1969年の東京 [60fps 高画質]
1960年代末の日本 / Tokyo, Japan in 1969
これが1969年の東京。
名作劇画『ワイルド7』が連載
開始された年の東京である。
私は9才小3。
アメ横MGCボンドショップに
モデルガンを買いに行ってい
た頃。店内超狭く、レンガ壁に
オブジェでモデルガンが埋めら
れていたのがボンドショップ。
そして、その後本店となる雑居
ビルの3階はその頃はサービス
部という部門だった。
奥の設計事務室はガラス張りで
店内から見えた。
店内はやや広かったが、西部の
サルーン風にカウンターがあり、
その向こうの棚にウイスキーボ
トルではなくモデルガンがびっ
しりと裸で並んでいた。
頼めばどれでも手に取らせてく
れたし、発火用の展示モデルも
多くあった。
71年頃になると、もう店内は
すし詰め状態で歩けないほど
混んでいた。1970年の万博展
示がかなり国内でもモデルガ
ンの普及に貢献していた。
まだブローバックモデルは登場
していなかった。
上の動画にもある1969年の東京
観は、実は1980年代末期までは
変化がなかった。
東京の街が一変するのは、1980
年代中盤以降のバブル大地上げ
世相になってからだ。
東京の街はどんどん古い建物が
取り壊され、とにかくプラザ合
意以降は日本の首都が様変わり
したのだった。
大学の建物も文化財的明治建築
を残す事以外では、まるで宇宙
局のような奇抜な前衛的建物に
建て替えられ始めたのも1980年
代後半の出来事だった。
そして、新都庁庁舎が新宿に
建てられた。バベルの塔かよ、
みたいな建物が。
それ以降、超高層ビルの建設
ラッシュが続いていた。
まだタワマンのような超超建築
物は登場していなかった。
そうした飛び抜けた高さのビル
が登場するのは今世紀も大分
過ぎてからだ。
とにかく、1969年と1980年代
中ごろまでの東京の景色に変化
はなかった。
そりゃそうだ。1969年と1980年
代中期はたった10数年しか経っ
ていないのだから。
東京で首都騒乱だった1960年代
後半は、1980年代中期までの
東京の景色とほぼ変わらない街
で発生していたのだった。
今のような近未来都市東京の
姿ではなく、1980年代中期まで
の東京は、まさに「戦後高度経
済成長」を象徴するような街だ
ったのである。
バブル浮世が東京を変えた。
そして人を変えた。特に女。
ゼニカネ第一の女がバブルに
よってとてつもない数ほど大量
発生し、手編みのマフラーや手
作りバレンタインチョコは日本
から絶滅した。
なんでもかんでもゼニ、という
のがバブル時代の日本人の性根
だった事は疑う余地がない。
今のパパ活(売春です、それ)に
繋がる日本人の女の大売春が一
般化したのも1980年代だった。
これは売春愛人契約デートクラブ
の「夕暮れ族」が始まりだった。
敗戦直後のように生活苦で売春
するのではない。
楽して(楽ではないかもしれ
ないが)働かずに金を得ようと
して女が喜んで自ら進んで売春
する社会現象が1980年代から発
生したのだった。
そして、それ以前から続いて
いた芸能界の女優や新人を売
春させる(超有名女優まで)
芸能界のどす黒い構造が継続
強化されたのも1980年代だった。
枕営業などなまやさしい。売春
そのものをさせるのだ。アイド
ル歌手や女優たちに。
今問題になっているジャニーズ
事務所による少年性犯罪などは
ごく当たり前の事で、それを
知りつつテレビ局や報道も目を
つむって今の今まで来たのが
日本の芸能界とマスコミの黒い
繋がりだ。
ジャニーズ問題が俎上に上がっ
たのは被害者がようやく勇気
を出して告発したからだが、
それをマスコミやテレビ局が
取り上げて社会正義面して
報道するのは、「何を今更」
感が非常に強い。
そうした社会問題は、首都で
ある東京を中心として発生し、
現在でも水面下で継続している。
ジャニーズ問題や松本問題など
は、ほんの氷山の一角だ。
アイドル的新人女優への強姦
や売春等の問題は、闇から闇
に葬られて来た。音楽業界や
芸能界やマスコミの世界では。
本当に薄汚く、人権無視の
世界がマスコミと芸能界と
音楽界、映画界の世界だ。
端的にいうと、プロデューサー
や有力者と肉体関係を持たない
と役をくれない、曲も潰される、
進退も握られて潰される、とい
うのがその世界。
これは今でもそうだ。
女性や少年の「性」は商品化さ
れて性的人身売買が行なわれて
いるのが芸能界、音楽界、映画
テレビ界であり、マスコミは
すべてを知っていながらずっと
知らぬふりをしていた。
それが実態だ。
腐れ切った膿だらけなのだ。