冬のように生きても春は来る。
神奈川在住の女性I様から「めちゃめちゃ怖いけど会いたい」とご連絡をいただき、熱海駅前のカフェでお茶をした。I様は、緊張で痙攣していた。開始早々「自分は気持ちを言葉にするのが苦手だ」と宣言し、連絡したものの会って何を話したいとかはなかった、ただ、会わずにはいられないと思って連絡したものの、会うと決まったら緊張で吐き気がして嫌になった、坂爪さんには嘘を全部見破られる気がする、下手なことを言ったら斬られる、そのようなことをI様は言った。私は「俺は死神か」と思った。斬られるだなんて最高じゃないか。俺だって斬られたい。斬られて斬られて一皮も二皮も剥かれたい。嘘が見破られそうで怖いと頻繁に言われるが、あたくしに言わせると「嘘をつくお前だって充分に怖いぞ」と思う。なぜ、俺だけ怖い人認定されるのだ。そのようなことを思ったが、私は紳士なのでおくびにも出さなかった。
ことあるごとにI様は「ごめんなさい」と言った。私は「謝られても困る」と思った。そして「I様は暴力を受けて育ったのですか?」と率直に尋ねた。虐待を受けて育った子供が、暴力を振るう人に謝り続けて暴力が終わるのを待っている時の「ごめんなさい」に聞こえたのだ。コミュニケーションの最優先事項が、言いたいことを言うことではなく「加害を受けずに済むこと」になっている印象を受けた。だが、それでは楽しくなり得ない。私にとって、コミュニケーションの目的は「一緒に素敵な時間を過ごすこと」である。謝られても、素敵にはならない。謝るくらいなら元気に開き直って欲しい。何かあるとすぐ「ごめんなさい」と言う人は、言いたいことを言うより、空気を読むこと、相手の顔色を伺うことに全部のエネルギーが使われてしまうために、言いたいことを言えない。言いたいことが行方不明になる。正解を求めてこんがらがり、迷子になって敵前逃亡をする。これでは、アカン。一緒に素敵な時間を過ごすためには、オープンハートになる必要がある。
女性に多い気がするが「言語化が苦手だ」と言う人がよくいる。私は思う。弱いから、怖いから、下手だから、苦手だから、自信がないからって、やらない理由にはならない。やりたいなら、それだけで充分やる理由になる。やりたいからやる。弱くても、怖くても、下手でも、苦手でも、自信がなくても、やりたいと思ったなら、やっていい。やりたいと思ったなら、やった方がいい。やりたいことをやるために、誰かの許可は要らない。待ってばっかりでは、何も変わらない。自分から扉を開けなくちゃ。自転車と同じ。最初は怖い。転べば痛い。だけど、自転車に乗れるようになったら、それはとても気持ちのいいことだ。遠くまで行けるし、早いし、自分が広がり、世界が広がる。自由を感じる。最初は怖い。誰だって怖い。だけど、怖いからやらないってなったら、永遠に自転車に乗れない。あなたの代わりに俺が自転車に乗ることはできない。自転車に乗るのはあなた自身。乗るしかないんだよ。へたでも、怖くても。怖さを克服したからやれるんじゃなくて、怖いまま、痛いまま、やるんだよ。何度も転んで、何度もべそをかいて、それでも乗り続けたから、自転車に乗れたんだよ。同じだよ。怖いからやらないんじゃなくて、怖いまま、やるんだよ。
そのようなことを言ったら、I様は「自分軸で生きてたつもりだったのに全然だった」と言って、これまでの自分を全否定するようなマイナスの雰囲気を醸し出した。私は「そんなふうに思わない方がいいよ」と思った。悪いことが起きたんじゃない。これまでもいい感じで、もっといい感じになれる部分に気づけたんだから、よかったことが起きてるんだよ。のびしろに気づけたんだよ。自分一人じゃ気付けないことに誰かといると気づくことができる。そして、さらによくなっていくことができる。なんだ全然できてなかっただなんて、これまでの全部を否定するような考え方をするなよ。もったいないよ。これまでもいい感じで、さらにいい感じになるだけなんだよ。自分なんかダメだと思ったり、自分には力がないだなんて思って、一人になって閉じこもればこれ以上傷つかないで済むメリットはある。そうしたいなら、そうすることもできる。ただ、俺は、せっかく生まれたのだから、傷ついてもいいからバシバシ外に出てバシバシ傷ついて、血を流しながら「うおお、生きてるぅ〜!」とか言っている方が、好きな性格だ。何が正しいかなんて知らない。何が楽しいかなら、わかる。自分の好きな考え、自分が元気になる考え方を採用して、実行する。自転車に乗りたいなら、乗る。転びまくって、血を流しまくって、最終的に、自由を謳歌する。
I 様は「坂爪さんの目は鋭いけど優しい。本当を見抜く。坂爪さんの存在自体が奇跡。私は働かなくちゃ生きていけないと思っていたけど、奇跡の無職を体現している。坂爪さんに生きていて欲しいと思う人がたくさんいるからだと思う」と。確かに私は給料を貰う生活をしていない。だが、私は仕事をしているつもりである。商売をしていないだけで、俺と言う仕事をしている。あらゆる人に言えることだと思うが、誰もが、誰かの代わりに生きているのだと思う。自分にはできない生き方を、代わりにやってくれている。病気の時「なんで俺だけ」と思うと鬱になるが、自分が病気になることで誰かが病気にならずに済んでいるのだと思えば「俺に任せろ」となる。今回の震災では、北陸の人々が代わりにやってくれている。いつの日か、俺たちも何かを代わりにやる日が来るだろう。変な同情とは違う。可哀想と思うことも違う。これは「男気」に近い。坂爪さんの目は本当を見抜くと言われた。本当とは何だろう。本当とは、俺にもお前にも力があると言うことだ。言い訳を剥ぎ取る。最初は痛いけど、やりたいと思うことはやることができる、自分は駄目だとか自分には力がないのだと思わされることもあるけれど、本当はできる、本当は力がある、やりたいと思うことをやれる、やりたいことをやる時は怖い、死ぬほど怖い、本当はできる、本当は力がある、その「本当」だと思う。だから、自分への虐待を止めなさい。最初から百点なんか出さなくていい。微調整しながら懲りずにやり続ける。俺は食えない爺になるから、お前は食えない婆になってくれ。人生を棒に振る勇気を一緒に持とう。冬のように生きても春は来る。 昨日は突然のメッセージ失礼しました。
おおまかな予定
気持ちの整理をしたく、要らないものを捨てていて、17年前に出産祝いに友達からもらった赤ちゃん用品を入れる籠を見つけて、今、踏み潰して破壊してました。
いい妻、いい母、ちゃんとした社会人を辞めたくて破壊をしながら人間になりてー!と叫んでいました。
自分を生きてない、もがき苦しんでる自分が居て、なにもかも捨てて一度リセットしたい。
5ヶ月前、幼馴染の彼に23年ぶりに偶然再会し、好きになってからずっとそのように思ってました。
彼を好きになったことで、自分の中の色々な気持ちに気が付きました。
破壊をしながらどんどん涙が溢れてきて、私は喜怒哀楽も激しくて、ネガティブ思考が多いし、苦しくても怖くて離婚できない、ちゃんとした社会人で居なければいけないと思う自分でも、今日の坂爪さんのnoteを見て、自分は人間をやっててもいいのかな、自分の中にもなにか宝になるものがあるのかもしれないと感じました。
これから人間として生きていくために自分で生活出来るようにしたり、離婚したりやらなければならないことが沢山ありますが、毎日喜怒哀楽を繰り返しながら自分の中に宝を見つけて、なんとか頑張って生きていきたいと思います。
いつも色々なメッセージを本当にありがとうございます!
長文を読んで頂き、ありがとうございます。
2月13日(火)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!