小山田浩子「つ」
インフルエンザで仕事を休んだ。インフルエンザは多分職場の田端さんからもらった。田端さんは息子さんからもらったそうだ。小学校で蔓延しているらしい。学級閉鎖もポロポロ出てるし、シーズンで二回目って子も聞くし一家撃沈も聞くし今年はすごいみたいワクチンだってちゃんと打ってたのよ子供は二回で六千円……田端さんがお子さんの看病のため数日休んで登校できるようになったからと出社した次の日田端さん本人が発熱してまた数日休み、田端さんが復帰してきた日の昼過ぎに今度は私がだるくて体が寒くて頭が痛くて熱っぽくておおこれは、見事なウイルスリレー、早退し帰宅途中の内科で鼻の奥に長い綿棒のようなものを突っこんでぐりぐりされる検査がとても痛かった。私の前にその検査を受けていた小学生くらいの女の子がぎゃああと泣き声をあげていた。いたいね、いたいね、いたいよねーと看護師さんが歌うように言っていた。ソプラノ歌手のようなきれいでよく通る声だった。ぎゃあああ、あああ。いたいいたい、いたいんだねーあーあー。私も子供だったら叫んで暴れたと思う。粘膜の奥の肉まで抉られたような、検査が済んだ鼻の穴からつーっとなにか垂れて血が出たと思ったが声がきれいな看護師さんに渡されたティッシュで拭くと透明な鼻水だった。涙も出ていた。はいばっちり陽性ですね、A型です、いまとっても流行ってます、医師はきびきびカルテを書いた。熱が下がった翌日から二日の自宅待機を勧めます、薬も出しますけど安静第一ね。上司は電話口にハーッと息を吐き二日待機でも三日待機でももう絶対大丈夫になるまで休めと言った。田端さんも戻ってきてるんだし、無理してもっと職場に広がった方がアレだからもう。声が大きくて、その場に田端さんがいて聞いているのではないかとちょっと心配になりながらスーパーで飲み物やゼリーなどを買って帰宅する一歩一歩の間に熱が高く節々が痛くなっていく感覚があり部屋に戻ってすぐゼリーを一つ吸って薬を飲んで布団に入った。朝まで自分が入っていたときの湿気が残っていて冷えて重たい膜のように体を覆い余計寒くなってガタガタ震えた。寒いだるい痛い、いつまでも布団が温まらないがレンジ湯たんぽをとりに起きる元気もない。一人で寝ていると心細いが、誰かの世話をしなくていいのは楽なことかもしれない。田端さんがインフルエンザになっている間は誰が息子さんのご飯やお世話をしたのだろう。夫さんが休んでやってくれたのだろうか。おじいちゃんおばあちゃんが出動するのか、でもそれで夫さんやおじいちゃんおばあちゃんにまでうつったらそれこそだから一家撃沈……そのまま少し寝て目覚めてまた寝て起きて寝た。夢を見た。四次元みつ豆が名物として看板に掲げられている食堂で、でも誰も四次元みつ豆を食べていないので注文しようかどうしようか迷った。大きなテーブルに相席になったエンジ色の装束の忍者はゆで玉子をいくつも机に積んで殻ごと食べていた。忍者は口元も覆う頭巾をつけているのにそれをめくったりずらしたりすることなくスポ、スポ、と口にゆで玉子を入れて食べることができてさすが忍者だと思った。寒い。でも部分的に熱い。腰が痛い。肘も痛い。足首も痛いし膝も痛いし首も痛いし背中も痛いしその中間地点もあらゆるところが痛い。乾いた口の中が酸っぱくゼリーの人工的なマスカットの後味が口の中に残っている。このフルーツ感が四次元みつ豆の夢を呼んだのかもしれない。でも普通みつ豆にマスカットは入っていない。ドラえもんのポケットは四次元とつながっていて、ひみつ道具の名前を言いながらポケットに入れた手を出すと無限の四次元空間の中からそのひみつ道具がドラえもんの手(ペタリハンドだったかピタリハンドだったか)にくっついて出てくるんだ! というような説明を小学何年生みたいな雑誌で読んだ気がする。ひみつ道具は未来デパートで買うんだよ! 私が病気で学校を休むと父が仕事帰りに駅前のいまはもうない本屋で小学何年生を買って帰ってくれた。私が学校を休むほど体調を崩した回数分の小学何年生のバックナンバーを学習机の一番下の深い引き出しにしまっておいて大事に読んだ。あの引き出しも四次元だった。なんでも入ったしなんでも消えた。ペタリハンドじゃないから思っただけでは出てこない。掻き回しているとどんどんものが消えていく。お揃いのミサンガも交換ノートも玉子の形をした天然石が入ったお守り袋も二度と出てこなかった。玉子忍者の足元には小さい柴犬がいて、じっと座って動かないなと思っていたら藁でできた作り物だったが尻尾だけは本物でぴくぴく動いていた。
熱が下がり医師の指示通り二日間待機すると土日で休みだった。ずっと家にいたので発熱中の痛みとは違う感じで節々がこわばった。人間の体はすごい。普段より動かない日が少し続いただけでもう筋肉だか筋だかが退化してしまう。コートを着てマフラーも巻いて家を出た。真冬で寒いがものすごく寒くはない。風もない。空は曇っているが向こうの方は晴れている色も見える。川沿いに出た。ここに住み出した当初はしょっちゅう休みの日にこの川沿いを歩いた。最近は全然来ていなかった。川は変わらず浅くて広くて静かに流れている。鴨や鷺が棲んでいる。川を挟んだ向こうには車道がある。車通りはそこそこある。土曜日の午前中、仕事の人も遊びの人もいるのだろう。この川沿いの道は人がまばらに歩いている。ウォーキング風の人や犬の散歩の人やただ移動しているらしい人もいる。水に鴨が二羽浮いている。雄雌ペアかなと思うが、鴨は雄が派手で雌は地味なはずだがこの川で見かける鴨はどれも土手の上から見る限り地味な茶色をしている。雌しかいない川なのか、雄も地味な種類なのか、激しくない流れに鴨が作る二つの波紋がなじんで混じって一つの大きな円になってかなり遠くまで広がっている。静かだった。対岸の車の音と誰かとすれ違ったり追い抜くときだけは足音や犬の息、夏は土手の草の虫の声がうるさい。虫の声と言ったら秋っぽいがこの土手では全然夏というか初夏くらいからうるさい。蝉の声と負けないくらい、ビービーとかシャーシャーとかギーギー、ヴィ、ツツー、ヴィ、ツツー、でもそんなうるさい草むらのどこにも虫の姿は見えない。一度も、一匹も、鳴いているのはこの虫だと同定できたことがない。夏には腰や胸くらいまで茂っていた葉っぱは枯れて刈りとられ薙ぎ倒され、もちろん鳴き声も聞こえない。あの虫たちは死んだのか冬眠しているのか、川は大きくカーブしていて、多分上から見たらやや緩やかな「つ」の字の形をしていて、それを書き順の逆向きに下からたどってまた戻ってくるのがいつも歩く経路だった。「つ」の始まりと終わりには大きい橋があった。私が歩き始める橋より前にも歩き止む橋より先にも川は続いていてだから本当は「つ」よりもっと複雑に長く伸びてひらがな一文字で表せない形をしているはずで、戻るところまで戻れば行くところまで行けば川の水源や海があるのだろうが自分でそれをちゃんとたどって見たことがなく、本心を言えば信じていない。川の真ん中にほっそり白い鷺がいる。首を伸ばして水面を見ている。魚を探しているのだろう。土手の草の間にスーパーのパックが落ちている。浅いスチロール容器をラップで覆った肉とか魚とかが入ってるような、細長く、一部がちぎりとられたラップには赤い『本格! うなぎ』というシールが貼ってある。うなぎ、そう思って見ると容器にもラップにも茶色いタレらしきものが残っている。サイズからして一尾丸ごとのやつだろう。こういう土手とか道端にはいろいろな物が捨ててある、ペットボトルやお菓子の包み紙やファストフード空き容器、もっと悪質だと古タイヤとか錆びた自転車とか丸めたオムツが詰まった袋とかも見たことがある、でもうなぎパック、ここで食べたのだろうか。川を鯉が泳いでいる。白い地に黒い斑点が散ったダルメシアン柄に似た鯉だ。少し川下にもよく似た色柄の鯉がいて、数メートルの間隔を保って同じ向きに泳いでいる。親子か兄弟かなんらかの血縁だと思われた。鯉がいるところの水が緑色に深く見えるが、鯉らが泳いで移動するとその深く見える範囲も移動するので目の錯覚だろう。川ではほかにもまっ黒いのやまっ白いのや金や赤の派手な鯉を見たこともある。観賞用の錦鯉が逃げたのか捨てられたのか、それらが繁殖して栄えているのかもしれない。がんばれっ、がんばれっと弾んだ高い声を出しながら誰かが近づいてくる。フッフッという息遣いも聞こえる。顔を上げると冬の薄曇りの中目深にサンバイザーをつけた女性と、赤と白のクリスマスっぽい服で胴体を覆ったダックスフント、犬は一、二歩進むごとにお尻を地面につけて座りこみかけ、その度に女性ががんばれっ、がんばれっと言いながら前屈みになって犬のお尻を持ち上げている。動くのが億劫な犬をどうにか歩かせようとしているらしい。散歩嫌い、老犬、リハビリ中なのかもしれない。私は道の端に避けて犬と女性が通り過ぎるのを待った。あっ、すいませーん! ありがとございまーす。女性はサンバイザー越しに笑顔を私に向け、ほーらっ、がんばれっ、がんばれっ、声に聞き覚えがある気がしてあの看護師さんではないかと思ったがこんな見た目の人ではなかった気がする。「つ」のカーブを曲がりきったあたりの土手に桜の木がずらっとかなり向こうまで植わっている。春になると壮観だ。その中に違う木が多分一本混じっている。なんの木かわからないが、前に、秋だったか、その木を棒で叩いている男性がいた。ごく平然と、葉のついた枝の先の方、先の方と叩くように棒を動かしている。棒はよく見ると虫捕り網だった。先端に蛍光黄緑色の網がついた子供用みたいなやつだが柄はしっかり長い。虫捕り? 木を叩いているのは白髪混じりで眼鏡をかけた細身の、先生みたいな雰囲気の男性だった。細い顎にぴったり沿う素材のマスクをつけている。私に気づいたのか男性は手を止め軽く会釈をして、この木の実をね、とってるんです。え、実? 木を見上げても実なんて見えない。葉を赤や緑や茶色のまだらにした桜の木と木に挟まれたその木は葉っぱが緑で枝が細い。実なんて、ありますか。ありますよ。男性は虫捕り網の柄をきゅっとひねってするする縮めて網の中身をこちらに見せた。黒茶色い丸い実が十個くらい入っていた。ピンポン玉くらいの大きさがあって殻に覆われている。鮮やかでちゃちな網の目にちぎれた葉っぱが引っかかっている。葉っぱには虫食いの痕がある。硬そうな、見覚えがあるようなないような感じの実だった。えー、こんなの、この木に? いっぱいなってますよほら。男性が網の柄をまた伸ばして枝の方を示した。網が葉っぱをかき分けた奥に、丸い実が数個くっついているのがわかった。あっ、見えました、これは、この実は、食べるんですか? 男性は苦笑のような音を立てた。ぴったりしたマスクの口元に唇と唇とその間の隙間の形が浮き上がって見えた。まさか食べられませんよ、まくらにするんです。まくらっ? ええ、乾かして袋に入れてまくらにするんです。あの、まくらって、寝るときの? ええ、もちろんもちろん。あんな丸くて大きくて硬そうな実が入った枕、どう考えても痛いのではないか。それとも砕くのか。あの、それは、なにか特別な、効能というか、寝心地がいいというような……? ええもちろん、ただちゃんと乾かしたつもりでやっぱり素人作りですからね、しばらく使うと実が傷んでくるのでそうしたら捨てます。はー……。そこまで説明したらもう十分だと思ったのだろう、男性はまた木の枝を叩き始めた。横顔のマスクの口元がつんと尖ってとび出たり引っこんだりして見えてちょっと怖くなり足早に立ち去った。葉が全て落ちた桜の枝に地面から細い蔓が伸びてからまって枯れている。支えられているようにも引っ張られているようにも見える。木と木の間の土手に一箇所小さい階段があって川原に降りられる。桜の時期には川原にシートが敷かれ花見客が集まる。降りたすぐそばに『火気厳禁 バーベキュー・焚き火等』と手書きされた看板が立ててある。花見客の狼藉を諌めるためだろう。川原の草も茶色く乾いている。もしいま焚き火をしたらすぐに火の海になるだろう。枯れ草の間に錆びた大きなナットが落ちていて、真ん中の穴から突き出した草に白い羽毛がぼわぼわ絡みついている。上から歩きながら見下ろした川は穏やかに見えるが、こうやって川原に降りて立ち止まって見ているとやっぱりちゃんと流れて揺れているのがわかる。トトトトッ、と音がして鴨が二羽慌てたように飛び立った。すぐそばの水にいたらしいが気づかなかった。やはり二羽とも茶色いが、一方の腹にだけ白い模様を見た気がしてそれが雄? 川のそばにしゃがんで水面を見る。のぞきこむようにすると川底の石が見える。石には茶色い藻がびっしりついて毛が生えたようになっている。それが水の流れる方に揺れ続けている。石一つ一つの藻の揺れ方が違う。引っ張られたりねじれては戻ったり手招きに似ていたり、動物のようだがやっぱり石と藻だ。魚は見えない。いるけれど隠れているのだろう。それなりに魚がいないと鴨やら鷺やら養えない。一面茶色い藻と石だった川の底が急に明るくなり石と藻それぞれの影が黒く浮き上がった上にぷつんと丸い小さい影が流れ出した。水面の、かなり斜めにずれたところに小さい葉っぱの切れ端が浮かんで流れている。空の雲が切れて太陽が見えていた。その光で、葉っぱの影が川底に映り始めた、位置のずれはそのまま太陽の角度だ。いろいろな形の石の揺れる藻の上を、まるで平面の上のように滑らかに丸い影は滑っていく。丸い影の縁に細い光の筋がある。葉っぱは尖った細長い形をしているが影はまん丸い。おそらく水の逆・表面張力みたいなそういうことでこういうふうになるのだ。見える限り目で追おうと思っていたが影は急に消えた。また太陽が雲に覆われた。首を上げると対岸の土手の上に車列が見え、助手席の窓から首を出した人が私を目を丸くして見下ろしながら通り過ぎていった。大の大人が、川原にしゃがみこんで……後部座席からのぞいた子供がこちらを指さす車も通った。次の車も。もしかして用を足しているように見えたかもしれない。昔この川の橋桁に立ち小便をしている人を見たことがある。堂々と仁王立ちにしていたが土手の上からも車の中からも多分丸見えだった。いやいやいや、おしっこじゃない……立ち上がって首を回す。土手を上ろうと向き直ると、川原に星が弾けたような形の実をつけた草がまっすぐ高く生えている。茎も葉も枯れて実も乾燥しきっていて触るととても硬い。枯れてはいるが抜けたり倒れたり折れたりしそうにないくらい硬い。これはこのまま春になるまでこうやって立ち続け、夏に茂った草に覆われるまでこのままなのだろうか。いまここに見えている枯れ草は全て、春になって新しい芽が出てくるまでに朽ちて土になるわけではなく、単に毎年新しい植物の丈に覆い隠されているだけなのだ。フツフツ、なにかの息遣いのようなものが足元で聞こえた。え、動物? こんなところに? ネズミかなにか? そろそろとまたしゃがみこんで息を詰めてみると、プツプツ、プツプツというような小さい音が、重なり合った麦藁色の枯れ草のそこここから聞こえている。ピッピッとも聞こえるしキシッというのも聞こえる。動物らしい動きは見えない。冬の虫? じっとしていると茶色い平たい細長い草の葉が一本、ピシッと鳴って小さく震えた。草が乾燥して裂ける音らしかった。それがいくつも重なって息のように聞こえる、ほほー、私は伸びをして階段を上ってまた歩いた。足を早めた。茶色い鴨が一羽、川の一番対岸寄りのあたりに立ってしきりに水中をつっついている。水の中に鮮やかに赤いものがある。血、と思ったがそれにしては流れていかず同じ位置がずっと赤い、どうも魚、赤い鯉らしかった。それが浅い水に横倒しに沈んでいるのを鴨がついばんでいる。鴨はときどきぴょいぴょい跳ねながら頭を水の中の鯉に突っこむようにして何度も、どうもその鳥は鴨ではなくて、ひとまわりくらい小さく脚が鴨より細くて長い茶色い鳥だった。格好というか動きが水鳥っぽくない気がする。水の中の鯉は鳥より大きい。赤い鯉と鳥のすぐ近くまで鴨が三羽泳いで近づいてきた。今度は間違いなく鴨だ。ふいっと丸く方向転換して来た方に戻った。別の種類の鳥と鳥がどのように世界を分かち合っているのか、鴨は鯉は食べないのかもしれない。観賞用の錦鯉は上から見るもので、値段や価値も上から見たときの模様や色で決められる。死んで横倒しになった鯉はそれだけでとても無惨なものなのだ。鳥が水面を跳ね回りながら赤い体をあちこちつつく。つつけばつつくほど鯉は平らになっていっているような気がした。もうすぐ「つ」の始まりに至る。川幅は少しずつ広くなり、それにつれて川の中に中洲ができて川が二股、三股と別れてまた一本に戻る。中洲の一つにいる鷺は首を曲げて胴体にくっつけるようにして羽を膨らませていた。寒いのかもしれない。しかし私はいま結構暑い、と突然気づいてマフラーを外して畳んで手に持った。すうっと首に空気が通った。折り返し地点の橋のたもとで一度大きなナマズらしい長くて太い黒い魚がくねりながら泳いでいるのを見た。驚いて興奮してスマホで写真や動画を撮影したが全然映っていなかった。動画に録音された私の声は私の声ではないように聞こえたし馬鹿みたいだった。
帰宅してドアを開けるとおかえりと奥から小さい声がした。玄関には小さい色とりどりの靴がたくさん散らばっていた。砂が落ちてじゃりじゃりしていた。部屋に入ると娘がテレビを見ていた。テレビの前に敷きっぱなしらしい布団の上に座っている。怖がっているような顔をしている。テレビには川に横倒しになった赤い魚を跳ねながらつつく茶色い鳥が映っている。水面が波立つたびに赤い魚は一瞬消えてはまた現れ、形を変えどんどん平たいまま膨らんで伸びているようにも見える。川のもっと手前の方を白い細い鯉が泳いで横切っていたのに気づいた。やはり、生きている鯉の周辺は水が深く見えた。対岸の川原の草の重なりにところどころ暗い穴が開いて揺れていた。鴨が近づいてカーブして遠ざかっていった。私は娘の横に座って一緒に画面を見た。画面を見つめる娘の口からぷつぷつ音が聞こえている。尻の下で布団は重たく冷えて湿っていた。テレビには歩きながら見た川の光景が順番に繰り返し映った。
小山田浩子
2010年「工場」で新潮新人賞受賞。2013年、同作収録の単行本『工場』で織田作之助賞受賞。2014年「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。著書は『工場』『穴』『庭』『小島』『パイプの中のかえる』『かえるはかえる パイプの中のかえる2』。
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