第3話 夜鷹天狗と幻術空間

「うおっ」


 山道を下る軍用車——ジープというらしい——は、石を蹴り付けて大きくはねた。


「ひっくり返ったりしない?」

「これ軍用車でしょ? こんなことでひっくり返ったりしないって」


 燎真の質問に、美琴が勝手知ったるように答えた。お前だって山育ちの田舎者だろ、とぼやくと、なんか言った? と鋭く睨まれた。昔から美琴には敵わない燎真は、ち、と舌を打って車窓に視線を投げる。

 その様子をバックミラー越しに見ていたベルカはふふ、と笑い、地図に視線を戻した。


「秋川市の練兵場で借りてきた車だ。整備されているし、山道くらい平気だろう。薄井、龍気の残量は大丈夫かな」

「問題ありません。順調にいけば三時半、四時には秋川市です」


 運転をしているのはベルカの隊の部下だ。実直で無言、余計なことを言わない男を選出した。薄井という、影も印象も薄味の男だった。

 彼は細目で眼鏡をかけており、顔立ちも薄味で印象に残りづらい。だが、こういうとき役立つ。目立たず行動する時、薄井上等兵ほど頼りになる人材はいない。


「ベルカさんは鬼ですよね? この車、その……妖怪用なんですか?」


 美琴の質問の意図を察したベルカは、「いや」と前置きした後、「私の体重は八十七キロだ」と答えた。


 半妖は——異なる種族の生命の子孫は、その肉体が形成される段階で『血の喰い合い』が起こる。喰った側がより強い血と認定され、子に形質や性質が受け継がれるのだ。

 ベルカは長寿の特質と妖力の多さは鬼を、肉体的な特徴を人間に準拠していた。左のこめかみから生えた乳白色の角以外に外見状鬼の特徴はなく、なので体重も極めて重たい鬼——鬼は成人すると二百キロから六〇〇キロに達する——を基準とするのではなく、人間のそれを基準としていた。

 故に、車が積載量オーバーで止まることはない。

 無論、中背の女性が八十七キロというのも凄いが、鬼であることを考えればずいぶんと控えめな体重である。


 山道を下っていく間、何度か大きな石を踏んで車が跳ねた。軍隊で使われる一般的な車両の外装を落ち着いた外見のものに取っ替えたものだが、悪路に強いタイヤやサスペンションは変えられていない。

 燎真は新鮮な経験に胸を躍らせ、車窓から外を眺める。景色が一定の速度で流れていく光景は、滅多に見られるものではない。機械が可能とする画一的で一定の歩幅は、慣れていない燎真には何もかもが新しい。


 一方の美琴はまっすぐ前を見て、時折ちらっと燎真を見やる程度だった。

 言葉はないが、嫌な沈黙というわけではない。ベルカは地図を見るのに忙しいし、美琴は何か異常はないか警戒するのに気を遣っている。運転手の薄井はもちろん運転が第一で、燎真はお上りさんに近い状態だ。それぞれに役割があった。


 と、燎真の目が眇められた。


「あの大岩、さっきも見たぜ」

「似たような岩場なんてこの辺いくらでもあるでしょう」

「いや、絶対さっきも見た」


 子供達の言い合いに、薄井は眉根を寄せた。


「確かに似た景色が続きますね」

「狐にでも化かされたか? エルトゥーラには妖精の隠れ家ティル・ナ・ノーグなんてのがあるっていうが」

「瑞穂でいう迷い家ですな。北国で良く聞きますよ」


 冗談を言い合いながら、ベルカは妖気探知を行った。コウモリがそうするように音波を送る——その要領で妖力の波を送り、その反射で周囲の妖気濃度を測定するものだ。


「薄井、停めろ。燎真、美琴。実戦になるが、戦えるか」


 二人は顔を見合わせ、頷いた。「戦えるよ」と燎真は答える。「よろしい」と言って、美琴は助手席のドアノブを引いた。

 車を降りた三人は式符から得物を取り出し、装備した。ベルカが手回しハンドルを使って車窓を開けた薄井に「私が合図を送るまでドアを開けるな」と厳命した。

 燎真はあたりにぬるっとした空気が満ちているのを感じていた。隣の美琴が、「狐の幻影術じゃない。なんていうか……圧力がある」と漏らす。


「この辺に、人里に住まない妖怪は? 知らぬ間に我らが刺激したのかもしれん」

「天狗がいるって神主様が時々言ってた。あんまり山を荒らすととって食われるって、俺たちみたいな悪ガキを脅かしてたな」

「天狗……高位の大天狗でなければいいが」


 三人は牛車やなんかで踏みしめられただけの道路を外れ、獣道に入る。

 武器を振り回した際互いに当たらぬ距離感をとって、警戒しながら進んだ。


「気位の高い天狗のことだ、どこか小高い丘か木の上から睥睨しているに違いない。礫、倒木に気を——」


 そのとき、ギギギィ……と、木が倒れる音が響く。燎真がハッとして飛び退くと、そこに杉の木が倒れてきた。


「うわっ」


 舞い上がる砂埃に燎真は顔を覆う。天狗倒しだ。しかも幻聴を誘発するものではなく、はっきり物理的に倒している。

 と、思ったら目の前の木がゆらりと揺れて、掻き消えた。


「幻術……」

「大丈夫? 次に来るとしたら礫だろうけど……」


 美琴が耳を立てる。狐の耳は人間に過ぎない燎真よりずっといい。その肉厚の狐耳が、ぴくんっと大きく跳ねた。


「燎真、ベルカさんこっち! あの木陰に入って!」

「わ、わかった!」「心得た!」


 ほぼ同時に三人は木陰に身を隠す。すると、ズダダダダダッと大量の石礫が木の幹を抉った。今度は天狗礫だ。

 石は幻影ではなく、実体。当たればコブだらけ、下手したら死んでいる。


「くそっ、好き勝手しやがって」


 燎真は木に爪を立て、足を引っ掛けた。


「おい燎真、何する気だ」

「見てろベルカさん、これが三珠村の山男だぜ」


 言いながら燎真はひょいひょい木を登っていく。


「私が目付役の意味がわかってもらえました?」

「……ああ、心強いが、ほっとくと何するかわからんな」


 燎真は木の頂上に登った。そこから目を細めて周囲を探る。妖力でさらに薄い膜を目に張り、望遠鏡のようにして遠見術を発動した。


「天狗野郎どこだ……やっていいことと悪いことがあんだろが」


 と、北に五十メートルほどの一際大きな杉の上に、巨大な影。巨大と言っても、飛んでいるものにしては、である。それは人に翼が生えたような外見で、木の周りを舞っている。

 あいつだ。

 燎真は左手の龍ノ手に意識を集中。そして、解放した。

 すると次の瞬間、四本指の巨大な青い龍の手が形成され、隣の木を掴んだ。


「天狗野郎ぉおおおお!」


 雄叫びを上げながら木々を飛び移り、龍ノ手で天狗を掴んだ。


「ぎゃあああああああああああなんだこの術はあああああああああああああ!」


 天狗が泣き喚く小鳥のように叫んで、燎真共々地面に落下した。

 燎真は地面激突の瞬間に枝をクッションにし、さらに右の龍ノ手で腕を形成し落下速度を殺す。一応、天狗も死なさぬように左の龍ノ手で保護していた。

 地面に転がると、龍手の術を解く。

 地面に転がっているのは、燎真より二、三歳上——あくまで、人間換算で——の天狗。その翼は暗褐色で、灰色のマダラ模様がある。南の方で見られる旅鳥の、夜鷹の特徴だろうか。出入りの行商人から買った本で、見たことがある。

 夜鷹天狗はうぅ、と呻きながら起き上がった。


「おい人間、何しやがる! 俺の術中だったろ! 反撃すんなよ!」

「やかましい! 木を倒したり石飛ばしたりしやがって! 道路騒がしくしたのは謝るが、あそこは誰でも通っていいって山主と取り決めてんだよ!」

「あんなヒゲの代わりにカビが生えた山姥の約束なんて知るかよ! ここは俺の山だっ!」

「んだとこのどチビ」

「い……言いやがったな山猿!」


 そこからさきは、年相応の喧嘩である。

 とっくみあって顔を押さえつけ、拳を振るって組みついて投げ倒し——その様子を駆けつけた美琴とベルカが見つけた時、危機感よりも微笑ましさが勝った。美琴の方は、ガキどもめ、と呆れていたが。

 が、いつまでも見ている時間はない。こっちは急ぎなのだ。


「双方そこまで」


 美琴が凛とした声で告げると、二人の少年は手をとめた。


「天狗殿、こっちは三人。この状況でどう逆転する? 無論、私たちには争う気はないわ。術さえ解いてくれれば、問題ないから」

「術? なんのことだよ。お前らが俺の縄張りにぞろぞろ入ってくるから脅かしたんだろ」


 ……? 話が食い違っている。ベルカは慎重に尋ねた。


「君が道を惑わしたんだろう? 山道がループ、……同じ地点を繰り返しているんだ。君の幻術じゃないのか?」

「俺、そんな空間構造捻じ曲げられるような高等幻術使えないよ」

「待ってくれ、じゃあ俺たちをあそこに閉じ込めてるのは誰だ?」

「知らないけど。ってか冤罪で攻撃してきたとかほんと人間って野蛮だな。責任とって俺の男になれよ」

「それは色々おかしい。ほんとにおかしい。急ぎで早く行かなきゃいけないんだ。知ってることがあったら教えて欲しいんだけど……その、ごめん。変な言いがかりつけた」


 燎真が男らしく跪いて両手をつき、頭を下げると、夜鷹天狗は虚をつかれたように「あ、ああ……反省してんならいいんだよ。さっさと立てよ」と頷く。天狗なら、土下座している様子を高笑いして見下しそうだが。どうやら、彼らにもなんらかの基準というか、美学があるらしい。


「戻ろう。薄井が心配だ」


 ベルカがそう言った。美琴も「ひょっとしたら穢れのせいかもしれない」と言う。


「俺でよければ近道教えるぜ。お前ら、なんかおもしろそーだし」


 夜鷹天狗がそう言って、


「俺は良高空臣よだかそらおみ。良高天狗衆期待の新妖だ」


 胸筋が発達しているのか、少しふっくらした鳩胸を張って、そう名乗った。

ぞ」

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