投稿の際に思っていたより多くの方に読んでいただけており、恐悦至極に存じます。
まだ文章を書くという作業に慣れておらず、右も左も分からない初心者ですが、暖かく見守って頂けると幸いです。
今回はややモンスター中心の話となっています。
当初は4話のバランスを引き継いでストーリーに力を入れる予定でしたが、マッチアップの熱にやられ、モンスターに主導権を奪われてしまいました。
よって前回以上にストーリー性が無いに等しいので、頭を空っぽにして読んでいただければと思います。
虫は止まり、鳥が囀っている。河の流れる音に声を乗せているように。
仕留めた水竜の柔らかい肉を食す。
上質な脂の乗った身を上下の牙で鷲掴みにし、溢れる旨味を逃さぬよう咀嚼して喉を通す。
脂の乗った魚のような身は、舌に触れた途端蕩けて無くなってしまう。
幻を食べているような気分だ。
これまでの主と比べれば随分と軟弱な竜だったが、それでも彼はこの熱帯雨林を支配していたようだ。
幻といえば、気味の悪いものを見た。
幻のような気を放つ獣...それは丁度蜃気楼のように不安定な存在感を持っていた馬のような獣。
恐暴竜には知る由もないことだが、不思議な事にギルドの学者はあの雷にはある種の恣意性とも呼べるような規則性があったと指摘した。
あわよくばとばかりにガノトトスを咥えたまま追ったが、流石のイビルジョーも幻を食むことは出来ず落雷に紛れて消え去ってしまった。
ガノトトスの半分にも満たない体躯の獣一匹、イビルジョーにとっては大したことではないが。
〜ギルド
「幻獣キリン...かの者に原因があると、君はそういうのだな?」
ギルドマスターは苦虫を噛み潰したような顔つきで学者を見つめた。
「近隣区域にジンオウガの出現は確認されておりません。他に考えようがないかと」
彼の言う通り、トビカガチやアンジャナフ亜種といった大抵の雷属性のモンスターでは、『雷』と誤認されるほどの電力は扱えない。
引き合いに出されるジンオウガやラギアクルスは付近での生息が目撃されておらず、またそれらを含むそれらしいモンスターの痕跡は一つたりとも見つかっていない。
神出鬼没、そして雷と見間違う類の電力を操るともなれば、その原因は幻獣キリンのほか考えられなかった。
「人の子を育てたという逸話もあるキリンが、イビルジョーやガノトトスの攻撃から村人たちを守ったと...儂に信じろってか」
ギルドマスターがそういうのも仕方がない。
それもその筈。人間より遥かに寿命の長い竜人族ですら一生に一度逢えるかどうかと言われる古龍種の中でも幻獣キリンは特に目撃例が少ない。
辛うじて存在が正式に認められている程度のたいへん稀な存在だ。
だが、雷がある地点を中心として放たれているような不自然な配置にあるのも確かである。
ならば、なぜこのタイミングなのか。
どうしてここに現れたのか。
思い当たるフシはただ一つ...ラージャンだ。
直接の目撃例すら出ていないモンスターを犯人にあてがうのは些か言いがかりが過ぎるというものだが、見た人全てを殺すと言われているラージャンの凶暴性なら説明がつく。
現在相次ぐイビルジョーの被害の裏で、明らかにイビルジョーの進行ルートと異なる場所で類似する被害が上がっている。
判明済みの被害は爆鱗竜バゼルギウスによるものと、怨虎竜マガイマガドによるものの2つに別れた。
平原に現れたバゼルギウスによる轟竜ティガレックスの襲撃事件を皮切りに、モンスター達の活動が激化。
寒冷地に突如出現したマガイマガドとその地の主である雪鬼獣ゴシャハギが激しい戦いを繰り広げ、戦いはゴシャハギが命を落とすまで続いた。
それ以降マガイマガドによる戦闘の被害はきっぱり途絶えていたが、昨日には火山から逃げてきたアグナコトルとマガイマガドが激突。
興味深いことに、マガイマガドの被害が空白と化していた期間、各地の観測員は誰一人マガイマガドの姿を見ていないという。
そしてアグナコトルと闘うマガイマガドの姿を目撃した商人の男は、「その体は傷だらけのズタボロで、かなり疲弊していた」と証言している。
古龍級とは言えないアグナコトルの、それもブラキディオスから逃げるような個体が、絶大な戦闘力を誇るマガイマガドをそこまで追い詰めたとは考え難い。属性を考慮しても、マガイマガドにとってアグナコトルは特段やりにくい相手ではないはずだ。
相手の殺害にかける執念が比較的薄く、スタミナが特別あるわけでもないバゼルギウスが、そう何日間もマガイマガドと戦ったとは考えられない。
また、イビルジョーはイビルジョーで進行ルート上がマガイマガドと被っておらず、ブラキディオスとの戦闘以降、火傷の跡も増えていない。
決め手となったのはその被害だ。
バゼルギウスの爆撃によってほとんどの生物が死滅し、イビルジョーによって主も絶たれた砂漠は明らかに強力な生物が減っていた。
そこで、本来ならば地下を主な生息地としているネルスキュラ亜種やアルセルタス亜種らの活動が活発になると思われたが、なんと昨日、砂漠に散乱する大量のクチクラが報告されたのだ。
余白を埋めるピースたり得るのは、金獅子ラージャンを除いて他にいない。
悲鳴をあげる自然環境のデスマスクに浮かんだ苦悶の表情がダイイングメッセージのようにその姿を書き出していた。
目撃例ゼロ、しかし黒い影は確実に水面下で動いている。人々は、ただそれを闇雲に否定したいだけだった。
〜熱帯雨林
村と少し距離を置いた山岳地帯。侵入者たちは今日も密猟でせわしい。
河の本流へとつながる綺麗な川で知られるこの山には、巨大な天然ダムがあるため水資源が豊富だ。そんな美しい自然の中にも危険が潜んでいた。
ダーティーな欲望が潜んだ登山道で、悪党は腰を抜かした。
それは昨日の大雨でぬかるんだ土に獣の足跡がついていたからだった。この世界の山の事情に詳しい男であればあるほど、獣との遭遇を恐れるものだ。
実際、猪の突進の威力を知る者は少なくないだろう。イノシシは1メートル弱から2メートルほどの体格の獣だが、自動車と激突しても自動車の方が吹き飛ぶといわれる脅威の突進力を持つ。
この森に生息しているブルファンゴは全長3メートル強にも及び、サイにも迫る。突進されれば成人男性でもひとたまりもない。
ドスファンゴともなればその全長は5メートルを超え、その体躯から繰り出される突進の威力は平和な世界でぬくぬくと暮らしている我々とはもはや縁がない。
これはあくまで、ファンゴとドスファンゴの話だ。ケチャワチャやババコンガのような、より強力なモンスターが相手となれば、その危険性は格段と跳ね上がる。
同じ世界に竜がいようと、野生動物が恐ろしいのは世の常ということだ。
尤も、恐れるべきは獣だけではない。
魚も、虫も、竜も、鳥も。
どんな生き物も腹に何を抱えているのか分からない。獣だろうが龍だろうが、命を奪われればそれは同じこと。
この世界で山に登るということは、そうした不安を背負って歩んでいくということだ。
動物は痕跡をつけることを嫌う。
もしつけたとしても、バックトラックなどで位置を知らせないようにする筈だ。
にも関わらず、この一帯には見せしめかのように同じような痕が幾つも残っている。
それはその動物の強さをあらわす。
隠れる必要がない圧倒的強者の縄張りであるということを、周囲にアピールしているのだ。
「馬鹿な、そんな獣いるはずがない。この山には飛竜だって来るんだぞ」
異世界に迷い込んでしまったかのような戦慄だ。
この空間は、獣が威張れる領域ではないはず。
頬をつねっても覚めない酷い悪夢のように、何度まばたきを繰り返しても消えない。
...だんだんと口が乾いてきた。
足音を立てないようにそっと歩き、その場から離れようとした。もう何もかもが遅かった。
痕を見た時点で、既に縄張りの中なのだから。
そして男は見た。
四つ足の獣を。
黒衣を纏った、
それが大地に片腕を突っ込んだ直後に悪党の視界は暗転した。獣の体躯すら超えた大きさの岩石が掘り起こされ、頭上に投げ飛ばされたのだ。
問答無用で悪党と木々を圧し潰して落下するその様は隕石としか例えようがなく、地面が激しく揺れて森がひしひしと音を立てる。
猛獣の怒りは止まず、片腕で大木を殴りつけると、たちまち幹が折れて倒壊し、山肌をゴロゴロと転がり落ちて大規模な環境破壊にまで発展した。
山を管轄していた地元のレンジャーが駆けつけたが、その有り様は自然災害という他なかった。
動物が肉をちぎっては捨てられた血生臭い腐臭が辺りを漂い、植物は希少なものからしたたかな雑草までがバラバラに引き裂かれている。
その中には頭が砕け、頭蓋から脳が溢れているドスファンゴの死骸も含まれていた。
ブチブチと根がちぎられつつ引き抜かれた木が辺りに散乱し、山の自然は見事なほど完全に破壊されている。
たった一匹の生物の成せる技とは到底思えないスピードで山一つが破壊されていた。
人間どころか動物も植物も、昆虫まで、誰一人生き残っていない。
信じ難いことだが、数分で山一つ分の自然が破壊されてしまった。
そして山の頂上には黒い獣が座り、森を見下ろすようにして遠吠えをあげた。
ドスファンゴより更に大型の獣で、その大きさはおおよそ八メートル前後といったところか。
象より大きく、飛竜より小さな体格で、突き出た角が空間を堂々と刺していた。
発達した両腕は飛竜の尻尾のように太ましく、くすんだ暗色の筋肉は獣がこれまで生きた道の険しさを感じさせる。
竜とも獣とも判別の付かなくなった骨つきの肉塊をしゃぶり、肉を舐めとりながら下界の様子を見回した。
捕捉。
それは『王』の名を冠する獣から、森への死刑宣告。
機嫌を損ねた瞬間に決定されたことだ。
「金獅子ラージャン...人呼んで、『黄金の暴風雨』」
一人がポツリとつぶやいた。
すぐに山を降ろうとするレンジャー達一行を先回りするように黒い影が降りた。
「馬鹿な...頂上からここまでにはどの方面にも崖がある、こんなに疾く動ける筈がない!」
軽くドラミングして威嚇すると、手始めに新入りの男を掴んで握り潰した。
僅か数秒の出来事だった。
指に軽く力を込めただけで、ケチャップのように血や臓器が捻り出された。
レンジャー達にどれだけの恐怖があったことか。
少し前まで一緒に働いていた仲間が殺され、二度と意思疎通すらはかれないところまで行ってしまったのだ。
獣は、動かなくなったがらんどうの肉体を、興味なしとでも言わんばかりにその辺に捨てた。
さも当たり前かのように人の命が軽く扱われ、煮えたぎる怒りを表出することすら出来ない刺すような威圧は生物としての格の差をこれでもかというほどに見せしめた。まさに獣の覇王。周囲の思惑など微塵も気にしていない。
支配者であるガノトトスを失ったこの熱帯雨林には最早かの獣に対抗できる者は居らず...
正確に言えば、支配者であるガノトトスを含めたこの熱帯雨林の全生命体が束になってかかっても、全員の死が確約されているといっても過言ではない絶望的現状を省みるに、その死刑宣告は確実に実施されることだろう。
獣は次に、レンジャーに同伴した女に手を掛けた。身なりがよく美しい留学生だったが、獣はそれを1ミリたりとも気にかけていない。
獣は、人が息を出来ずに手のひらの中で暴れることを何とも思っていない。仲間の一人が大声をあげたが、反応らしい反応はなかった。
獣の頭の中は、常に破壊と殺戮のことで満ちているからだ。そこに温情の概念の入り込む余地はなかった。人間如き、怒りで危害を加えてもその都度殺せばいい。危害を加えていなくても追いかけて殺せばいい。
王の決定事項に迷いの余地はない。
自分たちより強い生き物から目を背け、霊長の名を冠する自惚れすらも、死者には反省する魂が無いのだから殺してしまえば同じことだ。獣は自分以外の何かに特別な価値を感じていなかった。
だが、声は届いた。
同伴の女を握る王の腕に、秩序の破壊者の大牙が噛み付いた。
ラージャンは思わず握った手を放し、そこをすかさずレンジャーの男がキャッチした。
人間を握った獣の手は、腹を空かせた竜からすれば一石二鳥のチャンスだった。
ラージャンは乱入者の首を掴んで頭突きをかましたが、それでも腕は齧られている。
そこでラージャンは上顎に手を突っ込み、顎を強引に抉じ開けた。
そのままイビルジョーの顎を引き裂こうとしたが、齧られた腕と掌に異変を感じたため、すぐに離れて状態を確認した。
見れば、イビルジョーに噛まれた部分の体毛や皮膚が溶けかけている。
引き剥がされて後退する竜を睨み、軽くドラミングした。その間も皮膚はジワジワ爛れている。
あの竜に噛まれるのは不味いかもしれない。
正面から向かい合ったその体格差は体長にして2倍以上、体重差はそれどころではない。
つけあがることなかれ。古龍種を除く生態系の中で、限りなく頂点に近い種族のひとつ。金獅子の眼前。恐暴竜すら恐れるに足らず、未だ暴れ足らず。
天下のラージャンには萎縮したような素振りは一切みられず、むしろ目の前の生物を殺害するという、刺々しい敵意を向けていた。
一方のイビルジョー、説明不要。
ただ純粋に『動くものは捕食する』
単純な行動原理を示すならこの一言に尽きる。
命を奪い合う理由など、それぞれの中に生まれた時から備わっていた。
始まる。地上最恐の究極決斗が。
ゴングのような鳴き声が耳をつんざく。
吠えて威嚇するイビルジョーにラージャンが飛びつき、上顎の先と頭を掴んでいきなりへし折りにかかった。恐るべき怪力によってイビルジョーの頭殻が軋む。
もがいて引き剥がそうとするイビルジョーの動きにも全く動じず、イビルジョーの頭を引っ掻いたり殴りつけるなどして攻撃を愉しんでいた。
動き巧みなこの獣は、地面に叩きつけられそうになると今度は背中に飛び移って思いきりパンチを叩き込んだ。
イビルジョーの巨体が揺らぎ、ラージャンは嬉しそうにしがみつく。
その隙にレンジャー達は倒木の陰に隠れた。
すぐそこに天然ダムがあるため、ここは山の中でも特に綺麗な水が豊富にある。
お陰で他の場所と比べても頑丈な木が多い。
生態系を容易く破壊する二匹の破壊神の前で木など気休めにもならないが、こちらに関心を惹かないための宿にはなるだろう。
しがみつくラージャンにイビルジョーが齧り付き、強引に引き剥がし、まるでケルビをそうするかのように軽々と投げ飛ばした。その距離、軽く百メートル以上に及ぶ。
しかしラージャンは空中で体勢を立て直して華麗に着地し、軽くドラミングすることでイビルジョーを威嚇した。
この威嚇に腹を立てたか、自分より小さな獣から攻撃を受けてプライドに傷がついたか、早くも捕食者は怒り状態に移行し、全身の筋肉を隆起させた。恐竜が怪獣に化けたような変貌ぶりは、『化け物』という言葉の意義を改めて感じさせる程の見事な化け具体だ。傷が治りかけている皮膚がビリビリと音を立てて破け、“化け物”の胸元に赤い光が紋章のように浮き上がった。
赤い稲妻が冷気のように地を伝い、それを見たラージャンが若干顔を顰めた。
破壊された木々が赤く照らされるその様は、自然の破壊者たるイビルジョーが自然の怒りを引き出して代弁しているかのようにさえ思える。
邪悪な顎が開かれ、霧状の龍属性エネルギーが徐々に収束して一本の光と化していく。
口元を溢れんばかりの龍属性エネルギーが曇らせる。明滅する真っ赤な光は、その凄まじいエネルギーの暴走を無言で語った。
壊れた環境を龍殺しのエネルギーが駆け抜け、
山火事さながらの煙が立ち上る。
ドラゴンブレスが放たれた。
対するラージャンは両腕を広げ、あろうことかその直撃を大胸筋で受け切って尚微動だにせず、涼しい顔をしている。
顔に光が当たって般若のような風貌が映し出されても、表情自体は至って平常だ。
体毛の間を流れる龍属性エネルギーをみれば、小細工なしの直撃を受けたことは明白だった。
だがラージャンは一歩も後退することなく、その肉体をもって高出力のドラゴンブレスを肉体で受け切り、余裕の表情を浮かべていた。
今度はラージャンが背中を軽くそりかえらせ、両腕と脚に力を込めた。
ほんの一瞬、獣の口内に金色の煌めきを見たと思うと、黄金の高エネルギーレーザーとも呼べる破壊光線が放たれた。
気光ブレスだ。
吹き荒れる突風にも似たオーラの照射がイビルジョーの頭を正確に捉え、その尋常ならざる爆発的な衝撃を与えるべく撃ち込まれた。
一撃受けただけであの恐暴竜が転倒し、皮膚の上を残留したエネルギーが渦巻いている。
おもわず天晴れと言いたくなるような破壊力だ。
属性エネルギーを遮断する龍属性の干渉を受けていない辺り、どうやら黄金のエネルギーの正体は属性ではないらしい。
更に獣は空中に飛び上がり、空中でグルグルと回転すると、百メートル以上の距離があるにも関わらず、イビルジョーに向かって真っ直ぐに『落下した』。
まるで獣の周りだけ別の物理法則が働いているかのようなその振る舞いに、さしもの化け物も全く反応出来ず、動きを全く読めないままスピード差で翻弄されている。
まるでジャガーとワニの戦いのように。
立ち上がろうとしたイビルジョーの脚に降って当たり、竜は悲鳴をあげながら立ち上がれずに再度倒れた。
倒れ込み際に再度ドラゴンブレスが射出され、今度は獣の顔目掛けて撃ち込まれたが、獣はこれを片手で防ぎ、すぐさまイビルジョーの脚を掴むと、自らの倍以上はある捕食者の巨体を投げた。
土砂が舞い、潰れた植物の汁が飛ぶ。
流石にイビルジョーのように投げ飛ばすとまではいかず、再びブレスの撃ち合いとはいかなかったが、それでも体重の重いイビルジョーにとってはかなりのダメージだ。
だがイビルジョーもやられてばかりとはいかず、尾でラージャンを薙ぎ飛ばした。当然獣は力の赴く方向にぶっ飛ばされ、仰向けに倒れた。起きあがろうと肘をつくと、捕食者はうつぶせに倒れた体勢のまま、ワニかオオトカゲのようにラージャンに這い寄った。
小さな腕の先から生える二つの爪が地面を突き刺し、マッシブで逞しい体と不釣り合いに細い脚も大地をガッチリと捉えて離さない。
極端な偏りを感じさせるアンバランスな体型は明らかに四足歩行に適していなかったが、はじめからそういう生物だったかと思わせる程その動きは滑らかだった。立ち上がる事にさえ捕食が先行しての行動だったのか、戦闘の大局を何も考えさせないほど攻撃的だ。
「あいつは化けないのか?」
ラージャンは肘で地面を押して後退したが、思いのほかイビルジョーがにじりよるのは速く、途中間一髪で噛みつきを避けながら頭を蹴って引き離した。
普段はナックルウォークで歩行するラージャン。
腕と比べれば脚はかなり細く、腕ほどの筋力はない。腕を噛まれて危ないのだから、脚をかまれれば一巻の終わりだろう。蹴りを入れることすら命懸けだったが、選択を渋る余裕など無かった。
崖が背中につき、退路は絶たれたかと思いきやこれはラージャンにとって吉報だった。
回転する刃のついた重機のように猛突進してくる巨大な捕食者と違って、身軽で立体的な動きを得意とするラージャンは高所で体を支えるのに必要な力が小さい。
猿のような身のこなしで楽々と崖を登り、這いつくばって吠え立てる捕食者を崖の上から見下ろした。ついでに石を投げたが、硬い筋肉にあたった途端に角砂糖のように砕けた。
「そうか!あいつは化けないんじゃない!化けられないから逃げているんだ!」
安全地帯から石を投げるとはまさにこのこと。
尤も、相手がかの健啖の食王ともなれば効果は薄かったが、維持するのも一苦労なあの巨大な図体で流石にここまではこられまい。
ラージャンは傷と疲労が癒えるまで頂上で休むつもりでいた。遠距離武器のブレスは脅威ではないし、なにか投げてくるなら投げ返せばいい。
獣はただ単に逃げ回るのではなく、リスクを伴わないまま竜を殺す気概に満ち満ちていた。
だがその時、轟竜の咆哮のような轟音が崖の上まで鳴り響いた。
気晴らしにタックルでもしたのかと崖の下を覗き込むと、にわかには信じ難い光景が目に飛び込んできた。
既に話したが、イビルジョーの体型は、ティラノサウルスに代表されるオーソドックスな獣脚類と酷似している。これは多くに獣竜種に言えることであり、言わずもがな現代の解釈における獣脚類と姿勢や四肢の位置といった多数の特徴が一致しているという意味だ。
彼らの前のめりな体型は、尾を使ってバランスを取ることで漸く成立している。少し言葉を難しくすれば、『長大な尾の使い道は姿勢制御や動作制御にあった』となる。
だからこそ獣竜種の軽い知識を持っていたレンジャー達にとって、ラージャンの目に飛び込んだ事実は度肝を抜かれるものだった。
イビルジョーは、壁に足の爪を突き刺して壁を登っていた。
理不尽極まりないことだが、重力の抵抗を反則級の筋力をもって力技で克服し、指を引っ掛ける隙間さえないほぼ垂直の壁面を二足歩行のまま攀じ登っていたのだ。
跳ねれば地震さながらの勢いで大地を揺るがす巨体だが、テントウムシやネズミのような小さな生き物が繊細な技術を凝らして登るような壁面をパワーの一言で片付けて楽々登ってしまっている。
滝を登った鯉が竜となるなら、崖を登った竜はもはや龍に相違ない。
現実離れした膂力を以てして、ラージャンと同じ物理法則が働く星の下に生まれたことを見事示してみせた。
驚いたラージャンは後ろに飛び退いたが、振り向けばそこは断崖絶壁。ラージャンほどの肉体強度ならば落下しても大したダメージはないと思われるが、むしろ重量のあるイビルジョーを落下させた際のアドバンテージに目が眩んだ。
一筋の希望に賭け、獣は竜に飛びつく。
恐暴竜イビルジョーは捕食者だ。
そんなものは通用しないとばかりに二の腕に齧り付き、強酸性の唾液によって一瞬でラージャンの体毛を溶かして肉に深々と牙を突き刺した。
ラージャンは悶絶して引き剥がそうとしたが、勿論イビルジョーが黙って引き剥がされることはない。それどころか、齧り付いた状態でラージャンを持ち上げ、まるで小型モンスターで遊ぶかのように何度も地面に叩きつけた。
やはりというべきか、総合的なパワーでは体の大きいイビルジョーの方が上手だ。
あまりにも激しく振り回すもので、ラージャンは気光ブレスを吐いて脱することすら出来ない。
ラージャンの肉体が打ち付けられる音が山に響き渡ると、どこか聞き覚えのある爆発の音が応答した。遠方で本当に山火事が起きている。
熱帯雨林の木々に含まれる水分のおかげで、辛うじて壊滅的な状況には陥っていないが...
肝心な点は放火魔の素性にあった。
爆鱗竜バゼルギウス、ゝ、爆鱗竜バゼルギウス。
生けとし生けるものの本能がサイレンを鳴らす。
彼方より、気高き非道のお出ましだ。
争いの音を聞きつけたバゼルギウスが、自分も混ぜろとばかりに乱入しにきたのだ。
マグマに匹敵する熱量を持つ鉤爪が、膨張したイビルジョーの背筋とぶつかって火花を散らす。
完全に魔境と化した山が燃え上がり、レンジャーは頑固者の一人を残して山を降っていった。
爪による攻撃を鬱陶しく感じたイビルジョーがラージャンを放すと、すかさずラージャンはイビルジョーの脚を取った。
イビルジョーも即座に反応し、四股踏みのように地面を強く踏みつけることでラージャンを振り解こうとしたが、それでもラージャンはイビルジョーの脚にしがみついて離さない。更にバゼルギウスの爆鱗が降り注いだことでとうとうバランスを崩し、ラージャン諸共崖から転落した。
二匹分の重量が地面と衝突し、地面のほうは大きく抉れたが、二匹は至ってノーダメージで戦いを続けた。
今度はイビルジョーがラージャンの脚に噛み付いて強引に引き剥がすと、バゼルギウス目掛けて投げつけた。
投げつけられた先でもラージャンはバゼルギウスに組み付き、頭を殴りつけて墜落させる。
そんなラージャンにイビルジョーはまたもや噛みつき、しがみつかれているバゼルギウス諸共投げ飛ばした。二匹がいがみあったまま登山道を転がり落ちていく。
先程の四股踏みで地面が揺れたことで爆鱗に衝撃が加わり、爆撃の威力で山肌が消し飛ぶ。今度はイビルジョーが体勢を崩した。
苦手なインファイトに持ち込まれたバゼルギウスはじたばたと足掻いたが、それでもラージャンは離さない。超高熱の爪がジュッと音を立ててラージャンを引っ掻いても同様だ。
そのせいで、とうとうラージャンはバゼルギウスの奥の手を使わせることとなった。
バゼルギウスの爆鱗が赤熱化し、幾つかが炸裂したことで、温度がオーブンの中のように上昇を始める。
火山の熱すら気にもせず活動を続けるラージャンが苦しみ悶えるほどの熱だ。
リオレウスの火球すら比にならない。
尚、この段階で逃げなかったレンジャーの一人は、あまりの高温に脳のタンパク質が一瞬で変質して死亡した。
バゼルギウスの周りの温度は百度以上に到達し、それでも止まることを知らない。
倒木を自然発火させた辺りで流石のラージャンもまずいと判断したのか、バゼルギウスの上から飛び退いた。
そして次の瞬間。
爆発。
火山ですらない熱帯雨林の山が、噴火した。
巨大なクレーターが形成された山は以前とは大きく形を変え、石や岩は溶けて麓に飛び散り、その高熱で植物を発火または炭化させた。
熱は魔物の触手のように伸びて、瞬く間にイビルジョーを巻き添えにして山を覆い尽くし、すぐ後を追いかけるように炎が広がって全てを焼き尽くした。光、熱、そして煙。
どんな過酷な環境にも耐えると言われるラージャンですら、重い火傷を負って熱に倒れた。
炸裂したのは核爆弾のような破壊力。
ウラニウム、ラジウム、バゼルギウス。
赤道直下とはいえ、高温の爆風が吹き荒れた熱帯雨林では多くの生き物が死滅し、築き上げられた豊富な生態系は、これを機に新たに更新されるだろう。
60度を大きく超えた気温は、タンパク質の高次構造を崩す、動物や昆虫にとって生存不可能な温度だ。対して木の発火温度は約400度。
バゼルギウスの爆発の熱量はマグマの温度すらさらに上回り、破壊力は数値の上でダイナマイトを軽く置き去りにした。
水位を下げ、生き物を蒸し殺したのはあくまで余波に過ぎない。
爆発の対象はあくまでラージャン一匹である。
爆鱗を使い果たしたバゼルギウスはそのまま飛び去り、イビルジョーもこれを追って森の奥へと姿を消していった。
満身創痍のラージャンは、立つこともやっとな余力だったが、それでも負けを認めた訳ではなかった。煩わしい邪魔者の介入により、戦いは中断されたのだ。まずは遠方の雷を捕らえねばならない。
黄金の暴風雨が、吹き荒れる。
一部、設定とモンスター紹介
キリン
雷を操る力を持つ小柄な古龍。
一見すると馬のような姿をしているが、随所に龍の特徴が散りばめられたれっきとした古龍である。人の子を育てたとされる逸話が残っているなど特別なモンスターであることは間違いないが、あまりの希少性からいまだにその多くは謎に包まれている『幻獣』。
悠久の時を過ごす古龍からすれば、人間の一生などは虫のそれのように儚く、短い。
その思し召しなどは人間の理解をとうに超えている。それを理解しようとすることも、考え方によっては一種の冒涜だ。
ドスファンゴ
茸類を好んで食する牙獣種で、生物学的にブルファンゴと同一の種族。
ブルファンゴと比べて体毛が白く体が大きい、群れの主となる種である。(その実態はシルバーバックに近い可能性がある)
一方でこの種族は個体ごとの大きさが大きく異なり、ドスファンゴを持たないブルファンゴの群れも存在する。
その姿や性質はイノシシに近く、ひたすら相手に突進して攻撃する。
直線的な突進を繰り返すブルファンゴに比べ、ドスファンゴはカーブなどの突進のコントロールが細かく、牙による薙ぎ払いといった小回りの効く攻撃も覚えている。
そのため、狩猟難易度はブルファンゴと比べて格段に高い。
尤も、荒ぶる金獅子の暴力を前に、イノシシの個体差など通用する理由は無い。