線維筋痛症で完全脱力した場合の解決方法*医者との信頼関係 | 線維筋痛症のリアル

線維筋痛症で完全脱力した場合の解決方法*医者との信頼関係

テーマ:線維筋痛症

 

朝の5時前に線維筋痛症の悶絶激痛で目覚めました。

 

 

全く動けない時間が30分で済みました。

 

 

YOSHIKIさまが早朝にブログを更新されており

コメントを書きました。

朝からHAPPY♡

 

 

昨夜は0時までに2時間以上眠り

0時半から朝の5時前まで眠ったので

いつもよりも睡眠時間が多いです。

 

 

足して6時間睡眠だからか

『何とか動ける』ようになるまで30分で済みました。

 

 

線維筋痛症は睡眠に

かなり左右されると改めて思っています。

 

いつもは目覚めてから4時間位動けないからです。

 

 

昨夜はシャワーを浴びらず体を拭いて寝たため

朝一番にシャワーを浴びました。

 

 

シャワー中にまだ指の強張りがあったり

目覚めれば目覚める程線維筋痛症の悶絶激痛はUP!

 

 

 

更にはメニエール病で眩暈も始まり

寝起きは常に吐き気がハンパないのですが

強烈な吐き気もMAX!

 

 

吐き気止めと痛み止めを飲みました。

メニエールの薬は飲まず様子見をしています。

 

 

減薬したいので頓服は極力飲まないようにしているのです。

 

 

シャワーを浴びていたら台所付近から

水のゴゴゴゴー!!という大きな音が始まり

配水管が詰っていたり、破れたりしているため

ご近所に聞える爆音にならなければいいと思っていました。

 

 

しかしご近所の方が同じような時間に起きているのは

電気で分かったのですが

玄関に出たのが分かりハラハラ。

 

 

お盆に爆音が響き、ご近所さんまで聞えてしまい

心配して「何の音?」と駆けつけてくれた方もいました。

 

 

 

水道を使わなければ音がおさまりほっとしています。

 

今日は屋根や雨樋の詰まりの工事日です。

 

 

出来れば家の中の水漏れも見て欲しいと

昨日社会福祉士さんにお願いしました。

 

 

市役所の水道課もそこから紹介して貰った

公的機関も現場である私の家に来るだけで

有料であり4000~5000円かかると分かりました。

 

 

そこで社会福祉士さんに相談して

何でも屋さんである良心的な業者さんを紹介して貰っています。

 

 

 

朝から外は蒸し暑くて風も吹いていません。

部屋も暑くエアコンの温度を下げました。

 

 

朝からシャワーを浴びるとスッキリします。

ヘアアレンジを楽しみながら

眠気があるままでぼっーと。

 

 

しかし大切な友達が凄く大変な事になっていると知り

ぼっーとどころかハラハラドキドキ。

 

 

気付けば朝の7時になっています。

 

業者さんが9時頃に来てくれるのですが

2時間後と考えると私にとっては短い時間です。

 

 

足がジンジン痺れ、足の指がひきちぎられそうな

悶絶激痛がスタート!

 

 

 

これを通り超すと次は感覚麻痺になります。

 

 

リクライニングチェアーに座りながら

足を踏み踏みしようとしたら

もう既に右足が感覚麻痺に。

 

 

 

感覚麻痺を通り超すと脱力になります。

 

足は悶絶激痛と強烈な痺れもありますが

足を引きずって動き始めました。

 

庭のお花や観葉植物、家庭菜園コーナーに

水まきをしようと思ったら

玄関でコケて下駄箱の角で頭をぶつけました。

 

 

線維筋痛症で感覚麻痺になり脱力するのは

脳が遮断されるからと

線維筋痛症の主治医に言われています。

 

 

完全脱力すると過去にこんな事がありました。

 

パパさんの運転で通院後に帰宅して

車から降りた直後に完全脱力。

 

頭と顔がくたんとコンクリートについて

声も出ず、全く動けないのです。

 

 

当時体格がすごく良かったパパさんが

1人で私を抱えようとするのですが

完全脱力になると体は重くなります。

 

何度も抱きかかえようとしてくれるのですが

私の体はズリ落ちてしまい

またコンクリートでクタンと落ちるのです

 

 

「大丈夫か?」と言われても

声が全く出ないため返事も出来ず。

 

 

朦朧としていました。

 

 

その時にたまたま通りかかった見知らぬ

お散歩をしていた看護師である方が

私のGパンに手を引っ掛けて

(そこまでは覚えていますが)

たった一人で玄関の入り口まで運んでくれたのです。

 

 

女性一人が運べる事に驚きました。

 

そしてとても感謝しています。

 

 

またこのように脱力すると大変な事になり

ましてや一人暮らしです。

 

パパさんと母方のばぁちゃんの

お仏壇のお水のコップを洗いました。

 

 

片足を上げてお尻にくっつける

その左右の逆をして動かしながら洗いました。

 

 

調子のよい時はこれの応用編で

ヒップアップのストレッチもします。

 

感覚麻痺をしているので片足で立つのは難しく

感覚が鈍りすぎて自分の足のように感じられません。

 

 

そこで脱力した時の解決方法を思い出しました。

 

 

線維筋痛症で完全脱力した場合の解決方法。

医者に教わりました。

 

 

感覚麻痺して全く動けない時に心で

まずは『立ち上がる』と言い続けるのです。

イメージをしながら。

 

 

自力で立つ場合に杖では支えきれないため

固定された丈夫な物に掴まる事からします。

 

 

それもイメージしながら

『立ち上がって、テーブルに手を置く』

と心で言い続けるのです。

 

 

※掴まるものや手を置くものが

車だったり車いすだったり、今の私はテーブルだったり。

 

 

何かにてをついて立ちあがれたら

今度は歩くイメージをするのです。

 

『右足を出す』というのを心の中で言い続けて

イメージします。

 

 

その時に右足を出せるという事が認識されると

次には『左足を出す』というイメージと共に

また心の中で言い続けるのです。

 

これを繰り返せば『歩ける』のです。

 

 

 

家の中の場合は、転倒したとしても

自分の慣れた空間なので危険性は低いです。

 

ところが外出中になると非常に

危険度が増してしまいます。

 

 

その焦りからパニック障害でパニック発作が

出る場合もあるのですが

その時に『大丈夫』と自分に言い聞かせて

自分を信じる事がすごく大切です。

 

これは自分で方法を見つけました。

 

 

外出中に完全脱力して

私は病院内でもそうなった事がありました。

 

車いすからズリ落ちて

病院の廊下に頭からクタン。

 

 

付き添ってくれていた母も気づかず。

私は声も出らず。

 

気付いたのは待合室にいた別の患者さんです。

 

 

ママさんは慌てふためき

「なぜ言わなかったの!?大丈夫?」

と言ってくれるのですが声が全く出らず。

 

看護師3人かかりでベットに抱えて貰い移りました。

 

「大丈夫ですか?」と声かけをしてくれても声が出らず。

 

 

そこで線維筋痛症の主治医がすぐに来てくれました。

 

 

主治医は声が出なくなる事を医者としての知識があり

 

「声が出えへんのは大丈夫やで?

パニック発作も治まるから大丈夫やで

俺が隣の診察室にいるから声を聞いていればええんで?

まめに来るから大丈夫やで?」

 

 

そう声かけそしてくれて看護師にこう説明していました。

 

「意識があるから大丈夫。

完全脱力を起こすと声も出ぇへんのやで?

もしも気絶しても大丈夫なんで?

 

気絶はせぇへん状態や。

でもな?外見からは分からへんけでどパニック発作中。

だから誰か必ずついておいてな?2人体制でな。

ベットから転倒せぇへんようにしてな」

 

 

 

ベットは柵がないタイプだったのです。

 

 

その時は何が起きたのか全く分からず混乱していました。

 

なぜ私がパニック発作中だと分かったんだろう?

とにかく怖い!!

そう心で叫んでいました。

 

 

声が出るようになった時に

「怖い!怖い!先生を連れて来て!」と叫びました。

 

すぐに先生は来てくれて

 

「声が出るようになったんで?

怖いけど怖くないんで?

俺がいるから大丈夫なんで?」

 

 

線維筋痛症と診断されるまで15年かかり

私は医者の言葉でも散々傷ついてきました。

 

 

「怠けている」

 

「精神的なものであり心が弱すぎる」

 

「詐病だ」

 

「痛い痛いとパフォーマンスして周りの注目を浴びたいだけ」

 

 

私は医者という人種が大嫌いになり

通院をやめ吐血しても通院しませんでした。

 

 

ママさんの希望で泌尿器科内科に通院したら

腎不全を起こしていました。

 

 

その後もまた通院せず。

 

ママさんの最後のお願いで

 

「この病院の〇〇先生(今の主治医)は

かなり優秀らしいから

最後でいいからこの病院に行って」

 

 

散々説得され全くもって病院にも医者にも期待もせず

大嫌いである医者という人種に会いに行くだけの事

そう思っていました。

 

 

今の主治医に初めて私が初めて言い放った言葉は

「私は医者という人種が嫌いです」でした。

 

主治医は一言こう言いました。

 

「そうなんや」

 

主治医は私が初めて病院に来て

廊下の待合室で私を見かけた時に

 

「これは大変な患者がきた……。

今まで相当な苦しさを経験している…。

患者として1番、心身共の治療が必要だ」

 

 

そう思ったと後に教えてくれました。

もう既に、廊下で見かけたときに

胸郭出口症候群だと分かったとも聞きました。

 

 

その日に胸郭出口症候群と診断され

疑う心がいっぱいだったのですが

この医者は他の医者とは違うという出来事がありました。

 

 

※これはまた後で記事に書きたいですし

過去記事にも書いています。

 

 

話をもどし

医者との信頼関係が築けていたばかりのころで

『先生がいれば私は大丈夫

だと思っていたのです。

 

 

また話を箸折り、過去記事にも書いていて

また改めて書こうと思いますが

『先生がいれば私は大丈夫』という出来事がありました。

 

 

例えば、年末年始に

医者は休み返上で

毎日線維筋痛症の痛み止めの点滴をしてくれた年もありました。

 

 

そして病気とは関係のないお喋りを楽しくしてくれたのです。

 

 

ゴールデンウィークもそのような年もありました。

 

「今年の年末年始は点滴が出来ない3日間があるで?

でもな?心配せんでも大丈夫やで?

 

俺はな?お正月も含めて家から出ぇへんのや。

だからもしも何かがあったら

すぐに病院に行けるんで?」

 

 

このようにして主治医は間隔を時間をかけて

徐々にあけてくれたのです。

 

 

私は途中で

「先生依存になっていて心配になってきた」

と打ち明けた事があります。

 

 

すると

 

「ええんやで?俺は医者だから。

俺に依存する事が今は1番の治療やで?」

そう言ってくれてとても胸をなでおろしました。

 

 

医者との信頼関係が出来ると

線維筋痛症の世界が全く真逆の

明るい光を浴びる世界になりました。

 

それまでは長い長い光さえ見えない

トンネルの中で15年も生活していました。

 

 

孤立と孤独と絶望の多年。

 

 

〇にたいの気持ちだらけでした。

 

 

今、私のように病名すら分からず

苦しんでいる方が早く診断名が分かる事を

とても祈っています。

 

 

私のように15年もかからずに

一刻も早く病名が分かりますようにと。

 

信頼できる医者と出会えますようにとも。

 

わーお!8時が近いです。

 

今からそれこそ

足だけが両方とも脱力している状態から

脱出したいと思います。

 

 

私は線維筋痛症という病気を知って欲しくて

線維筋痛症の本を出版するのを切っ掛けに

このブログを始めました。

 

 

本は1冊目を書き終えていて

コロナの関係でクラウドファンディングを見送り

今は2冊目を書き始めて

コロナが落ち着いた頃にクラウドファンディングをします。

 

そして上下二巻で出版するよていです。

 

 

しかし線維筋痛症の本を出版したくて

始めたブログですが

みなさんに凄く救われたり癒されたりしており

ブログを始めて本当に良かったと思っています。

 

 

 

線維筋痛症の本を抜きにして

みなさんに出逢ってくれてありがとうと

毎日感謝しています。

 

 

みなさん

改めてこれからもよろしくお願いします。

 

 

そして私もみなさんに恩返しをしたいので

夢と希望がもてるようなブログを書きたいと思っています。

 

 

時々、病気とは関係のないお笑い芸人みたいな

笑える話なども描いています(笑)

 

 

みなさんにとって良い1日でありますように。

 

 

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