渓谷には爆鱗竜が住み着き、焼け野原となった山々を見渡していた。
蛇王龍が遺した大量の古龍エネルギーに引き寄せられたのだという。
超災害級古龍が死没した土地には生き物が集まるといわれている。古龍エネルギーが強ければ強いほど生存競争は激化する。
新大陸の龍結晶の地にはリオレウス亜種やウラガンキンといった強大な大型モンスターの生息が確認されている。鋼龍や炎王龍、更には滅尽龍まで龍結晶の地を縄張りに選んだという。
鏖魔ディアブロスの縄張り争いによって巨大な地下空洞が生まれたかつての砂漠には、早くも新たな環境が生まれようとしていた。
鏖魔が主食とするサボテンまで死に絶えて鏖魔が移動したことで王位が空席となった。
そして洞窟に棲息するモンスターと砂漠に棲息するモンスターの環境がかち合い、独自の生態系が作られた。
砂漠地帯の日陰を好むネルスキュラ亜種は勿論、別個体のディアブロスやショウグンギザミの生息が確認されている。
鏖魔ディアブロスと交戦した滅星竜エストレリアン希少種の正体はギルドが研究中だ。
研究の結果、フォンロンの古塔が関与していると考えられているがどれも危険なモンスターの巣窟となっているため調査が進んでいない。
塔の周りに広がる樹海では、大轟竜や棘竜など危険なモンスターの目撃報告が絶えないのだ。
塔を建造した古代文明の人々は、子孫たちをこの施設に近づけたくなかったのだといわれている。
現代の人々以上に古龍の生態に近づき、現代の技術では作ることの出来ない兵器を製造していた彼らは我々に何を隠そうとしていたのか。
フォンロンの古塔は、古代文明が我々に遺した最大の謎である。
〜ギルド 極秘研究室
見上げる程の高さに積み上げた書籍と紙のメモ。
滅星竜、黒龍と書かれたサンプルのケース。
物騒な物ばかりが保管されている。
中には塔から回収された貴重な資料もあるようだ。石板の隣に置かれた紙のメモにはディオレックスと書かれている。
引力と斥力の研究が行われていたようだ。
「異世界だなんて突飛です。
どれだけ調査しても樹海では雷轟竜は見つかりませんでした。磁斬槌だって製法通りに組み立てても再現出来ません。
古代竜人達も磁斬槌のような武器は見た事が無いと言っています。
私達のこれまでの研究はそんなでたらめな物のためにあったというんですか?」
研究員の一人が声をあげた。
「私たちは理想のために研究しているのではありません。研究成果を発見するために研究しているのです。だから史実を違える並行世界が存在していると考えなければいけません」
「古龍観測隊の未発表の研究には滅尽龍の古龍に対する捕食行動がまとめられていました。
黒龍の鱗に含まれる精神作用物質はポッケ村の大剣から採取されたサンプルと同じです」
もう一人の研究員はメモに筆を走らせながら、切迫した口調で話した。
寒冷群島のゾラ・マグダラオスと題された本が床に置かれている。
「約一千年の間休眠していて死体も見つかっていない生物なんて考えられません。
最後に煌黒龍の存在が証拠です。
残る可能性は黒龍が―」
「私は認めません。
そんな世界を認めるくらいなら、煌黒龍の存在を認めない道を選びます」
その日、ギルドで不審火が上がった。
フォンロンの謎に迫った科学者は過去にも存在した。しかし、誰もが研究結果を公開しなかった。
寄せては返す波のようなモンスター達の動きの裏には常に古龍の存在がある。
フォンロンの謎を解き明かすために、ギルドが目をつけたのは棘竜だった。
鋼龍との戦いに勝利するほどの力を持つ棘竜が居る限り、満足に塔を調べることは出来ない。
そこでギルドは棘竜の対策を確立するために、棘竜とモンスターの戦いを記録することを発表。
古代文明の秘密を暴くために、最悪の決断を下した。
エストレリアン、バルファルク、そしてネルギガンテ。
導きの青い星と敵対する赤い凶星の存在。
全てのモンスターが超災害級古龍と何かしらの関係性を噂されている。
人は残酷の中に美しさを見るという。
しかし、本当の美しさとは残酷のことだろうか。
龍は竜人と同じ本数の指で人を掴んだ。
やがて人は、赤熱化した胸殻の中に溶け込んだ。
こんなことでは胸が満たされることはないとわかっていた。
運命の戦争は終わらない。
漣が鳴る。
漣が鳴る。
〜多層樹林 深層
棘竜は侵入者を歯牙にも掛けない。
自らの防御力に絶対の自信を持っているからだ。
肉食竜の爪牙を通さない頑丈な甲殻と、一帯の草食竜を全滅させてしまう猛毒の棘。
二つの守りが組み合わさった棘竜は難攻不落。
それを知っている蛮顎竜らは寝ている棘竜を前にしても決して戦いを仕掛けることは無かった。
文字通り圧倒的な戦闘力から、戦闘する必要が無いとまで言われている棘竜。
現地の人々には禁忌の邪毒と呼ばれ、祟り神のような存在として畏れられている。
絞蛇竜ガララアジャラを一撃で葬り去る殺傷能力はその力の氷山の一角にすぎない。
棘竜エスピナス程のモンスターが縄張りに選んだということは当然、この地にも古龍種の生態エネルギーが大量にあるということだ。
そんな棘竜に挑みかかるモンスターが居た。
黒狼鳥イャンガルルガである。
濃紫色の甲殻に覆われた鳥竜種のモンスター。
鳥竜種というと飛竜種や獣竜種と比べると非力な種が多い。しかしこのイャンガルルガはその限りでは無い。
体長は約14メートルと鳥竜種にしては大きいが、大型竜の中では小柄で体格も華奢。
しかし、威圧的な耳と鬣から感じられる強者の風格が指す通り大型飛竜にも引けを取らないほど強力なモンスターだ。
武器は鋭い嘴と棘のついた尾だ。
三つの長い棘が生えた三又の槍のような尾は見るからに危険。この棘から体内に蓄えた猛毒を流し込んで相手を殺害する。
昆虫食のモンスターだが非常に獰猛で、大型肉食竜を前にしても自ら挑みかかるほどの攻撃性の持ち主だ。近縁種といわれるイャンクックの群れに襲いかかり、その場にいたイャンクックを一匹残らず殺してしまったこともあるという。
視界に入る全ての生物を敵と見做して攻撃する闘争心の高さは千刃竜や轟竜を上回る。
何者も寄せ付けない絶対防御を誇る棘竜に自ら戦いを挑もうというのだから、その戦闘意欲は底知れない。
この個体は傷ついたイャンガルルガと呼ばれる個体で、名前の通り体に傷がついている。
傷のある個体は無傷の個体と比べて戦闘経験が豊富であることが多い。そのため傷ついたイャンガルルガは危険なモンスターとして扱われる。
多層樹林は木々の密度が高く、飛行を得意とするモンスターには不利な土地だ。
しかし大型モンスターの中では比較的小柄で脚力の強い黒狼鳥にとっては障害にならない。
むしろ地形が複雑化するほど活用の選択肢が増えるため、黒狼鳥にとっては好都合だ。
そんな多層樹林だが、深層には木々は多くない。
棘竜の持つ毒気にやられて、木々が枯れてしまっているからだ。
体格差は明らか。
逞しく、分厚い甲殻に守られて眠るエスピナス。
対するは守りを捨てた刺々しい風貌で今にも襲い掛かろうとする小柄なイャンガルルガ。
体長以上に体格差を感じさせるのは、エスピナスの態度から溢れる自信と余裕のせいか。
極限の闘争本能が生み出す洗練された強さか。
闘争を必要としない圧倒的な強さか。
両雄が衝突する。
黒狼鳥は遠くから一瞥しただけで距離を測り、手始めに反応の隙も与えないように即座に跳躍して嘴を突き立てた。
地面を大きく抉る嘴の突撃を唐突に繰り出すのだから、黒狼鳥と対峙した相手は何が起きているか分からない内に倒されてしまうことも多い。
黒狼鳥はそのことをよく理解していた。
反撃を受けずに息の根を止めることは、黒狼鳥が長い間生存するために必要な条件だ。
戦闘経験を重ねた強い個体ほど、相手に反撃させずに攻撃する技術に長けている。
よって黒狼鳥の攻撃は全てが決まり手であり、竜の鱗を貫く鋭利な嘴による刺突はその必殺技の一つと言える。
岩石を貫くほどの強烈な突きを食らえば、並大抵のモンスターは即死するだろう。
衝突の瞬間、決して戦闘が起きてはならない地域から生じた騒音に森の生物たちが動揺した。
主たる棘竜への挑戦。それは森全体の生命を脅かす危険な行為だからだ。
小型モンスターと共に、ガランゴルムやドボルベルクでさえ縄張りを捨てて逃げ出した。
今の一撃がこの一帯の環境にどれだけの影響を齎したのかもはや計り知れない。
古龍の襲来と遜色ない異例の事態だ。
しかし、棘竜は無反応だった。
硬い甲殻に嘴が弾かれ、黒狼鳥は大きく反り返って転倒した。
それでも棘竜は追撃すらせず眠っている。
とことん舐められていることに腹を立てた黒狼鳥は大音量の咆哮を放ち、怯ませようとした。
それでも棘竜は無反応だ。
ここで狡猾な黒狼鳥は攻撃の手段を刺突から打撃に切り替えた。
硬い甲殻を持つモンスターには、斬撃や刺突より打撃による攻撃が有効な場合もある。
戦闘経験が豊富な黒狼鳥はモンスターの性質を熟知していた。
多くのモンスターが弱点としている頭部に対してサマーソルトを叩き込んだのだ。
タブーといわれた竜が相手でも容赦は無い。
残酷な破壊力が側頭部を捉えた。
確かな手応えを感じた黒狼鳥は、反撃を予測して先回りするように飛翔。
棘竜の頭上でホバリングして、口腔から火球の雨を降り注がせた。
マシンガンブレス。一部のハンターからそう名付けられている火球の雨は黒狼鳥の持つ中でも最強の技といえる。
外敵を地形ごと消し飛ばす大技だが、反動が大きいため連射力と引き換えに攻撃中は機動力を失ってしまう。
そのため、こうして相手の攻撃を予測して回避を終えた同時に撃ち込むことがほとんどである。
緩慢な動きで起きあがろうとした棘竜に無数の火球が撃ち込まれて、棘竜は遂に怯んだ。
それもその筈。黒狼鳥のマシンガンブレスの威力は一発一発が大型飛竜のブレスに匹敵する。
難攻不落の棘竜と言えども、直撃を受けて無事で居られる筈がない。
突然の出来事に反応が追いつかない棘竜を前に黒狼鳥の猛攻は止まない。
首を振り乱して痛がる棘竜の頭を掴み、今度は顎にサマーソルトを直撃させた。
黒狼鳥の攻撃が棘竜に効き始めている。
スロースターターなど許しはしない無慈悲な猛攻に、流石の棘竜も狼狽えている。
ようやく黒狼鳥を外敵と認めた棘竜は、黒狼鳥を咆哮で威嚇しようとした。
しかし黒狼鳥は咆哮など気にも留めず、口内を狙って口移しするように火球を撃ち込んだ。
反撃の隙も与えないとはまさにこのこと。
不意を突いた黒狼鳥は急降下して棘竜の頭を掴んだと思いきや、勢いよく向きを変えて首をへし折ろうとした。
飛竜種の首の甲殻の可動性を利用した攻撃だ。
棘竜の頭は勢いよく横を向いた。有効だ。
あと少しで首を折られるかというところで棘竜は頭を振って黒狼鳥を引きずり落とそうとした。
すると黒狼鳥は咄嗟に掴んでいた頭を離してサマーソルトで棘竜を転倒させた。
甲殻に阻まれ、毒棘は刺さらない。
それでも棘竜のバランスを崩すことが出来たのは黒狼鳥の身体能力あってこそだ。
そして二度目のマシンガンブレスが棘竜に襲い掛かる。当然、全弾命中。観戦者が居ない中、壮絶な火球の嵐が禁忌の邪毒を覆い隠した。
鋼龍すら退けた棘竜にここまでやってのけた鳥竜種は後にも先にもいないことだろう。
しかし、命の危機を感じた棘竜はそれまでとは比にならない本性を顕す。
バフォメットのような何か。
―障気。黒狼鳥の狂気的な殺意を塗り潰す程邪悪に満ちたオーラが周囲を漂い始める。
数々の死線を潜り抜けた黒狼鳥は、今初めて邪毒の降臨を目の当たりにする。
赤い血流の走る翼を広げたその姿は、新緑に紛れる意思など毛のさきほども感じさせないほどに凄まじい。
遂に幕を打って出た禁忌の邪毒は、恐れ知らずにさえ恐怖を抱かせる。
顕現するのは、邪悪な笑みを浮かべる怠惰の罪。
貌から翼までの血脈が浮かび上がった、歌舞伎のような模様が目を引く。
桁違いの存在感と、それすら軽く上回る絶望感が同時に押し寄せて眼前にいる全てを圧倒した。
邪神の吐息が黒く曇る。
空気が険悪に濁る。
淫祠邪教を彷彿とさせる背徳の権化。
火竜が飛竜の王と呼ばれていたことが信じられないほどの覇気が森羅万象を突き刺す。
黒狼鳥の嘴に増して鋭く、漲る殺意は死神すら凌駕する。一歩近づくことにさえ嫌気がさす。
今この瞬間で最も目立っているのは体格の違いでは無い。
神格と生物の格の違いだ。
待ち焦がれていた最強の敵に歓喜した戦闘狂の姿を見ることができたのも束の間。
邪神の御前に立ったのだ。
戦うことなど、叶う筈が無かろう。
変貌に気を取られているうちに勝負は決した。
突如として真紅の大角が黒狼鳥の胸を刺し貫き、猛毒を注ぎ込んだ。
加速や助走を必要としない邪神の猛進には予備動作が存在しない。
繰り出すと同時に破壊力はピークを迎える。
生物の個体というには余りあるだけの実力。
これが棘竜エスピナスである。
棘竜が突き刺した角を力任せに引き抜こうとすると、黒狼鳥の恐るべき執念に気付いた。
絶命した黒狼鳥の足の爪が、棘竜の肩に深々と突き刺さっていたのだ。
怒れる棘竜は血管を拡張させて模様を浮かび上がらせる。これにはディスプレイの役割もあると考えられるが、この状態では血流の増加によって甲殻が軟化する。
こうなった棘竜は運動能力が向上して脅威的なスピードを体現するが、その反面ダメージを負いやすくなるのだ。
棘竜の突進速度は轟竜を上回り、飛竜種の中でもトップクラスのスピードを誇った。
しかし、黒狼鳥もスピードに長けているモンスターだ。いきなりの形態変化に戸惑っている内に前触れもなく突き出された棘竜の角にも反応していたのである。
あと少し反応が遅ければ、黒狼鳥の爪は首を突き刺していたかもしれない。
棘竜の毒をまともに注がれた黒狼鳥は間もなく死に絶える。
しかし爪を刺した感触で甲殻の軟化に気づいた黒狼鳥は突き刺した脚を軸にして勢いよく体を丸め込み、棘竜の背中に嘴を掠めた。
甲殻が欠けて、少量の血液が地面に降った。邪毒の血液が土に染み込んだが最後、この一帯は不毛の地となるだろう。
驚いた棘竜が角を振りあげて天高く掲げると、既に黒狼鳥は息絶えていた。
勝利の咆哮をあげた棘竜の顔に黒狼鳥の血液が流れてギラギラと光る。
戦いの中で作戦を組み立てる黒狼鳥にとって、棘竜エスピナスはあまりにも酷な相手だった。
黒狼鳥は策を講じようとした僅かな隙を突かれたのだ。一瞬で鬼のような風貌に変身を遂げる棘竜を見て、かの竜の特性の変化を探そうとした。
しかし怒り状態に移行した途端、ノーモーションで高速の突進を繰り出す棘竜が相手では分析して対策を講じる猶予がない。
邪毒の前では知能さえ弱点と化す。
並大抵の攻撃は通用しない鉄壁の守りを持っていながら、技巧でその守りを崩す者には猛攻を以て制するのだ。
眠れる邪神が本性を顕して、たった二頭の決闘は幕を閉じた。
死闘を制した棘竜は敵の骸を踏みつけて、紫色の舌先から激毒を燻らせた。
世界中に君臨する神々と罪深き獣達にその力を誇示するかのように。
こうして邪神に挑む愚か者は潰えた。
誰もがそう思っていたある日のこと。
森が恐怖に震えているかのような振動が響いた。
蛮顎竜の足取りに似ていた。
眠りについていた棘竜は、それが自分の元に近づいてきていることに気づいた。
黒狼鳥とは比べ物にならない殺気が充満した時、森の生き物達の呼気が止まっていると気づいた。
畏怖の対象は自分では無い。
空と大気の色が変わらないから古龍種では無い。
理解出来ない何者かが侵入している。
「エスピナス、目覚めました。こちらに気づいているようです」
近頃おとなしいと思っていれば。
あるところに、砂の街と呼ばれる街があった。
そしてあるとき、統治者は誤って無罪の男を追放してしまった。
追放された男は金獅子を街へ導いて、復讐を果たそうとした。砂の街の統治者はギルドに金獅子の狩猟依頼を提出。
ギルドは追跡隊を組織して大量の罠を仕掛け、金獅子を狩猟する大掛かりな作戦を決行した。
しかし、結果は失敗。街は人の死体で溢れかえった。
大量の犠牲者が出たこの痛ましい事件にギルドは着想を得た。
「これよりエスピナスの戦闘を記録します」
「生肉による誘導が成功しました。到着します」
王の帰還。
陸上最強の種族とされる獣竜の最強種である。
「好きにやれ。獣竜の王」
倒木を踏み砕き、爆音の雄叫びを轟かせて出現したのは最強の獣竜種イビルジョーだ。
頂点捕食者の中の頂点。
その飢餓の前には古の龍すら捕食対象に過ぎない。古龍種すら怯むほどの魔物の声が響いて、棘竜は自ら起き上がって咆哮を返した。
古龍に匹敵する生物同士の対決。
従来の生態系の中ではあまりにも強すぎることから相手がいなかったエスピナスに対して、生態系を中腹から食い破る破壊者をぶつけたのだ。
邪神対悪魔。
どちらが勝っても観測員の命が危うい特級の危険生物を鉢合わせさせて、さらにその様を記録するなど正気の沙汰ではない。
エスピナスの持つ邪悪な威圧感とイビルジョーの持つ最恐の迫力がぶつかりあい、まるで二頭の間の空間が歪んでいるかのようだ。
強酸性の唾液を口元から滴らせ、恐暴竜が先制して噛みつこうとすると、棘竜は後退しながら首を引いて回避した。
飛び散った唾液で土が融解し始める。
「避けた!?」
観測員が驚くのも無理はない。
棘竜は自らの甲殻に絶対の信頼を置いているため、回避動作を行わないモンスターだと考えられていた。
恐暴竜の放つプレッシャーにやられたのか、身をひいて回避したという事実は観測員たちにとって考えられないものだった。
攻撃を回避された恐暴竜は顎を大きく開けたままブルドーザーのように突進して棘竜に食らいついた。棘竜は地面におしつけて捩じ伏せようとしたが、逆に押し戻されて重い体が地を鳴らす。黒牙が硬い甲殻をガリガリと削る。
成体の桃毛獣すら一撃で噛み潰してしまう咬合。
当然棘竜にとっても未曾有の経験だ。
棘竜の甲殻に大量の唾液が付着して白い煙が立つ中、恐暴竜が棘竜を勢いよく放り投げると、棘竜は放物線を描いて宙に投げ出された。
木々を五、六本薙ぎ倒しながら転がった棘竜は脚でブレーキを掛けて立ち直るとブレスで反撃。
恐暴竜が追撃のために掘り返した岩石と棘竜のブレスが空中で激突して、毒気を撒き散らしながら爆発した。
倒れた木々が毒で変色している。
先頭の列で見ていた観測員達が即死したため、後続の観測員が慌てて大声を出した。
「棘竜のブレスからあがる煙を吸うな!少し吸っただけでアプトノスも即死するぞ!」
棘竜は羽ばたきながら跳躍して空中に飛び上がると恐暴竜を両脚で踏みつけて攻撃。
そのまま横から恐暴竜の側頭部に噛み付いてブレスを放とうとした。
しかし噛みつかれたことに激怒して暴れる恐暴竜に組み伏せられて転倒。
のしかかる恐暴竜の胴体を翼で押してから脚で蹴り飛ばしてなんとか拘束を逃れつつ、離れ側に頭部をスイングして角を突き刺そうとした。
しかし今度は恐暴竜が跳躍したため角は空振り。
両脚で踏みつけられた棘竜は胴体の半分を地中に埋められながら悲鳴をあげた。
同時に二頭分の体重で地面に巨大な亀裂が入り、岩盤が大きく隆起する。
超重量のプレスを受けて甲殻がギシギシと音を立てて軋んでなんとも苦しそうだ。
追い詰められた棘竜は火球を三発連射。
至近距離で直撃を受けた恐暴竜は転倒しながら麻痺毒で痙攣を起こした。
傷口から猛毒が侵入して恐暴竜の体を蝕む。
拘束を逃れた棘竜は力尽きたようにその場でへばったが、土に埋もれた半身を引き抜いた。
そして麻痺している恐暴竜の頸部を踏みつけた。
その時、視界の隅に見えた恐暴竜の頭部が大きく口を開いたことに気づいて飛び退いた。
予想は的中。悪魔の咬合が空を切り、棘竜が退いた拍子に巨体がむっくりと起き上がる。
上下の牙を嚙み合わせる音が耳に残った。
最強に近いモンスター同士の密度の高い攻防。
両者共に相手を強敵と認識した。
然れば、何が起こるかなど自明だ。
棘竜の甲殻に唐草模様のような赤い紋様が浮かび上がる。ここから先は未知の領域だ。
表明するのは怠惰なる拒絶。
鬼鬼しい面貌は阿修羅のように。
青紫色の舌先が風を舐めて、口腔から吹き漏れる激毒の狼煙が立ち昇る。
赤く輝く瞳と目元を覆う血管は身の程知らずを後悔へと誘う死と恐怖の象徴。
眠れる神を起こしたのだ。
どう償ってもらおうか。
命で贖わせる。
飢かした代償を。
全てを喰らう最恐の生物。
食物連鎖の頂点に君臨する獣竜の王。
全身の筋肉が赤らみ、膨れ上がる。
警戒色のような赤い輝きを放ちながら、悪魔的な筋膜が露わになる。
黒い外皮が張って、古傷が浮かび上がった。
顕現するのは強欲と暴食の権化。
龍属性エネルギーが迸り、小細工無用のデスマッチへと続く地獄の門が開かれる。
計測など、出来るものではない。
理屈を超えた常識外れのパワーが生じて、息を呑むほど残虐な衝撃波が地表を薙ぎ払った。
「し...正面衝突だ!!」
黒狼鳥を一撃で葬り去った邪神の進撃が健啖の悪魔に襲い掛かる。それから悪魔の牙が真紅の大角を挟み、荒ぶる殺傷能力を圧縮するかの如く極悪な顎が閉じられた。
激突の衝撃で地面が大きく揺れて、その場にいた誰もが体勢を崩した。
棘竜の突進は予備動作がなく、それでいて弾丸のように速い。憐れな獲物は変貌に気を取られているうちに刺し殺されてしまうのだ。
だがしかし、恐暴竜に同じ戦法は通用しない。
ただ目の前の生物を殺して喰らうことしか頭にない恐暴竜は回避や防御を行わないからだ。
純然たる捕食者である恐暴竜は棘竜の赤い模様に怯むことなく牙を剥く。
見た目のインパクトなど知ったことではない。
つまり、興奮状態の二頭が対峙しようものなら、正面衝突は避けられない結果だ。
突進に遅れて蹴りつけられた足元の土が抉れて、棘竜の背後で湿り粘った音と土埃が発生した。
二頭が衝突した後の出来事だった。
恐暴竜の肉体からブチブチと血管が千切れるかのような音がする。
フルパワーを解放した恐暴竜の膂力に至っては、最高速度に到達した棘竜の突進と力が拮抗して、両者共に氷像のように固まって動かない。
いきなり棘竜の眼が赤く輝いて猛毒を燃焼させたかと思えば、今度は恐暴竜の口内から赤黒い龍属性エネルギーが漏れ出た。
それと同時に棘竜が一歩ずつ前進を始めて、恐暴竜の体が土を掻き上げながら後退する。
「棘竜が競り勝っているのか...?」
「違う!足元を見ろ!」
言われるがままに二頭の足元を見ると、その差は一目瞭然だった。
地面に深く食い込んだ恐暴竜の足に対して、棘竜の足は段々と地面から離れている。
気づいた時には棘竜は吊り上げられ、突進の勢いは完全に殺されていた。
途轍もなく恐ろしい怪物が、異常発達した筋肉の塊に持ち上げられてもがいている。
大型竜の中でも重量級の棘竜を持ち上げているというのに決して離す気配を見せない恐暴竜の顎には、一体どれだけの筋肉が詰まっているというのか。
遂には棘竜を咥えたまま高々と持ち上げ、天高く掲げてしまった。
こうなっては何も出来ない死に体のエスピナス。
鋼龍すら投げ飛ばす怪力を持つ棘竜が力勝負で完封されて軽々と持ち上げられる。
暴挙と呼ぶに相応しいそんな芸当が出来るモンスターが他に居るだろうか。
筋肉膨張状態に突入した恐暴竜の暴挙は止まらない。棘竜の角を噛んで上下逆さまに持ち上げたまま後方に投げ倒し、地上に衝突させた。
脳天砕きの炸裂だ。
邪神を前にして暴力を振るうという蛮行。しかし禁忌の邪毒がそうみすみすやられる筈がない。
爆炎が咲いて、毒気が後を引いた。
そして湿った鈍い音が立った。
想像を絶する程の破壊力が邪神を襲った。
土煙があがって二頭の姿が隠れたが、どちらの鳴き声も聞こえない。
緊迫した数秒が過ぎてから土煙が引いて二頭の様子が分かるまで、呼吸の音すら聞こえなかった。
静寂の先。
棘竜は地面に叩きつけられたダメージで起き上がれず、じっと動かずにただ呼気を寄返していた。
噛みつかれていた角が折れて、その断面から毒液が流れ出している。
一方の恐暴竜は痺れて立ち止まっていた。
傍聴した筋肉が麻痺毒によって収縮して元の姿に戻っている。被毒。攻撃した際に棘竜が出血したことで、濃毒血によって毒に侵されたようだ。
体中に歯型をつけて倒れ伏す棘竜と、麻痺毒の効果が切れるのを待つ恐暴竜。
戦いは終わらない。
棘竜が立ち上がると同時に恐暴竜の痺れが取れて、二頭は争いを待ち望んでいたかのようにすぐに再開した。
果敢に吠えながら勇足で接近する恐暴竜の圧に対して棘竜は後退しながら頭部を下げると、そこから突進すると見せかけてアッパーブローのように頭部を振り回して角を振り抜いた。
しかし怒りに我を忘れた恐暴竜は真紅の角の殺傷能力に狼狽える事なく真正面から顔面に喰らいつき、再び正面衝突の有様を示す。
激突の衝撃で恐暴竜の巨大な身体が傾き、押し合いになりながらよろめく。体高の高い恐暴竜に対して、棘竜は下からグイグイと頭部を押し付けることで角を突きつけたが、恐怖を感じさせるための威嚇行動は全くの無意味だ。
イビルジョーは大地が揺れ動く程のパワーで踏ん張り、棘竜の頭殻に牙を食い込ませた後、腰を軸に胴体を振り回す勢いで投げ飛ばした。
森に現れたイビルジョーが、ケルビを天高く放り投げて食したという報告は以前からある。しかし今度の相手はエスピナス。重量級の飛竜種だ。
それをボウガンの弾のようなスピードで投げ飛ばし、何がなんでも胃袋に収めるために追い打ちをかけようとする姿は地獄の悪魔そのものだった。
エスピナスは吹き飛ばされた先で倒木が砕け、岩が割れて塵が上がる。その塵の中から、猛毒と高熱を纏ったエスピナスが一瞬の隙もなくイビルジョーに突進を繰り出す。
しかし、イビルジョーは油断するどころか更に怒りに火をつけて喰らい付き、血行で柔らかくなった甲殻に牙をサクリと深く食い込ませて再び振り回すように投げ飛ばす。
突進のパワーで恐暴竜の巨体が後方に動いたが、そんな事すら忘れさせる程の異常な筋力によって棘竜が玩具のように吹っ飛んでいく。
その度に木や岩、地面などのフィールドにぶつかり、周囲の形を大きく変えながら悲鳴をあげる。
甲殻は歪に変形し、歯型だらけの頭殻で唸り、毒素が凝縮した血を流す。そして目の前の食欲の化け物に激昂する。
棘竜の生命力に業を煮やした恐暴竜は上体を高くもたげ、中に人間が入った直立姿勢のような不気味な体勢をとった。尾を地面につけるかというほど背を垂直に持ち上げ、極太の咬筋で繋がれた上と下の顎を大きく開いて棘竜を見据える。
筋肉が一気に隆起して覆いきれなくなった皮が破れて傷口が開き、体内の龍属性エネルギーが発光して筋膜が赤く淡い輝きを溢す。
報告でも見た事がない異様な立ち姿に困惑する者こそ多かったが、次の瞬間発生する出来事を予測できない者は誰も居なかった。
棘竜はここに来て、新たに恐怖を覚えた。
それは、古龍種と縄張りを争った時以来、久しく見上げる怪物の頭部から。
全てを収めるように、罪人の首に被さるギロチンのように。
長い間祖先すら感じたことのなかった本能的な恐怖だ。
捕食。それが根源的な畏れを引き起こす。
恐怖から顔を背け、背で受けた事で命を拾う。
頭部、または頸部に触れることがあれば即死していただろう。そう感じさせるほどの絶大な損傷。
脆く薄氷の如く砕け散った甲殻が降り注ぐ。
何をされたのか、涎で甲殻を溶かしながら咀嚼する口元が直感に刻み込んだ。
血液の毒が悪魔の体を回る、その確信と共に気づけばダメージで体が横転していた。
棘竜は戦いすら忘れさせる程の衝撃的な攻撃力に意識を奪われ、立ち上がる気すら起きないのであった。
もっと喰らわせろと迫る恐暴竜に対し、今度は純粋な恐怖から火球を放つ。
虫が蜥蜴の捕食から逃れるために毒を使うように、命を繋ぐための麻痺毒。
そうだ。いくら人間が神だなんだと騒ごうが、所詮は生物。被食者の抵抗をものともしない圧倒的な捕食者が現れれば、戦意を失って当然だ。
「勝負あったか―」
観測員の一人が灼けて死んだ。
倒れたままの棘竜がブレスを放ち、火達磨にして焼き殺したのだ。
恐暴竜の力を恐れて標的を変えたか。
あるいは恐暴竜に先んじて現れていた人間達こそ真に倒すべき相手なのだと気付いたのかもしれない。
麻痺から立ち直った深緑色の悪魔が咆哮をあげて棘竜に襲い掛かる。しかし、棘竜は間一髪で寝返りを打って牙を避けた。
そして応戦することなく、恐暴竜に背を向けて逃げ出した。
森の方に火球を放って火をつけると、遠くの方へよろよろと飛び去ってしまった。
「怖気付いたか」と観測員の一人が勝ち誇った。
辺りには猛毒が充満して、火はどんどん燃え移って大きくなっている。
木や草が生えていない広い空間に逃げようとしたが、一歩踏み出した先は棘竜と恐暴竜が争いを繰り広げた戦場。棘竜に残された恐暴竜が腹を空かせて待っていた。
「君達は、どうしてこうも怖いもの知らずなんだ?
この世には、深入りしてはいけないものがあるのに」
〜関係者の発言より引用〜
〜ギルド
「それで生き残ったのが、君だけか」
「はい」
「それで持ち帰ったのが、この棘竜の角か」
「はい」
「研究班に調べさせておくよ」
「一つだけ教えてください」
「どうした?」
浅く息を吸った。
「私たちが暴こうとしている秘密は、誰の為の物なのでしょうか?」