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第2章 《煉獄の森》の魔物たち
第35話 聖女の実力の一端

 いかにアトが訓練に厳しいと言っても、俺たちになんらの休憩時間も与えない、というわけでは流石にない。

 一切の休みなくずっと訓練し続けたら死ぬ、というくらいのことはアトでも理解している。

 ただ、そんな休憩の時間、当然、アトの体は空く。

 俺たちと違って体力まで含めて紛うことなき化け物であるアトには、休養などほとんど必要がないようだった。

 だからそんな時間、アトは俺たちの安全のために働いてくれることになった。

 それはどういうことかといえば……。


「……グルァァァァ!!」


 という、巨大な咆哮が辺りに響く。

 恐ろしげで、人の本能的な恐怖を誘う悪魔的な響きが、鼓膜を震わせる。

 そんな耳障りな声の主人は、もちろん、この化け物跋扈する森で逞しく生きる魔物の一体に他ならなかった。

 それはギリトラット、と呼ばれる高位の魔物で、とてもではないが今の俺たちが勝てるような相手ではない。

 それどころか、遭遇した瞬間に逃走を決意しなければならないほどのもの。

 見た目は真っ白な、毛足の長い犬そのものであり、コボルトたちの仲間のようですらあるが、その大きさは彼らの数倍だ。

 つまり、大きな牛ほどもある、犬である。

 しかも非常に素早く、体には強力で深い魔力すら帯びている。

 流石は《煉獄の森》だな、と思わずにはいられなかった。

 ギリトラットの前足は容易にその辺りの樹木を押し倒し、爪はよく研がれた刀剣よりも鋭く硬い。

 一般的に倒すには多大な戦力が必要になってくる存在で、普通なら俺だって逃げている。

 にもかかわらず、こうしてじっくりと観察できているのは、俺たちの実力がかの魔物と戦えるほどに上がったから……というわけではなく、戦える者が俺たちの前にいるからだ。

 そしてそれはもちろん、我らが教官にして剣の聖女でもあるアトに他ならなかった。

 彼女はその名の示す通り、一体どこに隠し持っていたのか分からない大剣を手に、今ギリトラットに相対していた。

 アトは俺よりも少し低いくらいの身長の、比較的小柄な少女だ。

 一見非常に華奢で、それこそスプーンよりも重いものなど持ったこともなさそうにすら見える。

 そんな彼女が、たとえ大人でも振るのが難しそうな巨大な剣を手に持ったといっても、ギリトラットにとっては大した脅威ではないはずである。

 その爪の一振りで、その牙の一噛みで、容易にその身をただの肉塊へと変えてしまえる。

 そんな存在に過ぎないはずだ。

 にもかかわらず、不思議なことに、彼女の対面にいるギリトラットは、威嚇するように大口を開けて吠えるも、距離を詰めようとは一切しなかった。

 それはまるで目の前にいる存在が、生物として自分よりも上位にいることを本能的に悟っているような、そんな動きであった。

 事実、ギリトラットのその勘は、正しいだろう。

 何せ、アトの構えには何の気負いもなく、極めて自然であり、目の前にいる強大な魔物に対する恐怖を一切滲ませていない。

 我慢しているとか、耐えているとか、そんなことはなく、ただ客観的に彼女はギリトラット如き、怖くもなんともないのだろう、と分かってしまうような。

 そんな表情だった。


「……皆様、よく見ていてください。最終的には皆様にもこれくらいは出来るようになってもらわなければなりませんので……」


 アトはそう言ってから、非常に軽く、踊るような仕草で大剣をスッと振った。

 あまりにも非現実的な、まるで重さなど存在していないようなその動きは美しく、一瞬俺たちはそれに見惚れた。

 しかし、そんな時間も長くは続かなかった。

 直後起こった出来事にこそ、俺たちの注目は移らざるを得なかったからだ。

 それは……。


「……ッ? ア、ガッ……」


 不思議そうな顔をしたギリトラットの体に、突然、大きな切り傷が刻まれた。

 それも一本ではなく、複数本である。

 それらは次の瞬間、鮮血を吹き出し、そして、そのままギリトラットはその巨体を地面に横たえる。

 立っていられなくなったからだ。

 アトの斬撃によって、致命傷を与えられたからだ。

 そう理解出来たのは、別にアトの斬撃が刻まれる瞬間を見れたからではなく、この場においてあれを出来る存在がアトしかいないことを、この場にいる全員が分かっていたから。

 ただそれだけのことだった。

 おそらくはなんらかの技、技能なのだろうが……多分だが《剣姫》の派生技能と思しき、《飛舞剣》ではなかっただろうか。

 《剣士》などの《斬撃》は、通常の剣での斬撃そのものに上乗せして攻撃力を高めるものに過ぎない。

 《剣聖》の《一刀両断》をアトが持っていることは確認しているが、これは一撃の元、相手をそれこそ一刀両断する技能だ、と言われているが、今のギリトラットに刻まれた傷を見る限り、少し違うように思われた。

 アトの攻撃は、少しばかり距離のある相手に、複数の斬撃を飛ばすことで傷を刻んだ、そんな風に見えたのだ。

 その攻撃を最も想起させる技能の名称こそ《飛舞剣》だ、というわけである。

 実際にはこの推測は全く外れているかもしれないが……。

 そう思っていると、アトがギリトラットの絶命を確かめてから振り返り、言った。


「今のが《飛舞剣》、根源技能《剣姫》の派生技能の一つです。これは練習次第で一般技能としても習得が可能なものですので、皆様にも十分、身につけられます」


 その言葉に、この場にいた全員が、


 本当なのだろうか?


 と首を傾げたのは言うまでもなかった。

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