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花を抱いて眠る。

東京の予定を終え、花を配った。行く先々で花を配ることが生業のようになった。各地の花屋さんとブックオフとドトールの場所だけは知悉するようになったが、竹橋駅の地下街にある花屋さんは群を抜いて素晴らしい。おばあちゃん一人でやっている小さな花屋さんだが、細やかな心遣いが温かい。人間を、客としてではなく人間として接している印象を受けるから好きなのだと思う。花は、小さくて素朴なものが好きだ。花束より、一輪の花。花束は、あまりにもたくさんの花があるために、どれを愛せばいいのかわからなくなる。満員電車に乗る時、ストレスを軽減させるためには心を殺すしかない。

東京在住の女性Y様から「お花をください」とご連絡をいただいた。会う前から物凄い緊張をして、仕事中も脇汗が止まらずパソコンの画面をひたすらスクロールするだけでまったく仕事にならなかったと、Y様は楽しそうに話した。もしも時間があったら一緒に食事をしませんかと誘っていただいたので、お言葉に甘えて神保町のラム屋に行った。道中、歩きながら「ようやく緊張がおさまってきました」とY様は笑った。夜の東京は気持ちのいい風が吹いていた。この界隈は普段ランニングをしているコースだから案内は任せてくださいと、Y様は言った。

楽しいと美味しいは別物なのだと最近頻繁に思う。食事は「美味しくて楽しい」か「美味しいけれど楽しくはない」か「美味しくも楽しくもない」の三種類に別れると思う。美味しくないけれど楽しいということはない。楽しければ全部が美味しくなる。Y様は「人といる時は味が分からなくなるから、本当に食べたいものは自分一人の時に食べる。だから、何でも好きなものを食べてください」と言った。私は「美味しい」と思いながら食べた。だが、楽しくはなかった。一人で食べているからだと思った。会話も似ていると思う。誰かといる時、その人と話をしている気がしない時がある。人と話す時、自分と話をしているからだと思った。結局、一度も「美味しい」と耳にすることはなかった。

都会で暮らすためには、ある程度心を殺さないとやっていられないのだと思う。その反動としてスピリチュアルなどの精神世界が求められているのだと思う。Y様は言った。日記を書く時も「何をしたか」は書けるが「何を思ったか」を書くことができない、と。それを聞いた時、私が苦手とする世間話の類を思い出した。体調不良で寝込んでいた時、二人の女性がそれぞれ別々に見舞いに来てくれたことがある。初対面同士である彼女たちの会話は盛り上がっていたが、何をしたかと言った情報のやり取りはあっても、何を思ったかと言った情緒のやり取りはなかった。これが女の会話なのかと思って、私は会話に加わることができなかった。情報だけが飛び交い、情緒が置き去りにされている。だから、俺に会いに来たのではないかと思った。

感受性が豊かだと、生きるのも苦しくなる。それでも、苦しい道を選んだ。生きるのは俺だ。生きる力を与えてくれるものは、俺以外の者達だ。その後、お花をくださいと連絡が届き新宿に移動をした。だが、どれだけ待っても待ち合わせ場所に人が現れることはなかった。一時間後、ようやく「罠か」と合点がいった。行く場所も寝る場所もなかった。花を抱いて、道端のベンチに腰をかけた。日本は寒過ぎる。誰か、俺をエジプトかメキシコに連れて行ってくれと思った。その時、一通の連絡が届いた。そこには「お酒に酔った勢いで贈らせてください!」と書かれてあり、ギフトカードが添えられていた。生きるのは俺だ。生きる力を与えてくれるものは、俺以外の者達だ。花を抱いて眠った。

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おおまかな予定

2月9日(金)東京都新宿区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z

バッチ来い人類!うおおおおお〜!

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花を抱いて眠る。|坂爪圭吾