第2話 出自を知るために

「皿洗いは俺たちがやるから、燎真と美琴は神主様のところへ行きなさい」


 燎真より十は上の、人間の氏子がそう言って微笑んだ。燎真たちは割烹着を脱いで「ごめん、ありがとう」と礼を言い、脱いだばかりのそれをさっさと畳んで籠に入れると、早足で英二郎の書斎に向かう。

 居住区の建物は簡素な造りである。けれど寝床がない旅人や、村で傷病人が出た際はそれらを収容するため広く作ってある。

 そのせいで広間が多いが、個人で部屋を持つ者など神主くらいで、基本は共同生活であった。その神主だって、寝食は氏子たちと同じ広間で行う。


 奥まった場所の襖の前で正座し、声をかける。「神主様、燎真です。美琴と連れ立って参りました」

 普段は砕けた口調だが、改まった空気であると言うのは察している。それくらい十四にもなればわかるものだ。


「入れ」

「失礼します」


 襖を開けて室内に入る。やはり質素な書斎であった。部屋のほとんどを瑞穂国や大陸の書物、あるいは恵国エルトゥーラ王国の書物が占めている。

 物を多く置けるようにか、長く作られた座卓越しに英二郎が正座していた。燎真らはそこから離れた場所に敷いてある座布団の上で正座する。


「崩していいぞ。神妙な話ではあるが……少々でりけぇとな話題でもあるゆえな」

「発音があやふやだなあ」

「恵国の言葉は難しいのだ。歳を食うと舌が回らん。……では、ベルカ殿」


 英二郎は部屋にもう一人いた女を視線で示した。

 聞きなれない異国の名に、燎真は首をかすかに傾げた。


 その女はさっき窓から見た、例の鬼だった。金色の髪に、碧眼。鬼だから珍しくはないが——なるほど確かに、噂や挿絵に見る恵国の民と、その特徴は合致している。


柴崎しばさきベルカだ。父がこの国の鬼で、母がエルトゥーラの人間。二重の意味で混血だ。君たちからしたら、書物の中の世界の血を引いているわけだ」

「確かに海の向こうの国なんて想像しづらいわね」


 美琴が素直な感想を漏らした。

 泰冥の前——芽黎がれい時代、その前の、文霊ぶんりょうの頃から恵国との公式な交流はあるし、大陸最東端の飛蝴蝶フェイフーティエ皇国——単に蝶国と言われる国とはもっと昔から付き合いがある。ここにある漢文などはまさにその交流の結果だ。


「神主様、この……方がなんなんすか」この女が、と刺々しくいうのを堪える。

「ベルカ殿が説明してくださる」


 ベルカは綺麗な正座で、口を開いた。ちなみに燎真はさっそく胡座になっている。


「燎真、君は自分がどういう経緯でここに来たか知っているかい」

「? ……孤児だったって聞いたけど。捨てられてたんだろ、山に」

「そうだな。君は確かに孤児だ。いいかい、これから話すことは国家機密であり、衝撃的な事柄を含む。それでも知りたいかい、自分の出自を」


 出自。

 そう言われ、燎真は目を大きく開いた。

 今まで孤児だと言われてきて、この神社や村のみんなが家族といって誤魔化してきたが、それでもずっと気にしていた己の出生の秘密。——ルーツ。


「態度を見れば一目瞭然だな。……君はある研究機関が保有していた研究所で救出されたんだ。何らかの実験材料にされていたのは想像に難くないが、それが何なのかはつい最近まで不明だった。君を助けた国軍は安寧に過ごせる場所をと、都会の喧騒が遠いこの地に君を預けた」


 実験材料。それが、自分が生まれた理由——?


「そんなの、嘘だ!」

「私もそう信じたい。そんな理由で命を生み出していいわけがないからね。……君のご両親がいるはずなんだ。当時の名簿やなんかを漁ったが、損失された記録が多くて詳しくわからない。でも、君自身になら何かわかるかも……とかすかな希望を抱いている」

「十四年も、俺のことを探そうともしない親なんて知らねえよ。あんたは俺に何させたいんだ」


 牙を剥くように言い放つ燎真の震える拳を、美琴が優しく撫でた。そうでもしなければ掴み掛かりそうだったからだ。大人びているところは確かにあるが、それ以上に十四歳の思春期である。

 その情緒は、成長して大きく変化していく己との乖離に苦しみ、不安定だ。


「上は——ああいや、私は軍人でね。国軍付き祓葬師ばっそうしなんだが、上官はこの研究がどうやら龍脈に関わる物だと思っているらしい。具体的にどういうものかはわからんのだが、聞けば君は祓葬師だそうだね」

「まあね。社務所で御朱印書いたり土産物売り場で雑用するよりよっぽど生きてる実感があるし」

「上官は君と美琴を連れて、調査をせよと私に命令した。軍人である私には拒否権がない。抗命罪で罰せられてしまうからね。でも君たちは別だよ。民間人に強制することは許されていないから、私の要請を受けるかどうかはそっちに任せる」


 国からの調査命令、その協力。

 燎真は訝った。国家機密を話しておきながら、何事もなく解放してくれるとは思えない。


「それって、個人的な理由で受けてもいいのか?」

「構わない。差し支えなければその理由を尋ねたい」

「クソ親を見つけ出して殴り飛ばす。そのために出自を知る」


 ベルカと英二郎がきょとんとした顔をして、美琴が全く、というふうに顔を手で覆った。


「ははっはっはっは、お前らしいな燎真。報酬そっちのけで己の欲を求めるのは本当に。神社育ちにしては欲に素直すぎるが、若者はまあ、そうだよな」

「損得を気にする大人には真似できませんね。……美琴さんは?」

「……事情は何となく察してます。燎真には目付役が要るだろうし、ついていくわ」


 事情とはなんだろうか。美琴は家出してきたというが、それが関係しているんだろうか?


「燎真、もう一つ重要な話がある」

「何?」

「さっき喜馬さんが言った通り、報酬についてだ。この一件は口止め料も含め、前金で一五〇〇万冥貨めいかが支払われる。成功報酬は八五〇〇万冥貨だ」


 英二郎は極めて冷静だ。彼はあまり金銭には興味がないので仕方がない。会計担当の氏子が聞けば、社の改築がどうのこうの、村の設備だああだこうだと騒ぎ出すだろう。

 一方の燎真は、


「それって……どう凄いの?」


 この有様である。普段から祓葬の——穢物退治の報酬金を紫苑に預け、毎月小遣いをもらって過ごす彼には一万冥貨が大金、という認識しかない。十四の子供にとっては健全な金銭感覚である。

 美琴は、「でっかい家買って、広い土地を自分のものにできちゃうくらいのお金」と耳打ちするが、それに対しても「神社とか買えるの?」と頓珍漢な答えしか燎真は返せない。


「わかった、一つ追加しよう。任務に差し障りがない範囲で燎真のご両親を探す手伝いをする。私を含め、上官にもそのように掛け合う。どうかな?」

「それの方がわかりやすいかな。お金はあんま持ってると人生狂うって教訓をいっぱい知ってるから」


 神社育ち故だろう、この感覚は。普通は合計一億万の報酬と聞けば飛びつくものだが、十四歳という世間知らずの若さと、神社で数多くの逸話やなんかを学んだ燎真は、ちょっと違う感性を持っていた。


「燎真よ」

「何? 金の管理なら神社で勝手に——」

「そうじゃない。大金をもらうという話は、あまりするでないぞ。妬みがお前を殺すことになる」

「知ってる。遺産のために百年の恋を捨てた人間の話もあるくらいだからな。最後は全部を失ったってオチだっけ」


 それは妖怪に恋をした女が、その妖怪を退治すれば莫大な褒美を取らすという朝廷の甘言に乗せられ全てを失ったという、瑞穂国の昔話のことだ。

 夫婦喧嘩は犬も食わない。双龍神話において、夫婦龍でさえ大喧嘩をしたが、その結果はあまりにも救われぬものだった。

 なんであれ、争いの火種は持たないか、黙って胸にしまっておくのが賢いのである。ここにいるとそれがよくわかる。実践できるかどうかは別として、気をつけるに越したことはない。


「よろしいですか、神主様」

「ああ、ベルカ殿。燎真、美琴。急ぎですまないが荷造りをしてくれるか。出立は二時間後だ。ベルカ殿、神社の一室で良ければ自由に使っていただいて構わない。なにかと不便をかけるやもしれんが……」

「お構いなく。観光でもして過ごしますよ。引退したらこういうところで暮らすのが夢でしてね」


 ベルカが幾つなのかはわからないが、外見は二十代後半くらいだ。しかし妖の血を継いでいるのだ。半妖であるから、百歳は超えていないだろう。多分、五十かそこら——ちなみにだが、妖怪は人間と歳の取り方と成長の速度が違う。言ってしまえば彼らは非常にゆっくり老いていき、ある程度加齢を重ねると変化術を使わない限り、肉体的な加齢がないのだ。

 よって十五、六に見える美琴も、その実年齢は六十四歳であった。燎真は人間なので、正真正銘、何度も言うように十四歳だが。


「じゃあ神主様、支度してきます」

「では、失礼します。行くわよ燎真」

「忘れ物をせんようにな。……ベルカ殿」


 子供たちがいなくなった書斎で、英二郎は低く声を響かせた。


「彼らは軍人ではない。あくまで一般人だ。そこはわかっていただけますね」


 おおよそただの神主とは思えぬドスの利いた声に、さしものベルカも——しかも英二郎は人間で、ベルカは鬼の血を引いているのに——肝を冷やす。それをおくびにも出さず、


「わかっております。だからこそ私が任命されました。あくまで、私は祓葬師として振る舞いますゆえ」

「信頼しております」


 英二郎はにっこりと笑って、頭を下げた。


「やんちゃ盛りです。悪さをしたら、叱ってやってください」

「どうか頭を上げてください。大丈夫です、少し話せばわかります。彼らは立派ですよ」


 普通、これだけの話をされれば取り乱すのが常だ。十四と言えば、都会の連中であれば学舎で馬鹿やっている年頃で、元服さえ迎えていない子供である。

 彼らにとっては普通でも、世間的に十四の祓葬師は珍しい。


 ベルカは信頼を示すため、敬礼ではなく握手で英二郎の期待に返事をした。


×


 急ぎだったのに、紫苑やほかの氏子が言ったのか、村で壮大な出迎えを受けていた。

 皮剥の男が「男見せてこい」と燎真の肩をバシバシ叩き、マタギの連中が「俺たちの美琴ちゃんがー」と男泣きしている。呉服屋の女主人が、着替えにと言って着物を持たせてくれて、燎真と美琴はありがたく受け取った。

 最後に紫苑と英二郎がやってきて、式符を何枚か入れた木箱を渡してきた。


「持っていきなさい。役に立つわ」

「ありがとう……本当に」


 燎真は受け取った木箱を大切に抱え、葛籠をベルカが部下に運転させてきたという龍気自動車に積み込んだ。

 都会からやってきた金属の籠に、村人は大興奮である。こんなものが動くのか、という声があちこちから聞こえた。どうやら騒ぎにならないようにと、ベルカは遠くに車を停めていたらしい。合図を送って、ここまで来させたときの喧騒はひとしおだった。


「じゃあ、いってきます」「いってきます」


 燎真と美琴はそう言って、村人の声を背に浴びながら後部座席に座った。

 箱型の車体を、回る軸に取り付けたタイヤで走らせるものだという説明を受けたが、そんなものが人を乗せて動くなど信じられない。

 ベルカが助手席に座り、運転席の部下に「出してくれ」と命じた。


 こうして燎真と美琴は、長年住んでいた村を離れ、長い旅に出るのだった。

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アヤカシ・オーヴァドラヰヴ 夢咲蕾花 @FoxHunter

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