団地といったらこれだよ。
広島県と岡山県の一部のみが
集合住宅ではなく新興住宅地
の事を団地と呼ぶ。
元々は住宅公団が開発建設し
た最先端集合住宅街が団地と
呼ばれた。公団だから団地。
文化住宅とも呼ばれ、1960年
頃にシステムキッチン、リビ
ングダイニング、ベランダ、
風呂、水洗トイレがあるモダン
な最新様式住宅が団地で、抽選
により入居できた。
ただし、収入制限もあり、低所
得層や企業勤めでないと応募資
格が無かった。当時の最先端の
夢の住宅であるので「白亜の
御殿」などど呼ばれたのが団地
だった。今でいう中流以上のハ
イソな層が入居していたのが団
地だった。金出せば誰でも入れ
るのではなく、審査と抽選があ
ったのだった。
これは昭和36年1961年の都内
の団地。

この子どもたちは私より5〜8
この子どもたちは私より5〜8
8才ほど上だろう。私はこの
1961年には1才でまだ団地住
まいではなく東京目黒住まい
だった。
団地の特徴は、同じレベルの
国民が集住したという特徴が
あった。そのため、文化度の
意識レベルも等しいものがあ
ったし、一切の差別も不当排
斥意識も行動も無かった。
極めて文化的で民度の高い人
たちが住んでいた。
それが住宅公団団地だった。
芝生の空き地広場が必ずあって
子どもたちはそこで野球をした
りコマを回したりメンコをした
りして遊んでいた。
ここで昭和少年たちは社会性を
学んだ。

団地とは一般的には公団の集
合住宅をいう。
新興開発住宅地を団地と呼ぶ
のも間違いではないが、自分
らの言語のみが全国基準であ
ると思い込むのは、広島県人
はやめたほうがいい。
狭い特定地方の地域では通じ
ても、日本では通用しないか
らだ。