あまりにもついていない日、というのは人生において多々、あるものだ。
しかし、そのことに中々はじめは気づけない。
むしろ、自分にも中々の幸運がやってきたな、と今日の朝の目覚めが良かったくらいだ。
だが、もしも時間を戻すことが出来るのなら……一週間前あたりに今すぐ、戻れるというのなら。
自分は別の選択をしただろう、とたった今、死の危機に瀕している中で、ガスターは思った。
そう、一週間前だ。
振り返ってみれば、そこが分岐点だった。
ガスターはマルトから少し離れた、ムガという町周辺を拠点にするならず者の首領である。
ムガの町は辺境において宿場町として機能しており、かなりの数の商人が辺境の貴重な素材を確保するために行き来するため、ガスターのようなならず者たちにとって、獲物を見つけやすい良い土地だった。
もちろん、大商会に所属する商人ともなればいい冒険者を何人も護衛に雇い、防御を固めているためにそう簡単に襲うというわけにもいかないが、小規模から中規模商会の商人や、旅を続ける行商人についてはその限りではない。
彼らも護衛を雇う必要性や重要性は分かっているのだろうが、それをせずにあえて賭けに出て大きな利益を掴もうとする者や、伝手がないためによい護衛を雇えずに中途半端な戦力で街道を進まざるを得ない者などもいる。
ガスターが主に狙うのはそういう者たちであり、しかもガスターたちは弓使いと魔術師、それに剣士であるガスターを主体とした、ならず者にしてはバランスのとれた構成をしているため、かなり効率的に仕事を熟すことが出来た。
もちろん、あまり目立ちすぎては官憲に目をつけられてしまうため、その辺りにも気を遣って今までやってきた。
その甲斐もあって、十分な資金も貯まり、もう一働きもすれば都会に出て店を出したり、田舎に小さな家を建ててのんびりとした生活を始めたり出来そうだ、というくらいになった。 元々、ガスターたちは食い詰めた村人であって、この稼業もそれほど好き好んで始めたわけではなかったこともあって、やめ時を求めていた。
そんな中、ガスターたちが町の酒場で飲んでいると、一人の男が声をかけてきた。
「やぁ、こんにちは」
うさんくさいな、とは思った。
だが、長年、稼業に身を窶してきたガスターから見て、その男の経済力は明らかだった。
身につけているものは高価そうだし、立ち居振る舞いにも富裕層特有の品のようなものが宿っている。
こういう奴は、気まぐれで人に大金をくれることがある、ということも知っていた。
だから、ガスターは耳を傾けた。
傾けてしまった。
「……なんだ。何か用か? 俺たちに何か聞かせたいなら光もんが必要だぜ……」
と、言うが早いか、ジャリッ、という音と共にガスターたちのテーブルに大きな布袋が投げられた。
それが何なのか、分からないガスターではない。
飛びついている、と思われない程度に、しかし素早くその布袋の中身を確認すると、そこにとんでもない額の金貨が詰められていることが分かった。
これだけあれば、山分けしてもこんな稼業などさっさと引退できる。
すぐにそう考え、しかしこれほどの額を渡してさせられる仕事というもののリスクを考え、なんとも言えない視線をガスターは男に黙って向けた。
男は言う。
「……何も難しいことを頼もうってわけじゃないんだ。実は、ちょっと脅かして欲しい相手がいてね。ただ、殺さないようにうまくやってほしいんだ。女の行商人なんだが……」
詳しく聞けば、その行商人というのはこの男の知り合いらしく、女だてらに行商人などを始めてから二年になるという。
しかし、その商売は芳しくなく、このままやり続けても未来は見えているだろうとのこと。
男はその女に行商人などやめて欲しく、それを本人に告げたこともあったがすげなく断られてしまったのだという。
こうなっては本人の意思をくじくほかないか、と色々な方法でもってその商売を邪魔してきたが、いずれも彼女の意思を折ることは出来ず、今に至る。
そこまで聞いて、ガスターは呆れながら言った。
「そんだけ邪魔されても続けてるんだから、むしろ行商人に向いてるんじゃねぇか?」
しかしこれに男は激高して、
「それでは困るんだよ! ……いや、声を荒げて済まなかった。しかしだね。こちらにも色々な事情がある。だからこれだけの金を出しても頼みたいということだ……別に殺しを頼んでいるわけじゃないんだ。挑戦してみてくれても悪くないと思うんだが……?」
ガスターたちは、悩む。
男の話にどれだけ本当のことが含まれ、そしてどれだけの嘘が入っているのかは分かりかねる。
だが、ガスターたちに何かを頼む人物が多少の嘘もつかないということは今まで一度もなかったと言ってよく、そこは躊躇する原因になり得ない。
問題は、やはりこの仕事がどれだけ危険なのか、だった。
「……その女行商人とやらにつく護衛に銅級以上が二人いたら、俺たちは受けねぇ。それでもいいなら話を聞いてやっても良いが……」
実際のところ、銅級二人でもガスターたちには十分に対応できる範囲だった。
それどころか、三人でもおそらく、なんとかなるだろうとは考えていた。
けれど、物事に絶対などない。
誰にも被害を出さずに確実に倒せるとなると、銅級は一人でなければならない。
鉄級であれば五人いようとなんとかなるだろうが、それだって安心は出来ない。
これがもしかしたら最後の仕事になるのかもしれないのだ。
誰も大きな怪我をせず、笑顔で別れたいではないか。
そのためには条件はなるべく厳しいものにすべきだろうと思った。
もしかしたらこれで男は別の者に依頼をしようと考えるかもしれないが、それならそれで仕方ない。
こんな稼業をしている者にとって、どれだけリスクがあるのか、というのはそれだけ大事なことなのだ。
それを忘れた者はすぐに死ぬ。
今まで生き残れてこれたのは、そこをガスターたちが忘れなかったからだ。
そう思って男の言葉を待っていると……。
「……そんな用心深い君たちだからこそ、依頼したい。秘密も守ってくれそうだし、仕事の方もきっちり要求通りこなしてくれそうだからね。条件の方だが、君の言った通りのもので問題ない。おそらく、彼女にはそれほどの資金はないはずだから、護衛は雇えても銅級一人だろうね。二人以上いたら、その場合は監視程度にとどめて、特に襲撃などしないでもらって構わない……報酬の方は、その場合もそちらの袋の中身全額で結構。そんなところでどうかな?」
それは、ガスターたちにとって望むべくもない好条件だ。
とはいえ、少し時間をもらい、みんなで十分な相談をした。
その上で、ガスターは男に返答した。
「……よし、依頼を受けよう。あんたの名前は……聞かない方がいいか?」
そう言うと、男は口元をゆがめて、
「中々、よく分かっているようだね。どうぞよろしくお願いしますよ」
そう言って手を差し出してきたので、ガスターは男とがっちりと握手をし、女の情報を詳しく聞いた上で別れたのだった。
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