古龍が去った後日談   作:貝細工

11 / 18
足を引き摺る

その日、龍は翼を畳んで上から岩に触れた。

硬質の爪先が、柔らかく沈んだ。

削れた表皮に風が染みる。眼は蒼玉、顔は鋼。

もう痛みも感じなくなっていたが、向かい傷を重ねながら旅を続けていた。

古龍種はあらゆる面で他の生物とは一線を画する存在だ。図体の大きな竜達も古龍の接近を知ると途端に縄張りを明け渡す。

人が生まれるずっと前から生きていて、人が死んだずっと後も生きている。

その一生を眺めて真価を問う。

目に宿す覚悟に問う。小さき者達に問う。

 

何の為に、生きるのか。

 

震える小さな手が、冷たい金属の背中に伸びる。

届かない程遠く冷たい。

怯える民を尻目に、鋼の翼が空を覆う。

天廻。悲しみを背負う命よ。

その叫びは苦しみを訴える悲鳴なのか。

翼から滴る黒色の雫が土を覆うが、風に阻まれて鋼の龍には届かない。

背にした者に借りはないが、この空を譲ることが出来なくなった。

 

純白の魔王が泣き叫ぶ。

血を這う無数の魔物達が村へと接近している。

無数の死骸の上に君臨する災厄の神。

合切と敵対する絶滅現象。

罪深い運命を背負わされた無垢の生物。

広大な空の中心で窮屈そうに泣き叫ぶ。

 

風の鎧の中では敵も味方も見定まらない。

掻き消す力が光も影も全て阻んでいる。

しかし、その時確かに聞いた。

人語を知らない龍が、言葉を聞いた。

 

「勝てるの?」

 

幼子が強風に凍えながら心配そうに尋ねる。

深緑に伏す邪毒。溟きを泳ぐ旧い主。

かつての宿敵達を彷彿とさせる純白の力が鋼龍を威圧する。しかし嵐纏う神は退かない。

鋼の牙を剥き出しにして、禍々しく翼を広げる強大な生物を睨みつけた。

腕の周りに龍属性エネルギーが迸る。

黒い風圧が鱗粉を巻き上げて、竜巻に妖艶な闇が足される。嵐の中で青い目が輝く。

漆黒の鎧を純白の弾丸が貫き、心臓部の鋼が真紅のエネルギーで迎え撃つ。

 

「もういいだろ!」

 

上体を起こしてから掌を見つめて十秒間。

夢の終わりを確かめた。

青空の幼生が東雲に黄ばんでいる。

カーテンの隙間からキラキラと強い光が見え隠れしたから、眉間に皺を寄せながら目を細めた。

ベッドに座って、右手で目を軽く抑える。

柔らかい眠気を押し殺して、コップに溜まった綺麗な水を飲んだ。

 

戦いは終わった筈だった。

塔の戦いを終えて一区切りつけられたなら、どれだけ良かっただろう。

覇竜と崩竜は休眠期に入り、後は各地で活発化していた大型古龍達が少し残るだけだ。

それなのに、どうしてだろうか。

帰る場所がないような、心休まらない閉塞感が毎朝のように首を絞める。

炎王龍が去った後に見つかった大量の焼死体。

霞龍の怒りを買った少数民族の変死体。

ショッキングな物はずっと見てきたが、終わりだけが見えないことへの不安なのか。

 

物語に始まりと終わりという尺度が見つけられなくなった時こそが一番恐ろしい。

長年ギルドナイトとしての仕事に就いて気づいたが、本当は始まりと終わりなど存在しない。

世界の始まりなど分からない。世界が終わることはきっとない。

古龍達が休眠期に入れば、死傷者の数は少しは減るかもしれない。

しかし、天敵を失った生物の大量発生や気候の変化による大型モンスターの移動など、対処しなければいけないことはなくならない。

何も無い所から世界が始まったとするなら、世界に何も無くなってもきっとまたいつか長い時が経てば誰かが生きる世界は生まれる。

存在があるから苦しみがあるとするなら、存在に終わりのみえないこの世界の苦しみはいつまで経っても消えることはない。

あるのはただ、底のない絶望だけだ。

 

危険についての知識があると危険に正確に対処出来るようになる。

だが、知らなければ良いこともある。

豊かな知識は世界をより鮮明に映し出すが、同時に知らない方が良いものまで嫌でも知らしめてくる。知ることが苦しさに繋がる世界なら、いっそのこと消えてしまえばいいと思うほどに、終わりと始まりがないという絶望は重くのしかしかる。

古龍は人間の脳では処理しきれない不可解なエネルギー塊だという見解がある。

その一方で、そんな生物が存在することを認めたくない人々がいる。

彼らは古龍という不可解がこの世界に含まれることで、世界そのものが不可解になっていくことに耐えられないのだ。

しかし私に言わせれば、古龍達のような理不尽な生き物が理解できるということこそが恐ろしいことだろうと思う。

世界を知ることで古龍の正体に辿り着くことが出来るのだとしたら、古龍達の理不尽は否定できないものになってしまう。

更には、否定できない理不尽を持った世界を知ることになってしまう。

一体どれだけの人が危険に満ちた世界を頭で理解して認めることができるのだろうか。

これは古龍災害に遭わなければ理解出来ない感覚なのだろうか。それとも、ただの現実逃避と言われてしまうだろうか。

 

もし古龍がこの世界に組み込まれた存在だとしたら、古龍を倒すことで理想郷が実現するほど甘い話ではないだろう。

あれだけ強大な影響力を持つ存在が自然の中で役割を持っているなら、古龍達を倒し続けることで古龍災害以上の大災害を呼ぶことになってしまうのではないか。

もしそうだとしたら、古龍災害はどのように防げば良いというのか。

それとも、古龍災害によって殺されていく無垢な命を生贄にしろというのか。

 

恐暴竜が砂漠で角竜を一蹴した時に味わった恐怖を未だに克服出来ないでいる。

だからこそ、時に恐暴竜すら抑え込む力となる古龍達を倒して平和が訪れるという希望を信じることが出来ない。

恐暴竜だけではない。

ベルキュロスを破り、雷獣として君臨する牙獣の王ラージャン。

ウカムルバスを相手に大爆撃を浴びせた気高き非道バゼルギウス。

そして鋼龍に勝利したという逸話を残して姿を消した禁忌の邪毒エスピナス。

古龍種が居なくなった後に一体誰が食い止められるのか。

私には分からない。

倒した筈のモンスター達が自分を蝕んでいる。

 

〜街

 

宿を出てすぐ話しかけてきたのは、見知らぬ若いハンターだった。

狗竜の装備を身につけた彼は、悔しそうに頭を下げて言った。

 

「俺たちハンターがもっと強かったら防げたのに...」

 

仕事に責任を持つ情熱的なハンターが嫌いだった。彼らが恨みに駆られてモンスターを狩り続けると、その始末はギルドナイトに任せられる。

ギルドナイトは時に仕事仲間のハンターを手にかける汚れ仕事を請け負う。

職業柄モンスターによる被害が伝わり、ハンターの憎しみが分かるからこそ、乗り越えられない葛藤を持って密猟者を暗殺することになる。

もう慣れたことだ。

 

「それ以上言うな」

 

静かな熱を目の奥に閉じ込めて、初々しく悔いるハンターを宥めた。

彼が手に持っていたのは、ピュアクリスタルがあしらわれた女物のアクセサリーだった。

 

「でも俺は...俺は...」

 

面識はないが、聞いたことがある。

ペアで活動しているうら若き恋仲のハンターが居るという噂を。

心底悔しそうな顔を見てから、それ以上を尋ねなかった。

 

 

 

  好きと伝える前に終わってしまった。

 

無色透明の、不確かな糸で結ばれた関係だった。

同じギルドに所属する同期のハンターだった彼女は優秀で、自分より常に一歩先をいく新進気鋭のハンターだった。

混じり気のない尊敬を込めて狩猟についていく度に、繊細な狩猟の技術に驚かされた。

僕らは狩猟に失敗しないことで有名なハンターだった。それは彼女が常に先陣を切ってモンスターと戦い、時にサポートに徹して万が一が起きないように全力を尽くしてくれていたからだ。

 

そんな彼女と話すようになったのは、とある古龍種がきっかけだった。

天廻龍シャガルマガラ。

幼い頃に僕の村を襲った純白の古龍種だ。

生涯をかけて渡りを行う古龍で、故郷に向かうまでのルートには僕の故郷があった。

そして、その後に彼女の故郷も。

 

天廻龍のウィルスで狂竜化したモンスターに村を襲われて、ギルドに助けを求める時間もないまますぐに村は壊滅した。

もう随分昔のことだからほとんど覚えていないが、その時に暴風雨が突然発生したことを覚えている。

 

モンスター達に家を壊されて寝床を探すうちに雨に濡れて風に体温が奪われた。

六本の脚を拡げた天廻龍が禍々しいウィルスを放って、村は黒い霧に包まれていた。

遠方から意志を持ったように突き進んでくる巨大な竜巻が霧を巻き上げて、天廻龍が竜巻に突進して、轟音が鳴り響いた。

竜巻の中に青く輝く何かが見えて、守ってくれるような気がした。

怯えながら目を閉じて、ふと気がつくと空は晴天に変わり、天廻龍は姿を消して、建造物も竜巻もなくなっていた。

全てを失った村の中心には、いくつかの綺麗な金属が落ちていた。

神の加護だと喜んで金属を売って、その金で生活を繋いだ。

生活は貧しかった。村に金属が残されていなければ生きていくことは出来なかった。

 

後で話を聞くと、彼女も同じ境遇だったらしい。

苦しみを分かち合うことが出来たから、冷徹と謗られた彼女も僕の前では笑顔を見せてくれた。

彼らは何もわかっていない。

誰かを思いやる心が無いから笑わないのだと、人を外見だけで判断する人間は多い。

古龍の襲来で財産を失って、他の子供と同じように生きていくことができなかった彼女の生い立ちを知って同じことが言えるものか。

家族や村の人の生活を豊かにするために危険を承知でハンターになって、恐怖に耐えながら危険なモンスターと日々戦っていたのだ。

彼らにそんな彼女の何が分かるというのか。

 

天廻龍には興味が無いと笑って誤魔化していた表情にはいつも臆病が憑いていた。

昨日の事のように思い出してみると、笑って誤魔化していたのは僕の方だったかもしれない。

僕が眉尻を下げて口先を動かすといつも君の方から席を立ったから、お互い様だったかもしれない。

 

どこにも行かないで欲しいだけだったけれど、引き止めることで輝きを奪ってしまうと思った。

 

だから止めなかった。

 

 

〜砂漠の大穴

 

鏖魔と滅星龍の戦いによって、砂漠は陥落した。

地下洞窟の生態系に砂漠地帯の生物が流入して入り混じり、厳しい生存競争が行われている。

天彗龍を待っていた筈の鏖魔の姿は何処にも見る事が出来ないが、代わりに姿を消していた角竜の数が少しずつ増えている。

日光を嫌い、砂漠に生息する骸蜘蛛ネルスキュラ亜種の個体が増えることを予測したギルドは厳重な警戒体制を敷いた。

しかし、ボルボロスやテツカブラなどの昆虫食のモンスターの活躍や普段は生息域が被らないモンスター達の地下進出によって、骸蜘蛛の大量発生は起こらなかった。

 

砂漠の古龍というと炎王龍テオ・テスカトルや天彗龍バルファルク、鋼龍クシャルダオラを思い浮かべることだろう。

だがどの古龍も砂漠に巣を作る事は珍しい。

砂漠に根を張って棲むのは古龍目峯龍亜目に分類される二種類の超大型モンスターのみで、ギルドから大砂漠と呼ばれる巨大な砂漠地帯以外に古龍種が住み着くことは少ない。

新大陸では地中の環境を好む古龍種も数例確認されているが、気に入った土地に定住する性格でこの近隣に出現の兆候は無い。

地形の特色によって古龍災害から身を守ることに適した砂漠の大穴は、現在ギルドによって居住地としての利用を検討されている。

 

「なんだ!?」

 

「外部から大型モンスターの飛来を確認。

飛竜種です!」

 

そこに墜ちるように潜り込む緑の影。

風変わりな侵入者が風を変える。

新たな安息の地を求め、森を捨てて飛来したのは棘竜エスピナスだ。

恐暴竜との戦闘で角が折れ、甲殻に無数の噛み跡が残っている。

普段はその堅固な甲殻で捕食者達を寄せ付けない棘竜だが、一度攻撃に転じればどんな相手も撃沈させてきた。

しかし筋肉膨張状態のイビルジョーが発揮するパワーはまさに悪魔そのものだった。

自慢の角をへし折られながら命からがら逃げ果せたが、あれほどの怪物が出没する森に帰ることは出来ない。

 

鋼龍から奪い取った縄張りを捨てたが、それでもかつて砂漠だった場所に古龍の気配を感じない大穴を見つけた。

切り立った岩壁に囲まれた部屋のような空間は、大型竜に見つかりにくい。

 

上官の男が小さな声で言った。

 

「棘竜エスピナス...絶対に...絶対にあれを刺激するな。死ぬぞ」

 

楽園は部外者に視線を突き刺す。

あらゆる方角から敵意が向けられているが、棘竜は全く気にしていない。

水面から水が跳ねて、濡れた鬼蛙が食らいつく。

しかし、硬い岩を掘削する大顎でも棘竜の甲殻を噛み砕くことができない。

鬼蛙に噛みつかれたまま伸し歩く棘竜。

鬼蛙の怪力をものともしない鉄壁の守りである。

 

「ヘビィボウガンの弾が弾かれるわけだ」

 

ただそこにあるのは果てしない程の差。

それは古龍種との過酷な生存競争の中を生き抜いてきた棘竜と、地底の洞窟で小型の鳥竜種を屠ってきた鬼蛙のスケールの差だった。

震撼した鬼蛙が走って逃げていくが追わず、棘竜は地べたを物色した。

運の良いことに、ここには甲虫種やガスガエルが多く生息している。

食糧には困らないだろう。

 

暗闇の死角から紅の眼球が強く輝いて、長槍のような捻れた角を左右に振りながら怪物が近寄る。

主は、黒い煙のような吐息を荒げた。

真昼でも仄暗い洞窟の環境は、砂漠の生態系において別格の強さを誇る砂漠の暴君を復権させていた。

 

邪毒への凶報。

 

砂上も砂中も、死神が領だ。

 

陽の射す夜を創る女王。婚姻色の死神。

 

大地の下の地下空間で、重装甲が激突する。

砂漠の頂点、黒角竜ディアブロス亜種の君臨である。甲高い掠れた鳴き声に大気が震える。

 

黒角竜ディアブロス亜種。

妊娠して腹部に卵を抱えているため、警戒心が強くなった雌の角竜。

漆黒の甲殻は婚姻色だが、警戒色でもある。

正確には亜種と異なるが、通常種とはあまりにもかけ離れた戦闘能力と凶暴性から亜種と呼ばれている。幾度となく強敵との戦闘を経験した黒角竜の実力は古龍種にも匹敵するとされ、凄腕の狩人も戦いを避けるほど。

角竜の突進はアンジャナフすら戦意を喪失するほどの破壊力を持つが、黒角竜の力はそれを上回り、その猛攻には圧倒的な戦闘力を誇るあの恐暴竜さえも怯み、逃げ去ることがある。

 

鏖魔と滅星竜の激闘によって、鏖魔が主食としていたサボテンが全滅してしまった影響で、鏖魔と食性が似た通常種の個体数は減少してしまった。しかし、通常種とはサボテンの好みが異なる亜種は勢いをつけて縄張りを拡大。

この大穴を支配する女王として君臨している。

 

棘竜エスピナス。得意技は突進。

激毒、麻痺、火炎。相手に恐怖を抱かせるブレスの裏に隠したもう一つのメインウェポン。加速を必要としない突進は棘竜の攻撃力を象徴する攻撃として恐れられている。

 

黒角竜の前方には死のレールが敷かれる。

溢れ返る殺気を浴びて、棘竜は目の前にいる大型竜が対決に値する存在だと察知した。

太く捻れた角には国境を仕切る防壁すら一撃で粉砕したという逸話がある。

 

鏖魔によって砂漠と洞窟が繋げられた時、洞窟の生態系を悉く捩じ伏せて頂点に君臨した種こそがこの角竜種である。

水属性を苦手とする種族だが、水竜ガノトトスとの縄張り争いでは常勝無敗。

フルフルやネルスキュラなどの大型モンスターを僅か数日で蹴散らしてこの地の頂点に立った。

角を低く擡げ、筋肉質な後脚で砂をかいて唸る。

身の危険を感じた棘竜が、僅かに速く動いた。

 

死神対邪神。地獄を賭けた戦い。

 

突進同士の衝突。

 

上官が強引に部下の口を塞いだ。

 

「奴らは音に反応して攻撃する。悲鳴を上げれば、死ぬぞ」

 

頭部から真っ直ぐ角を生やしている黒角竜は棘竜より低く角を潜り込ませ、力の差を見せるかの如く放り投げた。

角が折れていなければ、棘竜の角の先端が黒角竜の頭骨を貫いて毒を流し込んだかもしれない。

だがしかし、同じ特徴を持つ同種との縄張り争いに慣れた黒角竜が正面衝突を制した。

側頭部から首周りを覆うフリルは突進へのカウンターとして首を狙う不意打ちを許さない。

体格で勝る黒角竜は膂力も一級品だ。

強靭な体で衝突の衝撃に耐え切り、一息に棘竜を持ち上げて投げた。

 

地面に投げ落とされた棘竜は回転して衝撃を流しながら立ち上がり、首をスイングして折れた角を首に突き立てようとした。

すると、首を引くことで反動をつけて串刺しにしようとした黒角竜と頭突きが交錯。

二頭は牡鹿のように角を突き合わせ、土煙を上げながら左右に振って相手を揺らす。

ガチガチと二頭の甲殻が軋む音が鳴る。

二頭の足取りに合わせて地面が揺れている。

ここでも同種との縄張り争いに慣れた黒角竜が力づくで押し込み、棘竜を追い込む。

独特の形状に捻れた大きな二本の角は棘竜の頭を挟み込み、黒角竜が左右に体重を乗せる度に棘竜の首に強い負荷がかかる。

突進から角を入れて投げ飛ばす力に長けた二頭の戦いでは、より頭を低く入れた方が有利だ。

棘竜は鼻先から直角に伸びた角のフックを利用して黒角竜の顎の下に滑り込ませようとするが、捻れた角が邪魔で懐に入ることが出来ない。

黒角竜は左右に角を振って棘竜のバランスを崩し、前に出ながら掬い上げるように頭を動かす。

 

完全にペースを握った黒角竜は、よろけた棘竜に対して敢然と突っ込み、壁際に追い込んで串刺しに追い込もうした。

しかし棘竜は掬い上げられたと同時に翼を使って空中に飛びあがり、両脚で黒角竜の頭を踏みつけて逆に捩じ伏せた。

そして素早く黒角竜から降りて、側面に回り、首を守るフリルの後方から弱点の首に噛みついて押し倒した。

棘竜の噛みつきはあまり知られていないが、小技として相手のバランスを崩す為に繰り出す。

甲虫種を噛み砕いて食する棘竜の顎の力はかなりのもので、相手を掴むためには十分な力がある。

ノーモーションと恐れられる突進の加速力と組み合わさることで、出の早い組み付きとなる。

しかし黒角竜は倒れ込みながら巻き込むように角を潜り込ませて逆に投げ倒し、戦斧のように発達した尾のコブで棘竜を殴りつけた。

 

鋼鉄のハンマーを凌ぐとされる大質量の尾は、文字通り鋼鉄を叩き潰す威力を持つ。

振り下ろす力は大地を叩き割り、骨を粉砕する。

絶大なインパクトの突進に気を取られた相手に予想外のダメージを負わせることが出来る驚異の秘密兵器である。

棘竜の傷だらけの甲殻に、重く響く打撃が突き刺さる。牙や刃を通さない堅固な甲殻だが、硬いからこそ打撃の衝撃を分散させることが出来ない。

眩暈を起こして動きが止まれば、一撃必殺の刺撃へと繋がる。堅固な甲殻の上から砂を纏い、砂漠の風景に溶け込みながら熾烈な攻撃を繰り出す。

鋭利な角が心の臓を刺し貫いた時、砂漠の死神は仕事を終える。

首を傾げて頭部への衝撃を受け流しても、鋭い刃物のような形状の尾甲はシャープな傷を刻む。

 

棘竜の顔に血管の紋様が浮かび上がった。

しかしそれは、決して起こしてはいけない邪神の目覚めの合図。

 

その時、黒角竜は本能で感じ取った。

 

この地に危険が差し迫っている。

燻る毒気を纏いながら、たった今、目の前に顕現した禍々しい怪物がその危険なのだと。

殺気が殺気を押し返している。

その先に待つのは団円が待つような御伽噺ではない。鎧袖一触。その目に入ったものは全身が麻痺し、毒に蝕まれながら焼き殺される。

 

仕切り直しだ。

 

黒角竜の突進が十分に加速する前に棘竜の突進が炸裂。攻撃を見切れずダウンする黒角竜。

起き上がりの隙を狙ってブレスが放たれると、黒角竜は麻痺毒によって体の自由を奪われた。

桜火竜の火炎を受けても微動だにしない黒角竜だが、毒の影響からは逃れられない。

突進から、勢いよく角を振り上げるタックルで今度は黒角竜が撥ね上げられた。

追撃を加えようとした棘竜が違和感を感じてバックステップで距離を作ると、黒角竜は飛び込みながら角を振り下ろして地面を深く突き刺した。

血流の増加により甲殻が軟化した棘竜が今の攻撃を受ければ一溜まりもない。

 

紙一重で攻撃を避けた棘竜は突進しながら黒角竜のフリルに噛みつき、首を捻りながら転倒させ、その場でジャンプしてスタンプ攻撃を繰り出す。

超重量の黒角竜の上から棘竜が乗り掛かり、地べたに亀裂が入る。黒角竜はしめたとばかりに亀裂に角を刺すと、地面を掘削して地中に没した。

 

大地を穿つ大角が突き上がり、棘竜の甲殻に突き刺さった。

ほんの少しの時間で地中を移動して棘竜の足元に潜り込み、地中から飛び出る勢いを利用して腹部に角を突き立てたのだ。

地中から突き上げられた棘竜は真下の黒角竜に連続でブレスを吐き出して対抗。

麻痺した黒角竜を蹴って離れると、力任せに突進して突き飛ばした。

これまでに赤い紋様を浮かび上がらせた棘竜と戦いを成立させたモンスターは数少ない。

頭角が折れて突進の殺傷能力が下がっているとはいえ、大抵のモンスターは抵抗すら出来ずに沈められている。

棘竜は怒りによる血管の拡張によって甲殻を軟化させ、守りを捨てて運動能力を向上させている。

重装甲と状態異常で外敵の撃退に特化した通常状態に対して、外敵の殲滅に特化した形態変化だ。

 

怒れる棘竜との攻防を実現するタフネスの正体は、毒霧を阻む分厚い甲殻だ。

通常種より強固な甲殻には見た目以上の重量があり、鋼龍すら投げ飛ばす棘竜と組み合っても簡単には持ち上げられない。

 

攻防は時間の経過と共に苛烈さを増している。

一撃の被弾が致命傷となる惨劇の打ち合いだ。

二種の毒を撃ち出す火球。

残留した毒素で植物は死に絶え、たった一発の流れ弾が環境に深刻なダメージを与える。

二本の角を突き出す突進。

土を掻き分けて泳ぐように地中を掘り進み、地形を切り崩し、死神の刺撃が邪の竜を襲う。

邪神は凶々しい紋様の浮かぶ翼を広げ、二本の角を空中に回避しながら火球で頭部を狙う。

掠めた角に血がかかる。

 

首を引いて斜め後方を向きながら体を回転させ、血濡れの処刑者はギロチンの如き尾甲を振り下ろす。黒角竜が首を引いたことで頭部を狙った火球が外れて地表に毒煙を残し、重たい尾甲が地を叩き割って岩石と土煙が飛散する。

爆発音に近い音が鳴り響き、僅かな間を置いてから土煙の中から殺意に満ちた刺撃が飛び込む。

棘竜は突進を回避して後隙を狙ったが、黒角竜は地中から飛び出した勢いで角を岩壁に突き刺して壁を掘り進み、再び地中に沈んだ。

黒角竜の地中潜行能力が棘竜の飛行能力を上回っている。地中を掘り進んで高い位置を移動できる大穴の地形は角竜種の戦い方と相性抜群だ。

死神の鎌が棘竜のすぐそこまで迫っている。

神をも脅かす蛇蝎の殺し合いに、異様な緊迫感が漂う。

 

「いいか、呼吸を止めるんだ。ガスを吸ったら死ぬ。音に気づかれたら殺される」

 

棘竜は空中に止まったままそこかしこに火球を放ち、高音の火球で黒角竜を焼き殺そうとした。

降る火の球が落ちる度に致死量の猛毒が漂い、その濃度を増している。

地響きと静けさが交互に訪れ、緊迫感は次第に強くなっている。

 

侵攻か。返り討ちか。

 

「――行ったようだな」

 

毒気を感知した黒角竜が攻撃をやめて立ち去ったようだ。暗い紫の煙と火の粉が漂う。

死の灰に邪神の姿が紛れていく。

青舌が牙に付着した血を舐め取り、支配的な殺意が敵意を平らげる。

死神が領が、邪毒に塗り潰される。劇毒の瀑布が幕引きを知らしめる。

 

「逃げないと、奴は危険すぎる」

 

逃げようと踏み出した部下の足音が洞窟内に響き渡り、邪神が大きく裂けた口をニタリと開いた。

ゾッとした。怪物は声をあげて嘲笑っていた。

そんな呼気だった。

 

「馬鹿野郎!走るな!」

 

一呼吸で思い出した。

意識の糸がプツリと切れた。

 

「駄目だ、あいつは毒を吸った」

 

「だからって放っておけない」

 

耳を塞ぎたくなる仰々しい鳴き声。

赤い紋様が浮かび上がった怠惰の化け物が素早く駆け、目線があった時。

それが死の到来と知った。

 

「鋼龍が人里離れた土地に閉じ込めていた怪物を、馬鹿な人類が解き放ってしまったんだ!」

 

「撤退も許されないなんて、死神より恐ろしいじゃないか。血も涙もない化け物だ」

 

殺戮を楽しむかのように火を吐き、踏み潰す。

邪悪な者は、退屈しのぎに遊んでいた。

武器を圧し折る絶望的な力が、明確な悪意を持って近づいてくる。

 

「祈れ、追いつかれる。全滅だ」




一部、設定と登場モンスター紹介

・クシャルダオラ
最も人と関わりの多い古龍種。別名鋼龍。
鋼鉄のような金属質の外殻を持ち、骨と一体化している。超低温の頭角から微弱な電磁波を発生させることで意のままに風を操る能力を持つ暴風の化身。風をブレスとして放つだけではなく巨大な竜巻を発生させて相手を視界を奪うなど、その戦いからは知能の高さを感じさせる。
重量級のモンスターだが、高い運動能力と風を操る能力を持つため身のこなしは俊敏で高度な飛行能力を持っている。
矢弾を吹き飛ばす風の鎧と爪牙を弾く鋼の鎧によって、絶対的な防御を誇る。

・シャガルマガラ
かつてシナト村付近で発見された危険度の高い古龍種。別名天廻龍。
鱗粉である狂竜ウィルスを操る能力を持つ疫病の化身。狂竜ウィルスをエネルギー攻撃のように扱う能力に長けており、爆発からエネルギー球、ビームに至るまでその攻撃方法は多岐に渡る。千刃竜と氷牙竜を同時に圧倒する程の実力を持ち、空中機動力は飛竜すら凌駕する。
更に逞しい翼脚は想像を絶する程の腕力を持つ。
山の生物を全滅させたという衝撃的な報告を持つ特級の危険生物である。

・狂竜ウィルス
モンスターを凶暴化させる力を持つマガラ種の生殖細胞。感染すると人体にも悪影響が及ぶ。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。