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鴻池留衣「おはじきができるまで」


 彼女は長野出身で僕は埼玉。お互い東日本人です。彼女は僕より四つ年下です。彼女は一九九一年生まれで、僕は一九八七年。彼女は平成、僕は昭和。あと僕たちはそれぞれ一月と二月生まれなのでどちらも早生まれです。クラスの友達大体年上。
 彼女は両親と弟の、四人家族で育ちました。弟は、姉と六つ歳が離れています。姉は弟が赤ちゃんの頃、彼を「王子様」と呼んで可愛がっていました。
 お父さんは公立学校の美術教師です。小さな頃から美術館へよく連れて行ってもらったそうで、その体験がきっかけで、美術館巡りは彼女のライフワークになりました。実際、少なくとも月に一度は何らかの展示を観に行っています。
 彼女は小さな頃、お父さんと一緒に絵をたくさん描きました。今でも彼女はよく絵を描きます。最近はフリーステッチング(刺繍)でタオル地みたいなモコモコの「布イラスト」を作っています。
 お母さんはピアノ教室の先生で、実家のリビングで、近所の子供達にレッスンを開いています。母親の強い影響下で娘もピアノを習っていたのかというとそうではなく、嗜んでいたのはバイオリンでした。今でも弾けるのかといつか問うたら「無理」とのこと。
 彼女は勉強が好きではありませんでした。中学でも高校でも授業中、ずっと居眠りをしていたし、そもそも学校は休みがちだったと言います。彼女が通っていた高校には、一応指定された制服があったらしいのですが、生徒たちはフォーマルな場所でない限り基本的には私服を身につけていました。彼女はそんな中、男の子用の学ランを着て登下校するような人物だったので、周囲の中でそこそこ目立つ生徒だったのではないでしょうか。本人に聞いても「ずっと絵を描いてた」とばかり言うので、学生時代の彼女の実態はよくわかりません。
 彼女は口を開けて眠ります。最初に一緒に寝た日のことを覚えています。同じマットレスに横たわろうとした際、「私、寝言すごいですよ?」と予告しました。当時は僕に敬語を使っていたのです。で、確かに寝言はすごかった。「てめえいい加減にしろよ!」とか「人の話聞けクソババア!」と叫ぶのです。ブツブツ呟く類の寝言ではなく、本当に起きているかのようなはっきりとしたセリフでした。その、十数分ごとに、うとうとしている僕の鼓膜をつん裂く彼女の大声は、その後も長らく僕を苦しめることになります。しかしそれと同じくらい驚いたのが、彼女の涎でした。深い睡眠に入ると常に半開き状態の口から、涎が垂れてしまいます。その体のどこにそんな大量の水分が準備されていたんだと思えるほどの量が、テロテロと透き通りながら川を作る。本人曰く、小さいころは涎なんて垂らすことのなかった、清潔な子供だったとのことだが、成長して顎関節の構造が変わったのか、それとも唇の筋肉が衰えたのでしょうか。
 だから彼女の枕にはいつもハンドタオルが枕カバーのさらに上に敷かれるのです。毎日彼女の体液で汚れたタオルを交換します。交換を怠るとタオルと枕が臭くなります。
 そんな口元のだらしない彼女のくせに、僕のことをしばしば不潔な人物として扱うのだから困ったものです。我が家では、キッチンは汚れている場所なので基本的には僕しか立ち入らず、また彼女の自室は清潔なので僕は許可なく立ち入ることができません。料理は僕の仕事なので、縄張りとして責任を持てというわけでしょう。それはそれで別に構わないのだけれど、キッチンで溜めている家庭ゴミの入ったゴミ袋を、マンションの共同ゴミ置き場へ運ばなければいけません。僕が自分のタイミングで玄関の外へ持っていこうとすると激怒するんです。ゴミ袋が家の中の物(衣類や鞄など?)に当たると汚いから自分でやる! と彼女は言い張りました。だから彼女が忙しい時期には、キッチンがゴミ袋だらけになってしまいます。
 いや、彼女と一緒に暮らすようになってからというもの、家がまともに片付けられたためしがない。僕とて片付けの得意なタイプではないけれど、所有物の量が全然違います。彼女の散らかした荷物に先に家の中を陣取られる形で、僕にはほとんど手の施しようがありません。家の中を散らかすことはすなわち、占領統治です。僕が実効支配できるエリアは家の中において、キッチンとベッドの半分とリビングのテーブルの一角だけです。
 僕たちは僕と彼女との関係について、ずっと模索し続けてきました。一説には、僕たちは七十年代、八十年代にヒットしたゴキゲンなナンバーがひっきりなしに流れているディスコのミラーボールの下で出会ったことになっています。
 彼女の本当の名前は「もいもい」。人間ではなく、地獄からやってきた赤ちゃん鬼(年齢三三三三歳)です。どんな姿をしているのか、彼女自身が絵に描いて説明してくれるんです。二頭身。体は黄色くて短い毛に覆われ、おさげにした長い髪の毛があります。顔は犬みたい。大きなオムツを穿いていますが、まだ外れないからという理由ではなく、おしゃれであえてオムツを穿いているんだそうです。
 もいもいは地獄で生まれた鬼です。地獄には当然、こっちの世界から悪い奴らが毎日大量に送られていきます。地獄の鬼の仕事は、地獄に落とされた悪人たちへの拷問です。地獄には基本的に大人しかいません。もいもいの敵は大人です。子供のことをいじめた悪い大人たちを地獄で永遠に虐待する使命があるのです。
 そんなもいもいは時々、赤ちゃんをいじめる悪い大人たちを生前に成敗するべく、地上へと姿を現します。親にほったらかしにされて困っている赤ちゃんにミルクをあげたりオムツを替えてあげたり、赤ちゃんを保育園に預けるだけ預けて自分の時間を楽しみ子育てに興味を示さない人や、赤ちゃんをぶった人、転ばせた人などを捕まえて、生皮を剥いで河原に晒し首にしてやるというのがもいもいの地上での過ごし方です。
 あの日ももいもいは地上へと来ていました。ディスコは大賑わい。僕はテキーラのショットで呂律がまわらなくなって、とにかく体を動かそうとしました。ちなみに僕の本当の名前はうさぽんで、正体は実は人間ではなくウサギです。
 赤ちゃんを助けに地上にやってきたもいもいは、好みの音楽に惹かれここへやってきて、気づけば自分の使命も忘れて踊り狂っていました。
 酔っ払いながら踊っている僕の足がもつれて、転んでしまいます。偶然隣にもいもいがいました。どういうわけか転んだ僕の両脚が、もいもいの穿いているオムツにすっぽりとハマってしまったんです。もいもいと僕は丁度、背中合わせにした二人が一つのオムツを共有している形です。
 これが僕と彼女との出会いです。
 また一説には彼女は、僕がどこかから拾ってきた謎の卵から孵った謎の生物、怪獣アサゴンなのだとも。
 ギャーギャーうるさいし人のことを汚物のように扱うし、口からは大量の液体を吐くし、勝手に人のスマホを開くし、早く飯を作れと命令してくるし、凶暴という意味では信憑性があります。本人も、まんざらでもありません。それどころか、自分はペットなのだから、飼い主としての責務を果たせと僕に要求してきます。
 逆に、飼い主たる僕は、彼女にとってはぬいぐるみとして定義されます。つまり僕は彼女の所有物というわけです。喋るぬいぐるみ。僕もぬいぐるみは好きな方だけど、僕がぬいぐるみなのはまっぴらごめんです。ウサギのぬいぐるみなんだそうですよ、僕は(吉徳の)。
 僕たちは世間一般で言うところの恋愛や結婚などと言ったもののしがらみから、意識的にしろ無意識的にしろ、距離を置いてきました。二人の関係は固有のものであり、恋人とか夫婦とか友達とか兄弟とか、いずれにも当てはまらないからです。一応、僕と彼女は血縁者でも養子縁組でもないにも関わらず同じ戸籍に入っています。しかし台東区役所にて保管されているあの原本が、僕と彼女との関係に遠隔的に及ぼす影響は微々たるものです。
 彼女は音楽が好きです。最初に出会ったのは、一説には、共通の知り合いのバンドのライブだったとか、僕がフロントマンを務めるバンド「断美出汚(ダンチュラ・デオ)」のワンマンの客として現れたのだとも言われています。とにかく、出会ったのが音楽の鳴り響く場所だったことは間違いないようです。
 彼女は高校時代からずっとバンギャでした。最も熱心に追いかけていたのはLuLuというバンドだったそうで、ヴィジュアル系から始まり、ハードロック/ヘヴィメタルにハマり、ストック・エイトキン・ウォーターマンやら、本邦七十年、八十年代歌謡曲やらまで、さまざまな趣味があります。今ここであげられないほどです。
 僕と彼女はよく二人でカラオケに行きます。彼女はアニメおぼっちゃまくんのオープニング、エンディング曲を最初の方で歌います。そうそう、一説には彼女はおぼっちゃまくんです。口調も茶魔語を多用するようになって、「はいっしゅ」とか「ひんみ」とか、ちゃんと声に出して言います。もしあなたが僕になったら、「たのちんこ」「さびちんこ」「ありがたまきん」などという言葉を、日常的に目にしたり聴いたりすることができます。
 彼女には子供がいません。僕にもいません。僕たちは赤ちゃんと動物とあらゆる可愛いものが大好きです。もし、僕と彼女との間に子供ができたとしたら、その子は僕たちにとって一体どんな存在になるのでしょう。
 生物学的には僕と彼女の子です。民法上もそうなります。けれどもそれは他人が決めた関係性でしかない。ここでいう他人とは、宇宙とか、人類とか、歴史のことです。
 だって、僕と彼女は、鬼とウサギ、あるいは怪獣アサゴンとぬいぐるみ、もしくはそれ以外という関係にあるのです。僕と彼女と一緒にいるのだとしたら、その子が一体何者なのか、何が目的で現れたのか、本人と一緒になって考える必要が発生します。
 何者なのかは当然のことながらまだわかりませんが、名前はもう考えてあります。男の子の双子だったら「喜三郎」「玉三郎」と名づけるつもりです。それ以外の場合(女の子とか、男の子一人とか)は未定です。
「三」という字を使用することに、疑問を抱く方もいらっしゃるでしょう。普通、子供の名前に数字を入れる場合、兄弟間で生まれた順番を表すために付けるものだという考え方が一般的ですから。一郎、二郎、三郎です。しかし僕たちの意図はそうではありません。「三」はそもそも吉数だし、何より生まれてくる子供は、僕と彼女という二人で作った家族の、三人目の参加者になるからこそこの数字がふさわしいのです。
 僕と彼女の元を選んで生まれてくる子なわけですから、命知らずというか、勇敢な人物であることは間違いありません。すると、その正体は怪獣退治にやって来た勇者かもしれません。いや、かつて悪い大人たちからもいもいに助けられたどこかの子供の可能性だってあります。恩返しに来ることだってあるでしょう。立場が僕と彼女との間にできた子、ということになれば、恩返しはなおさら捗ります。立派な医者や弁護士にでもなって、もしくは有名なスポーツ選手になって、小説家の僕と涎を垂らして眠る鬼の彼女を、世界一周旅行などに連れて行ってくれないかしら。
 数年間、彼女は都心部の保育園でアルバイトをしていました。その時分によく彼女が語っていたのが、「どいつもこいつも自分の子供を自分の子供だと思っていない」との話です。両親共働きで忙しいのだろうが、生まれて間もない赤ちゃんを保育園に預けるだけ預けて放っておき、我が子の貴重な成長シーンを愚かな大人たちが見逃している現実があります。目撃者は、現場にいる彼女たちだけです。
「今日はあの子がこんなことを喋ったんだよ」「こんなことをしたんだよ」「先週よりも一回り大きくなってた!」と彼女から事細かに報告されて、まるで園児たちの保護者になって、保育士さんからお話をうかがっているような気分になります。
 僕と彼女との間では、絶対に保育園なんかに子供を預けないようにしようね、との固い約束が取り交わされています。
 箱根に旅行に行ったのは二〇一五年の暮れことでした。生理痛の重い彼女は、運悪く最終日のその日も生理が重なってしまいました。しかし、いつもの腹痛とは様子が違います。箱根登山鉄道の車輌の中で、脂汗を垂らしながら、声も出せないくらいの痛みに顔を歪めていました。
 家に帰ってきても、僕はまだそれが生理痛だと思っていました。ひょっとしたら婦人科の病気ではなく、食中毒ではないかとも疑い、コーラックを飲ませたりもしました。しかし彼女の腹痛は激しさを増す一方です。いよいよ僕も状況の深刻さが読めてきて、一一九番に電話して、救急車を要請しました。
 救急車が到着しても、すぐには発進できませんでした。時刻は如何せん深夜です。受け入れを表明してくれた病院が現れるまで、一時間は費やしたと思います。その間に、彼女の容態は少し良くなりました。代わりに僕の方が救命士の方々から「なんでこんなになるまで放っておいたの! ダメでしょ!」と叱られて涙目になって少し体調を崩しました。
 一つ目の病院で超音波検査をし、診断が出ました。彼女の片方の卵巣に、五センチくらいの腫瘍があったのです。
 彼女の話によると、彼女の母方の家系は代々、婦人病に罹りやすく、また生理も皆重かったのだそうです。遺伝するって言いますしね。
 幸いなことに腫瘍は悪性のものではなかったんですけど、この小さな病院では対応できないということで、順天堂大学病院へと移送されました。
 で、そのまま彼女は一週間ほど入院しました。手術はせず、投薬によって腫瘍を縮めていこう、という方針が決まりました。
 彼女は今でもピルを飲んでいます。副作用で生理痛を抑えられるので具合が良いのだとか。
 彼女は何かと体調が悪いやつです。すぐに「気持ち悪い」と言います。お腹が空いて気持ち悪いのです。なら食べればいいと食べるのですが、すぐにお腹いっぱいになってしまいます。そしてすぐにまたお腹が空くのです。
 それから唐突に自らの頭頂部をゲンコツでコンコンコンコンと何度か叩きます。どうしたのと聞くと「変な感じがする」とのこと。僕も彼女も牡蠣がめっぽう好きなのですが、生牡蠣を食べるといつもあたるのは彼女の方です。空腹以外からくる嘔吐感にも苛まれていますが、実際に吐くことは極めて稀です。昔からあまり吐かないと言います。そういえば彼女が鼻血を出している姿を見たことがありません。
 彼女は長野出身で僕は埼玉。お互い東日本人です。彼女は僕より四つ年下です。彼女は一九九一年生まれで、僕は一九八七年。彼女は平成、僕は昭和。あと僕たちはそれぞれ一月と二月生まれなのでどちらも早生まれです。クラスの友達大体年上。



鴻池留衣
小説家。1987年、埼玉県生まれ。2016年、第48回新潮新人賞を「二人組み」で受賞しデビュー。2019年、「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」で第160回芥川龍之介賞候補。著書に『ナイス・エイジ』(新潮社)、『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』(新潮社)がある。

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