生成AIが文化を発展させる可能性を考えてみる
1.文化に属し、文化的表現を探求するのは特権か
社会権規約15条1項(a)において、文化的生活に参加する権利が認められている。
文化的表現を探求し、発展させる権利も含まれており、これは一部の人にのみ認められる特権ではない。
すなわち、文化的表現は特権的独占はされていない。
生成AIに関して、表現の民主化という名目は適切ではないと解される。
2.生成AIによる文化の継承の可能性
文化の定義について、社会権規約 条約機関の一般的意見21の注釈12を参考にする。
これらから、簡単に以下のように定義する。
文化とは
(a)精神的、物質的、知的及び感情的な特徴をもちえる、
(b)価値観、又は表象のための行為、又は伝達するための慣行
以下、生成AIを用いて文化の継承、発展が可能か考えていく。
2.1.生成AI単体
まず文化の定義(a)について。
生成AIの学習は、目的関数をつくるために行う。
入力された内容に対応した特徴をもつ出力をする関数だ。
問と答のセットをもとにして正当率の向上を目指す。
人の学習は、客観的な物事を理解する『習得・体得』と、主観的な価値観を醸成させつ『経験・体験』がある。
『習得・体得』は誰が行っても学習する内容は同じだが、『経験・体験』は人によって学習内容が異なる。(例えば、同じ絵を見てもかっこいいと感じる者もいれば、恐いと感じる者もいる。)
『習得・体得』は年月が経ってから行っても学習する内容は同じだが、『経験・体験』はその人のこれまでの知識や経験によって学習内容が異なる。
現在の生成AIは自我がないため、正当率をあげる『習得・体得』しかできない。
「恐いもの」を学習しようとしたら、自分にとっての恐いものを見つけるのではなく、他人にとっての恐いものを覚えることしかできないのだ。
「精神的、感情的要素」を、「物質的、知的要素」に変換して学習していることになる。
「精神的、感情的要素」は「物質的、知的要素」と違って、類似性や傾向による法則よりも、精神的又は感情的要因に起因する。(例えば、同じ鳥でも鶏は美味しそうと感じてカラスは恐いと感じる、など)
他人の体験を知らない生成AIは、精神的又は感情的要因を無視して、なんとか物質的、知的法則をひねり出して関数化する。
そうして作られた生成AIの生成物は精神的、感情的特徴が欠落し、物質的、知的特徴しかもたないといえるのではないか。
すなわち、生成AI単体では、精神的、物質的、知的及び感情的な特徴をもちえる文化を継承するのは難しいといえる。
次に文化の定義(b)について。
生成AIに自我や良識はなく、価値観をもたない。
表象には精神的、感情的要素が不可欠である。
精神的、感情的意味を内在しない形だけの慣行は形骸化である。
よって、生成AIは文化の継承者足り得ないと思われる。
2.2.道具としての生成AI
生成AIを、人間の行為を補佐する道具として扱った場合。すなわち、『習得・習得』生成AIに担わせた場合。
文化の継承に差し支えないといえるのは、以下の条件を満たした場合だと思われる。
第一に、物質的、知的特徴の付与行程と、精神的、感情的特徴の付与行程が既に分離していること。
第二に、人が行わないことによって価値観や意義が損なわれないこと。
第三に、他の文化に対して、価値観、信条、信念等の変化を要さないこと。
3.文化の発展
まず、文化の発展とは画一化や淘汰でないことを確認しておく。
文化の発展とは、他の文化を自らの文化と同等に尊重することを前提に、例えば精神的、物質的、知的及び感情的な特徴の表象精度の向上、行為や慣行の容易化、能動的な新たな価値観の付随などが行われることだと、ここでは定義する。
3.1.生成AI単体
2.1.同様、精神的、感情的特徴が欠落する。
文化の持つ価値観が損なわれてしまうため、難しいと思われる。
3.2.道具としての生成AI
2.2.の条件に該当する場合は価値観を損なわずに発展できる可能性がある。
では、2.2.に該当しないが文化の発展に寄与する場合があるか検討する。
(i)第一条件を満たさないが、行程を分離することで弊害なく発展することが期待される場合
分離によって価値観、信条、信念等が多少変容するものの、その変容が文化的集団にとって許容可能な場合。
自らのアイデンティティを選択する権利を侵害しないために、個人に強制すべきではない。
(ii)第一条件を満たさないが、行程を分離することによる発展が、分離することによる弊害を上回ることが期待される場合
分離によって価値観、信条、信念等を一部損なうものの、その弊害が文化的集団にとって許容可能な範囲であり、且つ許容するに値すると判断される場合。
自らのアイデンティティを選択する権利を侵害しないために、個人に強制すべきではない。
(iii)第二条件を満たさないが、新たな価値観をもつ別の文化として発展することが期待される場合
文化的集団にとって価値観、信条、信念等への影響が許容不可能であれば、それは別の価値観であり、別の文化であるといえるだろう。
新たな文化Aが既存の文化Bに対して価値観、信条、信念等の変化を強いる場合、許容可能性の問題が生じうる。
他の文化の表現の精神的、感情的特徴を取り去って物質的、知的特徴を非倫理的に利用することは問題視される。
別の文化の発展のために、(或いは経済,貿易の観点から、)ある文化に対して価値観を損なうよう求めるのは、文化多様性を脅かす行為であり、文化の発展とは言いがたい。
関係する個人及びコミュニティに許容可能であることが求められる。
(iv)第三条件を満たさないが、他の文化に対して、価値観、信条、信念等の変化を要する必要性がある場合
二つのパターンが挙げられる。
(ア)社会権規約第4条より、正当な目的を有し、この権利の性質と両立し、かつ民主的社会における公共の福祉の促進に必要不可欠な場合に制限を課すことができる。(条約機関の一般的意見21第19パラグラフ)
文化の価値観に変化を強要することは、文化的多様性を脅かす行為である。
ある文化の発展のために、ある文化に対して制限を課すというのは、よほど公共の福祉を害するようなものでなければ難しいと思われる。
(イ)規約で認められている他の権利を制限してしまわないよう調整が必要な場合(条約機関の一般的意見21第18パラグラフ)
例えば、「15条1項(b)科学的進歩及びその応用による利益を享受する万人の権利」が考えられる。
しかし、科学的進歩には文化的多様性に配慮することが求められている。
科学的進歩と文化的多様性どちらか一方に偏るのではなく、対話と合意が必要だと思われる。
(v)時代の変化に伴って文化が変化していくのは必然であるという論調
「流れは止められない」というフレーズである。
確かに、「新たな文化の出現によって新たな価値観が生まれる」という流れは止められないだろう。
それを止めるということは他の文化を尊重することと真逆である。
では、「自らの文化に新たな文化の価値観を取り込む」流れはどうだろう。
異文化の価値観を取り込むことについて、強制によるものは同化と呼ばれ、自発的なものは統合と呼ばれる。
(ア)統合の場合
異文化の価値観を取り込むか否かの決定権は各人が持っている状態であるから、流れがあろうとも、各人の選択肢が狭められることはない。
(イ)同化の場合
異文化の価値観を取り込むか否かの決定権が制限され、選択肢が狭められることになる。
それが法律や政策によるものならば、それに関して参加する権利を有する。
締結国はそれを奨励する中核的義務を負っている。
流れに関与する権利を有しているのだから、流れを変える可能性は潰えていない。
4.生成AIによる創作性への懸念
生成AIが普及した場合、創作性が認められる範囲が狭まることが懸念される。
ありふれた表現は創作性が認められないとされる。(例:木目化粧紙事件)
生成AIは創作的寄与を行わずとも完成した状態の非著作物を出力する。
それが誰でも容易にできるということは、生成AIが普及すればするほど、あらゆる創作的表現が(創作意図がなくとも容易に表現可能な)ありふれた表現化するのではないかと懸念する。
そのような状態は果たして文化の発展に繋がるのか、甚だ疑問である。
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