進め、進め、お前の道を進め。
京都在住の女性W様から「何もないところに行きたい」とご連絡をいただき、奈良の藤原宮跡に行った。広大な敷地には、本当に何もない。公園ではないから、ベンチもない。到着早々、W様は「わー!」と言って、犬のように駆け出した。何もない場所だからこそ、社会的な首輪を外されて、自由になることができる。人目もないから、心置きなく独り言も言える。歌を歌うこともできる。私は「何もない何もない何も何も何もない」と歌いながら、敷地を歩いた。
宮城出身の童謡作家スズキへキは、終生仙台を離れず「みやぎの子どもにはみやぎのうたを」と自ら原始童子になりきって童謡つくりに情熱を燃やした。彼は「本来、音楽はその場で生まれてその場で消えていくものだから、楽譜にしたり文字にするものではない」と言って、自分の作品が残されることを嫌った。何もないところから音楽は生まれる。「何もない何もない何も何も何もない」と歌った時、歌が私になり、私が歌になった。景色が私になり、私が景色になった。歌うことで、喜びも悲しみも離れた。
童謡のふるさとを歌うと、兎を追いかけた記憶などないのに、ただただ、懐かしさを覚える。郷愁と共に、涙が出そうになる。嬉しい時も、悲しい時も、涙が出そうになる。なんでこんなに懐かしいのだ。涙は一体何処から来るのだ。その場で生まれその場で消えていくものが音楽なら、私たち一人一人が音楽みたいなものだ。忘れたくないことを言葉にしたり、写真にしたり、歌にする。刹那を永遠に閉じ込める。そして、安心して忘れていく。安心して忘れるために、強く強く刻み付ける。忘れたことは思い出せる。失くしたものは取り戻せる。過ぎ去るものと歩き出せる。消え行くものと生き続ける。
京都在住の女性Y様から「一緒に河井寛次郎記念館に行きましょう」とご連絡をいただいた。入館者に与えられる小さなパンフレットには、このような言葉が書かれてあった。河井寛次郎は、その生涯を通じいつも子どものように感動する心を失わず、ありとあらゆる物と事の中から喜びを見いだし、そして何よりも人と人生をこよなく愛し大切にした人でありました。寛次郎は『驚いている自分に驚いている自分』と語っております。私達は誰でも美しいもの、素晴らしいものにめぐりあえたとき感動し、心豊かになるものですが、翻ってそんな感動、そんな思いが出来る素晴らしい自分自身には案外気が付かないものです。(中略)この記念館は、そんな寛次郎であったことを皆さんに知っていただくとともに、ここが作品を創作した場所であるだけでなく、高く、深く人間を讃えつつ生活した場所であることを観ていただくために開館いたしたのでございます。私どもにとっては、皆さんにこの記念館をご覧いただいた後、何かの美、何かの感動、何かの驚き、何かのやすらぎを覚えて下されば無上の喜びでございます。
その後、六波羅蜜寺に足を運んだ。空也像を前にして、Y様は涙を流しながら言った。河井寛次郎記念館も六波羅蜜寺も、来るのは今回が初めてではない。だけど、自分の状態によってこんなにも見え方が変わるのかと驚いているし、感動している。今、私は人生の転機にいる。怖いと思うことをやらなくちゃと思っているのだけど、そのための力をもらった気がする、と。ここに来た記念に何かを買おうとしたが、結局何も買わずに出た。モノとして残す代わりに、一年に一度でもいいから、十年に一度でもいいから、またここに来ようと約束した。スズキヘキにも河井寛次郎にも空也上人にも、原始童子を感じる。偉くなるとか立派になるとかではなく、無名に徹した。無名の人々と共に生きた。童心とは、純心のことだと思う。純心を守り続けた彼らは、今も尚、純心を守り続けている。 おおまかな予定
2月7日(水)大阪府大阪市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!