第5話 入浴

 伊月県秋川市いづきけん・あきかわし


 人口四十万の伊月県最大の都市で、瑞穂鉄道の主要線路が通る駅を中心に栄えていた。古くから宿場町として栄え、山の恵みを享受して人々は暮らしている。

 徳河将軍家を討ち果たす尊王攘夷の討幕戦争においても、十六年前の芽黎内乱においても神皇軍の重要拠点として徴用され、現在も練兵場と駐屯地を兼ねる街であり、軍事的要衝として重用される重要な土地でもあった。


 午後五時頃になって街に着いた燎真たちは、練兵場から借りてきたジープを返すついでに軍に報告を入れるという薄井と別れた。

 去り際、彼はベルカに「柴崎少尉殿、風邪には気をつけて」と優しく微笑んで敬礼していたのが印象的だった。きっと直向きで素直な兵隊なのだろう。燎真たちも薄井と握手を交わし、その大人しげでありながら大きな背中を見送った。


 夕暮れ時の街。

 都会というだけあって、煉瓦造りの建物もちらほら見られる。街路樹同士を繋ぐ紐には、青い火を灯す行灯や穢れ祓いの鈴が提げられており、風が吹くたびじゃらじゃらと鳴っていた。

 籠を担いだ男たちが、着物を着た艶やかな化け猫の女を運び、二足歩行する狐が油揚げを売り歩いている。豆腐に固執して商売をするのは豆腐小僧だろうか。白い髪に白い着物は、それ自体が豆腐のようだ。

 人間と妖怪が手を取り合う都市。大昔――何千、何万年も前は人間と妖怪が表立って殺し合う世界だったという。それはまさに双龍神話の時代の頃だ。

 その頃の地獄絵図に比べれば、穢物という脅威はあれ、現代は幾分マシだろう。少なくとも天龍アマツタツヒコの逆鱗に触れている様子は、空模様を見る限りはなさそうだし。


 燎真たちは宿を取ることにした。活動資金は、当面の分は支給されている。しかし無駄遣いはできなかった。軍内部でも研究所の調査に資源を割く余裕はないという意見があるのだ。

 というのも、十六年前に終息した芽黎内乱の残党が散発的な攻撃を仕掛けている現状、国防に回さねばならない税金を、些事に用いるわけにはいかないという意見が大部分なのだ。国民としても、何の役に立つかいまいちわからない仕事に税金を使ってほしくはないだろう。


 研究所とやらの研究が世界の危機と考えるのは、軍の祓葬師部署くらいなものであり、軍における祓葬師の扱いはあまりよくない。軍にとっては、自らの領分である戦闘という分野に、穢れがどうという理由で他人が介入してくるわけだから、面白くないのだ。縄張り意識というやつである。

 そういうわけで、活動資金は最低限。節約、そして最悪自前で穢物狩りなどで資金を稼がねばならない。実際、その辺の――穢物周りについては軍内部でも一悶着あるらしく、祓葬師を特別扱いする現状に面白くないとする意見が多いらしい。そういう意味ではベルカは爪弾きものだったという。


「素泊まりでいいだろう。食事は、適当に安い店で済ますか、厨房を借りればいい」

「そうね。旅行じゃないんだし」


 女性陣は実際的な考えであった。燎真はせっかくならいい宿に泊まりたいと思ったが、文句を飲み込む。空臣は「野宿じゃないだけマシだな」と、そもそもの観点が違っていた。

 選んだ宿は小道の先にある民宿だった。一泊、素泊まりで一名三五〇〇冥貨。都会の宿としては格安である。

 早速民宿に入り、受付にいる化け狸の男店主に声をかけた。


 ベルカが要点をかいつまんで伝え、素泊まり一泊四名で金を払うと、店主は「廊下を突き当たりまで進んで、右の大部屋だ」と告げた。

 いくぞ、とベルカが先導し、燎真たちは続いた。

 荷物などは式符にしまったり、すぐに取り出す必要があるものは腰紐に吊るした巾着袋に入れてあるので、泥棒の心配はない。

 大部屋に着くと、美琴は白紙の札を大部屋の襖に押し当てて、専用の筆で素早く呪文字を書き記す。あれが鍵の役割を果たす。これでこの部屋は、美琴が設定したこの四名の妖気以外では開けられなくなった。簡単な術であるから、ある程度の術師なら突破できるが――まあ、旅行客がわざわざ他人の部屋の鍵を破る理由はない。そんなことをしてまで他所の事情に首を突っ込むのは、年増の妖怪にもそういない。


「風呂にでも行くか」とベルカ。彼女は大切なことに気づいていない様子で、美琴は告げた。「ここ、混浴だけれど」


 燎真はそれを聞いて、思わず咳き込んだ。突然込み上げてきた空気の塊が、喉で破裂したのだ。


「なんだ燎真、軍人の裸なんて面白いもんじゃないぞ。それとも美琴の裸体を想像したかな」

「このエロガキ」

「うるさい、思春期なんだ。これでも必死に意識から追い出してるんだ」

「人間てのは難儀だな」


 男好きの空臣は呆れた顔でやり取りを聞いていた。男好きと言っても彼はどうやら時と場合を弁えているらしく、別段燎真に変な絡みをしている様子はない。というか、彼は久々に熱い湯に入れるようで、素直な感動の方が勝っているようだった。


「時間をずらすか? いや、非効率的だ。気にするな、お前も男なら女の裸くらい慣れておけ」

「ジロジロ見たら拳骨で行くから」

「わかってるよ……」

「……不憫だ」


 各々着替えを持った。その着替え自体も、札に入れてある。旅行鞄や風呂敷に入れてあるのは、高価な収納式符に収まらない雑多なものだけだ。衣食、金品、武器。これらは収納式符の方に入れてある。

 燎真たちは着替えを顕現させて、浴場に向かった。

 露天風呂ではなく、室内の浴槽であるらしいが、構わなかった。そこまでの贅沢は望んではいない。


 脱衣所に入るなり、ベルカは周りの男の目も気にせず着物を脱いだ。男所帯の軍にいるのだ。嫌でも慣れるだろう。美琴は美琴で対策を考えており、彼女は本来の狐の姿になった。体重四十キロの狐なので、ぱっと見狼に見えなくもないが——まあ、妖怪が泊まりにくる以上周りも変な顔はしない。


「残念だったわね、燎真」

「お前の裸なんて見ても嬉しくねーよ」

「なんだとこいつ」


 なかなか気難しい少女だ、と空臣は思った。見て欲しいのか嫌なのか、——まあ、年頃の少女の心理なんてそんなものだろう。ベルカは手ぬぐいで胸を隠すこともしない。

 しかし都会では消えた風景だが、未だに田舎では庭先でご婦人が水浴びしているのである。しかもベルカは欲情した男くらい、平然と制圧できる軍人で、鬼だ。その圧倒的な自信が、彼女を泰然とさせているのだろう。


 その中でもじもじする燎真というのは、一番女々しい。空臣もすでに裸で、夜鷹らしい羽を広げている。

 意を決して兵児帯を解き、着物を脱いだ。手早く、かつ丁寧に畳んでカゴに入れる。


「恥ずかしがるほど貧相な大砲ではないじゃないか」


 ベルカは遠慮なく言い切った。


「言わなくていいよそんなこと!」

「人間にしちゃ立派だぜ。つーか早く入ろうぜ。汗流したい」

「下品な奴ら……」


 妖怪からのお墨付き? ももらい、燎真たちは掛け湯した。ベルカが、


「別に禁じられてはいないだろうが、狐毛が湯に浮かんだら困らないか。諦めろ、美琴。そういう旅なんだ」


 年長者に諌められた美琴は、諦めていつもの狐娘の姿に戻る。

 きめの細かい雪のような肌は、殻を剥いた直後のゆで卵のような質感をしている。年相応——というにはやや大きい、弓を射るには不便そうな乳房に、安産型の臀部。肉と筋肉が程よく絡んだ肉体であった。

 筋肉質でがっしりしたベルカとは違う、年頃の少女らしい体つきに、さしもの空臣も美しさというものを感じた。


「ふん。ありがたく思いなさい」


 ベルカは鼻を鳴らし、そう言った。

 燎真は必死に視線を逸らすが、その態度がまさに興味津々であることを示していた。なんとも、皮肉な話である。


 湯船に浸かると、疲れが湯に溶け出すようだった。風呂は体に溜まった疲れと、そして神社や寺においては穢れにも効くとされる。

 瑞穂国で銭湯やらの文化が栄えたのは、疲れと穢れを洗い流し、祓い清めるためと言われていた。特に双龍神社ならば、どこの分社にも大きな風呂場があり、村人の憩いの場となっていることが多い。

 なので美琴だって裸を見られることは何度もあったのだ。ただ、気心知れた村人と、見ず知らずの土地の人々とでは、勝手が違うのだろう。男性性と女性性は平等ではないし、相互理解もできないものなのだ。燎真がその気持ちを理解することは、多分これまでもこれからもありはしない。少しずつ歩み寄って、互いに妥協できる点を探るしかないのだ。


 風呂場で裸の付き合いをして、燎真たちはいっとき緊張を忘れた。もちろん、油断とは違うが、張り詰め続けた状態だとはち切れてしまうことをみんな知っていた。適度に弛緩することも重要なのだ。

 ベルカは放っておくと今後の作戦会議もほっぽって酒をかっ喰らいそうな勢いだったが、概ね満足のいく入浴を過ごすのだった。

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アヤカシ・オーヴァドラヰヴ 夢咲蕾花 @FoxHunter

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