生成AIがもたらす消費主義 著作者人格権の経緯を踏まえて

この記事は、論文著作者人格権の一般理論 ーフランス法を例にーを元に、私が考えたことを書いていきます。
私の個人的な解釈が多く含まれると思いますので、ご了承ください。

著作者は独占する特権を持つのか

 論文内で語られている、フランスの著作者人格権に関する歴史を、ざっくりと見ていきます。

 1.印刷技術が生まれたことで、書店は作品を印刷する特権を王から得た
 2.著作物は著作者固有のものとして所有権を得たが、有体物所有物のように扱われた。(権利の全面的な譲渡が可能)
 3.経済的自由主義の革命によって商業の自由が宣言され、独占の特権の排除がなされた。創作者の所有権は残された。
 4.権利帰属と利用に関する著作者人格権が明文化された。(権利の全面的な譲渡が不可能)


 なぜ3の独占の特権の排除の時に、創作者の所有権は残されたのか。
 その正当性について、以下のように書かれています。

 ・知的所有権は、特権とは反対に、競争も市場機能も悪化させることはない。
 ・所有権は個人固有のものに対する権利である。作品は人格を映す鏡であり、最も人格な所有物である。
 ・所有権の庇護の下で、自由な表現ができる。付加価値を生み出した著作者に所有権が帰属することで、非封建性が実現。
 ・あらゆる人に知的所有権を得る機会がある。


 著作物は人格の痕跡であり、著作者の固有のものとして権利をもつのは当然です。
 著作者のもつ排他的な所有権は、他人の所有物を独占しようとする特権から保護する機能をもちます。
 つまり、独占する特権とは真逆の効果をもちます。
 

著作者人格権が保護するもの

 著作物の変転に関わる役割「創作者」「鑑賞者」「著作物利用者」「消費者」について見ていきます。
 「創作者」は、表現したい思想や感情(内的形式)を、感覚によって捕捉可能な素材(外的形式)で表現します。
 「鑑賞者」は、外的形式から、内的形式を心の中で再構築します。
 これによって、(創作者の人格の反映である)内的形式の分かち合いという文化的利益が双方に生まれます。
 創作者はこの文化的利益と経済的利益を、鑑賞者は文化的利益を求めます。
 創作者は契約によって、外的形式の利用を「著作物利用者(販売者等)」に許諾します。
 著作物利用者は経済的利益を求めるため、顧客の獲得においては創作者の味方ですが、利潤の分配については敵対します。
 「消費者」は、契約によって著作物利用者から外的形式を購入します。
 消費者はできるだけ安く手に入れることを望み、経済的利益を求めます。
 消費者と鑑賞者を分けているのは、プレゼントのために購入する場合など、異なる人が役割を担う場合があるためです。
 
 ざっくりまとめると、創作者と鑑賞者は内的形式と、そこから生じる文化的利益を重視します。
 著作物利用者と消費者は外的形式と、そこから生じる経済的利益を重視します。

  

 著作財産権は外的形式の交付に関して規定し、経済的利益を保護するのに対し、
 著作者人格権は内的形式を保護し、文化的利益を保護します。
 著作者人格権は譲渡できず、著作物の権利を著作者に帰属させることで、所有権のような機能を実現します。
 著作者人格権は倫理上の義務を課すに過ぎず、任務を逸脱する利用者に歯止めをかけることに役立ちます。



 さて、もし著作者人格権が機能しないとどうなるのかについて見ていきます。
 1.非倫理的利用により、文化的利益よりも経済的利益を重視する著作物利用者が創作の主導を握る懸念。
 著作物利用者は単純に利潤を追及するとき、どんな著作物を求めるか。
 都合のよい時に手に入れられる、儲けるための商品だと書かれています。
 規格に合った製品、消費用暇つぶし製品です。それは非創作的で構いません。
 これらによって生まれる消費主義的態度は、創作者のアイデンティティーと感情による著作物から生じる文化現象とは全く異なります。
 自由な自己表現を中心とした文化とは対照的に、他人の興味を引いたり、誘導することを目的とする、操作された文化が形成されることになります。

 2.著作権の譲渡によって著作者は権利の帰属を失います。

 創作者は、自分で顧客を集める能力がない場合、経済的利益を得るには著作物利用者と契約して権利の譲渡をするしかありません。
 権利の譲渡によってその著作物に関する一切の権利を失うような事態になれば、独占による悪影響、すなわち他人によって生み出された付加価値の搾取が起こりえます。

生成AIがもたらすものとは

 生成AIによって、一定のクオリティの著作物が、まさに都合のよい時に手に入れられます。
 利潤を分配する必要もなく、著作物利用者とって都合がよいでしょう。
 ただし、生成AIは思考しないので、創作性には期待できず、デイヴィッド・スロスビーが提案した以下の文化的価値を得るのは難しいと思います。

 1.文化的財の美学的な質によって捉えられる「美学的価値」
 2. 特定の集団や宗教に限定されたものか,人類一般に共通したものかを問わず,理解,啓蒙,洞察等を含む「精神的価値」
 3. 文化的財が他者との連帯感をもたらすことによって生まれる「社会的価値」
 4. 現在と過去の歴史との繫がりを映し出すことで生まれる「歴史的価値」
 5. 作品を解釈することによって引き出される意味の貯蔵庫であることによって認められる「象徴的価値」
 6. 文化的財が本物であること自体によって認められる「本物であることの価値」

文化経済学における価値概念の役割
享受能力と価値形成過程

 もしそうした価値が感じとれたとしたら、それはAIの計らいであったり示唆に富むような背景があるわけではなく、AIが見聞きしてきた他人の表現の傾向でしかありません。
 自由な自己表現文化の産物が、消費のためのコンテンツの生産と操作された文化の形成のために利用されるという構図が浮かび上がります。
 元々その業界にいる著作物利用者にとっては、競合製品及び競合供給者が増えるので、被害者となりうるでしょう。
 


 AI利用者は、AI生成物に対して選択及びコントロールしている部分が少ないです。すなわち、創作過程の意図を本人が説明不可能です。
 そういう意味でAI生成物にはAI利用者の人格が反映されず、通常著作権が付与されない点からも非創作的であり、人格の痕跡たる著作物の創作には向きません。
 創作者の内的形式を分かち合う文化的利益を生まない可能性が高いです。
 そしてAI生成物がもつ価値は、(人格の反映や創作的寄与といった付加価値が乏しいのだから、)「他人の生んだ付加価値の搾取」の結果に他ならないのではないかと思います。
 これは、封建的独占状態を示唆しています。


 なぜこのように、著作者人格権が機能しない場合のような状況になっているのか。
 それはAIによって、「権利の帰属を排除しつつ、他人によって作られた付加価値を得ること」が可能になったからでしょう。

 
 

おわりに

 絵柄やアイデアが似ている程度では著作権侵害とならない、というのは表現の自由等他の権利との調整のためだと思います。
 しかしAI生成物はAI利用者の人格との関係性が希薄であり、そもそも表現の自由で保障されるべきなのか疑問です。
 表現の自由の保障根拠とされる自己実現および自己統治は人格に関するものであり、
 思想の自由市場という考え方においても、負の影響が強いと感じます。
 (以前の記事に詳しく書いてます)

 その上生成AIは、所有権や人格権といった「他者と分かち合わない権利」に対して、その逆を要請します。
 

 総じて、生成AIがもたらす消費主義には次のような懸念が考えられます。

1.人間による創作と異なり人格の反映がされないことによる、文化的利益の不在

2.他者によって作られた付加価値を搾取する封建的独占状態

3.経済的利益等の私的な利益を優先する傾向にあり、以下のようなものにそぐわない可能性

  ・文化的利益と、それによって生まれる操作されていない文化
  ・他者の成果に対して、利用に比例した報酬を与える経済的自由主義
  ・その人固有のものに関する人権の尊重
  ・出典などが明示されている健全な情報空間

4.消費現象を秩序付ける役割を担う「権利の帰属者」の不在による、無秩序



ついでに、これらの懸念を二次創作と比較してみると、
1に関しては文化的利益を生み、
2に関しては二次的著作物には元の権利者の権利が及ぶため、二次創作者による独占は起こらず
【追記:BL同人誌事件の裁判から、キャラクターを借用する場合でも元の著作物との類似性が認められない場合は二次的著作物にはならないようですが、キャラクターの設定に関する複製権の侵害には該当するようです。(参考:作品を無断転載された同人作家は何ができるか:BL同人誌事件(知財高裁令和2年10月6日)評釈|知的財産・IT・人工知能・ベンチャービジネスの法律相談なら【STORIA法律事務所】)】、
3に関しては営利目的の二次創作を禁止している権利者が多く、
4に関しては元の権利者が秩序付けの主導を握ります。

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