リブログのリブログってややこしくてすみません。
何故「会って話をしましせんか」と申し出ているのかをワタクシからちょっと説明させていただきます。
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以前にも記事にしたのですが、もう少し補足説明します。
たまにお会いするような仲のいい方々にはディアマンテさんは花屋敷会衆の事件についてもネット公開出来ていないその他の事情、補足情報などを結構聴いていただいていて、
どの人も「それはひどいね」「辛かったね」「それは長老たちが悪いよ」というような言葉をおっしゃいます。
でもそうしたネットに公開していないような情報は誰にでもお伝えしてよいものでもありません。
悪用されると困る部分もあります。
プライバシーの問題もかなりあります。
なので会って話をし、その方がどんな人か、どんな生活をしているのか、どんな性格の方なのかなどなどを知るようになり、
信頼出来て決して情報を悪用したり他言したりしないと判断出来るようになった方でないと伝えることは出来ないでしょうし、そうでなければ事件の全容を把握する事すら出来ないという意味があります。
花屋敷の長老が「姦淫に至らなくて良かったですね」と言っていたとディアマンテさんがブログに書いていたからといって、
その部分を推測する材料や証拠であるかのようにし「冤罪ではない」と決めつけ批判するのはお門違いなんです。
これはまるで、ちょっと前に書いた、異性を車の助手席に乗せるか否か?二人きりで絶対に車に乗ってはダメか?の問題
で異性の高齢者を自分一人の時に親切に車に乗せて、
それが会衆の長老に知れて激怒された後、
「でも姉妹と過ちを犯してしまわなくて良かったですね!」と嫌みたらしく言われているようなものです。
後ほどそれを聞いた第三者がその「姉妹と過ちを犯してしまわなくて良かったですね」とこの人は長老から注意されたと言ってたというのを持ち出し、
その人が親切に高齢姉妹を車に乗せたのではなく、いやらしい気持ちが有ったから車に乗せたんだと決めつけてそれを会衆内で言い回っているようなものです。
これお分かりいただけませんでしょうか?
きっと優秀な方なのでお分かりいただけることでしょう。
(追記です)
桶さんは以前
「裁判の結果は花屋敷会衆の長老達のほうが正しいことを表しています」
みたいなことを書いておられましたが、
これは冤罪か否か、厳密にどちらが正しいのかを決定するものではありませんでした。
エホバの証人とは関係のない一般人を装った*西宮の弁護士長老と奉仕の僕が裁判で強く強調したのは
「裁判所は宗教内部のことに絶対に口出ししてはならない!」でした。
(*削除って言うんですね との発言などからも分かります)
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ディアマンテさん談
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こちらは正直に起きた事を話したのに、被告と弁護士長老は「長老はリーダーではない」といった偽証を繰り返し、ただ勝つ為だけに行動し事実上裁判官を欺いたから裁判の結果というのは評価出来るものではありませんし、花屋敷会衆で事を成り行きを間近で見た方が
「戦いはこれからだ」と言われてた通りです。
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つまりこれは長老削除という宗教内部の人事の問題は裁量権の範囲内のものだと言うことでしょう。
なので花屋敷会衆長老の側が正しい "宗教的" な裁きをしたとのことを証明するものでは全くありません。
つまりは裁判所の判断は「勝手にやってください」とのことだと思います。
ですので桶さんが
「花屋敷会衆の長老たちの判断のほうが正しい」とか
「冤罪でもないのに冤罪と言うな」と決めつけたような表現で言ってもいい根拠にはならないでしょう。
こうしたことは何もめちゃくちゃ賢い人でなくても理解出来ることと思います。
ましてや桶さんのようなすごい方なら尚更理解出来て当然だと思います。
なので私達はあなたがわざと頓珍漢な批判を続けて評判を下げようと躍起になっているなんて思ってしまう訳です。
お分かりいただけましたでしょうか?