってしまった。

 

 やはり恋愛というのは、面倒なことこの上ない。

 

 まだ始まってもいないのに各所で軋轢を生んでいるユール・ボールに、僕は閉口するしかなかった。

 

 

 

 

 



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第二の課題の対策

 

 

 

 ユール・ボールの相手も決まり、事情を知る女の子には追いかけ回されなくなったハリーには時間の余裕ができた。彼はこの冬休みを利用して、まだ二ヶ月は先の第二の課題に着手しようと考えたようだ。ご執心の相手であるチョウ・チャンを、セドリックが先んじてパートナーにしてしまったことが課題へのやる気につながったらしい。第一の課題でハンガリー・ホーンテールから掠め取った金の卵が次のヒントになっており、手始めにその解読に取り掛かったとハリーは僕に告げた。

 

 「……それで僕に頼るのは上手い策ではないんじゃない?」

 僕の言葉に、ハリーは少しだけ恥ずかしそうな顔をした。

 休暇に入り、一日城の中にいる僕を、またもやハリーは透明マントを使って空き教室に連行した。流石に以前のような手荒な真似はしなくなったが、それにしても見えない相手に突然肩をつつかれるのには慣れない。

 彼の様子を見るに、ハーマイオニーから僕が彼自身に考える力をつけて欲しいと考えていることは聞いたのだろう。それでもハリーは譲る気はないようだった。

 「全部頼りたいわけじゃないよ……ただ、卵の謎を考えるにしても、一人だと考えがまとまらないんだ」

 その考えをまとめるのも手伝いに含まれているような気がするが、そこはいいのだろうか。それに、彼一人で僕のところに来た。いつも一緒の二人をおいてきていることにも、違和感を感じる。

 「ロンやハーマイオニーには相談相手になってもらった?」

 僕の言葉にハリーは肩をすくめて首を振った。

 「ロンは隙あらばハーマイオニーのパートナーを聞き出そうとしているよ。君は知らない?」

 「知っててもハーマイオニー本人が言わないなら教えないよ」

 僕の言葉にハリーはため息をついた。

 「だろうね。それでハーマイオニーはロンを鬱陶しがってるし……

 それに、彼女、まるで僕が何にも考えてないとでも言わんばかりに小言を言ってくるんだもの」

 相変わらず三人組は変なところで噛み合わないことがある。ハーマイオニーは純然たる善意で忠告をしているつもりだろう。けれど、このところハリーも自立心が出て来たし、一方的に諫言をするという態度だと反発を喰らいやすい。ロンはいつも通り身近なところに目が行きやすく、ユール・ボールに心を奪われてしまっているようだし……

 それで僕のところに来たと。これからのことを考えるならば、自分一人で答えを見つけて欲しいと思いもした。けれど、望まずこの危険な対抗試合に出る羽目になってるハリーを前にして、僕に断るという選択肢はなかった。「忠義者」たちの件もあるし、彼に対応力をつけておいてもらって悪い事など何もない。

 「……しょうがないな。でも、君が考える手伝いをするだけだ。いいね?」

 内心を隠した僕の了承に、ハリーはパッと顔を輝かせ嬉しそうに礼を言った。

 

 

 僕は居住いを正し、ハリーに問いかけを始めた。

 「今、君は何を問題だと考えているの?」

 前回とは違い、ハリーは最初から真剣に質問の答えを考えている。

 「……卵の謎をどうやって解いたらいいか分からないこと?」

 僕は首肯し、少しだけ道筋を示す。

 「なら、その『卵の謎』を解くために最初に考えるべきことは何だろう? 前回はドラゴンの分析から対策を始めたよね」

 ハリーは腕組みして目の前の机に置かれた卵をじっと見た。

 「……この卵はどういう特徴があるかってことかな?」

 僕は再び頷く。それに少しだけ表情を明るくしたハリーは、卵を手に取って検分し始めた。

 「この卵は……外側は特にヒントになりそうなところはない。でも、僕の知らない呪文で何かが分かるようになっていたらお手上げだよ」

 確かにそれはそうだ。この魔法界には無数に呪文があり、「知らない魔法でどうにかなる可能性」を排除するのは極めて難しい。

 しかし、前回のドラゴンと同様、そのような重箱の隅をつつくような課題であるともまた考えづらかった。ダンブルドアを始めとした課題の作成者が、適切に代表選手を試したりイベントを盛り上げたいのであれば、試すのは知識量ではなく機転だろう。運の要素は試練の公平性を損ねかねない。

 ただ、この推測をハリーに伝えるのは彼自身も喜ばないだろう。僕は「知らない呪文」の可能性を排除しないまでも、別の観点を先に試すよう話を進めた。

 「そうだね。まあ、この金属に反応する何かを当たるというのも悪くないけど……全体の特徴を把握してからの方が効率的だね。

 まだ何か気になるところはあるかな? 他にもっと重大そうなことがあれば、そちらを先に考えるべきだろう」

 ハリーは僕の言葉を聞いて、卵の上についている留め具のようなものに触った。

 「この卵は開けられるようになってるんだ。それで開けたらすごく大きな音がする。聞いてみる? 指で耳に栓をした方がいいと思うけど」

 「……やってみて」

 

 ハリーは自分の片耳に指を突っ込んでから、片手で器用に卵を開けた。途端にあたりに金切声のような爆音が響き渡る。これは……すごい音だ。この音の大きさはなんだか馴染み深くすら感じる。思わずしげしげと卵を見る僕をよそに、耐えきれなくなったハリーが卵を閉じた。

 「ちょっと、君の耳大丈夫? 何かしておいた方がいいよ」

 ハリーは訝しげに僕を見ている。確かに、そう何度も食らいたい音量ではないだろう。僕はポケットに入っていた飴をスポンジ製の耳栓四つに変え、ハリーに半分渡した。

 「ここまで派手な特徴なんだし、やっぱりこの音から手始めに考えていくべきだろうね」

 

 

 幸いこの音があたりに響いてもこの空き教室に突入してくる人間はいなかった。ピーブズの仕業とでも思ったのだろうか? ここまで大きい音だと効果があるかわからないが、一応防音魔法をかけ、僕はハリーと卵を置いた机を挟んで座り、再び問答を始めた。 

 「『音』とは何だろう?」

 僕の質問にハリーが首を傾げる。

 「叫び声とかの種類ってこと?」

 「それもいい着眼点だけど、これが何か特定するための方法が思い浮かばないな。

 だから、もっとこう……根本的に物理学に関わる話だよ」

 こんなマグルっぽいことを言って変に思われないだろうか? そもそも彼は十一歳までしか非魔法界の教育を受けていないし、知らないかもしれない。それでも、ハリーはきちんと僕の期待に応えてくれた。

 「空気が震えて……とかそういうこと?」

 彼の言葉に僕は思わず笑顔になった。大きく頷き、話を進める。

 「そう。だから、何が震えるかによって当然音色……というか振動は変わる。空気中を移動する音より、鉄パイプなんかを伝わる音の方が早く耳に届いたりするね」

 僕の言葉にハリーは再び顎に手を当てて考え始めた。空き教室に静寂が満ちる。僕は彼が再び口を開くのをただまった。

 促す言葉をかけるまでもなく、彼は何か思いついたようだ。

 「……じゃあ、卵の周りを何かで覆ったり満たしたりして、音がどう変わるか調べてみたら何かわかるかな?」

 「いいね。やってみようか」

 僕はニッコリ笑って準備を始めた。

 

 

 それからハリーは色々な案を試した。二人で耳栓をつけ、卵の開閉を僕が、魔法をかけたり道具を使ったりするのは彼が行った。

 まずローブで卵を覆ってみて、次に金属製の机の足を使って聞こえ方が変わるか調べた。他にもいくつか試行錯誤し、氷結呪文をやってみたあと、僕に机を桶の形にするよう頼んできた。

 「氷結呪文が切れるとき、少し音が変わった気がしたんだ。だから、氷が溶けた水が関係してるんじゃないかって」

 ハリーは僕が作った桶に水を張り、卵を浸けて留め具を開けた。途端にあたりに響いたのはさっきまでの恐ろしい叫声ではなく、何か別のくぐもった滑らかな音だった。二人で顔を見合わせる。

 「変わった!」

 ハリーは喜色満面だった。しかし、音が変わってもそれが何を示しているかはまだ分からない。彼は再び少し考えたあと、出し抜けに片耳を桶につけた。そんなに大きいサイズにしなかったので随分と窮屈そうだ。一、二分して彼は顔についた水を振り飛ばしながら顔を上げた。

 

 「歌みたいな声になっていたよ! 地上じゃ歌えない声を頼りに……奪われたものを探せって。1時間が制限時間だって。

 『地上じゃ歌えない声』がこの卵と同じなら、水の中で探し物をしろってことかな?」

 彼の言葉に、僕は首肯した。

 「その推理に矛盾はないと思う。だから、ここからは水中でどうやって探し物をするかってことだね」

 水中ということは、湖で課題は行われるのだろうか? 呼吸を確保するだけなら簡単な「泡頭呪文」でもできたはずだし、やはり機転さえあればそこまで難易度が高い呪文なしにどうにかなる課題だ。もちろん、湖に住む大イカや水中人をはじめとした魔法生物を考慮に入れなければ、という但し書きはつくが……ドラゴンだって管理下に置かれていたのだ。ダンブルドアなら何か策を練っているだろう。

 

 考えを巡らす僕に、ローブの裾で適当に頭を拭ったハリーがちらちらと視線を向けてきた。実際の対策を考えたいのかと思い椅子に座り直したが、彼は予想外の言葉をかけてきた。

 「ここから先は、一人で考えてみた方がいいかな……」

 思いも寄らない言葉に、つい目を丸くしてしまう。そんな僕の顔を見て、ハリーは恥と負けん気の混ざったような表情をした。

 「前回も今回の卵も、四年生でも授業を完璧に覚えていたら一応どうにかなる課題だっただろう? だから、ここから先、実際水の中でどうするかも多分今までの知識か、少なくとも七年生までの教科書をさらってみたらどうにかなるんじゃないかと思って」

 「僕もそう思うけど……」

 それにしても、ハリーが僕の援助を打ち切らせるとは予想していなかった。少し感慨に耽る僕に、彼はちょっとだけ俯きながら口を開く。

 「ここまで頼っておいてって思った?」

 僕は少し苦笑し、頷いた。

 「そりゃあ、ほんのちょっとはね。でも、前回と今回で君は大いに『考え方』を知ったし、そもそも出たくもない成人用の課題なんだから、恥じたり負い目を感じることはない。君は十二分によくやっているよ」

 僕の言葉にハリーは少し眉を顰めながらも微笑んだ。僕も同い年なんだから、こんな上から目線な発言には複雑な心情になってしまうものなのかもしれない。セドリック・ディゴリーと縁ができてから僕は「嫉妬」という感情に少し注意を向けるようになっていた。僕は自分の言葉の選択を少し後悔する。

 

 けれど、ハリーはそれについては特に触れず、少し考え込んでから再び口を開いた。

 「……君は課題についてどう考えてるの? 何が言いたいのかっていうと、つまり……僕にできると思う?」

 

 「君ならできる。僕が言うなら間違いないだろう?」

 去年と同じ、自意識過剰な僕の台詞に、彼は頬を緩めて頷いた。

 

 

 その後、以前僕が作った課題対策用の呪文集を使って少しだけ魔法の練習をした後、ハリーはグリフィンドール寮に戻っていった。上級生に教科書を借りて水中で有効なものを探すらしい。泡頭呪文に加えて水中人などを退ける呪文や機動力を確保する手段を見つけられたら万全だろう。

 ハリーは筋は全く悪くないし、ここから二ヶ月あればどうにかなるはずだ。僕は期待を込めて彼の背中を見送った。

 

 



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ユール・ボール

 

 

 

 浮ついた気分に破裂しそうな子どもたちで溢れかえったホグワーツ城は、いよいよクリスマスの日を迎えた。クリスマスを学校で迎えるのは二年ぶりだが、こんなに賑わっているのは初めて経験する。朝起きて、僕は友人たちと送り合ったクリスマス・プレゼントを開封するのに勤しんだ。

 

 いつもの家族や学校の知人に加え、今年は新たに何人かからも贈り物をもらった。

 一人はハグリッドだ。彼は魔法薬に使える禁じられた森で採れる草花や動物の体毛を送ってくれた。魔法薬学が僕の得意科目の一つだと知っていたのだろうか? 僕も最近マダム・マクシームにお熱な彼にどんな剛毛も梳かせる櫛を贈ったが、ハグリッドから何かもらうことは考えていなかった。僕は勝手にハグリッドのことをとても好ましく思っているので、浮き足立って自分の薬学用道具の奥深くに贈り物を丁寧に仕舞った。

 もう一人はファッジ大臣だ。彼は子供が好きそうな菓子の詰め合わせを贈ってくれた。雪が降り始めてからも度々手紙のやりとりをしていたが、まさかここまで仲を深めたと考えられているとは考えていなかった。幸いなことにゴマスリ用として、父との連名でファッジ大臣の好む赤スグリのラム酒を贈っていたが、少し心臓に悪いプレゼントだ。

 僕は飴だけを取り分け、後は全てスリザリンの談話室のテーブルに置いておいた。無礼かもしれないが、そもそも僕はそんなに甘いものを食べないし、最近はクラッブとゴイルも菓子類は控え気味だ。常備の飴ももっぱら下級生用になっている。今はユール・ボールに参加する生徒しか学校にいないが、それでも傷む前に全てはけてくれるだろう。

 そういえば、アストリア・グリーングラスもホグワーツに残っていた。ダフネによると、レイブンクローの五年生から招待を受けたらしい。彼女はおそらく外見だけ見て妹を選んだであろうレイブンクロー生とアストリアの間で問題が起きないか恐々としていた。お姉ちゃんも大変である。

 

 

 午後になって、支度に時間をかける面々は早々に寮で準備を始めた。僕はのんびり恥ずかしくない程度に体裁を整えるつもりだったが、パンジーに仮面とはいえパートナーとして適当な格好は許さないと早々に談話室へと連れ戻され、衣装や髪型のチェックを受けた。と言っても、もともと黒い詰襟ローブを着る予定だったので、今になっていじれる場所はほとんどない。ポケットチーフだけは彼女のドレスに合わせて珊瑚色に変えておいた。

 

 大広間が開く八時に合わせ、スリザリン生も一斉に上の階へと向かう。玄関ホールは色とりどりの衣装に身を包んだ子どもたちでごった返していた。上へ続く階段のそばにロンとハリーもいる。ハリーはごく普通のドレスローブだったが、ロンは……控えめに言って独創的な格好をしていた。男性用ローブというより、ゴテゴテとした趣味の悪いローブ・モンタントに見える。

 思わずパンジーと一緒に二人の方へ行く。彼女はロンのそばにいるフレッドと話したいと思ったのかもしれない。フレッドの隣にはアンジェリーナ・ジョンソンがいた。彼はちゃんと事情を話したのだろうか? 不安が胸によぎった。

 そちらへ近づく僕に二人とも気づいた。この後代表選手として人前でダンスをしなければならないハリーは緊張気味で、ロンは自分の衣装にやる気を削がれたのかゲンナリとしている。

 「こんばんは。ロン、その襟はどうしたの?」

 首周りを見る僕の視線に、ロンはうんざりし切った様子で返事をした。

 「元々フリルがついてたんだよ……切り落としたんだ」

 これでも装飾を減らした状態らしい。少し苦笑しながら僕は杖を引っ張り出した。

 「なるほどね。少しほつれちゃってるよ。ちょっと動かないで」

 襟と袖口に杖先を向け、まともな状態をイメージして形を変えていく。ほつれが消えたところで僕は腕を下ろした。

 「変身術だからずっとこの形にしておけるわけではないけど、少しはマシになっただろう。他に変えて欲しいところはある?」

 ロンは顔を輝かせた。

 「全部」

 あまりにストレートな言葉に思わず笑ってしまう。それから数分かけてロンのローブは黒く、妙な柄やリボンのついていない男性的なシルエットへ変わった。ロンは心の底から嬉しそうだ。

 「ありがとう。最高だよ。僕も変身術、ちゃんと勉強しようかな……」

 ロンの言葉に思わず微笑む。真剣に授業に取り組む生徒が増えればマクゴナガル教授はお喜びになるだろう。

 「十二時くらいまでは間違いなく持つと思うけど、過信はしないで。心配だったらパーティの途中で僕のところにおいでよ」

 僕の言葉に今度はハリーが笑った。

 「すごいや。シンデレラみたいだ」

 ハリーの台詞に僕は思わず笑い出しそうになった。気を抜いたら吹き出してしまっていたところだが、魔法界にマグルの間で有名な童話は存在しない。マグルの知識があるとバレないように幼い日に培った危機意識で僕は表情筋を引き締めた。

 

 

 ロンと彼にシンデレラの説明をするハリーの元にパチル姉妹がやって来たところで僕は二人から離れ、パンジーのところに戻った。彼女はやはりフレッドとアンジェリーナとおしゃべりをしている。二人に挨拶をすると、アンジェリーナが僕に顔を近づけ、耳打ちした。

 「あなたも大変ね」

 「聞いたの?」目を丸くする僕に、アンジェリーナはパチンとウィンクをした。

 「ええ。最初から事情を説明されたわ。一発殴ったけど、当然よね?」

 さすが、次期グリフィンドールキャプテン、強さがみなぎっている。それでも彼女にメリットがなさすぎるように思う。

 「でも、よかったの? ぶん殴った後に断ってもいいぐらいだと思うけど」

 僕の言葉に彼女は肩をすくめた。

 「まあ、クィディッチ・チームのよしみよ。元々事情は分かってたし、彼と別れた後に当てがないわけじゃないしね」

 なんだと。僕が気づいていないだけで、パンジーとフレッドの仲を察している人とは意外と多いのかも知れない。アンジェリーナは「もしかしたら後でお相手をお願いするかも知れないわ!」と言ってフレッドとホールへ階段を降りていった。

 

 

 いよいよ代表選手とそのパートナーが呼ばれ、それ以外の生徒は先に大広間へと通された。入り口のところでクラムの横にハーマイオニーを見つけ、僕は小さく手を振る。彼女も準備に時間をかけた組のようで、普段ボサボサと広がっている髪は滑らかに束ねられていた。ハリーもその横で目を丸くしており、ロンは……彼女の方を一切向かず、目の前を通り過ぎた。……嫌な予感しかしない。僕はため息をつきそうになった。

 

 一番奥のテーブルにはいつも通り先生方と、今日は審査員もいた。しかし、バーテミウス・クラウチ氏は不在で、何故かパーシー・ウィーズリーが代わりに座っている。ファッジ大臣も最近クラウチ氏は体調を崩していると手紙に書いていたし、今回も代役なのかも知れない。ウィンキーのこともあり、今はあまり表に出たくない時期だということだろうか。

 ウィンキーは十二月に入ってからホグワーツの厨房で働き出していた。彼女は「忠義者」についての重要参考人なので話を聞きにいったのだが、解雇の悲嘆にくれアルコール浸りになっている彼女はろくに話すこともできなくなっていた。それでもなんとか情報を聞き出そうとする僕に対し、マルフォイ家の嫡男ということもあって、彼女は一切喋らないことに決めたらしい。別にクラウチ氏の内情を聞き出そうとしているわけでもないのだが、この弱った屋敷しもべ妖精は万事を元の主人に結びつけていた。

 

 選手が入場して席に着くと食事が始まった。こんなに大勢でクリスマスのディナーをするのは初めてだ。僕は年甲斐もなく──と言っても、身体的には十四歳なのだが──はしゃいでスリザリンの面々と夕食を楽しんだ。

 

 皆それなりに満腹になると、ダンブルドアが前に進み出て生徒に立つよう促した。人のいなくなった椅子は消え、テーブルは壁際に独りでに寄る。学校が呼んだ人気バンドの「妖女シスターズ」が演奏を始めると、代表選手が中央の空いた空間にパートナーを連れて歩み出た。……ハリーはパーバティに引っ張られるような感じだが、まあ、及第点だろう。しばらくして、他の生徒たちも踊り出す。僕もパンジーと共にダンスフロアに出た。

 何曲か踊り、激しい音楽がかかり出したのを合図に僕らはわきに避けた。フレッドとアンジェリーナを見つけ、二人に近寄る。僕らを見てフレッドは笑顔を向けた、しばらく世間話に花を咲かせた後、パンジーはあたりを見回す。踊りたいのだろう。

 「行っておいで」その言葉に、パンジーはおずおずと僕とアンジェリーナを見た。

 「ごめんなさいね」

 「ドラコ、アンジェリーナ、悪いね」

 フレッドに対し、アンジェリーナは悪戯っぽく微笑んだ。

 「あら、お礼はちゃんと貰うわ」

 アンジェリーナの言葉に思わず僕は彼女に振り返った。何を代償にしたのだろう? 金銭で解決できるものだろうか? 彼らがグッズでそれなりに稼いでいることは知っていた。しかし、これはアンジェリーナなりの気遣いかも知れない。フレッドはニヤッと笑って彼女に頷き、パンジーの手をとってダンスフロアへと出ていった。

 僕とアンジェリーナは二人きりになってしまった。こういうとき、相手を一人きりにするものではないだろう。僕は彼女に向き直って少し傅く。

 「じゃあ、僕としばらく踊っていただけますか?」

 アンジェリーナは差し出された手をまるで危険物のように恐々と見た。

 「うわーっ、ちょっと……嫌ね。でもいいわよ」

 すごい台詞だ。それでも手を取ってくれた彼女をエスコートしながら、僕は少し肩を落として彼女に囁いた。

 「僕でも傷つくんだけどな……」

 しょんぼりする僕を見て、アンジェリーナは首を振って笑った。

 「悪い意味じゃないのよ。ただ、あなたのパートナーになりたかった子っていっぱいいるじゃない? モテる男は辛いわね。だから、後でできる限りたくさんの女の子と踊ってね」

 

 

 結局、アンジェリーナは二、三曲踊るとすぐ別の人のところに行ってしまった。僕は今度こそ壁の花にでもなっていようと考え大人しく椅子に座った。しかし腰を下ろして一分もしないうちに、見ず知らずのボーバトンの女子に声をかけられた。国際的な親睦を深める機会だと捉え、それに了承して再びフロアに出た。

 「僕のことをご存知だったのですか?」

 曲の合間を縫って尋ねる僕に、彼女は微笑んで頷いた。

 「あなた、クィディッチ・ワールドカップで小さなフランス人の迷子を助けませんでした? その子は成人じゃないからここに来ていませんが、あなたのことは噂になっていました」

 あの時の行為でそんなことになっていたのか。

 「あのフラー・デラクールも、あなたをパートナーにしようと考えていました。ホグワーツの生徒に噂を聞いていましたわ。でも、歳が若すぎると思ったのかしら? 先にセドリック・ディゴリーに行って、間に合わなかったようですけど」

 彼女は少し蔑みを滲ませて言った。選手の選考から二ヶ月ほどが経っているが、やはりフラーは同校の生徒からあまり人気を集めていない。彼女を崇めることに抵抗のないような人間ならフラーと上手くやっていけるのかも知れない。しかし我こそは代表選手にと考えていた子たちには、なかなかあの高慢な態度は受け入れられないだろう。

 数曲踊った後、僕は他のボーバトン生に紹介して欲しいとお願いして再びテーブルの方にはけた。踊り疲れたスリザリン生も合流し、ボーバトンとスリザリンでパートナーを変えながら踊る。これで僕の相手が特別目立つことは無くなっただろう。

 

 しばらくして、流石に僕も疲れてきた。次々ダンスのパートナーを変えるせいで休憩する間がないのだ。ゴイルが飲み物を取りに行っている間僕の相手をしてくれていたミリセントに休むことを告げ、僕はこっそりと玄関ホールに出た。

 そこで、僕は誰かとぶつかりそうになった。ギリギリで避けて見ると、相手はアストリアの相手のレイブンクロー生だった。一人でいる様子に目を丸くすると、彼はその視線に肩をすくめて口を開いた。

 「マルフォイ……君のところの下級生はもうちょっと大人しいと思っていたよ」

 その言葉に僕は事情を察してしまった。案の定、アストリアと何か揉めたのだろう。別に「僕のところ」と言うわけではないが……僕は眉を下げて彼に問いかけた。

 「アストリアはどこに?」

 「中庭じゃないかな。入り口から出ていったから」

 彼はそう言うとさっさと大広間に入っていってしまった。

 放っておいた方がいいのかも知れないが、外は雪だ。この寒い中、おそらく薄着の二年生の女の子をほっぽりだすのは気が引けた。僕は足早に外に出た。

 

 アストリアは中庭の回廊にいた。彼女は石造の枠に腰掛け、膝を抱いている。青紫色のドレスは袖が長いがどう見ても防寒性能に欠けていた。なんとも物悲しい姿に、こちらまで寒々しい気持ちになってくる。僕は彼女を驚かせないよう、囁くように声をかけた。

 「アストリア?」

 僕の声に彼女はビクッと体を揺らしこちらを向いた。僕の顔を認識し、彼女はギッと眉に皺を寄せる。

 「何よ。放っておいてくれる?」

 やはりいい印象は持ってくれていないだろう。それでも僕はこの状態のアストリアをおいていこうとは思わなかった。

 「でも、そのままじゃ風邪をひくよ。せめて温める呪文だけでもかけさせて貰えないかな?」

 「別にあなたには関係ないわ」

 「そうかもね……でも、君のお姉さんの友達のよしみということにしておいて貰えないかな」

 彼女はつんとそっぽを向いたが、その体は寒さにカタカタと震えていた。

 僕はそろそろと杖先を向けるが、彼女は振り向かない。小声で呪文を唱えると、彼女の肩に入っていた力が抜けた。唇にも少しずつ色が戻っていく。

 僕が隣に腰掛けても、アストリアはその場を去らなかった。雪が降り積り全ての音が吸い取られる中、静寂だけが耳に届く。しばらくして、彼女は沈黙に耐えかねたのか、自分の膝を見つめたまま、堰を切ったように話し始めた。

 「私のパートナー、私のドレスがレイブンクローカラーだって言ったの。自分のためにこれを着たのかって。だから、私は違うって言ったの。だって、あの人が私を誘ってきてから一週間も経ってないのに……そんなわけないじゃない?って。そしたらいきなり不機嫌になったのよ。……そもそもこれはブルーじゃないわ。バイオレットよ。私の目の色だわ」

 ……なるほど。それを発端に喧嘩になったと。この僅かな交流の機会でもアストリアは高飛車なところがあると僕にも分かる。その上、レイブンクローの彼はプライドが高そうだった。二人ともほぼ初対面だっただろうし、性格の不一致が爆発してしまった感じなのだろう。

 「……そうだね。いきなりそんなこと言われて驚いたよね。人間は本当のことを告げられても傷つく場合があるから厄介だ」

 その言葉に、彼女は僕の方に振り返った後、膝に顔を埋めてしまった。

 

 再び静寂があたりに落ちる。またしばらく待つと、アストリアは顔を伏せたまま少し嗄れた声で話し始めた。

 「パートナーになるのを断ったくせに、なんで優しくするの?」

 僕が彼女を嫌いだから断ったと思ったのだろうか。この年頃にありがちな極端な思考だ。いや、全年齢でか。人は白と黒に分類できないものを、認識できないほどに厭う。僕はアストリアを宥めるためにできるだけ穏やかな声で返事をした。

 「それで縁の全てが切れるわけじゃないだろう? せっかくのお誘いを断ったのは悪かったけど、それでも君が可愛い僕の後輩なことに変わりは無いよ」

 「でも、可愛いのにあなたは私のこと振ったじゃない」

 彼女の声にさらに涙が滲んだ。そこまで僕は思わせぶりなことをしてしまっていたのだろうか? 悲痛な様子に心が痛くなってくる。それでも、僕は辛抱強く彼女を慰めた。

 「別に、パートナーになるだけが人間関係の全てじゃないだろう?」

 僕の言葉に少しだけアストリアは膝から顔をあげる。彼女は目に涙を光らせながらも、僕を睨みつけた。

 「じゃあ、本命の相手がいるくせに私に手を出したいってこと?」

 なぜそうなる。僕は苦笑したいのをグッと堪え、誠実さを取り繕ってアストリアに向き直った。

 「違うよ。恋愛だけが人間関係じゃないだろう」

 「でも、それ以外の関係じゃ、私の可愛さは意味がないじゃない」

 やっぱり、彼女は自分の外見には自信があるのに、他のところには随分自信がないようだった。……まあ、実際初対面からこの性格を全開にしていたらほとんどの子供は彼女を敬遠するだろう。それでこんな感じになってしまったのかも知れない。それでも、今彼女に「君の性格が問題だから直した方がいいよ」なんて言っても何にもならないことは明白だった。

 僕は彼女と目を合わせ、できるだけのんびりした何でもなさそうな口調で話す。

 「それだけが君のいいところではないだろう? 君のずばっとした喋り方、今回は変な風になっちゃったかも知れないけど、僕は好きだよ。真っ直ぐ喋ってくれる人は珍しいから」

 アストリアは目を丸くすると、再び顔を伏せてしまった。

 

 またまたしばらくして、彼女は顔をあげた。もう泣いてはいないが、少しだけ目が赤い。僕は濡れた彼女の膝にテルジオを掛け、目を冷やしながら彼女に話しかける。

 「どうする? もう寮に戻ろうか」

 アストリアはしばらく僕をじっと見つめると、おずおずと口を開いた。

 「……今ダンスの相手がいないなら、私と踊ってくれる?」

 僕は微笑み、できるだけ紳士的に彼女に手を差し出した。

 「もちろん、喜んで」

 

 

 玄関の方に行くと、そこに出来た散歩道には先ほどはいなかった何人かの生徒がいた。パーティも半ばを過ぎて、そろそろ抜け出したい子も出てくる頃合いだったのだろう。僕らはその群れに紛れて大広間に戻った。

 

 フロアで踊っていると、近くの椅子に座っているダフネが見えた。彼女は僕の視線に気づき、嬉しそうに手を振った。お姉ちゃんも大変だな。僕は再びしみじみと思った。

 

 

 結局、「妖女シスターズ」が演奏を終えるまで僕はアストリアと一緒にいた。その間に普段の授業や同級生のことも聞いた。一応彼女が機嫌を損ねない程度に狡猾に、諍いを避けて立ち回るよう促したが……効果はあっただろうか。正直、怪しいものである。

 

 玄関ホールに出るところで、僕は前にロンとハリーを見つけた。

 「ロン、服は大丈夫だった?」

 僕の問いに彼は頷いたが、随分と機嫌が悪そうだった。彼が元見ていたところには、ハーマイオニーとクラムがいた。案の定、面白く思っていないようである。ロンは僕を荒んだ目で見ると、皮肉っぽい口調で話し始めた。

 「ねえ、君知ってたんだろう? アレのこと。ひょっとして君が仲介したんじゃないだろうな──」

 「してない! してない!」面倒ごとの予感に、僕は思わず大声を上げた。

 わちゃわちゃと騒いでいると、突然後ろから「おーい、ハリー」という呼びかけが聞こえた。そこにいたのは、セドリック・ディゴリーだった。後ろにチョウ・チャンを待たせている。ハリーはチョウのことがあって少し冷たい視線を向けているが、彼はそれに気づいた様子はない。セドリックは僕とロンのあたりに、どうにも邪魔っけな視線を向けた。僕らがいるところでは話したくないことなのだろうか? 僕はロンを連れていこうとしたが、その前にセドリックは囁くような声で話し始めた。

「君にはドラゴンのことを教えてもらった借りがある。あの金の卵だけど、開けたとき、君の卵は咽び泣くか?」

 ハリーの頷きに彼は笑みを深める。

「そうか……風呂に入れ、いいか?そして──えーと──卵を持っていけ。そして──とにかくお湯の中でじっくり考えるんだ。そうすれば考える助けになる……信じてくれ。

 そうだな、こうしたらいい。監督生の風呂場がある。六階の『ボケのボリス』の像の左側、四つ目のドアだ。合言葉は『パイン・フレッシュ、松の香爽やか』だ」

 セドリックの言葉に、ハリーは彼が何を言いたいのか悟ったようだった。それでも彼は自分の状況を何とか口に出さず神妙に頷いていたが、セドリックは尾を踏む真似をしてしまった。

 「もう行かなきゃ……おやすみを言いたいからね――」

 その「おやすみ」が誰に向けられたのかに、ハリーはカチンと来てしまったようだ。彼は冷え切った口調でセドリックに応えた。

 「ありがとう。でも大丈夫だよ。僕、もう分かったから。水に浸ければいいって。じゃあね」

 

 ハリーはそう言い捨てると僕とロンの腕を引っ掴み、グリフィンドール塔へ向けて階段を登り始めた。どうしてこうなるんだ。思わず頭を抱えたくなる。何とか何も知りませんという顔をする僕を、しかしセドリックはしっかりと見ていた。

 

 三階にたどり着いたところで、ハリーの肩を叩く。

 「僕、そっちじゃないんだけど」

 「……分かってるよ。でも、聞きたいことがあって」

 明らかに気づいていた感じではなかった。それでも、ハリーはあたりを見回し周囲に人がいないことを確認してから僕に耳打ちした。

 「ハグリッドが半巨人だって知ってた?」

 その爆弾発言に僕は肝を冷やしてしまった。

 「いや……多分そうだろうとは思っていたけど……なぜ?」

 ハリーとロンの話によると、散歩道でハグリッドがマダム・マクシームに話しているところを聞いたらしい。そんな迂闊な……気安くなんでも喋ってしまうところは彼の最大の短所と言ってしまっても過言ではなかった。他に生徒がいたかも知れない。僕は内心本当に心配になってしまった。

 「周りには誰もいなかったよね?」

 「多分……虫くらいのものだったと思うよ」

 僕の問いにハリーは自信なさげに答える。本当だろうな? 彼らがこれを聞いたということが物語にどう関わってくるのか、僕は今から心配でならなかった。

 思わず壁に寄りかかりながら、周囲に防音呪文をかける。ここで話が漏れたりしたら目も当てられない。

 「いや、それにしても……ハグリッドのことを考えるなら、僕にだって言っちゃダメだよ」

 「でも、君は狼人間だってあんな感じだっただろう?」

 ロンの言葉に僕は眉を顰める。だからって……彼らが僕以外には口が固いことを祈るしかない。

 

 その後、ハーマイオニーを除いて他の人には言わないようにと厳しく言いつけ、ついでにセドリックのアドバイスは水中用の呪文を試すのに役立つかも知れないからあんまり無下にしないようにと言い、僕はスリザリン寮へと帰った。

 

 それなりに楽しいユール・ボールだったが、最後に不穏な問題が二つも浮上してきてしまった。

 僕は談話室で今日の思い出を語るパンジーを女子寮に突っ込みながら、深々とため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 




今回アストリアの容姿を作中で言及したので、イメージイラストを置いておきます。

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リータ・スキーターの特ダネ

 

 

 

 僕の予想に反して、残りの冬休みは穏やかに過ぎていった。ユール・ボールで元気を出し切った子供たちは少々ぐったりしながら宿題に精を出している。僕もまた不穏な影に怯えながらも、表立って何かが起こるわけでもないので漫然と日々を過ごしていた。

 

 一つ気がかりだったロンとハーマイオニーの仲は、幸いなことに目に見えて険悪になることはなかった。ロンが臍を曲げてしまうことも覚悟していたので、これはありがたかった。側から見たら彼は横恋慕男にしか見えないことに気づいたのだろうか? とっとと告白でも何でもして上手いところに収まるのが最上だが、今の二人が付き合い始めて長続きするとは思えないし、破局すれば目も当てられない。僕はこの件に関しては静観を決め込んだ。

 それにしても、今年のホグワーツは平和だ。二年目と三年目が物騒すぎたのかも知れないが、それにしたって穏やかすぎる。恒例のハリーが危ないイベントとしてはハロウィーンの選考会に十一月の第一の課題と、一応例年通りと言える。けれど、これまでのクィディッチ第一試合は制御不能な状況下でことが起こっていたのに対し、ドラゴンは安全対策が取られていた。潜伏しているだろう人間もハリーを代表選手にして以来全く動きを見せていないし、何だか拍子抜けしてしまった。

 

 しかし、魔法界全体で見れば不気味な雰囲気が僅かに漂っているのも事実だった。もう数ヶ月前からクィディッチ・ワールドカップの失態や、魔法省に勤めるバーサ・ジョーキンズの失踪が、主にリータ・スキーターの手で取り沙汰されている。クラウチ氏が体調を崩しているのも、「物語」を意識すれば何かあるように思える。僕はファッジ大臣に手紙で探りを入れていたが、彼は「臭い物には蓋」をそのでっぷりとした肝に刻み込んでいるようで、大した情報を持っていなかった。

 それでもなんとか仕入れた情報の中に、一つとても気になるものがあった。バーサ・ジョーキンズはアルバニアで消息を絶ったというのだ。二年前、ダンブルドアは闇の帝王はアルバニアに潜伏していると言っていた。これは明らかに偶然ではない。しかし、彼女に手を出した理由が全く分からない。わざわざダンブルドアの目に留まる危険を冒してまで、魔法省の人間に手を出した理由とは何なのだろうか? 彼女はバグマンの部下らしいし、ワールドカップや三大魔法学校対抗試合の情報はそこで仕入れたのだろうか?

 相変わらず状況は不透明だが、ひょっとしたら学校の外で既に事態は動いてしまっているのかも知れない。この場に縛られている僕は、ダンブルドアが何か手を打ってくれていることを祈ることしかできなかった。

 

 

 そうこうする内に新学期の初日を迎えた。大広間の席には休みが終わってしまい、グロッキーになっている子供たちの顔が並んでいる。僕はいつものようにクラッブとゴイルと朝食をとりながらざっと新聞に目を通し──驚愕のあまり、手を止めた。

 そこには「ダンブルドアの『巨大』な過ち」という見出しと、悪意を感じるほど写りの悪いハグリッドの顔がデカデカと載っていた。記事を読み進めると、案の定それはリータ・スキーターによって書かれたものだった。

 記事の内容はひどいものだった。

 ────マッド‐アイ・ムーディでさえ、ダンブルドアが「魔法生物飼育学」の教師に任命した半ヒトに比べれば、まだ責任感のあるやさしい人に見える。

 ────ハグリッドは、純血の魔法使い──そのふりをしてきたが──ではなかった。しかも、純粋のヒトですらない。母親は、本紙のみがつかんだところによれば、なんと、女巨人のフリドウルファで、その所在は、いま現在不明である。────

 ────フリドウルファの息子は、母親の狂暴な性質を受け継いでいると言える。────

 ────アルバス・ダンブルドアは、ハリー・ポッター、ならびにそのほかの生徒たちに、半巨人と交わることの危険性について警告する義務があることは明白だ。────

 

 彼女は授業の面ではハグリッドを貶めることができなかったのだろう。そこには触れず、ハグリッドの巨人の血筋に関して、悍ましい差別意識を剥き出しにしながら、聞くに値しない偏見を書き連ねていた。いや、確かに一昨年までの彼であればスキーターの見解はゾウリムシの毛ほどには聞くに値したかも知れない。しかし、今ようやく過去の汚名を雪ぎ、一人の教師として立派に職責を全うしているハグリッドに対してのこの仕打ちの下劣さは、僕の許容量を遥かに超えていた。

 

 怒りの余り、逆に自分の血の気が引いていくのを感じる。異変に気づいたゴイルが横から新聞を覗き込み、目を丸くする。彼はそのまま僕におずおずと話しかけた。

 「マルフォイ……自分が目をかけていた教師が半巨人なんかだったからって、余り落ち込まないで。むしろ、そいつの授業を改善できたんだからすごいじゃないか」

 彼のおそらく100%善意で発された言葉に、僕は泣き出しそうになってしまった。幼い頃から一緒にいても「こう」だ。魔法界にこびりついた差別意識は深く、優しさの文脈ですら簡単に口に出される。

 「二度と僕の前で『半巨人なんか』って言わないで。授業を受けてハグリッドがどんな人か少しは知っているだろう」

 何とか穏やかな声を取り繕ったが、流石にゴイルは言葉の裏を感じ取ったようだ。彼は眉を下げて俯いてしまった。いつもなら彼が気に病まないよう、やんわり諭すところだが、今の僕にその余裕はなかった。

 

 リータ・スキーター。偏見を振り撒き、人の弱みに嘴を突っ込んで悲嘆を吸い取る蚊のような女。この狼藉、どう始末をつけてあげるのがふさわしいだろうか。

 僕は自分の中に残忍な気持ちが湧き上がってくるのを止めようとも思わなかった。彼女にも何か理由があったのかも知れないと、僕の良心の部分がささやいていたが、この害悪を野に放つことこそ人道に対する罪だという思いにその微かな声はかき消された。

 

 

 僕は次の授業を休むとクラッブに告げ、朝食もそのままに校庭へと駆け出した。とにかく、ハグリッドが心配だ。スキーターがどうやって彼の事情を知ったのかも気になるし、話を聞く必要があるだろう。しかし、僕はその手段にあらかた見当がつけられていた。

 奴は十二月に入ったあたりでホグワーツに侵入禁止になっている。僕はダンブルドアの目をくぐり抜けて城に入り込む手を「動物もどき」しか知らない。それに、ハリーの言葉が思い出された。「虫くらいのもの」……この真冬にはいささか違和感のある比喩だ。もしこの予想が当たっているのなら、奴は違法なアニメーガスで、しかも虫になって情報をかぎ回っている。報いを受けさせるには最高の条件だった。

 

 雪がチラチラと舞う中、僕は息を切らしてハグリッドの小屋に辿りついた。窓からは室内の暖炉の灯りが見える。念の為あたりに虫がいないか確認して防音呪文をかけ、僕は戸を叩いた。

 「おはよう、ハグリッド。ちょっといいかな?」

 しかし、返事は何も返ってこなかった。中から何やら物音がしたし、小屋にはいるはずだ。僕は諦めきれずに何度も声をかけたが、それでもハグリッドは出てきてくれなかった。

 「ねえ、せめて返事をしてよ。あなたが何か言ってくれるまで、ここを動くつもりはないよ」

 それでもハグリッドは何も答えてくれない。僕は不貞腐れて、扉に背を向けてその場に座り込んだ。どうせ次の時間はサボるつもりだったし、二限は彼の授業だ。それまでここで待ってもいいだろう。

 朝食の席の格好そのままで出てきてしまい、僕はそれなりに薄着だった。一応玄関を出る時に保温魔法はかけたが、冷たい空気にさらされて顔や手が悴む。それでも僕はポケットに手を突っ込んで寒さに耐えた。

 

 

 それから二、三十分が経ち、数十回目のくしゃみをしたところで、背後から音がした。素早く振り返ると、扉を少し開けてハグリッドが覗いているのが見える。彼は僕が顔を向けたのを見て、素早く中に引っ込もうとした。

 慌てて彼が閉めようとしたドアに僕は手を滑り込ませたが、即座にそれを後悔した。彼の力に耐えられるように僕の手はできていなかった。指の骨全てが折れたような音がその場に響き渡る。手のひらが千切れることはなかったのでハグリッドはこれでも加減したのだろうが、それでも痛いものは痛い。思わず呻き声を上げる僕に、驚いたハグリッドは悲痛な顔をして扉を開け、僕の下にしゃがみ込んだ。

 生徒の手のひらをへし折ってしまい恐慌状態に陥る彼に、僕は痛みのあまり朦朧としながらも何とか宥めようと話す。

 「大丈夫だよ、ハグリッド、本当に大丈夫……」

 正直全然大丈夫じゃない。声にもそれは表れてしまったようで、ハグリッドは顔をさらに蒼白にした。彼は泣きながら僕を抱えると、猛スピードで城に向かって走り出す。道すがら彼はまるで独り言のように途切れ途切れに声をかけてきた。

 「すまねえ……俺はいつもこうだ……すぐ医務室に連れていくから……」

 ハグリッドの歩く振動に揺さぶられながら、なんとか僕は彼の肩を怪我していない方の手で撫でたが、「動いちゃなんねえ」という彼の啜り泣きに手を止めざるを得なかった。

 

 

 マダム・ポンフリーは僕の手の惨状に目を吊り上げた。彼女はなぜこんなことになったのか疑いの目を向けていたが、しょぼしょぼと泣きながら事情を説明しようとするハグリッドを制して「事故です」と冷や汗を垂らしながら言い張る僕に、なんとか説得されてくれた。杖で簡単に血を止めて痛みを和らげてくれた後、彼女はこちらをジロリと見る。

 「骨折程度であればすぐ治りますが、午前中はここにいなさい。いいですね?」

 そう言ってマダム・ポンフリーは薬を取りに行った。その場には僕ら二人だけが残される。ハグリッドは彼女が見えなくなると、そろそろと後退りを始めた。帰ってしまうつもりなのだろう。僕はそのまま立ち去ろうとする彼の腕にしがみつき、何とか彼を止めた。

 「ねえ、悪いと思ってるんだったら少しは僕と話して行ってよ。どうせ次の授業までまだ時間はあるじゃないか」

 この言葉にハグリッドはただでさえくしゃくしゃな顔をさらに歪めた。

 「いいや、次の授業は俺がやるんじゃねえ。ダンブルドア先生に頼んで、別の先生にお願いしてもらった」

 「なんで? まさか魔法生物飼育学の先生を辞めるつもりじゃないよね?」

 思わず厳しい目つきになる僕に、ハグリッドは眉を下げて顔を背けた。いよいよ彼はこの場を後にしようとしていたが、痛みもマシになって意識がはっきりした僕は彼の腕を離さなかった。

 ハグリッドはついに根負けしたのか、呻くように言った。

 「お前には分からん……」

 それはそうだろう。僕は自分の立場以外の人間の心情を完璧に想像することなどできない。それでも、それは理解を放棄する理由には全くならなかった。

 「そうかもしれない。だから、話して。教えて。絶対笑ったり、分からないって放り出したりしないから」

 ハグリッドは真っ赤になってしまった目を僕に向け、諦めたように肩を落としてその場にあった椅子を大きく軋ませながら座った。

 

 

 ハグリッドは僕の足元あたりに目を向けながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

 「お前は……俺が半巨人だって聞いて……怖くならなかったのか」

 やはりそこを負い目に思っていたのか。僕は傷ついた手に触れないよう腕を組んで真剣な顔を作った。

 「あのね、正直うっすらと気付いてはいたよ。それでも、ハグリッドはいい先生になれると思ったから僕は色々手伝わせてもらったんだ」

 この台詞は半分ほど嘘だ。ダンブルドアに告げられなかったら事情を察せていたかは分からないし、危機管理マニュアルがあっても彼の授業がここまでいい物になるとは予想していなかった。それでも、嘘をついてでも今のハグリッドに僕のことを信じて欲しかった。

 僕の言葉に、ハグリッドはぼたぼたと涙をこぼす。しかし、それは嬉しさというより悲しみによるもののようだった。彼はしゃくり上げながら話を続ける。

 「俺は初め、お前のマニュアルっちゅうやつは、つまらんと思ってた。みんなもっと面白え授業が好きなんだと……でも、少しずつ分かってきた。

 俺は……こんなんで特別に体が頑丈だが、他の奴らはそうじゃねえ。もちろん知ってはいたが……身に染みて感じたんだ。だから、お前のマニュアルが要るんだと。そんなことも分からずに俺は……」

 そこまでハグリッドが自省しているとは想像していなかった。内心驚きながらも僕は反論する。

 「今、マニュアルで安全にやれているなら大丈夫だよ。良くないと思ったところは、気づけたなら治せるんだから。これは進歩でしかないじゃないか」

 彼は象が水を飲んでいるような音を上げて鼻を啜り、大きく首を振った。

 「いんや……子どもにとって俺は危険だ。今回みたいに加減が利かねえこともある。そんなやつが先生をやるべきじゃねえ。どうせ、明日になりゃあ辞めさせろっちゅう手紙が山ほど届くだろう」

 彼の危険性は馬鹿力ではなく危険生物愛好家なところと口が軽いところにあるのだが……しかし、それでもこの一年彼は授業で大きな怪我人を出していない。僕は彼の言葉に眉を顰め、真っ赤になってしまった黒い目をじっと見つめた。

 「でも、今は何が子どもにとって危ないのかちゃんと分かってるでしょう? 僕らのクラスでは最初の一回以来医務室に行かなきゃならないような怪我をした子はいないよ。

 それに、ハグリッドの頑丈な体は正しく使えば誰かを守ることだってできるんだ。実際、そのおかげで生徒は安全に危険な動物を見ることができているんだから」

 ハグリッドの目にどっと涙が溢れた。もこもこのオーバーコートで目を拭うが、雫は髭を伝って胸元をぐっしょりと濡らす。このまま僕の言葉を信じて、元気を取り戻してほしい。僕は自分の椅子から立ち上がり、彼としっかり視線を合わせた。

 「それに、ハグリッドの授業は本当に面白いよ。せっかく尻尾爆発スクリュートもあんなに大きくなってきたのに、ここで打ち切りになっちゃったらみんなガッカリするんじゃないかな」

 実際、はじめの気色悪さの壁を乗り越えると、子どもたちにとってスクリュートの観察はたまにくる娯楽になっていた。あの100%危険生物を安全なところから眺めるのはそれなりに趣深いものだ。

 

 ハグリッドはそれでも納得できないようだった。彼は濡れた胸元をいじりながら視線を床に移す。

 「……でも、俺には凶暴なところがある。カッとなると手がつけられんかもしれん。そんな──半巨人が──先生なんか──」

 その言葉に、本当に、本当に悲しくなってしまった。スキーターの記事は秘密の暴露だけでなく、その中傷によってハグリッドの心を傷つけていた。彼自身ですら半巨人であることを恥じるほどに。スキーターへの憤怒や、彼にこんなことを言わせてしまっている悲しみで、僕は自分の目に涙が滲むのを感じた。僕は彼の膝にしゃがみ込んで、下を覗き込む顔を見る。ハグリッドは僕の顔を見て、目を丸くした。彼の前では僕は泣いてばかりだ。それでも僕は震える声で何とか言葉を紡いだ。

 「ねえ、自分のことをそんなひどい風に言わないでよ。僕の友達のことを悪く言わないで。それとも、友達だと思っていたのは僕だけだった? 僕の言うことはあの記事に書かれていることより軽いの? 僕はハグリッドのことが大好きなのに、本当にいい先生になったと思っているのに、あんな何も知らない人間の書くことの方を信じるの?」

 しかし、ハグリッドは顔を歪めて項垂れた。

 「最初……出会った頃、俺はお前のことをよく知らんでひどい扱いをした。お前にそんなふうに言ってもらう資格なんてねえんだ」

 ハグリッドは心底自分のことが嫌いになってしまったようだ。悔しさで胸が締め付けられる。涙が頬を伝うのにも構わず、僕は彼の大きな手を傷ついてない方の手でしっかり握った。

 「そんなこと関係ない。ハグリッドが後ろめたく思っても、知るもんか。僕が勝手に優しいあなたを友達だと思うのはやめさせられないんだから」

 ハグリッドは少し顔をあげ、僕の目に再び視線を戻した。病棟は静まりかえっていて、彼の鼻を啜る音だけが時折響いた。

 

 しばらくして、彼は恐る恐る口を開いた。

 「俺は……学もねえし、やることなすこと全部大雑把だ。それでも、良い先生になれたんだろうか」

 「それは一昨年からずっとハグリッドの授業を受けてきた僕が保証する。だから、戻ってきてよ」

 僕はできる限り力強い鼻声で言った。僕の言葉に、ハグリッドは目から滝のような涙を溢れさせた。

 ハグリッドはオンオンと泣きながら、僕を力加減を間違えず抱きしめる。手は背中に全く届かないものの、僕も彼に腕を回した。ボタボタと大粒の涙が僕の頭を打つのを感じたが、僕はしばらく何も言わなかった。

 しばらく僕らはそうしていたが、ふと気がつくと僕の隣にはマダム・ポンフリーが立っていた。そういえば彼女が姿を消してから薬を取りに行くにはかなりの時間が経っている気がする。僕らの話が終わるのを待ってくれていたのだろうか。

 彼女は口をへの字にしながらベリッとハグリッドから僕を引き剥がし、椅子に座らせた。すごい力だ。そのまま厳しい顔つきで、彼女は口を開いた。

 「もうおしゃべりはおしまいです。マルフォイ、手をもう一度見せなさい。

 ハグリッド! あなたは今すぐ小屋に戻って次の授業の支度をなさい。今からなら間に合うでしょう」

 

 ハグリッドはまだズビズビと鼻を鳴らしながらも、小さく手を振って医務室を出ていった。きっともう教師を辞めようとは思わないだろう。そう信じたい。

 

 

 

 マダム・ポンフリーは治療をして薬を飲ませると、動いたら縛り付けると脅した上で僕をベッドに寝かせた。朝食の席そのままの格好で来てしまい読み物もなく、途端に暇になってしまう。

 これから起こるハグリッドに関する中傷を止める方法と、あの羽虫にどう報いを受けさせるか考えながらベッドでウトウトしていると、不意にカーテンの外に誰かの影が見えた。

 カーテンの間から姿を現したのはアルバス・ダンブルドアだった。彼がこの件を放置しているとは思っていなかったが、まさかここにやってくるとは思わなかった。ダンブルドアはやはりみんなの前で見せる微笑みを顔に宿しておらず、その目は僕の手に巻かれた包帯を見て悲しげだった。居住まいを正す僕をダンブルドアは手で制して、枕に背をつけさせた。

 

 ……ここに彼が来て大丈夫なのだろうか? ハグリッド関連で怪我をした生徒の尻拭いということにはできるだろうが、誰にも感づかれたくない状況だ。僕の表情を見て、ダンブルドアは懸念を悟ったようだった。彼は挨拶なしに口を開いた。

 「人目がないか確認はしておる。このカーテンの中のことは他には漏れぬ」

 彼が言うならそうだと信じたいが……僕は一つの気がかりを尋ねた。

 「この周りに、虫はいませんでしたか?」

 「……リータかね」

 黙って頷く僕に、彼は首を横に振った。ダンブルドアも気づいていたのだろう。

 「始末は僕に付けさせて貰ってもいいですか?」

 僕の問いに、ダンブルドアは静かな口調の質問で返した。

 「君に頼んでしまっても良いのかね」

 今の段階でスキーターをぶちのめすことに対するやる気は、かつてないほどにみなぎっていた。僕はうっすら笑みを浮かべて頷く。

 「言われずとも。……お忙しいのでしょう? 校内のこともそうですし、アルバニアの件とかで」

 ダンブルドアは否定しなかった。彼なりに足跡を辿っているのだろうが、決定的なところには至れていないのだろう。彼はただ僕の目をじっと見て、やっぱり悲しげに口を開いた。

 「ありがとう」

 何を気に病んでこんな葬式のような雰囲気を醸し出しているのだろう。僕は内心首を傾げながら彼に話しかけた。

 「あの……あんまりお気になさらないでくださいね? この手は完全な事故ですから」

 ダンブルドアは少し微笑み、それでもどこか暗さを纏ったままその場を後にした。

 

 ダンブルドアが深刻そうな顔をしていると、こちらも不安になってきてしまう。少なくともスキーターは早々にどうにかして彼の負担を減らしたいものだ。僕は再び一人ベッドの上で今後の策を練った。

 

 

 

 昼休みになって、マダム・ポンフリーは昼食を下でとる許可を出してくれた。大広間に入ると、グリフィンドールのテーブルにスリザリン生を含めたいつもの面子が固まっていた。僕を見つけたクラッブがこちらに手を振る。席に着くとどこに行っていたのか質問攻めにあったが、なんとかやり過ごして僕は先ほどまで彼らが受けていたであろう「魔法生物飼育学」について教えて貰った。

 「ハグリッドは……泣きはらしたんだろうな。結構ボロボロだった。

 グラブリー-プランクっていう人がハグリッドの代わりをお願いされていたらしいんだけど、ハグリッドは自分で授業をやったんだ。いつも通り、面白かったよ」

 ハリーは嬉しそうに話す。ロンも頷き、話を続けた。

 「正直、あの女の先生はハグリッドが来て嬉しそうじゃなかったな……でも、スクリュートを僕らと一緒に見て不満は吹っ飛んだみたいだ。魔法生物好きってあんな感じばっかりなのかな?」

 あれを初見で気にいるとは、剛のものだ。ロンの言葉に周囲に明るい雰囲気が戻るが、クラッブは顰めっ面だった。

 「でも、これからどうなるかは分からない。発言力は授業を受けている僕らじゃなくて、外の大人にあるんだから」

 周囲の子供たちは空気を叩き切るクラッブの発言に眉を顰めたが、僕は彼を諌める気にはなれなかった。実際、そこだよなあ。僕の父をはじめとして、半巨人に偏見を持つ人間は彼を叩き出そうとするだろう。少なくともファッジ大臣と父は「僕の授業改革の成果を潰さないでほしい」という観点から言いくるめられるとは思うが……考え込む僕の顔を見て、ゴイルがそろそろと口を開いた。

 「……ハグリッドの授業は面白いし、彼は力が強いからスクリュートにヘッドロックをかけられるんだ。僕、やめてほしくないな」

 ゴイルの言葉に僕は目を見開いた。朝きつい言い方をしてしまったから、この子が反感をもってもしょうがないと思っていたのだ。それでもゴイルは落ち着いて状況を俯瞰すれば、持ち前の優しさをハグリッドにも向けることができたのだった。

 

 さっきから使われっぱなしの涙腺が再び緩みそうになるのをなんとか抑え、僕はゴイルに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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コガネムシの墜落

 

 

 幸いなことに、ハグリッドが教職を辞させられることはなかった。父とファッジ大臣への根回しはうまく行ったのだ。彼らは僕が心血を注いで「改善してやった半人間」という功績を放棄するデメリットを認識してくれた。不愉快な価値観である。それに、今彼の授業を受けている生徒や森番時代の彼を知る大人たちはハグリッドの辞職を望まなかった。それでもかなりの量のヘイトメールがハグリッドの元へ届いたが、僕はその全ての送り主の名前を見せて貰い、脳にしっかりと焼きつけた。見ていろ、今にお前らが大手を振ってこんな真似ができないような世界にしてやる。僕は心中で強く決意した。

 

 

 そして、待ちかねた機会はやってきた。

 一月の中旬、ホグズミード行きの許可が降りた時のことだ。僕は来学期に向けての調整のためファッジ大臣と会う予定があったので、彼と二人で「三本の箒」に居た。パブは混み合っており、遠くのテーブルには三人組やハグリッドも見える。明らかに話し合いに向いた環境ではなかったが、ファッジ大臣はここがお気に入りだった。大案がまとまり、そろそろ話を切り上げて別れようか、ということになった。

 そこに、あのリータ・スキーターが腹の出たカメラマンを連れてやって来たのだ。たちまち入り口側にいた四人と口論になる。スキーターは居座る気満々のようだったが、奴が罵詈雑言を書き連ねたハグリッドを前にして、カメラマンが彼女を店から引っ張り出した。このチャンスを逃してなるものか。僕はファッジ大臣に口早に別れを告げると、奴を追って三本の箒を後にした。

 

 

 別の河岸に行く途中なのだろうか? 僕は人気のない道に入るのを見計らって、スキーターに丁寧な口調で声をかけた。

 「こんにちは、リータ・スキーター。初めまして」

 振り返った奴は突然の声がけに訝しげな顔をし、値踏みするような目でこちらをジロジロと見回した。下品な人間だ。僕は内心の不快感を抑え、できるだけ穏やかそうな微笑みを浮かべた。

 「マルフォイの坊ちゃんざんすね。何か用かしら? さっきまでファッジと一緒にいたようざんすけど──」

 僕は彼女にその先を言わせなかった。まずは味方と認識してもらう必要がある。僕は媚を込めて言葉を紡いだ。

 「この間の……ルビウス・ハグリッドについての記事は残念でしたね? それなりに世間を動かすべき内容だと、僕は思ったのですが。やはりダンブルドアの威光は重たいところがありますか」

 僕の発言に、スキーターの目に少し興味が宿った。案の定、記事が出た後の凪は彼女の気に食わないものだったようだ。僕は手応えを感じ、そのまま話を続ける。

 「僕なら……あなたの筆致がより生かされる方法をご提供できると思うのですが。つまり──あなたがその『正義』をより効果的に知らしめられるような何かをお教えすることができる。ご関心はありませんか?」

 スキーターはいよいよ舌なめずりをするかのような顔になった。彼女の趣味の悪いマニキュアが塗られた手はこれまた趣味の悪いクラッチバッグの留め具をいじっている。今ここで羽ペンを取り出したいとばかりの態度だ。僕は内心軽蔑で中指を立てた。

 奴は勿体ぶるようにこちらをチラチラと見ながらしなを作った。

 「……フゥン、いいざんしょ。インタビュー場所はそこのホッグズ・ヘッドでどうかしら? 埃っぽくてばっちいところざんすけど、まあ、悪くないでしょう。ほら、ボゾ、さっさとおし──」

  他の人間を連れて来られては困る。僕は素早くスキーターの言葉に口を挟んだ。

 「おや、あなたは折角の秘められた鉱脈を人に教えるのを良しとする人間なのですか? それは残念です……野心のない人間に、この話はちょっと重いと思いますが」

 スキーターは僕の意図を図るような顔をしたが、それほどこちらが持つネタは良いものだと判断したようだ。彼女はカメラマンの方へ向き直った。

 「……いいざんしょ。ボゾ! あんたは先に帰りな!」

 そうしてスキーターはカメラマンをその場に残し、僕を引き連れて歩き出した。

 

 

 

 ホッグズ・ヘッドは閑散としていた。それでも、人が全くいないわけではない。ここで盗み聞きされて、計画がお釈迦になってはたまらない。僕は席につくや否や辺りに防音呪文をかけた。スキーターはそれを見て、さらに期待感で目を輝かせた。

 僕らは席につき、飲み物を頼む。僕は瓶のバタービールのふちを拭いながら口を開いた。

 「そうですね……まずはお約束していただきたいことがあります。

 これから話すことを記事にするのはきっちりタイミングを図って出してほしいのです。折角のネタを簡単に浪費されては堪りませんから」

 スキーターはその言葉に目を輝かせたが、勿体ぶるように顎を突き出した。

 「タイミング? そんなのはそっちの気にすることかしら。情報は新鮮さが命なのよ?」

 その程度の反論は予想の内だ。僕は落ち着き払ってその言葉に答えた。

 「ええ、そうですね。でも、第二の課題が来月末にあるじゃないですか。その結果が知りたくて読者の視線は新聞に集まりますよ。

 一番大きなものはそちらに焦点を合わせて頂きたいのです。他については記事が書け次第、順次ということでも構いませんよ」

 自分の都合が通ったと考えたスキーターはにんまりと笑った。思慮の足りない蒙昧め。僕が心の中で蔑み果てているのにも気づかず、奴はゴテゴテとしたバッグを開け、筆記用具を取り出した。

 

 「……それで、何を話してくれるんざんす? ここまで期待を持たせるような真似をしたんだから、とびきりいいものじゃないと……」

 図々しい馬鹿だ。

 「実は本当に色々あるのです。僕がさっきファッジ大臣と話し合いをしていたのはご覧になっていたでしょう? 卑小の身ではありますが……僕がハグリッドの授業改革に大きく寄与していたことはご存知ですか? その過程でダンブルドアとは随分衝突しました」

 スキーターは笑みを深める。僕はこの愚昧を完膚なく叩き潰すためなら、一切の罪悪感を封殺できた。

 「それに……ご存知かも知れませんが僕はハリー・ポッターととても親しい。あなたの望むような事実をほじくり出すことなど、造作もないと思いますよ」

 やはりスキーターはその辺りは嗅ぎつけられていたようだ。いよいよ目を輝かせながらも、眉を下げて唇を尖らせた。悍ましい。

 「あら、でもいいの? お友達のことでしょう?」

 「僕はルシウス・マルフォイの息子ですよ? それで十分でしょう」

 スキーターはいよいよ歯を剥き出して笑った。掴みは抜群、勝負はここからだ。

 

 

 僕は少しずつ、決定的に言質を取られないようにスキーターにネタをチラつかせた。奴は非常にもどかしそうにしているが、食いつきそうなところに隙はできる。僕はいよいよ本題、というときになって不安そうな顔を作った。

 「でも、少し心配ですね。ひょっとしたらこのようなダンブルドアやハリー・ポッターに対する暴露記事、差し止めを食らってしまうかも知れない……今までだってダンブルドアを致命的に追い詰めるような内容は載せられていないのでしょう?」

 スキーターは少し顔を歪めた。たとえ彼女であろうと、触れられたくない部分というのはあったのだろう。その反応を確認して僕はさらに言葉を続ける。

 「あなたのような忌憚なく人の暗部を暴ける人間が『日刊預言者新聞』の編集長だったら、なんの憚りもなく情報を出せるのですが……」

 「……ええ、そうざんすね。今の編集長は弱腰でいけないわ」

 彼女の態度には忌々しさが滲み出ていた。いい調子だ。僕は自分の演技力を最大限に使って悲しげに言う。

 「ああ、それはなんと嘆かわしいことでしょう。幸い、僕は父やファッジ大臣といった心強い方々に助けをいただいています。もしあなたが何か……今の編集長の落ち度を弾劾できるようなネタを握っているならどうにかすることもできたと思うのですが……」

 スキーターの目に先ほどまでとは違う色が宿った。それは野心だった。やはり、僕の受けた印象は間違いではなかった。この身の程知らずは自分の正義を確信しており、それが広く世間に影響をもたらすことを望んでいる。僕のプランAは完璧な効果を期待できた。

 「……どうにかするって?」

 彼女はこちらを慎重に窺っている。しかし、その欲望はもはや周囲に溢れ出していた。

 「もちろん、あなたが次の編集長となってこの魔法界に真実を知らしめる役割を担うということですよ、リータ」

 

 スキーターは居住まいを正し、笑みを抑えながらつんとして口を開いた。

 「でも、坊ちゃんにあたしが掴んだネタを話す訳にはいきませんよ。これは今だって大事なツールなんだから」

 編集長を脅迫でもしているのだろうか。正直、それを知ることができたら色々便利なところはあるが、本題では全くないし、あの卑劣な記事を看過している編集長に過分な慈悲をかけてやる気もない。一応残念そうな顔をして彼女の自尊心を満足させながら、僕は首を振った。

 「そうですか……でも、別に僕に話していただく必要はありません……剣とは振るうものの手にあって初めて輝くのですから。ですが、機を図らねばなりませんね。

 こういうのはどうでしょうか? 第二の課題の日に、貴女は編集長の暴露記事を紙面に載せる。その日の夕、試合の結果を踏まえて記事を完成させ、あなたはそれを紙面に載せる。父とファッジ大臣の後援を受け、次期編集長の玉座に就いて」

 スキーターは勿体ぶって、それでも欲望を隠しきれずに頷いた。

 「……いいざんしょ。お互いwin-winの良い関係ね。

 でも、ここからの一ヶ月以上なーんにもなしじゃあつまらないわ? 他に何かないのかしら?」

 浅ましいハイエナめ。しかし、これもまた予想通りだった。僕はシナリオに沿って言葉を紡ぐ。

 「そうですね。手始めにギルデロイ・ロックハートのネタなんていかがです? ダンブルドアが『誤って』雇用した詐欺師。彼は今でもアズカバンにいますよね。僕はその内情を誰より知っている自信がある。

 それとも、シリウス・ブラック? 現在も逃亡中の稀代の脱獄囚。彼は僕の親戚ですし、ペティグリューの件も合わせて色々読者の望む情報をお教えできると思いますよ」

 スキーターは目を輝かせてこちらに身を乗り出した。最後に、最も大事なところだ。僕はできるだけ聡明に聞こえるように彼女に語りかけた。

 「でも、こちらの意図をダンブルドアに察されても厄介です。記事は掲載する前に確認させてください。迂遠でも確実に彼にダメージを与えなくてはなりませんから。もし、約束を守っていただけないならこの話は残念ですが……」

 スキーターはやはり嬉しい顔はしなかった。しかし、次期編集長の座の魅力には抗えなかったのだろう。彼女は渋々頷いた。

 「……しょうがないざんすね。いいでしょう。その話、乗ってあげましょう」

 この場面はほとんど計画通りだ。僕はニッコリ笑って彼女に手を差し出した。

 

 

 

 その後、一ヶ月の間に小出しでリータは色々な記事を書いた。彼女は僕のチェックに不平不満をこぼしたが、それでも僕の記事による未来の影響のプレゼンテーションと「次期編集長」の座の魅力によって、その醜い虚栄心を抑えてくれた。しかも、彼女は僕の話の裏を取るためにブンブンと飛び回ってくれ、記事は予想より遥かにしっかりしたものとなった。

 ロックハートの最初の授業の悲惨さと、魔法界の教育制度が抱える欠陥。

 ブラックとペティグリューの友情が抱えた不均衡や、当時の光側の慈悲の限界。

 かつて冤罪によってアズカバンに収監されたハグリッドの「更生」と、それに寄与した安全管理マニュアルの存在。

 一歩進んで考えればダンブルドア批判に容易に結びついてしまう内容だ。リータは普段の直接的な揶揄を抑え、それなりに立派なものを書き上げてくれた。ペティグリューの件なんかは、僕らが知っていたこと以上にいろいろなことを探り当ててくれた。シリウスとペティグリューの学生時代の様子や、シリウスが自身を「秘密の守人」だと喧伝していた不自然さなど。こちらも意図的に一部の情報を伏せて色々伝えていたのだが、彼女は確かに勘は鋭かったようだ。

 

 ハリーのゴシップについて、僕は第二の課題まではと言って頑として教えなかったが、むしろこれは好都合に働いた。痺れを切らした愚かな黄金虫が小煩くハリーの周りを飛び回っているのをしっかりと目視する機会を何度も頂けたのだ。結局、第二の課題後の記事にするためにスキーターに対していくつか口を割らざるを得なかったが……ホグワーツで聴き込みをすればすぐバレるようなものばかりだ。僕は罪悪感を抱えながらも、二月末をじっと待った。

 

 父とファッジ大臣にもしっかり話は通しておいた。スキーターという記者がダンブルドアに関する記事を載せたがっているらしいので、第二の課題の前後の記事は通すようにしておいて欲しいと。もちろん本当にそれが出ることはないが、スキーターに探りを入れられてはたまったものではない。表向き僕は平静を装って彼らにお願いした。

 

 僕が忙しなくしている間に、ハリーも自分で色々と頑張っていた。

 彼は結局セドリックの教えてくれた監督生の浴室を使って呪文を練習したらしい。五年生の教科書から発見した泡頭呪文と、マクゴナガル教授にお願いしてスパルタで習得した手足の指の間に膜を張る変身術も習得していた。……元に戻せるかどうかは半々の確率らしかったが。「普通に変身術を教えてもらうだけだからセーフだよね?」と彼は心配そうだったが、マクゴナガル教授はとても嬉しそうにしていたし、問題ないだろう。その際にこっそり「第二の課題の日に急用ができるので煙突飛行ネットワークを研究室で使わせて欲しい」とお願いしたところ、凄まじい追及にあったがなんとか許可を得ることができた。

 ハリーの準備も万端になり、第二の課題の日はやってきた。

 

 

 

 その日の朝、僕はスリザリン寮でこのために早く運ばせた新聞を手に入れた。紙面をざっと流し見し、無事に「日刊預言者新聞」に編集長の不倫、収賄、贈賄、その他を書き連ねた記事が掲載されていることを確認する。すぐさま二階のマクゴナガル教授の研究室に向かい扉を叩いた。朝早かったのだが、彼女はぴっしりと衣服を整えて僕を迎えてくれた。こちらを測りかねると言った様子で見る教授をよそに、僕はフルー・パウダーを暖炉に放り込み、「日刊予言者新聞」の編集部へとつなげて頭だけを暖炉に突っ込んだ。

 編集部は雑然としていた。誰もいないのかと思ったが、暖炉が輝くのに気づいたのだろうか。奥から憔悴し切った顔の男性がそろそろと出てきた。

 「おはようございます。編集長に『スキーターがなぜあんな記事を出せたのか知っている者』だとお伝え下さい」

 男性は僕を訝しげな目で見た。

 「……この早朝に出勤しているものは編集長の私だけだ。……全く、スキーターといい……なんなんだ、君は誰だ」

 幸いなことに、オフィスにはこの記事を見て飛び上がってきた編集長しかいなかったらしい。幸先のいいスタートだ。僕は男性を安心させる口調を作り、ゆっくりと語りかけた。

 「僕はドラコ・マルフォイと申します。スキーターの件で話があって、ここに来ました」

 

 彼はヨロヨロと椅子を引っ張ってきて、暖炉の前に座った。こちらは急ぐ身だ。彼が話し出すのを待たずに僕は口を開いた。

 「ここ一ヶ月ほど、スキーターはどんな手を使ったか知りませんが、僕の身の回りを嗅ぎまわっていたようです。あの記事は間接的に僕に関係する者たちについてでした。彼女はダンブルドアをターゲットにすることで、ファッジ大臣たちからの支持を集めていました」

 僕の矢継ぎ早な言葉に、編集長は目を白黒させている。今回は時間をかけている余裕はないし、ここでいちいち事実を確認されては厄介だ。僕は言葉を挟ませず、彼の最大の関心ごとに話題を移した。

 「スキーターのデスクを確認していただけませんか? 彼女があなたに関してさらに何か残していたら大変だ」

 編集長はビクッと肩を揺らしたが、椅子から立とうとはしなかった。彼はそのまま項垂れる。

 「しかし、私には止められん。ファッジ大臣はここ数日の記事は全部そのまま新聞に載せるようにと言っている」

 随分と気弱だ。でも、それは僕が望んでいた態度だった。僕は切り札を出した。

 「僕はルシウス・マルフォイの息子です。その辺り、どうとでもして差し上げましょう。それに、スキーターを野放しにしてあなたに待ち受けるのは破滅だけですよ」

 僕にそんな力はないかもしれない。それでも今だけは自信たっぷりに言い切った。幸いなことにこの小胆な男は押し切られてくれた。彼は椅子から立ち上がると、わきのほうに置いてあるデスクを調べ始めた。

 

 しばらくして、彼は暖炉の前に戻ってきた。顔色は先ほどまでより悪く、弱々しく首を振る。

 「何もなかった。あの女、いつも他人に横取りされるんじゃないかって原稿は抱えていたし、私に捨てられかねん場所には置いておかないだろう」

 これで後顧の憂いは断てた。思わず出そうになる満面の笑みを抑え、神妙さを装って僕は編集長に優しげに声を掛ける。

 「そうですか。それでは、そのままいつも通りの業務に戻ってください。スキーターから送られてきた記事は全て止めて。父にもファッジ大臣にも言っておきますから。大丈夫ですか?」

 編集長はおずおずと頷いた。彼を残し、僕は暖炉から顔を引き抜く。服についた灰を杖で吸い取っていると、そばに立っていたマクゴナガル教授が眉を顰めて口を開いた。

 「……一体、何をするつもりなのですか?」

 僕はニッコリ笑って彼女に答える。

 「機会があればご説明させて頂きます! きっと悪いようにはなりませんから!」

 それだけ言って、挨拶もそこそこに研究室を飛び出した。そのまま梟小屋に行き、父とファッジ大臣に「スキーターが二人のゴシップを嗅ぎ回っているらしい。今すぐ編集長に権限を戻すように」と書いておいた手紙を一番速い梟で送る。ウィルトシャーやロンドンに着くには時間がかかるだろうが、明日の朝刊作成に間に合えばいい。

 

 時刻は八時近くになっていた。課題は九時半からだ。僕は湖に向かい、一時間半をたっぷり使い、ちっちゃな黄金虫を見つけるために出来うる限りの探知呪文をかけた。これで奴がハリーのネタを嗅ぎ回れば僕に伝わる。他の虫まで反応して伝わってきてしまうのが厄介だったが、この寒い二月に動き回る元気のある羽虫はほとんどいなかった。

 

 そうこうしている内に観客が場内に入り始めた。ハリーに次いでスキーターのターゲットにされていたハーマイオニーのそばにいたかったのだが、彼女だけでなくロンまでいない。……これは、ひょっとして課題で「奪われたもの」とは友人なのだろうか? 二人も水底から引っ張り上げるのは大変そうだ……と考えたところで、僕はハーマイオニーがクラムのパートナーだったことを思い出した。それでか。正直少し悪趣味な気もするが、課題の外面の地味さを補う程度にはドラマティックではあるかもしれない。

 八時半が近づき、僕は審査員席に続く道でハリーを待った。しばらくして彼が緊張した面持ちでやってくる。彼は僕を見て少し目を釣り上げた。

 「君、どこにいたの? ロンとハーマイオニーもいないし……」

 やっぱりそうか。この関係者がぞろぞろいる場面で「課題の景品で連れて行かれたんじゃないかな」と言うわけにもいかず、僕は曖昧に微笑んだ。

 「放っておいてごめんね。急用が入ってしまって。調子はどう?」

 ハリーは相変わらず眉根に皺を寄せながらも頷く。

 「……悪くはないと思う」

 ハリーに言葉を返そうとしたところで、選手に呼び声がかかった。それと同時に、僕の魔法に引っかかっている虫の中で不自然にハリーに一直線に飛んでくるものを感じる。僕は意識をそちらに割かれながらも、ハリーの背を押した。

 「君ならできる。大丈夫だよ」

 ハリーは硬く微笑み、その場を後にした。

 

 僕は辺りの人が審査員席の方に視線をやっているのを見計らって自身に目眩し呪文をかけ、そろそろと探知魔法の示すところへ近づいた。

 ────やはり、いた。あの趣味の悪い眼鏡にソックリな模様を持つ黄金虫が。虫は通路に拵えられた柱にしがみつき、不自然なほど微動だにせず審査員席の方に目を向けている。いよいよ最後の関門だ。僕はできるだけ音を立てないように背後から近づき、このためだけに練習した無言の失神呪文をかけた。虫はあっけなくコテンとその場から墜落した。やった。やったぞ!

 僕は素早く懐から用意しておいた瓶を取り出し、その中に虫を掬い入れた。この中に入って仕舞えば元の姿に戻ることはできないし、外を伺ったり物音を聞いたりすることもできない。一応空気と餌は補充されるようになっているから死ぬことはないだろう。スキーターは誰にも知られないまま僕お手製の監獄に閉じ込められた。

 

 その後、僕は観客席に向かいスリザリン生たちと観戦を楽しんだ。正直見るべきものはほとんどなかったのだが。なんとハリーは順調に課題をクリアし、一番にロンを引き連れて帰ってきた。しかし、彼はロンを人に託すとそのまま陸に上がらず再び水中へと戻った。途中で脱落したフラー、ハーマイオニーを連れたクラム、チョウを抱えたセドリックが戻ってきてから、ハリーはフラーの人質だったらしい妹を連れて現れた。後から聞いたところによると、「大丈夫だろうとは思ったんだけど、心配だった」そうだ。彼はその功績を讃えられ、満点で課題を終えた。

 

 

 

 課題が終わった週末、許可をもらって僕はロンドンの「予言者新聞」を訪れた。なぜか失踪したスキーターに関して、編集長は訝しげにこちらを見ていたが、適当に想像してもらえるよう煙に巻いて話した。彼はそれで畏怖の視線をこちらに向けてくれるようになった、これは便利だ。「スキーターのような悪徳記者をのさばらせておくと厄介事は増え続ける。この際、あの女の悪事を調べ上げて徹底的に潰すべきだ」という意見に編集長は快く頷き、特集の計画を立て始めた。

 別れ際、僕は編集長と握手をしながら微笑み、言葉を紡いだ。

 「スキーターだけが今回の事件の原因ではありません。彼女に勝手を許した構造自体に問題がある。そうは思いませんか?

 スキーターだってこの前のロックハートやブラックの記事は悪くありませんでしたが、それは中傷を目的としていなかったからではないですか? 『予言者新聞』が正しい報道のあり方というものを今一度示してくれることを期待します。あなたなら、きっとそれができる。スキーターなんかに負けないでください」

 編集長は目に涙を浮かべて頷いた。チョロいな……この人を編集のトップに据えたままで大丈夫なんだろうか。今回は編集部の内紛で片付いてしまったが、いずれは新聞社全体をどうにかしたいものである。

 

 

 

 「……それで、この黄金虫、どうしたらいいと思います? 少なくとも第三の課題が終わるまでは瓶の中で暮らしてもらいたいんですが。この虫は僕の姿を見ていませんし、僕との悪巧みが何者かによって潰されたと考えてくれるでしょう」

 僕は出してもらった紅茶をのんびり飲みながら、マクゴナガル教授に問いかけた。彼女は目の前に置かれた広口瓶と、スキーターの数えきれない被害者たちのインタビューが掲載された記事を半目で眺めていた。

 「……放すときは私に教えなさい。アズカバンに行ってもらうのが一番穏当でしょう」

 彼女は深々とため息を吐きながらも、少し微笑んでそう告げた。

 

 

 

 



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ファッジ大臣との作戦会議

 

 

 

 スキーターの記事が日刊予言者新聞から消えたことについて、あまりに唐突な出来事に訝しむ人間はぽつぽつと出てきてしまった。しかし、それには編集長の暴露記事がいい説明を与えてくれた。ことの直前に失踪者の身近に出来た敵対者に疑いの目が向くのは自然である。「愚かにもリータ・スキーターは編集長の恥部を公衆の面前に晒すことで彼の失脚を図ったが、逆に報復を受けた」というのが世間での理解となった。

 

 あれから何度か編集長とは手紙のやりとりをした。彼が内情を誰かにペラペラと話して、今回の件に僕が絡んでいると察されては厄介だ。僕はスキーターが学校のことを嗅ぎ回っていたことに気づき、「善意」、もとい、メディアにコネを作るために手を差し伸べてきたただの学生を装った。もはやイギリス魔法界のトップあるあると化していたが、やはり彼も根っからの悪人ではないが権威に阿り臭い物に蓋をするタイプの臆病者だった。スキーターの失踪については暗に父の存在を匂わせておいたので、そっちが始末したと思ってくれることだろう。その上、純血一族の身の回りを嗅ぎ回ることに対する危険性をちゃんと理解しているようだ。魔法界の闇は深い。

 

 ファッジ大臣と父には、編集長が彼らに関する記事をきっちり差し止めてくれたようだと伝えておいた。ついでに、彼は著しい恐慌状態にあったので、もしかしたらスキーターを──何か記事を書けない状態にしてしまったのではないか、と。

 これで父と大臣は編集長が、編集長は父と大臣がスキーターを潰したと考える構図ができた。お互い深掘りしても得がないと思わせることが出来れば、今回の関係者から真相が暴かれることはないし、捜査が始まったとしても疑いの目をこちらから逸らすことができる。……そもそも実証から僕に至ることはほとんど不可能だが。

 僕とスキーターの関係は「予言者新聞」のボゾというカメラマンも知らなかったし、マクゴナガル教授を除いて誰も僕が犯人だと悟ることはなかった。おそらく、スキーター本人ですら。

 彼女は可愛い黄金虫として、僕の検知不可能拡大呪文が掛けられたトランクの奥深くに仕舞い込まれていた。

 

 

 スキーターの蛮行について糾弾する記事は、魔法界のメディアにおいて少なくとも「自浄作用」の第一例となった。

 新聞社の内紛はメディアに対する不信感を世間に与えたかもしれないが、はっきり言って自業自得だ。これを糧として、あるべきジャーナリズム精神について考えてほしかったが、編集長はそのような気骨のある人間には見えなかった。ただ、彼は自らに中指を立てたスキーターの行為に対しては憤りを隠さず、彼女の名声を貶めるために方々に働きかけてくれた。普遍的な正義よりも個人的な敵対心の方が、人間を容易に動かしてくれる。

 

 その一環として、「予言者新聞」社からハグリッドやハリーの元に今までのお詫びと寄稿の依頼の手紙が届いた。こんなことは言いたくないが、「半巨人」に発言権を持たせるなんて今までになかったことだ。彼らは急に手のひらを返した新聞社の態度に眉を顰めていたが、なんとか説得して返信を書いてもらった。出来るだけスキーターをこき下ろすようにアドバイスし、フクロウで送る前に校閲させてもらったおかげで、彼らの手記ほぼそのまま紙面に載ることになった。ハリーやハグリッドのことを直接知らない生徒達はこれに食いつき、校内でそこそこ話題の的になった。

 特にハリーの記事は彼が「出たくもない対抗試合に出場させられた」というところまでしっかり掲載してくれた。二人の印象ができるだけ良くなるように中身をいじらせて貰ったし、スキーターはロマンスに関しては事実無根を書き連ねる人間だったのが良い方向に働いた。そこを暴いた内容は特に生徒たちにとって説得力のある記事になっていただろう。

 ハグリッドの方に関しては生徒からも聞き取りをして彼の人格や授業についてのフォローをしてくれたし、ありがたいことこの上ない。僕もかなり煽ったとはいえ、編集長は復讐に関しては執拗に行ってくれた。

 

 ダンブルドアについて援護することは叶わなかったが、今以上は高望みというものだろう。それを意図したと誰かに気付かれれば、僕の立場は一気に危うくなる。今の僕に出来るのは、教育の改革者として、彼の敵対者を装い手を回すことだけだ。ダンブルドアもそれは了承してくれているらしく、大詰めを迎えた指導要領について彼は反対意見や改善点を差し挟んできていた。ファッジ大臣はこれに憤慨していたが、議論のない改革なんて危険なだけだとは考えないのだろうか。僕とダンブルドアの不仲を喧伝してくれるのはありがたいが、これ以上失望させないで欲しいものだった。

 

 

 今回の件で、闇の帝王が戻ってきた後、半人間のようなマイノリティーに対する差別の加速を抑える土壌が僅かに出来た。スキーターに対する反論自体は多くの読者からは忘れられ、ハグリッドのような個人に対する見解を大きく変えることはないだろう。それでも、新聞社の人間は自らの体制の不完全さを知ったし、メディア自身が本来与えられるべきところまで自らの信頼を大きく損なった。それは、闇の時代の中で、人々が自らに都合の良い安寧を疑うきっかけになるかも知れない。半人間やマグル生まれに対する差別意識の緩和につながるかも知れない。僕はそう信じたかった。

 

 スキーターのような弱い立場にある人間を貶めることに快感を覚える人間は、これからの時代いとも気軽に差別を煽るだろう。それが被害者の尊厳と生命の毀損につながることなど、意にも介さないで。それに便乗してしまった無意識の、そしてもしかしたら無辜の加害者たちは、自分がそんな下劣な人間であるという事実に耐えられない。自分の罪を受け入れるより、相手の方が間違っていると考える方がずっと楽だ。それは自分の非を認めない頑なさや蒙昧さに繋がり、未来を蝕む。そんなことは許せない。

 正直、トランクの中の広口瓶を見るたび、一人の人間を監禁している事実に心が痛んだ。弱気になって自分が初志貫徹できないことを恐れた僕は、その横にハグリッドについて書かれたスキーターの記事を置いた。この悍ましい文章を読み、せめてこれからより良い未来を得るためにできることを考えて暗い気持ちを押し殺した。

 闇の帝王が戻れば、これよりずっとひどいことが幾度となく起こるだろう。僕はそのとき加害者側に立つ事になる。未来により多くを救うと自分を誤魔化しながら、罪のない人を見殺しにしたり傷つけることを厭わなくなるだろう。それでも、できる限り全員を救おうという野心は変えられない。僕や僕の父は「救われるべき人々」の最後尾にいるのだから。

 今の行為で、ハグリッドやハリーの未来が良いものになってほしい。少なくとも、手を下してしまった時点で僕にはそうなるように努力するしかない。僕は広口瓶を開けずに魔法で掃除し、餌を入れる度に決意を新たにした。

 

 

 

 三月に入り、再びホグズミード行きの日がやってきた。ここ最近恒例だが今回も僕はファッジ大臣に会うことになっていた。ハリーによるとシリウスがホグズミードの外で彼と会う約束を取り付けたらしいが、僕は一緒に行こうという誘いを断らざるを得なかった。大臣から、ここ最近魔法界全体で何か怪しげな動きがないか情報を仕入れておきたかったのだ。ここ最近別の件に気を取られていたが、ポツポツと胸中の不穏さは増していた。

 

 学校の中で気掛かりな動きをしていたのはカルカロフだった。彼は魔法薬学の授業中にいきなり教室に入ってきて、スネイプ教授に話したいことがあるとその後ずっと教室の中にいたのだ。ハリーも気になったのかアルマジロの胆汁を盛大にひっくり返して掃除をするふりをして授業後に残っていたので、これ幸いと僕もそれを手伝った。

 息を殺して机の下に潜む僕らに気づかず、二人はヒソヒソと話していた。その中で、カルカロフはローブの左腕を捲り上げ、何かをスネイプ教授に見せつけたのだ。「こんなにはっきりしたのはあれ以来初めてだ」と言って。

 

 確証はなかったが、僕はそれが何かに心当たりがあった。「闇の印」だ。闇の帝王が健在だった時、その配下に刻ませたという刺青。僕はこれの実在を疑っていた。

 そんな分かりやすいマークがあるのなら魔法省が死喰い人全員を──いや、少なくとも省内の死喰い人をしょっぴけなかった理由がわからない。それに、腕捲りをほとんどしないタイプだとはいえ、父の腕にそんなものを見た記憶もなかった。前回の大戦後、死喰い人か怪しい闇の帝王シンパがそれを模した刺青をしていた件で逮捕された事件は知っていたが、逆にそれがただの噂である可能性を高めていた。

 もし、カルカロフの言葉が「闇の印」を指しているのであれば、それは闇の帝王が弱体化すると目に見えないほど薄れ、逆に力を取り戻せば濃くなるものだったということだろう。これは危険な兆候だ。僕の知らないところで、僕の知らない方法で闇の帝王は着実に復活しつつある、その証左なのだから。

 

 もしかしたら、今回のハリーの「炎のゴブレット」事件は囮に過ぎないのかも知れない。今年一年ダンブルドアをハリーから目を離し辛い状況に置くことで、彼の手の届かないところで復活を果たすのが闇の帝王の目的であると否定はできない。だとすれば事態はホグワーツに縛られている人間の手を完璧に離れてしまっている。僕にできることと言えば、ファッジ大臣の機嫌を損ねたり、誰かに闇の帝王に敵対していると悟られないように警戒を促すことくらいだった。

 

 

 

 いつものように「三本の箒」で僕はファッジ大臣と待ち合わせた。もうスキーターを気にする必要は無くなったが、彼と会っていることが不特定多数に知られていることに懸念を感じざるを得ない。大臣もダンブルドアの膝下で生徒を抱き込んでいることに不安を覚えたらしく、今回は上階の個室で話し合いを行うことになった。

 指導要領の修正自体は概ねスムーズに終わった。これが理事会とダンブルドアの承認を得られれば、いよいよ来年は試験的導入の段になる。ファッジ大臣もダンブルドアを小突く手段としてこれを随分気に入ってくれた。これからダンブルドアと大臣の敵対が決定的になることがあっても、むしろ推進派の立場をとってくれるだろう。

 

 作業が終わって雑談が始まる。僕はスキーターのことを足掛かりに、ファッジ大臣に色々吹き込んでおきたいことがあった。

 「編集長は今回の件で大臣に恩を感じているようです。今こそ、教育改革について大々的に記事にしてもらうのも良いかも知れませんね」

 「そうだな。全く、編集長を抱きこむなんて、君は本当にルシウスの息子だ。お父上も鼻が高いだろう」

 「ありがとうございます。今回の件でファッジ大臣、あなたの名声をより高める地盤ができたのは喜ばしいことです」

 大臣は満足げに笑っている。彼の気分を良くしておくことで、ここからの話にできるだけ抵抗感なく耳を傾けて欲しかった。

 

 僕は世間話だという態度を変えず、気軽さを装って彼に声をかけた。

 「大臣、あなたはダンブルドアをこのまま野放しになさるおつもりですか?」

 僕の言葉にファッジ大臣は苦笑し、手に持っていたラム酒を呷りながら指を振った。

 「君、それはあまりにも野心的すぎる言葉かも知れんぞ。彼が偉大だと言われるのにはそれなりの理由があるのだから」

 ここで怖気付いた様子が見えないのはありがたい。僕はそのままの調子で軽く話を続けた。

 「おっしゃる通りです。あの人は無駄に人気がありますから。僕が言いたいのはダンブルドアをホグワーツの校長から退任させるとか、そう言うことではないのです。

 ただ、世間に対してこの魔法界を率いているのはダンブルドアではなく、ファッジ大臣、あなただということを知らしめられればと思いまして」

 悪戯っぽい口調の言葉に、ファッジは興味深さを隠さずにこちらを見る。頼む、このままの雰囲気で行ってくれ。

 

 僕はそのまま、軽薄さと真剣さを丁寧に調整しながら話を続けた。

 「アルバス・ダンブルドアは確かに優れた魔法戦士です。その面で超えようとするのは難しいですし、あまり大きな意味がない。ダンブルドアを本当の意味で上回るために世間に示すべきなのは、あなたの正しさです」

 ファッジ大臣は顎に手を当てて少し考えているようだ。

 「ふうむ……そうかね? やはりグリンデルバルドとの決闘の威光は大きいと思うが」

 大臣の言葉に、僕は朗らかに笑った。

 「そうかも知れませんが、魔法大臣とは決闘が上手いから選ばれる職ではないでしょう? あなたの前任者のミリセント・バグノールドだって、自分の杖で何もかもを解決したわけではないのですから。

 魔法界全体にとってより良い未来を描き、そのために確実に策を講じられる者が真に大臣に相応しい」

 ファッジ大臣は元「魔法事故惨事部」所属で自分が武闘派ではなかったことを気にしている。僕に対し彼は満足げに笑ったが、肩をすくめて口を開いた。

 「そうかも知れんが、多くの魔法使いはそれを過小評価しているよ」

 

 僕はここで困ったような顔を作った。

 「僕から見れば、ファッジ大臣、あなたこそご自分を過小評価していらっしゃいます。

 ダンブルドアはこれ──この学習指導要領の価値を真に理解してくれているようには思えません。もしそうだったら、どうしてホグワーツはここまで旧態依然のままで数十年もの間彼の下にあったのでしょうか。

 でも、あなたは違う。未来ある子ども達にとって何が重要か、それを考えてくださっている。そこを広く知らしめられれば、世間の評価も変わるでしょうに」

 僕は単なるおしゃべりという姿勢を崩さなかったが、ファッジ大臣の顔には欲望と真剣さが現れていた。このまま、こちらの本気を悟られないまま、彼の思考を誘導したい。僕は内心で気合を入れて本題に入った。

 

 軽快な声色で、少しずつ話を進める。

 「指導要領だけじゃなく、他にも色々手はあります。

 例えば──去年、ダンブルドアが狼人間を雇用し、彼を結局一年で解雇したのはご存知ですよね。あれは彼の大きな過ちでした。そこからダンブルドアを上回るためにはどうすれば良いでしょう」

 ファッジ大臣はテーブルに少し体を乗り出し、少し考えて答えた。

 「……それを新聞社に大きく取り上げさせるのかね?」

 僕はニッコリ笑って頷く。もちろんそんな真似をさせるつもりはないが、できるだけ彼の思考に引っかかりを作りたくない。

 「それも良いですね。けれど、今そこまで大きくダンブルドアと敵対を露にするのは怖いですし、せっかくなので『あなたの方が上だ』という印象を作りたいですね。

 昨年草案ができた反人狼法を更に強化するのが一番手っ取り早いですが、最善ではないかも知れません。ダンブルドアの信奉者はそのような世間の爪弾きものが多いですから。彼らすら取り込み、あなたの正しさを知らしめたいところです」

 ファッジ大臣は僕の言葉を聞いて、聞き分けの良い大人が子供の夢を聞いているかのような表情を作った。

 「なるほど……しかし、人狼は人を傷つける。それを我々の中に迎え入れるのは危険すぎやしないかね」

 ムカつく野郎だ。まあ、無自覚の差別主義者なんてこんなものだろう。無批判に偏見を内面化し、迫害を振り撒く。それを根本的に解決しようという苦難に満ちた道より、簡単な排斥を選ぶのは人の世の常だ。

 僕は自分の気持ちを抑え込み、変わらず思いつきを言っているかのような態度を取り繕った。

 「おっしゃる通りですね。じゃあ……満月以外の彼らを利用し、満月になれば牙を抜く。それが最善だとは思われませんか? 僕の報告書をご覧になっていただいたのでお気づきになっているかも知れませんが──彼は教師の能力の面では一流でした」

 ファッジ大臣は記憶を少し遡っていた。今までの話し合いの中で意図的に三年目の授業の優れた点についてプレゼンをしていた──というか、実際彼は三人の教師の中では最も優れた人間だった──彼はそこに思い当たってくれたらしい。少し納得しかねる顔をしながらも、同意するように頷いてくれた。

 「ダンブルドアは中途半端でした。狼人間を制御しようとして、しかし失敗した。もっと良いやり方はいくらでもあったのに」

 「どんな方法を君は考えたのかね?」

 ダンブルドアを貶める言葉に、ファッジ大臣は話の続きを促してくれた。これ幸いと、僕は矢継ぎ早に案を出して行く。

 「例えば、脱狼薬の頒布と服薬の徹底管理。これは根本的に狼人間を救済する措置になりますね。でも、今の民意はそれを受け入れないでしょう。危険生物を抑制するためにお金をかけたい人間などごく一部です。それではあなたの得にならない。

 ですから、管理の面で制度を作るのが一番穏当でしょう。人狼にその病状を登録させ、満月の際は自らを収容する義務を課す。勿論メリットがなければ人狼自身は制度に旨みを感じないでしょうから、代わりに雇用の機会を約束する。今の人狼は食うに困っているものも多いでしょうから」

 ファッジ大臣は後者の意見に引っかかったようだ。相変わらずこちらを侮ったような表情を浮かべ、チッチッと指を振る。

 「しかし、狼人間を雇いたいと思う人間などはおらんよ。やっぱり彼らは危険なのだから」

 事実であっても、僕の逆鱗に触れるような台詞をポンポン吐かないでほしい。こちらが軽薄な態度で喋っているのにも問題はあるだろうが、多くの人間の人生を軽く見ていることには失望せざるをえない。

 それでも僕は自分を卑下し、ファッジを心地よく話を聞くように仕向けることを意識した。

 「ああ、おっしゃる通りですね……僕は視野が狭くていけません。

 そうだな……仕事はダンブルドアに探させてはいかがでしょう? 彼は善人を装っていますから、断ることはできないはずです。それを公にしなければ手柄はそのままあなたのものだ。

 他には、満月の夜規定の場所にいなければ『失神の呪文』がかけられるような道具を作るとかはどうですか? それか、その日の朝のうちに出頭させ、それを守れなければ即アズカバン行きでもいい。これがあれば、狼人間が恐れる身分の公表も避けられると打ち出すことができるかも知れません。守れなければ身分が公表されるという抑止力になるでしょう。

 職については、煙突飛行ネットワークをはじめとして遠隔で仕事ができる方法は色々ありますから、それを活用させてはいかがでしょうか」

 ファッジは先ほどまでの侮った態度を少し無くし、顎に手を当てて考え始めた。手応えを感じ、僕はそのまま話を続ける。

 「人狼にメリットを提供できることこそ、ダンブルドアに対して我々の優位な点です。彼は短絡的に人狼を切り捨てましたが、我々は違う。狼人間の教授のように、有用なものは有用に使うことができます。

 スキーターのペティグリューに関する記事を読まれましたか? ダンブルドアは彼を頼った人間の中でペティグリューを軽んじていたかも知れないと。まさにダンブルドアの限界が現れているようではありませんか。彼は傲慢に自分の正義を信じ、それについていけない寄る辺のない人間を見限ることに躊躇がない。

 あなたは違う。あなたなら、ダンブルドアが切り捨てた人間に手を差し伸べ、支持を得ることができる」

 ファッジ大臣の目には野心が宿り始めていた。しかし彼はまだ踏ん切りがついた様子ではない。予想の範囲だ。ここで彼を説得できるなんて、初めから考えちゃいない。だから僕は、できるだけ後につながるように次の言葉を続けた。

 「尤も、これは現実を知らない一学生の意見に過ぎません。賭けになる部分は大きいですし、現実の運用には問題が多すぎるでしょう。理解者は得られ辛いし、法整備までの根回しだって困難です。

 だから……もし、ダンブルドアに対抗して、彼が切り捨ててきたものに手を差し伸べ正しさを示そうと思うのなら、僕にお声がけください。狼人間の話でなくても、喜んでお手伝いしましょう」

 最後だけ、僕は雑談ではなく、真摯な提案の口調でファッジ大臣に告げた。

 「……そうだな。君の視点は色々と面白い。もしかしたら、また意見をもらうかも知れんな」

 そう言ってファッジ大臣は顔を上げ、ニッコリと僕に笑いかけた。

 

 

 

 僕の語った「新人狼法」がファッジ大臣によって議会に提言されることはなかった。しかし、彼は「登録率の改善」を掲げ、人狼の登録制度に一定の給付金をつける法案を提出した。後に可決された案の給付金の量は微々たるものだったが、今まで存在していた「反人狼法」は「人狼管理法」に名称を変えた。

 名前が変わったところで、実情は今すぐ変化しない。登録名簿は排斥の道具として使われ、人狼は自らの病状と迫害、困窮に苦しめられている。現実を表していないという点で、もっと悍ましい事態を作ってしまったかも知れない。それでも「管理」という大義名分に基づけば人狼の状況を改善できる道筋は見えた。

 

 闇の帝王が復活しつつある今、僕がその道を切り開くことはできないかも知れない。だから、理解され辛い「正義」ではなくダンブルドアを上回れるかも知れない、よりよく管理できれば効率的に人材を運用できるかも知れない、という「得」をファッジ大臣に示した。

 叶うことなら、人狼だけでなく全ての迫害されている人々が闇に誘い込まれるような可能性を断ちたい。しかし、今の僕にできることは少なかった。

 

 

 



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失踪と推測

 

 

 

 毎年のことではあるが、三月から五月はあまり大きなイベントが起きない。この空いた期間こそ学期末に向けて情報を収集して真相を探るべきだが……やはり例年通り、推理のための手がかりは不足していた。

 

 

 ホグズミードでシリウスに会ったハリー達は、帰ってきていろいろなことを話してくれた。あいにく、シリウスが三人組に語ったことの多くは既知のものだった。けれど、一つ引っかかる論点がある。シリウスはバーテミウス・クラウチがクィディッチ・ワールドカップの観戦に来なかったり、三大魔法学校対抗試合に出て来なくなったことを不審に思っているらしい。

 

 これは僕がクラウチ氏に対して抱いた印象とは、少し違っていた。ファッジ大臣やバグマン、あと僕の父といった、ここ十数年のクラウチ氏を知っている人間も、確かにここ最近の彼の不在について違和感を覚えていた。しかし、ワールドカップの観戦については誰も気にかけた様子がない。彼はずっと仕事で忙しくしていたようだし、知人たちの理解も概ねそれで一致していたように見えた。

 もしシリウスの違和感が実際に事件を嗅ぎつけているなら、あの時を機にクラウチ氏は何かに巻き込まれ始めた、ないし彼自身が事件を起こし始めた可能性がある。だが、その後も彼は体調を崩しながらも人前に──ダンブルドアの前に姿を現している。十一月の第一の課題にも来ていたし、そこまではまともに仕事をしていた。いよいよ彼が人前に出なくなったのは十二月からだ。

 始めは彼を病気にして、その後連絡が取れないようにする理由とは何だろう。当初は利用できていたが、徐々にそうではなくなったとか? その場合、制御不能に陥った理由として、服従の呪文の使用が考えられる。……けれど、クラウチ氏なんてとても目立ち、魔法使いとしても優れている人間にそれを行う理由に見当がつかない。ワールドカップや対抗試合に何かを仕込みたいのであれば、それこそバグマンの方が操りやすい人物だっただろう。

 裏では何か、この非合理を説明する出来事が起きていたのかも知れない。しかし、それを推測するに足る情報はなかった。

 

 強いて言うならウィンキーを解雇したことによって家のことに手が回らなくなった……というのが常識的な推測だ。だが、この疑惑が物語の根幹に関わっているのなら、間違いなくそんな牧歌的な理由ではない。懸念がある一方で、本当にクラウチ氏が事の真相にかかわる人間なのか、確証が得られていないのが辛いところだ。

 

 今年ホグワーツに新たにやってきた人間は、子どもを除けばマダム・マクシーム、カルカロフ、クラウチ氏、バグマン氏、ムーディ教授だ。

 マダム・マクシームは半巨人であることを隠している点以外は問題なし。カルカロフは復活しつつある闇の帝王に怯えている、で説明がついてしまう。バグマンは妙にコソコソしているので、本当に影で何かやっているのかと思った。探りを入れてみたところ、どうやら双子以外からも借金を抱えているらしく、それで取り立てにあっている、と言う話だった。ムーディ教授は生徒に闇の魔法に対抗する手段を過激に叩き込もうとする以外は何もしていない。彼はハリーに「「闇祓い」に向いている」というアドバイスまでしたらしいし、そもそもこの人に異常があればダンブルドアがすぐ気付くだろう。

 

 誰がハリーを代表選手に仕立て上げたのか。その目的は何か。闇の帝王は徐々に力を取り戻しているらしいが、それはこのままホグワーツに関係なく進行するのか。そして、それらに不審な動きを見せるクラウチ氏がどう関わっているのか、いないのか。

 この四年間の中で最も推理の進歩がないまま、僕は五月も末を迎えようとしていた。

 

 第三の課題に向けて、ハリーはいろいろな呪文を練習しているらしい。らしいという伝聞調なのは、僕が直接彼を指導しなくなり、口で状況を聞くだけになったからだ。主にロンとハーマイオニー、たまにスリザリン生も加わって、空いた時間で変身術の教室を貸してもらい訓練を行っているようだった。彼曰く、「最後くらい自分一人でやってみたい」らしい。反抗心ではなく、成長したところを見せたいという意図らしいが……僕以外は良いのは何でなんだ。

 それに、本当に大丈夫なんだろうか。一応僕が手を回せない時のために指導法や練習法について以前には教えたが……六月末にある課題は、今までのことを考えてみれば間違いなく危険なものになる。今回はホグワーツの外に本題がある可能性は捨てきれないが、それでハリーの守りを強化しなくて良いことにはならない。彼が自力で色々しようとしているのは喜ばしいことだったが、心中の懸念は募っていった。

 

 

 

 そんな中、事件は僕の目の届かないところで起きてしまった。金曜日の放課後、僕は三人組によって空き教室に連れ出され、そこで昨夜ハリーが遭遇した事件について教えられた。クラウチ氏が禁じられた森に心神喪失状態で現れて、ダンブルドアをハリーが呼びに行っている間に、失神したクラムを残して何処かへと消えたというのだ。僕が確証を得られずダラダラしている間に、決定的な出来事が起きてしまった。シリウスの勘は正しかった。やはり、クラウチ氏は何か鍵を握っていたのだ。

 

 僕はハリーからクラウチ氏の様子をできるだけ詳細に聞き出した。

 彼は浮浪者のような風体で、髪や髭は伸びっぱなし。顔も傷だらけで服もボロボロだったらしい。おまけに話している内容もおかしかった。幻想の中で日常を送る状態と悔悟に喘ぐ状態とを目まぐるしく切り替えた。日常ではパーシー・ウィーズリー──クラウチ氏はウェーザビーと呼んでいたらしいが──に対抗試合の留学生たちのことについて語りかけたり、その十年以上前に死んだ息子の成績を同僚に自慢していたりしたそうだ。

 もう一方では、ダンブルドアに何かを警告しようとしていた。逃げてきたと語り、バーサ・ジョーキンズと息子が死んだのは自分のせいだと嘆き、最後に闇の帝王がより強くなってきたと告げた。

 ハリーがダンブルドアを連れてきたときには彼は影も形もなく、気絶したクラムだけが地面に倒れていた。

 

 僕は座っていた席から身を乗り出し、更にハリーにいろいろなことを聞こうとした。今までみたいにノロノロしていて情報を取り逃がしてなるものか。

 「クラウチ氏の髪や髭はどのくらい伸びていた? 服はどれくらいボロボロだった?」

 ハリーは僕の必死さに目を丸くしながらも、記憶を掘り返し始めた。

 「髪は……なんて言ったら良いかな、首あたりの毛が首の根本ぐらいまで垂れてた気がする。服はすっごく汚れてて……膝に穴が空いてたな。でもなんで?」

 彼に返事しながら、僕は自分の思考をまとめ始める。

 「髪や髭は彼がどれだけの間自分の身の周りのことができなかったか表している。服は、彼がどれだけ外を放浪していたかだね。頭髪から考えればクラウチ氏はそれこそクリスマスのあたりぐらいから自分の髭も整えられない環境にいたと見て良いだろう。その割に服は形をしっかり残している。魔法を使えるような状態でもなさそうなのに。これは彼がそれなりに最近その状況から脱したことを示している。そこから逃げてきた……杖もなく。

 しかも、彼は少なくとも書面でその状況を悟らせなかった。パーシー・ウィーズリーは筆跡もクラウチ氏のものだと言っていたんだろう? しかも彼の精神状態は────」

 僕が続きを話そうとしたところで、閉めたはずのドアが突然音を立てて開いた。

 「お前たち、ここで何をしている」

 そこに仁王立ちして、こちらを眉を顰めて見ていたのはムーディ教授だった。なるほど、彼の目でこの教室を見抜いたのか。いや、そもそも話を聞くのに必死なあまり、防音呪文を掛け忘れていた。僕は自分の迂闊さに内心冷や汗を垂らす。闇の帝王が復活しつつある状況で、それを嗅ぎ回る存在はどちらの陣営からしても怪しい。致命的な事態に陥らないためにも、今後は本当に気をつけよう。

 ムーディ教授はいつものように足を引きずりながら教室に踏み入り、僕らの顔をジロリと見渡した。

 「ポッター、お前は犯人探しではなく、第三の課題に集中しろと言ったはずだ。魔法省の手に任せるのが最善だ。

 ……マルフォイ、お前は『闇の魔術に対する防衛術』の教室に来い。指導要領について話したいことがある」

 元闇祓いの彼は昨夜の事件について捜索に加わったのだろう。そこでハリーに危ない真似をするなと釘を刺していたらしい。

 指導要領はもう完成して僕の手を離れているし、明らかに別の用事であることを彼は暗に示していた。ムーディ教授の突然の襲来に驚く三人組を残し、僕は空き教室を後にした。

 

 

 

 授業後の教室はガランとしていた。教授は僕を椅子に座らせ、自分もその前に椅子を置いて話し合いの姿勢を取る。案の定彼はなんの書類も出そうとはしなかった。

 単刀直入に彼は話し始めた。

 「さっきポッターにペラペラと推理を話していたな」

 やはりそこを怒られるのだろう。尤も、ハリーが猪のように向かっていく先を示しかねないような推測はまだ立っていなかったのだが。弁明する気にはなれず、僕は真面目に教授に対して答えた。

 「はい。……彼が危険なことに首を突っ込みやすいタイプだと忘れていました」

 ムーディ教授は頷くと、椅子にしっかりと座り直した。

 「そうだな。……で?」

 それで言いたいことは終わりなのだが。僕はムーディ教授の意図を読めず、目を瞬かせた。

 「……何でしょうか?」

 少しの沈黙を破っておずおずと問いを返した僕に、彼はフンと笑って口を開いた。

 「推理の続きを話してみろ。……お前は洞察力が優れている。子どもにしてはだがな。闇祓いとして見どころがあるかも知れん」

 死喰い人の息子が? ほんの一瞬、笑い出しそうになってしまった。確かに彼とは指導要領作成を通してそれなりに親しくなっていたが、そこまで考えられていたとは思わなかった。この人は常に不機嫌そうなので、感情の起伏が読みづらいのだ。

 そりゃあ信用してもらえているのは嬉しいが……僕の立場を利用して、中途半端に光側に知られる形でスパイのような真似をやらされてはたまらない。もちろん、ダンブルドアだけが知る形なら全くやぶさかではない。しかし、拷問されても閉心術をきっちりできるとは限らない不特定多数に、内情を明らかにするのは論外だ。僕は闇側で信用を持っておく必要がある。ムーディ教授に光側だと悟られ過ぎれば、引き込まれる可能性があったようだ。これは思わぬ落とし穴だ。

 僕は適度に好感度調整をするべく、注意して口を開いた。

 「分かりました。僕程度の考えが助けになるかは分かりませんが……」

 「謙遜はいい。で、お前は何を考えていたんだ」

 

 静かな教室の中、僕は先ほどのハリーの発言を思い出しながら思考をまとめた。

 「確か……クラウチ氏の精神状態は時系列の混同した日常と、恐慌状態に陥った現実とに分かれているように思います。そこに十二月以降も彼が『書面では』自らの通常のパーソナリティを演じることができたという事実を加味して考えれば……

 彼は強力な『服従の呪文』によって精神を縛られている状態にあった。その呪文はかけられた当初、彼を表舞台に立たせていても問題ないレベルに強く屈服させていた。しかし、おそらく十二月頃からそうではなくなった。……どうでしょう? そう考えられませんか?」

 僕の言葉に、ムーディ教授は深く頷いた。

 「そうだろうな。精神の混濁は強力な『服従の呪文』の後遺症だろう。それで?」

 まだ話させるか。ムーディ教授は僕の推理全てを聞くまで話を終わらせるつもりはないようだった。正直少し怖いが、こちらとしてもダンブルドアの代わりにこの人に考えを聞いておいてもらうのは悪くない。

 

 僕はそのまま考えを巡らせた。

 「それでも術者は彼を殺さなかった……発覚を恐れたのでしょうか。でも、口封じは彼を殺してしまってもできますよね。それこそ制御不能になった段階で。

 彼が死んで、不在が隠せなくなったら困ること……様々な外交関係が考えられますが、一番大きいのはやはり対抗試合ですかね。クラウチ氏が今最も大きく関与しているイベントでしょう。その主催の一人が本当に行方不明になってしまうことは避けたかった。今の状況を見ると、それで対抗試合が打ち切られていたようにも思えませんが」

 「闇の帝王が姿を消した後、連中はできるだけことを荒立てないように動いておる。クィディッチ・ワールドカップの件はあったが……お前なら内情は分かっているのだろう? あそこで火遊びをする愚か者どもが、こんな計画に関わっているとは考えられん」

 彼の言葉に僕は思わず苦笑を返す。そうだ。あれは父をはじめとした裏切り者たちの独断専行で、父は二年目のように事態を派手にすることに躊躇いがない。もとより権力を持っているから、ここまで迂遠な手も必要ない。もちろん「忠義者」の件は解決していないが、闇の帝王自身はダンブルドアを恐れ潜んでいるのが常だろう。

 

 ムーディ教授に促され、僕は更に話を続けた。

 「そして恐慌状態の時には……ダンブルドアに何か警告しようとしていた。『服従の呪文』の術者の正体はその中の一つでしょうね。そして……失踪したバーサ・ジョーキンズはすでに死んでおり、彼の息子の死と合わせて、それはクラウチ氏自身の責任だと、彼は考えていた……」

 ここにきて、ムーディ教授は初めて引っ掛かりを覚えたようだ。彼は俯き加減の顔をあげ、片眉を上げた。

 「クラウチがそんなことを言ったのか?」全く信じていないとばかりの口調だ。僕は内心怪訝に思いながら、質問を返した。

 「ハリーはそう言ってましたけど……そんなにおかしいことですか?」

 首を傾げる僕に、教授はハッと笑って肩をすくめる。

 「バーサについては推測できる範囲が大きすぎる。部署内でバーサの責任を負っていた部分もあるだろう。しかし、こと息子については、クラウチは責任感を見せるような人間ではなかった」

 「……考えを改めた可能性は残っているのでは?」

 僕の言葉に、ムーディ教授はそれでも納得しかねているようだった。

 

 

 「そうだな、プロファイリングの練習だ。お前から見てバーテミウス・クラウチはどんな人間だ?」

 彼は顎に手を当て、こちらを窺った。だから、闇祓いの道に僕を進ませようとしないで欲しい。僕は困った顔を作って彼に答えた。

 「先ほどお話しした推理が当たっていれば、僕が直接見たクラウチ氏はほとんど服従の呪文下の状態だったのですが……」

 「それでも他のところについて全く知らんわけではないだろう。やってみろ」

 これ以上ムーディ教授に闇祓いを推されたくない。それでも、この辺りの推論はしっかり練っておきたい。僕は後で闇よりのアピールをしようと心に決め、今まで知り得たクラウチ氏の特徴を脳内で整理し始めた。

 

 

 「……まず、世間一般で知られている点、クラウチ氏の能力から考えてみます。

 彼は多くの外国語を習得していたそうです。言語は文法はともかく語彙は膨大な学習量が必要になりますから、記憶に関して才能があったか、並外れた勤勉さを持っていると言えます。

 それは彼の言動にも表れました。クィディッチ・ワールドカップで少し姿をお見かけした際、彼は完璧にマグルの格好を模倣していらっしゃいました。純血一族にあっては珍しいことです。職務に対する忠実さが窺えますし、言うまでもなく彼は規律に厳格です」

 途中までムーディ教授は静かに聞いていたが、最後のあたりで少し首を捻るような素振りを見せる。僕は彼の立場からその理由にすぐ思い当たった。方向を修正し、再び推測を続ける。

 「……いや、この言い方は適当ではないかも知れませんね。クラウチ氏はかつて死喰い人を排除するためには『禁じられた呪い』の使用も許可しました。ルールそのものを徹底的に重んじているとは言い難いでしょう。

 ここから窺えるのは彼の理想に対する執着です。多くの場合『規範』は彼にとって理想であり、それに従うことに価値があると考えてはいたのでしょうが、現実のルールが理想を体現してないと考えれば、彼はそれを曲げることを良しとした……そう考えられるかも知れません」

 教授は今度の仮説にはしっかりと頷いた。

 「そうだな。……わしは死喰い人であろうと、殺さずに済む場合は生かした。奴は違う」

 彼の同意に乗り、僕はさらに言葉を紡いだ。

 「であれば……クラウチ氏はルールではなく、自分の理想に忠実な人間と言えますね。だから、そこから外れる人間に容赦しない傾向があるように見えます」

 

 ムーディ教授は相槌を打って続きを促す。ここから先はかなり想像が入ってしまうのだが……それでも僕は話を続けた。

 「その執心の反動でしょうか、自分の視野の外にいる人間には頓着しない傾向にあります。例えば、パーシー・ウィーズリー。クラウチ氏は彼の父であるアーサー・ウィーズリー氏を間違いなくご存知でしょうが、その息子であるパーシーの苗字は覚えてすらいない。これはおかしいですよね?」

 「ああ。クラウチは魔法省の傍流……マグル贔屓のアーサー・ウィーズリーのことを内心見下しておるだろうし、自分の下に来た部下だって、自分の昇進につながらんのであれば軽んじるだろう」

 やはり長い間彼の部下だっただろう教授から見てもそうなのか。僕は自説の補強を得て、さらに推理を深めた。

 「彼らの関係性を知らないので憶測になりますが……パーシー・ウィーズリーは誰からも無視されるべき無能ではないはずです。彼は虚栄心の強い人間ではありますが、同時に抜きん出て勤勉でもありました。

 クラウチ氏にとって彼は数多くいる部下の一人でしょうが……逆に言えば、彼は同じ部長格の子息であっても、自分に大きな益のない人間の価値を認めていないことになります。外交面で大きく問題を起こした話は聞いていないので、会う人全員にそんな態度だったわけではないでしょう。自分の中の価値で人への態度を大きく変える人間であると言えますね。無価値なものは、彼の中で認識しなくて良い存在。そういう認識を抱えた人物と推測できます」

 僕の話を聞いてムーディ教授は頷き、今度は質問を返してきた。

 「それで、奴の息子についてはどうだ?」

 「どうと言いますと?」

 「奴は息子のことを自分の責任だと言っていたんだろう?」

  曖昧な問いに首を傾げる僕に、彼はさらに質問を重ねた。

 「言葉通りの可能性もあると思いますが……そうですね、まずクラウチ氏と御子息のことについて整理してみてもいいですか?」

 今回の件からは脱線している僕の提案に、ムーディ教授は少し間を置いて頷いた。

 

 

 僕は再び自分の記憶を掘り返した。

 「バーテミウス・クラウチ・ジュニアはとても成績が良い子どもだったそうですね。それをクラウチ氏は他人に自慢していたとハリーは言っていました。パーシーの話と同様、日常の仕事場での彼のあり方はそうだったのでしょう。

 ……では、家の中ではどうだったのでしょう? 外と同じく息子のことを褒めていた? 本当にそうかも知れませんが、僕はもう少し違う像を考えています」

 僕の言葉に、ムーディ教授は頷くこともなくじっとこちらを見つめる。……死喰い人の話だし、こちらの思想を試しているのだろうか? 僕は少し闇寄りに自分の立場を設定し直して話を続けた。

 

 「彼のような有能で、自分と規律を同化させている人間が『自分の息子』という自身が責任を負うべきものに対してどう振る舞うのか。おそらく、彼の要望──そうですね、良好な成績、品行方正な態度を当たり前のものとして求め、それに応えられなければ無価値な人間だと教え込むでしょう。それが子どものためだと思って。

 では、その要望に完璧に応えたらどうなるのか? ……僕は、息子に報いとなるほどの何かを彼が与えたとは思えません。それは『当然』なのですから。最悪、その程度でつけ上がるなとすら言ったかも知れません」

 「……容易に想像できるな」

 やはり部下から見てもそう言うところのある人間だったのか。クラウチ氏の要求する水準は高そうだし、ムーディ教授も苦労したことがあるのかも知れない。

 僕は更に推理を続けた。

 「一方、彼は外ではそんな態度を取らない。あたかも息子が誇りであるように振る舞い、息子は立派だと言う。実際、息子さんが『立派』に成長して、内外にそういう態度になったのかも知れませんね。しかし、それは人格否定によってできた心の穴を完璧に埋めはしない。息子は父親が自分を愛しているのか……いや、父親が自分を無価値だと思っているかどうか確かめる機会なく、大人になった」

 

 一度言葉を切ると、再び黙り込んでいたムーディ教授は視線で先を促した。……意外なほど死喰い人の過去に関する僕の適当な想像を真面目に聞いてくれている。やはり、教授はクラウチ氏より遥かに慈悲深いと言うことなのだろうか。

 僕は彼の求めるままに言葉を紡ぎ続けた。

 「クラウチ・ジュニアが父親の部下であるロングボトム夫妻の襲撃に加わったのは偶然でしょうか? 彼以外は……僕の伯母もいましたね。記憶の限り、会ったことはないですが……つまり、レストレンジ達は彼よりずっと年上の血縁同士でした。その中に、一人年若いバーテミウスが居たのには意味があるように思います。

 あの事件について、裁判記録を見たことがあります。バーテミウスは罪を認めず、泣いて両親に助けを請うたそうです。これは偽証だろうと判断されたのですが……彼が実際手を下していたのだとすれば──彼自身気づいていたかどうか分かりませんが──そのきっかけの一部は父子関係にあったかも知れない。父の部下を害するなんて、息子についてどう思っているのか確かめる絶好のタイミングだとは思いませんか?」

 「……それで、奴はちょっと誘われた程度で気軽にロングボトム達を拷問するのに手を貸したと?」

 ムーディ教授は低い声で唸るように問いかけた。同僚を廃人にされた彼からしたら嬉しい推測ではないだろう。しかし、僕の「闇祓いへの向いてなさ」を示すにはちょうどいいのかも知れない。

 僕は僅かに首を振り、話を続けた。

 「彼が実際どれほど死喰い人と親しくしていたかは知りようがありません。もしかしたら、本当に『やらされた』だけだったかも知れないし、深く闇の帝王を信奉していたかも知れない。

ただ、とにかくクラウチ氏は息子に裁判の場で突き付けたわけです。お前は……無価値だと」

 死喰い人に同情的な言葉に、ムーディ教授は眉根に皺を寄せて黙り込んだ。機嫌の良い兆候ではないが、今の場面においてはこれくらいでちょうど良いだろう。

 僕は話を切り上げるために次の言葉を紡いだ。

 「クラウチ氏が自省する機会を得たのなら、その結論を自ら導いたかも知れません。そうすれば『自分の責任』という言葉は違和感がない。バーサ・ジョーキンズはあまり好かれる魔女ではなかったそうですし、息子同様『無価値』と判断して再び誤った道を選んだと考えた可能性があります」

 

 しばらく間が空き、ムーディ教授は深く息を吐いた。

 「……お前は死喰い人に甘すぎるな」

 そう思っていただけて何よりだ。頼むから闇祓いの勧誘は諦めてくれ。……それに、実際僕は死喰い人に甘い。ムーディ教授のような人間は世界に必要だと思うが、僕と彼の道は交わらないだろう。

 僕は少し微笑み、彼に言葉を返した。

 「そうかも知れませんが……もし僕の推測が当たっていれば、誰かバーテミウス・クラウチ・ジュニアに『お前の父親は親失格のクソ野郎だし、お前は無価値なんかじゃない』って言う人間がいたら、もう少し何か変わったかも知れないと思われませんか? その人間がそばにいなかったのは彼の責任ではない」

 「……お前は奴を無価値じゃないと思うのか? わしの同僚を二度と子供の顔もわからないようにした人間を」

 ムーディ教授は僕の目をじっと見つめていった。彼の目には、珍しく悲しみや痛みのような色が僅かにうかがえた。いつ見ても、善良な人々から向けられる失望の視線は胸にくる。「お前はそこまで分かっていながら、こちらに来ないのだな」と言う視線だ。

 

 それでも、伝説の闇祓いアラスター・ムーディに慈悲の可能性を変わらず残していて欲しい。僕はその祈りを込めて口を開いた。

 「彼の犯した罪は許されるものではありません。ただ、直接会ったわけじゃないですが……十二科目もO.W.L.をパスするくらいですから、勤勉で、父の期待に応える責任感を持った人間だったはずです。

 ……僕なんて、今の段階でもう十科目も授業を取ってないですしね」

 雰囲気に耐えかねて最後の言葉を付け足した僕に、ムーディ教授は再びため息をついた。

 

 

 彼は態度を切り替え、椅子にしっかりと座り直して僕に問いかける。

 「……闇の帝王は力を取り戻しつつあるとクラウチは言っていたらしいな。そうなったとき、お前はどうするんだ。お前はポッターと親しいのだろう。裏切るのか?」

 いつか誰かに聞かれる日が来るだろうと思っていたが、来るべき未来を思い出させる質問は僕の胸を抉った。

 内心を殺し、僕は今の状況にあった言葉を口から吐き出した。

 「……ハリーにはあなたやダンブルドアがついているでしょう? 僕は……クラウチ・ジュニアみたいな子のそばにいようと思います」

 言質とまではならない、取りたいように取れる曖昧な言葉だ。それでも、ムーディ教授はそれ以上追及してくることはなかった。

 

 「……もう夕食の時間になる。さっさと大広間へ行け。それと……もう少し慎重に行動しろ。『油断大敵』だ」

 彼はそう言って椅子から立ち上がり、僕の肩をしっかりと叩いた。

 

 

 

 

 



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決闘と内省

 

 

 

 ムーディ教授に話した推理は中途半端なところで終わってしまった。結局、クラウチ氏が元部下のバーサ・ジョーキンズや息子の死を自分の責任だと捉えた理由はハッキリしない。

 

 やはりアルバニアで消息を絶ったバーサは死んでしまっているようだが、彼女の口からクラウチ氏の何らかの情報が漏れた可能性はあっても、それを彼が負い目に感じるのは筋が通らない。彼女がクラウチ氏の下で働いていたのは彼女がアルバニアを訪れるずっと前だ。自分の下から放り出して魔法ゲーム・スポーツ部に移動させたことが原因かとも思ったが……彼はそんなにも責任感が強い人だったのだろうか? 伝え聞いた限りでは、バーサ・ジョーキンズは有能で上司に愛されるというタイプではなかった。

 御子息のことについては……彼が闇側に堕ちる前に何か兆候があったとか? それを見逃したことを自覚したということだろうか。いや、そもそもクラウチ・ジュニアが死んだのは十年以上前のことだ。あの場でそれを引っ張り出してきたことには、それ自体に今回の事件の関わりがあった可能性を示している。

 

 今分かっていることを整理すると……

 元部下のバーサからクラウチ氏や対抗試合の情報を仕入れた闇の帝王は、ペティグリューの助けを借りて彼の下に向かい服従の呪文をかけ、ハリーを対抗試合に出場させた。その中でクラウチ氏が知りえたことの中に、息子に対する反省を促すものがあった。……というところだろうか。

 だとすれば、今年の校内で「炎のゴブレット」以降なんの不穏な動きもなかったことに説明がついてしまう。そもそもクラウチ氏が退場した時点で、「ゴブレット」事件の犯人は消えていることになるのだから。

 たかが囮如きのためにここまで派手なことをダンブルドアの膝下でやってのけたのは不自然だが……ハリーに全く関係ないところで闇の帝王が力を取り戻しつつあるのも、また事実だ。

 

 しかし、そうすると今度は「忠義者」はどこにいったのだという疑問が出てくる。クラウチ氏が浮上してくるまでは暫定的に「炎のゴブレット」事件の第一容疑者だった男。例年に倣えば、彼はまさに今年の事件を導く存在だったはずだ。

 「忠義者」こそがクラウチ氏の後悔の原因なのだろうか? かつてクラウチ・ジュニアを闇に引き込み、それなのにのうのうと牢の外で生きてきたが、ワールドカップという場で大きな花火を打ち上げた存在。それを闇の帝王はクラウチ氏を襲撃する前に回収し、一緒に彼の下へ向かった……そういうことだろうか? そして、クラウチ氏はその人物の正体を警告しようとしたと。

 そう考えたときに、クラウチ氏を失踪させた人物の正体も大体見当がつく。彼を監禁していた場にいたであろう「忠義者」だ。禁じられた森やクィディッチ・ピッチは城の中より遥かに守りが薄いし、ダンブルドアの目を盗んで彼の下に行こうとしたクラウチ氏を捕獲するのは不可能ではないのかも知れない。

 だとしたら、やはり第三の課題は危険だ。課題の舞台はクィディッチ・ピッチに急造された迷路らしいのだから。ダンブルドアは目を光らせているだろうが、クラウチ氏に対する蛮行を許している時点で万全というわけにはいかないだろう。

 

 小説の登場人物としては仕方ないことかも知れないし、おそらく死かもっとひどい目に遭っているのに可哀想だとも思う。しかし、クラウチ氏にはもっと直球な手がかりを残して欲しかった。

 

 

 あの話し合いの後も、ムーディ教授とはちょくちょく意見の交換をした。アルバニアに闇の帝王が潜んでいたことや、ペティグリューが闇の帝王のそばにいること、「忠義者」に関するメタ視線での推測などは僕の実情を把握されてしまう可能性があるため教える訳にはいかなかったが、まあ、それはダンブルドアが全て知っていることだ。ムーディ教授を通してダンブルドアに僕の意見が伝わればそれでいい。ムーディ教授もこちらの見解を真剣に聞いてくれているし、少しでもダンブルドアが真実に近づく手助けになれば良いのだが。

 

 事件の推理だけがムーディ教授の用事ではなかった。ありがたくも迷惑なことに、彼は闇祓いの勧誘についても諦めていなかったのだ。僕はずっと明言せずに「闇側を離れる気はありませんよ」アピールをしていたので早々に見切りをつけられると考えていたのだが、その予想は大きく外れた。

 彼は話し合いをした後、僕に探知呪文や防衛呪文を教えてくれるようになった。考えてみれば、守護霊の呪文や変身術は実践形式で先生方に教えてもらったことがあったが、防衛術を実際に使って個人的に誰かから教えてもらうのは初めてだ。しかも伝説の闇祓いは比類なく防衛術に長けている。

 ムーディ教授の意図を顧みると複雑な心境にもなったが、このまたとない機会を僕は有効に活用させてもらった。

 

 尤も、彼から学んだ探知呪文で怪しい人物を見つけられはしなかった。便利なものの中に「こちらを見ている人間がどこにいるか知らせる呪文」と言うのがあった。これのおかげで僕は人目につかずに行動することができるようになったが、その視線の全てが生徒や教師から向けられたものだった。知れたことといえば、アストリア・グリーングラスがものすごい頻度で僕を見ていることや、僕が見ていない時だけセドリック・ディゴリーがこちらを凝視していることぐらいだ。……勘弁してくれ。

 

 アストリアはともかく、セドリックの僕に対する感情はいいものではないだろう。

 第二の課題で真っ先にロンを陸に連れ戻した上、フラーの人質すら回収しにいったハリーはホグワーツ内で高い評価を受けるようになった。セドリックよりもだ。彼は泡頭呪文に加えて変身術も使って見せたのだから、泡頭呪文だけを使ったセドリックを上回ったと言う指摘を否定することはできない。特にグリフィンドール生は十一月のハッフルパフ生の態度をよく思っていなかったし、公に言うものまでは出ていないが彼らの態度はハリーの方が優れた代表選手だと告げていた。

 スリザリン生の中にもそういう人間はいた。というか、ハリーの友人である四年生のスリザリン生が主にそうだった。彼らは一度「止めろ」と言えば自校の正式な代表選手を馬鹿にするような真似はやめてくれたが……軽率な真似はやめて欲しい。

 チョウの件でセドリックに対する隔意を持っていたハリーだったが、この状況に対してはあまりよく思ってなかった。クリスマスから時間が経って頭が冷えていたのもあるし、ハリーには人に助けてもらって課題をクリアしている自覚があった。復讐感情ではなく自分の価値観に基づいて善悪の指針を見出せる彼は、やっぱり真のグリフィンドール生だ。

 

 兎に角、セドリックは彼を今の状況に追い込んだ裏に僕がいると気付いているだろう。僕を嫌いになられるのは仕方ないが、今後のことを考えるならハリーやスリザリン生にまで悪感情を持って欲しくない。彼がハッフルパフのリーダーであり、優れた魔法使いであるのは疑いようがないのだから。折角グリフィンドールとレイブンクローとの仲は改善できたのだし、ここに来て下手したらグリフィンドールより悪から遠いハッフルパフを敵に回したくない。

 悶々としながらもセドリックと話す機会などなく、日々は過ぎていった。

 

 

 しかし、そのときは突然やってきた。

 いつものようにムーディ教授の下で防衛術を教えてもらった教室の外で、僕は珍しく一人でいるセドリックと出くわした。ムーディ教授に用があったのだろうか? 夕日に照らされた廊下で、彼は僕を見て目を丸くしていた。

 「やあ。こんな遅くに質問? 熱心だね」

 いつもの優等生の表情を崩さずに微笑む彼に、僕は内心安堵する。表面的にでもにこやかにして貰えれば、こちらが食いつく隙ができてくれるからだ。

 僕も親しげな様子を装い、セドリックに笑いかけた。

 「ムーディ教授に、たまに勉強を教えていただいていて……でもやっぱり実践は難しいですね。机の上のことだけではどうにもなりませんから」

 「君は実践が苦手なの? 意外だな」

 セドリックは僕の言葉に肩をすくめる。ここまでは特に引っ掛かりなく行けている。もう少し……廊下なんかじゃなくて、落ち着いた場所で話をしたいものだ。ついでに、彼に不公平ではない程度に課題の援助もしたい。

 僕は内心おっかなびっくりしながらも、セドリックに対して提案を投げかけた。

 「あの、よければ……一緒に呪文の練習をしていただけませんか?」

 彼は首を傾げ、少し眉根に皺を寄せる。

 「……どうして?」

 その声色には不可解さがありありと現れていた。

 うっ。それはそうだ。全く仲のよくないスリザリン生の自主練に付き合う義理などない。思わず返事に詰まってしまったが、セドリックは少し考えると僕の言葉を待たずに頷いた。

 「いや、分かった。いいよ。スプラウト先生に使ってもいい空き教室があるかどうか聞いてみるから」

 流石ハッフルパフの優等生だ。元々の彼は誰にでも優しい人物である。僕は内心ガッツポーズを決めながら彼の後について階段を降った。

 

 

 

 スプラウト先生に使っていいと言われた教室で、僕らはまず机を脇に退けてスペースを空けた。こちらに向き直り、セドリックは口を開く。

 「……まず、決闘形式でやってみてもいい? 君の実力を知っておきたい」

 ……そんな本格的に練習するつもりはなかったのだが。そもそもいきなり互いに呪文を飛ばし合うなんて、教師が監督してくれている場でもないのに危険すぎるように思う。

 「危なくないですか?」

 僕の言葉に、セドリックは皮肉げに微笑んだ。

 「君が? ……それとも、僕が?」

 今のは失言だった。彼はこちらが彼を侮っているのではないかと考えてしまっただろう。

 冷や汗をかいて黙り込む僕に対し、セドリックは緩く頭を振った。

 「本気でやって欲しい。僕もこの一年間鍛え続けたよ」

 なんでライバル対決みたいになっているんだ。呪文の練習という口実でセドリックを連れ出したのは完全に誤りだったかも知れない。僕は内心後悔しながら彼に対して頷いた。

 

 

 「合図は二人で同時に一、二、三と言って、三で開始ということにしよう。いいかな?」

 こちらの頷きを見て、セドリックは教室の反対側に立つ。僕も位置につき、お互いに杖を向けあった。

 「一、二───」二人分の声が教室に響く。セドリックの顔には真剣さがありありと見て取れる。

 「───三!」

 決闘が始まるや否や、セドリックは素早く僕に対して何か呪文を飛ばしてきた。無言呪文だ。間一髪、直前でプロテゴが間に合ったが、彼の猛攻は止まらない。次々と高い威力で呪いを放ってきた。そのほとんどが無言呪文である以上、一発でも喰らうわけにはいかない。僕は防戦一方に追い込まれた。

 

 セドリックの言葉があっても、僕はあまり本気で決闘する気はなかった。ここで彼に恥をかかせて頑なになられたらおしまいだからだ。しかし、その心配は全く無意味だった。────彼は強い。自分に気合を入れ直し、この場から攻勢に転じる策を練る。

 少し単調になってきた呪文の一発をかわし、僕はできるだけ素早くポケットの中のいくつかの飴を蜂に変え、セドリックに突撃させた。小さい対象を一気に排除するため、彼は杖先から炎を吹き出させる。予想より簡単に対処されてしまった。それでも変身術のアイデアが尽きたわけではない。

 

 彼が虫に拘っている間に、さらに寄せておいた机の一つをセント・バーナードに変え、セドリックの方へと突進させた。彼は足元に激突した大きな犬に一瞬よろける。その隙をついて、麻痺の呪文を無言で放ったが────セドリックは軽やかにその呪いをかわした。

 これも無駄か! 一瞬次の策を練ろうとした隙を、セドリックは見逃さなかった。彼は足元にいた犬を勢いよくこちらに吹き飛ばす。空中で元の机に戻ったそれに向けた盾の呪文は間に合わなかった。机は強かに僕の顔を打ち、その勢いのまま僕は背中を地面に叩きつけられた。

 

 クソ、痛いな……衝撃のせいで少し頭がクラクラする。すぐに起き上がれず呻く僕に、セドリックは慌てた様子で駆け寄ってきた。

 「ごめん! やりすぎた……大丈夫?」

 彼は僕の体の上から机をどけながら眉を下げて声をかけてくる。心からこちらのことを心配しているようだった。まあ、決闘なんてしているんだからこの程度の怪我は最初から予想の範囲だろう。なんとか起き上がり、杖で鼻血を止めながら僕は返事を返す。

 「だ、大丈夫……です。怪我は顔くらいなんで」

 それでもセドリックは心配そうだった。

 「本当にごめん、保健室に行こうか」

 折角の機会をこの程度で切り上げられてはたまらない。まだ決闘の振り返りもしていないのに。僕はセドリックに対して強く首を振った。

 

 

 「いや、本当に大丈夫です。

 ……やっぱり反射神経が段違いですね。シーカーだと特別に訓練したりするんですか?」

 僕の言葉に、側にしゃがみ込んでいたセドリックは目を丸くする。

 「特別というか、普段からスニッチを目で追っているだけだけど……」

 それで反射神経の訓練になるのか? やっぱりシーカーなんてやってる人間はもともと敏速さを身につけているものなのだろうか。

 

 お互い、全力の決闘だと肌で感じたのもあるだろう。教室に入ってきたときより、遥かに僕らの雰囲気はいい。

 傍に寄せて置いた椅子に座り、僕は更にセドリックに質問を続けた。

 「余裕がなくてプロテゴで弾くことしかできなかったんですが、無言で使ったのはほとんど種類が違う呪文でしたよね。何を使ったんですか?」

 セドリックは少し照れた様子を見せながら答える。

 「武装解除とか、麻痺とか、妨害とか……つまらないものばかりだよ」

 謙遜しいだ。無言呪文を色々なバリエーションで使える時点で凄いのだが。僕は更に問いを重ねる。

 「僕、まだステューピファイしかちゃんと無言で打てないんです。どうやって練習したらいいとかって何か……」

 そこでようやく、僕はセドリックがなんとも言えない目で僕をじっと見ていることに気づいた。矢継ぎ早に質問しすぎただろうか。口を閉じて彼を見返すと彼はしばらく黙り込み、それからふっと笑った。

 

 「君は……負けても全然悔しそうにしないんだね。人からどう思われるのか……君は気にしていないようだ」

 全く予想していなかった言葉に、僕はどう返事すればいいか躊躇う。こちらの心境を知ってか知らずか、セドリックはそのまま話を続けた。

 「ユール・ボールのときもそうだった。皆の前で同じ寮の子に断られても、君はがっかりするばかりだった。それで恥ずかしいとか、恥をかかせた女の子にも少しも怒ってなかったね。

 その後、君の申し出を受けたパンジー・パーキンソンって子は君をいかにも情けない風に周囲に言いふらしてたけど……君はしょうがないって感じで止めようともしなかった」

 こうして羅列されると、少し変わった人間のようにも見えるかも知れない。しかし、同級生の件はともかくパンジーについては事情があった。セドリックに言う訳にはいかないが。

 「……そうでしたっけ?」

 曖昧に言葉を濁す僕に、やっぱりセドリックは不可解さを目に滲ませて問いかける。

 「君は恥をかくことや、人から失望されることが怖くないの?」

 今、真剣な決闘を終えて彼は随分こちらに心を開いてくれているようだ。このいい雰囲気を壊したくない。僕は彼の問いに対し、できるだけ心から、誠実に答えを考えた。 

 「恥ずかしいのは嫌ではありますが……失望はそうですね。仕方ないのかな、と思います」

 

 セドリックはやはり不思議そうに、しかし敵意は全く見せずに話を続ける。

 「君は……人の期待に応えたいとは思わないのか?」

 「全く思わないわけではないですが……以前もこんな話をしましたね。僕はやっぱり自分の目的を優先してしまう、根本的に自己中心的な人間なんです」

 

 この言葉にセドリックは肩をすくめて少し笑った。和やかな空気の中、彼は再び少し考えて口を開く。

 「いつでもそうなの? 例えば……君のお父さんが君に何か期待して、それが君の信条に反するものだった場合はどうするのかな」

 胸に突き刺さる質問だった。もちろん、彼はこちらの事情を知らないだろうし、この「お父さん」とは彼の父のことなのだろう。それでも、腹を割って話した雰囲気のせいか、質問自体の鋭さのせいか、その推測を踏まえて話をすることはできなかった。

 僕は何とか心を落ち着けようとしながら、口を開いた。

 「できれば……父に僕の考えを分かって欲しいと思います。そのためにできることなら何でもするって……そう言えたらいいんですが」

 セドリックは少し目を開いてこちらを見た。

 「そうしてないの? 正直……思っていたのとはちょっと違うな。君は家族にだって説得を試みるタイプだと思っていた」

 「そうですね。……でも、今までずっと決定的に言うことは出来ていないんです。本当は、彼のためを思うなら、彼に嫌がられても言わなきゃいけないことが沢山あったのに。それでも……僕は父に……嫌われたくなくて」

 

 「……意外だな。君だったら、お父さんにだって嫌がられても仕方ないって言うのかと思っていた」

 「そうですね……」

 

 何で彼にこんなことを話してしまっているのだろう。全然関係ない人間なのに。

 ……いや、全然関係ない人間だからだろう。スリザリン生も、ハリーたちにも、ダンブルドアにも、マクゴナガル教授にもこんなことは言えない。彼らは僕を好ましく思ってくれているし、こんな事情を聞けば悲しませてしまうだけだ。それに、自分の弱さを彼らに知られたくなかった。

 なんだ、僕も全然失望されるのは平気じゃないじゃないか。思わず自嘲的な笑みが溢れる。

 

 セドリックの顔から視線を下げ、ぼんやりと思考を巡らせる僕に彼は優しく声をかけた。

 「……ねえ、一度お父さんにそう言ってみたらどう? 嫌われたくないから言えなかったけど、お父さんのためを思って言ってるんだよって」

 彼の無神経に聞こえる言葉に、少し胸が苦しくなる。僕は思わず考えなしに強い口調で返事をした

 「あなたのお父さんはそういう人なんですか? 子どもに正しさを諭されて平気でいられる親なんて、ほとんどいないと思いますけど」

 セドリックは怒らなかった。彼は少し心配を滲ませた目で、じっとこちらを見ていた。

 「……そうかな? もし、君のことを本当に愛している親なんだったら……君のことを心から大事に思ってくれている人なんだったら、言うことを聞いてくれるんじゃないかな」

 彼の言葉は人の善性を信じすぎているようにしか聞こえなかった。僕は弱々しさを抑えきれないまま言葉を返す。

 「それで、本当に『そうじゃない』って分かったら……辛いじゃないですか」

 彼は相変わらず誠実そのものの態度で言葉を返す。

 「でも、そうじゃないんだったら辛く思う心も少しは救われるんじゃないかな。お父さんはそういう人だったってわかるんだから」

 その言葉は残酷だった。僕は、多分父が「そういう人」だと判明しても彼を愛するのを止められない。その愛情が正しさに、そして父を本当の意味で救うことに何の役にも立たないことは重々分かっているのに。

 僕は二年目に父をアズカバンに突っ込めただろう。今年のワールドカップについても、頑張れば証拠を出すことができただろう。それで父は闇側に手を貸さなくてよくなるかも知れないと分かっていながら、僕はそうしなかった。父を牢獄に突っ込む息子だと、彼に思われたくなかった。

 心中で彼を残しておけば闇の帝王が戻った時に活かせるとか、純血一族のトップが捕まれば反発が起きて断絶が深まるだけだとか色々言い訳はしていた。しかし、結局はそこだ。父に嫌われたくなかった。心の底から僕の幸せを願っているように見える彼が、救えないほど愚かかも知れない可能性を確定させたくなかった。

 

 遂に下を向いて黙り込んでしまった僕に、セドリックが気遣わしげな視線を投げかけているのを感じる。……ただ、もういいだろう。少なくとも、彼はこちらに隔意を持たなくなってくれたようだし、僕の目的は達成された。セドリックにもう寮に戻ろうと声をかけると、彼は気がかりな様子を見せながらも了承してくれた。

 

 

 

 用事があると嘘をついて彼と一緒に地下に向かわなかった僕は、廊下でムーディ教授に捕まった。気がつけば日はすっかり落ちてしまっているし、フラフラ出歩いていたことを怒られるのだろうか。

 僕の予想は外れた。彼はフーッとため息をつくと、首を振って口を開いた。

 「マルフォイ……ディゴリーと決闘をしていたな? 危険な真似をするなと言ったはずだ」

 「危険ですか? 七年生の優しい他寮の先輩に練習に付き合ってもらっただけなのですが……」

 僕の言葉に彼はフンと笑う。

 「ディゴリーがお前をよく思っていないことなど、側から見ていても分かる。奴がお前を言い逃れ出来ないほど傷付ければ、対抗試合の代表選手から引き摺り下ろされていただろう」

 そこまで考えられていなかった。そうか、彼はそう言うことも視野に入れて僕らを監視していてくれたのか。僕は少し恥ずかしくなり、頭を下げた。

 「すみません、ムーディ教授が見ていてくださったんですね。危険がないかどうか。だからいいとはなりませんが……ありがとうございます」

 僕の言葉に彼は眉間の皺を深めた。呑気なセリフすぎただろうか。

 

 しかし、彼はそれ以上僕を叱ることなく僕を連れてスリザリン寮へと歩き出した。

 道すがら、ムーディ教授はこちらを見ないまま、いつもの唸るようなものではない口調で僕に語りかけた。

 「……お前は父親に進言出来ていないのか」

 彼が『何を』について言及しないでいてくれるのはありがたかった。僕は常のように立場を曖昧にしながら、しかし気持ちを持ち直せないままムーディ教授に答える。

 「はい。厄介ですね、親子関係って。不合理だと心底分かっているのに、感情が追いついてくれなくて嫌になります」

 「……それは、お前の責任ではない」

 彼がそんなことを言うとは意外だった。いつもなら、しゃんとしろと檄を飛ばしてきたところだろう。僕が予想していたよりずっと、ムーディ教授は子供の心情を尊重する人だったようだ。

 彼はそれ以上何も聞かないでくれた。寮の近くまで来ると僕の肩を優しく叩いた後、彼は踵を返してきた道を戻って行った。

 

 

 



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墓穴

 

 

 

 相変わらず推理に大した進捗もないまま、貴重な学期末の時間は飛ぶように過ぎていった。

 あれからハリーは一度闇の帝王に関する頭痛を伴う夢を見たらしい。占い学の授業で居眠りしたとき、それが原因で倒れてしまったそうだ。ハリーはシリウスの指示に従って、その直後にダンブルドアの元へ報告に向かった。前々から頼んでいたこともあり、僕にもその日の夜にその件について教えてくれた。

 夢の内容は、ペティグリューが何かヘマを犯し、それを闇の帝王が罰しながらナギニ──彼の愛蛇の餌にしてやろうかと脅すが、結局そうはせずにハリーが代わりに贄になるだろうと告げる、というものだった。

 

 闇の帝王がハリーを殺すのを諦めていないと分かったのは、彼の動向を予測する上で大きな収穫だ。しかし、その言いぶりは学期末の第三の課題と直接関係があるのか、それとも比喩的な話で、復活すれば真っ先にハリーを殺しに来るつもりだということなのか、決定打に欠けていた。僕にできるのは校内で手を回すことぐらいなので、結局ハリーの周辺を警戒するしかない……というのが結論だ。

 ハリーへの殺意以外のことについては、今までの推測に裏付けができた程度で、依然として「忠義者」の正体は判然としない。少なくとも、第三の課題に対して未だ気を抜けないのは変わらないことだが……何か起きそうな時間と場所は分かっているのに、そこで何が起きるのかはさっぱり分からないと言うのは歯痒いものだ。

 

 

 気がかりなのは第三の課題のことだけではなかった。

 クラウチ氏の失踪は予期せぬところで波紋を呼んでいた。部下が失踪したということで、ファッジ大臣がホグワーツに呼び出されたのだ。そこでダンブルドアと一悶着あったらしい。ファッジ大臣はこの件でハグリッドやマダム・マクシームといった半人間の可能性がある者たちに疑いの目を向け始め、当然ダンブルドアはそれに反発したそうだ。

 ファッジ大臣は悪意を持って人を害する人間ではない。しかし、標準的な純血の魔法使いたちと同様に根強い差別意識を脳味噌にこびりつかせているし、彼が「人」として扱うものの範囲は決して広くない。ハグリッドの出身が割れた後も全く解雇しようとする様子を見せなかったダンブルドアに対し、ファッジ大臣は心中で反感を募らせていたようだ。ダンブルドアは差別に対しては頑として反対の姿勢を示し、意見を聞く姿勢を見せないため、両者の立場は平行線を辿っていた。

 

 この経緯はファッジ大臣自身から知らされたことだ。ここ最近の彼からの手紙には、ダンブルドアに対する憤りがありありと表れていた。彼は来年試験運用が始まる「闇の魔術に対する防衛術」の学習指導要領を必須に押し上げようとしたのだが、それをダンブルドアがあくまで参考に留めたのも気に食わなかったらしい。僕は自分が彼に接近した理由である「反ダンブルドア」の立場を捨てられず、彼がダンブルドアをこき下ろすのを黙って見ていることしかできなかった。

 このまま闇の帝王が復活すれば、間違いなくファッジ大臣はダンブルドアの言うことに素直に耳を貸さないだろう。去年ダンブルドアが告げた予想が予言のように現実に現れつつあるのを見て、ファッジ大臣に失望を感じずにはいられない。しかし、彼の機嫌を損ねず諫言できる段階はとうに過ぎてしまったようだった。

 

 

 今年ほど自分の手の届く範囲の狭さを痛感したことはない。それでも、闇の帝王の意図を少しでも邪魔することが彼の復活を遠ざけると信じて手を尽くすしかないのだ。

 そのためにも、第三の課題の中に妙な穴がないかなんとしてでも調べたかったのだが、努力のほとんどが無駄足に終わった。先生方は皆今までにないくらい機密を徹底して守り、ハグリッドさえも僕の質問にぎゅっと口をつぐむ始末だった。そりゃあ、不正があったらいけないが……だったら第一の課題はなんであんなにガバガバだったんだ。ドラゴンの輸送に人手がかかりすぎたからか? 何にせよ、魔法界の情報規制はどうかしている。

 

 

 僕ががむしゃらに事に当たっている間、肝心のハリーは順調に準備を進められているようだった。出来栄えは見せてもらえはしなかったが、今までの中で一番自信があるようだ。課題と課題の間は今までで一番長く空いていたし、彼も真面目に訓練をしていた……らしい。やれるだけのことはやった、という感じなのだろう。

 もう一人のホグワーツ代表選手であるセドリックも、心なしかずっと落ち着いた様子で日々を過ごしている。二人で決闘、もとい訓練をしたあの日、大したことを僕は言えなかった。それでも、彼は彼なりに何か考えてくれたのかも知れない。代表選手に相応しい力量を持っているのは間違い無いのだから、是非頑張って課題に取り組んで、ついでに余裕があったらハリーを助けて欲しいものだ。

 

 僕自身もまた、学期末試験を受けなくてはいけなかった。しかし、この闇の帝王が復活しそうなときに他に割いている余裕などない。そもそも去年より遥かに暇で日常での勉強はしっかりと出来ていたし、試験前にバタバタしているようでは手遅れだ。空いた時間のほとんどは校外の様子を調べることに費やした。それでもなお、なんの手がかりも見つけられないまま、ついに六月二十四日はやって来た。

 

 

 

 数日に渡った試験も終わった放課後、僕はファッジ大臣に挨拶するべく玄関で彼を待っていた。失踪したクラウチ氏の代わりにファッジ大臣が審査員として訪れることになったのだ。先生方は無理でも、僕に甘い彼なら、何か課題について口を滑らせてくれるのではないかという目論みの下の行いだ。

 

 晴れ渡った六月の夕暮れ時の風は心地よい。ハリーも家族枠で来校されたウィーズリー夫人と長男のビル・ウィーズリーと一緒に散歩をしていた。こんなに良い季節なのに、毎年一番面倒な事件が待っているのだから、僕はすっかりこの時期を憂鬱なものと考えるようになっていた。

 

 

 夕食の時間ごろになって、ようやく二つの人影が校門の辺りに現れた。ファッジ大臣の隣には同じく魔法省からの審査員であるバグマン氏もいる。待ちくたびれていた心情を隠し、僕はいかにも偶然この場に居合わせたと言う顔をして柱の陰から姿を表した。……生徒はほとんど大広間に行ってしまっているだろうし、明らかに変かも知れないがそれを気にしていては始まらない。親しげな表情を取り繕い、ファッジ大臣に声を掛ける。

 

 「こんばんは、バグマンさん、ファッジ大臣。いい試合日和ですね?」

 「おお! やあ、ドラコ。元気かね」

 こちらを見て、ファッジ大臣はいつものように、彼が子供に好かれるものと考えているだろう笑みを浮かべて手を振った。幸いなことに妙だとは思われなかったようだ。しかし、彼の顔には少し不愉快さが滲み出ている。僕が何かしてしまっただろうか? ここで機嫌を損ねては厄介だ。恐々としながら僕は彼におとなしく尋ねる。

 「ごめんなさい、お邪魔でしたか?」

 僕の作った少し落ち込んだ表情に、ファッジ大臣は慌てて首を振った。

 「いや、いや! 違うとも。ダンブルドアとちょっとね……

 バーテミウスのことがあったばかりだからね。護衛に吸魂鬼を入れたいと言ったのだが……ダンブルドアは頭が固い。自分が校長であるうちは、もう学校の敷居を吸魂鬼にはまたがせんと言い張りよった。仕方なく、連れて来たものは学校の敷地の外に待たせているよ」

 それは……ダンブルドアも怒るよ。流石に内心で苦笑してしまった。去年あれだけ言い争ったのに、というか去年あれだけ言い争ったせいで、ファッジ大臣は吸魂鬼のことに関しては特に、ダンブルドアに反抗的だった。それにしても、昨年の校内での吸魂鬼の暴れっぷりを考えれば全然嬉しくない情報だ。妙な伏線とかでなければいいのだが。

 僕は懸念事項が増えたことにうんざりしながらも、表情を作りファッジ大臣から情報を絞り出すべく挑戦を始めた。

 「でも、競技の間は安全なのでしょう? つまり──監視の目は行き届いているのでしょう?」

 ファッジ大臣は肩をすくめて少し皮肉げに笑った。さも僕の指摘は見当外れだとでも言いたげだ。

 「まあ、選手たちはね……先生方が巡回するし、ダンブルドアが見ていると言っておった。が、そもそも誰が子どもを狙う? バーティの後に……

 すまないね、これからダンブルドアのところに行かなければ。また、第三の課題のときにでも会おう」

 それだけ言うと彼は手を振って、さっさと玄関ホールに入って行ってしまった。後には僕とバグマン氏だけが残される。ああ、碌なことを聞けなかった。肩を落とす僕の側で、なぜかバグマン氏はファッジ大臣について行かず、妙に神妙にこちらを見ていた。

 

 何かで僕に用事でもあるのだろうか? 彼とはまともに話したこともないが……いや、今は情報が取れれば誰でもいい。僕は標的を素早く変更してバグマン氏に笑いかけた。

 「バグマンさんも、いよいよ今日が最後ですね」

 彼は話を聞いているのかいないのか、何か曖昧な微笑みを浮かべている。何だか値踏みをされているかのようだった。怪訝に思っていると、バグマン氏はどこか言葉を選んでいる様子で口を開いた。

 「ああ。君は代表選手のことを気にかけているんだね……ハリーは大丈夫かな? 君は同級生だろう」

 バクマン氏が何故か対抗試合でハリーのことを応援しているのは、ハリー自身からも聞いていた。しかし、まさか僕にまでその話を振るとは。正直不審だが、こんな誰が見ているか分からないところでペラペラ話題に出している時点で闇側の人間ではないと信じたい。もう課題までは時間がないのだ。僕は彼の示した餌に食いついた。

 「ええ、仲良くさせてもらっています。今回の課題も、彼がちゃんと無事に帰って来れるかどうか心配で……何か手伝えればいいのですが。……いけないことかもしれませんが」

 「なるほど、そうか……いや何、私もちょっと心配というか、ハリーは一人だけ未成年だし、道中には色々な危険があるからね。我々も準備にえらく手間がかかった。──ここだけの話、スフィンクスを輸入するのはとても大変だったよ──」

 その言葉を皮切りに、バグマン氏は次々と話の流れに沿って、課題の中身について僕に話し出した。ぽろっと口を滑らすと言うレベルではない。この人……僕伝いでハリーに競技の内容を伝えようとしているとしか考えられない。なんでそんなことを? 彼が競技で活躍すれば何かいいことでもあるのだろうか? どうやらギャンブル中毒のようだし、ハリーに一点賭けでもしているとか?

 

 子どもを賭博の対象にしているならば見下げ果てた人間だが、今はそれが好都合だ。彼が語る内容の中に異変がないか、適当に相槌を打ちながら慎重に探る。しかし、課題の障害物にそこまで大きな難関のようなものは見当たらなかった。いや、スフィンクスや尻尾爆発スクリュートの相手をしなければならないのは、そりゃあ危険だろうが──闇の帝王がハリーを自分のペットの餌にできるような仕掛けではない。

 

 内心焦り、収穫がないことに落胆する僕にバグマン氏は全く気づいていない。しかし、彼は最後に爆弾を落としていった。

 彼は真剣に話を聞く僕に何か期待を募らせながら話を続ける。

 「最後にゴールにたどり着いたものがポートキーで──まあ、そんなところだ。後は試合を楽しみにしていたまえ」

 

 その言葉で、僕はようやくこの課題に仕組まれた罠の可能性に思い当たった。

 ──ポートキーだ。

 移動の魔法がかけられていても、それを一番しっかり管理しているダンブルドアさえ騙すことができれば、行き先を変えることができる。きっと、今年一年潜伏してのけた「誰か」ならそれができる。

 ポートキーを時限式ではなく、触れられたかどうかで感知するようにしておけば、一番にたどり着いた者をそのままどこかへ──闇の帝王のもとへ送ることができる。どうやって順位を確定させるつもりなのか知らないが、これを仕組んだ人間はハリーを優勝させることで主人のもとに彼を送り届けるつもりだ。……それ以外、今までの情報に合う穴は見つけられない。

 まだ確定しきれるほど根拠があるわけではない。それでも、これが唯一残った監視の穴だ。

 

 突然黙り込んだ僕にバグマン氏は訝しげな目を向けているが、彼を気にかけている余裕は全くない。大急ぎで彼に別れの挨拶をして、僕は踵を返して階段を駆け上がり校長室に向かった。

 

 

 

 走りながら考える。誰だ? ポートキーのことまで僕に話していなかったらバグマン氏は一番怪しい人物だっただろう。他に──ハリーを一位にしようとしていて、ポートキーに細工をすることが出来る人物──誰だ? この厳戒態勢の中──

 

 思考に熱中し、前をちゃんと見ていなかった。踊り場を横に曲がったとき、僕は上から降りて来た人物に勢いよくぶつかってしまう。よろけて後ろに倒れそうになるところを、その人は腕をがっしりと掴んで支えてくれた。

 そこにいたのは、いつものように口をへの字に曲げたムーディ教授だった。彼は肩で息をする僕に怪訝そうな目を向けている。

 「マルフォイ、そんなに急いでどこに行くつもりだ。今は夕食の時間だぞ」

 自分で言うのもなんだが、僕は滅多に表に出して慌てない。この状況を見て緊急事態を察してくれないムーディ教授にもどかしい思いを抱えながら、僕はなんとか喋れる程度に息を整えて口を開いた。

 「教授──ダンブルドア校長は今校長室にいらっしゃいますか?」

 「……多分な。どうしてだ?」

 今日の彼は妙に反応が悪い。何故だ? かすかに不信感を感じながらも、僕は事情を伝えることを優先させてしまった。

 「第三の課題の最後に、優勝者を運ぶためにポートキーが使われるそうなんです。確証はないのですが、それに何か細工されているかも知れません。何か──何かがあるとしたらそれしかないんです」

 「細工? 誰が、一体なんの目的でそんなことをすると思っているんだ」

 今の僕の予想はこの状況が学年末のクライマックスにあると知ってのことだ。それを告げるわけにもいかず、僕は言葉を詰まらせた。

 「それは──分かりませんが──でも、そうかも知れないってダンブルドアに報告するのは良いですよね」

 しかし、返事は返ってこなかった。ムーディ教授は今まで見たことがないほど眉根に皺を寄せ、こちらを黙って見ている。その姿に、僕の脳裏にはある可能性がよぎった。

 でも、そんな、まさか──ありえない──彼が「そう」なら、間違いなくダンブルドアが気づいたはずだ。

 驚愕に震える声を隠せないまま、うめき声に似た言葉が口から溢れる。

 「……いつも、あなたは仰っているじゃありませんか、『油断大敵』って」

 

 僕はもう気づいてしまっていた。ハリーが課題を順調に進められるよう援助し、ポートキーに細工できるほどダンブルドアから信頼されていて、しかも、今夜の課題で監視員の一人になっている人物。それにもっとも当てはまる存在は、今、僕の目の前に立っていた。

 

 ムーディ教授は顔から一切の表情を拭い去り、押し殺したような声で言葉を絞り出す。

 「ああ、そうだ。……だから、お前はもっと気をつけるべきだった」

 彼が言葉を言い切る前にポケットの中で握りしめた杖を取り出したが、彼の方がずっと素早かった。こちらが呪文を口に出すより遥かに早く、彼が無言で唱えた呪いが効果を発揮した。

 夢を見るような陶酔感に、たちまち思考がぼやけ始める。それでも閉心術の感覚を呼び覚ましなんとか意識を保つが、彼の「服従の呪文」は授業でかけられたものよりも遥かに強力だった。

 たまに体の制御を取り戻し足を踏ん張ろうとするが、抵抗虚しく僕は彼の研究室に自分から入っていくのを止められなかった。

 

 

 部屋の鍵を閉め、ムーディ教授は僕の杖を取り上げると何か部屋に呪文をかけ始める。その中で再び身体の制御を取り戻した僕は、杖なしでも使える方法──彼の手を噛みちぎられる姿に身を変えようとしたが、肌に少しでも毛が生える前に彼はこちらへ無言で何か呪文を放った。

 それが何か、受けたことがなくても一発で分かった。磔の呪文だ──

 想像を絶する痛みだった。体の神経全てに焼きごてを当てられているような、骨から無数の棘が生え肉を切り裂いているような、耐え難い苦しみだった。その場に崩れ落ちる衝撃すら、骨身を蝕む。この世界に生まれてから上げたことのないような叫び声が自分の口から響くのが聞こえてくる。その音でさえ耳を焼き切ってしまうようで、今の僕には耐えられなかった。

 失神しそうになったとき、ようやくそれは去った。彼は満足したのだろうか? 自分の悪事を嗅ぎ回った子供を痛めつけて、そして──殺すのだろうか? 僕はなんとか頭を上げ、頭上のムーディ教授の顔を窺った。

 

 僕に「磔の呪文」をかけた彼は、予想に反して勝ち誇っていなかった。むしろ彼の表情には悲しみが滲み、杖先はわずかに震えていた。

 まだだ──まだ、チャンスはある。何故こんな真似をしているのか分からないが、ムーディ教授は心から僕を苦しめたいわけではないようだ。なんとか説得のために声を出そうとして、先ほどの悲鳴のために僕は大きく咳き込んだ。

 こちらをじっと見ながらムーディ教授は口を開く。

 「落ち着け。いいか、闇の帝王はお前を悪く思っていない……ペティグリューはお前によって救われたし、ダンブルドアに対抗してみせるスリザリン生をあの方は買っておられる……」

 ペティグリューとまで繋がっているのか? じゃあ、ムーディ教授は服従の呪文か脅迫で最近闇側についたわけではないのか?

 彼は僕を見ているのか見ていないのかよく分からない視線で話を続ける。

 「俺も戻ればあの方に言おう。お前は優秀で、見どころのある……しかし死喰い人には向いていない子どもだと」

 彼が僕を非常に気にかけてくれているのは伝わってくるが、だったらそもそもこんな真似をしないで欲しい。「磔の呪文」なんてかける意味なんてあったか? 

 ようやく少し喋れるようになって、僕はありったけの力を込めて口を開いた。

 「ダメです……早まってはいけない……まだ間に合います……」

 

 ムーディ教授は僕の言葉に耳を貸さなかった。彼は眉間に皺をさらに強く寄せ、もはや悲痛とも言える表情で再び僕に杖を向けた。

 「クルーシオ!」

 無言ではない呪文はさらに威力が高かった。こんな苦痛、耐え切ることなど到底できない。死んだほうがましだろう──それでも、僕はこの状況を覆すのを諦めるくらいなら、「磔の呪文」をくらったほうがましだった。

 再び呪文が終わり荒い息を漏らして蹲る僕に、ムーディ教授は優しげに語りかける。

 「闇の帝王に逆らえばこれよりもっと恐ろしい目に遭うだろう。だから、もう大人しくここで待つんだ」

 もうあまりの痛みで意識はぼんやりとしているが、それでも思考の中にその選択肢は存在しない。僕はなんとか彼に寄り添うように、しかしいつもより遥かに精細さを欠いた言葉を紡いだ。

 「あなたも……闇の帝王にこう……されたんですか? だから、同じことをすれば……僕が屈服するとお思いに……なるのですか?」

 彼は一瞬目を見開き、その後押し殺した声で返事を返した。

 「……もういい。あとで、どちらが正しいか分かる」

 これは殺されたな。絶望が心に染み渡るのを振り切って最後に変身しようとしたが、やはりそれは叶わなかった。

 彼がこちらに杖を向けたのを見たことを最後に、僕の意識は真っ直ぐに沈んでいった。

 

 

 

 目を覚ますと、目の前にいたのはダンブルドアだった。場所は変わらずムーディ教授の部屋だ。彼はブルーの瞳を悲壮に揺らしながら、僕のそばにしゃがみ込んでいる。僕は気絶させられていただけなのだろうか。だとしたらなんと手ぬるいことだろうか。

 起きあがろうとする僕の肩をダンブルドアの手が支える。

 「ドラコ……」

 彼の声はひどく弱々しかった。胃に氷が落ちたような心地がする。──もう手遅れなのか?

 しゃがれきった声で、僕はダンブルドアに問いかけた。

 「……ダンブルドア……ポートキーが……ハリーは、大丈夫ですか……」

 ダンブルドアはしゃがみ込んだ姿勢のまま顔を上げる。そこには、ボロボロで疲れ切った様子のハリーがいた。心が安堵で満たされるが、ダンブルドアの次の言葉はその気分を一瞬で拭い去った。

 「彼は戻った」

 その「彼」がハリーでないことは、ダンブルドアの声色で分かってしまった。ああ、間に合わなかったのだ。

 「申し訳ありません……ダンブルドア……」

 僕の言葉に、ダンブルドアはただただ悲しげに首を振った。

 

 

 

 



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「忠義者」の正体

 

 

 

 ダンブルドアに助け起こされ僕は何とか床に座った。ようやく意識もはっきりして来たところで、あたりの様子を確認する。部屋の中にはハリーとダンブルドア以外に二つの人影があった。

 一人は少し先の床にバッタリと仰向けに倒れていた。一目で分かる。彼はムーディ教授だ。ダンブルドアによって倒されたのだろうか? 彼はピクリとも動かないが、僅かに呼吸の気配はある。気絶しているだけのようだった。

 僕の隣にはもう一人誰かが横になっていた。その人物は痩せ衰え、片目は中身が無いように陥ち窪んでいる。無造作に切られたような髪の下にある傷跡だらけの顔は、げっそりと痩せていたがアラスター・ムーディにそっくりだ。──いや、違う。彼こそが、本当のムーディなのだろう。毛髪を使った擬態方法、ポリジュース薬によって、「ムーディ教授」はアラスター・ムーディに成り代わっていたのだ。

 

 一体いつから? ……最初からなのだろう。もしかしたら、本当に物語が始まる前からとも思ったが、彼を雇うときにダンブルドアが全く確認しなかったとは考えられない。それゆえに機会の選択肢は狭まった。

 学期の初めに出たアーサー・ウィーズリー氏に関するスキーターの記事。あれはスキーターという忌々しい存在の前触れ程度のイベントではなかった。本当に重要なのは、学期が始まる直前にアラスター・ムーディが襲撃されたという事実だ。

 僕はその異変に気付けなかった。「偏執狂の元闇祓い」ならそんなことがあってもおかしくないだろう、と見逃した。その後も、彼の人物像を知るにつれてその印象はどんどん補強されて行ってしまった。きっとダンブルドアにとってもそうだったのだろう。僕ら二人は最も怪しむべき人物を疑惑の外に出してしまった。

 

 呆然とする僕の前で、ダンブルドアはハリーに対して同じ推測を説明した。そういえばムーディ教授は自分の携帯用酒瓶からしか飲み物を飲まない。ポリジュース薬を頻繁に飲むのはそれでカムフラージュしていたのだ。一年間その薬を煎じ続ける能力・材料ともに到底信じられない所業だが、効果的な方法ではある。薬の効果が切れるまで、呪文でこの人間の正体が見破られることは決してない。

 普通はそこまでの長期間誰かに成り代われば、振る舞いや知識の不備で露見せざるを得ないだろう。しかし、それをやってのけるほどの技量がこの偽ムーディにはあった。アズカバンへの収監を逃れ、最も偉大な魔法使いさえ一年もの間騙しおおせた人物。僕らは彼の正体が晒されるのをじっと待った。

 

 沈黙が落ちる中数分が経ち、突然床に倒れた偽ムーディの顔が泡立ち始める。ポリジュース薬の効果が切れたのだ。

 多くの傷が刻まれた顔が拭い去られ、その下から現れたのは、わずかにそばかすが散った色白の肌の、薄茶色の髪をした男だった。青年というには老けすぎているが、その容姿はどこか幼さを雰囲気に残している。彼が誰なのか僕は一瞬思い出せなかったが、その、おそらく父親に似た目鼻立ちでかつて見た新聞の一面を想起することができた。その男は十年以上前に獄中で死んだはずのクラウチ氏の息子、バーテミウス・クラウチ・ジュニアだった。

 

 どうやって彼がアズカバンでの死亡を偽装したのかを除けば、「忠義者」の人物像に対する説明をこれ以上なく完璧にできる人間だった。アズカバン行きを免れることができ、潜伏しつつ昔の主人の元に馳せ参ずることを待っていた人物。クラウチ氏は息子の死を気に病んでいたのではない。息子が現在も闇の帝王のもとで暗躍していることに責任を感じていたのだ。

 

 僕らが元の姿に戻った「忠義者」を見ていると、部屋の外から数名分の足音が聞こえてきた。扉を開け、中に入ってきたのはマクゴナガル教授とスネイプ教授、さらに彼らの足元にはウィンキーがいた。

 ウィンキーがかつての主人の息子に対し飛びつくのをよそに、教授二人はクラウチ・ジュニアと僕の存在に対して目を丸くした。マクゴナガル教授は早足で部屋を横切り、僕のそばにしゃがみ込む。

 「これは、バーティ・クラウチ──それにマルフォイ、あなたはこんなところで、何をしているのです?」

 「競技の直前にこやつの企みに気づいたが、彼自身を疑うところまで行かず捕らえられた。そうじゃな」

 僕がマクゴナガル教授に対して返事をする前に、ダンブルドアが素早く答えた。さすがダンブルドア、予想は完璧に当たっている。彼の言葉に対し大人しく頷く僕を見て、マクゴナガル教授は眉を顰め、唇を震わせた。この状況は否応なく一年前の出来事を想起させた。

 彼女はキッとダンブルドアを睨み、口を開く。

 「ダンブルドア、まさか、あなたはまた──」

 「違います! 僕が勝手に行動して、勝手に失敗したんです」

 最悪の誤解の発生を予期し、僕はマクゴナガル教授の言葉に口を挟んだ。それでも彼女は全く僕の言葉を信じていないようだ。ローブの胸元を握った拳を震わせながら、彼女はダンブルドアから説明を得たいという気持ちを全身から漂わせて眉を顰めている。こういうとき、全能にすら思われてしまうダンブルドアは本当にかわいそうだ。今年は何も彼に言われていないんです。勘弁してください。僕は心中でマクゴナガル教授に対して懇願した。

 

 この重苦しい雰囲気を破ったのはスネイプ教授だった。彼はこちらに一瞬冷ややかな視線を向け、ダンブルドアに対して口をひらく。

 「そんなことより、尋問をさせていただいても構いませんかな? ダンブルドア、真実薬はここに」

 ダンブルドアは重々しく頷き、彼の手から薬瓶を受け取った。男の上体を無造作に壁に寄り掛からせ、透明な液体を二、三滴流し入れた後に蘇生呪文を唱えて意識を取り戻させる。すぐに男の閉ざされていた瞼の下から、ゆっくりと薄茶色の瞳がのぞいた。「真実薬」服用者に特有の寝ぼけたような眼差しをしている。ダンブルドアの言葉に対して、彼は従順に答える。ポリジュース薬の効果を阻害しないためだろうか、彼は真実薬に対する対策を準備していなかったようだ。

 

 

 それから、バーテミウス・クラウチ・ジュニアはダンブルドアの尋問に対して全てを語り出した。

 クラウチ氏はもう先の長くない妻の頼みで、彼女をアズカバンにいる息子とポリジュース薬を使って取り替えた。クラウチ氏はその後、「服従の呪文」と透明マント、屋敷しもべ妖精を使って彼の存在を隠蔽した。その事実を嗅ぎつけたバーサ・ジョーキンズはクラウチ氏によって強力な忘却術をかけられた。

 彼の計画が本格的に綻びを見せ始めたのはワールドカップだ。クラウチ氏はウィンキーの嘆願により息子の観戦を許したが、「服従の呪文」を解き始めた彼は観客席でハリーの杖をこっそり盗み、キャンプ場で「闇の印」を打ち上げた。クラウチ氏はなんとか再び息子を回収したが、その失態を犯したウィンキーを解雇した……

 

 そして、彼らの元にバーサから拷問により奥底に眠る記憶を引き出した闇の帝王がやって来た。闇の帝王は「最も忠実な者」を解放し、その父を彼と同じ目に遭わせた。

 

 それからは大方の予想通りだ。アラスター・ムーディに成り代わった「忠義者」は炎のゴブレットを騙し、ハリーを闇の帝王の元へ運んだ。

 ……クラウチ氏が逃げ出した後も、彼は闇の帝王に対して忠実に動いた。彼は父を殺し、死体を骨にしてハグリッドの小屋に埋めた。

 雌伏の時を経て、第三の課題が始まった。ポートキーはハリーを闇の帝王の元へと運び、彼の目論見は完遂された。

 

 彼の中には僕の知っていない情報もあった。クラウチ・ジュニアはスネイプ教授の元からポリジュース薬の材料を持ち出し、校内にいる人物の名前が分かる「地図」とやらを持っていたハリーはそれをムーディ教授に貸し出していた。……それを知っていれば、もっとずっと早く何もかもが露呈していたかもしれない。しかし、僕はその二点について考えたくなかった。彼らを責めようとすれば、そもそもそれに気づかなかった自分の落ち度が胸に突き刺さるからだ。

 

 話の終わりに、「忠義者」は少しだけ目を輝かせた。

 「ご主人様の計画はうまくいった。あのお方は権力の座に戻ったのだ。そして俺は、ほかの魔法使いが夢見ることもかなわぬ栄誉を、あのお方から与えられるだろう」

 バーテミウス・クラウチ・ジュニアは笑みを浮かべて語り終えた。彼は話の間、一切こちらを見なかった。ウィンキーの嘆く声だけが響く中、彼はやはり視線を動かさず頭をだらりと前に俯かせた。

 

 

 ダンブルドアは自分が事情を全て知れたと悟ると立ち上がった。その顔には珍しく軽蔑の色が宿っている。彼はしばらくバーティ・クラウチを睥睨し、そのあと杖先から縄を出して縛り上げた。

 彼は厳しい表情のまま口を開く。

 「ミネルバ、ハリーを上に連れて行く間、ここで見張りを頼んでも良いかの?」

 マクゴナガル教授は彼の台詞に対し、やはり顔を顰めた。

 「マルフォイはどうなさるのです」

 ダンブルドアはそれには答えず、もう一人の人物に対して口を開く。

 「セブルス、マダム・ポンフリーにここに降りてくるよう頼んでくれ。ドラコとアラスターを医務室に運ばねばならん。ドラコは怪我はしていないようじゃが──」

 その言葉を横からクラウチ・ジュニアが遮った。

 「その子には磔の呪文をかけた。それほど長い時間ではないから、後遺症は出ないと思う……」

 彼の声色は先ほどまでのものとは全く違った、陶酔感のかけらもないものだった。ダンブルドアとマクゴナガル教授の顔から一気に険しさが増す。

 ダンブルドアは今まで見たこともないような軽蔑の色を浮かべてクラウチ・ジュニアを見ながら言葉を続けた。

 「……セブルス、その後は校庭に行き、コーネリウス・ファッジを探して、この部屋に連れてきてくれ。ファッジは間違いなく、自分でクラウチを尋問したいことじゃろう。ファッジにわしに用があれば、あと半時間もしたらわしは医務室に行っておると伝えてくれ」

 

 

 スネイプ教授が気遣わしげに出ていった後、ハリーもダンブルドアの後に続いて部屋の外に向かおうとした。ボロボロではあったが、自分の足でしっかりと立てているし本当に大きな怪我はなさそうだ。

 僕の視線に気づいた彼は、どこか悲しげな目をして僕に声をかけた。

 「ドラコ、本当に大丈夫?」

 「君こそ……」

 クラウチ・ジュニアの前でこれ以上ハリーと仲良くしていいのか分からない。僕は曖昧な返事を返すことができなかった。ハリーは僕の言葉に少し眉を下げ、その後首を振って微笑みを作った。

 「まあ確かにそうかも知れないけど……でも、僕、この人なんかに応援されなくても頑張ったよ。色々あったけど、一位になれた。ヴォルデモートのことは、あるけれど……生きて、帰ってこれた。だから、僕のことは心配しなくても大丈夫」

 最後の言葉には空元気が滲んでいたものの、彼は本当に強い意志を宿した目でこちらを見つめていた。明らかに、僕を励まそうとしてくれている。

 「……すごい。よく頑張ったね。君はいつも僕の予想をこえる」

 いつもの調子を作れたかは分からない。しかし、ハリーはにっこり笑ってダンブルドアの後について行った。

 

 

 部屋には僕とマクゴナガル教授、ムーディ教授、クラウチ・ジュニアとウィンキーが残された。

 難しい顔をしているマクゴナガル教授に、僕は恐る恐る話しかける。

 「……あの……まだ時間があるのでしたら、彼から話を聞いてもいいですか? 僕、本当に体の調子は大丈夫なので」

 マクゴナガル教授は「だめだ」と言いたげに唇をひくつかせたが、少し逡巡して「無理をしてはいけませんよ」と答えた。それを肯定とみなし、僕はクラウチ・ジュニアがもたれかかっている壁の近くにしゃがみ込む。

 彼はやはり僕の方に視線を向けず、床をじっと見つめていた。それでも、真実薬の効果はまだ続いている。あれに頼るのは良くないかも知れないが、僕はこの人がどうしてこの道を選ぶことになったのか、最初のところから話を聞きたかった。

 

 何をいうべきか迷いながら、僕は少しずつ言葉を紡いだ。

 「……まず、何から……いえ、そうですね。あなたのことを、なんとお呼びすればいいですか?」

 「……俺はバーテミウス・クラウチだ。お前もそんなことは分かっているはずだ」

 彼は俯いたまま、絞り出すように答える。

 「そうなんですが……父親と同じ名前をつけられたのは屈辱だったとおっしゃっていましたよね。なので……」

 確かに変なことを聞いてしまったかも知れない。後悔する僕に向けて、クラウチ・ジュニアはやはり弱々しく返事をした。

 「……何でもいい。そんなこと、どうでもいい……」

 彼はそう言ってさらに深く頭を下に落とした。

 

 よくない滑り出しだ。でも、このどう見てもこちらに罪悪感を負っている人間に対して、僕はできるだけ誠実に話をしたい。

 「……そうですか。真実薬で口を割らせることを、どうかお許しください。

 ……あなたが闇の勢力に接触するようになったのは、一体いつから、どのような経緯ででしたか?」

 ウィンキーの啜り泣きが響く中、彼は先ほどの語りとは全く違う口調で自らの物語を語り始めた。

 

 

 



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「忠義者」の物語

 

 

 

 僕の問いに、バーテミウス・クラウチ・ジュニアは俯いたまま静かに、ぽつりぽつりと語り出した。

 

 「……いつからか? よく、分からない……あの時代、誰が闇側の人間で、誰がそうでないのかの明確な線引きは難しかった。特に純血一族の間では……純血を保つことの価値を唱えながら、闇の帝王に対して声高に反旗を翻す人間は僅かだった。

 俺の父は、その数少ない例外だった」

 そこで、彼はふと少し皮肉っぽさを滲ませて唇の端を上げた。

 「ホグワーツで、当然俺は『父の息子』という視線に晒された。闇に迫害されるマグル生まれの人間にとっては、死喰い人やその子どもたちを牽制する存在として。それ以外の人間は、あまりにも苛烈に無実かも知れない人々を含め、敵を屠る処刑人の息子として俺を見た」

 

 彼はわずかに顔を上げて眉を顰め、しかし懐かしむようにどこか遠くへ視線を向ける。

 「それでも、俺は周囲に馴染もうとした。幼い俺は、周囲に普通の人間だと思われたかった……

 もちろん、父は俺が奴の求めるように……あいつの模造品であるように振る舞うよう求めていた。だから、そうした。当時の俺に父に逆らうという選択肢はなかった。

 規則を守る、謹厳実直な人間。それが俺のなるべき姿だった。生まれが純血一族である以上、俺の周囲にもそういう人間が多かったから、俺はそいつらにも同じように接した。誰にでも平等に。それ以外にやり方があるか? 俺が父の怒りに触れず普通に友人を作り、学校という狭い場所で暮らしていくにはそうするしかなかった。……そう思っていた」

 

 少しずつ、彼の顔には憎悪が滲み始めていた。童顔な印象を受ける顔に刻まれた皺が、彼の怒りを表しているかのようだった。

 「しかし、あいつはそれでは満足しなかった。あいつは学校で、俺がその『死喰い人の子ども』かも知れない生徒を糾弾せず、あまつさえ仲良くしていると言って、激しく詰った。

 俺が、ただの同級生と仲良くしているのが耳に入るたび……まだ闇の側に足の指だって突っ込んでいない人間にさえ、奴は仲良くするなと、蔑むべき人間を甘やかすなと言っていた。父は残忍で浅慮だった」

 彼の言葉に強い反応を見せたのは、床に突っ伏していた屋敷しもべ妖精だった。ウィンキーは涙に暮れる中、何か反論のような呻き声を上げたが、クラウチ・ジュニアはそれを無視した。彼は再び少し平静を取り戻し、静かに話を続ける。

 「そいつらは大抵俺を軽んじたりしなかった。成績も良く、家柄も良い俺を普通の生徒として扱ってくれる人間もいた……バーテミウス・クラウチの息子としてではなく。俺はあいつらの前では本当の自分になれた気がした……」

 それゆえ、彼は闇側の人間へ耐性がなかったのか。単にクラウチ氏の忠実な愛息子であれば、闇側は彼を引き込もうとすることのデメリットを第一に考えただろう。しかし、彼が父に反目していることを知ったなら、その評価は反転する。クラウチ氏を失脚させるため、彼は絶好の標的だっただろう。

 

 胸が押し潰されるような思いを感じながら、僕は先を促した。

 「学校にいる間は……『あの人』の接触はなかったのですか? つまり……あなたが闇側に関わるようになったのは、卒業した後ですか?」

 クラウチ・ジュニアは僕がそばにしゃがみ込んでいることを忘れていたかのように肩をびくつかせ、それから少し間を開けて口を開いた。──真実薬の効果が切れ始めているらしい。それでも僕は彼の言葉を黙って聞いた。

 「ホグワーツを卒業して直ぐの事だ。俺は友人の……レストレンジの家に招かれ、そこで自分の真の主人と初めて出会った」

 

 彼はそこで少し口を閉じ、息を吸い込んで再び口を開いた。その先の言葉には、ダンブルドアに語ったときの陶酔感──闇の帝王に対する崇拝の念が込められていた。

 「……我が君は俺を評価なさった。俺は替えの利かぬ存在で、いつか父を追い落とし、あの方がこの世の頂点に君臨するのを手助けする非常に優秀で、大切な臣下であると仰られた。……父とは違って、俺の献身に報いると約束して下さった! 彼こそ、あの愚かな下らない父を祭り上げるこの下らない世界を作り替える存在だと、俺は悟った」

 ウィンキーがまた泣き声を大きくする。クラウチ・ジュニアはやはりそれを無視し、淡々と話を続けた。

 「……しかし、俺に使命をお与えになる前にあの方の行方が分からなくなった。その後、俺はロングボトム夫妻を拷問し、アズカバンに送られた」

 そこで言葉を切ると、彼は深々とため息をついた。部屋の中にはウィンキーの啜り泣きだけが響く。彼はこれで何もかもを語り終えたと思っているようだった。

 

 

 

 「……最後の部分は、それだけですか?」

 僕の言葉に対し、彼はわずかに不可解そうな仕草をした。傍で聞いていたマクゴナガル教授も訝しげにこちらを見る。

 確かに時系列としてはダンブルドアが尋問したところで繋がったかも知れないが、僕は彼の話に大きな欠陥があるように感じていた。

 

 一つ前のものも合わせて、彼の語る話にはいくつか疑念を挟む余地がある。事実は大きく間違っていないのだろう。いや、彼が今考える現実はそういう形をしていた、と言う方が正しいかも知れない。それは彼が今持つ感情で過去の認識を歪曲している可能性を暗示していた。

 

 ダンブルドアに向けられた話の中で一番違和感がわかりやすいのが、事件を起こし、裁判にかけられてから監禁下にあった頃の部分だ。

 クラウチ・ジュニア自身は僕に対してはそこについてほとんど詳細を語らなかった。裁判記録によると、彼は自分の無実を主張している。……これは、彼がその時点ではベラトリックスほど熱狂的に闇の帝王に対して心酔していなかったことの表れに思える。

 

 しかし、ダンブルドアに対しては「俺は元気を取り戻したとき、ご主人様を探し出すことしか考えなかった」と言った。……であれば、裁判の時には外面を取り繕ったと考えられるかも知れない。けれど、一つの矛盾が別の可能性を示していた。

 そのときクラウチ・ジュニアは「服従の呪文」の下で、まともな思考を働かせられていなかったはずだ。その時の思考を捏造している彼は、そこに何かを隠している。

 そして今、ロングボトム夫妻の事件に関する詳細を、彼は意図的に省略した。事実だけ述べ、自分の主観に触れなかった。

 ここには彼の心情を構成する上で、今の彼が隠蔽したい何かが潜んでいる。僕にはそう思えてならなかった。

 

 

 頭の中で尋問の流れを考えていると、スネイプ教授から話を聞いただろうマダム・ポンフリーが入ってきた。

 彼女はアラスター・ムーディを運び出す処置をしながら僕に医務室に来るよう告げたが、僕はまだ話が終わったとは思っていない。

 幸いなことに本当に傷がないという意味では僕は無傷だったので、それを口実にマダム・ポンフリーとマクゴナガル教授を必死で説得した。結局、僕がまだ何か聞きたいことを残していると分かっているマクゴナガル教授がマダム・ポンフリーに後でそちらへ向かわせると約束してくれたことで、僕は尋問を続ける権利を得た。

 

 

 再び人が減った部屋で、僕は大きく息を吸い込む。おそらく真実薬の効果はほとんど切れてしまった。だから、ここから先はこちらがどれだけ彼に話をする気にさせられるかという部分が勝負だ。

 僕は彼の床に投げ出した足の脇にしゃがみ、視線の高さを合わせて彼の俯いた顔を真っ直ぐ見た。

 「申し訳ありません。今から僕は無遠慮なことを言います。

 ……あなたは、過去の自分の感情を作り替えている。全部ではなくとも、少なくとも一部のご自身の思考を忘れたがっている。違いますか?」

 この言葉に、彼は肩を僅かに動かした。

 「……どこがそうだと思ったんだ? お前は実際に俺を見てきたわけでもないのに」

 返事の声には侮りや、拒絶の色が浮かんでいる。それはそうだろう。でも、その反応は何かあると告げているのと同義だった。

 「そうですね。ですから……今まで、あなたから伺ったことから考えています。

 ……本当に、あなたが心の底から父親をただ愚かで下らないと──どうでもいいと思っているのなら、そもそもあなたを突き動かす激情は存在しなかったでしょう。

 もしそうだったら、そして、あなたが本当にご自分を大事に思えていたら、あなたは父親を見限って彼のような束縛を課す存在の影響が届かない場所で生きることができていたでしょう。……違いますか?」

 クラウチ・ジュニアはようやく顔を上げた。どこか少年の雰囲気を残した彼の目には、怒りの色が滲んでいた。

 「何が言いたい?」

 彼の逆鱗に触れるような真似をしているのは分かっている。しかし、これは彼へ考えを伝えるために、最初に確認しておきたい部分だった。

 「……回りくどい言い方をして、申し訳ありません。言い換えますね。

 あなたは、いつ、自身の父親に対する執着を意識的に封じるようになりましたか?」

 

 彼の顔には明らかな激怒が現れた。声を怒りで震わせ、彼は歯を剥き出して口を開く。

 「ふざけるな……お前は俺が奴を……あの悍ましい父親を、本心では愛していたとでも言いたいのか?」

 そう取られるのは当たり前だ。しかし、僕は強く首を横に振った。

 「それは……違います。人が誰かに対して執着を向けるとき、それは必ずしも愛や好意から来るわけではない。子から親に向ける執着など最たるもので、それが双方にとって良いものでない場合、愛などという綺麗なだけで役に立たない言葉で形容すべきでない。僕はそう思います」

 

 クラウチ・ジュニアの顔には困惑が浮かんだ。僕はそれに構わず、話を続ける。

 「……以前申し上げましたよね、『バーテミウス・クラウチ・シニアは親失格のクソ野郎』だって。あなたの話を聞いて、僕は自分の予想は当たっていたと思いましたよ。彼は、子に世界のあるべき形を示すという親の役割を、放棄するどころか極めて歪な形で利用した」

 彼は瞳を揺らし、再びこちらから目を逸らそうとする。僕はそれを許さないために、そちらへと体を近づけて彼の顔を真っ直ぐ見つめた。

 

 「クラウチ氏は規律を振り翳しながら、根本的に感情であなたを縛った。そうして、命令に忠実であっても存在を肯定されない欠落感を、致命的なまでにあなたに植え付けた。

 あなたはそれを埋めなければならなかった。そうしなくては……自分の存在を肯定できなかった。そう言う意味で、彼はあなたの中で非常に大きな存在感を持っていた。

 ……そうではないのですか」

 彼は顔を歪めた。それは怒りではなく、悲しみや苦しみによるもののように僕には思えた。

 「お前には……何もわからない」

 クラウチ・ジュニアは顔はこちらに向けたままだったが、もう視線を下に落としてしまっている。それは、彼が僕の言葉をもう聞きたくないと──それほどまでに、心のどこかを動かされていることを表していた。

 

 彼の心に残る傷を抉り出している手応えを感じる。でも──彼にこのままでいて欲しくなかった。僕はもはや聞き出すためではなく、伝えるために、彼に問いを投げかけた。

 「あなたは……伝え聞いたお父上の最後の言葉は、どういう意味だとお考えになったのですか?」

 僕の言葉が煩わしいものであると言わんばかりに、彼は首を振った。

 「知ったことか、あいつの考えることなど……

 お前は……父の最後の言葉を、どう思ったんだ? 父はなぜ、俺があいつの責任だと言ったと思うんだ?」

 彼の低く、囁くような声は掠れていた。

 

 

 僕は願いを込めて、声の震えを抑えて彼に語りかける。

 「……あなたのお父上は、あなたのことを完全にどうでもいいと思っていたわけではないと思います」

 クラウチ・ジュニアは眉を顰め口を開こうとしたが、こちらの方に視線を戻してその言葉を呑み込んだ。……多分、僕も相当ひどい顔をしている。情けない思いにはなったが、それでも息を整え、僕は話を続けた。

 「奥方の希望を聞いてあなたを脱獄させるのも、奥方が死んだ後もあなたを『透明マント』と『服従の呪文』まで使って生き延びさせ続けたのも、あなたを危険を冒してまでワールドカップに連れて行ったのも……あなたが本当に無価値だと思っていたなら少し違和感がある行動です。

 だから……彼は、あなたにした仕打ちを……自分の中で、完全に肯定できたわけではないと、思いました」

 僕は一度目を瞑り、息を吸って言葉を紡いだ。

 「……でも、たとえ、クラウチ氏があなたに責任感や愛情のようなものを抱いていたとしても……それはあなたが、過去に傷つけられても良い理由には絶対にならない」

 クラウチ・ジュニアは再び顔を歪めた。しかし、それは怒りではなかった。彼の顔は泣き出しそうな子供のように見えた。

 どうか、彼にこの言葉が届いて欲しい。僕は祈り、再び口を開いた。

 「あなたにとって彼は、矛盾した価値観を『親』という権威の下、自分の子に押し付けた人間であることに変わりはない。あなたが彼の『愛』らしきものをちゃんと受け取れなかったならば、それはあなたにとって呪いでしかない。

 だから……あなたがやったことは許されないことかも知れないけれど……お父様の呪いには、もう苦しまないで欲しいんです」

 彼は、しばらく何も答えなかった。少し間が空き、喘鳴に似た声色で彼は僕に語りかける。

 「俺は、あいつに……呪われてなんかいない」

 「……そうかも知れません。だから、これは僕の一方的なわがままです」

 それだけ言って、僕は身勝手な言葉を投げた彼の顔を見られずに視線を下げた。

 

 

 

 しばらく部屋に沈黙が落ちた。いつの間にか、ウィンキーは啜り泣きを止めて地面に突っ伏してしまっていた。

 静寂を裂いたのはクラウチ・ジュニアだった。彼は囁くような、揺らいだ声で僕に語りかけた。

 「……君を傷つけたいわけじゃなかったんだ……ただ、君に……分かって欲しかったんだ……」

 そこで、僕は彼に何を聞き出そうとしていたのか思い出した。彼が学校を卒業してから、収監されるまで。そこで実際何が起きたのか、僕は彼に問いかけていたのだった。

 

 

 記憶をたどり、彼の言葉と手がかりに結びつける。

 「あなたに……闇の帝王に逆らえば、あのような苦しみが待っていると? 確か、そうおっしゃっていましたよね。

 ……あの、あなたは闇の帝王に『磔の呪い』をかけられたことがあるのではないですか?」

 頭上で彼が視線をこちらに向けたのを感じる。頭を上げて彼の方を見ると、彼の目には涙が光っていた。

 「……闇の帝王が姿を消した後、レストレンジ達が俺の元にやってきた……奴らは俺に命令をした。父親のオフィスに忍び込んで、闇祓いの情報を持ってこいと。

 俺は躊躇った……それを、奴らは気づいた。ベラトリックス・レストレンジは俺に磔の呪いを掛けて……『やらなければ、ロングボトム夫妻にかける呪文を全てお前にやってやる』と……」

 ウィンキーのヒッという引き攣った声が部屋に響く。僕は今まで見せなかった苦悩と悲痛が滲む彼の顔から、視線を外せなかった。

 

 クラウチ・ジュニアは僕の目を見つめて話を続けた。

 「僕は……僕は、それを知れば父さんは僕を許すのか知りたかった。許して欲しかった……許すと思っていた……

 でも父さんはそうしなかった。父さんは……何も聞かず、僕を形だけの裁判にかけて……アズカバンに送った。

 あの人が事件の後、僕にかけた言葉は、『お前は私の息子などではない。私には息子はいない』それだけだった」

 彼の目から涙が溢れる。雫は静かに頬を伝い、彼を縛り上げている縄の上に落ちた。

 

 僕もただ黙って彼を見つめることしかできなかった。「あなたは悪くない」とは言えない。それが言える可能性を、彼は自分のためではなく闇の帝王のためにクラウチ氏を手にかけることで、自ら絶った。おそらく彼は、自分の中でその悪事の責任を感じていたからこそ、その行為を肯定する闇の道を邁進した。父が悪い、それに敵対する闇の道は正しいと自分に暗示をかけて。

 僕は今、その暗示を解いて彼に心情を吐露させた。彼に、自分が何故この道を歩いてきたのか、変えようのない過去を見つめさせた。

 

 残酷なことだと、自分でも思う。でも、それが彼にとっての救いになると、僕は信じたかった。

 父にかけられた呪いを見つめて、そこから再び彼が選ぶ道が彼によって良いものであることを、願いたかった。

 

 

 

 遠くから二人分の足音が聞こえてきた。スネイプ教授がファッジ大臣を連れ、戻ってきたのだろうか。僕はファッジ大臣に引き渡すことになるであろう、目の前の男の顔をじっと見た。

 

 しかし、部屋に最初に入ってきたのは彼らではなかった。

 彼らの足音より早く、開いた扉から中に滑り込んできたのは、冷気と恐怖の塊──吸魂鬼だった。それは部屋の中を見渡し、こちらを──僕の側に足を投げ出すクラウチ・ジュニアに目を留めると、その裾を翻し、彼の元へ飛び寄った。

 

 僕は即座に悟った。それは、目の前の死喰い人に対し、『キス』を執行しようとしている。

 

 この状況を前にして、何も考えられなかった。ただ、目の前にいるクラウチ・ジュニアのことしか見えていなかった。自分の手に杖がないことにすら思い当たらないまま、僕は彼と吸魂鬼の間に割って入った。

 

 僕の直前で止まった吸魂鬼の頭から垂れる、ひだのようなものが顔を撫でる。体の血が全て抜けていくような感覚を感じる。全てが遠のき、今、自分がどこにいるかも分からなくなる。何も思い出せない。何も──

 

 自分の身体が力を失い、クラウチ・ジュニアの上に背中から崩れ落ちていく中で、僕は何か白く眩く光るものが吸魂鬼の横に突っ込んでいくのを見た。

 

 

 「ルフォイ──マルフォイ、しっかりなさい!」

 肩を揺さぶられ、僕はハッと目を開く。マクゴナガル教授とクラウチ・ジュニアが僕の顔を覗き込んでいた。

 なんとか体を起こし、状況を確認する。僕はクラウチ・ジュニアを背中で壁に押しつけるような形で彼の上に倒れ込んでいた。部屋にはもう吸魂鬼はいなくなっていたが、扉の近くにはこちらを心配そうな目で見るファッジ大臣と、眉間に今まで見たこともないくらい深い皺を刻み込んでいるスネイプ教授がいた。

 彼らが部屋の入り口に突っ立っている様子を見るに、吸魂鬼の不意打ちを喰らって意識を失ってから一、二分もたっていないようだ。寒さに震える僕らの周りを、白銀に輝く猫がゆっくりと歩いていた。

 

 マクゴナガル教授は僕の無事をひとしきり確認した後、猛烈な勢いでファッジ大臣に食ってかかった。いつも僕は「こんなに怒ったマクゴナガル教授は初めて見た」と思っている気がする。あまりの剣幕と、本当に生徒一人、しかもドラコ・マルフォイを殺しかけた事実に、ファッジ大臣はただタジタジとなることしか出来ていなかった。

 体をズルズルと退かし、僕は再びクラウチ・ジュニアの前に座る。彼は目を見開き、眉根を寄せて僕を見ていた。もう彼の目に涙はなかったが、まだ今にも泣き出しそうな雰囲気が残っていた。

 ぼんやりと彼の様子を確認していると、突然視界の外から首裏のシャツを掴み上げられる。見れば、怖い顔をしたスネイプ教授が僕の首根っこを捕まえて立ち上がらせていた。確かにうまく力は入っていないのだが、もう少しまともな持ち方をして欲しい。

 

 彼はマクゴナガル教授と激詰めされているファッジ大臣に対し、低い声で言葉をかける。

 「マルフォイを医務室に連れて行ってもよろしいですかな? 彼は我輩の寮生ですので」

 この人が言わなさそうな台詞ランキングがあったら、それなりに上位に行きそうな言葉だ。吸魂鬼の衝撃でまともに物が考えられていない僕が何か口を挟む前に、マクゴナガル教授はキッとこちらを睨んで荒々しく頷きを返す。

 部屋から出ていく前、僕はマクゴナガル教授に対し、恐る恐る声をかける。

 「あの……マクゴナガル教授、彼をよろしくお願いします」

 流石にこの状況でこの台詞は常軌を逸していると僕にも分かる。……というか、この状況自体が常軌を逸している。嫌な顔をされるのではないかと思ったが、僕と一緒にクラウチ・ジュニアの話を聞いていた彼女は深くため息をついてさらに顔をきつく顰めながらも頷いてくれた。

 「……あなたには、後で言いたいことが百はあります。ちゃんと手当を受けて、十二分に回復して、医務室から出る許可を貰ったら真っ先に私のところに来なさい。いいですね」

 いつも心労ばかりかけて、本当に申し訳ない。僕は大人しく頷き、スネイプ教授に引きずられるようにして部屋を後にした。僕が部屋から出ていくのを、クラウチ・ジュニアはただ黙ってじっと見つめていた。

 

 

 

 



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スネイプ教授の叱責

 

 

 

 人気のない廊下に二人分の足音が響く。むっつりと黙り込んだスネイプ教授は、足元のおぼつかない僕の首根っこを掴んだまま、こちらを気にする様子もなく早足で歩いている。吸魂鬼によるショック状態はまだ抜け切っていない。それでも足を緩めるように頼む元気もなく、僕は教授に引きずられるようにして後に続いた。

 夜の闇に染まった廊下に出て、しばらく行ったところで不意にスネイプ教授は脇道に逸れた。どこへ行くのかと問う間もなく押し込まれたのは、ずいぶんと長いこと使われていなさそうな空き教室だ。医務室へ向かうと言っていたはずなのだが。

 

 スネイプ教授は足音を響かせて教室に入ると、僕を投げるように壁際の椅子に座らせた。こちらが口を開く元気を捻出している間にも彼は素早く杖を振って部屋に鍵をかけ、防音を施してしまった。

 何を考えているのか知らないが、言いたいことがあるようだ。……面倒な事になる予感がする。長い一日の終わりにこの人を相手にするとなると、げんなりした気分を抑えられない。体を起こす気もなく、背もたれにぐったりともたれかかる僕に対し、スネイプ教授の表情には明らかに怒りが現れていた。

 

 少しの沈黙の後、スネイプ教授は重々しく口を開いた。

 「我輩は去年言ったはずだ。『聖人気取りの愚か者』と。自身を拷問し、箱詰めした人間に対して身を挺して庇うなど、英雄気取りも大概にしろ──この、考えなしの自殺志願者が」

 予想はしていたが、やはり叱られるのか。しかし、この人がクラウチ・ジュニアを庇ったことについて、そこまで怒るものなのだろうか。僕はスネイプ教授に嫌われている。間違いなく。そのことを考えるなら、死んだところで自業自得と笑われるだろうと思っていたのだが。

 去年のルーピン教授の件で、僕はスネイプ教授に感情を込めて話をするのに懲りていた。身も蓋もないが、精神的にも肉体的にも疲れ切っている状態でこの人の相手は億劫だ。もう彼の言うことを誠実に吟味する気力もない。現状をさっさと切り抜けるために、僕は残った気力をかき集めて『反省しています』と言う顔を作った。

 

 できるだけしおらしい雰囲気を出し、しょぼくれた声でスネイプ教授に話しかける。

 「……申し訳ありませんでした。今度から、もっと考えて行動します」

 スネイプ教授はその返事で満足してくれなかった。むしろ、彼はこちらの演技を見抜いてしまったようで、額に青筋を浮かべ、険しい目つきで僕を睨みつけてくる。

 「お前が口だけでこの場をやり過ごそうとしてるなど、見れば分かる。その傲慢な態度を改める気がないのは明白だ」

 彼は激情を抑え込んだような、奇妙に落ち着いた低い声で言い募った。

 ……つまり、彼はこちらの考えを改めさせるために説教しようとしているのだろうか? 

 失礼だが、彼が自分の感情を満足させる以外に──つまり、本当に生徒のためを思って説教をしているように見える場面というのは本当に少ない。しかも、僕は彼から何を批判されても、大して自分の意見を変えられないだろうという自覚がある。もちろんそれを前面に出したらスネイプ教授は怒るだろうから、さっきの謝罪は持ち前の閉心術と演技力を駆使して取り繕った。けれど、それで彼は満足してくれなかった。

 スネイプ教授は「あなたたちが本当に反省するまで許しません」、みたいな自分の心情を生徒に押し付けて、理想の反応が出るか相手に満足できるダメージがいくまで謝罪させるような、遠回りに子どもを虐めるタイプの教師ではないと思っていたが……これは厄介なことになりそうだ。

 

 先ほどの吸魂鬼のキスで、精神的なエネルギーはほとんど持っていかれてしまった。それで脳の色々なネジを緩めてしまったらしい。僕は疲れを隠すこともできず、いつもだったら絶対に言わないほどストレートにスネイプ教授への疑問を口にした。

 「……申し訳ありません、本当によく分かっていないので教えていただきたいのですが、スネイプ教授は、僕の何を、どんな理由で改めさせたいのですか?」

 喧嘩を売っていると思われても仕方のない台詞だと即座に気付いたが、時すでに遅かった。幸いなことに、スネイプ教授は目を見開いただけで、即座に着火することはなかった。ありがたい。

 どこか口と心が切り離されたような心地のまま、僕は頭を上げていることも億劫になって俯き、話を続けた。

 「出来れば『自分で考えろ』と放り出さないで欲しいのです。仰ってくだされば納得できるかも知れませんし……不躾なお願いで申し訳ないのですが。

 あなたのお考えを標準的な人間の心情に基づいて類推することはできますが、あまり自信はありません」

 

 頭上で、スネイプ教授は考え込むように沈黙した。自分の手元しか視界には入ってこないが、なにか雰囲気が変わったのを感じる。少しして、スネイプ教授はやはり何かを抑えた声でこちらに話しかけてきた。

 「……その類推とやらを言ってみろ」

 その言葉に対して、うまい返答はすぐには思いつかなかった。スネイプ教授が何を考えていると思っているか、そのまんま話してしまうのはまずい。僕が彼をどれほど人格的な欠点がある人物だと考えているか、暴露することになる。どうにか内心を隠蔽して話を円滑に進めるためには、彼の行動を良い方に解釈して、かつそれを本当に思っているかのように出力しなければならない。

 あまりの難しさに、心の中で白目を剥きながら、僕はなんとか言葉を絞り出した。

 「えっと……寮監として、生徒が無鉄砲な真似をするのを止めさせたい、とお考えなのでは? 今回僕は明らかに無茶な真似をしてしまった訳ですし……」

 「仮にそうだとして、お前は全くそれを改めようとしていない。何故だ」

 彼は頑なに質問を続ける。生徒の事情を聞く態度を見せてくれるのは嬉しいが、こんな状況でないところでが良かった。

 ここで、「そんなことないです、本当にご迷惑をかけて申し訳ないと思っています」なんて言っても無駄なのだろう。

 

 僕は彼の顔を見ないまま、適切そうな言葉を口に出していく。

 「……自分でこんなことを言うのは何なのですが……スネイプ教授が寮監として生徒を守る責務があっても、僕みたいな人間にそれを適用しなくてもいいのでは?

 僕がムーディ教授……じゃなくてバーテミウス・クラウチ・ジュニアに拷問されたのも、吸魂鬼にキスされそうになったのも……ついでに、ルーピン教授にボコボコにされたのも、あなたが関知する部分はないのですから。

 もしあなたが僕について父や、他の誰かに責められるようなことがあれば、僕はちゃんと事情を説明しますよ……ご迷惑をかけてしまい、申し訳ないとは思いますが」

 九割本気、一割、もう見放して欲しいという思いを込めて、僕はこの台詞を吐いた。

 

 再び部屋は静かになった。もう、医務室に行かせて欲しい。これからのことを考えるにしても、ここまで疲弊しては頭が上手く働かない。……ひょっとして、スネイプ教授は僕が弱ってる今が好機とでも思っているのだろうか?

 力を振り絞って頭を上げると、スネイプ教授はまだ怒りを顔に滲ませながらも、何か思案しているような表情になっていた。

 「……お前は何故あんな真似をした。分かるように説明しろ」

 心の底から意外なことに、スネイプ教授は僕の考えを聞いた上で、説教をしようと考えているようだった。普段の彼よりはるかに真っ当な手段であることは間違いないが、今やらないで欲しい。しかし、僕が本当に腹を割って話さないことには、彼は納得しないだろう。

 あんな真似、とは吸魂鬼からクラウチ・ジュニアを庇ったことだろうか? さっきの件については、ほとんど何も考えずに飛び出してしまったのだが……今再びあの状況に置かれても、同じことをするだろう。それを踏まえて、僕は自分の思考を整理した。

 

 しばらく考え、口を開く。

 「……それが一番いい方法だから、ですかね?」

 スネイプ教授が口を挟む前に、僕は頭に浮かぶまま自分の考えを口に出した。

 「そうですね……たかが生徒一人より、バーテミウス・クラウチ・ジュニアの方が重要ではないですか? 彼を今失えばダンブルドアは闇の帝王が復活したという証人を一人失いますし……ポートキーによって連れ去られたハリーの証言だけでは、世間を納得させられないかも知れない。

 もちろん、クラウチ・ジュニアだって決定的な証拠にはならないでしょうが、クラウチ氏の事件と合わせて考えれば、事態のおかしさに気づく人間はいるはずです。その選択肢を今失う選択なんて、ありえない」

 「……ルーピンについてはどうだ。囮になったのは百歩譲っていい。その後、お前は何故奴を庇った。奴をそんなに気に入ったのか?」

 スネイプ教授は本当にルーピン教授の件について拘っているらしい。僕はこの教室に入ってから数度目の面倒臭いな、という感情を何とか押し殺し、彼の言葉を咀嚼した。

 「それが全くないとは言いませんが……ルーピン教授のことだって、好きだからというだけで庇ったわけでは……多分ないです。彼は教師として、軽蔑に値することをした。

 ……でも、彼は運が良かったじゃないですか。折角だから、その幸運を掴ませたいと考えるのは普通ではないですか? 彼らのためではなく、狼人間全員や闇側に誘われる者達のために」

 「……何が幸運だったと言うつもりだ」

 スネイプ教授の質問には今までの詰問する調子ではなく、不可解さが漂っていた。何に引っかかったのだろうか。これから先の展開を円滑にするには見当をつけておくべきところだが、そんな余裕、今はない。

 僕はただ問われるままに、自分の意見を口にする。

 「……被害者が僕だったことですかね? 僕は罪を償うため、彼に何か失って欲しいとは全く思いませんから」

 

 「……何故そう思わない」

 スネイプ教授はいよいよ理解不能という感じで問う。別に理解してもらえるとも思っていないが、それゆえに彼に説明するのは億劫だ。

 僕は少し頭を上げて、真面目な口調で話を続けた。

 「だってそれは……あんまり意味がないじゃないですか。

 勿論、復讐感情は尊重されるべきものです。それがどれだけ未来に繋がらないと分かっていても、人々は仇を憎むのを止められないし、それらを制度に盛り込んでいくことは、説得的な法を作る上で必須のプロセスですから。

 でも……だったら、秩序を回復させようという試み以外の復讐は、感情面以外ではあまり得る物がない。それ以外については……被害者が求めないなら、罰は無意味になるのでは?」

 「……お前は、我輩は選択を誤っていると言いたいのか? クラウチやルーピンに対する我輩の態度は誤りだと、そう考えているのか」

 再びスネイプ教授の口調には怒りが滲み始めた。勘弁してくれ。だいぶ長いこと気絶させられていた気もするが、もう眠らせてほしい。

 僕は彼の気が済むことを願いながら口を開いた。

 「いいえ、あなたのお考えも一理あると思います。野放しになった狼人間は排除されるべきだと考えるのも、生徒を拷問した死喰い人は罰されるべきだと思うのも、自然です。ただ、僕はその道以外があると思うだけで。

 その事件の帰着で犠牲になる人間は、幸いなことに被害者から赦しを得ることができます。他の件についてはそれぞれの場で償ってもらうしかないですが、少なくとも僕を相手にして行った件について、彼らは反省さえすれば問題ありません。

 ……そんなにおかしな考え方でしょうか?」

 

 「反省? いいや、お前は奴ら相手に一度も責めはしなかった。ただ知ったような顔で同情心を向けて、まるで『あなたは悪くない』とでも言わんがばかりに奴らの話を無批判に聞くばかりだった」

 スネイプ教授の声色には、もう不可解さはなかった。代わりに今まで通り怒りと──何か読み取れない感情を滲ませて、彼は僕に語りかける。

 「いいか、もしお前は今ここで我輩に危害を加えられたとしても、それをダンブルドアや自分の父──我輩を破滅させられそうな人間に言わないだろう。どうせ、『自分が生意気な口をきいたのが悪い』とでも考え、挑発したのは自分だと言って譲らないだろう。

 ……お前のその他人を心底見下し切った態度は心底反吐が出るが……問題はそこではない」

 彼の指摘は図星だった。僕はスネイプ教授に教育的指導で言い訳ができる範囲だったら、なんでも黙秘するだろう。しかし、それを指摘して、彼は何を言いたいんだ?

 

 彼は囁くように、僕に決定的な言葉を突きつけた。

 「お前は、自分が害された事実に安心している。

 お前は──誰かが罪を犯すのが耐えられないから──しかも、その原因が自分であることにはもっと耐えられないから、被害者が自分だと安堵するのだ。責任は全て自分にあると、だから本当は『悪い人』などいなかったのだと、自分を騙すことが出来るからお前は自分を傷つける人間こそを懐に入れ、愛するのだ」

 心臓に冷たい刃が滑り込んだような心地がした。思わず頭を上げ、スネイプ教授の顔を見つめる。彼はこちらの反応を見て片方の唇を上げた。しかし、台詞の割に、彼の表情には勝ち誇った色がなかった。

 今の僕に彼が何を考え、感じているのか読み取る気力は無い。ただ彼の言葉を否定したいという思いに従って、僕は口を開いた。

 「……違います。僕は相手の罪を無かったことにしたいわけでは……」

 自分でも驚くほどに情けない声だった。それを聞き、スネイプ教授もさらに眉間に皺を寄せる。

 「お前は嘘が下手だ。自分を騙せなくなれば、すぐにボロが出る」

 「僕は自分を騙していません!」

 思わず声をあげ、僕は我に返った。これではスネイプ教授の考えを肯定しているようなものだ。

 なんとか自身の考えを整理しようと、そして彼の視線から逃れようと、僕は彼から目を逸らして俯いた。その様子を見て、彼は全く嬉しくなさそうに鼻を鳴らして笑う。

 「いいや、騙している。

 お前が目を逸らしてきたことを教えてやろう。ルーピンは自分の身の上を教訓として活かせない、保身に走った無責任な愚か者だったし、クラウチ・ジュニアは闇の帝王の復活のため、自分を慕う子供に磔の呪文をかけた、中途半端な見下げ果てたクズだ。それが現実だ」

 その言葉には我慢がならなかった。僕は勢いよく顔を上げ、スネイプ教授に怒鳴りつけた。

 「それは彼らの一面でしかない! そこだけ見ても何の解決にもならないし、誰も救われない……あなたの他罰感情を僕に押し付けないでください!」

 僕はこの言葉で彼が怒ってくれるだろうと思っていた。しかし、彼は相変わらず静かに、しかし何かに我慢がならないと言った様子で喋るだけだった。僕はそれが本当に嫌だった。まるで──まるで、彼が正しいことを、何か我慢して言っているようじゃないか。

 

 スネイプ教授は逃げるのは許さないとばかりに、僕の座る椅子の背もたれを掴んだ。

 「お前が救いたいのはお前自身だ」

 ……だからなんだ? そんなの、当たり前じゃないか。僕は反抗心のまま顔を上げ、彼を睨み口を開く。

 「それ以上、そこを責めても無駄ですよ。僕は元々自分のために何もかもしているのですから……僕は自分のしたことが将来自分のためになると信じていますし、行動を改める気はありません」

 スネイプ教授は嫌いな生徒を責め立てているというのに、全く笑っていなかった。彼は僕から目を逸らさず、刻みつけるように言葉を紡いだ。

 「クラウチはアズカバンに送られるだろうが……闇の帝王は吸魂鬼を味方につけ、あいつを含む忠実な部下を脱獄させるだろう。

 クラウチが闇の帝王の元に戻り、他の人間を傷つけてもなお、お前は自分の正しさを信じられるのか?」

 僕が見ようとしていなかった、見たくなかったところを突かれてしまった。思わず怯み、視線を逸らすがスネイプ教授はこちらに全く構わずに言葉を続ける。

 「いいか、お前は罪悪感から逃げるために、自分の命を危険に晒した。先のことを考えず、ただ自分の感情が耐えられないからと言う理由で。そんな短慮で。

 ……そのせいでこれから人が死ぬかもしれない。お前のせいで──」

 彼の言葉に息が詰まる。クラウチ・ジュニアがダンブルドアに語った話を聞いて湧いた後悔が再び胸を切り刻む。クラウチ・ジュニアが死ねば良かったとは思わない。しかし、僕が今回の結末に、闇の帝王の復活に何の妨害もできなかったのは事実だった。

 

 

 顔を覆ってしまいたくなるが、そうする前にスネイプ教授の言葉を、聞き慣れた静かな声が遮った。

 「そこまでじゃ、セブルス」

 教室の入り口にはダンブルドアが立っていた。

 スネイプ教授は彼を見て動きを止めた。しばらく沈黙したのち、僕から離れてダンブルドアに向き直り、忌々しげに言葉を放つ。

 「……必要な指導でした」

 「そうかもしれぬ。けれど、行きすぎておる」

 スネイプ教授は何も反論せず、こちらをちらりと見た。彼の表情には怒りは滲んでいない。僕が見た中で初めて、ダンブルドアに食ってかかることなくその言葉を受け止めていたようだった。

 ダンブルドアは僕の座っている椅子のそばに歩み寄り、僕の肩に手を置いて話しかける。

 「さあ、君はもう休まねばならぬ。今後のために語るべきことはあるが……それは後のことにしよう」

 疲れ切った僕はただ、その言葉に頷くことしかできなかった。

 

 

 



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最後の課題

今回の投稿時より必須タグにR-15と残酷な描写を追加しています。


 

 時は第三の課題の前まで遡る。

 

 ハリー・ポッターにはやらなければいけないことが山ほどあった。クラウチが消えたことや、再びヴォルデモートの悪夢を見て傷跡が痛んだことといった気がかりは残っていたが、彼には徐々にそれらを考える時間がなくなっていた。もう数週間後に、三大魔法学校対抗試合の最終戦が近づいていたのだ。

 

 今回、ハリーは何としても自力で──少なくとも、今まで幾度となく助言をもらったドラコ・マルフォイからの直接の助けなしで、課題に取り組もうと考えていた。

 第一の課題は攻略法を一緒に考えてもらったし、第二の課題のときは卵の謎を解くのを手伝ってくれた。今回はその二つと違って、事前に具体的な対策を講じられるような情報はほとんどない。ただ、「迷路」の中で待ち受ける障害物を潜り抜ける。それだけだ。しかし、だからこそ、ドラコに頼らずとも自分で何とかできるところが多いような気がした。ドラゴンも湖も、かろうじてではあるが学生の知識でどうにかなる相手だった。以前の二回の経験から、全く子供には歯が立たないような課題ではないことは分かっているのだ。

 もちろん他の代表選手に打ち勝つのは簡単ではないだろうが、全く策がないわけではない。実践的な呪文なら、この一年弱でたっぷり練習した。第一の課題の前から、ドラコとハーマイオニーはどんな状況にも対応できるようにと見繕ってくれていたのだ。それに加えて、どう練習したらいいのか、どう覚える呪文の優先順位をつけたらいいのか、問題点をどう整理したらいいのか……そういった考え方も、少しずつ身についていた。他でもないドラコの助けによって。

 

 思い返してみれば、いつだって彼はハリーに知識をただ与えるだけでなく、自分の頭で考えられる人間になること──「狡猾」であることを望んでいたのだ。狡猾さをグリフィンドール生に求めるなんて何だかおかしく思えたが、ドラコを見ているとそれが美徳であることも分かるような気がした。もし、彼のようになれるなら、そうなりたいとも。

 ハリーは二年生のときとは違い、自分がスリザリンの性質を持っていることを、もう気に病んではいなかった。

 

 

 教えられてきたことがちゃんと身になっていると証明できれば、少しはドラコの肩の荷を下ろすこともできるかも知れない。ここ最近、彼は再び何やら忙しなく動いていた。いや、気がついていなかっただけで、いつものことなのかもしれない。彼は常にハリー達の知らないところで、誰かのために、何かをしていた。ハグリッドのことも、ルーピン先生のことも、そしてハリー自身のことにも──彼が何かしてくれていたと気づくのは、いつだって全てが終わった後だった。

 

 ここ最近のことにだって、ハリーには思い当たるものがあった。第二の課題の前後で、あれだけ調子に乗っていたリータ・スキーターの記事がぱったりと日刊予言者新聞に載らなくなったのだ。ハリーはすぐに誰がそれを仕組んだのか悟った。それは多分、いや、間違いなく、ドラコだ。

 一月のホグズミード行きの日、「三本の箒」でハリー達三人とハグリッドがスキーターに出くわした後、ドラコはその後を追って店から出て行っていた。その後からスキーターはハリー達に都合の良い部分もある話を何本か書いて、そして唐突に表舞台に姿を見せなくなった。これは単なる偶然では無いはずだ。

 

 

 ロンやハーマイオニー、ハグリッドは、ハリーがスキーターを邪険に扱ったので、第二の課題の後の記事がどんなにひどいものになるだろうかと恐々としていた。その最悪の事態に陥る一歩前のタイミングを狙って問題を解決できる人間を、四人はドラコしか思いつかなかった。だから、何をどうやったのか当然尋ねたのだが、彼は曖昧に笑うだけで頑として答えなかった。

 無理に口を割らせられなかったのは、やはりドラコがどんどん忙しそうになっていたからだ。もちろん、日頃から彼は世話焼きで色々な人に引っ張りだこなのだが、今年に入ってからは特に深刻そうにあちこちを駆けずり回っていた。その理由が何なのか、ハリーたち三人は何となく察していた。きっと、ヴォルデモートのことだ。ハリーが何か情報を掴んでそれをドラコに教える度、それについて何か必死に調べている様子だった。

 

 何を気にしているのか教えてもらいたいと思っても、やはりドラコははぐらかすだけだ。ただ何でもないと、自分がどうにかすべき用事だと言って、三人を遠ざけて一人で何かをしていた。

 

 その態度は、ハリーの中にずっとあった、ある感情を強くさせた。──それは、悔しさだった。

 ドラコはいつも、ハリーを信じていると、ハリーなら大丈夫だと言ってくれる。でも、それはいつだって、こちらがその言葉をかけて欲しいと願っていたときだった。ドラコは決して、必要としていないとき、何か期待をかけるよう事は言わなかった。それはハリーのためなのだろう。かけた言葉が重荷になってはいけないとか、それでハリーが無茶をしたら本末転倒だとか、いつものようにこちらを気遣って、そういう「思慮深い」態度をとっているのだろう。

 

 ドラコはきっと、第一の課題でドラゴンから逃げ出しても、第二の課題で水中で息をする方法を見つけられず無様に溺れてしまっても、少しだってハリーを責めなかっただろう。むしろ、仕方がなかったと慰めすらしただろう。ハリー自身のために。でも、それを想像するたび、ハリーは自分の腹の底から苛立ちのような、寂しさのような感情が湧いてくるのを止められなかった。

 

 この思いはロンとハーマイオニーには分からない感覚らしかった。ロンはそこまでドラコにこだわることに対してあまり理解できないといった感じだったし、ハーマイオニーはここまで世話になっておいて、恩知らずじゃないかと指摘してきた。だからハリーはドラコに対して正面切ってそれを言うことはなかったのだが、それでもハーマイオニーはいい顔をしなかった。彼女は内心も美しくあれるならそうあるべきというタイプだ。それゆえに、ハリーはこの感情をどうにも持て余していた。

 

 

 第二の課題が終わってすぐの頃、スリザリンの席で朝食を食べているときに、ハリーはふとこのことを思い出した。これはクラッブとゴイルなら分かってくれるのではないか、という思いが頭をよぎる。そして、その勢いのまま、その場にいた二人に胸の内を打ち明けた。ハリーはそれほどこの二人と打ち解けてきていた。

 

 その期待は当たっていた。クラッブは馬鹿にしたように少し笑ったが、すぐいつもの仏頂面に戻り、口を開いた。

 「まあ、分からないでもない。僕らの方があいつとは付き合いが長いんだ。あいつが如何に自分以外を子ども扱いしているかなんて、骨身に染みて実感している」

 ゴイルもハリーを全く否定しなかった。ドラコが大広間に入って来ていないことを確認した後、彼は困ったように微笑んだ。

 「別に悪気があるわけじゃないんだよ。僕らを馬鹿にしてるとか……まあ、善意な分もっと厄介なところがあるけどね」

 

 確かにこの二人はドラコとの付き合いが長いから分かってくれるかも知れないという思いはあった。しかし、ここまでこの二人が共感してくれるとハリーは思っていなかった。目を丸くして驚いていると、クラッブは挑戦的に笑う。

 「で、それが気に食わないんだったら、今のお前がやるべきことは一つだ。そうだろう?」

 

 勿論、それが何なのかは分かっていた。深く頷き、ハリーは答える。

 「……ドラコの助けなしでも、課題をやってやれるんだって……僕は守られているだけじゃないって証明する」

 その言葉に、二人はニヤッとスリザリン生らしく笑った。

 「僕たちも手伝うよ。絶対一位になって、ドラコの鼻をあかしてやろう」

 ゴイルは少し茶化して言った。……そうして、クラッブとゴイルはハリーの特訓に付き合ってくれるようになった。

 

 

 

 一緒に呪文を練習する中で、ハリーは今まで気づかなかった二人の性格を知った。

 

 彼らはドラコの幼馴染であるせいか、彼と同じ考え方をしているところが少しあった。クラッブのなんだかんだ懐が深いところや、ゴイルのいつでも気を回して優しいところは、ドラコによく似ている。休憩の合間に、ハリーはポロッとそれを二人に言ってしまった。てっきり妙なことを言うなと怒られるかと思ったが、二人ともそれはそうだろうと頷くだけだった。

 三人で空き教室の床に並んで座りながら、ゴイルは懐かしむ様な顔をして微笑んだ。

 「ドラコは昔からあんな感じだったし、うちの親は、はっきり言って子供の世話に興味がなかったから。昔……七歳くらいの頃かな。それまでは、僕ら本を読んだことすらなかったんだ。そんな子供を見たら、ドラコがどうするかなんて分かるだろう? 本当に、あの手この手で僕らに知識を叩き込もうとしたわけだ。

 そのときは今ほど頻繁に会っていたわけじゃないけど、彼が親というか、先生代わりみたいなものだったよ」

 

 クラッブも頷き、少し皮肉げながらも穏やかな顔で口を開く。

 「あいつも初めに会った頃はもっと……説教臭かったし、うざったかった。ただ、それに反発してもどうしようもないって、長い間一緒にいると分かってしまうんだよな」

 クラッブの言うことはよくわかった。正直、何でドラコに口を出されなきゃならないんだと思ったことは、ハリーだって何度もある。けれど、彼はこちらが納得していないことを察すると、徹底的に話を聞いてくれてしまうのだ。そして、その時は絶対に頭ごなしに否定しない。自分でも言葉にできていなかった本当の望みを掬いあげて、もっと良い方法はないか考えてくれる。……そうされてしまっては、反抗するのも難しかった。

 

 クラッブはハリーが同意するのを見て、少しだけ意外そうな顔をしていた。彼はそのままその場に座り直し、ハリーの方をじっと見つめる。

 「……俺はてっきり、お前らはあいつを利用したいだけの奴らだと思ってた。三年のときなんか、特にな。お前らはあいつに尻拭いをさせるだけさせて、なーんにも恩を返さなかったものな?」

 思わずうっと黙り込んだハリーに向かって、クラッブは微笑んで首を横に振った。

 「でも、今年お前はそれなりにあいつの助けなしに課題をこなしたんだろう? それで、あいつが手を貸さなかったからって怒ったりしなかった。今回は、そもそもあいつの助けを借りたくないとすら考えた。……少し、珍しいことだ」

 

 ハリーはクラッブの真面目な様子に面食らってしまった。それは、そんなに貴重な出来事だろうか。

 「当たり前じゃない? いつも助けてもらいっぱなしで悪いって気持ちぐらいはあるよ」

 けれど、クラッブは肩をすくめて笑った。

 「奴はいつだって完璧に見えるからな。それでいつも、損な役回りを押し付けられる。あいつ自身、それを望んでる。そんなことをしてやる義理は無いのに。心当たりはあるよな?」

 その言葉はハリーの胸に鈍く刺さった。ことヴォルデモートに関して、ハリーはドラコに何でもかんでも相談してしまっている。彼自身が非常に強い関心を示しているからと言うのはあるが……それでも、心労を増やしてしまっていることだろう。

 

 言葉に詰まったハリーを見て、ゴイルは気遣わしげに笑った。

 「君がこうしてドラコに頼り切りにならないって決めたのは、君にとっても彼にとっても良いことだと思う。僕らも、自分で何かを本当にやり遂げたいと思うんだったら、このままではいられないしね」

 ゴイルは何をしたいと思っているのか、ハリーには想像ができなかったが、気持ちは分かった。クラッブもゴイルに対して頷き、ハリーの方を振り返る。

 「お前が思っているより、ドラコ・マルフォイはずっと完璧じゃない。身内贔屓が馬鹿みたいに強いし、その身内の範囲が狂っている。顔に出さないだけでカッとなりやすいし……あと、自分を天秤に乗せた損得勘定がかなり下手だ」

 いきなりドラコの欠点をあげ出されたことに、ハリーは面食らってクラッブをまじまじと見る。それを無視して、クラッブは真剣な表情で言葉を続けた。

 「だから、もしお前があいつに恩を感じてるんだったら、せめてあいつに守られているだけの人間じゃないって証明してやってくれ」

 クラッブの真面目な態度に驚きながらも、ハリーはしっかりと頷いた。

 

 

 

 

 そして、いよいよ六月二十四日がやって来た。起きたそばから昂る気持ちを感じながら、ハリーは何とか心を落ち着けてグリフィンドール寮を出た。

 

 その日の朝、グリフィンドールのテーブルは大賑わいだった。ハリーの周りにはロンとハーマイオニーだけでなく、クラッブやゴイルまでやってきて覚えた呪文の復習と激励をしてくれた。ホグワーツに入ってから、ロンとハーマイオニー以外の同級生からこんなに親しくしてもらったことはないかも知れない。ハリーは再び、二人に絶対一位を取ると誓った。

 

 朝食の後、代表選手は家族が待つ小部屋へと呼び出された。ダーズリー一家が呼び出されたのかとヒヤヒヤしたが、その予想は外れた。小部屋で待っていてくれたのはウィーズリーおばさんとビルだった。昼食までの間、三人はホグワーツを見て回ることに決めた。

 

 二人と一緒に大広間へと部屋を出ようとしたところ、セドリックとエイモス・ディゴリー氏が入口のすぐ横に見えた。ディゴリー氏とは一緒にクィディッチ・ワールドカップに行って以来だ。ハリーはちょっぴりこの人のことが苦手だった。彼は去年、クィディッチでグリフィンドールがハッフルパフを破ったことをよく思っていないらしく、キャンプ場に向かう間にハリーに不満げな視線を向けていた。

 横を通り過ぎるときに二人と目があった。セドリックはハリーを見て微笑みながら口を開いたが、それをディゴリー氏が遮った。

 「よう、よう、いたな」

 それはひどく不躾な声色だった。ディゴリー氏は返事を待たず、ハリーを上から下までじろじろ見た。

 「今回の課題は箒も人質もなしだ。そうそういい気にもなっていられないだろう?」

 皮肉な物言いに、ウィーズリーおばさんとビルの表情がさっと硬くなる。しかし、二人が抗議の声を上げる前に、ディゴリー氏を制したのはセドリックだった。

 「父さん、止めてくれ。ハリーのせいではないのだから。彼を責めてはいけないよ」

 セドリックのきっぱりとした声に、ディゴリーもウィーズリーおばさんも驚いて口を閉じた。ハリーも目を丸くしてセドリックの顔を見る。彼がこんなに強く何か言うところは初めて見た。

 

 目を丸くしている父親をよそに、セドリックはそのままハリーに向き直る。

 「──すまない、ハリー。リータ・スキーターの三大魔法学校対抗試合の記事以来、ずっと腹を立てているんだ。ほら、君がホグワーツでただ一人の代表選手みたいな書き方をしたから。君が悪いんじゃない」

 何と応えたらいいか分からないでいるハリーに、セドリックは言葉を続けた。

 「ハリー、折角応援が来ているのに悪いんだけど──この後、少し時間をもらえないか?」

 その真剣な表情に、ハリーはただ頷くことしかできなかった。

 

 

 

 ディゴリー氏、ウィーズリーおばさん、ビルを残して、ハリーとセドリックは小部屋から出た。廊下はがらんと静まり返っている。他の生徒はみんな、この時間は試験を受けているはずだ。非日常な学校を二人押し黙ったまま歩く。しばらく行ったところで、セドリックはハリーの方を振り返った。彼の手は後ろに回され、唇は真一文字に結ばれている。なぜかは知らないが、随分と緊張しているらしい。

 

 セドリックはしばらく言葉をさまよわせたあと、意を決したように口を開いた。

 「君に、謝らなきゃいけないと思って」

 

 全く予想していなかった台詞だった。一体何のことを言っているんだ? セドリックが何を言おうとしているか分からず、ハリーはぽかんと口を開けた。そんなハリーの様子に構わず、セドリックは言葉を続けた。

 「僕は──第一の課題が終わったときには、もう君が、本当に自分でゴブレットに名前を入れたんじゃないって分かっていた。他の人を出し抜いてまで代表選手になりたい人が、ドラゴンのことを他の選手に教えるわけがないからね。なのに、周りのハッフルパフ生が君の悪口を言うのをちゃんと止めなかったし──いや、本当は分かる前から止めるべきだったんだろう。だけど、そうだね。友達が君を貶すのを黙って見ていた。父さんのことだって、今日顔を合わせるまでは注意したりしなかったんだ。だから──ごめん」

 

 セドリックは顔を赤らめながらも、ハリーから目をそらさずに早口で言い切った。その瞳からは、何か懸命なものが現れていた。

 いよいよハリーは面食らってしまった。セドリックはひどく恥ずかしそうなのに、何とかこの場にいることを耐えているようだ。その様子に、一瞬チョウに関する嫉妬さえも、ハリーの頭からは抜け落ちていた。

 審判を待つように後ろ手を組んで黙りこくっているセドリックに対して、ハリーは何とかかける言葉を探した。

 「いや……僕も……君にあんまり良い態度を取らなかったから。ほら、クリスマスのとき……」

 それを口に出した後、ハリーは自分が口を滑らせてしまったことに気づいた。あの時の言葉が子供っぽい嫌味だったことを明かしてしまったのだ。

 決まりが悪くなって窓の方に目を逸らしたが、セドリックはむしろほっとしたようだ。少し緊張が解けた声で言葉が返ってきた。

 「気にしないでくれ。むしろ、僕は君にドラゴンの借りを返せていないんだから。役に立てなくて悪かったよ。君も代表選手になって、いろいろ大変だっただろう? 寮のみんなの期待とか……辛いこともあっただろう」

 

 その言葉に、ハリーは思わずセドリックの顔を見つめる。今日に至るまで、彼はそんなふうに考えている様子など少しも見せていなかった。

 

 「セドリックも……そういうことを思ったの?」

 

 「ハッフルパフは代表選手の選出のことがあって気が立ってたからね。なんだかんだ僕らの寮は「劣等生がいくところ」みたいに軽んじられがちだったから、そうではないと知らしめる絶好の機会だって、みんな思っていたんだ。なのに代表選手が二人になってしまって。もちろん君のせいじゃない。だけど、やっぱり……そうだね。みんなの期待に応えないと、とは思ったよ」

 「それなのに、僕に第二の課題のヒントをくれたの?」

 目を丸くするハリーに対し、セドリックはぎこちなく肩をすくめた。

 「ああ……だって、君にドラゴンのことを教えてもらっておいて、何にもなしって訳にはいかないだろう? それも今から考えると、「風呂に入れ」だなんて、随分と中途半端なヒントだったしね。……しかも、君には役に立たないものだったみたいだ」

 

 再び恥いる様子を見せるセドリックに、いよいよハリーもバツが悪い心地がした。

 「……いや、僕は卵の謎を解くとき、ドラコに考えを助けてもらってやったんだ。一人だったら、きっと行き詰まっていたよ。だからあんまり気にしないで。クリスマスのときは、せっかく助言をしてもらったのにあんな感じで悪かったよ」

 「いや、僕の方こそ、君や君の周りには八つ当たりみたいな真似をしてしまったから……よく思わないのも当然だ」

 

 セドリックは本当に居た堪れないという様子だ。「八つ当たり」が何のことかはわからないが……お互い謝り続けているこの状況がおかしくなり、ハリーは少し笑ってしまった。それを見て、セドリックもほっとした顔をする。この一年間、お互いに張っていた壁がこの時だけは崩れたのを感じた。

 

 少しだけ間を空け、ハリーは少し気になったことをセドリックに尋ねる。

 「……なんで今、僕に謝ろうと思ったの? ……いや、遅かったとかじゃないんだ。でも……」

 セドリックは少しだけ視線を彷徨わせた後、迷いながらも口を開いた。

 「ある人に……偉そうに色々言ってしまって。僕だって、人の期待に応えたくて、自分がやりたいことを出来ていなかったのに。だから、せめてこれからは自分に正直になろうと思って」

 

 セドリックは窓の外を眺めながら、自分に言い聞かせるように言葉を続けた。

 「お互い、後悔のないように頑張ろう」

 

 

 

 そして、第三の課題が始まった。

 クィディッチピッチに生い茂った迷路の中で、ハリーは想像もしていなかった怪物と遭遇することになった。尻尾爆発スクリュートに真似妖怪、重力を反転させる金色の靄、スフィンクス。全てかろうじて切り抜けられたような障害ばかりだ。

 ──しかし、脅威はそれだけではなかった。

 

 迷路を潜り抜ける中で、クラムがセドリックに「磔の呪い」をかけるところに出くわしたのだ。ハリーは即座に麻痺呪文でクラムを昏倒させることができたが、ショックは大きかった。「磔の呪い」は禁じられた呪いで、たとえ課題だろうと使っていいものではない。すでにクィディッチで名高いクラムがこんな形で法を犯してまで、勝利に固執するとは思えない。どこか様子もおかしかった。あのぼんやりとした表情は──おそらく服従の呪いだ。迷路の外で、誰かが何か目的を持って代表選手を害そうとしているのだ。

 

 ドラコはこういうことを予期して、僕に課題そのものじゃなく、身を守るための呪文を覚えてほしいと考えていたのだろうか?

 

 彼が何か心配していて、その正体が何か話してくれないときは今までに何度かあった。二年のクリスマスにドビーについて話した後や、三年のペティグリューを疑っていた件なんかが最たるものだ。そして、その後にはいつも危険な出来事が待っていた。もしかしたら、今回もそうなのかも知れない。

 セドリックと別れた後も、嫌な雰囲気があたりに漂っていた。一刻も早くこの課題を終えるためにハリーはさらに足を早め、迷路の先へと急いだ。

 

 

 

 優勝杯が輝くのが見える道で、ハリーは後ろを何かが駆ける足音に気がついた。振り向いた先に見えたのは、あちこちに怪我をしたセドリックだった。競争相手が自分の前にいるのに気づいたセドリックは、走ってハリーを追い抜こうとする。ハリーも慌てて優勝杯の方に向かおうとしたが、不意にセドリックの横に何か大きな影がよぎる。それは、熊ほどの大きさがありそうな蜘蛛だった。蜘蛛は猛然とセドリックに突っ込んでいく。

 ハリーはそのまま先に逃げようとして──転んでしまったセドリックの手から杖が離れるのを見た。それを見てしまっては、見捨てることはできなかった。素早く駆け寄り、杖をまっすぐに蜘蛛へと向ける。

 

 蜘蛛の外皮は硬く、放った二、三の呪文はほとんどが効かなかった。しかし、ハリーは焦りながらも大事なことを思い出していた。──呪文を弾いてしまう魔法動物は、そうじゃないところを狙う。

 蜘蛛の突進を逃れて次に放った「結膜炎の呪い」は蜘蛛の目の一つをしっかりと捉え、その巨体は大きく怯んだ。その隙に蜘蛛から逃れて距離を取ったセドリックも自分の杖を拾い、呪文を放つ。二人分の力でかけられた麻痺呪文によって、大蜘蛛はその場に崩れ落ちた。

 

 しばらく息を整え、二人は顔を見合わせた。気づけば、セドリックの方が優勝杯の近くに立っている。セドリックの方がハリーより背が高いし、足も長い。ここから追いつくことはできないだろう。最後の最後で、してやられてしまった。

 絶望的な気持ちになるハリーに対し、セドリックは意を決したように口を開いた。

 「……ハリー、君が優勝杯を取れよ。君が優勝するべきだ。迷路の中で、君は僕を二度も救ってくれた」

 

 この後に及んで格好をつけるセドリックに対し、ハリーは苛立って首を振った。

 「そういうルールじゃない。優勝杯に先に到着した者が得点するんだ。君だ。僕、ここから走ったんじゃ、君に勝てっこない」

 それでもセドリックは優勝杯から離れ、ハリーの方に歩み寄った。ハリーはセドリックが真っ直ぐ、優勝杯を振り返ることなく自分を見ていることに気がついた。

 「できない。……僕は、勝利より公平さを大事にしたい。それがハッフルパフの精神だ」

 取り繕ったり、我慢したところのないきっぱりとした口調だった。ハリーはこの状況でそんなことを言えるセドリックに対して、一瞬言葉を失った。

 

 「……本当にいいの? 君だって、みんなの期待に応えたかったんだろう?」

 「そうだね……でも、それで自分の心情を曲げるようなことは、したくない。それに、僕の父さんならきっと分かってくれるさ。……僕は全力でやったんだって」

 

 あまりにも真剣な様子に、ハリーは何と返したらいいか分からなくなった。それでも、こんな形で優勝するのは──胸を張って報告できることじゃない。その気持ちで、ハリーは気を取り直して口を開いた。

 「……いや、じゃあ、競走しよう。さっき蜘蛛の邪魔が入ったところまで戻って、そこから走るんだ。それなら、いいだろう?

 ……全力で走ってよ。僕、人から貰った勝ちなんて欲しくない」

 

 セドリックはまだ何か言いたげだったが、ハリーが譲らないことを悟ったようだ。少し困ったように微笑み、蜘蛛から襲撃を受けたところから明らかに離れた場所に戻っていった。……これが妥協の条件なのだろう。ハリーも、今度は何も言わなかった。

 

 

 

 「じゃあ、一、二の──三!」

 

 ハリーは全力で走った。セドリックがちゃんと走ってくれているか、確認する余裕はなかったが、すぐ後ろを付いてくる気配した。安堵と焦燥が掻き立てられる。足音はぐんぐんと距離を縮めていた。ハリーはただ、死に物狂いで足を動かした。

 

 ──正々堂々、勝つんだ。僕もやってやれるってことを、証明するんだ──

 

 勝負はすぐに決着がついた。青白く輝く優勝杯にハリーの手が僅かに早くかかり──

 その瞬間、ハリーは臍の裏側のあたりがぐいと引っ張られるように感じた。両足が地面を離れた。優勝杯の取っ手から手がはずれない。風の唸り、色の渦の中を、優勝杯はハリーを引っ張っていく。

 

 切り裂かれていく景色の中、すぐ後ろにいたセドリックが大きく目を見開いているのが、視界の端に一瞬映った。

 

 

 

 そして、ハリーは一人で、暗い、草ぼうぼうの墓場に立っていた。



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墓場と真相

 

 

 

 真っ暗な、荒れ果てた墓場で、ハリー・ポッターは「トム・リドル」の墓石に縛り付けられていた。

 彼は、そこで自分の血を使って仇敵が復活するのを目にした。

 

 

 ペティグリューの肉と自らの父の骨を得た「それ」は、煙立つ大鍋から、欠けのない、骸骨のように細く蒼白い姿で立ち上がった。

 ハリーがヴォルデモート自身と対面したのは一年のとき以来だったが、受ける印象はその時と全く違っていた。完全な身体を取り戻したそれは、恐ろしくも弱々しかった以前とは違い、静かな、そして格段に威圧的な雰囲気をその場に醸し出している。

 

 ──このまま、縛られたまま、何もできずに殺されてしまうのだろうか? そんな思いに、息が喉に張り付くように感じる。しかし、予想に反して、ヴォルデモートは一瞬父の墓石に目を向けた後、ペティグリューの方へと歩み寄った。

 彼はペティグリューの腕にあった生々しく赤い闇の印の刺青を差し出させ、自分の人差し指をそれに押し当てる。途端に、ハリーの額の傷が割れるように痛み出した。思わず口から呻き声が漏れるが、ヴォルデモートはそれを気にも留めていないようだった。

 ヴォルデモートが無視したのはハリーだけではなかった。自分の足元で腕を失い、杖を試すため呪いをかけられ、闇の印の痛みによってさらに傷つけられたペティグリューすらも、一欠片たりとも気にかけていなかった。

 

 ヴォルデモートは赤い目をぎらつかせ、周囲を見渡す。その様子はまるで、獲物が来るのを待っている蛇のようだった。

 誰に語りかけるでもなく、ヴォルデモートは言葉を漏らす。

 「それを感じたとき、戻る勇気のあるものが何人いるか──

 そして、離れようとする愚か者が何人いるか」

 冷酷さに満ちた、どこか弄ぶような色を纏った声音だ。ハリーは、去年、クィディッチ・ワールドカップの後の森で、ヴォルデモートについてドラコが語ったことを思い出した。

 ──しかし、身内には酷く厳しかった。彼は恐怖で支配することを好み、粛清で配下のものを縛りつけた。

 縛り付けられている仇敵も、自らを復活させるために片腕を落とした下僕も眼中になく、ヴォルデモートはじっと空を見つめていた。

 

 しかし、その無関心は長く続かなかった。

 しばらくあたりを歩き回ったあと、ヴォルデモートは墓に縛られたままのハリーに父の話を始めた。意外なことに──ヴォルデモートはハリーに、いや、この場にはそれを語る価値があると考えたようだ。

 かつてヴォルデモート自身が書いた日記によって、彼の過去はすでにハリーに語られていることは知らないらしい。

 

 

 長く、自己陶酔的な語りを終え、ヴォルデモートは話を切った。彼は怒りと嘲りを浮かべハリーに笑いかける。

 「俺様が家族の歴史を物語るとは……なんと俺様も感傷的になったものよ……しかし見ろ、ポッター! 俺様の真の家族が戻ってきた……」

 

 闇の中から、次々と仮面をつけた、黒いローブの人間たちが「姿現し」でその場にやって来た。その死喰い人たちは怖気付いたかのように躊躇いながら、それでもノロノロと「ご主人様」のところへ歩みより、順々に跪いてヴォルデモートのローブの裾に口付けをした。

 

 

 ヴォルデモートは残忍な笑みを浮かべた。声色には落胆と、倦怠と、嗜虐心が滲み出ている。

 闇の帝王は従僕たちに詰問した。なぜ彼らは健康な心身を持ってこの場にいるのか──なぜ自分を助けに来なかったのか──なぜ自分の復活を考えなかったのか──

 臆病な僕たちに、返事は許されなかった。ヴォルデモートは自問自答し、侮蔑の色をあらわにして死喰い人たちに失望を告げた。慈悲を懇願し足元に平伏した一人──エイブリーに対し、ヴォルデモートは容赦無く「磔の呪い」をかけた。

 

 

 しかしヴォルデモートはただ下僕を痛めつけるだけではなかった。彼はペティグリューに褒美を──新たな銀色に輝く腕を与えた後、その右側に立っていた男に歩み寄った。

 「ルシウス、抜け目のない友よ」

 ハリーはこの墓場に来てから、二番目に恐れていたことも現実のものになったことを悟った。

 ルシウス・マルフォイはヴォルデモートの元に戻った。あの優しい友人の最愛の父は、子どもの心情を顧みることなく、闇に付くことを決めた。おそらく彼が予想していた通りに。

 ずっとそうなるのではと考えて来たことだった。それでも心は酷く沈む。受け入れ難さに、ハリーは思わず唇を強く噛んだ。

 

 

 ヴォルデモートは冷酷に、陰湿にルシウス・マルフォイを問い詰めた。

 「世間的には立派な体面を保ちながら、おまえは昔のやり方を捨ててはいないと聞き及ぶ。いまでも先頭に立って、マグルいじめを楽しんでいるようだが?

 しかしルシウス、おまえは一度たりとも俺様を探そうとはしなかった……クィディッチ・ワールドカップでのおまえの企みは、さぞかしおもしろかっただろうな……しかし、そのエネルギーを、おまえのご主人様を探し、助けるほうに向けたほうがよかったのではないのか?」

 「我が君、私は常に準備しておりました。あなた様の何らかの印があれば、あなた様のご消息がちらとでも耳に入れば、私はすぐにお側に馳せ参じるつもりでございました。何物も、私を止めることはできなかったでしょう──」

 

 ルシウス・マルフォイの語調は、誰かの機嫌を損ねず説得しようとするときのドラコのものに似ていた。しかし、ハリーはその端々に彼にはない綻びと拙さを感じた。ドラコなら──ドラコならもっと上手くヴォルデモートを説き伏せてみせただろう。妙に現実感のない心地で、ハリーは頭を下げるルシウスを見つめた。

 

 

 ヴォルデモートも、やはり安易にルシウスを許しはしなかった。

 「それなのに、おまえは、この夏、忠実なる死喰い人が空に打ち上げた俺様の印を見て、逃げたと言うのか?」

 気だるそうに吐きかけられた言葉に、ルシウスは何も返事ができない。しかし、ヴォルデモートは意外にも寛容さを見せた。

 「そうだ。ルシウスよ、俺様はすべてを知っているぞ……おまえには失望した……これからはもっと忠実に仕えてもらうぞ」

「もちろんでございます、我が君、もちろんですとも……お慈悲を感謝いたします……」

 

 そのまま、ヴォルデモートは残りの死喰い人を一人一人詰問していった。マクネア、クラッブ、ゴイル、ノット……ほとんどがハリーと同学年のスリザリン生の父だ。彼らもまた、ドラコと同様の状況に置かれることになる……

 

 思わず目を伏せるハリーをよそに、ヴォルデモートは自身がいかにこの十三年間を過ごして来たのか、臣下に対して語り始めた。その様は、自身が復活したことに対し悦に入っているようでも、自身をここまで貶めたハリーに対しての怒りを自ら掻き立てているようでもあった。

 

 

 

 長い話を終え、ヴォルデモートはハリーに向き直った。

 ──遂にハリーに番が回って来たのだ。

 彼は残忍さをむき出しにして、杖を構えてハリーに「磔の呪い」を掛けた。そうすることで、ハリーが何でもない、ただの子どもだということを死喰い人に知らしめたのだ。みんな笑っていた──ルシウス・マルフォイも、ドラコに似た、しかしより低く深みのある声で笑い声をあげていた。

 

 ヴォルデモートは嘲笑を浮かべたまま、ペティグリューにハリーの縄を解くよう命じた。彼は、ハリーと決闘することで、自身の威信を復活させようとしたのだ。

 

 しかし、ハリーはヴォルデモートの手にかかり死ぬことはなかった。

 

 ハリーとヴォルデモートが放った呪文は宙で真っ向からぶつかり──その閃光は二つの杖を結びつけた。眩い火花と靄があたりに満ちる。

 その中から知らない老人や女性──そしてハリーの両親の輝く影が現れた。それらはハリーからヴォルデモートを引き剥がした。

 

 ハリーは全力で走った。目に入った優勝杯を杖で呼び寄せ──

 そして再び臍の裏側が引っ張られるのを感じた。周囲の景色がどんどん渦を巻いていく。最後に聞こえたのは、ヴォルデモートの怒りの叫び声だった。

 

 

 

 

 ホグワーツに戻った後、ハリーはファッジに食ってかかられながら優勝杯を検分するダンブルドアから引き離され、ムーディ先生の研究室に連れ込まれた。ハリーの話を聞く中で、彼は本性を現したが、ハリーに手をかける前にダンブルドアが部屋の扉を吹き飛ばし、ムーディを失神させた。

 ダンブルドアは一緒について来たスネイプとマクゴナガル先生にそれぞれ指示を出した。部屋にはハリー、ダンブルドア、気絶して床に倒れ伏したムーディの三人が残った。

 

 あまりの出来事に考えが追いつかない。呆然とするハリーをよそに、ダンブルドアは何かを確信した冷静な様子で、部屋の片隅に置いてあった、錠前がついた大きなトランクを開け始めた。

 しかし、トランクの中を見て、ダンブルドアは大きく目を見開いた。

 蓋を開けると、そこは竪穴のようになっていた。冷たい、石造りの床には痩せ衰えた老人と、青年と呼ぶにはまだ幼い少年──ドラコ・マルフォイがいた。二人とも目を閉じ、身じろぎもしない。

 「ああ、そんな──」

 ハリーの喉からひきつれた声が漏れる。その場で動きを止めていたダンブルドアは、ハリーの声を聞き、杖を構えて素早くトランクの中に降りていった。

 

 老人──マッド-アイ・ムーディとドラコの側にしゃがみ込み、ダンブルドアは二人の様子を診た。

 「……『失神術』じゃ。アラスターには『服従の呪文』が掛けられておる。アラスターは非常に弱っているが──ドラコは無事じゃ」

 ダンブルドアの言葉に、ハリーはその場に崩れ落ちそうになった。ダンブルドアは杖を振り、冷えきったトランクの底から二人を外へ運び出し、横たえた。間近で見るドラコの顔はいつもより一層青白く、苦悶に歪んでいるように見える。

 ふと、ハリーは二年前のことを思い出した。「秘密の部屋」でドラコを見つけたときのことだ。

 あの時も彼が死んでいるのではないかと、酷く恐ろしい思いをした記憶がある。しかし、今の恐怖はそれを上回っていた。薄暗く、どこか作り物めいた部屋で横たわる姿より、馴染みのある研究室の狭いトランクの中で押し込められている様子の方が、ずっと現実的だからだろうか? それとも、ヴォルデモートの復活の後で、誰かの死がより一層現実味のあるものとなったからだろうか?

 

 

 ダンブルドアはドラコの側にしゃがみ込み、杖を向けて何か呪文をかけた。

 少しして、ドラコがゆっくりと目を開く。ドラコはぼんやりと天井を眺めていたかと思うと、かたわらに跪くダンブルドアの存在に気づき、体を起こそうとする。しかし、その動きはぎこちなかった。ダンブルドアはドラコの肩を支え、その場に座らせる。

 「ドラコ……」

 ダンブルドアの表情はハリーの方からは見えない。しかし、その声に混ざる震えに、ハリーは思わず目を見開いた。先程まで偽物のムーディ教授に向けていた気迫は、その声色からは全く感じ取れなかった。

 

 ダンブルドアの顔を見て、ただでさえ悪かったドラコの顔色がさらに蒼白になる。彼は顔を歪め、えずくように声を絞り出した。

 「……ダンブルドア……ポートキーが……ハリーは、大丈夫ですか……」

 返事の代わりに、ダンブルドアはハリーの方へ目を向けた。そこでようやくハリーの存在に気づいたドラコは、心底安堵したようにこわばった体の力を抜く。そちらに対し、ハリーが笑顔を返す前に、ダンブルドアの言葉によってその表情は消え去った。

 「彼は戻った」

 それを聞いて、ドラコの瞳には絶望感が満ちる。ダンブルドアの言う「彼」はハリーのことではないのだろう。彼はその場に崩れ落ちそうになるのをなんとか堪えているようだった。震える唇で、ドラコは言葉を紡ぐ。

 「申し訳ありません……ダンブルドア……」

 

 ドラコが何のためにダンブルドアに謝っているのか、ハリーには見当もつかなかった。しかし、その言葉に含まれた悲痛な響きに、ハリーは悟った。

 ──きっとドラコは、ハリーが何を見てきたのか、もう予想がついているのだろう。そして、その場に誰がいたのかも……

 

 

 ドラコにかける言葉が見当たらないまま、ハリーはただその場に立っていた。ダンブルドアはムーディの懐から取り出した携帯用酒瓶を調べ、その中身を床にあけた。その泥のような液体にはハリーにも見覚えがあった。二年前にハーマイオニーが調合した、ポリジュース薬だ。

 それを見てドラコは顔を歪めた。彼はダンブルドアに何かを問いかけることはなく、それどころかダンブルドアが語るムーディのすり替わりさえまともに聞いていないようだった。

 

 しばらくして、偽ムーディが薬の効果が切れ、真の姿を現した。床に投げ出された義足は下に生えてきた本物の足に押し出され、義眼が下に落ちる。傷だらけの表皮の下から現れた顔に、ハリーは見覚えがあった。

 ダンブルドアの部屋にあった『憂いの篩』で見た裁判で、クラウチ氏に裁かれた人物──それよりずっと歳をとったバーテミウス・クラウチ・ジュニアが、そこには倒れていた。

 

 ダンブルドアの表情に、再び厳しさが戻る。一方、ダンブルドアに支えられたドラコは、その顔を見てわずかに目を見開いた後、きつく瞼を閉じた。それは驚いていると言うより、どこか腑に落ちたような様子だった。

 

 ハリーがドラコに対し口を開こうとしたところで、スネイプとマクゴナガル先生がウィンキーを連れて戻ってきた。マクゴナガル先生は、出て行ったときから随分人数が増えた部屋の中を見渡し、一瞬言葉を失った。その後、ダンブルドアのそばに座り込む人間が誰なのか気づき、弾かれたようにそばへ駆け寄る。

 「これは、バーティ・クラウチ──それにマルフォイ、あなたはこんなところで、何をしているのです?」

 「競技の直前にこやつの企みに気づいたが、彼自身を疑うところまで行かず捕らえられた。そうじゃな」

 ドラコの代わりに答えたダンブルドアに対し、マクゴナガル先生は見るまに顔を赤く染め、ダンブルドアを睨みつけた。 そして、ハリーの見間違いでなければ、その目には涙が滲んでいた。

 あまりに急なマクゴナガル先生の反応に、ハリーは殴られたような衝撃を受けた。その感情は、去年の学期末、傷だらけの犬を医務室に連れてきた時を思い起こさせた。

 「ダンブルドア、まさか、あなたはまた──」

 マクゴナガル先生の鋭い糾弾は、すぐさま遮られた。

 「違います! 僕が勝手に行動して、勝手に失敗したんです」

 

 ハリーはこの状況にすっかり面食らってしまった。一体、ドラコはどうやってポートキーのことを突き止め、なぜマクゴナガル先生はそれがダンブルドアのせいだと考えたのだろうか?

 

 気もそぞろなハリーをよそに、スネイプが持ってきた真実薬によってクラウチ・ジュニアがことの真相を語り始める。その間も、ドラコはしっかりと話を聞いているようだったが、特に驚いた様子は見せなかった。……ダンブルドアも同じだ。二人は、どこかほとんど解答を知っている試験の答え合わせをするようにクラウチ・ジュニアの話を聞いていた。

 しかし、クラウチ・ジュニアの最後の言葉に対する表情は違った。

 

 「……ご主人様の計画はうまくいった。あのお方は権力の座に戻ったのだ。そして俺は、ほかの魔法使いが夢見ることもかなわぬ栄誉を、あのお方から与えられるだろう」

 その台詞に、ダンブルドアの顔に浮かんだのは嫌悪だった。

 ドラコはほとんど無表情だったが、ハリーは彼の瞳に浮かぶ色を何度か見てきていた。それは、哀憐だった。

 

 クラウチ・ジュニアがドラコに「磔の呪い」を掛けたと聞いても、ハリーはクラウチ・ジュニアに怒りこそしたが、ドラコの哀れみが特別に変だとは感じなかった。ドラコ・マルフォイは、自分をひどい過失で殺し掛けた人間を、学校に残すためにダンブルドアとスネイプに対して口論できる人間だ。去年、そのあり方をルーピン先生は心配していた。

 しかし、それはルーピン先生が狼人間だった、と言うのが大きいように思う。なぜ、父のことをあんなに愛しているドラコは、父を殺してしまうほど憎んでいたクラウチ・ジュニアにすら同情できるのだろう?

 

 それは、マージ伯母さんの話をしたときにも感じたことだった。

 ハリーはあのとき、ドラコがハリーの気持ちを心から理解してくれるとはあまり思わず話をした。……ファッジは勿論ハリーの事情を理解しなかった。ウィーズリーおばさんですら、ダーズリーのことを真っ向から悪くは言ってくれない。世の良い家族を持てた「常識的な」人々は、他人の家族の批判に踏み込むことを避ける。ホグワーツに入るまでの十年の間に、ハリーはいやと言うほどそれを実感していた。

 

 しかし、予想は外れた。ドラコは「愛されて育った」と一目見てわかるような幸せそうな子供なのに、血縁や家族と言った関係に対して、たまにひどく冷淡だった。

 

 

 

 考え込んでいると、ハリーはダンブルドアについてくるように促された。別れる前に、何か声をかけていきたい。

「ドラコ、本当に大丈夫?」

「君こそ……」

 今までになく寡黙なドラコに、ハリーは心中の不安が増していくのを感じる。しかし、今はただ彼に憂いを残したくなくて、ハリーは無理やり口の端を上げた。

 「まあ確かにそうかも知れないけど……でも、僕、この人なんかに応援されなくても頑張ったよ。色々あったけど、一位になれた。

 ヴォルデモートのことは、あるけれど……生きて、帰ってこれた。だから、僕のことは心配しなくても大丈夫」

 「……すごい。よく頑張ったね。君はいつも僕の予想をこえる」

 強がりはきっとばれてしまっているのだろう。それでも、ドラコは少し眉を下げて、いつものように微笑んだ。少なくとも元気なふりをできるくらいには元気だとわかってくれたらしい。

 

 ドラコに笑顔を返し、ハリーはダンブルドアの後に続いて部屋を出た。

 

 

 



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選択肢

 

 

 ハリーを廊下に連れ出したダンブルドアは、医務室ではなく、校長室へ足を向けた。ポートキーによって連れ出された先で起きたことを聞きたいのだろう。あの、暗い墓場での出来事を……

 唐突に、胸中に現実が押し寄せてくる。石の大鍋から立ち上がった青白い身体──腕の痛みに呻くワームテールの甲高い声──主人の元に帰ってきてしまったルシウス・マルフォイ──もう何も思い出したくなくて、ハリーは他に気になっていたことを無理やり口に出した。

 「校長先生、クラムは無事でしたか? バーティ・クラウチが、迷路の中でクラムに磔の呪いをセドリックに撃たせていたんです。セドリックを助けるために僕が失神させて……花火は打ち上げたんですけど」

 ダンブルドアは少し微笑んで頷いた。

 「彼を含めて、君以外の代表選手は無事じゃ。みな寮に帰らせてしもうたが、明日になれば会えるじゃろう」

 ダンブルドアの口調は柔らかかったが、緊張感は拭いきれていなかった。返す言葉を思いつけないまま歩いていると、もうガーゴイルの石像の前に着いてしまった。ダンブルドアが唱えた合言葉は、以前と同じ、「ゴキブリゴソゴソ豆板」のままだ。笑っていいのか図りかねている間に、校長室の扉が開く。中で待っていたのは、蒼白な顔をしたシリウスだった。

 ハリーの顔を見ると、シリウスは大股で部屋を横切り、ハリーの肩に手を置いた。ペティグリューにつけられた腕の切り傷を見つけ、顔が悲痛そうに歪む。

 「ハリー、大丈夫か? 私の思ったとおりだ──こんなことになるのではないかと思っていた──いったい何があった?」

 

 事情をシリウスに教えるため、まずはダンブルドアがバーティ・クラウチ・ジュニアが語ったことを伝えた。ハリーは椅子に座らされ、大人二人の話を聞いていた。ひどく体が重たく、もう眠りたいとすら思う。不意に部屋の止まり木に止まっていた不死鳥のフォークスが優しい羽音を立てて、ハリーの膝に止まった。

 「やあ、フォークス」

 ハリーの言葉に返事をするようにフォークスは瞬きし、膝の上に座った。フォークスの目から滴が滴り落ち、ハリーの腕の傷を癒した。フォークスに最後に会ったのは、「秘密の部屋」から帰ったときだ。あのときも怪我をして、とても疲れていたが、トム・リドルを打ち倒し、ドラコを助けることができた。自分にも、できることがあった。しかし、今回は……

 

 

 ついにダンブルドアは話を終えてしまった。次はハリーが話す番なのだろう。あの、全てを見通すような瞳がこちらに向けられる。ハリーは思わず視線を下げた。

 「ハリー。迷路のポートキーに触れてから、何が起こったのか、わしは知る必要がある。ここに至るまで、あまりにも多くを見落としてしまった。しかし、今を知れば、得られるものもある」

 見落とし。ダンブルドアの言葉に、ふと、忍びの地図のことを思い出した。ムーディ先生に、いや、バーティ・クラウチ・ジュニアに渡してしまった地図。バーテミウス・クラウチの名前がおかしなところに現れたのには気付いていたのに、それが示す意味を、ハリーは理解していなかった。それだけではない。ずっとダンブルドアにも、ドラコにも、忍びの地図の存在を教えないままにしていた。

 もし……もし、二人が地図を使っていたら? ドラコは課題が始まる前に、ポートキーに仕掛けがあることにすら気づいていた。彼が地図を持っていたら、クラウチ・ジュニアに悟られることなく、ダンブルドアにポートキーのことを知らせることができていたかもしれない。いや、そもそも初めから、地図がダンブルドアの手にあれば、ムーディ先生の正体すら掴めていたかもしれない。

 それなのに、ずっと何一つ伝えずにきてしまった。今言う必要はないと言い訳をして。ただ、今までのことがばれるのが怖かったから。三年生のときからずっと、彼らの信頼を裏切っていたことを知られたくなかったから。元の姿に戻るクラウチ・ジュニアを見たとき、ドラコはどこか納得していた。まるで、今回の件について、ある程度予期していたかのように。秘密の部屋のときも、シリウスのときも、彼はすでに事態の真実に気がついていた。僕が「今言う必要はない」なんて思えていたのは、ただ彼らが心配をかけないようにしてくれていたからだ。

 後悔の念が喉元をせり上がる。俯いたまま言葉を返せずにいたハリーを心配するように、シリウスが肩に手を置いてくれた。

 「ダンブルドア、明日の朝まで待てませんか? 眠らせてやりましょう。休ませてやりましょう」

 その言葉は心の底からありがたかった。けれど、もう逃げたくない。今、先延ばしにして後悔したくはない。ハリーは顔を上げ、ダンブルドアの顔を見た。

 「シリウス、ありがとう。でも、僕は大丈夫だから」

 そして、ハリーは今夜見た全てのことを語り始めた。

 

 

 ワームテールがハリーを捕らえたこと。ヴォルデモートがハリーの血を使い復活したこと。死喰い人たちが再びヴォルデモートの下に集ったこと。ヴォルデモートが決闘を持ちかけ──直前呪文によって父と母が現れたこと。一欠片も伝え漏らすことがないよう、暗い記憶を必死に引き摺り出してハリーは語った。ダンブルドアは一言も聞き漏らすまいというように耳を傾け、たびたび質問を挟んだ。シリウスはずっとハリーを支えるようにそばに立ち、何かを聞き出そうとはしなかった。

 

 ムーディの部屋にダンブルドアたちが踏み入ったところまで語り終え、ようやくハリーの話は終わった。ダンブルドアも、シリウスも、しばらく口を開かず、何か考え込んでいる。部屋に沈黙が落ちた。第三の課題が始まってからどれほど時間が経ったのだろうか。夜空にはもう明けの三日月が登っていた。応援の声を背に迷路に踏み入ったのが、遠い昔のことのようだ。

 静寂を破り、ふと息をはいたダンブルドアは、どこか悲しげな顔でハリーの瞳をじっと見つめた。

 「今夜君は、わしの期待を遥かに超える勇気を示した」

 勇気……ヴォルデモートと戦ったことだろうか? 逃げられなかったから戦っただけじゃないのか? 殺されなかったのだって、たまたま杖が繋がったから、運よくポートキーのところに戻れただけだ……

 ハリーの心中を知ってか知らずか、ダンブルドアは少し身を乗り出して話を続けた。

 「君は、ヴォルデモートの力がもっとも強かった時代に戦って死んだ者たちに劣らぬ勇気を示した。一人前の魔法使いに匹敵する重荷を背負い、大人に勝るとも劣らぬ君自身を見出したのじゃ。しかし──」

 一瞬、言葉が切れる。ダンブルドアの眉間には深い皺が刻まれていた。

 「ハリー、これからわしは、君に訊かねばならぬことがある」

 

 シリウスは怪訝な顔をしてダンブルドアを見上げた。

 「ダンブルドア、もうこれ以上何を聞くと言うのです? 私たちは知りたいことを知れたはずだ」

 「いいや、まだ残っておるとも。ハリー、君自身の考えを問わなくてはならない」

 深刻そうなダンブルドアの様子に、ハリーはわずかに怯えを抱いていた。シリウスがもう十分だと言いたげにダンブルドアを見た。しかし、ダンブルドアは少し首を振り、話を続けた。

 「まず一つ、確かめねばならぬ。去年の夏から、君はたびたびヴォルデモートの夢を見た。そして復活がなされた今、あやつが抱く強い感情すら感じ取るようになった。そうじゃな?」

 ハリーが頷くと、ダンブルドアは額に手をあて、目を閉じた。

 「であれば、それはこちらにとっては致命的になりうる。ハリーがヴォルデモートの心を見ることができるのなら、奴もまた、それができるのかもしれぬのじゃ」

 「まさか、そんなことがありえるのですか? 死の呪いによってできた傷が、あいつとハリーの心を結びつけるなんて」

 シリウスの言葉に、ダンブルドアはしっかりと頷いた。

 「おそらく、耳にしたことのない話だと思う。しかし、その傷跡は今までもヴォルデモートに反応し、痛みをもたらしてきた。よりにもよってハリーの血を使い、あやつが完全に復活した今、もはやこの可能性も考慮に入れるべき段階にきておる」

 肩に置かれたシリウスの手に力がこもった。振り返ると、シリウスはひどく苦しげにハリーを見つめていた。何かに急かされるように、ハリーもダンブルドアに尋ねた。

 「じゃあ──今僕が何を話しているのかも、ヴォルデモートに知られてしまうかもしれないってことですか?」

 「あくまでも可能性の話でしかないが、そうじゃ。そして、「そうかもしれない」と言う話であっても、この事実を無視することはできぬ」

 ダンブルドアは再びハリーに視線を戻し、重々しく言葉を紡いだ。

 「ここからまた、戦いの時代が来る。その栄光を守るため、かつて自らを倒した君のことを、ヴォルデモートは必ず自らの手で除きたいと思うじゃろう。そのとき、奴とのつながりは君と、そして君の周りを危険に晒してしまう。そのつながりこそが、君の弱点を奴の眼前に映す鏡になるのじゃ」

 今までの記憶がハリーの頭に蘇った。誰にも知られたくないことは沢山ある……ダドリーにどんないじめられ方をしたのか。チョウにどうやってパーティーの誘いを断られたのか。ドラコとダンブルドアにどんな隠し事をしていたのか──そうだ、ドラコだ。

 ドラコはずっとハリーを助けてくれていた。そう、彼は知らなかっただろうけれど、()()()()()()()()()()()()()、ハリーを庇ったことがあった。けれど今、ルシウス・マルフォイはヴォルデモートのしもべに戻ってしまった。父がその道を選んだなら、ドラコはそちらについて行ってしまうだろう。そんな愚かな父親を助けるために。そのとき、ヴォルデモートにハリーの心を覗かれれば、一体何が起こるだろう?

 ハリーは思わず縋るようにダンブルドアを見た。ダンブルドアもまた、ひどく険しい顔をして、ハリーの瞳をじっと覗き込むように見ていた。

 「じゃあ、どうすればいいんですか? あいつが……僕の心を読まないようにする方法はないんですか?」

 ずっとハリーの肩を痛いくらいにつかんでいたシリウスは、ダンブルドアを振り返った。

 「閉心術を、ハリーに教えるのですか」

 ダンブルドアはハリーから視線を逸らさないまま、重々しく頷いた。

 「君が思う大事なものを守るためにも、心を閉じる術を学ばなくてはならぬ。戦いに備えて考えるならば、我々がこのつながりに気付いてることすら、奴には悟られたくない。しかし……一度閉心術を身につければ、ヴォルデモートの君への警戒はさらに高まるじゃろう。そうなって仕舞えば、もはや後戻りはできぬ」

 すぐに返事を返すことはできなかった。今まで、ダンブルドアと話をするときは、いつも「もう大丈夫だ」という安心感があった。ダンブルドアは問題の解決法を知っていた。今回はそうでないことを、ダンブルドアの表情が物語っていた。

 「早すぎる試練じゃと思う。ハリー、今、君が望むなら……君がこの戦いから背を向けると言うならば……わしは君に見えぬように現実の争いを遠ざけ、他の子どもたちと同じように過ごせるようにしよう」

 見かねたように、シリウスがダンブルドアの方に歩み寄った。

 「ダンブルドア、あまりにも早急すぎます。この子はついさっき死ぬような思いをして帰ってきたばかりなんです。それを、今決めなければ後がないような言い方で……こんな決断には、心の準備をする時間が必要です」

 「そうじゃろうとも。大人の魔法使いであっても、すぐに決められるようなことではない。……だから、これはただの、最初の機会じゃ」

 そう言ったダンブルドアは、それでも決断を急かしているようにハリーには思えた。ダンブルドアはようやくハリーの目から視線を外し、どこか遠くを見た。

 「しかし、我々は……始まる前からすでに、戦争の中に身を置いている。決断を先送りにした結果、待ち受けているのは、後悔と破滅かもしれない」

 「ダンブルドア、せめて、返事は今でなくてもよいでしょう。明日でも、明後日でも。傷を癒して、心を落ち着けてからでいい」

 シリウスの言葉に、ダンブルドアはとうとう首を縦にふった。

 「……今学期が終わるまで、あと一週間残っている。それまでに、答えを聞かせてほしい。君の信頼できる友と話をするのもいいじゃろう。けれど、ヴォルデモートとの()()()()については、頭に置いておいてほしい」

 

 話が終わったことを悟り、ハリーは背もたれにぐったりともたれかかった。ようやく、長い今日は終わったのだ。

 「無理をさせてしまったのう。さあ、わしと一緒に医務室に行こうぞ。今夜は寮に戻らぬほうがよい。魔法睡眠薬、それに安静じゃ……シリウス、ハリーと一緒にいてくれるかの?」

 シリウスは当たり前だと言わんばかりに頷き、黒い犬の姿に変身した。ダンブルドアは椅子から立ち上がったハリーを気遣うように肩に手を置いた。それからは、もう話すこともなく三人は医務室に向かった。ハリーのズボンは泥だらけだったが、そんなことは気にも留めていないのか、時たまシリウスの鼻先が膝に当たるのを感じた。

 

 医務室にはウィーズリーおばさん、ビル、ロン、ハーマイオニーが待っていた。ドラコはいない。大きな傷はなかったし、寮に戻ったのだろうか? ハリーは迷路から失踪した上に、「ヴォルデモートが戻ってきた」とだけ言って、すぐムーディ先生に連れられて姿を消していた。さぞ心配をかけたことだろう。みんなハリーから何があったのか聞きたがった。しかし、医務室から去る前のダンブルドアが、今はハリーを休ませるように言ってくれた。今のハリーにとって、ダンブルドアの計らいは心の底からありがたかった。

 

 ハリーが服を着替えてベッドに座ると、みんながカーテンをくぐってベッドの両側に立った。ハリーは気力を振り絞ってロンとハーマイオニーにだけ「大丈夫」と声をかけた。二人とも、今にもハリーが卒倒するのではないかというような顔をしていた。

 ハリーがベッドに腰を下ろし、マダム・ポンフリーの持ってきた紫色の薬に口をつけようとしたところで、大きな音を立てて医務室のドアが開いた。大股で部屋に入ってきたのは、顔を真っ赤にしたファッジと、怒り狂ったマクゴナガル先生だった。

 

 

 



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デタント

 

 

 医務室に大きな足音を響かせながら入ってきたファッジは、唾を飛ばしながらマクゴナガル先生に食ってかかった。

 「だから、不手際は認めると言っているだろう! あなたの批判は越権行為だ! 今後は指示を明確にする。同じことは起きん!」

 医務室中に響き渡る大声にも、マクゴナガル先生は全く怯まなかった。マクゴナガル先生はファッジの勢いを消さんがばかりの迫力で叫んだ。

 「お言葉ですが、それで絶対に再発が防止されるわけではありません! 絶対に、あれを城の中に入れてはならなかったのです! ダンブルドアが知ったらなんとおっしゃるか!」

 まさに鬼気迫る勢いだ。気圧されたファッジは医務室の中を見渡し、近くにいたウィーズリーおばさんを見とめると素早く歩み寄った。

 「ダンブルドアはどこかね?」  

 「こちらにはいらっしゃいませんわ。大臣、ここは病室です。少しお静かに──」

 「何事じゃ。病人たちに迷惑じゃろう?」

 ドアが開き、ダンブルドアがすばやく入ってきた。後ろにはいつもよりさらに機嫌が悪いスネイプと、なぜか襟首を掴むようにして立たせられているドラコもいる。先ほどムーディ先生の部屋で別れたときから、さらに顔色が悪くなり、憔悴しきった様子だ。ダンブルドアはファッジを一瞥し、マクゴナガル先生に向き直った。

 「ミネルバ、あなたらしくもない。バーティ・クラウチを監視するようにお願いしたはずじゃが──」

 「もう闇祓いたちによって連行されました! しかし、ダンブルドア! 大臣は吸魂鬼を──」

 ダンブルドアの後ろを見て、マクゴナガル先生の言葉は途切れた。ぐったりとしたドラコに気付き、目を丸くしたマクゴナガル先生は慌ててそちらに駆け寄った。

 「マルフォイ、あなたはなぜまだ廊下にいるのですか?」

 「……ちょっと、お手洗いに」

 あまりに力のない声を聞いて、マクゴナガル先生は心配そうに眉を下げた。急いで杖を振り、椅子を出してドラコを座らせる。心なしか、隣に立っていたスネイプの眉間の皺までもさらに深くなった。ドラコの世話にかかったマクゴナガル先生に代わり、スネイプがダンブルドアに事態の説明を始めた。

 「校長、あなたのご指示通り、今夜の事件を引き起こした死喰い人を捕らえたと、ファッジ大臣にご報告したのですが。すると、大臣はご自分の身が危険だと思われたらしく、城に入るのに吸魂鬼を一体呼んで自分につき添わせると主張なさったのです。大臣はバーティ・クラウチのいる部屋に、吸魂鬼を連れて入り──」

 スネイプの言葉を聞いて、マクゴナガル先生は再び怒りに火をつけた。

 「去年のことで取り決めがなされていたはずです! ダンブルドア、課題が始まる前にも、私はあなたが許可されないだろうと大臣に申し上げました! ええ、申し上げましたとも。吸魂鬼が一歩たりとも城内に入ることは、あなたがお許しになりませんと。それなのに──」  

 「失礼だが! 事態は変わったのだ! 魔法大臣として、この状況下で護衛を連れていくかどうかは私が決めることだ。尋問する相手が危険性のある者であれば──」

 しかし、マクゴナガル先生の声がファッジの声を圧倒した。

「あの──あの者が部屋に入った瞬間、クラウチに飛びかかって──そして──」

 

 「そして、クラウチが接吻をされることはなかった」

 

 一瞬、誰が口を挟んだのか、誰にも分からなかった。場違いなほど冷静で、優しげな声の主は、紙と同じくらい血の気を失った顔をして椅子にもたれかかっていた。みんなの視線が集まると、ドラコの顔に控えめな微笑みが浮かぶ。言葉を失うマクゴナガル先生に対し、ドラコはさっきまでの足取りが嘘のように、しっかりと立ち上がった。

 「マクゴナガル先生、今はそれでよろしいのでは? 何もそう、お怒りになることはありません。事態は既に終息したのですから」

 「マルフォイ、あなたは何を──これは、あなたの話なのですよ」

 困惑が顔に浮かぶマクゴナガル先生に対し、ドラコはゆったりと首を横に振った。

 「いいえ、僕の話ではありません。そうですよね、ファッジ大臣。あなたは吸魂鬼を伴い、国際魔法協力部部長バーテミウス・クラウチの失踪、並びにハリー・ポッターの拉致に関与した疑いで、バーテミウス・クラウチ・ジュニアと見られる容疑者を逮捕、連行した。それだけです」

 歌うように紡がれた言葉に、マクゴナガル先生は何を返すべきか分からなくなったようだ。わずかな間、沈黙が医務室を支配する。漂い始めた異質な雰囲気を打ち消すように、ダンブルドアがマクゴナガル先生に声をかけた。

 「何があったのじゃ。ミネルバ」

 マクゴナガル先生はドラコから目を逸らせないまま、どうにか気を取り直して、訝しげなダンブルドアに答えた。

「マルフォイは──キスをしようとする吸魂鬼からクラウチを庇ったのです。すんでのところで私の守護霊の呪文が間に合いましたが──ファッジ大臣、あなたは軽率に吸魂鬼を校内に招き入れ、私の生徒の命を危険に晒したのです!」

 ダンブルドアの瞳に燃えるような色が宿った。ファッジもそれに気づいたのか、たじろいで二、三歩後退りをした。しかし、渦中の本人はダンブルドアの様子などまったく意にも介していないようだった。ドラコはダンブルドアとマクゴナガル先生に目を向けることもせず、ファッジの隣にそっと立った。

「ファッジ大臣、気にすることはありません。回復不可能な事故は起きなかったのですから。我々はちゃんと、クラウチ・ジュニアを捕らえることができました。これで、私たちはクラウチ氏の失踪の真相を調査することができます。何一つもあなたが責められることはありません」

 ファッジにもドラコの態度は予想外だったようだ。しかし、自身の不利になることに突っ込む気はないらしい。戸惑いは隠せていなかったが、それでもドラコの言葉にコクコクと頷いた。

「ウ、ウム、そうだ……奴は捕らえられた。吸魂鬼に関しては問題あるまい……しかし、ドラコ……事情聴取と言っても、あいつは支離滅裂だ。ミネルバやセブルスの話では、やつは、すべて『例のあの人』の命令でやったと思い込んでいたらしい──」

 「たしかに、ヴォルデモート卿が命令していたのじゃ、コーネリウス」

 ファッジの目が飛び出さんばかりに見開かれた。縋り付くようにドラコの腕を掴むファッジに、ダンブルドアは追い打ちをかけるように言葉を続ける。

 「何人かが殺されたのは、ヴォルデモートが再び完全に勢力を回復する計画の布石にすぎなかったのじゃ。計画は成功した。ヴォルデモートは肉体を取り戻した」

 「『例のあの人』が……復活した? ばかばかしい。おいおい、ダンブルドア……」

ファッジはダンブルドアの言葉を聞いて、ドラコの裾を掴み頭を振った。ダンブルドアの話をまるで受け止め切れていない様子だ。ファッジの有様を目にして、初めてドラコの表情に険しさが宿った。ドラコはファッジの肩に手を添えながら、ダンブルドアを横目で見た。

 「ダンブルドア、もう夜も遅いことですし、明日にでも落ち着いてゆっくり話されたほうが──」

 しかし、ダンブルドアはその言葉を遮ってファッジに一歩歩み寄った。

 「ミネルバもセブルスもあなたにお話ししたことと思うが、わしらはバーティ・クラウチの告白を聞いた。真実薬の効き目で、クラウチは、わしらにいろいろ語ってくれたのじゃ。アズカバンからどのようにして隠密に連れ出されたか、ヴォルデモートが──クラウチがまだ生きていることをバーサ・ジョーキンズから聞き出し──クラウチを、どのように父親から解放するにいたったか、そして、ハリーを捕まえるのに、ヴォルデモートがいかにクラウチを利用したかをじゃ。計画はうまくいった。よいか、クラウチはヴォルデモートの復活に力を貸したのじゃ」

 ダンブルドアの口調は滔々と、言い聞かせるようだった。しかし、ファッジはその話を真面目に聞いてはいなかった。

 「いいか、ダンブルドア」

 ファッジはまだ、衝撃に震えていたが、小馬鹿にするような微笑みを無理に顔に浮かべていた。

 「まさか──まさかそんなことを本気にしているのではあるまいね。『例のあの人』が──戻った? まあまあ、落ち着け……まったく。クラウチは『例のあの人』の命令で働いていると思い込んでいるのだろう──しかし、そんな戯言を真に受けるとは、ダンブルドア……」

 「今夜ハリーが優勝杯に触れたとき、まっすぐにヴォルデモートのところに運ばれていったのじゃ。ハリーが、ヴォルデモートが蘇るのを目撃した。わしの部屋まで来てくだされば、一部始終お話しいたしますぞ。今夜はハリーに質問するのを許すわけにはゆかぬ」

 ファッジはベッドに腰掛けるハリーをちらりと見ると、フッと嘲るように笑った。

 「ダンブルドア、あなたは──アー──本件に関して、ハリーの言葉を信じるというわけですな?」

ダンブルドアはさらに気迫を増して頷く。

 「もちろんじゃ。わしはハリーを信じる。わしはクラウチの告白を聞き、そして優勝杯に触れてからの出来事をハリーから聞いた。二人の話は辻褄が合う。バーサ・ジョーキンズがこの夏に消えてから起こったことの、すべてが説明できる」

 バーサの名前を聞いて一瞬動きを止めたが、ファッジは頑なに軽薄な態度を崩そうとしなかった。

 「あなたは『例のあの人』が帰ってきたことを信じるおつもりらしい。異常な殺人者と、こんな少年の言うことを!」

 「大臣、僕はヴォルデモートが復活するのを見ました」

 ハリーはベッドから立ち上がり、まっすぐファッジを見つめた。

 「錯乱の呪文だろう──クラウチは()()思わせたかったのだ。まだ幼い君を操って──」

 ファッジの頑迷さに、ハリーの堪忍袋の緒が切れた。

 「僕の記憶ははっきりしています! 僕は、あいつのところに集まる死喰い人も見ました! 名前をみんな挙げることだってできる! ルシウス・マルフォイ──」

 そこでハリーはドラコの存在を思い出した。彼の目の前で父親が死喰い人だったと告発してしまった。──しかし、ドラコは先ほどまでとまったく同じ蒼白な顔で、優しげな微笑みを変えなかった。微動だにしないドラコに気づいていないのか、代わりにファッジがハリーに食ってかかった。

 「この子の前でなんということを! マルフォイの潔白は証明ずみだ! 由緒ある家柄だ──いろいろと立派な寄付をしている──」

 しかし、ドラコ自身がファッジの言葉を遮った。

 「いいえ、大臣、これは予想できたことです」

 「予想できた? どういうことだね?」

 ファッジはここにきて、初めてドラコを不可解そうに見た。

 「闇の帝王のところに来たのはそうだな……他には、クラッブ、ゴイル、ノット、エイブリーに……マクネア、ひょっとしたらヤックスリーにカローも……といったところかな?」

 ヤックスリーとカローはいなかったが、あとは当たっている。ドラコはどうやってそれを知ったと言うのだろう? ドラコは思わず口をつぐんだハリーの方を見ず、ファッジに向かって話しかけた。

 「今に始まったことではありません。十三年前から我々のような一族はずっと、疑いの目を向けられてきた。ブラックの脱獄にせよ、去年のクィディッチ・ワールドカップにせよ……十三年前無実だと判断されたはずなのに、何か『例のあの人』に関係しそうな出来事があれば、すぐに痛くもない腹を探られる。そして、その度に我々は潔白を証明してきた──」

 「それはヴォルデモートの周到さと、古い家柄の旧弊な権力の強さによるものにすぎない」

 ついにダンブルドアが厳しい視線をドラコに向けたが、ドラコは柔らかな態度を一切崩さなかった。

「そして、()()を証明する根拠を、あなたはお持ちでない。その段階でそんな指摘をされてはいけません。あなたのことを矢鱈と言いがかりをつける、嘘つきだと考える人が出てしまいますよ?」

 校長に対して、あまりにすぎた言葉にマクゴナガル先生の眉が吊り上がった。しかし、なぜかダンブルドアはふと黙り込み、じっとファッジを見つめた。

 「じゃあ、君は僕が嘘をついてるって言うの?」

 ほんの一瞬、ドラコは応えに詰まった。ハリーの言葉を聞いて、ドラコはようやくハリーの方を向いたが、決してハリーの目を見ようとはしなかった。

 「……さあ? 僕は事実を知らないから。でも、残念ながら、君の証言だけでは我々を法廷に引き摺り出すには、まったく足りないと言っているんだよ」

 ()()。そう言った。ドラコはもう、自分を父親の陣営に含めて話をしている。唖然としたハリーをよそに、ファッジはドラコの言葉に勢いづいた。

 「そうだ、確証はない……君たちは過去の疑いに固執して、気に入らない人々を蹴落とそうとしているんだ。この十三年間、我々が営々として築いてきたものを、すべて覆すような大混乱を引き起こそうという所存だな!」

 ファッジはもはや、ダンブルドアの提言を聞くつもりがあるようには、まったく見えなかった。ドラコの現状を曖昧にする言葉にすがり、自分にとって不都合な可能性を見ないように必死になっている。元々ハリーはファッジが好きではなかったが、こんな迷妄な面がある人だとは考えていなかった。それでもダンブルドアは辛抱強くファッジに語りかけた。

 「ヴォルデモートは帰ってきた。ファッジ、あなたがその事実をすぐさま認め、必要な措置を講じれば、われわれはまだこの状況を救えるかもしれぬ。まず最初に取るべき重要な措置は、アズカバンを吸魂鬼の支配から解き放つことじゃ──」

 

 「現状、それは不可能としか言えませんね。ダンブルドア」

 ファッジの顔がさらに赤くなる前に、ドラコが素早くダンブルドアに反論した。相変わらず死人のような顔色のまま、再び声色を元の調子に戻し、つらつらと言葉を発する。

 「現実的に調査した上のご判断だとは思えません。なぜそのような、愚にもつかないことをお考えになったのですか?」

 ずっとファッジに向けて話をしていたダンブルドアは、初めて真っ直ぐドラコと向かい合った。マクゴナガル先生と違い、その顔には困惑は浮かんでいなかったが、厳しさが宿っていた。

 「ドラコ、君なら分かっているはずじゃ。あの生き物に監視されているのは、ヴォルデモート卿のもっとも危険な支持者たちだ。そしてあの吸魂鬼はヴォルデモートの一声で、たちまち闇の側と手を組むであろう」

 「そして、前の大戦でそんなことは起こらなかった。吸魂鬼たちは、山のように投獄された死喰い人と容疑者を一人たりとも脱獄させることなく、戦争を終えた。だからこそ、吸魂鬼たちは未だあの孤島の鍵を預かっているのですから。吸魂鬼を廃すべきだと考えなしに喚き立てて、一体どれほどの人間が納得するでしょうか? そのような状況では制度の改定にかかるコストは賄えない。残念ながら、あなたの主張は現実が見えていない」

 あまりにも雄弁に語り出したドラコにファッジは目を瞬かせていたが、ダンブルドアが圧されていると見ると話題に飛びついた。

 「そうだ! そんな提案をしようものなら、私は大臣職から蹴り落とされる! 魔法使いの半数が、夜、安眠できるのは、吸魂鬼がアズカバンの警備に当たっていることを知っているからなのだ!」

 「あとの半分は、安眠できるどころではない!」

 ファッジの語調を受けて、ダンブルドアの声色も厳しさを帯びる。けれど、ドラコは相変わらず微笑みをたたえてダンブルドアを見た。

 「しかし、その安眠を妨げる恐怖心こそが、アズカバンを成り立たせているのです。違いますか? 魔法界では懲役とは、すなわちアズカバン行き、すなわち吸魂鬼による影響下の収監なのですから。吸魂鬼という生き物の悍ましさこそが、魔法界の刑罰であり、抑止力であり、治安の基盤なのです」

 「そのあり方自体が間違っているというのじゃ。我々はあまりに多くの過ちを、ここに至るまで看過してきた。今こそ正すべきところは正さねばならぬ」

 「大変結構なお考えですね。確かにその通りです。アズカバンという拷問機械が刑罰として作用していることこそ、魔法界の司法が更生の存在を認めていないことを体現している。それは後進性でしょう。人道に反するでしょう。しかし、たった今吸魂鬼の任を解いて、それでどうするというのでしょうか。吸魂鬼がアズカバンで大人しくしているのは、囚人たちを餌にしているからだ。生贄を奪って奴らを法の楔から解き放ち、市民に被害が及べばどう責任を取ると言うのです?」

 「吸魂鬼を扱い続けることの方が、人々には危険なのじゃ、ドラコ。連中はいつまでも魔法省に忠誠を尽くしたりはしない。ヴォルデモートはやつらに、アズカバンで与えられているよりずっと広範囲な力と楽しみを与えることができる。吸魂鬼を味方につけ、昔の支持者がヴォルデモートの下に帰れば、ヴォルデモートが十三年前のような力を取り戻すのを阻止するのは、至難の業じゃ」

 「ですから、そのような事態が起こりうるかどうか、人々が考えているかが問題なのです。百歩譲って闇の帝王が復活したとしても、先の大戦では彼らは職責を全うしたわけですから。今までのところ、吸魂鬼が十全に責務を果たしていないと市民は考えているでしょうか? そうでなければ──」

 

 「シリウス・ブラック。そして、バーティ・クラウチ・ジュニア」

 ドラコの言葉を遮ったダンブルドアは目を開き、ドラコをじっと見ていた。

 「背景こそそれぞれあれど、彼らはアズカバンを抜け出してみせた。それは、まさしく監視が不十分だったことを証明しておる」

 ダンブルドアの反論に、ドラコは表情こそ変わらないものの、ゆっくりと椅子の背を掴んだ。

「……しかし、それが吸魂鬼の不手際によるものかは決定的ではない。吸魂鬼が魔法省の統制を離れている証拠があるならともかく。……そうだ、ファッジ大臣、ちょうど良くクラウチ・ジュニアは拘束されたのです。彼を尋問すればすぐ、一連の真相は明らかになることでしょう」

 突然話の矛先を向けられたファッジは面食らった顔をした。 

 「ウム……だがね、ドラコ……『例のあの人』が戻ってきたなどと言っているようではクラウチの証言が信用に足りるかどうか……」

 「確かにその通りです。しかし、残念ながら、我々に彼を放置するという選択肢はありません」

 ドラコは少しおぼつかない足取りでファッジに近寄り、ファッジの手をそっと取った。

「それに大臣、むしろ、これはチャンスかもしれません。ダンブルドアの見解を決定的に否定するには、ブラックとクラウチの件の詳細を詳らかにするのは最善手でしょう。ブラックの脱獄という魔法省の汚名を雪ぎ、クラウチ・ジュニアの犯行……そう、まさにダンブルドアの膝下である、ホグワーツで起きたこの事件の真相を明らかにすることができれば……ね? クラウチの話では、ブラックの件に関与していると思しきペティグリューも今回の事件に関わっているようですし……なに、恐れることはありません。本当は何が起きていたのか明らかにするだけですよ」

 「そ、そうかね。いや、そうだな……」

 ほんの十五歳の少年に慰められ、説得されている魔法大臣というのは、側から見れば異様な光景だった。もしハリーが当事者でなかったら、笑ってしまっていたかもしれない。クィディッチ・ワールドカップのときのように。しかし、あのときと違い、ドラコの思惑は不透明だった。何より、吸魂鬼に襲われた後に──その上、その原因になった人間に──寄り添って、何か操ろうとしている姿は、不気味を通り越して恐ろしさすらおぼえた。

 

 ようやくファッジが落ち着こうとしたところで、ダンブルドアが再び口を開いた。 

 「他にも取るべき措置はある。巨人に使者を送ることじゃ。しかも早急に」

 この言葉に、再びファッジの顔は赤く染まった。

 「巨人に使者? 狂気の沙汰だ!」

 「友好の手を差し伸べるのじゃ、いますぐ。手遅れにならぬうちに」

 「論外だ」

 またドラコが口を挟んだが、もう疲れが隠しきれていなかった。彼の顔からはさっきまでの微笑みが消え、疲労感が浮かんでいた。

 「あなたはファッジ大臣を魔法大臣の座から引き摺り下ろしたいのですか? 先の大戦で巨人による被害は甚だしかった。人々の心に植え付けられた恐怖心はそう簡単に消えはしない。魔法省がそんな施策を先導しようとしても、市民の理解は得られない」

 「しかし、さもなくばヴォルデモートが、以前にもやったように、巨人を説得するじゃろう。魔法使いの中で自分だけが、巨人に権利と自由を与えるのだと言うてな」

 「なるほど、そうかも知れませんね。()()()()()()()()()()()()()。百歩譲ったとしても、彼が復活したかどうかも怪しい今、我々は巨人に権利と自由を与える用意は魔法界にないと申し上げているのですよ。人々を安心させたいのであれば、むしろ、巨人に監視でもつけて、妙な輩が接触していないか確認する方が、よっぽど現実的で有意義でしょう」

 ファッジはドラコの肩をがっしりとつかみ、ぶんぶんとかぶりを振った。

 「そうだ──わたしが巨人と連絡を取ろうとしたなどと、魔法界に噂が流れたら──ダンブルドア、みんな巨人を毛嫌いしているのに──わたしの政治生命は終わりだ──」

 ダンブルドアは今や怒りを滲ませながらファッジの方へ一歩踏み出した。

 「コーネリウス、あなたは物事が見えなくなっている。自分の役職に恋々としているからじゃ。あなたはいつでも、いわゆる純血をあまりにも大切に考えてきた。大事なのはどう生まれついたかではなく、どう育ったかなのだということを認めることができなかった」

 皆ダンブルドアの剣幕に息を呑んでいた。ドラコを除いて。ダンブルドアの言葉に、いよいよドラコはうんざりしきった様子で口を開いた。

 「今、ファッジ大臣の純血に対する考え方は関係ないでしょう。人格攻撃ですよ。ついでに言うならば、巨人に拒否反応を示すのが純血に固執する人間だけだとお考えならば、それは大きく間違っていると考えざるを得ませんね。参考程度に今学期、我らの魔法生物飼育学教授の出自について文句をつけてきた家庭の純血の旧家の割合でも確認されてはいかがですか? まさにどう育ったか、なのですよ。ダンブルドア、あなただってお分かりのはずだと思いますが」

 ダンブルドアは険しい顔でドラコを見たが、ドラコはファッジに寄りかかられ、立っていることに全神経を注いでいるようだった。

 「繰り返しますが、また後で、もう少しゆっくり落ち着いて話をされてはいかがでしょうか? これ以上ファッジ大臣の政治家としての資質にケチをつけながら、政治家としての責務を果たせとおっしゃるなら、もうこの話し合いは無駄です」

 ダンブルドアの返事を聞くことなくドラコはファッジに向き直ると、そっと肩に手を置いた。

 「……大臣、今我々がなすべきことは国民を安心させ、信頼を取り戻すことです。ブラックとクラウチの件があった今、どんなに荒唐無稽であろうと、闇の帝王の復活という噂は人々の目を惹きます。そこには不安が、いや、魔法省への不信が生まれてしまう。我々に必要なのは国民の納得できる真実を見つけることです。それに、ダンブルドアの発言には一定の権威が付与されてしまうこともまた事実です。アズカバンや巨人の現状を調査し、改善の姿勢を見せることでしか、我々はダンブルドアの世迷言を真に打ち砕くことはできません」

 「しかし、私は……」

 ファッジはまるで迷子の子供のように頼りない顔をしていた。ドラコはふらつきながらも微笑みを顔に貼り付け、ファッジを安心させようとしていた。

 「大丈夫ですとも。あなたはこの六年間、立派に魔法大臣の職責を担ってきました。ダンブルドアは軽視なさっているようですが、平穏を維持することがどれほど尊いことか。その事実こそがあなたの実力です。さあ、もう、話はここまでにしましょう」

 それでもファッジは納得しきれていないようだったが、二、三度視線をさまよわせたあと、一度フーッと息を吐いて背筋を伸ばした。

 「あ、ああ……では私は役所に戻る。ダンブルドア、今年一年死喰い人をホグワーツで飼い続けた件と、あなたの無茶苦茶な提言については、また明日、改めて連絡させてもらう……あと、これは賞金だ。あなたから優勝者に渡すといい」

 ファッジは投げるようにダンブルドアに金貨の袋を渡すと、一瞬心配そうにドラコを見たあと、素早く医務室から出て行った。

 

 

 

 ファッジが姿を消して少しもしないうちに、ドラコはその場に崩れるように座り込んだ。ダンブルドアがさっと助け起こす。気絶したわけではないようで、弱々しい声が聞こえてきた。先ほどまでのあざけりかとすら思うほど平静な口調ではなく、いつものドラコの声色だった。

 「すみません、校長先生……本当に大丈夫です。ちょっと立ちくらみがしただけで……」

 「ドラコ」

 ハリーは我慢がならなくなり、声をかけた。ベッドのそばに立っていたウィーズリーおばさんやロン、ハーマイオニーが恐々と二人を見る。言いたいことがまとまらないまま、ハリーは言葉を絞り出した。

 「……君の父親は、ヴォルデモートの側についた。でも……まだ、戦争は始まっていない。今なら……今なら、まだ間に合うんじゃないか?」

 ようやくドラコと視線が合った。ダンブルドアに支えられながら、今度こそドラコはハリーの目を見て答えた。

 「いいや。戦争は始まっているんだよ。ずっと前から。それに──父を見捨てるという選択肢は、存在しない」

 弱々しい声色なのに、これ以上なく決意に満ちた口調だった。ハリーはこれ以上どんな言葉も届かないことを悟った。きっと、ドラコはワールドカップのときから、いや、ずっと前から、この日が来ることを予期していたのだろう。 

 「……狂ってる」

 ハリーの隣でロンがぽつりと呟いた。それを聞き、ドラコは視線を下げ、微笑んだ。

 「……そうだね」

 

 

 ドラコはダンブルドアのそばを離れ、スネイプの方に振り返った。

 「スネイプ教授、どうやら医務室は満杯のようですし……僕はスリザリン寮で休ませていただいてもよろしいですか?」

 「……好きにしたまえ」

 「では、失礼します」

 それだけ言うと、ドラコは医務室の扉を開いて出て行った。

 

 

 

 



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マクゴナガル教授の嘆願

 

 

 ホグワーツに並ぶうち一つの塔の天辺にある校長室では、早朝の眩しい朝日に似つかわしくない雰囲気が漂っていた。部屋の中には、厳しい顔つきをした魔法使いが二人立っている。一晩中働き、疲れた顔をしたマクゴナガルは、いつになく神経質そうな様子で微動だにせず、暖炉の近くに構えていた。部屋の主人であるダンブルドアは、つい先ほどまでハグリッドとマダム・マクシームが座っていた巨大な椅子を杖を一振りして消した。ダンブルドアはしばらくドアの方を眺めたあと、少しため息をついて、傍に立つマクゴナガルに語りかけた。

 「──魔法省との折衝が必要になるやも知れぬが、巨人への偵察自体はすぐにでも叶うじゃろう。しかし、それがいつまでかかるか……夏の後、しばらくはハグリッドが不在になるだろう。魔法生物飼育学については、グラブリー-プランク先生にお頼みするしかあるまい──」

 マクゴナガルは返事をしなかった。彼女はただ、唇をきつく結び、ダンブルドアをじっと見つめていた。静まり返った部屋に、緊張感が満ちる。振り返って、そのもの言いたげな表情を見たダンブルドアは、またしばらく思案するように目を伏せた。彼は少しかぶりを振ると、居住まいを正してマクゴナガルに向かい合った。

 「待たせてすまなかった。ミネルバ、わしはあなたに問い質されなければならないことがあるようじゃ」

 マクゴナガルは心の底から何かを願うかのように、ゆっくりと口を開いた。

 「……ええ。ありますとも。アルバス……今回の件についてあなたは本当に、あの子に……ドラコ・マルフォイになんの指示もされていなかったのですか?」

 その言葉に、ダンブルドアは全く驚くことはなかった。それでも、どこか痛みを感じるかのように瞼を閉じた。ダンブルドアは深く息を吐き、まだ終わらない長い一日の中で、一際疲れをあらわにして言った。

 「……そうだ、と胸を張って言うことはできない」

 マクゴナガルは目を見開き、さらに追及を続けようとした。しかし、言葉は出てこなかった。ダンブルドアの顔にありありと浮かぶ憔悴に、続けるべき話は一瞬見失われてしまった。

 

 ダンブルドアはゆっくりと歩き、書斎の椅子にもたれかかるように腰を下ろすと、額を手に当てた。

 「確かに今年、わしはあの子に何一つ指図はしなかった。いや、実のところ彼が入学してから、わしが行ってもらった命令とは片手で数えられるほどしかない。それも二年生のものが最後だった。

 ハグリッドの所業を公にせぬこと。ロックハートを追い出さぬこと。そして……『秘密の部屋』の件について、深入りしすぎぬようにすること」

 語り口から言い訳の気配を嗅ぎとったマクゴナガルは、ぎゅっと眉を顰めて、ダンブルドアを見つめた。

 「そもそも、なぜ、あの子に何かしろと言わなければならなくなるのですか。彼は、確かにあの歳にしては優れた魔法使いです。でも、それは、同じ歳の子どもと比べたらに過ぎない。あの子は──あの子はまだ子どもです。あの子自身が望んでいようがいまいが、戦争の中で、自分の命に責任を持たせてよいほどに成熟しているわけではない!」

 マクゴナガルの悲痛な非難に対しても、ダンブルドアは顔を伏せ、反論しようとはしなかった。しかし、彼のその弱りきった態度は、長い付き合いであるマクゴナガルにとっても、普通のことではなかった。ダンブルドアが答えに窮している。それが、彼が事態に何か深刻なことを見出している事実を、雄弁に語っている。マクゴナガルは心に何か冷たい塊が滑り込むのを感じた。

 「……なぜです? なぜあの子は知らぬ間に、わたしたちが気づかなかった、茨の道に進んでしまうのです。私は……見落としてしまった。今年、あの子は大人しくしているように見えた……いえ、あの子はいつだって分かりやすくはない子ですから、そもそも、何が兆候になるかも理解していなかった、という方が正しいのでしょう。しかし、アルバス……あなたは、本当に気づいていなかったのですか? こうなることを」

 ダンブルドアは僅かに手から顔を上げた。しかし、マクゴナガルの方を見ることはなく、視線はどこか遠くに投げ出されたままだった。

 「ミネルバ……わしもまた、軽率だったことを認めなければならない。一年生のとき、初めて彼にハグリッドのことを()()()したとき、わしは彼の性質を、全く見誤っていた。スリザリンのあり様を変えようと試みる意志を、勇気だと考えた。クィレルに住みついたヴォルデモートを前にして、なお友人を庇おうとする心を、勇敢さゆえだと断じた。彼の卓越した洞察力と伶俐な価値観に気を取られ、ハグリッドの正体を明かし、その資質を試すことすらした。そして、彼は私の期待に完璧に応えた」

 マクゴナガルは訝しげに眉を顰めた。

 「……何がおっしゃりたいのです? 私も……良し悪しはともかく、あの子のそのような振る舞いは、勇敢さによるものだと思いますが」

 ダンブルドアはふと、ガラスケースに入っていたグリフィンドールの剣を眺めた。ハリーがこの剣を携え、ドラコを連れて戻ってきたとき、ダンブルドアはこんな葛藤が生まれることを予想していなかった。あの頃、ドラコ・マルフォイという名前は後悔とは結びついていなかった。

 「いいや、そうではなかった……彼に勇敢さがないとは言わぬ。だが……勇敢さとは、恐怖に打ち勝ち、一歩踏み出す力を生み出す意志だ。彼は──おそらく、命をかけて他者を救う行為を、勇気があったからできたわけではない。そこに感情の有無は関係ない。そうしなければならない。だから、そうしただけ。つまり……彼は、自身がすべきだと判断したことは、必ず行ってしまうのだ。たとえ、それが自らの死を招くことになったとしても」

 マクゴナガルは、ダンブルドアが強く目を瞑っていることに気づいた。それは、まるで何かを記憶から掘り返しているような表情だった。ダンブルドアは、何かを誦じるように、僅かに弱さが混ざる声で話を続ける。

 「行動指針に反して、彼の感性は至って平凡だ。二度ヴォルデモートと対峙したときはそうだった……きっと、ルーピン先生と、そしてクラウチと相対したときも同じだろう。ごく普通に痛みを感じ、死の香りに怯える……それなのに、簡単に命を差し出せてしまう。そうすべきだと、その意志が命じるだけで。そこに勇気を発揮すべき場である葛藤など、わずかも存在しない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。わしは、そのことを全く分かっていなかった」

 ダンブルドアは瞼を開け、どこか遠くを見た。その顔には悔悟だけが残っていた。

 「もし、それに気づいていたら、わしは遥かに少ない知識だけを彼に与えていたじゃろう。彼が先の見えぬ中、自身の方針を早々に決めてしまわないように。わしには恐らくそれができた。だが──言い訳に過ぎぬかもしれぬが、彼と初めて話したとき、わしは命令以上のことを求めているつもりはなかった。しかし──彼はそこから私の意図を汲み、その線上で自分の判断で動くようになってしまった。驚くほど有益に、有効に、そして、ミネルバ、あなたが知るように、驚くほど自身の身を顧みることなく」

 ダンブルドアの言葉はもはや懺悔に近かった。言葉を失うマクゴナガルに目を向けることなく、ダンブルドアは窓の外を見やっていた。

 「わしは……彼が何か問題を知るだけで、それを解決しようとしてくれる状況に甘えた。昨年の七月から、彼とわしはほとんど言葉を交わすこともなかった。しかし、ときたま、彼から伺いが飛んで来ていた。今の状況は、こちらの思い通りのものなのかと。もはや、彼が我々のための行動を決めるのに、必要な情報はそれだけだった……そして、わしは彼がどのように動くだろうか、はっきりと分かった上で答えた。否と。分かっていたとも。わしが止めなくては、彼があらゆる手を使って、三大魔法学校対抗試合の影で動いているものの正体を突き止めようとすることを。申し開きはできぬ。わしは、去年と同様、わしが見落としていたものを、彼が見つけることを期待していた。そして、彼はその期待には沿わずとも、その後については申し分ない働きをした。──彼は、ヴォルデモートの復活に関する貴重な一人の証人を救った……」

 そこで、ようやくダンブルドアはマクゴナガルの目を見た。その瞳に涙はなかったが、いつもの輝きは失われていた。

 「わしは何の指示もしなかった。しかし……あなたの糾弾は正しいものじゃ」

 

 マクゴナガルは、すぐには何か答えることができなかった。彼の性質を見失い、止めることができなかったのは自分も同じだったからだ。それでも、ホグワーツの教師として、何もかもを諦めるわけにはいかなかった。

 「……でも、これからは違います。私たちは彼の性質を知った。危険から遠ざければ……つまり、自分の命を喜んで捨てるような場所に近づけないようにすれば、あの子を守ることはできるのでしょう? 少なくとも、あなたが彼に何かを求めることはもうないのですから。違いますか?」

 ダンブルドアは顔を歪め、悲しげにマクゴナガルを見た。

 「ミネルバ、それが一番厄介な部分なのだ。彼は決して、わしのために、わしの目的に叶うよう動いているわけではない。彼は彼の野望のためだけに生きているのだ。わしと意図が大まかに一致しているから、今はわしのために動いているように見えているに過ぎない」

 「あの子の野望とは何なのですか。あなたが……どうにもできないことなのですか?」

 「わしも明確に彼に尋ねたわけではないが、しかし……言ってしまえば、悪役を割り振られた人間から、その役割を引き剥がすことなのだろう」

 マクゴナガルは、すぐにはその()()()()を理解できなかった。ダンブルドアはそのまま言葉を続ける。

 「少なくとも、彼は父親が誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられたりしないように……そして、それでも罪が生まれてしまうときは、それが許されるように、全力を尽くすだろう。ヴォルデモートの下に馳せ参じた父の側で。このブリテン魔法界で最も危険な魔法使いの影響下で。我々にそれを止めるのは……難しい」

 この事実は、マクゴナガルには受け入れ難いものだった。マクゴナガルは幸か不幸か、今までドラコの口から父親の話をほとんど聞くことなく、ここまで来てしまっていた。

 「あの子はこれから、ルシウス・マルフォイのそばで、いや、『あの人』のそばで動くつもりなのですか? ファッジに取り入ったように?」

 ダンブルドアは、沈痛な面持ちで頷いた。

 「ああ、そんな……止めるべきです! なんとしても! これから戦いはあちこちで起こります! ルシウス・マルフォイのなすことに首を突っ込んでいれば、すぐにでも出くわすことになるでしょう。そのたびにあんな真似をしていれば、あの子はあっという間に死んでしまう! 引き止めるべきです! あなたがなさらないなら、私が説得します。もう二度と自らの命を捨てるようなことをしないように」

 しかし、ダンブルドアは首を縦に振らなかった。

 「ミネルバ、あなたには、あの子に縄をつけておくことはできぬ」

 ダンブルドアの声は至って冷静だった。マクゴナガルは、心の底から信じられないという目でダンブルドアを見る。

 「……なぜです?」

 「ヴォルデモートが戻ってきた今、あなたはこの学校を離れることはできぬじゃろう。いや、それだけではない。彼という一人のために、他の生徒を危険に晒す様なことはできない。そうではないかね」

 ダンブルドアは淡々と言葉を続けた。

 「コーネリウスは、わしをホグワーツの校長職から除きたいと考えている。もうすでに、来期の『闇の魔術に対する防衛術』教師についての人事は魔法省が行う方向で話が進められているそうじゃ。そこからホグワーツでの権力を拡大していく様は想像に難くない。無論、わしもこの学校のためにできることはなんでもする……しかし、万が一わしがホグワーツを空けることになれば、子どもたちの守りは薄くなる。それを狙って奴らが何かを仕掛けてくる可能性は否めない。ヴォルデモートの復活を魔法省が認めていない以上、野放しになっている死喰い人が何か仕掛けてきたとき、対応を迫られるのはホグワーツの教職員じゃ。ミネルバ、あなたはその職責に背を向けることはできぬじゃろう。自分が生徒を守るべきだと知りながら、()()()()()()()()のためにその義務を放棄なさりはしないじゃろう」

 ダンブルドアは心底残念そうに、マクゴナガルを見た。

 「そして、あの子の前ではそんなことは見通されている。去年なら、あなたの脅しは通用した。彼はあなたがいなくなることを現実に起こりうることだと捉え、彼自身の行動を制限することができた。しかし、今や事態はまったく変わってしもうた……。

 これはほとんど確信に近いのだが、ミネルバ、あの子はあなたに彼以外の生徒を守らせるためだったら、()()()()()()()()()()()()()()仄めかすだろう。あなたがホグワーツの教師であり続けることを選ばせるためなら、彼はあなたの中にある彼自身の価値を削り取り、天秤が自分の方に傾かないようにする。彼はその程度のことができるほど、人の内心を読み取る術に長けており……あなたを教師として評価している。『動物擬き』の件を持ち出すのも、良い手とは言えぬ。良くて魔法省に登録を出される。悪ければ、彼は本当に二重スパイになることを選ぶだろう」

 先ほどからの話で、マクゴナガルにもダンブルドアの言うことがよく分かってしまった。しかし、彼女は匙を投げてしまうことだけはしたくなかった。

 「そんな……そんな、だからと言って、諦めるのですか?

 医務室でのあの子とあなたの言い争いは……あなたとファッジ大臣の決裂を避けるためだった。そうですよね? あの子は戦っている……私たちのために。あなたのために! それなのに、私たちはその献身に値しない者たちのもとにあの子が歩いてゆくのを、指を咥えて見ているだけですか?」

 それでも、ダンブルドアの表情は変わらなかった。

 「あなたには、説得は困難じゃ」

 「……なぜ()()()なのです?」

 「彼は、()()()()()()()()()()()に微塵も価値を見出していない。いや、それを計算に入れて動こうとはしない。彼にとって、自分はこの世で最も容易く捨てられる駒でしかないのだから。人々がその駒に見出す価値を知ってはいるだろう。しかし、それを考慮に入れるかどうか自体が、彼自身の手にかかっているからこそ、彼は最も安い道具なのだ。

 ミネルバ、わしは心から思う。あなたほど生徒を思い、生徒のために身を粉にして職務に当たっている人はおらぬ。だが、それでは彼を引き止められぬ。彼があなたを尊敬しているのは、あなたが正しさを──平等さを持っているからじゃ。そして、彼は自分があなたの平等さのもとに庇護されるべき人間だとは、一欠片も考えておらぬ。わしには容易に想像できる。彼が自分はあなたにそこまで心配してもらえるほどの人間ではない、と言って、あなたの研究室を後にするのを。そのとき、あなたにできることは何もない」

 ダンブルドアは慰めるように表情を和らげ、悲しそうにマクゴナガルを見た。しかし、マクゴナガルはその説得で投げ出すほど、簡単な魔女ではなかった。

 「……アルバス、暗い時代にあって、全てを救えるわけではないことを私も分かっています。あなたのおっしゃる通り、私はあの子を説得できないかも知れません。しかし、それは十五歳の少年を、一人で闇側に間諜として立たせるのを許容する理由にはなりません! そこで引いて、私は自分が光の側に立っているなどと思い込むことはできない……」

 マクゴナガルは強い光を宿して、ダンブルドアの瞳をまっすぐと見つめた。

 「……『私には』と言った以上、あなたは、私にはない彼を説得できる手段をお持ちなのではないですか?」

 ダンブルドアは答えなかった。しかし、その沈黙は言葉よりもはるかに雄弁に肯定を伝えていた。

 「ならば、そうなさって下さい」

 ダンブルドアは再び顔を歪め、手を額においた。

 「ミネルバ、確かにわしはあなたとは違う方向から彼を説得しようとできるじゃろう。しかし、それは……彼を説き伏せようとするためには、その価値観から解体しようと試みねばならなくなる。彼自身すら深く考えることを避けてきた内心を暴き、矛盾を突きつけることでしか成し得ないじゃろう。そして、そういうやり方に耐え切り、意見を変えることができる人間はほとんどいない。彼は普段驚くほど聞き分けがいいところがあるが、ことこの説得に関しては……上手くいくかどうか」

 マクゴナガルは、それでもダンブルドアを見てしっかりと頷いた。

 「分かりました。だから──お願いです。どうか、あなたの全力をもって、彼の説得を()()()ください。そうでなくては、私はあなたの下に──不死鳥の騎士団に、胸を張って与することはできません」

 ダンブルドアは、しばらく黙ってマクゴナガルを見ていた。彼はゆっくりと椅子から立ち上がり、マクゴナガルが立っている暖炉のそばへと歩み寄り、彼女に手を差し出した。マクゴナガルはピクリと肩を揺らしたが、ダンブルドアの手をしっかりと握った。ダンブルドアが杖を取り出そうとしたとき、マクゴナガルは口を開いた。

 「『誓い』は必要ありません。私は、あなたがおっしゃったことはなされる方だと信じています」

 ダンブルドアは、朝日に照らされたマクゴナガルの顔をじっと見つめ、頷いた。

 「わしは、持てる知恵の全てをもって、ドラコ・マルフォイに我々の庇護を受けるよう、説得を試みよう」

 二人とも分かっていた。「試みる」ことを超えて約束するのは、二人にとってほとんど不可能であると。

 

 

 「一つお願いがある」

 ダンブルドアは、扉に手をかけるマクゴナガルを呼び止めた。怪訝な顔のマクゴナガルに対し、ダンブルドアは静かに語りかける。

 「ミネルバ、あなたは、無理にあの子にこちら側に付くよう、強く言わないでおいてほしいのじゃ」

 「それは良心に反します」

 即座に返したマクゴナガルに、ダンブルドアは苦笑を浮かべた。

 「分かっておる……しかし、それがあの子を救うことになる」

 訝しげな目を向けるマクゴナガルに、ダンブルドアは微笑む。

 「彼が捨てられるのは彼が持ちうる全てだ。その中には、他者から向けられる愛情も含まれる。先ほど言うたように、もし、あなたが彼の身の安全と自らの退職を天秤にかけるなら、彼はあなたの中の自身の価値を下げることで、あなたを引き留めるじゃろう。そのとき、あなたたちの決裂は決定的になってしまう……あなたにそのつもりはなくとも」

 マクゴナガルは言いたいことが喉元まで込み上げてきていたが、それをなんとかため息として吐き出し、頷いた。ダンブルドアもまた、安堵したように目を閉じた。

 「あなたには、ただあの子を労って、あの子に心を配っていることを伝えてやってほしい。それはきっと……彼の大きな助けになるじゃろう」

 

 

 



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前哨

 

 

 第三の課題の日から三日経った日曜日の午前中、ようやくスリザリン寮から出られた僕は、マクゴナガル教授の部屋の前で立ち尽くしていた。

 

 あのあと医務室には留まることなく寮に戻ったが、そこで盛大に体調を崩してしまった。二発の磔の呪文のせいか、数時間トランクに箱詰めされたせいか、それとも吸魂鬼のキスのせいか……まあ、全部だろう。とにかく、少し寝たら回復するだろうという予想は裏切られ、僕は二日間自室のベッドに引きこもることになった。あんな別れ方をした後で、ハリーのいる医務室に戻るのは気まずすぎると冷や汗をかいていたのだが、スリザリン寮での療養が許されたのは幸いだ。時計の針がてっぺんをとうに過ぎた頃に戻ったので、クラッブとゴイルにはまた心配をかけてしまった。今回は外傷がなかったのは本当に助かった。単にフラフラしていて風邪をひいただけ……とは流石に思われていないだろうが、弱った理由を説明する気はなかった。

 二人と話すべきことはたくさんあった。でも、クラッブは僕が喋ろうとすると鬼のような顔でベッドに引き戻してきたし、ゴイルは話す隙がないほど甲斐甲斐しく看病をしてくれてしまった。話す内容の峻別も厄介だ。クラウチ・ジュニアとの間にあったことをそのまま話し過ぎては、色々とまずいことになるし……正直なところ、二人と腹を割って話す覚悟が、僕になかったというのもある。死喰い人候補の名前を挙げていったときのハリーの様子を見るに、クラッブとゴイルのお父上も闇の帝王の下に帰った臣下の中にいたのだろう。そのことについて幼馴染たちにかける言葉を探したとき、驚くほど僕に言えることはなかった。結局、体調が元通りになった今朝も、僕らは闇の帝王の復活について話すことはなかった。ただ、第三の課題の翌日、朝食の席でダンブルドアが第三の課題の後でハリーが何を見たのか、生徒に告げたことだけは教えてもらった。死喰い人の名前までは出ていなかったらしいが、憶測によって生まれるスリザリンと他寮との隔たりはどれほどだろうか。僕がしてきたことは、どれくらいスリザリンの孤立を防いでくれるだろうか。きっと、これから僕が子供たちに直接できることは、以前よりずっと少なくなる。ヴォルデモートの復活を周知のものにしたいダンブルドアには申し訳ないが、僕は子供たちが学校では戦争から遠ざかって交流を持ち続けることを願っていた。

 

 言われた通りの医務室からではないが、休養から復帰したなら最初にしなければならないことがあった。マクゴナガル教授を訪ねることだ。これは、心の底から気が進まなかった。

 マクゴナガル教授に何を言われるかなんて、だいたい想像がついている。端的に言ってしまえば、「危ないことはやめろ」だろう。去年も今年もかなり不可抗力なところがあった……という言い訳は彼女には通用しなさそうだ。スネイプ教授に言ったように、「一生徒よりクラウチ・ジュニアの方が有益」論で説得されてくれる人でもない。最悪、彼女は去年、動物擬きの使用にかけた制限の範囲を拡大してしまうだろう。そして、僕にはその制限を守れそうにない。

 だから、僕は彼女のそういった試みを挫く必要がある。言い換えれば、これから彼女に「ドラコ・マルフォイはミネルバ・マクゴナガルが教職をかけて守りたいと思うような価値がある人間ではない」ことを悟ってもらわなければならない。あらゆる弁舌を駆使して。彼女の価値観を否定し、嘲り、彼女の正しさの中にある僅かな矛盾をついて。これがまた、信じられないほどやる気が起きないことだった。ここに至るまで自分でも気がついていなかったが、僕は意外なほど、マクゴナガル教授に良い生徒だと思われていたかったらしい。研究室の扉を前にして、ふとこれから何が起こるか想像し、途方に暮れてしまった。この蛮行をやり遂げる自信はある。しかし……そこまでする必要はあるのか?

 ……いや、ある。マクゴナガル教授のような、生徒のためになんでもできてしまうだろう人の懐に、爆弾を抱え込ませているわけにはいかない。彼女の教師としての価値を正しく認識しているのなら、これからの情勢下において、僕一人のためにこれ以上拘わせるのはありえない。闇の帝王が本当に復活してしまった以上、何が僕の、そして彼女の命取りになるか分からないのだから。リソースに制限がある状況において、その効用は最大化されなければならない。

 

 ようやく覚悟を決め、研究室の扉を叩く。しかし、返事をもらって開いた扉の先にいたのは、厳しい顔をしたマクゴナガル教授ではなかった。朝の日差しを受けて立っていたのは、真っ白な長い顎髭を輝かせたアルバス・ダンブルドアだった。

 思わず足から力が抜ける僕に、ダンブルドアはいつもの笑顔で微笑みかけてくる。最後会ったときの状況からして、その笑顔が作られたものであることは火を見るより明らかだが……想像していた部屋の中の状況よりは、遥かに緊張しなくていい。少しよろめきながらも、僕は一応挨拶をしてからダンブルドアに問いかけた。

 「あの、なぜマクゴナガル教授の研究室にいらっしゃるのですか? いや、なぜ校長先生だけなんですか? 僕は……マクゴナガル教授に叱られることを覚悟して、ここに来たのですが」

 膝に手をつく僕に対し、ダンブルドアはゆっくりと頷いた。

 「そうじゃろうとも。出鼻を挫くような真似をして、すまなかったの。しかし……少し、わしに時間をくれんかのう?」

 僕は一も二もなく頷いた。もちろん僕にも、ダンブルドアと話し合わなければならないことはたくさんある。嫌なことを後回しにしているだけな気もするが、ひとまずダンブルドアと話してみるのはいい案に思えた。しかし、ダンブルドアはなかなか話を切り出さなかった。午前の爽やかな日差しが差し込む部屋に、奇妙な沈黙が落ちる。

 「……あの、何かおっしゃりたいことがあったのでは?」

 ダンブルドアは変わらない表情で微笑む。

 「ああ、もちろんあるとも。だが、少し長い話になりそうなのでの。君の方から、わしに何か告げるべきことがあれば、先に聞いておきたいのじゃ」

 そんなに長くなる話とはなんだろう。ハリーがポートキーで飛ばされた先でのことだろうか? 確かにそれはしかと聞いておきたいことではあるが……区切らずとも、僕らの話の中でどうせ話題に上がるだろうに。違和感を抱えながらも、僕は頷いた。

 

 「そうであれば、伺いたいことがありました。……単刀直入に申し上げますが、ファッジ大臣を説得される気はあったんですか?」

 僕の言葉に、ダンブルドアはわずかに片眉を上げた。

 「あの……あなたは予想されていたでしょう? ファッジ大臣は闇の帝王が復活したとしても、それをすぐ受け止め切れる器がないと。僕もこの一年ほどでそれに深く同意できる程度は、彼の人となりを知りました。ですから、容易に想像できました。突然あの場で、あのような一方的な言い方をして、しかも矢継ぎ早に彼の価値観を破壊するような施策を提案すれば、そりゃあ大臣は()()なる人です。

 ですから……なぜそういったやり方をされたんです? あの医務室に、あなたがファッジに対して弱腰な姿勢を見せるわけにはいかないような人でもいたんですか?」

 ダンブルドアは少し目を瞬かせて、僕をじっと見つめた。

 「その問いには、否と答えられる。あの場にいたのはミネルバ、セブルス、ポピー、モリー、ビル……あとは子供たちとシリウスじゃ。強いていうなら、冤罪を被り続けているシリウスは、コーネリウスに良い思いを抱いておらぬじゃろう。しかし、彼もそこまで強硬ではない」

 これは少し意外だった。てっきり、僕はウィーズリー家の誰かか、シリウス・ブラックがかなり厳つめの反ファッジ派かと思っていたのだが。

 「そうでないなら、ああいった態度で議論に臨むべきではなかったのでは? あなたが自らの陣営の頭目として、面子を保たねばならないことは分かります。しかし……あの場において、今後の魔法界の警戒体制を左右するファッジの説得より、優先されるべきことなどないでしょう」

 ダンブルドアはまじまじとこちらを見た。

 「コーネリウスは目を閉ざしてしまおうとしておった。あの場で明確に現実を伝えねば、延々と逃げ続ける様は容易に想像できた」

 「まあ、それはそうなんですが……そもそもの話、目をこじ開けられる可能性はだいぶ薄かったわけですよね。説得は困難だと分かっている以上、彼には目を瞑っているなりに、マシな方へ歩いていってもらわなければなりませんよね?」

 ダンブルドアはすぐには返事をせず、後ろで組んでいた手を前に組み直した。その目には、わずかに恥のようなものが窺えてしまった。

 ……ファッジをうまく操る方が上策であることなんて、ダンブルドアは僕に言われるまでもなく分かっていただろう。しかし、()()()()()()()()()()()()()()、あの物言いは正しい。提言が受け入れられれば拙速は巧遅に勝るどころか、迅速に、かつ巧みにヴォルデモート対策を取れるのだから。僕は、最初からその目はないと見限っていた。そして、ダンブルドアだってそんなことは分かっていたはずだ。なのに、「ファッジに落ち度がある」という状況に乗じて、自分の中でファッジとの決裂を正当化してしまっていた。そんなところだろう。

 まあ、ここまで積み上げてきたものがある以上、ファッジに対してダンブルドアが取れる策はほとんどなかっただろうが……それにしたって、常にないくらいお粗末だ。そんなにファッジに阿るのは嫌だったのか? この人、そこまであの無能のことが嫌いなんだな。結構意外だ。なんだか反省してしまっているらしい様子のダンブルドアを前にして、少し尻込みをしながらも僕は話を続けた。

 「あの、あなたを責めたり説教したりしてるわけではないんです。元はと言えばファッジのせいですし。ただ……魔法大臣の首をすぐにでもすげ替える術があるならいざ知らず、今のところファッジを引き摺り下ろす目処はついてないですよね?

 お分かりだとは思いますが、ハリーとクラウチの証言だけでは、ファッジと同じように目を覆いたい多くの人々を説得できません。プロパガンダを打っていくにしても、魔法大臣がこちらに攻撃的になると状況は困難なものになります。分断は深まりますし、その後ヴォルデモートの復活が瞭然となっても、一度二分化した勢力を再度統合するのは骨が折れます。意見を変えられず闇にまで足を突っ込む人間の数はそう多くないと願いたいですが……人間は論敵を否定するためだったら、結構どこまででも落ちられますからね」

 結局、説教じみてきた僕の言葉に、ダンブルドアは静かに目を伏せた。それは、彼が反論を持っていないことを如実に語っていた。

 「……ファッジと協調することについて、本当に何も考えていらっしゃらなかったんですか?」

 「……わしはファッジと袂を分たねばならないかも知れぬと思い、あの場で話した。君ほどファッジに対して、深く思慮を持っていなかったことは認めねばならぬのう」

 そんな投げやりな。のちの策も考えておいてくれよ。ダンブルドアの視座でファッジの説得は些事だったというわけでもないだろうに。しかし、僕はダンブルドアの瑕疵を責め立てることに喜びを見出せるほど、無責任じゃない。「そういうところ、グリフィンドールですよね」という喉元まで出てきかけた皮肉をグッと飲み込み、話題を切り替えた。

 

 「……まあ、なんにせよ、『闇の帝王復活説』を後押しする根拠が必要ですね。これから闇の帝王は公には気づかれないように、勢力を拡大していくつもりでしょうか?」

ダンブルドアは少し表情を和らげて頷いた。

 「おそらくは。もとより支配を好むたちのある人間じゃ。より多くを下につけたいと願うならば、人手が少なくてはどうにもならぬからのう」

 「であれば、どうやって『あの人』の存在を日の下に晒すか考えなければなりませんね。あんまり父のそばにもいてもらいたくありませんから、ファッジには元死喰い人の()()()()()のため監視を強化するように、誘導するつもりではありますが……そこで尻尾を出してくれるほど甘くはないでしょう」

「いかにも。それゆえに、我々は周縁にこそ気を配らねばならないが……そこでも、ヴォルデモート本人が姿を現すとは考えないほうがよいじゃろう」

 「では、一番好機となる可能性が高いのは()()の中のイベントでしょうか? 三年目のこともありますし、ご本人が出張ってくれるかどうかは、正直分かりませんが。次に奴らが起こす騒動の場に、上手いことファッジを呼び出せられれば話はずっと早くなるはずです。……周縁と言えば、吸魂鬼と巨人は布石になりそうですか?」

 「というと?」

 ダンブルドアは少し目を細めてこちらを見る。

 「いや、一応医務室でファッジに仄めかしたつもりなんです。吸魂鬼の統制が乱れ、巨人に接触しようとする人間が出てきたならば、それは闇側の勢力の動きかもしれないと。あなたがあそこまで強くおっしゃるのであれば、ある程度確信があってのことだと思いましたから。

ファッジはあなたの言うことには耳を貸しませんが、自分で調べたことであれば、ある程度は頑固な頭蓋骨にも染みるでしょう。まあ、それでもせいぜい()()()()()()()()()程度にしかならなそうですが、異変を市民が感じ取れれば情勢はこちらに傾きます」

 ダンブルドアの纏う雰囲気は徐々に真剣なものに変わっていた。いや、そもそもなぜ、ここまで僕相手に朗らかにしていたのかよく分からないが……大して気にも止めず、話を続ける。

「希望的観測にはなりますが、ファッジ自身にしても、近いうちに吸魂鬼が職務を放棄したり巨人と不審者が接触したりしたら、もしかして、と思ってもらえるかもしれません。……僭越ですが、そのときになって、ほれ見たことか、みたいなことはおっしゃらないでくださいね。あの人はあなたからそういうことを言われたらますます意固地になるでしょうから。

 そうですね、そのあたりで、僕にも疑念を持ってもらうのが早いかもしれません。ファッジ自身が打ち出した警戒策を無理やり否定するようなことを言ったら、自尊心を傷つけられて反感を持つでしょう。ファッジが僕が疑わしいと思った後に、あなたが手を差し伸べる。そうすれば色々と収まりがいい」

 意見を聞こうとダンブルドアを窺うと、そこには渋面が浮かんでいた。そんなにファッジが嫌なのか? 頭に疑問符を浮かべる僕に、ダンブルドアは軽く被りを振って居住まいを正した。

 

 「そうじゃな。魔法省への対応は、これからコーネリウスの出方を窺いつつやっていくほかあるまい。君の諫言はしかと心に留めておこう。……さて、わしも君に話さねばならないことがある……本題の前に、ひとつ伝えておきたい」

予想とは異なり、今までの話はダンブルドアの持ってきた議題とは異なっていたようだ。しかも、まだ前置きがあると。ダンブルドアの顔にはいよいよ深刻な色が刻まれていた。視線で先を促す僕に、ダンブルドアは頷いた。

 「これから、ハリーとの接触は控えたほうがいい。いや、正確には、ヴォルデモートの眼前にいると思って、彼に接さなければならない」

 その言葉は、ある懸念をありありと反映してしまっていた。覚悟はしていたが、嫌な汗が背中を伝う。

 「……やはり、彼らの間にある精神的なつながりが、そこまで強くなってきているのですか」

 ダンブルドアは重々しく頷いた。

 「君は驚かぬか」

 「ええ、まあ……ハリーが見た夢が、現実のヴォルデモートの状況を伝えていたと明らかになったわけですから。逆もまた然り、という可能性は考えていました。原因がどうにもはっきりしないのが恐ろしいですが。それで、どうなさるおつもりですか? 閉心術などで対処はできる類のものなのでしょうか」

  「わしの予想が正しければ、そうじゃろう。あの子には、来学期から訓練を受けさせるつもりじゃ」

 ハリーもいよいよ戦いに備えて力をつけるときが来た、ということだろうか。今年一年で、単なる魔法での決闘においては、彼は見違えるほど腕を上げた。しかし、当たり前だが()()闇の帝王とシンプルな魔法合戦での勝ち目は全く見えない。精神での繋がりをアドバンテージにするためにも、閉心術の習得は必須になるだろう。

 それにしても、ホグワーツでの動きは闇の帝王に筒抜けであることを想定しなければならないのか……今までしてきたことの中で、決定的に地雷を踏んでなければよいのだが。

 「学校での振る舞いについて、注意は怠らないようにします。しかし、元より話が流れることはある程度想定してハリーと交流してはいましたが……この夏ウィルトシャーに戻ったら、激怒した闇の帝王とご対面、というのも覚悟しなければなりませんね。父のこともありますし。ハリーの雰囲気だと、父はすぐ罰されることはなかったようですけど。あの日記の件は気づいていないんですかね?」

 ダンブルドアは額にしわを寄せ、頷いた。

 「おそらくは。そのことについては、特に言及もされていなかったようじゃ」

 だとすればひとまず安心だ。だが、バレるのは時間の問題だろう。それまでに、父が殺されないよう策を巡らせなくてはならない。

 「……胃が痛くなってきました。流石にこの状況下でマルフォイ家失踪は耳目を惹きすぎますし、ファッジの手綱を一番しっかり握っているのは父でしょうから、すぐに排除されることはないと思いたいですが……というか、その方向で慈悲を乞うしかないでしょうね。

 僕を捕まえたときの論調からするに、クラウチ・ジュニアはそれなりに僕のことを闇側として気に入ってくれていたようです。それが闇の帝王に伝わっていれば……あと、ペティグリューが余計なことを言ってなければ、僕も即殺処分はないと思いたいです」

 ダンブルドアの顔に苦々しい色が広がる。つい、暗い憶測を語りすぎてしまった。彼にどうすることもできないことを言っても仕方がないだろうに。だが、最悪の想定はしておくべきだろう。僕は再び居住まいを正して話を続けた。

 「あの、縁起でもないことは百も承知なんですが、もし僕が闇の帝王に殺されて、そのとき父があなたの下に付きたいと思っていたら、受け入れてあげてください。純血である腹心の臣下が息子を殺されたとあれば、心変わりする人間も少しは出るはずですし。あなたにとっても、父が頭を下げるなら悪い話ではないはずです。もちろん状況にもよりますが、可能性はそれなりにあると思っています」

 ダンブルドアの眉間の皺がさらに深くなった。あまり嬉しくない想定であることは確かだが、自分が死んだ後のことは先に話しておかねばどうしようもない。彼の苦り切った表情を無視し、返事を促す。ダンブルドアは少し考え、口を開いた。

 「……可能性とは、君がヴォルデモートの手にかかる可能性かね」

 そう取られたか。確かに、かなりありえそうな想定ではあるのだが、流石にそこまで悲観的なことを口走ったつもりはない。慌ててかぶりを振って否定する。

 「ああ、いや、違います。僕が闇の帝王に殺された場合、父が転向する可能性ですよ。あの人は、度がすぎるくらいには親ばかですから。死んだ息子になど価値を見出してくれない、という線も考えられないことはないですけど、保守的な割に直情型なので……僕が死んだ後、頭が冷えていないうちだったら、復讐のためにあなたに下ってくれるでしょう」

 ダンブルドアの顔からすっと表情が消えた。

 「……君は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のことを、わしに頼むのか?」

 またもや、いつものダンブルドアらしくない感情的な反応だ。ファッジへの態度を見て、父のことだって好いてはいないだろうから交渉は難航するかもと考えてはいたが、これは厄介だ。実際、父はダンブルドアが救う義理のある人間ではないが、ここで引くわけにもいかない。人情には頼れないので、具体的な利点で押すしかない。

 「それは仕方のないことではないですか。闇の帝王に逆らえばどうなるか、芯から分かってるのが死喰い人でしょうし、我が身かわいいのが人間です。父がどのような人か、というのは要点ではないです。純血主義者の絆に楔を打ち込む良いチャンスになるでしょうから、意固地にならないでください、という話です」

 それでも、ダンブルドアの厳しい眼差しは和らがなかった。返事も返ってこず、部屋に気まずい沈黙が落ちる、もう少し具体的にメリットを提案しなければならないだろうか? この人相手に講釈を垂れるのはまったく気が進まないが……そう悶々と考えていると、ダンブルドアがゆっくりと口を開いた。

 

 「……君の他者の思考に対する予想は常に理路整然として正確なのに、ある一つの要素だけは、いつも見落とされる。だから、それを重視する人間との議論は、いつも論点がずれる。それがなんだか分かるかね?」

 唐突な問いに面食らってしまう。僕はここまで、ダンブルドアに対してそんなにも文脈に乗れていない話をしていただろうか? 慌てて、頭の中で今までの話し合いの筋道を整理する。

 「えっと……死喰い人の陣営の価値観についてですか? やっぱり僕には何か偏見がありますか? ファッジに関してたかを括っていたような──」

 しかし、言葉は途中でダンブルドアの固い声に遮られた。

 「違う。これは死喰い人とも、ヴォルデモートとも……いや、今魔法界が抱えている問題とすら、全く関係のない話だ」

 この答えには、完全に途方に暮れてしまった。魔法界の問題と関係がないのだったら、そもそも問題ですらないじゃないか。ダンブルドアは突然、何にここまで真剣になっているんだ?

 「……すみません。話の筋が見えないのですが」

 「それは、君にその要素が見えていないからだ」

 半月眼鏡の下の瞳は、何か読み取れない鋭さを宿している。あまりにも回りくどい言い回しに、不可解さは徐々に不安へと変わってきた。おそらく、ダンブルドアはその要素とやらを僕に悟らせたいわけではない。これは、僕がそれを見落としていることに対する叱責なのだろう。久々に自分に落ち度がありそうなのに理由には見当もつかないという状況に出くわし、僕は完全に萎縮してしまった。

 

 再び沈黙が場を支配する。それを破ったのは、今度もまたダンブルドアだった。彼は深くため息をつくと、眼鏡を押し上げ、僕を見据えた。

 「ひとつ、君と話し合わねばならないことがある。──これから君がどこに身を置くかだ」

 不安感はあっという間に吹き飛んだ。その話をするなら、僕の態度は決まっている。

 「……それはもうすでに去年、話しましたよね。結論は出ていたはずですが」

 抑えきれずに出た冷ややかな声にも、ダンブルドアは全く動じなかった。

 「いいや、去年のものは()()()()を我々の側に置くことはできないという話だった」

 「それは、僕があなたの側に身を置くことができないことと、まったく同義なのですが」

 それでも、ダンブルドアは引かなかった。彼は一歩こちらに歩み寄り、僕の目をまっすぐに見た。

 「そう言うだろうとは思っておった。だから、これから、本当にそれは同義なのか、わしは確かめなければならない」

 心中に倦怠感が湧き上がる。僕の父に対する考えを、ダンブルドアには理解できないだろうし、してもらいたいとも思わない。

 「確かめる必要がありますか? 心のありようと言うならば、あなたは開心術で散々僕の内心を見ているでしょう」

 ダンブルドアは頷き、言った。

 「ならば、わしが君の内心を知りえないときの話からしよう。リータ・スキーターのことから」

 



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妄執的義務論者

 

 

 「……スキーター、ですか?」

 一瞬、ダンブルドアの言葉の意味がわからなかった。リータ・スキーターの存在は確かに今年の一つのイベントだったかも知れないが、もう過ぎた話だ。彼女と僕の本心とに、一体どのような関係があると言うのだろう。

 間抜けに問いを返した僕に、ダンブルドアは重々しく頷いた。さっきから、この深刻そうな雰囲気は何なんだ。何だか居た堪れない心地になってくる。

 「あの、彼女が僕の今後に関与する余地はないと思うのですが。もう三大魔法学校対抗試合は終わりましたから、適当なところで未登録動物もどきとしてアズカバンに行ってもらってもいいですし。まあ、それでもそんなに長くは放り込んでおけないでしょうが、流石に四ヶ月も瓶詰めにされていたら彼女も少しは慎重になってくれるかと──」

 しかし、言葉は途中で遮られた。

 「分からないなら、いつものように考えないのかね。わしが一体、どのような意図でリータを引き合いに出したのか」

 ダンブルドアには珍しく、不明瞭でこちらに推測を強いる言い回しだった。確かに彼は回りくどい言い方を好むが、それはこちらが話の筋を理解している前提での話だ。思わず眉を寄せて見つめると、彼はこちらが怯えを覚えるほど真剣な顔をしていた。

 

 何と返事をしたらいいか考え込む僕を前に、彼は深く息を吐き、口を開いた。

 「リータの件の解決方法は、浅慮で、残酷で、独断的だったのう。君らしくなく」

 それは、とても冷ややかな口調だった。全く予想もしないまま浴びせかけられた言葉に、一瞬で頭が冷える。まだ意図は分からないが──そうか。なるほど。凍りつく心臓に反して、意識は妙に鮮明になっていく。少し自分の口元が笑うのを感じた。どこか心と体が乖離した心地で、僕は朗らかに返事を返した。

 「……僕らしくないですか? まあ、あなたはそう思われるかもしれませんね。()を一匹捕まえるのが、あまりに簡単だったので。少し、興が乗り過ぎたかもしれません」

 思わず皮肉っぽくなった口調を聞き、ダンブルドアの目に冷たさが宿った。

 「無駄に露悪的な言い方をするのは、罪の意識から逃れたいからなのかね? まだ、リータは君のトランクの中にいるのかな?」

 その言葉は、僕の浮ついた意識をさらに体から引き剥がした。妙に現実味のないまま、ダンブルドアの問いに答える。

 「確かにスキーターのことは哀れだと思っていますが、だから何なのでしょう。四ヶ月前に知ったことを持ち出して、何をなさりたいのですか? あなたが何をおっしゃりたいのか、よく分かりません」

 スラスラと言葉が口をついて出る。ダンブルドアは動じることなく、何かを見逃すまいとでもするかのようにじっと僕を見つめていた。

 

 少しの沈黙ののち、ダンブルドアは感情を感じさせない言葉を放った。

 「そうか。君はあんなにも大きな間違いを犯したのに、まだ分からないか」

 なぜ、ダンブルドアはこんなに僕を試すような、苛立ちを引きずり出すような物言いをするのだろう? 内心の困惑をよそに、返事は澱みなく出てきた。

 「僕はリータ・スキーターを四ヶ月間拉致監禁したことを、間違いだと思っていません」

 言い切った言葉に、ダンブルドアはすっと目を細めた。

 「君はもっと法を尊ぶ心を持っていると思っていたが」

 ダンブルドアと遵法精神について議論した記憶はないが、一体どこから得た印象なのだろうか。シリウスから何か話を聞いたのか? ダンブルドアに失望されたかもしれないことに怯えながらも、僕の口は滑らかに動いた。

 「正確に言えば法による統制を、ですかね。……僕が法による支配を尊ぶのは、それが広く人々に説得力を持たせられるからです。()()範囲で話を済ませられるのなら、つまり誰にも知られることなく事を成せるなら……そして、法の力では問題が解決できないようなら、違法行為にだって簡単に手を染めますよ。この四年間であなたもご存知だと思っていたのですが。失望されましたか?」

 ダンブルドアは、既に僕が法を軽視するところを幾度となく見ているはずだ。そういった意味を込めて挑発するような言葉に乗らず、ダンブルドアは淡々と答えた。

 「それは……ハグリッドやギルデロイのことを言っているのかな? それとも、動物もどきの登録のことか」

 微笑みと共に頷いて肯定を示す僕に、ダンブルドアはかぶりを振った。

 「その二例と、状況は全く異なる。教師の雇用に関する場合、君は第三者に過ぎなかったし、動物もどきの申請を取りやめさせたのはわしじゃ。今回は君が能動的に動いた結果だが、以前のものはそうではない」

 ダンブルドアの視点から見ればそうなのだろう。しかし、僕の認識は違った。

 「今、あなたは責任の所在の話をされているのですか? であれば、僕は不作為を免罪符にできるほど厚顔だと思われているのでしょうか。その場にあった状況と帰結については、適切に理解していたつもりなのですが。

 ハグリッドの件についてはあなたの保証があったからですが……僕はギルデロイ・ロックハートが破滅するだろうことを予期した上で、回避しうる手を打たなかった。僕は動物もどきの未登録が違法行為だと知りながら、届出を出さなかった。僕の罪です。リータ・スキーターの拉致監禁と同様に」

 僕が罪だと指摘した二つの行為は、ダンブルドアが主犯と言えてしまうものだ。暗に指摘されたその事実を聞いて、彼の無表情に僅かに苦々しさが滲んだ。しかし、それでもダンブルドアは首を振って言った。

 「その二件で、君は誰かを望んで害したわけではない」

 「何かがそうなるよう望むことと、そうなると知りながら何もしないことは、突き詰めて考えれば同義です」

 即座に返した返事に、ダンブルドアはさらに額の皺を深めた。

 この思考が、多くの人の目に極端に映ることは分かっている。しかし、ダンブルドアのように、出来うる限り大局を見て手を進めようとする人間は、往々にしてそういった義務感を感じるはずだ。自分こそがこの場の状況をこの目で見て変えられるという、驕りにも見える信念だけが、僕らを妄執的に最善へと突き動かす。

 

 それを分かっているはずなのに、ダンブルドアは聞き飽きた言葉を投げかけてきた。

 「君は自身の影響力を過大に評価しすぎておる。いや、自身が影響しうる範囲を過大に見積りすぎておる。ギルデロイの件も、動物もどきの件も、責任があるのはわしじゃ。法により罰されるべきはわしであり、君ではない。しかし、スキーターについてはそうではない」

 意図せず軽い笑いが口から溢れる。それでもピクリとも眉を動かさないダンブルドアを前に、滔々と言葉を並べた。

 「実際に僕に何ができただろうか、という「もしも」の話は義務に影響しない。決断するときに、何ができると予測できるかが全てだ。

 それに……そもそも、僕が法を破る行為になることを承知で、スキーターの監禁を行ったのはお分かりですよね? 法により罪と見做されるから悪いことなのだ、という弁論はたとえ正しくとも、この時点で僕を……そうですね、()()させるような説得力を持っていない。僕が何を間違いだと感じるのか決めるのは、僕です。ロックハート教授の件も、動物もどきの件も同様に」

 自分でも、過剰なほどに自己防衛の理論を並べ立てていることが分かる。それでも、この口を止められるほどの罪悪感は胸中になかった。

 ダンブルドアは、再びこちらの目をじっと覗き込んでいる。酷く巧妙ではあるが、流石に気づく。──彼は開心術すら使ってこの議論を進めようとしている。まあ、別に構わない。僕は特に意識して心を閉ざさず、ダンブルドアの瞳を見返した。

 

 「今の君は、すでに許された無関係な例を引用して、現実の論点を誤魔化そうとしているだけだ」

 その言い方では弱すぎる。僕は簡単に返事を口に出せた。

 「そうですか? では、現実の論点とやらを教えていただけるとありがたいのですが。スキーターの拉致監禁という行為はそこまで()()()()手段に思われますか?

 まさか道徳の話がしたいわけではないですよね。スキーターはトランクの片隅の瓶に閉じ込められるより、あの拷問装置に突っ込まれるほうが、人道に則っていますか? 誰よりも吸魂鬼による囚人への虐待を問題視しながら、何もしてこなかったのはあなたでしょうに。あなたがその長い在任期間に、ホグワーツに倫理学の授業を導入していたならば、刑罰に関する議論も多少は生まれていたのではないですか?」

 吸魂鬼の話が出ると、ダンブルドアの目に僅かに恥の色が滲んだ。出来の悪い偽善の抗弁だが、それなりに彼の心には刺さったようだ。

 それでも、ダンブルドアは折れなかった。

 「……君は倫理的に正しいから、アズカバンではなく自らの手による収監を選んだわけではないだろう」

 ずらした論点を元に戻されてしまった。流石にダンブルドアはそこまで感情的にはあってくれないらしい。しかし、僕は笑みを崩さずに答えた。

 「そうですね。僕は僕の目的に適っていたので、彼女を捕らえたわけですから。そこに世間一般の道徳は関係ない」

 「……君の目的とは何だったのじゃ」

 答えは澱みなく口から出た。

 「戦争の間、より差別されることになるだろう人々が──ハグリッドが、ルーピン教授が、無辜の人々が、迫害されることなく生き延びることです」

 まっすぐにダンブルドアの目を見て放たれた言葉に、一瞬、ダンブルドアは怯んだように見えた。

 

 彼は僅かな間視線を逸らし、しかし、再び僕の目を見つめた。

 「……私刑は、すでに存在する法体制を軽んじる行為だ。現行の法に基づくより良い罰だと思える、などという理由で勝手に罰を与える行為が横行すれば、治安は損なわれ、法を軽んずる意識を人々に植え付けてしまう。それは差別を助長することに繋がりかねない。違うかね」

 「そうですね。おっしゃる通りだと思います。この行為について広く知られるならば、ですが。僕とマクゴナガル教授、そしてあなたしか今回の件の顛末については知りえない状況を作ることができた。なら、その懸念は必要ありません。それとも、あなた方は僕に影響されて規範意識を変えてしまう人なのでしょうか?」

 「個別具体的な話ではなく、普遍的なあるべき姿についての話をしているのだ」

 それこそ()()理論だ。今話しているのは普遍的な道徳規則がどうあるべきかという話ではなく、僕が自身の行為を間違いだと認めるかどうかなのだから。

 「僕は、僕の価値観で、普遍的にあるべき社会を目指してスキーターを瓶詰めにしたつもりですが」

 

 抜け抜けと放たれた台詞に、僅かにダンブルドアは怯んだ。彼が次の言葉を見つける前に、僕は自分の言葉を続けた。

 「人間は自身の正義を確信した時に最も残酷になる。今回、僕がスキーターを瓶詰めにするのをためらわなかったように。そうでしょう? 彼女は多くの人に浅薄な()()を与えそうだったので、退去していただきたかったのです。残酷さが魔法界に蔓延しないうちに。」

 

 彼女がハグリッドや狼人間に向ける軽薄な悪意は、軽薄だからこそ取り除きづらく、人々の心に軽く、しっかりと降り積もる。

 「闇の帝王が戻った今、これから起こるものは今までの差別や迫害とは一線を画す苛烈なものになるはずです。闇の帝王……というより、それに便乗する蒙昧の輩の思想に歯止めをかけねば、我々は「浄化」の道に進むことになる」

 民族浄化の可能性は、僕が常に懸念していたことだった。広範さでいうならばマグル生まれを危惧するべきなのだろうが……今ですら、半巨人や狼人間はその正体がバレたら排除の矛先を向けられるのだ。この先、僕がファッジ大臣に作らせた人狼法の登録名簿が強制収容所への輸送者リストになっても全くおかしくない。だからこそ、そうなる前に手を打たなければならない。

 

 ダンブルドアは不可解さを隠さずに眉根を寄せた。

 「リータの監禁が、それを止める手段になりうると? たった一人の新聞記者を陥れることがかね?」

 「予防策の一つとしては、そこまで悪くないと思いますが。千里の道も一歩から、ですから。

 メディアを通したプロパガンダは、正義感に基づく不特定多発的なジェノサイドの必要条件です。非魔法界のことですから、あまり興味をお持ちではないかも知れませんが、通信機器が発達してからここ数十年ほど、マスメディアは最も効率的に大衆へ思想を浸透させられるツールとなりました。新聞に限るなら、もっと昔からと言えるでしょうね。

 ダンブルドア先生、あなたはラジオという聴覚メディアが生まれ、普及したとき、どのように感じました? 識字能力のない人間が容易に氾濫する情報に触れられるようになった。いや、そういった人々に()()()()()()()()()()()わけです。特定集団を排除したいと願う勢力にとっては、これほど効果的に虐殺が可能となる環境を整備できるものは他にないでしょう」

 僕の演説じみたセリフを、ダンブルドアは黙って聞いていた。僕はただ、口が動くのに任せて話を続けた。

 

 「スキーターは自身の偏見に基づいて、人々の正義感を煽るのに長けた人物だった。役人の瑕疵をあげつらい、荒々しい森番にある野蛮さの根源を暴露し、不遇な未成年の同情すべき発言を捏造する。まるで自分だけが人々が何を知るべきか弁えているかのように。人の欠点を指摘することでしか心を満たすことができないかのように」

 「その程度の悪性は、今まで君が慈悲を与えてきた人々にも言えることなのではないかね?」

 その問いに、僕はにっこり笑って頷いた。

 「そうかもしれませんね。しかし、僕が見るに、彼女の執筆意欲は権威に阿っているわけでもなく、誰かに対する復讐心でもなく、自身の根源的な欲求に基づいている。誰かを蹴落としたいという欲求に。それゆえに厄介です。

 肥大した『他人が自分の意見に賛同するところが見たい』という虚栄心と、『不当に恵まれた立場にある人間を貶めたい』という嫉妬心………それに事実を際限なく誇張する能力がよく噛み合っている。言ってしまえばそれだけの人間ですが、それこそが問題なのです。その性質ゆえに、かえって制御するのが非常に困難だと、僕は判断しました。

 しかし、未登録の『動物もどき』程度の微罪では、彼女はすぐアズカバンから出てきてしまうかもしれません。収監されない可能性すらあった。なら……彼女が持つ()がどのようなデメリットを持っているのか、心底理解してもらったほうがよいかと思いまして。新聞社の席を奪い、権威を失墜させ、最大の情報収集ツールの使用を躊躇わせる。それで、ようやく僕は満足できました。

 これで、不安の芽を一つ潰すことができた」

 

 スキーターについての僕の内心はこれで全てだ。僕の心を覗いているダンブルドアにも、それは分かったようだ。彼は深くため息をつき、ようやく僕から視線を逸らした。

 「どうでしょう。もちろん、先ほどの論点からスキーターの監禁が糾弾されるべきだというのは分かっていますが……それはこちらの認識とは関係ない。それでもまだ、僕は自分の行為を間違っていた、と考えるべきなのでしょうか」

 張り付いた笑顔で問う僕に、ダンブルドアは顔を向けないまま、ゆっくりと口を開いた。

 「随分と饒舌だ。君がここまで無意味に弁舌を振るうところは初めて見る」

 その言葉は、ここまでの僕の話に対する返事ではなかった。再び、ダンブルドアの意図が読めなくなる。

 「回りくどい言い方はやめていただけますか」

 

 ダンブルドアは額に手をやりながら、再び僕の目を見つめた。

 「虐殺が起こる可能性のために、現在まだその原因となっているわけではないリータを監禁していい理由などない。最も良い策とは、リータ・スキーターを改心させた上で、虐殺の可能性を軽減することだったはずだ」

 その通りだった。あまりにも当然すぎて、それで動じることはなかったが、今までの話の中で一番胃が沈み込んだ。

 「……そうですね。最上を諦め、罪を引き受けてでも、僕は確実性を取った。それは……僕の至らなさでしょうね」

 何とか逸らさずに見たダンブルドアの目には、この言葉を口にした後悔が微かに滲んでいた。それ以上、何も言えない僕を前に、ダンブルドアはこちらにではなく、どこか呟くように言葉を漏らした。

 「そこで、私も未来のために他者に犠牲を強いている、と君は指摘しない。そうだろうとも……」

 

 

 ダンブルドアはかぶりを振り、深く息を吐いた。頭を擡げ、再び僕に向けられた瞳からは、一切の感情が拭い去られていた。内心を全く読み取れない表情で、ダンブルドアはゆっくりと口を開いた。

 「君はリータ・スキーターがもたらすであろう損失を考えてその行動を取った。なるほど、その通りじゃろうとも。しかし、彼女がもたらす利益については考えが及ばなかった。いや、及ぼさなかった」

 心臓が早鐘を打つ。どうしようもなく分かってしまった。ダンブルドアはこの先を僕に伝えるために、先に僕に全てを喋らせたのだ。逃げ場はない。ただ立ち尽くす僕を前にして、ダンブルドアは淡々と言葉を続けた。

 

 

 「──今年、偽物のアラスター・ムーディの正体を看破する方法とは、本当になかったのだろうか?」

 

 

 ドッと胃が落ち込んだ。ああ、確かに──いや、でも、しかし……強烈な焦燥の中、頭だけは勝手に回る。記憶の中から必死に自分を守る欠片を集め、つぎはぎに言葉を作り上げた。

 「バーテミウス・クラウチ・ジュニアは優秀でした……ポリジュース薬ならば、魔法で見抜くことはできない……本物のムーディ教授から情報を抜いていたのもあるでしょうが、あなたすら騙す演技力を備えていた……わずかたりとも本心を悟らせない閉心術、何もかも見通すマッド-アイの義眼で用心深く自分の行動を悟られないようにしていた……見破ることは極めて困難だった。そうでしょう?」

 声に震えは現れていなかったが、ダンブルドアはこちらの動揺を完全に看破していた。

 

 「そうかね。君は本当にそう思っているのかね。他でもない君自身が全てを検証した上で。

 ……君が動くより前に、クラウチはリータを排除しなかった。それで、彼女の隠匿能力はクラウチを出し抜くことができるものだったことが証明されている。そうじゃろう?君が言ったように、正体にさえ気付いてしまえばリータを排除するのはとても容易い。しかし、そうはならなかった。クラウチはリータが虫になれることに思い当たらなかったからのう。違うかね」

 「……単に、スキーターはマッド-アイに興味を持っていなかっただけでは? もう興味がなくなったんだ。だから、クラウチはリータを気にする必要がなくなった──」

 それなりに説得力のありそうな話を作り上げたつもりだったが、ダンブルドアはそれを簡単に遮った。

 「学期の初めに、あんなに大きく取り上げた人物を? 彼を吊し上げれば、容易に他の人間──校長であるわしのことをこき下ろせる相手であっても? そもそもリータの食指が次の人物に向かったからといって、クラウチが彼女を警戒しなくていい理由にはならぬ。クラウチがアラスターと成り代わった日の出来事を嗅ぎつけた人物に、全く注意しないなどということがありえるのかね。

 それに、言い訳として不十分だ。そのときの()()リータを活用できる可能性を見つけられるかが問題なのだから」

 

 徐々に息が上がるのを感じる。それでも、僕の脳はまだ逃げ道を探していた。

 「第二の課題時点では、不審人物がまだホグワーツに潜伏しているかは分からなかった……僕は、リータを何に使えるか分からなかった……」

 「いいや、それは嘘だ。ハリーの名前をゴブレットに入れた人物が校外に既に逃走している可能性は、クラウチ・シニアが失踪するまでは有力ではなかったはずだ。その後であっても、校内の警戒を怠るのは君のやり方だろうか?」

 

 ついに返す言葉を失った僕に、ダンブルドアはふと何か思いついたような眼差しを向けた。

 「そういえば、君はスネイプ先生とハリーについての言及を避けたね。スネイプ先生が毒ツルヘビの皮について私に報告していれば……もしくはハリーが『忍びの地図』について君に話していれば……我々は気づくことができただろう。

 君は……二人を責めたくないのかね? リータのことについて触れたくないように、君は言わないことに隠したい本心が出る。

 君はスキーターを使えば、ホグワーツ内の不審な動きを探ることができた。クラウチの正体を暴き、わしに伝えることができた。──ヴォルデモートの復活を阻止できた」

 

 「そんなに上手くいくはずがない……」

 もはや声の震えは隠しきれなかった。もはや撃つ手を失った僕にダンブルドアは、最後の一刀を振り下ろした。

 「『上手くいくはずがない』。その意識だけで、最善を尽くさないことを、君は君に許すのかね。

 それを、君は最善を諦めて、次善の策をとってしまった。そのときは……確かにわしはそれを看過した。わしの責任じゃ。しかし、今になれば、最善へ向かう可能性はあったと言える。

 君は、最もよい選択肢を考えることを放棄した。君は……間違ったのだ」

 

 

 部屋に沈黙が落ちた。使える手札はもう残っていなかった。いや、最初から持っていなかったのだ。ただ「自分がヴォルデモートの復活を止められたかもしれない」という現実に耐えきれず、無様な言い訳を並べ立てただけだ。

 何と言ったらいいか分からなくて、しかし何も言わないこともできなくて、僕は口が動くまま上っ面の言葉をはいた。

 「申し訳ありませんでした。僕が間違っていました。次からは……気をつけます」

 「どうやって気をつけるというのかね」

 字面だけ見れば、どこまでも陳腐な台詞だ。あらゆる学校で性格のよくない教師が口にしていそうなぐらいに。それなのに、ダンブルドアは心の底からその言葉を口にしていた。本気で、僕に自省を促していた。なんと返したらいいか分からず口を噤むと、彼はさらに強く僕の瞳を覗き込んだ。

 「君は何故、今回の選択をしたんだ」

 「……先ほど言ったとおりです」

 「いや、違う。君はなぜ、最善の道を無視してでもリータの排除という手段を選んだんだ。何が君を突き動かしたのか、君は本当に分かっているのか」

 何が僕を動かしたのか? ……そうだ。僕はいつ、スキーターを排除しようと決めたのだっけ? 過去を振り返り、そこでダンブルドアが何を言いたいのか、ようやく見当がついた。

 「……ハグリッドのことですか?」

 「そうだ。ハグリッドへの中傷を見過ごす罪悪感が、リータの有用性を上回った。だから君はリータに慈悲を与えないことに決めた。そうではないかね?」

 あの寒い保健室の中でのことを思い出す。そうだ。確かに、あの日決断をしてから、僕は自分の意志を揺るがすものから目を逸らして監禁を遂行した。

 「……そうかも知れません。でも、だとしたら何なのですか」

 

 ダンブルドアは、やはり強く僕の目を見つめて口を開いた。

 「君は何故そこまでハグリッドを大事に思うのか、自分で考えたことはあるのかね。

 君の怜悧さの最大の源は、自身の好悪とそのものが持つ価値を切り離して考えられるところだ。しかし、それがうまく働かない場合がある。今回のハグリッドのように。その最たる例は──君の父親だ」

 ああ、結局そこに戻ってくるのか。ならば、もういい。僕はダンブルドアから目を逸らそうとして──それは叶わなかった。ダンブルドアは僕の肩を掴み、僕の目をしっかりと見ようとした。思わず怯えを感じ、後ずさる。ダンブルドアの顔には怒りにも似た迫真さが宿っていた。

 「心を閉ざしてはならない! 考え続けなければ。君は、自分でなぜ父親をそこまで重要に感じているのか、分かっていないはずだ!」

 手を振り払いたいが、身がすくんで動けない。それでも反論は口をついて出た。

 「感情なんて、根拠を探せない場合がほとんどでしょう!」

 しかし、逃げるような言葉をダンブルドアは歯牙にも掛けなかった。

 「しかし、今、君は探すべきだ。君は、自分の心を知らなければならない。次に過ちを産まないように」

 

 ダンブルドアは再び言葉を切り、息を深く吸って、吐いた。

 「君は──過去を思い出すべきだ」

 

 得体の知れない激情が腹に渦巻く。感情が溢れるままに、僕はダンブルドアの手を振り払った。

 「過去は必要ない! もう過ぎた話だ……」

 ダンブルドアは僅かに悲しみを滲ませて僕を見た。

 「ハグリッドのために感情に支配され、それゆえさらに彼を窮地に立たせることになったとしてもかね」

 胸を焼く罪悪感が喉元に迫り上がる。それなのに、ダンブルドアに応じることはできない。

 「だって、全部忘れてしまった。もう何も思い出せない……」

 自分ですら、何故ここまで頑なにダンブルドアの言葉を否定しているのか分からない。それでも、ここは譲れないことだけは分かった。ただ頭を振る僕に、ダンブルドアは一段低くなった声で語りかける。

 「本当にそう思っているのか」

 「あなたは僕の心中を全て見たはずだ! 何も残っていないことはお分かりでしょう!」

 それでもなお、ダンブルドアは揺るがなかった。

 「全てではない。君は最初からこの物語に関わるもの以外全ての以前に関わる記憶を閉ざしていた。わしも他のことに気を取られ、最初は見過ごした……しかし、回数を重ねるごとに気づいた。君は自分自身で封じた過去がある。

 かつてはそれでも良いと考えていた。君は、ヴォルデモートに対抗するために必要なものは全て見せてくれていた。それ以外については……容易く踏み入ってよいものではない。君はわしに対しては誠実だった。

 しかし今、君は自身の感情を制御できていない。他の人々に求めることではない。しかし()は、この世の全てを知り、己の目的に最善の道を模索することを欲する君だけは、己の道を左右している存在の正体を確かめねばならぬ! たとえ、それが君自身の心の中にあるとしても!」

 まったく言うとおりだった。ダンブルドアは、今までの会話の中で、随分と僕を説得する方法に長けてしまったらしい。やはり、逃げ道はなかった。僕は、僕を正確に扱わなければならない。自分の目的のために。

 手足が冷えていく。それでも、先に進まなければならない。僅かに頷いた頭を見て、ダンブルドアは深く息を吐いた。

 

 

 一年以上前にしていたように、椅子に腰を下ろしダンブルドアから杖を向けられる。あのときとは全く違った心境で。虚ろにならないよう意識を込めて、何とかダンブルドアに問いかける。

 「……開心術でどうにかなるものなのですか」

 ダンブルドアは杖を向ける手を少しも揺るがせずに答えた。

 「わしは手伝うだけじゃ。君が、自分自身に心を閉ざさず、己を知る勇気を持つのじゃ」

 

 

 「それでは、始めよう。────レジリメンス」

 

 



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告解

 

 

 いつも、ここにいてはいけないと思っていた。

 

 

 

 僕が物心がついた頃には、既に父は()()()人だった。正しくて、正しくないものが許せない人だった。

 彼は息子にも正しさを求めたが、僕は大抵の場合、その期待に応えられなかった。彼の望んだ「息子」になれなかったために、よく叱られた。

 

 ────どうしてこんなこともできないんだ? せっかく父さんが必死に働いてお前を養っていっているのに、その努力を踏み躙って楽しいか? お前を養うのに、いくらかかっていると思っているんだ? 平気で怠けていられるのは、お前に少しも感謝の心がないからだ。

 ────どうして人に優しくできないんだ? 相手の落ち度ばかり責めて、厚顔にもほどがある。お前は自分を正義の味方か何かだと思っているのか? 口先で相手を傷つけるのはそんなに楽しいのか? 相手の非を執拗に突くのは、お前が恥知らずだからだ。

 ────どうして人に与えてあげられないんだ? お前はこんなにも恵まれているのに、分けてあげようとは思わないのか? そもそもそれはお前の物じゃないのに? 自分で金も稼いでないのに欲深いのは、お前が意地汚いからだ。

 

 ────お前は飢えもせず、殴られもせず、甘やかされている。お前は周りに恵まれているのに、それに気付かずのうのうとしている、どうしようもない恩知らずだ。

 ────父さんはお前を大事に思っているから、叱っているんだ。厳しくするのは、お前が大事だからだ。

 

 父は母にも同じように厳格だった。そのせいか知らないが、母は心を病んでしまったらしい。僕の記憶に残る母は唐突に怒り、よく物を投げる人だった。たまに落ち着いているときは、まるで家の外にいる人たちのように普通に見えたが、すぐに寝込み、また手元にある茶碗やら箸やらを放り投げ、苛立ちに任せて何もかも壊してしまう人になった。母の調子が()()なるたび、父は僕がいかに母に心労をかけているか、寝る間もなく叱りつけた。母が()()()になれないのは、僕の気遣いが足りないかららしかった。

 

 そんな家の中で、僕は、正しくあれるよう必死だった。試験は全て百点を取るように。どんな相手にも優しく接するように。持つものはできるだけ少なく、欲されれば全て与えるように。幼い頃は足りないところばかりだったが、少しずつ父の希望に沿えるようになった、はずだった。

 しかし、父は僕の成長を喜んでいないようだった。むしろ、責められる欠点がなくなるにつれて、彼はさらに苛烈に僕に叱責をぶつけるようになった。

 

 

 そう、僕も徐々に気づいてしまった。彼は息子を正したいのではないらしい。彼は──息子の過ちを叱ることで、自分が正しくあることを実感したいようだった。それを子供に対する執着とぐちゃぐちゃに混ぜ合わせ、込み上げるまま吐き出すのが父だった。

 一度吐いた言葉は戻ることはない。父は何かに厳しい言葉を投げるたびに、自分で自分を縛り、さらに全てのものが許せなくなっていった。彼がいつからそうなったのか、なぜそうなってしまったのか、尋ねられたことはない。父は自分の内心を言葉にするのをひどく嫌がり、質問を糾弾と捉えていた。

 

 僕が()()()になるたび、父の精神は狂気に蝕まれているように見えた。彼は僕が家の外で認められるとひどく動転した。僕が誰かに好かれたり、褒められたりするたび、その相手には僕の至らなさを滔々と語り、僕にはその相手がいかに堕落しているか説いた。気づけば、父も、母も、僕も、家族以外にまともに関われる人がほとんどいなくなっていた。

 どこまで行っても、悪循環だ。このまま共にいて、お互いが幸せになることはない。そう悟った僕は、家を出ることに決めた。

 

 

 大学に入学するとき、父は息子が失敗することを望んで、最難関校に入学することを強いた。僕はそれに応え、家からかなり離れたその学校に合格した。大学に入ってからは、学費と交通費を稼ぐためといって、必死で働いた。顔を合わせる機会が減り、僕は随分と自由になった。

 ようやく自分の金で手に入れたスマートフォンは、世の中の広さを教えてくれた。未知なる世界は全てが全て良いものではないが、何だか軽やかに見えた。娯楽の楽しみ方はよく分からなかったが、それを面白いと思っている人を見るだけで、どこか嬉しかったのを覚えている。

 

 大学に入って一年と少し経ったころ、ついに機会はやってきた。優秀な成績を収めていた僕は留学生として海外に出るチャンスを貰った。向こうの大学で学位を取れば、もうここに戻る必要はない。千載一遇の救いの手だった。

 ずっと僕に高い成績を残すことを強いていた父は、留学を論理的に止めることはできなかった。その目には憎しみが滲んでいたが、彼は未熟な僕がより困難な状況に陥るだろうと嘲りながら、書類に判を押した。

 

 

 

 出発前日の夜、僕はいつものように睡眠薬を飲んで床についた。送った荷物は大してなかったが、元々僕の部屋はほとんど空っぽだった。物を持つのは嫌いだった。どうせ壊れるものを大事にするのは、苦痛だ。でも、これからはそうではないのかも知れない。そんな希望を抱いて、いつもよりずっと怯えを感じることなく眠った。

 

 

 目が覚めて気づいたときには、なぜかひどく腹のあたりが熱かった。何かが布団を押し退けて、僕の上にのしかかっている。それは何かを振り上げて僕の体に叩きつけた。それは刃物、随分と長い間研がれていない、柳刃包丁だった。まだ痛みを痛みとも感じられないまま、逃れようと向けた脇腹に、二度、三度と刃が突き刺さる。そこで包丁が抜けなくなったらしい。襲い掛かってきた何かは、柄を引っ張ろうとして重心をずらした。

 痛みもまともに感じられないまま、それを何とか突き飛ばした。髪を振り乱し僕の上から転がり落ちたその人は──母だった。

 

 壁に背を打ちつけたその人は、暗闇の中で目をぎらぎらと輝かせながら、こちらを睨んでいた。髪を食んだその口からうめき声が聞こえる。

 「お前が────なんで、お前だけ────お前さえいなければ、お前さえ生まれてこなければ、もっと、ずっと────」

 それ以上聞きたくなくて、母を残して何とか廊下に転がり出た。突然、廊下に明かりが灯る。そこには物音を聞きつけたのだろうか、寝巻き姿の父が立っていた。

 父は、僕を見て、僕の脇腹に刺さる刃物を見て、そして、そして────

 

 「どうしてお母さんを怒らせるようなことをするんだ? お前は育ててもらった感謝がないのか? 病気のお母さんに優しくできないのは、お前が人でなしだからだ」

 

 ああ、そうか。僕が、母にこれをさせたのか。すとんと事実が腹に落ちた。

 何だか力が抜けてしまった。父に何か答えを返す気力もなかった。出血がひどくなることも気にせず包丁を抜き捨てて、父の横を通り、玄関から裸足のまま外に出る。彼は追いかけてこなかった。

 地平線が白くなってきた空がやけに鮮明に目に映った。どこへともなく、明け方の人っ子一人いない道を歩いた。ただ、どこかへ帰りたかった。ここじゃない、どこかへ。

 

 

 その後は、覚えていない。

 

 

 まあ、つまるところ、僕は間違いだったのだろう。僕は──生まれてくるべきではなかったのだろう。

 面白みも何もない、くだらないだけの、一人の人でなしの物語だ。

 

 

 

 

 

 

 しかし、この物語は終わらなかった。

 僕は再び生を受けた。以前とは時間も国も、人も違う場所で。

 

 初めは、この世界で生き延びることだけ考えていた。また、あんな痛みを味わいたくなかったから。

 

 でも、この環境に──あまりに恵まれたところで育つうちに、事実が僕を蝕んでいった。

 僕は、()()を受け取る権利がない。本来座るべきだった誰かを押し退けて、のうのうと息をしているのが僕だ。

 確かにこの屋敷の主人──ルシウス・マルフォイは、善人ではないかもしれない。彼の言葉の端々には傲慢さと差別意識が表れていた。それでも、息子を得体の知れないものにすり替えられていいわけがないだろう。

 ナルシッサ・マルフォイもまた、可哀想だった。僕の体は「母親」というものが背後に近づくたびに固まり、刺された部分が痛んだ。うまく体が制御できない幼児のころ、それを表に出してしまったせいで、彼女は息子を気遣って距離を取るようになった。折角彼女は息子を得たのに、僕のせいで得られただろう幸福を奪われている。

 

 彼らがこの上なく子供に望んでいるだろう魔法の兆候も、全く現れなかった。二人は僕の前ではそれを表に出さなかったが、日に日に彼らは何かを背負い込んだような顔をするようになった。

 すぐにでもこの場所を離れるべきだと分かっているのに、あまりの居心地の良さに、僕の決意は固まらなかった。ただ、彼らが我が子だと思っているものが突然消えたらかわいそうだと自分の心を騙し、彼らの優しさに甘えた。

 

 

 

 僕がまだ四歳にもならない頃、読んでいた本の中にカッコウの話が出てきた。カッコウのメスはヒバリの卵を地面に落とし、代わりに自分の卵をヒバリの巣に忍ばせる。親を騙し、寄生するわけだ。僕のように。

 

 身体に引っ張られてしまったのか、感情の制御が利かなかった。ただこんなにも息子を大切にしているマルフォイ夫妻を騙す罪悪感で、涙が溢れた。それはルシウス・マルフォイの書斎で、つまり、彼がすぐそばにいたときのことだった。

 

 僕はいつも、誰の目にもつかないように泣いていた。そんなことは起こり得ないと分かっていても、叱られるのが恐ろしかったから。だから、ルシウス・マルフォイは本当に珍しく我が子の涙を見たのだ。我に返って硬直する僕をよそに、彼は素早く部屋を出た。次に何が起こるのか分からずただ息を潜めていると……彼はキッチンからビンクを抱えて戻ってきた。ビンクがあの手この手で僕を泣き止ませようとあたふたするそばで、彼はずっと僕の背をさすっていた……

 

 まるで慰められたような気になってしまったのが悪いのだろうか。悍ましい甘えの言葉が口をついて出てきた。

 「もし、僕が……この本のカッコウの雛みたいに、偽物の子だったら……パパとママの本当の子供を追い出して、この家を乗っ取ろうとしている悪い子だったら……パパはどうする?」

 

 彼は一瞬目を丸くして、しかし僅かにも躊躇わずに答えた。

 「それでもお前を愛しているよ。こんなに良い子が私たちの元に来てくれたんだから……お前が幸せなら、何だっていいんだ」

 

 

 

 その言葉を信じたわけではない。父は物の分別のつかない子供の戯言に、適当に答えただけだろう。本当の意味で僕を受け入れたわけではない。でも、それでいい。真実が暴かれたとき、父が僕から離れていってしまったとしても、それでもいい。

 

 父が僕を息子と、幸せになってほしい我が子だと思う限り、僕は生まれてきたことを許された気になれるのだから。生まれて、初めて。

 この世界で僕は、人を、僕自身を、ようやく許せるようになったのだ。

 

 

 

 そして、僕は父を救う手がかりになるものを除いた、全ての過去を忘れた。まるで、魔法のように。

 過去が顔を覗かせるたびに、手がかりにすがりつき、それだけが僕が以前から持っているものだと信じた。繰り返し「物語」の断片をなぞり、未来に対して策を巡らせることで、それ以外の記憶を封じた。

 

 

 

 そうして、僕はドラコ・マルフォイになった。

 

 

 

────────────────────────────

 

 

 ふと気がつくと、ダンブルドアが目の前に膝をついていた。彼は僕の手をしっかり握り、その目には涙が浮かんでいた。僅かに震えた口が開く。

 「すまない……」

 その声には悔恨がありありと滲んでいた。そんなふうに思うことはないのに、こちらの記憶に引っ張られすぎだ。ダンブルドアも感情の制御をさらに訓練するべきなのかもしれない。いや、ホグワーツには憂いの篩があったはずだし、記憶の整理は彼もすでにしているだろう──

 取り止めのないことを考えながら、ダンブルドアの手をしっかりと握り返す。

 「何も謝ることはありません。この記憶障害は、乖離の一種なのでしょうか? なるほど、知れば対策することもできる。助かりました。これで僕はもっと怜悧に判断できるようになる、そう思います。とても有益な時間でした。」

 しかし、ダンブルドアの僕に向ける悲痛な視線は変わらなかった。何だか居た堪れない気持ちになってくる。彼の髭に、輝く涙の雫が伝うのが見えた。

 「君を傷つけるつもりはなかった……君が過去を思い出せば、現在を相対化して考えられるものだと……」

 傷つける? ()()が起こったのは、それこそ前世の話だ。いつまでも引きずるほど未熟じゃない……とは忘れようとしていた身では言えないが、ある程度折り合いはついている。場の雰囲気を何とか軽くするため、僕は口元に笑みを浮かべて、できるだけ朗らかに返した。

 「あの、大丈夫ですよ? 本当にお気になさらないで下さい。いえ、むしろこちらこそ、あまりにも面白くないものを見せてしまって、申し訳ありませんでした。

 ただ……そうですね。やっぱり父のことだけは、譲れないのです。分かっていただけましたか?」

 ダンブルドアは喘ぐように口を開いたが、そこから言葉が出てくることはなかった。

 

 葬式のような空気が漂っている。いい加減にうんざりしてきたし、この無意味な話の流れを切り替えたい。僕は椅子から立ち、ダンブルドアの手を取って立ち上がらせた。

 「さて、建設的な話をしましょう。これから、僕はヴォルデモートの復活を見過ごした責任を取らねばなりませんし」

 しかし、その言葉を聞くと、ダンブルドアの目にはさらに強い後悔が溢れた。彼は強くかぶりを振った。

 「いいや、違う! 奴が戻ったのは君のせいではない!ハリーが連れ去られた墓場は、君がかつて見た映画にあったものだったのだ。これは物語の筋書き通りだ……第三の課題の後、ヴォルデモートとの戦いの場面が来ることは、すでに決まっていた!」

 そうだったのか? 確かにハリーは大きくなったが、全然わからなかった。僕が覚えているものより、ダンブルドアが覗いた記憶の方が鮮明に見えたりするのだろうか。それとも、第三者の視点から見ることで客観的に細部を整理できたりするのだろうか。まあ、何はともあれ、そこは重要じゃない。

 「いいえ、物語の筋書きは関係ありません。それがどうであろうと、変えられたかもしれなかった。今回、僕はそれを見逃してしまった。感情に支配されて、嫌いな人間を排除することを優先してしまった。

 あなたがそれを見過ごしたことも謝らないでください。そちらの方が制御可能だと判断されたのでしょう? 同じ立場なら、僕もそちらを選んだと思いますから」

 

 ダンブルドアは再び言葉を失ってしまった。彼みたいな責任感の強い人は責められた方がマシだったりするのだろうが、僕はそこまで面の皮が厚くなれないし、無駄な攻撃をできるほど心が強くもない。

 しばらくの沈黙ののち、彼は呟くように言葉を漏らした。

 「私が浅はかだった……君が過去を思い出せば、過去の大切なものを思い出せば、ルシウスは絶対の存在ではなくなるだろうと……」

 そう考えるのは分かる……というか、説得の手はそれしかなかったのだろう。そもそもなぜそこまで強引に説き伏せようとしているのかが謎だが、手段としては納得できる。

 「ご期待に添えず、申し訳ありません。……僕にとっては、父が救いなんです。彼がいるから、僕は自分が生きていることを許せる」

 ダンブルドアの髭から涙が滴り落ちる。その滴をぼんやり眺める僕に、彼は絞り出すように声をかけた。

 「人がただ生きるのに、許しなどいるだろうか……」

 「……そうですね。生まれてきたからには、生きる権利がある。でも、僕は、……自分自身だけには、そう思えない。これは論理的な話ではなく、もはや本能のようなものなのです。

 だから……許しを与えてくれた父に幸せになってほしい。いや、それも違うかな……ただ、悪役で終わってほしくはない。我が子に無償の愛を与えられる人間が、すでに作られた物語に乗って、大団円から爪弾きにされて欲しくないのです。彼には一番いい世界で、一番いい結末を迎えてほしい」

 今、改めてはっきりと分かる。それが僕の最大の野望だ。

 

 「ダンブルドア、今回は本当にありがとうございました。……それでは切り替えて、今後の方針について相談させていただいても?」

 

 

 

 結局、沈みきったダンブルドアを相手にそこまで大した話はできなかった。リータだけはダンブルドアに引き渡すと約束したが……本当はこれから魔法省をどう動かすかちゃんと打ち合わせをしたかった。けれど、まあ、仕方ない。クラウチもいなくなったことだし、これからは闇側にも目が届くようになるかもしれない。これ以降も頑張って話の席を設ければいいだろう。僕は僕なりにスリザリンらしく、野望を持って狡猾に物事を進めるだけだ。

 

 結局、本来の目的だったマクゴナガル教授との邂逅を果たせぬまま、僕は研究室を後にした。

 

 

 



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