AIと著作権に関する考え方について(素案)のパブコメに書く意見を考えてみる
パブコメはこちら→ 「AIと著作権に関する考え方について(素案)」に関する意見募集の実施について|e-Govパブリック・コメント
受付終了日時は2024年2月12日23時59分。
以下、現時点で私個人が考えた内容の要旨をいくつか記す。
色々な視点を示すことに主眼を置いているため、意見には一貫性がないかもしれない。
追加する可能性あり。
1.はじめに
仮に合法的な行為であっても、他文化の尊重などの倫理的規範が求められることを示すことが望ましい。
2.検討の前提として
(2)AI と著作権の関係に関する従来の整理
生成AIの学習は、文化的多様性に関する世界宣言( https://www.mext.go.jp/unesco/009/1386517.htm )"第8条 (略)そして文化的財・サービスの持つ特異性を特に意識する必要がある。文化的財・サービスは、アイデンティティー、価値及び意味を媒介するベクターであり、単なる商品や消費財としてとらえられてはならない。"に反するものであり、生成AIは文化多様性に反する価値観をあらゆる文化に強いている。
柔軟な権利制限規定には次の事項が欠けていると思われる。すなわち、利用する著作物の著作者及び文化の価値観を著しく害することとなる場合は公序良俗に反するものとするべきである。
「著作権法の一部を改正する法律 概要説明資料」にて、柔軟性のある権利制限規定は「文化審議会著作権分科会報告書(平成29年4月)」を踏まえたものであると書かれている。
その報告書のp.47,48では、権利者の本来的市場に影響を与えるコンテンツ提供サービスや結果として行われる著作物の表示等が権利者の本来的市場と競合するサービスは権利制限の対象とならないようにすることが求められるという旨の記述がある。
これらは権利者の本来的市場との関係について、生成・利用段階を考慮する必要性を示している。
生成・利用段階を分けることで生成AIを第1層とし著作者の本来的市場と競合しないと解釈するのは、本来要求されていた柔軟性のある権利制限規定の趣旨を逸脱する行為である。
文化の盗用のために著作物を利用する行為は第3層に該当する利用行為であるべきである。
しかし現状の解釈だと、(生成AIを用いて)文化の盗用のために著作物を利用する行為は第1層に該当する。
「第3層の利用行為が第1層の利用行為に誤って分類されてしまっている」か、「30条の4が第3層の利用行為にまで適用されてしまっている」ことが考えられる。
根本的な原因は学習開発段階と生成利用段階に分けて考えていることだと思われる。分けて考えるべきではない。
条文の関係上どうしても学習開発段階と生成利用段階に分けて考える必要性があるならば、現在の条文では"3つの層ごとにそれぞれ適切な柔軟性を確保した規定を整備する"ことは果たせないということになるので、法改正せざるを得ないと思う。
2.検討の前提として 第三条 公の秩序又は善良の風俗に反しない慣習は、法令の規定により認められたもの又は法令に規定されていない事項に関するものに限り、法律と同一の効力を有する。
(2)AI と著作権の関係に関する従来の整理
イ 法第 30 条の4の対象となる利用行為
著作権者は著作物の利用を許諾する権利(第六十三条)によって不利益のリスクを自ら判断できるのだから、「著作権法が保護しようとしている著作権者の利益を通常害するものではない」というための要件として、「著作権者に経済的及び人格的不利益のリスクを負わせるものでない」ことも必要である。
規約によるオーバーライドの有効性について示してほしい。
確率的に(軽微とはいえない程度に)享受する可能性がある目的のために著作物を情報解析に利用することを禁じるのは、慣習法として成立するのではないか。
5.各論点について
学習開発段階に利用する著作物と生成利用段階で利用するAIモデルのデータは密接に関係しているため、学習開発段階と生成利用段階を分けて考えるべきではない。
5.各論点について
(1)学習・開発段階
ア 検討の前提
(ア)平成 30 年改正の趣旨
「柔軟な権利制限規定の趣旨」と、「第1層のものに関して30条の4を適用するという前提」と、「非享受目的の利用は第1層に当たると考えられる仮説」は別に考えるべきである。
「仮説」を否定する反例が見つかったことによって仮説を否定することになったとしても、「前提」や「趣旨」が否定されるわけではない。
また、「前提」に該当しない例外を権利制限の対象から除外したとしても、「趣旨」が否定されるわけではない。
「仮説」を否定する反例や「前提」に該当しない例外を「趣旨」に反するという理由のみで否定するのは不適切であることを認識していただきたい。
5.各論点について
(1)学習・開発段階
イ 「情報解析の用に供する場合」と享受目的が併存する場合について
(イ)非享受目的と享受目的が併存する場合について
"なお、生成・利用段階において、AI が学習した著作物と創作的表現が共通した生成物が生成される事例があったとしても、通常、このような事実のみをもって開発・学習段階における享受目的の存在を推認することまではできず、法第 30 条の4の適用は直ちに否定されるものではないと考えられる。"とあるが、
そのような事例があるものは"著作物の表現の価値を享受して自己の知的又は精神的欲求を満たすという効用を得ようとする者からの対価回収の機会を損なうもの"に該当する。
第1層ではなく第2層又は第3層として扱うことが適切である。
5.各論点について
(1)学習・開発段階
エ 著作権者の利益を不当に害することとなる場合の具体例について
著作権者の著作物の利用市場と衝突するような行為のために出力・利用する目的で学習・開発することは、著作権者の著作物の利用市場と衝突させる意図を有するものとみなし、著作権者の利益を不当に害することとみなすべきである。
学習・開発段階と生成・利用段階の行為者が異なる場合については、著作権者の著作物の利用市場と衝突するような利用行為を禁止せずに学習・開発することは、著作権者の著作物の利用市場と衝突させないようにする努力を怠ったとみなし、著作権者の利益を不当に害することとみなすべきである。
名誉声望保持権侵害の要件は、「依拠性」と「著作者の名誉又は声望を害するおそれ」があることであり、元の著作者が一般人の判断力により推測可能であれば「特定の著作物との類似性」は必要ないものと思われる。
類似性がなければ合法であるかのような解釈は誤りである。
著作権者の利益を不当に害することとなる場合を考えるに当たり、学習・開発段階と生成・利用段階を分けて考えるべきではない。
「令和5年度 著作権セミナー AIと著作権」にあるように、段階ごとに分ける考えに至ったのは「学習・開発段階のみにとどまる場合は著作権者の利益を不当に害さない」ことと「生成・利用段階において著作権者の利益を不当に害さない場合がある」という議論に起因するものである。
「生成・利用段階において著作権者の利益を不当に害する場合」について段階ごとに分けることを肯定する論拠は見当たらない。
「仮に入力段階だけに限定して考えたら、著作権者の利益を不当に害するものとは言えない」という話が飛躍して、「入力段階は著作権者の利益を不当に害するものとは言えない」という話に至ってる。
「どういった場合に入力段階だけに限定して考えていいのか」の検討が抜けている。
「著作権法の一部を改正する法律 概要説明資料」にあるように、30条の4は第1層に該当する行為について適用されるものである。
但し書きの判断について学習開発段階と生成利用段階を分けて考えているが、それは「令和5年度 著作権セミナー AIと著作権」にあるように、入力段階に限って考えれば権利者の利益を害さないと考えられるからである。
しかし、もし第2層や第3層に該当する行為の中に、入力段階に限って考えれば権利者の利益を害さないと考えられるものがある場合、入力段階に限って考えることは必ずしも第1層に該当する行為について考えているのではないことになる。
ここから言えることは、段階を分けて考えることによって、第1層の射程よりも但し書きに該当しない射程の方が広くなっているということだ。言い換えれば、第1層に該当しない行為に30条の4が適用されうるということだ。
生成段階で享受目的が認められる場合に享受目的が併存するものとするように、学習開発段階と生成利用段階を分けずに考える必要性がある。
「非享受目的であるならば第1層に該当する」という命題は仮説であり、その命題に頼るべきではない。むしろ非享受目的であっても第1層に該当しないものがあれば権利制限をしないように設計する必要があり、それが但し書きの役割である。
学習段階と利用段階を分けて考えるのは、「非享受目的であるならば第1層に該当する」という命題に頼り、非享受目的と言える部分だけ抜き出して考えているものである。
但し書きの"著作権者の著作物の利用市場と衝突するか、あるいは将来における著作物の潜在的販路を阻害するかという観点"は、文化審議会著作権分科会報告書(平成29年4月)において所在検索サービス及び情報分析サービスは第2層、翻訳サービスは第3層に該当するものとしたように、サービス単位で本来的利用に該当するか検討するのが本来あるべき姿である。
その著作物の普遍的な要素を享受することのみを認め、固有の要素を享受することは但し書きに該当することとするべきである。
その人固有のものについて他者と分かち合わない権利である所有権の理論に反するものは、表現の享受に限らない。
例えば実演者の著作隣接権は著作物の素材である声や容姿について固有性を認めるものであるから、そういったものを享受する目的の場合は著作物の固有の要素を享受するものとするべき。
5.各論点について
(1)学習・開発段階
エ 著作権者の利益を不当に害することとなる場合の具体例について
(イ)アイデア等が類似するにとどまるものが大量に生成されること
について
二通りの解釈で、著作権者の名誉声望を害する方法で著作物を利用したとみなされる可能性が考えられる。
・自身の表現と類似する「誰が表現しても同じようなものとなるありふれた表現」が量産可能になることによって名誉声望が害される。
・将来的・期待的な名誉声望が喪失する。
結果的に著作物の市場と衝突する方法で著作物が利用されているので、
(i)学習・開発を行った者に故意又は過失が認められる場合は、但し書きに該当するものとみなすべき。
(ii)学習・開発を行った者に故意又は過失が認められない場合は、著作物が情報解析のために利用されていることを知りながら著作物の市場と衝突する方法で生成・利用を行っていた場合、生成・利用の行為者は間接的に著作物を情報解析のために利用したものとし、但し書きに該当するものとみなすべき。
同意もなしに他者に一方的に経済的リスクを負わせる営利行為を認めることは、自由競争の原理に反するため、市場を不健全なものにすると思われる。
アイデア等が類似するにとどまるものが大量に生成されることは、以下の理由から、著作者のインセンティブを阻害し尚且つ文化の発展を妨げると思われる。
・学習対象が多いほどより巧妙な代替物が作成可能であり、著作物を多数公表することがデメリットになる
・ごく少人数でも大量の代替物が作成可能であり、著作物を不特定多数に対して公表することがデメリットになる
・AI生成物は基本的に非著作物とされる
新たな著作者人格権として、「代替可能性のある非著作物の作成ために著作物を利用されない権利」を創設するべき。
これは文化的多様性に関する世界宣言第8条にも合致するため、自然権論としての性格も持つのではないか思われる。
これまでの議論の根底にあった二つの仮説を否定する反例である。
反例があれば仮説を見直すのが道理であり、仮説を前提に反例の扱いを考えることは矛盾を生むため避けるべきである。
(1)第1層及び第2層の説明にある「本来的利用」について、文化審議会著作権分科会報告書(平成29年4月)p.45で"ここに言う著作物の本来的利用とは著作物の本来的市場と競合する利用行為を指し,著作物の本来的市場とは,著作物を(その本来的用途に沿って)作品として享受させることを目的として公衆に提供又は提示することに係る市場を言うものとする。"と定義されている。
非享受目的の利用が「本来的利用」に当たらないと考えられているのは仮説にすぎず、反例があれば覆るものである。
"アイデア等が類似するにとどまるものが大量に生成されることにより、特定のクリエイター又は著作物に対する需要が、AI 生成物によって代替されてしまうような事態が生じることは想定しうる"と認めることは、「非享受目的の利用の中には本来的利用に当たるものがある」ことを認めるのと同義であり、仮説が間違っていたことを示している。
「非享受目的の利用」あるいは「生成AIサービス」は本来的利用を伴う場合がある第3層のものとして扱うべきであり、第1層や第2層のものとして扱うのは誤りである。
(2)平成27年の文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会「新たな時代のニーズに的確に対応した制度等の整備に関するワーキングチーム」(第3回)においては、"CPSに著作物が取り込まれる段階では,非享受型の利用であるので著作物の正規ビジネスとは衝突しないということでございました。また,出力する段階では享受型のものもあるということですが,著作物の利用が軽微で著作権者等の利益を不当に害するものとは言えない場合もあるのではないか"という話が上がっている。「令和5年度 著作権セミナー AIと著作権」にも挙げられている内容である。
「出力段階における著作物の利用が軽微であれば著作権者等の利益を不当に害するものとは言えない場合もある」という仮説のもと、「出力段階において利益を不当に害するものとは言えない場合」について学習開発段階と生成利用段階を分ける考えを肯定するものである。
"アイデア等が類似するにとどまるものが大量に生成されることにより、特定のクリエイター又は著作物に対する需要が、AI 生成物によって代替されてしまうような事態が生じることは想定しうる"ということは、生成AIは「出力段階における著作物の利用が軽微であっても著作物の正規ビジネスと衝突する場合がある」ということであり、仮説の反例に該当することを示している。
すなわち、生成AIにおける著作権者の利益を不当に害するか否かの判断について、学習開発段階と生成利用段階に分ける必然性は否定される。
そもそも「出力段階において著作権者の利益を不当に害するものとは言えない場合について学習開発段階と生成利用段階を分ける考え」と「出力段階において著作権者の利益を不当に害するものと言える場合について学習開発段階と生成利用段階を分ける考え」は全く別の考えである。前者を肯定したからといって後者も肯定されるわけではない。後者を肯定する論拠として見当たるのは、段階が別れているから段階ごとに検討するべきというトートロジーくらいしかなく、正当性に欠けるものである。
5.各論点について
(1)学習・開発段階
エ 著作権者の利益を不当に害することとなる場合の具体例について
(ウ)情報解析に活用できる形で整理したデータベースの著作物の例について
生成AIの追加学習などの技術が生まれたことで、個々の著作物を「非享受目的を本来的利用とする著作物」として扱うことに経済的価値が生まれ、新たな「非享受目的を本来的利用とする著作物」の類型が生まれることが考えられる。
データベースの著作物に限って考えるべきではない。
5.各論点について
(1)学習・開発段階
エ 著作権者の利益を不当に害することとなる場合の具体例について
(オ)海賊版等の権利侵害複製物を AI学習のため複製することについて
情報解析用のデータセットの著作物として公開されているものが、海賊版の権利侵害複製物や有料の著作物を含んでおり、且つ享受目的で容易に利用可能な状態の場合、海賊版サイトと同様の被害をもたらしうるものと思われる。
このような利用方法は将来的販路を阻害するものとし、著作権者の利益を不当に害することとなる場合とするべきである。
5.各論点について
(2)生成・利用段階
イ 著作権侵害の有無の考え方について
(ア)類似性の考え方について
「著作物と非著作物の類似性の判断基準」と「著作物同士の類似性の判断基準」は異なるべきである。
「著作物同士の類似性の判断基準」では、類似性が否定された場合は著作権の保護対象となるため、両者の人格権が適切に保護されるように調整する必要性がある。
「著作物と非著作物の類似性の判断基準」では、その必要性がない。
また、「著作物同士の類似性の判断基準」は翻案等の表現行為が行われたといえるかの判断である。
非著作物の生成は表現行為ではない。
5.各論点について
(2)生成・利用段階
ク 生成指示のための生成 AI への著作物の入力について
生成指示のための生成 AI への著作物の入力は、特に画像を生成するために画像を入力する場合などについては、著作物の本来的市場と競合する利用行為であることは明らかである。すなわち第3層に該当する利用行為であり、類似性に関わらず、第1層の利用行為に適用することを趣旨とした30条の4を適用するのは不適切である。
5.各論点について
(3)生成物の著作物性について
以下のような生成物は、著作者人格権や肖像権、パブリシティ権などとの調整のため、二次的著作物のように元の著作者又は演者の権利がはたらくようにしたほうがよいと思う。
・一般人の判断力から元の著作者が推測できるような場合で、依拠性が認められる場合
・一般人の判断力から実在する特定の人物の容姿や声との一致が推測できるような場合で、依拠性が認められる場合
5.各論点について
(3)生成物の著作物性について
イ 生成 AI に対する指示の具体性と AI 生成物の著作物性との関係について
詳細な指示を与え、試行回数を重ねたとしても、AI利用者による創作的寄与と認めるべきではないと思う。
第一に、指示から結果に至った精神的、物質的、知的及び感情的な経緯や意図をAI利用者が説明不可能である。
第二に、なぜそこで寄与を終了し完成としたかの精神的、物質的、知的及び感情的な判断理由をAI利用者が説明不可能である。
以上二点から、指示と表現との因果関係にAI利用者の創造性はほとんど関与していないものと思われる。
5.各論点について
(4) その他の論点について
著作物に当たらないものについて著作物であると称して流通させるという行為について
人々が確信をもって他文化を享受できる場を失うことになり、また、他文化を誤って享受する可能性が生まれる。
これは鑑賞者にとっての不利益である。
著作者の利益の保護は文化の発展に間接的に関わるのに対し、鑑賞者の利益(文化的生活へのアクセス可能性)の保護は文化の享受自体に関わるのであるから、法による対応が要されると考える。
6.最後に
著作者人格権とAI との関係において検討すべき点の有無やその内容に関する検討を未だ行っていないということは、
著作権法第50条を無視した場合もしくは
著作者の死後70年以内の著作物について、著作権法第60条や第101条の3を無視した場合に限って検討しているようなものである。
さらに、ベルヌ条約第六条の二の存在を無視していることになる。
そのようなものを「AI と著作権に関する考え方」として周知させるのは不適切である。
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