12/23 ②文章力に自信のある私が良い文章について書いてみた

お暇な方はこちらを

https://kakuyomu.jp/works/16817330668631000382/episodes/16817330668842379144


 そもそも「良い文章」だの「うまい文章」だの、書ければそれに越したことはないんですが、それって少なくともWEB小説においては必須条件じゃないんですよ、皆さん薄々感じておられる通り。


 私より上位の作品なんて死ぬほどありますけど、私の視点でいえば7~8割は私より文章表現も語彙力も下ですよ(強気) 読書量も書いてきた量も違うので当然のマウント(こら)なんですが、添削せい言われたら多分ほとんどの作品で赤入れられます。しませんけど。好きじゃないんで。


 だけど世の中創作論だのXツイッターだので必死に「良い文章」を規定しようとする向きがある。気に入らないんですよね~www お前らみたいな青二才が何言ってやがるって思っちゃって。私も作家界では全然若年ですし、有名なプロ作家からみれば青二才以下なんですが、それでも思わずにいられないw


 そもそも「良い」「悪い」って作家側が決めることじゃなくね? 文章ルールや文法はもちろんありますよ。シンタクスを守るのが文章として美しいのは事実です、学問的には。ただそれイコール読みやすいかって言われたら「んなこたぁない」んですよ。小説はとくに文脈コンテクストで作られる作品です。文章ひとつつひとつのルールなんかより、文脈の総体的な形態(=物語の形)が重要なわけです。そして読者側はそこをこそ見ています。


 あ、読みやすい文章がない、とかではないです。読みやすい文章はいっぱい存在します。それを書ける作家も、カクヨムという主にアマチュア作家の場ですら死ぬほどたくさんいます。「この作家さん、きれいな文章書くなぁ」とか「そう言う表現もあるのか、すげぇ」と思うことはたくさんあります。――ですが、それらもすべて「文脈の総体的な形態」があってこその評価です。


 ま、ほら。文章力があっても読まれない作家がいますからね、ここに。


 と、自虐ネタで締めておきます。


本作の「文脈の総体的な形態」が評価に値するかどうかを決めるのは読者さんです。

「腰痛剣士と肩凝り魔女」

https://kakuyomu.jp/works/16817330667806787552


 覗かれなければ評価も何もあったもんじゃない。

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